くろまめのスローフード1

私の郷里は九州山地を流れている川の支流の源にあります。
霧深いV字谷の集落、宮崎県西都市銀鏡(しろみ)です。
かつて人は尾根から尾根の山道を歩いて行き来していました。
ダムが出来、道ができてからは暮らしを文明の利器が助けてくれています。
今でも母は畑と花木の剪定が大好きでこの時間は猿や鹿や猪とご機嫌をとりあっています。
昭和30年代の「地区の記念祭」の料理や「婚礼の御膳」も再現してみたいと思います。
我が家の菜園でとれたお野菜で母の味を再現することがとても楽しいです。



焼き芋用土鍋で焼豚(2007.11.23) 本日は勤労感謝の日です。感謝の気持ちを焼豚で表そうと思いました。この発案に賛成し作ってくれたの は夫でした。私の考えていたのは煮豚でした。普通はそうなのですが、煮て焼豚とは??となり、実際に 焼いてみようとなって焼き芋用の土鍋を使うことにしました。土鍋の底に穴の開いた遠赤外線用のお皿を 敷いてその上にもう一枚お皿を置き弱火でじっくり熱しました。これで豚の油が落ちても焦げません。同 じ熱をニンニクにもいただきましょうということでニンニク一株を鍋の肌にくっつけました。   漬け汁 ニンニク、ショウガ、醤油、紹興酒、八角、お砂糖。 反省 蜂蜜があれば照りも甘みも良いでしょう。 ニンニクは焼く時間を考えましょう。焼きすぎて煮えすぎてクニュクニュしました。 漬け汁を煮詰めて絡ませて盛り付けると良いでしょう。粒マスタードのほうが良いでしょう。  総合的には、お味も触感も♪♪♪三つ♪でした〜〜
銀鏡の柿(2007.11.19) 実家の柿の実を8個持って帰りました。不器用な父がとってくれました。とろどころ肌に黒いシミ があります。葉っぱも穴がポツポツあります。葉っぱがパキパキした頃にとった柿は程よく熟して いて甘みがジュクッとします。むいた皮は甘みを含んで重たいです。3個分の皮を生のまま白菜と 一緒に漬け込みました。生の柿の糖分が白菜(ほんの少しのお塩を株の重なるところの間、間に振 りました)の葉っぱに溶け込んで株にまわりこんでよく漬かりました。盛り付けるときにレモンの 皮(よく洗って)を細切りにして上からパラリ♪ 香りと甘みでとても美味しかったです。 残りの5個ぶんを祖母が母がしていたように私も干しました。湿度60%前後はクタリとして>< あきらめていたら翌日よく晴れて風もあり3日ほどでパリンとしました。 みかんの皮は、温州みかんの皮です。よく洗って干しました。我が家の唐辛子とこの陳皮を粗挽き して自家製の薬味を作ってみようかな。麦味噌に陳皮を混ぜて大根と人参の味噌漬けも美味しそう。 柿の皮は鶏肉と煮込んだらどうかな。干しブドウは一緒じゃないほうがいいかな。瓶に詰めてよく 眺めてみよう。
宮崎ちりめん(2007.11.08) 妹から「ちりめん」が届きました。私の大好物です。 普段は、青菜と炒めたり、枝豆とちりめんのお握りにしたり、ちりめんと焼き海苔と白ゴマと一味 唐辛子をふりかけ風にしたり、焼き味噌(赤×白味噌)に混ぜたりしていただいていますが、中国 山椒を使って「ちりめん花山椒」を作ってみました。中華料理にはききめのある花山椒ですが青山 椒(日本で言う山椒)よりも香りも辛味も強いので、ちりめんの味をそこなうかもと思いましたが 花山椒をよく砕いて入れました。あとは生姜、お酒、みりん、砂糖、お醤油で煮詰めて♪大成功!!
九州山地の煮しめ(2007.11.03) 「母の味は?」と訊かれたら、真っ先に思い浮かべるのは「煮しめ」です。 ゼンマイ、竹の子(ハチク)、椎茸の乾物は、どこのお家でもブリキの缶の中に入っていました。 季節になれば山に入って採って天日で乾燥させていたものですが、昭和50年代ごろからはよその 家から分けてもらったり、お店で買うようになりました。今回は、ゼンマイと竹の子を西米良村の お店で買いました。椎茸は毎年12月に母がお隣さんからゴミ出し用袋(大)の2袋分を買って私 たち子供にプレゼントしてくれます。知人友人におすそ分けしても1年は食べれる量です。この椎 茸は、薪で乾燥させていますからとても香りがよくお味も抜群です。ゼンマイは5〜6時間お水に 浸けると苦味がとれます。もっと柔らかくしたいときは4〜5分湯掻きます。天候がよければ、ま たは干し方が良く新しいうちはきれいな緑色になります。(味には変わりはありません)竹の子は 一昼夜水に浸して柔らかくなったら水を取り替え取り替えして揉みます。それから湯掻くともっと 柔らかくなります。色が白くなってきたら取り出します。 母の作る煮しめは(10/13付けの「ワインの試飲」の中で紹介しています)。西米良村でいただいた お煮しめは油を使わず、里芋、こんにゃく、芋がら(ずいき)、お豆腐(米良のお豆腐は硬い木綿 で実にウマイのです)が入っていました。それぞれの素材のうまみが出ていて素晴らしく美味しか ったです。高野豆腐や厚揚げも合いますが、このお豆腐でないと出ない味があります。私は山菜と 厚揚げで作ってみました。油で炒めてから椎茸の戻し汁を入れ、(イリコ出し少々入れると風味に 素朴さが出てこれまたなんともウマイのですが)煮立ったらみりんお醤油を入れて弱火で煮付けま した。 「だりやめ」(男の人たちが芋焼酎を飲みながら”ひとひの疲れ”を癒す時間をこう言います)には、 あって欲しい一品だと、きっとこの地に育った男児は思うことでしょう。  日照時間の短い庭先で、母がモンペと姉さんかぶりと割烹着姿で干していた頃の日向の匂いがして きました。
いきなり団子(2007.10.30) 北熊本インターで「いきなり団子」を買いました。亡き祖母の団子と色も皮の感じもそっくりでした。 人吉に最も近いのは西米良村です。少し離れて私のふるさと旧東米良村です。両村が熊本の人たちと 同じ団子を食べていたわけです。「いきなり団子」の形は昔からこの形だったのだろうか。      商品化されてから楕円形になったのかも知れません。パックに5個きちんと並んで550円?。団子 の中には、蒸したサツマイモとこし餡でした。小麦粉の皮はかなり薄くてこしあんが透けて見えます。 記憶の中の形と味は、皮はもう少し厚くて丸型。餡は、サツマイモだったりつぶ餡だったりさらし餡 (粉末)にお湯を注いでねりあげた餡でした。お芋の餡と小豆餡が一緒になっているのは豪華です。 父に「懐かしいねえ〜」と言ったら、「おう〜 これは懐かしいわい」と立ち上がってご先祖様のと ころへ行きました。父の母に見せたかったのだと思います。父はそれは嬉しい顔をしてほおばりました。 お芋は、紅赤とコガネセンガンです。母が畑で収穫したものです。きれいに洗って干してお持ち帰り 用に準備がしてありました。合わせて10キロほどを宅配に頼みました。昨日も今日も焼き芋でいた だきました。コガネセンガンは田舎のお茶があいます。渋くしてぐっと飲むのがいいです。小麦粉の 蒸し団子を祖母がはりきって作っていた頃の光景がはっきり見えます。
小豆の香煎(2007.10.30) 帰省して農具などを見ていると曾祖父母祖父母の笑顔や匂いが一気に感じられてきます。母の思い出話 から実際に香煎を作ってみようとなりました。石臼は庭の金柑や南天の木の根方にどっしりと置物にな っていました。昔は家族が多かったので大きな鍋で小豆を煎っていたそうです。臼も片手で回すのでは なくて両手で回していたそうです。母からそのようなことを聞きながらコーヒーミルで挽きました。粗 挽用ですから大変でした。更にすり鉢ですり、ふるいにかけました。       @小豆を鉄鍋(または焙烙)で煎ります。A煎りあがったら新聞紙に広げて(湿気がなくなるまで)冷 まします。Bミキサーなどで挽きます。C粉に熱湯を注ぎながらねります。Dお砂糖、蜂蜜、ミルクな どをかけて召し上がれ♪  私はうっすら甘くしていただきました。色も香りもお味も小豆でしたよ。   
ワインの試飲(2007.10.13) 今朝は寒いくらいでした。8時過ぎ、みんなで畑に行きました。にがうりを倒し大根の間引きをし草を抜きました。 収穫物は、ニラ、モロヘイア、ちっちゃなニガウリ。2時間の作業で汗をかきませんでした。ダイサギがきていました。 夕食は、ニラ玉、モロヘイア、手作りギョーザ、煮物、大根の葉のお漬物、キャベツのお味噌汁。 ワインもどき”(10/8始)の試飲をしました。まだ若くアルコール度数も低い味がしました。醗酵途中のため炭酸を含ん でいてシュワシュワ感がありました。引き続き醗酵の様子を見守りたいと思います。煮物がとてもよく合いました。 ↓煮物はクール便で友人に送りたかったものです。取扱店で「到着まで二日かかります。冷蔵ではちょっと・・・。」 と言われました。冷凍した煮物をチンしても美味しいわけはありませんから持ち帰ってきました。椎茸は宮崎の銀鏡 の干し椎茸です。天日で乾燥させた干しぜんまいと干し淡竹、鶏肉、厚揚げまたは揚げを油で炒めてから出し汁で煮ま す。それからお砂糖酒しょうゆで味付けします。「米良御膳」に必ず添える煮しめです。 私は干し大根とひじきと水煮のぜんまいを入れました。材料が揃ったら直接味わってもらおうと思いました。  
ワイン作り(2007.10.08)  昨年の9月頃に夫が外国の友人からワイン作り専用のビンの栓を貰いました。サイズの合う(口の大きい)ビンを探し 求めましたが見つかりませんでした。今日、丁度良いビンを見つけました。100%のブドウジュースとイースト菌も買い ました。ビンの内側をジョニ赤で消毒してからブドウジュースを4リットル入れイースト菌を入れました。  ワイン作り専用の栓は、ビンの内側からのガスを外に出し、外からの空気は中に入らないようになっている”一方通行” の栓です。栓の中に水を少し入れます。しばらくするとブドウジュースから泡がブクブクしてきました。5時間も経つと 泡が盛り上がってきました。香りもたってきました。菌が生きているのを見ていると面白いです。     昔、昔、村に1軒の酒屋さんに「ワイン」を置いていました。私が中学生のある夜、家族みんなで「赤玉ポートワイン」 を飲みました。たぶんどなたかにいただいたのだと思います。私は真っ赤になりました。くろまめは色が黒いですから気の 毒なくらい(田舎の言葉でスゴイというニュアンス)首も顔も赤銅色になっていたそうです。ブドウジュース(一升瓶に入 ったブドウ液)や、焼酎とはまったく違うおしゃれな香りにうっとりしたものでした。母はこの甘い甘いワインが好きでし た。いわゆる白ワイン、赤ワイン、それにロゼワインなどのことは知りませんでした。赤玉ポートワインははぜいたく品で すから養命酒を飲んでいました。
台風9号のあとに(2007.9.11) ↓9/8 朝露の中、収穫してきました。茄子はサイズ多種。きゅうりは割れていました。   ↓9/8小粒の茄子に唐辛子、青紫蘇、茗荷、お塩、重石3キロ。   ↓9/9 マクワ瓜2個を買って漬けました。     茄子漬にはミョウバンを使いませんでした。漬かり具合は理想的でした。平たくなった形も濁った色 も全部ひっくるめて素朴な味わいでした。ウリ漬けは市販のものより美味しかったです。 今日の夕食は、玄米、若布と豆腐のお味噌汁、ニガウリとしらすのオリーブオイル炒め、かぼちゃと 干しぶどうの煮物、コールスロー、豚肉のしょうが焼き(ニンニク、生姜、玉葱、林檎の摩り下ろし とお醤油、日本酒、みりん)、茄子漬、マクワウリ漬、デザートはキューイでした。 畑からのものが多い食事でした♪♪♪
あまずっぱ〜〜〜い(2007.8.6)     土曜日、畑のニガウリを収穫しました。実家の母が汗だくになって炒めていたあの苦い苦い品種の 「さつま大長レイシ」です。あっという間に成熟して種が赤くなっていました。昨年は、楕円形の濃緑の 「太レイシ」も作りました。今夏は一種だけにして成長を楽しみにしていました。今、村では、@丸ごと 焼いて種をくり抜き、刻んで、おかかとお醤油をまぶしていただいたり、Aスライスして三杯酢にしばら く漬け込んで、軽く絞っていただいたりとお味噌で炒める”ばっかり”から進化しています。私は、どう いただいてもお味噌党です。暑くてだるいお昼時にいただくと一気に力がわいてきたものでした。 キュウリもとりましたが、つるつるに太ってしまって、いぼいぼトゲトゲのキュウリではありませんでした。 太いキュウリには思い出があります。三和土の外に冷蔵庫代わりの湧き水を溜めておく(シカケを通って きますから、落ち葉、虫もいました。途中で漉しますから大丈夫。お水はなみなみ贅沢に使えます。甘苦 いような味でした)大きな樽に太いキュウリがプカプカ浮かべてありました。私はヒョイと取って縦に二 つに切って種を取り、お味噌(フンドウキンのお味噌で、現在の商品名は、九州麦味噌)をつけてガリガ リ噛んでいたものでした。乱暴にいただくほどおいしいのでした。細い棘のあるキュウリは、触れるとと ても痛いので、浮いているキュウリを失敬していました。男の子たちは、ナイフ(肥後の守)で切るのも 楽しかったのだと思います。畑にすっ飛んで行く子や、ゆうゆうとその場で味見している子供に大人たち は「こらまこて すばしこい!!」とか「ウーム 大もん(大物)じゃあ〜」「頭がええねえ〜」と笑っ て見ていました。将来の人物像まで描いて笑っていました。それだけのことが楽しいことでした。  ミンミンゼミの鳴くお昼に、もう一品必ず出てきました。キュウリとちりめん青紫蘇の三杯酢和えです。 よほど私は手伝うことをせずにそばで見ていたようです。母の手は、早い早い、しゃきしゃきシャッツシャ ツ、あっという間に出来上がってあっという間に空っぽになっていました。冷たすぎないのが酸味を優しく していたのだと思います。冷蔵庫のなかった時代は、おしょうゆ味もお味噌味も砂糖味も味がやわらかかっ たような気がします。汗の母の匂いと顔から離れるタオルの湿り気と私達子供の水泳のあとの水の匂いとが、 背戸から吹いてくる風で気化熱となって、酸っぱい匂いになっていったような。 思い出しました。作ってみました。  ちっちゃな稲荷も作りました。(ユカリと白ゴマ)、(青紫蘇と黒ゴマ)の2種類です。おすすめです。
バナナ酢(2007.8.2) 健康雑誌『壮快』(9月号)を初めて買いました。「オグラ式腕組ダイエット」の記事が出ていたからです。 この体操は、誰でも幾つからでも出来ます。体操の基本姿勢はマスターしました。ポイする前に表紙を見まし た。そして、「バナナ酢」を作りました。体操と同じでとても簡単です。 *摂取量の目安は、1日当たり大さじ2〜3杯。 *そのまま飲んでもよいし、水やお湯で薄めてもよい。  (黒酢で作りましたので複雑味でした) *コップ1杯の牛乳や豆乳、野菜ジュースなどに、大さじ1杯のバナナ酢を混ぜて飲んだり、ヨーグルトにかけて 食べたりしてもおいしい。  (ヨーグルトに合いましたよ♪) *ドレッシングやレモンの代わりに、サラダや魚のムニエルなどの料理にバナナ酢をかけてもおいしい。  (この食べ方はまだ試していません) **低インスリンダイエットの効果もある。<医師:友利(ともり)あらた 談より>
ニガゴリとナスビとウメとオクラ(2007.7.30) 我が家の畑のニガウリは(故郷ではニガゴリと呼んでいる)まだ収穫には早いので、お店で買った。 ナスは(故郷ではナスビと呼んでいる)畑産。オクラも畑産。梅は、3日間夜露に当てて完成した我が梅。 今夏、初のニガゴリ料理を作りました。arisanのブログに紹介されていた夏の味を思い出しました。母の作る ニガゴリとナスビの味噌炒め(油炒め)は、ニガゴリの種がすこし残っていたような気がします。種が苦味を もっと出してその苦味を家族みんなが好きでした。 今夜の味噌炒めは、私流にアレンジしてみました。先ず、油を熱してニガゴリを炒めます。九州麦味噌、お酒、 みりんをよく練っておいたものを入れて炒めて、ナスを加えてしんなりしてきたらナンプラーを少量垂らしま した。やはり、母の味がいいなあと思いました。 オクラの梅肉和えは、義母が毎年作る夏料理です。茹でたオクラを小口切りから薄切りにしてよく混ぜます。 粘りが出てきます。梅肉とみりんを混ぜてオクラにかけます(和えます)。糸削りかつおをのせたり、刻み海苔 をかけたりしていただきます。(反省:オクラの緑を鮮やかにするためのひと手間を省きました><) 次回はオクラの色が鮮やかになるまで3,4分塩茹でしてから、ザルに上げ、水気を切り、冷ますことにします。
梅干し日和(2007.7.24)  まだ梅雨明け宣言は出ていませんが、本日の天気が「干すべし」と宣言^^。    午前11時20分、湿度50%になったところで干しました。    梅を漬けた日:6月16日    梅の品種:南高梅 (3`)数えました。116個ありました。   くろまめの↓梅干し             実家の母の↓梅漬け(昨年の梅)   実家では、ケサエ母さんが今年も梅漬けをしたそうです。 学生時代(寮)〜就職〜結婚、をしてからも”母の梅漬け”が届いたものでした。 チッキの時代から宅急便になり、長い間、届いたものでした。 いつしか義母と私は漬けるようになりました。 母の梅漬けを兄も妹たちも「梅はこれでないとね〜」と言って、食卓に必ず出しています。 昔は、大きな樽に漬けていました。それは風呂桶くらいの大きさでした。薄暗いひんやり とした、壁が石垣の漬物小屋(村のどこの家にもありました)に据えてありました。 今は瓶に漬けてあります。5瓶くらい並んでいます。帰省すると必ず空き瓶に入れて持た せてくれます。紫蘇の汁が出ないように上手に詰めてくれます。 梅の実は家の裏の梅ノ木に生ったもので肌に染みがあります。小粒で種が大きいです。 紫蘇は、畑のちりめん紫蘇です。紫蘇を揉む母の背中をよく覚えています。漬けた実は、 柔らかくもなく硬くもなくちょうどいいです。色は濃い赤紫で、ご飯粒に着色します。 梅漬けの梅の香りを言葉で表現できないのが残念です。  翌25日,晴れ。大きなザルに移し替えました。実と実の間を離してあげました。
台風近し(2007.7.14)  宮崎、奥日向の両親に電話をした。 「食料も買い置き充分だし何の心配もないばい。川の水が赤茶色しとるが、上のほうで 崩れたっちゃろ〜」と簡単に言っていた。 「Nさんが植えやった桜の木が折れたばい。そのまんまにして家に篭るわあ。とにかく 家が一番安全ば〜い。避難所になるが〜」とまで^^; 母は強し、恐るべし!! そして、母は続けて言った。 「西都の人たちは大変じゃ〜。マンゴー農家のかたや、ピーマンハウスや、稲がよ〜・・・。 気の毒でならんちゃがあ」と沈んでいた。  関東は明日の昼過ぎになりそうなので買出しに出かけた。やはり食料の確保が気になるのだ。 スーパーマーケットはカートの置き場が空になっていた。ムードは一大事なのだった。  青唐辛子、牛肉、舌の辛味を押さえるパイナップルも買った。 (「窓から見える風景」のarisanのブログ(7/9付)のお弁当を見たときから作ろうと決めていた) 日本酒と岩手のホヤと浸し豆と、青唐辛子に花丸♪ (青唐辛子と牛肉、コレおすすめです)  
手作りギョーザ 30個(2007.6.24) 雑誌の「手作りギョーザ特集」を見て作って見たくなった。皮から作るのは初めて♪ ボールに強力粉180g薄力粉120gを混ぜ合わせ、熱湯を170ml一気に入れて混ぜる。(熱湯を使うと、 皮がパリッとする)ということだったが・・・>< 余熱がこもらないように生地を手早くちぎって並べ、粗熱を取る。粉っぽさがなくなったらまとめて 生地をラップで包み、室温に30分以上置いて寝かせる。取り出してさらに捏ねて、再びラップに包み 室温に30分以上置く。切り分けて軽く打ち粉(強力粉)を振っておく。       直径10cmに延ばす。周りは薄く、中心を厚めの皮に。(皮は重ねてもくっつかない) ということだったが・・・全体が厚くなってしまった>< 焼き方は、これまでと同じだったので上手に焼けた。皮そのものに存在感があり、おかずも主食も一緒に 食べているような感じだった。 餡に、紹興酒とネギ油を入れたことで、これまでの手作り餡とは違う香りを感じた。食して大満足!! 私は、青じそで包んで、タレには沖縄のスパイシーラー油とレモン酢でいただいた。おすすめです♪
今夜のじゃがいもサラダ(2007.6.16) 空の底が抜けたような晴れの今日、8時半過ぎから11時半頃まで畑でいい汗を流した。 今夜は故郷でのことを思い出しながら、収穫した野菜だけを使ってサラダを作った。     私の小・中学時代はお弁当だった。  母はどんなに疲れていても5時起きしてこしらえてくれた。  冷ましてからハンカチにきちんと包んであった。  兄、私、妹の順に横に並べて置いてあった。  お弁当の形で分かるのにそれでも順番はそうなっていた。  揚げ出し豆腐や揚げ出しナスのときもあった。  キュウリ、玉ネギの入った甘酸っぱいサラダ風もあった。  お腹を壊したことは一度もなかった。  私は未だに早く起きられない。      お昼は、3種類のじゃがいもから2種類を土鍋で焼いて味比べをした。そのまま味をつけないで食べた。 「キタアカリ」は、洗練されたいかにも現代人好みの味がした。 「アンデスレッド」は、4、50年前まではこのような味がしていたのかと思えるような素朴な味がした。 私たちは、アンデスレッドの方に軍配を上げた。次にバターをつけてみた。これはキタアカリのほうかな。 お塩は、アンデスレッドのほうかな。どちらもそれぞれいい味が引き出せるから面白い。 「インカのめざめ」は、油によく合うことが分かっているので、今回は土俵に上げなかった。 キュウリに九州麦味噌をつけてガリガリ食べた。大きなキュウリに小さな種がびっしり。水がいっぱい入っていた。
えんどう豆ごはん(2007.6.2)   土曜日、畑のキヌサヤが終わった。 キヌサヤは、柔らかい”サヤ”を食べる品種である。 卵とじ、お味噌汁、煮びたし、炒め物、サラダ・・・ などなど ずいぶんといただいてきた。 毎年そうであるが、 サヤが硬くなってきてからは豆を太らせている。 そして、豆ご飯にしていただくのが我が家流である。 今年も上手に太りました。 緑のお豆さんの中に黄色いお豆さんも並んでいました。 氷でキュッと冷やした鰹のタタキ、ナスの田舎煮、蜆のお味噌汁。  主役の豆ご飯は最高のお味でした。
鶏肉の黒酢煮(2007.5.25)  明治生まれの曽祖父も祖父も健康な日がずいぶん長く続いた。曽祖父は97歳、祖父は86歳までよく生きた。 二人には365日欠かさず食していたものがあった。それは、「お酢とイリコ」だった。 曽祖父は、ビンにイリコを入れ、上から(お醤油1)対(お酢1)を注いで毎食後に5尾くらいを食べていた。 祖父は、キャップ一杯のお酢を毎食後に飲んでいた。ツンと匂う二人のお爺さんは、姿かたち動きはお爺さん ではなかった。曾祖母と祖母は、お婆さんらしいお婆さんだった。屈む姿勢でよく働いた。  村では、生の魚介類はめったに運ばれて来なかった。需要と供給のバランスは少数の人たちにに限られていた。  さて、本日の夕餉の一品。    鶏の手羽先 500g(10個くらい)  じゃがいも 小6個(皮を剥いて固茹でをしておく)   ゆで卵   3個(殻をとっておく)  ローリエ  2枚    煮汁 (黒酢200cc、酒60cc、ローリエ2枚、つゆの素大さじ2)    @鍋に煮汁を入れ、じゃがいもを煮る。  A煮立ったら手羽先を並べ中火で20分煮る(途中ひっくり返す)  Bゆで卵を入れ、さらに10分〜15分煮込む。  **応用**  手羽先は、冷めるとコラーゲンが固まるが  *手羽元は、お弁当に良い♪  *コンニャクはよく染み込んでお弁当におすすめ♪   順序@ 一枚の片面に格子状に切り込みを入れ、       三等分にしてから手でちぎり下茹でしておく。
メロンのピクルス風(2007.5.19)  今朝、友人からメールがきた。 「これから間引きしたメロンを届けます。きゅうり、人参、セロリー、お酢、お醤油、砂糖を用意しといて〜」 ということだった。昨年、彼女の漬けたメロン漬けの美味しかったことを思い出した。セロリーは昨日の夕ご飯の タコサラダに使い切ってもう無い。きゅうり、人参はある。彼女が到着するまでまだ時間があるけれど・・・。 なくても美味しいと分かっていた。彼女と一緒にキッチンに立った。 間引きしたメロンは、テニスボール大で実は硬くほろ甘かった。 種はとても小さくやわらかいので取らないことにした。 友人は「今夜、食べられるよ」と言った。 それぞれの材料が程よく漬かる時間を考えて切った。 @メロンをクシ型に切り、皮を剥く(厚めに剥き取る) A人参は、やや薄く。きゅうりは、やや厚く斜めに切った。 Bお酢+砂糖+醤油=煮汁。(材料から水気が出るので味は濃い目が良い) Cビンに@Aを入れ、上からBを注ぐ。(熱いまま注ぐ。浸透性が高まる)
漬けたて ↓ (後から硬い人参を下に天地換えした)          7時間後                甘酸っぱさがちょうど良かった。          今度は、玉ねぎ+大根+人参+きゅうり+セロリーで作って見よう。   カブもいいかも。唐辛子を入れてみよう。黒酢もいいかも。
むきそば(そばの実)と栗ぜんざい(2007.5.8)  そばの実をお土産にいただいた。袋を開けたら懐かしい匂いが立ち上った。祖母の吐く息の匂いだった。 おステばあさんは誕生を歓迎されなかったのか?名前の由来は”捨て”だと聞いた記憶がある。そして次に生まれた 妹はソエ。名前の由来は”添え”。ちなみに次女はカネ。由来は”金”。長女はイチゲサ。名前の由来は一番に生ま れたから。他に異父異母兄弟姉妹がいたようだが・・・?。おステばあさんの姉妹の家に連れられて遊びに行くのが 楽しかったことは確かだ。  捨てられずに済んだおステばあさんは、そば粉(石臼で引いていた)係りで、亡くなるまで年越し蕎麦を打ってくれた。 ツナギのないプチプチきれる田舎蕎麦で、厚みが5ミリくらいあったのではないだろうか。ダシ汁はイリコ出し。そこに 干し椎茸の戻し汁とお醤油お砂糖を加えた甘みのあるダシだった。  年越し蕎麦の具は、干ししいたけ、鶏肉(カシワ)かまぼこ、揚げ(天ぷらの時もあった)、ワケギ。 普段のお蕎麦は、椎茸、ネギだった。そば切りやそばかきにしていただいていた。畑で蕎麦を作り、蕎麦を引き、食して いたから蕎麦の実の匂いがしみこんでいたのだろうか。おステばあさんたちの集まり(姑会)では、みんな判で押したよ うに同じスタイルだった。着物の襟元にナイロン製のシャラシャラ透けた淡い色のスカーフのようなものをかけていた。 ピンク、ブルー、イエロー、パープルの4色しかなかったのか?緑系の記憶はない。山の中の山の色は人気がなかったのか?  さて、本日のお味は、ぷるんぷるんとした食感の蕎麦の実とおステばあさんの匂い。かち栗を入れたぜんざいの小豆の ファ〜ンとした匂い。栗のひなたの匂い。お砂糖は最小限にしてそれぞれの素材を上手く合わせることができた。大成功!!  むきそば(そばの実)のゆで方は、鍋に4倍量位の水とむきそばを入れて沸騰で15〜20分位ゆでた後、5分ほど蒸らし、 次に水洗いしてザルに取って水を切る。(そば雑炊も良し。そばつゆをかけて薬味を入れていただくのも良し♪)  郷里言葉:「てんぷら」       さつま揚げのこと。天婦羅のことも「てんぷら」アクセントも同じ。これでなんら問題なく通じていた。
菜っ葉たち(2007.4.30)  菜園のお隣さんからセロリーを二株いただいた。トップセラーという品種名で市場では 認知されていない小型種だそうだ。  茎は太く短く固く緑が濃い。葉っぱ茂って香りが強く厚みがあり緑が濃い。なにもかも どっしりとしていた。原種かなあ?  茎の部分をピクルスにして、葉っぱはジャコと一緒に佃煮風にしてみた。 材料: 葉っぱなら大根の葉、蕗の葉でも良い。 (適宜、よく水を切ってから刻む)   乾干しのジャコ(適宜) 炒り胡麻(白) 調味料: サラダオイルで @ジャコ、胡麻、葉っぱの順で炒める。 Aだし汁、醤油酒みりん適宜。煮詰めない。  B仕上げに胡麻油を垂らし混ぜる。
  昔、実家では大根の葉っぱと小女子(こうなご)を佃煮風にしていた。調味料は、菜種油(なたね)、フジジン醤油、 赤砂糖、料理酒だったと思う。今は日南産のチリメンジャコを入れているらしい。    からし菜や山葵(わさび)の葉(花わさび)は、お浸しにしたり、お漬物にして食べていた。 甘党の祖母はわさび大好き。お漬物には重石がされていたので葉の色は茶色がっかっていてスッパイわさび味だった。 そして私は、わさび大好きに育った。  スーパーで売られている花わさびは姿が繊細で香りが弱い。熱湯にくぐらせてキュッと絞ってもニオイが弱い。味は 甘苦く感じる。あの野生のニオイとは全然違う別物だ。栽培物はすぐ分かる。
紫キャベツ(2007.4.21) 収穫した紫キャベツを今回は違った食べ方がしたくてサラダで試してみた。 春キャベツは蒸すと甘みが増すのでこの方法でやってみようと思ったが、茹でることにした。 茹で汁は濃い紫色だったが水に離すとコバルトブルーに変わった。(まるで色止めのように) 材料 紫キャベツ 半個 茹でて水に離し優しく搾って細切り    パプリカ  各色2個 茹でて薄皮をむき細切りにする         手作りドレッシングの材料      オリーブオイル・・・3/4カップ    酢・・・1/4カップ    塩・・・小匙1    にんにくのみじん切り・・・小匙2      チャイブ・・・適量  *パセリでも良い。写真には、何もないが♪  これから夏、  茄子を縦に薄く切って水にさらし水気をふいて焼き網で両面を焼く。  縦半分ずつに切った三色ピーマンを焼き網で両面を焼き冷水にとり薄皮をむく。  ドレッシングは、ローリエに代わって赤唐辛子がよく合う。冷やしていただく。
パン焼き器(2007.3.20)  祖母はよく蒸しパンを作ってくれた。母はよくパンを焼いてくれた。 蒸しパンもパンも竈(かまど)の時代、薄力粉とは言わないでメリケン粉と呼んでいた。そして、バタークリーム ケーキも贅沢な時代・・・。大きな釜の上に蒸篭が何段も重なっていて、そこから湯気がもうもうと立ち上がって いた。私は”かまど”の後ろに回って湯気の行方を見ていた。かまどの焚き口辺りにいる祖母が必ず言うのだった。 「ふたを開けるからどかんねぇ〜。あぶねえがあ〜。やけどすっとよ〜」と。蒸篭に並んでいるパンの状態を見たい けれども背が届かないので湯気のしずくが運んでくれる匂いを嗅いで想像するのだった。中身がりんごのときは香り がとても良かった。春はヨモギ、桜の塩漬け、つぶし餡。秋は唐芋(薩摩芋)、栗、とうもろこし(スイートコーン ではなかった)つぶし餡。冬になると唐芋とリンゴが一緒に入っていたのでそれはとても美味しかった。蒸しあがった パンを食べるとき、祖母と曾祖母は口を揃えて言ったものだった。 「ゆっくりたべんとやけどすっじょ〜 ほらほら もうほらほら ふう〜ふう〜して〜もう〜そら〜もう〜」と大変な 騒動だった。それでも私と妹は火傷をしたのだった。先に先に世話を焼き注意をするのはさぞ疲れたことだろう。       パン焼きのときは、母の脇に立って見ていた。メリケン粉にふくらかし粉(ベーキングパウダーとは言わなかった) を加え、卵、牛乳、砂糖、マーガリン(バターではなくても同義語)を目分量の早業で混ぜた。焼け具合は音で確かめ ていた。しばらく置いてから鍋を裏返すとパンが上蓋に収まった。切り分けるときの母は、フェルメール作『牛乳を注ぐ 女』の所作にそっくりだった。具は蒸しパンとほとんど同じで、たまに干しブドウが入っていた。ガスコンロ(プロパン ガス)の時代になると、それもず〜〜と後の後になってだが、バニラエッセンスとかココアパウダー、ドライフルーツ、 ホイップクリーム、ジャムなど種もトッピングも豪華になってきた。帰省時に私がこのパン焼き器を母から譲り受けた時、 母は65歳だった。  今日、義母と「昔のおやつ」の話をしていたら急に作りたくなってきて作ってみた。ベーキングパウダーが無かったが 干し芋とスモークドチーズを入れた。案の定失敗であった。焼き上がりはとても載せられない。
搗栗(かちぐり)(2007.2.11)  昨年の12月帰省したときに母が土産に持たせてくれた「かちぐり」を使って栗おこわを作った。    「かちぐり」には秋から冬にかけての思い出がある。母、祖母、曾祖母が家の前庭にムシロを敷いて山栗の 実を殻のまま干していた。カラカラ音がするくらいになったら、臼で搗き、殻と渋皮とを取り除いていた。 お日様の当たる庭で、ブリキの缶にカラリンコンカラリンコーンって入れていた。それはたくさんな量だった。 谷は日照時間が短い代わりに寒暖の差が大きいので他にも乾物の保存食品はいろいろあった。搗栗は、おやつ としてよく登場したものだった。  冬、ぬるま湯で戻した栗を戻し汁ごと鍋でぐつぐつ煮る。煮ると栗の甘みが出てきた。そこにお砂糖を入れ たり、黒砂糖を入れたりして甘みを補っていたように思う。私は栗の形が粒粒になるまで煮てお匙でいただく のが好きだった。小豆と一緒に煮たときは、栗ぜんざいに。焼いた丸餅がドンと入っていたことも。ひなたの 味というと上品だが、ちょっと違う、”すぼった味”がした。囲炉裏の火のせいでもない。後にガスのコンロ で煮たときもやはり”すぼった”味がしていた。山の谷の味かもしれない。  福島の友人のお母様から貰った「もち米」と、ケサエさんの「ささげと搗栗」、おこわは炊飯器で成功した。 *「搗栗・勝栗」 搗くが(ツク)勝つに(カツ)通ずるから出陣や勝利の祝い、正月の祝儀などに用いた。押栗。あまぐり。(広辞苑)
青梅と縮緬紫蘇と大葉(2007.2.9)    毎年、南高梅を漬けてきたが昨年初めて義母と私はそれぞれの塩梅で梅漬けをしてみた。義母は縮緬 紫蘇漬けを3キロ。私は青梅の塩漬けを1キロ。ゆかり用に300枚ほどの縮緬紫蘇を漬けて、縮緬大葉を 塩漬けにした。紫蘇は葉の先がちりちり縮んでいて柔らかく色が濃い。どちらも畑で育ったものだ。  ここ数日晴天が続き乾燥していたので紫蘇と青梅を干した。梅を紫蘇の上で転がしていたらピンクに 染まっていた。消毒のつもりで多めに入れていたお酒の匂いは完全に消えて梅の香りを放った。ゆかりは、 表面が乾燥するばかりでなかなか乾かない。葉を伸ばすとまだ湿り気があった。伸ばして広げてお日様に 当てること三日。ステンレスの網目のざるの底で転がすとパリパリ音を立てて崩れた。     「ゆかり」の半分に炒りゴマ(銀ゴマ)と宮崎日南産のちりめんジャコ(乾干し)を混ぜてみた。市販の ものよりずっと風味があると家族は言った。稲荷寿司の具に、チャーハンのトッピングに、冷たいおうどん の上に、良く合う。 大葉は福島の友人から教わった要領で作ってみた。 @洗ってペーパータオルで水分をよく拭き取る。 A大葉よりやや大きめのタッパーの底にビニール袋を入れ、塩を軽く振る。 B葉を置き、葉の表面に塩を軽く振る。振っては重ね、振っては重ねて繰り返す。 C空気が入らないように密閉して冷凍庫で保存。 *お握りを大葉に包んで食べるとウマイ!! 真っ白なお握りに特に合う。バーベキューのお供に!!
ケサエさんの「柚子の味噌漬け」(2007.1.25)   あら、大変!! 24日付けで紹介した「柚子の味噌漬け」は、母の作ったものとは全く違うものだった。 あれはあれで美味しかったと思っているが・・・♪    本日、母の肉声を聞いた。それは、娘に対しての嘆きとちょっと自慢げな表情を想像することができた。 「違うばあい!そりゃ〜ぜんぜん違うが。まことおぼえとらんちゃね〜。作り方を言うから書きないよー」と。 用意するもの:柚子、甘めの味噌、ガーゼ、  @柚子は丸ごと蒸す A冷めたら樽に3cm位厚みに味噌を敷く。その上に柚子を並べる。 B並べた柚子の上にガーゼをかける。 *@ABの順に丁寧に重ねてゆく。 C一番上には、ナイロンなどで密封し、鍋の落し蓋程度の重石をする *水分が上がってくるが、お玉などで取り除く。3ヶ月くらいで食べられる。  「ガーゼを間にはさむとはね〜、柚子に味噌がベッタリつかんじゃろう。切るときも楽じゃけど、美しい からよー」と。    参った!感心し感動しそして反省した。これから今から畑で散歩道で野道でニオイを感じた時からスロー フードの始まりだと思う。またケサエさんのフードをこに紹介したいと思う。
柚子の味噌漬け(2007.1.24)  実家では柚子の味噌漬け(自家製麦味噌)が食卓に上がった。この味を美味しいと思えるようになった のは20歳を過ぎた頃からだった。それまでは姿、食感、におい、味、すべてが美しく思えなかった。 焼酎に合うらしいことは分かっていた。盛り付けはほんの少しがいいことも分かっていた。昨年、母の味を 再現したことがある。そのときの話である。  柚子の条件は、無農薬がいいですね〜〜  お味噌は、大分産、フンドーキンの「九州そだち麦」を薦めます。関東地区はスーパーに置いています。 @柚子を良く洗う。水気をふき取る。 A横半分に切って搾る。タネは一生懸命取り出さなくてもよい。酢は和え物などに使う。 Bお味噌の中に柚子の姿を埋め込む。 柚子の皮の色が黒っぽくなったら食べ時。 お味噌を洗い流してスライスする。  *使用しなくなったら味噌床にお砂糖を加えて煮詰める。それをお握りにつけて焼く。   焼き上がりに炒りゴマを振る。 ウンマイ!!
柚子と蜂蜜(2007.1.24) 村のどこの家にも柚子の木が植わっている。実家には2本あったが 04年の台風による土砂崩れで一本を 失った。残った一本は私が生まれる前からのもので高さ3m以上はあると思われる。ひょろりとした木だが よく実をつける。柚子ちぎり(もぐ事)は母が上手い。ねじる加減で落下か温存かの分かれ目。たまに落下 する。頭蓋内出血したり破れたりする。私は拾う。母は枝のついたままの柚子を軍手で抜く。私は落下した 柚子の皮を剥き刻んでビン詰めして冷凍する。次に果汁絞り機で絞って漉す。果汁をビンに入れて冷蔵庫へ 仕舞う。落下を免れた柚子を宅急便で送り出す、というところまで手伝える・・・。去年の柚子はもう使い 切ってしまった。私流の柚子の扱いは、大雑把である。 @皮をそぐ(お吸い物などに浮かべたとき形が実に美しい!!。ヨーグルトのトッピングにも♪) A果汁はこさない(繊維も一緒に摂る) B種を取り除いて乱切りにする。そしてビンに詰めて蜂蜜を流し込む。 三日目辺りになると柚子酢と香りが蜜に溶け込んでいる。パンに漬けたりはさんだり、ホットティー、 ホットカルピスとしておすすめです♪    *今回使用の蜂蜜は、ニュージーランドのマヌカハニー(胃のピロリ菌を死滅させることが証明されている)  カナダのメープルシロップで作りたい。お試しあれ♪
漬物小屋(2007.1.14)  12月から3月頃までだったか? 記憶がかなり遠すぎて危うい。それでも当時に近づいてゆく間に 少女の頃の服装が浮かんできた。”におい”の記憶から服装の記憶へ。棒編みの帽子、機械編みのセー ター、ジャンパー(昭和30年代はナイロン製のスタジャンスタイル)、コーデュロイの赤いズボン、 手袋なんかはしていなかった、あの頃。   間引きしたオチビチャン大根を外の炊事場で母が洗っていた。日照時間が短いので早朝から作業に入り 乾ききるまで干してから木の桶に大根を並べて粗塩を振った。母が桶を二つほど抱えて漬物小屋に運んだ。 そこは古墳の石室のような造りになっていて寒かった。お味噌、高菜漬け、梅、梅酒、まむし酒、山桃酒 等などが棚の上に並んでいた。  間引きした後の大根が成長すると大樽に漬けていた。このときは唐辛子、干し柿の皮、干し椎茸の屑、 干し蜜柑皮、糠(気長に炒っていた)をまぶして漬けていた。大樽が二つほどドーンと置かれた。重石は 川から拾ってきたビックな石だった。二つ、三つの重石から一つになった頃がウマイ!!美味しかった!!   黄色の食品添加物を入れたこともあった。母は何時ごろからか色粉(いろこ)嫌いの無着色党になった。  先週(8日)収穫した大根を縦半分に切って漬けてみた。本来は葉っぱを食べるために植えた葉大根を ほったらかしていたら根が太ったので抜いたのだった。塩、糠、唐辛子を入れ葉っぱを蓋代わりとして3k と2kの重石を乗せた。6日後にはしんなりしてきた葉っぱを混ぜ込んだ。我が家の桶はポリバケツ。 ベランダの気温5℃前後のところに置いてある。  6日後の写真。   
七草粥(2007.1.7)  昭和30年代、母は7日の朝も5時起きだった。つららが下がっていた。 湯たんぽのお湯で顔を洗い、歯磨きをして身震いし胸の前で両手をこすりながら膳についた。 家族11人が揃ったところで曽祖父の挨拶があった。何を言っていたのかよく覚えていないが 終わる頃は解った。そして、お箸を両手の親指に渡して一斉に一礼「いただきます」  冬休みの終わりでもあるから子供にとっても気持ちの切り替わる朝だった。 「ありがたやありがたや」「あったまるわい」「しかけの水がこおとったがあ」「おかわりせんとね〜」 男の人たちの声が力強かった。曾祖母、祖母はお口をもわもわ動かしていた。 母は湯気の向こうで白い割烹着のまま動いていた。  七草を自分で摘んだ覚えがないのが寂しい。母、曾祖母、祖母が家の畑と野道で調達したのだと思うが 摘んだのは前日だったのか?当日の朝だったのか?  お餅を一口大に切って焼いてから粥の中に入れた。柔らかくしないと4人のお年寄りが大変!!しかし 村で御餅の事故はなかった。2007年も聞いていない。  しかけは、やがて黒くて太いチューブに変わり、そのときから落ち葉の心配はいらなくなったが気温 3度くらいになると凍った。母がはりきってバーナーで暖めていた。現在は水道水。 郷里言葉 「しかけ」・・・ 筧(かけひ)のこと      ふしを抜いた竹や中心部をくりぬいた木を地上に架設して水を通ずる樋(とい)。
囲炉裏端(2007.1.6) 雨の今日、芋(里芋)、からいも(薩摩芋)を焼き芋用土鍋で焼いた・・・。  幼い頃、ランドセルを背負ったまま隠居部屋に行ったものだった。「ただいま〜」って障子を 開けると、囲炉裏の傍に隠居じさん、隠居ばさん、黒猫が居た。 「おうおう〜おかえり。はい。はい。」と二人は答えてくれた。囲炉裏の中には金串が数本立っていた。 決まっていた。芋(里芋)の採れる頃は皮のまま蒸して刺し、甘柿は剥いて刺してあった。 こんがり焼けている芋を隠居じさんが剥いてくれた。隠居ばさんが生姜を下ろし、お皿にお醤油を注して くれた。焼き柿は焼き林檎を知ってからも比較にならない程のおいしさであった。  郷里言葉    「唐いも(里芋と区別)」 「芋(山芋と区別)」