くろまめのをりをり14(2016年1月から)


       シンプルな暮らしが不自然に感じられなくなりました。
       白髪も馴染んできました。
       面白いことは後からもついて来るので毎日が飽きません。

 


 行く年や (2016年12月29日)

毎日がスローライフと自負している私だが、ここ数日は人並みに忙しくなった。 「コッコパン」さんのシュトレンをクリスマスを待てずにツマミ食い。エレガント な布のおくるみに包まれた大人な味のシュトレン。写真に撮っておいた。  

翌日からは正月用意の漬物作りに精出したと言えると思う。基準は自分なのであるから大した ことでなくても自分を褒めたい性分なのである。 漬物は聖護院大根の千枚漬けと白菜漬け。我が家のベランダはお日さまがよく当たるので葉物 ・根菜・魚も先ずは、ひと干しなのである。写真は本漬けした白菜と食卓の白菜。醗酵の加減 も良好。

自慢したいのは今年の我が家の畑の収穫物の中でも最も注目し続けた「トラ豆」。  
トラ豆は「煮豆の王様」と言われていることを知った。確かにふくふくとした味わいがする。 それまでトラ豆を食べたことがなかった私は「花豆」が最高と思っていた。 身欠きニシンとコンブも煮た。シニアライフな二人のお節は、だんだんシンプルになる。 掃除も片付けも普段の暮らしの中でやってきているので、少しだけ丁寧に時間をかければ、 なかなかきれいになるのである。 今日の夕空にも なんとも晴れ晴れとした心地になるのである。  

 山のカキ 海のカキ 今年も本当にありがとう〜 (2016年11月11日)

 柿の実が色付く頃になると、私は決まって唄うのである(北島三郎の「まつり」の メロディーで)。 「♪ やーまの柿 ♪うーみの牡蠣 海の牡蠣を買いましょうか〜♪」。 今の時分は和洋中の料理のレシピに牡蠣がよく使われている。栄養学的にも粘膜の健 康に良い成分が多く含まれていることから高齢者にも食べやすいレシピが増えている ように感じる。また、柿は、干すことによって粘膜を健康にする成分が生まれるよう だ。そういうことで牡蠣については4月あたりまで畑の青菜などと組んで上手に食し て行こうと思っている。 私が育った九州の山間の銀鏡(しろみ)では、アクセントが同じ名詞が多い。「海の 幸」の旬はおよそ縁がなかった。干物や酢にシメシタモノとか缶詰とか、それが普通 のことで、1960年代に村にバスが開通してからも、食卓においてはそれほど大き い変化はなかったように思う。語彙も同じく、文化は進んでもそれほど増えることは なかったように思う。よって、山のカキも海の牡蠣も問題なく時代と共に今に至って いる。 ずいぶんとオーバーな!、 と思う方もいらっしゃるでしょうが、 アクセントが同じということで私は自分なりに工夫して相手に伝えることがクセにな った。「牡蠣」「柿」、「雨」「飴」、「雲」「蜘蛛」、「箸」「端」「橋」、「園」 「円」「縁」などなど(笑)。 関東で働くようになってから、自分のアクセントが正しくないということに気付き、 国語の辞書のアクセント記号を見て努力はしたが直せなかった。結婚して標準語(共 通語)の家族の一員になり、それからが笑いの中から工夫が生まれた。 さて今夜は「♪う〜みの牡蠣とターサイの中華炒めでご〜ざいます〜♪」 久しぶりに「くろまめのをりをり」をアップして、思い出した1960年あたり。    
おステばあさん(当時60代)が私たち孫のおやつにこしらえてくれた「かち栗ぜんざい」。 山栗は小粒で、処理に手間取ったことと思われる。小豆は自家製のものでたっぷりとあ ったようだ。栗拾いをした記憶は小学校の高学年になってからで、カチグリを作る工程は 記憶が無い。蜜のように甘い、トロリとした食感と「あちぃーからフゥーフゥせんと!」 そばで何度も繰り返して注意するおステばあさんの顔や体臭まで湯気となって香り立つの である。 あ〜 まこて なつかしいばい!

 みんなの体操 (2016年6月1日)

総合テレビ 月曜〜金曜 9時55分 〜10時 14時55分〜15時 今は亡き義母・達子さんは家に居る時は午前も午後も体操していた。私は午前午後の どちらかに付き合うようにして体操をしていた。 居間のテレビの正面に達子さんが両手を気持ちよさそうにして広げて立つ。ダイニング テーブルの脇に両腕をブラブラ斜めに振って立つ私。そして互いのステージは定位置と なった。体操を始めた頃は、夫は会社勤めだったので私と達子さんの体操を見ていない。 「構えて体操始め〜」の頃を見ていたら、どんな感想を聞けたのだろうか。 達子さんはすぐに型を覚えた。軽やかでダンスをしているようだった。私はリズム音痴 の上に流れもカタイカタイ。数週間が経ち私なりに体操の型ができてきた。なんとなく 二人は意識して頑張るようになってきた。体操の中で腰を落として踏ん張る動きがある。 バランスを崩さずに前に出した足を元に戻すのを二人とも頑張るのである。 達子さんがよろけるようになってきた時から私もよろけるようになった。「無理しないで ー」テレビから優しい呼び掛けがある。達子さんは呼びかけに応えて腰を落とさないで足 を少し前に出す。両手を水平に広げて、スーッと元の位置に戻す。私はホーッとする。 深呼吸をして「あぁー」とか「ふぅー」とさっぱり感を口に出し、互いに散らばる。 それぞれの時間の中に入って行くのも長年の間にできたリズムだった。一緒にお茶をする のもリズムだった。 「みんなの体操」は、とても良い体操だ。達子さんは91歳まで柔らかく美しい体操をして いた。

 引力  (2016年5月7日)

FMラジオを聴きながら新聞を読見終えたところ、 コーヒー三杯目を飲む。 広い範囲で黄砂が飛んでいるようだ。 砂はやっかいだ。 あれこれ宮崎に住む大切な人たちのことに想いが行く。 ラジオはソウルフルな曲からテンポの速い音楽へと忙しい。 音楽に集中している私に話す言葉は届かない。 関心のツボにはまると音楽のほうが思考を深いところに落とし込んでくる。 踵が上下してくる。リズム音痴の私の踵が上下する。 昨日のことが浮かぶ。 友人夫妻と互いの近況を語ったこと。 関心事が濃くなり、そこからまた新しく派生して面白いところへ。 引き返しては最初の話題へと戻る。 行きつ戻りつ、引き合って行く。 なにごとも引力だ、と今更に思う。 ラジオの音が大きく感じられてきた。 想いから そろそろと抜け出してきた感じだ。 お米二合を研ぎましょう。 冷蔵庫へと引っ張られて行く私。 土曜日の17時30分。

 「勾玉」と「チアシード」 (2016年3月2日)

 
勾玉は面白い。縄文時代の土器も土偶も面白いが勾玉は私にとって、それ以上に面白い モノになってきている。三種の神器の中でも「勾玉」は身に付けられていたものであり、 祭祀にも使われていたことでもあり、古代の景色を感じるのである。 千葉・佐倉市の「国立歴史民俗博物館」で縄文時代の成人女子の体格が展示されている のを見たが、それは私(相似形)であった。顔の骨格・身長・いかり肩・腰の高さやら 相似形だった。平成に生きる私、太っていることを差し引けば進化を見出せないのだ。  
だからか、勾玉は私の心身にしっとり馴染むのである。私の見た印象だが、縄文時代の 勾玉は背から尾までが長い。弥生時代あたりから装飾品としての扱いが多く勾玉は全体 に胎児のように丸い(背を丸め、尾が短め)。管玉(くだたま)・有坑円盤」を組み合 わせた装飾品が出土されている。 勾玉と有坑円盤(そらまめ作)を皮ひも(長短の調整可)で繋いでみた。 綿シャツやカットソーには小さな有坑円盤玉をランダムに繋ぐだけのアクセサリーにし てみたい。紐は、裂き布やレース糸、組みひも用の糸などでこしらえよう。チョーカ、 ブレスレットなどなど・・・頭の中は必死に製作中である(笑)。 「チアシード」。もうみなさんご存知かもなあ。 私が知ったのは、つい最近。大型ショッピングストアーの「今話題の健康食品」を展開 しているコーナに立ち寄った時。オイルいろいろ、飲料いろいろ、チョコいろいろ、「 チアシード」は前面 に三角錐状に立ち並らんでいた。 ファッションで言えば、マネキンを数体並べて今年の春の装い色でコーディネートして あるように。無言のマネキンの前を女子は素通りしないものなのだ。女子の関心を一掴 みにするコトノハが白抜きで書かれてある。 「体内でしか作ることが出来ない必須脂肪酸、なんたらなんたら」言葉が連なっている。 私、買っちゃいました。「 体内でしか、」の「でしか」が確実に決め手になりました。 帰宅しネット検索。 ヨーグルトに一匙入れて三十分後、粘りが出てきた。  
牛乳を温めて一匙入れて数分後、膨張してきた。  
食感はタピオカだ。 「チアシード」これもまた面白い出会いとなった。

 発熱 (2016年2月19日)

16日、咳と頭痛がしたので熱を測った。37度台。これから上がって来るとこれまでの経 験でわかる。案の定、38度台に突入。頭痛は右側に出ている。太ももの裏側がピりピり する。膝にもキタキタ。ピりピりきた。熱が上がって行く段階だ。風邪だろうか? 夫は当初は、勾玉作りで石をヤスリなどで削ったり磨いたりした際に、粉を吸ったので はないかと言っていた。あの粉は、「ベビーパウダー」にも入っているそうで、粉を吸 った人の中には風邪に似た症状が出る人もいるそうだから、それじゃないの?と。 私は確かに勾玉作りに夢中になっていた。消去法で、眼は眼鏡で保護された。マスクを 着用しなかったことで気管をやられたのかも? 平熱が35.8度の私は、イソジンでうがいして冷えピタ貼って、ほうじ茶を枕元に置いて 夕方の六時過ぎには床に就いた。ガンガンとピりピりでよく眠れなかった。 二日目。普段の三分の一の量も食べれない。熱は下がったり上がったりして夕方になると 38度台になった。「これは一体ナンなんだろうか? 病院へ行こうか?」その前に、ネッ トで検索してみた。「発熱の四日ルール」は目から鱗だった。 三日目。熱は36度台に。しかし動くと37度台に。いつものジュースはおいしくいただいた。 アイスクリームが食べたい!、それで食べるが、半分くらいで蓋をした。やはり安静が 一番なのだなあ。この日も目覚めている時間はとても短かった。夜中、ピリピリたちは どこかへ消え去って行った。 四日目。36度4分。36度6分。それ以上は上がらなかった。 体温計で熱を毎回測るたびに夫には傍に居てもらい「測定完了のピピッピピッ音」を聴い てもらった。なにしろ難聴の私には聞こえないのだ。「はい!」と夫が言えば、私は体温 計を取り出して数字を見る。夫が更に確認する。 ありがたいことに本日は晴天なり。大量の洗濯物もお布団もよく乾いた。丸3日臥せってい たが、体温の数値だけで元気回復。

 骨董市 (2016年2月6日)

今朝もルーチンワークの結露拭きから始まった。寒い! 「冬だ冬だ」と言いながら窓ガラスを拭いた。 楽しみにしていた骨董市に手袋をして出掛けた。目的は天然石だ。 夫も私もこれまで何回か骨董市に出かけている。これまではそれぞれの趣味のモノ を探しては面白がっていた。あとで合流して戦利品を見せ合いっこしたり批評した り(これはこれで面白い)していた。今回は共通の石が目的だが、そらまめが思う 石と私が思う石の質感のようなものちょっと違うのだ。それで散らばって見て回る ことにした。 今までは私の方から「あとで合流しましょう〜」と言って別れていたのだが、今日 はそらまめから言われて(笑)、熱心度は彼のほうがはるかに上だと感じた。 石の穴あけは石の硬度によっては大変な時間がかかる。石の特徴、名前など、結局 はそらまめからレクチャーを受けつつある私である。 私は、今現在勾玉を2個仕上げた。もうこれでかなりなことができているという錯覚 に陥っているのである。「錯覚」は幸せにしてくれるのであるから良いのだ。コレ式 で良いのだ。今日も良いイメージで天然石を見て回ることができた。 帰宅して、戦利品を広げることも楽しいのである。石はとても安価だ。触れると冷た いが、そのうち体温になる。肌に吸い付いてくるようにも感じる。とても心地よい。 カラー別に分けてケースに収めた。ケースはすでに二箱になった。「一袋で幾ら」と 売りに出されている石の中に、アッと驚く石が入っていた。こういう買い方も面白い のである。 そして夕方、お絵かきのソフト(無料でダウンロードしていたものを)を使って 今日の石からイメージの世界を描いてみた。   
夕飯の支度の時間が来てしまった。炊飯器は6時にスイッチオン。 時間にゆっくり押されながら、惜しみながら今日も良い日となった。

 今年の計 (2016年2月1日)

今朝7時、お湯を沸かす(夫が)。結露した窓を拭く(私)。外の景色がしだいに 目に入ってくる。大好きな番組『小さな村の物語 イタリア』のような小高い丘の 上に建つ石造りの家々が見えるわけではないが、なぜか、窓ガラスの曇りが晴れて くる間、私は「モナリザ」のようにやわらかくほほ笑む(自然と)。脳は、ほどな くして開いてくる。いつも見えている景色もまたいいものだなあと納得する。 温度計を見る。 外気温1℃。予報は雨か、曇りのままか。重たい雲が垂れて、二月が始まった。 一月は、昨年帰省した銀鏡(しろみ)での濃い時間が戻ってきたり、遠ざかったり して、なかなかのものだった(笑)。父が元気な声で「げんきどー」母が「げんき、 (一呼吸して)ばい」と。それだけで100l会話した気になる。そのようにして一月 の半ばが過ぎて行った。 嬉しいことは、夫婦の共通の趣味が「石」に関係することだとひょんなことから一 致した。私にとっては川原の石拾いをして遊んだ銀鏡時代。夫は青年期にアフリカ のとんぼ玉に出遭ったり、元々鉱物が好きだったこともあるが。石で形を作るなら、 「まが玉」となったしだい。 そらまめは以前からトンボ玉で「勾玉」も作っていた。ガラスもステキだが、石は 仕上がるまで、のんびりと愉しめるのかな? わざと昔ながらの時間の掛かるやり かた(実験)をしたり、道具を使って試したりしている。バーナーの炎で溶けるガ ラスを相手にしなくてもよいぶん、ゆっくり進めることができるのかな?。次に作 るとんぼ玉のデザインも考えているようだ。 私は、そらまめの指導の下、面取りと磨きが上手になってきた。そのうち、基本か ら脱線して”くろまめ流”になっていくのを、そらまめは止められないと思う(笑)。 チクチク刺し子、古い布で袋物とか四角い洋服とかも作ろう。そして機織りを再開 する。平行して布と糸と石と革と遊ぼうと思っている。 3月、4月は春耕だ。5月になれば畑とキッチンの距離がうんと近くになる。 今年の計が、ようやく具体的に動き始めた。

 今年もよろしくおねがいします。 (2016年1月1日)


  去年今年貫く棒の如きもの    高浜虚子 元日の今朝 この句がふとよぎりました。昨日までに残してきていた気がかりな ”コト・モノ”をノートに書き出してみました。 文字に起こすだけで新年の夜明けのような気分になれました。面白い今年にしよ うと思いました。 どうぞ お付き合いのほどよろしくお願いします。                     2016年1月1日   くろまめ