里津子の窓1

人生で大切なものは”孤独の引き出し”です。家族や友人も知らない一生自分しか開けない
引き出し。それぞれが、整理したり何か彩を加えたり要らないものを捨てたりする。ある人
はその中に絵や歌や詩やゲームやメールや様々なものをしまっておくのは言うまでもありま
せん。何も置かないすっきりした空間で安らぐ人もいるでしょう。そこはとても大きなパワ
ースポット。自分の心の中の引き出しです。





 希望の星は輝きを! (2012年6月29日)

水曜日は定期通院だった。多発性肝のう胞(巨大なのも数個、左右葉で二桁) で今年1月穿刺治療したもののおそらく入院中に元に戻った様子という 少々心もとない状況。海外生活が長くて情報も少なく現状に至ってしまったが 帰国して1年、この病気は最近増えていて治療方法も研究中だということが解った。 穿刺治療時、リスクの羅列ばかりでメリットが一つもない・・・しかしサイン しないといけないという状況(自分から治療を申し出ているので)は悲しい。 レントゲンやCT検査の間隔が狭くなり被ばく(もう若くないので大丈夫なのか?) も心配。しかし若いDrは毎月のように血液検査(血小板数値が悪いので)をしてくれる。 のう胞内の炎症などは即レントゲンとかCTでしか原因追究できないので検査も仕方ない。 あるDrは極緊急事態になるまで放っておくしかないと言っていたがそれは患者にとって 恐怖である。旅先などでは手遅れになるはずである。 のう胞のブログを見ると若い方が大勢悩んでいて治療医が少ない(特に地方)と嘆いている。 今私が通っているような大病院で細かなことを相談するのは筋違いなのか・・と迷うときもある (市中病院と併用すべきか)がどうなのだろうか。国立病院の若い医師は酷使されている現状。 病を持つ人多いが、その中でもおなかや周辺が出ている程度のこの病は外見からすると救われている。 次回の通院は8月15日。間隔が1.5か月になった。その間若いDrはこの病気の勉強を進めて 下さるのだろうか。いや、必ず勉強してくださると見込んで通院しているのだ。それにしても 勉強していただくには期間が短すぎるのか、やはり根が短気なのだろうか・・。 梅雨時の晴れ間に自分に気合を入れてみる。同じ病の人たちが同じ希望の星を見ている。 願っている。星は医療機関、そして医師なのだ。よれよれになりながら院内を飛び回っている 患者の星が輝きを失わないように強く望んでいる。

 優しい時間、まなざし (2012年6月28日)

再会の楽しい時間を有難う。月日の隔たりというものが全くなくてびっくりしました。 日本の雑踏を上手に縫い歩けるようになり,満員電車の中でも落ち着いて状況観察が 出来るようになり、若い女性に痴漢と間違えられないように手の置き場所を必死で 考えている夫の様子に苦笑してしまいました。 写真ライブラリ―の中の猫ちゃんのことがここ数日気にかかっていました。 この猫ちゃんは女の子です。近所の側溝で生まれたときからよく見かけていました。 ほとんどは大きくならないうちに遠方に捨て(あちらの国では野良で立派に生きる) られる運命の中、多分ネズミ駆除のために数匹残される中にいました。ボス猫が仕切って 居るので残る女の子は限られているのかもしれません。もちろんあちらでも本当にネズミを 食べる猫はよほどひもじい思いの生活をしている子のみでしょう。 猫並みに大きいドブネズミ対策だと思いました。 まだ年端もいかない子猫にボス猫が3匹くらいは張り付いていて、散歩のたびにその様子を 見るとうずくまって動かないその子がかわいそうに見えてボス猫に石をぶつけたくなるくらいでした。 しかし猫天国の国です。また出産回数も多くておなかの皮が地面に着くほど垂れている母猫の姿 を良く見かけます。一匹の子猫を見て抱く感情は自分勝手なお情けなのでしょう。 子猫はほかにもたくさん見かけました。側溝から拾いミルクをあげて外猫として飼っていた知り合い もいました。我が家の犬は猫に襲撃されて以来猫嫌いですので飼うことはできません。 でもこの子猫は不思議と心が通じていたような気がします。写真を撮らせてね、というとちゃんと 目線を合わせてくれたのです。おとなしく運命を受け入れて静かに暮らしていたのか・・・。 日本で猫に会うことはめったに有りません。郊外のせいか、丸々と太った猫はやぶの中に逃げ込み 声をかけても絶対出てきません。 まっすぐな目線が何を語っているのかわかりませんが見るたびに何となく優しい記憶が湧きます。

 記憶、気力 (2012年6月26日)

障子と影絵の記憶は私にもありますよ。劇団かかし座とかいろんなのが沢山やって きましたよ、小中学生の頃私が住んでいた信州の学校に。特に中学は視聴覚指定校 とかになっていてしょっちゅう映像を見る時間がありましたっけ。小学生のころの映像は 印象が強いものだなと思います。現代のように映像過多だとどういうことが記憶として 人の将来によみがえるのでしょうか。小中が一緒になった木造三階建ての校舎は今 どこかの財団の持ち物になっていて近所にある湖で使う水上スキーなど保管されている様子。 小学校に入ってすぐにアジア風邪にかかり、床から庭の満開の梅の花を見上げている私や 女の先生が桃の缶詰をお土産に枕元に座り、”竹の子”という文集を手渡してくれたこと、 ”みんな竹の子、ぐんぐん大きくなーれ”などと書かれていたこと、秋祭りのころ姉のお下がり の着物を着て恐る恐る神社の石段を降りたことなど、このごろよく記憶によみがえります。 これは持病を持ってしまったせいかもしれません。我が家の他の家族はほとんど鈍感力で 生きている方なので反面救われている私ですが理解されたいとは思います。多発性巨大肝のう胞 を持ちながら仕事をしたり小さな子供を育てたり介護をしたりしている女性がいるんだな、 と思うと比較的落ち着いた時期に発覚している私はむしろ良い方なのでしょう。ネットでほかの 人のブログを見たりしますが、外見からは計り知れない苦悩が伝わり、深刻にならないと病気 ともいえないような状況がどうしたら変わるのか・・やはり若い医師に沢山勉強していただく しかないのかなと考えます。しかし医師も忙しすぎて症例の少ない病気を研究する暇もない 現状なのかと心配にもなります。この病気は深刻になった途端、深刻過ぎる事態になるようです。 あれ、やはり体調がいまいちなのでパワーダウンしています。明日の1か月目の通院まで 何とか体力維持に努めましたが(熱も37度までで頑張る)どうものう胞が下の方に悪影響を 与えている感じが否めません。もう少し食欲が落ちると体重も落ちるなあ、などと不謹慎な ことも考えていますが。4人兄弟の姉兄の体の心配もしないといけないので気力を上げないと いけません。気力の触覚を明るい方へ明るい方へ伸ばさないといけません。

 ジャカルタでフラダンス (2012年6月24日)

フラダンス!思い出してしまいました。ジャカルタでフラダンスの練習を したんです。ある日ジャカルタ新聞にフラダンス教えますという広告が出て 居て日頃の運動不足の解消になるか、フラダンスなら横揺れしていればいいから できるんじゃないかという気になったのです。なんでも日本の上智大学に 留学した時に覚えてハワイでも勉強した中華系インドネシア人?の若い女性が (日本語出来る)教えてくれるとのことで例のヨガメンバーがだんだん集まりました。 おおきなお屋敷の中のガラス張りの練習場は2階にもある様子で、よくあるパターン のつくりです。外からは門、守衛付の普通のお金持ちのお屋敷にしか見えませんが 中には店やこのようなスポーツ、マッサージなどできる場所がある独特の商売です。 色々なダンスを教えている様子です。税金対策なのでしょうかあちらの国独特のものです。 ダンスは横揺れしていればよいものでもなく、ただの運動のつもりなのに先生は CDをかけながらきちんと踊りの説明をして、その日の授業の最後にはひとつの踊り ができるように教えます。手の形でシェル(貝)、太陽、星、心の動き、さまざま のことを表現するので感動。出来るだけ先生から離れて目立たない場所にいる私でしたが 動きが違うとすぐすっ飛んできて直すので嫌でした。しかしみんなでノリノリ。 最初の日からあのフラダンス用スカート(こういうものも売っている)まで購入。 柄はそれなりに地味なものもありました。もちろん上はT−シャツです。 1,2か月は通ったのか・・・・発表会があると言われ面倒になりました。 街中のレストランでお客さんの前で踊るらしい。おばさんの私は即断りました。 中腰中膝を続けるので痛くなるし。もちろんおばさんでも様になる人もいて 若い奥様は衣装もぴたっと決まるので写真うつりも良くて記念にもなる様子でした。 いつの間にか足が遠のき、新聞でほかの方や先生の記事を見かけても意欲が出ない まま終了。先生は自分で創作ダンスまで作りとても熱心でした。教えたお金を貯めて さらに勉強をしたい考えも聞きました。今もあちこち出張して教えているのか。 フラダンスもスタンダードなのから新作まで色々あることなどちょこっと覚えました。 フラのスカートはお手伝いにあげましたので娘さんが穿いていることでしょう。 くろまめさんのお友達との恒例旅行、うらやましいですね〜 ずーっと仲良しで楽しい時間を持てるようにお祈りしています。

 雨とイギリス人の思い出 (2012年6月22日)

横殴りの雨の中、なんとか犬に用足しをさせようとレインコートを着せて 出掛けてみましたが主も犬もぬれただけで何の足しにもなりませんでした。 近所の犬もいなくて・・こういう時に私は結構イギリス人に似ているかも 知れないと思います。ジャカルタで近隣に住んだせいか、その下を向いて キッとした顔で同じ時間に出会う男性やたたたっと素早く背中を伸ばして歩く 美人さん。私もポーカーフェイスでチラッと朝の挨拶をして通り過ぎたものです。 日本人とイギリス人はどこか似ている感じがしました。もちろん彼らはもっと きちんとした外の顔をもっていますが。私は朝犬散歩するほかの家のメードと おなじにみられているなといつも感じていました。欧米人はほとんど使用人任せです。 毎朝のように短パンひとつでスケートボードに片足のりしてプールに向かうイギリス人 の3人の子供のパパに出会いました。早朝の騒音で我が家の犬もびっくりして吠えます。 プールの近所まで歩いても2,3分です。彼がソリ―と言って静かに片足のりする まで結構時間がかかりました。イヌは待ったなしの散歩を期待するので我慢比べ。 なつかしい思い出です。私もこう見えてもレッキとした日本人のおばさんです。 又ある日、母国に引っ越しをする一家の主が外で家の写真を撮っていました。 顏が合い、テイクケアというとグッドラックと返事がありました。 自分から先に相手を気使う言葉を口にするのは気持ちがいいものです。 日本でもバギーを押した若い学生夫婦のようなインドネシア人カップルに会いました。 ダリマナ?=どこから来たの?というと大喜びしてくれました。 最近は街中でもどこでもまた元の日本人に戻ってしまった私のなので反省。 いつも先を急いで歩くので話しかけて話が長くなると困るな〜なんて考えてしまいます。 なぜインドネシア人だと気楽に話せたのかな〜?のんびりしたイントネーションの 彼らの会話も変化する若い人たちの時代が来るのだろうか。

 メタセコイアの木、弱者の知恵 (2012年6月20日)

台風の被害が心配されます。我が家は直害はなくてバラやアジサイの鉢 がひっくり返った程度です。くろまめさんの畑も今日は大忙しでしょう。 インドネシアには台風というものがなくて幸いでした。フィリッピンあたりで 誕生するので突風のようなものはあっても台風はなくて、運転手に日本での 台風被害のことを聞かれると、この国には無くてよかったね〜もしあったら 庶民の家はほとんど壊れるよと答えたものです。 毎朝の犬散歩でメタセコイアの木に出会います。シンメトリーが美しい木で葉も 優しげ柔らかそうで古代に恐竜と共存していたんだな〜といつも見とれます。 梢の先端のゆらゆら揺れている心もとなくも光に向かう命の先端という、けなげな葉 の様子が毎朝気になります。弱弱しげですが先端にある使命というものをそこに見ます。 あの様子だと強い日差しや嵐、雨にさらされると心配だな・・と思いますがそこは 下のしっかりした枝や幹が支えていますから大丈夫なのでしょうが、今朝は確かに、 うなだれていました。とても先端とは思えないほど乱れたかたちでした。 弱者や強者の選択・・というものも最近よく考えます。それ自体両方持ち合わせていれば 万全ですが偏っていたり片方だけだと知恵が要ります。私はどちらかというと弱者です のでいろいろと知恵を絞り生きていくのみです。その繰り返しが人生という道をつくる のでしょう。虚弱体質の小学生のころドッジボールでよく最後まで生き残りました。 なぜか、ボールを投げる人の真横あたり、死角にいると生き残れたのです。 もちろん最後は猛烈な攻撃が待っていますが生き残れる不思議。そんなことは弱者の 知恵として何かに応用できるかもしれないなどと。 ほかの木から抜きんでて美しいメタセコイアの木から不思議と知恵を授けてもらって いるような朝の出会いです。

 QOLの向上 (2012年6月18日)

QOL=クオリティ オブ ライフ、ということの意味を実感している。 昨年3月、あの地震の15分くらい後に手術の予定があり、私は新宿の国立病院の 13階にいた。結果的に手術は3日ほど延期にして頂き、一人で(病院内はてんてこ舞い) 厳しい状況のTV映像を眺めたり、夜には湾岸のタンクが炎上する様子を窓から見たり、 眼下に広がる明かりのない車も通らない街を眺めるのみだった。 夫は海外の赴任先に居て娘が夜遅く勤め先からやってきた。 この娘は30数年前に同じ病院で不妊治療を受けて授かった子供である。 2人でシングルベッドに眠ることができた。病院の暖かい配慮に感謝。 交通機関がマヒした暗闇に娘を送り出すことはできない状況。国内外厳しい状況で、 比較するとわがままが言えないわが身とはいえ、私にとっても初めての手術でしかも 海外から一人でやってきた。日本の住まいは購入したばかりで新しい土地故、土地勘も なく非常に心細かった。 諸々のことが有り昨年の精神状況はズタズタと言える。一見ノー天気そうに見える私 であるが中味が疲れ果てていた。人間はやろうと思えば相当のことができると思うが、 昨年は頑張りすぎた。日本での住宅の取得(海外からだと面倒)、入院、国際引っ越し、 多発性肝のう胞の悪化。年明けの手術と文字どうりの本格的厄年なみである。 持病は様子見するしかないと言われているものであったが、病院の若い主治医のおかげで 積極的に手術(結果的には元どうりになっつてしまったが)していただき自分のQOLが 変化した。その後の細かな検査なども不安を消してくれる有難い存在である。 こうして友人の好意でブログに毎日のように投稿しているのも、絵画制作が順調なのも、 すべて手術に踏み切ったあたりからの変化である。助けてくれる人が居るという実感と QOL(人により違うと思うが)の向上、精神向上が今日の不安を消し希望へとつながっていく ものに変わった。人間って気持ちの切り替えで違う世界へ向かえる生き物なんだという実感。 身の回りにある様々な感覚を常に感じて受け入れる勇気を持ち、感謝して自分のエネルギー にして生きていくことが大切だと思う今日この頃である。

 インド洋プラブハンラトゥの絵 (2012年6月17日)

くろまめさん、そらまめさん、写真ライブラリ―作ってくださり有難う。 ジャカルタ時代あちこちに行く度にデジカメを持参していました。 帰国して新しいPCと古いデジカメで苦労しました。メカに弱いので PCデポに相談して何とか解決。写真をデジカメで撮るのにまた苦労。 反射するので曇りガラステーブルの上に写真を置き、真上からトライ。 インド洋のラトゥ岬に行ったときの絵は2枚しかできませんでした。 インド洋の深緑は早朝でないとみられません。陽が上がると海と空は 一体化してつまらない色に変化します。朝3時ころ出発して7,8時の海 に出会うのが最高ですが叶いませんでした。サーファーは仕事が終わる金曜の 夜遅く街を出発して海を楽しむと聞きました。何しろ帰路夜中になると道に 迷ったり山賊に出会ってしまう大変な山道なのです。海側沿いに行く道も あり友人はトライしたようです。 この絵もずいぶん時間をかけて(大きさは30x40cmの小さいもの) インド洋を表現しました。成功したのかどうか? 日本ではもっぱらジャカルタ時代のデッサンや下絵を大作などに応用しています。

 夢、民間療法、お菓子にまつわる話 (2012年6月13日)

バラの葉を食べるクシヒゲハバチの芋虫を甘く見ていた。芋虫は小さな若葉の裏 にもいた。イヌのためにベランダの植物にできるだけ薬を使いたくないので木酢など も使い苦戦中。苦戦中といえば我が家の12.6歳のわんこも雨の朝は散歩が嫌なのか 私の部屋で素早く用を足してしまう。知恵比べをあちこちで強いられるのでのんびり していられない。なまくらな私も朝散歩をサボる。 この頃また朝方に不思議な夢をよく見る。この前も苦しい、迷う〜という状態の時に あちらに延びる長い橋のたもとで、若い女性(頬に大きな黒いほくろが目立つ) に肩をポンとたたかれて”今の主治医に何か言われるまではついて行った方が良いですよ” と言われた。彼女はすたすたと長い橋の向こう側に歩いて行ってしまった。 今朝はまた苦しい、迷う〜という同じ状況。同級生(男の子)という姿で”大丈夫だよ、 助けてあげるよ・・”という感じのハイタッチをしてくれた。顔には見覚えがないので 起きてからも考えている。声にはどこか覚えがあるような気もする。 ジャカルタに言った頃そんな状況の時にはよく亡き父母が夢に出てきた。 といっても助けてくれるというよりその存在を示す程度。暗い山道で終点のバスから 降りても誰もいない…という状況の時にぱっと現れる母。また、町はずれのどこそこに 住んでいるから遊びにおいでというので行くと、玄関戸の奥は壁だったり。 まだそんな話で盛り上がる夏ではないが、こんなことはほかの人にも良くあるのだろうか? 病気になっても保険が無かったり、あっても長期で入院できないジャカルタの低所得者たちは 民間療法に頼るようだった。ジャム―(日本の漢方薬)やセラピー(これは街中のあちこち 良く見かけた)など。セラピーといってもいろんな病気の相談や精神的拠り所のようにも見える 所もあり、女性のみが集う場所もあった。もちろんお金持ち用に大きな看板に写真付きのところ も見た。セラピーとジャム―使用でもはかばかしくないときは田舎に行くという。 彼らがセラピーと呼んでいたところを見ると海外から入ったものなのか。外来語が多い国だ。 ローカルTVで見たのは、ぜんそくなどの患者がジャム―を使いうつぶせになって、何か 粘液状のものを口や鼻からドロドロ出している姿。悪いものを出しているというのは理解できた。 これは確か日本のTVでも特集していた記憶がある。ジャム―をよく理解しないと難しそうだ。 ぜんそくの夫も興味はあるようだったが怖さの方がずーっと強そうだった。 田舎で直すという人は、ジャム―など使い多分土地の人たちが入る野天風呂みたいなのに 入ったりするのだろうか・・・これも深く聞けなかったことだ。親切は聞くだけでは済まない。 どこの田舎に行くのかもわからない。しかしのんびりできそうなと田舎は多そうだった。 お手伝い達、夫人はよく寄合(決まった呼び方があったが不明)をしていた。女性だけの集会は それだけでセラピー効果抜群。お菓子を作ったりして持ち寄っている様子だった。 あんこ入り護摩団子[パーム油であげたもの)とか、わらびもちみたいなの、黒米をまぶして 蒸したお菓子など、時々私もおすそ分けしてもらった。きっといろんな話題で盛り上がり楽しい ひと時を過ごすのだろう。これもモスリムの教えの中の行事に違いない。 時々近所で働いているお手伝い仲間と食べてねと言ってバナナケーキなど(あちらでも一応カロリー は気にしていたので甘い到来物などは即お手伝い行き)渡すと、その仲間のお手伝いから ”ゴッドブレス トウ ユウ”と携帯メールが来てびっくりした。彼女は外国人宅で働いて英語を覚えたのだ。 家のお手伝いの話だと彼女は勉強家で宗教的な上級試験を受けているらしい。女性にもそういう道があるのか。 欧米人宅の方が給料もよく、公務員は夏場長期間帰国するので彼女たちにとっても魅力的だったに違いない。 日本人は厳しく、料理も日本風に・・要求が多いのかもしれない。経験は財産になり生活を助ける。 とにかくお手伝いや運転手が多い国である。

 漬物、ばら、ハイビスカスなど (2012年6月11日)

くろまめさんの畑はエネルギーに満ちていますね。塩ラッキョウ我が家の主も 大好きですが最近は作りません。どうもこぎれいな生活にはまってしまい、臭いや ゴミ出しの面倒さに負けています。糠漬けだけはタッパータイプのセットを購入して さらに昆布、煮干し、鷹の爪などを加えたので2,3週間後から味がマイルドに。 漬物が沢山出来て主が留守だと大変です。消費量がガクンと落ちて沢山残るのです。 インドネシアのラッキョウはごく小さくてお手伝い泣かせでした。日本から持ち込まれた 植物のひとつなのかもしれません。ミヨウガやシソの葉も時折日本スーパーで見かけました。 蕗も極々細い香りだけ楽しむくらいのものが売られているときもありました。あちらでも 山の奥の涼しい場所には山葵もあると聞きました。 バラの葉のムシ退治(クシヒゲハバチの幼虫)をしていて気が付いたことが有ります。 1mほどの木の上にあるこんもりした葉が退治後スカスカしてきました。しかし 小さなつぼみや葉芽が目立つようになり、なるほどね〜と感心。アブラムシは困るけれど クシヒゲハバチの幼虫はもしかしたら何かバラの葉に良い影響をしているのかもしれません。 適度に葉を食べてバラの新しい芽の成長をたすけているのか・・・わかりませんが、 今朝クシヒゲハバチの親(黒くて小さい蜂)を1匹見つけましたのでまた幼虫が増えたかも しれません。近隣の自然が豊かなのでこれは続く仕事のようです。 インドネシアで軒下にあったハーブの群れを雑草と間違えて抜いてしまったことを思い出し ました。数本抜いているうちにそのハーブ臭に気が付いたのです。何のハーブかお手伝いに 聞いたのですが、どうもスープに使うらしいということしかわからず見ているだけになりました。 ある日その葉の上に緑色のバッタが住みついて葉っぱをほとんど食べてしまいました。 見ているだけの葉なので心を広くして観察していました。また次の年に今度は白ガエル(突然変異か 普通種か不明)が現れこれは葉を食べるわけではなくお住まいでした。あちらの普通種のカエルは 日本と違い体や目すべてまるまるとしていて可愛い、という感じです。体は大き目だったような。 バリに行くとあちこちで石像のカエルに出会います。雨(干ばつもある)と関係しているのでしょうか。 庭にはお菓子(米粉やトウモロコシ粉で)を作るときに緑色に染める(薄緑)パンダンの葉や乾季 になると連日咲くハイビスカス(花は一重、八重、ピンク、白、赤と様々)が植えられていました。 ハイビスカスの花は早朝散歩後1,2輪摘んでテーブルの上に置くと夕方まで水なしで咲いています。 これは習慣になり、デッサンをしなくても花の姿が浮かぶありがたい存在でした。 花のパギ(朝)からソレ(夕方)までを半抽象画にしてみました。思いがけず成功しましたが、 成功するまで2年以上かかりました。現在アドヴァイスいただいている先生に言うと ”そうだろうね〜”という返事。大器晩成になると良いのですが。欲はいけませんね。

 ”7月前の緑”、クシヒゲハバチの幼虫 (2012年6月9日)

昨日は思い立って高尾山に行ってきました。帰国してから去年の秋に続き2回目の遠足でした。 平日にのんびりと出かけられる定年生活に夫もいまいち複雑な表情です。きっとまだ騒ぐ血を 持っているのかな・・・と推察。ケーブルカーものんびりと座れます。まだ成長途中の若もみじが 緑色のレースのように空を覆い、”7月前の緑”と名前を付けたくなるような新鮮な色です。 赤いもみじも良いけれど緑と青い空は視線に優しい。 今までの苦労を一気に払しょくさせようというのか、珍しく夫が手を引いてくれます。 まだまだ・・・こんなことでごまかされないわ・・・と内心でつぶやきました。 コース4はつり橋を渡ります。このコースは初めてでしたが下りで正解。登りは相当 覚悟が要ります。1か月に1度登るという人もいるようですが4季それぞれ楽しみたいものです。 雨雨雨、の今日はバラのアブラムシ退治。親の仇のように退治。その上かわいい葉が沢山 レース状になりネットで調べてみるとクシヒゲハバチの子供芋虫(1,2mm)の様子。 これもレース状の葉を全部摘み取りました。アジサイは去年枝だけに切られて大安売りされて 居たのが大満開。大小15個くらいに増えた鉢類。手を入れてあげないとすぐに虫や日差しで だめになるな〜と思うと健康に気をつけなくちゃと思います。 くろまめさんの畑も雨の後は一気に忙しくなるのでしょう。ご家族の会話が畑でつながり 暖かい空気が流れていますね。我が家ではどうも私の一人相撲です。

 パサールチキニ、ビンハウスなど (2012年6月6日)

オリーブの花が沢山散りベランダを汚すので考えて、塵取りを受け皿にホーキで 枝を軽くたたくと大正解。ちゃんとちいさなちいさな実が数個花枝にしがみついています。 沢山咲いてもほんの少しだけしか実にならないのはオーク樫の木に似ているなあと思いました。 いえいえ、オーク樫の木には数えらる程度の大きな実しかなりません。太陽に向かって梢の 先端の方で黒く揺れているのが確認できました。この実の中の種(松の種の大きなの)の根本 にはパヒッド(苦い)白い粉が詰まっていて地元の人は蚊よけになめます。夫に1度だけ強要。 嵐の翌朝に散歩がてら実を拾おうと探すと、自転車に乗った使用人の男性によく先を越されました。 実がはじけて種が1本ずつくるくると舞い落ちますがその種でないと完熟していないのです。 相当な大木なのに花はほとんどオリーブの花くらい小さく、満開の木の下は甘い香りとミツバチ のわんわん唸る音がしていました。きんもくせいの花のように木の下が小さな花で一杯でした。 ジャカルタを訪れて最初のころ、先輩主婦の情報でパサールチキニを知った。家から車で1時間 位はかかったと記憶している。住宅街の曲がりくねった道を友人の車にはぐれないようについていく。 そこでは籐製品などを商う店があり果物や地元の野菜なども売っていた。後になると見飽きるスター フルーツやマンゴー、マンゴスチンなどがいかにも新鮮そう、おいしそう、安そうに見えたものだ。 カンクン(これはもともと中国から入ったものらしいが今ではどこでも売られている、ニンニクと 炒めて食べる)日本ではなんというのか、芯空菜か?ジュルック(青蜜柑)やこぶみかん(山椒の においがする)、レモングラス・・異国を感じさせるそれらは小さな市場の一角に売られていて 当時は特別新鮮なものに見えた。地元の菓子類や飲み物なども彩りをそえていて気持ちが弾む。 そこのコーヒーは特別で商社夫人もお土産に持ち帰るともっぱらの評判であった。焙煎から豆挽き パックまでしてくれる。電話で注文して取りに行ける。産地を選び沢山挽いてもらいお土産に したが真空パックではないので日本に帰ると香りが少し抜けていたような気がする。 帰国してジャワコーヒーを購入してみると結構値段が高くてびっくりする。濃くて少々焦げ臭い 香りはあまり好きではない。もっぱらブレンドのアメリカンなのでその味にはついになじめなかった。 食品のパサールにはほとんど行かなかったので少しの間のことではあるが懐かしい場所である。 ビンハウスは日本の銀座にあったが(今もあるのか)ショーウインドウの中の値段が素晴らしすぎて ついに店に入らなかった。ジャカルタでは本店支店があり春先には割引セールもあり目が輝いた。 こぎれいに展示された店の中は地元、中華系、日本人などが目立った。一般的に地元のものを身に 付けたりする欧米人は少ないと感じた。自国の服装で通す人が多い。もちろん日本人もそういう人は 多い。芸術作品のような織りや染めのスカーフ、ストールを見ていると(草木染めのせいか) 日本のものにも近い感じがした。草緑色にオレンジ系朱色のアレンジがしてあるスカーフが目前 の柱にかかっていて、あーっと手を伸ばしたら中華系の方に私のですと取り上げられてしまい とても気に入っていたので今でも忘れない。その後いくら探しても同じものに出会わなかった。 以前は日本人相手だったと思うが今では中華系に流れが変わっていて柄も彼らの好みに合うものが多い。 あちらでよく(日本にも多いが)目にするペイズリー柄、思い込みでアジアか中近東出身のデザインと 思いきや先日美容院の雑誌で本当のことがわかった。イギリスのペイズリー地方とのこと。 中世なのだろう羊毛を染めたりいろいろ工夫する様子は以前読んだ本”大聖堂”の中に出てきた。 たった1本の小さな風に揺れる花の絵から出発したと書かれていた。すごいな〜。高級品で超有名 なスカーフのペイズリー柄の素晴らしいこと。ずーっと見ていても飽きない(本の中のもの)。 スカーフもストールも沢山収集してみたが帰国していまいち使えない。洋服と合わせるのが大変だ。 あちらでは南国のせいか老いも若きもそれぞれ工夫に満ちた明るい服装ができる。しかし日本では 基本色に彩り程度でとても落ち着いている。若い人ははるか岸の彼方の服装だし。一応芸術家だから 少々冒険してみようか。絵の友人の一人は熟年だがショートパンツ姿で現れた。完全に負けた。

 国立博物館 (2012年6月5日)

昨日は歯の治療日でした。このところ肝のう胞の感染を恐れていますのでドキドキして いましたが治療終了後クラビット500を一ついただいてお昼に飲んでおいたら どうやら今のところ無事のようです。のう胞の痛みが急に少なくなって胃もたれが 多くなったところを見ると、どうやらのう胞が下に成長(落ちる?)している様子。 体調に気を付けながら日々明るく生活する姿勢が何より大切かもしれません。 ネットで見るとこの病気の研究が昨年より厚生省といくつかの病院で始まっている らしく心強く思います。ストレス社会ですからこの病気は増えていると思います。 従来のように気に掛けるほどのものではないという見方は、訂正してほしものです。 ジャカルタで生活し始めてまだ街中に慣れない頃によく車で出かけたのが国立博物館だ。 家から1時間少々かかった。語学教室などで得た知識をもとに(さすがに運転手 も知っていた)慣れない道ながら、日本人が良く”アッチチの像=タイマツを持った像、 と呼ぶ通りを直進して都心に向かい、日本大使館、国立ホテル、高級デパート辺りも直進して 整備された都市らしい雰囲気で大統領邸などもある辺りまで行く。確か国立博物館のことを ムシムガジャと現地の人は呼んでいたと記憶しているがムシム=季節、ガジャ=象、なので なぜか意味不明。もっと勉強しておけばよかった。その博物館でボランティアをする有志たちは 沢山勉強して資料も自分で作り決まった曜日にジャカルタ新聞で案内を出して活動していた。 知り合いの一人も熱心に活動していた。仲間で冊子まで出版して声を枯らしながら2,30人 は居る見学者の前で説明してくれた。当時、国立とはいえ手入れの行き届いた状態ではなくて 軒下に石像などが並び(雨にぬれて)整備されるのを待っていたが数年のちには隣接する建物 が改装されてエアコンも入り立派になった。ボランティアの中には80歳を超える国際結婚夫人 もいてそのパワーと意志に感動した。結婚して現地での暮らしが長くても日本人としてとしての プライドが強い人が多い、またその集まりも多いと感じた。古い世代の人たちの行動なのだろうか。 最初一人で早朝から出かけた。エアコンが苦手な私は家でどこか1か所はそれが必要な生活が嫌で 大理石のつくりで涼しい館内に目を付けた。極安い入館料を支払い、運転手が地下の駐車場に ちゃんと降りていくのを確かめてから安心して歩き出す。さすがに人気がなくても迷子にはならない が、時折薄暗い館内で欧米人の女性などが一人でガラスをのぞいているのを見かけるとほっとする。 一応絵を描くので、スケッチブック、カメラを持参。といっても大したものは描いてこなかった。 中国からの陶器とか諸外国から船でやってきて沈没して後に回収されたものも展示されていたが、 興味深かった。皿に珊瑚の小さなのが付着していて古い時代の海底の景色が垣間見れた。 ジャワ原人のレプリカや古代帆船の骨格、島々の古い工芸品、もちろんパプアニューギニアの ものも展示されているが使い古された本物の品々は威圧的で、恐れながら素早く通過。 霊帆船というのもあり、人が立ったまま何人か乗っている図だったが詳しく調べなかったのが 悔やまれる。友人の説明も多くは聞きのがして自分の感覚の世界に没入していたせいだ。 面白いと思ったのは島ごとに違う男女の顔や服装(礼装?)を展示したもの。様々な血筋が 垣間見れる。我が亡父の顔立ちにそっくりな男性もいた。そういえばジョクジャカルタで 管楽器を演奏していたおじいさんもそっくりだった。ジョクジャカルタの博物館のガラスケース の中には日本の味の素の古い古いデザイン、小さな赤い四角いのが収まっていてびっくりした。 亡母のうなじにそっくりな踊り子も見かけて、血筋のルーツなども彷彿とさせられたものだ。 そこの2階には金銀玉石の装身具が展示されていた。どれも大ぶりで地位を象徴するデザインだ。 宝剣も大から小まであり飾りとしてのみの存在だったのだろうか。ある日、夫を誘って一緒に出掛けた。 しかしぜんそく持ちの夫は2階までたどり着くことはできなかった。そして2度と出かけなかった。 街に慣れてくると国立博物館より面白い所や友達との交流ですっかり足が遠のいてしまった。

 ボルブドール、ロンボク島 (2012年6月4日)

当分の間パスポートもリムジンバスも使いたくない家がいいと思う私です。 行楽の季節、高尾山とか昭和の森も我が家から近く魅力的です。 なかなか出かける元気が今一つですが、四季を堪能しなくちゃもったいないですね。 インドネシアに行く前の年、まだジョクジャカルタのボルブドール遺跡に地震 被害が起こらない頃家族で訪れました。ムラピ山のふもとにあるジャングルの に接してプランバナンもあります。右も左もわからず先に住んでいる夫と娘に ついて歩くばかりでした。ウンカのごとく押し寄せる土産物売りのうるさいこと。 彼らも生活がかかっていますので必死です。大したものは売っていません。 我が家はついに何も買わずに通りぬけたのですが、欧米人はいらないものでも にこにこして買ってあげている様子。心が広いのでしょうか。 濃いグレー一色の巨大な石の塊ともいえる遺跡は階段階段、また階段。 1日ツアーガイドの人を雇い(車の運転も)説明してもらったと記憶しています。 石に彫られたものはすべて物語がありました。残念ながら涅槃とか屋上のソトーバ (日本の卒塔婆と同じなのか)、文学の神様(巨大象)に触ったこと、黒雲が押し寄せ 雨が来そうなジャングルとその向こうのムラピ山くらいしか覚えていないのです。 日本のTVで放映されていると、おおーっと急に記憶によみがえるのですが。日本でいうと 京都、奈良の感じでしょうか。その後の被災と復興は日本からの援助も沢山あったと聞いて います。世界遺産になり興味のある人も多いでしょうね。水には気を付けてほしいものです。 数年前、娘の鶴の一声で年末のお正月価格なのにロンボック島に行くことになりました。 飛行機はローカルのがやっと取れました。日本人は我が家のほかに1人しか見かけません。 席の周辺はガムテープで補強されています。菓子パンと水が支給されましたが(紙箱入り) 回収にはきませんでした。以前はバリ経由でしたが直行便ができ便利になりました。 ローカルの飛行機はよく落ちるのを日本にいるころから知っていましたので心が騒ぎました。 飛行場につくと簡素な家屋まで荷物を持ちトコトコと歩かないといけません。もちろんあちらの 国営航空では違う状況だと思いますが。そこから2時間、ホテル専用の車(バン)に乗り島の端っこ 目指します。たった1軒しかないちょっと秘境のホテルです。 田んぼがほとんどで道端にはナンカの木やマンゴ―の木が定間隔で植えられています。 飢饉のときに備えて実のなる木を植えるのはどこの国でも同じなんだな〜と眺めました。 マレーシアの方に出稼ぎに行く人がとても多いと聞きました。田んぼだけでは生活が大変です。 道端の物売りはジャカルタと違い品数が極端に少なく(真珠は有名)厳しい生活環境が感じられます。 ここには部落の中を観光客に見せる少数民族の村もあります。料金を払い少しだけ見たのですが 観光用の姿も見られ、またその生活の大変な様子は見ない方が良かったと思うものがありました。 ホテルに近づく頃、草ぼうぼうの空き地に新空港が作られているのを見ました。予定がどんどん遅れる お国柄ですが今はもうできたかどうか。多分海外の投資もあるのでしょう。もう秘境とは言えないかも。 ホテルは欧米系に開発された感じです。コテージにはトッケー(大きなトカゲで、トッケーと鳴く)も 住んでいて白い砂浜は毎朝牛に砂ならしの鋤を付けておばさんが掃除をします。絵になる光景で観光客 も喜びます。ここでは、ウェルカムドリンクが無料と聞き娘と2杯も飲んで(ハーブや果物、氷が沢山 入っていた)翌日おなかを壊して大弱りの記憶があります。土地の踊りやファッションショー(なぜか?) カウントダウンパーティー、花火、カップル写真、パーティ−用ドレス、バイキング料理、アルコール、 濃いオレンジ色のこの世のものとは思えない落日。そのホテル以外の観光施設がなかったのでホテルの 周辺を少し歩くと土地の人たちが浜辺(ほとんど急深)で採取した海藻など持ち帰る姿に出会いました。 素朴で観光化されていない頃でしたが今はどうなっているか・・・何回も訪れた(ジャカルタから1時間 なので)バリより飾り気のないロンボク島が好きでした。若い女性が試し織りした価格の安いイカット は今私の部屋の入口にぶら下がっています。完成されていない色具合織り具合が魅力的です。

 友達の輪 ヨガの時間 (2012年6月1日)

熟年で初めての海外生活でしたがなんといっても大切な財産になったのは ”友達”です。日本では決まったパターンで忙しくしていた暮らしでしたが、 日常の安心という意味では細かい点に注意しなくても日々過ぎて行けました。 慣れない土地ということからか、出会う人すぐにお友達になれたり人の紹介 で新しい出会いが有ったりの連続。毎日の緊張感の中で唯一信頼できるのが 友達でした。 幼少のころの運動不足からきわめて体の固い私でしたが友人の誘いで”ヨガ”を 初めて滞在中6年くらいは続けました。先生はインドネシア人でしたが日本語 も”吸って〜吐いて〜””寝る〜横むいて〜”など頻繁に出てきます。本格的なヨガ と比べると柔軟体操程度(逆立ちしたりは無い)。それでも私にとってはつらい こと多々。何しろ巨大肝のう胞が肝臓にあるので横ひねり、前屈伸をすると痛いわ 痣はできるわ・・・主治医に申告しましたが彼も経験がないから理解できないと 思いました。それでも唯一の運動でしたし、友人と出会いそのあとのランチやお茶 が楽しくてうれしくて週1回片道車で1時間以上の道のりを通いました。 あちらのアパートや集合住宅には運動施設が完備されていて、仲間でいろんな運動の 先生を呼んで教室を開くことができます。ヨガ教室も友人のアパートの施設の中にあり代々 受け継がれた由緒ある教室でした。そこに住んでいる人が居て初めて教室を持てるので 住んでいた方の努力の賜物です。 ヨガの時間が終わると着替えの間にランチの場所を決めます。日本食レストランも沢山 出来ていて大きなショッピングモールの中のイタリアンとか中華、都心の焼き肉店・・・ 車での移動ですので日本では考えられない贅沢さ。これは日本に居たら経験できないことの ひとつでした。カロリー摂取の点では問題だったに違いありません。又個人の家でお茶を する時もお手伝いに電話して”今からナン人行くからコーヒーの用意しておいてね”なんて 言えるのです。もちろんお手伝いのいない人も多い状況。しかしいる人は楽をしていました。 映画館もあちらは普通の日はガラガラ状態で(立派なつくり)250円くらいで見られるので マイケルやゴジラなどヨガ友達で見に行ったりしました。人があまりいないので寒かった記憶が。 ランチの時の話題は使用人問題とか・・・私など一番相談していた人かもしれません。 家族はそれぞれ仕事で頭がいっぱいなので相談する相手は友達のみです。それで救われていました。 日本全国から海外赴任していますのでいろいろな地域の方と友達になれます。帰国してからも 特にヨガ友達は連絡が良くてうれしい限りです。 ヨガの先生は女性でとても痩せていました。若いころは体が弱かったらしく、年代的に多分 インドまたは欧米人から教わったのではないかと思います。長年日本人に教えているので日本語は 上手です。年齢はどう見ても60代でしたが、最後のころ体調を壊されて立つことも難しい状況のころに 初めて本当の年齢を聞いてびっくり。80歳を超えていたのです。座ったままで指示を受けながらの ヨガが続きましたがどうもマイナスのオーラが感じられてしまい結局は教室も閉じることになりました。 太陽のポーズとかプリントまでしてくださいましたが、無精者の私はほとんど実行せずに脂肪肝突入。 体重減らせ、運動不足、と主治医にしかられていますが犬の散歩くらいしかしていない日常です。 友達の輪とヨガの時間は本当に特別な楽しい思い出です。それと病院でCT撮影の時に少し長い時間 息を止めていられるのもヨガのおかげです。何しろこのところ頻繁に検査がありますので。 ヨガの先生がお元気で庭の芝生の上などで瞑想されていることを祈るのみです。

 唐辛子パワー (2012年5月31日)

昨日は通院の日。抗生物質効果は持続している様子でした。しかし主治医曰く 今度高熱痛みが出たときは救急車で来てください・・・、夫に告げると彼は 本当に救急車が乗せてくれるか調べないといけないと言う。娘が幼稚園の時に マイコプラズマ肺炎になり1度乗せたときは、車内でむっくり起き上がり”これが 救急車なのね?”車はすぐ近所の医者に行きました。私の番に備えて今のうちに説明書 を書いて置き係りの人に渡そうと過剰反応しています。もちろん1人で呼ぶときのために。 ここは日本なのにどうしてこうなるのか・・・本当に苦笑するしかないです。 何とか一人で交通機関を駆使していきたいところです。 ジャカルタ時代、暮らし始めてすぐに唐辛子は現地人のパワーの源でなくてはならない ものだと知りました。緑色や赤、黄色、オレンジ系・・収穫の時期も場所も違うようです。 道端のワルンからレストランまでいつもあるのは小さな緑色のチャベ=唐辛子。チャペ というと疲れた〜などの意味になり間違えていた最初のころよく笑われていました。 地元の人たちがチャベと呼ぶ赤い小さなくちばしの長い、歌が上手な鳥もみかけます。 小ぶりの俵型のエッグコロッケのよこに小人型の緑色チャベがあるのはすぐに食欲を誘う ものになりました。そのチャベを酢につけておいて料理に使ったりする裏ワザもあります。 コロッケ一口、チャベ一口・・これが結構病み付きになります。もちろん時々のメニューですが。 お手伝いに聞くと現地の人達誰でもが唐辛子好きではなさそうでした。おなかを壊す、辛いから 嫌だという運転手もいました。しかし大方の現地人は収穫期別に生のものを購入してさまざま (サンバル=ソース、スープ、サテ=串刺し焼き肉、彼らの味噌汁=ソトなど)な料理に使います。 天候により唐辛子の収穫が少なくなり値上がりするときもあり彼らにとっては大問題です。 私は日本の鷹の爪の種を蒔いてみました。どんどん成長して鉢に植え替えました。あちらの 地植えは土に負けてしまうからです。白い花が咲き、実がなるね〜と期待していたら少し 小さな緑色の唐辛子が見えてもすぐなくなるのです。運転手がお昼(彼は運転手前の若い頃 レストランの下働きをしていたので自分で料理ができ、お弁当もつくってくる)に摘んで食べて しまうのだとわかりました。がっかりしましたがあきらめました。 お手伝いに、日本では年に1回しか収穫できないから乾燥できるものは乾燥して(シイタケもあちらには 沢山ある)保存するんだよと教えて自分で天日干しした大量の唐辛子を上げたりしました。家で利用したか どうかは不明。パサール=市場で新鮮な野菜や鶏肉(海の生魚は希少な様子)朝作った豆腐やテンペ、 つみれなど購入して食べるのが一般的。忙しい人は道端のワルンで食べる。母親に料理を教わらない人も ワルン利用が多いようです。運転手の一人はガス代を節約するためにワルンで買うと言っていました。 やはり田舎で母親の手伝いをしてなんでも覚えたお手伝いは賢いなあと感じたものです。 日持ちする豆腐やテンペなどにはホルマリンが使われているともっぱらの評判でした。日本から輸入 されてくる高い日持ちのする豆腐を見て慣れないお手伝いはぎょっとしたはずです。 彼女は医者の勧めで黒米を食べていました。お弁当を持ってきている様子でした。お手伝いの部屋には ガス器具や水道、炊飯器、扇風機、ラジオも置きました。事務所が用意する泊まりの人用ベッドもあります。 いちいち鍵をかける部屋なので昼間でも面倒でほとんどのぞきませんでした。最初のころのぞいてしまい 結構ショックなこともありましたので。欧米人はその点慎重で、隣のドイツ人は玄関から入らず家族全員が 使用人の部屋横の勝手口から出入りしていました。さすが〜と感じました。時々お手伝いがお昼のお弁当 に持ってきたお菓子をもらったり、私も余分な御菓子類は即あげたり、知らないうちに見慣れない手製の お菓子が冷蔵庫の中に入っていたり・・楽しいやり取りがありました。 レモングラスを買い、残りを土にさしておくとすぐに茂みのように増えるのもうれしい思い出です。 バラは土に負けてしまい全滅しました。今、我が家のバラがアブラムシに負けないようにハーブ(たくましい シバ固めのミント、生い茂ったローズマリー、マリーゴールド)で囲んでいます。カルフォルニアライラック のつぼみはほとんど枯れたので摘んでしまいましたが、2,3水色の香気を放っています。また新しいつぼみ も出てきました。クランベリーの花も満開なのです。ひとつ枯れると他のが生き生きとしている・・ 植物のパワーに毎日元気をもらっています。植物に感謝。

 及び腰のコウキシン (2012年5月29日)

たびたびの嵐のせいかベランダのビワは実をたくさんつけたまま全滅で枝も 切りましたが、来年は芽が出るかどうか。大ぶりの野ばらのようなバラが満開 になりつつありますが早アブラムシがついていて、指先を緑に染めながら退治中。 植物の管理は大変です。くろまめさんの畑のお世話も手が抜けませんね。 インドネシアの暮らしで大変だったのは運転手やお手伝い等使用人とのお付き合い でしたが、土地の様々な情報などはほとんど彼らから聞いたりしたものなのだと 今更ながら思います。私は現地では現地人に見られるという得(?)なこともあり ほとんどの方が気楽に接してくれました。現地妻と日本人男性という見方をされて 居た節もあります。いろんな国際的カップルが多い外地では違和感ないのですが ここ日本では困ります。まだ外人風に見られることが多く、いっそインドネシア語か 英語でもしゃべってやろうか・・なんて思うとこもあるくらいです。 今あちらは乾季入りですが、8,9月ごろのお正月(毎年その年の断食入り、明けが上の 指導者から発表される)ごろになると人々はいろいろな計画を立てて家族、親族との 交流を楽しみます。我が家で働いたお手伝いは2週間休みを申請(ボーナスも出す し、断食明けには箱入りクッキーとかジュースを何個か用意する)する人が多かったです。 私も泣きついて10日くらいにしてもらったり。お手伝いによっては隔年でお里帰り する方もいてそういう人には期間中の給料は倍額出します。運転手にも期間中は普段の 倍額で日払いしたりします。 ジョクジャカルタあたりからの出稼ぎ者が多くもちろん他の地域からもたくさん来ますが そこの出身者は勤勉だという評判でした。ある若い運転手は最初街中のお屋敷で (多分中学出た位)雑用をしながら働きそのうち自動車の免許を取り、運転手として 働いたと言っていました。故郷には4,50代で夫を亡くした(単身出稼ぎなどで体を壊す) 母親や沢山の兄弟が住んでいるとのこと。成長すると順次出稼ぎなどで家を離れるとのこと。 宗教上の理由で奥さんを何人か持つ人もいるらしいが、単に寡婦の生活の面倒を見るという こともある様子でした。現代では女性も強くなり離婚のもめ事も多々ある様子でした。田舎では 唐辛子とキャッサバ(イモ類)しか取れない畑つくりで食べていくだけで精いっぱいだと 若い運転手はこぼしていました。 結婚を申し込むときにお金が沢山いるらしく若くて貯金のない人は借金で大変らしいです。 しかし紙1枚で公の場所に登録する方法もあるとのことですが、いまいち掘り下げて聞けませんでした。 仕事一筋で(外資系で英語を使い高級を稼ぐ)婚期が遅れる女性も増えているらしくどこの国 も同じようです。今では通勤にバイク(新旧色々)、さらには車が欲しい。我が家のバン(トヨタ)も 10年使用したものですが車検怠りなくエンジン快調だったので運転手もお手伝いも購入したい と申し出ました。高い方に売る、という夫でしたが結局お手伝いが親類からお金をかき集めて夫の 会社まで出向いたようで彼女1族が購入しました。多分親戚で回し使いするのでしょう。 レバラン(お正月)辺りには住んでいた近所でも様々なお祭り行事があり、その中の一つに 青年団や学校の子供がリーダーになり取り仕切る楽しいものがありました。竿の先に自転車 などくくりつけて裸足でのぼりゲットする遊びです。近くで見ることはありませんでしたが そのような行事は青年団みたいな人たちが中心になって行っている様子でした。昔日本に 在った隣組のようなものもあると聞きました。どんどん近代化されて行くので消えていく 運命のものもあるのでしょうが、何となく古き良き時代と進んだ現代が混在していて未来社会 のような不思議な国です。CGで自国をそんなふうに表現をする若者がいて、建築設計案なども そんなアイデアに彩られていて(ローカルTV)面白いなあと思いました。

 犬の目線 異国暮らし −5− (2012年5月28日)

犬の目線で書くのも難しいです。主だか女主だか意味不明になってしまいました。 適当に訂正して読んでね。勢いで書くことに意義があると家族にも力説してます。 最後に4年近く暮らした郊外のコンプレクスの中の1軒家は主の友人たちも心配して 見学に行ってくれた。その時玄関横のナンカの大木から赤アリが飛び降りて足に噛み ついた。今から思えば何かの忠告だったに違いないが何事も始まらないとわからない 国なのでその後もまたいろんな経験が待っていた。何も知らない方が冒険はできる。 郊外なのでべチャ(自転車タクシー)やら飾り立てた仔馬の乗り物(子供たちが乗る)、 小さな空き地にいきなり現れる移動式遊園地(メリーゴーランド、風車などの小型版)、 など都心近くと違いのどかな光景も見られた。裏門から車で色々なわき道を使いながら 街に向かうときは好奇心で窓に張り付く。国際的な人種が暮らすところだったが特に イギリスの学校の先生が多く数十人は居た。運転手もいつもそこのイギリス人宅で 仕事をしてきた人なので(近所に住んでいる)英語も道もよく知っている人だ。 何か注意すると前を向いたまま”フフ―ン”という人でちょっと尊大。 もちろん主も負けずに意志疎通やらに努力したのはいうまでない。 犬が大丈夫とはいえやはり現地人は宗教上の理由でほとんどの人は嫌う。犬を飼っても良い所 なので大型から小型まで沢山いる。日本に長く住んで、その時はイギリスの学校に就職して いた英国人は日本語がペラペラだった。イヌを飼い、ドッグランまで事務所と交渉して 作ってしまった。その後3匹まで増やし厳しいしつけをする姿をこわごわ見ていたものだが 帰国の際には連れて行かなかったと風の便りで聞き、主共々落胆した。 欧米人で主以上に現地に興味や愛着を感じている人は多い。べチャを購入して自分の子供2人 乗せたアメリカ人のお母さん先生がすぐ目の前で、なにかにつまづいたのか子供を放り出す 事故を起こし縁石に頭をぶつけた男の子がわんわん泣いている光景にはびっくりした。 べチャで坂道を登り、自宅周辺まで来るには相当な腕力脚力がいる。体格の立派な女性では あったが張り切りすぎたといえる。お手伝いも母子でそこの欧米人宅で働き料理も語学も 習得して普通のお手伝いより高級な給料を得ている人も多かった。しかしそういうプロ意識 の強い人を使いこなす日本人は少ない。冷蔵庫にまで鍵がついていたついこの間までの習慣や ドアというドアに鍵がついている現在も生きている習慣・・雇用関係は慣れないので大変だ。 主もお手伝いにオーブン料理などの勉強に(海外系スーパーでそういう教室があった)通わせ ようと考えたがまた脂肪が増える料理を作らせるのもいけないと思いやめた。欧米人はベビーシッター、 料理専用、掃除専用と3人くらいのお手伝いを使う。1人、それも通いのお手伝いさんは洗濯、掃除 夕食の下ごしらえだけで手いっぱいなのだ。日本食スーパーまで片道1時間以上かかる場所なので お手伝いが休みのときは掃除洗濯(これも鍵を開けてお手伝い専用の部屋を使わないといけない) だけでヘトヘトの主であった。しかし若いお母さんでお手伝いを使わず自分でなんでもこなす人も 居た。海外経験が多い人なのだろう。主のように熟年で初体験と違い楽しんで要領よく生活できるのだ。 お手伝いが最初に、自分の子供(小学生)の制服をここで洗濯アイロンしても良いかとたづねたのは 不思議だった。主が聞くとなんでも3種類くらいの制服を決まった曜日に着用する必要があるらしく 雨の多い国故自宅では間に合わないらしい。生乾きの汗臭いにおいはなぜ起きるのか…お天気のせいだと わかるまで時間がかかった。外でよく観察すると本当に曜日で色違いの制服を着ている。学校により 色合いもさまざまである。土曜日にはボーイスカウトなどがあるらしくまた違う服装も見られた。 洗濯して清潔なものを着るという指導なのかどうか、このことは判明しないまま終わった。 動物サロンでの嫌な経験から主は極力自宅で犬の洗濯もすることにした。お手伝いの休みの土日 に風呂場の浴槽で格闘していた。浴槽のある部屋の上に換気扇をつけてもらったがそれは天井に穴を あけて換気扇をはめただけで、天井裏のゴミをかき混ぜるだけの代物だった。煙突を付けても外まで 延びているものは少なく天井裏につながっているだけの手抜き状態のものが多い国であった。 いちいち怒っていたら身が持たなかったのである。主ももう少しノー天気に暮らすべきだった。 イギリス人のおばあさんでも見つけてお友達になろうと思った夢ははかなく消えた。家の軒下まで 車で入りささっと家に急ぐ生活。用もないのに一人で外をうろつかない。リスクの多い国に暮らす 外国人は皆注意深い。唯一インドから来た若い女性は英語も堪能でイヌ抱っこも大丈夫だった。 まだ学生だけれど帰国したら親の紹介の人と結婚しないといけないと言っていた。インドから家族 で来ているおばあさんは、夕暮れ時に一人で散歩(険しい顔つき)、一人で芝生の上で瞑想していた。 当地の柄など好んで着ていた主は日本人ではなくインドネシア人に見られていたようだ。

 犬の目線 異国暮らし −4− (2012年5月27日)

私も石が大好きです。幼少のころ暮らした山の石灰工場の採掘場周辺には化石や六方石、 水晶、黄鉄鉱、黄銅鉱などがあり一人で花崗岩の裏をひっくり返したりしていましたよ。 あーあ、考古学か生物学の分野に進みたかった・・・以前めったに見てもらわない 占い師がその世界が合っていると教えてくれました。今は絵の中に石の感覚を取り入れてます。 何事も思うようにいかないのが人生でしょうか。 2回目の引っ越し、3回目の住居は女主の希望で安め、広め、文化的地域に近いところが 選ばれた。主は業者の案内や飛び込みと実に熱心に捜し歩いた。あちらでは1軒家(集合)か アパート(マンションとは呼ばない)どちらも電話番号を調べて予約したり、または通り すがりに良さそうなところを飛び込みで見せてもらったりした。イヌが飼えるところはごく 少なくて(いないと日本では住めないリッチなアパートにも住める)苦労する。引っ越しは 200個くらいの荷物でも日本の半額(5万円くらい?)で出来る。それは会社持ちではない ので滞在中の出費は痛い。無駄なエネルギーとお金を使ったのかもしれないし、ストレス発散 に役立ったのかもしれないが今となってはどちらかわからない。意外と簡単に引っ越す人も 多い国ではある。日本では考えられない。 それは四辻の近くにあり、ペットサロンにも10分くらい。いつも出かけていた画廊もすぐ近く。 夜はジャズ喫茶やマティーニの世界かと思いきや、あまり近くにあるとほとんど出かけないものだ。 アパートの屋上にはプール、ジャグジー、どこにでもあるアスレティクルーム、サウナ・・・ しかし女主はどれにも1度も行かずじまい。オーストラリア、ニュージーランドの学校が近いせいか 海外からの住人、国際色豊か。裏にはにはジャンブーの木が沢山あり、リンゴのような白い花が 3,4か月おきに咲き種ばかりでジュースにしかならないが(この手の果物はさまざまな種類がある) 沢山なる。実がなると本当はいけないのにセキュリティーが外の身分証明書を持たない人をこっそり 入れて木に登らせているのを見た。裏庭まで行っても10分散歩。ここは犬にはありがたくない 環境だった。窓から小さなお墓が見え、人が憩いに来るようにお参りに来るのが見えた。 そこにはあちらの幽霊もいた。主は見なかったが語学の先生もご存じ。どうやら階段に座るおじさん らしく特に何をするというわけでもないらしい。そこに住んでいた日本人の小学生も主と同じ語学 の先生に習っていたが、その子には見えたらしい。隣接してモスリムの大学がありその騒音も ある。崖上にあるお墓の下にあるバナナの、あまりの大木の姿が妙に怖くて通るたびに無視できない。 セキュリティーが甘いのでたびたびクレームしたり、いきなり観れなくなる日本のTV、塀越しに 簡単に忍び込める環境、引っ越してみて初めて分かることが多い。主とお姉ちゃんの会社に近いのが 取り柄のところだった。 1年たったころ以前よりたびたび見学に行っていたが主の会社まで2時間かかるので没になっていた コンプレクス(某ホテルチェーン経営)からクリスマスパーティ―のお誘いメールが来た。 運よく高速道路へのバイパスが完成していて主の会社まで1時間少々で行けるようになっていた。 熱心なお誘いと広い敷地、見事な植栽には以前から(あちらに行ったばかりのころ友人の家があり 遊びに行っていた)とても興味津々だったのでまたまた転居の予定になった。なんといっても そこの家は1軒平屋のつくりでアトリエ用の部屋が理想的に広い。日本では絶対持てない広さ。 犬は主について回るしかない。冷たい石の床があれば大丈夫さ。優しいお手伝いが居ればもっと 幸せ。ノー天気な性格で本当に本当に良かった。郵便物は転送してくれないお国柄なので 日本からのお手紙がどんどん少なくなる女主であった。

 犬の目線 異国暮らし −3− (2012年5月25日)

主と犬はよく似るというが本当だ。好奇心が旺盛で臆病同志。 ドライブが大好きだが動物病院かペットサロン以外車には乗れない。運転手が 窓を開けられたり、降りた後にものすごい勢いで掃除をするのを見るとたびたびは乗れない。 ”マ―フ=ごめんなさい”といいチップも上げる。自分のうちの運転手でもお手伝いでも 特別なことを頼むときはチップが有効。彼らの生活は苦しいので助かるのだろう。 都心よりの家から1時間かけて動物病院やペットサロンに行く。愛想のいいセキュリティー に送られてコンプレクスの前の小さなどぶ川を渡る。このどぶ川は近所の家の生活排水だ。 スコールが降ると外でシャボンを付けて体を洗うというのは昔教科書に出ていたと主は記憶 している。地方から上京して身分証明書を持たない人たちの生活は今も大変だ。オーオーという あちこちで見るパン屋の工場は普通の住宅で中は全く見えない。ちょっと食欲購買欲が失せた。 レバランになると大きな紙袋に入ったものを喜捨する製糖会社のお屋敷のところを曲がると 一面のお屋敷街を抜けていく。現地人や中華系欧州系・・・昔暴動があったときはすっからかん になったところも今は人気のお屋敷街である。ブンガカンボジャの赤や白、ピンクの花の木が のぞいていてヤシの緑と相性が良い。 それぞれ工夫されたデザインのこぎれいな家の通りをさらに抜けると、仏系スーパーや新築アパートメント などがある大通りに出る。主の膝の上で道端の様子やオートバイの群れ、道脇にひしめく屋台やら 収穫した後黒くなるまで木にぶら下げておく(現地人は黒いバナナが好き)バナナなど飽きること なく眺める。オートバイを購入してそのローンに追いかけられながらも若い男女はすごくうれしそうに 共働きの出勤中。生活は大変だろうに腰にしがみつく女性は幸せそう。ちなみに宗教上の理由でふつう の女性はしがみつけないので横座りしたりつかむところを探すのに大変そう。オジェックという バイクタクシーが庶民の乗り物でバジャイという超小型極安タクシーも値段交渉して乗る庶民の車。 主は両方とも乗らなかったが友人で使用している人もいた。欧米人は割合とよく利用している。 バジャイの車の煙は半端じゃない。あれは多分大気汚染の源の一つだ。安いガソリンを使用している。 主があまりオートバイを熱心に見るのである運転手は”ニョニャ=奥さん、もバイクに乗りたいのか” といわれる始末。日本のバンの行く末も見た。相乗り自動車になって穴が開いてもさびても老体にムチ 打ってどんどん働いていた。小さな道のどこにでもあるバンの相乗り自動車。日本にもあるといいのに。 自転車の前にビニール屋根の椅子を置いた乗り物=べチャも町はずれにはあり、老人や妊婦や体の 悪い人などが利用している。とにかく日本の車、バイクがひしめいていて売れているのは有難いが 空気の汚染が心配される。 道端には年がら年中屋台=ワルンがある。日本のお好み焼きみたいなのや鳥、バナナのから揚げ、 果物や野菜のサラダ風、サンバル(にんにく、赤こだま玉ねぎ、トウガラシ、エビの粉などをすり鉢 で擦り合わせる)を付けて食べるらしい。ガドガドという茹で野菜の上にサンバルとピーナツソース の混ぜたようなのをかけて食べるサラダは主も好きでお手伝いさんに時々おねだりしていた。 くずもちのようなお菓子やもち菓子、雷おこしのようなの、日本でも見かける食品に似ているものが多い。 御菓子類の甘さはすごい。パームヤシの揚げ物とお菓子の砂糖で内臓はノックアウト。紅茶にもたくさん 砂糖を入れる。でも最近の賢いお手伝いの一人はごく少なめにしていた。暑さに負けず元気を付けるのに 習慣になったのだろうか。ココナツやし(種類は?)の中の白い果肉も混ぜた天然ヤシの実ジュースは エナック=おいしい。主はお手伝いさんにねだって時々作ってもらったが料理過程は見ない方が良いお国柄。 ジュルック=青蜜柑の汁を足すのが秘訣らしい。 小さな道をくねくねと辿り(昼時はすごい渋滞、大雨の時は1mの洪水になる)いつもの画廊の赤レンガや ブティクのおしゃれな洋服、イタリアンや人気の現地のレストランのあたりに動物サロンが見えてくる。 がっかり。主は3時間くらい待つ間に日本の名前がついているマッサージチェーン店やモールに行くのだ。 お天気さえよければたった1時間でも興味津々のドライブ。

 犬の目線 異国暮らし −2− (2012年5月22日)

今年のカルフォルニアライラックはつぼみのまま枯らしてしまいました、 鉢替えをちゃんとしなかったせいです。ビワも沢山なったのをそのままにして 居たせいかいまだに青いままで葉っぱがカビ病です。残念。ほとんど切り 少しだけ残しましたが・・ベランダの花は綿毛になると飛んで迷惑をかけるので 毎日枯葉や枯花の除去を欠かせません。オリーブには沢山のつぼみが付き 2種類植え込みましたので実がなると良いです。木に実がなるのは大きな希望。 さて、ジャカルタでのイヌの生活。楽天的な性格でまだぼーっとしているばかりの 5歳。2度目の引っ越しでいきなり思いがけない脱走をした。引っ越しにまみれて 家族の目がそれていたときに、2階と3階を使用したつくりの家の玄関から石段を下りて 敷地の中とはいえひとりで外に出てしまっていた。”お母さん、この犬どこの? 捨て犬だったら飼ってもいいの?”近所の男の子が2人大声で話しているのを聞いた 主があわてて降りてきた。 それからは玄関の前にサークルを。ここも御散歩は10分で1周。母主は近所の犬友達 と1時間もぐるぐる回ったりする。ここは2年住むことになる。塀のすぐ外で家が1件 燃える火事もあり(主は3階のベランダからそれを見たとき頬が熱かった)びっくり。 セキュリティーもあわてず、事務所からも連絡なし。細い路地に消防車が来たり野次馬が 沢山出たりするのを眺めるばかり。御国事情が違う。 毎年のイヌの狂犬病予防注射とか混合ワクチンは絶対忘れてはいけない。犬ノートに記入した ものは帰国時の証拠になる。また2年に1度のブロードチェック。わざわざイギリスに 血液を送り証明書を取得する(動物病院に高い手数料を支払う)。これも必ず取得して おかないと日本に入れてもらえない。成田の動物検疫は厳しい。特に狂犬病発生(バリとか) が近いので余計に厳しい。母主は業者に任せず自分で書類を整えたので帰国時成田との メールのやり取りで結構苦労した。 動物病院はラグナン動物園のよこに隣接する結構大きな病院に行った。日本の麻布獣医科大学 を出た先生がいて主が友人に紹介してもらった。日本語のできる先生はその後じきに移動して しまい、片言日本語の先生もいたりしたが数年のうちには現地語か英語のみの先生になった。 引っ越しに伴いほかの動物病院に変わったりした。ペットサロンと動物病院を経営している 中華系の店は結構繁盛していて何年もお世話になる。しかし店を改装して人を増やしたあたり から問題が起きた。嫌なことをされるとうなったりしたせいか、煙草を押し付けられたり 棒で殴られたりしてこぶもできた(原因がわからない主は同系列の動物病院に行ったところ判明、 良心的な若い女医さんが理由を教えてくれたが、彼女は雇われている身でそれ以上はできない) サロンが急にトリミング前の承諾書にサインさせたのが変だと、主は考えた。 その後日本語のできる先生が自立して(日本のチェーン店と提携)海に近い中華系が多い辺り (犬を沢山飼う地域)に開業する広告を見て、車で1,2時間かけて行ってみた。 商売の欲も出ているのか昔のイメージとは違いがっかり。遠いので没になった。 泥棒よけに犬を飼う現地人もいるが犬をかわいがっているのかどうか・・・ホースで水を 毎朝かけられている犬をみかけた主はその犬が毎日生きているかどうかだけでも気になった。 辞めていくお手伝いにひげを焼かれたり、虐待されたり(数日主にも寄り付かず椅子の 下に潜り込んでいた)もありやれやれだ。イヌがご法度の国で暮らすほかのイヌはどうだったのか。 それぞれ苦労があったに違いない。もちろんその後優しいお手伝いに出会うことになる。

 犬の目線、異国暮らし−1− (2012年5月21日)

金環食、撮ったね。すごい。我が家は廊下が騒がしいので夫とかわるがわる のぞきましたが片目では無理。人間も宇宙の大きな流れに乗っていくのみで 心をおおきく持たねばと・・などと考えて道を歩いていたらどら焼きのすごく おいしそうなのを売っていて・・脂肪肝も忘れて購入。病院帰宅のお茶がしに。 あ〜軟弱ものです。新宿方面はおいしいものを沢山売っているので恐いです。 ジャカルタの思い出が少し途切れてしまい思いついたのが我が家のわんこ目線。 ただ今12歳と6か月。大柄の狸顔(体も)ポメラニアン。名前は”リンゴ”。 ぜんそく持ちの主の留守(単身海外赴任)に家族になった。犬の毛は大丈夫と ペットショップの主が言い1宿泊。風邪をひくわ下痢はするわでお世話が大変で 母主が返すことができなくなってしまったイヌ。今では主と同じぜんそく持ち。 海外赴任のために大勢の人が住居に出入りして相当ストレスの2004年2月 はじめ、獣医さんに用意してもらった英文の狂犬予防済みレターを携え、成田 の動物検疫もパス、成田では早朝出発に備えて主と別のペットホテルで宿泊。 まだ4歳だったので少しボーっとしているうちに飛行機の貨物室へ。 獣医さんに少し睡眠薬をもらった。飛行機には2匹しか乗せられないとか? 犬がご法度の国に出発したのだ。もちろんあちらでは主があらかじめ業者と連絡を 取り入国審査の準備怠りない。書類手続きは結構厄介らしい。金額も高い。 あちらの国にしてはめづらしく素早い動きでアライバルでは、吐き出されてくるスーツケースの外に ポンと置かれてびっくり。インドネシア語のかったるいナレーションが響き渡り、荷物持ちます (5千円とか1万円とかいっている)の人たちがうかうかしているとスーツケースやらに手をかけてくる。 ”ティダウサ=いらない”といい、1年ほど先に来て勉強していたお姉ちゃんがきっとにらみ 付けるのが心強い。香辛料の臭いや汗のにおい、雨が来そうな夕方の知らない町に行くために 犬がだいきらいそうな運転手が運転する車で出発。母主が頼り。 最初に住んだ所はテラスハウスに囲まれてプールやテニスコートもある、めづらしく日本人や 犬たちがたくさん住んでいるところ。当時は日本の商社が開発した日本人向けのところが数か所 あったが今では現地人や中国人がオーナーになっているらしい。お散歩コースは裏庭から 芝生のある内庭周辺。のんびり歩いていたら親子猫に出会い危うく母猫に噛まれるところだった。 びっくりして、それ以来猫嫌いになる。猫を見ると吠えてしまう。御散歩は10分か15分で 終わってしまう広さ。何周もすると沢山歩けるわけだけど。 母主が出かけるときは1部屋に監禁された。お手伝いが犬に慣れないのでとりあえず迷惑 掛けないようにとのことらしい。コンクリートの壁に体当たりしたり、木のドアを蹴飛ばしたり 主が帰って来るまで吠え続けた。何回かそんなことが続いたが主がかわいそうに思い玄関に サークルを置き、1,2階を自由に歩けるようにしてくれた。お手伝いもよけて歩く。 足(素足で汗臭いので犬には魅力的)は絶対なめてはいけないらしい。イスラムでは犬の唾液 が超悪い。なめられたらお祈りを沢山して神様に許しを請わないといけないそうだ。 お互いに何となく避けて歩く生活が始まった。 あちらは年がら年中30度の国だが、床がタイルや大理石なのでおなかをぺたーと貼り付けて 干物状態で寝ると気持ちがいい。根がノー天気なので割合と元気で海外生活のスタート。 ゴロゴロと雷の音が聞こえだすとまたスコールだ。雷は日本よりすごい。音も半端じゃなくて しょっちゅうあちこちに落ちる。雷が鳴っている間中吠えまくるしかないのだ。 雨と風と犬のわめき声の協奏曲。近所から迷惑コールがないのが唯一の救い。

 異国での入院 (2012年5月19日)

ひよこまめちゃんかわいいね。私も一人娘を育てていたころを思い出しました。 女性も子供を持ち、家族優先の生活になるとだんだん強くたくましくなるよね。 お孫さんの畑デビューが待ち遠しいですね。楽しみにしています。 昨日は通院でした。又頻繁に病院通いですがこの病気にも辛抱する気持ちが出て 来て、負けないという姿勢になってきたのは不思議です。今回まだカテーテルは 使わないという先生の言葉を聞いてちょっぴり安心。帰りに雨風にあい狭いバス停 で見知らぬおばちゃん同志傘を分け励ましあい何となく暖かい交流でした。 帰国して初めての感覚かもしれません。お互いの暖かい笑顔と慰めあいは風雨を忘れる 時間でした。 病院に行くときの電車の高架から大きな川からの支流あたりに魚影を見て、魚も 嵐を予期すると退避するのかと。多分鯉のような大きくなる魚だと思います。 以前住んでいたところでは運河がありスズキやボラの大きな魚が遡上しているのを 見ましたが,電車の高架から見下ろした魚影は初めてです。一面の若葉の季節は 長い間見ていなかったので本当に目が釘づけ。 病院の帰りにジャカルタで夫が入院したことを思い出しました。 あちらに行ってから2年目(夫は会社のリーダーとして3年目)、ボンと夜半の騒音 で1度目の引っ越しをして1年目。家族全員お疲れ状態の時にありました。 不注意から湿気の多いかび臭いホテルに宿泊してしまいそれが夫のぜんそくの引き金に なったようです。40度の熱で震える指先の夫に所番地を書き込ませ救急車を断り 家庭車で1時間ほど離れた日本人向けの病院に入院。長年の持病の悪化でした。 その時雇っていたのは滞在中最悪の運転手。電車の通過待ちに車のドアを開け放して プリペイドカードを買いに行ってしまったので強く注意したところ逆切れ。 大声で言いたい放題。この方は以前にも私が市民大学で英語のレッスンをしていた時に 休講で即帰宅時、呼べども来ず。自宅に帰っていたようです。タイヤが空気漏れしたと 領収書(どこでも書いてもらえる)を見せられましたがタイヤにはセメダインみたいなのが 少しついているだけ。主の許可なしにこういうことをする人は居るのです。 雨と風の強い夕暮れの道とぬれた道路に反射する見知らぬ店店の明かりが心細い限りでした。 車は必要ですがタクシーは高級なのは大丈夫そうでしたが極力乗りませんでした。トラブル が多い国です。とりあえず翌日まで辛抱して翌日(お手伝いの友人でごく近所に住んでいた) 後のトラブルを避けて、慣れない語学ゆえ文章にしてお手伝いに伝えて高めの退職金を 払いやめてもらいました。その後も近所で出会うと睨まれて結構ストレス。 1日だけでも雇えるドライバーズクラブというところの運転手を雇いました。 病院で夫は高熱でしたが、あちらの国で街中にどこにでも売っているパナドール(抗生物質 いり?)を持参していたのを飲まされてびっくりしました。赤、白、青のカプセル入り風邪 薬は庶民の薬。また隣の部屋には地元の方が入院して(日本人病院は間借り状態のため) 居てそのにぎやかなこと。一族が満員状態で、食べ物は持ち込むし、子供老人沢山の見舞客。 廊下を歩いていても笑顔が多く日本の病院とは違う雰囲気。もちろん狭い視野で見たことですが。 街中でも車いすの老人共々家族全員で食事する風景はよくありました。少しお金を出すと年端 のいかない子供を雇い手伝わせることのできる国ですので、労働力の点では色々なことが 可能なのでしょう・・・格差の状況が違うようです。それが良いのか悪いのか考えると 混乱するばかりです。姉兄とはずいぶん遠く離れて暮らしている人生、少ない人数が気楽で 良いという感覚が強い自分を顧みる瞬間でした。

 抗生物質様 (2012年5月17日)

昨日は病院の外来の日でした。ここ数日のう胞が痛くなり、その痛みは 去年のものと違い不安に感じていたのでタイミングの良い通院でした。 朝からだんだん熱も出てきてのども痛いので風邪かと思いながら、新宿方面 の雑用(娘の鞄修理、時計電池入れ)などこなし、病院で読む本も購入。 朝熱を測ればよかったのですが体温計を先日犬に使い(肛門で測る) 購入してなくて測れず・・診察の時には37.6度くらいに上がっていました。 主治医が”これくらい大丈夫!”といつも言う人なのでだんだんそのペースに なってきていて”大したことないですね”と答えると、いやいやエコーは撮る レントゲンも撮る。のう胞の一つが炎症を起こしているらしくて、のう胞2ケタ の私には脅威。抗生物質を飲みまた金曜日と来週の水曜日に病院へ。 抗生物質はもらったその場で飲みましたが、その後実によく効いています。 また穿刺治療するのかは様子を見て、とりあえずカテーテルはしないようで一安心。 抗生物質は人により副作用が出ると説明書きにある通り帰りの電車の中で冷や汗、 むかつきで何度途中下車しようと思ったか。しかし快速は止まるけれど急行は止まらない わが駅。我慢我慢で何とか帰宅。夏日到来の日に気分も悪くなり大変な1日でした。 それでも何とかスーパーで20パーセント引きの化粧品を買って帰ろうとしましたが 足元がふらふらして、やむなくあきらめました。 ジャカルタで夜熱が出たときは、停電用に(冷蔵庫2個に買いだめしていたので) ペットボトルを沢山凍らせているのを使い、タオルを巻きつけて頭を冷やしていました。 日本人用の病院には片言日本語の美人女医と日本人看護師2名、地元の医者がいましたが 今一つで、難しい病気は日本に行ってくださいと言われる。日本人医師がアドヴァイスする 病院もあるが(日本人医師は直接診察できないらしい)私にとってはやはり今一つ。 ある病院で点滴を申請するとしてくれるので行ったところ、3度も注射針を刺してもだめで ”もういいです”といい帰宅。注射恐怖症が当分続いてしまった。看護師見習いの仕事とみた。 今の主治医は昨年2月初めて手術してくださり、その後帰国して8月お会いした時は スゴイお窶れお疲れ状態で(最初ハンサムでピカピカの笑顔、なんて素晴らしい先生と感激) 逆に目が離せなくなりました。なぜあんなにはつらつとした先生が短期間で衝撃的な姿に なったのか・・・せっかく忠告に従い帰国したのに。今はまた去年の2月にお会いした時と 同じなのでうれしいです。 かように、自分の病気より好奇心で生きていますので何とか生きながらえそうです。

 コウジの花が灯かっている (2012年5月14日)

風が強くなり新緑の葉ががひるがえって揺れる午後です。 くろまめさん、旅の疲れでダウンしていないと良いのですが。 私は2日動き回ると1日だらだらしています。 主治医は運動不足ですと言いますが。 私の投稿も勢い任せで、読み返してみると間違えやら誤字だらけで恥ずかしいです。 私の年齢一桁時代は電車ではなく,汽車あるいはディ―ゼル車でした。 又、1つ星ホテルではなく最高ランク。適当に訂正して読んでくださいね。 今は他の記憶を少し手繰り寄せているところです。 そのうち、デッサンや写真でも捕捉したいと考えています。 コウジの花、脳裡に焼き付きました。今まで花が少ない年が多かったのでしょうか。 花も実もあまり多い年は少し気になります。心配性でしょうか。 くろまめさんの人間性が感じられる飾らない世界が大好きです。

 命の水の力 (2012年5月12日)

くろまめさん、連日のお手伝いで疲れが出ないと良いですが。 新鮮な山郷の空気で癒されて元気モリモリなのでしょうか。 絵画展は来年もありますので、おうちに帰られたらゆっくりお休みください。 私はまた肝のう胞が大ききなってしまい周りの臓器が痛むようになりました ので、そのうち3週間くらい入院してのう胞を何個か治療してもらわないと いけないようです。今度は4mm位のカテーテル治療になるとのことで今から 泣いています。お若い先生がこの病気のことを沢山研究してオペしてくださる様 にお祈りするばかりです。この病気はまだまだ分からないことが多いそうで 難病みたいなものです。先生がほかの病院に移動してしまうかも心配。 見た目が元気なので本当に困ります。また星空(夜ですが)にお願いしています。 ジャカルタで記憶に残ることに”井戸”があります。井戸はどこの家庭にもあるらしく 多分昔の名残なのか。パム(水道)もありますが、河の水そのものが透明ではないうえに その貯水槽など見かけるとゴミ等浮いているものもあり(整備されたところもあるはず) 気分が暗くなります。コンプレクスの各家庭ではヤマハの浄水器を使う家が多く、飲み水 から家庭で使う水全部まで浄化できるものまで種類があります。 最後に住んだ家の庭には前住者が取り付けたのか、庭の隅に浄水器がありました。 会社払いとは言え契約料金が高いのか井戸水浄化の水は無料でした。 半年に1度フィルター交換してもらいましたが、それでも台所の水の出が悪くなったり していたので砂や小石が詰まっていたのです。浄水でない、井戸水使用のシャワーは 時々黒っぽい水が出てきてクレームしても簡単に治るものではありません。 また人口の多いジャカルタ市内です、井戸が沢山あって地下水は足りるのでしょうか・・ 汚染等の問題は・・・。雨が沢山降るとは言え、語学の先生の話ではやはり海に近いあたり の井戸からは塩気が感じられるようになっているそうです。 運転手の一人は、井戸水の色がついている最初の方は洗濯に使い、だんだんきれいな色 になると沸かして(現地人も飲み水はすべて購入したものしか使わない)料理等に使う といっていました。水道代はただではないので知恵を働かせて暮らしているんだなと 思いました。低所得者は良く電気も電線から脇線を引いてちゃっかりいただいている 状況もあるのです。”見逃す”という公の気持ちもある感じです。 普通家庭ではボトルタイプの水を事務所やトラックで売りに来るのを買い、5本くらいは ストックしておきます。これはガスボンベも同じ(詰め替えてもらう、2本くらいは自分 で購入)で、ボンベの重いこと・・中身が入っているのかどうかもわかりません。彼らには わかるようです。庶民用にはボトルを持ち込むと洗浄して水を詰めてくれる店がありましたが、 洗浄力は疑問。アジアのほかの国では地下水に危険なものが入っているのに使用していて その弊害が問題になっていますが、ジャカルタではそういう点理解度が高いようです。 日本の水道水はそのまま飲んでもよいのですごくうれしいです。あちらでソーメンを作る ときは大変でした。ボトルの水やペットボトルの水をたくさん用意しないといけないので。 エビアンしか飲まなかった夫も今では水道水でオッケー。水害が多い日本ですが、水の質の 高さにあらためて感謝。海外に住んでみて深く感じることができた”命の水”の力です。

 自然災害 (2012年5月11日)

昨日は午後横浜に居ましたが幸いヒョウには出会いませんでした。 韓国では過去に30cmもあるのが降ってきたとか、どうしたらいいんでしょうか。 ジャカルタで記憶に残る自然災害はなんといっても洪水です。10年くらい前、私達 が行く前年くらいか、最初に住んだ場所のすぐ前の一つ星ホテルの地下が洪水で埋まり その後も修復に手間取っていた様子。値段が下がればまたとないチャンス、アパートメント の方に住めるかもしれないと考えましたがそこは高級ホテル、値段を下げたりしなかった ようです。ガラガラしていても国際的に展開しているのでプライドが許さないのでしょう。 その後も日本人が多く住む集合住宅(道路から下の方に道が伸びていて、沢形態)の中に ある小さな川が氾濫(ボゴールの山の方で大雨が降り影響を受ける)してボートまで出る 洪水などが、結構あちこちでありました。オーナーが良心的にフォローするのでとどまる 人も多く、多分住み慣れた欧米人もそんなに騒がなかった気がします。一定の地域では 雨季になると数メートルの水に襲われている様子でした。もちろん我が家で働くメード たちの家も川沿い(値段が安いらしい)は膝あたりまで水が来ることはしばしばと聞き ました。1年契約で家を借りて住んでいる労働者が多く、そこは住むだけのつくりです。 ある日、街の方に車を向けていると家から10分少々の場所でヘリコプターやら軍隊の 服を着た多勢の人、ジープ、軍の車・・物々しい集団にぶつかりました。 しかしゴムボートを膨らましたり、がやがやと集合しているその人たちに緊張感が見られ ませんので、運転手曰く”軍の訓練だろう”。何となく不安でしたが買い物先に出かけて 居る間に運転手も仲間からかラジオからか情報を得ていて、どうやら土嚢ダムが決壊 したらしいということがわかりました。オランダ統治時代に水の確保のためかそういった 土嚢ダムがあちこちに作られて、現在はダムの真下まで家が建てられている状態。 100年以上たつと土嚢にひび割れが出たり危ない兆候は見られるはずですが・・・。 ローカルTVを見ると昨夜の豪雨で決壊して文字どうり寝耳に水状態で沢山の犠牲者 が出て、しかも川から海の方まで捜索が必要なのだということでした。 ゴムボートを膨らましていた理由が解明。しかしあちらのローカルTVはありのままに 報道するのでそれを見たときは相当ショックでした。又うかつにもそんなに近くに土嚢 ダムが存在するとは知りませんでした。流されたお屋敷も結構お金持ちの方が多かった ようです。 日本でも他国のことでは済まない老朽化がいたるところにある現状ですが、とりあえず 身近なところはチェックしておかないといけません。 シドアルジョ(ジャカルタからは離れている)というところでは、泥がどんどん湧き出して 止まらず家や町、ひいては高速道路脇あたりまで広がり多分今も湧き出していると思います。 火山性のものか、採掘の影響か・・国内外の知恵で解決を図っている様子ですが今ひとつ はっきりしないようです。これも恐い話です。火山島というところが似ている国同士です ので研究解明してほしいものです。

 携帯電話にまつわる話 (2012年5月10日)

くろまめさん、偉いなあと思いながら読んでいます。4人姉兄の一番下の 私は小さいときは別にして成長してからは、実家に帰っても墓参りくらい。 昨年の鬱状態から今は躁期なのか、どんどん投稿が進んでしまいます。 いったいどういうことなのか自分でもよくわかりません。肝臓からくるのか? そのうち鬱になったらどうしましょう。今度主治医に聞いてみないと・・・。 ジャカルタではついてすぐ携帯電話を購入しました。8年前、日本でもあまり 使う必要がなかったのですがあちらではどうしても要ります。家庭電話は 事務所やコンプレクス専用と自分で日本のように番号と電話機を購入しますが、 使用人は電話を持たない人も多く、今でこそほとんどの人が持っているものの 当時は携帯を持たない人もいるので連絡ができないためです。 駐車場にいる運転手を”カーコール”という場所でスピーカーで呼び出しもします。 娘にメモしてもらいそのとうりに係りの人に伝えて呼び出しますが,運転手と車が 見えるまでは本当に心配。携帯をお互いに持っていても運転手が通話中だと呼び出し 出来ず、いらいら。慣れない頃は見渡して車と運転手を見つけられる駐車場がある 所しか行きませんでした。慣れるともちろん、びしばし文句も言えました。 あちらではお祈りの時間というのがあり、待てども来ないので自分で時間調整 しないといけないということもじきに学びました。 携帯電話は日本と違いピンキリで購入します。ノキアがたくさん出回っていて フィンランドが携帯のパテントで大儲けして国が豊かになったという話にすごく 納得したものです。買い替え、売買も盛んであちこちにそういうお店が見られます。 電話会社と契約もしますが、たいていはプリペイドカードを購入して期間を継続 していきます。うっかりするとまた電話番号を買うところから始めないといけない ので大変。たまに偽物を買ってしまうと電波は悪いし,混線して変な人から電話 がかかってきたりしていやな思いもします。 ある日、携帯を水の中に落としてしまい使えなくなりました。不便なことに修理や は町はずれにしかないとのことで探し探し行きました。友人も同行してくれて 何とかたどり着きましたが、携帯を店の奥(見えないところ)に持ち込まれて不安。 修理して返してくれた袋の中には、今度故障したら私の名前に直接連絡してね というメモつき。”あなたのデーブです、携帯番号”。そのあとやっぱり変な電話 も来ました。その後も修理の後同じような電話が・・・。 もっとびっくりしたことは、店の若い女の人の修理能力です。小さなさえない デパートの地下で携帯電話の買い替えを相談した時、隣の席から見たのです。 カッターナイフで結構高そうな大きな携帯を(新か旧かは不明)こじあけて、 小さな部品をぜーんぶガラス板の上に並べていき、修理したのです。 どこで習ったのか聞くと、先輩の様子を見ながら自分で覚えたとのこと。 うら若い女の人の学習力のすごさに感服。こういうことがほかの世界でも 一般的な国なのかな・・・と思いました。器用な人たちです。 日本の携帯に慣れなくて夫も私も苦労しています。契約時に変なサービスも いっぱいついてきて1年くらい外せないし、どうなっているの!と憤慨。 自分が悪いんでしょうが、会社が賢すぎるんじゃないのでしょうか。 我が家はまだ家庭電話を引いていないので携帯が使えないときには、街中 のどこに電話があるのかすごく不安です。入院中携帯がフリーズして 使用できなくなり、タクシーで直しに行くか・・・いろいろ考えました。 病院内の公衆電話を思い出し地獄に仏。異国人状態でした。

 天然資源やら人情やら (2012年5月9日)

しいの実は小さいころ、やはり炒ったものを食べた記憶があります。でも 信州の私の田舎では椎はあまり見かけませんでした。栃の大木や朴の木、 松や杉木が思い浮かびます。昔は飢饉のために実のなる木を大切にしていた のでしょうね。クルミやハシバミの実を収集した私の前に、湖の遊覧船から 下船した観光客が寄ってきてガムやキャラメルと交換して・・といわれ、写真 まで取られて(後でちゃんと民宿あて送付された)、何のことはない今の インドネシアの田舎の子供と同じだったんです。だから妙にいろんな記憶が 鮮明で(ほぼ5,60年前の日本と同じ部分がある)困ってしまうんでしょう。 インドネシアは天然資源がとても豊富です。石油、天然ガス、ほかにもあるでしょうが 今思い浮かびません。しかし、ガソリンは国営なので(外資のスタンドはガラガラ。良く 撤退しないね〜と思うくらい)道端にいっぱいあります。スタンドはきれいで値段も種類別 に一定です。しかし時々いつものガソリンスタンドにガソリンがないときがあり、 それ以来半分減ると満タンにする習慣ができました。カード払いできるところも多いですが、 私はめったに使用しませんでした。普段あまり現金を持ち歩かないので財布の中身を確かめ ないで出掛けたときにはドキドキしていました。 一番最初に使った運転手はいつも目立たない小さなスタンドに行っていましたが、そのあと 彼は請求書(手書き)を高めに書いてもらいスタンドの人と折半していたことを知りました。 大した金額ではありませんが、ちょっと見逃すとどんどんエスカレートするのが人情。 沢山資源があるのにどうして貧困があるのかね〜後雇の運転手と話しましたが、やはり政治 やらの世界の問題になるようでした。低所得者には小さな黄色いガスボンベが(1,2週間 使えるのか)配られていて、あるお手伝いはちゃっかりもらっているよ〜といっていました。 生活苦を訴える若い運転手に、あんたももらえばいいじゃないと話しているの聞いてしまいました。 プライドの高い彼は、そんなことはいやだ・・と確か言っていました。一回り若い嫁が来たばかり。 電気は今の日本みたいに計画停電やら、突然停電やら、雷停電やら、急激な発展で不足の 事態に陥っていることは確かです。最後に我が家が4年ほど住んだところでは事務所の ずさんで(事務所と我が家とのメーターが壊れていた)2年ほど1ケタ安い電気代を 支払っていました。ある日オーナーが替わり急に高くなったのでクレームを付けたところ それが正しい金額だと知りびっくり。さかのぼり請求されるかと思いきや、ナシでした。 停電でCDが飛んでしまい、今日本で聞くとみじめな音楽になっています。 ジャム―と呼ばれる、日本でいえば漢方のような薬草(民間療法で沢山使われている)とか ジャングルの中にあるいろんな微生物やらカビ、植物やら新発見で医学の分野からも注目 されている様子です。残念ながら具体的なことはほとんど説明できないのが情けないです。 天然資源という点ではそういうものも数のうちに入るのでしょう。海外からも注目されて 居るから資源を守るのは大変なことでしょう。欧州の製薬会社がある植物を買い占めている ニュースを見ました。 身体のいぼが木の根のようにだらだら伸びて切っても切っても治らない病気もあり、ローカル テレビで時々それを見て仰天していました。海外の医者が無料で治療(めずらしいためか) しているようでした。その後街中でも軽い程度の同じ病気の人を発見しておびえました。 ウイルスも未知のものも含めて沢山ありそうで、あちらの国では正確なところを公表しないので やはりおびえていたものです。もちろん国をあげて対処しているはずですが。 しかしなんでも快く手伝ってくれる(もちろんチップの魅力もあるけど)、快く教えてくれる (時々えらく間違ってるけど)、よく声をかけていろいろと話をする(自分の知っている日本人の) 、にこにこして真面目な人も多いインドネシア人が最近懐かしいときが多いです。 マニュアル道り人情なし、ロボットのように正確な店員、携帯しかのぞきこまない若者(電気なければ ただのブラックボックスじゃん)など。個性が輝き始めていてグーなところも多い日本だけれど 今のところ、まだ国籍不明人の見方の私です。TVに移る看護師の資格取得の人々の本音も理解 できます。英語力も優れている彼ら、日本で得た資格はほかの国で高く評価されることでしょう。 そんな人を大勢受け入れ教育できる状態だったらどんなに良かったか。日本の状況が厳しすぎますね。 病院であちらの看護師に出会った時のために少しはインドネシア語を覚えておきたいものです。

 医療、貧困問題 (2012年5月7日)

くろまめさんのレポート楽しんでいますよ。お留守のそらまめさんから エールをいただき感謝。同じく山育ちですので(中2で町に引っ越した) 小学校低学年は駅まで30分歩き電車で30分、また学校まで20分くらい 歩いたような記憶があります。高学年は片道1時間、湖岸の無人地帯を集団や 1人で歩いたものです。今でも姉兄とその話が共通点。7歳でアジア風邪 にかかり医者に”手遅れです”といわれましたが母がほかの医者に連れて行き ペニシリンをおしりにうたれて一命を取り留めました。その後数年は体育は 見学。ぼーっとした文学少女になってしまいました。 医療はどこの国でも心配事です。昨日TVでインドネシア特集をしていて親子で おおーっと見入ってしまいました。そうです、電車の屋根にへばりつく人や街中。 やむなく使用人を持った生活を経験をしてしまいましたが、家庭で働く運転手や お手伝いは会社のような保険はつけません。運転手は夫の会社の総務に行かせて 極力努力した内容の契約書を作りサインしてもらいました。が効力のあるものでは なく、やーめたと言われれば即無力な紙です。病気の時も回数限定、領収書付きで 支払ったりしていました。もちろん使用人の大学(それも医学部)の授業料まで 持つ欧米人や、退職金前貸しで高額(信頼関係にある)融通する人もいます。 しかし一般の日本人は悩みつつ、甘やかさず、苦労して働いてもらうのに精いっぱい。 もちろん何のトラブルもなく、私とは次元の違う世界で過ごす日本人も多勢いました。 低所得者の人が良くいくのがプスケスマス(保健所)です。道路脇にその名前があり 気が付くようになるまで時間がかかりました。使用人たちはもうちょっとましな (あまり良い医者がいないと言っていた)病院に行くようです。低所得を証明する 物を提示すると最低料金を払えばよいらしいのですが、よく理解することは困難でした。 最後に働いてくれたお手伝いの旦那さんは長いとこ韓国人の会社雇の運転手だったのですが 腎臓を壊し(油もの、甘いもののせい?)3か月くらい入院したり自宅治療していたようです。 会社の保険だけでは間に合わず我が家でもお見舞いなどあげましたが完治したかどうか。 親切を始めたら中途半端では済まないので覚悟が要ります。家族親類らを面倒見る方も 確かに見かけました。 遠方からの出稼ぎ者がジャカルタに沢山出てきます。身分証明書を取得して(更新する) 提示して雇用してもらうわけですが、私たちから見ると住所不明(書いてある通りではない) で、例えばゴルフしている間に車ごと盗まれて売られても、事故を起こして逃げられても 追跡できないらしい。それで先輩や友人の紹介をあてにするわけです。それでも道端に倒れて 居たり,朗かに住所不定に見える人、さまざま、日本ほどは悲惨に見えません。食べ物を 施すのは当たり前なのか・・暖かい国故か・・雨が降ると木製のリヤカーの下で家族4人 雨宿りしながらいる姿をいつも同じ場所で目撃したり、さらに家族が増えていたりするのを 見てもその家族の姿に一抹の幸せ感さえ感じられました。ありのままに暮らす姿だからでしょうか。 親方が支配する(多分)物乞い集団がわっと寄ってくる十字路。人の話では主の赤ちゃんを抱いたまま 手を差し出す人もいるらしい。お金をあげた方が、日本円で数万円の罰金を支払わなければ いけないと確か数年前に新聞に出ていましたが、その後守られているのかどうか。 3歳くらいの子供が赤ん坊を抱っこして、ストローで自分の唾液を上げている姿を停車した車の 中から眺めなければいけなかったことは、今でも胸がつぶれそうなほど悲しい光景でした。 貧困の格差はアジアだけの問題ではないし、私も混乱するばかりですが昨日の映像は記憶にあるものです。

 結婚式、花々など (2012年5月6日)

くろまめさん,”逢いたくて逢いたくて”だったんだね。私、ジャカルタで 2回ばかりおじさん用カラオケ(日本人向け地味な所)で、お酒が飲めない ので1人で”津軽海峡冬景色”絶唱してました。ホント自分の心が叫んでいた。 私たちの時代は中学が燃えていたのかね〜うちの方も4年に1度6クラスで 同窓会するんですが・・諸般の事情で顔を出せず、今度こその気持ちです。 さて、ジャカルタ話も勢いばかりで書けないのでさすがにしばし考えた。 雨季が5,6月ごろ明けると年中暑い国でもスコールか暑いかの日々になる。 いつも通る庶民の住宅街の細い道にも朝から白テント(2階まで届く)やバイプ椅子 が用意されていて、ああここで昼ごろから婚礼の宴があるね、とわかる。 葬儀の時には日本製の性能の良いスピーカーから、いつもの時間で無いときに これこれの人が亡くなったとお知らせしている。それで近所の方も了解するらしい。 婚礼は乾季に多い。婚礼といっても庶民のは地味で、近所の人や親類が来て割と普通 ぽいご飯を食べてお金を置いていくらしい。しかし夕方から夜が大変だ。カラオケ、 花火、ダンス、それも最大音響である。それがあちこちの村から迫ってくる夜は犬も 吠えっぱなし、寝られない。翌日運転手(歩いて15分のところに住んでいる)に 文句を言うと、”いっひひ〜”と雲助顔で笑ってごまかされる。 お金持ちの結婚式は数日続くらしい。夫や娘は会社関係の義理で時々出席していたが 私はチャンスがなかった。1度衣装を購入して(あちら式)居たが延期に。 クバヤという正式衣装は体にぴったりの女性らしい服だ。だが日本では出番が無い。 髪の毛は逆毛を立てて水商売風?に仕上げる。TVで良く見かける夫人の感じ。 現地人と結婚した友人は上層階級なのでそういう結婚式に沢山出ていた。 さて、ベランダのバラのつぼみが成長しているが花屋さんでも珍しい色のバラが 売られていて思わず2本とか買い、絵にしたりしている。半抽象画なので1,2本 あれば構想が練れる。ジャカルタでは路地で売っているバラは匂いがなかった。 デパートのガラスケースの中には輸入物などの素晴らしい花があったが、高い! 高価なランの花は1個ずつ売ってくれた。それでも私にはありがたい買い物。 しかしまだデッサンだけの段階である。 ある日、車の中にバラの香りの臭いけしを置いた。運転手が”うえっ”といっていやな 顔をする。バラの花や香水はあちらではお墓に撒くものだそうだ。そういえば、墓地の 前にはほぐされた花々が売られている。小さなバラの花びらが多い。お墓は家のよこにでも どこにでもあり明るい雰囲気。開発で簡単に消えるところもある。もちろん裏では土地を 廻った恐い話もあるに違いない。 またある日の日曜日、我が家の庭に見慣れないおじさんと男の子がうろうろしている。 守衛や壁で一応守られているはずのコンプレクスだが、時々木を伝ってドロボー などが来る。あれれっと思い眺めていると、我が家の落ちた花を拾ったり少し採集したり している。庭の景色(花が落ちている風情)が好きな私はムッとして事務所にクレーム。 すると、お手伝いできている奥さんと一緒に入ってきてお墓に撒く花を拾っているのよ〜 ごめんなさい・・・理解はできるが花が少なくなった庭を見て憮然とした。多分あちこち の家を回り(庭付の家が多いので)相当な量を採集して今日の糧くらい稼ぐのだろう。 たぶん焼き飯とスープくらいのものだが彼らにとってはそれがごちそうなのだ。 アメリカ、オーストラリア、ドイツ、マレーシア、シンガポール人…国際色豊かなところ だったが多分その程度のことに目くじらを立てる人は少なかったに違いない。 ブンガカンボジャ(白、赤、ピンク、黄色・・良いにおいがする)、ニョニャマカンシリ (シリという食べると口が赤くなる葉を食べた女の人)、アナックマル(恥ずかしがる子供 ・・日本のねむの花)など、語学の先生が教えてくれた花の名前は少なかったが、庭にある それらの花は今も記憶の中で咲いている。もっといろんな花の名前を聞いておけばよかったが そのころは、午後2時のレッスンで先生も私もうつらうつら。上層階級の奥様なのに割と地味 な先生は椅子に横座りしてリラックスこの上なく日本のお菓子や日本茶を召し上がっていた。

 バティックあれこれ (2012年5月4日)

くろまめさんの故郷便り楽しいね〜。続編がとても気になります。 私も思い出せることをどんどん投稿しますね、ただし読み返してみると 正確さに欠けるようです・・たとえばラピスラズリは原産国が限定されている からあそこで出会った石も輸入物のはず。その辺はお見逃しください。 バティックの勉強はしませんでした。しかし現地で結婚した友人の話やあちこち に出かけてであったバティック(ロウケツ染め、型押し)イカット(機織り物)は 割合と覚えています。といってもその世界は深すぎて(研究している日本女性、教授 などもちろんいました)検証済みの知識とは言えず、本当に印象程度のもの。 まずびっくりしたのはアスリー(本物の)バティックはお店では古い鍵付箪笥の中 で眠っていたことです。昔は虫よけ剤など使用しなかったらしく、ぱっと広げて 天井に向けると見事なビンタン(星)が見えます。虫に食われていても本物は値段 がすごく張ります。しかし昔のものがどんどん少なくなり(収集家が値上げも予想 して買い占めている現実もある)本物好きの人は虫食いなど気にしない様子。 購入してまた鍵付ダンス(カギに付ける石細工や鈴もきれい・・使用人も含めた 盗難よけ?)のなかにねむるだけの運命です。本物は天然の草木染めのため専用の 木の実から作られた洗剤で洗います。最近は日本の洗剤会社のバティック専用洗剤 というのも出ています。日本でイカットの服を着たとき(バスの中)天然染料の 匂いが(何回か洗ったけれど)立ち上り、その異質なにおいに困惑したものです。 お土産にあげたあの布は好かれたのか嫌われたのか・・時々気になりました。 隣の若奥様にあげたエプロンは化学染料で、自分でもためしに洗濯して超超びっくり。 スゴイ色落ち。もしほかの物と一緒に洗っていたらと思い大急ぎでごめんなさいを言いに 行きました。 値段の安い近隣国産の品物が沢山入ってきて混乱しているようです。友人は本物を結構 収集していていろいろと説明してくれました。その歴史の中では、戦後期、日本の錦織 なども影響したり、海外の絵本など(オウム、トランプ、お姫様等)もモチーフになって 居て面白い。柄そのものにもお話があり読み解くこともできるようです。 手元にあるごく少ない資料(本、博物館展示の際もらったもの)からお伝えすると、 これは”スンバの北、ランプン県”の金糸を織り込んだりしたものもある結構華やかな バティック。金糸を織り込んだものは少ないような気がしますのでお金持ちの県なのか? モチーフの説明が面白い。鶏と丈の長い葦、渦巻き、マンゴスチン(果物)のヘタの柄、 鯵の干物をつるした柄、岬、タケノコ、若い筍(スライス、横から見た柄)、マンゴスチン 女神の群れ(?)、ビンロウジの実、鳥の卵、稲・・等々辞書を引けばまだわかりますが 辞書(日イ)お手伝いにあげてきましたので。柄からその地域の産物や生活模様、ひいては 食の豊かさや、そこが海か山かとかまでわかってきます。素人が見ても波頭や竹、タケノコ、 空の雲、花や鳥や葉っぱはすぐわかります。生活感があり洗練された柄の日本と違い面白い。 多くの島々、それぞれの特徴がひしめき合い渦巻いているバティックの世界です。

 絵画 (2012年5月3日)

くろまめさんのお里帰り、楽しそうですね。 お友達の方とどんな出会いがあるのか・・お土産話を期待してます。 昨日は私も六本木新国立美術館で10年ぶりのお友達も交えてコーヒー 1杯で閉館まで美術談義。熟年同士心熱く辛口批評もなんのそのあっと いう間の時間。感謝。 国展では若い人だけのコーナーが作られていました。ジャカルタで良く見た アジア的な絵画。シュール、コラージュ、エマルジョン、こういうものを見ると 日本もアジア的な視点になってきているんだな・・と拙い絵画目線ですが感想が わきました。日本の絵画展は長い間のご無沙汰でどれも新鮮そのものです。 来年自分の絵をここでぜひぜひぜひ見たいものです。 ジャカルタにも画廊や美術館があります。日本でいうとどこの町といえばいいか 麻布あたりかな?、特にクマンという場所には欧米人の好みそうなやレストラン、 ジャズ喫茶、無農薬野菜の店等々あります。時代の流れで都心の開発による影響 か、閉店も多々見られました。お金持ちの子息が名刺を持ち、”クマンにお店を持って いるの”というだけのために存在する商品の動かない高級風な店もありました。 画廊は商店やアンティーク家具店を横目に少し入った住宅街にありました。門が閉まると 普通の家としか見えない店も多く、家番号を頼りに行くとその番号も順番どうりではなくて 迷うことも多いのが難点。そこはツタが絡まる門、ブーゲンビリアに彩られ(細い枝が大きく 茂るのは日本で見たことがない)古さを感じる画廊の手前には収集物が展示されていて国際的。 バリ島に在住する画家が描くジャワ女性の絵、ピンク、紫、くろ、グレー、猫目の若い女性 がこちらを見つめる。またパステル調の景色からは光と影の南国的な明るさが漂ってくる。 運転手が替わると場所の説明に苦慮したがそこはふらりと訪れる数少ない画廊の一つ。 クマンにはこんな画廊も数か所あり、古い画法の絵、中国系の新感覚の絵、若い学生たちの 時代の悩みがあふれ出す内臓感覚的な絵、土産物屋のマダムの上にはアトリエがあり絵の 指導もするらしい。小さな絵画教室では先生が写真をもとに生徒に教えていて仕上がると 即値段を付けて売りに出すという世界もあった。 額縁はとても安くオーダー出来て沢山必要な人や凝る人には天国。まだ描いてないキャンバス まで額に入れて持ち帰りました。気を付けないといけないのはお店の人にあらかじめ言わないと 額の裏を紙で閉じられてしまうことです。後で出し入れできないので大弱り。紙を取り除けるのが また大変。まあキャンバスも安い額縁も木材が良くないのか”反り”が出てくるのも難点です。 大きなホテルにはそれなりの新感覚の絵画が飾られていてしばし目が釘付けになることもありました。 光と影が描き出す感動的な寸景。緑濃い街路の大木の間を落ちてくる早朝のまばゆい光の印象。 道端で仕事待ちの半裸の男たちは、生活の厳しい世界の人達らしかったが、真剣かつかったるそうな 集団は絵の対象として魅力的だった。が、写真を撮ることも難しいのでついにデッサンにすら 出来なかった。あるがままの街並みやいろんな人間を絵にできる欧米の画家がうらやましい。 私にはどうももう一つ勇気が足りなかったとしか言えない。

 岬、バティックの里チレボン (2012年5月1日)

インドネシアの地名も人の名前もだんだん記憶から遠ざかりつつあり 急いでお話ししておかないといけない気分です。逆カルチャーショックで 日本に馴染んでくると記憶がリセットされてしまう感じ。 むしろリセットしたいという願望がなせることなのかもしれません。 訪れて間もないころ、岬で素晴らしいところがあると耳にしました。 タンジュンルソンはインド洋よりにありジャカルタからジャワ海沿いに進んで アニエールに行く手前の道を左に曲がり海を目指して山道を進みます。 夫も私も道を知らず新しい運転手も同様で、会社の車の運転手に携帯電話して 確かめながらの少々不安なドライブでした。初めて見る街、見る山、好奇心の 方が先走りして不安はほとんど消えていきます。夫はずいぶん前に1度だけ ゴルフで来た方面とのことですが海側の方は知りません。 舗装されていない道のあちこちで、モスク修理の喜捨を期待して村の人が並んで 居たり、小銭ではなく紙幣を要求するところは昆虫網が出てきます。村を通過 するために喜捨しないといけない場合も。村道の家の造りの粗末さからあまり 豊かでない暮らしの状況が見えます。多分都心の方に出稼ぎする人が多いのでしょう。 竹林やバナナ、やしの木、田んぼ・・・海側に近ずくと大きな河も渡りました。 漁船もあり風景としてはなかなかで降りて写真を一枚。これはまだ絵になっていません。 魚市場があり,のぞいてみましたが新鮮な魚はすぐ傷むと見えて塩魚やひもの それも超塩辛そうなのばかり。ためしに購入しましたがこれは塩抜きをしたり して食べないと口に入れられない強者だと後で知りました。すべてお手伝い行に なりました。確か“イカンアシン(塩魚)といいチャーハン、スープなど使うようです。 猫天国故市場にも猫が多くのんびりと寝そべって食住足りている顏。 そこで岬にあるホテルへの道を確かめて岬に1本伸びた道をどんどん行くとたった一軒 のホテルとコテージ群。中級クラスといえるそこはレバラン(あちらのお正月)には 都心から家族ずれで来る現地人やら欧米人が多いとのこと。 記憶にあるのはグリーンの野菜ばかりを入れたグリーンカレー。バイキング形式のランチ もありテーブルセッティングも少しばかりあか抜けています。ホテルの周りにもプールがあり すぐ向こうはジャワ海です。砂浜はあまりなかったような記憶です。夫はワインも楽しんで いました。うすいブルーの彼方はインド洋に近いとはいえまだジャワ海で優しげです。 時期を前後してやはり人から聞いて、バティックの里の一つ、チレボンに行きました。 確かチレゴンとかチルボンという地名もあり、間違えて運転手に伝えると大変です、実際 そんな経験も何回かしてしまいました。地元の方と結婚して長く住んでいる奥様と一緒でしたが 彼女も道をしっかり覚えているわけではありません。朝7時に出て帰宅は夜10時ごろに。 ジャカルタを後に山の方向にどんどん向かい、バンドン(アウトレットも沢山あるのでたいてい の日本人が行く)のあたりで方向を変えてさらに山道、田舎町を行く。 チレボンは稲作(特に適しているのか?)、オレンジっぽい黄色の小ぶりなマンゴー、優しい柄の バティック、時代の流れでお寺とモスクが混同したような建造物などが知識にありました。 日本のろうけつ染め、型押し、などを彷彿とさせる布の世界。しかしこれはと思うものはやはり お高くてなかなか手が出ません。土地ごとに様々なバティックがあり柄も豊富で好みもさまざま。 ひとつ、珍しく赤と黒のみの色で踊る女性を表現した(ためしに作られたもの)は購入して おけばよかったと後悔しています。1枚しかないのでパターンをつくりあとで送るといわれ ましたがなかなかすぐに信用できることもできないので断りました。 おいしいものは何もありませんでした。焼き飯や野菜のいためものは定番。後は誰もが買ってしか 飲まないアクア(水)。この時も運転手が替わったばかりでどうなることかと思いましたが、 彼は非常に優秀で道を良く知っていました。そのあと間もなく会社雇の口を見つけて辞めて しまい又しばし落ち込んだものです。バティックに対する興味もどんどん湧いてき始めたのは そのあたりからかもしれません。

 アンティ−ク通り、カポックの大木 (2012年4月30日)

ジャカルタではリサイクルされるものを沢山見た。日本にもあると思うが 姉兄のお古で育った私は古着は嫌い。家具もシンプルなのが好きだ。 住居の行き帰りに、家具等のアンティ―クの店が連なる場所を通った。 下働きの年端のいかない子など様々に古い家具に紙やすりをかけている。 多分お屋敷から出たものや売りに出されたものなどため込んで、ほとんど 白木の状態にきれいにしてからニスを塗り新しく見える家具に仕立てていく 光景が連続的に見える。特に木の製品が少ない(現状では)欧米系の人は 沢山買い込みほとんど一式家内家具を船に積んで帰ったりする。黒檀、紫檀、 オーク・・値段は張るが欲しい人には宝庫なのだろう。 私も次第に興味を持つようになったが友人たちのように多くの店を冷やかして 歩くことは少なかった。埃だらけの上古いものがどっさりあるので薄暗い。 咳き込むしアレルギーも出そうだった。たいていの古い店ではハンカチで (見本市でも)口を押さえるがそれでも足りない。マスクをするのはバイク に乗る少数の人のみの国なので(病院でも日本人位)とても目立ち使用しにくい。 いろんなアンティーク通りがあちこちにあり、現地に長く住む友人曰く本物の 品(織物、ガラス細工等々)に出会いやすく値切って購入したのよ。 観光ガイドに載っている通りもある。日本に輸出される籐の家具や木の小物類も安い。 しかし狭い部屋の我が家に帰り泣くことも多い。あちらで見ると小ぶりでも 帰国してみると大きい。中には古い板から虫が出てしまうこともあると聞く。 私も一つ失敗して現在、近所のアジア雑貨の店に持ち込むことを考えているのがある。 10年ほど前までは良心的なお店が多かったと思うが、経済の成長に伴い人々の商い にも欲が出てきて、今では相当目を凝らさないと本物に出会うことはできないと思う。 カポックの木とは結構衝撃的な出会いだった。街中にもあり、地味な白い花が咲いた後 ナス型に成長する実がなる。固い殻の中に綿が入っていてそれが弾け道に舞い落ちる 様は美しくない。ぜんそくになりそう。夫はぜんそくを持っているがこのことには全く 気が付かなかったと思う。会社と繁華街、ゴルフの繰り返しの生活ではそんなことに 目が向かない。土地の人は昔この綿を集めて枕を作ったという。涼しくて寝心地が良いらしい。 しかしこう物が豊富な現在ではどれほどの人がそんな暮らしをしているか・・・、時々 街中で見かける山中に住む少数民族(白い衣装で素足、3人くらいでたったっと速足で 歩いている。街中の様子を修行がてら見に来る)は作っているのだろうか? ある日ジャカルタ新聞にボゴール植物園のカポックの大木を伐採した記事が出た。 木も大きくなりすぎると倒れて人を巻き込んだり、雷にやられるものも多いので伐られる。 最近は歯が抜けたように昔の大木がかけてしまっている。カポックの切り倒された姿 を友人たちと2回も見に出かけた。匂いは悪いし材質も良くなく段ボールやティシュ の材料になる木らしい。しかし100年以上(南国なのでもっと経ているようにみえる) 成長した木の年輪は感動的に大きくて、木の前で写真を撮ったり破片を拾ったりした。 ボゴール植物園には様々な珍しい植物がある。現存するカポックの大木から綿毛が舞い 落ちる姿を見に出かけたが、やはり思い描いていたほどのことはなかった。弾ける前の種を 見て様々に想像しながら絵の中に登場させる方がが楽しい。それでも印象に残る木のひとつ。

 プンチャックの茶畑、チポダスの桜 (2012年4月29日)

ジャカルタの鉄道やバス(クーラー付で専用レーンを走る立派なのもある) に乗る日本人はごく少ない。鉄道の屋根には人がへばりついている光景が多い。 スポーツ大会に間に合うように高架橋を作っていたができたかどうか・・・ 地下鉄も作っているらしい(色々な場面で日本の円借款が役立つ)が、モノレール は工事がとん挫してしまいコンクリートの柱だけが悲しく風化していた。 投資や援助に励む諸外国は非常に多いと感じた。経済が激しく動いている。 そんな都心を離れて高速道路で1時間半ほど山の方向を目指すと、サファリパーク がみえてくる。曜日によっては上り下りが一方通行になり1時間近くも待たないと いけない混雑もあるが、日常とかけ離れた景色が展開する。茶畑が山の上の方まで 続き反対の崖の彼方には市内がかすんで見える。オランダ統治時代に別荘が沢山 作られたと聞く。そういう避暑地はあちこちにあるらしいが多く訪ねることはなかった。 季節によりバナナ、アボカド、サツマイモ、やつ頭みたいなの、ニンジン、サツマイモを 干してアルコールが感じられるお菓子、トウモロコシ・・・高原の野菜は実に新鮮そうで ついたくさん買い、運転手やお手伝いと分ける。彼らにとってもうれしいものらしい。 峠のレストランはオランダ時代の影響濃いメニューで、あたたかいカステラ状の丸い お菓子の上に粉砂糖がまぶしてあるのとジンジャー他香辛料入りのコーヒーを飲むのが 習慣になっていた。窓からは南国らしくない糸杉や牛のいる牧場が見えて、澄んだ空気 の中の日差しは柔らかい。山の別荘なのにプールの青さもある。霧が多い日はその動きを 目で追いながらガラス窓の外でおこぼれをねだる猫の動きも楽しむ。多くは上着を着ないと 風邪をひきそうな寒さである。山の上までのぼり食事をしたりしてまた降りてくるだけ でも心から楽しめる貴重なプンチャックだった。 そんな山の上の高原の一つにチポダスがある。ジャカルタ新聞に1月末ごろ桜が咲くと 出ていたので友人を誘って行ってみた。最初は川のよこに群生していてほんの少し咲いていた。 木の育ちも花付きも良くない。その次タイミングを見計らっていくと、珍しく良く整え られた植栽や大木の奥に桜が咲いていた。ヒマラヤ桜で近ずくと小さな花がけなげに 満開である。山裾から上の方まで風格すら感じられる立派な公園で、やはり統治時代 の別荘などが点在している。ひとが住まない風景としてのみの家屋は風情があるが どこか人を拒否しているような殺伐とした空気を感じたのは私だけなのだろうか。 車で公園内をめぐると韓国人らしいカップル(花嫁衣裳姿で郊外写真を撮るのが好き) が華やかな衣装で思うままに撮影中。現実に返り山を下りてくると、新鮮な牛乳で 作られたというヨーグルト屋の看板が見えてきてそこからは高速までもうすぐだ。 時々転倒しているトレーラーや渋滞を気にしつつ見慣れた景色にしだいに溶け込んでいく。 ちょっと堅そうな葉の茶木や小さな小さなヒマラヤ桜の花との出会いは清々しい思い出。

 ミシン1台で稼ぐ人、洋服つくり (2012年4月28日)

最近我が家の老犬嬢が時々私の部屋に犬爆弾を落とすので気が抜けません。 自分の部屋なのに電気を付けてよーく眺めてから入室する。 物騒なことになってまいりました。イヌに教わる老後かな・・・。 さて又話は変わり、ミシン1台で稼ぐ人が多いジャカルタの話とかを。 多分輸出のオーダー崩れとか、布地の端切れを商いする店が多い。今は近隣の 国からごく安の既製品が沢山入ってくるようになりだいぶ苦戦しているようだが、 もともとは晴れの日は特に、日頃も店で洋服を作る(ピンからキリまで)人が 多いらしい。やはり友人たちと初めての洋服つくりに挑戦した。 1m100円200円の世界。洋服に関するものはすべてそろっているパサールもある。 日本人が良くいくそこに友人たちと恐る恐る行ってみる。ここでも値切らないといけない。 お遊びなので元は高そうなイタリアからの輸入生地でワイシャツを、ストレッチ生地で パンツを・・・と考える。布を持ち込むのは友人紹介の町はずれにある仕立て屋さん。 間口一間といってもよいくらいのところにミシン1台で商いをする店が多い。 ルコといい住んでいる家の1階でも。もちろん中、高級なお店も山ほどある。 のちには家まで来てくれる少々上級の(日本のドレメで学んだ人)方にも出会う。 この方は作り賃も高めで1970年代の感覚が強いが一番良かったかもしれない。 仮縫いをしない人も多いので大雑把に出来上がったものを見ると仰天する。 袖がズボン状態だったり胴がなかったり(立体裁断するお兄さんも多い)で冷や汗。 しかしいろいろ直しをして次回行くとそこそこの状態にはなっている。しかし店で 試着する場所というのも・・実にお寒い状態である。仕立て代は1000円くらい。 こういう風に仕立てを頼むのは欧米人も同じ。1970年代の日本の雑誌に混じり 英語の雑誌もおいてある。もちろん客が持ち込んだもので、それを指さし説明する。 がいまどきは若い奥様が指導したお店も多く、私たちとは違う状況がうまれている。 着れないで即お手伝い行きになるケースも多々。彼女たちは特に日本のものを喜ぶ。 道端で安い商品を年がら年中売っている国であるが、日本のものはつくりや品が違う という。彼女たちの家の前にはさらに安く商う人が訪れる。自転車とミシンであちこち の家を回り手直しをする。本当に器用である。すべてリサイクルの国であるから 災害に遭った遠方の親類に送られたり、もっと生活に苦慮する人たちにと動いていく。 家を売って赴任したのでがらくたも山ほど持って行った。船便だし会社持ちなので気を おおきくした。ピアノを1番に処分してカナダに即輸出されて後悔した件もあるが。 2百個以上(パックが丁寧すぎるので)のもろもろも広いあちらの家の中に吸収されて 居たが、それ帰国というときには処分に苦慮した。 しかし日本の品をありがたがってくれる使用人にほとんどあげるとだいぶすっきりした。 日本ではお金を出さないと物が捨てられない。ゴミ出しの感覚もすっかり 鈍り、引越し屋さんに嫌味を言われる始末。もちろん帰国後はごみ仕分けに神経を 使う毎日。壊れた扇風機も物干しも・・・今頃どこかで役に立っているはずだ。 丹精込めた月下美人(大きい花と小さい花の2種類)やレモン、鉢植えの植物たちは 道端で商品として売られたような気がする。 ただのゴミとして処分されず、リサイクルされながら、電気製品なども部品として 生きているのはなかなか良いと思う。ただし街中も家の中もすっきりすることはない。 日本でお洋服つくりすることもなさそうだ。

 東インド会社、山の温泉 (2012年4月27日)

ジャカルタの生活が始まると最低3か月くらいは日本人文化センターのような所 で試験ずくめの特訓の日々。1,2,3,4しか数えられなった私(行くのが嫌で あまり勉強しなかった)は冷蔵庫にメモを張ったり、部屋の移動先にもメモ、クラス は皆2,30代の若奥様で熟年は私一人なので必死。授業料も安くないが基礎、初級、 中級・・・と数年間学ぶ人もいる。某国の不明人問題で当国がスポットライトを浴びて マスコミの人が大勢押しかけたときは、朝一の授業前ぼーっとしていたところを取材 されて日本のTVに映ったらしくあとで友人が教えてくれた。基礎のみでその後は実践 あるのみの日々。 そのうちに色々な出会いから友人ができて、ある活発な奥様グループと思いがけない所 を探検できた。夫や娘は自分のことで余裕がないので自分のことは自分でするしかない。 ジャカルタの都心から1,2時間車でジャワ海の方へ行くとコタ、バタピア(ジャカルタの 古いなまえ)がある。観光案内には大きく取り上げられているのでたいていの人が行く。 その名も”かふぇばたぴあ”というれすとらんはオランダ時代の面影濃く、かったるい時代 の空気と匂いがした。ピアノと壁の古い額入りの写真の数々が訪れた人や時代を感じさせる。 焼き飯や牛のしっぽのスープ。そしてジャワコーヒー。 その近辺には東インド会社時代の古い倉庫や事務所が集まっていて博物館になっているのも ある。胡椒や丁子などの香りがしみだしていそうな分厚い古い木材の中で、同じく古いガラス ケースなどに収まり過去の品々が眠っていた。また、写真を趣味にする友人が市場の中の サメの解体所を撮りたいと言い出し恐る恐るくっついていく。一番年配なのでサンドウィッチ にして守ってくれる優しさ。しかしいくら面白い絵が撮れるとはいえサメは陸に上がった瞬間 から腐敗するといわれている・・・アンモニア臭と何かフォルマリン(あちらでは良く魚介の 消毒に使っている)のような気配で半袖の腕にアレルギー反応が出る。これはその後仏系の スーパーマーケットでも経験した。干し魚や貝類が沢山ある売り場で反応が出るようになった。 こういったアレルギー反応が高じたのか・・・数年後に、某国の美容院で頭がひりひりした後 頭全体から首と顔のよこ少々に白斑症が出てしまった。今では両すねの表もまだらになり ジャクソンさんと同じ病気に。カモシカの足が台無しになった。日本では古い有名女優さんも この病気らしい。 ある日夫が(温泉好き)火山が多い国故山の方にある温泉に行きたいという。私は信州の山の 中育ちで幼少のころ、源泉に近いあっちちのお湯に肩までつかることを強要されて育ったので 正直、温泉はあまり好きではないがしぶしぶ家族でいく。やはり車で高速を降りゴルフ場を超えて どんどん山を登ると松林が続く人気の少ない田んぼに出た。水は市内と違い澄んでいたような 記憶がある。ローム層の街中はレンガ色の土や水。ギリタリス…だったか?小さな簡易風 のバンガロー状の中にお湯を引いてあり恐る恐る娘と入る。その後お決まりのマッサージなど する。私は1度で十分。何回夫が行きたいといってもノー。結構あちこちの温泉に行っている 人の話は耳にしたが日本と同じではないので行かれる方は要注意。 山の中には朝鮮朝顔(トランペットリリー)の大木がありなぜか印象に濃い。帰国後娘が 一時住んでいた大岡山の住宅の庭で冬に近い時期なのにその2階まで届く立派な花木に 出会い、はっとしてしまった。この花は驚くまでもなく大きく育つものなんだとその後 わかりました。ジャカルタの山の中では本当に際立って存在感のある花だった。

 アニエール、イナクラフト展 (2012年4月24日)

ジャカルタの都心を車で離れること(徒歩でどこかに行くことはない)1,2時間、 高速道路に乗り田んぼや日干し煉瓦を作る畑を見ながらどんどんスンダ海峡を目指す。 日本の田園風景にとてもよく似ているがヤシやバナナの木が点在する。ところどころに 映画の書割のようにどぎついピンク系とかのスーパーマーケットが見えて(どういうわけか この手のマンションや大型店がどこにでも忽然と現れる・・欧風の影響?)風情が消える。 高速を降りたあたりから、WC貸します(料金払う)という文字が目立つ。片目をつぶって も使用したくない。クラカトアスティール(国営?)の大きな製鉄会社が見えるとそこのよこの 細い道をスンダ海峡方面に突っ走る。といっても舗装されていない。たびたび友人を誘うが 一人行動も多いので運転手が変わると必死に景色を確認する。居眠りもしていられない。 製鉄会社の植栽や清潔そうなイメージは毎回変わらない。珍しい。その周辺には日本の化学工場 も見られる。大小のホテルや庶民が都心からきて家族で泊まるバンガロー、テントを張れる広場、 すぐ近くまで海色が見え隠れしていて気分は避暑地モードだ。バイクに相乗りしてくる若者も多い。 アニエールの岬の上にある古いホテルでお茶と軽い食事をする。もちろん飲食が目的ではないし 口にも合わない。1m位ありそうなおとなしいトカゲにも出会う。お天気がいいとクラカトアの 火山島が見えるはずであるがとうとう見えなかった。深緑色のインド洋とは違い、ライトブルー の軽いイメージの水が押し寄せる岸辺には水遊びする人も結構いる。整備されていないのでたぶん急深。 釣ったばかりの小さなイカ2匹、買ってくれと地元の子供が寄ってくるが笑ってごまかす。 海は島々に囲まれたジャワ海。おとなしそうな海の感じがした。 風化した珊瑚石が多く魚影や貝殻の少なさに、観光地とは言えすたれる方向に見えるのは否めない。 おいしいものがあるわけではないが、都心と比べた空気のおいしさとライトブルーの海に魅かれて 時々思い立っては車を走らせた。目をつむるといまだにその潮風とさざ波の音が聞こえる。 今頃の時期ジャカルタ市内の見本市会場ではイナクラフト展が始まっている。最近はさまざまな規模の 展示会が開かれるようになったがこれは最大級。3日通わないと見きれない。もちろん、街に慣れた ころから一人でのこのこでかけた。まるで宝物の箱をのぞくようで楽しい。常連の友人と出会い ともにお店を冷やかすことも。さまざまな島の特産品が並べられている。もちろん3回は値切る。 これは大阪風なのか・・日本ではあまり経験がない。あっ、素敵と思う織物は日本円で4,5万。 もちろんルピアはゼロが二つ多いので現金で持ち歩いてもお財布がパンパン。危ない。盗難は どこの国でも同じ。運転手が変わると迎えに来るかどうか(玄関まで)まで心配しないといけない。 夫からドル紙幣1,2枚もらって両替店でルピアにかえているが沢山は買えない。 最近は近隣の諸外国で染められたお国以外の織物や染物も多く化学染料は色落ちが激しくて、土産物 にすると冷や汗をかく。知恵を絞り”今日帰国するのでお金がないの〜まけて”なんて言ってみると 意外と値下げしてくれた。日本語を話す店員も多く、日本のどこそこにいたとか、会社の研修で 行っていたとべらべらしゃべる・・上手。時々初日に招待券を持った友人と同伴すると、上層階級 のマダムばかり。大統領夫人も数人のおつきの人を連れたのみですぐ横を通過。Drの肩書も持つ らしい美人で気さくそうな方。お国の文化的遺産を強く守る気持ち、海外へのアピールが伝わる最近の 見本市会場。お金持ち夫人の衣装や装飾品をはたから眺めるだけでも目が潤う経験。 大粒のパールは溢れるほど売っているが一粒1万円とか・・・淡水パールで十分なわたし。 欧米人のマダムは高そうなパールを思い切りよく購入している。彼らの国では特にパールは 憧れの品なのだろうか?街中でも良く見る光景である。 まだ日本各地も旅行していない私だが、あるがままに見せてくれる国の宝物を確かに見たし心に 留めることができた。パプアニューギニアの首狩り族の店は怖くてすどうりした。 廃れず製品悪化せず文化を守りつつ海外と交流して欲しいインドネシア。難しいだろうな〜。

 モール散歩とマッサージ (2012年4月23日)

我が家にようやく車が来て、10数年(免許取ったのも遅い)運転していない 夫は超お疲れ。私は彼が相当上手になるまで乗りません。何しろストレスから くる病気持ち。 雨の日が多いジャカルタ。住居の守衛に囲まれた敷地内しか歩けませんので時々 運動を兼ねて巨大ショッピングモールに散歩に出かけました。30分、1時間、 それぞれの距離にいくつかあるそれは日本でいえばららぽーと。津田沼に25年 住みましたので小さな娘と良く出かけた場所。日本と違う欧米系店舗もありルピア は使い出があるので目が輝きました。ゴルフ三昧の奥様はあまりこういうことを しなかったようです。子育て、学校に通う子のお母さんもそんな暇なし。熟年の役得。 ザラは日本以上にどこにでもあり色もデザインも豊富。10時の開店時には人もまばら でささっと見て次へ。あちらの店員は愛想が良くて相当高級店でもじろじろ見ない。 美人のマニュキュアガールは爪の中真っ黒なのにおしゃれしていて、面白いので試しに 塗ってもらい語学勉強。3人の子持ちで母親が面倒見てるそうな。多分当時1万円 位しか給料もらっていないはず。家にいるのはいやなので勤めているのよ〜 お手伝いと同額くらいの稼ぎ。今はたぶんもっとプロらしく、お澄まししてるかな? 何しろ8年くらい前はレジの後ろに座り込んで物を食べたりだべったりしてたからね〜 なんてしつけの悪い、どういう国なのか…憤慨してたけどそのうち気にもならなくなった。 出稼ぎに行っているような私たちは、住まわせてもらうという感覚を持たないと難しい 国情がありましたので。 お気に入りの店も見つけて、雨の日や気分転換したいときにはひとりでモール散歩して 居ました。熟年は一人で行動する女性が多い?訪れたばかりのころからずいぶん進歩した わけです。 インドネシアといえばマッサージ。全身でも1時間半で千円ちょっと。日本語のお店 (現地人が働く)も多く一見こぎれい。しかし裏事情は…見ない方が良い国。 結構風邪気味でも復活したりしていましたが、今から考えると怖かったかも。 徒弟制で技術習得して働いている感じです。揉み方も強すぎて痣になったり痛かったり。 もちろんセクハラも(おばさんでも)あるので女性指名。帰国してからも頭に血こぶ みたいなのができていてなかなか治りませんでした。もちろんこれは私に限ったこと。 韓国マッサージや地元のスパ、まあいろいろありで再訪する人はお買いものとスパ (高級ホテルだと高いがグー)に走るようです。家の娘もそれは結構好きみたいです。 お買いもの、スパ、ツアーバス・・・島国の観光客集めは似たようなものでしょうか。 今日本で銀座に行くと中華系、韓国系の団体客が多く、私たちの国もご多分に漏れず アジア経済の渦の中にいると感じます。

 グッピーがすむ側溝とバナナの葉 (2012年4月22日)

現地でインドネシア人と結婚して暮らす日本人にも出会いました。南方留学生 (戦争賠償)で戦後日本の大学で学んだ現地人も多い。友人はそんな一人と日本で 会い母国を後にして40年近く。お屋敷に住んでいた。博物館のように古い織物や 人形に囲まれて、日本の和室(畳部屋)まであった。地下には小さなプールと使用人。 しかし生活排水はどんな御屋敷でも家々の周りに張り巡らされた(蓋をしてあるのは めずらしい)側溝に流される。 なぜに・・・と問う私に友人は答えた。”おうちで使った水は外に流すしかないでしょう?” 確かに。日本では洗剤、薬品多用下水も地下。したがって50年代のように目の当たりにする のは少ない。しかしあちらでは極力薬品を使わないようにしている感じがした。もちろん 中華系、欧米系、韓国系・・日本人等々いろんな国の人間が住んでいるので現在では 理想でしかないのかもしれない。古い時代の現地人の習慣になっているのみかもしれない。 側溝周辺の街路樹が乾季にもめげず巨大化していたのは根元の栄養豊富な水のおかげに違いない。 友人の家の前の側溝にはグッピーがいた。今はどうか知らないが8年くらい前にはいた。 日本の家の前で魚がいるのは田舎?友人の家は都心近くのお屋敷街である。 彼女の家の側溝はきれいに掃除されていたから特に記憶にあるのかもしれない。ゴミがあふれた 光景はごく普通のもので家の塀の外に面してあけられた穴のあたりから収集されていない 様々なゴミが嫌というほど車中から見えるし、郊外に行くと二階建てより高いゴミ置き場が 一般の住宅のよこに板塀のみで仕切られて積まれていた。またその山に群がりリサイクルする 人たちは確かに存在する。街中のゴミは言うまでもない。ゴミは仕分けしないで出すのが一般的。 ある日郊外の家のごく近所を車で通過するとそのうず高いゴミの山が一晩で消えている。 そしてその向こうの空き地だったところに池ができていた。浅そうで水たまりとしか言えない それを見て、あっ、ごみを埋めて水を張ったね・・・と直感。すぐ横の方には住民の生活排水 がいっぱい流れてきそうな池もある、さらに一角には魚を釣るコーナーさえある。 だーれも文句なんか言わないんだね・・・・それに腐敗も早いし、分解されたらまた土を もって住宅地にすればマジック。日本でも同じようなことは確かに有る。 板やトタンで補強した小さな底辺の庶民の家の前で棚卸は決してしそうもない細々とした 食べ物を売る。毎日毎日パームヤシの油で揚げた豆腐やばなな、鶏肉や果物を売り庶民は 買い食いで済ませるらしい。小学校の前にも駄菓子屋が店を広げ朝から子供が買い食い。 運転手に聞くと持たせると悪くなるのでこういうことになるらしい。帰りも駄菓子を食べている。 語学の先生がジョークか、飴とかにいけない粉をかけて毎日子供が親にお金をもらい 買うようにする人もいるらしいと話していた。私立学校でもより吟味された食べ物屋が校内 で商いするらしい。家のお手伝いは信念を持っていてお弁当と水筒(娘のお下がり)を必ず 持たせるように努力していた。娘が縄跳び(あげようとしたが)するのも嫌う古風さ。 熱い汁ものでもビニールに入れて売る。 ナシゴレン(焼き飯)は今でもバナナの葉に包まれて売られているのを見かけるとほっとした。 多分もっと以前はヤシの殻やバナナの葉が普通に使われて自然に土に帰ったのだろう。 今は日本やその他の国から入ってくるバイクや車が欲しくて(バイクには家族5人跨っている) 両親はそれぞれ忙しく働く。子供も習い事や勉強、街中の悪い遊び等覚えるのに忙しい。 1本10円で売る煙草を一桁の年齢の子供が吸う光景は悲しい。 インドネシアにはバナナの葉が似合う。バナナは雑草のようにどこにでもある。

 ザビエルの棺と惑星直列 (2012年4月21日)

時折健康診断も兼ねてシンガポールに行きました。飛行機で1時間、日本へは 日付変更線を越え8時間かかりますので日本人は2,3か所の病院を目的に渡る ことが多いです。そんな中で陸路マレーシアまで足を延ばしたのです。 前日ツアーバスを予約してどこかのホテル前でひろってもらうという良くあるパターン。 イミグレも簡単。私たちのほかに中国まで行くという女性と途中下車の方のみ なのに添乗員が付きました。パンダツアーという日帰りコースです。 一面のパームヤシプランテーションをひたすら走りマラッカ海峡まで。海峡自体は 広めの河という感じで、うーむこれか・・・と落胆。しかしそれから島の端っこへ移動 してザビエルが眠る教会に出会いました。なんでもインドのゴアとマラッカ、長崎を 定期的に棺が移動するらしいです。教科書で知った程度の知識しかありませんので 宣教師の力のすごさを目の当たりにしました。ゴーッと風が吹き抜ける素朴なつくりの 丘の上の教会でした。 マレーシアとインドネシアは伝統織物など、うちが先,うちの物と争っています。 語学の先生に聞くと、昔はぜーんぶインドネシアだったのよ。大陸に近い分さまざまな 争いが現在まで続き、島のことでもめる我が国は当然のことだと思う。 それから2年後、夢でマラッカ海峡を描きなさいと・・誰かのお告げがあり描きました。 意外と好評で昨年六本木新美術館に飾ってもらいました。まだまだ改良の余地が多い絵 ですがそれまでの自分を打破した構図です。意外と夢のお告げがある私ですが、昨年 帰国前の夢は地下に居る状態というのを3回続けてでさすが天然の私も本気で行動して 生きながらえているのです。多分ご先祖様のお告げなんでしょうね。 そんな暗示物の一つに、惑星直列があります。昨年の5,6月そんな情報を耳にして 早朝4,5時散歩の私は見ました。南半球のピカピカの星空で3つくらいの星がだんだん 近寄る光景を。しっかりと縦にはなりませんでしたが。星に祈りを・・というわけで 私は2月に初めてであった消化器内科の主治医にお願いを毎日しました。それは 日本に帰ってきてからも続きましたが寒い時期になり4,5時から6時に散歩を変更 した時から不可能に。星がみえませんので。 インドネシアでも都心はすざまじい大気汚染ですので夜の星もあまり多くは見えませんが 郊外やバリ、ロンボク島では降るが如くの星空です。何か計り知れない力を感じる南国 のビンタン(星)でした。

 ラビスラズリとの出会い (2012年4月20日)

 くろまめさんの畑、だいぶ春らしくなり鳥との戦いも終わったようですね。 菜の花の強い香りやどんどん成長するときのえんどう豆の湿った匂いが 感じられます。植物の命の存在が強くなる季節ですね。我が家のカルフォルニア ライラック、去年は4月に満開だったのに今年はまだつぼみですが昨日あたり から水色の花の色の気配が感じられて、よかったね〜という期待。 私は青、緑系の色が好きです。それでジャカルタにいたときまず目を輝かせた のは青色のラビスラズリ。原石が沢山採れてしかもキリだと安い。両手で持てる 位の原石(キリなので色は悪い・・中は青っぽい)が5千円くらい。石のパサール というのがあり(今は火災のためなく、ビルになった)、町はずれのそこへ友人と 出かけました。欧米人、現地人、日本人ちらほら・・みんな加工されたものや石を 品定めしながら海千山千の店員相手に値切り交渉。3回は値切るように教わりました。 やはりちょっと勇気のいる異国のパサールです。友人と決して離れないようカニ歩き。 絵画(特に日本画の青)の絵具の材料になるので私的には石の破片も手に入れて 乳鉢で擦って、絵の具にたしてみようかとも考えていました。 しかし、原石を購入してほかのカット屋さんに石を切ってもらい後日取りに行き、 さらにほかの加工屋さんまで持ち込みデザインを決めて装飾品にするのに随分とルピア を支払わなくてはならず、これは1回で終了となりました。贅沢な遊びです。 カリマンタンというところでは様々な原石が採れて(色はあまり良くないような気がする) 見本市でも原石から作られた装飾品が、それはまあぶっ飛んだデザインのものまでいっぱい 売られていてしかも安い。デザインの発想がユニークで面白い。しかし日本にもたくさん 輸入されていてしかも安くあちこちで見たときはがっかり。日本で身に着けると周囲と浮いて しまいます。あちらではお金持ちの方がすごく大きな石の指輪をしたり、パーティーで使うので 需要が高いようです。時代をさかのぼると細かな金細工品やら品質の高い石細工の素晴らしいもの があり博物館でジャワ原人(レプリカ)たちと一緒に眠っています。 またなんといっても大理石の国で(家の床はさまざまな程度の大理石またはタイル)そういう石 の細工物もいろいろ見ました。竹やイグサ、稲わらを使った製品は日本とそう変わらずアジアは つながっていると思ったものです。織物やろうけつ染めもそうですが日本人との共通点は多い と言えます。 彼の国のすぐ下に位置するオーストラリアのパース(初級者コース)に家族旅行した時には ”オパール様”に出会いました。そのあまりの輝きと値段の高さにしり込みしました。が、 娘の鶴の一声で指輪だけは何とか手に入れました。”お母さんはちゃんとした指輪買って もらっていないでしょ!”渋い夫も娘の声に従いました。 小さな象やらカメ、ウサギ,カエルの石製品、木製品や布製品、貝殻、などなどの素朴な 土産品たちはやはりあちらの見本市で購入した虫食いの木(板がそのまま芸術品)でできた 本棚の中でホコリとともに眠っています。小さすぎて掃除が大変。マンションはどうして こうホコリが発生するのか・・そのうち絵画の中で活躍してもらいたいものです。

 猫事情 (2012年4月16日)

さて、次は猫のことです。勢いが衰えないうちに投稿しますので失礼をば お許しくださいね。 モスリムの国は犬がご法度(多分狂犬病予防の教え?)ですが猫は溢れるほど います。子猫でもその辺のゴミを漁って生きて行けます。住居の敷地周囲にも 角を曲がるといました。側溝で出産する、我が家の車の下に一匹ずつくわえて移動 する、あるいは(どういうわけか何回も)我が家の車の下で産む。ひどいミックス 状態です・・しかし父親の系統は何となくわかります。ボス猫はいつの間にか見分け がつくので。肩を怒らせてのっしのっしと歩く姿は雄そのもの、強そう!顔が合っても 逃げないで擬視してるし人擦れしすぎ。むしろ我が家のわんこはどこでもタジタジ。 困るのは猫カビで背中が白禿状態、猫エイズ、猫ダニ、たまに攻撃してくる、あるいは 新しく入居してくる人に媚を売る猫(毎朝同じ場所で可愛らしいしぐさで人待ち顔)、 うにゃいにゃとうるさく話しかけてきて離れない子。住んでいる間だけ餌をやる人、 欧米人のおばあさんは大袋の餌を毎日お手伝いに撒かせていました。うちの隣のドイツ人 も餌をまくので猫だらけになる時間があり、落とし物害や我が家の犬のストレス(吠える) で大迷惑。我が家の玄関の敷物の上にわざわざ落し物をしていくのは・・・。 しかしどういうわけか、朝ぴたりと猫の姿を見かけない日がありました。 なんでも空き地で燃やすのであたり一面霧がかかったような煙と臭気のせいでも、 週1度側溝に石灰をまくせいでもありません。普通の朝4,5時(涼しいのでその時間 星を見ながら朝散歩してました)やはり猫の集会だったのでしょうか? 家のお手伝いは猫は嫌い・・と言っていました。どこからでも入ってきて食べ物を 盗むから。最後に勤めてくれた彼女は我が家の犬とサッカーをして遊んでいました。 うちの子はあまり芸はできないし足も短いので大した技はできませんが、ボールを キャッチしたり、くわえてきたりは上手。真剣そのもので遊びます。彼女はさわれない けれどうちの子が好きで、家人全員旅行の時には小学生の娘さんと一緒に泊まり込んで 世話をしてくれました。今は自分のバイク(中古?)を駆って大学生の息子のために 働きまくっていることでしょう。日本の50年代のお母さんの姿を彷彿とさせるひと でした。ゴミ焼きも、側溝のどぶも、どこに行くのも歩く歩く生活、昔の日本の田舎 に普通に在ったものです。ただあそこには時代のせいでアンバランスに存在していた。 猫も犬も人と共に生きているからごく当たり前の光景ですが日本ではこんな観察を しませんでした。あちらでは必死で守らないといけないイヌでしたので猫もその対象 でした。今も運転手からお弁当のおすそ分けをもらったり、新しい飼い主の前で 毛繕いしている美人猫がまったりとくらしていることでしょう。

 ボン、火山、インド洋 (2012年4月15日)

気分の良いお天気で近所散歩でしたが、高齢犬3匹に出会い身につまされました。 主も熟年で、今は2人とも元気いっぱいなんですけどね。 さて、勢いがついていますので、引き続きジャカルタ時代の思い出話です。 2004年あちらに行ったばかりの夏、ボンがありました。文字どうりボンで、 カンガルーの国の大使館が被害を受けましたがそこは我が家のあるコンプレクス から歩いて5分。私はといえば、その1時間ほど前にスーパーに出かけていて ちょうどその店の駐車場を入り傾斜を少し上がったところでフロントガラスに きのこ雲。運転手がニョニャ(奥さん)ボンだ、家の近くだと言うのです。 さあ大変、カーラジオで交通規制とか聞きながら家まで戻ろうとしますがすでに 渋滞で2,3時間かけて裏道など選びながら帰宅です。家にはメードと犬のみ。 玄関が爆風で開かず天井の蛍光灯もかしがっています、2階建てのタウンハウスが 連なるつくりでしたがそれぞれ被害を受けている様子。隣には日本のTVの取材も。 なんでも家にいた彼女はちょっとおしゃれしてTVに映っていてちょっと可笑しい。 ストレスか、耳が聞こえずらくなり病院のセラピーに通い暖かい空気とか耳に入れて もらいましたがはかばかしくないので途中でやめました。あちらの方は結構あわてず (むしろ地震の方がパ二クる)、腹をくくって働きに出てくる感じがしました。 神のおぼしめしどうり・・・でしょうか。それからも高級アメリカ系ホテル、避暑地の ボン等々政府は警戒を非常に厳しくしてここ数年は起きていないようですが、まあ気の 抜けない国です。 地震はジャカルタのあるジャワ島にはあまり来ません。来たら大変でしょう・・ なんといっても建築基準は?市民の誘導は?火災は?すべて??なので。 頻繁に報道されている震源地周辺は日本でいえば違う島(九州とか北海道)なんです。 しかしです、クラカトゥア火山(現在は頭にアナック=子供というのがついている) というスゴイ火山があるんですよ。100年以上前に噴火した時には世界中に影響して ムンクの叫びの絵、あれは空がその影響で暗くなり、描かれたものと本で読みました。 噴火した横に子供の火山ができて時々噴煙を上げています。1度船で渡ってみたかった のですがチャンスがありませんでした。火山は日本と同様元気な国です。 ジャワ島の下の方へアクア(水)を採取する山超え、ゴムのプランテーション越え、 どんどん4時間ほど車で降りていくとプラブハンラトゥというインド洋がドーンと広がる 崖にへばりつく小さな避暑地(欧米人がサーフィンにくる)があります。とっても穴場的な 所ですが津波の影響で見る影もなくまた、運転手が道を知らないと帰路夜半山中で道に迷う というおまけがついてしまいます。もう一度行き、インド洋の深緑を絵にしたかったのですが 叶わず(夫が嫌がるので)、インド洋を絵にするのも難しく何とか2枚描きました。 オーストラリア方面にズーッと広がる急深の凄味のある海、インド洋。さえぎる島の少ない 人嫌いの海なのかも。

 実、たね、魔術など (2012年4月13日)

くろまめさんの野菜畑、桜、楽しく拝見しています 桜の素早い移ろいにおたおたしながら、一生懸命に観察してますよ。 花といえば種、果実・・南国では想像以上の面白さがありました。 最初のころ、マンゴーを買いに行くと(これも時季がある)ほとんど緑色、 しかし細長いのや、ずんぐりしたのや、形はいろいろ。慣れない私は欧米人 などの後ろにぴたっと張り付き選ぶ様子など観察。購入したものをお手伝い に剥いてカットしてもらうと自分でするのと違い量が多いこと。彼女は剥き かたが違い鉛筆を削る要領で皮を処理しています。マンゴーのなかはもちろん 黄色です。蜂蜜の味がするのもあり(お手伝いがパサールで買う)ほかの 物とは味が全然違い記憶に残っています。もちろんフイリッピンのように黄色 いマンゴーもあり。 スーパーでは、様々な海外到来果物にお目にかかります。オーストラリア、 ニュージーランドもすごく近いので秋に収穫したてのリンゴはとてもおいし かったですよ。ただ値段は日本からの輸入(2倍の値段)とそう変わらず 何でも買えるわけではありません。ルピア(通貨)のゼロ2つ取ると日本の 金額だよ・・と教えられましたが、1万ルピアは当時100円くらいという わけです。ありがたい買い物を楽しんだということです。 特筆すべきものは雄パパイアの花(実がならず花のみ)とカツオをごま油と唐辛子 で炒める料理。日本の山菜のようにほろ苦い。お手伝いが家の近所で摘んでくる ものを私は彼女の喜びそうなものと物々交換していました。 種といえば、私は幼少のころより葉っぱや種、実,石などの収集が大好きで いつもポケットの中が膨らんでいて,洗濯しにくいと母に文句を言われていたほど。 山の公園に星形の松ぼっくり(驚いたことに近所の公園にその枯れたのが落ちていた ーたぶん造園の際にあちらの松もあったのかも)やアルソミトラらの種を収集に行く。 この種は1年に1度(ボゴール植物園)子供の頭ほどもある実が10m位はする樹上 のツルからはじけ落ち、くるくるではなく、前方へ前方へ、押し出すように舞い落ちる。 グライダーはこの種をヒントに作られたそうな。PC検索すると出てきます。 地元の人は早朝にこの実(熟成しないでドスンと落ちるのも多い)や羽をせっせと広い 欧米人や日本人観光客用に商品とする。もちろん羽は繊細だし雨だと拾えないので 我々も彼らから値段交渉しながら購入したりする。雨季が長くて商品になるようなものが 取れない年もあるらしい。私もこの羽を少し手に入れ、なんとかそのうち絵にしたいと 考えている。以前日本のTV番組で有名大学の教授が宝物として紹介していましたよ。 話は全然違うけれど、これも忘れないうちにお話ししておかねば・・・。 ハントゥ(日本の幽霊)と魔術・・・・あちらではこの話で盛り上がります。 バスの中で肩をたたかれただけで催眠術にかかり金品すべて差し出す、恨みを買った お手伝いに魔術をかけられて家族全員病気になった話等々。日本人宅を回り語学を教える 日本語の上手な彼女(熟年、しっかり者)もそれに嵌り、金品をさしだしたそうな。 お手伝いが催眠術でドロボーを家に入れてしまい、盗難にあうことも。 そして、広大な墓地を整地してマンションなどが建てられたりしていますが、そういう場所 では良く出るようです。たいてい髪の長い女性。昼間、ざわざわと集団で後ろの方から やってくるというのもあり、明るい幽霊とも言えますが私は会いたくありませんでした。 車内で夫より長い時間一緒に過ごさないといけない運転手との話にはもってこいです。 ひとつ、未知の経験あり。夜中の2時から3時まで、我が家の老犬がベッドに上がると 言い張りいうことを聞かないのであげたところ、1時間も私の周り(仕方がないので ヨガ座りして辛抱した)ぐるぐるとまわり,虚空を見つめて唸っていました。 あれは絶対何かの悪霊だったと思います。私を守ったエライわんこです。 何の脈略もなく思い出すままですみません。 お話したらどんどん忘れていくような気がします。

 動物や虫たちとの共存 (2012年4月11日)

くろまめさんの、ゆっくり行こうという言葉は心に染みます。 ずーっと沈殿していた心が、このごろゆっくりと浮上してきていて体の中から 言葉があふれてきます。何かを表現するということは身体全が癒されます。 そういう場所をいただいてありがとう。 ベッドの下で寝ている老犬のいびきと足裏の臭さ(おじさんの靴下のにおい)、 それと肝のう胞の鈍い痛みで熟睡できませんが、彼女にはいつも助けられている12年。 さて、ジャカルタで最後に住んだ家は植栽も多く、敷地全体も広くてもったいないくらい の生活でした。しかし、虫やら小動物も沢山いて未知の出会いをしてしまいました。 乾季にはいつも庭の常緑樹のような木の葉を丸めて、その中に赤アリが巣(といっても 自分のからだだけ)を作り、電線を行進して触手で情報をやり取りしているのが見えますが、 雨季になると困りました。軒下に引っ越してきてモルタルにかみついて(最初は)からだ だけで丸い巣をつくり中に白い卵を抱きます。その数は相当なものです。 ドアの真上に作りしかも攻撃してくる(飛び降りてきて噛む)ので、バイコン(あちらの 殺虫剤)をバンバン吹き付けます。ほとんど退治できますが歯で壁にくらいつている強者も 居て次の朝には元どうり。戦いの連続でした。まだ庭にいる頃メードと運ちゃんに頼んで 退治してもらいましたが(彼らもギャーギャー言いながら枝を切る)はかばかしくありません。 次の雨季にまた同じ状態なのを見て彼らに、蟻の家を壊したからだといわれてしまいました。 蟻道を軒下に見つけると心が騒ぐという生活。事務所に頼むとすごく強い薬を使われる可能性 有りで、犬への影響を考えると良い知恵もありませんでした。屋根に接する木の枝を切って もらうとかあらかじめバイコン(蚊よけ)を吹き付けるとか・・・蟻にも都合があったでしょうが。 それに比べるとシロアリは雨季には樹に。乾季には土の中にというわかりやすい暮らしでした。 次の恐怖は、アシダカグモ。乾季か雨季か・・・思い出せないのですが、とにかくクモ嫌いの 私は夜部屋の天井隅っこにいる姿を見ると本当に嫌でした。まあゴキブリを食べたりチチャックの 子供(これはエアコンを住処にしていて繁殖しているヤモリ)をおやつにしたりしているんでしょうが。 日本でも荻窪に住んでいたころ自然が豊かだったのかいらっしゃいました。何しろ片手を広げたくらい おおきく見えました(足が長い)のでうちの大柄のポメラニアンは恐怖で固まっていました。 夫が電気ラケット(蚊とり)で追いかけると犬の水飲みに飛び込んで溺れそうになったり・・・ 以前住んでいたところにも玄関の真上にお住まいがあり、即お手伝いに言っておいはらいました。 そして、真夜中の蛇の行進。天井裏でざざっ・・と不気味な音。田舎の山の中育ちの私はピーンと きました。蛇以外なし。木造から始まり契約者が新しくなるごとに改装してきた家ですので見かけは きれいそうですが(古い古い!20年は経ている)天井裏はごみの山。壁の中をごみが落ちる音が 聞こえましたから。そういうところの天井はどんなものがすんでいるか?もちろんネズミは運動会 していますし(事務所に言うと駆除され一時的に静かになる)、それ以外のものも住んでいたでしょう。 乾季と雨季しかないあちらの建造物は劣化が早いので人が住まないとすぐにすざまじい廃墟。 庭のバナナが熟するころムサン夫婦(狸みたい・・運転手は匂いでわかる、友達と獲って食べたと 言っていた)が出没するくらいはかわいいものです。ただ犬と散歩するとそのふんが落ちていて 種ばかりのそれを見ていると、ルアックというあちらの高級コーヒー(体外に出た実を処理して コーヒーにする・・値段も高い,通の品)をおもいうかべてしまい、ついに知り合いにお土産 として買うことはできませんでした。消化器内科の主治医のお土産にしようと思いましたが 悪ふざけみたいだからやめました。 同じ敷地の中のアパートに住んでいる日本人のお宅では排水管周辺でサソリが出たとか・・・ もちろん素晴らしいカブトムシ(通の喜ぶ)や美しい蝶も・・・そのほかいっぱいいたでしょう が、デング熱のもとになる蚊(ほかの蚊とは特徴が違う)とかには煩わされました。 不思議なことに暑すぎるのか、カラスは山の彼方にしかいませんでしたよ。 ハミングバードが花の蜜を吸う姿はかわいいもので、楽園といえる構図を想い出せるのは 南国の経験に感謝する以外ありません。

 勝ったのか負けたのか (2012年4月8日)

ジャカルタといえばメードと運転手といかに上手に暮らすか・・・ それがとても大きな問題でした。もちろん使わない人(高級タクシーのみ使用) とか、も最近よく聞くようになりましたが。私もその手の本を日本で購入して あらかじめ勉強したりしたものです。 とにかくアパートも一軒家も会社払いですので我が家も最後に住んだ郊外の家は 240平米ありました。アパート、大小一軒家(平,2階あり)が集合している コンプレックスの中でした。庭の芝刈りや植栽の手入れはオフィスがしてくれます。 家の周りにしょっちゅう人がうろうろしているのも落ち着きませんでした。 もしこの広さを自分で掃除すると(している若い奥様もいました)買い出しとかに 時間をかけるとおばさんの私はエネルギー不足。洗濯も庭やテラスに干すので、 しょっちゅう雨模様と格闘していないといけないんですから。床はほとんど大理石か 模造タイルですので拭き掃除はかかせません。どういうわけかすぐ足裏が黒くなる。 また家屋の修理やエアコンの掃除やもろもろ家に誰かいないと何も進まず、やはり メードは居るだけでも良いのでありがたい存在。車は自分で購入したので(会社もちとか 共有とかいろいろある)運転手は自分で探さないといけません。いないとどこにもでかけ られません。 最初は夫が面接して(1年早くあちらに行き、インドネシア大学の語学コースに通う娘のため) 商社勤務の家庭の奥様のところで働いていたベテランの渋いおじちゃんに働いてもらって 居ました。私が行って半年後、メードも運転手もやめてもらいました。奥さんの目から見ると 不正、ずるさ、これは見逃せません。もっとのんびりと多少の不正等に片目をつぶれるように なるのには5,6年かかるのです。 やめてもらうのは簡単ですが(大目に退職金やボーナス払う)新しい方を見つけるのは大変。 友人(最初は少ないので)事務所、日本食スーパーに張り出してある求職ボード(携帯番号 や家の電話番号あり)を頼りに、3か月通い簡単な日常会話しかできないけれど必死で 面接したりする。夫も娘(あちらで働いていた)も自分の仕事やらで手いっぱいで相談 できない。8年前は携帯持っている人は少なかったんですが今は2つ持っていて片方を 愛人用にしている運転手(あちらはそういう点意外とルーズ)もいました。 本体を買い、プリペイドカードを買うのが一般的ですので本体の売買がすごく盛んです。 本体も偽物をつかむこともあり(これはほかの品物も同じ。高級デパートでも同じ)運任せ。 そうです、運転手も3,4人面接して1番悪いのが来たりしました。見かけや経歴書 (コピーを持ってくるけれど…本当に自分のか?いつのものか?いろいろ不明もある)だけ では新米おばさんの目で見抜けません。4,5人取り換える頃には夫や娘に私に問題がある ように言われて超ストレス。 初日から帰りのバス代がないので前借したい人、家の井戸が壊れて水をもらってせいかつして 居るので帰りに車を洗うとき自分も洗って帰る人、ほかに良い勤め先(若い人は保険のある会社 雇を常に探している)が見つかり包帯ぐるぐる巻きにしてきて、けがで数か月働けない、トラディ ショナルな方法(民間療法〜保険がないので)で治すのでいつ治るかわからないといいわけするひと、 携帯でいきなり朝からほかの会社に勤めるのでいけない〜ごめんね〜、奥さん子供連れてきて田舎に 帰るので勤められないでもお金今欲しい、などなど・・・ほかの車にぶつける人、信号無視する人、 借金を断るといきなり切れて、奥さんは運転手仲間ではケチといわれているんだよ、といいケチと いう言葉をわざわざレシートに書いて放り投げてくる人(運転中)。 奥さんが妊娠9か月で仕事がしたかった20代半ばの運転手は最初道を知らない、でも珍しく高卒だ。 田舎のバスの運転手経験のみなので用もないのに町まで出かけ道を教えた。しかし1年後何か注意した時、 奥さんはいっぱい運転手を変えて恥ずかしくないのか?と言う。私は、給料を払っているんだから 毎日変えてもいいの!と言い、夫に泣きつくと夫もやめさせろ〜退職金倍はらえ、と珍しく肩を持ち 怒りが収まる。それから後の3年間はイギリス人高校の先生宅で長く働いた雲助顔爺さんで持ちました。 片目も両目もつぶり辛抱したのです。 お手伝いさんは数人で収まりましたが、勝ったのか負けたのか・・・・今の私は精神的には すごく強くなったけれど、ストレスからくる病気は前より大きくなってしまいました。 こんなこと、誰かにお話ししておかないとそのうちただの懐かしい思い出になってしまい 私のくやしさなんかなーんにもなくなる、悔しい!だからくろまめさんに聞いてもらいました。 勝ち負けの問題じゃないよね。

 カリバタのビーズ屋さん (2012年4月6日)

くろまめさんの畑の野菜たちが無事で一安心しました。 展示室を見ているとビーズのことが出ていてじゃやかるたのアンティ−ク ビーズのことを思い出しました。忘れないうちに話しておかないと。 あちらに行ったばかりの頃、若くない初めての海外赴任でしたので知り合った 日本の先輩は拝みたくなるほどありがたい存在でした。どこに行くにも金魚のフン 状態に車を連ねて、迷わないように必死でついていったものです。そんな中のひとつ に”カリバタのビーズ屋さん”というのがありました。カリバタは町はずれの細い 曲がりくねった路地の奥にあり、家と店を兼ねたルコと呼ばれるあちらではよく見られる そこではオランダ人とのハーフらしい小柄な美人ミセスが応対してくれました。 1階の店から中庭とハーブ類の緑やハイビスカスの花がながめられて、おお南国の家! という雰囲気。あちらはなんといっても木製品の国故、ビーズの数々もひきだしのなかに 収まっています。友人に習って高そうな古いビーズはひとつくらいにしてあとは安そうな 天然石(これは宝庫の国)とかを混ぜてネックレスを作ってみる。日本では経験のないこと なのでその後も病み付きになり、雨で出かけるところを知らない頃はよくカリバタに 行きました。店の中をうろつくだけで異国情緒を感じていたものです。 その後、こういうお店を沢山発見していきました。 プロウスリブ(千の島)と呼ばれるくらい島の多いインドネシアは島のそれぞれが似たようで 違う織物や陶器、竹かご等々を産出していて数年前にじゃやかるた市内にコンベンション センターが出来てからは年に数回も、製品の見本市が開かれていました。輸出製品は精度が 高くしかも安いので目が輝きました・もちろん日本や欧米向けでデザインもグーです。 カリバタのビーズ屋さんで未知の宝箱をのぞいてしまった私はその後、見本市に三日連続 しかも一人で行くほどのおばさんになっていったのです。店のカルツナマ(名刺のこと) が分厚くなっていったのは言うまでもありません。インドネシアのご婦人に仲間と 間違われるまでになったんです。 それでは又思い出したときに。インドネシア語がだんだん怪しくなってきました。 つらい思い出だけでもないという当然のことにこの頃気が付いたんですよ。 サンパイベソック(またね・・・かな?)

 嵐といえば・・ (2012年4月4日)

すごいお天気だったね。日本列島が洗われた感じですね。 この頃イモずる式に封印?されていたジャカルタ生活のことが思い出され そうだ!くろまめさんにお話しするのもよいかもしれないと気が付きました。 この異常気象はジャカルタでよく経験しましたよ。もちろん時間や風の強さ はあちらのローカルTVでは詳しく報道されていませんでしたが。とにかく お金をかけないローカルTVはレポーター突撃という感じ。日本と似た形態 の島々からなる国ですが、中心地以外との格差が大きく情報はあまりわかりません。 大使館情報を常にチェックしないとさまざまな対応はできないのです。 運転手とメード(雇用には彼らの生活を助けるという意味もあります)に 恵まれたらあちらの生活は天国と言われていましたが、私は恵まれたとは言えず 最後の3年くらいはまあまあの人に当たりました。悪天候の日に外出するのは (通常車のみ、危険で歩けない)決意が要りました。やたらガンコで英語が得意 な、雲助顔の我が家の爺さん(私より若いけど、こう呼んでいました)運転手に 勝手に道を選ばせないために自分のジャカルタ市内地図を広げてチェックする・・ ほとんど地図を読めない運転手(習っていないことも)が多くて、新しい場所に 行くときは自分でおさらいしておいて確認しあう。あらかじめ電話させてから出発する。 大風、大雨、雷とくればお決まりの洪水。道端に一応大きな排水溝がうまっている ようですが吸収しきれず(何しろ生活排水やごみ、すべてながれているので)あふれて いつも同じような場所が洪水でジープの半分くらいまで水が来たりします。迂回して 抜け道に嵌り、逃げ場がなくて2時間もかけて抜けたり。経験の浅い若い運転手は そういう時に困ります。とにかく落ち着かせて冷静に(あちらの方はすぐカッとする) おだやかに。その辺で降りて自分だけ帰ってしまうケースもあるのでおばさんの知恵で 切り抜けるしかない。ディズニーランドに植えてある大きなヤシの木や街路樹が雷で 倒れたりひとも巻き添えになります。そうなんです、嵐の日の外出は命がけでした! 我が家のベランダのブルーベリーのつぼみとビワを玄関に持ち込み難を逃れました。 西向きの我が家は南風がとおり抜けていく形で助かりましたよ。 くろまめさんのお宅はどうだったのでしょうか?畑の様子も心配ですね。 それでは又折に触れ、8年間の思い出をお伝えしますね。

 オーク樫の襲撃 (2012年3月31日)

横浜、丹沢方面から黒雲が押し寄せていますよ~ 突風がひどくて犬散歩もできずそそくさと帰宅しました。 ビニール袋を風に持っていかれて信号を渡り回収しました。 くろまめさんの野菜畑、うらやましくそしてお世話が大変だね〜と 想いながら見ています。鳥に食べられた葉はもっと美味しくて強い葉 を成長させるんだね。そうなるとイタチゴッコ? ジャカルタでも有志たちが有機栽培の畑を地元の人と開発していました。 ウサギのフンを肥料にしていたっけ。野菜や果物をマンションやコンプレックス (あちらでは大から小まで門番、守衛付、それだけ危険ということ)に売りに 来ていました。決まった場所のみでしたが、3件ほどある日本スーパーにもおいて 有ったりしてとてもうれしかった。お米も販売ルートがあるようでしたが冷蔵庫に 入れておかないとすぐカビが来てしまいます。ボランティア活動(絵本の翻訳、 大学で日本語教える、人形劇紙芝居で田舎をまわる、等々沢山)や習い事 も盛んですね〜何しろ安くいろいろできる点は良かった。 そんな中で私はひたすら自分の絵の生長に賭けていました。夜中の工事(10時から 朝4時のコーランの時間まで)騒音で最初、いやなことが続いたので2回目、アトリエ が狭くて3回目、最後の4回目の引っ越しは都心から1.5時間くらい離れた欧米人 が多く住む(イヌ大丈夫なところ)コンプレックスと引っ越し4回もしました。 日本と違いお手紙の転送がないので付き合いきれない友人も多く郵便もどんどん少なく なりましたが、くろまめさんはちゃんと追跡してくださりメールもいただきまこち うれしかったよ!友達が送ってくれた絵画雑誌は6か月も(魅力的なものだったら 中身がなくなる)郵便局の奥に眠っていて、職員とやっとこさ探し出し感激したものです。 最後に3年間住んだところは敷地が広くてオーク樫の大木が並木になっていました。 イギリス風にきれいに整えられている風景はとうとう絵にできませんでしたが、ハイビスカス やブーゲンビリア、裏庭のばなな、玄関横のナンカの大木、私が植えたアボカド(2階の屋根 まで伸びていて今頃実がなっている?)たちが日々のお友達。しかしオークの実(10cm以上) に2度も襲撃されました。きんもくせいみたいな小さな花、沢山の木々は一斉にではなくずれて 落葉、若葉、結実なのですが、高い木々の太陽に近いところに群れて見える茶色の実が2度も 肩や顔の前に落下してきたのです。早朝で風のない日や夕方でしたのでなぜに?といぶかりました。 大好きなオーク樫でしたが意外と彼らに嫌われていたのかもね〜警告だったのかなと。 日本ではまだ危険な自然に出会わないから幸せです。

 思い出したよ (2012年3月24日)

蓮生寺の小山は今日も霧雨の中です。 まこち日本の春とは小雨と突風の繰り返しだということを忘れていました。 でも山全体がうっすらと桃色めいていて少々鈍感な夫でさえ”おお竹が いきなり生えた(前からあるよ)”と感動してます。 くろまめさんの最新宮崎情報・・・その他いろいろ興味深く拝見しました。 もうだいぶ前から興味がすごくありましたが、その空気がすごく濃くて少々 怖気さえ感じていたかもしれません。幼少のころ山の中で成長した(タケノコ ではないけど)私は自然の霊気やそれと調和する人間の在り方に結構気が付いて いましたが深く踏み込む勇気はなかったかもしれません。 あまり難しいことはわかりませんが古代より自然と共存する人間の苦労と努力 は今読破中の”銃・病原菌・鉄”という本からもよくわかります。 私の育った信州の山村にも諏訪から分かれた神社があり姉は一度奉納の舞をして いましたよ。くろまめさんのおじいさん、お父さんが太鼓をたたく様子や その中で育った感覚は今のくろまめさんの情熱に表れていますね。 インドネシアでは宗教色濃く、一日中日本製の性能の良い拡声器からコーラン やら地域のお知らせ(どこそこの誰がなくなっとか・・・)が流れていて、 お祈りの歌?は日本の地方民謡のようにも聞こえました。師や弟子、優秀な 子供?まれに女の人などが教えの一節とか言っているのも数年いるうちに 理解できるようになりましたっけ。おじさんが子供を諭すように何気ない 日常の注意を言っているときは”ふーむ なるほど”と思いました。 堆肥作りから始まる畑の1年、食べ物を大切にする気持ち、植物の生長の 変化・・・写真から感じるものに共感していますよ。 細やかな感覚は赤道地帯にいるときには忘れていたかもしれません。 そうなんです、環境で人間は進化が変わったというからたとえ数年とはいえ やはり日本の感覚から離れていたという気持ちに今気が付いたかもしれません。 有難う!くろまめさん。

 何が幸せか? (2012年3月18日)

今日は1日霧雨ですね。こんな日は植物の芽や蕾がグングン成長している 感じがします。ようやく梅の花を発見。タンポポはまだなんだよねこの辺は。 ようやく頭痛の風邪が治りましたが来週から歯の治療をしなくては・・憂鬱! 歯といえばジャカルタのダウンタウンの歯医者(というか看板)を思い出します。 入れ歯を描いた看板あり、そこが歯医者。運転手に聞くとどうやら歯医者の卵 とかが治療していてとにかく抜くのだそうです。保険のない低所得者が多い 国ですので普段なかなか歯医者にいけないのか・・・その看板はいたるところ にあるので見るだけで恐怖でした〜 ちゃんと治療を受けられる幸せを感謝しないといけませんね。 春の展覧会に向けて50号三枚手直し中です。 気分が落ち着いてきて何となく自分で納得できる仕上がりになりつつあります。 若いころの希望を捨てずに持続してよかった!平坦な道ではなかったけれど こんな年になり自分の世界を描けてうれしい限りです。

 春色になりたい (2012年3月10日)

今日は気温低めですね。蓮生寺の蕾が少し膨らんだ色の木々を背景に 雨が横に動いていますよ。 こんな日のお散歩はささっとおしまい。お出かけの気勢もそがれます。 ターシャさんの冬色の家や土の色、繊細な木々の枝先、あちこちに芽吹いて いる水仙やチューリップのたくましさを思い出しています。 私が育った信州の山の中の家(石灰工場を経営していましたが化学肥料に 押されて幼少の頃倒産)は彼女の写真集に出てくる環境ととてもよく似て 居るんです。植物や小動物、花の好きな母の庭、畑・・・よく似ているよ〜 くろまめさんがいろんな種を畑にまいているのを知り、母もラッカセイやら 中国系の葉っぱの大きなの・・なんだっけ?興味本位でいろんな種をそだてて いたのを思い出しています。タチアオイの花もいっぱい咲いていたっけ。 今は杉林の中にその存在のかけらもありません。 この間はジャカルタの思い出をポッと思い出したし、このごろバランス崩していた 思考状態が少しずつもどっているのかな?肝臓悪いと思考にかんけいするみたい だからね。 この頃PCの状態が悪くてメール中続行不能によくなりますがどうしてでしょう? PC買いかえたばかりなのに・・・でもめげずに書いています。 あっ今日はお絵かきに集中しないと。マチスの切り絵の絵画・・・引き込まれ中です!

 木の芽お越し (2012年3月4日)

今日の八王子は薄曇り。せせらぎ川の上流には鴨夫婦が泳いでいました。 シラサギの子供がすぐそばにいましたが人なれしているのか学習不足か ・・近ずくまで逃げません。小さな浅い川ですが近隣の管理が行き届いて いて、ちゃんと水が流れるように落ち葉やごみの掃除をする人を良く 見かけます。里山管理ということをよく考えている日本は素晴らしい! ジャカルタにも公立の公園があり(ボゴール公園・・・これはオバマさんが 行ったときに急ごしらえのヘリポートを作りましたが結局使わず、いくら 大統領別邸がある場所とはいえ国民のブーイングを受けたようですよ。 確か池を少し削って作ったはずです)それと、バンドン国立?公園は 第一回アジアアフリカ会議が開かれたから昔世界史のテストにでたよね) ジャカルタの町の中にもアジアアフリカ通リというのがありなるほどね〜 と思ったものです。 と話は支離滅裂ですが・・・スーパーでお買いものしているときに、ふと ジャカルタに沢山あるカルフール(スーパーといえば韓国系、アメリカ系、 地元のちょっとダサ系)でお買いものする低所得者(カップめんやコーラ、駄菓子 くらいしか買えない)、使用人を2人くらい連れたマダム、お金を払う前に平気 で袋から出して食べる子(あとでレジすればオッケー)さまざまですがひとつ 強烈な印象はみんなにこにこ明るく幸せそうだったということ。あんな明るさは 日本で見かけません。安くて物が沢山あふれている日本ですが、何が幸せか わからないね〜と夫と話したことです。確かあそこはイギリスの調べで 笑顔度ナンバーワンだったと思います。みーんな不思議なくらい笑顔笑顔。 ほとんどの庶民はパサール(日本の市場、大小)で買い物しているようです。 鶏もその場でつぶしてもらうんだそうで、メードに買い物頼むと新鮮で良いのか 怖いのか悩んだものです。 というかわけでこの頃日々の暮らしの中にジャカルタ生活の思い出がポッと浮かぶ ようになりました。10年日本を離れていた夫は浦島太郎状態で青い顔をして 速足歩きの日々を送っています。半年前まで同じだったことを忘れた私は 叱咤激励しております。                      

 報告パートII    (2012年2月16日)

曇り空で雨予報10%の八王子です。  このお天気ではせせらぎ川のカワセミ親子も藪の中で寝ていることでしょう。  先週の土曜日にせせらぎ川下流から上流まで(住宅地,橋もわたるんだよ、 上流近くには赤坂見附から移転した見附橋がありその上に長池、浄瑠璃池、 など見事な雑木林と炭焼きや田んぼの体験学習ができるところもある・・・ 浄瑠璃姫の伝説も昔話のような懐かしさ)初めて散歩してみて素晴らしい 1時間コース発見に夫と大喜びでした。 先日病院の検査日でした。 手術した肝のう胞にまた水が溜まりほとんど元の状態に戻りつつあるという CT画面には超驚きでまたまた頭の中が真っ白でした。ただのう胞内のものが 良性でガンの疑いも晴れたのが何よりの救いです。 かくなるうえは血液検査をにらみながらまた手術をお願いするのみです。 6か月くらいかけて痛みが出ると思うので今度は少し上級の手術になるのでしょう。 のう胞が多すぎて肝臓事態の手術は出来ないんだそうです。 こういう手術例が多い病院に変わった方が良いのかと迷いますがお若い先生 方が勉強しながら丁寧に治療してくださるので1回1回の手術を覚悟の上で 挑戦するか!と気合を入れているところです。  窓向こうの蓮生寺の小山、今日は淡い墨色に流れていてしっとりとした風情 で佇んでいます。この山を2度ほど探索しましたが結構ハードなコースもあり バカにできませんでしたよ。つり橋もあるんです。  また里山歩きの報告もしますね。

 長い1年でした    (2012年2月7日)

すっかりご無沙汰ですみませんでした。 日頃の健康管理のずさんな結果でこの1年は入院手術の繰り返しでした。 昨年の2月末から今まで大腸ポリープ(3.5cm、ステージワン)、巨大肝のう胞3個と その他の数2ケタで新年早々2週間近くの入院オペ2回。肝のう胞の一番大きいのは昨年 2回の転倒でつぶれていておまけに内出血もあり(がんの疑いまであり)。あまりのめま ぐるしい診断に頭の中が真っ白状態。退院3週間目突入の今ようやく気力も復活してきて いる所です。黒豆さん同様私もいろんな状況にめげず好奇心旺盛で乗り切りました。 入院中のメール励ましまこちうれしかったです! 現在は夫も本帰国してきて2人でミレニアム全6巻を読みまくっていますよ。 超狭くなりおまけにぼけ気味の12歳の犬のおしっこ場も兼ねている私のアトリエをいか に居心地良くするか・・・ジャカルタで拾った宝石の数々をいかに絵の中に散りばめ新し い作品を生み出すか・・・残雪を溶かしてくれる今日の雨のように少しずつ凝り固まった 自分の状況をとかして行きたいものです。 窓の向こうに見える蓮生寺の小さな山は毎日表情が変わり、モノトーンの素晴らしい版画 風景にちょっぴりの若緑や薄いピンク色が加わりはっとするほど絵画的です。 日本はこれだからいいね〜雨水にはお雛様を出して飾らねば! もう10年近く出してない のです。今年の絵画展のご案内ができるように頑張るね!