あつ子@カナダ15

日本を離れた歳月が、生まれ育った日本での歳月を超えた時、カナダに生きる自分を、
生きてきた自分と一緒に見つめて見るいい機会に恵まれたと思っています。
人の人生は、決して単調でない事などを含めながら、日頃の自分を異国の地で色んな方面から
分析をしてみたいと思っています。これからも、ささやかでも感じる心を持ちながら、
自分の言葉で自分らしさでこれからも綴っていきたいと思います。


 冬景色  (2019年11月13日)   

朝起きるとほんのり雪が積もっていました。トロントに来た頃5月に雪が降った のには驚きました。暖かい宮崎からはるばるやって来た私は、「スグカエル・・」 と日本に電報を打ちたくなりました。電報なんて古いとお思いになるあなた・・・ 電話代は高いし、ファックス、インターネットなんて夢の中のまた夢であったわけ で・・・。思えば北のはてに来たもんだ・・・と思ったり。NHKの紅白が明けて お正月に会館で映画で放映されていた時代です。1977年日本では「津軽海峡冬景色」 が大ヒット。そう、その歌がトロント日系文化会館で開催されたステージショーで 初めて歌を披露した思い出の曲なのです。良い歌は難しい。歌のほかに舞台に出る 練習・・・ここで礼をして前に進みエトセトラ。厳しい練習を重ねて、重ねて本番。 だから全然緊張しませんでした。だからこの寒い雪国の歌は私の思い出の曲なのです。 とうとうトロントは長い厳しい冬に入りました。

 楽しみを分かち合う  (2019年10月28日)   

JCCC新移住者シニアクラブを立ち上げて1年が経とうとしている。戦後移住者も 子供達も成長し、一人になった人、二人でも何となく物足りない生活をしている 人達の為にこのクラブを立ち上げた。先日、ご主人を亡くした方から寂しいので 参加したいという電話を貰った。多い時は50人ほどの参加者もあり喜ばれてい る。日本語で会話できることが参加者にとっても一番の率先しての参加する楽し みのようでもある。プログラムは参加者の意見で案を聞き企画している。 今までは、認知症について、糖尿病について、他病気を経験した方の話、ミュジ ックセラピー、ニア、盆踊り、味噌の作り方、大福の作り方などなど盛りだ くさんである。 そして10月は「みたらし団子」の作り方の講習を行った。豆腐で作る簡単な 作り方であるのでおおいに賑わった。今日は、復習の為に家で作ってみた。な かなかいけるのである。 これからも様々な案を貰いながら、このお集まりを末永く続けていきたいと思う。

 夏が過ぎゆく時  (2019年8月28日)   

8月も終わろうとしている。住まいに隣接するハイスクールのグランドはとても静かだ。 でももうすぐ夏休みも終わり。また賑やかになる日も近い。しかし、大勢の生徒たちは 夏の間どこへ消えたのだろうかと思うほどに休みと同時に学校のグランドは静かになる。 このグランドを歩くことを決心して3週間になる。朝6時に目覚めて朝日が出る前に帰っ てくる。吹く風や空気が爽やかになり夏が終わりを告げようとしている。大病をしてから 検査のたびにナースから「運動はしてますか・・・」と聞かれる。ということでようやく やる気が出てきたのだ。体力が落ちてテニスもできなくなったが、ゆっくりと体を動かし ながら力をつけて行こうと思っている。

 夏  (2019年6月27日)   

ボランティアで忙しくなる夏である。やっとカナダらしい夏の到来である。枯れたような 木々たちが新芽を出して緑いっぱいになった冬から夏へと変わった景色は何とも言えない 爽やかさである。 日系文化会館では恒例のTORONTO JAPANESE FILM FESTIVALが開催されて大いに賑わっている。 麻雀放浪記出演の斎藤工が訪れた当日は若い女性達で大賑わい。紛れて私も「健康麻雀」を 始めたので観に行った。明日でそれも終わる。 先日は、東日本大震災で被災をした子供達をホームステイ受け入れの為にチャリテイーデイナー が開催された。9回目の開催となる。心に傷を持つ中学、高校生がやってくる。今回は6回目 の子供達がワーキングホリデーでトロントに来ていて素晴らしいスピーチをして成長した姿を 見て感動した。 来年は東京オリンピック。今、東京五輪音頭2020の踊りを練習中。1964年の開催の時、 宮崎の観光地平和台公園が聖火リレーの第二スタート地点になったことは有名だ。トロント でも夏祭り、他色々な所で東京五輪音頭の歌が流れる。 トロントの夏は駆け足で過ぎて行く。         

 乗り越えるということ  (2019年5月26日)   

2014年から5年経った。いろいろなデーターがあるが5年乗り越えれば77.7%の 確率で完治すると聞いている。それを信じながらカナダの医療保険制度に対しても感謝し ている。カナダは患者側の医療費の自己負担はいっせつなく無料となっているありがたい 国である。 5年前にステージVと告知された時には「嘘でしょ・・・どうして私が・・・」と青ざめた 私の世界はすべてが真っ白になった。しかし、ドクターの行動は早く、即、入院、手術となって 私の闘いが始まった。抗がん剤治療がスタートしてその闘いは苦しいながらも、知らない間に 医療の世界が驚くほどに進歩していることも知らされた。カナダは腹腔鏡の手術は優れている と聞いている。そして、私は素晴らしいドクターと巡り合ったということも関係者から聞かされ、 生かされているということをつくづく感じている。五か所の傷は今はほとんど消えている。 抗がん剤治療が終わってその日から5年間の半年に一回の血液検査とCTスキャンの検査が続 いた。CTスキャンのアレルギーだと分かると特別な薬を何種類も飲まなければならずそれが 結構辛かった。 5年目に久々に担当医にあった。命を助けてもらったありがたさと懐かしさが込み上げてきた。 内視鏡検査は、温かいナース達の会話で心が和んだ。検査前の注射針を手の甲にさすときには 「いち、にい、さん」と日本語で数えてブシュ。思わず笑ってしまった。検査中のナースは 「日本に行ったことがあるのよ。北海道にスキーに行って東京、京都、広島に行ったわ。今度 沖縄に行きたいんだけれど、あなたは日本のどこ・・」と言っている内に眠りに入り、目覚めて 検査は終わっていた。終わった後の担当のナースも優しくて、親切だった。 担当医は「5年後にまた・・・」ということで術後の検査の結果は良好だと聞かされた。 異国で病気になることは不安だ。医学的な言葉やまた状況がどのようなものであるかわからない。 でもカナダに来た頃、ドクターにそのように話すと「私は耳が聞こえない人でも目が見えない人 でも話せない人でも治せますよ。」と言われた言葉が今も心に残っている。国と国の壁を越えた 人と人との心のつながりが見えたように感じた。 生きている以上思いがけないことは構わず思わずやってくる。子供達から言われたように、 「どんなことになっても今があるのだから楽しく過ごすことだよ・・・」この言葉を心に刻んで 毎日過ぎていく今を一生懸命生きようと思っている。

 海老の皮むき  (2019年5月4日)   

日系文化会館の桜が蕾をつけました。来週中にはパッと咲きそうです。そして明日は会館のバザー。 たくさんの人出で賑わいます。 今日は、明日の準備で天ぷら用に1300匹の海老の皮むきをしました。2時間半ほどで終了。 明日はお天気も良いようです。   

 礎アワード  (2019年5月2日)   

【「礎」が象徴するのは1960年代始めに日系文化会館を自分たちが 財政難になることを覚悟で 担保契約をした75家族です。日系文化会館は日系コミュニティーの中で日系文化会館に長年に わたり偉大な貢献をされてきた方々に感謝の意を表明するためにこのアワードを設 立しました。】 上記の礎アワードを授賞することの連絡が来た。この日系文化会館があることで私達はトロントで たくさんの同胞と出会い、助けあい、支えあいながら生活をすることができている。私は、1976年 に移住して日系一世二世の方々と出会って戦前戦中戦後に苦労されたことを知ることができた。 移住したその頃日本の娯楽があまりなかったことで、私たち戦後移住者はこのような方々の為に 日本語で日本の文化を取り入れながら、様々なステージショーを開催してきた。そこから、私の ボランティア活動が始まった。日系文化会館に日本語が危ぶまれ、日本で生まれ育ってきた戦後移住者 の力が必要とされてきた。私達は惜しむことなくその必要性に応えてきて今がある。 連絡が来た時に驚いたが新移住者から3名選ばれてとても光栄なことだと思っている。これからも様々 なボランティア活動をしながら、日系文化会館と共にありたいと思う。もうすぐ会館のバザーがやって くる。エビの天ぷらをするために1000匹のエビの皮むきが待っている。仲間たちとあ〜だこ〜だと 言いながらわいわい賑やかに毎年行っている。ボランティアは楽しいから続けることができる。そして、 多国籍文化の国でありボランティア国と言われているカナダだからこのような場に巡りあえたと思って いる。

 終活  (2019年2月27日)   

終活という言葉が目に留まるようになった。それほど気にかけているからだろう。 そうなのだ。前々から写真の整理をしなくては・・と思いながら過ごしてきた。 やっと二日間かけて終えた。子供達にはそれぞれに分けあたえることにした。昔は、 思い出に何かといえば写真を撮ったものだ。そして、仕事柄若き時代の写真も多い。 案内した方々から礼状に添えて写真が送られてきたものだ。それもまた仕事を終え てからの楽しみでもあったがその仕事を選んで良かった、と思ったものだ。それゆ えに思い出も多い。トロントに移住してボランティアで忙しくなった。舞台での思 い出も多いけれど、月日の流れはあっという間だった。一週間が目まぐるしく終わ っていく中で写真だけではなく衣服などの整理が待っている。ありがたいことに、 衣服はどこにでも大きなコンテナみたいな物が置いてありその中に投げ入れて置けば いいようになっている。電話すれば取りに来る業者もいる。そして次は文庫本である。 あちこちの日本人の図書室も寄付された本で溢れているようだ。 慌ただしい中で、母が今年100歳になるので子供達と一緒に帰ることになった。「おば あちゃん・・・おばあちゃん・・・」と言いながら小さい頃からそばにいなかったこ とが子供達の心を優しく包んでくれているようだ。一緒に思い出づくりにいざ春の宮 崎へ・・・。

 10月のトロント  (2018年10月19日)   

10月に入ってあれよあれよと日々が過ぎてゆく。秋も深まった日々のカナダ速報といえば、 マリファナが合法となった。先進国としては初めて。30グラムまで購入可能で4株まで自宅 で栽培がOKだそうだ。しかし、日本人は日本の大麻取締法が海外でも適用されるのでご法度 らしい。このニュースを聞いてもまだ半信半疑の私ですがカナダ便の税関が厳しくなりそうだ。 そんなカナダですが、辺りはハローウインが近づいて賑やかになった。そんな日のお天気に恵ま れた最高の日に北へドライブ。紅葉も真っ盛り。道路わきでは、パンプキンがおいで・・・おい で・・・と言わんばかりに出店で賑やか。ちょっと立ち寄って蜂蜜やきゅうりのピクルスを買い 求めました。 

 季節の終わりに  (2018年9月13日)   

今年の夏は暑かった。こんなに暑い日が続くのは珍しいことだと思う。食欲もなくなりそうだが、 冷や汁やそうめんなどがおいしい。欠かせない紫蘇の鉢植えをもらってずい分夏を楽しんだ。 今日は秋を感じる日々のなかで、茗荷、紫蘇の実をもらった。最後の季節の旬をどう楽しもうか と思っている。

 夏の味  (2018年8月14日)   

暑い日が来ると思いだす。やっぱり郷土料理の「冷や汁」。友人からポットに植えた紫蘇を 貰いました。あっと言う間に葉っぱさんがなくなるので他の友人からも鉢植えを貰いました。 もう何度も冷や汁を作りました。そして、梅や鰹節の入ったおにぎりを紫蘇の葉で包んでオイル で焼いて最後に紫蘇の葉に穴を3か所ほど開けてお醤油を注ぐととてもおいしい焼きおにぎりに なります。 今度、シニアの集まりで紫蘇と鰹節と梅肉と天カスと天つゆを適当に混ぜておにぎりを作ること にしてます。おいしいかどうか楽しみです。 トロントも毎日暑い日が続いていますから最高の紫蘇料理になりそうです。 日本の皆様、夏バテをしないようにご自愛くださいませ。

 サボテンの花  (2018年7月29日)   

7月に入ってずっと30度以上の日々が続いた。その太陽を浴びてサボテンの花が咲いた。 1975年、ドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌「サボテンの花」を思い出した。 「きみがそだてたサボテンは小さな花をつけた・・・」 懐かしい時代が蘇ってくる。人は誰でも心の奥に様々な思い出を残している。そしてフッと 様々な事からその思いが思い出として浮かんでくる。 1970年代には素敵な歌がたくさん生まれた。その時代に昭和の女として育った幸せを感じる。

 夏  (2018年7月3日)   

この一週間ほどトロントも暑い。36度の日があって今日昨日と32度。水曜日から 20度台になってしのぎやすくなっていくらしい。雨は降らないので湿度はない。でも、 山のない広い空から降りそそいでくる太陽が痛く感じる。陰が涼しいので公園では木陰を 陣取りながらピクニックなどの行事で賑やかだ。 先日、友人と氷を食べようか、ということになって韓国系の店に入ってみた。甘さ控えめ 抹茶風を選んだ。かなりのボリューム。でもサラサラと胃の中に消えていった。そして 若き頃宮崎の喫茶店で食べた「白熊」を思い出した。トロントにいる友人がこれまた若き 頃に宮崎に遊びに来て白熊を食べたのだが、夏が来るたびに「宮崎の白熊が食べたいね・・・」 と言っている。 そして久々に家庭用の氷削り器を出してみた。子供達が小さかった頃はおおいに活躍したものだ。 この写真を見た友人から「氷の字に昭和を感じるね」というメールが届いた。余談であるが、 ある若き方から「昭和の女性はいいですね・・・」と言われた。「なぜ・・・」と聞くと 「なんだか落ち着くのです・・・」と答えが返ってきた。それからしばらく昭和の時代の話で 盛り上がった。その事をフッと思いだしながら、この氷削り器も懐かしい古き良き時代の物と して残っていくのかなあと思っている。

 遺言執行人  (2018年5月20日)   

トロントの戦後移住者(新移住者)も70代を越える人が多くなった。1人暮らしや 身寄りのない高齢者の方々、また家族があっても気になるのは財産をどうするかである。 そこには多額小額にかかわらず遺言書を書いて置かなければ後々が大変になってくる。 オンタリオ州の法律文書である遺言書には、遺言執行人を任命しなければならない。 これに基づいて、私は、トロントに家族も親戚もいない1人暮らしの友人の遺言執行人 となった。遺言執行人は様々な事務的作業を行い遺言書に書かれた故人に従って遺産を 分配して、相続人に届ける大きな仕事が課せれる。この遺言書がない場合は政府が全て 凍結し、そうなると家族、親戚がいた場合は相続するまでに多くの時間と費用が掛かる 事になり負担も大きくなる。 私は、友人が1年前に遺言書を書くにあたり、名前を貸してほしいと言われ、何も考え ずに承諾した。その友人が11月に突然に亡くなって、遺言執行人という激務が待って いたが、弁護士の指導を受けながら着々と進めている。彼女の場合は日本の親戚に財産 を渡す事が書かれていたのでその方向で作業を進めている。コンドミニアムや車の売却 や年金、パスポートやドライバーライセンス、健康保険などのキャンセルなどから始ま って銀行をクローズしたりなど、気の遠くなるような業務が待っていた。 2001年トロント新移住者協会は、ご家族のいない人の為に「緊急連絡網」という プロジェクトを立ち上げた。病気になったり、あるいは亡くなった場合「どこに」「誰に」 「何を」連絡すればよいか。日本の親戚への連絡、葬儀の事、遺言の扱いなどを容易に できる為にである。日本への連絡先などこの紙面に全てを書き込んで冷蔵庫に貼って置く ように、今では私が先輩から引き継いで、1人暮らしの方々に渡している。 友人の場合も、ポリスからこれは良いアイディアだと言われたがその紙面が冷蔵庫に貼って あったので全てがスムーズに運んだ。 1人暮らしだった友人はいつも、1人、部屋で倒れた時の事を心配していた。ずい分前に 鍵を預かり、返答がない場合は様子を見に来てほしいと頼まれていたが、それが現実のこと となって「まだまだ大丈夫よ・・・」と笑いあった日々が思い出される。 人生は、何が明日起こるかわからない。周りの1人住まいの方々から遺言書のことなどを 聞かれるようになった。私は執行人としてその日から全てを日記形式にして書いている。 これから先もいろんな方から聞かれた場合、その記録を元に相談にのって行こうと思って いる。この執行人の業務はその業界の英語に四苦八苦しながらかなりの勉強になっている。 結婚してもしなくても、身寄りがいなくても家族がいてもこの遺言書作成はどのような場合 でも必要不可欠だということである。