くろまめのをりをり12(2014年1月から)


 毎日のようにベランダから富士山を眺めています。よく晴れた日は丹沢が見えます。平成24年元日
 の写真にスカイツリーが写っていました。平成22年の写真には建造中の短いスカイツリーが写って
 いました。太陽が少しずつ移動して行くのを見ていると今日の日を残しておきたくなります。

 


 耳鼻科へ。やっぱり補聴器が必要になっていました。 (2014年12月4日)

これまでの人間ドックで聴力の検査を受けてきたが、「専門医に診てもらうように」と警 告を受けても実際には行っていなかった。昨日の検査結果は「中等度難聴」。1メートル くらい離れた大きな声なら聞き取れる。大勢の中での話し合いは難しい。 専門医は「治療のための通院はありません」と明快な答えを出した。耳垢でもなく、鼓膜 に穴が開いているわけでもなかった。 「中等度難聴」確かにそうなのである。電話での話が聞き取れないことが多い。話し手の 声の大小は関係ない。言葉が聞きとれないからとても苦手でならなかった。長年の間に軽 度から中等度難聴に悪化していたのは慣れからか? 年齢的なものなのか? 最近は同級生たちに耳の事情を話すが、なかなか理解してもらえない。電話は用件がすぐ に伝わり解決するのもはやい。書くより(打つより)も電話が良いというのもわかる。 「どう説明すればわかってくれるのだろうか」と残念に思うことしばしば、である。人が 相手の話を理解するのは音だけではなく相手の表情など視覚的なものも重要なのだとあらた めて感じる。 私の場合、左の耳は重度難聴に近いという結果だった。補聴器について検討してみようと 思っている。 実家の父は補聴器をしている。補聴器をするようになってから、普通の声量で話ができる ようになったと、人から聞いたが・・・。話のキャッチボールはどうなのだろうか? 話す。聞く。聞くことが深くなりますようにと娘として切に願っている。難聴の人は、イ ンプットがスムースに行かないので、先に先にアウトプットしがちであるように思う。 理解と注意。注意しようと思ったことだった。

 長ネギの畝は今も同じ場所にあります (2014年11月30日)

       今現在借りている我が家の畑は2011年4月22日に契約。24日に里芋を植え、26日に夏野 菜を植えた。元の畑(23坪畑)からネギの苗を今の畑に移植したのが4月29日。あれから 丸4年になる。  今年4月は、自宅療養中の義母の達子さんを車に乗せて畑の様子を見せることができた。 5月は畑やベランダの花々を(iPad)で見てもらえた。嬉しい表情をしていた。(6月21日 永眠 享年92歳) 2011年は私たちにとって「春イコール広い畑」ということで、翌年もその翌年も春になれ ば、このときの畑を話題にしたものだった。 息子(そらまめ)が耕す。達子さん(とらまめ)が植える。私は草を抜く。青菜の種は達 子さんが蒔く。耕し畝を作る夫。収穫の時は、農家の人に笑われるくらいの出来だが、 私たちは喜び楽しんでいる。   百坪の端に芋植う母卆寿      いつの間に卆寿の日なり春満月  老い母の後ろ手にある冬菜かな 里芋は連作障害を防ぐために毎年植える場所を変えている。

 スタバでモバイルのテスト (2014年11月26日)

来月、宮崎まで車で帰る予定にしている。そこで、外から道中の様子をアップできるよう にブログを立ち上げた。 今日は外からiPadでブログにアップできるかどうかの実験をすることにした。 普段は、マックでコーヒーを飲んでいるが、スタバでは無料のWi-Fi(無線LAN)のサービ スがあると知り出かけた。 途中、今日の雨模様を写真で数枚撮影してみた。街路樹のイチョウが見えてきたところで 赤信号。完全に黄葉したイチョウを撮ることができた。 スタバでは、いつもより高いコーヒーとティーをオーダーした。タダで無線LANのサービス を受けるのは申し訳ないような気になってトールサイズのものを頼んだが二人とも、もて あましたのは言うまでもない。 予定通りiPadからブログを更新することができた。一部ちょっと手順の手違いがあったの で総合評価としては90点といったところかな。 車のシガーソケットからiPadを充電するアダプターも買っていたので動作確認したかった がケーブルを忘れてしまい後日再トライすることにした。 宮崎までの長距離を考えると、やはり「ケータイトイレ」は必要かなあと、買ってはみた が目隠しのカーテンとか、例えばテルテル坊主の衣装のワイドサイズのような・・・? 準備は必要かなあ・・・?

 銀杏 (2014年11月21日)

  この秋は、イチョウの黄葉を追っかけている。そしてギンナンを拾うのである。 写真は何度目かの「ヒロワニヤーソンソン」の私である。どの角度から見ても美しくない。 これから、この場所を住まいにしようとしている、怪しい老女にも見える。強欲な舌きり おばあさんにもみえるではないの? 撮影者は夫(そらまめ)である。自然体を瞬間に切り取るのである。あとで、何枚かの自 然体の写真から、選りすぐって近況をアップしているのである。 今回は、ゴム手袋を五枚重ねて、その上からビニールの手袋をして熊手の如く掻き集めて 、新聞紙ですくっては、大きな袋に入れ、バケツ一杯になったところで終了。 翌日までベランダに「隔離」。洗うときには頑丈なゴムの手袋を着け、マスクとゴーグル も着用した。乾燥状況良好。メスとオスのギンナンの実を別々の袋に保管。メスは少ない。 ネット情報で、オスメスのことを知ってからは面白くてならない。 こんどの帰省には雌雄の銀杏の実を持って帰ろう。実家で育って大樹となって行けばいい なあと思っている。 **以下、「銀杏」について興味深い記事を見つけた。** 世界中に現存する銀杏の木は、人の手によって植栽されたものだという。 イチョウ属は2億年前の地上に繁栄し、草食恐竜によって種を拡散させていた裸子植物。 恐竜の絶滅とともに消滅し、今日ある種族が唯一のイチョウであることから「生きた化石」 と呼ばれている。中国の山中に生き残った銀杏の実が、日本に渡ってきたのは十世紀頃と 推測され、樹齢千年といわれる巨木がある。欧州には、江戸時代に来日したドイツ人医師 ケンペルによって紹介され、学名はginkgoとなった。長くなった西日を受けて眩しいほど に輝く黄葉が、空を明るい黄金色に染める。  金色の小さき鳥のかたちして 銀杏散るなり夕日の岡に  (与謝野晶子)

 眼科の行き帰りは、懐かしさでいっぱい! (2014年11月15日)

昨日、もう片方の右目ドック受診。「白内障だが手術するほどではない」ということだっ た。目の疲れをとるお薬をもらう。 眼科に行く途中の街路樹のイチョウは黄葉にさしかっかていた。ギンナンが落ちていない 。「オスの木だねえ」と、助手席の私は運転の夫に中継した。最近のことだがギンナンの メスの形状の特徴を知ったばかりだったので、やたらイチョウの木の下に目がいってしま う。こうして青空を突き抜けて立ち上がってくるイチョウの木の頭を注意してみると、お 日様の当たる時間が短いだろう辺りが哀れにも思えてきたり、それはそれで、毎年遅れて 黄葉して行く木々も味わい深いなあと思ったり、話したり・・・と、ラジオから「脱脂粉 乳」の言葉が聴こえた。 投稿者は、不味い、臭い、と言っているがその内は、とても懐かしがっていた。私の小学 校時代も脱脂粉乳だった。カップではなくて、お椀に注がれてた。飲むときの、私なりの 作法ができあがっていた。深呼吸のあと「フゥ〜」息を吐きながら、お椀に浮かぶ膜を手 前から向こうに押すのだ。一息で、確実に押して、お椀の内壁に貼り付けるのだ。いつご ろだったかバターが浮かべられるようになった。脱脂の分をバターの脂で補ったのであろ うか?  私の記憶違いかも知れないが・・・。そのバターの存在は「一息」の大いなる障害になっ た。バターが溶けるのを待つまでには、私の意欲までも椀全体と同時進行で冷めるのであ った。昭和30年代の全国のどの地域も「栄養」の概念が浸透していて、夏休みの「肝油」 もそうだった。助手席から私は宮崎の西都の銀鏡(旧東米良村)のバスがようやく開通し た頃の山間の話を、エスカレーターもマーケットも鉄道も海も山も見ていた夫に、昔話を 語った。 「脱脂粉乳、知ってるよ」と夫は言ったが、「膜が張っていたこと」は覚えていなかった。 夫の小学校時代は、温かい内に飲める給食環境であったのだった。ひとつのキーワードか ら、これから先も新発見がありそうだ。 眼科の帰りは、「ボーリング場」発見! もうとっくにクローズしていると思っていた所 が開いていた。暗い照明の中を恐る恐る進んで行くと、ボーリングのあの音が響いて聞こ えてきた。レーンはかなりの数だ。ゲームをしている人たちは10組くらい。私たちと同世 代か? ミニスカート! ショートパンツ! 襟を立ててポロシャツ! スラックス! 皮の手袋! マイシューズにマイボールと見てわかる。みんな顔と気持ちが青春まっしぐ ら! 見てわかる。  私たちは見ていることを楽しんだ。カウンターに手荷物をドカッと置いて、気持ちは過去 へ向かって行った。無言で。 喉の渇きは外のマクドナルドへレッツゴー! クールダウンして買出しとしますか。 お店のDYIコーナーで、大きなベニア板を24分割してもらった。絵を描くには下地塗りが 肝心とか。        100円手帳も買った。古い切手を貼ったらマイ手帳になった。

 眼科 (2014年11月7日)

「おくすり手帳をお持ちですか?」と受付で聞かれているご年配の方の背中を見ていた私は 、その方の様子が気になって仕方なかった。緊張した面持ちで振り返ったご年配の方と目が 合った。すると付き添いの人がそばに来て、優しく肩を抱いて「手帳は私がここに持ってい ます」と答えていた。初診の患者さんだったのだろう。そばに居た人は家族の方か? ヘル パーの方だったのだろう。 このような、ちょっと不安な、困った場面を見ると、困っている人の動く方向を見てしまう。 そして助っ人が現れて解決するまで待機してしまう。少し待つことでいいこともあるが、す ぐに対応したほうが良い場合もある。お二人が自動ドアの向こうの人になってから、待合室 にもやわらかい風が通った。 この日、眼科を受診したのは、目の充血がなかなか引かないどころか広がってきたからだっ た。ドライアイに違いないと、市販の目薬を半分くらい使った辺りから、ネット検索してみ ると”病名”がいくつかヒットした。 眼科医の診断は「結膜下出血」。原因と治療について、深刻な問題はなさそうだったが・・ ・。点眼液で、経過を見ることに。「目のドックを受けてみませんか(年齢的にもそろそろ) ?」やんわりと言われると、お願いしたくなるものだ。 初診から再診までの間に、点眼液を決められた回数さした。自然吸収されてきたようだ。白 目になってきた。先日「目のドック・片側(左)については、特に問題はないとのこと。 次回右側は、点眼液を使い切ってからの予約になった。 今は眼科に行って良かったと思っている。ドラッグストアいろいろあるが、薬剤師のおすすめ いろいろあるが、自己診断で薬を買うのはよそうと、今回思い知った。 目の次は、耳を診てもらうことにしている。「難聴の原因に鼓膜に溜まったタン」と、初耳の 情報をテレビ番組で知ったからだ。「生活に支障を感じるようであれば、専門医に診てもらう ように」と、補聴器で改善できるかのようなレベルの診断だった。 テレビは面白い。普段から気になっているところの情報が画像からキャッチできる。ふと、見 た画面だった。

 Skypeのラストは投げキッス (2014年11月3日)

実家の両親のことである。二人は眠そうな顔で現れたが、会話が通じ始めたら、「元気 ばい」。「元気どぉー」「ウフフフ」「アハハハ」と笑った。 数年前までは、葉書でも手紙でも電話のときも、初めの問い掛けは「元気か?」「元気 にしとるね〜?」だった。子どもたちに心配を掛けさせたくないという親の思いが感じ られてならない。父は、ダンベル体操のポーズをとって「元気じゃ元気じゃ ワハハハ ハ」と繰り返す。母は、花畑の計画を嬉しい顔で説明してくれた。来春の「ケサエさん の山里便り」が楽しみだ。 モニターに写る顔二つ。 眼を見開いて見ている顔二つ。 父と母があくびをした。 「もう寝るわー」と母。 「お、そうかぁ・・・」と父が。 母が投げキッスをした。父も。 私も投げキッスして返した。

 「ダニーボーイ」 (2014年10月23日)

昨日の朝、NHK・FM 『音楽遊覧飛行』「ふるさとのうた心の旅」をカーラジオで聴いた。 9時20分から10時まで、おしまいまで聴いた。案内人は歌手・ダカーポの榊原広子。彼女 の声は難聴の私にはっきりと届いた。ゆっくりはっきり、安定感のある、明るい声だ。 「アニーローリー」「庭の千草」「蛍の光」などのスコットランドの曲や「ケンタッキ ーの我が家」「故郷の人々」「夢見る人」などのフォスターの曲。聴いていてイメージ が広がる。歌詞がなくても。特に秋は抒情歌が染み入る。 おしまいに、投稿者からのリクエスト曲が紹介された。 『大阪在住の白い風の歌さんから「ダニーボーイ」。歌は高橋元太郎さん』。 投稿者のお便りが、ゆっくりはっきり優しく、過去の時間を乗せて私の胸に響いてきた。 投稿者は同郷の彼女だった。 アイルランドの民謡の「ダニーボーイ」は、親元を去ってしまった息子のことを思い続け る親の切ない心が歌われているとのこと。高橋元太郎の「ダニーボーイ」は、男の友情だ った。曲は歌詞が変わっても、ムードは変わらない。 https://www.youtube.com/watch?v=MT161k8mfkI  「音楽遊覧飛行」は、来週夕方同じ曜日(29日)の5時20分から再放送あり。   http://www4.nhk.or.jp/yuran/

 ドアストッパー (2014年10月13日)

午後から台風19号の影響で霧雨。 「宮崎は青空です!」「そちらに向かっているのでご用心を!」とのメールあり。 室内はまだ明るい。このまま篭るなら何か手作りを、ドアストッパーを作ることにした。 ぬいぐるみの「かえる」さんは、高さから幅から色から表情から全て合格である。 底の重りに平たい文鎮と石がある。量ると1キロ強。合格である。            それぞれキルトでくるみ、ずれないようにボンドで固定する。       底の部分に十文字に切り込みを入れ、重りを差し込み、縫い合わせて閉じる。  抱っこしてみたら、ずしりと重みを感じた。ここが「かえる」さんの定位置よ。    夕方になり、携帯のエリアメールが数回入った。テレビの台風情報も避難警告が頻発 している。中継を見ているとそれほど避難するような風雨でもないようだ。「最近起 きている自然災害で早めの注意喚起に注力していると思われるが、警報の「狼少年」 現象が危惧される」。そのようなことを夫が言っている。私もそう思う。しかし油断 禁物だ。ベランダの鉢を部屋に避難させた。

 鍵と携帯 (2014年10月12日)

最近のことだが、外出時に唱えないと忘れてしまう「鍵と携帯」。 だから、玄関に立ってもう一度「鍵と携帯」と声に出して言う。 時々「麦と兵隊」と頭の中で唱えたりする。 これまでお財布と眼鏡を忘れて外出したことがある。夫と一緒の時だったので不都合 はなかった。気の緩みから、しだいに都合の良い女になっているのかもなあ(笑)。 キャンディーを入れた布袋を忘れていないことはどうだろう? 飴は気持ちを甘くさせてくれる。「はい、どうぞ」これだけでいい。 私にとって、スケジュール帳は13年前に購入した革製のブルーのものが最後だった。 今は備忘録として使っている。「縫い物」「レシピ」「雑貨」「切り抜き」のカテゴリ ーに分けたら使い良い。 携帯は最低必要な機能だけでよいと思っている。手書きで、わざわざ書き込むことを しないと、この先が不安になる。丁寧を持って心がけている。 「鍵と携帯」を忘れずにできていることで良しとしよう。

 調べ (2014年10月7日)

昭和30年代の歌を聴いていると、ツゥーンと染み入ってくるのである。調べとい うか、間(ま)と言えばいいのか、なんともいいのである。秋のせいかも知れない。 北原謙二が歌う「ふるさとのはなしをしよう」もそのひとつだ。 「すなやまにィ〜〜 さわぐ〜 しおかぜェ〜〜ィ」と私には聴こえる。 歌詞と曲調が郷愁をそそる。 まったりとした歌い方(声)に私の心は夕焼けるのである。 中学生の頃に『ロッテ 歌のアルバム』というテレビ番組があった。「一週間のご 無沙汰でございます」。司会者が決まったフレーズで挨拶する。歌い終えた歌手を 引き止めて「ロッテガム」を薦める。コマーシャル効果抜群なのである。 しかし、当時の私は世の中のしくみなどまったくわからない幼稚で無邪気な子ども だった。駄菓子の「すずめのたまご(私たちはそう呼んでいた)」が大好きで、大 きくなったら、「すずめのたまご」をいっぱいいっぱ〜い買おう!って、ただそれ だけが希望だった。いっぱい買えるようになった頃は、量り売りではなく、袋入り で売られていた。売り方が違うと、とたんにつまらないものになって感じた。 「すずめのたまご」を口中でコロコロふやかして食べていた子どもは、大きくなる につれカリッと噛んでカリカリゴックンするだけになった。あとは袋ごとほおって おくようになった。いろいろ世の中の仕組みがわかってきて、仕事もそれなりに出 来るようになって、そして結婚出産子育てに入った。「すずめのたまご」のことは 思い出すこともなくなっていた。 やがて友人知人たちが自分の時間を持てるようになり、会えば懐かしい話で盛り上 がる。小さい頃のおやつの話は、それぞれの環境(山の子、街の子、海の子)が映 し出されて面白い。音楽の話などもそう言える。 相撲の仕切りのことも話題にのぼる。「あの 間が大事だよね」と頷き合うのである。 若い頃はあの仕切りの時間がなんともまどろっこしく感じたものだ。 昔の歌詞には味がある。調べは特急でも急行でもなく鈍行の各駅停車の無人駅だっ たりすることも。余韻を長らく保てるのである。

 Dlife (2014年9月14日)

朝刊の最後のテレビ番組表までゆっくり眺めたことで、ヒッチコックの映画『知り すぎていた男』の紹介記事に出合った。若い頃のサスペンス好きがよみがえってき た。しかし、ストーリーはうろ覚えなんだなあ・・・。自称、読みすぎていた私に は(歳を重ねたことが原因かも?)、ストーリーがごちゃ混ぜときていた。 で、この映画はどこのチャンネルで見れるのだろうかと目を凝らして見るも判読が どうもできない。天眼鏡を当てると「Dlife 無料」なのだ。 「他の番組表・解説は○○面に」に飛んでながめたところ、有料の局のお隣にあっ た。知った以上は今後もマークして録画するなりして楽しみたいと思っている。 さて、チャンネル「Dlife」だが、番組紹介・予告編やCMの画像のテンポが速い。 この速さは海外のテレビ番組と同じだ。ただ日本語への同時通訳や字幕がでるので ありがたい。日本の製品のCMもテンポが速い。いわゆる日本的情緒を取り外して 断定的であるように感じた。映像が速く流れて行った。私のような考えるテンポが 遅い人に果たしてコマーシャル効果は?と思ったり(笑)。字幕も私の頭では付い ていけないくらい速く感じたが・・・。夫は全く普通とのことだった。外見はのん びりしているような夫だが頭の中のテンポは速いのかななどと改めて思った。 いやいや、私は日常がのっぺりになってきているんだなあと感じてしまった。 ベニシアさんの詩の朗読調からときどきは抜け出してみよう。 昨日2本、このチャンネルで見たことで少し早口になってきている感じがしている。

 裏返し (2014年9月9日)

「オーイ」「ハーイ お待たせ〜」主婦は忙しいのである。出かける間際まで忙し いのだ。それでも鏡を見て、全体をチェックして・・・と・・・  だがこの日はしていなかった。 車に乗り込む。ラジオを聴きながら外の景色を見ながら感想を言いながら、ふと、 夫の横顔を見ると、鼻の下とアゴの先が赤い。剃り跡のキズがやけに目に濃く映っ た。 「ああ〜 また〜眼鏡を掛けてから剃ればいいのにィ。私は眼鏡を掛けて眉を引い ているのよォ」。そのたびに言ってきて、夫にはぜんぜん届いていない。それでも 言う私。「繰り返し申し上げますがぁ〜」。 園芸売場に到着。車を降りるときに麻のチュニックのポッケに手を入れて全体を整 えようとしたとき、アレ?? ポッケの底がゴワゴワしている。裏返しに着ている ことに気付いた。お手洗いに一番近いところに駐車して、すっ飛んで入った。脱兎 のごとく走れないオバサンのうろたえた姿を想像するのはあまりにも滑稽だが、想 像してもらいたい。 私はこの日が初めてでございました。ハイ。 「思えば、あの日、あのとき、裏返しの服に気付いていなかったなあ」と夫婦して 話題にすることがないようにしないとなあと思ったことだった。 家で過ごす時も、鏡に向かって上下・左右を指差し確認しよう。眼鏡を掛けて!

 「タナ」とのお別れ (2014年9月4日)

親戚の犬のお葬式に出かけた。大きなお寺の敷地の一画にペットたちのお墓が立って いた。そばの樹齢何百年もある大桜が時おり吹く風に枯れ葉を舞い散らせていた。 タナ君は、黒のフラットコーテッド・レトリーバーでご近所のみなさんから可愛がら れていたそうだ。食いしん坊のタナ君は体重が55キロほどあったことも。2年ほど前 から医者に掛かるようになったが飼い主である「お父さん」とお散歩する時の姿は、 それは堂々としていたそうだ。おばさまたちがおやつを持って、タナ君が登場するの を角々で待っていたそうだ。 私がタナ君と初めて会ったのは6年前の12月のことだった。こんなに大きな大きな犬に なるなんて、飼い主の「お父さん」から話を聞いても想像することができなかった。 そして別れがこうしてやってくることも。 去る6月に亡くなった義母・達子さんは、毎年お正月に大人から孫まで全員にお年玉を 用意してくれていた。タナ君が「お父さん・お母さん」のところで初めて迎えたお正月 から「お年玉」でつながる仲間になった。以来、会えないときは「タナ君によろしくね 〜」と、みんなが「お父さん・お母さん」に言っていた。 今日は車にのせて、ご近所の方々に見送っていただいてから、いつもの散歩コースを走 り、ドックランしていた公園に最後のお別れをしてお寺に向かった。 お寺の入口に「日没で門を閉じます」と書かれた札が立っていた。時間ではなく、日没 で門を閉めるというところがなんとも良かった。読経していただき火葬の間、2時間ほ どの時間があった。 骨壷に骨を入れながら作業の担当の方からペットの火葬事情を聞いた。小鳥は小さな箱 に入れる。ハリネズミのときは飼い主が号泣していたが針が痛くて撫でることができな いのにそれほど可愛いものかと不思議そうであった。亀は背骨や肋骨等が甲羅に変化し ているので甲羅として灰になるとのこと。ペットでもこれまで火葬をしたことがないの が熱帯魚とのことであった。 秋空の下でセミが激しくないていた。小鳥が辺りをしずめるかのように涼しく鳴いてい た。桜の落ち葉を掃く人、卒塔婆を立てる人、帰る車、入ってくる車、お寺は日没まで 開いているのだ。    (写真:在りし日のタナ君と)

 臍(へそ) (2014年8月28日)

  25日の夜、増田昭一原作・ドラマ「遠い約束」を見た。 「生きて日本に帰ること」が出来なかった子どもたちが、必死に生きようとしていた 厳しい毎日に何度も涙が出た。親のいない寂しさと飢餓と極寒の中にあって、「信じ る気持ち」が生きる支えになっていたという、見ていてリアルに伝わってきた。 特に、母親が亡くなる前に子に語った言葉には参った。 「お母さんに会いたくなったら臍(へそ)をみなさい。ここにお母さんはいますよ」。 孤児となった子は母親に会いたくなると、極寒の中でも臍を出して臍をじっと見る。小 さな声で母を呼ぶ。仲間の孤児たちも同じようにして母を呼ぶのだ。 母親と子が「へその緒」でつながっていたことの象徴的なシーンに参った。 生きている、アナタもあなたも、地球上のすべての人間が、生まれてくるまでの間をお 母さんとへその緒でつながっているということだ。尊い命が戦争によって失われて行く 悲劇を伝え続けていかなければならないと。 私はドラマを見て、更に増田昭一氏の実体験(原作本」)を読みたいという思いが強くなっている。 出版社「夢工房」のHP(下記アドレス クリック!)を是非ご覧いただきたい。 http://tanzawa-yumekoubou.cocolog-nifty.com/blog/

増田昭一原作・ドラマ「遠い約束」8月25日夜9時TBS系放映!  (2014年8月23日)

          新聞記事は拡大して読むことが出来ます(↓クリック)    https://picasaweb.google.com/yeziyezi55/ZPaDwK#  忘れてはならない戦争。戦争がもたらした悲しみが言葉になって、活字になって、 そしてドラマに。私は録画を予約した。

  先生と「すいとん」   (2014年8月16日)

終戦日は二人の先生の「すいとん」を想う。 お一人は大正生まれの俳句の嘉久先生。もうお一方は絵の高橋先生だ。 故人となられた嘉久先生のお住まいは、小津安二郎の映画の世界のような、風情のある 門と庭のお宅だった。ご高齢になられてからマンションに住まわれた。ときどき私を家 に呼んでくださった。あるとき「障子が破れたのですがなんとかなりますかねぇ」。 「張り替えたくないなら絵でごまかしましょう!」と提案した。お宅に伺うと、ほんの 少しの破れだった。嘉久先生も奥様も「下手がいい。下手に味がある」と先におっしゃ ってくださったので面白がって描いた。障子の修理が終わって、奥様手作りのお昼ごは んをご馳走になった。お二人だけの食卓に私が加わったことを喜んでくださった。彩り も美しい和風のお昼ご飯をいただきながらワイワイ笑った。話が面白くて夕方近くまで 過ごした。それからその後も戦中のお話は聞いたことが無い。よほどのことがあったの だろう。私は聞くことをしなかった。 高橋先生は今日「すいとん」を召し上がっただろうか。 奥様と戦中にあっても青春があったことを思い出されることがあったかもなあと勝手に 想っている。映画「青い山脈」のイメージ。若い精神のご夫妻を想っている。 八月は、原爆記念日、終戦記念日、お盆、夏祭り、夏休み、甲子園・・・ 家族が集まって、過去を想い、未来を考えることが新聞・テレビから聞こえてくる。

  スキップをしなくなって何年ぞ!   (2014年8月8日)

 今日は久しぶりに都会のビル間を歩いた。暑い。人の波も暑い。何を見ても清涼感 が得られない。それでも出てきたからには、なにかいいこと探しをしてみたくなる。 パンを買う列の最後に並んでいたら、「並んでいらっしゃるのですか?」と後ろから ご婦人に声を掛けられた。「はい」と返事をしたら、「私の後ろの方も並んでいらっ しゃいます」と、ご婦人は、おとなしい佇まいの青年を指して言った。そうか!私は 途中から割り込んでしまっていたらしい。お二方に詫びて後尾に着いた。ご婦人は私 の方を振り返り、軽く会釈された。私も会釈して詫び直し、一期一会の清涼感を得た。 帰りに遭遇した清涼感は、一気に幼かった頃の自分や娘のことを思い出させてくれた。 小学校の正門から出てきた男の子が手を挙げて横断歩道を渡り切るのを待った。小さ な手をヒラヒラ振って渡る少年の姿が可愛くてならなかった。そう。私の娘も必ず手 を挙げていたなあと。私は今でも手を挙げて渡るクセがある。達子さんが高齢になる ほどに一緒に歩く私の手の挙げ方にはミガキがかかってきていた。可愛い姿はどこに もないのである。 その少年だが、彼は、渡りきると、街路樹の影の中をスキップして行った。右に左に 肩が傾く。スキップをまだしている。車は彼を追い越して行く。サイドミラーに映る 少年は走っている。なにかうれしいことがあったのだろうか。早く、お母さんに報告 したいうれしいことがあったのかもしれない。それともただなんとなく浮き立つ思い がスキップとランになったのだろうか。疲れた様子はまったく感じられなかった。 私、スキップしたのはいつ頃まで? あなた、いつ頃まで? 車中の話題がスキップ に至った。体が重いからか、足の筋肉が衰えたのか、頭の中の気分がスキップしなく なったからかなあ?? スキップしている大人を見たことがない。 ここまで書いて、終わるつもりだったが、試しにスキップしてみた。夫のそらめにも 「ご一緒に〜」ってやってみた。夫は宇宙遊泳をしているように見えた。そして私は、 「さまになっているよ!」だった。他に証人はなし。     スキップの少年の肘涼しけれ   くろまめ

  万年筆   (2014年8月1日)

 昨日新しく購入。今まで使っていた万年筆は、娘がなにかの懸賞品に当たったも ので、私にすんなりとプレゼントしてくれたものだった。「パーカー」にもピンきり あるが、当たった万年筆は私には充分すぎるものだった。ペン先を一度直したく らいで10年以上、ほぼ毎日使ってきたものだった。カートリッジに残っているイン クを使いきってから捨てた。   新しく買った万年筆は「プラチナ」日本製。「♪僕の日記プラチナ〜♪」で始まる TVCMがすぐに浮かんだのである。中字用で試し書きをしたら素晴らしく滑らかでは ないか! もう少しチェックしてみる。そして隣のガラスケースの「パイロット」 に気持ちが動いたことも書き残しておきたい。TVCM「はっぱふみふみ」が記憶にあ るのだ。だから試し書きもした。差を考える。しばらく検討する。店員はガラスケ ースの上に両手の指先を反らせたまま、動かない。 検討結果「♪マイ プラチナ〜♪」にした。歌が勝ったようなものである。  高校の入学祝いに親からのプレゼントは「パイロット万年筆」だった。1500円位 だったような? 学校の売店で売られていた制服の白いブラウスが1000円くらいだ ったような? パンが1個50円だったような? 授業料が2000円しなかったような? ???で当時の物価も怪しくなってきている。歳月は容赦なく過ぎ、我が黒髪はご ま塩に。ウエストのくびれは、はるかはるか遠くのこと。コマーシャルソングは映 像となって記憶の扉を開く。  八月や乾きの速い青インク   くろまめ

  中島みゆきの「♪歌姫」をカーラジオで聞いている   (2014年7月28日)

私もそらまめ(夫)も彼女がデビューしたときからのファンだ。私たちは彼女のコ ンサートに行きたいと思ったことは一度も無い。彼女の歌は一人、若しくは二人で 聞くのがいいと思っているからだ。実際のコンサートの模様を見ると、私が自分の 頭の中に作り上げてきた「みゆきの世界」とはチョットズレテイルヨウニカンジル カラ(笑)。 カラオケで歌う人は、よほど覚悟をしなければならないと思う。たとえ歌が上手で あっても飽きられるかも知れないなあと思ったりしている。 早朝なら「ラジオ体操の歌」が似合うが、中島みゆきの歌は朝はしっくりこない。 昼は、もう全く合わない。やはり夕暮れてくる頃に走る車の中で聴くのが一番かな あと思う。活動の時間から休息の時間に入り、景色から色が消えてモノトーンにな ってくると歌の世界に深く入り込んでゆくのを実感する。 夜空に星がいっぱい見えるとなお良い。街中を車で走るときは、商店街の灯りがい っぱいのほうが良い。駅のそばを通過する時は、人が吐き出されてくるのが見える のが良い。素早く通過していく景色の「ざわめき感」が良い。みゆきの歌はやはり 景色より人が似合う。みゆきはただ歌う。私はただ聞いている。   歌姫   中島みゆき(歌詞・曲)  淋しいなんて 口に出したら  誰もみんな うとましくて逃げだしてゆく  淋しくなんかないと笑えば  淋しい荷物 肩の上でなお重くなる  せめてお前の歌を 安酒で飲みほせば  遠ざかる船のデッキに立つ自分が見える  歌姫 スカートの裾を  歌姫 潮風になげて  夢も哀しみも欲望も 歌い流してくれ  南へ帰る船に遅れた  やせた水夫 ハーモニカを 吹き鳴らしてる  砂にまみれた錆びた玩具に  やせた蝶々 密をさがし舞いおりている  握りこぶしの中にあるように見せた夢を  遠ざかる誰のために ふりかざせばいい  歌姫 スカートの裾を  歌姫 潮風になげて  夢も哀しみも欲望も 歌い流してくれ  男はいつも 嘘がうまいね  女よりも子供よりも 嘘がうまいね  女はいつも 嘘が好きだね  昨日よりも明日よりも 嘘が好きだね  せめておまえの歌を安酒で飲みほせば  遠ざかる船のデッキに たたずむ気がする  歌姫 スカートの裾を  歌姫 潮風になげて  夢も哀しみも欲望も 歌い流してくれ  握りこぶしの中にあるように見せた夢を  もう二年 もう十年 忘れすてるまで  歌姫 スカートの裾を  歌姫 潮風になげて  夢も哀しみも欲望も 歌い流してくれ

  「おひつ」が香る   (2014年7月23日)

    梅雨開けて、今日は大暑だ。「おひつ」を涼しい場所に移した。御ひつの中には一 合ほどの残りご飯が入っている。朝はパン、お昼は冷たい麺類、夜はご飯党の我が家 でも二合のご飯は食べきれない。    達子さんと3人で食卓を囲んでいた時は、三合炊いていた。「ご飯はたくさん炊い たほうが美味しい」と達子さんが言っていた。フレッシュジュースに畑のトマトを加 えているが、トマトも食べきれずに冷凍庫に積んでいる。  私も夫(そらまめ)も「おひつの香りがするご飯」を「チン」していただくのを楽 しんでいる。ご飯茶碗を新しくした。ふんわりよそって差し出すとき、「おひつの香 り」が漂うのだ。この漂い感が、今の私たちに鎮静剤のような役割をしてくれている ように感じる。  昔どこの家でもご飯は風通しの良い場所にカゴなどに入れて吊り下げられていた。 真っ白なサラシ布の上にご飯が広げられていた。蝿とり紙にキンチョー蚊取りと、 カルピスが連想されて止まない。

  台風をぬって   (2014年7月15日)

 7月は、宮崎の親戚のお祝い事から始まった。娘と孫と私の3人で羽田を発った。  喪中なので出席することを躊躇したが、実家の両親に曾孫をみせてあげたくて、 また、兄姉妹が共にお祝いできる大事な日でもあるので出席することに決めたのだ った。衣装を通販で買った。靴は服の色に合わせて亡き達子さんのを譲り受けた。 鏡台の前でチェックしてみるとなかなかいい。自分で言うのもなんだが、米国大使 のキャロラインの感じに近い。普段からお化粧をほとんどしないので、してはいけ ないぞ。したら余計バランス悪くなるからと決意した。飛行機のチケットは親戚に 貰ったANA株主優待券で往復予約。インターネットで座席シートを眺めながら予約 を入れると、「三歳児までは、この席はダメ」と出た。それでも私たちにとってと ても都合の良い席をとることができた。この席は往復とも隣座席と後部座席三席と も空いていたので、手荷物を置けれたし、リクライニングをゆったり倒せたし、孫 は初の飛行を楽しんでくれた。離陸時も着陸時もスクリーンの画像にキャッツキャ ッツ。乱気流に入ったときもキャッツキャッツ。耳がつーんとしてきたときは、お 口を大きく開けて「あーあーあー」と手のひらで叩いた。どうやら自宅で練習して いたようだ。娘も私も「あ^あ^あ^」。三世代飛行をしている不思議な感覚。達 子さんに「あ^あ^あ^」伝えた。 手荷物のことで面白いことがあった。行きは、自分でトランクのサイズを測定器に あてて確認してみた。やはり気になる。しかし鍵がないので、預けるとなるとバン ドを購入することになるからめんどうだ。実際はギリギリセーフで、重さがオーバ ーしていた。オーバーした分を娘のバックに移した。帰りの宮崎空港では、チェッ ク厳重だった。「トランクの一辺が長いですね。もう一度計らせてください」。 「やはり長いですね・・・ ・・・」「羽田ではOKでしたが?」と私。係りの女性 が私に、しばらくここでお待ちくださいと言い残して去って行った。とり残された 私の後ろに列が続く。隅っこに退くも、狭い。私は目一杯縮んで立って待った。戻 ってきた係りの女性は肩を怒らし丁寧に教えてくださった。 「今回は満席ではないので・・・いいそうです。満席の場合でしたら無理ですので ・・・」 どうやらサイズオーバーは確かなことだった。 行く日もお祝いの日も、外出した日も、こちらに戻ってきた日も天気に恵まれた。 留守の間、夫は天気の追跡をしてくれていたようだった。宮崎に居る間は、暑くは 暑かったが、テレビニュースに聞くような状況には遭わずに済んだ。 さて、7月も半ばが過ぎようとしている。畑一面に茂っていた草は黒土に変わった。 車は洗車した。畑の道具を、鶏小屋に運び込んだので車の荷台スペースが広くなっ てもの淋しい。次はまた達子さんのことに戻ろう。49日法要、納骨とお盆用意だ。

  達子さんの旅立ち   (2014年6月28日)

   達子さんは6月21日 永眠しました。  安らかな顔をして旅立ちました。  サボテンの開花を見てから三日目の朝のことでした。    昨年10月入院手術。12月8日退院。退院の朝は「畑」を車窓から眺めました。 退院祝い、年越し、お正月、豆まき、誕生会、レストランで昼食会、お花見もするこ とができました。  曾孫の成長に目を細めていました。家族で会いに来てくれました。曾孫の挨拶は「 タッチ(手と手を合わせる)」から「こんにちは」と腰を屈めて挨拶が出来るように なり、達子さんが歩行の練習をすると、曾孫が達子さんの後ろについていって「イチ ニ イチニ」と達子さんが言えば、曾孫も「イチニ イチニ」と言っていました。 そのうち、達子さんの前を歩いて「イチニ イチニ」と先導するようになりました。 達子さんが、食後にうがいをすると、同じようにアゴを上に向けて「がらがらガラガ ラ」と言いました。とても自主的にリハビリをしていました。  これまで「をりをり」で、達子さんのことを書いてきました。 一緒に暮した36年間ですが、「在宅緩和ケア」に入り、この8ヶ月間は、若い過去の時 間よりも濃密な時間を過ごすことができました。そして、達子さんの素晴らしさに今 更に感じずにはいられない、たくさんな発見感動がありました。達子さんは変わらず、 淡々としていて。  みなさんが見守ってくださっていることを達子さんに そのつど伝えてきました。  こころより感謝申し上げます。    プロの方が在りし日の「桜の下の達子さん」を描いて下さいました。            達子さん 豊かな思い出をありがとうございます。

  サボテンの花   (2014年6月18日)

   真夜中、明け方、酸素吸入器の規則的な音が流れている。日中は、生活音と一緒に 流れている。明け方、白々としてくる外の気配を感じる この時間はなんとも落ち着 いていい。新しい一日が始まっていくのを嬉しく思う。今朝は、特に嬉しいことがあ った。  いつものようにルーチンワークが済んだ辺りに、夫が「サボテンの花が咲いてい るよー」と達子さんの耳元に近付いて伝えた。達子さんのベッドから見える位置に鉢 を置いているので、そちらのほうに目を動かした。私はカーテンを引いてその花を確 認! 。 「やったねッ ○○○ドー」と夫を褒めた。それほど私たちにとっても嬉 しい出来事だった。今か今かと気を持たせていたサボテンだったから。夫がiPadで写 真を撮って、達子さんに見せた。  「まあ〜〜」声はか細いが その喜びようは、開いた口の大きさでそれは感動の第 一声だった。写真をゆっくり見ていた達子さんは、ほほ笑んだ表情をして寝ている。  昔の話で聞いたことがあった。達子さんが三十歳代の頃のこと、今は亡き夫が、サ ボテンの鉢植えを買ってきてくれた話。それは二人の間に、ちょっとした意見の食い 違いがあって、分の悪いほう?だった亡き夫が、お詫びに買ってきてくれたのだそう だ。「○○さんは、私がサボテンを好きなことを知っていたのよ」と、得々と話して くれた話。 もしかしたら、達子さんはまどろみの中、過去の時間を懐かしんでいるのかも知れな いなあ。

 梅雨晴れ間  (2014年6月14日)

  畑では、キシキシゴワゴワ濃い紫の、野趣味のあるアジサイだったが、家で活けたと きも、その感じは変わらなかったが、まてよ、凛々しいではないか。なかなか芯のあ るアジサイではないか。印象がコロコロ変わってきているではないか。それから4日 後の今朝、こんなに可憐になっていた。白が出てブルーが出て、濃い紫も健在で、全 体の調和がとれていて美しい。私たちを何度も楽しませてくれている。   ベランダから見えるこの景色は、30年以上飽きることなく見てきた。田んぼも畑も 山も川も、桜並木もだ。三叉路を犬連れの人が行き会うのを見るのも面白い。俳句 が生まれる瞬間でもある。「お先にどうぞ」「遠回りして行きましょう」とか犬と 犬と、飼い主と飼い主とが、ほんの少しの間、判断しているように見える。人も車 も、朝の動きは速く感じられる。三叉路とたんぼと、遠くに隣の市のビルが見えて、 毎日毎年だ。 久しぶりに日差しを見た。雲間から差し込んでくる日の光の美しいこと。緑のじゅ うたんが明るき緑に変貌して広がっていく。 ジュースを作りたくなった。冷凍バナナ・ヨーグルト・グレープフルーツ・ペパー ミント・ショウガ・お水と、そして眺めと、気が抜けて行く心地。 もう少ししたら、全自動洗濯機が届く。ずう〜〜っとず〜っと二槽式の洗濯機に拘 ってきた私だが、三つくらいの家事は平行してさばけていた(たぶんだが)私だが、 「し忘れ」「途中で気がつくも間に合わない」そういった家事のミスがしばしば・ ・・起きている。嘆いているわけではない。二槽式を20数年使い続けてこれたのだ から、洗濯機も私も偉いと思う。洗濯槽も脱水槽もよく働いてくれた。全自動には、 「忘れてもおまかせよ」といったサポート(必要最低な働き)をお願いしたいとこ ろだったのが、もうどれもこれも私にとっては余分な働きをするボタンが組み込ま れているではないか。「浦島くろまめ」と「浦島そらまめ」は笑うしかなかった。

 新聞とテレビ  (2014年6月8日)

今日は新聞を5日分まとめて読んだ。デジタル版から離れていたこともあって、家族 がすでに読み終わってからの新聞紙は角がとれて、ふうわり感のある、やや生ぬるい 湿り気のある新聞紙だ。左にコーヒー、右に新聞紙を積んで、飛んだり戻ったりして とにかく読み終えた。くたびれた〜 テレビ「日曜美術館」を見た。熊谷守一は、やっぱり いい。すっきり堂々としてい る。クマガイの庭にはいろいろな生き物がやってくる。観察の対象になり、作品にな っている。部屋の壁の穴から見えた朝日「朝のはじまり」。最晩年の作品「夕暮れ」も いいなあ。長生きのクマガイは、肩の力が早いうちから抜けていたようだ。自由な活 路を見つけ、家族を愛し、しかし暮らしはままならないと。空を見上げて思うことも あったことだろう。作品の中には、沈黙の悲しみが伝わってくるものもある。    朝日(6月3日付け)で紹介していた「レモン塩」を作ってみた。 「レモン塩」は、三種に使い分けできる調味料(沈殿した塩の部分、漬けた果実、塩 と果汁が馴染んで出るエッセンス)だそうだ。  

 ヘッドフォン  (2014年5月29日)

  達子さんも私も難聴だが、達子さんのほうが難聴の程度が高い。私も達子さん もイヤフォンは大嫌いなので字幕を見ながらテレビを見ている。 夫(そらまめ)が、ヘッドフォンを買ってきた。先日購入した新しいテレビの マニュアルを見ていて、ヘッドフォンの音量がスピーカーの音量とは独立に 設定できるとあったからだ。先ずは達子さんに試してもらった。ヘッドフォン を装着してもらっての感想は「締め付け感がしないのでいいわ」。次に音量を 調整してもらうと、「よく聞こえるわ〜」とウンウン頷いた。番組を見ていて 笑った。瞬時に笑った。一拍遅れずに笑った。 夫は母親の笑顔を見て喜んだ。 私も試してみたくなった。音量は達子さんのときのままに。カーペットに座っ たままの姿勢で装着。そのとたん、私は体ごとジャンプした。暴風と大音量の 合体音(風圧)に体がびっくりして飛び上がったのだった。耳に更に悪いこと がおきたのではないかと心配になった。 本日も達子さんは当然のように食後は、ヘッドフォンを(息子に)してもらっ てテレビを楽しんだ。ニュースに、自分の意見を述べたりした。反応が早くな り、嫁の私はウカウカシテオレマセヌ。 私の耳にはまだ快適とは言いがたい、空気がざわつく感じがする。音楽の場合 は気にならない。快適と言って良い。 耳いろいろ。合点。

 初めての「訪問入浴介護サービス」  (2014年5月24日)

 本日、達子さんは7ヶ月ぶりに入浴をすることができた。退院後しばらくは、 訪問看護師さんの介助で自宅シャワーをしていた。ここ最近は、ベッドで清拭 をしていただいている。家族としては、お風呂に入れてあげたい思いが強くな ってきていたところだった。訪問看護師さんの「ご本人様が望まれているよう でしたら、一度試されてみたらどうでしょうか」との言葉に、達子さんに聞い てみた。不安な感じも見えたが、それからまた数日経ってから聞くと「そうね え」と。  最初はちょっと拒否(笑)したりするものである。そういった微妙な心理も わかる。「そうねえ」の応えは、チャンスのなにものでもない。 その日のうちにケアマネージャーに連絡。そして、本日、在宅福祉サービス( 民間事業者)のA社から三名の方(看護職員を含む)が来てくださった。達子さ んにそれぞれが自己紹介をしてくださった。書類などの手続きが済んで、私は 再度達子さんに聞いてみた。「おまかせします」と明るい返事だった。 体調問題なし。入浴準備が始まった。 こちらは着替え一式・バスタオル一枚・オムツを準備すればよかった。本人が好 んで使用している沐浴剤・シャンプー・ソープなどがあれば、どちらでもという ことだった。A社のものは、数種類あって、肌に優しい、香りも優しいものばか りだった。達子さんは、しばらく考えてから「おまかせします」と答えた。 迅速丁寧安心安全な準備(浴槽など入浴に必要な器材を搬入し、体調に配慮した 準備。マット及びシートで床を保護)が進んでいく途中で、達子さんのベッドの そばに来て、「そろそろ お風呂ですよ〜」 準備が済むと、 「お風呂がわきましたよ〜」と声をかけてくださった。 浴槽に運ぶ時、浸けるときの手順、洗うとき、すすぐとき(シャワーをかけて)、 素早く拭く、そして体をタオルで覆って、ベッドに運び、着替え、肌の手入れ、 体調のチェックなどなどが美しく整えられて行った。見ていて私自身が介助され ているような、全身がほどけていくのを感じた。 「訪問医療」と「訪問看護」、そして新たに「訪問入浴介護」が加わったことで、 私も夫も、「まずは試してみよう」と試した結果、介護する側の安堵感が深くな るものであることに気付けた今日だった。  さて、達子さんだが入浴後は60年来愛用している化粧水と乳液をつけてもら い(酸素吸入の管をつけてからはつけていない)、気持ちよさそうにしてまぶた を閉じて、私にされるままにしてくれた。夕食はリクエストの鰻を少しとキャベ ツのお味噌汁を少しとお多福豆を少しとパプリカを少しと日本酒を小さなお猪口 で三杯いただいた。普段より1時間も長く起きていた。 私と夫は、エンドウマメご飯とお肉にパプリカを添え、キャベツのお味噌汁、ゴ ボウのやわらかおかか煮とフキのやわらか煮をいただいた。エンドウ豆とゴボウ とフキは、我が家の畑のもので、ゴボウとフキは収穫の時期を過ぎて見た目も硬 い形相であったので、柔らかくした(煮た)のだった。エンドウ豆ご飯は、炊い たらやや縮んだが夫がお替りをしたので美味しかったのだと思う。達子さんにも そう見えたと思う。 明日の達子さんのお昼ごはんのリクエストにあがるかも。「なにが食べたいです か〜」の私の問いに、答えたときが食べ時なので、まだわからない。  新茶汲む昼の献立母応ふ   くろまめ

 葱坊主   (2014年5月14日)

       右に倣ひ左に倣ひ葱坊主   くろまめ  日中は自宅介護をしながら、時間が出来れば縫い物の続きをしている。  夫のそらまめは、一人で畑を続けている。今日は、ピーマン、モロヘイヤ、 青ジソ、トウモロコシの苗を植えたそうだ。雑草がどんなに茂っているかは 帰宅してからの家族間写真回覧でよくわかる。  私は草取り名人なのだ。しかし今夏は、ユル〜〜〜ク構えて行こうと決め た。今日植えつけた野菜のこともそうだが、ニガウリのコボレ種の生長を達 子さんが楽しみにしている。 今回は、晩ごはんに「ちゃんとしたエンドウマメごはん」を登場させたいと 思っている。なにしろ我が家は、キヌサヤとしていただくのが習慣で、とり 残したサヤの中に残っているひからびたお豆さんを、「エンドウ豆ごはんで すよ〜」と食べていたのであるから、デントしたピカピカのお豆さんで、ふ っくら炊き上がった「豆ごはん」を食べようと思っている。  上の写真は、今夕方、散歩の途中で撮ったもの。  時々だが、私は夕ご飯の支度を済ませてから、少し歩いている。歩くコー スを変えて歩くのは楽しい。自然と畑に目が行く。今日の一枚(笑)、大き なお屋敷の前のきれいな畑。葱坊主の姿を見たとき、昔詠んだ俳句が浮かんだ。 原句は、右へならひ左へならひ だったような? 「に」は今の私の心境だ。  今夜は蒸し暑い。湿度73%。  窓を開けたらカエルの合唱だ! 前から鳴いていた筈なのに、みんなで妙に 感動している。  

 「達子さんのちぎり絵」   (2014年5月11日)

今日も良い天気。今朝も達子さんはベッドから三叉路を眺める。 車の流れを目で追う。田んぼのほうへ、しだいにアゴが上がって行く。 「今日の眺めはどうですか〜」と私。 「休耕田が目立つってきたわね〜」と達子さん。  飲み物三種、いつものようにゆっくり味わっている。  新聞にちょっと目を通す。それからしばら〜く 外を眺めている。  横顔が哲学者のようだなあと私は思う。    達子さんが笑うと、二歳の頃の顔だなあと私は思う。  娘(達子さんの長女)が来て、ランチで乾杯した。         ホームページの「達子さんのちぎり絵」を一緒に見た。  二歳の頃の達子さんの手が父親の膝の上にある。 お父さんの思い出は、あぐらをかいた御父さん。膝の間に抱っこされ た時の、ゆったりとした世界。独り占めできて嬉しかったそうだ。 お母さんとの思い出は、山芋をする傍らで、すり鉢に手を添えてお手 伝いしたこと。首を少し傾けたほほえみだそうだ。 お父さんは新聞社に勤務。お母さんは結婚前は教師だったそうだ。 92歳の達子さんは女学校時代はバスケット部。師範学校経て教師に。 お見合い結婚。いろいろたくさんあっても「振り返ればあっという間よ〜」と。 ただ今、ホームページの「達子さんのちぎり絵」は休んでいますが、 見て頂きたいなあと願っているくろまめです。   http://www.f4.dion.ne.jp/~yezi/tattyan-2.html

 私と青空   (2014年4月28日)

 インターネット上の電子図書館「青空文庫」のことだが、タブレットで読むよ うになってからは、目の疲れがあまり感じられなくなった。眠りに付くまでの時 間が私の青空だ。    今は「旧字・旧仮名」で書かれてあるものを読んでいる。書かれた時代の空気 感が厳格に伝わってくるように思う。  青空文庫のしくみも「そらもよう」(報告)も面白い。インターネット上のボ ランティアによる電子化する作業も興味深い。そして、先の新たなビジョンを、 青空の下で手を広げて見せている。  我が家でも”校正作業”の感覚を掴もうということになって、スキャナでサン プル文書をスキャンしてダウンロードし、無料OCRソフトで変換してみた。無料 ソフトのせいか? 半分ほどが変換ミスだった。やはり文字の大きさ、背景との コントラスト、行が斜めになっていないかなど色々な要素が関係してくるのだろ う。「青空文庫」では、とうに解決済みであることだが(笑)。  自宅療養中の達子さんは、体調の良い日は、朝日新聞を読む。昨日(日)「ジ ャンボクロスワードをとっておいてね〜」と言われた。まだ着手していないが、 透明のファイルに差し込んで見えるところに置いてある。私はデジタル新聞を 時々読んでいるが頭の中に貯まらない。流れているのである。達子さんにはた びたび驚かされる。

 絵本『青い空』   (2014年4月27日)

 あの大空の青  そんな青い絵をわたしはかきたい  いつも喜びと幸せにみちていた  ふるさとの家から立ち登るうす青い煙  そして子どもたちのあそびの中の青  わすれな草の花のように青く  あやめやつりがね草が花開くとき  たくさんの青いうたが生まれ  わたしの愛する人のリボンも青かった。。。           ヨゼフ・チャペック(チェコの画家)             1944年 ザクセンハウゼングの収容所にて  わたしは いつどこで この詩を知ったのだろう。俳句を始めた時に使ってい たノートの表紙裏に書いている。日付けを入れていない。この「青」がとても美 しくて、あまりにも悲しいから書き留めたのだろうか。  南の貝をさがすや青嵐   くろまめ

 ピアスキャッチ   (2014年4月24日)

   本日届いたピアスキャッチ。手持ちのどのピアスにも対応してくれるキャッチ。 話には聞いていたが、実際に使ってみて満足している。  私がピアスをするようになったのは、50歳になる年の5月だった。それまでは、 耳に孔を開けることは危険(野蛮)だと思っていた。ゴールドのイヤリングの輪 が好きで、大・中・小を好んで着けていた。  50歳はまだまだ若いと思いたい時期だったからかも知れない。整形外科で「プ シュ」、「プシュ」連続コンマ秒で両耳たぶに孔が開いた。神経の通っていない 耳たぶとはいえ、キズはキズだ。化膿しないように、ふさがらないように、病院 オススメのピアスを一定期間つけっぱなしにした。その後、好みのピアスにアレ ルギーを起こして、かぶれることがあった。「かぶれません」と名乗る商品も信 用できなかった。還暦を過ぎる頃からは、体質が、へっちゃらタイプに変わった。 手作り品を選ぶ時にカブレを気にしなくてもよくなったことで、小さな世界に花 が咲いた。片方を無くしてしまったピアスとの組み合わせも楽しんでいる。    ゆくりなく五十路のピアス更衣  くろまめ (2002年5月17日)  

 重曹の力   (2014年4月17日)

「全国友の会」と聞けば、シニア世代なら「ああ、あの羽仁もと子の・・・」と すぐにわかる。  いつだったか娘が購読している『かぞくのじかん』を読んだ時は、新鮮な驚きを 覚えたものだった。平成の若いママたちの間で人気があるのがよくわかった。単な る暮らしの智恵ばかりではなく、育児の解決策や快適な衣食住の整え方など時間を 上手に配分しながら楽しく処理できる内容になっているからかも知れない。中でも よく登場するのが重曹を使うエコな暮らしだ。  私は、重曹を使うことはこれまでして来なかったが、いよいよ使うことにした。 鍋のコゲ落しには、重曹を入れて煮る→数時間置いてから洗う。この流れでやって みたら、写真のように生まれ変わった。実家の母が昭和20年代によく使っていたア ルミ製(だと思うが?)鍋は、これからの季節、かなり楽しめそうだ。        「重曹」をクリーニングとして、消臭として使ってみると 楽しくなるのはなぜ? バブル時代を存分に謳歌した時代、あの頃は、「重曹」について、とても古めかし いイメージを持っていた。とんでもない勘違いだった。 これはいい。

 洗濯糊   (2014年4月5日)

 昨日までの2日続いた雨と風はなかなか力を弱めてくれなかった。部屋の中に居 て、なにか”し忘れたこと”があるような? このもにゃもにゃとした??が、 しばらく経って解決できた。「ブックカバーの糊付けをしたい」と思ったのは、 よく晴れた日に本を読んでいて、ブックカバーの弛みが気になったことからだった。 我が家の霧吹き糊は、もうとっくに捨てていたし、わざわざそのために買いに行く のもなんだなあと、あきらめかけていたことだった。”あきらめかけ”は、脳内で 現在進行形の行進をしていたのだなあと思えば思うほどに可笑しくなってきた。 インターネットで「手作り糊」を検索し「家にあるもので作れる」を採用。  材料:コーンスターチ(大匙1) 水(200cc)  精油 (もし、あれば)          アイロンは、まだもう少し乾いてからのほうが良かったかも。まあ、これでも張り が出たので良し。残りの糊は捨てずに、シーツ(1枚分はあるとのことだから)で 使いきることに。  さあ!本日は花見日和。糊付け日和。 義母と4回目のドライブに出かけた。4月の始めに「今井の桜」を一緒に見ていた ので今日の桜のボリューム感を仰いではみんなで楽しんだ。帰りは筑波山を見ながら、 田んぼに入り始めた水が光るのを目で追いながら、4人同時に「田植えが始まるねえ」と。  追記:4月6日、夫がプレゼントしてくれたiPadで撮った写真。    

 「まど・みちお」と「赤毛のアン」   (2014年3月30日)

   夜、暖房なしでも過ごせるようになった。零時過ぎ、ハーブ入り紅茶をベッド に運んで読書タイムを楽しんでいる。まど・みちおさんの詩集には栞をはさま ない。繰り返し読んでも新しいから。オドロキが繰り返しやってくる。「なに なに」と繰り返し読んでいる。機知とオチ。思索とおもいやり。やわらかなま なざしと美しい言葉。読むほどに、くくすくす・うるうるとなる。  「宿題」 <自分の手のひらで/ 自分の髪の毛を触っている/ 温かいようなかんじを/  いつまでも手の中に円るめている/ 分からない宿題/ 何処かのラジオが聞こえている>    「ことり」 <そらの/ しずく? / うたの つぼみ?/ 目でなら/ さわっても いい?>  「にじ」 <にじ/ にじ/ にじ/ ママ/ あの ちょうど したに/ すわって/ あかちゃんに/ おっぱい あげて>  『赤毛のアン』に惹かれたのは、姪が小学5年生の時に私にFAXで聞いてきた ことがきっかけだった。「あなたは、アンの物語の中で、アンのほかに誰が好 きですか? 私はマリラが好きです」。 姪は言葉遣いがきれいで質問の内容は、読まなくては答えられないことだった。 姪は、私がプレゼントしたハードカバーの物語をボロボロになるくらい読んで いたのだった。「私はマリラも好きですがマシュウも好きです」と答えた。 「私もマシュウも好きです。マリラはきびしくてとても正しいと思います。言 葉はきついけれど愛があります。マシュウはしずかにしていてアンを見ている なあと思います」 私は、たじたじになりながらポツポツ読み進んでいたが、長い長い休みに入った。 その間に姪は、最終章を読み終えていた。そして必ずプリンス・エドワード島に 行くのだと写真集などでいろいろ下見している。英会話もテレビ番組でレッスン してきたようだ。翻訳者の花子と他の訳者の文章を比較して「私は花子の訳で はここの部分が好きです。ここは○○の訳がいいなあと思います」と感想を伝え てくれたことも。たじたじはマックスに至って、こうして再読にとりかかってい るしだい。とにかく、村岡花子/訳を最終章まで、精読したい。  明日から朝ドラ「花子とアン」が始まる。

 春分の日   (2014年3月21日)

 横浜から今の住まいに越してきて良かったと思うことがしばしばあるが、居 間から沈む夕日を見れることを特に気に入っている。沈む場所と時間が日々変 わって行くことを面白がっている。そうやって眺めてきて30年以上になる。  数年前から愛用している旧暦型の手帳も面白い。 「太陽が真西に沈む春分は、自然をたたえ、生物をいつくしむ日。多くの行事 の始まりは自然との交感にある。現代のような娯楽がなかった時代、春の野遊 びや摘み草は最高のレクリエーションであった。自然と一体感を感じられる場 所、お金をかけずにくつろげる場所を見つけよう」。他にも二十四節気、七十 二候のことが、じーんと溶け込んでくる。  友人の「ありんこ」さんは、摘んだヨモギに樫の実粉を混ぜてパンケーキを こしらえたそうだ(詳しいことは「投稿」(3/20更新)の欄をご参照下さい)。 私も作ってみたいと思っている。  今日は、おはぎをこしらえた。いえいえ、とても簡単に。義姉のお土産の「 冷凍笹ダンゴ」を自然解凍した後、チン。正三角形のお餅を俵型に整形し、買 い置きの「きなこ」と「煮小豆」をまぶして出来あがり。お供えするとき、こ ころの声で「そういうわけで いただいたものとあるもので作りました」。 義父さんは餡パンがとても好物だったそうだからよかったと思う、ことに。    

 春一番の吹く中で ひとやすみ ひとやすみ。   (2014年3月18日)

 春一番が吹いている午後、坂の上の郵便局まで歩いて行った。向かい風を受 けて歩く私は髪を後ろで束ね、マスクにメガネに黒のセーターに黒のパンツに 黒い靴。手には紺の布袋。この坂、今、何が飛んできても自己責任なのだ。 郵便局に入ると、席に着いていた人が一瞬引いたように見えた。窓口の係りの 方が緊張気味に対応する・・・。マスクを外して席に着き、髪に手をやると、 クリップが毛の先のほうでブランブランしていた。髪は末広がりに広がって、 ギシュギシュゴワゴワ乾燥注意報大当たり。  寄り道しないで帰宅する予定だったが、あの公園のベンチで休みたくなった。 お弁当とお茶を買って、あのベンチを目指した。今日は強風のため私の指定席 となるはず。案の定、丘公園の特別な位置にあるベンチは空席だった。劇場なら、 2階席くらいの高さにあるベンチ。オペラグラスを取り出して開演を待つばかり の体勢になって、お弁当を膝の上に広げた。風が背中に体当たりしてきても平 気。お弁当を守りながらゆっくりいただいた。温かい「オーイ お茶」を飲む。 水平に目を向けると整然と区分けされた住宅と道路が見える。右下手は運動場。 小学生たちがサッカーをしている。10両編成の電車が通過する。桜、椎の木、 合歓の木の向こう側に走り去ってゆく。子どもたちは試合が終わると、キャッ チボールをし始めた。それも終わると自転車に乗り、散り散りに出て行った。 リーダー格の子が最後に出て行った。かれらにとっては、確かな過去の時間の ひとコマとなって消えない思い出になることだろう。  今日を振り返って、「春一番」と「春の宵」を詠んでみたい気分にある。  実は「よい」の漢字が出てこないのであった。 アレ? チョンチョンチョンってアンテナが立っていたなあ?  頭でチョンチョンチョンと唱えたら、オバケのQちゃんの歌が出てきた。 ♪頭のてっぺんに毛が3本♪毛が3本♪ 一気に「宵」の文字が書けたのであった。  さて、しばらくはパソコンから離れて、ノートにペンを。

 親切も過ぎれば・・・   (2014年3月15日)

 ある日のことでございました。空いている電車に乗り合わせたご婦人の少し あとに私は腰を下ろしました(こころの声は「ラッキー♪」)  三人掛けのシートの半分をご婦人は占めていました。私は出口側の隅っこに 体を傾けながら整えながらきっちり腰掛けました。私は太っています。ご婦人 は細身です。大きな荷物なら1個ほど置ける隙間ができたところで電車は動き 始めました。  しだいに車内が混んで来ました。三人掛けの隙間を怪訝な顔して見ている初 老のご婦人と目が合いました。私は「どうぞ」と声をかけて立ち上がりました。 「結構です!」 きっぱりと拒絶されました。 ・・・ ・・・。 近くに立っていらっしゃるご年配の方にも「どうぞ」と声をかけました。微笑 んで首を横に振り、きちんと身を立て直されました。私は、もう席をおすすめ することをやめて身を整えて掛け直しました。  それからでございます。二駅ほど通過しました。細身のご婦人と同年代とお ぼしき婦人が、隙間に狙いを定めて入ってきました。私はなにかタダナラヌイ アツカンを感じましたが、まだ立つには早いので座っていました。と、すると、 細身のご婦人が「どうぞ」と言って立ち上がったのでございます。これまで隙 間のことを感じなかったのかどうかはわかりませんが、隙間ごと、そのかたに 席を譲ろうとしたのでございます。  同年代同士にはなにか感じ合うアンテナがあるらしいことがわかりました。 譲られたご婦人は、狙った席の至近距離にあってようやく細身のご婦人が自分 と同年代であることに気づかれたようでした。 「いえいえ 結構です」「そうおっしゃらずにどうぞ」と 声も大きくなって きたのです。私は妊婦さんを探しました。ベビーカーも探しましたが辺りには 三人掛けにピッタリはまる人はいませんでした。困っているうちに、細身のご 婦人は降り、ご年配のご夫婦がお掛けになり、ほっとしました。 細身のご婦人に席を譲られたご婦人は、その車両から隣の車両へ移られました。 ゾッとした(火花パチパチ)光景でございました〜〜〜。 「譲る時は、優しくささやきましょう」「譲られたら感謝して掛けましょう」 「お断りするなら丁重にいたしましょう」  還暦を過ぎて二年目の春、ほとほと思ったのでございます。  

 思い出の「国立国会図書館」   (2014年3月12日)

      写真は、両親と妹を国会図書館に案内した帰りに撮ったもの。 入館する時に機械で入管手続きのカードを取り出すのだが、必要項目を入力する ところから楽しい体験学習の始まりとなった。 私たちは、案内をするなら、昼食はここの食堂ですることに決めていた。食堂の 入り口のガラスの陳列棚に並ぶメニューを見て、好みのものを選んでもらい、食 券販売機で食券を買った。父がなんとも腑に落ちない顔をしていたが、あれは父 のイメージとは違っていたからだろう。食堂はセルフ形式でお茶も食事も自分で 運ぶ。みんなで食べれば「なかなかええねえ」となるのだ。父も母も笑顔で会話 していた。義母の達子さんは、ちょっと先輩の面持ちで両親の会話に加わってい た。妹は両親の満足げな顔を見て安心したようだった。 食後の行動は決めていなかった。「どこから見る〜?」と聞いてみると、父は、 明治大正昭和初期辺りまでの新聞を読みたいと答えてくれた。自身でテーマを持 っていたようだった。母も妹も義母も特に希望するところがなかったので父の学 習の時間となった。熱心に読む父の背中を見ながら、私たちは”少々”あきれて しまった。ここで新聞のコピーをして記念に夫が土産にもたせてあげていた。  他の部屋にも移動したりして覗いて見た。私は末の妹から聞いていた『日曜日は 魔女日和』を申請した。児童図書は、上野にある「国立国会図書館国際子ども図 書館」(平成12年設立)で、この本が置いてあるなら読めることがわかった。両 親に検索結果を伝えると、児童図書専門の施設があることに驚いていた。実は私 自身も初めて知ったことだった。 それから後は、同館の喫茶店で話すこと数時間。それぞれが話したいことがあっ たのだった。   国会図書館を出れば、正面に国会議事堂だ。 国会議事堂を見ながら撮ったのだった。そして、もう一枚撮ろうと構えた時に、 警備員がすっ飛んできて夫のカメラのレンズを白い手袋で制止した。 「怪しいものではありません」の風貌の夫である、にしてもルールはルール。 おそらくカメラは長いレンズを付けることもあるので、砲弾を仕込んで悪いこと をする可能性もあるのであろう。立派にお守りいただいている警備員さんに出会 えたことも記念となった二枚の写真だ。 下の写真は、両親が我が家に泊まった翌日に「今井の桜」に案内した時のもの。 毎年桜の開花を夫が観察している定点観測点を背景に撮った。この日は、特に良 く晴れていてキクイモが素晴らしく美しかった。それから後、実家にキクイモの 種イモを送る約束も果たせた。母が植えて村の人たちから「きれいなもんじゃな あ〜」と愛でていただいたそうだ。  父は夫の靴を履き、母は私の靴を履き、桜の木の下を歩んだ。あれから5年にな ろうとしている。父84歳。母83歳。母は腰部脊柱管狭窄症になり歩くことが困難に なった。父は最新の補聴器のおかげで、会話のキャッチボールが改善されたようだ。 私たちと一緒に歩いた場所・共有した時間を折々に伝えて行きたいと思う。両親は 思い出しては笑い、その場所の今を思い描くことが出来ることだろう。  義母は今月92歳になる。ある時、正岡子規の『病床六尺』の本のタイトルのこと を聞いてきたので、少し話をしたことがあった。それからしばらくして「ママ、ど うかしら〜」と一句披露してくれた。何度も推敲していたようだ。その時間を思わ ずにはいられない。暖かくなったら外に出るのだ。

 SNUFKIN & LITTLE MY   (2014年3月9日)

   昨日買ったマグカップ。 スナフキンの辺りに漂うほんわかとしたムードに惹かれた。マイのいたずらっけな目 にも惹かれた。ウーロン茶なら二人分入る。コーヒーは薄く淹れて何杯も飲んでいる。  若い頃、私は横浜のある会社に勤めていた。そこでムーミンに出合った。彼はエン ジニアで東京生まれの東京育ち。地方出身の同期入社の青年たちより老けて見えた。 体型がムーミンパパにそっくりで、サスペンダーをしていた。会社のクリスマスイベ ントで彼がダンスをしているところを見た。ジャケットを脱いで踊りだすムーミンパ パはサスペンダーに蝶ネクタイ。ダンスシューズを履き、華麗に踊っていた。地方出 身の同期生たちはダンスが苦手らしくて飲んでいた。スマートなムーミンパパに誰も が驚いていたことは確かだった。その頃の私は、♪ダンシングオールナイツの「もん たよしのり」にそっくりな女子だった。ダンスは上手に踊れない食べる専門の女子だ った。あれから40年、ムーミンパパは元気でいるらしい。  フィンランドのある所のムーミン谷に住む妖精一家の物語はアニメでしか知らない が、テーマ音楽の心地良い流れの歌(歌詞)が特に好きだった。ゆったりとしたリズ ムは眠りを誘うかのよう。    今夜もこうしてカップを手にしていると、緩い時間がのったりと流れて行く。新聞 を読んだり、一昨日届いた雑誌『イキイキ』を見たり(読むまでは行かない)、なん とはなしに頁をめくる時のけだるい感がなんともいい。あ!テレビ欄を見てからは、 にわかに流れが変わった。「井上陽水 氷の世界」が始まっている。  横浜時代、陽水の「氷の世界」は、新しい感じがしたものだった。見ることにしよう。

 刺し子   (2014年2月26日)

   オリンピックも東京マラソンもたくさんの感動があった。テレビを見ない時間 もたくさんあった。日が永くなってきているのを背中に感じながら刺し子の手を 止めるのが午後4時半。刺し子は魔物のように私を夢中にさせる。  ちょっとだらしないぞ!  グルグルグルグル輪を描くことがなんと気持ちの良いこと。  写真は、「キッチン拭き」と「ポシェツト」。  孫が使用したオムツは、娘を育てていた頃のことまで思い出させてくれる。 グルグル刺して行けば、最終的には6枚のキッチン拭き」が仕上がる予定だ。  ポシェットは、友人からいただいたものでお気に入りのもの。白糸で邪魔にな らない程度で刺す手を止めた。もっともっととなると、元の姿は姿を消すことに なるからである。もう十分、そういった失敗をしてきた。  糸は刺し子用で100円^^。これほどコストパフォーマンスが高いものってある?。 今の私はそう言い切れる。布は家の中に山とあるのだから。

 早春賦   (2014年2月16日)

 義母の達子さんが歌う「早春賦」には、大正生まれならばこそのことばの響 きがある。二月に入り、春の気配が感じられたのも束の間、雨、風、雷、雪ま た雪の日が続いていたが今朝から良く晴れて、雪も大方解けている。遠くに丹 沢と富士が見える。午後には、いよいよくっきりすっきりと見えた。私も歌っ た。春待ちの時間が一層愛おしく思えて、一緒に歌った。  「早春賦」の舞台は、長野県安曇野だと達子さんが教えてくれた。達子さん のふるさとも長野だ。長野には家族でよく旅をしたものだ。安曇野もまたそう だった。美しい詞についてインターネットで詳しく見てみたくなった。 ============================  『新作唱歌第三集』大正2年に発表。  作詞 吉丸一昌(1973-1916) 作曲 中田章(1886-1931) ―――【解題】―――  この詩に歌われたのは、長野県安曇野の早春。この歌の歌碑が、JR穂高駅から 東に1.5km、穂高川右岸の堤の上にある。 ―――【解析】――― ○春 は|名のみ の|風の寒さや  春とは|名ばかりの|風の寒さよ! ○谷  の鶯| |  歌      は思へど  谷に住む鶯|も、春の歌を歌いたいとは思うが、 ○    時に |あら|ず|と    声も立て ず  まだその時では|  ない |と思って、声も立てない。 ○氷 解け去り 葦は|角(つの)ぐむ  氷は解け去り、葦は|芽をふくらませる。 ○さては     |  時|ぞと思ふ |あやにく  さては、いよいよ|その時|かと思うと、期待に反して、 ○今日も|きのふ|も|雪の空  今日も| 昨日 |も|雪の空が続く。 ○  |春 と聞か | ね  |ば 知ら|  で|あり|し| を  暦は|春だと聞いて|いなけれ|ば、知ら|ないで|い |た|のに、 ○  |聞け  ば|  |急(せ)か| るる |  胸の|    思ひ|を  春と|聞いたから|こそ|     | つい |             |待ち焦がれ|てしまう|この胸の|春を待つ思い|を ○    |いかに|せよ と| の    この頃               |か  いったい|どう |晴らせと|いう、今日この頃の季節の進みのじれったさだろう|か! 【語注】 春は名のみの 曲名の『早春賦』が示すように、暦の上ではすでに立春が過ぎ、人々の 心の中には春が到来している。それなのに、現実の春はなかなかやってこない。 角ぐむ 接尾語「ぐむ」は、内部にある力や物が外に現れようとする意。「涙ぐむ」な どの例と同じ。 今日も昨日も 普通なら「昨日も今日も」という所を、さりげなく倒置表現を用いて、 詩的な味わいを持たせた。 急かるる 「るる」は自発。 ===============================   思いがけず音読することになり、良い日となった。 さて、こんどの水、木曜あたりにまた雪になるとの予報だ。これもまた春か。

 雪の日はシュラフの日   (2014年2月8日)

「関東は雪に弱い」とは今朝の「天声人語」。今夜は吹雪いている。夫(そら まめ)は、シュラフ(寝袋)に半身を入れ、ミノムシのようにソファに掛けて テレビを観ている。「雪に弱い」のは交通機関だけではなく私である。先日の 雪の日のことがあって、4000m級の冬山でもOKなシュラフをこのまま使わずに いることが急に勿体無く思えたのだった。40年前に買ったシュラフを久しぶり 納戸から出した。夫のは真っ赤で私のは青。私はこの時代は「青の時代」(笑) でブルー系の服を好んで着ていた。夫は、とにかくサイズが合えば良いので色 には拘らない時代のまま続いている。いやいや、とんでもなく懐かしいシュラ フの感触に私たちはしばらく、その時代の話で盛り上がった。    雪の今日は、オリンピックの開催日ということもあってみんなでテレビを楽 しんだ。受験日と重なる受験生は気の毒だ。お勤めのある人たち、出かけなけ ればならない行事のある人たち。時間の廻り合わせで、なんとも気の毒だ。  さて、日曜日の都知事選はどんな結果になるのだろうか。  おやおや 夫はシュラフのまま寝ようとしている。外の吹雪の音を聞きながら 気分に浸ろうとしているのだろうか。

 二月は豆が笑っている   (2014年2月1日)

 今日は義姉が来てくれたので、夫(そらまめ)と一緒に買い物に出た。 二ヶ月ぶりのドライブコースに入ると、川は静かに春めいた光を放っていた。 夫は車にカメラを載せている。帰りに写真を撮ることにして車を走らせた。 農協でお米や果物を買う。大福に目が行く。何かの本で「大福は体に良い」と 書いてあった。うふふふ 義母は喜ぶに違いない。私も喜ぶ。夫と義姉は好物とまではいかないが買った。  次は、いつものショッピングセンターで灯油を入れ終えて、突き抜けて「ユ ニクロ」へ。私はユニクロが大分から出店してきたときからのファンだ。いつ の間にか夫もユニクロのパンツやTシャツを着るようになった。最近ウェスト ダウンしたから買い換えるならユニクロよー」と私はさらりと誘った。さらり と「そうだね」となって・・・うふふふ  「一緒に見ようか?」  「いいよー」  「それじゃー私もちょっとみてくるねー 携帯オンにしててね〜」うふふふ 一つ二つのつもりが四つ五つとなって、6点決まる。赤と青のウールのカーディ ガンはSのみ。私のサイズをもとから置いていなかった。今も残念引きずっている。  「こちら終わりました〜。あなたは?」「ああ、済んだよ」  「スソ上げは?」「ちょうどいい長さだったからしなくていいよ」  「どこにいるの?」「ここだよー」私の前に現れた。  私は会計の列に並び、夫は車の中へ。私は 売場に戻ってもう1点をカゴの中に。  うふふふ  会計の時、夫がひとりで選んだジーパンなんだなあと・・・  じ〜っと見ていたら、 「お裾はこのままでよろしいですか?」カウンター越しに私(背が低い)に聞くの で「はい。大丈夫です。1、2cmぐらいですから」と答えたら、 「??? あ、あ、はい。失礼致しました」美しい笑顔が返ってきた。  次は最終コースの食品買出し。夫がカートを持ち、私たちはポイポイ入れる。 義母のリクエストからポイポイ入れる。メモしてきているからポイポイ早い。 ポイポイが終わってからは、こんどはゆっくり全体を回るのである。頭に浮かぶ レシピを描いて見て回ると、またカゴの中が増えて行く。長く一緒に生活してい るうちに嗜好も思考も近付き合うのか? あらら カゴの中に豆菓子が増えていた。  二月の始まり。 ピンクの椿があちこちで見られた。

 割烹着   (2014年1月24日)

 白い木綿の割烹着。昭和の母親たちの勝負服だった。冠婚葬祭の裏方の制服 (婦人会)でもあった。白い割烹着を着た女たちはみな美人に見えた。手の動 きをより美しく見せていた。若い嫁たちは、割烹着の姑たちにあれこれ教わっ ていたのだと思う。やがて嫁たちは子の親になり、成長してゆく子供の体を触 る割烹着の袖口から出ている手がよく動いていた。子どもたちの気持ちが解か る手だったのである。ショウノウのニオイだったり、お化粧のニオイだったり、 髪の毛のニオイだったり、畑の土のニオイだったり、肥やしのニオイだったり、 薪のニオイだったり、涙のニオイだったりしたのである。手首には輪ゴムが3, 4本。ポッケにはちり紙(テッィシュとは呼ばなかった昭和30年代)が。 乾いて硬くなったちり紙が入っていた。 昨年末から義母の自宅療養が始まり、ゆっくりだが良い方向にきている。そ ろそろリズムに変化をもたせたいと思い「キッチンに立ってみましょうか」と 割烹着を持って誘った。割烹着を着る時は介助したが、水道の蛇口を開けて手 を洗い始めたときから動きが早くなり、表情がイキイキとしてきた。短い時間 だったがまな板の上でトントントン。蒸気が出るのをほっとした顔で見ていた。  食卓に戻り、「このまま割烹着のままで食事をしましょう」と言ったら、「 そうねえ」と明るく答えてくれた。いつもは介護用エプロンをつけて食事をし ているのだったが、この日以来、割烹着にしている。もちろん体調を看ながら だが、キッチンの私のそばに居ることは嬉しい事のようだ。味付けのことなど も相談している。食事をする時、料理を作った感が、長らく持続しているよう に見える。これまでは「何が食べたいですか〜?」だったが、「何にしましょ うか?」と三度の食事の前のやりとりになっている。    上、連結写真(前面と背面)は、2年前「友の会」主催のバザーで購入した もの。両脇下にゴムが入っているので腕を動かし易い。後ろはボタン留め2箇 所。袖丈着丈が長く身幅が狭い。昔のあの割烹着を洋式にしたデザインになっ ている。現代の女性の平均身長は160cmくらいかな?私にはポッケの位置が低い。  

 NHK「あさイチ」=ピカピカ☆日本= 西米良だぁ!   (2014年1月14日)

「ココハ ミヤザキケン ニシメラソン オガワサクゴヤムラ ニ キテイマス」。  レポーターの元気な発声に思わず「エッ!」  テレビの画面の右端に表示されている文字を確認。録画。デジカメで撮影。同郷の 友人に放送をメールで伝える。  ↓下記アドレスをクリック! http://www1.nhk.or.jp/asaichi/2014/01/14/02.html  明日の「あさイチ」は、「西米良温泉ゆた〜と」だそうだ。  明日もまた、数年前の家族旅行で西米良に宿泊したことを思い出すだろう。実家の両 親、妹、友人も一緒だった。マイクロバスで「ゆた〜と」まで送迎してもらったことも。   明日の「ピカピカ☆日本」 お見逃し無く♪    ↓下記アドレスをクリック! http://www1.nhk.or.jp/asaichi/2014/01/15/02.html

 松飾に想う   (2014年1月5日)

新聞に「小寒」の文字がふたつみっつ。そうかと気づかされる。そして、七日は 七草粥だなあ(今年は七草の粥セットを買うことにしよう)と七日のことを考える。 玄関の飾りもまだもう少しお正月だ。お花の向きを整えれば気持ちもシャッキリし てくる。  毎年のことだが我が家の松飾は、ごく簡素なものに一工夫加えている。玄関のド アに立つ客人や配達の方に「これ素適ですねえ」と言ってもらえると嬉しいのであ る。「これは和菓子の箱に付いていた紐でしょう。和紙の包み紙でしょう。この部 分は縮緬のハギレなんですよ〜」。 聞かれたら説明をしている。家族が(基本を 逸脱しない程度ならOK)まかせてくれていることはありがたいことだ。  一方、実家の正月用意は、先祖代々のやりかたで続いている。 私が幼かった頃の記憶を大きく占めているのは、曾祖母・母が、たくさんの数のお 供え餅・お飾り餅(鏡餅)、他に家族が食べる餅を搗く光景だ。吐く息が四方八方 から私の視界を白くさせたものだ。湯気の中を、割烹着と姉さん被りの手ぬぐいが 千手観音の如く動いていた。山間の寒さは「痛い」寒さだった。ツララに霜柱・・ ・ ・・・。曽祖父・父たちは、注連縄作り、紙垂(しで)作り、年木割り、裏白、 譲葉取り、榊取りなどしていたことを詳しく知ったのは最近のこと。年木は屋外で は12箇所になるそうだ。  新しい年が始まって5日目の今朝、ふと想った今と昔。記憶の中の正月用意と鏡 開きまでの思い出を大切にしたいなあと。女性たち(特に母)がやっていたことの 中で、ここ一番に思いが入る場面に行き会ったときには、”やってみよう”と。  注)年木とは、長さ約一尺二寸(約36cm)ほどの椎の割り木2本に、裏白と譲葉    一枝ずつつけて束ねたもの。

 今年もよろしく   (2014年1月1日)

   12年前の午年に娘がプレゼントしてくれた小物入れ。      マグカップがみっつ♪ 鳥が一羽♪ 馬がすっきりとして休んでいます。    今年は、パッカパッカ タッタタタタ コトコト ルルルン      ゆったりめのリズムでいろいろ眺めてみたいなあと思っています。        どうぞよろしくお付き合いくださいませ。                                    くろまめ