くろまめのをりをり8(2010年1月から)


         毎日のようにベランダから富士を眺めています。よく晴れた日は
         丹沢が見えます。太陽が少しずつ移動してゆくのを見ていると
         今日の日を残しておきたくなります。


 
    良いお年を!       (2010年12月31日)



今年の夏の酷暑にもめげず(マンゴーは酷暑好きかも)、健やかに育っています。 今年もいろいろな方たちと交流ができて幸せでした。 来る年もくろまめの小さな展示室でお会いできることを楽しみにしています。 良いお年を! 

 
    「続・続 銀鏡神楽」       (2010年12月28日)


おおかたの会社は、御用納めの日でしょうか。

コンテンツ「銀鏡神楽」の画像を三種追加しました。
よろしかったら、お時間のあるときにお立ち寄り下さい。

画像は、後ろのほうに載せています。

内容は、2003年10月11日 東京・駒場の「日本民藝館」にて。
    2007年12月15日 「式三十二番 ししとぎり」。
    2008年12月7日  神楽の練習風景。 
    2009年3月8日   NHK 「第9回地域伝統芸能まつり」出演。



 
   あらためて       (2010年12月24日)

 下記サイトをご覧いただけたら嬉しいです。

宮崎県西都市銀鏡の「銀鏡神楽」です。(←クリック!)

2009年の大祭の模様が記録されています。
 


 
  12月14日の「銀鏡(しろみ)神楽」       (2010年12月15日)

 「『「銀鏡神楽」は歴史学者や郷土史研究家が「日本最高の神楽」と評しているものです。
その神楽が舞われる日が来週14日に迫ってきました。偶然ですが、赤穂浪士の討ち入りの
日です』」。同郷の那須省一氏が自身のブログ『アフリカをさるく』でコメントしていた。

 12月に入ると、銀鏡出身の誰もが12月14日に執り行われるお神楽のことを思い出すそうだ。
米良の言葉で語れば語るほどその想いは強くなり、銀鏡(しろみ)を知っていただきたいと
いう思いになる。
 
 さて、時は平成22年。12月14日は、今までで一番暖かかったそうだ。
講談師ならずケータイから実況の写メールが届いた。

「手袋も要らずシャッターも押し易いです」。

私はPCの前で待機していた。日付け変わってからは父の舞が無事に終わりますよう祈った。

 「無事にすんだよ 今回は録画もあります 泣きますわよ」。

父は医師から股関節の手術をすすめられていたが、術後のリハビリに時間がかかることから、
頑として断ったのだそうだ。
「どげね?」と聞けば
「ああ〜大丈夫だ!! 痛み止めの薬があるから大丈夫じゃ」。

(安心すなり。ケータイオンして就寝すなり。)

午前2時過ぎ 着信☆
「今現在の太鼓を叩く父」。


午後1時過ぎ 着信☆ 「ししとぎりが始まりました。山は賑わっています。みちてるさんが絶妙な米良弁で観客を 笑いに誘っています。おばあさん役は、どなたか判りませんわ。このあと33番の神送りで 終了ですばい。父は昨日と変わらず元気。良かったわあ。それじゃ〜またね〜」。 安堵してか文末は手のひらの絵文字が2個。妹たちは午前4時までお神楽を観ていたそうだ。   追記: 我が家の達子さん88歳。「私もがんばらなくてはねぇ」と編み物再開。 ひなたぼっこしながら楽しそう。(15日午前11時26分撮)

 
   病院の内と外       (2010年12月6日)

 午前9時50分 駅南口発の病院行きのバスに乗る。私は毎月2回このバスに乗っている。達子さん
と一緒に1回。私で1回。運転手さんは地元の方で30年前は中学生だったそうだ。来月からは南口に
ベンチが置かれるそうだ。今朝バスの中で、署名運動をした患者代表の方が大きな声で報告をされた。
署名運動は草の根のようにゆっくり時間をかけて幹になり着実に結実したようである。

 乗車10分足らずで病院到着。達子さんきょうはなんだかてきぱきとして見える。車中で昔のダンス
仲間と話したことが良い刺激になったのかもしれない。「私、速いでしょ」とあとからやってきたその
方に楽しそうに声を掛けていた。同世代の方たちの中で話したり笑ったりする達子さんを見て「若い!」
と思った。同居の先輩を老いたなあと思うことははなはだ失礼なことだと思った今日だった。



 

「○○達子さま」「○○タツコさま」 呼ばれた二人は偶然に下の名前が同じだった。 タツコさんにお友達が話しかけてきて、もう〜ぜんぜん止まらない。釣り銭のケースを前方へ押し出す 会計担当者。 こちらの達子さんは薬局へ向かう。あちらのタツコさんは、まだお財布がテーブルにのっかっているで はないの!

薬局を出て右、左、車は異常なし!!・・・ あ!  ・・・「ごめんなさい。助けてあげれなくて・・・」。

 
   金平糖      (2010年12月4日)


畑の帰りにラジオの俳句の番組を聞いていたら、 「こんぺいとう」の”一語”がぐるぐる昔の思い出を引き上げてくれた。 はるか昔、小学2年生くらいだったと思う。 春の記憶がポーンと飛び出してきた。まだ寒さが残る4月。 私は仲良しのYちゃんのおうちに居た。 Yちゃんのお父さんの次雄さんが私にお土産をくださった。 プラスチック?の水筒に入っているキラキラ砂糖菓子。 水筒の形もピンクのビニールリボンも美しい。 私とY子ちゃんは水筒を斜め掛けにして走った。 金平糖を噛んだ。 カリッツ ガギッツ 粉々になって甘さが広がった。 空に透かして、キラキラ光る金平糖の角を飽きずに眺めていた。 突如後ろから兄が私の水筒を奪おうとしてきた。 離す物かと一生懸命引っ張った。 リボンが伸びて細長くなって、切れた。 水筒の栓が抜けて、金平糖が散らばった。 私は泣いた。次雄さんが出てきて兄を叱った。 私は兄が可哀想になってきて、泣きながら拾った金平糖をあげた。 兄はプイとして行ってしまった。 そんなことが確かにあった小学時代。 兄は中学校の修学旅行のお土産にいろんな色のビーズを買ってきてくれた。 背広姿に紳士帽を被り、革のかばんを持って町に出かける次雄さんは 学校の校長先生よりもおまわりさんよりも偉く見えた。 物知りでニコニコいろんなことを教えてくださった。 次雄さんの姿を最後に見たのは10年ほど前?  隣のSちゃんが「次雄さんがきちょりやるよ」って教えてくれた。 それで私はすぐに追いかけたが、とうとう出会えなかった。 もっと一生懸命捜せば良かった。 Yちゃん、会いたいね。
 

 
   銀座八丁目 ♪ シャンソニェ鳩ぽっぽ ♪     (2010年12月2日)

 久しぶりに夜の銀座へ。♪待ち合わせて〜夜の銀座〜♪ ♪口をついて出てくる。
 八丁目界隈は、看板がビルの上まで立ち並んでいた。私は待ち合わせ場所に少し早く着い
たので、しばらく人の流れを目で追っていた。いきなり粋なお姉さんがたが現れては消えて
いった。夫がこちらに向かって来る。看板を見上げては少し立ち止まって、確かめている。
私が手を挙げれば気付くかも知れない距離に居る夫を見て楽しんだ。それからしばらくして
S子さんがしゃきしゃきとやってきた。

 三人が揃ったところで『銀座シャンソニ鳩ぽっぽ』のお店に入った。「どこでもどうぞ」
とすすめられて、ステージがよく見える場所に陣取った。
ワインを飲みながら浜砂伴海さんのステージを堪能した。今宵の女性歌手はお二人でもう一
方は、劇団四季のミスサイゴンにも出演された青木真由子さん。真由子さんの歌う「♪メモ
リー」は、劇団四季の「キャッツ」を見た人ならなおさら納得の歌だった。

 第一ステージが終わり、それぞれのテーブルで歌手の方たちも一緒に歓談。連れのS子さ
んはカナダ在住のスチュワーデスで、休暇で日本に来ているところだと紹介したら、カナダ
のことなど話題にして、ステージからも声を掛けてくださった。
 「中学時代にラジオから流れるフランス語(シャンソン)の歌を聞いたのが初めてのフラ
ンス語でした」と彼女が言うと、「そうですか。多感な時期ですよね」。男性の歌手が優し
い笑いをおこして、彼女のリクエストの曲を歌ってくださった。

 ステージが進むにつれて、お客とお店の方々が声を掛け合い、それは和気藹々とした雰囲
気になっていった。シャンソン(フランス語)、カンツォーネ(イタリア語)を次から次と
聞いていくうちに、私たちはすっかり心地よくなって第三ステージまで楽しんだ。特に浜砂
伴海さんのフランス語の「♪愛の賛歌」には感動した。

 天気予報は「夜は雨でしょう」ということだったが、外に出ると雨は上がっていた。新橋
駅まで徒歩5分ほど。ネオン灯りを群集が押し開けて歩いていた。自宅へはタクシーで帰り
着く時間帯だった。深い歌を聞いたあとの眠りはいい。


 
   淡々と      (2010年11月30日)

 今日で11月も終わりですね。あたたかい今日ですね〜
と文字を打っていたら、横揺れの地震が!! 
テレビ 「関東東北南部 広い範囲で震度3を観測しました」。

 時間が戻り、玄米茶を飲む。生協の抹茶入り玄米茶は緑色がきれいだ。
玄米の香りは祖母のおステばあさんの匂い。98度のお湯でマグカップに一杯。うー熱い!
 
 嬉しいニュースを記しておきたい。
同郷のありさんが「大阪府社会福祉ボランティア表彰(大阪府知事表彰)」授与。
「たまたま今年、年月が経った私に順番がまわってきたのだなと思っています」。
なににつけても奥ゆかしいありさんだ。
 
 同郷のSちゃんが宮崎・木城町町立保育園の園長に就任。
Sちゃんは私より2歳お姉さん。11月に入ると村の子供達を田んぼに招集して、真剣に芝居
の指導をしてくれた。脚本は台詞が長かった。標準語だった。配役は男も女もなかった。
芝居で汗をかき、缶けりをしては汗をかき、みんなほっぺを赤くして解散したものだった。


   
   ジュークボックス      (2010年11月18日)

 電車で若い人たちを見ているとその器用さに驚く。iPodで音楽を聴きながらiPhoneを開くのをみると、
次の行動パターンが浮かんできて、私は目を閉じる。
 彼らは黙々と まるでロボットのように仕組まれた動きをしているはずだから。私は向かいの席の若
者をみたくないのである。少し前までは、彼らの携帯の早打ちに驚いて見ていたが、最近では指で撫で
るしぐさをしているので面白くないのである。指で早く打つほうがむしろ感じよく思えるから面白い。
 さて、くろまめ世代は、彼らの年代の頃は、ジュークボックスを聞いていた。恋人同士であればお互
いの好きな楽曲を選んで、サプライズを期待したり、まったく関係のない人が選んだ楽曲に文句を言う
こともなく、それぞれが同じ空間で音の世界を楽しんだものだった。

 今夜の番組 NHKハイビジョン「プレミアム8人物 なかにし礼・不滅の歌謡曲A 昭和への恋歌を」
見たことで、その頃が一気に思い出されてきて懐かしくもありほろ苦くもあり、そして声を出して歌っ
た。詩も曲も骨が太い。(前編の放送は11/1) 今夜の後編では、なかにし礼の哲学を感じた。
自身の“哀しみ”の体験の中から歌を作ってきたと確たる思いを語った。哀しみの体験のある者は歌を
聞いたとき涙を流すとも。そう語る氏の背景に昭和30年代の働く女性たちの映像が流れていた。
 
 ビートルズの来日は瞬く間に青年たちに広がり、その後 吉田拓郎をはじめとする若者たちが自作自
演(シンガーソングライター)の歌を歌うようになり、昭和50年に入ると桑田圭祐が革命を起こした
と。歌詞に英語があり、日本語は聞き取れないけれども自分はそういう楽曲もありだという感覚で聞い
ていたことも。昭和52年?頃にはピンクレディー。もはやスターは特別ではなくなってきたと。

 私がジュークボックスで音楽を聞いていた頃は、100円玉を入れると、音楽と一緒に人生や哀しみ
が出てきて妙に感動したものだった。都会への憧れ、外国への憧れ、大人の世界も感じられた。


 
   お面      (2010年11月3日)

 今日はよく晴れた文化の日だった。予約していた能の鑑賞に夫と出かけた。外国の方も多数いらして
いて、私達の席(脇正面席)の前に若い和服の女性が着席した。英字で書かれたパンフレットをしばら
く読んでいたが、舞台で演目の解説が始まると熱心に耳を傾けていた。狂言、能楽とプログラムが進ん
で行った。
 私は「善知鳥(うとう)」のお面の小さなことに ふと気付いた。私の故郷の神楽はとても大きなお
面をつけて舞う。人の顔がすっぽり入る大きさだ。こめかみの辺りに紐があるので固定するときはさぞ
痛いのではと思えるほどの大きさだ。神楽で口上を述べるのだが、よほど工夫をしないと鑑賞者の耳に
は届かない。いつかマイクをつけたときがあったが、むしろつけないほうが良いと言える結果だった。
 能の場合は、台詞(専門用語がわからない^^)を発声し易いように小さく出来ているのだろうか?

  


 
   昭和歌謡曲      (2010年11月1日)

 今夜 テレビで、なかしに礼の詩の世界に魅せられた。
「私の詩は、満州での幼い頃の家族との体験が下地になっている」と。そしてまた「男と女が部屋の中
で、2m 離れているときに交す言葉を想定して作っている」とも語っていた。

 歌を聞いていてなるほどと思えた。
例えば10の単語から100の世界が広がるように、言葉を選び、組み立て、ひとつの歌の世界を作り
上げて行く作品だ。

 昔は交通が不便で田舎の人は東京にあこがれ、東京の人は田舎の情景にあこがれていたものだった。
情報はラジオや本からだった。ところが今はパソコンや携帯で繋がっている気分なのでは。液晶テレビ
で同じ番組を見ていて方言さえ無くなりつつある。独特な経験もしにくくなっている。このような現代
で歌を作る“気分”とはどういうものだろうか。



 
   出会い      (2010年10月30日)

 10月ももう終わろうとしている。この月には特別な思いがある。大好きな季節のひとつ。私の誕生月。
だからか10月は自身のリセットにピッタリ息が合うのである。10月から始まる手帳を買った。発色の良い
赤青緑系の中からレッドを選んだ。
 10月23〜24は地元のクラフトバザールに出かけた。初日は見事な秋晴れ。手作りの好きな人たちの交流
の場として定着しているここは「相島芸術文化村」。出展している人のファッションを見れるのも楽しみ
の内。相島邸の庭は、自然に見せていてその実は計画性のある美観を維持している。庭、蔵をみるのもの
実に楽しい。
 日差しが庭いっぱいに当っている時間帯に到着するように出かけた。ススキが光りコスモスが揺らぎ人
はゆったり動いている。買うことを焦らない。鑑賞を楽しんでいる。

 ご家族で参加されている「あおいみ☆あかいみ」&「てててとつくる☆」さんのお店でいちばん時間を
楽しんだ。

(↓ 冨山理亜さんの絵「とぶかめさん」




(↓ 冨山成美さんの刺し子と里亜さんの絵)




「あおいみ☆あかいみ」 http://blueberryjamm.blog37.fc2.com/)

「てててとつくる☆」 http://komomotte.blog118.fc2.com/)

「相島芸術文化村」 http://www.aijima.jp/

 
   食食食      (2010年10月23日)

「まだ栄養をとっとらんごとある」と言って父が昼食を摂る。家族みんなが笑った。昔の話。昔昔、
父がみんなより食事が遅れることがあった。そういうときの父の決まり文句がこれだった。私たち
兄妹は笑いながらも「食は大事。抜いたら一大事!」と思って育った。おおかたは一汁”山菜”だ
った。
 
 あれから、そして、それからの私の食事は栄養過多になった。健康診断の数値をみながら運動不
足は言い訳に過ぎないと思うこともあった。昔たべていたものが自分の身体に優しいということを
実感するこの頃だ。作るひと手間が気持ちに優しいからだろう。

 昨日のこと、「夢工房」(丹沢山ろく夢工房の本づくり」の片桐氏のブログで「醤油おこわ」の
ことを知った。ご実家の電気の灯りと畳と食卓。ご家族様がお母様を囲んでカレーライスを食べて
いらっしゃる。翌朝は、キッチンに湯気が上がっている。お醤油おこわを作る工程がお写真でみれ
た。ゆるやかな時間が流れていてとてもあたたかい。
(ブログ↓クリック)
 http://tanzawa-yumekoubou.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-2d56.html

 
 さあ〜 私は明日作ろう。

追記:それからまた醤油おこわを作った。最初から炊飯器を使った。
   もち米とうるち米 1対1 炊飯の味付けは、お酒、醤油、みりん、お砂糖。
   予め花豆を柔らかめに煮たことで、ほっくりとした食感だった。
   


 
   鑑賞     (2010年10月14日)

 秋はなにかと忙しい。芸術の秋、読書の秋、スポーツの秋、食の秋、旅の秋。そういった関係の誘
いが多い。お能を鑑賞に国立能楽堂に行こうと思っている。講堂で解体(解説)をしてくださるので
内容がわかるかも知れないと期待している。
 
 手作り作品の鑑賞は、作家に直接お話しが聞けるので楽しい。その場で理解できても実際には自分
にはできないことがわかって、だから面白い。音楽鑑賞は、演奏することも歌うことも夢に描けない
ので目を閉じてじっと聴くのである。音楽は血の流れを清めてくれるような気がする。絵画は、少し
離れて観るという行為と照明の明暗と、広い空間の中でゆっくり移動して観ることで畏敬の念を持っ
て観るのである。骨董品を観るときに似た感じ。よくわからないけれどいいものはいいのだという納
得。美術館の施設の環境などが良ければ良いほど、古ければ古いほど、新も旧も建物の美観は重要だ。
四季折々に合わせて企画展示される名画は行列を作り、疲れた足をラウンジへ誘う。そして美術館を
出る前に売店でお土産や自分に記念の品を買うのである。鑑賞という少々の気取りと食事やお茶の優
雅な時間とショップを見て周り、そこで好きなものに出会えてお買い物をして嬉しい気分を後々まで
維持できるのだ。
 テレビで紹介される絵画を見たとき「あ、あれはあそこの美術館で観たなあ」と思い出し、評論家
の語る鑑賞を聞きながら、満足度がまたアップするのである。未だ見ていない作品ならば、あそこで
観よう、見に行こうと気持ちが動くのである。鑑賞の対象物のことがわかる人に左右されるのも鑑賞
の喜びなのかもしれない。知らないことは喜びに変わる。
 
 「くろまめの展示室」には、くろまめの失敗作のような絵のような漫画のようなものを展示してい
るが、仲間の諸作品やブログについては、更新のたびに鑑賞できる幸せを感じている。
 今日の更新は「あつ子@カナダ」さん。サツマイモのご飯を炊いたという。忙しい中を小休止して
いる優しい時間を感じた。
 二つ目は「木曜日の風の色」はるかさんの詩。彼女は大分から毎週木曜日に詩を送ってくれる。
「私の手」は少しずつ成長していく日々の中にあって、手と手を繋いでいる。家族と繋ぐ手、触れ合
う手の動きが小さな好奇心をおおらかに育てている。過去と今との間を思い出の手が優しく働いてい
る。
 三つ目は「窓からみえる風景」の蟻さん。ブログ「日々日写」に”嬉しい”ことのあった日のこと
を紹介している。蟻さんと私は同郷である。彼女はいつも優しいまなざしで日々のことをカメラと文
章で切り取っている。貼り付けた写真の素晴らしさに毎回感動している私だ。
 四つ目はブログ『アフリカをさるく』の那須省一さん。彼と私は宮崎の山村で育った幼馴染である
こともあって、面白い言葉にしばらく楽しんだ。「水泳パンツ」という名詞に「おや?」そうなのだ!。
山の子たちは川で泳いでいたのだ。「海水パンツ」と言う言葉は最初からなかったのだ。誰も使わな
い言葉は言語として頭に定着しないのだ。それとも彼一流の元「山の子」達へのメッセージかも知れな
い。「オーイ 元気どー」って。


 
  400メートル     (2010年10月2日)

ギャラリー「いるる」の展示会に出かけた。
 午前中は畑へ。午後から気温が上昇してきた。


   人通りのない道を走っていると、左手前方に人発見!  右、左と人が動く。後ろにもうひとり見えた。  後ろの人は真っ直ぐだ。前の人は右、左に動く。    「リハビリなのかなあ」  ご主人様は一生懸命歩いていらっしゃる。  奥様はゆっくりついて歩いていらっしゃる。  ご主人様の背中を優しい目をして押してらした。

   バスを待っているのかなあ。   「ねえねえ。転んだのかしら? 大丈夫かしら!!」  そうではなくて〜  腰掛けているようだった。  「携帯用のイスだわ きっと!!」  ワオ!!   おばあさまは地べたからお尻を浮かしていた。  心配ご無用だった。
ご年配の方々の優しい時間に感動していたら、
   またもやご年配の方?    そうだった。  ご自宅の塀に全身を預けて足を遊ばせていらっしゃる。  目線を少し上げて   なんてしあわせなご表情だこと。
    これらの光景を目にしたのは距離にすると400メートルくらいだった。 

 
  紫煙アレルギー      (2010年10月1日)

 私はどうしてもタバコの煙が耐えられない。タバコのニオイがするところには数秒も居られない。
30数年前、職場の上司にお願いして換気扇をつけてもらったことがある。その当時、仕事中のタ
バコは当たり前で、女子社員はお当番で灰皿を洗っていた。換気扇の下でヘビースモーカーの男子
社員たちにどれだけ嫌な思いをさせたことか・・・。そんな時代があった。

 私は昔からタバコアレルギーだったんだ。
 
 9年前に久しぶりに会った友人二人と私は1泊の旅をした。
1人がヘビースモーカーになっていた。旅の間中、スパスパスパスパ部屋中が紫に。スパスパスパ
スパ長い夜はすっかり紫に。遅い朝も紫は晴れなかった。しかしなんのなんの楽しかりにけりなの
だ。笑った。食べた。飲まなかった。アルコールが飲めない彼女は休むことなく紫であり続けた。
別れの夕がきた。電車でゴトンゴトンゴトン。「それじゃあまた連絡するね〜。」
 
 「これから帰ります。何時ごろ着く予定です」受話器を上げて言おうとしても声がでてこない。
数分前まで彼女と話していたのに。訳がわからず震えていた。
 家族に筆談で説明したら、原因はたぶん煙だろうということになった。翌朝病院へ。診断はアレ
ルギー性声帯炎。声が出たのはそれからひと月後のことだった。
 手話交じりの義母との会話は、「ごはんは?」「お茶は?」食べる飲むの多かったことよ。手は
口ほどに物を言い、笑顔を生んだ。

 家に篭り始めた私に夫が俳句の本を買ってきてくれた。それまでまったく興味がなかった俳句だ
ったが。これにも助けられた。いつなにに出会えるかわからない。

 今日からタバコが値上がりした。健康を考えてどうだろう。


 追記:↓(10月3日付、朝日声欄 「かたえくぼ」より)
    
   「たばこ値上げ」
    前日ーー 立腹
    当日ーー 屈服
    翌日ーー 一服




 
  連載 続・田舎牧師ハイカイ記(47)      (2010年9月29日)

表題は、私が所属している俳句結社『草の花』俳誌の連載記事で、書いているのは「草の花」重鎮の
牧師さんである。俳号を谷山桃村。昭和一桁お生まれ。

あの暑い暑い夏が続いていた8月の末、届いた9月号のハイカイ記を紹介したい。

(以下、転載)

「遠き目をせる」


こんな詩があります。

『キリストに与へる詩』という山村暮鳥の作品です。
  
  キリストよ
  こんなことはあへてめづらしくもないのだが
  けふも年若な婦人がわたしのところに来た
  そしてどうしたら
  聖書の中にかいてあるあの罪深い女のやうに
  泥まみれなおん足をなみだで洗って
  黒い房房したこの髪の毛で
  それを拭いてあげるやうなことができるかとたづねるのだ
  わたしはちょっとこまったが
  斯う言った
  一人がくるしめばそれでいいのだ
    それでみんなは救はれるんだと
    婦人はわたしの此の言葉によろこばされていそいそと帰った
    婦人は大きなお腹をしてゐた
  それで独り身だといってゐた
  キリストよ
  それでよかったか
  何だかおそろしいやうな気がしてならない

それでよかった、と僕は思います。最後の一行がその思いを強くさせます。そして、この詩に僕は愛
唱の聖書の一句 『愛は非礼を行はず』(コリント前書13章5節)を思うのです。俳句をはじめる
前、僕は詩を書いていました。その頃、キリスト者詩人連盟という小さな集まりがあって、その機関
紙に発表していたのですが、自分の詩に言葉の冗長を感じて俳句の勉強をこころざしたわけです。こ
れが、あけ烏先生との出合いです。
 以来、牧師という、はた目には忙しいのかヒマなのか分からないような仕事に振り回されながらの
毎月の投句です。文字通りの四苦八苦のあげく、何とか、あの赤いポストに投函したとたんに「わぁ
ーーつ」と声を上げて駆け出したくなるような下手な自分を思い知ること幾度びぞの20年。その間
に多くの句友に恵まれ、励まされて今日に至っています。
ただ、仕事柄と病身の家内をかかえて皆さんとのおつき合いに欠け、お役に立てないことを残念に思
っています。
 先日、家内が僕の顔を見ながら「この夏、越せるでしょうか」と、静かに微笑んで言いました。
そう言えば、この7月29日は僕たちの結婚60年のダイヤモンド婚、「せめて、その日まで頑張っ
てくれ」と僕。で、当日は土砂降りの結婚記念日。
思えば僕たちが結婚を決めたとき、「そんな体で結婚したら三ヶ月もたないよ」と医者が言いました。
ふたり共、特に僕のほうは、そんな体でした。その時、家内の言った言葉が忘れられません。
「だから、私たちは結婚します」


  昼顔の咲く路地に
  アイスクリン屋の自転車が来る
  そんな
  少年の日の夏へ
  わたしは
  妻を連れて帰りたい


 
 俳句をはじめて間もなく、僕はこんな詩を書きました。そして、その路地へイエスさまと一緒に家
内を連れて帰って来ました。そうしたら、何と良寛さんも時々顔を見せてくれます。この辺りが、ト
ーソンおかしいのです。


 いつの日もとほき目をせる蝗かな     あけ烏

(転載 終わり。)

昨日、10月号が届いた。連載(48)の稿は「秋暑し」。所用で町に出ておいでのようす。


きのくにのうみやま青きみかんかな   谷山桃村



 
  浜砂 伴海      (2010年9月20日)

1)
 9月20日 浜砂伴海さんのコンサートに出かけた。    6月父の日に柏にて。9月敬老の日に成田にて。  聴きに行くのはこれで2回目になった。    敬老の日ということもあって義母にプレゼントが出来た。  義姉も誘えて良かった。  シャンソンの夕べ・・・♪   ふるさとの懐かしい方々に またお目にかかることができた。  伴海さんの魅力は歌とトークはもちろんのこと   人柄が実にいいのだ。こころのひだに涼風を送ってくれる。

2)
 伴海さんは、ステージにとどまらない。  お客様のそばを一周しながら歌を歌う。  カウンターに若い男性のグループがいた。  ♪ ウィスキーはお好きでしょ ♪ と 伴海さんが歌う。  その中の二人がグラスを合わせる。   分厚いグラスの鈍い音が・・・  ♪お好きでしょ ♪ の終わると終わらないうちに   ガチと音がする。  若い男性は「さいこうです!!」と立ち上がって言った。
↓ 浜砂伴海さんのシャンソンをYoutubeで視聴できます。 http://www.youtube.com/watch?v=Uo_kiJOiWn8 http://www.youtube.com/watch?v=iZHEafrnodU

 
    利根川を越えて    (2010年9月19日)

 今日は連休の二日目。とても気になっていた方のお墓参りに出かけた。利根川に架かる橋が渋滞
することがわかっていたので行動を早く組んだのだが、渋滞してしまった。ちょうど地元の神社の
例大祭でもあり、この期間は山車が優先になっている。
 橋を越えてからは、ラジオからCDに切り替えた。話し言葉からメロディーに替えると合わせたよ
うに草木も竹もイキイキとみえてくるから面白い。

 霊園までの道が大通りか裏通りかはわからないが、カーナビの指示通りひた走った。道の脇は、
田んぼはなくて畑が広がっていた。キクイモの花、コスモスが風に揺れていた。お年寄りがゆっく
り横断する。ワンちゃんがポワ〜〜ンとして車を見送ってくれる。のどかな風景の感想を、家族と
わいわい語るのは楽しいものである。
 
 霊園に到着してから、少し困った。お墓の場所を知らずに行ったので、事務所の方に台帳で調べ
ていただいた。「お墓に入っている方のお名前だけではわかりません。ここは5000のお墓があ
るのです」。私はしばらく頭が回らなかった。ようやく故人が主宰していた同人誌『朝』の「追悼
・宇尾房子」を開いて、手がかりを探った。結果、係りの方が案内図を示して詳しく教えてくださ
った。(追悼集は、朝の同人であり編集にかかわった中村俊輔氏が故人と縁のあった人へもと私にも
お贈りくださったものである)

 お花とお線香とお墓の掃除道具を持って、お墓に向かった。歩むという行為が丁寧になって行く。
近づいて行く間、いろいろな思い出が浮かんできて濃くなって行く。「房子さん 来ましたよ〜」。
もう涙があふれてきてならなかった。墓石に刻まれた文字「倶会一処」。 
 
 お線香の袋をよく見たら、中にマッチ箱が入っていて、線香の先に小さなロウソクが埋め込んで
あった。最初は意味がわからなかったが、ろうそくに火をつけて、逆さにしてしばらく持っている
と、線香に火がついた。よく考えられているようだ。我が家の墓所は、お茶屋さん(墓石やその周
りを掃除して管理してくれるところ)で、線香に火をつけていただいてから、お参りに行くので、
初めての経験だった。
 
 霊園のイロハモミジの木の下のベンチでしばらく休んだ。「きれいねえ〜」「ほんとうねぇ〜」
って、パープルの縁取りのメガネ、パールのイヤリング、糊のきいた白いブラウスに首にはオレン
ジ系の淡い花柄スカーフ、紺のフレアースカートにワインレッドの靴。一緒にドライブした時の房
子さんを感じた。

 
    昔の映画    (2010年9月10日)

美容室での会話から昔の映画のことを思い出した。
椅子にかけて『レタスクラブ』を広げようとしたら、『婦人画報』を持ってきてくださった。
「京都の特集なのね。写真を見ているだけで旅をしている気分になりますねえ。わあ〜美味しそう〜」
「お能の写真とかお好きですか?」
「ええ。衣装とかお面も好きなんですよ。」と話しているうちに故郷のお神楽のこと、V字の谷で育っ
たことなど、思わず自己紹介になってしまった。宮崎出身ということはご存知だったけれど海のイメ
ージで見ていらしたようだった。(くろまめでございますから)

1)
感性の話になってきた。 「映画は身近で楽しめますよね。映画と言えばね、昔は学校の講堂でね・・・。」

2)
「児童生徒はみんな下敷きを持って行進して講堂に入っていったのよ」 「ええ〜〜〜!、それって戦時中の話みたいですね!!」 「下敷きは? それでどうするのですか?」 「暑くなってくるから団扇代わりなのよ。応援の時にも使うのよ」 「??????そうなんですかあ〜」 (鏡に写る美容師さんの表情が興味深深になってきているのです) 「昭和30年代のことなのよ。なにしろ田舎も田舎だったので」 「子供向けの映画なんでしょ?」 「時代劇が多かったわ。わかりやすい内容だったし、みんなすごく楽しんだのよ」

3)
「映写機が回りだすと、少し静かになってね。」   「先生たちは大変だったわ。注意する声は映写機の音で聞こえないの」 「先生のシルエットが空しくお口をパクパクしていたのよ」 (ハサミを持つ手が震えてる〜〜 さすがプロです。手は働いています)) 「映写機の光の中に埃が見えるでしょ。あれにも面白みを感じたわ」 「ええ〜〜! それは な、何で、 どうしてですか!?」

4)
「当時のスターは、大友柳太郎って言う人でね。顔の長い人だったわ」 「派手な着物を着ていてもちっとも変ではないの」 「大川橋蔵って言う人もいたわ。私は豪快な大友柳太郎が良かったな」

5)
  「笑い顔がすごく良かったわ。声も太くて大きくて、歯もきれいだったなあ」 「そんなところまでおぼえてらっしゃるのですか!?」

6)
  「ヘラヘラしているかと思うとピリッとシャンとなって悪い人をやっつけるの」 「ちゃんばら劇、そうそ!そうなのよ。チャンバラって言ってたわ。正義が勝つの」 「援軍は馬で駆けて来るの。パッカパッカといっぱいやってくるのよ」 (美容師は言ったのだった。「水戸黄門みたいですね」) 「テレビに向かって拍手はしないでしょ。私達は下敷きを叩いて声援を送ったわ」 
ドキドキハラハラしてそして安心したわ。ああ〜面白かったなあ。  単純な頭の働きの中で最高の幸せを感じていたに違いないのだから。

 
    カラス    (2010年8月29日)

 ドライブをしていて思うのだがこの暑さのせいで、ノウゼンカズラはまだ鮮やかに咲いている。
ムクゲはさびしげに咲いている。ヒマワリは長い夏を楽しんでいるかのよう。カンナは燃えたぎり、
キクイモは花びらの先までシャキンとしている。クズは葉を青く茂らせ風に揺れている。花も虫も
野菜も人も、例年のリズムを狂わされている。

 今日は面白い光景を見た。
車を走らせていると前方の道の中央に一羽のカラスがトコトコ歩いて出てきた。
口にワラをくわえている!!
危ない!!
と私も思ったが、カラスは余裕の横顔を見せて
(時間と速度を計算できているのかも!)
道の脇にトコトコと歩いて戻って行った。
また別のカラスが道の中央寄りに居た。
このカラスも、トコトコ歩いて道の脇に歩いて行った。
そしてガードレールの鉄の棒に止まって高見の見物をしているふう。
道路上にワラを残したまま。

もしや二羽のカラスは、巣作りの材料調達で分業していたのだろうか?
先のカラスは乾燥係り??
あとのカラスは"なめす"係りかな??

カラスよ 熱くはないかい? 


 
    映画『ベスト・キッド』から 10年前の北京の旅に    (2010年8月23日)

 日曜日、映画「ベスト・キッド」を観た。これまで私はカンフー映画を一度も観たことがなかったけれ
ど、ジャッキーチェンが、自身の役柄について、テレビで語っているのを見て、観ることを決めたのだっ
た。チケット売り場は夫婦割引世代の人たちが並んでいた。とうとう私たちはC列のふたつ席を空けた席
に離れて座ることになった。長身の夫は、顎をあげて観ていた。
 中国は、かつて家族と旅した1999年5月からすると、わずか10年の時を経てすごい国力をつけて
いることを映画の背景から感じとることができた。

 映画は、少年が母親の転勤(車工場の管理部門)にともなってアメリカから中国に引っ越すところから
始まる。黒人の母親と息子を見送る大勢の白人の隣人たちと少年の友達たち。機内で母親がパソコンで中
国語の挨拶を覚えさせようとする。(少年は相手の国の言葉を覚える事の大事さをそれから体験すること
になる)北京空港で少年は、目をくるくるキラキラさせて辺りを見回している。私の記憶の中の平べった
かった空港が分厚くなって超近代の玄関に変わっていた。映画の筋と合わせて、スクリーンに映る細い通
りや通行人の服装や商店など、目を凝らさずにはいられなくなっていった。
 
 少年が通う学校は、高所得者層の子女の学校。制服登校の日が決められていてそれ以外の日は自由。給
食制度になっている。少子化政策と学校教育(ルールと挨拶)について興味深いシーンがいくつかあった。

 私たちが泊まったホテルは、長富宮飯店(ホテルニューオオタニ系列)。ホテルのフロントは英語だっ
たが、レストラン、接客係りは英語はまだ通用語ではなかった。私たちの旅の目的は、中国の普段を見て
歩くこと、歩く通りの食堂で食べること。バスや地下鉄に乗ること。観光スポットには、ガイドつきで行
くこと。
アメリカ大使館もホテルのすぐそばだったので、私達はこの通りを往復したものだった。ここの通りでは
織物や黄色い焼き芋を立って売って(売りつけて)いた。織物に目を留めたら最後なので無視したが、芋
の窯は覗いてしまった。とたん買うしかない。ノーサンキューは通用しない。買うまで監視されている感
じだった。結局買って、食べながら、マクドナルドを通過してホテルに戻った。
滞在中に一度だけホテルに隣接するマクドナルドに入ってみた。緊張感が漂っていた。帰国してからだっ
たが学生たちがアメリカ資本に対する怒りをアメリカ大使館とここマックにも火炎瓶などを投げ込む事件
が起きた。
 
 北京初日の夜、街の中でも美味しいと評判のレストランに行ったが、英語はまったく通用しなかった。
(発音の問題でないことは夫と娘の名誉のために言っておこう。娘のカタコト中国語が役立ったことも言
っておこう 笑)。メニューの漢字を指したり、漢字で紙に書いて訊ねたり、答えを書いてもらったりし
たが、食材や調理方法、お酒については曖昧な知識(体験)になってしまった。味はさすがに素晴らしく
良かった。
 ここで、空芯菜(クウシンサイ)を知ることができた。帰国してすぐに空芯菜を探したがデパート?
だったかで、ホウレンソウの三倍くらいの値段で売られていた。それから3年後くらいにどこのスーパー
でも200円前後で売られ、そのうち千葉の印旛沼で水栽培されるようになり、今現在は100円くらい
で売られている。
 
 映画の主人公の少年がいじめを受けて、いじめの組から逃れて路地裏を走り抜けていくシーンで、空の
ペットボトルをまとめて運んでいる台車(自転車で引っ張っていたような?)を見た。あれは、またどこ
の水かわからない水を入れて売るのだろうかと思ってしまった。
 私達は旅の間は、ペットボトルを必ず携帯していた。バスの運転手が日本のコーヒーの空き瓶に中国茶
葉を入れて、そこにお水を足し足し飲んでいた。路上で売られている水は買わないようにとガイドの方か
ら強く注意があった。それほど中国は喉の渇くところであった。
 早朝、フートンを歩いたとき、乞食さん(昔物語に登場する仙人のよう。長い髪と杖を引きずり歩いて
いた)がすっかり通り過ぎてから私達は逆方向に歩いて行った。フートンの近くで揚げパンを揚げている
屋台が出ていた。これから働き出す老若男女が、地面に油をぽたぽた落としながら食べていた。食堂を2,
3軒通過した。大勢の人が湯気の中に顔を突っ込むようにして食べていた。小さな子供もいた。
 私達は朝食と夕食はホテルでとって、昼食とお茶は大通りや細い路地の食堂で食べた。布製のテーブル
クロスの代わりに、サランラップのような薄いビニールを何枚も掛けているところの食事は、最高に美味
しかった。あれは、横浜中華街でも味合うことの出来ない味だった。
 横断歩道を渡るときは大群になって斜めに走り(赤信号みんなで渡れば怖くないという言葉はここには
ない)、壁新聞をびっしり頭を並べて読んでいた。地下鉄は寸分も隙間も無いくらいり乗り込んでいた。
万里の長城で執拗にレースをセールスしてきたときには恐ろしくさえ感じられた。売るほうは目をそらさ
ない。そして離れても離れても追って来て肩にひらりと掛けるので義母の手をとって背中を向けた。
 義母が階段で転びそうになったとき、さっと駆け寄って手をとってくれた青年。北京の生きるエネルギ
ーと儒教の教えにはいろいろ考えさせられたものだった。

 フートンのような古い建物を伝統として残しておいてほしいと思うが、当の中国の人たちは、一刻も早
く、高層住宅(文化住宅)に住みたがっているのかも知れない。1999年当時ガイドをしてくださった40台
の男性は高層マンションに住む月収8万円の高所得者だった。
 
 映画は、面白い。@1000円は嬉しい。頭の中で点が線になる。


追記:中国の農村部では今でも代用教員が教えているそうだ。生徒の一人が「○○先生はいろいろなこと
を教えてくれます。尊敬しています」とこたえていた。4年前に代用教員制度は廃止されたのだそうだが
全体で約30万人の代用教員がいるそうだ(8月26日NHK朝のニュースより)。



 
    “もっとからちゃんとへ”    (2010年8月21日)

 今朝も「ゲゲゲの女房」を見た。しげるが軍隊時代の重たい蓋を取ってから、悲惨な体験を漫画で語る
ことを決意し、いよいよ着手したところで次回へとなった。
 私は水木しげるの『コミック昭和史』の全巻を娘と一緒に読んだことがある。読み終えた本をしばらく
してから親戚の子供に贈った。子供たちは真剣に繰り返し読んでいたそうだ。手塚治の『アドルフに告ぐ』
全巻もそうだった。それから漫画は親戚の家の本棚にちゃんと置いてあるそうだ。良書はちゃんと残され
て行く。

 「ゲゲゲ」のあとの番組を背中で聞いた。膝を打ちたくなるキャッチコピーにパソコンの手を止めた。
博報堂の人がインタビューに答えていたらしい。人々のモノの消費が「もっとからちゃんとへ 」に流れ
ていると言っていた。

 もっともっとと目新しいモノを求める気持ちから、昔ながらのモノへと回帰する気持ちのことだろう。
次から次へと出てくる小手先の変化に人々が選ぶのに疲れた(飽きた)ということではないだろうか。我
が家の場合、食で言えば、畑で採れた物を中心に献立を決めている。たくさん採れた時は保存方法を考え
るがそれはなかなか楽しいことである。また、調理方法など変化をつけるようにしている。けれどもシン
プルに素材を食べると飽きがこないことも事実だ。なにも変わったことをしないことがちゃんとするとい
う一見矛盾するようなことであるが、納得できることでもある。衣と住は時間をかけて作ることでちゃん
としている(手作りの感)という喜びがある。既成のモノのままでは満足できなくなって来ている。ほん
の少しでも、縫ったり、塗ったり、貼ったり、張ったり、組み立てたり、そうやって時間と労力をかける
ことで、一層愛着がわいてくる。

 これからの商業はどのように変化していくのだろうか。博報堂の放った言葉は、商業ベースにどのよう
な影響を与えるのだろう。また、この時の数分の間に番組を観ていた人たちがどのように感じてどのよう
に変化させるのか、それぞれのセンスが試されて行くことだろう。豊かな心持(ちゃんと感)を考えたと
き、基準は結局は自分自身の中にあると思った。
 衣食住と思いをめぐらせたが、食が一番楽しいことであるとつくづく思った。そしてランチを社会福祉
法人の経営する石窯パン工房(新規開拓)でいただいた。ピッツアと冷スパとエビチリスパ、コーヒー、
紅茶、アイスティーを三人でいただいた。グリーンのポロシャツのユニフォームを着た誰もが輝いて見え
た。また何度でも行くことになると思う。



 
    甲子園    (2010年8月19日)

 我が家の達子さんはアマプロ問わずスポーツ観戦が大好き。ラグビーの試合の時はニュージーランド、
オーストラリラ、カナダにも行ったほど。女学校の頃はバスケット部の控えの選手だったそうだ。応援
に燃えるタイプだ。88歳になった今も燃えている。脚は弱ったが、声援の声は外にも通っていると思
う。

 昨日、帰宅すると、もうそれは喜んで成田高校が勝ったことを教えてくれた。「金曜日は準決勝だから
ママも観たらいいよ」と薦めてくれた。今日も燃えている。熱中症対策も万全だ。保冷剤をタオルで巻い
て首にあて、うちわを持ち(応援道具でもある)、時々お水を飲み、クーラーは外気温が35度になった
らつけると決めている。我が家は風通しが良いのでめったにクーラーはつけない。
(体の中まで冷やし過ぎないように、温かいものも食しましょう。豚肉、ニガウリ、ポン酢が良いと書い
てあった昨日の朝日新聞効果でもある。)

 本日の第1試合は、九州学院×東海大相模。達子さんは九州の高校を必ず応援してくれる。結果は東海
大相模の勝ち。現巨人軍の原辰則監督も東海大相模高校の出身だ。それで思い出した。彼が高校生の頃、
私は横浜の保土ヶ谷区に住んでいた。保土ヶ谷球場で東海大相模高校の予選試合を観た時には、すでにマ
スコミが彼をオッカケていた。達子さんとは同居していなかった頃のこと。「原選手を見たのよ」と話し
てあげた。「試合を観た帰りにスーパーでビールを買ったのよ。ビールはビンだったのよ。家のすぐ近く
で落としてしまって、あとが大変だったわ」。

 第2試合が終わった。報徳学園×新潟明訓の結果は、報徳の勝ち。
さて、達子さんの表情は〜  「さあ!、お蕎麦を食べよう」
過去は振り返らないのである。

 15時35分。30,6度。湿度66%。


 
 
    「ゲゲゲの女房」    (2010年8月14日)

 昔々、朝ドラ「おはなはん」を、実家のみんなで観ていた光景が浮かぶ。特に祖母が熱心に観ていた。
私は小学生。普段は大人しい地味な祖母が、明るい表情をして観ていた。そのわけが今はっきりとわか
る。祖母が娘時代に村長をしていた父親の仕事を手伝って、その関係で村外の人たちに出会い、夢とか
希望が描けた時があったのではないだろうか。明日が待ち遠しく思えるような青春のそういった時期。
同世代のおはなはんを通して、その向こうに見える、過ぎ去った時を懐かしんで見ていたのではないだ
ろうか。懐かしんで明るい気分になっていたのではないだろうか。

 今、大人気の「ゲゲゲの女房」は、平成生まれの新婚さんから大正生まれの方たちまで、世代を超え
て共感を得ているようである。若い世代は、夫婦間のあり方、家庭というものについて、互いに主張し
合うのではなく、理解し合うというお手本を見ているのではないだろうか。シニア世代はノスタルジッ
クに観ているのではないかと思う。

 8月11日(水)〜8月23日(月)まで、松屋銀座8階大催事場において、「水木しげる米寿記念
・ゲゲゲ展」が開催されている。私はまだ行っていない。行った人の話によると、「水木しげるの原画
は、大人には大人に、子供には子供にわかる絵だ。どちらも決め細やかですごい。ストーリーもすごい。
水木しげるは偉大だ!!」
「若い夫婦がベビーカーを畳んで、赤ちゃんを抱いて見ていた。その先にはシニア世代の集団の頭がび
っちり並んでいた。みんなが熱心に観ていた。そこにはもうお化けが来ていた」

 シニア世代はノスタルジックにはまってしまってお隣同士で語り合っていたのではと思いながら友人
の話を聞いていたが、やっぱり私もこの点は残念に思う。
 
 映画「ゲゲゲの女房」11月公開!http://www.gegege-eiga.com

  今日は、都心を車で走り、東京タワーを間近に見た。  (スカイツリーは建築中。出来上がれば東京タワーの倍くらいの高さになるそうだ)  
 
 
    まあ〜大変!! お金が足りない!!    (2010年8月11日)

 本日も暑い日となりました〜
絵の教室へいつもより1時間早く家を出た。
画題は置物。画紙F2サイズとモチーフと本も忘れずに。

1)
    電車は7人掛けに、2,3人が掛けていた。  我孫子駅下車。影があれば影の中を歩いた。  「本日オープン」パン屋さんの看板が見えた。  匂いに釣られて中へ入った。

2)
  ちょっと覗いたつもりが・・・  サンドイッチとシナモンデニッシュをトレーに載せていた。  2階でコーヒーを。  「暑いですね〜。目的地までもう少しなのですが」  「目的地はどこですか」「○○です」  「すぐそこですね アハハハハ」   気持ちの良い笑が返ってきた。   30分も滞在してしまった。

3)
  目的地に到着。  手荷物は小さかったけれどコインロッカーに預けた。  本屋さんで『クロワッサン』、『季寄せ』購入。  水木しげるの作品が特別展示棚に並んでいた。  文房具コーナーでスタンド式レンズを購入。  篆刻に役立つ倍率3.5の優れもの。  お会計の時だった。  1000円札が・・・@@枚しかない!!

4)
  持ち寄りの置物の中にエゾヒグマ(一刀彫)が。  ヒグマから少し離れて置いた。  高さが熊とほぼ同じ。  鞠を小さく描いたとしても脇役にはなれない。

5)
  鞠は舞台を降りた。  ヒグマを描いた。  鮭が小熊に見える。  3時過ぎ、コーヒーを飲み、一休み。  

6)
 会計さんが言った。 「月謝を集めます。年会費も一緒にお願いしま〜す」 「私、貧乏になりました。お月謝だけを」 「・・・・??」 「買い物したら足りなくなっちゃった。次回教室の時に持ってきます」

・・・・・・ 帰り、仲間と並んで車窓の景色を見た。茜色の気分。 二駅目でお別れしてから、ひとり反省会。 お財布までも小さく少なくすることはなかったなあ。 娘が小5の修学旅行で使ったお財布。 お札を半分に折って入れるお財布。 折れ線がつかないことも気に入っている。 中身のことを忘れていた私・・・・・・。
7)
    下車。スイカがブーブー。  窓口で「精算をお願いします」と言ったが顔を出してくれない。  スイカにチャージ。通過。  スーパーでカキ氷とバナナを買いたい。  レシートを取り除いて 眼で数えた。114円。

 
    手賀沼花火大会   (2010年8月7日)

 大きなチラシが新聞に差し込まれていた。手賀沼花火大会、8月7日(土)、午後7時〜8時30分。
テレホンサービス(当日午前8時〜)末4桁番号は、3215(見に行こう)。
今日付けの朝日天声人語のテーマは「花火」。我孫子市の手賀沼花火大会のことも書かれてあった。固
有名詞がドンと出るとやはり嬉しい。そして甲子園は、千葉県成田高校×智弁和歌山の対戦。映画館も
空いているだろうから、ジブリ映画『借りぐらしのアリエッティ』を観に行く。西都の榎本先生の随筆
が宮崎MRTラジオで朗読される日。期待感にあふれる土曜日がスタートした。

 成田高校が甲子園常連校に勝った! 映画は、小人の少女と心臓の弱い少年との出会いと旅立ち。人
は人と触れ合うことで生きられるという私なりの解釈だが。素晴らしく美しい映画だった。
 夕焼けを追いかけて会場近くまで車で走った。花火は定刻に数発上がった。手賀大橋が遠くに見える
土手に人が動かずに立っていた。車はお行儀よく縦に長く駐車している。酒盛りを始めている人たちも
見える。同じ方向を向いている人の頭の高い低いが奇妙なシルエットを作っている。椅子に掛けてゆっ
たりと観ている人たちは空を見上げている。そのうち動かなかったシルエットがザワザワし始めた。横
顔のシルエットが縦に続いて見える。お父さんお母さんに甘えるように顔をあげている子。「ママ、お
菓子の袋をこっちに持って来て〜」。土手を下りて水辺から呼んでいるパパと子ども。子どもたちは、
はしゃぎそして飽きていくものである。沼側の土手の縁に腰掛けて、赤ちゃんにミルクをあげている母
親がいた。そばに父親がいた。花火があがると父親が母親に何か言う。すると母親は空を見る。そして
赤ちゃんを見る。赤ちゃんは手で宙をつかみ、足で宙を蹴っていた。母親は至福の表情をしてあかちゃ
んの顔を見ていた。
 喧騒と静寂の狭間に沼が横たわっている。沼明かりを見て、私たちは30分前に引き上げた。

 
 追記:
昨年は不況のあおりで中止された手賀沼花火大会が7日復活し、41万人(主催者発表)が、光の競演
を楽しんだ。柏市と我孫子市の3会場でスターマインや水中花火など計13500発が打ち上げられた。
(8/8付 朝日新聞・千葉版)

 
    大衆演芸   (2010年8月6日)

 遠い昔の話。小学校の1,2年生の時のこと。私の村に旅の一座がやってきた。一座には小学生も中学生
もいた。2,3日滞在するので、彼らは先生に連れられて教室に入ってきた。役者さんたちの子どもはみん
な美しかった。私は彼らの横顔をじっと見ていた。形がまったく村の子どもたちと違っていた。夜になる
と、彼らはさらに美しくなっていた。カツラに着物を着て七変化!声もよく通り、二度びっくり!。

 舞台は学校の講堂(体育館という言葉はまだなかった)。観客はお風呂あがりの顔をして腰を低くして
入ってくる。席は、人口が少ないのですんなり収まってゆく。正座して、前後左右に会釈して、それから
は極楽極楽。これよりお芝居の始まり始まりなのであった。

 舞台の装置はいたってシンプル。近景、中景、遠景のしつらえが最初から公開されている。演歌や浪曲、
歌謡曲などいかにもお芝居がかった楽曲が盛り上げる。子どもにもわかる筋立てのままはは物語り。歌っ
て踊ってバラエティーに変わって行く。最初は三度傘、忠太郎が出てこないと始まらない。舞台の袖から
三度傘のお兄さん?おじさん?がササササァーっと出てきて、舞台中央で立ち止まると、歓声がわく。

 さて、話は、現代に。『宮崎から「いろは座」がやってくるそうですが、くろまめさん、どうですか?』
と、絵の仲間からお誘いをいただいた。「はい。行きます。大衆芸能好きです!」となり、観劇に出かけた。
300人入りの小ホールは満席だった。司会者が綾小路きみまろ流の軽妙な話術で会場をわかした。(きみま
ろさんは「いろは座」の前座をされていたそうだ)。それから歌謡ショー、ひとり新内流し。三味の音色
に会場は拍手を忘れてしまっていた。第二幕は、梅沢富美男の若かりし頃を髣髴させる妖艶な美女が素晴
らしい舞踊を披露。が突然、男のダミ声で奇声をあげた。観客は大喜び。この落差が大衆芸能の面白さだ。
薩摩の田舎娘の寸劇や、お面をつけた踊りなど、芸は細かく踊りはしっかりしていて、笑満載のプログラ
ムに涙を流して笑った。
 いやはや いやはや 大衆演芸を楽しいと思える歳になったこと・・・。

 
    炎天下   (2010年8月2日)

 8月1日、句会に出かけた。会場は、我孫子駅前「けやきプラザ」。県と市による地下1階、地上12階の
複合施設(ビル)で、2006年8月1日に開館した。
 駅を出ると、暑い!アチッ! 強烈な日差しだ。行き交う人の顔は悲しみをたたえたような顔、顔。
バスが停まる。人はバスの中へテキパキと消えて行く。右側の視界からバスが去り、次にテントが現
れる。けやきプラザの建物の影になっている場所で夏野菜を商っている。売り手も買い手も穏やかな
顔をしている。エダマメが枝から外されて売られている。正面の広場でフラダンスが始まったようだ。
私はハワイアン音楽を聞くと危険なのである。平気でフラポーズ。しばらくフラクラフラクラしてい
た。けやきプラザのフラ教室の発表会?らしい。一緒にフラクラ踊りながら駅の方へ目をやると仲間
がこちらへ歩いて来る。目が合った!! フラっぽくやわらくご挨拶したが、片手を挙げて「こんに
ちはぁ〜」。炎暑で酸欠? それとも私、暑苦しい?

 句会の兼題(あらかじめ季題が決められている)は「炎天」と「風死す」。ピッタリのお題になり
ましたねえとベテランの方は余裕のご発言。兼題2句と雑詠3句の計5句を短冊に書いて出す。幹事が
それぞれに均等に配る。清記用紙に書き写す。清記用紙を左回りに回す。面白い句が回ってきた。

 そそくさと神事を終る炎天下   未知

 一読 地鎮祭のイメージが浮かんだ。
炎天下では 神官もまわりのみんなも これは辛い!! 
「そそくさと」がいい。分かる、分かる。よく解る。
「簡単にお願いします」と言ったかどうかそんなことはどうでも良い。
おかしみと深刻さが伴っている。季語がよく働いている。

 披講者の読み上げ方で句の調子も変わるものである。一層面白い!!
作者が名乗った。
「地鎮祭に招かれて行きましたら、もう終っていました」。

 それから熱中症談義がしばらく続いた。

 
    人は右、車は左   (2010年7月28日)

 久しぶりに人のラッシュの中に入った。暑さと画材道具を入れた大きな袋を肩から提げて・・・
私はフラフラ。普段でも人に酔うので、新宿・池袋では待ち合わせをしないようにしている。しかし、
本日、フラフラした場所は我孫子駅だから笑える。北口から南口へ抜ける距離は短いのだがフラフラ
した。夏休みで人が増えていた。
 エスカレータの左側に立つことは(関東は右を空け、関西は左を空ける)自然と出来ているが、地
を歩くときは「人は右。車は左」と小学校に入学してからの刷り込みが未だに習慣になっている。何
度も何度も人にぶつかる。避けようとしてもぶつかる。人の波から抜けるのに、これまた刷り込みが
あるのである。5歳のときから川で泳いでいた山の子くろまめは、こっちからあっちに移動するのに
斜めに移動するのである。人の流れが川の流れと同じに感じてしまうのである。斜めに早く移動しな
くては水に流されてしまうからである。川の場合は、この方法が確実に行きたい場所に辿りつけるの
である。
 本日、私は、人の流れを斜めに横切って、どうもこうも勝手の悪い左側を歩いたのである。左側は
見事に空いていたのである。次から次と押し寄せてくる人の風圧におされながら押しながらようやく
普通に歩ける場所を得た。それからは気持ちよくゆったりと歩くことが出来た。

 今日、ぶつかり合った多くの人たちよ。あなたがたはどちらのお生まれでしょうか。みなさん上手
に歩いてらっしゃった。ドドドーッと一塊になって私に向かってくるのを私は払い損なって何度もぶ
つかりましたよ! いえいえ。みなさんはちっとも悪くないのです。

 ”人は右。車は左。廊下は静かに歩きましょう。”

 小学校6年間の努力目標でした。人とすれ違うとき、反射的に右に避けてしまうのである。大事な
心臓がぶつかってしまう。左同士に避ければぶつかることなくスムースにすれ違えることは分かるの
だけれど、それはよほどしっかり法則を覚えないと本日のようなフラフラに合うのである。

 
    榎本朗喬著 『追懐 ラミーと桑の木の皮剥ぎと空爆と』   (2010年7月23日)

宮崎・MRTラジオ 番組「ほんのほんの時間」 8月14日(土)11:45 〜12:00 
 


 

 

 



 
   榎本朗喬著  『牧水は哀しからずやひとりただ酔う』    (2010年7月22日)

 関東も梅雨明けて一斉に蝉が鳴き始めました。
 先日のこと、中学時代の恩師・榎本先生の随筆が届きました。前から先生のご著書や随筆について
お伺いしたいことがあり、そのようなことを話題にしている時にMRTラジオ番組のことを伺いました。
そちらでは聞けないでしょうからと放送予定の随筆2編をお送りくださいました。
読んでいて「ひとりで読むのはもったいない!」という気持ちになり、ここに掲載することをご快諾
いただきました。



宮崎・MRTラジオ 番組「ほんのほんの時間」 8月7日(土)11:45 〜12:00 

    
 

 



 
  受信のこころ     (2010年7月13日)

私が所属している「草の花・俳句会」の仲間は、昭和世代から大正世代のどちらかというと女性が多い。
藤田あけ烏(2004年没 享年66)の印象を先輩が教えてくれた。「とても不思議な雰囲気の方。歩くと
きはふわふわぁ〜す〜っとあまり気配が感じられなかったわ。姿もよく声もよくお洒落でお帽子がお好
きでしたね。なかなかの紳士でいらしたわ」。

句会や誌上で『あけ烏語録』を聞いたり読んだりすることが多い。同人会長・鈴木五鈴氏が会報に書か
れていたことを以下に紹介したいと思う。

 あけ烏先生の言う「受信」とはなんだろう。
 常々先生は、「頭で作った句は、自分の思いに素直でないせいか、たちまち飽きて色あせる」と言い、
「何も言っていない、けれども何か残る。錆びない。それは聞いている(受信している)から」だとも
述べていた。
 言うまでもなく、「受信」とは、自己主張や主情(主観)主義とは一定の距離を置く考え方であろう。
 しかし、一方で、正岡子規をスタートとする近代俳句の世界にも、幸か不幸か「我思う故に我あり」
とするヨーロッパ発の思想の洗礼を受けた、いわゆる「自我」が大量に流入したことにより、「発信」
を是とする考え方も広く受け入れられている事実もある。俳句界は、むしろ「発信」に翻弄され続けて
いるといったほうが適切かもしれない。いつしか「自我」「発信」主義は、自然を切り従えることは可
能だとでも言うような「心の傲慢化」をもたらした。
 
 ところで、禅語に「面目(めんもく)」という言葉があることをご存じだろうか。「面」はつら、「
目はその中で最も重要な働きをする器官としてあるが、自分の計らいや趣味で造ったものではない。自
然から授かったものである。つまり「面目」とは、人の本性、特性というものは、偽りもなく、まやか
しもなく、たぶらかしもない、そういうものであるとの道理を伝える語であるらしい。一方で、たとえ
ば人以外についても同様に、柳は緑、花は紅、という事実は真実としてあり、年月が経とうと場所が代
わろうとこの真実は不変のままである、とする。(田上太秀『禅語散策』講談社学術文庫)

 自然の授かりものである人間が、たとえ自分だけは偉大な存在だと、自然に対して誇示してみても、
所詮は「井の中の蛙」。人間も、春は春の風情、秋は秋の風情を生きる一員でしかないのに・・・。本
当の姿(面目)を見ようともしない愚かさに早く気づく必要がある。
 自我というレンズをはずして「自然と自分とが共生しているというか、一体となるというか、そうい
うところから俳句を考えてゆきたい」というあけ烏先生の言葉が今にして心に響いてくる。そしてその
根っこの部分に「受信」という思いがあったことを是非皆様には知って欲しいものである。
 以上、

 
 藤田あけ烏の俳句
 
けふのもう還らぬ杉菜生ひにけり 

ほうほうと山鳩啼くや二番藍 
  
日のしづかなり燃え草も石ころも

光環の日や木や草やひがし吹く


 
7月9日 BSフジ インタビュードキュメント『そのとき、私は』     (2010年7月4日)

ロッキード事件が発覚 1976年!? マスメディアは、つぶさに追いかけてつぶさに報道していまし
た。私自身は働いていましたので帰宅してからのテレビニュースにも関心を持って見ていたものでした。

絵の先生と松田昇氏(現弁護士)が60有余年の友人ということもあり番組のことを知りました。

松田氏は当時東京地検特捜部検事で、ロッキード事件の発端となった内閣総理大臣田中角栄逮捕の担当
検事であり、戦後最大のロッキード疑獄事件をはじめ、リクルート事件を手がけた人物です。

氏の座右の銘は、 ”おごらず  気負わず そして ひるまず”  だそうです。


   BSフジ『そのとき、私は』 出演  松田昇(元特捜検事)
             
               インタビュアー 福田和也(文芸評論家・慶応大学教授)

番組の内容は、ロッキード事件などを中心に、それにまつわる人間模様や捜査時のエピソードなど。

放送  7月9日(金) 22:00〜22:55

再放送 7月14日(水)、8月4日(水)、9月22日(水) 8:30〜9:25

再放送 7月30日(金)、9月17日(金)            22:00〜22:55


 
  山芋を掘る     (2010年7月2日)

先月懐かしい言葉を聞いた。「やまいもをほる」は、宮崎の方言で、お酒を飲んでしつ
こく絡んだり、挙句は喧嘩になったりすることを言う。私のイメージでは、場所は、故
郷の村の記念の日。おじさんたちが焼酎を飲んで愉快に話している座敷に、おばさんた
ちがせっせとお膳を運ぶ。片手て笑いがこぼれるのを抑えながら座敷を行ったり来たり
している。そのうちおばさんたちの笑顔が困り顔に変わっていくことを村のこどもたち
は分かっている。そのような光景がまばゆく交差した。

(山芋を掘るときは、土を深く掘って芋が折れないように丁寧に扱いながら抜いて行く。
引き上げるまでのしつこさ?をいうのだろうか?)

稲垣尚友氏(竹大工・民俗研究家)がほわんとした顔で「そうこうしているうちに、山
芋堀りがはじまるわけです」。「島では(トカラ列島中乃島)、定期的に船がやって来
て、日用品を供給するのですが、海が荒れると船がやってこない。こなくなるとストレ
スが溜まってくる。いつものように焼酎を飲んでいても言い争いが起きてしまう。つま
り山芋を掘るわけです。相手との話が殺伐としてきて喧嘩ごしになってしまうんですな
」。 新しい情報が入ると、船が帰った後、また飲み会も和やかになるということだっ
た。

村でも島でも新しい顔がめったにみられないと船が来なくなったときのような閉塞感に
似ているかも知れない。新しい人と話をすると新しい情報が入る。普段でも人が安定し
てくる。なるほど合点!

稲垣尚友さん(通称ナオさん)は、11月に宮崎の諸塚村に行くそうだ。なんでもお祭
りの前座(猿回し芸)で竹を編むのだそうだ。

私のふるさとでも昔はどこの家でもお年寄りが竹籠を編んでいた。当たり前すぎてうっ
かり技術を伝えていなかった。山芋堀りどんがぎょうさんおりやった頃は、学童も多か
った。竹もいっぱいあった。

 
  出会い     (2010年6月28日)

毎年上手に出来ていた梅の状態がちょっと良くなかった。先週お日様と風を当ててから
冷蔵庫に保管した。
ダラリとした環境からキュンとした所に移してからどれどれ、どんなになったかな。
ちょっとつまんでみた。色良し。塩分良し。肉質良し。
7月のカラリとした日に日光消毒させればOK!

浜砂伴海さんのCD「le cafe」を聞きながら・・・。
今朝からもう5杯目。外は薄日が射している。
溜まっていたもろもろのことが片付いた月曜の午後。コーヒーが美味しい。
7月の晴れが好きと言った友人も6月の雨が好きと言った友人も亡くなって居ない。
一緒に笑い遊んだ時の時間が思い出されてコーヒーが美味しい。

この6月は音の人との出合いがあった。
平成のかごや屋・ナオさんこと稲垣尚友さん。
心に太陽+唇に歌=シャンソン歌手・浜砂伴海さん。
影絵夢幻物語のブナノ巫女・梶谷泉さん。
みなさん日々精進の人たちである。

坂本龍一氏が新聞で「20世紀の大量生産、大量消費、大量廃棄を象徴するようなマス
的なものに対し、今後は世界的にローカルで有機的で、生産者と消費者が近い関係を持
つ「産直」的な小さなネットワークがたくさん生まれてくる予感がする」と語っていたが。

三人はすでに歩み始めている。


浜砂 伴海(はますな ともみ)http://blog.goo.ne.jp/tokyoctv
稲垣 尚友(いながき なおとも)http://user.ecc.u-tokyo.ac.jp/~c080007/nantogaku/nantogaku.html
梶谷 泉 (かじたに いずみ)http://tanzawa-yumekoubou.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-5f51.html

 
  新聞-2     (2010年6月25日)

6月22日(火)天声人語ー小惑星イトカワの「思い出」。
探査機はやぶさのカプセルの中にホコリ状の微粒子が入っている可能性はなお残るという。
60億キロの旅は、国民を大いに元気づけた。小惑星に降りたのも戻ってきたのも初めてだ。
どんな旅も、つつがなく帰ってくるのが何よりの土産なのだから。

文化の欄ー「ネットの荒波」と題して、音楽家・坂本龍一が語っている。
音楽はデジタル情報としてだけ存在しているのではありません。人々の記憶の中にある時は
思い出として、ライブにおいては体験として、存在しています。現状を見ると、CDを買わな
い人や、ネットの有料の音楽配信を利用しない人でも、ライブにはCDの何枚分ものお金を払
っても行くことがあります。20世紀の大量生産、大量消費、大量廃棄を象徴するようなマス
的なものに対し、今後は世界的にローカルで有機的で、生産者と消費者が近い関係をもつ「
産直」的な小さなネットワークがたくさん生まれていくのではないかと思います。


6月23日(水)天声人語ー「ゴルフの宮里藍さん。沖縄の村営グランドの赤土が宮里三兄妹を
鍛えた。そしてゆるりと流れる南国の時間。本土で終わらぬ才能に県民は声援を惜しまない。
世界一を育んだ「日本の亜熱帯」は観光資源でもある。慰霊の日を迎えた。本土防衛の捨石
が、20万の命と共に捨てられた日である。」

朝日川柳   呼び寄せて断髪式をしたいほど     小諸市 星野直人

6月24日(木) 天声人語。
詩 金子光晴「森の若葉」の一節
<君が年頃といはれる頃には/も少しいい日本だったらいいが/なにしろいまの日本といった
ら/あんぽんたんとくるまばかりだ> 1967年(昭和42年作)
そして今日、参院選公示。「焼け跡をこれだけの国にした日本人である。あんぽんたん、の
はずがない」。

千葉版「歓迎?困る?静脈認証学生証」 千葉工業大学では、手のひらの静脈の模様で本人
確認をする「静脈認証IC学生証」を2005年7月に導入した。同年4月に個人情報保護法が全面
施工されたこともあり、学生に先端技術に触れてもらうとともに、個人情報管理の意識を高
めてもらおうという狙いもあった。しかし、学生たちは代返をやりにくくなった。07年9月
からは、講義の出欠もIC学生証で行うことになったからだ。出欠では静脈認証をしないから、
カードを渡せば代返はできる。が、なくされると困るためか、カードに色々な機能があるた
めか、学生にはやっかいな代物のようだ。(堤恭太)

かたえくぼ 『名古屋場所』  マカセテクダサイ     外国人力士 (駒ヶ根・彦星)


6月25日(金)天声人語。絵本作家の長新太さんが亡くなって5年になる。「かわいいだけの
本は子どもへの冒とく」と、読み手の受容力を試すような仕事を残した。正義や優しさを説
くこともなく、作品はオトナの常識を粉砕していく。
<とおくのほうから/おとこのこがとんできました>で始まる『ゴムあたまポンたろう』は、
ゴムの頭を弾ませて世界を回る少年の話。『ブタヤマさんたらブタヤマさん』の主人公は、
チョウを追うのに夢中で、背後に迫る巨大な鳥や魚に気付かない。振り返った時には何もい
ない。ブタヤマさんの主題は、自己中心的状況だと論じたのは哲学者の鶴見俊輔さんだ。
「胎児からの時間があまりない気配の感覚を十分に持っている子どもには素晴らしい絵本だ
と思う。大人にとっては哲学論文」
さて、頭とこころをほぐすのに、遅すぎることはない。代表作『ごろごろ にゃーん』には
<2才から大人まで>とある。

かたえくぼ 『ふろしき』 
           公示日―大きく広げ 当選後―小さく畳む   候補者(秋田・ハタハタ)

青鉛筆 
サッカーのW杯南アフリカ大会で、観客が応援で吹き鳴らす民族楽器「ブブゼラ」。苦情が
来るほど鳴り響く低音を使った、携帯電話の目覚まし音が人気だ。製作したのは、ゲームソ
フトメーカーのハドソン。14日の日本―カメルーン戦を見ていたスタッフが「間違いなく
起きられる」と、機材で擬似音を作り出した。17日に同社サイトで配信すると、ダウンロ
ード数三位の評判。でもハドソンのある男性は「目覚めのいい朝を迎えたいので、どうして
もの時以外は使いません」。

  ********************* 

 我が家の達子さんは今朝3時40分から5時半終了まで観戦したそうです。録画では嫌な
んだそうです。「よく起きれましたねえ〜」と言いましたら「始まって17分経ってから1
点入ったのでそれからが面白いと思って見たのよ。勝ったので嬉しい。」とさらり。
「起きた甲斐がありましたねえ〜」。

今日は晴れの予報でしたが曇りときどき晴れでした。南風が吹いています。浜砂伴海さんの
CD「le cafe」がゆったり流れています。

 
  新聞-1     (2010年6月24日)

6月18日(金)からまったく新聞を読んでいなかった。今朝から溜まった新聞を読んでいる。
朝日の天声人語。「方言の語らいは、はた目にも温かい。やりとりの角がとれ、よそ行きの
言葉では伝えにくい本音が内輪話のごとく響き合う」。
(「やまいもほり」「だりやめ」という宮崎弁を最近耳にしたばかりだったので、このこと
を書いてみたくなった)

言葉に関する記事もうひとつ。「赤ちゃんの脳が、生後わずか4ヶ月で、母国語を聞くのに
適した神経回路を形成している可能性がある。一方で、猿の声(猿がコミュニケーションを
はかる時の声)にも敏感に反応する柔軟さを持っているのが興味深い」と研究者。自閉症な
どで言葉の発達の遅れる可能性のある子どもの早期診断への応用が期待できるという。

6月19日(土)新聞がない! 私、残飯を包んで捨ててしまっていた。

6月20日 (日)天声人語「臨機応変の知恵」。子ども時代の自然体験は人生の財産だという。
だがそれも命あっての財産である。「臆病者と言われる勇気を持て」の至言を思い出すと。
声の欄『逆上がりで思い出す父の手』は、小学3年の時の思い出。クラスで逆上がりの出来
ない三人のうちに入っている私のことを母から聞いた父が学校の運動場で教えてくれた。何
回やっても出来ず、半ベソをかくと「それっ、そこで土を蹴って」と気合込めてタイミング
を教え、おだてた。「できたぞ」と父娘で喜んだ。あの日、お尻を持ち上げてくれた分厚い
手の温かい感触と朗らかな父の笑い声がとても懐かしく思える。父が好きだったくちなしの
花を墓前に供え、「おとうさん」としみじみ呼びかけよう。 投稿者 主婦79歳

生活欄『ほほえましい我が子』 今春小学校に入学した長男の授業参観の日。国語の時間に
「あのつく言葉はなにかな?」と先生。手を挙げて当てられた子がどんどん答える。息子は
精いっぱい手を伸ばしてアピール。やっと当てられて席を立つと「・・・・・・忘れました」。
ひらがなの練習帳に「う」と「あ」を書きイラストの牛とアリに色を塗って、出来た子から
先生に見せにいく。息子は納得のいく字が書けるまで何度も書き直している。たくさん出た
消しゴムのかすを机の隅にきちんと集めている。牛の白い部分が青色になっている。本人は
終始笑顔で、時折後ろを向いては、こっそり私に手を振ってくる。予想以上にマイペースな
息子は頼もしくさえ見え、ほほえましかった。 投稿者 主婦39歳。

6月21日(月)天声人語は夏至の話題。<夕刊のあとにゆふぐれ立葵> 友岡子郷。
今の時期主役がアジサイなら、この花は気っぷのいい脇役の趣がある。クチナシは少し陰の
ある、美しき準主役といったところか。
<蛞蝓(ナメクジ)といふ字どこやら動き出す>後藤比奈夫。
「梅雨の夕晴れ」は美しい。天も地も、ともに多彩な「水の月」である。

声の蘭『化粧せぬ妻の肌はつやつや』お見合いで妻を見たときはすごい厚化粧をしており、
どのような顔か判断に迷うほどであった。結婚後、妻は私を「じゃが芋のような顔で田舎臭
い」と言った。私も妻にはっきりと言ってやった。「私のために化粧は要らない。無駄なこ
とをやる必要はない」妻は、それ以来ずっと私の言葉を守り、どこに行くにもスッピンであ
る。何もつけないから妻の顔の色つやはよく、みずみずしい。妻に「お前何か化粧品は持っ
ているか」と聞いたら、リップクリームだけあるそうだ。今の女子高校生を見ていると、没
個性な化粧におかしさを感じる。若い時はスッピンでいたほうが顔にはよくないだろうか。
 投稿者 無職 61歳。

朝日川柳 土砂降りの中を律儀な万歩計  大阪市 宮本一夫


   ********************************

22日からは明日に読もう。しかしこんなに溜まると大変。

今日は良い天気でした。日中28℃。湿度64%。洗濯物がよく乾きました。梅を後から気付いて
干しました。明日の予報はお昼過ぎ30℃。湿度50%。梅干日和です。

 
  コーヒーブレーク     (2010年6月15日)

「コーヒーとこちらの焼きたてのパンを」とカウンターでオーダーしていたら、「こんにちは!」とSさん。
彼も絵の教室が開くまでの時間をお茶しようという考えらしい。それじゃあ一緒にいかが?としばらくお話し
をした。
Sさんは奥様より数年後れて詩吟教室に通われている。
「漢詩はいいね。言葉がね、深いね。声に出すともっといいねえ。俳句も短歌も声に出して読んでみるといい
よ」俳句も和歌も声に出して朗詠しているのだそうだ。(面白い!この流れは!と思いながら聞いていたら、)

「あのね。この前、姪っ子が入院してね。見舞いに行ったの。なにがいいかなあと思ってさ。俳句が浮かんで
きてねえ。それで、絵も習っていることだし、で、色紙を持って行ったら、姪っ子にも母親にも喜んでもらえ
てね。ほんと良かったよ」と。 (私にも両方の経験がある。お見舞いに行くときは悩むことがある)
「家内がお見舞金とかお花とか果物とかも考えてくれたんだけれどね、姪っ子は病気だからね。」

色紙に、蛙とあじさいの花を描いて、痩せ蛙負けるなみんなここにいる と添えられたのだそうだ。


 
  雨ニモマケズ      (2010年6月4日)

 絵手紙講師の大月茂子さん作のカレンダーは、新聞のカラー刷り広告を使った貼り絵です。



ふるさとの宮崎は畜産農家のみなさんが大変な痛手を被っています。内外の宮崎県出身者が
畜産農家のみなさんになんとか力を出してもらいたいという思いになって支援活動をしてい
るそうです。トロントの宮崎県人会も動いているそうです。故郷はかくも恋しい場所です。

6月、同郷のアリさんがお父上の自伝をブログにアップされていました。
ぜひ、ご一読ください。

http://ha5.seikyou.ne.jp/home/ARISAN/yasojidenwar1.html

追記: 6/5  友人からのメールより。 「ここのところ、宮崎牛が4割引きです。消費者は応援の意味も込めて、日頃手が出ないブランド肉を感謝して頂いています。」
6/10 友人からのメールより。 「口蹄疫が都城にも出ました! 西都にも日向にも><本当に心配です。」 6/11 友人からのメールより。 「今宮崎大変です〓みんな仕事にも影響でてる〓なんとか頑張らないとね〓」 6/12 友人からのメールより。 「陰性で元気な牛もいるのです。牛たちがかわいそうでなりません。猪、鹿のことも心配でなりません。」 6/11 くろまめから返信 「畜産農家の方が牛は家族と同じです。名前を呼べばこっちをみますと言って必死で涙をこらえて話されて いました。経済の痛手と同じくらい牛に対する愛情を感じました。そしてここだけでもう被害は食い止めて 欲しい。と他所の畜産農家の方々のことを心配されていました。戦前戦後食いしばってこられて後継者の方 々に夢をつないでこられた方の言葉の思いにたまらなくなりました。みんながこころから支援しています。 がんばれという言葉がつらいですが今はこの言葉しかいえません。がんばれ!」
  6/13   今日、お隣の印西市の農産物直売所でお買い物をしました。会計を終えてカウンターへ移動しましたら、 「口蹄疫義援金」の箱が置いてありました。嬉しかったです。 6/15 友人からのメールより。 「故郷といえばなかなか治まらない口蹄疫がとても気がかりです。畜産農家の方や、殺されてゆく牛や豚の ことを考えるとつらくなってしまいます。これ以上感染が広がらないことを願い、一日も早い終息を祈りた い思いです。 そうそう、銀鏡で蛍が見れると宮日にあって、ネット検索してみたら銀鏡の場所を載せたブログがありました。 6/18 中武ファーム様より

 
  ローズマリー湯    (2010年5月5日)

 昨夜 ローズマリーを浴槽に入れましたら、家族のみんなが肌がしっとりしたと言うのです。バスタブに入
れて入浴すると血行に良いと聞いたことがありましたので5日のショウブ湯の前日にローズマリーを入れてみ
たのでした。はじめてのことでしたから半信半疑でしたけれど、今朝の肌の調子がいいような気がしています。

 ネットで調べてみました。次のように書いてありました。
 「古代ギリシャ、ローマ時代から若さを保つ薬草として利用されてきたローズマリー。この名がラテン語の
「海のしずく」という言葉に由来するように、波しぶきのような色と形の花を咲かせます。ローズマリーティ
ーは、血行を促して代謝を活発にし、心身の活力を高めるのに効果的。過労気味のときや病後に飲めば、から
だの回復を早めます。また、脳の働きを活性化して、記憶力や集中力を高める作用もあるといわれています。
試験勉強や会議の前に飲むとよいでしょう。さらに、殺菌、消化作用にもすぐれ、風邪や頭痛、消化不良の緩
和にも役立ちます。 

効能:防腐、抗酸化、去癌、うっ滞除去、血行促進、消化促進、収れん、リラックス、駆風、抗痙攣、抗うつ、
利尿、殺菌 

利用法:ティーを化粧水として使う(老化肌に)。ティーでうがいをする(風邪の予防に)。ティーをリンス
&ヘアトニックとして使う(育毛に)。バスタブに入れて入浴する(血行促進に)。洗面器に入れて足浴をす
る(足の疲れをとる)。葉の粉末をお菓子やパンの風味づけや、魚や肉料理の臭み消しに使う。 

 こんなに良いものを私は料理の他には使用したことはありませんでした。乾燥させて使ったりもしましたが
ローズマリーの成長には消費が追いつきません。生のままをネット袋(洗濯の時に使用している100円のネット)
に入れて浴槽にポーン。よろしかったらお試しください。

今日は、こどもの日。端午の節句。ショウブ湯の日ですね。昔を思い出しました。昭和30年代は村のどこの家
にもショウブや花ショウブが植わっていました。チマキ、柏餅、蓬餅(餡子入り)を曾祖母、祖母、母が打ち
込んで作っていました。土間で湯気がモウモウと立ち上がるのを見ていた自分、妹たち、村の子どもたち、お
ばさんたちのことが思い出されます。現在95歳のまさえさんは、当時、頭にショウブを巻いていました。我
が家に訪ねて来たときに頭に鉢巻していたまさえさんを見てびっくりしたものでした。私にまさえさんは教え
てくれました。「○○ちゃん、こうすっと 頭がええなっとよー」と。私は10代の終わりごろまで鉢巻の効
能を信じていました。けれども実際には鉢巻にはしませんでした。まさえさんは頭痛持ちだったのだそうです。
私にはいづれにしても効能があるわけはなかったのです。


↑30年代の村のご婦人たちの普段使いのファッション。 白い割烹着(割烹着のポッケには何度も使用のはな紙、手ぬぐい。手首には輪ゴム)、モンペ(カスリ柄が主 流、縦縞は洗練)、素足に下駄(白足袋は贅沢)、頭には姉さま被り。 来訪者に対しては、姉様被りを取り、割烹着を外していました。頭をなでつけて深々と礼をしていました。

 
  蛙の合唱    (2010年5月2日)

 
 昨日はじめて蛙の合唱を聞きました。田んぼに水が入ったので自分たちの棲家がようやくできた感じの鳴き声
です。4月は風が強く吹き続けていましたから蛙の声はしっとりと感じられます。

 5月のベランダからの眺めはそれは美しいです。キラキラ輝く田んぼは、間もなく緑一面に変わります。ふる
さとも田植え時分です。蛙はそれこそ谷間の底で反響しあい強めあうようにして鳴いているのではないでしょう
か。そのうち録音をしなくてはと思っています。限界集落と言う不名誉な名前がつきました。村のみんなは「米
良(メラ)の言葉を残そうやあ」「小学校を残そうやあ」と危機を感じながらもご先祖様に対して誠実に暮らし
ています。
 そんな今日、漢字のクイズ番組を見ていましたら、問題「○○集落の○○に入る漢字はなんでしょう?」に対
して正解者はひとりもいませんでした。後期高齢者という言葉は定着していますが、限界集落はまだまだ一般的
ではないようです。次の問題「イクマンを漢字にあてるとどんな字になるでしょうか?」という問いには「育児
メンズ」と正解していました。人が優しくなることはすてきなことです。家族を愛し、よく働きよく遊び健康に
暮らす。先祖を思い感謝する、そういった暮らしが無くなってゆくようです。回答者が限界集落という言葉を全
く知らなかったことにより、かえってより多くの視聴者が認識したようです。
 
 5月9日は母の日ですね。母の日の前日に届くように手作りのものを準備しています。少し前までは、母のリ
クエストを聞いてからデパートで買っていました。デパートのラッピングも贈り物の内ですからどこのデパート
がステキかということが大事でした。母の年齢が進むにつれ「ありがとさーん。もう、なんもいらんば〜い」っ
て優しく断られるようになりました。母と電話で話したことなどを参考に考えると「ありがとさーん」って一段
とハイトーンで喜びの声が聞けるようになりました。サプライズになるだろうなあとひとり悦に入っています。
 
 
  オフライン    (2010年4月18日)

 
最近はインターネットが便利で助かっています。昔は百科辞典などを買い揃えるのがステータスの時代がありま
したが、これだけ早く世の中が進歩すると、印刷されたものがすぐに陳腐化してしまう時代です。しかしながら、
知りたがりやの私にとってインターネットはきりのないものになります。長いことパソコンに向かっているほど
長いオフラインの時間が必要になってくるようです。

休みの日は、夫の車で、自然の景色を眺めます。パソコンの画面から流れてくる情報と違い何一つ規則性のない、
繰り返しのない、そして、人間の営みから無関係に行動する野生の鳥たちを見ていると気持ちの凝りがほぐれる
ような気がします。今日もそうでした。
自宅から30数分車で走ると、菜の花畑、チューリップ、水仙、花モモがぐんぐん目に飛び込んできます。家々
はまばらになり、その間隔は点々となり、人はほとんど見ません。おばあちゃんが家の前の道路に出てきて腰掛
けるのが見えました。外に向かっていて、見ていないようで、見ているように見えました。おばあちゃんはそう
やって、なにかいつもとは違うなにかを感じているのかもと思いました。おばあちゃんを過ぎてわんちゃんの散
歩を過ぎて景色が通過してゆきました。佐倉城址公園を散策しました。ここにシロバナタンポポの種を植えたら
どうかしらねえと歩いていましたらシロバナタンポポがすう〜っと目にはいってきました。黄色のタンポポから
少し離れて咲いていました。小石を拾いました。ハートの形をしていました。握ると私の掌にちょうど良い収ま
り具合でした。片方の掌で握ってみましたらどちらでもサイズ加工したかのようにスッポリはまりました。両の
手で包むとしっとりと吸い付いてきて重さもほど良くていい感じです。


 

 
  那須省一 / 訳 『二人の運命は二度変わる』を読み終えて   (2010年4月10日)

 
著者 マーク・トウェインと聞けば、児童文学の『トム・ソーヤの冒険』、『ハックルべリィ・フィンの冒険』
『王子とこじき』など図書館の児童書本棚が浮かんできますが、今回、那須省一さんが翻訳したこの本は、大人
のミステリーです。原題は、『Pudd'nhead Wilson』。

物語の時代は、1830-1853年、黒人白人移民の時代。うわさの中で生きる人たちの人の評価は何度も上がったり、
下がったりとします。それは実質的で且つ危険です。しかし訳本には笑えました。

たとえば、訳者が登場人物に駄洒落を言わせているところなどもそうです。
『「原文(文法的なことも含め)では、こう現しているが、訳者はこう考えてみました。他にもいい訳があるか
も知れません」』と「(注釈:)」で述べています。
私は物語を読んでいて”訳者自身の考え”=”訳者の個性(ユニークさ)”を随所に感じとりました。

物語は、主人公の弁護士 ディヴィッド・ウィルソンが町にやってきたその日、喧しく吠え立てている犬に対し
て彼がつぶやいた言葉が彼のことを愚かな人物である(プディングヘッドと不名誉な冠がつきました)という印
象を町中に定着させてしまいました。以後20年以上も弁護士としての仕事の依頼が来ませんでした。彼は暇に
任せて指紋を採取します。初めての法廷でこれらの採取してきた指紋が決めてとなって事件が解決。という単純
な物語ではありません。
「第1章、第2、第3、・・・第21章」+「結論」の構成になっています。「結論」には、とても重要な含み
(著者マーク・トウェインが伝えたかったこと)を感じました。訳者が読者に想像させる余白を残したと感じま
した。「完訳」の訳本に納得することができました。


マーク・トウェイン著 / 那須省一 訳『二人の運命は二度変わる』Pudd'nhead Wilson

↓出版社 書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)
http://www.kankanbou.com/kankan/item/361
↓amazon http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4863850212/kankanbou-22/ref=nosim/

 
 マーク・トウェイン 著 / 那須省一 訳   (2010年4月2日)

 


本日到着しました。
アマゾンと書肆侃侃房のウェブサイトで見ていた本が、確かに私の手の上にのっているのです。

この本は、同郷の友人、那須省一さんが翻訳しました。原本は、New American Library社のSignet Classics から
出ているマーク・トウェインの小説『Pudd'nhead Wilson』の翻訳です。

本のタイトルに那須省一さんの言葉のセンスを感じました。そして表紙・カバー絵の裁判を連想させる絵はすっき
りと伝わってきます。

本を開きました。
主な登場人物が紹介してあります。主人公の弁護士 ディヴィッド・ウィルソンは普段はプティングヘッド・ウィル
ソンと呼ばれています。

前書きを読みました。
翻訳をするにあたって重要と思ったことが書かれてあります。

『「「まぬけ君」とか「とんまさん」とか訳さずに、カタカナ表記にとどめました」』と書いています。
『「読売新聞社を今年3月末をもって退社いたしました。記者として最後の「原稿」となったような気もします」』
と書いています。

私は現在読んでいる最中です。各章のプティングヘッド・ウィルソンのカレンダーには笑わずにはいられません。
ウィットに富んだ訳に思わずメモをとっている私です。

4/3追記: 注釈においても、読み逃せません。とてもユニークです。

 読まれた方はぜひ感想をお聞かせください。

↓出版社 書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)
http://www.kankanbou.com/kankan/item/361
↓amazon http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4863850212/kankanbou-22/ref=nosim/

 
 「ピンクリボンウォーク 2010」  (2010年3月28日)

 
  寒い! 朝7時52分発の電車で途中一回乗り換えます。暖房がほど良くて体中の気が抜けていくのを感
じました。日比谷駅下車。売店で迷わず小食用のお弁当を買ってA-10番出口を出ました。万歩計1620歩。
日比谷公園に向かって歩いているとケイタイが鳴りました。清子さんが先に到着していました。しかし人で
渋滞しています。入り口の仮設階段の上で誘導係りが受付のプラカードを持って立っています。ここなら分か
るはず。ほんのちょっと立ち止まって、それで出会うことができました。



本当にたくさんの人が集まっていました。3000人ほどと聞きました。
舞台では術後1年目のモデルのマイコさん、キャスターのリサスティックマリアさん、そして島田菜穂子医師
(NPO法人乳房健康研究会 福理事長 ピンクリボン ブレストケアクリニック表参道 院長)のトークを聞
きました。みなさん関心を持って聞いています。こんなに寒いのにみなさん地べたにシートを広げて座って
聞いています。
「日本人女性の約20人に一人。今、乳がんになる方は増え続けています。ただし、乳がんは
闘える病です。また治療方法など医療の進歩もあり、乳がんは治癒する確立が高いのです。乳がんについて正
しい情報を持ち、自分自身に関心を持つことで、治療は確実に進みます。勇気を持って病気と向き合うあなた
はひとりではありません。がんと闘う多くの仲間があなたとともにいます。」

モデルのマイコさんに花束を渡された若い女性がいらっしゃいました。「彼女はガン友です。いっぱいガン友
がきてくれています」と笑顔で手をあげてこたえていらっしゃいました。
マイコさん 著『モデル40歳 乳がん1年生』の紹介などお話を伺うことができました。

準備体操をして、 私たち10キロコース組からスタートしました。今年は昨年のコースを逆周りに歩きます。
松本楼のテラスを右に見て出てゆきます。有名なイチョウの木のところで少し渋滞しました。5月初旬に見か
けるシャガの花が咲いていました。チューリップは段違い平行に咲かせてありました。当日は黄色が公園デビ
ューのようでしたよ。今週は赤色が出番でしょうか。



 

桜はまだ寒さのせいもあってでしょうか。国立劇場、靖国神社通りは昨年に比べてお花見のお客様が少なく感
じました。歩く私たちにとってはとても良いコースとなりました。ゴールしたときは万歩計15000歩強。
完歩のスタンプを押していただいてから参加賞をいただきます。きれいなピンクのグッズ数点。桜色は優しい
気持ちになれます。ベンチにかけて小食用をいただきました。なにか物足りないのです。清子さんが余分に持
って来てくれた私用のおにぎりを頂戴しました。しばらくは体温が上がっていましたが寒くなってきました。
各ブースを一回りしてから銀座へ歩き出しました。松本楼の前はまだまだ参加者たちが列を作っていました。
カレーもいいけれど不二家が待っています。

 
 二駅までの話  (2010年3月25日)

 月3回、電車で水彩教室に通っています。途中の駅でYさんの帽子がゆっくり乗車してくるのを見ることが
あります。昨日は雨と風でとても寒かったのでお休みかと思っていましたがいらしてました。帰りは駅まで
仲間が送ってくれました。
 昭和一桁お生まれの教室では最高齢者です。帰りにご一緒するようになってから3年になります。お隣に
席が取れたときは、「ふるさと」「食べもの」「テレビ番組」の三つの柱が話題の軸になります。飛んだり
戻ったりしながらお話します。昨日は岩崎弥太郎に扮する役者さんが上手いですよねえ〜という話から、弥
太郎の生家と竜馬の生家は当時の地図を測ると48キロくらい離れているのでドラマのような行き来ができ
ていたのかなあとおっしゃり、私も調べてみたくなりました。土佐藩の上士下士の身分制度についてお聞き
したら、Yさんのご先祖は上士でした。明治維新後下士の報復を恐れて上士のほとんどが土佐を離れて行った
そうです。Yさんの曾おじいさんは東京市で警察官となり、あるとき刃物を持った男が乱暴を働いているとこ
ろを取り押さえて大怪我をされたそうですが東京市と三菱二代目の岩崎弥之助(弥太郎の弟)から表彰され
たそうです。

「新撰組」「篤姫」「白州次郎」「坂の上の雲」とこれまでもNHKシリーズで楽しいお話が聞けました。この
二駅までの時間がちょうどいいのです。司馬遼太郎が特にお好きだということがわかってきました。「司馬
遼太郎が愛した世界」展の図録を持って行こうと思いました。電車の席が空いていたらいいなあ。

 
 『二人の運命は二度変わる』マーク・トウェイン 著 / 那須省一 訳  (2010年3月23日)

 翻訳業というお仕事のことは私にはとうてい想像ができません。『赤毛のアン』『星の王子様』は幼い子
供からシニア世代にわたって広く愛されています。赤毛のアンを日本に紹介した村岡花子(訳)の偉大さを
感じずにはいられません。3年ほど前から若い女性たちの訳本のアンや星の王子様が出てきて、それぞれの
読者層を獲得しています。主人公の性格付け(捉え方)で文章が微妙に変化しています。訳者の言葉のセン
スが個性を持って出てきているのには思わず唸ってしまいます。1908年にモンゴメリの初版が出たとき、
マーク・トウェイン(1835-1910)は、「グリン・ゲイブルスのアンこそはあの不滅の生命を持つ『不思議
の国のアリス』以来の愉快きわまる、そしてもっとも強く人の心に迫ってくる存在だ」と評したそうです。
(村岡花子 訳 あとがきより)

 この3月に同郷の友人、那須省一さんがマーク・トウェインの訳本を出しました。以前彼から聞いたこと
があるのですが、大学時代にマーク・トウェインを原書で読んだが、何年たっても良書は良書であり続けて
いると。アパルトへイトについても深く考察し、大学や企業で講演、また文化センターでの講座など彼の中
で大きなテーマとなっているように私は感じていました。実際にマンデラ氏に単独インタビューもした那須
省一さんです。

 マーク・トウェインの本がこれまでどのように訳されていたのか興味があります。少女時代に読んだ児童
向けの訳本の印象のままでとまっていますのでトウェインが伝えたかったメッセージを今の私の年齢で感じ
たいという思いになっています。那須省一さんが完訳したトウェインに新しく出会いたいです。

 私は10代の頃から外国の推理小説が好きで好きでよく読みました。次から次とどうにもとまらないスピ
ードで読んでいました。30歳ぐらいのときにレイモンド・チャンドラーに出会ったときは電流が走りまし
た。そして初めて、”レイモンド・チャンドラーのシリーズは、この訳者でないと!”と言い切れる訳者を
意識(背表紙の○○訳)するようになりました。主人公の吐く台詞がピタッと張り付く実感。今でもよく覚
えています。おかずのいらない白米の輝き(私はうんと戦後生まれです^^)、旨味といいますか。匂いも
しゅわ〜〜っと立ち上がってくるのです。
 
 マーク・トウェイン著 / 那須省一訳 『二人の運命は二度変わる』、楽しみでなりません。


↓本の内容は、出版社 書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)
http://www.kankanbou.com/kankan/item/361
↓ご購入は、amazon http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4863850212/kankanbou-22/ref=nosim/

 
 皀角子(サイカチ)の実  (2010年3月20日)

 風の冷たい水曜日。久しぶりに吟行に参加しました。参加者は11名。吟行地は東京の金町駅からバスに乗
って「しばられ地蔵」下車。お地蔵さんを見てからは、地面に落ちている実を拾ったり、俳句の気分は消失し
てしまいました。無患子(ムクロジ)の実は数年前に外皮が実際に泡が立つかどうかやってみたことがありま
す。泡は立ちましたが実用的ではないなあと感想を持ってそれ以上はすすみませんでした。ちっちゃなサイカ
チは実2粒でした。次は「水元公園」に向かって歩きました。公園はとてつもなく広大です。対岸は埼玉県で
す。写真の姿そのままのサイカチの実は、主宰が見つけて私に下さいました。私のこと枯れモノ好きという印
象が定着してきています。秋の吟行はどれほどの実が拾えるか、今から楽しみです。
 帰宅して夫にサイカチの実を見せますとその大きさに驚き、そして高村光太郎の詩集に出ていたよと言いま
した。すぐに本を開いてみましたら、ありました。「火星が出ている」の一節です。音は確かにカラカラと乾
いた音です。公園の中を歩いているときに何度も振って聞いてみました。葦の群生の中でもメタセコイアにと
ても似たラクウショウ(沼杉のこと)の木々の間を通るときもカラカラカラカラと乾いた音がムクドリや雀に
親しみを与えているように感じました。ハトとカラスにはただの枯れ音に違いありません。胸のふくらみ加減
も良く似たハトとカラスは日常の中を悠々としていました。
さて、明日からの三連休の間にサイカチの実の大と小を区別して植えてみようと思っています。

 





 
 房総・大正乙女の春  (2010年3月16日)

大正生まれの達子さんと歌子さんが満88歳になりました。昨年は三組の家族と東京の夜景をみながら祝杯を
あげましたが、今回は二組の家族と一泊の房総の旅に出ました。風が強くて心配しましたが二人とも歩くこと
を楽しんでくれました。私は背中にお日様の温もりを感じながら二人の後ろ姿を見ていました。
歌子さんは昭和20年の東京大空襲の日にオムツだけを持ち出して丘の上に避難されたそうです。達子さんは
その年に結婚しています。二人とも夫に先立たれましたが実に好奇心を持って過ごされています。

翌朝も明るい空でした。予定では苺狩りとお花摘みでしたが達子さんも歌子さんも南房パラダイスのほうに積
極的に傾いていました。あとでわかったことですが二人とも前に来ていた場所でした。思い出を歩むことの楽
しさをまたここで味わってもらえて本当に良かったと思っています。

 

 

 

海産物のお買い物。大正乙女は主婦の目になっています。

   
 
天気と場所に恵まれた二日間の旅でした。今日は写真の整理をしています。
旅先で最初に目にしたお花は菜の花でした。花畑はキンセンカ、ストックの二種類でした。ポピーはまだちら
ほらでした。昨年、ふるさとの両親が庭先の茶畑の跡地に菜の花の種を一升枡ぶん撒きましたがあれからどん
なふうになっているのか見てみたくなりました。種を撒くのに7時間もかかったのですから移植するのにどれ
ほど大変だったことか。山に電話せんと!。

 
 スクラップ <書籍>  (2010年3月5日)

 自宅正面に図書館があります。「あそこが私の本棚よ」と友人たちに自慢していた時期がありました。
駐車場のクスノキの幹は太く伸びています。5月の頃にはそれは美しい姿をして目を楽しませてくれま
す。正面玄関側は旧道になりました。新道が建物の真裏を広く長く延びています。この2月、新道沿い
にセブンイレブンがオープンしました。私の図書館離れあたりからこの町のゆとり面積が広がりました。
小、中、高の生徒が極端に減り、やがて小学校はひとつになるようです。高校の近未来は福祉的な施設
になるようです。50代前半の人たちにとってこのうえなく住み易い環境です。
 住み慣れて30余年。いろいろ変化してゆくのを遠目に眺めています。私の眼も変化してきました。
老眼と遠視は違いますと医師に言われました。遠視用のメガネから老眼鏡にかけ替えて新聞を読みます。
本から遠のき新聞にシフトしてきています。毎日斜め読みしています。土日のぶんを月曜日にまとめて
読むこともあります。3月2日、これは読みたいという本に出会いました。


  文中に”座談会を機に生まれた企画”(共著)だと書いてありますように私はその座談会の記事を読ん でいました。天才の”おかしみ”をまた感じてみたいと思いました。そろそろ図書館にリクエストもい いかなと思っているところです。 ゲゲゲの娘さんもゲゲゲの女房殿も実にユニークです。 3月29日からNHK朝のドラマが新しくスタートしますね。楽しみにしているところです。 ↓『ゲゲゲの女房』の書評です。
  最近の私は笑いとペーソスを求めています。これも変化といえば言えますね。齢といえば。。。言えます! それで今、はまっている本は、佐野洋子著『問題があります』。 あのう、できれば電車の中とか喫茶店では読まないほうが・・・百面相になりますよ^^

 
 雨のち晴れ  (2010年2月28日)

 27日(土曜)、午前中は激しく雨が降りました。
午後、雨上がって今井の桜のようすが気になり行ってみました。
途中のイチゴ直売所は繁盛していました。イチゴを抱えて車に乗る人、
ドアーを開けて出てくる人、みんないそいそしています。色にたとえるなら白色。
そんなふうに私には映りました。
ここは曲がり角にある場所なので大きく膨らんでハンドルを切ります。それで私
はいつもバックミラーを覗き過ぎ去る景色を見るのです。

左前方に細く長く続く桜並木が見えてきました。
「ねえ〜 うっすらピンクに見えない?」
私は遠視用のメガネを掛けるようになってから輪郭がくっきり見えるようになり
ました。「そうかなあ〜。まだ、どうかなあ?」
こんなふうに膨らんでいました。


   28日(日曜)、朝から雨でした。東京マラソンの中継を見ました。雨の中で したが浅草辺りで応援の人たちの傘が多くなってきていました。また津波の報道 もあり気になる今日でした。 午後から日が差してきました。ベランダでは名前のわからない花が咲いていました。 三種類のうちのこの白い花が雨に響いて感じよく映りました。
 

 
 埼玉県・越生町 ギャラリー山猫軒の創業者  (2010年2月26日)

 春一番が吹いて春二番が吹いています。
友人の南千代さんが2月10日 天国へ旅立ちました。

桜を見たがっていた千代ちゃんが旅の途中で春を見ているかも知れないとどうしても思えるのです。
これまでもそうでした。春が近づいてくると千代ちゃんからお便りが届いていました。桜の下をご主
人様とワンちゃんとお散歩したのよ。それはすごく楽しい便りです。数年前も春間近かのある日、南
アルプス連峰の絵葉書が届きました。窓辺に春の光を浴びて水音を感じながら窓外の景色を説明して
くれました。あるときは短歌を六首メールしてきてくれました。私は辞書を引きながら鑑賞しました。
古文の教諭資格を持っている千代ちゃんが「どの短歌が好きですか? 私は何番目がいいかなあと思
っているのだけれど」と聞くので真面目に千代ちゃんとは違う短歌を選びました。

山猫軒は木曜の夜は準備で大忙しでしたね。200個ぶんのケーキの下ごしらえをしていますという
こともありましたね。蕗の董、山菜取り、茸狩り、イチゴ摘みも楽しんでしていましたね。お庭の草
は抜かないで、できるだけ自然にしていましたね。あのお庭にニワトリさんがゆったり遊んでいて本
当に山猫軒はすてきです。

おはがきの写真にニワトリさんが2羽いて、傍にワンちゃんが寝そべっています。片岡昌さんの人形
です。春のひだまりにちょこんとはまって仲良くしています。
 
 千代ちゃん いっぱいありがとう。

 
 大集合!! 青春のフォークソング  (2010年2月20日)

今日は夫の誕生日でした。久しぶりにお天気も良くて春の気温となりましたから掃除洗濯お布団干し
を先ず優先。おめでとうの言葉をかけることは忘れていませんが、お天気のせいなんです。
いつもの買出しドライブコースから離れた場所のおそばやさんでお昼をいただきました。私だけに右
肩にお日様がまあるく当たっていてもう少しここに居たい気分になりましたが、冷たいおそばを注文
した家族は食べ終えるのが私より早いのです。私は鍋焼きおうどん。
30年以上も前になりますが有楽町の或るお蕎麦屋さんで私は職場の仲間とお昼を食べることがよく
ありました。男性に交じって鍋焼きうどん、鍋焼き力うどん、おうどんセット(炊き込みご飯がつい
ています)のおうどんを注文していました。当時は量が多かったのです。平気で飽きもせずいただい
ていました。本日の鍋焼きうどんはまことに程よい量で関西のお出汁でした。味も量も好みがずいぶ
んと変わってきました。

夜は、やはりワインで乾杯し〜生ミルクで出来たチーズを焼いて〜それらしくセレモニーは終わりま
した。テレビはクイズ番組中。参加しているタレントさんたちの反応が面白くて観ていましたら熱く
なってきました。成績はまあまあでした。あくびは脳の温度が上がってきたときに出るということで
したが?  

9時からNHKBS「大集合!! 青春のフォークソング」を観ました。1970代のフォークは夫にも私にも
それぞれの青春があってそれぞれの思い出をたどっている時間でした。 
♪私の〜青春そのもの〜という歌詞がありますが、この番組に出場された歌手のみなさんは青春の影
を面影に映して歌いますがそのうち温度が上がる? と マイナス何歳かなあ? お若くなっていっ
てすてきに映るのです。あくびの形をした唇からは実に良く伸びる声が出てくるのです。いえ、そう
ではない歌手の方もいましたが、伸びない声もすごくいいのですからいいのです。すごくヒットした
という曲ではない曲の特集かなあと思いきや これがそうではなかったのです。当時の歌詞は呼びか
け、つぶやき、の言葉の骨格がしっかりしています。悲しいけれど泣かない。嬉しいけれど万歳しな
い。叫ぶけれど騒々しくない。聞き手の私たち世代の感受性はまだしっかりしているなあと思ったり
しながら2時間を楽しみました。泉谷しげるが強烈な印象を残してくれました。えっ!! この感じ
の良さは な、なんだろう! 歌って信号のない交差点かも? そんなことを感じました。

 

 
 カルトナージュ教室へ(レッスン ワン)  (2010年2月19日)

17日、すごく寒い日でした。予約していた教室へと 気持ちはワクワク♪ ドアを開けるとそれと
わかる作業台と椅子が用意されていました。テーブルにはなんともセンスの良い布がたくさん置いて
ありました。先生とご相談して(アドバイスをいただきました)可愛い布を選びました。贈る相手の
好みの色柄など使うシーンを想像しながら選ぶ行為は本当に幸せです。

この日のレッスンは、午前は初心者向けのパスケース作り。午後は綿を入れたりと(技ありの感がし
ました)ペルメル(状差し?)でした。初心者の私に午後の時間をくださいました。おかげさまでこ
んなに可愛いパスケースが出来上がりました。内側のボーダーもいい感じに合いました。閉じたとき
の感じもすてきです。背中をご覧ください(^^)
         
  
フランスの伝統工芸だそうです。カルトナージュとは? ぜひ先生の「至福の時間」をご訪問くださ い。先生のお人柄、創造性、布地セレクトのセンスなどわかっていただけると思います。 「至福の時間」http://happytimehappylife.blog72.fc2.com/ ワークショップのお問い合わせ: 「ジュエリー工房 ジェイファクトリー」http://http://www.jfactory.co.jp/ 私はこちらのジェリー工房さんによく立ち寄ります。気に入ったものが多くて迷います。迷うのでま た立ち寄ります。指輪のサイズ直しなどもお願いしました。しばらく、いえ、永くつけていなかった 指輪が新しく感じますから楽しいです。そうこうしているうちにこちらでワークショップを開いてら っしゃることを知りました。BGMも実にいいんです。 レッスンの帰りに、百円のA5サイズ20穴のバインダーと木工用ボンドを買いました。そして今夕、仕 上げました。  
教室で先生の百円フォルダーのカルトナージュを拝見してしまったのです。先生のファイルは布地の 表紙でしたがお店にはプラスチックのものしか置いてありませんでした。木綿を直接貼りましたら突 っ張りました.ボンドを溶かすときの水の量が多かったんだな(なるほど納得)。 ボンドを調整してから表紙側にテープを貼り、表紙の内側の面には、台紙に布を貼ってから貼り付け ました。ボンドのシミは反省材料になりました。ルーズリーフは1年分はあるな。篆刻教室用に使う んだな。ああ〜自画自賛なり。

 
 美意識  (2010年2月11日)


 絵の教室の帰りに珈琲ショップで休憩しました。お客は私一人です。いつもは狭く感じる場所でも 広く落ち着いた感じになります。鏡張りの壁を背にして隅の席をとりました。マフラーを外し、コー トをたたんで荷物を脇におろして、もうすべての動作がエレガントになって行きます。シナモンパン はしっとりとしていて甘みもちょうど良いです。ダージリンティにレモンを浮かべるのは止しました。 この場合はレモンはないほうがいいような気がしました。輪切りのレモンが透けて見えます。指で触 れたら震えそうなくらいの薄さです。皮を剥いてお口にポーン。すっぱあ〜〜〜い!! 30数年前に兄に農薬の害のことを聞いてからはリンゴもそうですが皮を分厚く剥いています。最後 のお口直しには刺激が強かったです。たちまちそれまでのエレガントさは打ち消されてしまいました。 一人芝居のような時間の中で・・・美意識を忘れたらいけないいけないと思いました。  肝臓の働きを改善するお薬を2錠飲みました。それから電車の時間待ち調整のため文庫本を読んで いましたら、お一人、若い女性が風を押しやるようにして入ってきました。靴音荒々しく、トレーは 傾いていてもこぼれません。私はハラハラしましたが静かに見守りました。彼女は鏡を横にして掛け ました。マフラーは顔が半分くらいしか出ていない位置まで巻かれていますから、ハラハラしました。 どうしてそんなに器用に飲めるの?お急ぎなの?  あら、もうこんなに・・・私の時間がきてしま いました。見守りながら見ていた私の方こそはしたないことでした。  私がこの方くらいの年齢の時はコートの丈に拘っていました。或る冬に数人で出張したことがあり ます。紅一点の私はそういう意味でも意識過剰だったことでしょう。コートを手に掛けたまま一度も 着ませんでした。コートの丈に対してスカートの着丈の方が長くてバランスが悪かったからです。ズ ボンなら良かったのでしょうけれど紅一点ということで区別の意識もあったのでしょう。寒い日でし た。海岸端で写真を撮っていますがすましてコートは手にあります。自身が自身に拘っていたのです。 自分が思うほど人は自分に関心を持っていないものだと気づくはずもありませんでしたからまことに 滑稽です。若いときはかわいらしくて滑稽でなにか熱いです。過ぎ去った時間がふと戻ってきました。  絵のモチーフは静物・お魚でした。イカ刺しは好物ですが煮魚も好物ですが生魚を見るのは苦手な のです。仲間が添え物に持参した唐辛子を見ていましたら生魚にも目が向いて向き合って、なんとか 形になりました。山で育ったせいでしょうか。干からびたモノ、乾いた食品、乾いた植物はもっと好 きです。

 
 檸檬  (2010年1月30日)

 金曜日は節文豆の(豆撒きではなくて^^)集いでした。それぞれが手作りのものをお土産に集まります。
この手作りのものを紹介しあうことも楽しいことです。先に着いた私は節子さんが夏みかんの皮を干すの
を手伝いました。ソフトに仕上げたいのだそうです。お味も優しい味でした。「作ってみる?」と2個の
夏みかんを渡されてもうニッコニッコ。そこへ文さんがピールを持参。色美しくしっとりとしていました。
二人は同じ夏みかんで作ったのだそうです。お二人から檸檬もいただきました。
写真手前は、節子さんのお姉さん宅の庭の檸檬です。奥のオレンジ色の檸檬は文さん宅のお庭の檸檬です。


昨年、文さん宅で新聞エコバックを教えていただいた11月の頃はまだお庭の檸檬は緑色をしていました。 こうやって持ってきてくださったことにもうっとりしました。節子さんは新聞エコバックを広げて「お好 きなのをどうぞ〜」と。どちらもフレッシュです。高村光太郎の檸檬哀歌をふと想いました。 さて、肝心の縫い物ですが、文さんは柏餅の葉っぱを緑系の縮緬で形作り、節子さんは四角形でパッチワー クを続けていました。私は夏みかんの皮を剥きました。お邪魔している間に皮を水に浸しておけば灰汁が取 れます。香りは立ちますし縫い物の手もおしゃべりも平行して捗っていました。浸している間にティータイ ムに変わり節子さんお手製のカステラをご馳走になりました。 かくして私の縫い物は、4×4cmの布を6枚繋いだだけ。次回は柏餅? 桜餅? どちらかを美味しい形に 仕上げたいと思っています。

 
 続きましては干し芋日和  (2010年1月24日)

日曜日、東の空を指差し確認!! ヨーーーシ! 良し!! 
南西のベランダに洗濯物を干しました。
そのうち風が出てきました。 実にヨーーーシ! 良し!! 
干しました〜〜〜♪♪♪♪♪


昨年の暮れのお芋は干したときにこれほどの黄色は出ていませんでした。 アクを抜くとこんなにきれいになるのですね〜。 今回は作り方をプリントして、その通りに作ってみました。ポイントは、アクを徹底的に抜くということだ と知りました。(これって常識!?) 水を張ったバケツに浸けるのは、空気に触れさせないように、澱粉が黒く変色するのを防ぐのだそうです。 バケツから1本1本引き上げて、厚み1センチの輪切り(斜めでも縦でもかまわない)にし、そしてまたお 水に3時間程度浸けてアク抜きをします。 「蒸し器でじっくり蒸し上げます。蒸し上がった芋を崩れないように注意しながらザルなどに上げ粗熱をと ります。」・・・の説明通りにはなりませんでした。蒸しすぎて崩れた欠片が乾いたときの可愛らしさを想 定してすべてを直接ザルに並べました。 寒中だと3日間ぐらいでソフトに仕上がるそうです。 「一枚一枚打ち粉をまぶすと、衛生的で日持ちもよくなり、見た目にも美味しそうになります。」 「ビニール袋に入れ、空気を追い出して密封し、冷蔵庫に入れておきますと、3ヶ月くらいは保存できます」 ということです。 ふるさとでは祖母がよく作ってくれました。干されているのをつまみ食いしていました。どれだけたくさん なお芋をこんなに大変などんなにお水が冷たかったか涙が出てきます。  ところで、皮を剥いてすぐに表面が黒くなった1本を試しに切ってみましたら、スカスカしていました。 追記: 4日間干してから保存していたものです。昨日今日友人たちがとても喜んでくれました。 縦に切って干したお芋は長さはそれほど縮みませんでした。輪切りにしたほうはかなり縮小しています。 白い粉は片栗粉です。ちょっとまぶし過ぎたようです。

 
 ハーブティの似合う今日  (2010年1月23日)

 木金は続けて病院通いでした。検査結果は問題ありませんでした。肝機能の値は三桁から二桁に下がって
いました。その分体重も落ちていました。医師は「がんばりましたねえー」とニコッ♪  褒められると嬉
しい私。帰りは歩きました。ロウバイが香ってきました。 

 土曜日の朝、利根川を渡るとき少しラッシュになりました。ラジオを聴きながら空を見上げると青く澄んで
いました。60歳のリスナーがビートルズの曲の思い出を語っています。夫は膝の上でリズムをとっています。
「いいなあ。」「いいね。」と曲調に聞き入っているうちに車は流れ始めました。
 
 町に入ると食べ物やさんの看板が両脇から飛び込んできます。こういう光景は休日に見るととてもいい感じ
に映ります。散歩の人、ジョギングの人、自転車の人を追い越して行くのもいい感じです。友人宅に到着すれ
ば、しだれ梅の赤い芽が目立ちます。沈丁花の蕾がツンツンしていています。先日まで足元に春を見ていまし
たが花木の芽にも春がもうそこに来ています。お茶にお昼におしゃべりと・・・いつの間にか時間は過ぎて行
き「いつの間にか歳をとってしまったわ」と親戚のおばあさまがおっしゃっていた言葉を実感しました。お土
産をたくさんいただきました。
 いただいたリンゴでジャムを作りました。4個ぶんのジャムです。成功しました♪

 
それから干し芋をこしらえる前の作業をしました。去年の暮れに我流で作りましたが反省する箇所がいくつか ありましたので、インターネット検索に頼りました。手がこんなになりました。すごいヤニです。  続きはまた明日〜

 
 寒さの記憶  (2010年1月19日)

今週は私の寒さの記憶を刺激することがありました。11日の成人式の日は風が冷たく、レストランで振袖と細い
ストライプの背広のカップルを幾組もみかけました。振袖で乱暴にお食事をする女性の所作が気になりました。私
のときは?・・・式典には出ずに同級生たちと公園で写真を撮りました。貧しかった私たちでしたが誰もジーパン
を穿いていません。それぞれが清楚に見えます。コートを手にしているのとコートを着たままのと並んで撮ってい
るのと・・・3枚の写真は寒い成人式の明るい午後の時間を残しています。

12日は終日冷たい雨でした。おひたし倶楽部の新年会でした。一品持寄りでしたので故郷の乾物を使った煮物を
持って行きました。干しシイタケ、干しゼンマイ、干しタケノコ、鶏肉を加えたものです。風呂敷に包んで袋に入
れました。電車に乗ると堀コタツのムーンとした熱気を感じました。膝の上にのせた袋全体のひんやり感とカクッ
とした重たさに、一気に昔がよみがえってきました。母が着物の上から外した割烹着に触れたときのあの感じ。
1月のそれは寒い或る日、たくさんのお客様がお帰りになったあと、母が吐く白い息、母が動けば辺りの空気は冷
たく動きました。ゴワゴワとした木綿の割烹着の冷たい尖がりは、母の少しいらだつ気持ちの重たさだったのでし
ょうか。コタツにはいることのほとんどない母でした。小正月を迎えるときは曾祖母、祖母、おばも一緒になって
餅花を飾りましたが、やはり母は忙しかったなあ。おひたし倶楽部のみんなのお母さんたちも同じような忙しさを
体験されてこられたのだろうなあ。私は今朝からゆっくり煮物をこしらえて、こうしてルンルン出かける幸せを思
いました。

13日は絵の教室でした。北風が唸っていました。まとめて用事を済ませたくて9時過ぎには家を出ました。帽子、
マフラー、手袋をして風を押して歩きました。マスクを忘れたことが悔やまれるほどの寒さでした。それから早い
お昼をいただきました。レストランには、市の福祉作業所で働く方たちの作品が施設の紹介とともに販売もしてい
ます。裂き織の小物入れは400円。チューリップの絵葉書は130円。
小物入れの縁取りは収縮性のあるテープが使われています。あれから6日経ってこんなにいい風合いになりました。

 
チューリップには全体がランプの明かりのようなムードに惹かれました。作品と作者の言葉を紹介します。  
16日は映画『今度は愛妻家』を観ました。充血した目を冷やして映画館を出ました。どうしてかすぐに感じました。 2℃の体感温度でした。「ねえ、銀鏡祭りの時のあの寒さよっ!」って私。「ホ〜寒いねえ〜」と夫。駐車場までを 黙々歩きました。車の温度計を見ると「2℃」でした。 夫は感心していました(笑)。 12月14日の夜神楽の午後9時過ぎから気温は徐々に下がってきます。それからぐんぐん下がります。もっと寒さ を遡りますとツララの存在を頭上に意識しながら学校へ出かけた小学生時代でした。

 
 刻初め  (2010年1月8日)

 一昨日、篆刻(てんこく)の道具を買いました。予めインターネットで最低限必要なものを見ていたのでしたが、
実際の売り場で迷いました。結局は初心者向けのやわらかい石を選び、篆刻刀は、3本入りのしかも一番安価な物
にしました。上手に出来なくてもいいのだと妙に安心しました。
 そして今日、初体験の教室へ行ってきました。電車で3駅。下車徒歩5分。万歩計もコーヒーも一緒です。篆刻
をご紹介くださった方に新年のご挨拶。本日一緒に入会する友人に目で挨拶(昨日はサンキュー 楽しもうねっ!
って感じ)。先生にご挨拶してからはもうすっかり打ち解けていつもの私になっていったのでした。お仲間の方た
ちもそれぞれすてきな方たち。篆刻歴15年のご婦人のお道具箱には作品が並んでいました。サイズの大きい石は
六面すべてを印面として使われているようでした。(なるほど!納得!♪)
 おやおや、来年の年賀状用にとりかかっていらっしゃる方もいらしたりしてこの会のゆったりとした空気を感じ
ました。新人の私と友人に先生が手順を教えてくださいました。理論と実践とをわかりやすく解説し実技では公平
に手を添えてくださり、「それじゃ〜こんどはこっちだね〜」と(笑)。さぞやお疲れになったことだろうと思い
ます。
 
 昨年「いるる」さんの所でクリスマス展があり、そこで教室のみなさんの「篆刻」を鑑賞しました。文字の七変
化に感動しました。四字熟語、封かん、挨拶言葉、などなど印の形も石の色も文様も作品とのかかわりで様々でし
た。展示棚の下には数冊の篆刻の字書が置いてありました。今日の教室でお借りした字書もその中にあったものと
同じでした。
 さて新入生のレッスンワンは、石の印面を研いで平らにし、印稿紙に石をあててかたどる。→印面全体に朱を塗
り乾かす。→その間に自分の名前(苗字)を隷書(れいしょ)でどのように書くのかを調べてその文字をノートに
書く。→それを印稿紙に書き写す。→印稿紙に合わせ鏡を立てて印面に反対に写っている文字を書き写す(ここが
ポイント)印稿の字と印面の字が相似形であるかどうかよく見る。→文字を1,2ミリずつほり進める途中で試し
押印してみる。→字の形、バランス、線の太さ細さを確かめながら修正する。先生に彫足りない箇所を見て頂く。
なんとかなんとか問題点が2箇所に絞られてきました。帰宅してからその部分を修正しました。初の印は”白文”
といって押印したときに白抜きに出ます(朱文は、字を残して周りを彫る)。自分では拍手大喝采!の出来だと思
いました。

 字書は必須アイテムでした! 教室で必要になって開いて調べる段階でそのことがよく解り、面白さも倍増しま
した。今日出来上がった印をここでお見せしたい衝動を抑えています。「くろまめ」を字書で調べて漢字に起こし
てから刻めば良かったかなあと思っています(笑)。
 
 先生が年賀状に代えて印をお持ちになっていましたので、みなさんに倣って押印しました。74歳。楽しい先生
です。作品にも伺えると思います。恐れながら100円で買った額縁でございますが〜 まことにピッタリ収まり
ました。
 
 
レッスンワンのメモです。本日は篆刻文字とじっくり向き合う余裕はありませんでしたが、不思議な旅に誘ってく れる文字の本に出会えました。

 
 六日  (2010年1月6日)

正月六日のことを馬日(ばじつ)というのだそうです。以下、歳時記に次のように記してあります。
七日正月の前夜ということで六日年といい、関東・関西をはじめ各地で、各種の神祭りなどの行事が行われており、
この日必ず麦飯を食すという風習のところも多い。また翌朝の七草粥のため、七種の菜を採って備えることも主要な
ならわしとなっている。(以上、現代俳句歳時記より)

2日に娘の嫁ぎ先(博多)からお雑煮の材料を一式届けてくださいました。早速レシピ通り作ってみました。
「あご」いう名のお魚が焼いてありました。水に昆布、焼きアゴ、干しシイタケ、鰹節を1日漬けておきました。
昆布とあごを取り出し、弱火に1時間ほどかけてこし、薄口醤油、みりんで味付けをしました。

海の幸と畑の幸の取り合わせの豊かな食材に感動しました。カツオ菜という名の(鰹のようなおいしい出汁が出るの
だそうです)この緑の濃いお野菜は高菜にとても似ていました。

我が家は関東風のおすまし仕立てです。お醤油味が主流だそうですがいつの間にか私流の味付けになってきています。

実家の(宮崎山村)お雑煮は、だしはイリコと昆布です。丸餅を煮ます。お煮しめの具をのせます。遠い記憶ですが
村のお年寄りは誰も危険な目には遭いませんでした。家の80歳以上のお年寄りも同じ丸餅でした。ニコニコッとし
て丸いお口をふぁ〜ふぁしていました。

縁あって博多のお味を知ることができました。お餅は懐かしい粘りがしました。そして海の幸のお出汁がじんわり染
み出していてたとえようもないいい味でした。所変われば味が変わってお正月はなにかと発見と感動の連日でした。

 

 
 あけましておめでとうございます  (2010年1月1日)

 
天地の気を金色に福寿草  くろまめ 本年もどうぞよろしくお願いします。 今年は身体を引き締める年にしたいです。 万歩計の電池を久しぶりに交換し歩幅も測りなおしました。 5センチも少なくなっていました。