くろまめのをりをり1(2003年以前)


         毎日のようにベランダから富士を眺めています。よく晴れた日は
         丹沢が見えます。太陽が少しずつ移動してゆくのを見ていると
         今日の日を残しておきたくなります。




 2003年「銀鏡まつり」 (2003.12.19)  12月14日、今年も奥日向の銀鏡(しろみ)夜神楽を観た。  宮崎の神楽は地域ごとに特色があって、数えると2百、3百あるそうだ。「銀鏡神楽を見ずして 宮崎の神楽を語るなかれ」と言われるほど銀鏡の神楽は素晴らしいと幼い頃から聞いて育った。  銀鏡(米良)神楽のルーツは、14世紀に遡り、後醍醐天皇の第16王子・懐良親王が生前好ん だ舞いを奉納したのが始まり、とされている。舞いの中にはゆるやかな雅な舞いがいくつかあって 息を呑むほど美しい。14日の夕方から15日の午前中にかけ、夜を徹して33番を舞い納め16 日の「ししば祭」をもって奉納行事を終わる。(芥川仁 著『銀鏡の宇宙』より 抜粋)  始まりは「星の舞」。白い装束に身を包み、頭に紙の飾りをのせ、鈴を手にして、足さばきも軽 やかに優美に舞う。宇宙にあまねく存在する神々との交信の始まりを告げる儀式でもあるように見 える。笛、太鼓、鉦の音が闇の中をさ迷う。闇も動いて感じる。神屋の周りはたちまち人、人、の 頭が蠢いてやがて静かに観覧している。空を仰げば星屑が降るように美しい。  最後まで見るには厳しい寒さと睡魔との戦いに勝たなければならない。午前2時ごろになると摂 氏2度くらいになり、刺すような冷たさが体の髄の髄まで染み渡る。私は足の裏にホカロン、背中, お腹にホカロン、手の内にもホカロン、と全身の血を通わせるためにしっかり装着して観覧席に入 った。有料と無料の席がある。有料(お初穂)の座敷では折りのお弁当と焼酎の振る舞い酒に預け れる。焼酎はお清めといっていくらでもお替りが出来るから座はなかなか賑やかだ。  給仕は村の男性の中から選ばれているのだそうだ。女性は不浄という観念からきているらしい。 この座敷からは神楽がとてもよく見れる。廻り廊下の庇のところに半紙にお初穂の金額と氏名が 書かれてぶら下っている。このお初穂は銀鏡神楽保存協会に入り運営されていくのだだそうだ。 また神楽を舞う祝子(ほうり)さんたちはまったくといっていいくらい無報酬で祭りの前後期間は 舞いの練習をされているのだそうだ。中にはお勤めを休んで練習に参加している方もいるそうだ。  祝子をつとめる家は代々、世襲で、長男が10才くらいになると、古老の指導を受けるようにな る。また自ら希望して仲間に入ることを一代限りの「願祝子」とよび、現在、総勢約33人の男性 が神楽の準備から奉納、あとかたづけまでの一切を取り仕切るのだそうだ。この日の神屋には、小、 中学生が目立っていた。  素朴な中に品性の伺えるこの村の神楽は決して宣伝をしない。周りに媚びることなく昔を今に受 け継いで来ている。けれども現実は過疎化が進み、容赦なく外へ外へと目を向けなければ暮らしが 始まらないところへきていると感じた。  零時近くなって、式10番の宿神三宝荒神の舞が始まった。御神緬は県の重要文化財指定になっ ているそうだ。古くから御神神楽がすむまでは神楽囃子をするのは禁忌とされているそうだ。この 神楽がある間、参拝者はお賽銭を奉じて拝していた。私たち3姉妹はこの舞を見てからはとうとう 家に帰ることにした。車はすっかり霜におおわれていた。話すことはなくただ黙って闇の中をゆっ くり走らせた。この夜の星の耀きは一生忘れることはないだろう。  
 初霜の朝の食卓 (2003.12.9)  朝6時過ぎに、いつものように居間の遮光カーテンを一気に開けた。  ガラス窓は白く水滴がない!気温3℃。もしや?とベランダへ出てみた。視界に入ってきたものは 白色幽玄の世界だった。車の屋根も花屋の前の広い道路も、曲り角の木々も、カラスの帰って行く森 も、歯科医院の屋根も、図書館も、桜並木の通路も、新道も、その先の田んぼも、ずぅーーっとその 先の田んぼも、赤い橋のある所も白をかぶっている。  数日前には田んぼの上に水蒸気が湯気を立てて上がっていくのをみたがそれも素晴らしく美しかっ た。今朝の霜は舫っていない。ただまんじりと白いだけだ。動かない白い時間の中を、新道から車の ライトが出たり入ったりしている。このライトは白い世界に生きているテントウムシのような感じが した。いつもだと犬の散歩をしている光景が見えるのだが今朝は冷えていて見えるのは車、ライト。 車の音も聞こえない。無機質な時は容赦無く現実に引き戻す。  夫が「おはよう」と起きて来た。さあ!大変。外の景色に時間を奪われていたぶん早く挽回する。 ポットに水槽にトースターにスイッチオン。その間に柿を剥く。りんごを剥く。インスタントスープ の粉をカップに入れる。新聞を取りは最後になってしまった。夫は外の景色に感嘆して窓にへばって いる。お湯が沸き、きのこスープを掻き混ぜお飲み遊ばせと差し出す。お茶好きだけれどとにかく出 す。なんでもご機嫌なのはいい。トーストをちぎりながらたっぷりマイバターハーフを塗る夫は本日 もすごい食欲だ。元気な顔で「はい。いただきます!」「はい!ごちそうさまー」っていい返事をす る。 私もいただくのです。コーヒー。そして残ったフルーツにヨーグルトをかけてラズベリィーを 入れて「いただきまーーーす!」   鉄塔に朝日がかかり小さく強く反射していた今朝の美しい光景。私のこころも晴れ♪           初霜や鉄塔に日の集まれり    くろまめ
 「我孫子野外美術展」(2003.12.2)  三日ぶりの雨上がりの朝は抜けるように空が高い。絵手紙講師の大月茂子さんと二人で地元の「我孫子 市民の森」の中を観てまわった。  今年で6回目を迎えるこの美術展は「我孫子のいい所発見、もっと自然に親しもう」をモットーに国内 外のアーティストに参加していただいているのだそうだ。多くの人たちがボランティア参加していること も地域新聞で取り上げられている。ゆっくり森の中を見て回った。 作品「風の道」 クヌギ、コナラの森の中に入ると、高さ10メートル以上はあると思えるところから孟宗竹が川のよう にゆるい勾配を作って大きく流れている。その上を幅1メートルくらいの障子紙が白く流れている。なる ほど!実感できた。連日の雨だったがここはサラサラしている。落ち葉は乾き今日の続きの明日のような さわやかな場所だった。ここからは垂直線上に落日が見えるそうだ。  栗の木の下は栗の葉っぱの絨毯。折れ曲がらないで素直に枯れている。ふんわりと重なっている。重な りあったところは湿り気のない温かい空気を詰めている。私はそっと指をいれてみた。中から妖精が手を 引っ張るのでは!?と、はっとした。    夏、栗の花は黄白色の穂状の小花をつけ独特の臭気を放つのでかなり遠くにいても栗の木を感じるがこ の木もそうだったんだろうかと思うと、なにかしら哀れさを覚えた。この冬、冷たい冷気を思いきり吸っ て地力を貯えるのだろう。青々としていた栗の木の雄々しさよ。自然に眠れ。  竹やぶの竹をそのまま大きく曲げてアーチにしてある作品の中に誘われて歩む。竹の中の竹の世界に身 を置くと、竹のにおい、落ち葉のにおい、土のにおい、かすかにもれてくる光のにおい、ざわざわと竹の こすれる音のにおいを確かに感じることができた。茂子さんはその場に佇み目を閉じて耳をじっと傾けて いた。私は天上を仰いだ。青い空だ。  池や沼や川や田や畑や、ツル植物や、草花や、昆虫や動物や、人間が共生していることを実感できた。 地元に育ったというおじさまと途中からご一緒できたことも爽やかな鑑賞に繋がったのかもしれない。    (2008年追記:我孫子野外美術展は、「相島芸術文化村」が中心になって企画しています。)
 現場からのルポ 『絶対負けない!』(2003.11.18)  土曜日の午後、いたばし産業見本市へ出かけた。きっかけはカナダに住む友人からのメールだった。 「大東文化大学の中村ゼミに姪がいるの。夏休みも返上して頑張ったらしいから私に代わって見て来て欲しい」と。 東板橋体育館には出展企業・団体合わせて60余りの伝統工芸からナノテクノロジーまで”ものづくり”の骨格たる ものが展示されていた。モノづくりなくしては発展も再生もないという強い信念を持って、行政と一体となって活性 化を図っているということが主婦の私にもびしびし伝わってきた。展示品の工具や器具を触ったり押したりひっぱた りして遊ばせていただいた。容易に出来ることがどれだけの時間を要してこのアイディアを産み出したかふと知りた くなった。  中村ゼミのコーナーでは、起業アイディアコンテストの(区と大東文化大学の共同研究の一環として実施)表彰式 が始まっており、報道陣のフラッシュが焚かれていた。受賞者の学生たちのプレゼンテーションは熱く長い。巻きが 入っても終わらない。会場は優しい笑いに包まれていい感じ。まさに若い起業家の誕生を見たような気がした。「今 時の学生は・・・」と閉口したくなる日常の中、出合ったゼミ生たちは大変に礼儀正しかった。    ゼミの研究テーマ「板橋モノづくり」は、地元の”ものづくり”産業の徹底した実地調査から始まりそれは2ヶ月も かかったと聞いた。飽食時代に育った彼らには温故知新はにわかに理解しがたい大きな壁になったのではないだろうか。 モノづくりに拘わるさまざまな人たちに一問一答の形式でインタビューを行い収録したそうだ。現場からの生の声は問 題点と課題を並行に抽出できたのではないだろうか。見えてきたものの解決の一助になれたらという彼らの思いは現場 の職人さんたちちの技・知恵・魂・心意気を伝えるとともに我ら10人の提言として1冊の本にまとめることになった。 この秋店頭に並ぶ。  彼らを指導された中村教授は10数年前から、一貫して市井の人の政治力学を研究、実践されている。地域に根付く文 化経済が絶えぬよう、今の今も再生に向けて努力を重ねられている。今回、研究テーマの延長線上に生まれた本によっ て終結したのではないことをゼミ生はよく知っている。     『絶対負けない!』  監修:中村昭雄  執筆者:大東文化大学第6期生10人
http://www.daito.ac.jp/~nakamura/

 続・素敵なひと (2003.9.23)  それから数日後、私たちは地元の喫茶店でお茶をした。イヤリングはちっちゃな金のデェディベア。喫茶 店のマスターは交通事故で車椅子になられたことを話してくださった。マスターも交えてお話をした。 ’91年に長女の方が突然死されたこと・・・。 哀しみにくれた日々は絵てがみなどとても描けず、皆さんからいただくばかりだったそうだ。生花もいっぱ いだったけれど皆さんからの温かい励ましのお言葉を添えた巻紙のお花も心を慰めてくれたそうだ。  ご長女の方は高校からアメリカに留学し大学卒業までいらしたそうだ。当時は国際電話料金がとても高か ったので手紙のやりとりを頻繁にされていたのだそうだ。季節のお花、果物、昆虫、置き物などを描いて、 家族の暮らしのようすを絵手紙に託して送られたのだそうだ。つい忙しさに紛れて途絶えたりすると「絵手 紙がほしいよー」と催促の便りが届いてそれがまた嬉しかったのだそうだ。絵の不得手な娘さんは、手紙や 外国の絵ハガキで便りをくれたそうだ。  夏休みで帰国していたある日、郵便局で「暮らしの絵てがみ365日」と題して、絵手紙のお仲間の方た ちと交わした分も合わせて501枚の絵手紙展示会をされた時には、ハガキ貼りやお仲間やお友達の方の送 迎をしたり楽しく手伝ってくれたのだそうだ。忘れられない言葉は『こんな素晴らしい展示をできるお母さ んを誇りに思う』と・・・。次女の方も三女の方も海外へ留学されたそうだ。  明るく過ごされているとの便りが先日届いた。エノコロ草を描いたブックカバーと同じ絵柄の栞が同封さ れていた。紅葉の頃にまた再会を約して。  (2008年追記:素敵な人は当サイト「しげこさんの絵手紙」の大月茂子さんです。)        
 素敵なひと (2003.9.23)  そのひととの出合いは偶然な会話からだった。 2000年の秋、地元の野外美術展が開かれていた。平日の民家ギャラィー(井上邸・相島芸術村)に再訪した ら人が少なくてゆったりとした雰囲気の中で当主の説明を聞くことが出来た。  家具や間取りを懐かしんで見ているその人の表情はとても涼しげで目立っていた。時折質問をする手元に はポストカード式のスケッチブックがパタパタ揺れていた。彩い色調のスケッチが見え隠れする。素晴らし く上手い!私は、’97年に「小池邦夫絵手紙展」を観て以来、無手勝流に描き遊んでいた頃だったので、た めらうことなく「絵手紙ですか?」と尋ねた。その人はびっくりしていたがそれでもパラパラと見せてくれ た。場所や日付も入っていたのでもっと見たかったが初対面だったので遠慮した。    母屋で貝合せの遊びに参加したあと、互いに名乗り合った。わたしたちはハマグリの殻を何組か購入した。 その人は「絵手紙五人展(還暦前)」の出品を控えていたこともあって、ハマグリに絵を描いて作品として 展示してみたいと言っていた。50才を過ぎたくらいにしか見えなかったので驚いた。実に若くてきびきび していらっしゃる。  数日後、「五人展」の案内状が届き都内に出かけて行った。洗練された純和風の会場にセンス良く絵手紙 の作品が配列されていた。カレンダーや掛け軸の洗練された美意識に思わず声が出てしまった。巻紙の絵手 紙には自作の俳句も書いてある。ハマグリにはお内裏様とお雛様の絵が描かれている。他にも趣向を凝らし た対のものが並べられている。ひょうたんや布などに描かれた絵はおおらかで実に気持ちが良い。絵と散文 詩の絶妙なハーモニーに、一緒に行った友人は驚嘆して見ている。    その人は、小池邦夫氏の絵手紙教室の第一期生であることが分かった。そして今は講師をしていることも 分かった。黒いタートルのセーターにロングスカート、ベリーショートヘアーにパールのネックレス、完璧 な美的センスに魅せられた。・・・・・・つづく
おがわともこ著 絵本『天使は神様になって天に帰ったよ』(2003.9.3)  この9月、友人のおがわともこさんが絵本を上梓した。主人公は彼(愛犬スピン)享年15才。 「僕はケーキの箱に入ってお母さん(筆者)の家へ来たんだよ。ここの女の子が「お母さん、弟がほしいよ。 生んでちょうだい!」ってお願いしたのでお母さんがプレゼントしたんだってさ。ここのおうちのみんなが 僕を競争して可愛がってくれたんだ。楽しいこともこわかったこともいっぱいあったよ。でも僕はしんじゃ った・・・みんなが毎日泣くのでお空から観ていてもはらはらしたよ。僕はいつだってみんなを見ているの に、みんなは気付いてくれないんだ。でも最近はお母さんが僕を見てるのが分かるよ。みんなみんなも観て くれるよ・・・」  『天使は神様になって天に帰ったよ』 文、絵:おがわともこ  発行:新風舎  彼女はスピンの死を受け入れるのにとても長い時間がかかったそうだ。哀しみにくれ、やる気の起きない まま、ただ日常が過ぎていったあの頃、なにげなくつけたテレビではペットロス症候群の番組をやっていた。 自分と同じ悲しい顔がそこに見えてどうしようもなくなって哀しみの深さをたどっていくうちに、「このま まではスピンが浮ばれない!スピンは宇宙のどこかでみんなを守ってくれているんだ」という思いが急速に 強くわいてきたのだそうだ。    絵本を書くきっかけは、いくつかの偶然の重なりがあったからだと語ってくれた。・・・その中には、テ ロや、さまざまな災害や事件なども大きく気持ちを動かしたと言っていた。ある一冊の本は、ひとつの命と 一つ一つそれぞれの命の大切さを教えてくれたとも言っていた。偶然とかいうよりも、友人のこころの反映 がこの絵本を書こうと決意させたのだろうと私は話を聞きながらそう思った。 「書くことでスピンはこころに戻ってきたり、また離れたりと何往復も何往復もしてくれたから淋しくなく なってきたよ。いつでも家中がスピンのいたころに戻れるから、スピンにありがとうといいたいわ」と小さ い笑顔を見せてくれた。     絵本の帯に次の言葉が綴られている。  命を消す力、手にした者は不幸者です。  命を守る力、手にした者は幸せ者です。  犬も鳥も樹も花も魚も虫も・・・不幸にもそれらの命を自由にする力を手にしてしまった人間も、おなじ  母なる地球に抱かれる大切な子供たちなのです。
『ギャラリー&カフェ 山猫軒』(2003.8.25)      くろがねの秋の風鈴鳴りにけり  飯田蛇笏  久し振りに訪れた民家ギャラィーの縁側には南部鉄の風鈴がかかっていた。 入口の大きな花器には山栗、すすき、自生の花々がおもいっきり活けられていた。 長雨の影響で土間の土は湿り気をおびて黒く光っていた。いきなり奥に入るのは惜しい気がして庭に出た。 縁側の前に、大きなテーブルがふたつ。日除けの傘も大きく広げられていた。わたしたちはゆったり緑の懐 に身を沈めた。  足元には水引草が傾げいている。ああ!ここのあたりには山椒があったなぁ?と過ぎた季節のことが感じ られた。ここは庭の雑草も背戸の雑草もすべてなすがままにされている。手入れを怠っているのではない。 オーナーの徹底した自然主義がそうさせている。だからリピーターにはこれからやって来る季節の風景さえ も一緒に体感出できるのである。    8月の木々には蜘蛛の糸がからまり日の光りに耀いていた。小さな生命体のうごめきも目に優しい。こん もりと繁った草の向こうは道ひとつ隔てて川が流れている。水流が増しているので今日のせせらぎは元気な 音がする。蝉たちも短い生涯を急いて鳴き止まない。ゆっくり眼を閉じてこの音の中に身を沈めた。  オーナー(南 達雄)のオリジナルピッザァ、エビスビール、厳選したコーヒー豆のブレンドが運ばれて きた。天然酵母の生地は噛締めるほどにうまみが出てきてたまらない。材料のほとんどが自家製なのでいろ いろと尋ねてみる。さりげなく丁寧に教えてくださるので耳は暇が無い。  縁側には今月の企画展示品が置いてある。木で出来ている”人物”がそこに居た。    平たい木を重ねて組んで骨格が出来ている少年はハーモニカを手に座っていた。目は西空を見上げていた。 縁側から座敷に上がると、おかっぱ姿の少女が着物を着て足を投げ出し、床の間を向いて座っていた。  姉さかぶりをしたお母さんが子供をおんぶして座っている。針仕事をしている。どうやら少女の足袋を繕 っているようだ。針の先を見ている目は慈愛の目だ。寸暇も惜しまず働く母親は時間と闘っている。昔は確 かにそうだった。私は時間を止めて座敷の中の陳列してある様々な作品、その作者たち17人の顔写真を眺 めた。(どの顔もいい顔だ) 「山猫軒」のオーナー夫妻と密接に拘わっている素敵な友人達のお顔もあっ た。   オーナーの妻(南 千代さん)の本が遠慮がちに置かれていた。  『夢みるエゴイストたち』 著者:南千代  発行:邑心文庫  今年の6月、千代さんは『夢みるエゴイストたち』・今を生きる17人の肖像を上梓した。    ここ山猫軒を訪れた作家たちをひとりひとり丹念に取材している。使命感に燃えたしっかりとした文章だ。 様々な事情の中で生きている私たちは自身の中のエゴイステックな感情に気付かされる。(私はそうだった) それはやがて、これでいいんだ!そう、いいのよ!、と肯定に変わった。 人生が素晴らしく感じられる本だと思った。  9月、また行ってみたい。 あのハーモニカの少年は茜空を眺めていることだろう。 (2008年追記:「ギャラリー&カフェ山猫軒」は2006年新装オープンしました。         埼玉県入間郡越生町龍ケ谷137−5 TEL 049-292-3981)
 お盆・・・ふるさと銀鏡 (2003.8.17)    盂蘭盆に入ると故郷を思い出す。  200年以上前の墓石がいっぱいあった場所には草花が植えられている。かれこれ20年くらい前か らそれらのお墓は一基の「先祖代々の墓」となって家の裏の敷地に建て替えられた。その場所は4代前 からの先祖様たちのお墓のあった場所だ。ここは昔、椎茸を乾燥させる作業小屋に行く途中の一角にあ った。兄とけんかして泣きながら追いかけた道。父、母に用事ができて呼びに走った道。手伝いが嫌で 嫌で仕方なく歩いた道。幾度も往復したこの道だったが、必ずお墓に向かってペコリと頭を下げていた。    お墓はご先祖様が毎日佇んでいるところだと思っていたのでちっとも怖くなかった。ここでは土葬の しきたりだったのでしばらくは寝ていてもその内立つんだと信じていた。現在は火葬になっているので しゃがんでいるような感じがする。    嫁いだ先の墓地に立っても感じないのはやはり故人を知らないからだと思う。生まれ育ったところは、 曽祖父母が健在だったこともあって、家にまつわる昔の話をよく聞かされた。山、川、谷、土、空、雲、 水、月、星、これらの総てに挨拶をしている自分が居る。    すごく単純な感情は単純な会話を運んでくれる。父母が居てふるさとがあり、方言があって村があり、 村があって墓があり、墓があって人は帰る。故郷は近くてありがたい場所だ。  
 幼馴染の三羽烏 (2003.6.22)  先日、幼馴染のつよみちゃんと三千代ちゃんの3人で都心から一番近い所にある厚木飯山温泉の 『元湯旅館』に1泊した。雨の日の待ち合わせとなったが「やせたね」「ふとったね」と迎えのバ スの中の軽い悪口は気持ちがはずんで来て愉快だ。宿に着くと、トトロ並みの大きなたぬきが出迎 えてくれた。  中庭に池があって緋鯉真鯉が悠々と泳いでいた。池の小島は手入れは時々かな?自然主義?その 中で紫陽花の花が雨の雫を受けて色っぽく咲いていた。いたるところにたぬきの置き物が置いてあ った。この狸さんのことをお尋ねしなかったことが残念でならない。  通された部屋は造りのしっかりとした純和室。掛け軸と野の草花の花器がすごく合っていた。そ して鳥の声と川のせせらぎが聞こえてくる。5月に畳替えをしたばかりかのような新しいイグサの 匂いもしてきて文句なしの100点。ウェルカムグリーンティをいただいたあとは、花柄の浴衣選 び。いかに”いい女”に仕上げるか楽しんでつよみちゃんから着付の講習会。記念撮影は籐椅子に 浅く腰掛けて、足元には豚の蚊取り器を置いてみた。団扇があればなおいいけれど置いてなかった。 私たちには浴衣がとても似合った。    夕食に特産物の”たにし”が出た。初めてだったので怖ごわ口に入れた。少し苦味を残して一気 に飲みこんだ。めずらしさだけが印象に残った。食後は話す。話す。話す。零時が廻る頃に温泉に 浸かった。ほどよい湯加減にほどよい瀬音が心地良く沁み入ってきた。  翌朝は晴天。朝のテーブルにつくと、川をはさんで紫陽花の花がこぼれるようにして揺れていた。 朝もやの晴れていく光景は故郷の村にとても似ていた。贅沢な時間だ。鮎の酢干し焼きをいただい た。私とつよみちゃんはご飯をお代わりした。1泊の時間は長いようで短く濃く熱い時間だった。    私たちは田舎の言葉を思い出しながら語ろうとしたが、なかなか思い出せなかった。正しい方言 かどうかもわからないまま語り笑った。三人三様の都会の暮らしは方言を忘れるほど長い歳月が経 っている。それでも”ちゃん”付けで呼び合えば、すぐに山川で遊んだ頃に戻れた。わたしは昔の 情景が幻燈器で映し出されていくのを、ぼんやりと観客席で見ているような不思議な心地がした。 たぬきの宿さんありがとう。 (2008年追記:三千代ちゃんは2004年5月20日に永眠しました。享年51歳)
 風の抜ける縁側 (2003.6.14)  友人夫妻に誘われて、4人で「常陸・風土記の丘」へ行った。数万本のスカシユリは傾斜した地形 をオレンジ色に染めていた。あやめの群生は真っ盛り。  ゆっくりと花々を観ながら石の門(「時の門」を通過した。そこには復元された竪穴式住居や、常 陸国の直営工房などが合わせて十数件も建っていた。建物の中に入ると暗くてヒンヤリとしている。 藁と土の湿ったカビのようなにおいがした。古代の人々の暮らしぶりを思うと、外の明りはさぞかし 宝物だったろうと思わずにいられなかった。   江戸時代の会津民家を移築復元したという”名主の家”は会津の女たちの家事がやり易いように作 られていた。”台所の文化は女が作る”のではないか知らんなどど思った。4人は揃って縁側に腰掛 けて休憩した。友人の指し出すウーロン茶をガブリと飲み、ポッキーーをカリカリ噛む。庭の木に小 鳥がやってきてはさえずり耳を楽しませてくれる。足をぶらぶらさせると遠い子供の頃にもどる。嬉 しい懐かしい気持ちを風がすっとさらって行った。   帰路、筑波山をドライブした。見透しの良い坂道を越えるとそこは遠く青い景色だった。     友人は家に着くとすぐに買ったオレンジの薔薇をクリスタルの花器にたっぷり投げ活けた。ぶどう 棚の見える出窓にそれは見事にマッチして美しい。白いレースのカーテンがかすかに揺れる。縁側に 腰掛けてから数時間後・・・今,こうしてシステムキッチンを背にして憩う4人に新しい風が吹いて いるように感じられた。
 谷津の自然観察会 (2003.6.7)  午前9時半現地駅集合。25名の参加者だった。 我孫子市の広報誌に応募し、岡発戸・戸部の谷津に行った。ゴルフ場ひとつぶんの面積のあるこの 谷津に入ると、すぐにホウジロの鳴き声がしてきた。  自然観察指導員の方は「『一筆啓上仕り候よりもサッポロラーメンミソラーメン』と教えたほう が子供達は喜こんで鳥の名前を覚えます」と得意げに教えてくださった。    イネ科の植物の中にはイヌ、ネズミ、カラス、カモといった名前があると聞いてみんなが笑った。 ヒルガオとコヒルガオの葉の形の違いから発展して、ハルジオンとヒメヒジヨンの見分け方を実際 に手で触って見て知ることが出来た。 「ハルジオンは茎が空洞なので柔かい。ヒメジヨンは硬い。ここにはハルジヨンがまだ咲いていた ので、みんな茎をつまんで違いを試していた。その様子はとても可愛らしくて○○ちゃんって呼び たくなるほどだった。私はルーペでなんでもかんでも見た。毛虫も蝸牛も見た。中にはスケッチを している人もいた。「帰宅してから水彩で色付けをするのが楽しみなんです」とおっしゃった。   「ヤブジラミの語源は虱から。」 「ハキダメギクの語源はゴミ捨て場などに咲いているから。」 「タンポポは子孫を繁栄させるために、咲いた後は寝転ぶ。綿毛になる頃は、3倍くらいの身の丈 になって遠くまで飛んで行く。」この話にはみんな感動していた。 「栗の黄色い花はおしべさん。めしべは実になって愛されます。おしべは咲いて落ちます。」参加 者の男性6名は静かに聞いていた。 (ウーーーム。私は葉の陰に隠れて小さい実になって食べられないように落ちていきたいなあ)  午前11時半解散。万歩計のカウントは牛歩なみだった。素のままの山野草、木々、虫、鳥など と出合えていい日だった。今年はあと4回観察会があるそうだ。9月「クモの観察会」。 ならば行かねば!♪
 気まぐれな私 (2003.5.31)                                                       なにをやっても飽きてくるこの性格は困ったものである。 ♪愉しそう・面白そうがキーワ^−^ドだから楽しく遊ぶ。やがてつまらなくなる。最近もあるこ とをやめた。そしてまたひとつやめる予定だ。    本を読む。疲れてくると後ろから読み始める。すると面白くなってきてしばらくは読める。求め て買った本でさえもこの始末だ。かといって以後興味を示さないわけではない。在る日突如、読み たくなり始めたりするので書棚は仮置き状態である。  私の脳はサークルになっているからエンドレスである。思い付きでやり始めて思い付きで終了す る。やがてまた思い付く・・・。  小物もある時はエレガントに揃え、カジュアルに揃え、混合し、また区分する。毎日のようにい ろいろなものに”さよなら〜・こんにちは〜」の挨拶をしている。そのたびに新鮮な気持ちが蘇っ てくるから楽しい。  これって成熟をセーブしているのかなぁ?  老化したくないという「あがき」かなぁ?   きまぐれな性格が興味の対象を敏感に受け止めているのかもと今夜もふっと・・・。  蛙がしきりに鳴いている。うまく餌の確保ができていればいいが。
 皇紀2663年の筍 (2003.5.10)  5月6日、晴れた日の夕方、いつもの散歩コースをしゃんしゃん歩きました。帰路、神社の階段を 下りないで静かな校庭の中を通り抜けたくなりました。小学校の正門からなだらかな坂を下りきると、 神社の階段の登り口辺りに枝払いしたあとの小枝がこんもり積んでありました。そのさまは田舎の母 の仕事にとても似ていたので懐かしい思いで見ていました。ら、!筍の頭がニョッキリ出ています。  近づくと他にも2,3本みーっけ! 手で抜こうとするとどうも抵抗が甘いのでやめました。少し 離れたところにある筍は抵抗あり。失敬しました。(謹んでいただきましたが)  参道を過ぎてすぐに「ああ!泥棒だぁ・・・」って後悔し始めました。幼い頃に隣のみっちゃんの 庭で拾ったグリコのおまけを持ち帰った思い出が蘇ってきました。神様お許しを!・・・。しばらく 行くと女の人が草を刈っていました。神社の方かもと思って声をかけましたらそうでした。筍拝借を 侘びて帰ろうとすると、「いい筍がありますから持って行きなさい」と親切に案内してくださいまし た。  53段の階段の中央辺りで、「どうぞ」と指差したその向こうにはみごとな筍がスックと伸びてど っしり鎮座ましましてあらしゃれました。私は膝をついて両の手でゆっくり押して戻して回しました。 手強い相手でした。全長50cm。  このまま食したいと思いましたが、家人はエグミに弱いので、すぐに茹でました。茹でる時に使っ 。た唐辛子は自家製です。これもうれしい組み合わせです。  夕食は筍ご飯、筍と若布の酢味噌和え。賜った筍は柔かくて甘くて、ちよっぴり懐かしい味がしま した。あれから4日目です。今日の散歩はご参拝します。掻く寸前のあの感触はまだまだこの手に残 っています。
 いまどきの八十歳 (2003.5.4)  我が家の大正乙女はなかなか面白い発想の持ち主です。それは先日のことでした。特別に晴れた朝、 定刻に彼女のお布団干しが始まりました。  おやおや・・・いつもとは違ってベランダから外を覗っています。聞けば、ここ2,3日の間、顔を 出すと決まってピピピーって爽やかな口笛の音がするのだそうです。「誰か犬とお散歩かな」って身を 乗り出して外を見回したら犬不在。人間不在??。 それからは外に出るたびにピピピーって鳴るので、 「誰かが冷やかしているのかしら?」とむずがゆい気持ちになってきて時間を変えて出るようにしたの だそうです。更に朝、夕の着替えの時は必ずカーテンをひいて、乙女のように神経を遣っていたのだそ うです。ここまで聞けば「可愛い!誤解♪」って思いましたが、まだ宣言するには早いかな?ってなっ て、鬼?嫁の私はその”音”を検証しました。    口笛ではなくて、なにか電気的な音に聞えましたが、未だ結論は早い早い! じっくり共に愉しむ心 地♪ なにしろ乙女は口笛の主に冷やかされていると思っていますから。うふふふふ。休日に家人(乙 女の息子。私の夫)にも聞いてもらいました。ジャーーーーン  夫には車関係の電子音に聴こえるというのです。そして乙女に説明したのですが話を聞いてもなかな か納得しないのです。(あれ?不安じゃなかったのかなぁ??)  昔の八十歳は老化に身を任せて自然主義の人生を全うしてるかに見えましたが、今時のご婦人はなか なかのものです。恥じらいを忘れていません。これこそ若さの秘訣のようであります。かくして嫁の私 は口紅をつけて洗濯物を干すようになりました。
 友へ・・・銀鏡のことなど  (2001.12.19)  銀鏡は思った以上に過疎の一途でありました。イノシシと鴨が奉納されていました。舞手は極端に 減り、しかも高齢化していました。父は一生懸命舞いました。感動して涙が出ました。村人たちはこ の神楽を守ろうと必死です。伝統を継承して保存していこうと孫達に舞や行事をしこんでいるようで す。  素朴な銀鏡の舞は、高千穂神楽に比べて、”観光化されていないところに魅力を感じる”と言って 学者さんたちが応援してくださっているそうです。報道関係者の数は年々増えているそうですよ。  舞台のむしろの周りは、報道関係者がぐるりと囲んでいて、小さな私はその隙間から顔を覗かせて 見ていました。ちょっと観客席については工夫をしてほしいと思いました。    午前3時頃になるとしんしんと寒さは身にこたえましたが焚き火を囲んで暖をとりました。道路で 鹿を見ました。母は、鹿がキーーンと鳴くのを聞くたびに「あーナカンケりゃーエエノニナーコロサ ルルガァ」と嘆いていました。これまでメス鹿を保護し過ぎて増えたため、食料不足で畑や木の芽を 食べて荒らすので狩猟解禁になったのだそうです。  銀鏡は人間がやさしいとそのぶん悲しみが大きくなる所です。文化がないから神経がそういったと ころに向くようです。
2001年「銀鏡まつり」  2001年12月14日の銀鏡の夜神楽を観た。前日、村に入る。 車の前に突然現われた鹿は慌ててガードレールをくぐって逃げて行った。保護をして来たことで増え 過ぎた鹿は今ではメスでも狩猟の対象になっているのだそうだ。    祭を目前にして村に葬式があったため、舞手の三分の一の人が参加できなくなり、急ごしらえの式 三十三番となったが、日頃の練習の成果もあって格調高い神楽であった。夕方4時ぐらいに村の道を 太鼓と笛の行列が進む。音が聞こえてくると、家々から人が出てきて手を併せ神々を迎える。山の中 腹の神社の境内に造られた舞台には、むしろが敷かれ、タイマツが燃える。宇宙を表わすと言う、天 蓋(てんがい)が荒縄で空中に固定されている。台の上には奉納されたイノシシの首が並ぶ。白装束 の舞手はゆっくりとしたペースで(15時間程)三十三番の舞いを終える。夜12時を過ぎる頃にな るとさすがに寒くなり、観客は焚き火で暖をとる。 ご寄付(お初穂)をした人々は座敷に上がり織弁当と焼酎を飲みながら舞いを見る事が出来る。座 敷で長居する人には、「座奉行」とよばれる人が「退去勧告」をし、言うことを聞かない者には詰所 にいる消防や警察が実力で排除するという。  観客は久々に会った者同士近況の情報交換をしたり、お年寄り達は昔の賑やかな祭を懐かしむ。興 がのってくるとお年寄り達は舞台のソデで即興のはやし歌を歌ったり踊ったりして祭を盛り上げる。 明け方になってくると寒さはますます厳しくなり、俄か焚き火奉行が薪の組み合わせの講釈をたれる。    よその神楽は観光化が進んでいるらしいが、「銀鏡神楽」は素朴で伝統を守ることに固執した神楽 に思えた。明け方に見る舞手達の表情は睡眠不足にもかかわらず一仕事を成し遂げた幸福感にあふれ たものであった。 (以下、2008年追記) 「銀鏡神楽」は、昭和52年5月17日に国定文化財の指定を受けました。所在地は、宮崎県西都市 銀鏡 (旧東米良村)です。銀鏡地区は、九州山脈に連なる竜房山を背後にひかえた山村です。 大祭は毎年12月12日〜16日です。33番のお神楽は、13日に1番、14日の夜〜15日の朝 にかけて徹夜で舞通します。式32番ししとぎりと式33番神送りは、本殿祭終了後に行われます。
 信号機の歌   私が村の小学5年生の頃、鹿児島に修学旅行に行くことになった。村にバスが開通して2年後のこ とである。村には信号機がない。横断歩道は不要なのである。    しかし、知らないことが問題になる日がやってきた。修学旅行の計画が立ってからというもの先生 達はふた手に分かれて、赤青黄のセロファン紙を使ってスライド式に手にもっと高く上げて表示した。 生徒はそれを見て横断する、その練習は1週間ほど続いた(と思う)。  この頃、世の中は自家用車が増え、学童児の交通事故が増え、文部省は全国の小学校にに「信号機 の歌」のレコードを配給していた。  昼食時、登下校時はこのレコードから流れてくる歌を聴いた。「♪♪ わたろう わたろう なに みてわたろう 信号みてわたろう 赤、青、黄色、 青になったらわたろう 赤ではいけない 黄色 はまだだよーー♪♪」  私には歌詞の意味が分からなかった。分からないまま平気だった(だと思う)。行進曲として認識 していたのだった。それが修学旅行前の「横断歩道の渡り方学習」という先生方の一大プロジェクト にはまって練習したのであった。飲み込むのが大変遅かった(に違いない)。  「あっ、これが信号機なんだー」と頭に光がさしたことは確かだった。鹿児島の市内で買い物をし た日、本物の横断歩道の前で本物の信号機を見上げた時のなんとも晴れがましい、大人びた感情は今 もしっかりと覚えている。次のプロジェクトの「乗り方学習」であった”エスカレータ”、”エレベ ータ”なんぞよりも取得できた喜びがあった。  (2008年追記:宮崎県西都市立銀上小学校です)
 自転車探訪記-2  小春日和の中を今日も私は走った。自宅から歩いて10分くらいのところにある美容室へは自転車 だとすぐに着くので、いつものコースから離れ、3つの公園を一周してから向かった。  おや? どの公園も市の清掃車が入って手入れの最中だった。作業している方は、みなさん全員が 中高年の男性だった。やけに軍手が真新しいので手の動きが周りの景色に映えて美しかった。「こん にちはーお疲れさまー」って声をかけたら「こんにちはー」と返事が返ってきて嬉しい気分になった。 美容室では1cmカットの予定のところを3cmカットしてさっぱりした。帰路、もっともっと遠回 りをした。  おや? 普通のお家の玄関先にしゃれた案内板が出ている! 立ち止まり読んでみる。ええっ!そ こはカフェ&ギャラリーだった。玄関先で南部鉄の鈴を鳴らすと奥から妙齢のご婦人が「いらっしゃ ーい」とのれんを押しのけて顔を出した。通された部屋は20畳ほどのスペースがあって地元のサー クルの仲間たちの手工芸品や書や絵画等がセンス良くディスプレイされていた。  まあ!企画展も予定されている。商品には安心して買える値段がついていた。女主人の挽きたての コーヒーを1杯注文した。とても美味しい。 聞けば1年程修行したということだった。中央のダイ ニングテーブルにはもうクリスマスカラーのクロスがかかっていた。コーヒーの香りをいっぱいに吸 い込んで、またこよーと思った。   (2008年追記:「カフェ&ギャラリー・芙蓉」ではプロの手工芸品、絵画など展示販売しています)                                    
 自転車探訪記−1  私、48才。主婦。このところ自転車がやたら面白い。  約2週間練習の甲斐あって、ようやく変化する景色の中を走ることが出来るようになった。くる日もく る日も田んぼの脇の土の盛り上がった道を走っていたので目に入るのは黄金色の稲を刈るお百姓さんの姿 ばかり。そして耳に聴こえてくるのは、お百姓さん達の笑い声。安全な道だから私も思わずほほ笑み返し のサービスをしたり・・・。  ここ2週間のあいだに景色は刈り取られたあとの広い広い田んぼになり、籾殻を焼く煙がたなびいてい る・・・。夕焼け空へと変わって行く・・・。風を切って走れ走れ! 香りたってくるのはどうやら葛の 花であることが分かった。こうやって徐々にバランス良く運転が出来るようになった私は、車も人もたく さん目に飛び込んでくる街の中を走れるようになった。車を発見した時は停止して通過するのを待つ。車 と一緒にランデブーする気はさらさら無いのである。    本日、3日目。遠いほうの郵便局へ行った。いつも歩いて行っていた郵便局は坂の上にあるので着いて も窓口に直行するには疲れて出来ない。一休みできる椅子が必要だった。今日は楽々窓口へ直行できた。 待合椅子は床から40センチくらいの高さで座れる椅子になっていたので老人会のご婦人がたがちょこん と座って談笑されていた。通りに面していてガラスばりとくれば今年の冬は、ポカポカ日の当るサロンに なるだろう。  鍵をかけずに置いている自転車のことが気になり出した。ガラス張りは都合が良い。位置を確認、異常 なし! 私の青い自転車は忠犬ハチ公のようなたたずまいで私を待っていてくれた。新興住宅街の中を走 る。柿の実が色づいている。びっしり実がついているのは甘柿なのかな?。石榴もびっしり。なぜとらな いの?  腰が二つにおれたおばあちゃんが、畑に種をまいている。声をかけるとリズムを中断させてしまうので そっと過ぎた。あの家の今夜の夕ごはんは何だろうなあ、とそんなことを思った。空が曇ってきたので洗 濯物と干してきたおふとんが気になってきた。  初めての遠出で迷子になってしまいハラハラしたが、落ち着いて考えればなんてことは無い。高い建物 を捜せばそこが私の住まいである。マンション発見!。線路に並行に走っているうちに見なれた景色にぶ つかった。約3時間の探訪。明日からの自転車乗りがまた楽しみである。