くろまめのをりをり7(2008年9月から)


         毎日のようにベランダから富士を眺めています。よく晴れた日は
         丹沢が見えます。太陽が少しずつ移動してゆくのを見ていると
         今日の日を残しておきたくなります。

 
 
 ちゃんとしもたことのあった遠い日  (2009年12月29日)

 12月の最後の週の始まりは、ラジオからテレビから昭和歌謡曲が流れている。昨夜は舟木和夫が「高校
三年生」を唄うと隣で五木ひろしが、嬉しくてたまらない顔をして唄っていた。こんなに感情を出す人だっ
たかしらと思わずその動きに笑ってしまった。舟木和夫65歳。「♪僕らフォークダンスの手をとれば甘く
匂うよ黒髪が〜」私が小学校の高学年の頃「一週間のご無沙汰でございます。司会の玉置宏です」と登場す
る『ロッテ歌のアルバム』でよく聞いた歌だ。司会者はなんてったってガムを宣伝しなくてはならない。歌
手はマイクの前から離れずに司会者からガムを受け取り「お口の恋人 ロッテ」と云っていた。そうやって
昭和は飛躍的に成長しバブルの泡と消えた。

 私の父は終戦の翌年に新制高校一年生となった。戦時中は敵機を見つけたら「敵機襲来!!」と告げる役
割だったそうだ。基地でのことは10数年前に旅先の空港近くで聞いた。生を分かち合った同級生たちとの
友情は貴様と俺の仲で平成21年みな80歳になった。貴様が今年二人三人とお亡くなりになったそうだ。
戦後しばらくしてからずっと続いている同窓会はこれからどうなっていくのだろか。
 
 父は前立腺の癌を抱えているが「癌はゆっくり進行して寿命をまっとう出来る」と腹に決めている。普段
はお茶目な父だ。この父が12月1日にご褒美の賞をいただいた。
「殿様と製粉機(くろまめのをりをり2007/10/29記」の菊池のお殿様に因んでお隣の西米良村から表彰を受
けたのだそうだ。新聞の地域版に父の写真が載っていた。額と頭髪が同化していて可愛い。私たちが父のお
っちょこちょいを笑うと一緒になって笑うときのあの顔だった。カラー刷りだったら頬紅を刷いたかのよう
にピンク色をしていたに違いない。「おつかれさま〜 よかったね〜」と写真に言った。家に電話をしても
父は不在でそれからもタイミングが合わずとうとう10日以上も経ってからおめでとうコールを伝えること
ができたのだが、これからの大イベントのお神楽のことなどで「風邪に気をつけて。あったかくしてね。睡
眠をとってね。無理しないでねっ!!」と言わずにいられなかったことを残念に思う。

 「歴史調査は自分との戦いで孤独な戦いだ」と父は云う。毎月の通院で街に出たときは図書館の開館に合
わせてお弁当とお茶を持参し閉館まで楽しめる父であるから家族としては安心だ。孤独な戦いという表現は
なんとも可笑しい気がする。
 


 今年最後の忘年会  (2009年12月24日)

 午後絵の教室の忘年会へ。駅の改札を出ると東西で「良いお年を!」をと声かけあって右、左に別れている。
クリスマスの飾り付けは駅のロータリーの周辺を明るく点しているが、忘年会会場の通りはうら寂しい。交番
の死角に入る建物の看板には大きな文字で「カラオケ」と書かれてある。私は初めてのお店のドアを恐る恐る
押した。とても明るい。「照明がこのくらいないといろいろうるさいんですよ」とマスターの説明に一同大笑
いした。

 今年秋に入会された方は84歳。「♪千曲川」を歌ってくださった。私たちの会は当初から歌の苦手な人も
”とにかく歌う”ことをしてきている。私は「♪真夜中のギター」を歌った。♪街のどこかで〜(もう遅れる) 
寂しがりやがひとり〜(字幕は次のフレーズに進んでいる)今にも泣きそうに〜(泣きたいのはワタシ)ギタ
ーを弾いている〜。するとマイクを持って仲間が軌道修正してくれる。なんとか追いついてもまた遅れる。み
んなで拍子をとってくれる。けれどももう遅れは取り戻せない。(こんなに〜こんなに早い歌だったかしら?) 
 
 マスターがこの空気を引き締めてくださった。浪曲 三波春夫の「忠臣蔵」。全員が聞き入った。すごい!
 参った! 声も体もマイクも動かない。もしかしたらロウソクの炎も消えないかも) 
 
 私が小学校の低学年のころ、浪曲のおじさんが(職業は桶の修理や指物師、農具の修理とか鍛冶屋さんとは
違っていたような?)年に2,3回やってきて民家に宿泊してみかん箱かりんご箱かを積み重ねてその上に葛飾
北斎の絵のような波の絵の布をかけて演台をこしらえ、着物に着替えて扇子を持ち謡うのだった。村のおじさ
んおばさんたちがそれはいい顔をして聴いていた。ときおり「ヨオー」「ホオ」とか合いの手を入れていたこ
とが思い出されてきて私は「ハア」と言った。終いごろにはテーブルを叩いた。お皿を叩いた。涙が出てきて
困った。
 父は村田秀雄とか三波春夫の浪曲? 浪花節?をときおり謡っていた。胡坐をかいて顔を真っ赤にして眉間
に青筋を立ててそしてにんまり笑ったりして気持ちよさそうに手で調子をとり膝を打ったり卓袱台の縁をお箸
で叩いたりしていた。私はそういうときの父を見て息が苦しくなっていた。「さあさあさあさあさささささ」
嬉しい顔なのにどうして真っ赤なのかわからなかった。今夜のマスターの顔はちっとも顔色は変わっていない。
父は焼酎を飲んで謡っていたのだと思う。母も祖父母も曾祖父母も笑って聴いていたが私もそばで合いの手を
入れてあげれば良かったものを。
 これからますます振り返って思うことが増えてくると思う。自然と体で覚えていることに気づくのだと思う。
親のそのころの年を思うとなんと自分は幼いことか。不便な上に貧しい時代にそれぞれの時間という言葉なぞ
なかったであろうことに今更ながら思った。もう明日の時間になった。今夜はクリスマスイブ。
   
 
 第7回「女四人の旅」(♪人生の扉編)  (2009年12月21日)

 土曜日、私とYちゃんは東京から高速バスに乗って館山駅下車。ここでKちゃんTちゃんと合流。宿へは路線バスで
向かった。途中、一昨年みんなでお参りしておみくじを引いた神社の鳥居が見えた。帰りはここにまたお参りしまし
ょうと云うKちゃんの提案に一同賛成!!。
「ところで竹内まりやの『♪人生の扉』いいよねー」とKちゃん。話題は飛躍していないのである。筋道があるので
ある。路線バスの中は温かい空気が流れている。空は雲がゆっくり動きだした。乗客が外の風を運んでくる。ひんや
りとするがそれもすぐに温まる。常緑樹が道の両側に隙間をみせて立ち並んでいる。その隙間の奥は冬枯れの様相を
見せている。坂を数分上り下りしてバスを降りた。民家がポツポツ建っていて遠くに看板が見えた。老眼は遠くがよ
く見えるので迷わずに到着。この日の客は私たち一組とのこと。お部屋に入るともう私達の自由時間。海の幸とお鍋
とYちゃんが持参してくれたワインで先ず乾杯!! 
 Tちゃんとお孫さんが一緒に写っている写真は私たちと一緒にいるときのキュートな感じから穏やかなしっとりと
した表情をしている。孫はかくも愛しいものなのだと写真は語っている。お仕事、趣味のこと、話しは尽きないので
ある。翌朝もお湯に浸かり、風邪気味のKちゃんは足湯で温まってから朝食の膳についたが、お部屋が寒い!!(送
風になっていたのだった><)。菜の花のおひたしの新鮮な味にブルッとキタ! この土地の納豆の大粒ふっくら感
にさえもブルッとキタ。お米が美味しいのにも感動。お味噌汁には少し塩分を感じた。土地の味ってこのようなこと
かなあと納得。湯豆腐の湯気もなかなかいい感じ。
 お部屋にも廊下にもロビーにもストックのお花が甘く漂っているこの宿でチェックアウトの時間まで過ごすことに
した。今回も三脚持参で写真を撮ってくれたYちゃん、ポーズもつけてくれてありがとう!

         
Kちゃんの足の上がる上がる! Yちゃんも負けてはいない! Tちゃんは恥しいのかな。くろまめは重たいんだな。 神社には立ち寄らず宿のご主人様のご好意に甘えて館山駅まで送っていただいた。お土産を買い、コーヒーシ ョップでまだまだ話は尽きないのである。二人二組は握手して別れた。東京へ向かうバスは来るときと同じく時間通 りに運んでくれた。ここまではスムース過ぎたのかもな。  上野からの電車の中で乗り過ごさないよう注意しなくてはねと互いに注意しあったのだが乗り過ごしてしまった。 二駅も過ぎていたのだった。話しと言うものは一体いくつ穴があるのだろうか。来年も路線バスを乗り継いでその土 地の人と風と空気と光と水に触れたいと思っている。  Kちゃんも好きだと言った「♪人生の扉」の歌詞をここに残しておこう。ユーチューブで聴いてみよう。 <人生の扉>  竹内まりや 春が また 来るたび ひとつ 年を 重ね 目に映る 景色も 少しずつ 変わるよ 陽気に はしゃいでた 幼い日は 遠く 気がつけば 五十路を 越えた私がいる 信じられない 速さで 時は 過ぎ去ると 知ってしまったら どんな 小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ I say it's fan to be 20 You say it's great to be 30 And they say it's lovely to be 40 But I feel it's nice to be 50 満開の桜や 色づく 山の紅葉を この先 いったい何度 見ることになるだろう ひとつ ひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ ひとり ひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ I say it's fan to be 60 You say it's alright to be 70 And say still good to be 80 But I'll maybe live over 90 君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように 長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ I say it's sad to get weak You say it's hard to get older And they say that life has no meaning But I still believe it's worth living But I still believe it's worth living

 
 寒波の夜  (2009年12月18日)

 12月の夜の温度計のメモリは1,2度まで下がっている。ふるさとは雪らしい。

 毎年12月12日から16日にかけて行われる銀鏡神社大祭の行事は16日の朝、銀鏡川の河原で「ししば
祭りを終え、猪の雑炊が観客に振舞われ、それから午後、それぞれの神社にご神面を背負って帰ってゆく・・
・。このようにして今年も終えたと聞きました。
 同郷の友人達から祭り便りがケータイからメールや写メールで届きました。電波が届くのはAUのみですから
臨場感のある便りにワクワクしました。「笛の音が! たまらんばい」「空がきれいよー」「今着きましたー
〇〇ちゃんが描いた舞を舞っているよー」「〇〇ちゃんが帰ってきてるよ」「30年ぶりです。懐かしいです」
焚き火を囲んで旧交を温めているようすが感じられました。「メールは終了しま〜す。ゆっくり観てねー」と
言って私は15日の午前1時過ぎにパソコンをシャットダウンしました。
  
 忘年会のシーズンになり今日2回目の忘年会に行ってきました。「おひたし倶楽部のランチで忘年会」会場
は主婦のグループばかりでした。機織り、縫い物、味噌作りのことなど手作りの話で沸きました。節子さんが
何年も続けている手作りの干し柿をくださいました。大きい柿は元は500gもあったそうです。そのお裾分
けに感謝しつつ家族と戴きました。


BUNNさんもyukiさんも2月にはお味噌作りをされるとか。私は柚子の 味噌漬けを紹介しましたがなんとも頼りない説明でした。年内に実家の母に漬け方を聞くという課題ができま した。  さて、明日は第7回目の「女四人の旅」忘年会に出かけます。回を重ねるに連れて立夏〜初秋〜晩秋〜冬至 に時期をシフトして来ています。みんなが元気である限りこの一泊の旅を続けることがみんなの希望です。  正真正銘の「四老婆の旅」になることを祈念して夜は鍋で乾杯します。  外を見ると、車の屋根が白く凍り付いてきています。

 
 連休  (2009年11月24日)

 1日目、とても良い天気。お布団を干して洗濯物は窓辺に干しました。冬の日は居間の中央まで伸びてきて
います。洗濯物は日差しを受け止めてテレビにも私たちにも丁度良い光です。そらまめと達子さんは畑でジョ
ウビタキを見たと喜んでいました。帰りはいつものように遠回りして秋を拾ってきてくれました。枯れゆく途
中のカラスウリは真っ赤で重たい!! お布団を取り込んで映画『ゼロの焦点』を観に行きました。原作をど
のように解体して脚本ができているのか興味がありました。本屋さんで『坂の上の雲』のNHKスペシャルド
ラマ・ガイドを買いました。食料品の買出しをして あらら、もう、一日が終わりました。

  
 二日目、冷たい雨。雨天決行の「温楽会」に出かけました。“ものづくりする人たちのお店”が花屋さんの 入り口に並んでいました。お天気が良ければ13のショップは散らばって開店する予定だったのです。上野の アメヤ横丁の縮小版のような狭い通路でしたが“ものづくりの人たち”は静かに作品を発表していました。知 り合いのsakiko.Y(当サイトにリンク)さんはアイリッシュクロケットレースが本業ですが来年の1月に「B- Bird」ショップを立ち上げます。今回はアンテナショップの感覚で出店したようです。 「B-Birdの”B”は、ブンジョーの"B"です。ブンジョーはうちのオカメインコです。」なるほど!!   他店でシジミ袋の巾着が目に留りました。シジミの形をしていて底の部分がふっくらとしていて広いのです。 作家は「お弁当箱を入れています」と。(オヒタシ倶楽部で作ってみたくなりました) 焼き芋屋さんは長蛇の列。大きなお芋が1個200円。みんな食べる前にしばらく包みを抱っこして暖をとっ ていました。  夜、とても良い番組がありました。今年6月のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの様子を観るこ とができました。全盲のピアニスト辻井伸行さんを前にしてスタートのタイミングのとり方で考え込む指揮者 でしたが「指揮者の息遣いに辻井さんが合わせるそうです」と通訳が伝えたとき、“ハーモニー”音とこころ のコミュニケーションを演奏家たちが体で感じ取ったとき優しく気高く尊い感情が行き交ったように感じまし た。審査の対象が技術はもちろんですが人格、将来性を高く重んじていることに感動しました。審査委員、指 揮者、コンツェルトマスターが辻井さんの印象を語るとき、彼らは審査委員の語った聖職の意味にピタリと合 致しました。演奏と表彰の場面では緊張し、番組が終わると筋肉痛を感じた二日目でした。

 三日目、晴れ。お布団を干しました。そらまめは銅細工で三日月さまをこしらえました。達子さんはちぎり 絵の続きを。私はクリスマスリースを作りました。まことに静かな最終日。こうやって三日間のことをまとめ たわけですがあれ?どうだったかしら?と思い出すのに時間がかかりました。少し前までは、食事から思い起 こしていましたが もう大変!! お天気から始めないと先に進みません。お天気と食事は実に大事です。

 
 房子さん ありがとうございました  (2009年11月12日)

                           
房子さんがまさかお亡くなりになるなんて・・・驚きました。 昨日は一日雨でした。戴いたお便りやご著書などを読みました。本当にお亡くなりになったんですね。 先日 房子さんが主宰されていた同人誌「朝」の方からメールをいただきました。房子さんのことをお尋 ねくださいましたよ。房子さんに関する資料を集めていらっしゃるようでしたよ。  私が思い出すこと イタリアンレストランでワインを召しあがってお話も楽しくてゆっくり時間を過ご しましたね。思えば日本酒がお好きだった房子さんには和食のお店がよかったかしらと悔やんでいます。 お若い頃さぞお美しかったに違いないと思ったこともそうです。白いブラウス、白いシャツはプレスがき いていてエレガントに着こなしていらして・・・カシミアのセーターは少しグレーがかった色合いがお好 みでしたね。トンボ玉のアクセサリーを差し上げたときは「中に可憐な小花が入っていて可愛くもあり神 秘的でもありました。」とそれは喜んでくださって。ちょっとはにかんだ房子さんのことも鮮明です。    小説家として或る時はゴーストライターとして(房子さんは聞き書きとおっしゃっていましたね)長期 にわたって根気良く取り組まれていましたね。昨年は時期同じくして我孫子市のメルヘン文庫の審査シー ズンでもあってお疲れになったことだろうと案じていました。集中して出来る年は「またメルヘンの審査 のシーズンとなり子どもさんたちの童話原稿を読んでいます」と楽しげな響を感じました。今年で10年 目に入ったのですね。永い間お疲れ様でございました。ありがとうございました。  「朝」に掲載された全ての号を同人の方が私にも送ってくださるそうです。追悼号は少し時間がかかる そうです。房子さんのお知り合いからの資料が豊かなので整理中だそうです。 ゆっくりお休みくださいね。                                       合掌 宇尾房子(うお ふさこ)1924年 岩手県生まれ。 著書に小説『女の耳』(南北社)『走る女』(沖積社)『姥ヶ辻』(共著・作品社) ノンフィクション『私の腎臓を売ります』(双葉社) 2009年10月13日 享年84歳。 お写真は 2007年 秋の日の房子さんです。

 
 おひたし倶楽部  (2009年11月2日)

天気は午後から雨模様。気温13度。冬の格好で出かけました。運動運動。脂肪を燃やせ!
今日の倶楽部は先月の縫い物を完成する日です。

この針山は節子さん作で元はメガネケースなんですよ。節子さんのアイディアにはいつも驚かされます。

節子さんの手作りコースターとyukiさんの陶芸のお椀にBUNNさんお手製のお浸しとお豆さんがが盛られています。

  

松毬(マツカサ)の隙間に縮緬で毬(綿を入れて)を作りボンドで接着しています。節子さんのお姉さまの作品をお土産に いただきました。縮緬ならではの収縮性と光沢と色彩を存分に活用されていて面白いなあと思いました。 我が家の松毬で赤×緑のクリスマスツリーをを作ってみようかしら。 本日の完成品はパッチワーク用の針山です。丸いボールを抜いて底のほうに指ヌキを収納♪

 
 咳に押されてチェンジ!  (2009年11月2日)

 先月ひとつ歳を重ねました。これまで誕生月に新しいことを楽しみました。一時的な新しい体験であったり
それはなんでも楽しく遊びました。今年はフラダンスの教室を捜して2箇所に絞りました。見学を考えていま
したが長引く咳で断念しました。 マスクをして外出するのはおっくうです。咳が出るから表に出ないという
時間もありました。 

 帰省した折りに「咳は大丈夫ね。肺は大丈夫ね。小太りはええらしいけどねえ痩せやらんといかんわあ(笑)
診てもらいないね」とみんなが心配してくれました。ネットで調べて見ましたら長引く咳には甲状腺の疾患や
ストレスも原因にあるらしいのです。更年期かもねと友人に言われるとそうかも知れないなあとなって・・・。
それで先週義母の通院日に診てもらいました。
「どうしましたか?」「熱もなく食欲もあるのですが咳が出ます。それと体重が増える一方ですし。代謝が悪
いのでしょうか。血液検査で分かるのでしょうか」と相談しました。
 先ず胸のレントゲンを撮り採血。肺は異常なし。血液検査では、私が心配していたことは全てクリアしてい
ました。しかしまったく考えになかった肝臓の数値が“H”(高い数値)でした。
「肝炎の疑いがあります。明日エコーとCTを予約しておきます。そのあと肝臓専門医の診察を受けてください」
専門医師の診療担当日が翌日でしかも予約制でしたから幸運でした。

 翌朝一番で入り、午後最後に診察を受けました。カルテをみながら私を見ながら「咳で来院されたのだそう
ですね〜 採血をされたんですねえ〜。C型 B型の肝炎はありません。腎臓もいいです。」点々としていると
ころがたくさんありますね〜肝臓が闘っています。このままほっとくと肝硬変になります」
画像は私の目でも明らかに脂肪肝でした。診察台の下から体重計が出てきました。「はかってみましょう」
医師はメモリをメモラレマシタ。爽やかにスピーディな医師でした。
 「来月は少しでも痩せてきてくださいね〜(ニッコリ)」
 「先生、よろしくお願いします。こんどこそ脂肪をとりたいです!」
 「一緒にがんばりましょう!!(お任せくださいといった感じ)」

肝臓の調子を整えるお薬を日に3回服用することになりました。健康サイズの体作りに挑戦します。
  追伸: 咳はまだ出ますが軽いです。咳止めのお薬はお断りしました。

 
 おひたし倶楽部   (2009年10月9日)

 「節文豆」をしましょう〜のお誘いをいただいて10月に入りました。この日お初にお目にかかる人がいらし
てました。「おひたし」と名前が変わりました。
 節子さんのオオブキが完成していましたのでみんなで見せていただきました。更にキッチンマットも仕上がっ
ていました。繋いでいる布は全てご家族のみなさんの着用していた洋服や着物を解いた布や残り布です。中の芯
はシーツだそうです。糸は家にある刺繍糸。文さんのワンピースの布も入っているそうです。お互いの布を使い
合って新しい形にしていく作業は本当に楽しいいんだなあとわかります。デザインは自身が感動したモノや場所
からのイメージで形が出来上がっていきます。型紙は取らなかったのだそうです。誰かが言いました。「まるで
ピカソね」って。節子さんの作品に触れながら創作の歓びを感じあいました。(写真中央は裏側です)





この日 みなさんは型紙をとっていらっしゃいました。 私は遅れて行きましたので〇の型をとって四角形を切り抜きました(笑)。 次回は出来上がったモノを紹介したいと思います。


 
 嗚呼 金木犀   (2009年9月30日)

 9月の最後の日。霧雨の中、マスクしてつば広の帽子を被って植え込みの中に入って行きました。とても静かな
時間帯ですから安心して堂々と撮りました。一回目はマンション人発見なりませんでした。家に戻ってケータイか
らパソコンにデータ通信しました。枚数は多いのですがとても下手なのです。やはりそうでした。全部にバイバイ。
2回目は細かく設定しました(笑)。キンモクセイは高さ3メートル以上はあります。もぐっていましたら主婦ら
しき方が一人、お掃除の方が一人、私の足を見ている〜〜。外に顔を出したら、お二人は「あ、あ、ええ〜っつ」
「ああ〜」と互いに分かる顔同士でしたが・・・!! 「三日も雨でしたものねえ。散るのが惜しくなってきまし
た」お二人は去って行きました。次は管理人さんが!! 「こんにちは!」って素通りして行きました。私、70
日間は噂の人になっているかも。雨上がって光が差してはいました。この写真記念に残します。

 


 
 奥武蔵へ   (2009年9月20日)

 5連休のなかびの朝、無性に遠出をしたくなりました。前から気になっていた「山猫軒」が自然と浮んできま
した。今年こそは来年はこんどはと思っているうちに4年も時間が過ぎていました。
 山猫軒は、埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷137−5にあります。午前11時出発。ラジオは高速の渋滞情報を流
しています。夫と初めて訪れたのが2000年の4月、行きは一般道で4時間、帰りは高速で3時間かかりまし
た。ヤマブキと清流の音と古民家の畳と縁側がいつまでもそこに居たい思いにさせてくれました。翌5月は家族
を誘って行きました。傾斜地のツツジと鯉のぼりが日の光を揺らしていました。そして8月は今現在の山猫軒で
家族とペットのハムスターも一緒に坂田明のサックスを聴きました。ピアノもベースも蝉時雨と響き合って森の
演奏会をとびきりおしゃれで印象深いものにしてくれました。翌9月には友人夫妻を誘いました。秋の深まりを
感じたひとひでした。それからも兄や友人と訪れています。3月の梅林はそれはにぎわいます。4月の山桜はこ
の世のものとは思えない美しさです。6月の雨には白い花が似合うように思いますとオーナーの南千代さんから
お便りをいただいたことがあります。

 さて、山猫軒に到着したのは午後3時半過ぎ、家を出てから4時間半経っていました。山猫軒の裏の杉の木の
先端に夕日が残っていて門扉の前から駐車場の辺りまでやわらかいオレンジ色の陽が差していました。螺旋階段
を上がってスリッパに履き替えます。大きなテーブルにマンジュシャゲとユウガギク?が活けられていました。
ピアノの側にもとてもステキに活けられていました。展示作品を拝見したり外の景色を眺めながら贅沢なひとと
きです。柱時計は4時45分。 時計のすぐ下の寒暖計は26度。

 

 私は古代米カレーとコーヒーを、夫は天然酵母ピザとノンアルコールビールをオーダーしました。オーナーお 手製のお味は食材と香辛料が絶妙なバランスです。素晴らしく美味しいです。かすかにジャズが流れています。 おしゃれな山猫軒に次回は絵の仲間を誘ってと予定を立てている私です。

追記:(9/30) 帰りに旧山猫軒に立ち寄りました。「月木舎」という看板が出ていました。閉店までわずかな時間でしたがゆっ たりもてなしてくださいました。「たしか このあたりに サンショウ が ありましたよね〜」って尋ねまし たら、「ええ。ここに 」。道路から庭に上がりきった場所の隅っこの辺りに葉っぱが見えました。1枚摘んで 両手でパ〜ン。野草・雑草・樹木もそのまんまに優しい場所です。 (くろまめのリンク集「山猫軒」をクリックしてください。「月木舎」はアクセス情報に案内されています)  


 
 花嫁の母となる日   (2009年9月15日)

 とうとうその日がやってきました。髪をセットしていただき着付けをしていただきしだいに出来上がってゆく
自分の姿を見ていました。ただただ鏡を見ているだけでした。
おかしなものです。このあとご両家親族控え室に入っていってそれから親族の紹介があり・・・と冷静に式次第
を描けているのに、実際に控え室に入ると、先に来ていた親族と顔が合ったとたんに興奮してきたのです。挨拶
を交わし、今日のよき日を喜び合う会話の途中からもうひとりの自分が見ているのです。こちらも興奮していま
す。落ち着かない居心地の悪さがむっくり出てきて座ることは出来なくなってしまいます。立っていても忙しな
い心地がしてきて廊下の外に出てまた入ってと安定しません。花嫁の父親を見ていると、とてもリラックスして
います。喜んでいます。「さびしくなりますねえ」というユサブリにやわらかく反応しています。
 新郎新婦が控え室に入ってきました。ここで娘の衣裳をはじめて見ました。綿帽子がよく似合っています。神
前での手順についてご説明を受けてから御神前へ参進します。私は娘の手を取り進みます。この日は雨となり回
廊を参進することになりました。娘の手のぬくもりが伝わってきます。このときでした。娘が初めて哺乳瓶を手
に持って飲めるようになったときのことがヒョイと浮んだのです。寝転んで哺乳瓶を両の手で持って飲みます。
しばらくすると片方の手の指で髪の毛をクルクルします。クルクルクルクルチュルゥ〜繰り返します。そしてい
よいよ哺乳瓶が落ちそうってなってきたときに指を外してあげます。あのときの寝顔と手の温度が甦ってきてた
まらなくなりました。回廊を戻って行くときは娘の手が幾分か軽く感じられました。

 披露宴会場はガラス張りで森が一望できます。雨は緑を一層美しくしてくれています。新郎新婦の登場を待つ
間がとても長く感じられましたが入場してきてからは新郎の選曲した楽曲のセンスに私達のテーブルはその話題
で沸きました。お色直しで花嫁が退場するとき祖母が手を取ってドアの外まで案内しました。保育園にこのよう
にして祖母と娘は手を繋いで通園していました。お色直しはウェディングと聞いていましたが見るのは初めてで
す。ドアが開きライトを浴びたときの娘は4,5歳の頃の顔に見えました。私が乗る電車が踏み切りを通過する頃
は娘と祖母が踏み切りの向こう側に近づいてくる頃だったり、遮断機から少し離れたところで立っていたりという
そういった時間帯でした。私は窓ガラスに張り付いて娘に手を振ったものでした。娘も私も見えても見えなくても
手を振りました。ほんの一瞬です。ああ、あのときの笑顔です。

 
 9月3日〜8日まで 「みやざき展」   (2009年9月2日)


   





  

他にもたくさん!!宮崎を(←クリック!) ご堪能ください(←クリック!) 4日(金)夕方のスーパーニュース(フジテレビ/ キャスター・安藤優子と木村太郎)で、みやざき展のことが少し紹介されるそうです。

 
  2回目、節文豆の布遊び   (2009年8月28日)




↑写真は8月27日、完成間近の節さんの布で作った大きな蕗の葉です。 秋田の方が大きなフキの葉を見せてくださったことがきっかけで”モチーフにしたい!!”となった のだそうです。制作期間はひと月ちょっと。サイズは1mくらい? 玄関マットにお使いになるらしいです。 足拭きマットでは足蕗マットになりますから止めて〜ってみんなで爆笑。 ↓写真は文さんの布の壁掛けペンケースです。布の耳を使って工夫されています。 ポケットの柄と縁取りとの色の組み合わせなどステキです。割り箸を通して紐が掛けられていました。

今回はお二人の作品をケイタイで撮りました。画素数は大きいのですが撮り方が下手なので残念です。 実際の作品の形、色、柄、風合いなど伝えれなくて残念!! 節さんは針を運びながらこの柄はワンピース、これは浴衣、これはブラウス、スカートと娘さん達に 縫ってあげた服のデザインやそのころのことなど懐かしんで針が進むのだそうです。 布遊びの得意な節さんにとイギリスのお土産が布地だったこともあるそうです。その布もこの蕗に繋 いでいます。 ↓部分的に撮ってみました。膨らんで見える〇には綿が入っています。  
 
文さんの手縫いの和風ランチョンマットやティーマットをたくさん見せていただきました。 私は帽子を縫う予定でいましたが、ティーマットに変更しました。 9/3 追加掲載(↓写真写りが良くて申し訳ない!)

 
  マイクロフィルム    (2009年8月15日)

 明治記念館に所用で立ち寄りその後時間があったので国会図書館に行きました。
先月はそらまめが大正時代の新聞をコピーして持ち帰ってきました。今回は宮崎の昭和の新聞です。
永田町界隈は終戦記念日とあって自民党の建物周辺は警護が厳重でした。

 食堂に直行。とにかく喉が渇いていましたので無料の冷たい麦茶を3杯も飲みました。それから
ゆっくりテレビの音を聞きながらお昼をいただきました。

 昭和4年と昭和6年の宮崎日日新聞は見つかりませんでした。それもそのはず創刊は1961年
(昭和36年)でした。故郷の村にバスが開通した翌年のことです。
 さて、困りました。親戚が近く上京してくるのでその折二人の誕生日の新聞記事を手渡したいと
ひらめいたのでしたが、思いつきはそうはうまくいかないものです。ならば、それ以前の新聞はど
のような経路で村に入ってきていたのか知りたくなりました。その前にどのような新聞であったの
かそちらを優先して検索してみました。
 ありました。「九州朝日宮崎版」がそうです。窓口に資料請求書と登録カードを出しますと係り
の方がマイクロフィルムに残っているというのです。二人の分とそして「新しき村通信」のマイク
ロフイルム三本を借りて見ました。「新しき村通信」は今の宮崎県木城に我孫子から移住してきた
武者小路実篤が開いた新しき村のことですが、どうやら係りの方は、気落ちしている私に「この新
聞なら、なにか日向の情報が得られるのではないでしょうかというお優しい提案だったのです。
 
 マイクロフィルムを見るための機械も最初は戸惑いましたが途中で昔使っていた8ミリ映写機と
同じだと気がつきすんなり操作できました。昭和4年9月の九州朝日新聞は、大阪朝日新聞附録の
鹿児島宮崎沖縄版として1頁に収まっています。昭和6年1月は宮崎版として1頁です。この2年
の間に宮崎は3地域合同からめでたく「独立」したようです。

 目的の日付に行き着くまでにダイヤルを早送りします。いよいよ昭和4年9月16日になった途
端に何と「休」と大書きされていました。最初は意味がわかりませんでしたがどうも「休刊日」だ
ったようです。仕方ないので前の日と翌日の日付の記事をコピーすることにしました。
 コピー代1枚60円(用紙サイズA3)でこんなに楽しめるのですから、これから友人との待ち合
わせ場所はここも選択肢に入れることにしました。

両方の新聞は、
大正新聞のコーナー(←クリック!)

追記:
8月18日、横浜の映画館ジャック&ベティで「三十九枚の年賀状」を観ました。2度目の鑑賞です。
映画の中で日向日日新聞が出てきました。ネットで検索しましたらなるほど!!
国会図書館では資料請求をする前に各人がネットで検索します。請求人の興味の幅が狭いと、答えも
狭くなるということが分かりました。
宮崎県の新聞に関心のある方は明治からの宮崎県の主な新聞の歴史(←クリック!)

 
  「39通信」お知らせ    (2009年8月7日)

 宮崎発 映画「三十九枚の年賀状」は いよいよ横浜上陸するそうです。
ドルビーサランドの音響はさぞかしそれぞれのシーンを印象深くお届けすることと思います。
実話をもとに出来た映画を 多くの方に観て頂きたいです。
新しく「39通信」のコーナーを作りました。(ここをクリック!)
みなさまの投稿をお待ちしています!! 

 
  遠回りして    (2009年8月7日)

 ネットで予約していた本が到着したので予約番号をメモってセブンイレブンまで受け取りに行った。
自宅5キロ圏内に2箇所のセブンイレブンがあるのだが、私は「アソコのあのお店」と思い込んでいた。 「ご予約は受けていませんよ」。(教訓:お店の周辺の地図は変化している)
 それならもうひとつのお店に行けばいいわけだから「あそこのあのお店」に向かって出発。国道沿いに 歩けば早いが景色がつまんない。農家の畑をみながら随分と道草をして歩いた。番犬に吼えられて怖かった。 黒い犬は狼のように牙をむき出して私に「なに用じゃあ〜〜これ以上近づいたら わしの首輪はちぎれるう〜〜〜」 ってくらいの形相だった。真実怖かった。お隣の家の犬もそのまたお隣の家の犬も吼えたのだった。農家の 座敷犬さまは甲高いお声だった。(教訓:人家の近くで感心してモノを見ない。さらりと見て通るべし)
 私の故郷ではポチくんのように健気な犬もいたし猟犬だって番犬兼務で哲学を持っていた・・・ように思う。 吼えるべきときに最大公約数の力を出した。無駄なエネルギーは使わなかった。もっとも食の事情からも悟っ ていたのかどうかわからないが。
 花畑を抜け国道に出て東にもう1キロ歩けば目的地に到着する。車の往来が激しいので傘を畳んだ。曇り空 だが薄くなった水晶体にはまぶしい。お寺の門から人が出てきてぶつかりそうになった。門のそばに「24番」 の札所の文字がみてとれた。お参りをしてケイタイに記録。本は『俳句 4合目からの出発』面白い歩きだった。

 
  夏休み    (2009年8月2日)




 
   那須省一 著『集落点描』   (2009年7月29日)

同郷の友人である那須省一氏の本を紹介したい。


(以下、あとがきより)
 2008年4月から2009年3月まで読売新聞の西部本社管内の地域版で連載した「集落点描」を 再録してまとめたもので連載では紹介できなかった話題も加え、現地を今年に入り再訪、新しい写真 を撮って巻頭部分に加え、過疎問題に詳しい熊本大学の徳野教授のインタビューも加えた。

 那須氏は自身の思いを記している。
「願わくは今回紹介したような集落がいつまでも存続していって欲しいということです」
(以上、あとがきより)

 本に紹介されている村は、鹿児島・南大隈町、熊本・山都町、大分・佐伯市宇目、長崎・新上五島町、 山口・岩国市錦町、福岡・星野村、宮崎・西米良村。

 私はインターネットで連載コラムを読んでいたが、この本を読んで改めて深く共感するに至った。私の村も 限界村だ。これまで経済の確立を願ってトライするも具現化していない。その間に人は老い、山は荒れ、 水害が起き、村は縮んで行くばかりである。けれども太陽のように明るい心は壊れていない。
本の中の村にもそのような人たちがイキイキ登場している。な、なんでだろうかと考えてみたくなる本である。

発行:書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)
他、著書:日英対訳の時事読本『英語でさるく』

 
   「梅干と日本刀」と「パンツを穿いたサル」と「靴下を履いた山の子」   (2009年7月24日)

 夏休みになると 小学校の校庭に集まってラジオ体操をしていた。号令を掛けるのは子ども会の会長だった。 彼は裸足で朝礼台にあがって模範的な型の体操をした。終わると子供達みんなが朝礼台に集まって、本日確かに 体操をしました!!というお印の印をもらった。私が小学低学年の頃はいわゆる認印が押されていた。中学生は 折り紙の谷折り、山折りのようにして厳格な面持ちで印を押していた。大人は2,3人居たように思う。とにかく 中学生がしっかりしきっていたので安心して従っていたものだった。下駄の子、運動靴(黒、赤のズック)ゴム のサンダルの子たちいろいろ居たが、半分くらいは裸足で体操していた。私は裸足になるのが好きだった。足洗 い場で洗ったあとのさっぱり感を覚えている。昭和30年代後半までの記憶である。不確かだが印はただの〇になっ ていたのではないかなあ?。
 昭和40年代後半は帰省してもラジオ体操には参加しなかった。村の子供たちはどこか垢抜けてきていた。子供達は 外では靴下を履いていた。

「梅干と日本刀」の本を読んだとき村で育ったときのことを忘れて読んだ。「パンツを穿いたサル」を読んだとき はお腹を抱えて笑った。山の子を忘れて笑った。忘れるんだな。そう。忘れる。ゴキブリをみて見ないフリが自然 とできている私。カエルを見てギョッとする私。梅干を見て干す梅の酸っぱさを感じる私。そして実際にその種類の 梅を漬けている。ほうずきを鳴らさなくなった私。靴下を履かなかった山の子達は、水泳開始の合図の白旗が揚がると 家から腰にタオルを巻いて飛び出して行ったものだった。水玉模様の水着の女の子達は浮き輪を持ってくねくね駆 け出した。中学生のお姉さんたちはタオルを胸のあたりまで垂らしてちょこちょこX脚で急いだ。男の子たちは パンツを穿いてチョス(自作の竹の取っ手に鋭く研いだヤリをはめ込んだ魚を突く道具)を持って走る走る。 ほとんどの子供達はゴムのサンダルか裸足だった。誰もコケナイ。川に向かって子供達が走るのだった。ただただ 川で遊ぶのが楽しいばっかりの日課だった。野生の子供達はいなくなり、靴下を履く子供達の時代になってからは川は泳ぐ場所ではなくなり理科や社 会科のお勉強の場所になり、流れないプールで泳ぐようになっていった。この子らはよく学び県下の学校と競争す るようになった。村の学校に町の先生方が学習の研究にやってくるようになった。文化はもしかしたら足元からか も? 昭和50年代に入ると子供の数が著しく減ってきた。そして今限界集落となってしまった。
 ラジオを朝礼台にのせたら雑音が入ってそのラジオの入りの良い場所を探していた男の子は昨年還暦を迎えた とか。野生のあの頃のみんなにふと会いたくなる。


   朝靄の山脈(みね)   (2009年7月15日)

 今日は内陸を中心に37、7度と聞いたとたんに暑さが増します。映画「39枚の年賀状」の挿入歌を聴いて いましたら、ステキな言葉に衝突しました。まさにそんな感じでした。
達子さんのところへすっ飛んで行き、これがいいのでは!と歌詞の中の文字を指しました。達子さんはちぎり絵 のタイトルのことで「ふるさとの朝」にしようかどうか迷っていましたので。それにテレビは白鳳も朝青龍も勝 ったことですし(笑)。CDを一緒に聴きました。「朝靄の山脈」ピッタリと胸に響いたようです。
そは美しき・・・若山牧水の歌をヒロインとその親友が尾鈴の山に向かって音読するシーンと重なります。

映画 「三十九枚の年賀状」主題歌
作詞:図師三千男 / 作曲:川口真/編曲:川口真

あのひ見た 朝焼けの空
まだ消えぬ 薄あかね色
「まいっとき そんままん しちょって・・・」
あわき想い重ねて 三十九
ともに生きた時代
きみ いつか わが胸に宿りて
そは 美しき曙の如くなりき

きょう見あげる 朝靄の山脈
なお深く とざす乳色
「どうしてん まいちど 見たいっちゃ・・・」
はるかな想いたぐり 三十九
ともに生きた時代
きみ いつも わが胸にありて
そは 美しき曙の如くなりき
そは 美しき曙の如くなりき

 
  顔    (2009年7月14日)




 
 「39通信」    (2009年7月8日)

2009/07/08

図師 三千男様

七夕の日に、ステキな「39通信」が届きました。ありがとうございます。
トロントで上映されることを切に願っている中山あつ子さんはどんなに喜んだことでしょう。
トロントではカナダ時間の7月9日、日系文化会館に天皇皇后両陛下がご訪問されます。
あつ子さんは、新移住者協会として御接見のご招待をいただいています。

7月のカナダ便りが楽しみです。映画のことも! 新しい出合いの予感がしています。
                              感謝 くろまめ


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2009/07/07

くろまめさん。
「トロント宮崎県人会だより」拝見しました。
みなさんが、他県の方々とも文化やレジャーを通して、楽しく交流されている
様子がよく伝わってきました。
その中で、くろまめさんがおっしゃっていた「映画=三十九枚の年賀状を、日系会
館で上映すること」・・・これはそんなに難しいことでは無いように思います。
この映画はDVDプロジェクターでも上映できるようになっています。

宮崎では、フィルムによる映画館上映とは別に、DVD方式により各地の文化
ホールや公民館などで上映しており、とくに地域のサークルが主催して自分た
ちの文化活動の一環として活用して頂いています。
「日系会館」の観客収容は何名ぐらいでしょうか?例えば、300名X1日4回
上映など・・上映と監督のトーク(又はどなたかとの対談)とを組み合わせたり、
出演女優=松本明子さんなどのビデオメッセージを加えることもできます。

トロント在住の日系の方々に、父母が、祖父母がけなげに生きた昭和の嵐の時代
をスクリーンで体験して頂けたら、幾重にも重なる「愛」に心癒して頂けたら・・・
まして宮崎発のこの映画で。これは映画を作った者の夢でもあります。

 
 「39通信」    (2009年6月25日)

2009/06/25

図師三千男監督から「39通信」が届きました〜〜!!♪

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2009/06/25   図師 三千男

くろまめさん。
こんにちは。<をりをり>にご紹介戴いて、ありがとうございます。

日本の嵐の時代が、つい60年前にあったこと。
その中で、日本人が戦争という高い代償を払って、得たもの失ったものを、
美しい山河に囲まれたふるさとを舞台に、描きたいと思っていました。

これは、嵐の時代を生きた人々の「愛」の物語です。
出会いの一瞬に燃える初恋=「純愛」。不幸な境遇の友人に寄せる=「友愛」。
貧しく、しかし明るく慈しみあう=「家族愛」、姉と弟たちのけなげな=「兄弟愛」。
町の人々が身をよせあう=「隣人愛。」
そして、わがふるさとを思う=「祖国愛」・・・・。

なんせ、ヒロインの夏未エレナちゃんは、昭和20年に出会った颯太くんを、
時が流れて麻生祐未になっても思い続け、昭和42年、成長した颯太くんつまり
風間トオルさんとの再会を果たすんですからね。更に・・・
今の時代、想像もつかない大長編・純純愛!!!!です。

私は、お説教が大嫌いなので、笑いと涙で、そんな「愛」を描いたつもりです。
ぜひご覧下さい(ハンカチーフをご用意ください)
私は、テレビCMを40年つくって来ました。そのせいかキレイに描くわるいクセが
消えません。悲しみも喜びも美しい画面の中でこそ際立つと、今でも信じています。

映画「三十九枚の年賀状」は、
7/18日〜7/31日まで=大阪
8/15日より横浜で上映します、詳細は追ってご連絡します。

撮影中のスナップを添付します。

船場影


橋演出


ちゃぶ台演出中


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 宮崎発 映画「三十九枚の年賀状」の反響    (2009年6月24日)

2009/06/22

こんにちは。くろまめです。
みなさんからいただいたメールを図師三千男監督に届けたいと思います。
上映は今現在仙台と東京の2箇所だけのようです。
メールをお待ちしています!!


初めてご訪問くださいました方へ
くろまめをりをりの(6月15日付)(6月21日付)をお読みいただけたら幸いです。

図師三千男監督インタビュー動画をご覧いただきますと より 映画の趣旨をご理解いただけると思います。
(ここをクリック!)

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2009/06/23

「をりをり」拝見しました。
映画をご覧になってこられたのですね。監督さんにもお会いになれたそうでよかっ たですね。
映画は今のところ見ることができませんが、くろまめさんがご紹介くださったパンフ レットなどの写真がうれしいです。
宮日の監督インタビュー動画では、茶臼原や岩井谷小学校など懐かしい名を目にして郷愁にかられました。

妻駅は24年当時とあって、私の生まれた年だわぁと感慨もひとしおでした。実 際の映像ではもっと感動が伝わるのでしょうね〜。いつかきっと私も見ることが できたらいいなと思っています。   (蟻んこ)

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2009/06/23

「三十九枚の年賀状」

宮崎出身の福岡在住の者です。
以前にくろまめさんのをりをりで情報を下さってましたので カレンダーに書きとめまして待っていました。
私も調べまして仙台と東京の2箇所で上映中と知りました。
福岡の劇場にも問い合わせてみましたが未定との事、必ず福岡にも上陸するものと 待っています!!
題字も素晴らしい!!。   (めるすき)

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2009/06/22

映画のその後の展開について 西都市役所より便りが来ました。

シネマート六本木(03-5413-7711)7月3日(金)迄上映。

新編集・ドルビーサラウンドで臨場感アップ。
より昭和のイメージを深めるため、電線、夜景のビルの灯か等をCGで消したり 、襲来するグラマンの影を2機に増やしたり、バーのシーンを映画のテーマが より際立つよう再編集しました。
また、音響をドルビー立体音響に直し、臨場感を深くしました。
新バージョンは約1分短くなっての登場です。

県下でホール上映
7月26日  小林市文化会館   13:00、 16:00

連絡先:オフィス ニュータ 
宮崎上映 098321−5551  日野幸子
東京上映 03−3716−5855 松尾高良(企画制作統括) 

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2009/06/22

くろまめのをりをりを見せてもらいました。
読んでいるうちに地元のいろんな分野の沢山の人達が監督さんスタッフ出演者・・・プロの 方達と心ひとつにして大事に作りあげた映画なんだなとつくづく思いました。
同じ県人としてすごーく嬉しいです。見たい!です。   (あーちゃん)

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2009/06/22

映画「三十九枚の年賀状」の事はハガキをもらう前におばから少しだけ聞いてました。
おばは洋裁が得意で地域の老人ホーム等に小物を寄付してるみたいです。
戦時中の衣類などなかなか難しく苦労した話をしてくれました。試写会で画面に 自分の名前が出た時は嬉しかったとか。
映画見たいわ!
でも東京となるとなかなかね〜 (>_<)  (同級生)

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2009/06/22

今朝、をりをり拝見!
この内容が広く伝わることを期待したいです。
衣装担当の叔母の写真を見つけました〜。
叔母は後列の左から二番目です^^   (続同級生)

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2009/06/22

「39枚の年賀状」のこと読みました。
もう、私も観たくなってどうにかならないかなあ、と思っています。 そこで、日系文化会館ではムービーナイトというのがあるのですが、お話してみようと思っています。   (あつこ@カナダ)

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2009/06/22

観そびれていました〜残念でなりません!!
橘通りをほんの少し路地に入ったところに宮崎キネマ館(石井十次など宮崎映画祭という形で地元NHK番組で 定期的に紹介宣伝)があります。   (宮崎の人)

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2009/06/22

パンフレットの感想。
月並だけど戦後の食べるものにも事欠くほどの混乱の中にも人々は心を失わないで光を求めて今より 少しでも良い暮らしを求めて生きようとしたんだろうなあ。
だからこそ人と人の絆は深くなったんだろうね。
監督のお姉さんの体験は当時の同世代の人たちにもそれぞれあったでしょう。
一冊の本が書けるくらいに。
でもこうして文章にすることで映像となり後世に戦争を知らない世代にもインパクトを残せるわけだから それが凄いと思いました。   (訪問者)

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2009/06/15

今朝「をりをり」で、映画「三十九枚の年賀状」のご案内を拝見しました。
12月に帰郷した時にも西都原にポスターが張ってありました。そのときに帰宅して 検索してみたのですが、こちらでは上映がなさそうです。今日も検索をかけてみましたが 見つかりませんでした。東京では上映されるようですね。
妻駅の再現風景、あまり縁がなかったのですが懐かしさを覚えました。
駅舎の木の長椅子などに腰掛けて、壁に貼られたポスターなどを見ていたような記憶を思 い出しました。改札口に顔を出して長いレールの先を眺めたこともあったような・・・。
 見てみたい映画ですけれど。。。   (蟻んこ)


 
 宮崎発 映画「三十九枚の年賀状」を観て    (2009年6月21日)

 6月15日付けで映画の案内のことを書いていますが、もう一度読んでいただけたら嬉しいです。
本日夫と観に行ってきました。幸運なことに図師三千男監督発見!! ご挨拶をすることができました。
スクリーンからは懐かしい方言、山河、今は廃線になっている駅のシーンなど詩情溢れる映画でした。 方言ならではの感情表現は到底標準語では表しきれないと思いました。昭和を生き抜いてきた人間模様を 多くの方に観ていただきたいと思いました。

図師三千男監督インタビュー動画をもう一度ご覧下さい。(ここをクリック!)

以下↓プログラムより抜粋です。











 
 宮崎発 映画「三十九枚の年賀状」    (2009年6月15日)

 照り曇りの中、収穫した紫タマネギをベランダに干した。夕方雨になり夜になると激しい雨音を立て雷鳴も。 そんな今日、一枚のハガキが届いた。

図師三千男監督インタビュー動画を(クリック!) 見れたことで2回は見なくちゃと思えてきた。先ずは夫を誘ってから次に友人たちと観に行こうと思っている。




 
  セツブンの布遊び    (2009年6月24日)
 句会のあとに始まった話。そして今日実現した日。出来上がった物はメガネ入れ。
三人の名前の頭文字を読んだら「セツブンマメ」と読めた。私は二人には伝えずにいる。

 使った布は、娘が高校の頃に縫ったままにしていたもの。さて、どのように形にしようか?  カットするには惜しい。こんなに丁寧に縫っているんですものと私。それじゃ〜入り口のとこ ろだけ少しカーブにしてみたらどう? とセツブンさん。ノートの残り紙を使ってあれこれ折 っては形を作ってみたが、結局は底は平らに入り口は丸くすることにした。
 厚手の布を(いただいて)合わせて仕付け縫い。丸みはお湯のみ茶碗を逆さにして印付け した(なるほど)。バイヤステープで縁取ってからキルトふうに斜め縦横に縫った。残り三枚は もっと布を繋いで、つば広の帽子にしてみたい。写真のヒモの付いたものは”スイカ入れ”(パスケース) でセツさん手作りのものをいただいた。





セツさんもブンさんも 家にある布を捨てないで生かそうという考えから 楽しんで針を動かしている。 お家の布をカットして着物地と洋服地に分け更に材質で分けていた。外国の生地は発色も柄も美しく エレガントなのですぐ目に飛び込んでくる。我が家でもケースに入れていていつかは縫おうと思いながら 未だそのままにしているのでそれも合わせてみんなで使おうかとも考えたが かえってご迷惑になると思った。 その量たるや まだまだあるらしいから。
 彼女達が繋いでいる布はかなり大きなものになるようだ。大フキの葉っぱをイメージして繋いでいるのだそうだ。 全くの趣味の世界であって 針を動かしながらお喋りしましょう〜という感じ。お茶もちょっと楽しい。
 普段は降りない駅で降りてお迎えのブンさんに手を振ってから歩くこと20分ほど。高台に出た。電車の 窓から見える家々はほんの駅寄りの所だった。どこの家もアジサイがカラフルだった。

 追伸: 今後 せつさんとぶんさんの素晴らしい作品を紹介して行きたいと思っています。布をじっと 見ていると記憶の中の感動したさまざまなことが色彩の組み合わせでつぎつぎと広がって結実して行って いるのだと思います。豊かな発想が形になっています。裂き織(シルク)のジャっケットなどぜひご覧下さい。 以上〜〜〜予告でした〜〜〜♪


 
 初夏のクラフト バザール   (2009年5月23日)

 毎年5月と10月に二日間だけ開催されるクラフトバザールに行くようになって から今回で9回目になる。40名のクラフト作家達とその生徒の作品も出品されるの でその量たるや!! そして売り切れるのであるからその人気も推し量れる。
今日はお天気もよく開場30分ほど過ぎて行ったら、第1第2の駐車場も空き がなかった。案内の人が言うには、「農道のほうへ停めてください。駐車禁止の 看板はありません」
 ここはもともと江戸時代からの個人邸宅で(屋号 相島)、現在はクラシックさを生かして 「相島文化村」(有形文化財)として広く親しまれるようになってきた。蔵は音楽堂 になったり骨董市になったり、お庭は薪能舞台だったり観月会や野点だったり奥座敷ではお茶会 、貝合わせ、歌会、投扇興などさまざまな会の行事として定着している。また母屋、宿坊、釜屋 では陶芸や染色などのお教室も開かれている。
 本日のお屋敷の中は熱気むんむん。なにしろすさまじいのである。セミプロの客人 を相手に作家達が対応しているのでそばにいるだけで面白くなってくる。窮屈だけれど 面白い。人いきれでダウンしそうになりながらも面白いのである。人が抜けてふっと空気が ながれてきたところに良い香りがたった。手紙に添えて送れるお香だった。私は頭に浮ぶ人たち のぶんを買った。若い作家が一生懸命説明をしてくれたぶんだけ頭に浮ぶ人の数も増えていった。 それからはちっちゃな布袋に目がいってしまった。自分用には革細工のバックを買ってしまった。 ひと工夫なされている作家達の日頃の探求が商品になっているので買わずにはいられない。
 中休みをとることにしてお屋敷の外の駐車場側の仮設茶屋でカレーをいただいた。それからまた お屋敷に入ってまだ見ていないコーナーを見て廻った。草木染のショール前では去りがたくなって ・・・茜色が実に美しかった><。
 2時間近くも手作りの品々を見ていると気分はやはり良くなるのである。去りがたくなって いたこともあのような美しい色合いに染めるにはどのようにしているのだろうかと知りたくなる。実 際に染めてみたくなるのである。

「相島芸術文化村」 公式サイト (クリック!)

 
  SAKIKO.Y アイリッシュ クロッシェレース  (2009年5月13日)



↑写真は、SAKIKO.Y のアイリッシュ クロッシェレースのモチーフの一枚。

2004年5月、横浜「山手111番館」でアイリッシュレースとウェディングドレス展を開催したときに プレゼントしてもらったもので額入りのセンスの良さにも感激したものだった。  お気に入りの場所に飾り冬日が当たるようになると別の場所にお引越しを繰り返してきた。5年経って レースの色は変わっていない。
 親戚でもあり私のもっとも若い友人である。

米谷佐貴子  SAKIKO YONEYA 

女子美術短期大学グラフィックデザイン科卒業
デザイ事務所、広告会社を経て ニットの世界に
2000年アイリッシュレース教室開設 
2004年アイリッシュレースとウェディングドレス展開催

「SAKIKO.Y アイリッシュ クロッシェレース」(クリック!)

 
  神田祭ウォーク2009  (2009年5月9日)

 5月9日(土)、昨夕の虹は予想通り晴天をもたらしてくれた。お茶の水駅で下車して聖橋を渡る頃には それと分かる格好の集団が列をなして神田明神へと向かっている。受付を済ませた者から順次出発というわ けも頷けた。真っ白なタオルとウォークマップをもらって、私とあやめさんは午前9時過ぎスタート。
 コースは3K、6キロ、10キロとなっていて私たちは10キロコース。気温は徐々に上がってきて浜町 公園で20分程休憩をとった。十思公園入り口前で係りの人から「ここは小伝馬牢屋敷跡で吉田松陰が入っ ていました」の一言で休憩。時計は12時丁度だった。太陽は頭上に来て短い影になった。私はタオルを帽子の上 から垂らして兵隊さんのようにして歩いた。そのような帽子を被っている人たちが増えてきていた。日除けの部分は 着脱できる帽子のようだった。(来年はコレにしよう) やがて木陰の通りを歩く人たちとマップに忠実に歩く人た ちと二手に平行に歩いている箇所があって面白かった。私たちは木陰派になったり忠実派になったりしていたが 油断すると炎天下(もうそれに等しかった)を歩く羽目に。

 ゴール13時15分、20708歩。ゴール受付で4箇所の関所(スタンプポイント)をクリアした者には お守りのお札が貰えた。4つのスタンプの文字は「神・田・明・神」。それからはまことにゆっくりお弁当を いただき、ゆったりとお茶で乾杯! あやめさん、ポットで持参ありがとう〜〜 ♪ 

 

 


 
  羽田から成田まで (同級生へ)  (2009年4月28日)

 26日、あつ子@カナダさんが@宮崎になってから@羽田になるのを同級生5人と待っていた。 電光掲示板の到着時刻がすこし遅れた。アナウンスを聞いていたつもりだったが、あつ子さんに 声を掛けられて5人は振り向いたのだった。私は1年ぶり。4人は9年ぶりの再会。歳月はそれなりに それらしいものにしているわけだから認め合って先ず記念撮影。
   「善良な人を連れてくるね〜」とカメラマン発掘に向かった私と最初に目が合ったのはまさしく善良 な青年だった。お願いすると浅く頷いた。(内気なのか? 国籍は?)「こちらです」と言うと付いて きてくれた。カメラを渡した。浅く頷く青年。みんなは無言。わずかに動いてハイ!ポーズ・・・。 もう一回お願いしますというと素早くパチリ。青年に礼を言い青年が去った後、画面を覗いた〇〇ちゃん 。私は青年を連れてきた責任をとって足元まで入れようとしてズームアウトしすぎて熟女たちはコケシ人形の のよう ><) 今、彼女達が撮った写真を期待するしかない。
 カジュアルなスタイルの昼食会をあつ子さんには伝えていたのだったが、お寿司屋さんでは6人の席は とれなかった。お蕎麦も待ち状態。讃岐おうどんのお店では「お席は4名様、2名様に分かれます。15分 程お待ちいただきます」ということで外の椅子に掛けておしゃべりの続きなど。美味しくいただいてからは ご歓談の場所探し。なんとも準備の悪いことだが、頭の中ではこのような状況も愉快な出来事になっていくに 違いないのだからと納得させて歩く私。私達?。オウ〜アッタ、アッタ〜。「あのう・・・人数が多いので ご迷惑をお掛けすると思います。隅の席がいいのですが」とお願いしたらそのようにしてくださった。
 これより、本当の意味での歓迎会の始まり〜。お土産や懐かしの写真などを前にして弾むことったらなんの ったら。^^)あつ子さんは話が三分割したり二分割したりするのを笑って聞いている。取材にはよく応えて 笑っている。お茶をお替りしデザートを注文し・・・もしやご迷惑ではとウェイトレスの方を振り返れば まったくこちらのテーブルには目を向けていない。いましばらく話の続きなど。とにかく愉快なのだから。 次の帰国の時の計画も出て再会を約束して解散となろうとしても別れがたくお店を出てからもどこか落ち着く 場所の方へと移動している私達だった。出発ロビーの椅子に掛けてまだ続いていたのだった。ようやくお尻を 上げてそれぞれが帰って行った。私とあつ子さんは成田へ。そしてホテル到着してからも午後の歓談の余韻は 消えず、懐かしく温かい夜を過ごすことが出来た。

 Tさんのお土産の手作り布草履と手作り根付。
 

   翌朝、ゆっくり1時間ほどかけて朝食。お粥の和をいただき、フルーツ、コーヒーを飲みながら・・・ 食は二人とも細かった。語りは深く長かったようだった。ウェイターが顔を覗き込むようにしたとき気づいた のだった。「10時までで・・・お時間でございます」
 それからは慌てて成田山新勝寺へ。細く長い参道は車は走り工事の音が響き渡り数店舗定休日らしい。お寺は 改修中の所もあった。「豆撒きはどこで行われるの?」という彼女の質問が良かった。ちょうどそのとき修復工 事の職人さんを見た。聞きに走った。その方は彼女の立っている所を指して「友達の居るあの場所です」そこま で近づいて行き、更に詳しく教えてくださった。来年の2月、トロントのテレビニュースをみたとき、この場所 が鮮やかに浮んでくることだろう。


 裏の成田公園の石段に梅の実が落ちていた。上がりきると藤棚。奥に進むとヤマモミジの若葉の隙間が青空で 埋まっていた。境内のカメが10匹程一斉に甲羅干ししているのを見ている彼女の姿も可愛らしかった。案内の し甲斐を感じたシーンがあちこちで見受けられてほっとできた。そしてここに来たらここの鰻やさんでと思って いたお店で食事することもできて嬉しくなった27日。成田空港にはトロントでのご友人がお見送りにいらして いた。少しの時間でもという思いが伝わってきた。

   あれからもう一日が経過した。シロバナタンポポの種もついに太平洋を渡りカナダに到着した。あつ子さんは 時差の眠りから目覚めた頃だろうか。

 
  「阿修羅展」   (2009年4月23日)

木曜日の今日は朝から快晴。私たちは早めに家を出た。上野公園は桜はすっかり 葉桜になっていた。大イチョウは新緑の真っ只中。人々が続々と阿修羅展の会場方向へ 歩いている。修学旅行の引率の先生が大声を上げている。足元を見るとスニーカーちらり。 そういえば私の世代も同じ思い出がある。先生は白靴で裾さばきも軽いようにズボンの丈が 短くひらひらしていたなあ。(平成の先生は足も長くて格好が良かった)・・・ふと、ベンチを 見れば、背中向きに座っている人が多い。世の中には人に顔を見せたくない人もいるのだろう。
 入場門近くに列が出来ていた。それを見て、私が「一時間待ち?」ってつぶやいたら、そばを歩いていた 修学旅行の男子生徒が「1時間待ちだってよぉー」と前の列に電光石火伝達されて行った。いけない! 慌てて訂正して詫びたら「申し訳ありません」と礼儀正しく挨拶して多と思うや電光石火「違うってよー」と 伝達して行った。
 展示室はうまくライトアップされていて荘厳な雰囲気に包まれていた。足元はご高齢の方には危うい。 義母は上と下に注意を払いながらそれでも興味深々。時おり椅子に掛けて熱心に見ていた。平日とはいえ 想像以上に人は多く特に阿修羅像の周りは1970年代パンダがやってきたときのあの感じであった。国宝・ 八部衆像、国宝・十大弟子像は見応えがあった。
 一生踏んづけられている邪鬼も気の毒なものである、と内心思いながら一方では国宝の仏像の揃う展示室を 近くに居て見れる機会が得られたことをありがたく感じた。   外に出ると、すごい行列!! 11時過ぎ頃には「50分待ちです」との看板が出ていた。無料貸し出しの 傘にご年配の方たちが次々と手を出していた。中には2回目という方もいた。
 

 
  ドイツ大会へ。金井二一奈さんのテディベア     (2009年4月14日)

土曜日の花見のあとに、「自由時間」に立ち寄った。ここは、不定期にオープンし、期間は三日ほど。 オーナーご一家のおおらかな商いは長く続いている。父親は服飾デザイナー。母親は元スポーツウェア デザイナーで退職後に独学で人形作りをされている。娘さんはテディベア作家の金井二一奈(にいな)さん。 ご一家の作品が程よい空間をおいて展示されている。
 今回は、カナダから友人が帰国しているので彼女の雰囲気に似合う小物などをプレゼントしたく、そして 二一奈さんの「ドイツ・テディベアトータル」に出場ノミネートが決まったというテディベアをみせていた だきたく伺った。お母様も二一奈さんもすぐに私を分かってくださって恐縮です(ペコリ)。
私が初めてテディベアを見たのは5年前だった。あれからトップクラスの賞をたくさんいただいている二一奈 さん。韓国でグランプリをとったテディベア君も抱っこできた。ドイツに行くテディベア君も抱っこできた。 目の色も肉球も一層リアルに感じた。首を傾げたときに膨らみが出る工夫がなされていた。二一奈さんは出場権 (ノミネートファイブ)を獲得し、もうすぐ世界代表のベアと競うためドイツに出発する。4月27日にはグランプ リが決まるのだそうだ。



 「カナダから帰国している友人に東京で会うのが楽しみなんです」と近況を話しながらお人形さんを手の平に 載せてお人形さんと相談(おもしろいなあ。これがいいなあ。どう?)していたら「カナダのお友達にあ・げ・る〜 ねえ、面白いでしょう。和の柄もここにもここにもあるし。これはね、一個だけ作ってみたのよ」と。私はありがた くいただくことにした。東京で再会する日、友人に詳しく語りたい。

  追記: 写真家の撮影した白熊と二一奈さんのテディベアとのコラボの計画もあるそうだ。また、小児患者に 対するテディベアの癒し効果の有効性を検討する「テディベアの癒し効果に関する研究」(筑波大学附属病院臨床 研究倫理審査委員会承認済み。)は今後も続けられ,その有効性が大いに期待されているそうだ。

 
 鮎を愛して    (2009年3月26日)

 山の子と海の子と町の子の中で科学するこころが育つのはどこの子が早いかなあと町で生まれ育った友人と 話題にしたことがあった。私は自然科学の宝庫の中にオギャ〜っと生まれていたのだったが芽生えは皆目なかった。 勿体無い時間を風のように費やして少女になっていた。友人は幼稚園のときから「科学しましょう」と園の先生か ら言葉を聞いて「かがく」の音がとてつもなくすごい感じがしてわくわくしていた自分を今でも覚えていると言っ た。そんなことを思い出させてくれた嬉しい昨日。
 25日付、朝日新聞の文化の欄にお会いしたことのある田子康彦氏のお顔が載っていた。岩波出版「科学3月号」 に氏の論文『サクラマスは甦るか』が掲載されている。その論文に関して社会経済学者・松原隆一郎氏が『論壇時評』 で紹介していた。

 鮎を愛し、川を愛し、自分の持てる知識は社会に還元したいと仕事をしている田子氏 (知人の評)のことを新聞紙上で詳しく知ることができてうれしく思った。 図書館に行く機会がありましたら、ぜひご一読を。

 


 
 「点訳」のこと    (2009年3月20日)

ここのところ故郷につながることを見たり読んだりすることが続いている。先日は、 同郷のアリさんが所属している点訳の「虹の会」(クリック!)  で、これも同郷の那須省一氏の『英語でさるく』の点訳に着手することになったという嬉しい知らせを聞いた。
私はとっさに英文の表記はどのようになるのだろうか? と思った。アリさんのつぶやきを聞かせてくださいとお尋 ねしたら、「まだ始めたばかりで落ちつきませんので、軌道に乗ったらつぶやけるかなと思います。試しに撃っていた ものでよければ」と添付してくださった。「こんなふうに墨字もだして校正しています。右の英文の赤文字は省略で きない文字で、色の変わっている文字は縮語や略語や略字で点訳マスを少なくしたものです。パズルのようでおもし ろいでしょ!」
 

「くろまめのをりをりー6(2008年5月1日付)」(クリック!)に『英語でさるく』について紹介しています。
氏は現在コラム『集落点描』(クリック!)を九州読売新聞に連載中。最終回は宮崎県西都市西米良村。西米良は私の故郷にもっとも近い位置にある 最も親しい村です。ネット上でも読むことが出来ます。

 
 「銀鏡神楽」 NHK放映!!    (2009年3月8日)

 「3月8日、3月15日に『第9回地域伝統芸能まつり』をテレビで放映します。なつかしい銀鏡神楽です! 見て下さいね〜。」 同級生は余裕を持って知らせてくれたのだった。私たちは録画をセットしてから外出した。

 「銀鏡神楽」は第4番目の登場。舞台の照明がタイマツの灯りほどに落とされて・・・右袖から鈴木健司元 NHKアナウンサーが現れた。「『昔私が熊本におりました頃に銀鏡神楽を知り・・・』」と明快に銀鏡神楽を 紹介してくださった。銀鏡へのアクセスからして神秘的なのである。「熊本って〜入局時代かしら? 県立劇場 の館長時代かしら? 入局と退職後のどっちなのかしらねえ〜?」・・・ソファの二人は氏の解説に耳を傾けていた。

 カメラは足の動きをよくとらえている(この足元は特に見ていただきたい)。太刀の鈍い光も鈴のかすかな音も 澄んだ空気を縦横に動かすときの空気感も篠笛と太鼓のほそ〜〜〜く たか〜〜く ふと〜〜い音が織り成す アニミズムの世界がホールに現れた。実際(自然のなかでの舞台)は、奏者の後方上部に幸御霊(さちみたま)の 猪頭(シシガシラ)が並ぶ台がある。横風が立ち、竹のこすれあう音などがお囃子の音色に乗ってそれは幻想的なのだ。

 激しい動きの舞「式16番 柴荒神」(俗に「はらかき荒神」ともいう)を終えた青年に「お幾つですか?」司会者 がマイクを向けた。「40・・・ちょっと(笑顔で)」会場がどよめいた。国の重要無形文化財指定の銀鏡神楽を継承 することの意義・・・それは並大抵の気持ちでは続かないのだ。40代、50代、60代、70代のみなさんの銀鏡神 楽にかける練習量のすべてが彼の「がんばります!」の一言に凝縮されていると思った。「猪はどうするのですか?」 「ありがたくいただいております」に会場が沸いた。今年も12月の夜神楽は日を変えることなく形を変えることなく 執り行われる。

再放送 NHK教育テレビ  3月15日(日曜) 15:00 〜 16:30




↑写真は同郷のアリさん提供。

  当サイトのリンク「銀鏡神楽」もよろしかったらご覧下さい。

 ECOかも    (2009年2月17日)

 本日所用で病院へ行った。看護士さんたちが滑るように廊下を急ぐ足元が部屋から見えた。「失礼します」 とお掃除の方が入っていらした。ゴミ箱の中身をさ〜っと抜いて(新聞紙!!?)取り替えてくださった。 「それは?」とお尋ねしたら「ああ、これですか?」と袋の中から取り出してみせてくださった。兜折りの前 段階のような形をしていて開いたら袋状になった。私は思わず「いただくことできますか」と聞いた。
 帰宅してしばらく置いていたが写真を撮ってからお手本にしようと思った。もう一つの写真は、友人手作り のキャンデー入れ。喉が弱い私にプレゼントしてくれたこの巾着をいつもバックに入れている。談話室で開い ていたら「まあ〜すてきですねえ〜」とご婦人が覗いていらっしゃる。キャンデーを差し上げて一緒になって編 み方研究。「色も可愛いわねえ〜」「このリングは指輪なんですよ。リングの穴に縁取りの部分を入れて引っ 張るとほらっ!」って引っ張って見せた。もう拍手拍手。私が新聞紙に興味を持ったように巾着を見ている目 は「編むべし!」の決意の目に見えた。それからは新聞紙のゴミ袋を紹介することができた。ご婦人はもしか したら九州のご出身だったかも。なにしろ感激やさんだった(笑)。






 フラダンス   (2009年2月15日)

 日曜日、渋谷駅ハチ公口は群衆がゾロゾロ裾を引きずるようにして行き来していた。そらまめは上手に 進むが私はゾロゾロ組の靴のかかとに引っかかっては「あら、ごめんなさい。あ!失礼」と言いながら そらまめの頭を目印になんとか進めた。東急ハンズで時間を過ごすことにして上から下に各階の売り場を 見て回った。かつてのように”ここに行けばある”という感じは薄らいでいた。それでもレターセット売り場 ではおしゃれなものを見つけることが出来た。コーヒーショップで友に便りも書けて、フラショーの開演まで 余裕をもって入ることができた。



 「くろまめのをりをりー6(2008/7/16記)」に『フラダンスな日』のことを書いているが今日に繋がった ことが妙に懐かしく思えた。アカデミーオブ・ハワイアン・アーツは今回で二度目の来日という事で今回は トラディショナルな舞台になるということで、期待は大きくイメージはオアフ島のポリネシアン文化センタ ーで観たショー的な踊りだろうかろかと想像は膨らんでいた。実際の舞台、歴史をテーマにした『ワイ キキ、その魅惑』に衝撃を受けた。特に前半のカメハメハ大王軍団の兵士の勇猛な戦ぶりを女性16名が 踊る様は圧巻だった。袖のあるドレスは海外との貿易で得た布(タフタのように見えたが?)だろうか。解説 (歌詞も含めた)の言語は全てハワイ語で舞台の両袖の電光掲示板に和訳が表示された。たった一人で40分も打 楽器を鳴らしながら歌う主催者でもある男性にも驚いたが、とにかく見ごたえ聴き応えのある舞台であった。 後半はワイキキの浜辺を背景にして愛のメロディーをちりばめた内容になっていた。
 アンコールの拍手に応えて幕の前に出てきたダンサーひとり(踊りの名手と言われている)のいでたちは、 ブルージーンズのショート丈にアロハシャツだった。手にはバケツ(昔、浜辺で海老を採っていたという) を持っていた。その踊りはおおげさではないがゆえに指先、目配りなどすべてがしなやかで実に美しいと思 えた。観客の意表をつくような演出にも今回の公演の目的がハワイの伝統芸能を継承するという強い責任と広 く文化を紹介したいという思いも伝わってきて大いに満足することができた。髪飾りとTシャツを買ってしま った。

 ところで私は背が低い。前の列斜め前に背の高い女性が腰掛けたときに「ああ〜」・・・。視界がさえぎら れた。先に来ていた私はとても良い位置だったので安心していたがその方は175cm以上はあると思われた。 (オーチャードホールの席は段差が少ない)そらまめと交代すれば後ろの席の方も同じように大きい〜って思 うだろう。後ろを振り返ったら小さなお爺様が居眠りをされていた。そらまめのジャケットを畳んで座布団に してみたら5cmくらいは座高が上がり平均女性身長に近づけたのでこれならご迷惑ではないなあと再び安心に。 ああ〜しかし斜め前のご婦人の頭は大きい。しかも髪の毛の量も多くロングときている。後ろに髪を払うのだか ら〜もう〜〜どうしよう〜〜。舞台の3人の姿を消してしまうご立派な頭ですから〜ああ〜どうしましょう。休 憩中にそらまめが席を交代してくれた。お爺様は目覚めたり寝たりされていた。お爺様の斜め後ろのご婦人は問 題ないようだったのでもう安心したぞお〜。(ホッ)

 手織り・・・ようやく仕上がりました   (2009年2月8日)

 日脚が伸びて居間は陽がいっぱい。外は風がゴウゴウ吹いている。半分サイズの白菜を部屋で干した。
 長く気に掛かっているポータブル手織り機を北側の部屋から持ち出した。久しぶりに居間に運び出して見て みると、木枠はすっかり冷えていて横糸のシャトルがなんとも哀しげに織りの上に横たわっていた。日なた に移動して少し織った。100円ショップで買った毛糸のピョコンと飛び出した部分がなんともいい感じだ。 シャトルの運びが均一でないこと、へドルの操作がきつかったりゆるかったりしたことで波打っているが全 体にニュアンスのある仕上がりになって満足している。糸の切れ端はピンクッションに詰め込んでうんと太 らせた。折り紙をして、白菜を漬けて、マットはアイロンをかけずに壁に飾った。



 2007年12月15日、ポータブル手織り機を購入した。足踏みの機が欲しかったが、先ずはどのような ものかを知るところから入って行った。ここまでは実に迅速だった。そして機を組み立てる時も織りはじめて からも友人が傍にいた。そうやって機織記念日は盛り上がったものだった。それからは時折に夢中になり、や がて中断してしまった。ビデオで最後の横糸の始末を見てからと思いながらそのまま北側の部屋に置いていた。 気掛かりなことの二つの中の一つがこれだった。もうひとつの気掛かりは、新四国相馬霊場八十八ヶ所巡りの 満願までまだまだ先が遠いということだ。気を改めてゆっくり行くことにしよう。
 コーヒーの豆を挽く音が乾いて聞こえた。落ちてくるコーヒーの香りはブラジルの大地の香りか。とにかく 達成感が感じられた日だった。

  土曜日の日だまり  (2009年1月18日)

 茨城県・利根町の「コーヒーハウス とむとむ」は、カナダ杉で出来たドーム型のお店だった。 入り口の上部にはコーヒーツリーのステンドグラスがはめ込まれていた。店の中は思ったより広く 私たちはサンテラスの予約席に腰を下ろした。コーヒー専門店とあり選ぶのにも大変なほどのコーヒー の種類だった。店主はコーヒーマイスターの第一期生でジャパンバリスタチャンピオンになった方だ そうだ。そのようなことをお招きくださった方から伺いながらメニューを決めていった。コーヒーの 選び方の一つに座標(ライト、ボディ、フルボディ、酸っぱい、苦い)があって好みの位置の番号でオーダーした。 食事とスィーツを選ぶときも迷うことが楽しかった。話題は日本と海外の習慣の違い、趣味の話し、老後の 暮らしの心構えなど日だまりの中で時間が過ぎて行った。
 私は亡き正美先生(「ひだまりの散歩」)がお好きだったというシフォンケーキに決めた。先生は93 歳までご自分で運転をされてよくこちらのお店に来られていたそうだ。私たちは店主の栽培するコーヒー 豆のハウスを眺めて解散した。
 初めて訪れたこのお店がこの日のうちに気に入ってもう次週にも行ってみたくなっている。
 

 本年もよろしくお願いいたします (2009年1月1日)




 良いお年を! (2008年12月31日)
 23日から31日の明け方まで風邪の咳で苦しんだ。咳が激しくなると声が出なくなるので注意を してきたが長引くにつれ声はほとんど出なくなってしまった。声が出ない不自由さを感じながら年の 暮れに風邪を引いてしまったことが情けなくてしかたなかった。熱は38,4度から徐々に下がって きたがイブもクリスマスもダウン。26日熱が下がって家事をこなせた。
 27日、28日、29日、夜になると熱37度台。咳をするときにお腹に力を入れているので肺、 背筋には疲労はない。のんきに観察している自分も居て家族もその体質を知っているので病院へ行く ことは最初から考えていなかったがしかし長かった。30日、完全ではないが声も出てきた。31日 の今朝、平熱。午後平熱。ぎりぎり間に合った。
 ショールの穴を水玉風に直した日の時間のたっぷりあった日を今更に思っている。マスクを外して 話せる開放感と家族揃って食事を摂れる事が嬉しい。みなさん、良いお年を!!

 修繕 (2008年12月21日)

私は首が短い(イカリ肩でもある)。ハイネックが好き。冬は薄手のハイネックセーターにショールや マフラーをかけておしゃれを演出しているつもりだが、鏡の前の私はただの肩こり人間。ガチガチ凝って いる肩をほぐそうとしているかのようだ。それでもハイネックがすきなんだなあ。
 お気に入りの透かし模様のショールを広げたら穴が開いていた。そんなには目立たない。三角に折って みたら穴は消えた。先々週のこと、ぐるぐる巻いて集まりに出かけた。帰りにみなさんがお茶しましょと なって、オーダーをしながらグルグルまわして外した。テーブルにふわりと置いたら頂点が透けて見えた。 しかも大きく透けてテーブルの木目が見えた。「いい色ねえ」と隣の席の人が言った。「ありがとうござ います」と答えた。
 「人は自分が思うほど思っていません」というどなたかが言った言葉があるが、穴に気づいて身につけ て行った私は少し恥ずかしく思った。それからも穴の開いたまま使ったが、もう12月も半ばに来・・・と 意識したとたん、きちんと修理をしなくっちゃあという思いになってきてガラス窓に透かしてみたら、なん とその穴は大きくなっていてしかも小さな穴まで発見できてその数14箇も発見してしまった。さて、お直 しをどのようにしようかとひらめいたのが穴=お花に見立てよう。花びらは難しいので水玉ふうにしようと 決めたところまでは一直線に向かったが、毛糸探しに随分と時間がかかった。義母が編み物好きなので長年 の残り毛糸がたくさんあるにはあるのだがいろいろ出てきて、穴ふさぎの目的がしだいに新しく帽子を編み たい気持ちになってきてベストも、バックもと出来そうな気分になってきてこの糸あの糸の組み合わせを楽 しんでしまった。辺りは大中小の毛糸玉が転がっていた。日延べしてゆったりと取り掛かった。久しぶりに 編み針を動かしていたら、なんとも楽しい気持ちになってきて穴の数が多かったことまで嬉しくなってきて いっぺんに終わらせることがもったいなくなってきて丁寧に時間をかけて仕上げた。バイヤスにして巻いて みたら肩の辺りに水玉がポポーンと出て、肩甲骨辺りにポツポツポッと出た。

昨日、92歳のご婦人の創作ニット展を見に出かけた。この方は私の住む町のバザーに作品を出されたことが あるそうだ。知る人ぞ知るこの方の作品を初めて見ることができて良かった。デザインも色のコンビネーショ ンも個性が際立っている。編むことを楽しんでいらっしゃる現役の趣味人の粋を感じた。ご婦人の作品を身に つけてくださる人にも伝染しているに違いないと思った。 私は穴ふさぎのための毛糸編みをこんなに楽しめたのだから24日の集まりには変身したショール巻いて行 こうと思っている。

 思い出 (2008年11月24日)



 今日は終日雨。デジカメの写真を整理していたら、懐かしい時間が思い出されてきて この写真をファイルの外に置きたくなった。
 日付は、2004/2/13 23:21:56。バレンタインデーの前夜、リボンをかける前に撮ったのだった。その日 は朝から一体何個作ったのだろう。夫の分、友人、趣味の先輩のみなさん、家族のぶん、そしてこの方へ。 ケースは正方形、長方形、丸型と買ったものではない。自然と集まってきた(プレゼントにいただいた箱 とか自分でお買い物したときの箱とか)箱や、包み紙、リボンを使って、メッセージカードは手製で トータルで楽しんで作った日の時間が思い出されてきた。
 「正美先生」(私にとって俳句の大先輩)が体調を悪くされてから丁度1年が経過していた2月、ハート型の特別な箱にお好きな配色の 春のカラーで包んで持って行った。最後に作った生ショコラだったので上手に出来たのだった。
 届けた日はとてもよい天気だった。前もってお約束せずに出かけたのだったがその日はサロンに出ていらし ていて、車から降りたらすぐにご家族の方が気づいてくださってそのままそちらへ行くことが出来た。本当に いいお天気だった。明るくお話も弾んで先生の笑顔がはっきり浮んできた。コーヒーで乾杯したものだった。 先生は100歳でお亡くなりになった。もっといろいろなお話を伺っていたかったと思う一方、過去のご立派 な実績を語らずひょうひょうとされていた面差しが懐かしい。先生がご健在だったら”ケータイ”に可愛いキャラクター のストラップをぶら下げていらしただろうなあ。
 23時55分外は冷たい雨が降っています。

 第6回「女4人の旅」 2日目 (完) (2008年11月20日)


5時起床。外は雨。
4人揃って朝風呂へ長い廊下を歩いた。廊下の壁には印象派の絵が数枚掛かっていた。何往復しても 互いに感想を言わないのがいい。
朝食前に私は笹団子を食べちゃった。お粥をいただき、第2第3弾と洋も中も制覇した。笹団子3個と 共にチェックアウト。
横長のホテルを撮るのに散策も出来て良かった。 (Y子撮影)




    8時過ぎ弥彦もみじ谷(散策)へ出発。
「観月橋」と呼ばれる木橋の周辺では深紅のモミジと赤い欄干を背景に撮ろうとする人たちが押し寄せて 来てその隙間を掻い潜ってようやくパチリ!!  群集はここだけで他の場所ではゆったりと鑑賞するこ とができた。傘をたたんでゆったりと。



 弥彦山(標高634m)の麓駅までバスで移動。谷の紅葉を抜けるとそこは越後平野が一望できる場所だった。 バスを降りて山頂までクライミングカーで登ることに。所用時間1分は長かった
 山頂で昼食(山海ワッパ飯)。帰りはロープウェイで10分間浮くことになっていた。乗り場まで長い階段を下 りて行った。下り方向には立つまいぞ!立つまいぞと思いながら降りたら、運良く先頭集団に入っていた。 私ともう一人は山頂に向いて立った。他の二人はどこに居たのだろうか。12時発車!! 

 私たちは美しい紅葉の山肌を上から下に何度も目を上下させ、そのたびに声が出てしまった。紅葉と黄葉の重なる 所も重ならないぽっかり浮いた隙間に見えてくる緑の葉も柔らかくて美しい。幾重にも浮かんでは沈んでまた浮んで くる赤や緑や黄色の色彩がしっとりとしていて美しい・・・浮遊感に酔っていた。マイクロバスに乗り換えて 「万葉の道」を下り弥彦神社の裏に停まった。

 弥彦神社は菊祭りの初日。ここでは雨脚が強くなり展示作品などチラチラ観た。参拝の方式は二礼四拍 手一礼で出雲大社と同じだと添乗員さんから伺った。集合時間まで鳥居の前でYOSAKOIソーランの 競演を見た。各チームの踊りも美しい色彩の衣装にもすっかり魅せられてずいぶん長いこと観ていた。し だいに観客が増えてきた。振り返ると友人が感動の涙を浮かべていた。
 バスはバスツワーの責任を果たすべくして”お買い物のコース”に入っていった。燕洋食器店→寺泊の 海産物→塩沢で農家の魚沼産新米買い付け。旅に来てその土地のお土産を買うことも旅の醍醐味だと思う。初日晴天の 二日目雨の旅は笑顔いっぱいに終わった。来年も元気に更新したい。帰宅して万歩計10147歩。

追記:笹団子はバスの中で3人がいただきました♪

 第6回「女4人の旅」 1日目  (2008年11月17日)
 
恒例の夏の旅は、初めての秋の旅となった。4人それぞれの都合で夏を見送ったのだった。 毎回仲間のご主人が「今年も旅の季節がやってきましたね〜」と友達の輪を引き締めてくださるのである。 今回は「秋の頃ですかねえ〜」と50代のわたしたちを応援してくださったのである。
 11月15日(土)快晴。私達は前から4列目の席だった。席順は申し込み順だということを添乗員と 参加者の会話から知った。合流してからは去年初めてのバスの旅の時と同じ”奇声”を抑えて発したのであった♪
 

 バスはブナ林へと向かった。林の入り口に立ったとき、友人が「バスの窓から見えていた明るい黄色は ブナだったのねえ〜」と言った。美人林とは「木の立ち姿が美しいから」ということだそうだが、みなさ んが葉の色にも注目されていて上を向いたり、落ち葉の乾いた音を楽しまれたりと・・・似たような行動 形態が可笑しかった。人を見て笑っていた私だったが笑えない出来事がやっぱり起きていたのだった。 半円形に並んで数十人の人たちが向けているカメラの先で私たち4人は長いこと遊んでいたのだった。 パンダやラッコや猿やキジが仲良く遊んで転がってレンズの中から出て行くのを辛抱強く待ってていてく れた男達よ!! (ウム、待てよ!)望遠レンズを固定している彼らと私たちの間には池があり、池は淀ん でいた。私たちは太陽と黄葉の光にあたって美しかったのかも知れない。(とも想像してみたが)。林を 出ると暮れようとしていた。次は越路・紅葉園へ。途中の家々の壁に柿と大根が干されてあった。庭木には 雪囲いの準備が出来ていた。3階建ての2階の部分につながる階段が妙にひんやりとした感じがして一気に 冬を感じた。
 紅葉園に入ると真っ赤なモミジと真っ黒なモミジが見えてきた。人が赤いモミジの下に集まる。冬の格好 がモミジに似合っていた。気温は10度前後だったのではないだろうか。わたしたちは真っ赤な落ち葉を拾 ったり植木に乗っかっているモミジを選ったりしてから園を出た。
 ホテルグリーンプラザ上越に到着。再会の乾杯とバイキングをゆっくり楽しんで露天風呂に浸かって本日の 歩き7825歩。笹団子4個も就寝。(・・・ 続く)
 

BBQ−その3 完  (2008年11月6日)
 父はアルコールの分解の働きが悪いので顔はまだピンク色だった。少し薄くなってはいたがまだもう 少し横になっていれば気分も落ち着くだろうにと誰しもが感じていた。しかし父は横にならず立ち上が ったのだった。

 ダイアナが注意して見ていた。母(シンデレラは灰かぶりという意味で灰をかぶって働くほど働き者か ら)は、ニコニコ見ていた。私はハラハラ見ていた。白雪姫とそら豆は(カメラを向けていたことは後に 「映写会」をして分かったことだが)カメラを。「かかし〜」と言って父がバランスをとった。80歳に なろうとしている今もバランスはとても良い。本来ならばもっと長く出来るのだが(今日はつらかろうに ・・・><)と思わせた。やや足元がブレて肩の位置は水平に傾いた。そしてモトに戻った。(なかなか しぶとい。あっぱれ!)と見た。みんなが(心配して)注目した。もう一度「かかし〜」とがんばった。 義母(妖精のおばあさんは「シンデレラ」に出て来るカボチャの馬車にしてくれた人)がヒヤヒヤ顔をしていた。母は声に出して笑っていた。(喜んで)。 父も満足。
 つるみエリるんるんちゃんは王子のパーフォーマンスが分かるので、心配したあとで焼きそばを食べた。 みんなはヨモギ餅・黒糖饅頭・大福にお茶にお水にビールに俄然食欲が復活してきたのだった。父は今度 はお饅頭を食べていたのだった。嗚呼!!
 昨年の10月は河原でパフォーマンスを見せてくれた父。みんなでお弁当を食べていたとき突如父は 素足になり石から石を飛んで飛んで向こう岸に渡った。猿のように姿勢を低くしてそして伸び、渡った。 父はこのように嬉しいときの表現が危険度も伴っているから家族は「もう、そろそろだなあ〜」と気配で 察知して、少し無関心を装い十分に注意を払い「やめて〜」と言い、「もう〜まったく〜困ったわねえ」と なるのである。この10月、母が見守って笑っている顔が特に印象に残っている。
 86歳の義母・79歳の父・77歳の母の3人の写真を見ながら、そして騒動のBBQの動画を見な がらわたしたちは来年の計画を描いている。

(♪みんなの愛称は、つるみエリるんるんちゃんが名付けてくれました。BBQに参加できなかった私の娘の愛称はティンカーベルです。 もう10年以上呼ばれています。それぞれが愛称を気に入っています♪)

BBQ−その2  (2008年11月4日)
 焼酎「霧島」に馴染んでいる父(王子。名前の訳はカッコイイからだそうだ)が都農ワイン「キャンベル ・アーリー(ロゼ)・マスカット・ベリーA(赤)」に酔った。宮崎牛に合うわねえと少し気取って飲んだ私 も酔った。父はきれいなピンク色に染まり私は赤銅色に変わった。
 つるみエリるんるんちゃんが王子を心配して頭をなでていた。手はしだいに髪の毛の流れとは逆になっ ていってそれが可笑しいとみんなが笑った。それはもうすごい笑いになっていた。父は喜び照れて網の上 のものに手を伸ばしたが届かなくて立ち上がろうとしてバランスを崩し前屈みに倒れ・・・なかった。 前にも後ろにも火があったが後ろを選んで良かった。騒動の後、みんなで「柔道の受身じゃね〜」と褒 めたりけなしたり・・・。もうさんざんな王子さまになってしまった。
 後ろの七輪は頭ひとつぶん離れたところにあり、頭は握り拳二つほど地面から離れていた。小石がい っぱいある場所だった><。
 しばらく横になっていたが太陽がサンサン顔の上に当たってきたので麦藁帽子を無理やり顔に被せてた。 それも束の間、帽子を脱いで歌い始めた。なにを歌っても浪花節調なのだ。ご機嫌なのは良くわかるが次 は何が起きるのだろうかとみんなに微妙な期待感? 不安感? が生まれてくるのであった。・・・続く

BBQ−1  (2008年11月4日)
 10月18日は特に天気が良くて朝からテーブルや椅子を出して準備をした。町から妹達が持って くる材料を待つ間にそらまめは火をおこしていた。炭に着火剤が付いてなかったので難儀していた。
 母がお日様を見て「このへんがええごとあるね〜」と言った。母と義母は山側に、父は道ひとつ隔てた 川側に落ち着いた。めったに車の通らないここは、話しても歌ってもご迷惑がかからない。これから始る BBQの絶好の場所となっていった。
 妹達の到着。材料を素早く広げてみんなで乾杯をした。(・・・続く)


緩やかな動き  (2008年10月31日)
 私は10月にひとつ歳を重ねた。寒さに弱くなってきた。太陽の光をさえぎるようになってきた。 マフラー・手袋、日傘・サングラス・老眼鏡を携帯するようになってきた。緩やかに不便になって いくのだなあと。それもいいなあと感じている。
 昨日、朝のNHKでお顔、服装、立ち居振る舞い、頭髪などの“外側のメンテ”と“内側のメンテ” (“ ”は私の解釈^^)のことを専門家がアドバイスしていた。“お肌はそれなりの年齢になれば 昔のままのお手入れの仕方やお化粧(配色^^)は、合わなくなります”ということだった。私と 義母は、この番組のあとが体操なので見ていた。見ているうちにふたりとも頬に手をあてたり頭髪を 優しく撫でたりした。
体操で脇を伸ばす運動に入ると義母が「ウッウーーー」と言う。他の運動のときは唸らない。深呼吸 のところでふたりとも「フゥーーー」と大きく息を吐く。午後のテレビ体操は一緒にやったりやらな かったりだが朝の体操はいよいよ習慣化してきた。

義母は50代前半から86歳の今も午前中に夕食の献立を立て、メモを持って買い物に行くのが日課に なっている。材料が間に合っているときも歩いて7,8分のところにあるスーパーにお買い物に出かける。 「運動ですから」と。買い物から帰ってくると「誰々さんに会ったわ〜」と明るく語ってくれる。郵便 受けに便りが入っているときは「ラブレターで〜す」と運んでくれる。これまでのお買い物の習慣があ ったことが今の元気な義母につながっているのだと思う。義母が腰を悪くしてからは、車での週末買出し の習慣がついた。キッチンに二人で立つことが増えてきたが私は少しだけ手伝っている。そして土日は、 「パパかママにお任せ〜」が習慣になってきた。時間は公平に過ぎて行くのだから重なる時間をいろいろ 遊んでみたい。

 『不良老人伝』の帯にこう書いてある。(以下、原文のまま)
「老い」には「自由」という意味がある。
 自由であることの楽しみを知れば不良になれる。
 人生経験を生かせない老人は悲しい・・・・・・。
 喧嘩上手で、美学をもった不良であれ。
                (「序」より  作家・精神科医 なだいなだ)

 10月の帰省 (2008年10月25日)
 昨年も10月に帰省した。私が帰省するというと友人たちは宮崎の観光絵葉書の名所を挙げて羨まし がる。私の生まれ育った銀鏡のことは、口の悪い友人たちは冷やかしながらも「連れて行ってよ〜」と 真顔で言う。土産にノンオイルのドレッシングを買ってきた。一度使ったら誰もが好きになる「日向夏 玉ねぎドレッシング」だ。ラベルに東国原知事のイラストが入っていることとは無関係だと思うのだが、 とにかく間違いないお土産ができて良かったと思っている。
 夫が旅のことを「そらまめ日記」に連載し始めた。私はというと旅の余韻に浸っている。耳の辺りや 髪の先に極々薄いベールがかかっていて時間がちょっと傾く感じ。
 阿蘇の火口を見た帰りに牛や馬が草を食んでいるの見た。短いススキがポヨポヨ揺れていて時間が ズームインしたような気になった。そして今また、ちょっと傾いている。私はバーベキューをした日の ことを書きたいと思う。
「そらまめ日記」は明日も続きます。

  

 小・中 合同大運動会 = "秋"  (2008年10月9日)



  9月の中旬以降は雨が多くて運動会がお昼で終わってしまった小学校があった。暑い中を毎日練習して きた成果が半日で終わってしまっては可哀想だ。リレーの選手に選ばれた子やお遊戯の披露をしたかった 子や、もっともっと活躍するところを見せたかった子供達がいたに違いない。中には障害物競走なら3位 内に入れるのになあと徒競走の苦手な子供たちが思ったに違いない。母親のお弁当を楽しい気持ちで食べ れなかった子供や、お勤めを休んで応援したお父さんや、孫のがんばりを途中までしか見れなかったおじ いちゃんやおばあちゃんがいらしたことだろう。次の日に続きを行ってもどこか力の入らない運動会にな っていたのではないだろうか・・・。

  私が育った村の小学校と中学校では今も合同で運動会を行っている。今年も9月に行われたそうだ。 私が最後に見たのは27年位前に帰省した折りのこと。懐かしさに誘われて見に行った。生徒数は少なく 50歳以上の男女が多く目立っていた。お爺さん、お婆さんのひな壇はなく、校舎の窓からそれらしき人 たちの顔、顔が揺れていた。本部席のテントでは市議さん、昔先生方、校長、農協の役員さん、森林 組合の役員さん、消防団長さん、駐在さんたちが談笑していた。10年前からは山村留学生を受け入れる ようになり、そして今、限界集落になった。変わらないのは子供達の笑顔と村の静かな時間だ。

  鮮烈に思い出されるのは、赤組白組のリーダーの応援合戦だ。昭和30年〜昭和40年初期は、大人 顔負けの体躯の中学生男女がぐいぐいとリーダーシップを発揮していた。とてつもなく大きな存在だった 。運動会の時期は青いみかんが出回った。出どころは地区のおばさんたちのエプロンの中からだったり、 カゴの中からだった。おばさんたちは子供達に分けてあげるときとても嬉しい顔をしていた。たくさん 生ると家まで持ってきてくれた。
 運動会のお弁当の時間は大人の宴会になるのであった。お皿とお箸が回ってお味の交換会になったり ・・・芋焼酎で乾杯していた。おおらかな秋だった。犬も猫もみんなが一緒だった。

 方言とワインカラー="秋"  (2008年9月29日)

日曜日の午前は畑へ。畑を終えてゆっくり川から田んぼを回って家に戻った。川では釣り人が等間隔に並んで釣り糸を垂らしていた。 道路の脇には車がきれいに並んで止まっている。前方から車がきたらすれ違えないないのではと心配になるほど道幅を狭くしていた。 田の中に煙がたなびいていて人の動きがとてもスローにみえる。畑から家までこうやってクールダウンするのが我が家流の筋肉ほぐし になっている。
 家ではNHK「のど自慢」の鐘の音が聞こえてきた。「宮崎県は西都からお送りします」。全国ネットはいい。知っている人が出てい るだろうか。父も母も観ているのだろうか。イントネーションの懐かしさについ耳を傾けた。宮崎といえども広いのだった。


午後からは友人宅へ。
友人は手作りのデザートで迎えてくれた。栗といちじくとアールグレイ。
手作りの嬉しさは話題にも味が染みてゆく。私はイチジクが実家にあったころはそれほど積極的には食べていなかったが成人してからは買って食べるものではないと思って いた。実家の庭の果実の中で枇杷と並ぶ大人の味覚を思い出しながらあの熟した皮を剥いた時の色と香りの記憶が押し寄せてきた。
 ワインで煮るとかマロングラッセとかの匂いの記憶はない。

 帰りに彼女のお母さんの畑で出来たカボチャとジャガイモをいただいた。オレンジ色のカボチャは 「赤皮栗かぼちゃ」で西洋かぼちゃの一種とか。ハロウィーンまで飾っていたい。


お店で富有柿とこの柿が並んでいた。私はこの柿をみると迷わずこちらを買う。山の柿だ。柿の傷も実にいい。
糖度が低くて硬く種が多くて大きい。剥きにくい、匂いが独特だ。熟柿になるとすべてがプラスに変わる。熟柿はこちらではいただけ ないが、硬い柿を食べると熟柿が大好きだった祖父のことを思い出す。家族はやはり富有柿が好みのようだ。
みかんはハウスみかんでなくこのみかんを選ぶ。村の小中合同の大運動会の時に隣の隣のキッコおばさんが持ってきてくれたあのみかんだ。 キッコさんがた(お宅の意)には階段があってその中ほどにみかんの木があった。背は高くないのによく実が生っていた。同じ地区の子供達との 共通の思い出に違いない。今回買ったおみかんは甘い。残念だが甘い。家族は満足している

 彼岸入り  (2008年9月20日)

 NHKの朝の連続ドラマ「瞳」を楽しみに、もう少し寝ていようかなと思ってそのもう少しが 5分過ぎていた。8時20分の画面は、にっこりうなずく少年の顔がクローズアップされてい た。そしてそれからのひと言の台詞でそれ以前のやりとりが分かった。15分の短編のすごい 点は、数分を見逃したことが惜しいと思わせることだ。
 昨日九州は台風一過の晴天と聞いたがこちらはまったく影響を受けなかった。ドラマの頃は 曇り空。しだいに晴れてきて10時過ぎにはサングラスをかけて外出した。ドライブがてら親 戚の家に向かう途中、俄かに雨が降ってきた。ワイパーが働き始めたというのに前方の道の 端では椅子にかけて二人なにやらお話をしている様子!! ゆっくり通過し観察に入った。手押しのお 散歩兼お買い物椅子とでも言えるあの椅子にどしんと腰掛けてお話しに夢中の様子だった。 進むのを止して声を掛けたい気分。「雨ですよ〜。風邪引いちゃいますよ〜」と言いたいのを 抑えて、私、会釈をしてしまった。お二人は全くお気づきではないはずが会釈をしてしまった。 そのうち雨が止んだ。お二人は雨粒の重さで雨が止む頃合を皮膚で計っていたのであろうか。 なぜか美しい光景であった。
 帰路は、食料買出しにいつものお店に向かった。途中、300年桜とその畠の作小屋のおば あちゃんに会いに行った。墓地を通過するとき、おばあちゃんが二人、一生懸命に草むしりを していた。かなり長いことここで草むしりをしていたのだろう。辺りはとてもきれいになって いてお花も飾られていた。ご自分の家のお墓ばかりではなくお隣のそのお隣のお墓の掃除もさ れたのだと思った。畠にはおばあちゃんは居なかった。収穫時には作小屋でお店を開くのだが まだ早かったのかな。もう少し経ったらおばあちゃんにお願いして栗拾いをしたいと思ってい る。もうずいぶんと栗拾いをしていない。拾って買いたいと思う。

 日本のおじいさん、今日はおみかけしませんでした。 おばあさんには4人、それも代表的なおばあさんに出会えました。

 明日は敬老の日  (2008年9月14日)

 今夜のお月様はやはり雲に隠れて見ることができない。あの東の空に、この真上に、あそこの竹山にと お月様が顔を出すであろう空を追ってみたがお月様は雲に隠れたままだ。ススキの穂にガマの綿にたっぷ りと虫の音を吸収させることにしよう。
 明日は敬老の日、我が家では今日義母のプレゼントを買いにみんなで出かけた。お昼ご飯を食べてプレゼント を買ってそしてお茶をした。ここのアイスコーヒーは本当に美味しいわねえと義母が氷をかき混ぜながら86歳 になっても長生きしたいと思うのよ。長生きの薬があればいいなあ」と言った。孫(私の娘)が「アーチャンは これまで大きな病気もしないで来ているのだからこれまで通りにしていれば長生きできるわよ」と答えた。私は 「そうですよ。そのまんまで長生きしているのだからそれが長生きの秘訣ですよ〜」と答えた。夫はニコニコ聞 いていた。靴とお花と食事とお茶とドライブで楽しい午後が終わった。そして今私は実家の両親のことを思っている。
 昨夜実家に電話をした。父は居なくて母が出た。夫と娘が話して私が最後に話した。「きこえるねえ〜大丈夫ねえ〜」 とその声は拡声器のチューリップが耳にすっぽり被ったように響いて聞こえてきた。「ようきこえるよ〜。あんねえ、 草刈りの写真を見てみんなで笑ったのよ〜。草刈り名人の後姿は私にそっくりですってよ〜。たまらん!(爆笑) 柿ちぎり名人はお神楽の足さばきにようにちょるからもう可笑しくて可笑しくてたまらんなったとよ〜。(大爆笑) 元気でうれしいば〜い。」と伝えた。写真は、昨日の両親の姿だった。






村の敬老の日は、ず〜〜っと昔から婦人会のみなさんが長老様方を小学校の講堂に招いて、手作りの(だったと思う。それからずいぶんあとで仕出弁当に 替わったような)お弁当をお出しして、舞台で歌や踊りやお芝居を披露する慣わしになっていた。幼かった私は母に連れられて舞台を観て いた。母は若くイキイキとしていて男踊りが上手だった。どこのおばさんたちもみんなお化粧して美しかった。曽祖父曾祖母祖父母は、 嫁である母の普段と違う印象を喜んで見ていたのだと思う。その夜は舞台のことが話題になって楽しかったことを覚えている。そのような ことを思い出して母に尋ねたら「私はもう77歳じゃろ。お茶をくまんでも(お出ししなくても)ええなったとよ。していただくほうにな ったとよ(笑)70歳以上が100人くらいおってなあ。それはえらいもんじゃ。15日は市長さんや議員さんたちも来てくださっとよ」 と限界集落の話など聞かせてくれた。なぜか笑えるのだった。切なくて笑えるのだった。こうやって父も母も80年近く村で生きている。 私は母にお願いした。「ねえ、この前の畑便りは面白かったよ〜。それでね、『ケサエさんの山里便り』のコーナーを作りたいっちゃが。どげねえ? いいかしら?」と。返事は微妙だったが、作ることにしよう。作ろう!! 今夜はそのことを記しておきたくなった。