里津子の窓5

人生で大切なものは”孤独の引き出し”です。家族や友人も知らない一生自分しか開けない
引き出し。それぞれが、整理したり何か彩を加えたり要らないものを捨てたりする。ある人
はその中に絵や歌や詩やゲームやメールや様々なものをしまっておくのは言うまでもありま
せん。何も置かないすっきりした空間で安らぐ人もいるでしょう。そこはとても大きなパワ
ースポット。自分の心の中の引き出しです。

******** 「里津子の窓1」の下段に「写真ギャラリー」を移設しました。********





 おすそ分け・四葉のクローバー (2013年6月30日)

小さい頃いじめっ子先輩と仲良しになり彼女が教えてくれた四葉のクローバー 探し。人が良く踏む道の端っこにあるよと教えてくれました。帰国してから2年目 にしてようやく見つけました。しかも2葉も。小さなかわいい葉は押し葉にしました。 「里津子の写真ライブラリ」をご覧ください。

 アッパレ金太郎風小学生女子 (2013年6月29日)

総武線各駅停車に乗るとうたたねの合間にゆっくり車内観察が出来る。いつも人に 寄りかかられて立腹しているが昨日はうっかり隣の若い女性の方向に傾いていた。 ハッとして身を立て直して反省。彼女は素知らぬ風で態度が立派だ。昼の新宿は 観光客が増えていると感じた。急いだり走ったりの道のりは忙しい。診察予約時間 は押せ押せでもっとゆっくり来ても良かったといつも思うのだ。 帰宅時左横に太めの金太郎風小学生女子が座った。難しそうな漢字練習帳をどさっと 出し一気に集中している。私立セーラー服がピシッと決まっているがこちらにも彼女の 身がはみ出してくるので自分の背中をまっすぐに伸ばしてみた。ガラガラ車両の隅の 方で3人のワンパク低学年男子が騒がしい声でふざけあいそれがエスカレートしている。 彼女は眼の端でしばらく悩む風に睨んでいたがスクッと立ち上がると突進した。 静かにしないとだめでしょうみたいなことを言ったのだろう。シュンとなり静まった彼ら を後目に几帳面に又隣席に戻ってきた。しかしそれで大人しくなる男子ではない。 わざとらしく騒ぐ。彼女は少しイラついて次々取り出すが問題集に集中できない様子だ。 偉いわね、同じ学校なの、とか話しかけてみたかったが我慢した。多分今時の子供は 知らない人と話してはいけないと教えられているはずだ。それでもフレーフレー女子、 と応援したい気持ちでいっぱいだった。短い気の利いた言葉はなんだろう。 2か月ぶりの通院。家人も胃カメラの日だ。待ち時間に隣に座った小柄な先輩婦人と よもやま話ができてうれしかった。又お会いしたいなと思うしっかりした会話の方だった。 8月にCT検査。なんだかパッとしない日常もありモヤモヤ感。カロナールを頼りすぎて いる不安も伝えた。予防的に薬を飲んでいるので今度は飲まないで様子を見たりする のも必要だという話が出た。気休め状態の間に感染症が潜んでいて拡大することもある はずだ。予防的治療はない。壊れたら治すのが仕事の場所だ。壊れるまで通院しない 方が良いのだろうか、悩ましい。今度治療すると決まったらセカンドオピニオンを とってみたい。金太郎風女子の行動からパワーをもらったので彼女の逡巡する姿や 努力を思い返して自分もできることを頑張らないと。帰宅途中あまりにパッとしない 花屋でハイビスカスの鉢を買おうか悩んだ。すでに両手に荷物を持っていて諦めた。

 夢・オリーブの実やヒトへ (2013年6月23日)

去年収穫の塩漬けミイラ状オリーブの実は塩解け後に又オリーブ油の中に入れて 冷蔵庫の中で寝て頂いていますが、今年の秋に予想される豊作に期待が高まります。 ネットで調べると薬品の作用なしには口に入らないほどの渋の多さだそうです。 海外から輸入されているものも処理なしには製品にならないそうで少しがっかり。 薬品使用は自家製くらいやめてみようと思いますので完熟して黒っぽくなった実を メープルシロップに半年漬けて冷蔵庫の中で寝て頂く方法に決めました。 ひとつひとつ種を抜いたほうが良いとのことです。専門の器具が売られているとも あります。昔のようにかまぼこ板でぐりぐりと押しつぶして種を取るのはどうでしょうか。 アク抜きと言えば里では相当アクの強い山野草に藁灰を使用していた記憶が。 オリーブの実の渋抜きにはどうかわかりませんが灰が手に入らずアイディアは没。 クロっぽくなるまで実の成長を待つというのも難しいです。実それぞれ成長が違い 青いのや赤っぽいのや赤紫、黒など様々に熟します。それでもシロップ漬けの夢は 最近では一番の期待です。まだまだ1年以上先にならないと口に出来ないものですが。 木の実をこれほど苦労してまで食するという文化はヒトの暮らしがある限りどこにでも 存在するわけです。栃の実やドングリの実と同様欧州辺りでも苦労していたのでしょう。 そしてあのブルードラゴンもすでに遠い空に飛び去り今では何の心配もないはず ですが、何しろ天上やら山脈やら市井とは程遠い所ばかり見ていますのでこうして 地上の事や普通の人々の日々の暮らしや雑事を教えてあげないといけません。 日の出から日の入りまで目の前の事しか見ない考えない単調な生活なのですから。 毎日のようにセッセとお便りしていると少しは普通の事に気が付いてくれるはずです。 何しろ末はどんなオオドラゴンになるか、はたまた墜落してしまうのか不明なのです。 夢があります。それでまだ日々の観察や気付きのアンテナを下す事が出来ません。

 ブルードラゴン・脱皮成功 (2013年6月22日)

ションボリしていたブルードラゴン 背中もシッポもウナダレていた なんて慰めたらよいのか  どうやってハゲマシたら元気になるのか ココロの中にパッと火の手があがった瞬間 ブルードラゴンは私が助ける 何故だかわからないけれど 必ず立ち直らせてみせると決意した 昔は助けることが出来なかった自分のヨワサに ジブンジシンのシレンに立ち向かっていた 傷ついたブルードラゴンに出会ってしまったから 見なければそんな気持ちは湧かない 岩の上でタマシイの傷に震えている 池に映った自分の姿に落胆している そこは温かい陽射しがなく人口の光だけが満ちている場所 巨大なプランテーションのような迷路の建物 ガラスにぶち当たったのか 行く手をふさがれたのか 横っ腹を切り裂いてしまったのか もう周りをミルことをヤメテしまっていた ワケなんて何もわからない でも今日は飛んでいた 輝くカギ爪と険しい眼光と迷わない速さで 風が渦巻く南の海をめざして一直線 水でイッパイの空をザーッと音を響かせながら 昨日のことなどまるで知らないという顔で ピカピカに光るウロコの最新ファッションで もう大丈夫だ すっかり元通り いつかまた会えるといいね 又傷ついた日に 消えかかったドラゴンの影につぶやいた エールの声は聞こえていただろうか

 大風の日 (2013年6月19日)

お昼には学校が終わり皆でいつもと違う道を探しながら帰ったよ 湖の水が大人も車も通る道をすっかりのみこんで たっぷんたっぷんと大きな波が次から次へと押し寄せてきた それは息が付けないほど早かった 小さな子を間にはさんで いつも女の子を泣かせている 男の子はまるで大人のおじさんみたいに先頭に立った ここで山の方に登るよ いいね ついてくるんだよ ツルツル滑る細い枝や大きな木の幹にしがみついて 斜めに一生懸命に登ったよ ここまでは水も来ない でも休んではいられない ほらナントカだよと言って男の子が野生のランの花を指差した 薄茶色のジミな花が雨に濡れて立ちすくんでいた 故郷の山の中に咲くラン 今は覚えていない花の名前 どうしてその場面だけが写真のようにシッカリしているのだろう 隧道が山の中を走り抜け湖の横腹にドオーッと 水を押し出す辺り ゴーゴーとドオーッのうなり声の太い土管 それは聞かせてあげたいくらいオソロシイ音だ そこでようやくいつもの道に降りたよ まだまだ家までは遠い 歌を歌ったのか手をつないだのか ナガマサ君は勇ましかった 怖いことなんて何もなかった ナガマサ君はもうとっくにこちらの世界にはいないけど 勇敢な笑顔もはっきりクッキリと目に浮かぶ ちょっとお猿さんみたいに真っ黒に日に焼けたやせっぽっちの子 故郷から離れてずいぶん時間が経って思い出した大風の日 今は大きな建物の中でベランダの小さな植木鉢の花が散ることや 入れ替わる海風と山風の向き 明日とあさってのシンパイだけ

 自己満足ツボマッサージ II (2013年6月18日)

遅まきながら足ツボマッサージを検索してみた所自分のアイディアが結構 的に当たっていることが判明しました。南国時代にマッサージ店から帰る際に 渡されたその日の体の問題点はたいてい胃腸の具合がよくありませんと いうことでした。当時は大腸ポリープ特大と共存中で常にお腹の具合が 悪く胃にもピロリ君が住み着いてしまい病院で抗生物質攻撃して頂きました。 巨大肝嚢胞の出現原因として風邪薬多飲+栄養ドリンク多飲もアリか。 日本人向け現地病院のドクターは、ピロリが完全になくなったか日本の 病院で風船みたいなのを膨らませて検査してもらいなさいと言いました。 2年前に大腸ポリープを除去したときにその検査をしていただいて問題が 解決しました。家人も南国でピロリに侵入されましたが帰国してすっきり。 南国日本人向け病院の超明るく笑顔満点美人ドクターのユリさんはカタコト 日本語でしたがいつも聴診器を当ててゆっくりと優しく診察。日本人看護師の 方が2名いて必ず説明の補佐をしていました。この方以外はエレベーターの 中でご一緒したときに普通の主婦かと思った人が目の前に白衣を着て現れて びっくりした皮膚科の現地ドクターと膝が痛くてCTを撮りオペしないと直らない と言われた(時間はかかったが自然に治癒)年輩男性ドクターなどが記憶 にあります。目の検査をしていただき現地のもっと大きな病院を紹介すると 言われた時はすでにその病院の事をよく知っていたので断りましたが現地 では有名なところでした。以前住んでいた場所の目の前にあった病院です。 家人は大した事もないのに出社前の貴重な時間を使いこの美人ドクターに色々 と訴えていたようです。普通で優しいドクターが居てほしいものです。 日本では時間が貴重なドクターと正確な血液検査結果がすべてなのでどうも 長く通っている割合には人間的な温かいツナガリというものが希薄です。 最近のニュースで緊急患者を日本人ドクターが付き添ってシンガポールまで 搬送したいというある病院の計画を知り南国でも一歩前進でよかったなと 安堵しました。日本人ドクターが直接診察出来る所が増えることを願います。 日本の病院でも海外の患者を受け入れて外来看護師が補佐して診察したり する時代が来るのでしょうか。日本のドクターは人気があるから必ずそんな 時が来ると信じています。海外から来て猛勉強した看護師が活躍するはず。 足ツボも深くは追及しませんが時間があればマッサージ。しかし根が怠け者 なので上半身の運動が問題です。この問題を解決しなくてはいけません。

 無意識体力向上本能 (2013年6月17日)

風邪気味なのか肝嚢胞から来るのかわからないのですが体力のアップ ダウンが激しく蕁麻疹もできやすく、年のせいと言われればそれまでなのが 不満な日々。食欲様は普通なので生ものを食べないように気を付けています。 夜半、無意識自己足マッサージがとても熱心になり不思議とこれで体調が アップします。右足で左、左足で右と、足の甲や裏や指の間やかかとなどを ツボ探しのように少し痛く感じるところを主にかかとや膝でマッサージします。 多分長く住んでいた南国で週1回は通っていたケンコウマッサージ店、 そこで得たワンパターンを真似て記憶をたどっているような気がします。 心臓が少し苦しいなと思うときは甲のあたりがとても利く感じです。 マッサージ店が軒を連ねている国ですが徒弟制度で身に着けた技術だと 思いますのである時は筋がおかしくなり半年くらい執拗に痛いこともある スリリングなものでもありました。手の肘のマッサージにより薬指が痛く なった事もあります。ぎっくり腰のときはすごい荒療治で直りましたがとても 怖い思いでした。しかしたいていは少々の風邪(血行が悪くなる)でも 復活していましたので1時間から+料金、千円++で(当時)過ごせる 場所はとても魅力的でした。フェイス、全身、ストーン、セラピー、と沢山の 店があり日本名から欧米系店まで実に豊富でピンキリの内容と値段です。 ストーンを足の脛の表に試したとき胃痙攣が起きましたのでツボの逆作用か。 そういえばメードが固く栓を回しすぎたシャワーの水を出そうとして指の 皮がゆるゆるに外れてしまいバンドエイドで固定していてもとに戻った経験 もありました。かかとのひび割れがとてもひどくなり歩きにくくなるほどの こともありました。黴菌がはいったのかなあと思い返したりしますが後の 祭りです。衛生面で疑問な足のお手入れ店でそのかかとを削って直して もらったのです。様々なことで強くなったのか弱くなったのかは不明ですが この無意識体力向上マッサージで翌日は悪かったクチビルの色も良くなる ので何かプラス面があると信じています。ただ睡眠の点ではとても問題が あるはずです。寝返りゴロゴロ+足裏マッサージは忙しすぎます。 南国では足の冷え症が治り、低血圧も少し上がったと思います。

 ベランダ植物の生存競争 (2013年6月16日)

ベランダのレモンバームに小さなマメ科のような花が満開です。薄いピンク に濃いピンクのスジ模様。もともと葉を楽しむものですが我が家は見るだけ が好きなので種がどんどん増えてしまい刈り取りました。大きな丸鉢に クリスマスローズ、白花ゼラニウム、ミント、松葉ボタン、石竹と盛りだくさん 過ぎてとてもかわいそうな環境ですがそこで我慢してもらっています。 帰国した当時小鉢を買い集め順番に寄せ植えしたので先着順なのです。 こうなると生存競争ですが今のところレモンバームとミントが勝っている ようです。春にミントが溢れるほど繁りました。しかしこのところの高温多湿で 隠し持っていたかび病が出てしまい(以前イチゴ苗に付着してきていろんな 植物に飛び火した)やむなく全部カットしました。枯れた葉やツルなど取り除く と意外なほどすっきりきれいになりましたので他の鉢類の事も思い出しました。 インドネシアでも軒下に植えられていてお手伝いたちが紅茶+たっぷり砂糖 にちょっと添えていたジャスミン系の白い花が咲く草木は元気印。これは一重 とか八重のがあると現地で購入した植物ブックに書かれています。トロピカル フラワーとトロピカルフルーツのこのハンドブックからずいぶん教えられました。 八重咲きのツル性ジャスミンは香りが強すぎますが沢山売られています。 小さかった柊も大きくなり、花が終わってから選定され捨て値で売られていた アジサイの鉢は満開で一鉢ゆえ存在が際立ちます。オリーブとブルーベリー は豊作の予感が。一つ心配なのはストレスで弱った四季咲バラの鉢植えです。 日頃の肥料不足などのお詫びに木酢酢を薄めて平等分配しました。 雨雨雨の朝はいくら待っても小止みにならずわが老犬もその雨脚の強い 音に怯えていつものように出かけよう急いでとは言いません。今日は山風。 辛抱強く待っています。生まれた土地に帰還して動物的カンも冴えています。

 ショーウインドーの中に犬の背中 (2013年6月13日)

近所に地元名産の土産物問屋らしき店があり信号停車時いつか訪れて 見たいと眺めている。豆類や茶、加工品をたくさん積み上げた棚があり 電光掲示板や派手なのぼりは通る人の目を集める。今日こそは客が 入っているかとよくよく観察しても居ない。この2か月間に度々観察して いるが1回1人くらいしか記憶にない。多分観光バスのお土産購入ルート に入っている店なのではないかと思う。そして朝、ショーウインドーの中に 長々と背中を見せた茶毛の犬がいた。猫はそんな姿をみたりするが犬は 初めてなので興奮して家人に告げる。しかしシャッターチャンスは無かった。 これぞチバ。タマでこんな風景は見られないと思う。小さな飲み屋や食堂、 美容院、弁当や、和菓子屋など最近郊外型大規模店の進出で淘汰されて しまうはずの店が沢山生き残っている。準工業地帯に隣接しているので その人たちのお蔭なのかもしれない。かと言って自分が利用するのは小さな 八百屋カゴ盛り新鮮廉価野菜果物、早朝販売路地イチゴ、早朝大売出し 野菜程度なので町に貢献できない。セルフサービスガソリンスタンドで家人 は注意されて初めて知ったらしい。セルフ洗車という看板も多くて安上がりだ。 しかし年齢によっては面倒なので選択肢が欲しいものだ。 外出で疲れてぐったり横たわっているとわが老犬が本格的に心配してくれた。 程度により看病が違う。ぶるぶる足で立ち続けたまま手をぺろぺろなめる。 もう少し程度が軽いとワンと吠えて気合を入れる。恐らく老犬が一番理解力 があるような気がする。この頃病気と薬のショーウインドーの棚の中に 犬の背中のように並んでしまった私だが特別なことがない限り新ニュースは ない。爆睡中とか思案中とか疲労中、エサの時間という看板を出してみたい。 背中をケースの中いっぱいに伸ばして爆睡中という姿が一番合っている かもしれない。ケセラセラと小声で歌いながら。

 トラノオの花 (2013年6月10日)

房総のひなびた店先でトラノオの切り花を購入した。ネットで検索してみると 正確にはオカトラノオ。ヌマトラノオというのもあるらしい。白い星形の小さな 花が房になり文字通り空中にピンとシッポをたてていて元気が良い。 深緑色の葉は虫食いひとつなく葉野菜のように繁っている。ひなびた店先の 花は咲きすぎていたり蕾だけだったり葉も虫食いさんが多いものだ。 この花束はそこではすごく地味な存在だった。ショッキングピンクのダリア と黄色いカラーの花に紫のスターチスという一束、薄いピンクや水色の アジサイの蕾などの横ではほとんどただの葉の陰に見えた。どれにしようか 迷い目を凝らしているうちにそのピンと張った花房の形に引き寄せられた。 帰宅してから青緑色の花瓶に活けた。グレーの地に薄いブルーで描かれた 手書きバティックの上でとてもいい感じである。大理石の小さな白壺と重くて 着用できない黒石胴体に細い3本の羽のシッポ、雑石の寄せ集め頭に黒い 小さな目のハチドリのようなブローチを置いてみた。南国の物産展よせ集め 店先に一つだけ置かれていたものだ。日影色同士の中で異国情緒満点。 トラノオもこの組み合わせにびっくりしていることだろう。キッと花房を天に 向けて朝の陽ざしをまとっている姿はクロ一色のシルエット。

 2008年の金曜日 (2013年6月7日)

さあ御祈りをしましょうというアザーンの声が スピーカーから流れると 運転手は 突き動かされたように垣根の向こう側に消えた お陽様が頭の真上にいる 野良猫は暑すぎてもうとっくに廃墟の家の中 そよりとも風が吹かない焦げかかった芝生 お気に入りのピンク色の八重のハイビスカスは カイガラムシにやられてつぼみのまま開かない チジンデしまった午後の時間 どこにも出かける手立てがない 引っ込んだ田舎のチプタットで まだ子供たちの喧騒もない沈黙の道 午後がゆっくりと動いていくのを待つだけだ 良く手入れされたバンガローの庭で  聞きなれない言葉で小鳥たちが囁きあい エアコンの中に住むチチャックがギャッと叫び 足元の白いタイルの床に黒いフンをピッと投げつけた 赤いリボンを付けた灰色と黒のぶち猫が のそりと細い竹藪の根元に現れ枯れた花を踏みつけ スローモーションでガレージの車の下にたどり着いた 若い子から年寄りまで メードたちはお昼寝タイム いつの間にか雲が暗さを増していて ずーっと遠くの空の隅っこで稲光と低い不機嫌な音が轟き 連続して近くへ近くへ寄ってくる 東の空が黄色く濁りだし 私のココロの中にもソロリと影が広がった

 難しい存在だけれど (2013年6月4日)

肝嚢胞を穿刺治療してから1年半近く経った。右腹の脹れは以前よりは 減り痛みも夜半寝返りした時に水袋を感じるくらいだ。しかし2日ほど 普通に忙しく暮らすと右腹や胃のあたりが膨らんできて37度少々の熱 が出ることが多い。風邪をひいたのか肝嚢胞がどうかしたのか不明で 困る。とにかく38度の熱にならないように注意して暮らしている。 以前のようにムチャクチャ縦横無尽に行動できない。薬はなくては 為らない物だが副作用などは常に考えて優先順位を選ばないといけない。 暇な身分なので疲れたら寝ると復活。連日休めない人の身を心配する。 カロナールと胃薬のコンビとはとても仲良しになってしまった。でも通院間隔 が少し長くなり残りがわずかになってきたので1週間に1回位に考えて使用 しないといけない。こんなことは病院に行けば解決することだが何とか 行かないで済むようにと努力。正直なところ穿刺治療は部分麻酔なので 恐い。いまだにオペ室の様子や先生方の会話は全部といってよいくらい 覚えているのだ。何とかもう少し記憶に残らない方向の扉が開かないもの だろうか。部分麻酔の治療は患者にとって過酷です。私が特別神経質で 臆病だからではないはずだ。患者は色々と指示に従わないといけないので とても難しい注文だと思うが優しい先生方の知恵で何とかして欲しい。 目の悪い黒柴犬のクロの主は私より相当年上なのに朝散歩は13歳の犬 より自分のほうが元気に歩くのよ、と笑っていた。細身でスタスタ歩く。 気難しいといわれる柴犬はわが老犬を気に入ってくれて、あら珍しいわ この子はイヌを選ぶのよ、と彼女を驚かせていた。この先輩を見習いたい。 元気印の大銀杏の樹、植物の選択でフジ成りの花のあと2,3個の種のみ 残した頭上の棚、赤紫の小さな実を覗かせた桜の葉、ハンカチの樹の花は まだ未来が予想できない姿。水色のハーブの花は青空のカケラだ。

 金目鯛煮付け、鰹刺身様 (2013年6月2日)

15年振りに房総ドライブを思いついた。カーナビは行きと帰りが違うコース を指示したので若葉マーク脱出中の家人には少しハードなエクササイズ。 道路わきには新しい店やペンションも多く出現しているが廃れた建物も 連続して現れたりして経済の動きも垣間見る。以前のバブル期のように 大規模開発などに飛びつかなくなったんだねと話し合う。郊外型大型店が とても多くなりこれはどこの国も同じ様子だ。白さと海岸に出た。浜辺には リュウゼツランが点在していて小ぶりながら白い釣鐘型の花が全部満開。 他には小さな松くらいしか見えないのでリュウゼツランの一人勝ちだ。 このランは数十年に1度咲いたら枯れるという記憶があったが帰宅して 調べるとどうも見たのはユッカのほうらしい。これは環境が良いと毎年咲く。 小さな砂丘とリュウゼツランはアングルによっては絵になると感じた。 空はブルーグレイ。それに少しプルシャンブルーを足した色の海と白波。 サーファーが楽しそうに健康的に休日を過ごしている。勝浦を目指すことに 決めて黒潮ロードを突っ走る。ここからETCカードは使えませんという案内が 突然現れてオタオタする。やはりまだ居眠りはできない。勝浦ではタイミング 良く鰹祭りをやっていた。気もそぞろにランチを目指す。ここ2日ほどお腹 の調子が悪いことも忘れてとにかくおいしそうな店を探した。 昼近くになっていたので出店も店じまいする様子。あわてて塩辛や鯵干物を ゲット。すっぱそうな夏みかんも。ああここだよ、と言いながら急いで1軒 の店に入っていく同年輩夫婦につられて我々も続いた。大正解。長い間 会いたかった金目鯛煮付け様。家人は鰹刺身だ。猫のように喜んで頂いた。 板さんがニコニコしながら煮汁をご飯にかけるとおいしいよと教えてくれる。 帰宅してから夕方のTVを眺めているとあのお店がレポートされていて超 びっくりした。ネットでも上位ランクだった。金目鯛煮付けはその日のランチ 最後だった。なかなか良い日ではないか。道の駅で宮崎産ラッキョウを購入。 塩ラッキョウにする。皮をむくのがいやだが家人はこれに目がない。帰路は アクアラインだ。ラッキョウは酢漬けになる前にすべてビールのつまみとして 食される。わが老犬はいかにも怪しげにクンクンと主の口の周りのにおいを 嗅いだ。潮の香りは不思議とヒトのストレスを解放してくれるものだ。

 マンゴー樹と陶芸の風景 (2013年5月31日)

南国で陶芸を少しだけ体験した。英国人と結婚した華人女性が教えてくれた。 邦人向け新聞にはいろんな趣味のお誘いが載り日本でなかなか出来なかった 世界が透けて見えて興味津々。そこは中型のお屋敷の庭に面した軒下が 作業場となっていた。日本で修行したことのある師のもとで勉強されたので カタコト日本語も話す。難しい言葉が出てくるとすぐにメモしている姿はなかなか 偉いと思ったものだ。ノートにはいろんな日本人が教えたとみられる言葉が 沢山記入されていた。庭には大きなマンゴーの樹。軒下の横にはガス窯。 うなぎの寝床のように奥に続く通路の両側の棚には制作中や完成の作品 たちがぎっしり。男性が一人こねたり、はかったり、焼いたり、のんびりと モクモクと仕事をしていた。ホーキを持った熟年メードも時折現れた。 量ったりこねたり水をつけてヒモを作ったりしながら皿やお椀やどんぶり を作った。コースが決まっているのでそれが終わったら自由な作品を作る ことが出来るらしい。カタチが歪だったり色が自由にハネテいたりすると わくわくして仕上りが楽しみだったが、彼女は生徒が帰宅してから成形して しまうらしく焼き上がりのものは完璧なカタチや色だった。友人にブツクサと 文句を言ってしまいこの教室はワンコースちょっとで終了した。陶芸と たらこ指はとてもマッチすることを発見したが指が痛くなるのは問題だ。 若いころ英文タイプライターをバシバシ叩いたのでその後遺症に違いない。 スコールが来ると軒下の環境は悪くなる。蚊取り線香だけでは蚊の襲来も 防げない。長袖長ズボンスニーカーで頑張った。持ち帰った皿やお椀を 眺めるとゆったりした南国の時間や空気、カタコト日本語とクスリと笑う先生 の顔などが浮かび益子焼や笠間焼に似た風合いの作品の世界がふくらむ。 自転車に積んだ品を商う物売りの声やあちこちで主を待つ運転手の話し声、 彼方の空が黄色くかすみ始めヤシの葉がサワサワと囁き合うと嵐だ。

 水色のページの想い出 (2013年5月29日)

ジャカルタに滞在していた時諸外国の大使館や領事館での催し会を覗いた。 邦人向け新聞に予定が掲載されると丸印をしておいて友人たちと合流。 ある会は地元有力者の夫人などが多く参加していてその活動は定例化 していたので楽しみにしていたのだ。現地人と諸外国の交流活動といえる。 友人たちと会場で供されるお茶やお菓子や軽いランチをいただくのも楽しみ だった。よく手入れされた庭や主の趣味の家具や写真、絵画など興味深く 拝見した。販売されている商品は安くはない。母国の工芸品などは品数が 少ないのでアッという間に売り切れてしまう。チーズが有名な国の時には まずそれをゲットしたいと狙っていたが難しいことが多かった。タイミングよく 輸入されなかったらしい。地元産チーズは暑い国故からか塩気が強い。 水や草や餌などいろんな違いから牛乳自体が口に合わないので豪州など の割高商品を購入した。もちろん現地の牛乳が好きな人も購入者も多い。 自家製ヨーグルトを作るときは菌の具合が地元牛乳のほうがマッチすると 感じたものだ。元の種菌が減少してしまうと上澄み液ばかり多くなり家人たち もどーもいまいちだねという感じになり2年位で終了。しかし室温が高いので ヨーグルトつくりには最適だった。お手伝いはとても訝しげに見ていたが。 とっかえひっかえした家庭車ドライバーの中にはとても見かけが怪しい人が 居て領事館の守衛にストップをかけられてしまい仕方がないので友人の車の 到着を待ってから入ったこともある。彼らはどんな感想を持ったのだろうか。 ドイツの大使館ではしょっちゅう文化的な展示やミニコンサートが開かれて おり、キレイで快適な空間は別の世界への扉を開けて過ごす時間だった。 とても珍しすぎるお土産を日本の親戚にあげたりしたが多分即捨てられた と思う。今は牛乳やチーズを選ぶ事も少なく懐かしいページにある想い出。 ほとんど出番のないチーズオロシ器は水色の絵柄が遠い祖国を物語って くれる。碧い色の風車や風景から漂う文化の風とお屋敷の庭のブーゲン ビリア。敷地外で辛抱強く待機するドライバーの群れ。懐かしい絵だ。

 タイオンとタイジュウ (2013年5月28日)

毎日見張るのが良いのか悪いのか悩む。以前は余リ気にしなかった タイオン。タイジュウのほうを重視しないといけないのは解っている。 暑ければ上がり寒ければ下がるタイオンだ。水を飲んだりアイスクリームを 食べただけでススッと下がるが少し経つとまた上がる。肝嚢胞+お腹が張る +タイオン上昇というカタチが良くないのだ。食欲がほとんど落ちないという 一点も問題だ。倦怠感というのはただの怠けゴコロに見えるのも困る。 無理をして行動することはできるが必ず冒頭のカタチにハマる。このカタチ をなくす方法はなんだろうか。最近の情報で嚢胞の内圧が高くなると痛みが 出るというのをゲットしたがいまいちハテナマークだ。深く理解するには何か が足りないが理解不足が幸せということもあるに違いない。相変わらず カロナールがキチンと仕事をしてくれるのは有難い。薬に対しての不平不満 は言えないが何とか頼らない生活も考える。血小板の数値が悪いと良くない という情報にもハテナマークがついてしまったのだ。 マラソンロードにいつも人が集い運動に励んでいる。自転車もすいすい人を 追い越していく。私もと考えたが自転車屋さんに行ってあれこれ品定めして いるうちに運動能力や転倒問題をしっかり認識してしまいあきらめた。 ココロの模様が五月晴れから梅雨空、入道雲の青空へと激しく動く。 家人は真っ白な自転車で遠方のプールを目指すらしい。元気で有難い。 自分の悩みは自分にしかわからないがどこうして投稿すると軽くなる。感謝。

 先祖返りした大イチゴ (2013年5月27日)

四季なり大イチゴと名前が付けられた苗を大切に育て冬頃から小さな 実をつけているのを楽しみに眺めていた。今次から次へと赤くなっている。 小さくて種がぶつぶつしていて味は酸味が強い。家人は初なりを一つ食した だけで満足。路地イチゴが甘く安く大量に出回りどうしても比較してしまう。 このたくましい雑イチゴは微笑ましいが明日も明後日も赤くなる。 雑と言えば先日塩コージまぶしの鶏肉を調理する際に嫌いな皮を犬用に ジャブジャブ洗ってチンしてその油を与えたところ、夜中に老犬は山ほど 水を飲みまるでヒトのように文句をウニャイニャと訴えた。鳥の油のチカラ はなんとすごいのかと誤解してうるさいなあと寝不足だった主は大失敗。 いったいどういう了見ですかと家人からお目玉。老犬はアメリカとドイツの 血筋なので強い。翌日は見事に復活した。家族のブーイングはすざまじく て犬の不審げな目線も気になる。 主の体調不全はダラダラ生活を2日ほど続けると、なんで今日はこんなに 元気なのと不振がられるほどに復活する。トーモロコシ、箱入り完熟トマト、 メロン、ゴーヤ、キャベツにキューりと山ほど買い込んで呆れられる。 キューりは丸ごと塩や味噌で食すると野趣たっぷり。後方付け簡単が良い。 山ほどのトマトも丸かじり、パスタソースなどに使うとどんどん消費される。 食欲の初夏。さっ、次は房総のサザエのつぼ焼き、イワシの丸焼き。

 ミツバチになった日 (2013年5月25日)

満開のバラ園を家人と訪ねてみた。古く素朴な駅前商店街は15年前と ほとんど変わらず見慣れたものへの懐かしさに包まれた。天候が良いので 人出が多く熟年カップルに古い知り合いの面影を見る。早春に白い地味な 花をひっそりと咲かせていた枇杷が空を覆う大木に成長して枝を繁らせ 鈴なりの実をつけている。桜の幹が太くなり葉陰で地面が暗くなるほどだ。 まだ幼かった犬と飽くことなく散歩した頃の時間がひらりと落ちてきた。 咲きそろったバラの花と真昼の陽射しがまぶしくてサングラスを着用したら 花の色が不正確になってしまい、ミツバチになってみた。おなじみのピンク色、 レッド、ホワイト。うす黄色、バターカップイエロー、ロマンチックバイオレット。 一重、八重,群れたり単独だったり。香りのないもの、弱いもの、強いもの。 ドイツ名が付けられたビロードレッドのバラは株数が多く強く主張している。 最初から最後までこれはと思うバラの香りを確かめた。清楚、爽やか、 フルーティー、睡蓮の香り、ジンジャーのような尖った香り。家人もいやいや ながら試してみる。ふわっとしたバラ本来の香りにうっとり。 白とピンクの掛け合わせで花の表面だけがモネの絵のようにうす桃色のバラ はひときわ風情があった。香りのガーデンという場所ではさらに力を入れて 種類を楽しむ。そして真夏日の暑さとバラの香り過呼吸で頭がボオーッとなり 帰路体調を崩した。朝から道路がふわふわするよねと家人に伝えていた事 も思い出した。年齢、運動不足、気温が原因か、少し手足がしびれるので 貧血なのかも知れない。バラの香りはほどほどにしないと刺激が強すぎる のだろうか。香水もいろんな種類を試すと気分が悪くなる。その辺のところを ミツバチは上手に調節しているに違いない。路地イチゴの甘い香りは確実に 次のターゲットになってしまった。

 悲しみを食べるヒト (2013年5月24日)

横浜線に比べると横須賀線は早い早い揺れる揺れる。隙なく武装した サラリーマン、ウーマンが多い。素早い身のこなしの座席争奪戦の忙しさ で情緒的な世界に浸る暇はない。リズミカルな揺れ具合で通勤時代は あっという間に爆睡していたが今はそう簡単に眠れない。爆睡する隣席 の方を避けるのに自分の身を前に倒したりして見る。その方は後ろ側に すっと倒れるのでじぶんで体勢を立て直してくれる。たまに倒れたまま寝て いるヒトには腹を立ててしまう。 いつの間にか一つ隣の席に黒ずくめの洋服を着た美人女性が座っていた。 紙袋をガサゴソとやかましく整理し始めたので以前病院の隣でうるさかった 女性の事を思い出してしまった。ほどなく彼女は大きなパンを袋から少し のぞかせながらムシャムシャ食べ始めた。実に満足そうに少しずつ咀嚼 しながら30分くらいは食べ続けた。前の乗客も見るともなしに見ている。 最近車内で飲食する若者などが多い。営業マンの若い女性はカバンから アンパンを一つ出して大急ぎで食べてメールと格闘していた。ランチタイムが 取れないのだろう。昔エアラインに勤めていた友人がランチはトイレに駆け 混んでパン一つの時も多いと言っていたっけ。仕事が優先するときはお腹 も空かないものだが時間がたっぷりあると食事時間は貴重になる。 パンを食べつくした人は服装を整えて颯爽と降りて行った。悲しみを食べて いたと思う。悲しみを乗り越え潜り抜けていくためにエネルギーを詰め込んで いたのだと思う。

 ぐりーんぷらねっと (2013年5月22日)

このぐりーんぷらねっとはたった一人か二人のヒトのために存在する。 環境なんかに負けないぞ。植物の力はすごいんだぞ。 「里津子の写真ライブラリ」をご覧ください。

 花との距離 (2013年5月20日)

お気に入りの花のことを色々と調べていたら結構その距離感を再認識 してしまった。強い生き残り戦略の果てに虫もあまり寄り付かない植物 になるのだろう。ブンガカンボジアはキョウチクトウ科なのでドクがある。 栽培するにもいろいろと注意が必要なのだそうだ。調べて分かった事だ。 切られた枝や幹の傍を通ったこともある。しかしたいていは大きく育った 樹が多くリゾート地などの大木にもそう簡単には手が届かないものだ。 どうも白い乳液状のものがいけないらしい。キョウチクトウはゴミ回収の際 にも肥料用としては出せないそうで燃えるごみとしないといけないとある。 市町村により違うはずだが知らなかった。昔住んでいた所にはこの植物 が実に多かった。触る時は手袋をはめたり手を洗ったりして注意しないと いけない。 とにかく虫が好まない植物、スズラン、アジサイ、ジキタリスなども要注意と あり距離を置かないといけない。そういえば幼いころ親が、この木の花に 触るとやけどをするといっていたウツギ科の植物があった。娘が小さい頃 椿の木の葉を食べる毛虫の毛に触ってしまい全身に蕁麻疹が出たことも 想い出した。まず親が知り子供に伝えることは大事だ。出鼻をすっかり くじかれてしまいおまけに37度以上の発熱もあり(私にとっては一大事) 又カロナールとの距離が近寄った。この薬のお蔭で症状が止まる。 わが老犬は私があげる食べ物さえ疑わしそうによく嗅いでから食べる。 過去の経験から老犬の知恵を働かせているのだろう。まだまだ老犬に教え られることは多い。花の写真は沢山あるので一安心。植物は奥が深い。

 花のなまえ続編 (2013年5月19日)

ブンガカンボジアの花の香りがとても強いということを伝え忘れていました。 故にオハカの花としての印象も残っています。香水や石鹸系のにおいは 好き嫌いを別にして今も脳裏のどこかに押し込まれています。花の木が 在る場所により醸し出される雰囲気がまるで違うのも不思議でした。 敷地内の石畳の上に落ちた白花を拾う人の画はモノトーンの写真です。 庭先、リゾート地、モスク、お寺+この花は絵になるようです。日本でも栽培が 可能な様子ですが店先では”売り出し名”を付けて並べられてるのでしょうか。 何とか一鉢探し出してベランダの鉢仲間に入れ観察してみたいものです。 去年の秋にタマ地区で収穫した月見草の種をサンショの鉢に蒔いたのが ぎっしり生えてきました。雑草みたいなものですので特別感激する人も居ない と思いますがその生命力の凄さに勇気付けられます。オリーブやブルーベリー が大豊作の予感でこれもうれしい限りです。タマで苦労した鉢のカビ問題は ここではゼロです。風の通りが良いので繁殖する暇がないのでしょう。

 花のなまえ (2013年5月18日)

プルメリア(インドそけい)=ブンガカンボジア。テンプルツリー、キョウチクトウ 科、フランスの植物学者プルミエさんの名前に因む。メキシコなどの熱帯 アメリカが原産とのことでラオスの国花なのだそうだ。 熱帯地方で日常的に出会った花だ。もちろん世界中のあちこちで見られると 思うが滞在したジャカルタの庭先やリゾート地のコテージで印象的だった。 アタマのなかにアニエス、プルメリア、ブンガカンボジアという名前が混乱状態 で浮かんでいてとても気分が悪いのでグーグってみた。結果、アニエスは全く 関係なくプルメリア=ブンガカンボジアというすっきり状態になった。アニエス という名前がどこから忍び込んでしまったのか不明だが一件落着。 色は白、ピンク、黄色、赤と色々見た。植木として売られている黄色は値段が 良く人からいただいたものを庭に移して見たところ黄色は病気に弱く一時は 育たないのではないかと訝った。虫が幹の中に入ってしまった。この樹と 種から育てたアボガドは今頃さぞかし立派に屋根まで届く大きさに茂っている と思う。庭木によっては寄生木があっという間に繁殖して元の木を絞め殺す ので事務所の庭師が入るまでもなく私が退治していた。鳥が止まる枝が 決まっていてその枝のあたりから寄生木がモクモクと成長してしまうのだ。 庭師がちゃっかり枝木に黒い袋をかぶせて根を張らせ繁殖をたくらんでいる ことも。長い間黒い鳥がへばりついてミイラ化していると勘違いしていた。 キョウチクトウ科とあるのを見てなる程とその花びらの先のとんがり具合 を思い浮かべた。花弁の先が穏やかにまあるいのもあり私はそれが好きだ。 この花を題材にした絵を制作したいので詳しく調べてみたたが花の名前も 奥が深い。人のようにその足跡がいろんな国に残っていて面白い。

 自画像 (2013年5月17日)

草原に佇む一頭のシマウマ、小川の藻に潜む銀色のフナ、 吹き寄せられた枯れ芝草、荒天に浮上を試みる一羽の黒鳥、 遅咲きのピンクのナデシコ一輪、迷い込んできた目の悪い黒シバ、 高圧線にとどまるカラス一羽、ポトリと落下した梨に似たジャンブーの花、 頭上に水盆を乗せ白とピンクのアニエスの花を浮かべた石の置物、 荒れる海辺の虫食い葉の茂みに落ちた一輪の白いブンガカンボジャ。 そして、陽光溢れる窓辺に戯れるピンク色の蝶々のような花クプクプ。 目線を集中して描く。永遠の明るい光と溢れる希望と孤独を。

 楽しい発見 (2013年5月15日)

最近漫画のテズカ作品に興味を持っている。数軒の書店で目当ての作品を 探していたがお取り寄せばかりで在庫がなかったのがブラックジャックだ。 昨日駅書店で探し当てた本はヤングとついている。3巻以外はお取り寄せだ。 小さいころ5歳年上の兄が毎月購入していた少年ナントカを読み飽きたころに 遠慮がちに見せてもらった。後の有名作家ノサカ氏が少年向け童話を書いていた と記憶している。食べ物に飢えた幼子が野鼠駆除の団子を食べてしまうクダリは 今でも忘れられないショック。そのころの作品はアトムだったような気がする。 漫画本は当時も子供のココロのヒカリだった。 各駅停車1時間の電車内で居眠り以外に目に優しく楽しいことを発見したのだ。 隣の席の若い女の子はずーっと携帯ゲームをしながら乗り込んできてその後も モクモクと集中。画面が大きいので思わずのぞいてしまった。ジェリービーンズ みたいなのがカラフルにたくさん並んでいて一つひっくり返すと状況が変化する らしい。ルールは不明。器用な指でさあーっと画面をなでる。やはりたらこ指には 似合わないしゲームは苦手だが今度優しそうな女の子に尋ねてみようか。 ヤングブラックジャックは面白いのでお取り寄せしたい。描写だけでもすごい。 何回読んでも飽きない感じだ。しかし本当は優先して始末しないといけないことが ある。なんとか優先順位を落とさないといけない。

 陽光、青空、海 (2013年5月13日)

マクハリはシンガポールに似ている。15年ぶりに訪れたが木々も大きく立派 に育ち、かつてイミグレ延長の一時出国などや検診でよく行った国の容貌 を連想する。アジアのいろんな国がある意味お手本にしている部分がある ので頭に浮かびやすい。その内日本にもサーキットやカジノさえ現れるのか。 海辺から歩いて5,6分という花の公園あたりには若いカップルや家族が大勢 日差しを求めて集っていた。パラソルやテント、クローバーの上でおにぎり等々。 家人と座る場所を探すがとても出遅れていてすでに無い。しかし一か所だけ 屋根付きテーブル椅子のあずまやに人が居ない。おおっ見つけたね、と 背伸びしてみると野原で暮らす方がいらした。それでみなさん寄らないのだ。 この花の公園も15年前より植栽が整い経営者もネーミングも変わっていた。 季節感覚の洋服を上手に選べない私は今日も怪しいアジア人に見える。 日差しが強くなってもコートを脱げない服装で出てきたので木陰ばかり選ぶ。 道のすぐ向こうにあるマンションに住んでいるのだろう一組のチューカ系一家が やってきた。鳥の丸焼き、どっさりサラダ、大袋入りパンなどを捧げ持っている。 仏系スーパーが近くにあるので売り場を想い出した。日本で定着せず多分極 少ない生き残り店がある。陽光に輝くベランダと松林の先は海というロケーション は海外の購入者を引き付けると思う。リスクより現実だ。週末はサーフィンや ヨット、砂遊びが好きな若者も多いはずだ。若いお母さんが自転車の前後に 子供を積んで颯爽と手前の芝生で降りたのを見て家人と驚いたが、何のことは 無い自分の昔の姿だ。ただ私はよろよろしながら後ろに一人だけだった。 又喉の痛みや右腹の張り感が出ていて夕方又魔法の薬カロナールのお世話 になった。翌日の朝には炎症が引っ込んでいるがが頼りすぎていると思う。 薬局の人は風邪薬と一緒に飲むとダブル効果があるのでよくないと言っていた。 肝嚢胞がどうのというより胃や腸のガスの影響で痛むのだろうかと無い知恵を 働かせる。カロナールがないと不安になるというのも考え物。穿刺治療後1年 以上経つと随分体調が戻ることは確かだ。また治療しましょうかという医師の 言葉にハイと即答できない。血液検査の経過により年末ごろになるのだろうか。

 続・続 美術館通い (2013年5月12日)

家人に付き合って3度目の美術館通いだ。家から1時間半はかかるので少し 気持ちがダレル。雨と湿気でオデコに髪の毛が張り付く状況で館内の人数も 多くない。偶然午後から某有名画伯の講評会があると耳にしたので数十人は 居るギャラリーの端っこにくっついてみた。他国の事は余り知らないが、 公募展は日本の文化ですと明言している会の理由も再認識することになった。 もちろん若い人、美大出、30年も独学、プロになった人、なれない人、様々な 絵画人生なのだ。某老画伯は熟年夫人がほとんどなのでその人たち中心の お話になり10名の作品を丁寧熱心に大声で講評された。 女性は豆やら,オデンやらシチューやら煮物をしながら描くという話に爆笑。 何を隠そう私も割合とそう言う事が多かった。男性は集中しないとだめらしい。 太古の昔からの役割分担などDNAにもよるのだろうか。編み物風、織物風、 もやもや風、広い面積をすべて埋め尽くしてしまう風、苦手なものを覆い隠す風、 いちいち当てはまりみんなの苦笑を誘う。学校で思い切り技法を学びたくさん絵 を描いたりしていないので,観たり聞いたり読んだりの繰り返しや時々カルチャー で学んだり仕事帰りにデッサンしたりの細切れ蓄積だ。しかしいろんな分野で 発表できる日本はすごいなと、改めて感慨深い。描きたいものをドーンと主張 するのが良いとのこと。時代的には明るく薄描きということなのだそうだ。 ブルーグレイで無難にまとめる人が多いと聞きその色が好きなのでブレーキ。 住んでいた南国では60歳を過ぎると何とか許可書(公発行)を返却しないと いけないと友人が言っていた。公に働けないということなのだろうか。 庶民の老後は極小無認可保育所(数人)みたいなのを開いて共働きの人の子供 を預かるとか田舎にUターンして農業をするとか、道端でワルン(立ち食い売り) をするとか、小金を貯めた人は幼いお手伝いなど雇いながらのんびり暮らしたり すると聞く。何が幸せかわからないが比較してこの国に生まれて良かったと思う。 蛇足だがタイヤのチューブに空気を入れる機械を道端において小銭稼ぎする 人を見かけてあれはいいじゃないかと内心いつも考えていたものだ。 美術館の帰りがけに窓口でこれから美術展を見たいと話しているバギーを押した 若夫婦を見かけて思わず残っていた1枚のはがきを渡した。来年も何回も来る。

 鉢植え植物たちの平和 (2013年5月10日)

極晴れた日に西側の果てに見える薄青い山影。あれは丹沢でしょうと問う私に 家人がネット検索した。どうやら秩父方面の山らしい。山には縁がある。 千葉の広い平地でまた山の姿を見る事になるとは考えもしなかった。 ここでのベランダ生活風よけ棲み分け植物群。アジサイ、ブルーベリー、アロエ さんは西側の窓近くへ置き西日を受けながら海風をやり過ごす。オリーブ、 サンショ、スダチ達は背の低い植物鉢の反対の壁方向に固めて山風海風と戦う 姿勢にした。彼らはたおやかな枝や割合と細身な木の特徴を生かして強気で 花をつける準備さえしている。海風は南向きのベランダの左端にはほとんど 無頓着だ。たまに夜半、家人を低いうなり声で揺り起こして軽いテーブルや数個 の鉢を移動させるくらいだ。家人は寝不足だと言い私の責任管理不足をなじる。 四季咲きバラは最初風の通り道に置いた。根っこが四六時中ぐらぐら揺れて 休む暇のないストレスにさらされて葉の中に枯れ色が見えてきたのでものぐさな 私もようやく場所の移動に迫られた。ほとんど風の影響を受けない南向きの端 でやれやれという感じで居る。大試練に襲われて無事花を咲かせることが出来る だろうか。一気にやってきている高気温にも備えないといけない。あたり一面に スモッグのような薄いグレーが塗り込められた空。日差しはあるがなんとなく 荒れてきそうな気配がする日だ。この頃少し発熱することが多くなりカロナールの 出番が多い。薬が何とか来月末の通院までもって欲しい。無風状態の日和に似て プチ平和。病気ではありませんと言う先の先生の声が聞こえて来そうだ。

 13歳の黒シバとポメラニアン (2013年5月9日)

逃げてきた黒シバに出会った。小柄で遠目にも白内障気味だとわかる。 閉じた門の方に逃げ込もうとして振り返った時に目線がぼんやりしていた。 住まいの近所には早朝から夜中までマラソンやら体力維持徒歩運動の年輩者 やらが常に居る。ここではイボイボや小石並べの地面を踏みましょう、はい、 ここではストレッチあれこれ、次は懸垂ですよと提供公園の運動コースは ご丁寧だ。私は犬抱っこでダークオレンジのスポンジで包まれたような感触の 太巻き土管状の道をエイッと登り下りするのが楽しい。子供は自転車で乗り降り するのだろう、グレイの斜め道が描かれている。 私も犬もここに来てから元気になったような気がする。海からまっすぐ上がって 来る風は強いが風水的には良いのだろうか。タマ地区では海風が家の前を 左から右に通過していた。そういえばホンコンあたりの建物群のことが思い 出される。海に向かって雪崩のように建てられている高層住宅の映像をTVで 見たことがあるが走り下りる竜のようだ。詳しくはないが風の向きは大事かも。 海外で見たチュウカ系の建物は真ん中を風が抜ける様式のものが多かった。 今頃いろいろ考えても手遅れであるが考えるだけでも良いと思う。 クロだめじゃない。二度目なんですよ逃げちゃって。落し物を拾っている間に。 目が悪いんですか。いいえ悪くないです、13歳ですけど。ええっ、うちの犬も 13歳ですよ。まあこの子が13歳。でもシバは気が強く見えるから、さっきみたいに 男性がリードを踏んで捕まえないと普通は近寄れないですよね。いいえ、うちの 犬はだれにでもやさしいのよ。とごく近所らしい犬友達の脱走騒ぎの朝。 藤棚には葉だけが黒々と茂り見事な花達はあっさりと5月の向こうに姿を消した。

 不安を超越しよう (2013年5月8日)

展示された私の絵に対する友人たちの感想は様々で楽しい。色が好きだよ、 透明感があってきりっとしているよ。ちょっとあか抜けないね、古い描き方だよ。 あんた、もう少し何とかしないとだめだよ、もう少し進めなきゃ持たないじゃん。 へええ〜砂漠の岩なんだ、岩のところが人に見えるね。そう、この発見は自分 でも経験した。写真に撮るとよりはっきりして意外だったのだ。時代を意識して どんどん冒険しないとね。理解していてもより見極めるということは難しいのだ。 時代を反映したりテクニックを駆使したりする戦う絵。自然の空気や水や木々 などを淡々と描く絵。なぞ掛けしてくる絵。どんどん単純化して抽象にのめりこむ 絵。私も抽象化したことがあるが難しいので半抽象という世界にとどまる。 幼いころ山の中の家で種を拾ったり花々を採取したり自作自演の歌でスキップ していた日向の山道、クローバーの丘に寝転んで手の届きそうな青空を見上げた 頃の境地で描くののが理想だ。不安は超越してしまおう。 迷路にいるココロや光を見いだせないココロや険しい場所を登らなければなら ない運命や、遠すぎてつながらない気持ちなどに届く絵が描けたらいいと思う。 これも真心から成り立つ一つの手段に違いない。孤独なブルードラゴンにも ぜひ届くといいけれど。さまよえるココロが救われますように。広い広い湖の上を 思い切り飛び回るブルードラゴンにエールを贈る。ブルードラゴンは彼の道を しっかり見極めてまっすぐ進まなければならないはずだ。沢山の魂を救う為に。 さっ、今日もいろんな不安を超越して暮らそう。

 常夏の国のお茶 (2013年5月5日)

くろまめさんのお茶摘みのお話は素敵。実から油というとお茶は椿の仲間なんでしょうか。 連鎖的にジャカルタの茶畑が想い浮かびます。街中から1,2時間の山中で段々畑の茶の木。 摘み子は近所の住人らしい普段着のおばちゃんです。給料安いんだろうなと見ていました。 茶畑のふもと周辺にはアボカドの大木もあり緑濃い葉の間にすっと細い茎にぶら下がった同じく 濃緑の実をしげしげと眺めたものです。アボカドが生っている木はその辺で見ただけでした。 その山の道脇にはアボカドやらバナナやらサツマイモ、ニンジンなどがたくさん売られていました。 峠の茶屋風レストランもあちこちにあり現地の人がおいしいと評判の店に殺到していましたが 私にはどれも同じに見えて尻込みしていました。 人の手や機械で摘み取られた茶葉を加工する工場は観光客に開放されていて帽子や割烹着風 な服を着て料金を支払い見学しました。古い昔に欧州の国の技術者が指導した工場なのでしょう。 蒸しや乾燥の工程を眺めながら歩いているとムシさんなども紛れ込んでいておおざっぱだわと感想に 追加されました。ウイメンズクラブの友人達と一緒に化粧品会社を見学したこともありました。 現地の自然材料から作られる様子など見学して友人はメンバーの外人たちにレポートするために 会社の人にインタビューもしました。お茶とお菓子、お土産までいただいた記憶があります。 この友人に同行して現地の新聞社を見学した時にはニュースソースなどに関して厳しく質問する 欧米人の様子をお茶と現地のお菓子山盛りの皿を眺めながら興味深く聞きました。 正直なところ現地のお茶(テ)は熱い飲み物が必要ということで飲んでいましたが美味しくはありません でした。グリーンティー(テヒジョウ)という名前で売られているティーバッグは藁の味がしたので 即お手伝いにあげました。日本のように手間暇かけてもんだり蒸したりしないので仕方ありません。 一度イギリスの銀行から本物の紅茶というものをいただきましたがキレが良くて深い味でただ者では ないと記憶にあります。大切にしすぎて帰国してからも箱の中にありましたが味が変わり捨てました。 紅茶もいろんなフレバーを添加して様々な名前で売られているのです。素朴だけで生きていけません。 友人の勧めで庶民が飲むお茶で紙の袋に四角く固められたものを試してみましたが意外とおいしく 番茶の味のような自然さでした。しかし茶碗がみるみる赤く染まり漂白剤が日常的でない国なので 難儀します。なんでも白くきれいにというのは自然が貴重な国ではルール違反なのでしょう。

 続、美術館エトセトラ (2013年5月4日)

ジャカルタ時代の友人達と国展をゆっくり鑑賞した。休憩室から外を眺めた時に彫刻の大作 が展示されているのが見えた。手前に白い箱型で風呂敷に包まれたような作品が置かれている。 ハテナマークの襲撃で揃って外になだれ出た。真っ白な大理石が風呂敷包に彫られた=ギフト。 タイミングよく一人の男性がその傍に居て尋ねてみたら新制作に出品されている作家だった。 石は200キロもあるという。真っ白な大理石は値も張るに違いないと考え住んでいた国で あちこちに使われていたピンキリの大理石の噂をした。最近は答えてくれそうな人が居ると すぐにいろいろ聞く習慣ができてしまった。後を振り向くと鳥居のように大きく見える大作3連 がドーンと立ち上がっていて威圧的だ。こんなに大きな石をどうやって運び込むのか、ハテナ マークは尽きない。新制作の彫刻も記憶に強く魅力的だ。 すっかり彫刻鑑賞にはまり込み部屋の中の作品も一つ一つ丁寧に観た。石の作品が多い。 触らないでくださいという注意書きもある。彫刻はすぐ触ってみたくなるものだ。正直なところ 今までこんなに丁寧に鑑賞しなかった。友人たちは知的な刺激で頭がクラクラすると騒ぎ ながら楽しそう。彫刻のタイトルは哲学的なのが多い。タイトルは大事だ。私も来年は もっと知的で深いのにしたいなと思う。 写真を撮る友人も同行していて今度は写真の1枚1枚にハテナマークを連発。友人がプロの テクニックを教えてくれていちいち感動する。絵画のような写真、CGだな、クラシックだな、 と足を進めながら私はシンプルなモノトーンの木や鳥や石が好きだなと思う。無駄をそぎ落とした 彫刻や写真の作品にシャープな精神の切り口を見た。工芸の壁面を覆う紅型や織の作品は ジャカルタで見た布を彷彿とさせてアジアはつながっているなと再認識。新しい古い手法では無く いかに人の心を掴むかということが作品としての命だと思う。いかに心に残り感動が続くかという 事だと自分に刻む。そのくらい単純なことしか出来ないがこれが難しい。 そして偶然過ぎる偶然、タマ地区での知り合いが案内葉書に誘われて来館してくださりバッタリ 出会ってしまった。知り合いの人たちの温かいエネルギーをいただきました。感謝。

 美術館エトセトラ (2013年5月2日)

若葉と雨と美術館は絵になる。やっとこさ実現した自分の作品展示を観る ので心も足も軽い。途中家人は10数年ぶりの沿線風景に新しい発見がある 様子で私も負けじと首をひねって観察する。電車の乗り換え時5,6分近く 路地を走り抜けていた場所は電車の乗り場がビルの中に入り乗り換え通路 も高架に?がっていた。日本のあちこちで整備が進み便利になっている。 地下鉄の延長などもすごい事になっていて地下鉄地図はまるで地下の王国 を表しているように見える。住んでいた国では最初の地下鉄工事が進行して いてるが渋滞緩和高架道路は計画通りで無いとニュースで知った。 欲に駆られて朝から夜まで歩き回り今日は疲労が全身打撲状態だ。 肩掛け鞄でできた傷が盛り上がり炎症を避けてカロナールを飲んで寝た。 夕方からの親睦会に初参加して作品と作家が少しだけマッチする。 同行の熟年隊3名は噴火計画中のパワー精神溢れるが体は付いてこない。 会場に向かうとき1人の未知の方がすっと寄ってきた。初出品初入選なので 懇親会の場所などわからない、同行させてくださいとのこと。どうぞどうぞ。 絵はどこにありましたか。日本画を描いていましたが別の境地を探しています。 欧米で個展もしてます。えーっすごいですね。・・などと語り合った。 作法などもわかりやすく説明してくださり短時間で知識が増えてしまった。 とても穏やかで優しい感じのヒトで後から考えると不思議な出会いだ。 懇親会ではその熟年女性の周りに画廊主やデパート営業、評論家が寄って 来て親しげにお話ししていた。よく見ると地味な服装でいらしていたが華の あるヒトでお着物などが似合いそう。ふーむただ者ではないらしい。 同行3名はハテナマークを浮かべながら何とか皿に食べ物を確保して会費 分を少しでもカバーしなくちゃと忙しかった。会が終わる頃にはハテナ女性は 消えていた。でも名前と作品は覚えている。来年は何とか部屋の数字を 減らしてみたい。自分が生み出した作品はけなげに大きな会場で畏まって 居ていじらしい。ちょっと緊張しすぎだよ。来年はのびのびとしたいね。 帰路の地下鉄では線路からヒラリとホームに若者が上がってきて周辺の人を 驚かせた。屈伸すると線路からあんな風に飛び上れるのか家人と談疑した。 外のお天気のように暑かったり寒かったりの落ち着かない気持ちの一日。

 海風と凧、ラヤンラヤン (2013年4月30日)

インドネシア語ではラヤンラヤン。10年前に滞在し始めた頃語学教室で習った 新しい単語を家庭車のドライバーと復習してみた。あれはなんですか?位の 会話から始まった。日本では凧というんだよ。ふーん凧ね。ここでは子供が 遊ぶんだよ。あっ日本でもそうだよ。街路樹やどぶ川岸や、街中の家の庭にも 郊外の塀の上にも細い白糸がやたらめちゃくちゃに絡みついていた。単純ひし形 白紙が多く、ほとんど手をかけていない感じがした。雨に打たれたり雷に浮かび 上がったり陽差しの攻撃に干からびつくしたりしていた。 海風がしっかりした仕事にのめりこんでいる今日はベランダの台の上に置いた ゼラニウムの鉢の一つが吹っ飛んだ。家人が以前からしつこく降ろした方が 良いよと忠告していたのでほらやっぱりとひともめした。風の程度を見極めたい 私は落ちたら掃除すればよいとタカをくくっていた。吹っ飛んだ土や小石が テラコッタを汚したが掃除するまもなく連続する風があっという間に運び去った。 角部屋というのは風が強かろうという認識はあったが掃除要らずという新発見。 大きな欅の樹が若緑色の細かな葉をグルングルン振り回しながら風と唱和して いる。樹が逆らっているという感じはまるでしない。細いしなやかな太枝はあまり 動かずその先の小枝もそんなに動いていない。葉先だけが激しく風と渡り合う。 こんな日、インドネシアでは細い糸をどんどんどんどん手繰りだして小さなひし形 ラヤンラヤンを空に送り届ける子供が多いのだろうなと想う。遠くへ遠くへ。 高層ビルめがけてスラムの小さな道から。どこのお屋敷のどんな立派な木に 絡みつこうがお構いなし。落ちることなんか気にしない。凧は揚がってこそ命。 不器用に落下してハラハラさせるベランダの植木鉢とは違う。それでもゴメンネ、 ゼラニウム。今度はもっと注意してお世話するからねと心でツブヤク。

 ボケ防止的な移動完了 (2013年4月29日)

タマ方面から移動して2週間。海から20キロ内陸房総寄りに流れ着きました。電車の方向 が逆なのでボオーッとしていると反対方向に帰宅してしまいそうで怖いです。ザリガニや アオサギもセキレイ一家も居ません。遠くに青くかすむ山々も見えません。星座や飛行機 道や定点観測できる向かいの小山もありません。海まで広がる住宅や大学や準工業、工業 地帯。すぐ裏の道沿いには立派な松の木が並んでいるので数百年前は遠浅の海だったに 違いないとにらんでいます。計画的に作られたきれいなタマ地区はどこに行ってもソツなく きれいで人々もきちんと前を向いて暮らしているよく似た人達でした。ただ大型団地が年数 を経て崩壊していく様子が多くみられ日本の現状とはいえ世代交代する先にしか希望が 持てない感じも否めませんでした。どうも雑多なジャカルタを経験したせいかきれいすぎる 場所は落ち着きません。あれほどきれい清潔な日本に憧れていたのにどうも不思議な ことになってしまいました。年を取ってから知らない土地に住むのは大変なことなのです。 ここで朝散歩する時に出会うのは提供公園(敷地の一角を市に提供する)に植えられた 満開の藤の花。紫と白い花房を見上げるとこの花を前回見たのはいつだったか想い出せ ないのです。海まで11キロ続くというマラソンロードにはいつも誰かしら歩いたり走ったり して居ます。早朝から夜遅くまで健康を気使う人々。観察できるものに出会えるまで足や 車で移動しないといけないのは必要ゼンとでもいうべきなのか。駅から3分の住宅は自分 にとってアクの方だったような気がします。とにかく刺激がないとアタマがボケるのだ という強い実感。そして選択の自由と理解のおかげで移動できる幸せに感謝。 地球のマグマのようにといえば大袈裟ですが、噴出した溶岩が流れた先で止まるように 覚束ない人生とは言えますがたびたび噴火する力はまだあるようです。深い海の底や 砂漠など地球のいたるところにある熱い流れ。人も溶岩のように熱いチの流れを持って フツフツとたぎらせているはずです。大きく噴火して大きなヤマを作る人は大地の エネルギーをたくさん取り込んでいるはずです。大きな仕事をする人は遠回りしても力が ちゃんとあるから大丈夫。あれ、妄想が壮大になってきてだんだんいつもの自分が甦って 来たではありませんか。今日は海風山風の仕事はお休みのようで一安心です。

 勇気に支えられた日 (2013年4月27日)

昨日は朝の占いでは善くない日とありおまけに天気予報も嵐雷霰とあるではありませんか。 我が家の一大事である家の受け渡しや私の通院、そして30年来入選を願ってきた公募展 の発表の日でもあります。すべて思し召しの通りと覚悟を決めて都心に向かいました。 10年ぶりに眺める神田川沿いの緑の光景には恐れを知らない10代の自分が見えます。 独学が多い絵画制作ですが帰国後に横浜まで通い指導を受けて上達はしていると自負 していますのでそれでだめなら今の時点の力はそれまでと覚悟はしていました。 新しい主治医と会う日でもあり多少の緊張で診察に臨みました。やはり2年もかけて 慣れた先生と同じというわけではありませんが先の先生の紹介がありスムーズなスタート でした。先生方は大勢の中の一人としてしか見ないでしょうが患者からすると1人だけの 方です。花と雪の土地に修行の旅に出られた先の先生の安否などもつい気になります。 帰りのバス停では思った通り高齢者が風によろけていて思わず私もコートのフードを かぶりました。病院の建物の高い空の上では白い千切れ雲が猛スピードで流れていて 強風の次に来るものを予測させます。雨が来ないうちに帰りたいですね、お気をつけて、 と小柄な夫人に話しかけました。海外からの観光客の姿が目立つ新宿駅で携帯のメール を調べてみると友人たちから数件あり、あっとうれしい予感。しかしそれぞれ連絡に忙しい らしく話ができたのは帰宅した夕方近くのことです。郵便ボックスにも確かな連絡が在り、 疲れと不安でヨロヨロしていたココロが一気に明るくなり鼻歌でも出そうな気分。 やはり希望は大切だと思いました。大病を乗り越えた友人たちも気力で制作しています。 砂漠の岩、というタイトルはオーストラリアのピナクルズに旅行した時の印象を描きました。 青い空と黄色い砂漠と残された動物型の奇岩。太古の昔は海の底でアンモナイトや古代魚 なども存在したのだろうと想像。割合と自信のあったジャワ更紗と伊万里皿をテーマにした 方は没でした。国展は5月1日から13日まで六本木新国立美術館で開催されます。確か6日 は無料の日だったと記憶しています。7日は休館。制作の最後に色の決め手に迷っていた 時に友人が貸してくれたビリジャンはお助けグッズでした。この色を乗せたおかげで仕上げ ができました。占いにめげず勇気一筋で頑張った一日に乾杯。

 希望の若い芽 (2013年4月24日)

無暗に立ち働いた引っ越しが終わって1週間経ち、その間口の中が荒れ気味の 時にカロナールを一粒飲んでおいた。どんな時にも食欲は落ちないのでこれ位の 労働では痩せないのかと思っているが疲労は後からやってくる。体重減という事 に関して検索すると脂肪の蓄積により肝臓の組織が弱くなるという説明にすごく 納得。痩せないと治療になった時のリスクが大きいのだろう。この私にとっては 魔法のような薬におすがりしていて良いものかどうか。薬局の人は気休めですよ と言っていた。しかし最優先することは感染症と高熱の攻撃の予防。 昨日5階の住まいから斜め向こうの14階の建物のさらに上空を3羽の黒い長羽の鳥 が上昇気流の中で遊んでいる姿が見えた。ここで毎朝気になることは今日の風向き。 海風か山風か。海風は直進してくる。そして我が家の建物辺りで左に折れることが多い。 風を避けて鉢植えの植物を配置した。遠方の窓辺で毎朝若い主婦が登校の子供を見下ろし ながら隣同士でお話ししている楽しげな様子は若いころの自分の姿だ。今よりももっと ボオーッとしていた平和な時代を想い出した。 老犬の狂犬病予防注射は連休明けまで待ち落ち着いてからにしようと思う。老犬なりに 必死で新しい環境に慣れようとしている姿はエライ。一時危ぶまれたボケ状態を夫と ともに克服している。すべてお任せしているワタシの方が怪しい状態に突入しないように と自戒。ゼラニウムの強いオレンジ色の花はここでも応援旗のような存在だ。世の中も気候も 大波乱だが気持ちを強くして生活したい。伸びていく若い芽たちにすごく期待を寄せている。 若い芽たちが強風に折れないように陽射しで弱らないように健やかでありますようにと願う。 今一番必要なのは勇気だね。ヒトも植物も機械じゃないから肥満にならない程度に栄養も大切。 老犬の知恵はその点エライ。主と同様どんな時も食欲で生き延びている。

 タイミングは大切だ (2013年4月23日)

度々の強風や雨で汚れた網戸を拭いていたら後ろの方から幼子が騒ぐうるさい声が 押し寄せてきた。日曜日にこんなに大騒ぎさせたら近所迷惑だろうに・・と背中で つぶやいていた。それにしても入居前にホームクリーニングしたはずがこの埃のすごさ。 部屋が広くなった分窓や網戸や床の掃除は増える。子供の大騒ぎは一向にやまず思わず 振り返ってみたら斜め向かいの小窓があいていてそこから母親に抱っこされた子供が ワタシに呼びかけていたらしい。エッ私を呼んでいたのか。もう一度振り返った時には 小窓が閉まっていた。疲れてよれよれしていたので思いもよらないことだった。 ジャカルタ時代にも隣家のドイツ人の小さな娘さんだと思うが小さな錘が入った、歩く ように移動する風船が玄関前に置いてあった。当の本人は姿も見せず多分物陰から見ていた 程度なのだろう。その母親も越してきてすぐにごく接近している方向の窓辺のカーテンを 開けに行ったときあちらの住まいの彼女もサッと寄ってきている様子が見えたが、みごとに タイミングがずれてしまい挨拶まで行かなかった。私のUターンが速かった。 そして多摩地区の住まいの隣に越してきたスペイン人の小さな娘さんからだろう、ごちゃごちゃ 絵の描かれた(幼稚園児独特の)紙飛行機。ベランダの隙間から投げ入れていた。3か月程度 の隣人だったのでこの子ともお友達には発展しなかった。横や後ろ方向からや思いがけない場所 でのコンタクトに弱い。気が付かないのだ。もしくは警戒していて反応しないのかもしれない。 人嫌いではないが大勢に増えてしまい混乱したり平等に接することができなくなるのは好まない ので、いつも事あるごとに整理している。これは誰でもが自然にしている行動なのだろう。 生前母が良く人の話を聞き慰め幼子をあやし動物たちと話していた事を想い出して少し注意しない といけないなと思う。それにしても今回斜め向かいの子供の呼びかけに答えられなかったのは残念。 昨夜土地で採れたタケノコを1時間かけて湯がいたり細いフキまで丁寧に皮を取り去り料理したので、 珍しく久しぶりに充実した食卓を前にして家人たちはうれしそうだった。くろまめさん風料理だ。

 ショーケースの中は造花だけ (2013年4月21日)

夜、家人たちと引っ越し蕎麦を食べに行った。住まいのすぐそばに蕎麦屋があると いうのは以前からの願望で楽しみだったが全員疲れ切ってヨロヨロと店になだれ込む。 戸がガタピシしていて入ると古い木が腐食進行している嫌なにおいがすぐに鼻を衝いた。 高齢の女性がびっくりした様子で私たちを眺めて後30分で閉めますと告げる。家人たちと 目顔で話したがよその店に行く元気がないとみた。注文品を伝えに行く女性の姿を目で 追うと店の奥に同年輩の男性が一人働いている。 子供のころ安い鉛筆を削るとこんなにニオイがしたなと古い木の良くない香りで想い出す。 さすがに家人たちも言葉少なくモクモクと食事するのみだ。高齢2人の緊迫した経営状況 を目の当たりにした。店を出てからみた暗い電気のショーケースの中には献立見本では 無く古びた花の飾り物だけがいくつも置かれていた。思わずセントチヒロの世界を覗いた かも知れないとビビった。そばの味は普通だった。越す前に業者が家人に、この店に一度 入ってみたいんですよねと言ったそうだが見事なブラックジョークだ。昼間のぼりを揚げた この店の様子はどことなく風格を感じさせるので昔は繁盛していたと思う。 日本を離れ円の使い勝手が良い国で少しばかり贅沢な気持ちになっていた内心にヒヤリ と水を差されてしまったような気がした。家人たちに伝えるが何時ものように伝わらない。 気持ちを引き締めなさいというご先祖様からの忠告のような気がした。今後は何としても 別の蕎麦屋を見つけないといけない。生まれた土地に帰ってきた老犬は見違えるほど元気に なった。主は倒れそうなほど動き回っても体重が減らないが後で必ず減るに違いないと望みを 持っている。枝をすべて切り戻したライラックの木にも芽が出るに違いない。以前に比べ体内 羅針盤が正しい位置を差していると感じるのが不思議だ。こんな感じは誰にでもあるのだろうか。 この件に関して前の場所では常にズレていると家人に訴えていたので妙に理解が早くうれしい。 家の向きがいつも斜めになっていると感じてとても落ち着かなかった場所は今まで2回ある。 年齢を重ねるといろいろな警告を素早くキャッチできるようになり年を取るのも悪くないと思う。

 免疫力様 (2013年4月12日)

5ヵ月間塩漬けしていた一握りのオリーブの実を塩解けしてみましたがどうも 食欲がわかないのでオリーブ油に漬けて又冷蔵庫の中で寝ていただいています。 そのうち何としてもパスタとの出番をと考えているところです。ベランダでは ブルーベリーが花盛りですが家の移動で花が落ちる心配があり早めに抱っこして 家庭車で運ぼうと考えています。身近な植物や動物に心を配るのが一番幸せ。 このところ世間の多くの人と同様に心配事も多く家内用事や制作も忙しいせいか 免疫力が低下しているような気がします。歯茎が腫れたり古傷が開いてしまったり で少し焦りましたがいただいていた残り少ないカロナール2粒を飲んで寝たところ 今朝はほとんど収まりました。薬に頼るのはいけないと思いますが急を要する時は 仕方ありません。それでも免疫力をあげる方法を重視していきたいものです。 いつもアクシデントの多い横浜方面への電車内ですが先日のように動脈りゅう破裂かと 思うような出来事や人身事故の遅延もなくやれやれと思っていましたら終点近くになって 何事か言い争う声があり思わず身を乗り出して眺めてしまいました。先日チだまりに うずくまる人を眺めていても救急車,担架と叫ぶくらいで何もできない自分が情け 無かったものですがその折医療従事者を問う言葉が駅員から発せられました。 誰も手をあげる人がいませんでしたがそんな時にタイミングよく手が上がったらきっと 地獄に仏ということになるのでしょう。隣の夫人と飛行機の中だったらいますよねと 話しました。彼女も同年輩で心配で去りがたい私と同じでした。駅員に後は自分たちが やりますから行ってくださいと強く促されしまい心配することしかできない自分はとても 無力。しかし昨日は途中で運よく目の前の席が空きもろもろの悩みは瞬時に消えました。

 為替レートあれこれ (2013年4月8日)

円安だという為替レートを眺めていたら外貨換算で苦労したジャカルタ時代を想い出した。 すでに2,30年前から円貨の100分の1という換算方法に不思議な国もあるものだという 感想を持っていた。現在は1ドル=9730ルピア、1万円=966,700ルピアくらいだ。 100ドル札1枚握りしめてマネーチェンジャーに行って97万ルピア。1万円を握りしめて 行ったら100万ルピア。夫は無駄使いの多い私にドルや円札をちびちびと呉れたので より換算率の良いマネーチェンジャーを頭の中でいつも検索してから出かけた。 普段の買い物は上限付きの現地銀行カードを使用。お札で膨らんだ財布は危険なのだ。 店は大型ショッピングモールなどに沢山あり、街中のそこここにどっさりあった。 この国には銀行もピンキリで雲霞のごとくあり以前仕事でファイルを出す時そのあまりに 長い名前にも特別な印象を持っていた。人1人、囲い窓、金庫のみの店もありデパートの 奥のあの場所という感じで迷路のようなところを目指した。慣れない観光客はまずここを 教えられる。人一人の店でもバックにはウミ軍などの資金が付いている所もあり現地在住の 友人情報は貴重だった。極初期には道端の怪しい店に案内してくれた運転手。リゾート地など では偽札が混じったり枚数が足りなかったりもすると聞いたので確認するが、そのあまりの 汚さにおびえた。噂では洗ってアイロンをかける人も居たらしい。チップとして渡す千ルピア 札は触りたくないくらいのものが多かった。運転手がその日に使う駐車料の箱に即移動した。 最終的に大型ショッピングモールの中にある欧米人や金持ち現地人御用達のバンクばりだったか、 に決めて通った。1万円や100ドル紙幣1枚を差し出す人はごく少なく又日本人もほとんど見かけ 無かった記憶がある。私には汚い紙幣だけで現地人にはきれいな紙幣だと差別だと憤ったものだ。 帰国後は日本のお札がきれいですごくうれしいが、羽が増えていることもわかった。 為替レートの変動にもすっかり無頓着になり頭の中が平和になったがこれで良いのかは疑問だ。

 なつかしい場所 (2013年4月6日)

封印していた場所の景色が一つまた一つと車窓に流れ去ると30年以上前の 記憶が一気に現れた。と大げさに言うほどのことではないし見たい時はいつでも 訪れることができる場所でも、心の中で決別して次のステップに進むとか 違う環境になじまないといけないという勇気が必要な折に封印は処世術の一つだ。 傍からはうかがい知れずクールすぎる場所に立ち尽すクールすぎる人の姿に見える はずだ。多分器用な性格や方法を持っている人には考えられないことなのかも知れない。 たとえばドクターが特別な検査の後に、脱いである私の靴を見つめ次に脱衣カゴ の衣類を見つめて、今日は告げないという決心と封印の瞬間。今冷静に思い返し て理解できることでも当時は靴や衣類に何か問題があったのか悩んだものだ。 ごく最近のこころの選択と封印という素早い瞬間の特別な記憶としていつも思い出す。 そしてその封印と笑顔という光景は警戒すべき特別なものとしてインプットされた。 患者もボーっとしているようで本能的に身構えて状況把握と理解に忙しいのだ。 湾岸道路の排気ガスのにおいや目の端で捉える海鳥の姿、観覧車と娘がアルバイト したネズミランド、錆びれ傾いた釣り宿、これも錆が目立つ巨大ショッピングモール の立体駐車場、環境の悪さで成長していない車道の椿と少ない花の高い塀の向こうには 馬場。懐かしい場所に近くなると封印の帯が解けて海のかなたの空に飛んで行った。 若葉マークと湾岸ドライブはとても疲れた。対向車線の渋滞のひどさはジャカルタと 同じだ。カーブ減速、追突多しと警告に全力集中。前方に発煙筒が点々と置かれていて 赤く燃える火も見え落下物処理中。このあたりは地震が来ると危ないなとか、トンネル の天井水漏れヒビチェック、管理が悪いと憤ったりで寝ている暇もなかった。

 メタセコイアの実 (2013年4月4日)

犬の鼻先に小さな茶色い実。お久しぶりメタセコイア。 地上は若葉の季節なのに太古からマイペースなんだね。 種物語の絵の世界に登場する日までゆっくりおやすみ。 「里津子の写真ライブラリ」をご覧ください。

 氷雨を乗り越えよう (2013年4月3日)

葉は無いものの幹と枝には小さな芽らしきものがあちこちにある。3月頃からは 期待を込めてその芽が伸びているかどうか観察していた。しかし今日どう眺めても 変化はない。昨年の秋遅く葉があり小さな花もちらほら咲いていたのを思い返す と時期外れの異常事態だったのかもしれない。鉢替えの時期も悪かったに違いない。 遅くに枝を選定した後の発芽だったのだ。 西側のベランダは陽が長く冬は暖かい。しかし度々の雪の日は寒冷紗で覆ったのみ。 ネットで調べるとカルフォルニアライラックは冬場に弱いとある。知らなかった。 ライラック類は寒さに強いものと決めてかかっていた。冬場は室内移動なのだそうだ。 手遅れか。小さな淡い水色の香気の花を懐かしく思い浮かべる。普通ならもう花を見る 季節なのだ。落葉するとテラコッタの境目に入り込みとても厄介なゴミになることも ついでに想い出した。オリーブの花と同様新聞紙を広げて幹を叩き落ちるものは 落とさないと飛散被害が発生するのだ。経験で学んだことも在る。眼鏡をかけて しげしげ見ても芽らしきものはピクリとも成長せず念力パワーは全く効かない。 指の腱鞘炎を忘れて植木ばさみを持ち出し枝や幹を切り戻した。この荒療治で助かる 枝もあるのだろうか。切り口が白っぽいところや薄緑で鼻を寄せると青い香りがする 所がある。期待と後悔が入り混じる。枇杷さん、ブルーベリーさんに続き3件目の 枯れ死になるのだろうか。鉄の棒を根元に差し込み根の感触を探ると一部手ごたえがある。 根腐れはしているだろうが生きている部分もあるに違いない。昨日今日の氷雨と低温よけに 買い物ポリ袋を括り付けてみた。完全に根元の土が乾くまでは決して水をあげないことだ。 そしてきっと5,6月には復活するだろうと幹をなでてみる。

 黒土&青オレンジ白の花々 (2013年4月1日)

いかにも春という感じのしっとり上等の黒土の中に粒粒青ビーズのような 花をつけたムスカリ。白い花びらのふちを薄紫に染めた小ぶりなニラの集団。 横断歩道わきの地面にはヨモギや土筆の姿も確かに見えている。伸ばした 細い幹の根元に鮮やかなオレンジ色の点々はボケの花。 住まいのロータリーのまんなかに結構大きなまあるい枝ぶりの樹があり、 そのあまりに少ない葉の様子にいったい何の樹なんですかといつも問いかけて いたものだがとうとうてっぺんに白い花の群れを見つけた。辛夷の樹だった。 またまた辛夷の樹だ。この樹の枝先に白い花の鳥が沢山群れたらきっと素敵だ。 新しい住まいや環境が整うには時間が必要だが整うと当たり前に見えるのだろう。 この頃肝のう胞の調子が割合落ち着いている。なるべく薬に頼らない生活が 人間にも植物にも良いはずだと思い自己免疫力をあげる本などがあると見入り、 笑いが一番ということで老犬とお笑い会話。しかし彼女は見ているだけでも笑える。 この頃イビキ音も寝言もユニークになりこれで食べ物にムセてくれなければよい のだがヒトもイヌも気管支が弱くなると命取りになりかねない場面が多い。 情けないことに私のあげるものなどで失敗があり家人たちの厳しい目線を感じる。 風が桜の木々を揺らして花びらの霞が流れ、若葉のエネルギーで丘が大きく見える。