里津子の窓2
人生で大切なものは”孤独の引き出し”です。家族や友人も知らない一生自分しか開けない
引き出し。それぞれが、整理したり何か彩を加えたり要らないものを捨てたりする。ある人
はその中に絵や歌や詩やゲームやメールや様々なものをしまっておくのは言うまでもありま
せん。何も置かないすっきりした空間で安らぐ人もいるでしょう。そこはとても大きなパワ
ースポット。自分の心の中の引き出しです。
******** 「里津子の窓1」の下段に「写真ギャラリー」を移設しました。********
日差しをまとった木々 (2012年9月30日)
帰国後腕試しを兼ねてあちこちの絵画コンクールに挑戦している。今年はもう2回もボツで
落ちこみ気味だったがようやく一つ入選した。昨年に引き続き自由美術だ。六本木新国立美術館
で3日から15日まで展示される。去年は、海峡というタイトルが重すぎたが今年は古代船にした。
まさか夢のお告げで描いているなどと言えないので考えた。過去と現在という時の空間を往来
する船。人の姿はわずかしか描かない。海を俯瞰図に見て描いているのでクジラらしき形なども
誇張して配置してある。・・2点出品したのでどちらが入っているかわからない。もう一つの方は
同じタイトルでもダークオレンジと茶、黒、グレーなので先の水彩系グリーン、ブルー、グレー、
白、黒などとは色目が違う。
今朝の犬散歩は少し足取りが軽くなった。久しぶりに中学校裏のコースを歩いてみた。
成長しすぎたススキなどがなぎ倒されている一角もあり以前に比べると整備されていた。鳥の声は
無い。鶯はどこで暮らしているのだろうか。以前見かけた小さな畑はコスモスが無残に花をつけないまま
に立ち枯れていた。ひまわりは本数こそ少なめだが重い実を下に向けて全員がひまわり色の花びらを
まとっている。隣のサツマイモは濃いグリーンの葉を繁らせて収穫の秋に備えている。サツマイモの
生命力の強さにほっとした。
ポブラらしき木の葉は紅葉しておらず落ちている葉の1枚を拾い香りを確かめてみると甘い枯葉の
におい。確かにポプラとは言い難い。秋太りになりつつあるわが老犬を無理やり歩かせながら
すでにまぶしい日差しを背負い始めたゴルフ場堺の木々を見やった。夕方から台風日和に突入する
という予報があるがまだ明るいグレーの空だ。
見守っていてくれる人々の存在や暖かさに感謝している。人も車も来ない信号を律義に待ちながら
疲れて後ろ足がぶるぶる震えている老犬を見下ろした。一仕事終えたね、と語りかけてみる。
少しだれている心を引き締めて次の仕事に集中しないといけない。うっかりするとすぐに怠ける
自分の心。目線の下に続く坂道は長いがどこまでも歩けるような気持ちの朝だ。
看板は、準備中です (2012年9月29日)
無風の朝 薄い色彩の景色
気持ちのままに歩く
目に飛び込んでくるものは皆無
半分眠ったままで歩いていると
いつもの公園に出た
青い芝がきれいに刈り込まれていて
ぼんやりした記憶は昨日の
草ぼうぼうの景色を思い出す
団地の入口に赤と白の彼岸花
白い花は誰かの強い気持ちを
はっきりと伝えている
たった2,3本なのに
ドキッとして目が覚めた
柳の木を見下ろす電線の上に
キジバトと2羽の子供が見える
今朝初めて出会う鳥だ
ススッと親鳥が子供の横に移動した
そのままどんどん横に押していくので
子供は飛び立つしかない
かれらはすぐ下の塀にぱらぱら飛んだ
自分のリードを銜えて自慢そうに歩く
スピッツがやってきた
黒と茶の小型犬2匹を従えて近所の
老婦人がやってきた
少しだけ花を付けたサンザシは
不健康な白い色の中心に暗赤色の口紅
準備中の看板を掛けている金木犀
近所の植物たちはまだまだ
舞台裏の支度中 装い中だ
秋の収穫、蘇る野生 (2012年9月28日)
昨年購入してベランダの鉢の中で育っているオリーブの木に実が生っている。
もともと大きく育った幹を根元付近で切られてそこから枝が伸びたものだ。
近所の駅のあまり植木類を置いていない花屋さんで見つけた。そこの鉢類は
おおきくなりすぎたものや枝ぶりの悪いもの、花が終わったもの、という風に
ぱっとしないが私はある程度成長した植物を購入したいので日頃から点検怠り
無かった。忙しいパートの奥さんが暇を縫って玄関まで配達までしてくれた。
四季咲きの野ばら風薔薇もそこの店で買い求めた。花が終わりつつあったが大きく
育ち竹ひごにぐるぐる巻きつ居ている姿は十分。期待に応えてよく花を咲かせるが
さすがに今は一つも花がない。もっこくバラにも目を付けていたが近所の生垣で咲いて
居るのを見かけて花が1回きりで散り方がにぎやかなのでやめた。暖かい黄色が素敵だ。
おおきな園芸店はあちこちにあるけれど街角の店先にも意外と光るものがあるのだ。
オリーブの実は15個ほど実っている。昨年異種の苗を根元に植えたので今年は
見事に花が咲き成功した。実は沢山ついたが残ったのは少しだ。大きくなる過程を
見ているとしわしわ状態からだんだんパンパン状態になるのがわかった。少し紫色
が先端を染めている実もありオリーブの実が熟す段階に来ているらしい。
ネットの写真では紫、緑取り混ぜ状態で収穫されていた。
この実をいかに食するかネットで検索した。失敗例成功例薬品使用例とあり、私は
沢山の塩をまぶしてガラス瓶に入れ5か月冷蔵庫に保存する方法に決めた。田舎の
山菜でも灰であく抜きして茹でて塩漬け保存していた。あく抜き作業は大変だ。
オリーブの実を食するのも大変だという事がわかった。油をとるにはどんなに
手間がかかるか・・どの位の実を収穫したら取れるのか絶望的だ。
実がなる木はとても楽しみで収穫できたらうれしい。昨年沢山実を付けたのに台風
などで大きくなりきれず葉まで枯れてしまいバッサリと剪定状態のビワに芽が出て
又実が生るのを期待している。カルフォルニアライラックも剪定した。繁りすぎて
中の方が窒息状態に枯れてきたローズマリーも刈り込んだ。一仕事済んだ。
沢山の木々や実の記憶はサッと故郷の山裾、動物たちの暮らしにワープして野生の血が騒ぐ。
秋の実りや紅葉が熟していく香りが脳裏によみがえり生き物としてのうれしさも蘇る。
秋の前奏、錆び色など (2012年9月27日)
くろまめさん、そらまめさんお疲れ様でした。フェニックス公園、やしの木が
素晴らしく大きくてジャカルタの街路樹を想い出しました。宮崎と言えば新婚旅行
が思い浮かぶ古い時代の私ですがいろんな景色を想像できるようになりました。
少し肌寒いくらいの朝。シャツのボタンをもうひとつ留めた。よく見るとプラタナス
の木の葉は下の方が少し黄色く色付いている。わが老犬は寒い季節が好きだ。
首をねじってうれしそうに私の顔を見上げる。目と目が合って以心伝心。仲良し同士。
郊外のせいか熊笹が生垣を覆いサツキの姿が見えない場所がある。オトギリソウも
すっかり枯れきって元の色や姿が想像できない。
クローバーの公園は芝が青々と覆い尽くしてヤギやヒツジだったらよだれをたらしそう。
わが老犬も胃の具合が悪いときは彼らのように貪り食う。しかし最近はあまり食べない。
鳥の姿はスズメ以外無い。みんなどこで季節の変わり目を迎えているのだろうか。
今朝も同じ場所で栗の実を期待して眺めてみたが皆無。欲張ってはいけない。
川筋には枯れて鉄錆色に変わったドクダミの群れがある。その間に朱色の彼岸花。
そして紫式部。出来すぎの配色だ。川の流れは水量が多く本来の激しい水音を
立てていて心地よい。この音は生き物にエールを送る。
ひこべえ坂を上っていくとまた涼しい風がさあーっと降りてきてわが老犬はいつもより
軽い足取りである。励まし励ましいつものコースを終えてグッドガール!と頭をなでる。
朝の散歩コースが少しずつ色やにおいを変えていくのを観察するのがとても楽しみな季節だ。
ベランダにイチゴの苗を置いた。特大イチゴが実るというデルの苗。大きな鉢に3本。
苗と言えば○○の時代ではなくていろんな会社が売り出していてびっくりした。
四季実りと説明書きがあり欲張りな私はバラも四季咲きで他の草花も多年草だ。
シバ固めのミント(ツルがどんどん伸びる)が繁殖していて目を離すと大鉢からはみ出る。
ベランダのゼラニウムの赤とオリーブやイチジクたちの緑が心をわくわくさせてくれる。
栗の実、彼岸花、紫式部 (2012年9月26日)
涼しい朝は犬も主も明け方に熟睡してしまう。5時半を過ぎると会社へ急ぐ
人たちがひこべえ坂を下りてくるのでよろよろ歩きの私たちはお邪魔虫になり
早めに避けるのに忙しい。頭から足元までさわやかな空気がピンと張っていて
快い。まだ青々とした葉を繁らせているプラタナスの街路樹は朝1時間の違いで
随分遠くまではっきりと見渡せる。
公団の建物に沿って1本生えている紫式部は大きく育ちその紫色の小さな玉の実
の数珠が細い枝をしならせている。根元には彼岸花色とでもいうべき赤さのひと群れ。
ショートカットの散歩道。階段を下りて小さな流れのところに向かうとなんと
茶色の大きな栗の実が転がっているではないか。多分近所の幼稚園の庭の端に
植えてある栗の木の子供。オオーッと手が伸び感激とともにわがバッグの中へ。
あちこちで栗の木は見かけるがここら辺の木はすべて管理されているから実を
拾うことはすっかりあきらめていた。たった一粒の栗の実。川辺にも彼岸花。
信州の湖水地方で育ち栗の実はいやというほど拾ったものだが、オリンピックロード
が作られて山がリンゴの皮剥き状態に開発されたあたりから栗の実、キノコ、山菜、
すべて乱獲されるようになったと地元民が話していたっけ。そのロードも今では
観光客用で昔の山の風情は無くなってしまった。
我が家のベランダの鉢に土改良剤を入れたせいか、キノコの胞子も混じっていたと見えて
薄黄色の少し大きめのきのこが連続して生えた。もちろん見ていただけだが日本のきのこ
の記憶がよみがえってしまった。マツタケを蹴飛ばして歩いてた幼少の頃のことも。
改良土は里山の枯葉などから作られているに違いない。山の中の物語を届けてくれた。
風の又三郎おじさんと栗の実はいかにもマッチするが今朝は見かけなかった。
夢の解釈と安堵 (2012年9月19日)
しっかりした雨でくろまめさんの畑は潤ったと思いますが多過ぎたのかという事を
心配しています。日頃何かと心配事が多い私ですが先日見た夢はどうも理解不能であり
考えてもわからないのでPCで夢辞典とやらを覗いてみました。
やたらと記憶にある傘は守ってほしいという願望らしいです。傘が沢山あったのは
日頃守って欲しいという気持ちがとても強いのでとても納得です。いろんな傘が沢山。
出入り口や知らない人の存在や靴は新しいことや変化の示唆らしく特に悪いことでは無い
様子です。上に上にという階段も良い兆しらしいので、へえ〜っと感心してしまいました。
よく夢に出てくるバスも運命の変化の兆しなのだという事も知りました。いつもバスなのです。
夢も何も知らないで見ているとわけがわからず逆の解釈で悪い思考の連鎖にはまりそうです。
実は血管が破れて血が沢山出たし・・・これはいよいよ地下生活の暗示かもしれないと思って
いたのです。狭い空間でにこにこした若い人たちとの出会い、悪い感じは何もなしかった
という事も思い出しました。昔から母親譲りの取り越し苦労を沢山して、ある時はそれが幸いし
あるときは文字どうりという人生です。占いの経験は2回しかありません。銀座のデパート
向かいに夕方5時ごろから出ていた某大学出当時有名な男性に見てもらい当たるのでびっくりした
ことは有りますがウン十年前のことです。ぴたりなので2回続けてみてもらいました。人により席
を移動して近くのビルの地下の喫茶店でさらに深く占うらしく私も誘われましたがそういうことは
あまり好きではないので断りました。今思い出しましたが新宿の女性にもごく若いころに1度
みてもらったかも知れませんが内容は全く記憶になしです。
はっきりした夢を時々見るので気にはなっていたのです。持病ができてしまったとは言えそう悪い
事ばかりではないんだなあと納得して根が気楽な人のせいか気分が明るくなってしまいました。
まだ秋刀魚、リンゴ、ナシくらいしか秋らしいことには出会っていませんがさらなる出会いや観察
に再び楽しみが出て来たではありませんか。5時前の犬散歩時に少し止んでいた雨がまた降りだしました。
くろまめさん、そらまめさんが宮崎のふる里で大きなパワーを得てさらに沢山のメル友たちを救って
下さることを期待しています。感謝。
風に揺れる木々 (2012年9月16日)
またまた明け方3時の夢。台風の影響で山風が涼しくしのぎやすいがこのところの
体調不良のせいか夢の出番。自分が希望する夢ではなく脈絡もないので例により眠気
を我慢してメモする。そしてまた眠ってしまった。肝臓と脳は絶対関係があると思う。
今度主治医に聞いてみたいが答えてくれるのだろうか。
いきなり岩のような男の人の声。今まで聞いたことが無い調子でゴツンと響いた。
”○○(私の名前)に上げよう”いったい何をくれるのか・・・。ただそれだけ一言
なので??。しかし宝くじでもなんでも下心があると外れるし無心だとあたる。
ジャカルタでも日本スーパーで日本の携帯電話を当てたことが有る。くじ物に弱い
から非常にびっくりした。運転手に欲しいと言われても上げなかった。日本円で
5千円くらいの安物であるが地元では貴重品だ。あちらでは売買が盛んで価値がある。
この携帯は結局1度も使わないまま不明になった。現地人の役に立つべきだった。
ノキアが主流の国でこの日本の携帯は当時非常に使いにくく特に日本人の支持が弱かった。
この夢は言葉だけで終わったが続いて他の夢が現れた。多少の理性がここは職場か
と考えている。ビルの中らしい。なんだかごちゃごちゃしていて玄関状のところから
入るととにかく傘が多い。いろんな傘が置いてありそれもきちんとしていない。外は
雨というわけでもない。履物も散らばっていてどれが自分の物かわからない。
一応階段や廊下を進み自分のデスクらしい狭い荷物だらけのところに座る。周りを
見ると人の良さそうな男女が仕事らしいことをしているが気配だけではっきりしない。
仕事につかえそうなものは机と箱(何が入っているのか不明)のみだ。
上司(女性)や仲間と毎日昼食のための場所にのんびり出かけるが具体的には状況不明。
たとえば大木の中みたいにビルも小さくて細長い作りで上にやたらと登る職場だ。
朝遅刻しても誰も何も言わない。ジャカルタ時代の同年齢の友人が20歳くらい若返り
薄いピンク色のワンピースを着て笑う。近所の日本人友達だった奥さんも若返りピアノを
狂ったように引きはじめる。なんだかよく理解できないが私の夢はいつもそうなのであまり
不審に思わない。
ある日若い女性の上司に呼ばれて彼女の前に立ち質問に答える。私に関する書類を見ながら
”このあたりの年には何をしていたの”と尋ねるので紙を覗くと履歴のようなものが書かれて
いる。ええと、その時はこんなことをしていましたと答える。この会社のようなところは
いったいなんなのか、私が彼女に尋ねると”鉄道のようなことの仕事をしている”と言う。
釈然としない。見回すと穏やかそうな男女(若い)が特に何をしているという様子もなく
席に座っている。よく理解できない、ここで私はどんな仕事をするのだろう。もしかしたら
夢の中では私自身も若いのかもしれない、と夢から覚めてから気が付いた。
夫が”犬の散歩に出かけるよ”と声をかけたので夢はそこで途切れてしまった。
風に揺れる木々のように世間がざわついている。しっかりした視界、考え、行動で明日
のために知力を尽くさないといけない状況の様子だ。まず自分自身の世界をしっかり
見なければいけない。自分の足元を確認してからとりまく状況の把握へと広げたい。
どんな時でも希望は人の道を開いていく。経験でそれをはっきりと言える。
スズメバチのスケッチ (2012年9月14日)
夏の終わりの公園で
ハチに出会った
子供の頃スズメバチは敵だった
ミツバチを襲い頭だけ噛み切る
そして巣を征服する
小さな子供なのに
ハエたたきでやっつけた
集団ではなく1匹ずつやってくる
かれらは悪い奴だと
大人に刷り込みされていた
ミツバチも負けてはいなかった
兵隊バチというのが群がって戦っていた
ただそれも敵が一匹のうちだけだ
随分勇敢だったではないか小さな子供だったのに
言われるままに見張していたなんて
1度針を刺すと自分も死んでしまう
ミツバチのためにだけ恐さを忘れた
ひと箱しかないかれらの家だった
蜂蜜は山の中の家ではとても貴重だ
何しろ栄養失調の人が大勢いた時代
雪の中で凍死寸前のミツバチを
手の中に囲み暖かい息を吹きかける冬
黄色い花粉を背負い足にもぶら下げた
働き蜂が飛び交う華麗な夏
白いレース模様のニンジンや
黄色、赤、オレンジ、ピンク色の花々
かれらはまるで小さな賢い友達のようだった
スズメバチやクマンバチや足長バチが
どうして攻撃してくるのか
なぜあんなにスピードが速いのか
どこに住んでいるのか
他のハチを襲うわけを
誰も教えてくれなかった
きのう公園で出会ったスズメバチは
小さくてシャープな羽と黄色と黒のハチ模様のおしり
そのきりっとした姿に思わず見とれてしまった
高い梢の青い空間からいきなりやってきた
道の端を流れる湧水が地下に吸い込まれる手前
小さな水たまりのところでピタッと着地した
木漏れ日を反射する透明な水のふちで
流れ着いた枯葉の上に足を乗せ
そっと口を寄せると静かに飲んだ
遠慮がちに丁寧にひっそりと
一時の後 すっと一直線に飛び立った
やってきた梢の空間にあっという間に消えた
水を飲むだけの
崇高なすがたのハチ
老犬の静かな時間 (2012年9月13日)
老犬はフェンスの下の隙間や
カーテンの裾から見える
外の景色が大好きだ
一人で外には出れない
留守番も長い
犬友達はいない
アッ猫が歩いていく
こうなると彼女のわんわん攻撃
声の限り吠えるが猫は知らん顔
ジャカルタの猫の強いこと
何しろ猫天国 犬地獄
散歩で出会っても
目をそらさず 痩せた肩を怒らせて
威嚇するわ 攻撃するわ
何しろ猫はひもじくて 生活苦
一日中餌さがしだ
雨が来ればびしょ濡れ
日本ではほとんど猫に出会わない
ベランダのフェンスの下の
隙間からのぞくのは
駐車場や静かな街の朝と夜
近所の犬たちが遊ぶ声にも
鳥の家族が鳴き交わす声にも
子供たちの騒々しさにも
静かな心はかき乱されない
朝の光と影を見る
病持ちの主を気使う
家族の部屋の様子を調べる
今は瞑想の時間だ
バナナ争奪戦の想い出 (2012年9月12日)
最近若葉マークの夫が運転する車で近所の米系大量販売店に出かけるようになった。
ジャカルタ時代こういう店には良く買い出しに行った。エヴィアンや日本から輸入
された水以外飲まなかったので(日常使用は大型ボトル入りを定期購入)仏、韓、米
系スーパーなど回りカートンで購入した。日本の米系店では房の大きい青いバナナに出会った。
体調がすぐれないときほどとんでもない考えにワープする私は即、ジャカルタ時代のバナナ
争奪戦を思い出して一人笑い。バナナが掃いて捨てるくらいある国でも誰でもどこでも収穫して
良い所はあまりないと思う。食料としての地位が高いので人々はちゃんと理解している。
所有権はきちんと主張されていてバナナ以外の果物類でも管理されていて人の目が行き届いている。
そんな中、住んだ家の裏庭に事務所に頼んで植えてもらったバナナ3本はほぼ3,4ヶ月くらいの間に
収穫できて種類も3種類。隣に植わっていたパパイアはこのバナナがタケノコ状に次々と子供、孫と
増やすのに負けてほんの小さな実しか付けなかった。バナナは1度収穫すると木を倒してしまう。
運転手がより詳しかったと見えてバナナの管理をまめにしていた。大風が吹くと倒れそうになるので
竹竿を見つけてきて当てるとか鳥やムサン(狸みたい)に横取りされないようにバナナの葉で実
を隠して成長させる、とか成長の様子を見ているなどとても熱心。こうなるとまだ青いうちに収穫
して家の中で加熟させるタイミングの問題でお手伝いとよく揉めていた。まだ早いよ〜と文句を言う
お手伝いが私に運転手の行動を訴える。多いときはバナナの円い輪が6個も取れることが有る。
ニョニャ(奥さま=占領時代の言葉、今はミセスとか呼ぶ人が多い)はいくつ欲しいんだと尋ねるので
私は友人達の顔を思い出して、順番にあげようと思いながらもせいぜい輪の半分と少しくらいに遠慮
する。運転手、お手伝い、近所のお手伝い友、近所の友人や街中に住む友人へとバナナは動いた。
コンクリートのたたきの上にカットされた青バナナが並んでいるのをみてアッ収穫だと心が弾んだ
のは今でも新鮮な懐かしさだ。
彼らは皮が黒くなるまで熟させて甘いのを好むが(栄養的にもこの方が良いらしい)我が家は取り立て
でちょっと黄色いくらいのがフルーティーで好きだった。お手伝いが白いカイガラムシやごみを採り除いて
カットした房を新聞紙に丁寧に包んでくれた。バナナは安くどこにでも売られていたが自分の裏庭で
定期的に収穫できるうれしさは特別だ。日本人はモンキーバナナが好きだがそれも収穫できた。
自分たちはもうちゃんと分けましたと報告もしてくれる。バナナ様様は私達の心を明るくしてくれた。
大きな房を袋に入れて持ち帰る(持ち帰るものは門番がチェックする)お手伝いの背中が笑っていた。
ジャカルタのバナナ=ピサンはおいしい=エナック。
日本で購入する青バナナも2日くらい後に少し黄色いくらいで食べると割とフルーティー。
フイリッピンのプランテーション生まれだ。量販店の品物は当然大量すぎて我が家が買えるものが少ない。
無駄に買い込む私をそうはさせじと夫が口を出すのでいつももめる。あまり楽しいとは言えない
日本の楽すぎる買い物生活である。
予期せぬ出来事 (2012年9月11日)
昨日は通院の日だった。最近出かける場所が限られてきているので通院とは言え
前日から気合を入れて準備する。朝7時15分に家を出て通勤快速最前車両レディス
専用を目指す。プラットフォームで街の様子など眺めていると隣に並ぶ女性がいる。
見ると娘が追いついてきていた。最近肝臓の調子が悪くて夜熟睡できずお疲れの私と
仕事でお疲れの2人は吊革にぶら下がり眠る。通勤快速とは名ばかりで朝は電車の
ラッシュと見えてノロノロ運転で気がもめる。血液検査は検査に1時間かかるので
予約の1時間前に病院に入らないといけないからだ。新宿の駅からタクシーに乗った。
それでも予定を15分ほど上回ってしまった。
日本の病院に通うこと1年半、採血時最初は怖くて腕を見れなかったのに最近はしっかり針を
見つめてしまう。私にしては相当な進歩だ。観察するとほとんどの人が真横を向いたり
色々なポーズで必死に耐えている。年配の男性の方が怖がりな感じだ。この病院の採血の人は
4,5人はいるし皆さん上手だ。普通のテープはかぶれるのでいつも絆創膏にしてもらう。
さてこれから予約のエコーに行こうと思いその前に化粧室に入った。そしてここで絆創膏を
捨てて行こうと(捨てる場所が限られている)腕を見るといつの間にか絆創膏がはがれ下の
脱脂綿が血液を吸いきれなくてぼたぼた流れ落ちている。動揺した。生まれて初めての経験。
床の血も何とかしないと他の人に迷惑をかける。緊急呼び出しボタンを押して待っていたが
誰も来ない。患者の女性がびっくりして看護師を探してきてくれた。地獄に仏である。
看護師さんが腕の血や床の汚れをきれいにしてくれたが心臓の鼓動は収まらない。
何か特別の行動をしたわけではないのにこんな予期せぬ出来事が起きてしまった。
理由を尋ねても、今日は気温が高いからね〜とか緩い返事しか来ない。帰宅してPCで調べると
血小板の数値が悪いと起こると在った。納得した。病院でのどさくさで手も洗わず脱脂綿を
押さえていたな〜などといろいろ心配なことを思い出す。自分にしかわからないことだ。
夜半、脇腹の辺が何となく熱っぽく嫌な予感がするのでビスケットと水を沢山飲みクラビット
を一つ飲んでおいた。空腹でこの薬を飲むと気分が悪くなることを経験したからだ。
経験に勝るものはない。今朝がたは腫れ感や熱っぽさが感じられない。私も少し賢くなった。
病院の先生方が沢山の知恵と経験で私の病気の解決策を練ってくださるだろうと期待している。
それにしても主治医は何故いつも疲れているのか。患者が医者の心配をしなくてはいけない。
悪い女性に引っかからないように、ご飯をちゃんと食べて、気分転換も必要だね。母心である。
夫と待ち合わせて行った六本木美術館は猛暑の再来の中でいまいち芸術に浸れずひたすら
疲れが倍増してしまった。美術館は春秋が良い。
絵画制作など (2012年9月9日)
室内にあるガラステーブルの上に散らばる白い小花や蕾、少し枯れ花も混ぜて
テーブルの下の伊万里皿の中の枯れた木の種や実と共に構図にして大きな油絵を制作中だ。
テーブルの向こうにはバティク(ろうけつ染め)を描く。バティックは色も柄も多彩だ。
この布を絵の中に取り入れると途端に赤道地帯の島の香りが漂いエキゾチックだ。
私の絵は平面画ですべて立体感を無くし平らに描く。この頃はこの描き方が多い。
又この描き方を指定される公募展もある。自分が編み出した特別な手法などを
使いながら描くがゴールは決まっていないので描いたり消したり毎回悩む。
ゴールを決めた描き方をする人もいるが、私は毎回挑戦なので先が見えない。
人まねは嫌いなので参考にはするがあくまでじぶんで戦う。生意気で時間がかかる。
それでも下絵は用意するので基本に戻りつつさらに先を目指すのは可能性の楽しみだが、
とうとうとんでもない年齢になりつつあるのにどの辺をあるいているのか不明だ。
白い花は南国のホテルなどで良く見かける匂いの強い花だ。インドネシア人はこの花の
名前を”スダップマラム=毎晩咲く(花)”と教えてくれた。彼は老ドライバーで、この名前
を教えてくれるとき少し,ウッヒヒ・・と笑っていた。花=ワニタ(娘)という感じなのか、
あるいは夜の女性などを指すのかも知れない。とにかく飾っておくと白い花や蕾がぽろぽろ
落ちて少々厄介だ。ホテルなどでは木やガラスの皿に花や蕾だけ盛り上げて飾られている。
枝から離れても香りの強さは変わらず乾燥しても匂っている。生命力が強いので好きだ。
絵の中に筆の勢いや自分自身の気合なども沢山混ぜ込むので2時間ほど集中すると持病もあり
結構疲れてしまう。隣で描く先輩はおでこや洋服にまで絵具を飛ばしてさらなるプロの気力で
すざまじい。彼女は女性の群像をすごいスピードで描く。プロとしての年数が違うのでぜんぶ
頭に入っている様子だ。いつもきちんとおしゃれして可愛い人である。8年近く日本を離れて
ぼーっとしている私の刺激剤の人である。10歳以上は年上だと思うが絵のプロとして尊敬。
他の仲間もそれぞれ自分の世界を模索して苦戦する姿を見せる。表現との闘いの時間。
オーストラリアの青い空黄色い砂白い岩の砂漠の絵とともに大作なので家で描くことができずに
少し遠くまで通っている。趣味を一番に考えられる年齢になりうれしい限りだ。
色々な経験をしながらたどる長い人生の道も悪いものではないな・・と感じている。
砂漠の絵 (2012年9月7日)
一本線を引くと砂漠が見えた
青い絵具と白い絵の具
お気に入りのブルーブラックで
空と砂と岩を描く
記憶にあるのは太古の海の
なれのはてだ
澄んだ空気と反射する熱
人を拒絶する完璧な空間
衣を脱ぎ捨てた白い骨の岩
青い空と黄色い砂と白い岩
今ここに見たい景色は
透明な水 生まれたての空気
シーラカンスやアンモナイト
巨大な海藻が揺れる
海の底
私が本当に見たものは何か
掴み取りたい
色彩のかけら
記憶の大地
描いても描いても
揺り返す波
砂と水と光
永遠の地平線
拒絶する砂漠
近ずく色彩 遠のく色彩
確かな線で括ろう
私の世界だ
ザリガニの運命 (2012年9月5日)
浄瑠璃姫の池の水があふれた
月が半分に欠けて
深い緑の蔭が池の淵を彩る
長い暑さの終わりごろ
水門が開けられ
一匹のザリガニが流された
コンクリートの広い池や
小石が並ぶ小さな川
ザリガニはどんどん下降する
あまりに早い水の勢いで
とうとうあのミソハギの群れの
流れが地下に潜る所まで来てしまった
ザリガニはそこでようやく岸に寄り
薄の繁みあたりに放り出された
まだほんの子供のザリガニだ
老犬の足元をしっかりと見て
鎌の前足を振り上げた
振り上げたまま踏ん張った
力の限り長い間
散歩道の小さなザリガニ
自分で自分を守りきるしかない
大阪のちゃこちゃんへ (2012年9月3日)
持病があるせいかどうしても病の方向へ思いが漂うのは止められない。
年齢のせいか、友人たちもどこかが悪い人が多い。自分には鞭打てても友人には
なかなかそれができない。ごく身近な友人に気合メールするときは自分にも気合を
入れている。
くよくよしていても仕方がないよ。持ち時間はみんな平等だよ。悩んでいるんだったら
貴女の好きな麻雀にでも打ち込んでみたら。料理なんてしなくていいんだよ、全部
コンビニなんかで出来あいの物を買えばいいんだよ。食欲が無かったら、お菓子や
アイスクリーム、好きなものだけ食べていたっていいんだよ。動かないとすぐ腰が
痛くなるし遠方からの通院はそれだけで疲れると思うけれど、お気に入りの病院や
先生に会える楽しみがあるね。駅弁もいいね。とにかく体育会系のあなたは大丈夫。
何より優しい旦那様がいつも見守っていてくれるのはしあわせだね。
若いころは体調の悪い年寄りと一緒に歩く時も歩調を上手に調整できなかった。
気持ちはあってもまめまめしく心を伝えたり声をかけるのが下手だったような気がする。
誰でもが通過する反省地点。雨が降っただけでコロッと気分が変わる自分はやりやすい。
貴女もコロッと気分を変えるものを見つけてほしい。落語や漫画もいいかもしれないね。
とにかく一生懸命にあがいてみることだよ、お互いにね。
ほら、薄日が差してきただけで主婦にはうれしいよね。風が吹いたら洗濯物が飛ぶのも
気にしないといけないし・・・いそがしいね。ゆっくりしていられないね。
貴女の好きな真っ赤なジーンズでも穿いてもう一度気合を入れなおして。夏だって
赤いジーンズでいいんだよ。でも赤T−シャツはやめて。白がいいよ。
アラン編みとYさんの想い出 (2012年9月2日)
夏バテで当分投稿を休もうと決意したが、さるくさんの今日のページを読んだばかりに
又俄然書く気持ちになってしまった。アイルランド、スコットランドは心の憧れの場所だ。
多分本当に行ってみると唖然とするものがあるのかもしれないがもう20年は憧れている。
荒涼とした土地や、映画での取り扱いも厳しく、冷え冷えとした日々の暮らしや海藻を集めて
畑の土とする作業やそこでできるジャガイモなどの野菜も小ぶりで、大食漢の私の胃袋
を満たすとも思えないが、濃縮された心の場所や人の目線が向く断崖の海や霧が魅力的だ。
将来はぜひ絵画の取材に行ってみたい土地の一つ。17年前にロングビーチで出会った
セントパトリックデーの行進のすごさも記憶にある。
10代の終わりに夜の予備校で出会った30代初めで航空会社勤めのYさんはアラン編みが
得意だった。一緒に石膏デッサンをして昼間は働く彼女。下宿にはW大学に通う双子の弟
と一緒に住んでいたのでお弁当も3個作っていると聞いた。スエーデン語を習いに週1回は
小田原に出かけていた。スエーデン大使館でアラン編みを習ったのか・・アルバイトに編んだり
手芸店でも教えているようだった。才色兼備の人だった。アラン編みは好きだが当時の私には
購入できず友人に教えたところ新婚旅行に使うといい2枚もオーダーしてくれた。
彼女は染色の学校にも通いお父上の退職金を前借してスウエーデンに渡って国立大学に入学した。
あちらの銀行のタピストリーを制作する仕事に参加できるとエアメールが来てほどなく訃報が
届いた。30代前半だった。前歯が解けてしまう病気なのよ〜と言っていたがそれほど深刻だった
とは。貴女は普通の女の人とは違うよ、と言ってくれた彼女の笑顔が今でも心の支えだ。
彼女からの達筆のエアメールは大切に保管してある。無念だった彼女の分まで頑張らないと
いけないと思いを強くした。職場の昼休みにもベンチ脇の雑草の花をスケッチしていたYさん、
貴女のことを想い出せてよかった。ありがとう、さるくさん。
老犬とピンク色のユリの構図 (2012年8月31日)
わが老犬嬢にいろいろと人生の知恵を教わることが多くなってきた。
喘息持ちの彼女は湯気がもうもうの風呂場に何とかして入り込もうとする。
夏の暑い時期なのにどうしたのだろうと考えて、はっと気が付いた。
彼女は特に最近気管支の状態が悪い。人間と同じで湯気の立つ空気は器官
に優しいのだろう。主も幼少の頃風邪で喉をやられると湯気のでる機械の前で
潤した。風呂場の暖かいお湯を飲むのが好きなのはきっと理由があるはずだ。
玄関に常に置いてある凍ったペットボトルはとてもお気に入りで、首のあたりを
ぴたりと洗面器に押し付けて寝ている。このボトルは結構夕方あたりまで冷たくて
今年一番の我が家のアイデア賞である。もともと食欲は落ちないので元気が出て
来て無駄に吠えたりすると叱られている彼女なのだ。朝晩必ず2本ずつ取り替える。
犬は1日中ほとんど寝ているように見えるが熟睡はしていない様子で耳がピンと
立っていたり、眠くても目を開けたり閉じたりしている。舌でしか温度調節できない
らしいので毛皮を着て大変なことである。
主は肝のう胞の痛みがあり脇の下や背中の方まで張るので元気がなく無理が利かない。
絵画制作の締め切りに追われているが体調がいまいちなときにエイヤッと描くと敗する
ことが多いので躊躇する。しかし昨日のY.nadeshikoのプレイを見て元気が出た。
夜のサッカーを見るために昼から制作に集中したところ成功。恐るべきサッカーパワーである。
私の周りにサッカーファンは多い。絵の先生も特にnadeshikoの時はササッと帰宅してしまう。
昨日は新しい描き方を発見して自画自賛。もしかしたらこの発見のために長い人生紆余曲折して
来たのかもしれない、などと勝手に興奮している。また冷静な日に冷静な目線で見ないといけない。
娘がチラッとその絵を見て、色を変えたらだめよ・・と言い大急ぎで出社。
ピンク色のカサブランカみたいな大輪のユリが満開で生き生きと咲いているテーブルの上を眺め
ながらよみがえった老犬に感謝している。28度のエアコンが常時使える今年の夏にも感謝。
犬と助け合う暮らし (2012年8月30日)
くろまめさんのスローフード、美味しそう!なんでもたくさん作るところが
私と同じでおかしい。どういうわけか人数分きっちりというのが苦手です。
我が家は朝からけんちん汁に新潟の杵つき餅(小型で丸く煮崩れしない)入りです。
2日ほど体調保全のためだらだらしていたので家族の健康への気配りを思い出しました。
早朝3時過ぎにわが老犬嬢がワンワン吠えます。私の部屋のベッドの下で鳴き
止まずいつこんなに丈夫になったのかといぶかるほどです。彼女はこのところ
体調が悪かった私に気合を入れに来たのです。昔から時々経験しているので
さすがにのんびりの私も了解。有難いワンコです。
12.9年の間にこういうことはよくありました。一人で病床に伏しているときには
まず布団の上(こちらは迷惑)に飛び乗り吠えまくります。そのうち枕元に座り1日
そのままです。イヌは平均体温が38度はあるので暑くなるのが嫌なはずですが。
私も風邪をひいている真冬の朝でもパジャマの上にコートを羽織りマフラーを巻きつけて
散歩に連れて行ったものです。イヌはワンパターン生活が好きですからなるべくそれに
合わせていたのです。お互いに助け合い暮らしているわけです。犬が好きな人は皆同じはず。
うちの子はキツネ顔狸体型のポメラニアンですがもともとはドイツ原産の40キロはある
大型猟犬だったと本に書いてありました。草原の草をかき分け疾走していたころの血もあるのです。
散歩から帰る途中坂の下で風の又三郎おじさんが反対側の道を自転車で滑り降りてきて
キキーッとブレーキをかけて止まる姿を目撃しました。毎日4時半から5時に行動している
様子です。今日も白いシャツと黒ズボンでした。でも良く考えると私が坂を上り始めたときに
出会っているので、人が歩き始めるまでの時間帯に何回も遊んでいるとしか思えません。
子供の心を持ったおじさんという見方にとどめておきましょう。
日常のささやかな幸せ (2012年8月29日)
今朝の空は薄水色に明るいピンク色の雲といういつもと違うバージョンだ。
やはり台風の影響で朝焼けに彩られているのだろう。どんどん薄いグレーの雲が
増えてきている。昔のように昼間暑くても夕方さっと夕立が来るということが少なく
なっている様子だ。このごろの日本の集中豪雨や雷の映像は赤道地帯のそれに似ている。
くろまめさんの畑にザーッと一雨来て雨を見るご夫婦のよろこぶ顔を思い浮かべたい。
自分の文章を読み返してみると結構方言が出ているなと思う。(じっとみる=ずーっと見つ
める)とか、(おかしい=不思議だ、面白い)などは信州の言葉かもしれない。まだ使って
居ないが(こわい=苦しい、しんどい)などもある。ふる里を離れてずいぶん経っていても
普段の言葉の中に住んでいる方言は細い血管のように生まれた土地に繋がっている。
今朝は夏枯れの景色の中で食欲を喚起されるものはなかったが川の緩い流れを見て気が付いた。
それは昨年大腸ポリープ特大を除去してから生水や生野菜を食べてもおなかを壊さなく
なったことだ。二十歳そこそこから常に胃腸関係に問題があり、過敏性大腸炎にも好かれて
しまった。ジャカルタでピロリ菌にも近寄られたがそれはあちらの病院で退治出来ていた。
これで肝のう胞がなければと思うがこれはもう簡単に消えないらしいので、だましだまし
一緒に暮らしていくしかないのだ。
帰国してから日本の野菜や果物等々おいしくいただきながら、安心して口にできるという
事を本当に楽しんでいる。スーパーに並ぶ沢山の品物もまだ感動が続いていて幸せだなと思う。
海外のスーパーでは日本からの輸入品は毎週棚の同じ位置で品物の変化がなく、それさえ保健省の通達で
さらに少なくなると韓国や台湾からのものや地元の好みと違うものへと代えるしかない。多様なメニュー
を好む日本人としてはつらかった。そう、日本人は多様なメニュー。意外と諸外国はパターン化
していて近所に住んでいた欧米人のメードどうしの会話でもそれがわかった。彼女たちは噂話が
大好きなのだ。肉と野菜とデザート。週に1回山のようにカートに積んでレジに並んでいた。
奥さんは若いね〜食べるものが違うしビタミン剤をいっぱいのんでいるものねとメードにいつも
言われていた。平均寿命が昔よりは上がっているとは言え4,50歳代でやむなく病気に倒れる
人が多い国でもある。毎日市場でその日食べるものを仕入れてきちんと暮らしている地元の奥さんたち
はあまり無駄使いなどしない様子で感心だった。一人のメードはお金をため込んで牛を1頭買い人に
預けてあると話していた。犠牲祭のときヤギや牛は出番だ。また家の使わない部屋を2つ単身者に
貸しているとも。本当に住むだけシャワーは水、食事は屋台でという単身者の暮らしは厳しい。
上京組は都会で成功しないと結婚しても毎日の生活に変化はない。
このメードは我が家の冷蔵庫のものや私の化粧品を失敬するのでちょっとこまった人だった。
働いて働いて家を郊外に持ち、安い暑い乗り合いバスを2,3台乗り継いで働きに来ていた。
帰りは仕事帰りの夫のバイクに乗り、近所の人が面倒を見る子供がいる家目指して渋滞など恐れる
ことなく驀進帰宅していた。奥さんが2人いる運転手は手際よく曜日順にあっちこっち移動している様子。
他の運転手にインタビューしてみたところ、教育費がかかるから奥さんは一人でいいという人が多かった。
あちらではお湯を警戒してシャワーのみの生活だったので、今お風呂に入れる極上の時間を感謝している。
高速道路あれこれ (2012年8月28日)
ハイ、お父さんカーナビに行く先入力するから言ってと娘。出かける前その住所を
PC出で調べてプリントアウトしたのにそのメモを探しまくる夫。無い無い無い。
ほらほら、別に先を急いで居るわけではないからゆっくりしないとだめでしょ。
後ろのシートに座った私はシートベルトをすると肝臓を押しつぶすので嫌だな〜
と考え、反対側に移動して正解。前の助手席でもいつも押しつぶされるのでベルトに
クッションを挟んだり、伸ばしたベルトをずーっと手で押さえていたりする。
これは巨大肝のう胞の人、持病がある人しかわからないだろう。主治医も経験してほしい。
なんといっても私は自分の病気のことしかわからないのでこの点を強調していくしかない。
我が家に夏休みの移動はなかった。よろよろ老犬とすぐ疲れる私が居るので遠出ができない。
今まで遠出ばかり10年位していたから別に不満はないがたまには家族行動もしないといけない。
家から2時間くらいで行ける甲府に行った。高速道路もETCカードもまだ使い慣れていない夫
なので(娘も免許再取得中)本当は2人だけで行ってほしかったのが本心の私だ。心配的中というか
マタマタご先祖様の試練というのか高速では大きな事故が在ったらしくノロノロ運転で1時間も
オーバーしてしまった。救急車が真ん中を走ってくると他の車は風になぎ倒される草のように脇に
よけていく。わが車はやっとのことで真似をした。ジャヤカルタの渋滞高速では救急車がなかなか
先に出れずサイレンを鳴らすのみで何のための救急車かといつも眺めていたが、日本はすごい。
サービスエリアもきれいだ。トイレもきれいだ。それだけでうれしくなるのは海外で経験したお蔭か。
そういう場所を使うときは勇気を持たないといけない、またペーパー類の期待もしてはいけない国もある。
甲府は15年位前と雰囲気が変わらず、しっかり変わらないね〜と感心。汗だくでホウトウを食べて
ブドウ3種、桃など土産に即ユーターン。道に迷う。狭い区域なのにカーナビで番地入力できないと
どっちに進んでいるのかわからず車内の空気がちょっと白ぐ。いつも朝4時起きの私は娘に寝ないように
注意して爆睡する。お父さんにはがみがみ言うより沢山ほめてちょっと注意喚起がいいのよと忠告。
高速道路の脇の斜面にも鉄砲百合がにぎやかに咲いていた。大きなものは花を沢山つけている。
種類が違うのか。沖縄辺りが原産らしい鉄砲百合。どこか遠い外国から球根が流れ着いたのだろうか。
こんなことを前の2人に話してみてもノーリプライ。異次元の世界にいる私。
次回は本格的な中央フリーウエイだ。
季節が動く気配 (2012年8月27日)
浅葱色で始まる空の朝はなんとなく季節が動く予感がする。涼しさはまださほどではないが疲れた
道端の草色や、木々の葉の深緑、黄味を帯びた猫じゃらしの穂、メタセコイアの小さな実などを
眺めながら歩くとわずかな枯葉にせき止められた水の流れにも夏の終わりがみえる。
丸刈りにされて茶色のままのクローバーの公園に出るとデデッポッポッーと一羽の山鳩が鳴いた。
探しながら見上げると薄茶色の鳥が高い電線の上で前を向いてとまっている。
今朝は秋虫の声の方が多い。セミの声はわずかだ。空気の線がいまいちぴんと張っていなくて
なかなか目も醒めずぼーっとしたまま病み上がり太りの犬を抱く。太ったね〜とつぶやいてしまう。
生命力の強さは主に似ているとしか言えない。
公園の角を曲がると生垣のあたりから突然小ぶりな鉄砲百合が顔を出す。そういえば
空き地でも道端でも本当に鉄砲のようにぴょんと白い顔が現れるので可愛い。
たった一本凛として存在を主張している。
細かなピンク色の花を付けた萩が細い枝を広げているのを見ながら、いよいよ秋かなと心がほどけた。
私のしごと (2012年8月26日)
テーマが決まらないのは何故なのだろう
海や山や花や木や、空や光や風や星
辺りは自然で一杯だ 満ちている
どうして人が出てこないんだろう
アイデアの中に
子供、女、男、老人、日本人、外国人
世界は人、人、人、 箱詰めだ
砂浜と海の景色に人間を描きこみたいのに
海と砂と後ろ向きのバリ島の仏像
見上げる空に飛ぶのは疲れたブルードラゴン
超ミニスカートの畏れを知らない女の子
スクランブルの群像とスピード
ロードレースの筋肉と汗
目の前で炸裂するエネルギーたち
もはや人に飽きてしまったのか
もはや人がまぶしすぎるのか
もはや孤高の境地なのか
どんな髪が好きなのか
どんなポーズが好きなのか
どんな色の服が好きなのか
どんな眼差しが好きなのか
今日の仕事もたくさんある
考えなければならない
今は幸せの真っ只中だ
雑事から解き放たれた時間の
私のしごと
コガネムシの冒険 (2012年8月25日)
コガネムシは飛び移ってしまった
地下鉄に向かう大勢の人の流れ
そのどの人でも良かった
エイッと、黒いスカートにしがみついた
どれくらい長い間そうしていたのか
とうとう手足がしびれて
少しずつ上に登った
人の背中のあたりらしい
又静かにうずくまるしかなかった
灯りと暗闇とごう音の繰り返しの中
経験したことのない不安と
飛びたい気持ちがコガネムシの
気持ちを満たした
ある駅で少し長い時間ドアが開いていた
女の子は服の裾で何とか移動を思考中の
黄色がかった緑色のコガネムシを
手で払いのけようとしている
払っても払ってもよじ登るコガネムシ
彼女は電車の中を飛び回ることも予想する
手でさわれない女の子は携帯電話を出すと
コガネムシをそっとしがみつかせた
満員電車の中、私の目の前で女の子は
椅子に鞄を置いたままドアの方向に走った
コガネムシをドアのところで振り払った瞬間
発車の音楽が鳴った、間に合った
女の子は何事もなかったように椅子に座り
自分の手を見つめていた
彼女の周り数人の人が
ほっと溜息をついたに違いない
やさしい肩をした小柄な女の子
私も救われた気持ちがした
高齢犬あれこれ、お助けグッズ (2012年8月24日)
12月で13歳の犬はこの頃変化が多い。まず夜中に少し徘徊するようになったこと、
水を沢山飲みトイレが近い(これは当たり前か・・・)、食べ物に執着する(これも
私と同じか・・・)、以前はおいでというと逃げる(ゲームのつもり?)変な子だった
のに割合と寄ってくる、うにゃいにゃと何か騒がしい言葉を発する、白内障気味なのか
じっと見つめる(友人のところの犬は昇天間際家族や部屋の中をじっとみたそうな)、
洗ってもすぐ老臭がする(ああ・・本人は気がつかないこと)、毛の艶がなくなった。
エサも奮発して11歳とか13歳の高齢犬用餌を購入している。2,3種類混ぜてさらに
以前は入れなかった蒸し鶏ささみスープなどを混ぜこみご機嫌をとっている。しかしなんと
いっても彼女が最高にうれしいのは鳥皮をチンして細切りにしたものだ。鳥皮が嫌いな
私は鶏肉料理だとすぐ皮をはぐので時々彼女はごちそうをもらえる。これが入っていると
お皿がピカピカの空っぽになるのでおかしい。不思議なことに彼女の毛皮はすぐにつやつや
になる。数日のことだが若返る。だからと言って私は鳥皮を食べたいとは思わない。
日本橋のデパートの地下で信州のおやきを沢山購入した。これは子供の頃から馴染んだもので
これを食べると私も少しパワーアップする。信州では家毎に中味の工夫をしたり皮も柔らか
かったり固めだったり、そば粉を入れる家もあり、蒸してから焼く方法もそれぞれ一工夫ある。
ある村では村民がおやきつくりに参加して成功している。ロスあたりにまで輸出していると聞いた。
生前の母は結構研究熱心で色々な意見を取り入れて挑戦していた。私から見るといつも忍者のように
素早く器用な母であった。里山を歩く時もいつも目の前から消えてしまいよろよろ歩きの私に
取っては結構恐怖だった。道を歩くと転ぶ(膝は今でも傷跡があるくらい)、一人で家に置くと泣く、
食が細くて風邪ばかり引く熱ばかり出す私はさぞかし育てにくい子供だったに違いない。
入院中の母の横で眠っていたとき、ぱっと目を開けて私を認めた母は”お前はすぐ高い熱を出す”
と言っていた。本当に高熱で雲の上を歩く状態でも駅まで30分、電車で30分、降りて20分と
遠くにあった病院は子供にとっては歩いても歩いても逃げていくつらい存在だった。この時の医者と
今の主治医は容姿年齢がそっくりなのだ。その医者には手遅れですと言われたが、今度こそ大丈夫と
超信頼申し上げるしかない。
おやきを自分で作ろうと(若いころは挑戦していた)粉(薄力と強力半々くらいか?)は購入して
見たがもう1年以上寝ている。なんといっても野沢菜を細かく切りごま油で炒めたものは絶対
必要だが、年中スーパーで売られているのは添加物が多い。かといって信州の姉に頼んでクール
宅急便で送ってもらったものは皮も中身も好みとは違う。デパートで購入したものは少しだけ
母の味に近い。村民が参加して成功しているところのものだった。
この村は春先タンポポが咲くころに行くと地上の天国だ。丘の上でこれといって何もないが
山々に囲まれた幸せな安心感に包まれる。それぞれの人が持つ心のふる里の一つ、鬼の居ない里だ。
持続する志 (2012年8月23日)
本、詩作家を好きになったのは10歳年上の兄の影響が大きい。本の虫とも言える彼の
蔵書や中学生の頃もらった油絵の具セットのお下がりには随分開眼させられた。
30代には病を得てその後の人生を病とともに暮らしている兄である。幼い私から見ると
いつも完璧で繊細。近寄りがたい存在でもあった。お下がりの辞書はボロボロであったが
私は布カバーをして大切に使い社会人になっても使用していた。それが原因でよく勉強して
辞書が擦り切れていると勘違いされたり、かわいそうに思われて新しい辞書をプレゼント
してくれる人もいた。私はちゃらんぽらんで好きなところ取りの四番目。
持続する志、これはある作家の本の中にも書かれていたが私にとっては10代の終わりの宝物。
本にこの言葉を書いてプレゼントしてくれた人が居た。ありがたい存在の人だった。
昨日は積年の希望が少し叶った日である。絵画の世界の重鎮の方が集う絵画展のオープニング
パーティーに出て来年の出品作の講評もしていただいた。紆余曲折の多い人生、優先順位があり
なかなか自分の世界を追及しきれていない。しかししぶとく(人まねをせず自分の絵を描く)
続けて○十年。10年位絵を描いていないときもあった。子育て、家事、仕事,他多々。
女性は大変忙しい。思考と技術がマッチしない長い年月であったがようやく少しマッチしてきた。
芸術家には厳しい浮世である。プロでも絵がどんどん売れる生活ではないので何が幸せかわからない。
信州の山郷の家には昔囲炉裏があり、母が灰を均してウサギなどの絵を描いてくれた。これが私の
人生初めての絵との出合いだった。師匠は庭先に咲く鹿の子ユリやグラジオラスなどの花たちだ。
1本手折って水彩で描くとどういうわけかほめてもらえた。子供にとってほめ言葉は命の水だ。
病弱の小学生の時は体育見学組というのが居て、それぞれ同じように肺炎やら虚弱やらがあり
数人で木陰でそれぞれ小枝を見つけて砂を均してお絵かきに専念していた。デッサンをしていたと
言える。授業の休み時間にはそのころ流行っていた少女マンガの絵を描いてほしいと女子が並んだ。
学校休みにもわら半紙など頼まれ紙を沢山持ち帰っていた。授業の絵もほとんど人にあげてしまい
手元に残っていない。今では少し残念に思っている。
小学生のころは写生大会(みずえ会)というのがあり日曜日など町の公園に集まり絵を描いて
賞を取ると、はりすのチョコレートやガムをもらえてうれしかったがこれは他の地方の街でも
行われていたことなのだろうか。
絵には自分の精神が反映される。暗いときは暗く、明るいときは明るく。絵など手につかない
精神状態というのもある。心の中が膨らんでいないとどこにも飛べない。萎んだ絵は人をひきつけない。
こういう呪縛を乗り越えてこそプロの世界に進めるというものでもないと思う。様々な絵画がそう伝えている。
持続する志、これだけを糧に長い道のりの希望として引きずってきたと言える。自分を乗り越えて成長する
のはなかなか骨が折れる。しかしやってやれないものでもないような気もする。
絵の友人たちは皆似たような人が多い。私より年配でもっと頑張る人もいる。もちろんもっと若いころに
成功してその道を追及できている人もいる。私は要領が悪くぼーっとしているので、其のおかげで
充実した人生を送っているのだろう。
東の空の星 (2012年8月22日)
ブルーブラック色の中で輝く
東の明星
振り返ってもついてくる
朝一番の出会いだね
黒いマンホールの深みを響かせながら
水が流れている
鳴き交わす秋虫とひぐらし
枯草の公園を曲がり下り坂の頃
また会えたね東の明星
今度は前景に小さな蝙蝠が飛び
柳の枝が細く揺れる
街路灯が少しにぎやかな時間
今朝は人も猫も車もいない
ただ足元の犬のぜーぜー音が
レモンイエローの光に向かって歩くだけ
ふと見上げるとブルーターコイズが塗られ
明星の光は空に融けてしまった
さよならは一瞬だね
ただそこにいるだけなのに
いつも同じ場所で輝いている星
枯草の匂いに食欲 (2012年8月21日)
ヒグラシの鳴き声が多くなった。この声はドラマでも効果を上げるが人の暮らしの中
でも効果的だ。何となく心さみしく人恋しい。次の季節への誘いだ。
雑草が続く辺りの道では枯草の匂いが香しい。やはり私は草食系なのだと認識する。
枯草で料理メニューを思い出す人と違い友人は治療入院しているが食欲皆無だ。
茶わん蒸し、にゅうめん、冷たいスープ、お茶漬け、お好み焼き、たこ焼き、と
SMSしてみるがやっとたこ焼きあたりで少し食欲喚起されたようだ。食欲の部分だけ
代わってあげたい。私が入院してみて感じたことは点滴だけでもおなかが満ちることの怖さ。
1日中点滴液を体に入れていると体がだんだんそちらの方で充分になってしまうのか。
幸い私は熱さえ下がれば普通の食事をパクパクいただける。空の食器が恥ずかしいので
完食の時には自分で配膳台まで運んでいた。時々ちょっとご飯を残したりして。
病院では看護師さんが食事の状態を調べるので勝手に下げてはいけないと思うのだが。
とにかく友人は体重が落ちているので点滴でもなんでも取り込んで少しでも元気に
ならないといけない。病院では栄養士さんが病室まで来てメニューの相談をしたらしい。
そういえばジャカルタに行って2年目くらいか、ムカデのような虫に刺されて免疫力が
落ちたと思った頃、1か月くらいおなかを壊しおまけに血尿(生まれて初めて)まで
体験してしまった。正露丸を飲みながら、やはり目にひどい物もらいができてしまった
夫と一時帰国して親戚と信州の大正池あたりまで旅行していた。海外生活では計画に従い行動する
のでなかなか予定を変えられない不便もある。都内のホテル(家を売却していたので)滞在中時も
あまりに水を流す音が激しいので隣の客がドアを開けた途端に此方を観察していたものだ。
もちろんフロントでも体調の悪い夫婦とみている様子がありありだった。期待していた外食
もできず地下通路からコンビニまで行きおにぎりやヨーグルトを仕入れて友人と会食する夫
を恨めしく想いながら一人ご飯をしていた。とても怪しいアジア人という印象だったに違いない。
この時も食欲様のおかげで生き延びた。成田空港の地下には病院がありそこで2人とも診察を
受けたときは地獄に仏だった。意外と生命力がある私だ。おなかを壊したのは大腸ポリープ特大
のせいだということも後々判明した。
3,4歳の頃にも信州の山郷でおなかを壊して入院したことを記憶している。
空いている家に確か疎開した人の家族に住んでいただいていたのか・・・そこに良く遊び
に行っていたらしく後々それがいけなかったと母に叱られた。今でいうオー157とか
いうのだろうか、疫痢か、町の病院に入院した。病院に家族全員が見舞いに来てくれた。
石灰工場を経営していたころでトラックに乗ってやってきた。病院のベッドから見ると
(隔離病棟のはず)はす向かいの部屋ではしょう紅熱の患者が体の皮まではがれるひどさ
で、母にあちらの病気よりは良いと言われたのを覚えている。村の子供たちが我が家に大勢
集まりカゴメカゴメの遊びをしていたとき急におなかが痛くなった。その後保健所の指導
が厳しく家の周りに自家製の石灰を沢山まかなければならなかった。村では保健所の検査が
1年に1回くらいあり金銀とかの評価紙を張られていた記憶がある。その後長い間村の子供
たちがやってこなかったような気もする。想い出してしまった。最近の新聞記事のせいなのか。
その後の人生にとにかく具合が悪くても(おいしくない給食でもそうだったが)丸のみして
食事を採らないと生き延びれない事を刷り込みされた一件だ。それで今では枯草の匂いにも食欲だ。
日差しが強くなって外はジージーゼミの声があふれている。ヒグラシの仕事は早朝と夕刻だ。
青い栗の実、自然な空気 (2012年8月20日)
見上げるたびに青い栗の実が大きくなるのは心が弾む。八王子の郊外では
里山に連なる小さな田んぼや畑と焚火の煙が良く似合う。もちろん今では開発が
進みあちこちに面影が残るのみであるが。小さな神社やお寺が多くこの辺が昔
農村であり沢が流れ込む小さな平地だったことも想像できる。真四角の小さな畑
状態にぎっしり植えられた梅の木やクリの木はちょっと不自然でおかしい。
そういう畑が住宅やアパート密集地帯に忽然と現れ春先には花の香りが濃い一帯になる。
目の前を背広を着て茶封筒を持った年配の紳士が行く。その全体像にどこか記憶がある。
あちこちの生垣や疎水の様子を見ながら、はては小さなゴミなどを木の向こうに放っている。
あのゴム長をはいて疎水の中に入りアジサイの手入れをしていた無口そうな人だ。
ふと気が付いた。日本はどぶの匂いやごみを焼却する匂いと煙、物が腐敗する匂いが
殆ど感じられない。子供のころの山村では日常的だったがジャカルタで遭遇するまでは
気にすることもなかった。いったん外に出ると車中のみだが目で感じるゴミや汚染の匂い。
そういえば日本の空港に降り立った外国人も魚の匂いのする国という印象らしいが今はどうか。
熱帯地方の空港は熱と湿気と香辛料の匂い汗の匂いカビの匂いに満ちていて逃げ場がない。
人間も生き物だから贅沢は言えないがこうきれいな空気の中に戻ると別の不安もある。
不安やおびえがついて回る私である。シンガポールのように消毒薬の匂いがあちこちで感じ
られるのはまた別の心配だ。蚊が居ないと評判の美しい都市であったが私は出会った。
オーストラリアのパースに行った時もシンガポールと同じような印象を持った。
日本も清潔な国の一つなのだろうか。目に見える汚染と目に見えない汚染。
人間の本能的な五感はいつも磨いていないと、どんどん退化していくものなのだろう。
我が家では今老犬が老臭と戦っている。目の中に入れても痛くない私はあまり感じないが
家族は”くさーい”と騒ぐ。犬の体力不足で他人の手できれいにしてもらうのは無理になり
家で細々と手入れをしているが。お座敷犬はお世話が大変だ。人間も年齢別にそんな問題が
表れてくるのだろう。溜息。昨日は犬を洗うのに格闘。イヌも超お疲れ。もっと手抜きを
しないとお互いにやっていけないことが解った。
栗の実が笑み栗になっても今では拾うこともできないはずだ。クリ農園に行くしかない。
ブルーベリーはブルーベリー農園へ。梨、ブドウ、リンゴは果物農園へ。山梨や信州も近い。
夏草、秋のポプラへの想い (2012年8月19日)
中学校裏の散歩コースを歩いた。やはり草ぼうぼうのあたりに来ると誰かひとり
くらい歩いてこないかな〜と見やるが誰もいない。もとは成形されていたと思える
植栽が見事な夏草に覆われていて、私に力があれば鎌をふるい汗だくで取り除いて
あげたい気持ちになる。現実にはアセモ、虫刺され、足腰の痛みが発生予想される
仕事に怖気る。繁殖する夏草はジャカルタで見たものとそっくりで、葛やススキ、
ヨモギ、などどこの国でも同じなのか。特に東南アジアは同じものが多いのかも
知れない。小さな畑ではコスモスが少しだけ咲いている。葉は白っぽい。ひまわり
は痩せていて花がない。きれいにすくっと並んでいるだけ。サツマイモ畑はそれらしい。
私の小さいころは学校は聖域に近く、親たちは年に数回駆り出されて学校回りなど
きれいにしていた記憶がある。今は親も仕事などに忙しく考え方も違い今朝のように
見たままの状況が生まれるのだろう。いや、しかし来月あたりにはきれいにされる可能性もある。
私自身の時代にはまだ学校に駆り出されることが多く、親の仕事に関係なく奉仕した。
昔は学校の先生や医者には”様”が付き、人々の信望を集めていた。今もそうあってほしいものだ。
それにしてもこの学校裏の死角ともいえる場所で事件は発生しないのか、大丈夫なのか心配。
夏の終わり、信州の山郷の草むらの中ではポツンポツンと大型の白ユリの花が目立ち高貴だった。
ススキの葉が伸び切りあとは枯れるだけという頃にはノボリが立ち秋祭りの足音が聞こえてきた。
学校よりの道脇には名前はわからないがポプラのようなハート型の葉を繁らせた見栄えの良い
大きさの木が並んでいる。ジジっと蝉がうなりながら飛び出してくるとユーカリに似た香りが
ぷーんと漂い清々しい。何の木だろう。葉を1枚取り香を確かめてみるが1枚ではわからない。
やはりどう考えてもポプラに違いないと思いなおす。学校にはポプラが似合う。私が忘れたのだ。
秋になれば判明するだろう。ポプラ並木の秋をまだ心行くまで楽しんでいないから楽しみだ。
それにしてもセミたちの体格が立派になったのには驚く。すごいスピードで隣の木に飛び込む。
昨日、花屋でモッコク(白オリーブの花と書かれていた、実はなりませんとも)半額2本と
オレンジ色のゼラニウムを購入した。最近は本来の名前ではなく売り出し名とでもいうべき名前が
付けられている鉢が多くややこしい。小さな花や葉はテラコッタの細い隙間に落ちてしまうと
拾えないので厄介だ。夫が”花が散るだろう?”と当たり前のことを心配をする。バーベナが2鉢枯れて
しまったので植え替えをしてテラコッタにも水まきをすると、ムッとした昼間の空気が少しだけ夕方の
風にかき混ぜられて涼み夕焼け色の街の灯りが澄んで見えた。
バーチャルな朝 (2012年8月18日)
私にとっての蒼い龍というのは明晰な頭脳と行動力を持った若者のことだ。
バーチャルな世界に住んでいてそこに帰るのかもしれない。しかし今は時々
地上に現れて自分が次にどんな行動をしたらよいのか探っている。
孤独な目をした蒼い龍。その孤独な目に出会わなければ私も龍の存在は見なかった。
失敗を恐れているのかもしれない。いや失敗をしてしまったのかもしれない。
私の過去の失敗や、見過ごして救えなかった多くの人、現存する人のために私の
良心は蒼い龍を見る。孤独な目をした蒼い龍には過去にも数回出会ったことが有る。
一人は一生孤独で一人だろう、一人はたった一人で旅立ってしまった、一人はこの世に
生きながら一人の世界を模索している、一人は・・。若者は女性でもあり男性でもあり
孤独を飛べ越えられない。ただ通過してしまった。救うことができなかった。
電脳に優れているのでヴァーチャルの世界では王様だ。でもこの世はヴァーチャルではない。
この世は汚れすぎていて地上に降りてこれないのだろうか。この世は自分の住かではないと
考えているのだろうか。あなたが今まで住んでいた世界は理想的過ぎたのではないのか、
疑うことのない愛情や人々ばかりの地上の楽園ではなかったのか。あるいは生まれながらに
してこの世を信じることができない場所から来たのか。
人間も年齢を経てくるといろんな者を見たり感じたりするものである。まだ老婆の域に来て
居るわけではないがこれは今まで私が経験したことのない分野なので興味津々だ。
哲学は好きだが修練したわけではない。ほとんど何も知らないくらいのものだ。私もまた
こうして友人のブログに投稿する状況があって初めて自分の考えに気が付いている。
極々素朴な人間としての良心や優しさで孤独な蒼い龍と向かい合っている。
私自身も弱い心、日々の問題、解決できないこの世の試練と向き合っている。
若者は善か悪か。しかし人間に神はいない。人間は人間でしかない。良心を掘り起こして
もっと強くもっと頭脳的に生きれるではないか。そんな特別な力を持っているのは素晴らしい。
人間の普通の暮らしの中に潜り込み、天から地上に降りてきて暮らしなさい、孤独な蒼い龍。
孤独ばかりの眼差しはとても悲しくて周りはだんだん悲しみ色に変わってしまう。
いつも自分にいろんな色や形を装い誰からもきずかれない様に変身してしまわないで。
本当の心、本当の姿、本当の言葉に出会いたい。沢山の人を救える特別なフォースを持つ人。
季節は秋に動いている。セミは木から木へ、地上から木へ、とても先を急いで飛んでいる。
ひとりぽっちの龍 (2012年8月17日)
空の片隅から蒼い龍がおりてきた
春には神山の青もみじの布団に包まり
ムラサキやミズイロの夢の中
見上げると時々白い飛行機雲の後から
南の空、入道雲目指してまっしぐら
虹色の夕日の隙間からこっそり
老犬の様子を気にかけていたり
今日も生ぬるい真夏の風をさけて
鳩たちが眠る木々の茂みの中にいたね
孤独な目をした蒼い龍
過去と未来を行き来しているから
いつも疲れている
悲しい龍
黒姫山の幼い姫や野尻湖のナウマンゾウの
姿でも探してこの夏を過ごしなさい
駆け巡れる季節の到来まで
鴨、エトセトラ (2012年8月16日)
鴨一家が去ってしまいほっとするようなさみしいようなこの頃だ。私の疲労度がアップ
して居るので今日の散歩は夫の出番。二人ともいやいやながら出て行ったのですぐに
帰宅するのだろう。主治医がいつもお若いのに、自分も疲れます体調悪いですというが
じょうずに返答でいないのが悔しい。次の診察までに何か考えておかないといけない。
私の年齢や運動不足のほかに原因があるはずだ。もっと聞き手の技に磨きをかけねば。
10年以上前まで干潟に隣接する住まいに居た。自然環境が良くて運河を遡上してスズキや
小型のエイ、大きく成長するボラなどの魚類や居住者のカニやらやカモメ、渡り鳥などの鳥類が
にぎやかだった。小さな子供と一緒に様々な干潟の経験をした。その中の一つに鴨の赤ちゃん
を拾ってしまった事件がある。道端にギャーギャー泣きわめく鴨の赤ちゃん。もちろん親鳥が
近くにいるので放っておくべきだったが野良猫多発地帯だ。考えた挙句拾ってしまった。
後から考えるとこれはやはりおいておき運命に任せるべきだった。また行徳というところには
そういう迷子の鴨を引き受ける場所があるらしいことも後々知った。鴨の子を家で飼うことは
出来ない(法律)のだ。いったん人間の匂いがついてしまうと野生の親は飼育放棄が多い。
家の中で泣き止まない赤ちゃん鴨をエプロンのポケットに入れてみた。しかし泣き止まない。
動物は親譲りで好きなのだがどうも鴨の子はどうしたらよいのかわからない。次の日あきらめて
元の場所の繁みに戻しに行った。目の前で猫がさらっていった。
このことは娘も良く覚えている。心の中の傷として時々痛む。今でも娘に責められるのがつらい。
弱者に対する心は原点に置かないといけない。鴨が教えてくれた。娘と鴨観察に明け暮れたので
夜娘が眠るときにめちゃくちゃ創作童話をお話しする際によく主人公として登場した。
さあ夕方だから干潟の鴨のお母さんのところにお帰りなさいね、というと娘が本気で悩むのは
よろしくなかった。もういうことを聞かなくなった今でも、あなたの母は干潟の鴨なのよ、
というお話で盛り上がる。かぐや姫ではないけれど本当に帰られても困るのだ。
ピュアな心を持った生き物との出会いが生活を豊かにする。人間も生き物だから心で通じるという
ことは多いがこの頃は心自体を閉じてしまい見せない人も多くて探れない。時々理屈抜きで心が
通う人に出会うと何か前世での縁があるのではないかと考えたりする。心を閉じないでいろんな
人間が集まり他人の心をも助けられる人の存在はこの世を明るくする。私自身の心は閉じたり開いたりだ。
以前、震災前の神戸で出会った不思議なおばさんの言葉がよみがえる。貴女は妙の心を持ち続けなさい。
この時は脱走したカメレオンが道を横切り、娘と二人で唖然としていたところにこのおばさんが現れた。
そういえば干潟の植物には意外と早く秋の到来をつげるものがあった。紫式部だったか。
通院アラカルト (2012年8月15日)
お盆真っ只中の私の仕事は通院。昨年の10日にお逢いした時には私がずいぶん
とカツを入れてしまったお若い(娘とどっこい年齢?)主治医はブチ元気になってしまい、
シロシイ?くらいではないか(方言)。なんだかうれしいようなまぶしいような複雑感がある。
病気に対して少し神経質だと言われたがこれくらいがいいんです、と言いかえしたかった。
もちろん繊細なんですが・・・くらいのことは申し上げた。病気を忘れていてとても深刻
な事態になったら責任は自分で取らないといけない。来月初めにまたエコ―になったが
病院の先生も少なくとも5〜10年くらいは継続してみてもらえる人がいいなあ〜と
しみじみ感じた。馴染んできたと思ったらいなくなられては患者も困るではないか。
いつ移動してしまうかわからない若い先生とのお付き合いに慣れるのは精神的にも大変だ。
それとも長く見てくれる先生に出会える可能性を模索すべきなのかと迷う。病気は先が見えない。
帰りの薬局で(クラビットと胃薬をお願いしたので)椅子付きカートを押した元気な病人
ともいえるご婦人に出会った。全く先生は私には厳しいのよ〜やんなっちゃう・・・
と言うので私も、先生も人を見て強く言ったりするんですよ〜なんて申し上げる。次の手術
があると言うので、先生は腕がいいんじゃないと問う私に、そーなのよそれで我慢してるの
とうれしそうに答えていたご婦人。私も日本の病院通い1年半になり多少は学んでいる。
彼女は上から下まで病気だらけだというのよ、と朗らかに笑いながら話す。信頼関係が確立している。
私など昨年は物を尋ねるのも上手にできず、次にはメモを持っていったり、本当に患者になるのは
大変なのだ。この頃ようやくまともな患者の役ができているのだがまだ完全とは言えない。
バス停で中南米風の親子に出会った。シーズー犬を歩かせてきてバス停のところでドッグキャリー
に入るように男の子が命令した。イヌはススッとキャリーに後ろ向きに入った。エライ。
わが犬はこんなにお利口なときがあったのかどうか。今はわがまま犬になってしまった。
男の子も妹、母親も甘いものを食べ過ぎて体格が良すぎるかんじだ。ストレスがあるのかな。
バスに乗るときに手を振ってあげたかったのに後ろの客に押されて忘れてしまった。
バーイ、テイクケアくらいは言えたのに。
激しい通り雨が過ぎた後ではあったがムッとする暑さとバス客の少なさに適度に安らぐ気持ち。
今日は私がお若い先生にカツを入れられたに違いない。こうして若者も熟年も前に進む年月。
お入りと言われてもハイと素直にケージには入らないぞと何故か少し自分の気持ちを強くする。
お若い先生はちゃんと私の性格を研究しているに違いない。
風の又三郎おじさん (2012年8月14日)
昨夜の雨で緑たちが元気だ。セミも早朝から力いっぱい声を振り絞る。
このところひと月近く発熱(といっても平熱36度少しで、37度程度のことなのだが)
を感じると感染予防にと思い風邪薬を飲んでいた。しかし薄識が災いしてしまい
免疫力が落ちて、目に物もらい、口にヘルペス(若いころに出てどこかに寝ていたもの)、
口内炎、とにぎやかになってしまった。それで総合ビタミン剤を飲み、風邪薬を頼らず
2日ほど休んでいた所、うなされるほどの爆睡と大汗。今日は比較的体調が良くなった。
発熱と感染、または免疫力低下・・・どちらかを選べない。Drはどう答えるだろうか。
毎日大したことはしていないのに疲労感が強いのは肝臓からくるものなのだろう。
とにかく初めての救急車経験はできる限り避けたい気持ちが強い私だ。
風邪の又三郎おじさんに出会った。私が勝手に名前を付けている方だがまだ数回しか出会っていない。
ひこべい坂を上から自転車で疾走してくる。痩せたおじさんでいつも白いシャツと黒ズボン。
人通りのより少ない反対側の道なので見やるのみだが同じ道を上から来たら怖い。両足をぱあーっと
広げてスピードを楽しんでいる。駅まで下降まっしぐらなのですごい速さだ。早朝のこの楽しさの
虜になっているらしい。早すぎて振り返るともう小さな姿しか見えないのだ。自転車よろよろ乗りの
私から見ると瞬間、目をぱっと開くのみである。
又カーブで昨日お地蔵さんに見えたところを確認したが、今日はオレンジ色の丸い印が並んでいるのみで
感覚が違う。出会う人が少ない。鴨一家も去り、キジバトが一羽そそくさと木の根元の向こう側に隠れた。
シーナの本(白熱教室)選択の科学、はまだ途中までしか読んでいないがとても分かりやすい科学。
選択肢の少なくなったオバサンネズミがあがいて出口というべきところを探し回り、さまざまに
行動したり思考したりしても、所詮望まない場所での事で解決策乏しくストレスをため込んで病気
になっていくという過程がみえる。人それぞれ違う環境に住むが神の目線ともいうべきところから
のぞくと人間もその辺の実験動物と大して違わない気がする。選択肢の自由というのは重要だ。
今朝の花との出会いは百日紅。常夏の国でも出会った。容姿はほとんど変わらない。
キョウチクトウのピンクと競い合い強く明るく可愛らしく夏の景色の中で存在を主張している。
今日は空の色が皆無。こんな空にこそ強いデッサン、南国の海色、ハイビスカスレッドだ。
我が家の四季咲きツルバラには新しい枝が伸びてつぼみや花が元気だ。
明日から治療入院する友人にこのツルバラの生命力と清々しく新鮮な花の香りが届き
ますように。希望の光は必ず貴女のツルを伸ばして新しい芽、花を咲かせます。
マンホールの絵、アメンボ、シーナの本など (2012年8月13日)
プラタナスの枝が剪定されていていきなり道の行く手の見透視が良くなっていた。
そういえば最近あちこちで交通整理(枝おろし)が多くて若葉マーク運転手の
夫を悩ませていた。手をひらひらさせているでしょうゴーだよ。全く手を上で
丸にするわけがないでしょ・・・と思う私。車中で口げんかが絶えない。
これで当分原因が一つ減るなと安堵する。
無風、取り立てて変化のない朝は足元に目線が落ちる。マンホールのふたは結構多い。
ここに越してきて初めてしげしげと蓋を眺めた。何か絵が描いてある。次の蓋の所で
さらに詳しく観察した。鉄さび色の中で中国の古い武人のような方が手に鈴のような物を
持って結構怖そうな顔で見上げている。いくつかのマンホールをのぞいたがどれも同じ
絵だ。魔除けか門番か、見張か。そういえばブラタモリでいつかこんなのをテーマに
していたような気がする。さらに深く追及はしない私だ。これは生活の中で優先順位が低い。
疎水は上流の池の水量が減っているのか下る道に沿って段々の端をぼちょぼちょと流れる。
朝日が照り返す水面の上でボツンポツンとアメンボの輪が広がる。浅い水底では枯葉色が
静かに横たわる。夏の静寂感。そういえばお盆の時期で人々は移動中なのか。
さっと木の枝を黒い影が横切った。小ぶりの烏がアパートのアルミフェンスの上をかちゃかちゃ
音を立てて横飛びしていく。木の茂みをうかがうと他にもカラスの姿。さらに道を挟んだ向こうに
2羽いる。カラス一家は宅配ピザ店にあるゴミ箱数個を襲撃計画中と見た。カラスも沢山いると
結構恐怖を感じる。強そうな足、鋭そうなクチバシ、賢そうな目。そそくさと先を急いだ。
今朝はなかなか用事が済まないわんこだ。いつもより沢山歩かせてしまう。上目使いでよろよろ
歩くので一寸かわいそう。道を登り角を見上げるとなんと1m位の黒いお地蔵さんが白っぽい
丸いカードを持って全員前向きで並んでいるではないか。えーっとびっくりして良く眺めると
カーブ注意のマークであった。しかし2度目のカーブで良く眺めると本当にそう見える。
これは初めての発見だ。車を運転する人は夜蛍光板としてのみ認識するのだろう。
わが夫の若葉マークに対する警告と見た。なんといっても異次元との交流真っ只中の季節。
汗だくで家に帰りつくとわんこの用事はわが部屋で終了していた。ちゃんと言わないとだめでしょう、
わが犬は気持ちが通じるので恐れ入っている。夏痩せをしない主の健康をちゃんと気使っているのだ。
発熱の予感は何度も風邪薬でやり過ごし何とか来週の通院の日までは頑張るぞと意志を強くする。
夫と娘が私の代わりに信州の墓参りに行く相談をしているのを聞いて気持ちだけでもうれしい。
盲目の教授シーナのように強い選択をしてマイペースの道を切り開いていこう。シーナありがとう。
非常事態を思い出した (2012年8月12日)
この頃昨年の地震時や海外での物不足の時を忘れてしまっている。ほどほどに
危機感は残り維持しているが以前のようではない。昨年の3月、地震を病院内で
経験して4日後くらいに退院した時新宿の病院から八王子までタクシーで帰宅した。
病院の売店には意外とパンやティシュ、トイレットペーパーがあり思わず買占めたく
なったが退院荷物やらで涙を飲んであきらめた。自宅は購入したばかりで土地勘がなく
今から思えば背中にくくりつけてももう一つくらいは買っておくべきだったと反省。
しかし災害時病院のお店に買い出しに行ってはいけない。特別な場所として記憶するのみだ。
タクシーのおじさんは70歳くらいでお話が好きだった。個人経営の会社を持っていたので
3人の子供全員違う国で勉強させた、それが財産だと語った。しかし初めてタクシーで土地勘
のない自宅に帰るので相当遠回りしていたが気が付かない。さすがに自宅近辺の景色はピンとくる
物があり、あれれここは違いますよと焦って道を修正した。カーナビはどういうことになって
いるのか。まあ自宅近辺をドライブして下見するようなものなのであきらめた。私は車の免許がない。
金額はだいぶ上乗せされていたと思う。それでも一人で退院なので穏やかな運転手さんに感謝。
自宅にお昼頃帰り緊迫状態を理解した。傷は腸の中とはいえ病み上がりであるがさっそくスーパー
へ突進した。しかしすでにペーパー類、米、水、無し。隣の駅のスーパーを想い出して突進。
時すでに遅く無い。あきらめきれずに100均の店も見る。ここもなさそうだったが手ぶらで帰る
わけにはいかず棚を丁寧にチェックした。在った。棚の奥になんとティシュ箱が10個近く。
全部購入した。その後1週間位するとスーパーにも物が増えてきてさすが日本と思い感激した。
電池類はなかなか数量を購入できず、たまに一定金額購入すると電池5本買えるシステムを
知ると飛びついた。娘は仕事が忙しく買い出し隊に参加できないのだ。2人で相談しながら
細々と物の購入を続けた。計画停電もあったが自宅は計画から外れていてラッキーだった。
その後3か月間ジャカルタに戻り、本帰国の準備に奔走した。35キロのスーツケースを持ち上げる、
引っ越し荷物100個以上仕分けたり持ち上げたり、腸の傷に悪そうなことばかりの連続だった。
火事場の馬鹿力,とはよく言ったもので人間やる気になれば相当の力は出る。日本に帰りたい一心、
病院でちゃんと治療を受けたい一心のみが原動力。もちろんあちらのスーパーで電池を沢山購入した。
ろうそく、懐中電灯も。同じような考えの日本人が多いらしく品切れ(輸出された日本製品)もあり、
韓国やその他の国のものがますます出そろっていた。最近では日本の商品より韓国や中国、諸外国の
品々が幅を利かせていてさみしい限りのあちらの国の商品棚だ。夫を残して犬と一足先の本帰国だった。
持ち帰った電池はなかなか消費しきれず引き出しで出番を待っている。大きなろうそくは粗悪品で
白いボードの上に置くと色が移るので超非常時に備えて物置の奥で寝ていただいている。
くろまめさんにも差し上げたがご容赦。非常時用としてお使いのほどを。海外の床はタイルや大理石
なので心配ないが日本で大きなろうそくは危険なものだと今では納得している。あちらの色製品は
とても扱いが難しいものだということ、人にあげるときは注意しなくてはいけないと反省。
涼しい朝は理性が戻り自分で自分をほめたい。イヌの健康状態もだいぶ良くなりちょっぴり幸せな朝だ。
いつもの朝のスケッチ (2012年8月11日)
クローバーの公園は
丸刈りにされてうす茶色
白いベンチに老人がひとり
朝のタバコをくゆらせる
ジジジッとセミの声が
落ちてきたので見上げると
小型のクチバシの鋭い鳥が
セミをくわえている
熟年組散歩団が
談笑しながらすれ違った
流れ星の跡のような縦型の雲
刷毛で描いたよこすじの雲
今日の画家は青い絵具を
使わなかったんだね
老犬は後ろ足をぶらぶらさせながら
緑色のナイロンバッグの上だ
前足をさすり後ろ足もさすり
頭をなでながら体の向きをなおす
痩せたね
さっ 今日も始まるよ
カラスと白い綿毛 (2012年8月10日)
昼12時のプラットホーム
空の色はグレーがかったホワイト
電車のホームから見上げると
背中を丸めて首を伸ばすカラスの姿
カラスの真後ろからのポーズを見上げる
右、左と頭と大きなくちばしの動き
カラスの考えは見えない
コウキシンやケイカイシンが忙しい
線路に目をやる
白い大きな綿毛がおおきく上に下に飛ぶ
この頃この綿毛によく出会う
タンポポにしては大きい
後ろ向きのカラス
白い綿毛が漂う
静止した夏の時間
交差する黒い電線
思考するカラス
着地点の見えない白い綿毛
クールな目線の朝 (2012年8月9日)
わが老犬、昨日の鳥皮入りご飯を食べすぎて珍しく今朝は散歩前に失敗してしまった。
失敗する場所は私のアトリエ部屋か目の前だ。おーおっ、よく我慢したね〜と老犬には
超甘くなってしまった私だ。外気温が適度で散歩しやすそうなのにもったいないけれど、
そういえば犬は結構主の体調に敏感だ。そして気を使って慰めたりもしてくれる。
彼女なりに考えて行動したのか、今日は外出するので朝散歩はいやだなと考えていたのだ。
やはり涼しさに熟睡できた夫が起きてきて一人で散歩に出た。日本のオヤジになった。
このところちょっと切れやすくなった自分を顧みる。この間の病院との信頼関係も
昨年入院時の婦長さんの親切振りと天秤にかけると帳消しにしても良いかもしれないと
考えている。8年ぶりに本格的に日本の病院で入院治療を受けた私。外国人のように
うろうろとすることが多く病院のシステムもすんなり頭に入らず、泣きの状態。
退院時も会計を一人でするのにおろおろ状態。不明点を婦長さんに尋ねるとPCで確認
してくださり明快なお答え。そして会計係の人を指名してこの人にお願いしなさいと
言われた。会計係の方もなぜ自分に指名されるのかちょっといぶかしそうだったが
専任の形で処理して下さった。地獄に仏、というわけではないが有難かった。
そんな状態を経験した人でないとわからないと思う。もちろん明晰な頭脳で国内外の
切り替えや時差のバランス感覚に長けて、処理能力に優れた方は問題外。
海外に戻ってから、病院全体に好印象を持ったので帰国後もお世話になっている。
地震時に娘を泊めていただいたお礼に手紙を出したがこれは届かなかったのかどこからも
何の反応もなかった。個人的につながりを持つのはいけないという教えがあるのだろうか。
だとするとちょっとさみしい日本の病院の実情ではないか。人間味ははどこに行ったのか。
あれ、私も立派にオバサン化している。これは成長なのか衰退なのかわからないけれど。
看護師さんに昔のような白衣の天使像を期待しているのは甘いのだろう。考え方を改めねば。
私は断じてクレーマーおばさんではない。普通の悩めるオバサンだ。電話会話を傍聴していた
夫は少々私におびえていたことは確かだ。今後の自分に少し自信が出てきたのはなぜだろう。
病院選びの今後ということに示唆、お導きを与えられたと考えている。感謝。
窓から眺める今日の景色は薄いグレーが上塗りされていて、静かに鳴く蝉や小鳥のさえずり、
カタコトと通過する電車の音まで心にしみる。少し気温が低くなり頭の周辺が冷却されるだけで
こんな風に冷静になるのだろうか。まだまだほんの一瞬のクールな目線の朝。
水族館、ムカデに刺された島 (2012年8月8日)
寝たり起きたりの夜中のオリンピック観戦。涼しい朝でも頭はぼーっとしていて元気な
犬をしり目に即Uターン散歩してしまった。働く人は大変だろうな。ジャカルタでは
住んでいる集合住宅でケーブルテレビに加入していると日本の国営他海外二桁の
チャンネルを見ることができるので、よその国の目線のいろんなチャンネルが見れた。
日本のTV局とは視点が違うのでそれはそれでまた面白い。しかし地元で有名なのは
バトミントンとかボクシングくらいか?それでもみんなお気に入りの国の応援を楽しんでいた。
涼を求めてというわけではないが時々友人連れや一人で海辺にある水族館に行った。
日本では立派なのが沢山あると思うがあちらの国ではごく少ない。海に囲まれている
立地条件は日本と同じだがなんといっても水族館よりほかに整備しないといけないことが
多すぎたのか。記憶に強くあるのは入口から近い所で観た1匹のマナティ、魚眼レンズ状の
ガラスの大筒の中で泳ぐアロワナ、同じく海ウツボ。他に海の住人がひと通りいた。
マナティは最初に見たとき母親と一緒。おっぱいを飲みながら母親と泳ぐ姿は可愛い。
その後子供だけになり、あんな大きな体なのに柔らかそうでふわふわした頼りない水草を
もぐもぐと食べているのを眺めた。良く遠浅の海辺の砂浜に打ち上げられている水草だ。
ある日何回目か、マナティの子供がすっとガラスによってきて目線をとらえた気がした。
少し長い間お互いにみつめあったのでその後すっかりその子のファンになった。
しかし同じことは2度と起こらなかった。きっとただの気まぐれに違いない。
魚眼レンズのガラスの筒というのはド迫力がある。アロワナも海ウツボもこの世のものとは
思えないほどバカでかい。夢に見たらうなされるくらいだ。しかし角度を変えるとふつう
より大きく沢山いる程度なのだ。動物園は流行り病が怖くていかなかった。
水族館のあたりから高速艇で1時間ほど海上を走ると(揺れがひどくて酔い止めの薬も効かないほど)
様々な島があり観光地として有名だ。その中の一つの島を訪れコテージで1泊したが湿った
シーツの中にいたムカデみたいなムシに刺された。どうもそのあと辺りから免疫力が一段と
落ちたような気がするが証拠と言えるものはない。いや、現在の姿が証拠なのか。
私は浅い海で1人シュノーケリング。夫は一人ジェットスキーで人気のない海のあたりを驀進
していた。後ろのコーチがおびえて夫の腰にしがみついている姿には苦笑。
海の汚れが加速されていてそのあたりでも透明度がおちていた。目に見えない汚染は何らかの
かたちで表面化される。沈黙の春の兆しはすでにあるのだろう。空の上から見下ろす島の河口は
汚れた色が広がり、段々畑やヤシの木に彩られた素朴な景色の中で目立っていた。
海も浄化する仕事に疲れ果てるときが来るに違いない。
海辺のレストランの食事はティダエナック(おいしくない)。バイキングの残りを翌日利用して
居るのがみえみえ。地元の人たちはあまり変化のない食事に文句はなさそうだった。
常夏の国のレストラン (2012年8月7日)
この猛暑でさすがの特技"夏バ知らず食欲”も危うい状態である。そこで思い出した。
常夏の国のおいしいレストラン、”チャモ”。帰国するころには大改装中であったが
いまもあるのか。日本人にも合うマナド(珍しくいろんな食材を使う)料理でいかにも
南国風なつくりの店はいつも地元の人やアジア人組(最近は韓国や中国の人も多いジャカルタ)
でにぎわっていた。欧米人はあまり見かけた記憶がない・・気がする。
マナドはワン、にゃんも食するという評判を聞いていたので及び腰ではあった。
例のヨガメンバーでランチ、行きたい場所、早い者勝ちよ〜というと頻繁に名前が出た店だ。
毎回オーダーするのは、ジャグンゴレン(トウモロコシの実だけを多分小麦粉片栗粉半々くらい
でパリン揚げたもの)、ナスと卵を炒めたもの、パパイヤの花とカツオの唐辛子炒め、
白味の魚を焼いたもの(痩せていると骨ばかりで4,5人で分けるのが大変。身がほんの少し
しかなくていつか1匹食べたい欲望がわいたものだ)、それとなんといってもたぶんタイ科
の白身の魚の全部、あるいは頭だけ、あるいは身の部分がカットされてはいっているもの、
それにトマト、トウガラシ、何かハーブ系の葉っぱも入っていたかもしれない、スープ。
大体これらと地元の米(小さく細長い、癖のある香りもある)を人数分より少なめに頼む。
大皿にそれぞれのおかずを(味付けが濃いので少量で充分)を回して取り分け、スープも
大鉢から少量ずつ(これも酸っぱく辛いので)、はいいただきまーす。スプーンやホークは
ちょっと衛生状態が心配。こっそりついているペーパーでごしごし拭う。あちらでは水は
オーダー品。それでも訪れたばかりの頃はこの南国系の香辛料の匂いとか全体の雰囲気が嫌で
先に行って勉強していた娘に良く叱られた。馴染まないと長期で暮らしていけないので我慢
がまんの連続が効果を上げた。そうそう必ずお茶パナス(熱いの)というあちらの香りのない
紅茶をビールジョッキ小型位の器に入ったものもオーダーした。現地人はこれに砂糖をドバッと
入れてお茶マニス(甘い)にするのだ。日本人で砂糖を入れる友人は見なかった。暑い国なので
甘いお茶や昼寝は庶民の生活にとってなくてはならないものだと気付くまで時間がかかった。
全体的にパームヤシの油を使用する料理が多い。こういったレストラン以外家では取り混ぜながら、
輸入品の金額2倍の日本商品を買っていたと思う。暑い国なので家でも外でも揚げたり焼いたり
蒸したりと火を入れたものを食べている。日本人は日本色スーパーでインドマグロ(冷凍品ではない)
などの刺身も購入するので慣れないお手伝いはぎょっとしておびえたと思う。マグロは安くて
美味しかったが健康面ではどうだったのかわからない。
小皿に盛って出されるのは、紫こだま玉ねぎと緑色小型唐辛子、青い小トマトをカットして塩と酢
で浅漬けされたもの。これはエナック(おいしい)。日本でもピーナッツとちりめん雑魚をフライパンで
いためてしょうゆや唐辛子で味付けしたのがあるけれど、あちらにも似たようなものがバニャック
(多い)。残念ながらモスリムの店ではビールはご法度。今急に思い出した。まだ日本では料理に
気が回らず創作的なものは皆無。ひたすら原材料の鮮度や触感をたのしんでいるのみだ。
環境に恵まれてしまうと脳みそを使わず退化するのみ。想い出したのも何かのお導きかも。
お導きや示唆の多い月だ。ただし、気が付けば…のこと。
マル―先生のこと (2012年8月6日)
ジャカルタ時代、語学の個人レッスンをお願いしたのはあちこちの日本人家庭
を回り1回1時間半ほど(日本円で500円くらいのボランティア感覚)会話する
マルー先生。私はあちらに行ってすぐ3か月くらい語学学校に行ったのみで3,4年たつ
頃にはまた勉強の必要性があった。いくら使用人とちょっと激しいバトルがあっても
そんなに語学が上達するものではない。彼女は国立大学英文科卒(もとはクリスチャン
で結婚してモスリムに)日本語ペラペラ。授業も日本語に突入しやすいのでこちらも
そうはさせじと考えた。もちろん英会話もオッケー。彼女も日本語力維持努力と見た。
または学校の役員もしていたので授業料を寄付等に役立てたのか・・・定かではない。
今日は植物関係で行こうとか、地方の文化で行こうとか、または悩める使用人の相談とか
とにかく親身になってくれるのでこちらも毎回お菓子とお茶など奮発してお待ちしていた。
断食月でも点滴してから来るようなすごい人だった。災害で孤児になった女の子を養女に
迎えてもいた。ご家庭は上流に位置する方だと思う。何しろ格差が大きい社会の国だから
下流からチャンスをつかみあがっていくのは大変だが、牛で有名な国よりはなにがしかの
チャンスが多そうだった。
ある日、家族の名前の話になった。雲と雷と太陽・・・こんな風に一つの景色が見えるような
名前を考えるらしい。それはなぜなのか、もっと追究するには語学不足。毎回増える単語
の羅列に悩んだ。そして結局知っている数少ない単語を駆使してテンポの良い会話になった。
やる気は一応あるがそんなにたくさん覚える気持ちもないのが悪い。もちろん主婦でも(友人も)
わが娘も国立大学語学コース1年間に通い読み書き覚えて仕事などに生かす場合もある。
彼女の息子さんの名前は確か太陽(ヒンズーに由来したものと記憶しているが定かではない)だ。
あるときお手伝いが、先生が乗り合いバス(100円か200円で短距離終点まで行く改造中古ワゴン車)
から下りて来たよと教えてくれた。家庭車を子供の通学に使用しているときはそういうバスを
利用していると初めて知った。地元の人なので不思議はないと言えるがちょっと意外。
私は地元の乗り物には乗らずじまいだった。欧米人は割合と使用する人もいたが容姿がとても
とても目立つのですごく勇気が要るはずだ。地元の若い運転手は欧米人だったら(女性)誰にでも
憧れると言っていた。彼は以前田舎の方でお父さんと山超え海越え農民をバスで移動させたりする
仕事をしていた。帰りしなに何かあげた翌日段ボールいっぱいの鉈のようなバナナを持ってきてくれたっけ。
そのバナナはサツマイモのようにふかして食べる種類の(たくさんの種類がある)ものでお手伝いの出番。
日常の人々の景色が語学の先生のイントネーションのようにやさしく、笑顔、眠気、ゴムの時間
に味付けされてよみがえる。それは今朝見上げた空にいわし雲が浮かんでいて何となく秋めいて
高く、青く、澄んでいたせいかもしれない。心が傷んだときは青い空やかぜにそよぐだけの木々、
またはただの記憶を手繰り寄せるだけで癒される。
マルー先生の笑顔は近所の欧米人にも馴染んでいて、腰が低い感じでお話ししているのを
窓から見送りながら眺めた。
頭上の鶯、長柄の鎌を持つ人 (2012年8月5日)
いつもの散歩道をやめて中学校裏のわき道に入った。ここは朝6時を過ぎていても
涼しく桜や梅の木が多い。隣はもう高い塀に囲まれたゴルフ場。にぎやかなセミたち
の声が湧いている。人の姿がほとんどなく、まだ土地勘がないので少し不安だ。
中学校のグランドで早朝練習をする姿もなく、しんとした空気の中で夏草の存在感が
強い景色だ。ホーホケキョが頭上の繁みで鳴いている、ここにいたんだね。
後ろから一人の小太り男性が柄つきの長い鎌を携えて現れた。長靴を履いてポロシャツ
黒ズボン。歩かない犬を下ろすふりをしながらやり過ごした。丘稜地帯を開発して
新しい街を作ったこの辺りは空き地空間が多くて目線には良いが、少し建物の姿が少なく
なると心細い。おばさんも一応女性である。
少し歩くと中学校の生徒用なのか近所の幼稚園用なのか、サツマイモとコスモスを植えた
小さな畑が現れた。二畝くらいしかない。きれいに土が盛られていてあたりの夏草風景
との差が目立つ。男性はこの畑の手入れに来たのだ。教職の方かもしれない。
私が学んだ信州の中学校の校長先生を想い出した。生徒が授業中校長先生は中庭で長靴、
麦わら帽子、ランニング姿でいつも草花や側溝の掃除(ウシガエルまでいた)をしていた。
校長室にあまりいなくていつも植栽の手入れをしたりしていて用務員のおじさんと見紛う。
それを見てそんな校長先生になりたいと思ったクラスの男子はその後本当に母校の校長に
なった、と故郷の友人が教えてくれた。
憧れて大きな仕事をするような人になれたとしても、また傍らでその姿を観察して追いかけて
いる存在がある。どんな段階でも人はすでに歩き出したときから影響し合っているものだ。
あれ、何を書きたいのか。まだまだ不安と信頼の問題を抱えている自分がいる。
くろまめさんのトマトのシャーベット、いいね。なんといっても夏野菜は最高だね。
ゴムのように伸びる気持ち (2012年8月4日)
避暑地のような朝5時。又、ちょっとくぐもってはいるがホーホケキョ。傍らの垣根
スイカズラのあたりでは可愛い秋虫の鳴き声もする。そして蝉の声。ミンミン,ジージーと
合唱も次第ににぎやかになる。日本の夏は前からこうだったのか・・・。ここが府中の高級
ゴルフカントリーに隣接するような立地だからか・・・。年齢を重ねたとか海外生活が長かった
ということで観察が細かくなっただけのことなのだろうか。長くここに住む人は知っている
のかな、とつい観察から入る朝の散歩。
スイカズラの並木を見上げるとほっとする青空と入道雲の夏の光景だ。ここの所出会わなかった
私より年配の婦人とすれ違った。いつもわが犬を愛でてくださりちょっとした朝の会話を交わして
いたが今朝はあいさつのみだ。先日いつもの道と違うところをショートカットしていたとき、
偶然彼女が垣根の花など採取して水入りペットボトルに入れているところを見てしまった時から
空気が変わった。その程度の行為は気にしないよ。ジョークで行こうよ。多分ご仏壇用だね。
きちんとしているのが取り柄の日本だが気持ちの余裕やゴムのように伸びる時間(ジャムカレット
はジャカルタではあたりまえだったな〜)感覚もたまには必要だ。いや、とても大切かもしれない。
鴨一家はコガモが母親より大きくなり、母の目の前で潜り比べの餌さがし。私は横目でそーっと眺め
て通過した。やれやれ、お母さん大変だったね。
又自転車を押して坂道を来る老人とすれ違った。平らな道になるとすいすい自転車に乗っていく。
我が家の自転車は出番が無くて先日自転車置き場を見たら赤さびがコンクリートを汚していて
だれの責任か・・・つい愚痴が娘に行ってしまった。以前彼女はこの自転車に毎朝乗って駅まで
行っていたはずだ。ジャカルタでお手伝いが自転車を習い、足がつかないのにうれしそうに敷地内
の用事に使っていたのを想い出す。隣家が帰国する際もらった自転車はほとんど使用人たちが
(彼らは安くてもすぐ買わない)利用していて私はほんの数回乗ったのみ。
私も虚弱体質の幼少時友人たちと自転車の練習ができず、最初に乗ったのは娘が3歳くらいの時だ。
夜中に公園で中古自転車に乗る練習をした。30年前普通のサラリーマンが買えるマンションは
郊外で駅から遠い。必要に迫られたが水たまりをよけられなくてよろよろと倒れる私に向かって
背中にしがみついたまま、娘は”ママがんばって!”と言ってくれたっけ。
ジャカルタの中古自転車は運転手とお手伝いの争奪戦になったが、結局同じ敷地内で働く奥さんの
為にと力説する運転手にあげた。そういえばセキュリティーのお兄さんたちも帰国者が残したのか
あげたのかピンからキリまでの自転車にまたがって行き来していた。私はこれから自転車に乗る機会が
あるのだろうか?なんといってもこの辺は坂ばかりだ。ラジオ体操の高齢の男性は偉い。
切望、病院との信頼関係 (2012年8月3日)
ここの所いまいち体調がすぐれないので又肝のう胞がどうかしたのかと心配していると、
昨夜1時ごろから3時ごろまで普段でもふくらみ気味のおなかがさらにパンパンして、
引っ込めようとしても引っ込まずおまけに痛みもある(これは膨らむと周りの臓器が
押されるので当然)。仕方がないのでおなかをさすりながらオリンピックのテニスや
床運動を見ていた。昼間天丼とそばのミニセットを食べたせいなのか・・油ものは
脂肪肝でもあるのでいけないのだが誘惑に負けてしまった。おやつも食べてしまった。
熱は37度くらいだが週末にかかるので病院に行った方が良いのか思案して朝一番で病院に電話した。
大きな病院なので交換から消化器外来に回されたが今日は主治医が外来の日ではないので
仕方なく電話に出た看護師に状況を説明した。今まで病気を見過ごして自分を大切に
してこなかったのでせめて帰国した今、日本の病院で安心した治療を受けたいという切望。
看護師のトーンがいきなり不機嫌に低く、色々と説明して病院に行った方が良いのか尋ねるのだが
貴女が自分で判断してきてくださいと言われる。自分で判断できないので電話しているのに
どうしたことだろうか。ちょっと腹を立ててらちが明かないのでいったん切り、それでも
めげずにまた電話すると今度は2人も違う人が電話に出るので最初の人に変わってもらった。
通院に1時間半もかかるので朝一番で電話している状況などは推測できない人らしい。
私もレッキとしたおばさんである。貴女の態度は不親切ですと伝えた。名前も聞いた。
心配なときいったい誰に相談すればよいのか。国立病院はチーム医療なのでいざというとき
私立病院に通っている友人のように主治医に電話できない。海外から主治医に電話している友人を
うらやましく見ていた。結果的に医長の先生に回されて丁寧な説明を聞き納得。さすが医長だ。
来週まで待って様子見する気持ちになった。これが本当の患者と先生の関係なのだと思う。
信頼関係ということについて強く考えた1日であった。もう1年以上通院している病院なのに
去年は電話した時同じ外来でもすごく親切な看護師の方がとても心配してくれて恐縮したくらいだ。
この違いはなんなのか?国立病院も経費節減で看護師の仕事が増えすぎて不平不満がそんな形で
言葉に表れるほどなのか。独立行政法人といえば利潤の追求もあるだろう。看護師も公務員だろうし
主義主張もあるだろう。しかし朝一番の電話から不機嫌(普通の日でも彼女は患者の顔を見て
話していないときが多いのは認識している)というのはやめてほしい。
ああ、また肝機能のせいでカリカリしているのだろうか。いや、違うと思う。昨日の絵画制作は
珍しく成功していた。先生や仲間もほめてくれた。お世辞でも。精神バランスはそんなに悪くない
はずだ。いや、客観的にはどうなのか・・・自分を信じたい。
おしんとマユミ (2012年8月1日)
川下の小さな水門溜まりの手前で父親と小学生の男の子がザリガニ取りをしていた。
夏休みに入り早朝の野外活動なのだろう。向かい側から来た大学生の男子3人が
その親子に声をかけた。”オスとメスのカブトムシ持っているんですけど要らないっすか?”
”おーい,どうするか?”子供はあまり乗り気ではなさそうだったが。朝の明るいスケッチ。
このごろレトロな想い出が多いせいか、いきなり”おしん”のことがぽっかり浮かんだ。
私が滞在していた頃ジャカルタではローカルTV局で”おしん”を放映していて、お手伝いや
運転手が良くその話をしていた。”おしん”とあちらの庶民生活はぴったり呼応する感じだ。
寒村から出発して都会で成功するストーリーは彼らの日々の努力や希望と同じだ。
細い路地とひしめき合う家の前のきれいに手入れされた僅かばかりの植栽(マンゴー、
ジャンブー、木の陰にぶら下がるランの花、など)、夕暮れになるとどういうわけか皆
家から出てきて椅子に座ったり道に腰を下ろしたりしてなんとない時間を楽しんでいた。
古き良き時代の日本のように安心した穏やかそうな顏が並んでいた。ワット数の少ない電球。
最後に住んでいた近所の裏門からの抜け道沿いや、都心への行き帰り時の光景だ。
ローカル美容院で店のおばちゃんと一緒にイツワマユミを歌った。
PR雑誌の紹介に魅かれていったその店は地元人御用達で友人と及び腰の挑戦だった。
隣では地元の方が足のマッサージをさせながらドライヤーで髪の毛を自分で乾かしていて、
目の前にはミーゴレン(焼きそば)の皿がある。どうやら自分で乾かすと安くなるらしい。
いろんなサービスをいっぱいつけても割安の地元の店だが衛生面で少々おびえる。
おばちゃん(私もだけれど)は頭を洗ってくれた。チップをそれぞれ渡さないといけないので
ポケットの中をごそごそ確認する。ダリジャパン?=日本から来たの?それから彼女の”心の友”
が始まった。日本語で結構上手に歌う。あちらではこの歌手の歌が有名だ。歌詞が結構難しい
のでところどころ???になり思わず訂正してあげる。そして仰向けで頭を洗ってもらいながら
いつの間にか合唱していた。たった1回だけの経験だけれど彼女の笑顔と明るさを忘れない。
夢からの帰還 (2012年7月31日)
明け方から涼しくなり爆睡している犬を起こすのも可愛そうでついタイミング
を逃してしまい又お日様の暑さに汗ダラダラ散歩。イヌ用保冷(水にぬらして着せる)
スーツのおかげで水タオル巻きつけ作戦から進歩した。自分のサンバイザーを犬の頭
に乗せて日除け。意外とご機嫌な彼女であった。私にも散歩は必要だ。
夢から帰還した。昨夜は比較的寝心地の良い夜のはずなのに37度くらいの熱が出た。
38,9度というわけではないのにちょっと危ないしっかりした夢を見た。
ふと気が付くと信州黒姫の山中。深く険しい山中で人が住んでいるとは思えない所。
新緑の山中は素晴らしい。くろまめさんの住んでいた山中に似ているが信州はもっと険しい。
バスの中(いつも)には穏やかでにこやかな比較的若い女性が乗り込んでいる。いつの間にか
席がお茶テーブル状態になっていてそれぞれお茶菓子の自慢をしながらおしゃべりしているが、
私は無視されている・・・というよりちょっと迷惑そう。何も勧めてくれない。
本格的に土地探しをしていると町役場の人らしい方が現れて、その土地はまだ家屋が立っていて
しかもいわくつきなのに本当に購入するのかといぶかる。確かに訪れてみるとなんだか古い
感じのよくない家が建っている。でもいいわ・・と心の中で話を進めたい私。
なんだろう、ここで静かに仕事を進めたい感じがする。
バスから降りて山道を歩いている。こんな新緑の季節はいいけれど雪が降れば閉じ込められる
という理性もある。ジャカルタ時代の同年代の友人がそばを歩いていて、私もこの辺に住んで
いるようなことを話しているが、つじつまが合わず聞き流す。彼女の身の上に少し心が騒ぐ。
バスはいきなり海に出た。すぐ近くの大きな平たい岩の上にマッチ箱のような粗末な家が
岩の上ぎりぎり状態でぎっしり立っていて洗濯物など生活感のあるものが見られるが
人の姿がない。夢はそこで終わり。
こんな夢の話をするのにぴったりの季節。時々こんな夢を見るので起きたときすぐメモする。
それでもこんなはっきりした夢はジャカルタで同じ夢3回連続の時以来だ。
警告なのかな?こんなことは誰にでもあるのだろうか、あまり人から聞くことはないけれど。
老犬の歯と月見草 (2012年7月30日)
玄関に何かゴミがあると思い拾うと犬の歯だった。歯というより汚れた
化石の破片のようだ。彼女は小さいころから片側の歯だけで噛む癖があり、
それは多分顔が左右対称ではないところからきているような気がする。
もしかしたらそれが彼女の幸運につながるかもしれない。片側が割合と健在
なのだ。超ショートカットの散歩は少し気分転換になったらしく主は肩と
わき腹が痛くなるが可愛さには負けてしまう。
信州の湖水地方で育った幼少の頃、乳歯がぐらぐらしてくると友達のお兄さんや
お姉さんがふーんと口の中の様子を見ながら抜いてくれた。下の歯2本同時に
抜いてくれた友達のお兄さんは優しかった。落下した老犬の歯を見て想い出すのは
なぜだろうか。
肝臓の調子が悪いと考え方や行動が暗くなるものらしいが(ネットで見ると)何とか
その呪縛から逃れて明るい方向へ思考を伸ばしたい。人生を肝臓のせいにしてはいけない。
肝臓が快調でも悩まず明るく一直線の生活というわけにはいかないはずだと、思いたい。
道路の端に小さな月見草が咲いていた。山郷で見た満月のように大きな月見草の花を思い
浮かべた。昨夜は6割くらいの大きさの月を見上げていたが久々に頭上まじかで見た月は
意外なほどおおきくて明るいのでしばし眺め続けた。夜ひっそりと光を落としている月も
出会うたびに様々な印象の面差しだ。月見草は夜満開になるので黒と黄色の強いコントラスト
は一生脳裏のネガに焼き付けられる。
満月と道脇いっぱいに広がる満開の月見草のパワーのアウトプットは過去からの贈り物に違いない。
たまには自分をほめたい (2012年7月29日)
ベランダ園芸もこの頃ようやく学習の成果が出ている。朝6時の散歩は熱帯地獄
で犬は5分で値を上げ我が家を目指してUターン。ぬれタオルも鞄の上も問題外。
ベランダのテラコッタに水まきして植物の世話をした。バラはアブラムシのつかない
若い枝がぐんぐん伸びている。春先の時期のみ虫が活動することを学習した。
この枝がもっとしっかりする秋に針金に巻きつけてあげればよいのだ。四季咲きなので
ピンク色の大ぶりの野ばらのような花が途切れない。けなげな花に感謝。
ローズマリー、カルフォルニアライラック、ゼラニウム、バラ、紫色の実を付け始めた
ブルーベリー、少ない実が大きく育っているオリーブ、他ベランダの住人は水が命。
人も元気な時や若い時はあまり命を意識しないが、それぞれの命の道の中で立ち止まり
考えたり、気が付いたり、水と言えるものを求めたり、無意識のうちに様々な動きをして
いるということを遅まきながら最近になって感じる。根が楽天的で深く悩まない性格で
あるが道幅が狭くなり見透視が利いてくるとさすがに色々考える。私の命にジョーロで
水まきという作業をしてくれる人もたくさん存在しているはずだ。
現在テーマとして描いている海峡と古代船、これもふと気が付くと、あちらと此方の世界
や人生、過去現在未来、希望・・・・いろんな意味合いが潜んでいるではないか。
夢のお告げでマラッカ海峡を描きはじめているが2年以上経てようやく自分の描いている
絵の意味に気が付いている。しかし、まあ気が付いたということだけでも自分をほめて
あげたい。自分で自分をほめることは大切だ。それがどんなに遅い認識であっても。
ひっくり返るもの、落下するもの (2012年7月28日)
無風状態の朝。廊下のわきで大型コガネムシがひっくり返っていて助けた。
エアコンの水がたまっていてコガネムシはその水をごくごく飲んでいた。
緩い坂道を歩いていくと今度は蝉がひっくり返っている。今日は急いで居ないので
この方も助けた。昨日はワンワン鳴く蝉の声が聞こえていた。猛暑にセミは
命がけの1週間をすごすのだろう。
朝4時、いきなり頭上のササンドが落下してきた。この丈が40cm位の楽器は
インドネシアから来た。ヤシの葉と木のみで作られているらしい。友人が新品を
購入するので古いのを譲ってもらったが本格的に習っていないので縦に張られた
針金の弦をはじいてみたりするのみだ。いずれ絵の中に登場させようと思い
棚の一番上に放り上げておいたものだ。
頭を直撃されたがヤシの葉(枯れた)と少量の木で作られていてごく軽いので痛っ、
くらいで済んだ。ササンドは離島に流れ着いた住民が生えていたヤシの木を利用して作った、
自分で抱え込んで演奏する形の孤独な楽器だ。縦に並んだ弦の針金音は音階別になっているので
単純ながら澄んだ音色でいかにも離島漂流民のものらしい。帆船のようにヤシの葉が膨らみ
半円形の中に筒型の弦があるデザインは単純だ。このササンドはまた棚の上に放り上げてくくりつけた。
家の中でも犬にぬれタオルをマントのように羽織らせながら、今朝の様々なことはやはり
ご先祖様の警告なのかと考えてみたりしている。異次元の人たちが交流する月だ。
夏の朝のスケッチ (2012年7月27日)
鶯は、ケキョ・・・と鳴いていた。涼しさがいまいちの朝だ。
犬はぬれタオル巻き肩掛け鞄の上散歩が好きであまり文句を言わずに周辺観察
怠りなし。歩かないくせに朝散歩は長年の習慣だ。
日本のスポーツが強いと若者の未来も大丈夫だな・・とうれしくなってしまう。
速い流れのサッカーは大好きだ。ジャカルタにも日本から選手が行ってあるチームに入団
していたが球場のコンデションやら豪雨やら年中30度の気温とも戦わなくてはならない
から大変そうであった。あの国の選手も個人個人は強そうだったが集団プレイが?なのか。
スーパーボール(サッカー)は国民的に人気があり皆うれしそうにTVにかじりついていた。
鶯の鳴き声と老い枯れたくちなしの茶色と残る僅かな白い花、テラコッタを敷いた道に
転がる大きな緑色のコガネムシ(いつも起こしてあげるが今朝は時間がない)、倒れかかる
ほどに茂った夏草の道。どこかアンバランスで落ち着かない景色だ。80歳前後の男性が自転車
を押してラジオ体操に向かうらしい。明るい水色の膝まであるコットンの長靴下がおしゃれだ。
また新しい病が見つかってしまった友よ、この夏草の道こそ現在の私たちだ。
自転車の男性は公園で仲間たちに会い高らかに笑い声をあげていた。
知恵を絞りチャレンジ (2012年7月26日)
今朝は知恵を絞り、ぬれタオルを犬の体に巻きつけて散歩してみた。これは正解である。
住まいの玄関は狭いながら石つくりであるが猛暑対策には不足で(犬は玄関が好き)、
これも夜半は凍ったペットボトル洗面器入れという手を考えた。玄関と廊下の段差がある
ので夜は懐中電灯を置くことにした。早朝のベランダにはジョーロで水まきをする。
パラソルを置いてゼラニウムやハーブの緑を目線に入れると日射緩和。
昨日バテで寝ていたので今朝は私にいろいろと危ない行動が・・・。ごはん茶碗にお味噌汁、
娘に注意されてもう一つの方にも同じことをしていたが、疲れだと信じたい。少し前までは
マジックのようにいろんなことを同時にできたのに今はできない、年齢に関係するのか。
1日寝ていただけで腰が痛くなり病の長い人や床に臥す人の苦労が忍ばれる。
元気な人が臥せっていると周りの家族がせっせっと動くようになるのには苦笑。
今年2回目の小品公募展落でさらに追い打ちがかかる。傾向と対策研究がまるきりだめで
現在の日本絵画が解らない、しかし来年もう一回挑戦する。色々とわからないことが多いと結果無く
一生勉強で終わるのだろうか、でもまた初心に戻りマイペース。道のりが長いけれどマイペースで
歩ける幸せがあることに感謝。来年用に応募用最大限に大きなサイズのキャンバスを購入した。
現実逃避ということより現実直視をして本当に好きなもの好きな色を追及したい。
来年は何とかして銀座で個展を開きたいものだ。自分の希望の星はちゃんと輝いている。
クローバーの公園の出口に植えてある白いアジサイはもう花が終わってしまったが、
今朝見ると葉の上にセミの抜け殻が在った。まだセミの鳴き声を耳にしていないが昼間は
外にいないので聞いていないだけなのだろうか。ジャカルタにも蝉のように鳴くやかましい虫
がいて(日本とは鳴き声が違った)庭先の木で鳴くと雑音にしか聞こえなくて戸を閉めた記憶がある。
何か地下に埋めてある(あちらではニクロム線がそのまま埋めてあったりする)電気関係のものが
壊れて音が出ているのかと思った。しかしこの虫は最初に住んだところで出会ったのみだ。
逆境に強いのが私の取り柄なので、今日は新しい絵の具など購入して現在制作中の大作に拍車をかける。
スイカズラと鴨一家 (2012年7月24日)
少し涼しい朝だ。またホーホケキョの声がした。声の透明度が清々しく
若い鳥なんだろうな〜と想像する。老犬用輸入ミルクで何とか元気になりつつ
あるイヌを抱っこしていつもの散歩よりショートカットした。
スイカズラの匂いは夏の花のにおいといえるのか。ツルのスイカズラ(本当の)
と生垣用スイカズラ(カキネバナスイカズラ科ツクバネウツギ)に出会うが、
ツル性のものはごく少なくて白やクリーム色の花が見られる。やはり本物の方が
良い香り、強い香りがする。
川下の鴨一家を探していると先客が観察していた。タコ坊主頭の男性とリードを
長く伸ばした猟犬ぽい犬(静か)がじーっと見ている。自分のことを忘れて腹を立てた。
鴨がびっくりしてるんじゃないか、かわいそうじゃないか、思わずきっとにらんでいた。
そのあと5分くらいの間歩きながらわが身を反省していた。毎朝ストレスをあたえていた
ものね。ふつう5,6羽は見かける子供がたったの2羽なんて、何かあったんだね。
いつもうずくまって寝ている大柄の三毛猫もみかけるし。もう手遅れだ。ごめんね鴨一家。
お天気も体調もぱっとしないが野生のツル植物のようにたくましく生きよう。
悪い夢と発熱 (2012年7月22日)
コーヒー豆の発芽おめでとう。ボゴール植物園に白い花、赤い実の木がありました。
日本も熱帯化しているからどんどん成長して実がなるかもしれませんね。
発熱しました。37度くらいで止まりましたが38度に上昇したらどうしようかと
ドキドキして寝てました。連続投稿が危ういところですが何とか報告を。
昨夜は太いクモの糸にぐるぐる巻き状態にされる夢を見てうなされました。クモは
いないんですが糸がどんどん締め付けて糸巻の筒の中にいる状態は怖かった。
これはやはり肝臓からくるのでしょうか。ネットで見ると良くそんなことがかかれています。
老犬は犬のミルクとか、鳥の皮(これは彼女の長年のお助けグッズ)でだいぶ元に戻り
つつあります。よろよろしながら、甘えた声で餌の要求をしています。
描いていた絵の色がどっと暗くなり、絵は(鏡は?)心を表すと言いますから逃げ場が
ありません。後日快調の日に色を変えるのみです。
鴨も花も明日観察します。
鴨観察をする原因 (2012年7月21日)
ふふふっ・・・くろまめさんの顔がすごくはっきりと浮かぶスローフード。
九州の方は麦みそだね。夫も最初はそうでしたが亡母上が料理好きでは
なかったのが幸いしてその後は信州みそ一筋です。ジャカルタのラッキョウは
超小ぶりでした。夫は味噌をつけてビールのお供に満悦でした。葉っぱは細かく
刻んでチャーハンに入れたっけ。今はエシャロットを購入。
今朝みると鴨一家はもう何の心配もいらない巣立ち寸前の大人家族になっていた。
なぜ鴨観察が好きなのか…しばし考えながら雨後の涼しい道を歩いた。
小学校低学年の頃、アジア風邪の影響で医者通いが多く、遅刻や早退が続いた。
母が給食室横、校長室横、子供用玄関といろんな場所から学校に入るので母が
去った後だだっ広いつくりの木造小中学校のどこに自分の教室があるのか悩み、
今でも夢に見る。信州の湖水地方の駅舎の前には昔白鳥や鴨を金網で囲った大きな
鳥小屋が在ったが、それは子供や観光客のバス待ちや電車待ちの格好の場所であった。
当然金網に張り付き状態で鳥を眺めていた。人工餌をもらっていた鳥は皆大きくて
クワークワーと鳴く白鳥も(羽はきられていたはず)重そうな体で歩いていた。
今でも鴨観察が好きなのはここいら辺に原因があると思う。そういえば小学校の
図工で描く絵は湖水に張り出す一本松とその下に泳ぐ鴨の図、という日本画風であった。
ちょっと精神が老けていたのか・・・。
湖の端の魚の養殖場(専門家の指導でマスなど養殖していた)にも皇居から来たという
飛べない白鳥が居て、その後湖に放したりしていたが養殖場にいる頃は餌やりも子供
の当番になっていた。小川の金魚草や茶殻を携えて”コーイコーイ”と呼ぶと鳴き声を
あげて寄って来て餌をあげるのが楽しみだった。ヘリコプターの空中散布がない時代で
小川は貝、小魚、ウナギ、水草が豊富で川本来の姿をしていた。餌やりはほんの少しの
期間だったが特殊な記憶のうちに入る。
ピアス、鶯、紫つゆ草 (2012年7月20日)
20年以上前から娘にすすめられてピアスを楽しんでいる。特に海外では
ピアスが多く売られていたので数だけは結構ある。ところが帰国してから
あまり出番が無くて昨日着用したところ、なんと片方の耳の穴が塞がりかかっていた。
あわてて差し込んでみたが何となく痛い。消毒薬が切れていてアルコールティシュで拭いて
間に合わせた。やはり夕方までには少し炎症が出た。購入した消毒薬をパカパカ振り掛けて
見たがどうなのだろうか・・・。
肝のう胞内の炎症は歯磨き、治療、膀胱炎他他、沢山の原因からくる様子だ。
今朝は炎症も消えているが気を付けないといけない。昨夜はビタミンC補給を沢山試みた。
関係ないのだろうか。消化器内科の主治医に尋ねたら多分”関係ありません”と明快な答えが
返ってくるだろう。
涼しい朝だ。敷地内を出るといきなりホーホケキョである。山の方にいた鶯が里に下りて来た
のだろうか。昨日までの気温と今朝の温度差についていけない。部屋の中もクーラー使用温度だ。
クローバーの公園でまた四つ葉のクローバーを探した。その速度は老犬よろよろ状態にちょうど
良いらしく彼女も先日よりは歩いていた。少しずつ距離を伸ばさないとボケるよと言い聞かせる。
気温のせいか道端の紫つゆ草がピンと背を伸ばしていて清々しい青さだ。
鴨一家は父親が見張中でコガモは何の心配もなさそうにすいすい泳いでいた。
正調、早朝散歩組 (2012年7月19日)
夏の早朝散歩は4時半から5時くらいまでがグーだ。6時少し前にはお日様が
顔を出し、思わず目を瞑るまぶしさ。今朝は何とか理想的な時間に間に合った。
ススキやヨモギ、スギナがグングン伸びている。わが犬ポメラニアンは毛が多い。
ダブルコートで、外はすべすべ中はふわふわ狸毛。今は狸毛状態なので見た目にも
暑苦しい。抱っこされた狸犬を見て2人も”犬は毛が多くてあつくないんですかね〜”
と尋ねた。昔ごく短くカットしたこともあるがひどくみっともない。これくらいが
可愛いと思っているのに以前動物病院の先生まで”短くしたら、夏は犬も暑いんです”と
言っていた。ポメラニアン本来の姿でいいんです・・という人に会いたい。
川沿いのアジサイの群れはすでに葉のグリーンと同化して花の存在が消えつつある。
川下に近くなると小型のガマ穂、今が盛りの盆花が日の出前の柔らかな水の流れの中に
気持ちよさそうに立っていた。
一番川下の水門周辺の鴨一家を探していると、母親くらい大きくなった(母親は小柄)
2羽の子供だけで居た。鳴き声だけはまだ子供らしく多分親を呼んでいるのだろう。
正調、早朝散歩組は4,5時にすでに公園にいるようだ。私はまだ若輩者と言える。
夏の花、キョウチクトウ (2012年7月18日)
うっかりして今朝の犬散歩は6時。日差しがすでに強くあたりの熱気でムッと
していた。イヌは用事が済むとテコでもバッグから降りまいとしがみつく。
やはり日本でも夏は朝4,5時の散歩でないと何の感慨もなく足腰が痛むのみだ。
いつも必ずわが犬にほえかかる肥満のコーギーが忘れずに吠えた。情緒的な
世界がどんどん霞み首かけタオルをして来なかったことを悔やみ足早になる。
今朝の花はなんだろう・・・ピンク色の大ぶりの八重咲キョウチクトウ。この花は
ジャカルタにもあったが(もともとインド産?確か広島の被爆地でも1番に花
が咲いたと昔記事で読んだ記憶がある)花が小さかった。生命力の強い猛毒の花木だ。
華やかな花に潜む怖さには気を付けないといけない。ちょっとなまくらになってきた
日常にカツを入れられたのだろうか。
昨日はジャカルタ時代の友人達とホテルロビーで4時間もおしゃべりして見事
なおば様パワーを発揮した。長居しても大声で話しても気にしないで良い場所は
少ない。簡単な食事と紅茶もある。夏日の戸外は歩くだけでも大変だ。
楽しい時間と変わらない友人達に感謝。
ホタルブクロの朝 (2012年7月17日)
災害に遭われた方本当に大変でしたね。日本も熱帯化しているのでしょうか、
台風も来るので次の対策が急がれます。
今朝は風もなく熱い一日が予感されます。羽蟻の姿が見られる様子から
日本では今頃が羽化の時期なのでしょうか、大量でないと見過ごせるものです。
オリーブの木に実が少しなりましたが(花の割には)一つ一つが結構大きく
成長していて毎朝眺めるたびにうれしくなります。
道端のホタルブクロが涼しげ、可愛い姿で挨拶してくれる姿に心が和みました。
信州の山奥に咲くホタルブクロの花のようには大きくはないのですが、
小さな子供の姿のようで朝散歩での楽しい出会いです。
くろまめさんの畑もこれからは猛暑、夏草、汗の連続ですね。
疑問視ばかりの毎日 (2012年7月16日)
朝散歩、坂道を滑り降りてくる涼しい風。やはり日本でも5,6時に決まって
散歩する人はごく少数だ。イヌはいつも同じ時間に起こしに来る。ほとんど
歩かないくせにどうなっているのか・・私の体を心配しているのか。
スイカズラの蜜を朝ごはん中の花ムグリに出会った。黒と黄色の大きなおなか。
ジャカルタで見た花ムグリは黒一色でもっと大きく危険を感じたが日本のはかわいい。
帰国してから持病の一つ白斑症がどう変化するか心配の種だった。ステロイドを
塗ってから少し日差しにあたるといいわよ・・・と言っていた日本人向け病院の
インドネシア人のミセス先生。少しだけ日差しに当たるというのは難しいので実行
せず今日に至る。多少広がっている。体全体の色素も薄くなるのだろうか。
足の白い所にある毛根が金髪だったのに少し黒っぽくなったような気もする。
CT検査などの際被ばくによる影響はあるのだろうか。あってもCT検査でしか
解明できないことが優先されるけれど。日本の方が戸外の紫外線が強いと思う。
体重が減って脂肪が落ちるとオペしやすくなるのだろうか・・などと考えながら
到来物のシュークリーム、おからドーナツなどをモーニングコーヒーのお供に。
臆病なくせに楽観主義という相反した性格はどうなのだろう。
このところのう胞の痛みが少ないがこれで収まるのだろうか。右肩から胸の辺の
多分血管の痛みが時々あるので気になる。以前1度,ピシピシッという感じで痛くなり
門脈のあたりを異物が通りぬけた経験があるのでちょっと恐い。この程度のことは無視
して暮らすべきなのだろうか。それでも世の中には黄色信号というものがある。
無視すると事故に突入することだってあるではないか。
娘が、お母さんは物事を疑問視ばかりしている・・と言ったので多少反省する。
花と野菜、くだもの (2012年7月15日)
くろまめさんの畑が元気印で良かったです。鳥も一粒残さずあんなにきれいに
食べるんだね。完全装備のくろまめさんのアセモ対策は大丈夫なのでしょうか。
私は朝散歩だけで汗だらけになります。今日も湿度が高いんだよね。
今日の朝の花はグラジオラス(オレンジ色)です。信州の山の家にもグラジオラスが
沢山ありました。タチアオイ、鹿の子ユリ,桔梗、カライモ(キクイモのこと。ひま
わりの小型版の花)、ダリア、お盆には庭先の花を束ねてご先祖のお墓まいりでした。
ジャカルタの野菜たち、果物も思い出します。サツマイモやトウモロコシは日本の種
で栽培されていて味も良かったですよ。ジャイカとか後進国指導の人たちがいろいろと
教えていた時代に改良されたのでしょうか。あちらでも季節により沢山出回るスイカは
甘いのに種が白くて(人工的に甘くしている?)どうもピンときませんでしたが、日本
のスイカはちゃんと種が黒いので妙に安心しました。
今はオーストラリアは秋、たぶんおいしいリンゴ(小ぶりの固めのピンク色ジョナゴールドと
いう味)パシフィックローズという名前で売られていたのが懐かしいです。エナック=おいしい。
手のかかるワンコ (2012年7月14日)
今朝は海風。横浜方面から吹いてくるので私は南からくる風をこう呼ぶ。
白い太陽の前を薄いグレーの雲がすごい速さで流れる流れる。ドラマチック。
湿度計は80%を超えているではないか、壊れているのだろうか、極安商品だ。
わが戦友(犬)、昨夜もぜんそくの咳がひどかったが主が寝られないほどでは
なかった。主はエアポケットに落ちる、台風の乱気流の飛行機でも食事時以外は
コトンと寝てしまう性格なので。わんこは早朝、起こしに来て散歩に行けと謂う。
外はまだ小雨が残り、また散歩をサボろうとする主はしぶしぶほとんど抱っこの
散歩に出た。
今朝は記憶に残る草花もなく、木の梢から昨夜の雨がしたたり落ちてきてぬれるので
傘を差さなければならないし、なんとかバッグの上から降りなくて済むように作戦を
立てる犬と知恵比べで疲れた。そういえばあたりの緑はすでに濃い夏色だ。
ありがとう・・・・手のかかるわんこ。できるだけ長生きしようね。
戦友(犬)の緊急事態 (2012年7月13日)
お天気が崩れて我が家の戦友(犬、12・7歳)も崩れてしまう事態発生。
彼女のぜんそくは海外生活時、隣家の昼夜を問わない突貫工事(あちらでは夜の
工事も多い、夜は涼しいからか)の騒音で発病して5年目くらいにはなる。低気圧に
反応して人間と同様に呼吸が苦しくなる。1か月ほど前も相当ひどい状態になり夜半
犬も主も寝れないので動物病院の先生にステロイド注射してもらった後、睡眠薬の弱い
のを出してもらった。今回はその時の水薬がまだ冷蔵庫にあったのを想い出したのが原因。
朝ごはんもパクパク食べて咳以外は元気なので0・5ミリほど水薬をスポイトで
与えて寝てもらおうとした。与えてふと気が付くと戦友はいびきをかいていない。
両手両足すんなりそろえた状態で体全体にエネルギーが感じられない。おまけに
失禁までしている。顔に水をかけたりぬれたタオルで体をマッサージしたり、
大声で呼んだ。動物病院の先生に(朝7時)電話して様子を伝えたりしていると
彼女は少しずつ目を開けたり動くようになった。今から考えると緊急時に
息をしてはいたといえる。息をしていないと復活しない。
今通っている動物病院は処方箋が出ないので何の薬か説明を受けるのみ。
ネットで見ると人間の薬を使用したりしている実態らしい。そういえばジャカルタでも
薬局で出される薬はごく少量で蝋引き紙に包まれていた。怪しかったな〜
電話での説明では冷蔵庫に入れておいたので分離して上澄みの強い所をスポイトで吸い
あげたのではないか・・・とのこと。全くうかつであった。ショックを起こしたのか。
高齢犬なので日本ではトリミングさえ断られることが有り、どこでも立場が弱いのである。
わが戦友、主に似て緊急事態から脱するとまたエサをパクパク食べていた。
ダイエットクッキー(非常時用にいつも2枚置いておくがまずいので非常時しか食べない)
までぱくついていた。後ろ足などまだよろよろ状態なのに大したものである。
こうして又昨夜も眠れない騒音(ぜーぜー、げほげほ)との闘い。わんこは今朝方1時間ほど
爆睡すると割合と元気な状態になりつつある。生命力が強い。怠け者の私は1人では朝散歩
に行かない。夫のぜんそくが帰国してから収まったのがせめてもの救いなのである。
虫たちの思い出 (2012年7月12日)
今日のお天気は荒れ模様。強い海風がどんどん雲を流していてぜんそくの犬は
昨夜からぜーぜーと息が激しく、気圧の変化は生き物共通なのか。
朝散歩は風が強すぎて5分で引き返した。湿度計は80%を超えている。
こういう時にジャカルタは雨風が激しいが湿度は低かったな〜と思い出す。
この頃ベランダの四季咲きバラの葉にアブラムシやクシヒゲハバチの姿が見られない。
やはり旬を狙って繁殖するものなのか。葉をむしりすぎて若葉でさえ発育不良で
色も良くない。美味しそうとは言えない。しかしである、見慣れない虫を1匹見た。
PCで検索してみるとどうやらゲジゲジ(ムカデより大きく素早く足が多く流線型)
らしい。初めて見た。益虫らしいがどうも気に入らない。主に夜活動するとあるが
ベランダに敷いたテラコッタの下にお住まいなのか、あるいはジャカルタから持ってきた
古い木製品が好きなのか・・・多分夏の暑さには耐えられないと思うがこれも自然の
一部ということで大目に見るべきか。日本でも虫との共存は当然だった。
信州の山の中で育ったのに嫌いな虫は多い。むしろたくさん知っているのでいけないのかも
知れないが中学生のころはファーブル昆虫記が大好きだった。ジャカルタでも蒸し暑い日が
続くと夕方からガレージや側溝の上にシロ、黒アリが羽化して蚊柱のようになったのが見られ、
それがたまたま車の上だと悲惨だった。ガレージの上にお住いのチチャック(ヤモリの大型)は
この羽虫を狙って沢山集まった。羽虫がたまに家の中に紛れ込むと厄介だった。ムッとする暑さと
無風とこの羽虫の光景はどこでも見られ気が付く人は気が付き、気が付かない人は全く記憶にないと思う。
又蟻は高層アパートにも住んでいて(超小型)甘いものを狙っていた。普通の家には大小さまざま居て
しゃれた新しいアパートなのに家具の中にシロアリが居て泣いていた友人もいる。入居する前に
多分相当強い薬を使い消毒しているところにはあまり出ない。住んだ家の中で、下駄箱の引き出しの中に
白い卵ごと引っ越してきたのが居て唖然としたことが有る。虫の思い出は尽きない。
持ち帰った木製の家具などをしみじみと眺めてしまう。
早い子育て、手間取る編み物 (2012年7月11日)
今朝の鴨、あれれ・・・お引越しかなと思いながら探していると、
水門に近い水草が生い茂る辺りに居た。お母さん鴨もコガモ2匹も
狭い水面を泳いでいる。私がのぞくとお母さん鴨が素早くコガモを水草
の中に押し込み、自分だけどんどん倒れた水草の上に登りはっきり敵意を
示して此方に踏み出している。やはりイヌの臭いは半端ではないらしい。
ごめんね〜と心の中で詫びながら観察は続くのだろう。
散歩しながら昔好きだった童話、しょうのえいじの”星の牧場”のお蚕の少女
のことをぽっかり想い出した。確か野生のお蚕の繭を集めたりしながら山の中を旅して
歩く少女家族や出会う人々の話。この本は40年近く前に友人から借りてそのまま
不明になってしまった。これもいつも心の中で詫びながらも、本当に心に残る本なので
いつもいきなり想い出す。ツキスミという軍馬と兵隊は確かインドネシアに行っていたはず。
ジャカルタには野生の黄色(黄金色というべきか)の繭からとられた糸があり、
製品になって見本市に出ていたりした。私も糸を買い(糸が短いので絹糸とより合わせて
編み糸にした)細いストールを数年がかりで編んでみた。娘にプレゼントしたがどうも
使った様子もなく帰国して自分で首に巻くとごわごわして感じが良くない。
いつの間にかどこかに行ってしまった。今編んでいるサマーヤーンはすでに3年目
なのにまだ完成しない。色が紺で良かった。編んでいる時間が好きなのだ。
新しい糸と言えるもの、新しい本、新しい旅する心を探し出さないといけない。
仕上がらなくても失敗しても紛失してもそれなりに時間は流れていく。
いろんな経験 (2012年7月10日)
梅雨の晴れ間、戸外は涼しい朝だ。イヌの写真をたくさん撮った。
カレンダーに応募するので(締め切り間近)季節感を意識して、クローバーの公園
で1枚、アジサイの前で1枚、釣鐘状の白い草花の前で1枚、リードを隠しながら
一人で撮るのは難しい。ポメラニアンはすぐカメラ目線になるのでやりにくい。
・・・”やりにくい”といえばTVから流れてくるニュースで考えた。人は小さいころの
経験が結構”経験の土台”として一生役に立つものだと。今更ながらであるが・・・。
熟年の世代は小さな子供のころ色々な年齢の子供と遊んだ経験が多いはずだ。
かくいう私も、今考えてもスリリングな経験が多い。信州の湖水地方と言える地域では
四季の遊びを先輩や兄姉に学ぶ。中でも湖に向かう傾斜のある道に水を撒いて凍らせた
上を細い竹を組んだ長ソリを走らせる(子供たちが上に乗る)冬の遊びは、スピードが
嫌いなのによく我慢したものだと想い出す。なぜ今あの場面を想い出すのかわからないが、
いろんな場面で鍛えられた中でも上位ランクである。
いじめっ子の先輩は垣根を超えると結構優しくて(時々とても危ない遊び、湖の氷の上
をあるく・・落ちた)虚弱体質の私は鍛えられたと今頃になって感じる。悪いことも
種スイカを頂いてしまったことくらいだったし。木登りだって結構上手になったものだ。
リコーダーを教わりながら帰路に就いた夕暮れの光景、長い長い道のりも楽しい時間。
スリリングなことと心休まることは絡まりあいながら続く人生。
先輩になるには体験を多くして後輩に教えなければいけない。大勢の人たちに教える人は
なおさらだ。今朝のTVのニュースを見ていて強く願う。先頭に立つ人は経験が大切。
本、花の香り (2012年7月9日)
くろまめさんの畑、流した汗の成果が出ていて一安心ですね。ねじばなは
此方にも沢山咲いていますよ。珍しく夫が”ねじばなは可愛いね”と言ったので
びっくり。年を重ねると男性も変化するのでしょうか、初めて聞きました。
暮らしの手帳、昔上京後私も母に教えてもらえなかったことはこれで学びました。
ハナモリさんの表紙が良かったな。もう長い間読んでいません。
くちなしとスイカズラの匂いが際立つ朝です。昔、英語のリーダーでヘレンケラー
について描かれた物語の中で彼女が匂いで花の場所を当てる場面があり記憶に残って
います。くんくんとイヌの鼻を寄せてみましたが反応なし。
鴨一家、お母さん鴨とコガモはばちゃばちゃと水音を立てていました。立ち上がった
コガモの足は結構長くなっていてもう赤ちゃんとは言えない姿です。お母さん鴨は
チラッと私を見ただけでせっせと羽広げ運動をしていました。もうじきこの子育ての
場所から移動してしまうのでしょう。お父さん鴨はすでに朝ごはんの後らしく立派な
体格を横からじっくり拝見しました。
特技の多い先輩、母の知恵 (2012年7月8日)
珍しく山風が吹いている。初秋のような涼しさだ。ジャカルタでも乾季の朝方は
こんな風に涼しくいわし雲のようなのが出ていたのを想い出す。
オレンジ色の小ぶりな野ゆりの横に生垣のように茂っているオトギリソウ
(これは子供のころの呼称)の黄色い花が元気だ。クモの巣くらいしか見かけない
丈夫な草花である。子供のころ野草や草花の名前を良く知っていて、木登り上手で、
道に小石を並べて遊ぶ囲い将棋、陣取り、ゴム遊び、四葉のクローバー探し、とにかく
何でも器用な2歳位年上の女の子にこの花は薬草になると教えてもらったっけ。
しかも彼女はそれ以前いじめっ子でそれ以後もほかの子に対してそうだったらしい。
わが母は、小川を飛び越えられなくて集団から外れてしまい”学校に行きたくない”と
訴える小学1年か2年くらいの私を見てある作戦に出た。その子の母親と仲良くなり
お茶を飲みに行ったり編み物を教えてもらっていた。そのあとその子は私にいろんな
特技を伝授した。近所の農家が種用に残しておく大きなスイカを失敬して軒下で
2,3人の先輩といただいた後、母はそのスイカの持ち主ともお茶友達になっていた。
残念なことにその特技の女の子は中3くらいで大きないじめをしたらしく、成人した
頃に母が教えてくれた。私はきわどい所で助かったのではないか。
ぼーっとした性格のおかげで物事の輪郭線くらいしかわからないのも特技かもしれない。
早朝で涼しいせいか、夜熟睡できないのに頭は冴える。しかしこのまま1日は持たない。
雨の日の犬散歩 (2012年7月7日)
我が家の12歳半の戦友(5回も国内外引っ越しした)わんこ、雨の日は
肩掛けバッグたすき掛けの上に乗る時間が多い。普通3,40分の散歩でも
20分以上はバッグの上で手足広げた状態で高みの見物である。
ギュッと手で落ちないように抱き寄せるときにわんこの暖かい肌温が愛しい。
しかし6キロの体重は愛しさだけではつらい。米袋を抱えて歩き回る状態。
10分以上歩いたイヌが立ち止まった時後ろ足がぶるぶる震えていて年齢を感じる。
また載せて歩くが、下ろそうかな・・・と考えると持病のぜんそく作戦に出る。
ぜーぜーごほごほ、仕方がないので乗せたまま歩く。透明傘をさして首にタオルを
蒔きつけ(汗が出るので)肩掛け鞄に犬のレインコート、足ふきタオル(今足に
かゆい病がでているので)をぶらさげて歩く姿は知る人ぞ知る早朝散歩の私の光景。
病気はお互い様なんだよとイヌに言ってみるが知らん顔。こんな日は鴨やアジサイ
どころではない。
ジャカルタパワー (2012年7月6日)
先日、ジャカルタで友達になった熟年夫人3人が立川で集った。
それぞれジャカルタで強くなったのかお疲れなのか微妙なところである。
ジャカルタファッションかと思いきやそれぞれ日本風で、あちらでお洋服
作りした仲間とも思えない。嬉々ととして手に取った装身具も見当たらず、
やはりこちらでは無理だね〜と納得しあった。
南部鉄瓶の展示即売会に引き寄せられて購入した。値切った。
といっても本体ではなくて鉄瓶敷きの方だが。まさか日本で本当に値切れるとは
思わず3人でびっくり。3人の合体ジャカルタパワーが発揮されたに違いない。
昨日は絵画制作の日だった。ダダイズム、アールデコ、パターン画法・・・・と
盛りだくさんの課題で今日はしっかり復習、実践しないといけない。
肝のう胞からくる睡眠不足などなんのその、ジャカルタパワーで乗り切る。
続々鴨一家 (2012年7月5日)
くもり空、クローバーが茂る公園でゴミ拾いボランティアおじさんに会った。
”おはようございます” やったー・・・・あいさつできた。いつも会うおじさん
かどうかはわからない。今朝はサングラスをかけていた。次回はアフリカ系ハーフ
の暗い顔をして一人でジョギングしている小学生の男の子にトライしてみよう。
犬を歩かせながら(年なのでノロノロ歩く)いつも四つ葉のクローバー探しをして
いるがなかなか見つからない。
鴨一家はほぼいつもと同じ場所にいたが今朝は水草の繁み越しに見えた。
葉のない縦方向の緑の線線線の向こうの黒い岩の上に母親が真ん中、コガモは両脇の
岩の上でしかも今日はアヤメ科の草の座布団を敷いている。偶然引っかかっている葉
なのか、親鴨がああいうことをわざわざするとも思えない。のぞいた私を母鴨がまた
きっと見据えた。オレンジ色の長靴をバシッと広げて。
父鴨はすでに餌にありつける場所にいた。まだパンくずをもらっていないらしく一羽
でせっせっと水底の鴨本来の餌を探していた。
続朝会う人、鴨一家 (2012年7月4日)
早朝の犬散歩で良く出会う川や公園のお掃除をしている男性や、ビニール袋
をぶら下げてゴミ集めしながら歩いているおじさんは険しい顔をしていて
朝の挨拶の声をかける隙がない。今日こそと思い息を整えるがささっと横を
向いて過ぎ去る。犬友達は沢山出来たのにどうしてだろう。私が犬を連れていて
落し物をすると思われているのか。
昨年帰国してきたとき朝ちらほらビニール袋やペットボトルなど道脇に投げ捨てられて
いるのを見て私もゴミ拾いしながら散歩しようかな・・・と考えたが人の仕事を奪う
ようでやめた。
川下の母鴨は小さな岩の上に2羽のコガモを載せて見張っていた。ぬれて冷えたコガモ
を朝日で温めている様子だ。父鴨にはその手前の方で出会った。グエッーと一声鳴きながら
まっしぐらにパンくずを投げる窓辺周辺目指して飛んで行った。父鴨母鴨交代で餌を
運んでいるのか。鴨一家、今朝はくちなしの花の白さを前景に眺めた。
帰宅してバラの葉裏チェックをしようとしたら小さな黒いクシヒゲハバチが数匹ぶんぶん
飛び回っている。家の中に置いておいたコバエ取りをバラの繁みの真ん中に置いた。
母鴨の目線、水引草 (2012年7月3日)
霧雨が晴れ、小さな流れが地下に潜る水門溜まりの手前あたり、水草の間を
小ぶりの母親鴨と赤ちゃん鴨が2羽泳いでいた。親鴨の目線が鋭く私と犬を追いかける。
可愛い〜と黒いトイプードル、黒シャツと白ズボンの同年夫人が携帯で写真を撮る。
手前の岸では水引草の濃いピンク色が際立っていた。この花の記憶はまっすぐ子供時代
にワープする。信州の山郷の湖に流れ込む夏でもはっとするほど冷たい川の水と集団で
水泳する小学生。川の水は湖に流れ込んでも流れをそのままたどれるほど寒暖の境目が
はっきりしている。上級生の後を必死で追いかけて泳ぐ。冷たい水の境目が来るとドキドキ
する。少し離れた岸には水引草が群生する日差しの暖かな場所がある。
一瞬よみがえる古い記憶はいまだに鴨の目線のような鋭い。
散歩から帰りバラの葉裏をチェックする。クシヒゲハバチが1匹羽化寸前ではないか。
”えらいこっちゃ”思わず声が出た。
心のシャッター (2012年7月2日)
くろまめさんの畑の収穫がこんなに早い時期にどんどん進んでいるのでびっくり
しています。お二人の息が合っていて素晴らしい晴耕雨読ですね。
アジサイの時期も盛りを過ぎつつあり今朝のように弱い雨に濡れていると元気良く
咲いていた時期が懐かしく思われます。団地の道路に面した空き地には新しい株
が移植されていて色とりどりの小さなアジサイの姿は多分来年を期待されて
居るのでしょう・・・個人で購入してきて空き地利用して植えている様子です。
幼稚園の前の小さな疎水を通り抜けるとマンションが多くなりますが、良く管理された
アジサイの繁みが見事です。疎水に流れ映る姿も絵になります。いつも無口な背中の
男性が長靴を履いて川に入り手入れしています。その辺一帯の管理をしている様子です。
2羽のカモがマンションの窓の前に泳いでいてそこから投げられるパンくずなどをもらっている光景。
少し遠回りしてもう少しアジサイの姿を探しました。うっかりしていると季節が移ろう朝の探索。
藪の中に緑濃い木々に囲まれて2,3輪の小さな青いアジサイ色の花の姿がありました。
他に線香花火のような頼りないうすいピンク色の花とそれをとりまく白い小花。
うーん、このアジサイが一番好きかもしれない、心のシャッターを押しました。