そらまめの日記6



2009年12月27日
 ひところの新型インフルエンザ騒ぎも一段落したようだ。例年この季節に流行する季節性インフルエンザ も今年はおとなしいようだ。日本中でマスクをして手洗いして必要のない咳を我慢する効果が現れたという ことか。世の中不景気のため仕事や飲食に無茶をせずに規則正しい生活に戻り体の抵抗力が増した可能性も ある。果物や野菜や木などの植物もやや栄養不足ぐらいが生命力が増すらしい。

 先日人間ドックに行ってきた。新しい方式になっていてSUICAのようなカードをそのつど機械にかざ すのであるが最初わからなくて表示に自分の番号が現れず20分ほどのロスタイムであった。待合室 にある本は科学雑誌が多く嬉しい。宇宙、原子、虚数、光合成などのタイトルが並ぶ。シンプルな診察着に 着替えると男も女もやはり「目力」のあるほうが印象深い。視力検査では右目は問題なく1.5であるが左目は 輪がダブって見え、まるでシャネルのロゴのようになってしまう。輪の切れ目の方向があちこち向いているの であてずっぽうに答えていたら0.5と診断された。

 昨日はレッカー車のお世話になった。2週間まえぐらいにアイドリング時のエンジン回転数がいつもより 低いなとは思っていたがエンジンの調子がむしろ良いのではと思っていた。1週間前に踏み切りでエンスト した。幸い下り坂だったのでハンドルは重かったがそろそろと道の脇に停車、エンジンはかかったのでそのまま 帰宅。昨日は朝エンジン快調。買い物の途中の信号待ちでアイドリングの回転数がプルプルプルと落ちエンスト。 後ろの車はどんどん脇をすり抜けて行く。何とかエンジンをかけ近くの空き地まで到達。私は何とか自力で 整備場までたどり着こうとしたが妻が途中に信号がいっぱいあるからと反対。保険のHELPコールをすること に。レッカー車が来るまでに40分ほどかかる。妻は近くのコンビニまで歩いて食料を調達してきた。間もなく レッカー車がきた。4WD車ということで後ろの車輪も宙に浮かせるようだ。妻はレッカー車の助手席の都合で 同乗できないとのことなので1時間弱ほど歩いて買い物の目的地へ。車は整備場へ。最近の車はコンピュータ化 されているため簡単には調整で治るものではないらしい。部品屋さんも年末年始のお休みに入るとのことで代車 を借りる。妻は待っている間映画を見ようとしたらしいがケータイに連絡が入ると思ってやめたらしい。 このような状況の中映画を見ようとしたこと自体が私には信じがたいことではある。

2009年12月13日
 「いるる」のクリスマス展に出かける。人に会うので念入りにカミソリでもみ上げを整えていたら皮膚の 表面をそぎとり血が垂れる。リップクリームをすりこんでおいたら何とか止まった。
 どんぐりの転がる木の下に駐車。落ち葉が乾燥し切って清潔に広がる。いつもの事ながら珍しい手作りの 作品たちが並ぶ。手織り機で織った洋服。海外には日本では売っていない珍しい色の糸があるので買い付け に行っているそうだ。我が家では手織り機を買って一度織っただけだ。作家さんの話を聞いてパワーをもら った妻は帰ると織り機を出してきて見えるところに据えた。
 いるるのご主人が最近造ったという「男の隠れ家」を見せてもらう。工具やランプや昔の写真。釣竿、昔制作 したリトグラフなどが並んでいた。陶器作りかけ、白樺の皮、どこかで拾った車の部品なども転がっている。
 客の中に彫金でアクセサリーを作っている奥さんと吹きガラスをやっているご主人などともお話ができた。 パンやケーキ作りの本を出している方、篆刻の面白さなど話が面白く、暗くなるまで居座ってしまった。
 妻は篆刻も始めると言っている。 手作り作品の中でエネルギーを貰った一日であった。

2009年11月15日
 雨の後の温かい日だ。畑で種をまく。先週まいた種からは早くも小さな双葉が並ぶ。温かいと人間の体の 抵抗力が上がるという。人類はもともと温かい地域で誕生したのであるから温かいのが体に良いのは当たり前 で最近のように寒くて曇りがちのときは気が滅入るようにできているようだ。

最近のニュースで新型インフルエンザの患者が何万人と毎日のように報道されているが毎日の通勤の電車の 中では実感がない。むしろ例年と違い咳をしている人がほとんどいないのである。咳というものはどうしても 我慢できないというのは案外少なくて結構我慢できるものなのかも知れない。人にうつらなければ1週間ほど で完治するようなので政府が号令をかけ1週間の間、学校も会社も自営業も家にこもる外出禁止令を出せば インフルエンザも何処かへ行ってしまうのではないだろうか。

 近所で「芸術祭」をやっているので空き地や公園に白い布の集団がはためいている。白い洗濯物がいっぱい はためいているような芸術や芝生に白い旗状のものをいっぱい差し込んでいる芸術だ。最近は歌の音符や言葉 も多くなっているが白い布の数も同じ傾向なのであろうか。

天気が良いのでキクイモ掘りに出かける。スコップを持って長靴を履く。枯れ枝や枯れ草の中なのでヤッケを 着る。キクイモの葉っぱはすっかり枯れていているが近辺を掘ってみると結構イモが飛び出してくる。ちょっと 赤みがかった生姜のようだ。キクイモは葉は縮れ具合、色合いが同じように枯れているので慣れてくるとどんど ん見つかる。キノコ狩り、山菜採りなど「狩り」にわくわくするのはいつの世も同じものらしい。

2009年10月17日
 畑のピーマンとモロヘイヤを抜く。季節がくればモロヘイヤの若葉も小さくみずみずしさはなくなってくる。 種の鞘が伸びてくる。植物にとってはこれからが一生のクライマックスというときに刈られてしまうのだから 未練が残るだろう。畑の野菜は、特に秋野菜の菜っ葉は幼年期でおしまいだ。
 もらい物の堆肥を入れる。堆肥を崩すと醗酵が進んで湯気が出ている。白い菌糸も見える。いかにも土が 豊かになりそうだ。ここまで醗酵が進むと匂いもむしろ心地よい。
 昔は農家の人が便所の肥えを汲みにきてお礼に野菜を置いていったものだ。下肥をかけたイチゴにはよく 新聞紙の破片がへばり付いたりしていた。太陽光線で紫外線殺菌されているような乾燥しているイチゴは 不思議と不潔感はなかった
 最近打ち上げられた宇宙ステーション補給機(HTV)は大量の生活必需品を宇宙ステーションに運び込むが 返りは大気圏に突入して燃えてしまう。そのときには宇宙生活で発生したゴミや排泄物を積み込んで再突入し 完全焼却することになるらしい。時々燃え尽きずに落ちてくる人工衛星があるが、この場合は完全焼却願いたい。

2009年10月9日
 台風一過、さわやかな一日となった。ニュースを見ていると暴風圏の真っ只中からの中継なのに青空が 見え風も吹いていない状況がけっこうあった。地元の人が普通に自転車に乗ってのんびり走っているのに 中継のアナウンサーは小走りしたり息をはずませたり緊迫感をつくりだしていた。かえって台風の周辺部 のほうが風雨が激しかったようだ。日本中の空気を引っ掻き回したのだからスゴイものだ。

我が家の畑にはプラスチックの漬物樽を置いてありいつも水が八分目入っている。そこに大きなカエルが 2匹棲み付いていた。いつも目と鼻を水面から出して体を伸ばしている。あるとき思った。本当は外に出たい のに垂直な15センチの壁が越えられなくて、しょうがなくトリツクシマノナイ樽の中に居るのではないか。 泳ぎが得意なカエルとはいえ足の届かない水の中に四六時中居るのは大変なことに違いない。日照りが続くと 水面が下がりますます壁は高くなる。
それからは水面が上がり外に飛び出せるように雨が降ることを待っていた。その後はしばらく雨が降らず、 相変わらず2匹が浮いているので、逃がしてやろうと小さなバケツを持って近づくと何とピョーンと壁の倍 ぐらいの高さを飛び越え外に逃げた。なーんだ、さすがカエルだ。心配することは何もなかった。自由に出入り していたようだ。1匹は中に居たままであるが安心した。家に帰り着いても何か気になる。そういえば残った 1匹の目が何か「私は運動神経が鈍くて越えられません」と訴えているようであった。
 いずれにしてもこの台風の雨で樽の水は満杯だろう。それでも中に居たらもう面倒は見切れない。

2009年9月20日
 天気秋晴れ。今の時期は煙たなびく山里の景色が懐かしくなる。山猫軒へ行ってみたくなった。 11時に出発。常磐道、外環とも順調。ラジオでは各高速道路で大渋滞のニュースだ。昨日は渋滞の 番組があり、連休に行楽に出かけて渋滞に巻き込まれる家族を見ていた。料金が安いからと高速道路に 殺到すれば結果自分達の首を絞めることになりそうだ。今日は何も考えずに出てきてしまったが関越で ひっかかりそうだ。関越をしばらく走ると急にスローダウン。ETCがなく高い料金を払っている自分 にはとんだとばっちりである。
 ひとつ手前のインターで降りる。いつもと違う道なので赤信号で地図を見ながら迷いながら人に道を 聞きながら3時半到着。助手席の妻は「地図の読めない女」なので役にたたない。

 山猫軒は落ち着いた木の内装で真空管アンプのジャズが静かに流れる。絵の作品が邪魔にならない程度に さりげなく展示してある。天然酵母ピザと古代米野菜カレーをいただく。ビールのノンアルコールにした。 窓辺には丸い陶器のボールにいけられた彼岸花がある。外にはテラスが続き周辺には秋の乾燥した空気で 若干の水分が抜けた木の葉がクルクル動いている。縁の下には地飼いの鶏がいる。ご主人としばし歓談する。 10年ほど前には衣裳ケースに入れたハムスターもここに来てジャスの演奏を聴いたのである。
 山猫軒をあとにしてさらに10分ほどのぼると旧・山猫軒だ。ここでもお茶をする。ここのご主人は 鶏小屋の整備中だ。イタチなどの野生動物から守るために土が掘られないように完全補強されていた。

 帰りは高速道路の渋滞が予想されるので一般道で帰ることにする。暗くなってきて道案内の標識も良く 見えなくやはり自分の居場所が分からなくなってしまった。信号で地図を広げても字が小さい。方角を知るための コンパスは先日バッテリーを交換したときにリセットされたようで点滅している。まるで夜の蛾のように明かりを 求めて大きな通りにでたら目的の16号であった。これが拍子抜けするほど順調、3時間半で我が家に到着。

2009年9月14日
 妻のご両親を空港まで送って帰りつきビールを一杯。そこに無事に着いたとの電話があり我が娘の 結婚式も一段落した。新婚の二人はこれから11日間のヨーロッパ旅行とのことである。

 式の当日はタクシーで明治神宮へ。守衛さんに特別許可証を示し中に進む。これが東京のど真ん中かと思う ほどの深い森の中を行く。タクシーも雰囲気どおりに静かに走り気分が高まってくる。しばらく走り 神楽殿に到着。
 ここでモーニングに着替える。女の人は着付けとか髪のセットとかいろいろあるが、男は着替えてしまうと さほどやることはない。正装した親族の写真を撮る。時間がくると控え室では桜湯を飲み親族紹介だ。 いよいよ行列をつくり本殿の間近の式場に参進する。妻は新婦の手をとり私は新婦の後ろに位置取り背筋を伸ばす。 一般参拝者たちや外国人観光客がカメラを向ける。少し誇らしげな気持ちになる。本殿の前では立ち止まり向き を変えて一礼する。
お払い、楽曲に合わせての巫女さんの舞い、盃の儀が続く。酒の味がとても良かった。
その後は記念の集合写真だ。子供の視線をカメラに向かせるためにぬいぐるみを持っておどけるカメラマン の姿が笑いを誘う。マイクロバスで披露宴会場に向かう。

 祝辞が続き、自分の娘の職場での仕事振りの一片が窺われる。半分はお世辞と思うが嬉しいものだ。 お祝いにお越しいただいた皆様には感謝、感謝である。 スクリーンにはプロのカメラマンの撮った先ほどの行列や式典の様子が流れる。心のこもったいくつかの 出し物が続く。新郎が20数キロを走りながら新婦とのゆかりの地を訪ね新居に到達するというミニ映画 も現れる。お色直しでは私の母が新婦の手を引いて退場。
 花束贈呈で娘の手紙のときは何とか涙をこらえていたのであったが、新郎が「一生新婦を守り抜きます」 というくだりではついウルッときてしまったのであった。半分肩の荷がおりた感じである。
 当日の夜は近くのホテルの部屋で親族が集合し盛り上がった。娘を小さい頃から知っている親戚の皆様 と同じ気持ちでこの結婚式を迎えることが出来て嬉しい。

 本日は妻のご両親と日頃のドライブコースを回り秋の一日を楽しんでもらった。

2009年9月10日
 朝起きてベランダから眺めると田んぼのほうに朝霧が。1分も経つと霧が薄まって半分稲刈りの 終わった田んぼに朝日が差し込む。朝晩は冷え込むようになった。北海道のニュースでは紅葉とかみぞれ とかの言葉がきこえるようになってきた。桜の蕾が出たといって騒ぎ、桜が散り、ツツジが咲き、田植えの 風景を見たと思ったらもう稲刈りでストーブがちらつく季節だ。加速度的に時間が進む。
 幕張メッセの展示会で振る舞いの優雅な受付嬢がいた。立って人の話を聞いているときにも片足はやや後ろ に流し手は軽く胸元で組んでいる。首はやや傾げ関心をもって話を聞く。クラシックバレーの舞台から抜け 出てきたような振る舞いだ。変わって通勤のホームでおばさん2人連れだ。片方が16ビートの早口の大声で 人の噂をまくしたてている。どうも「あの人の咳はただの咳ではない。重大な病気だ」とか何とか叫んでいる。 連れの女の人はあまりの声の大きさに少しずつ離れて体を横にするのだが大声の女は正面に回りこみしゃべり 続ける。手柄は何もないのに自信ありげに振舞う精神状態が理解できない。いろいろな人がいるものだ。 テレビやラジオに出ている評論家たち、世の中の流れが変わってもいつも権力に一定の距離を保つ立場を つくり、口角に泡を飛ばして批判を続ける変わり身の速さは見ていて愉快だ。
 展示会の景品はボールペンやメモ用紙が多いのであるが、短冊状の和紙に野生の花の種を漉き込んでいる ものを配っていた。人にあげるのに面白いので10個ほどもらった。プランターに入れ土を被せで水をまいて おけば発芽するとのことである。

2009年8月30日
 畑の雑草の成長がはやい。根の浅い草はちょっと引っかくとすぐにとれる。ゴボウのような根が地中深く 入り込んでいる草は厄介だ。集中的に土を掘り込む。ヒゲ根の草は引っ張るとビリビリと根の切れる音がして 息の根を止めたような一番達成感があるのだ。ベランダでは挿し木をしてもなかなか根付かないので挿し木用 の発根促進剤を購入したりしているが、比べて雑草の繁殖力には感心するばかりである。
繁殖力といえばインフルエンザのウィルスもしぶとい。ホームセンターでは再びマスクが山積みされるように なった。マスクの上に吊り下げられている看板に大きく「新型インフルエンザ大流行中」とある。「大」が つくのは大運動会ぐらいと思っていた。
田んぼの稲に穂がついたと思っていたら早くも稲刈りのコンバインが活躍し始めた。コンバインの後ろには お決まりのようにサギがまとわりついている。久しぶりにアマサギを見た。
 ハクチョウが一列になって泳いでいる。子供が灰色1匹、白色3匹という構成からすると6月に水草の中に いたハクチョウのファミリーと思われる。調べると「ハクチョウ」のヒナは灰色と決まっているらしい。白色 のヒナもいるということは・・・と調べてみると「コブハクチョウ」の場合には混在するらしい。親の顔を 大写しにしてみたらクチバシの上にコブがあった。確かにコブハクチョウのようである。

2009年8月7日
 台風の巻き込んだ湿気らしい、各地で局地的大雨や雷だ。最近の気候を見ていると日本も亜熱帯に入ったかのようである。 駅では子供と親がポケモンの帽子?を被り小走りにスタンプラリーをしている。駅のトイレの洗面所ではおっさんが 上半身裸になり手ぬぐいを背中に斜めにあてゴシゴシしている。
 セミナーがありカナダ大使館へ。ロビーで休んでいると関西の地名の「子供新聞報道」の腕章をつけた7人ほどの 小学生と同じ数の親御さんか先生らしき一行が入ってきた。大使館の広報のお姉さんが対応していた。「皆様は小学生 ですが報道関係者ですので正式な「報道関係者」のプレートを差し上げますから首にかけて下さい」と子供心をくすぐる。 特に感動した様子を見せない子供達に「カナダでは質問をしない人は、そのことに関心がないと思われ評価されません」 と続ける。いろいろ国の生い立ちとか説明をしていたが子供達は無表情でメモを取り続けるのみ。カナダと日本の間に ある大きな海は何と言うでしょうかと聞いても答えようとするそぶりもない。さすがに少し離れたところに立っていた お母さんが「太平洋」とぼそっとつぶやく。次の場所に移動するときさすがに先生らしき人が「君たちもっと子供らしく どんどん質問しなさい」と大声を出していた。テレビやゲームで育った世代のせいか一方通行の情報に慣れっこになって しまっている。
 ラジオは今日の記録的豪雨と記録的暑さを報道している。家に帰ると雷で一時停電したとのこと。ステレオと電話機 の初期設定は私の役割と決まっている。

2009年7月31日
 大正時代の新聞にラジオの番組表が見当たらないなあと思って調べてみると大正14年に日本で放送開始であった。 大正10年にはまだラジオやテレビはなかったのだ。しかしながら将棋の解説がのっていたりして楽しそうである。 株や商品相場、船の時刻表では紐育行、南米行、南洋行、北支那行などが見られる。
 歳とともに以前ほどは電車の中で本を読まなくなったこの頃ではラジオが通勤には欠かせない。電車では窓の側か、 放送局と電車の位置関係などで微妙に雑音の入り具合が違うのだ。私の場合は電車に乗るとまず954KHz、20分 ぐらいたつと1134KHzに切り替え、さらに30分経つと80MHzのFMにする。やはり朝は寝ぼけた脳を起こ そうとしているのか自然にテンポの速い民放を選んでいるようだ。私の携帯ラジオはオンしてから1時間30分ぐらいで 自動的にオフになるようだ。自動的にオフになってしまうのがどうもラジオに主導権を握られているようで気に食わない。 一回オンにしてすぐに自らオフにしていたのであるが、最近はわずらわしいので1時間25分ぐらいで自らオフにする ことにより朝の部は終わりとしている。帰りの電車ではテレビの1chか594KHzのNHKのゆったりした音声で聞い ている。
 電池が無くなってくるとピーといって電源が切れる。ふつうの人であればここで電池交換であるがケチな私は交換しない。 1時間ぐらい休ませると復活して更に1時間ぐらいは聞けるのである。今度は10分でピー。さらにお休みさせオンして から5秒後に切れるくらいまで電気を搾り取るとやっと交換という運びとなる。時々自分で笑ってしまうがここまで 搾り取られたら電池も本望だろう。ここでオカラを思い出した。昔のオカラはエキスが残っていて美味であったが最近は 搾る技術が発達して容赦なく搾るので現代のオカラはパサパサして美味しくないとのことである。
 大正時代のラジオもテレビも無い時代に比べれば確かに便利で情報が入りやすい時代ではあるが便利さの追求には 終わりが無い。情報の多さが新たな情報を誘引する。ペットボトルのドリンクがいたるところにあるから水分過多なほど 液体を飲む。昔は滅多に水を飲まなかったように思う。

2009年7月19日
 本日、道の脇に停車し電話を掛けエンジンをかけようとしたらかからない。キーを回すと始動したい気配は あるが動かない。よく聞くバッテリーあがりの様子であるがヘッドランブを点けっぱなしにしたわけでもなく 先ほどまで走ってきたのであるから充電されているはずで納得がゆかない。とはいっても動かないので免許証の 中にはさんである損害保険の控えに書かれている緊急コールセンターへTELすることに。自分のケータイの 番号は聞かれると思い控えようとするがこんなときに限っていつもの場所に筆記用具が見当たらない。ボールペン がやっと見つかり割り箸の袋に番号を控える。やっとコールセンターへTEL。ちょうど電柱に住所表示があったので 伝える。道のどの辺りに停まっているかと聞くので往来のじゃまにならない端に停まっていると答える。2台の車が すれ違えるかと聞くのですれ違えると答える。お一人ですかと聞くので、先程まで妻が居たが友人の車が側を通って 乗り込んで目的地まで行ってしまいました、とは言いにくいので一人ですと答える。1時間ぐらいして「オタスケマン」 がやってきた。緊急度は低いと判断されたのかも知れない。バッテリーに電極を並列に接続してエンジンは始動した。 エンジンを止めてテスターでバッテリーの電圧を測り12Vですから正常ですという。再度エンジンを始動して 電圧を測り14Vですから正常に発電器も動いていますという。次にバッテリーの中の液体をスポイド状のもので 吸い上げ比重を計るが緑のマークでこれも正常とのこと。で何故エンジンがかからないかと言えばバッテリーの寿命 しかないとのこと。今動いているエンジンは動き続けている間は大丈夫だが、止めたら再度起動する保証はないとのこと。 ではバッテリーの交換をお願いしますというと車の中にあるのは小さなバッテリーしかなく適合するのは持ち合わせが ないとのこと。今回の作業費は保険がきいているので無料とのこと。作業報告書にサインすると、また止まったら連絡を 下さいと名刺を置いて帰った。車を購入したセンターにTELしバッテリーの型番を告げるとそのバッテリーは在庫が 無く休日なので取り寄せに2−3日かかるという。さあエンジンは止めることは出来ないし走り出す。次に停まった ところでバッテリー交換ができなとなるとまた厄介なことになる。幸い国道沿いに「タイヤ館」があったので入る。 エンジンをかけたままバッテリー交換は出来ますかと聞くと、できるというのでエンジンを切った。29500円であった。
 新品のバッテリーでエンジン音は気持ち軽やかなようだ。たまたま同時にこわれたのかカーステレオは使えなくなったままだ。

2009年7月17日
 永田町を降り国会議事堂の隣にある「国立国会図書館」を訪ねる。初めての場合にはコンピュータに名前、住所を 入力しカードを作る。バッグ等はロッカーに預けることになっている。ロッカーの100円玉は帰りには 戻ってくる。私は財布とケータイをスーツの内ポケットに入れカードをかざしてゲートを通過。天井の高い 建物は余裕の広さだ。皆静かにコンピュータに向かい閲覧したい書物を検索しているようだ。案内の人に 「大正時代の新聞を閲覧・コピーしたい」旨伝えると「それでは新聞専門のフロアーが4Fにあります」と言う。 4Fには全国の新聞、明治・大正・昭和・平成の新聞が全てそろっている。昔の新聞は縮小版できれいに製本されて いる。コピーをお願いするときは所定の用紙に何ページから何ページと記入し付箋をはさみ提出する。係員は 間違いがないか再確認する。10分ほどで電光掲示板に自分のカード番号が表示されカウンターで受け取る。 当時の記事には「陸奥竣工」、「戦艦加賀土佐、来月中旬進水」など軍事色がある。各地の温度は八五度とあるので 華氏の表示だったらしい。伊香保、塩原、日光の温度が脇に出ているので観光地だったのだろう。広告は面白い。 足袋や石鹸、電磁治療器の広告もある。
本館6Fの食堂に行く。国会丼とあって見るとそぼろみたいなものが2色に分かれていて真ん中に温泉玉子が 置いてある。多分衆議院と参議院と議長を表しているのだろう。腹が減っていたのでカツカレーを食べる。
帰りはゲートにてカードを入れると吸い取られ外に出る。ロッカーの100円玉は戻る。閲覧は完全に無料で昔の 膨大な記録を今見ることができるのが感動である。作り事のドラマではない迫力だ。

2009年7月1日
 梅雨時で湿気の多い日が続く。じっとしているとそれほど暑くないのだが階段を昇ったりして動くと 急に蒸し暑くなる。汗が蒸発しにくいのだろう。人間の調節機能はたいしたものである。犬は汗を かかないという。暑い日に口を開けてハァハァいっている犬の気持ちが良くわかる今日この頃である。
 先日、「ゆりかもめ」に乗った。近くの座席に70歳ぐらいの上品な男の人2人が座った。久しぶりに 会って沿線のホテルでの会合に出席する様子であった。このような人達はどのような話題なのかと思い それとなく聞いていると、まずは家庭菜園の野菜の話、次に旅行の話に移った。その後は株式の話から 東国原知事の話になったところで降りていった。やはり経済と政治は男にとってはいくつになっても 関心事である。むやみに自己主張することもなく、人の話を十分に聞き、人生の経験は奥深い。 たいしたものである。

2009年6月24日
 仕事で秋葉原に久しぶりに降り立った。お金の無い時代に無線機の部品の中古やスピーカーを求めてぶらついた 街だ。時間があったので1時間ほどぶらついてみた。駅前のビルの売り場には現代版人形、フィギュアが並ぶ。 2階に行ってもフィギュア、3階に行ってもフィギュア。パソコンと携帯電話屋が多い。道には場違いなメイド喫茶 風の女がビラを配っている。ガード下に懐かしい細い路地があったので入ってみると、ありました。電線屋、工具屋、 電子部品屋、間口2mから3mぐらいの店の奥に新聞を読んでいたり電話をしていたり「欲しければ売ってやるよ」と いう雰囲気のオヤジが横を向いている。真空管の店もあった。懐かしいナスの形だ。値札を見るとどれも2万円以上だ。 昔は壊れたラジオをもらうと中に5本ぐらいは入っていた。希少価値というものだろう。電源トランスを専門に置いている 店。久しぶりに気持ちがリセットされた。
 秋葉原といえば35年ほど前に、駅前の路上で「靴磨きサービス」にあった。無料というので足を出すと片足だけを ピカピカに磨いて残りの靴には手をつけない。そのうち靴墨を買ってくれとしつこい。欲しくないので途中で帰ってきた が、電車の中では片側だけピカピカで体裁が悪かった思いでがある。

2009年5月31日
 春の霞だ。アジサイの若い花が薄緑色から少しずつ色付いてきている。畑のミニトマト、キュウリ、ピーマンには 早くも小さな実が付いている。支柱を立てる。オオヨシキリ、キジの声が聞こえる。ニガウリの芽が出てこないので 苗を買いに近くのグリーンセンターへ。葉っぱの形が良かったのでサトイモの苗も購入。
 カブと紫タマネギとセロリーを収穫。セロリーの良い香りが車の中いっぱいになる。これは既にとうがたっていて 固いのであるがキンピラ風にすると旨いのだ。
雲の切れめから陽が差してくる。土手の脇の道に消防自動車が1台とまっている。道には白いテープが貼り付けられて いる。訓練が終わったのだろう。ちょっと小高い場所にテントが張られ8名ほどの青年消防士達が談笑している。 昔、教科書にのっていた詩の一節が思い浮かんだ。
「時は春、日は朝(あした)、朝(あした)は7時、かたおかに露みちて、 あげ雲雀なのりいで、かたつむり枝を這い、 神空にしろしめす、すべて世は事もなし」 --ロバート・ブラウニング「春の朝(あした)」1841年。上田敏訳『海潮音』所収。  

2009年5月21日
 最近の電車の中は静かだ。新型インフルエンザとのことで皆無駄な咳はしないようにしているようだ。 老人特有な咳もはばかられる風潮だ。こうしてみると必要のない咳もけっこうあったようだ。
 私はマスクをしていない。マスクをしないでどれぐらいウィルスから守れるか試している。報道によると咳を している人から2m以上離れていると結構ウィルスを受ける確率は減るらしい。咳が聞こえると5秒間は息を 止めることにしている。時々5秒経っても咳が聞こえてくるときは苦しくて目が白黒するときがあるが電車が 停止動作にはいり空気が動いて風上になれば安心して深呼吸できる。加湿器の水の中にイソジンを数滴たらしておけば 効果はあるのだろうか。
 ホームに下りて階段を登るときは一番危険な状況だ。人の密集度が高く、足音で咳が聞こえずウィルスは頭上より 降って来る。登る途中で口の中に唾液を溜めておき昇りきったら喉のうがいをするようにしている。口の中で 泡立てておけばなお良い。細かい泡に包まれたウィルスが胃酸の中に流されていくような気がする。
 家に帰ると手洗い、うがいはもちろんであるがビールで喉を予洗いしウィスキーでさらにアルコール消毒をする ようにしている。
 空港などで使用されている体温を計れる温度計測カメラは今特需だそうだ。日本だけではなく海外からも注文が 殺到しているとのこと。

2009年5月4日
 昨日蛇口からお湯が出なくなった。見ると電気温水器の漏電ブレーカーが落ちている。再度つまみを上げてみたが すぐに落ちる。前回は平成10年に修理をしているのでかれこれ10年経っている。すぐに修理を手配し本日来ても らうことにし家族で外出する。
またまたつくばの古民家レストランに行ってみる。今回のルートは、つくば市内を通過するコースだ。いなか道と あって渋滞は全く無し。懐石風ランチコースを楽しむ。庭に出ると池に大きなおたまじゃくしが居た。つくばの四六の ガマになるような大きさだ。
 その後、くろまめの所属している会の水彩画展に行く。その後、夏野菜の苗を購入。キュウリ、ナス、トマト、 ピーマン、モロヘイヤ、タカノツメだ。オクラとニガウリは昨年収穫した種を使うことに。

 本日は予定通り電気温水器の修理屋さんがやってきた。興味があるので側で見ていたら水抜き後にヒーターを 交換した。古いヒーターは10年間の歳月でボロボロになっていた。ヒーターは10年ぐらいが寿命らしい。試運転 をしたがインジケータは点灯せず。作業員はやや首を捻りながらも中の部品に充電するのに時間がかかるので多分大丈 夫と言いながら携帯電話の番号を書き残して帰った。
 畑に野菜の苗を植えに出掛ける。ジャガイモ、キヌサヤ、紫タマネギ、いんげん豆、セロリーが伸びている。昨日 買った苗を植える。川から水を汲んでかける。しばらく雨が降っていないので水はどんどん吸い込まれる。隣の畑の おじさんが余ったから使わんかということでさつまいもの苗を貰う。それも植える。キヌサヤとセロリーを収穫。
 さて深夜電力のタイマー設定の11時になったが温水器のランプは点かない。やっぱりダメか、明日は近くのスーパー 銭湯にでも行くかなどと話していたら30分遅れでランプが点いた。皆で歓声をあげた。

2009年5月2日
 恒例の青テントで竹の子のフルコース。「吉高の桜」は葉桜となり訪れる人は少ない。世の中の喧騒から 切り離されたような一角に青テントが張られている。竹の子の刺身、竹の子汁、竹の子ご飯、竹の子の天ぷらを 食す。満腹。
 定額給付金の支給が今日から始まったので市役所に立ち寄り現金で受け取る。

2009年4月17日
 今日は会社の1年に一度のコンベンションなので有楽町の東京国際フォーラムに向かう。昼過ぎとあって 建物の周りにはランチを販売する車が何台も並んでいた。見ると価格帯は600−700円ほどだ。ネオ屋台村と いうらしい。車ごとに特徴のある温かいランチプレートを販売している。30年ほど前にアメリカに出張したとき、 昼時に大きな車が来て横腹を開けるとサンドウィッチがりジュースや果物が氷の上に冷やされているのを見て驚いた ものだが、日本も同じようになってきた。
途中、会場に来日しているオリンピックの視察団が飛び入りで現れた。この建物が東京オリンピックの重量挙げの 候補地になっているとのことで視察に来たらしい。6000名の拍手で迎えた。司会によると入ってくるときは 表情の固かった視察団の面々が帰るときはニコニコしていたらしい。
 スピーチのゲストは女子ソフトボールの監督だった宇津木妙子さんだ。チームワークという点ではスポーツも ビジネスの世界も共通する部分が大きい。逆境にあってもへこたれない自分、なにくそ精神には自信があるとの 本人の弁であった。スポーツマンの発言はいつも前向きで聞いていて気持ちが良い。

2009年4月13日
 桜の花が散って葉桜になった。土曜日は成田と今井の桜で花見。風が吹くと花びらが舞った。同行した大型犬 に子供が近づいてきて撫でる。昔の犬は結構恐ろしかった記憶があるが最近の犬はおとなしい。環境が良いので 獰猛になる必要がないのか。遠くから子供のお母さんが「尻尾はダメ!」と叫んでいる。ちゃんと教育している。
今井の桜の水路は花びらで完全に覆われていた。水路が白い砂で舗装されたようなめずらしい光景だった
 畑のじゃがいもは濃い緑の芽が伸びてきた。つるなしエンドウはつるが伸びてきて隣どうしでからみあっている。 気の毒なので来週はテをたてることに。
 最近聞いた面白い話としては植物に付く益虫と害虫の顔つきの話だ。葉っぱを食べる害虫の顔を拡大して見てみたら 温和な草食系の顔だったとのこと。益虫は「草食の害虫」を食べる肉食なので顔は肉食系のキツイ顔つきだったとの こと。昆虫の世界、哺乳類の世界、魚の世界、一見関係の無いような世界であるが肉食系の顔つきがキツイのは 単なる偶然であろうか。

2009年4月4日
 春真っ只中。景色は霞がかっていて日差しが柔らかい。いつものドライブ散歩。川の水かさが増している。 さては田んぼに水か。6年ほど前に植えられてなかなか太らない30本ほどの桜を左に見る。白鳥とオオバンが のんびり浮んでいる。工事で通行止めになっていた水辺のコースは工事が完了したらしい。通行止め の看板が外されていた。今井の桜は3分咲きぐらいだ。満開の木もある。私の定点観測の場所には三脚を立てた 夫婦が居て奥さんにカメラのアングルをしばらく指南していた。小鳥の声が出るツールを試してみたが忙しいのか 鳥は寄ってこなかった。その後利根川を越えて2年ぐらい行っていなかったうどん屋さんで昼食。

 先日人間ドックに行ってきた。前回よりコンピュータ化されており、1回の計測が終わるごとにSUICAのような カードをかざすと大型のモニターに次の行き先と待ち順番が表示される。視力検査では「輪の切れている方向にレバーを 倒しわからないときは真ん中のボタンを押して下さい」と言われるがキブアップすることは良くないことと教育されて きたので良く見えなくても半分当てずっぽうでレバーを倒してしまう。眼底検査では以前は強い光のせいで10分ほど は目くらましの状態であったが今は大丈夫だ。科学の進歩でセンサーの感度が良くなり与える光が少量ですむように なったのであろう。メタボの「指導」があった。ビールは365日飲んでいるがこれは減らせないというとご飯の量を 茶碗半分ぐらい減らせば良いという。これも夕食では一膳しか食べていないので減らしにくい。減らすものがなく お姉さんが困っているようなので「朝食でパンにバターをかたまりで塗ってレーズンバターのように味わっています」 というと目を輝かせてそれを減らしましょうと言う。バターを薄く塗ってそのまま食べると上あごでは味覚はそれほど 感じないがパンをひっくり返して食べると舌の味覚が強いので満足するとのことである。

 待ち時間で科学雑誌、週刊誌を読むことができた。面白かったのは光合成で葉の中で澱粉が作られる仕組みを 詳しく図解したものだ。光で電子が発生し移動して分子モーターが回り、その摩擦熱で澱粉が作られる。まさに エレクトロニクスによる生産工場のようだ。もう一つは「なぜ足の長い男がカッコ良いのか」という話である。 戦前は足が短かったが戦後は栄養状態が良くなって体の末端まで栄養が行き渡り手足が伸びたという。女の人から 見ると足の長い男は幼少の頃の栄養状態が良かったということで裕福な家系は自分の子孫を育てるには好ましいという 本能的直感ということである。また回虫や寄生虫は自分たちの生活する「胴」の部分が手足より大事なので手足が 相対的に短いと寄生虫がいるのではないかとの「疑念」が生じ女の人から見ると好ましく思わないとのことである。 その他「数学の不思議」もあり、普段使っていない脳の部分に刺激を与えることができた。

2009年3月29日
 天気良し。10キロ・ウォークで東京へ出かけた妻より「寒い〜」とのメールが入る。畑へ行く時間は空気の あたたまる昼頃とする。じゃがいもの芽はまだ出ていない。菜花は黄色い花がきれいだが柔らかい穂が出なくなって きたので抜くことにする。顔を近づけるといい香りだ。餌場を刈り取られることに危機を感じたのか蜜蜂が耳元で ブンブン羽音をたてる。
畑のあとはいつものドライブコース。車道から土手の道に入ると大型のアオサギがいた。土手のからし菜は今年は 少ない。葦が焼かれて見通しが良くなった場所で釣り人が一定の間隔で釣り糸を垂らしている。背中が隠してくれる ものを欲しがっているようだ。「イチゴ直売」のピンクの旗が並ぶ。暖かくなってきたのでビニールハウスは風通し を良くしている。耕運機をよく見かけるようになった。田んぼは掘り返されているが水はまだだ。桜はまだ蕾で 色が濃縮された桜色だ。開いたときにちょうどきれいな桜色になるようになっているのだからしょうがない。 ウグイスがしきりに鳴く。早くもシートを敷いて弁当を広げるファミリーがいた。花はまだ少ないがそれでも一番 咲いている花の多い木の傍らに陣取っていた。
 先日、〇茶〇水女子大学へ「ユビキタス」のセミナーを聞きに行った。生活者の視点、特に女性の視点を重視した ユビキタスコンピューティング住宅の研究がテーマだ。ユビキタスとはコンピュータを意識することなく生活のあらゆる 場所で恩恵を受けるネットワークのことである。例えば電気冷蔵庫、電気ポッド、ドア、テレビ、時計、植木鉢、 ボールペン等々。応用例として面白かったのは遠距離恋愛への応用だ。九州と東京で生活する恋人同士が家具の動き を連動させて一体感を増すのだという。彼氏がゴミ箱の蓋を開けると彼女のゴミ箱の蓋も自動的に開く。テレビで チャンネルを選ぶと相手方のチャンネルも同じになる。カーテンを開けると相手方のカーテンも開く。これによって 一緒に生活しているような一体感が得られるようになるというものだった。妻にこのことを話すと一言「うっとおしい〜」 であった。
 季節がやってくると沈丁花が香り桜が咲きウグイスが鳴いたりするのはコンピュータの世界とは関係ないようだ。

2009年3月20日
  「いるる」を訪問。部屋にはシンプルだけれども質の良い素材の衣服が並ぶ。柿渋で染めた敷物、手染めの 毛糸、綿糸、編み物など。鉄を打ち延べた重厚なフライパンは一生モノだ。女というものは自分で身につける ものに対してはコレほどまでに分化させて楽しむものらしい。衣服やアクセサリーも食費と同格に エンゲル係数に組み入れるべきもののようだ。私はオーナーの入れてくれたコーヒーをご馳走になりながら デジカメの操作法や動画の圧縮の原理などで話が弾む。庭には銅を打ち延べて作られたというユニークな オブジェが置かれている。穴から中を覗くと宇宙を思わせる造型があった。どの方角から見ても調和のとれた 曲線になっている。トンボ玉や古そうなガラス細工の装飾品がさりげなく置かれている。妻はユニークな デザインのものを購入していた。
  オーナーはクラフト関連のネットワークも広くいろいろ紹介していただいた。自然の風景写真の撮影も よくやっておられるようで話が弾んだ。
  外は桜の開花直前の春霞。ハクモクレンが盛んである。

2009年3月15日
 快晴。数日前の低気圧がすっかり雲を引きずり去ったようだ。じゃがいもを植える。大雨の後であったが 水はけが良く雨の影響はほとんど感じられない。インカのめざめ、キタアカリ、メークイン。芽キャベツと 紫キャベツは引っこ抜く。紫タマネギは移植。紅菜苔はひょろひょろだ。えんどう豆は15センチほどに。
 水の溜まった田んぼでサギが水中の獲物を狙っている。これぼど「狙っているぞ」という姿勢をあらわにする動物 も少ないと思うが、獲物は水の中にいて見られることはないので表情もろだしだ。肉食動物は狙っている方向を 獲物に悟られないように白目が発達しなかったらしい。
 買い物から帰るとまだ明るさの残る夕暮れの頭上の空にオリオン座が薄く現れていた。

2009年3月8日
 昨日は久しぶりの青空。気温が温かい。風が無い。一気に春の気配だ。人はやはり温かいのが好きなのだ。 冬にほんの数日冷え込みが続くと3日後ぐらいに通勤電車でセキをする人が増えるのだ。人間は結構ギリギリ の線で生きているようだ。新型インフルエンザで何百万人の人が死ぬ可能性があるとのことであるが、それを 防ぐためにも多少の温暖化が進んで人間が体力を落とさないようにしたほうが良いのではないだろうか。
 ウィルスの大きさについて調べてみた。人間の体を地球の大きさに拡大したとすると1個の細胞は象の大きさ でウィルスはネズミの大きさらしい。くしゃみのときの飛まつの一粒は馬の大きさらしいので、人がくしゃみ をすると馬にへばりついたネズミ達が地球に向かって飛んでいくという計算になる。
 浜松町の小便小僧は春のモードに着替え、花壇の花々は小便のしぶきをありがたく頂戴している。この温かさ で今井の桜の芽が膨らみ緑の色がついてきた。

2009年2月25日
 政府がお金を均等に配るとのこと。お金が巷に出回れば経済効果も出るだろうが貯金してしまうと 元も子もない。電車の中でふと思いついた。政府が「分け前の多い宝くじ」を主催したら面白そうだ。 通常の宝くじは集まったお金からある程度差し引いた額を皆に配るので儲ける確率は1より低いのである。 2兆円を原資に加えれば10人に1人の確率で10万円の当たりを出すことができそうだ。クジに当たったと あれば自分だけ儲かった気分になり使ってみたくなるのではないだろうか。経済効果は大きい。定額給付金が 欲しくない人は宝くじを買わなければ良い。宝くじ売り場は忙しくなるだろうが役所は樂そうだ。当たりは 例えば下一桁が「8」となるだろう。抽選のときは舞台の上で回る円盤に矢を打ち込むが一桁で済むので円盤は 1個で間に合いそうだ。ちょっと華やかさには欠けるだろう。新聞の当選番号発表の欄もちょっと寂しい。
 連番で1000円買えば確実に10万円当たるのだから全財産で宝くじを買う人も出てくる。最大で1000円 (10枚)までという制限は必要そうだ。連番で買えば10万円は保証され、バラバラで買えば0円から100万円 の範囲ということになる。経済の良い刺激になりそうだが・・・。

2009年2月22日
 冬の野菜も春を感じたのか「とう」が立ってきた。ターサイ、人参は抜いて消石灰を撒き畝を作り直した。 菜の花はまだまだ若い穂が伸びているので収穫。黄色い花がきれいなのでしばらく残すことに。
 石窯パン工房へ。ここのパンは天然酵母を使っていて美味しいのだ。客が頻繁にやってきて小さい駐車場は いっぱいだ。
 帰りにいつもの水路のドライブコースを走っていると三脚に50センチほどもある望遠レンズを付けたカメラを 備えて待機している人たちが目立つ。聞くと「ウスハイイロチュウヒ」という鳥の現れるのを待っているとのこと。 珍しい鳥とのこと。大きなレンズの先に自衛隊の迷彩色のような模様をつけているのも見ていて面白い。帰って 調べてみるととても珍しい鳥だそうで、今月に日本ではじめてここ手賀沼の東側で写真に撮られたとのこと。 何時間も待機している人たちから見ると、何も知らずに車で走り回る「一般人」はじゃまな存在に違いない。

2009年2月20日
 通勤でいつもは山手線の3両目ぐらいに乗るのであるが今日は先頭車両に飛び乗った。運転席には女の人が。 しばし観察。線路の上を走るのであるから当然ハンドルは無い。左手でレバーを前後に操作して加速、ニュートラル、 減速をし上手にホームの定位置に停車する。トイレに行きたくなったらどうするのだろうなどと余計な心配をする。 京浜東北線であれば終点があるのでそこでトイレタイムもあるだろうが山手線はぐるぐる回るエンドレスだ。 各駅に交代要員は待機しているのだろうか、スタッフ専用のトイレがないと込み合っているときには大変だ。 私は最近は腸の様子は安定しているが暴飲暴食をしていた頃は朝電車から降りてトイレに駆け込むこともあった。 そのときは1万円を払っても良いから有料トイレを1つぐらい作ったほうが良いと思ったものだ。
 運転といえば大型旅客機には電源が完全に切れてエンジンが止まったときのために胴体のなかに小型プロペラ式 の発電機を隠しているらしい。電源が切れると胴体の下の蓋を開き、そろそろと発電機を外に出す。飛行機は慣性で 飛んでいるのでプロペラが回り電気が起きる。その電気でエンジンの再起動をさせるのだそうだ。この発電機の存在は パイロットには詳しく知らされていないらしい。
 明治の初め頃は電線の下を通ると頭がはげるとか寿命が縮まるとか人々が騒いだそうであるがエレクトロニクスも 進歩したものである。私が子供の頃初めてテレビのアンテナを屋根に上げた頃にはアンテナにカラスがとまると テレビにカラスが映ると騒いだものだ。明治の頃と大差はないようである。

2009年2月14日
  昨日の春一番が過ぎあたたかい朝だ。部屋の中に避難させていた植木鉢を外に出す。戸を開け放し ても久しぶりに心地よい風を感じる。部屋のデジタル表示の温度計は久しぶりに外気のほうが温度が 高いと表示している。
  フラダンスを見に渋谷のオーチャードホールへ。前列6列目だったので見やすかった。観客も一見 フラダンスをやっているような人が多かった。やはり女の人が多くトイレタイムは女子トイレは行列、 男子トイレはがらがらであった。バレンタインデーなのにこんなに女の人が集まっているのだから世間 の男たちはあぶれているに違いない。

2009年1月21日
 久しぶりの雨だ。空気もしっとりと暖かで世間のインフルエンザのウィルスも弱ってゆくのが見えるような 気がする。それにしても人間はぎりぎりの環境の中でやっと健康を保っているのだと実感する。何日か寒い日が 続いた後、多分インフルエンザのニュースが増えると思っていたらそのとおりになった。先ほどテレビで天然痘の ワクチンの番組があった。牛から作るとは聞いていたが、牛痘の「種」を人の子供の腕で増殖し、その「種」を また別の子供の腕で増殖させるとは知らなかった。
 子供の頃は知らないことだらけの中で生活していた。政治のことははるか彼方のこと町の商店の経済のしくみも わからない。道路工事に雇われた作業員達を「安定所」と呼んでいたがなぜそのように呼ぶかは考えてもみなかった。 近所の役場の庭先に天気の良い日は大きな「日光写真」のような道具が置かれていた。それがコピーをするための 「青焼き」と知ったのはかなり後になってからだった。家々の軒に幅のある長い板が立て掛けられそこに布がへばり 付いていたが何であるか知ろうともせず単に景色の一部であった。まんがの中の家庭のテレビの上に乗っているうさぎ の耳のようなものが何であるかわからなかった。東京に出てきてアンテナであることを知った。イナカではあのような 簡単なアンテナではテレビが映らず皆魚の骨のようなアンテナを建てていたのだ。
 当時と比べると相当知識は増えたが、インフルエンザ菌やウィルスと戦いながら生活していることには変わりがないようだ。

2009年1月7日
 通勤電車に乗り七草粥を食べて正月モードから通常モードに戻った。学校が始っていないので電車が空いていて 気持ちが良い。電車から見える畑は乾燥しきっているようで気温は低いのであるが霜もできないようだ。
 正月の駅伝を見ていると実況アナウンサーがいろいろな記録を並べる。区間賞、自己ベスト、ゴボウ抜き等々。 足の速い走者が10何人も追い越してアナウンサーはゴボウ抜き記録だと興奮気味であったが、追い越した走者に 再度追い越されると急にトーンが下がってしまった。ゴールした時点での追い越し数が結果として記録になるとしても、 途中の一瞬でも記録更新があれば実況アナウンサーとしては一旦は「新記録!」と叫ばざるを得ないわけで、「ゴール してみないとわかりませんな〜」などと涼しい顔で言えないのであるから難しい記録である。
実際はどうなのであろうか。正月早々の疑問であった。

2008年12月30日
 今年の世間は「不景気」の大合唱で終わりそうだ。世の中エレクトロニクスの進歩で自動化が進み 熟練の技が機械にプログラムされ、労働力の価値が低くなってきたのは事実だろう。寿司も機械が握り、 印刷も自宅で可能になり、パソコンからいろいろな手続き申し込みができてしまう。生活水準が上がり 新しく欲しいものが無いというのも金の回りを悪くしていると思われる。アメリカの生活に憧れ、テレビ、 冷蔵庫、車が欲しかった時代ははるか昔になってしまった。
 古代ローマの社会では権力者は民衆に無償でパン(食料)とサーカス(娯楽)を与えて民衆の不満が出ない ようにしたという。現代の若者にパンとケータイであろうか。先日面白い光景を見た。電車に乗っていたら目の前に 若い男が居たが電車が停まると待合わせらしい若い男が乗り込んできた。すると待っていた男は突然ケータイを取り 出してパッと開く。目は20%ぐらいチラチラとケータイのほうへいくが相手にはちゃんと関心を示し会話をしている。 どうも100%向かい合っての対話が苦手で相手の間に若干の小物が必要なようだ。常磐線中距離電車のボックス席 の窓際に「ワンカップ大関」用?の小さなテーブルがあるようなものなのかも知れない。
 不景気で安くてたっぷりと食べれる食堂がはやっているらしい。「なんとか茶」を飲むとカロリーが20%吸収 されないとの宣伝文句がある。昔人間の私はお金を出してカロリーを摂るのであって、お金を出して栄養を摂れな いことをありがたがっているのには疑問を感じるのである。そういう人々も竹輪の穴が20%大きくなったことには 敏感に反応して実質的な値上げと騒ぐ。カロリーが減るのは同じと思うが・・・。
 くろまめは風邪をひいて1週間ぐらい声が出なかったが今日あたりからやっと声が出始めた。

2008年12月13日
『丹沢今昔ぶな語り』の出版記念パーティーに招かれて横浜まで出掛ける。ワインで乾杯。 精密な影絵と語りに感動。自己紹介タイム。狼の研究者、詩人、リニアモーターカー関連の お仕事、ジュゴンの保護、出版社の方など各方面で活躍している丹沢の自然を守る人達の集まりだ。
 私は30年ほど前に横浜に住んでいた。丹沢の沢登りをしたり夜中に登ったり河原でバーベキュー をしたりしたものだ。その後は電車で近くを通過するときに山容を眺めたりしていただけでご無沙汰 していたが今日は影絵と語りで久しぶりに丹沢の山奥に踏み込んだ感覚を味わうことができた。

2008年11月22日
 朝の気温が3℃ほどに下がってきた。昨日の朝は沿線の畑には白く霜がおりていた。 黒い土の上から野菜の大きな葉っぱの上まで、満遍なくおりている。屋根の霜は朝日で半分解けて ウッドデッキでは大型犬が日光浴をしているのが見える。赤っぽい光の朝日が紅葉を照らし一段ときれいだ。 寒い朝でも風が無ければ歓迎だ。風といえば北風といえば天気図などで矢印は北を向くと習った。 今でも天気図などは北を向いているが、テレビの予報などでは風の流れてゆく方向つまり南向きの 矢印もありのようだ。アメダスなど各地の風向を一覧するような場合は風の流れ方向に矢印が向いている。 しかしながら冬将軍がやってきましたというようなときにはやはり矢印が北側を向いていないと気分が出ない。 この辺の表現の統一性はどのようになっているのだろうか。テレビの風向の矢印をみていつも迷ってしまう。
 ところで我々中年族は小さい頃からカッターシャツの裾はベルトの中に入れるものと躾けられたが、最近は 中に入れるのはダサイのだそうだ。私の知り合いは娘さんと外出するときのシャツの裾は外に出してと言われ 困ってしまうらしい。
 世の中変わっていくのが自然なのだが・・・。昭和38年のテレビ番組

2008年11月11日
 朝の気温が10度前後になってきた。冬の気配だ。寒くて曇っていると気が滅入る。そういう日の スーパーの食品売り場は人が多い。冬眠前の熊ではないが追い立てられるような気分で余計に食料を 買い込んでしまうのではなかろうか。果物を照らす暖色系の暖かい光が恋しいのかもしれない通勤の 電車から眺める畑に菜っ葉類が成長し続けているのを見られるのもこの季節にはありがたい。
 世間では防虫剤の匂いが食品に移ったとかでマスコミが大騒ぎだ。経営陣が頭を下げ「改善策」を 発表する風潮になっている。含まれていないはずの物質が0.01ppm含まれていた。普通に食べる量を 100年間食べ続けても健康に害は無いと報道している。そして「改善策」がないとおさまらない風潮だ。 何かおかしい。科学が進歩して検出精度が格段に上がったのだから世の中、0%はありえないのだ。例えば 無農薬で野菜を作っても埋めた残飯の魚の骨に化学物質は微量に含まれているし、雨が降れば空気中の 化学物質は作物に微量に含まれる。たまたま騒動になった食品を調べたら、さらにこんなものも検出され たという報道はあるが、他の会社の製品を調べたらこうでしたという報道は一切無いのが不思議だ。 中国の餃子には何ppm入っていましたと言うが、日本の餃子は調べてみたら入っていませんでしたと いう報道は無い。私が小さい頃は新学期になって新しい教科書を開いてあのインクの匂いが新鮮だった ものだが有害物質が入っているからと「改善策」を声高に叫ぶ輩がいる。電子蚊取り線香の匂いを一晩中 吸い込み、トイレに芳香剤を置き、虫の付いていない野菜をスーパーで買い求める人種が、100年食べ 続けても健康に害がないものを云々言うのはおかしいのではないか。何ppm含まれていましたと言っても 数字の意味のわかる人は少ないと思う。私は「蚊取り線香指数」というものを提案したい。蚊取り線香の 「毒素」を100とした場合の毒素の大きさを検査機関が示すのはどうだろう。どこかの大福もちは 防腐剤が入っていて長持ちするが蚊取り線香指数:12、バナナには虫が付かないように農薬を かけているので蚊取り線香指数:40、トイレの中であくびをすると蚊取り線香指数:8、虫の付いていない 小松菜:30といった具合だ。共通の「毒素基準」で報道を見直してもらいたいところである。

2008年11月9日
九州旅行7:
 朝起きると窓の外に港の防波堤が見える。久しぶりの海の景色だ。そういえば最近は夏にも海に行くことが なくなった。新幹線の時間が決まっているので朝食後早めの出発だ。小倉の伯母宅まで送っていった。高速に 入ったり一般道を走ったりカーナビの指示のとおり進む。ガソリン満タンにしレンタカーの返却場所の近くまで 来たのだが駅前のため一方通行などがあり見えているが近づけない状況で一回りした。駅まで見送りに来てくれた イトコとお別れ。いよいよ九州から本州へ。関門海底トンネルは幾つかのトンネルがあるため、どれかね〜と 言っているうちに本州に入ってしまった。人間ヒマになると腹が減るものである。時間帯が外れていたので 弁当は売り切れのようだったがどこからか探し出して持ってきてくれた。沿線各地の名物の食べ物を一口サイズ で12種ほど並んでいる。新幹線が速くなって主要な駅にしか停まらなくなってしまったので各地の弁当屋も大変だ。 そういえば50年ほど昔はホームでお茶を買うと瀬戸物の器に入っていた。お猪口のような帽子を被っていて それに注いで飲んだ記憶がある。その後プラスチックの器になったが何かビニールっぽい匂いがして味は悪かった。 最近のペットボトルは匂いもなく便利になったものである。近頃の人はよくペットボトルを持ち歩いているが 昔の人たちはそれほど水分を摂っていなかったと思う。現代人はストレス過剰で唾液が出にくくなっているのか。 車窓から刈り取られた田んぼ、工場、茶畑、住宅などを眺めながら東京駅に到着した。濃い一週間であった。 九州旅行(完)

2008年11月8日
九州旅行6:
 家の前の渓流の脇に山葡萄らしき紫の実がぶら下がっている。葉っぱは確かに葡萄だが私が小さいころ 見ていたものとはちょっと違うようだ。道路の下から自転車を押しながら村人が上がって来る。姿は 山仕事の正式ユニフォームといった風情だ。焼畑で作った大根の抜き菜に絶対の自信を持っていて、近所 の人にあげたら野菜炒めにしていたと嘆いていた。やはりシャキシャキした菜っ葉は漬物にするのが最高 らしい。
 朝9時頃に発って人吉経由で博多に向かう。この一週間ずーっと快晴。今日も絶好のドライブ日和だ。 途中西米良の「道の駅」に立ち寄る。このあたりまでくると久しぶりに「ケータイ」の圏内となる。蕎麦 食堂はまだ開店15分前であったが食べたくなって聞いてみると快く食べさせてくれた。メニューを見ると ソバは1種類。多少の具が乗っていてシンプルで良い。
 一路北上。高速のパーキングの看板のフォーク、ナイフの隣にあるガソリンスタンドのマークを見て、 くろまめはケータイのマークと勘違いをしている。確かに似てはいるが・・・。
 博多駅前で親戚3人をピックアップして病院へ。88歳の伯母が入院しているのでお見舞いに。イトコ達も 来て居てお見舞いがてらの親戚の集会となった。話が弾んで帰りは暗くなってきたが古賀の叔父宅まで送って 行った。93歳の奥さんが門まで出てこられ久しぶりの再会となった。海辺の宿を予約してもらっていたので 先を急ぐ。
 座敷で夕食を食べる。隣のグループは、御婦人の祝米寿で、横断幕の下にご親族が10数人集まってお祝いを していた。こちらも年寄り2人(91歳、86歳)と中年3人のグループなのでしばしの交流となった。(続く)

2008年11月2日
九州旅行5:
 バーベキューの日だ。午前、まだケータイの圏内の市街地から「火をおこしといて〜」と電話がある。 山道に入るとケータイの圏外になってしまうのと私の火のおこしかたが手間取るとふんだのだろう。 新聞紙がたっぷりあったので紙だけで火をつけることに挑戦。案の定、紙は燃えるが炭に火がつかずで、 枯れ枝をくべてやっと炭が元気になるまで小一時間かかった。詳細は「くろまめのをりをり」で。

2008年11月1日
九州旅行4:
 畑のイモ掘りの日だ。畑は鹿が入らないように網で囲ってある。入り口にある波型のブリキを 手で開いて入る。武昭どんは柿の木によじ登り枝を切りながら虫食いの柿の見分け方を説明する。 石垣には大きな「むかご」が。葉っぱを掻き分けると重力に耐えて細い蔓にぶら下がっている。 イモの植わっている土はホクホクやわらかいが簡単には掘り出せない。スコップを回りに差し込み 根っこを切り、さらにイモを傷つけないようにスコップを深く入れテコの原理で掘り起こす。 親イモの回りに小イモが付いている。ヒゲ根をむしりとる。小イモを採ったあとの中心部から茎を そぎ落とすと京イモの形になる。収穫したイモはすぐに庭の芝の上に広げ乾燥させる。
 隣の家の柿の木を見ると枝の間になにやら人影が・・・。心霊現象かと思ってよく見ると カラス避けの案山子が赤いネッカチーフをかぶり空を見上げていた。さっきカラスが柿の実を丸ごと くわえて飛んでいくのを見た。シャッターチャンスだったが間に合わなかった。
 100年間使い続けた盥(たらい)を見せてもらった。くろまめたちが産湯をつかったものだった。 きれいに保管してあった。タイマツの話になるとケサエさんが奥から持ってきてくれた。私ははじめて 実物を見た。枯れた松の根を掘り起こしたもので鰹節の大きいものという様子だ。これを小さくこそぎとると理想の焚きつけになる とのこと。割って匂いをかぐと松脂の良い匂いだ。昔は竹の先を割りそこにこのタイマツのチップを 押し込み明かりとしたらしい。珍しいので何本かもらってバッグに詰めた。(続く)

2008年10月26日
九州旅行3:
 夜中に山のほうから鹿の鳴く声がピィーピューと聞こえてきた。あの大きな体からは想像もつかないような 甲高い声だ。聞くところによると鹿は元来子を1匹出産するものらしいが、最近は3匹ぐらいが腹に入って いるとのこと。どのような自然の仕組みなのか、これが鹿の急激な増殖の原因らしい。
 谷間の集落の朝は深いモヤの中から始る。蜘蛛の巣に朝露が付き幻想的だ。ジョロウグモがコロコロに 太って巣の中心にいる。直径40センチほどの蜘蛛の巣の右半分には小さな虫が密集して捕らえられているが、 面白いことに左半分には1匹も虫がいないのだ。たまたま左半分を作るときに粘液を出す器官がつまって しまったかと想像したが、近所の巣を見てもやはりくっきりと半分に虫が付いていないのだ。後で調べると ジョロウグモは一日おきの夜中に巣の半分を作り直す生態らしい。朝が早くてまだ虫が捕らえられていなかった と思われる。

 日がのぼりモヤが少しずつ消えてゆく。ご先祖様にお参りをする。「ケータイ」はずっと「圏外」だ。 裏の石垣にスズメバチの巣があるようでハチが頻繁に出入りしている。カメラを動画モードにして記録。 柿は熟しすぎて酸っぱくなっているものもある。ふんだんにあるので固くなく酸っぱくなく適度に熟している ものを探し喰らい付く。ヘタの辺りから虫が入り込んでいる柿もある。畑には巨大な「むかご」の一種が 育っていて掌ほどもある。エアポテトと呼ばれているらしい。
 車で少し上の方へ行ってみる。曲がりくねった道を行き峠を越えて少し下がったところに数軒の集落がある。 遠くに収穫された稲が干してある。田んぼは棚田風だ。水が温まりながら下りてくるので棚田の米はおいしい らしい。一番上の田は冷たい水を温める役目のため稲は植えないのだそうだ。このような場所にも舗装された 道路がひかれているのには驚いた。新しく道路が作られるときは地元の人たちは一定の負担金を払うとの こと。一旦完成するとよそ者がタダで道路を使うばかりか悪い輩はゴミを捨てていくとのこと。広い山なので 監視は不可能に近い。天気は良くても山間の集落は日がかげるのが早い。トイレはウォッシュレット、風呂は ガス湯沸器で蛇口を捻ると湯が出るが、「都会からの客人」が喜ぶと薪を焚いてくれた。浴槽の底に熱を 効率良く伝える工夫がしてあるとのこと。
薪を燃やす煙の匂いをかぎながら風呂につかる。(続く)

***** 写真をクリックすると大きくなります *****

2008年10月24日
九州旅行2:
 朝から天気良し。高千穂峡へカーナビを設定する。道路脇の畑の土に朝日があたり濃い湯気が立ち 昇っている。ススキの群生の中の道路をすり抜ける。中学生がマラソンの練習をしている。皆こちらを 見て会釈する。引率の先生も会釈だ。田舎では人と人との距離が近い。高千穂の町をすり抜け急坂を降り 切るとあの絵葉書で有名な高千穂峡だ。まだ朝早い。掃除のおばさんが大きな「逆掃除機」で落ち葉を 吹き払っていた。滝をバックに記念撮影。ツアーの引率のおねえさんにファミリーの記念写真のシャッター を押してもらう。
 いよいよ山越えで妻の実家へ向かう。インターネットで予め工事情報を調べたら国道から県道に入った 後の橋で通行の時間制限がある。12時から1時の間は通行が出来るが前後のそれぞれ1時間半は通行が できないのだ。1時間半も待たされたら大変だ。ちょっと遠回りすれば別のルートもあるのだが自分の 性質で12時から1時の間にする抜けることにチャレンジすることに。順調に国道から県道に入ったが いつの間にか未舗装の道路に。轍が深く車の腹がこすれる。カーナビの自分の位置を示すマークは道路の 無いところで点滅している。あれっこれは昨年夜中に迷い込んだのと同じ状況だ。Uターンして引き返す。 先ほど道の脇にあった車まで戻ったので道を聞くことに。めったに車が通らないのだろう。道端の草が幅を きかしている。太った柴犬が私の車に近づいてきてなつき轢きそうなので車を停める。作業をしていたら しいファミリーが現れ怪しいものを見るようにこちらを見ている。こんなカーナビにも現れないような道路 に車が停まったのだから怪しまれてもしょうがない。降りて道を尋ねる。中年の男は道端の枝を千切り 土に道路の図を描き始めた。そして当初の予定の工事の橋のコースを教えてくれた。おじいさんは別の遠回り のルートを勧める。なかなか統一見解が出ない。時間もないのでお礼を言ってスタート。橋の工事の関門は 12時58分にすり抜けることができた。2分前。あぶなかった。
 いよいよ山道だ。曲がりくねった道が続く。対向車はほとんど無い。しばらく沈黙していたカーナビが 突然「この先カーブです」と言う。さっきからカーブの連続の真っ只中なのだ。峠の空が開けているところで ひと休み。出発時より持参してきたバナナを1本食べる。鯛焼きは誰も食べないし旅先で腹をこわしても しょうがないので今朝方妻が捨てた。鹿が道路に飛び出してくる。崖の中ほどまで駆け上った鹿はしばらくの 間興味深げにこちらを観察していた。
 峠を越えると左側に渓流を見ながら舗装道路が緩やかに下り続ける。刈り取られた稲が木組みに掛けてある。 道路脇のガードレールにも掛けてある。後で聞いた話だが猿が出没してこのガードレールに干してある稲の 実を手でしごいて食べるらしい。それを小猿が真似して上手にしごいて米を食べるとのこと。集団下校の 小学生達が斜め後ろを向きながら声をあげて通りすぎる私の車に挨拶をする。この里の景色には道端に咲く コスモスが似合う。
 予定より早く妻の実家に到着。バナナ2本も到着した。(続く)

2008年10月23日
九州旅行1:
 先週は家族で九州旅行に行ってきた。歳とともに地上を走る乗り物が好きになってきた私は家族に ブーブー言われながらも「のぞみ」で博多まで。東京から5時間だ。前の日に買い求めた鯛焼きとバナナ がもったいないとバッグの中だ。博多で予約していたレンタカー屋へ。7人乗りだ。カーナビを阿蘇山に セットして出発。昨年は高速の入り口で早く右折レーンに間違えて入り一回りしたが、今年も同じ入り口 で間違えて一回りした。人の道路の認識度合いは1年経っても同じらしい。高速道路を一路南下。阿蘇の 火口まで続く有料道路は5時で閉まると調べていたので若干アクセルを押し気味に走る。カーナビに 「目的地到達予想時刻」の時計の針が出ていて到達予想時間がどんどん早まるのが面白い。今日中に阿蘇を見てお かないと明日からの予定が大幅に狂うのだ。私の目が細くなると妻は鯛焼きとバナナを勧める。モノを食べさ せて眠気解消ということらしい。早く処分してしまいたいのもあるようだ。
 熊本インターで一般道路に入る。ほどなく広々とした阿蘇の草原が現れ馬がいて牛がいる。火口には水が溜まり 沸騰しているようだ。35年ほど前に来たときには無かったと思う。噴煙は岩石の壁から噴出していた。 噴石から逃げるためのトーチカ状の避難所が幾つかある。宿に向かう。山肌は溶岩のため木が成長しない ようで草だけが生えている。木が無いため雨水に侵食された谷状の地形がはっきりわかる。昔見た図鑑に 幼年期の山、壮年期の山、老年期の山というのがあったのを思い出す。遠くに外輪山が広がる。外輪山の 中に駅があり町があり畑がある。放牧されていた黒牛達が移動している。先頭にいる牛がリーダーなのだ ろう。統制のとれた移動だ。道路脇に車を停めると柵の側まで寄って来てこちらを見ている。牛は体内に 地球の磁気を感じる器官があるので頭と尻尾は大概同じ方向を向いていると聞いたことがある。
 宿に到着。バッグの中には鯛焼きとバナナがまだある。明日は高千穂だ。(続く)

2008年10月13日
 新聞によると自分達の家のある「VILLAGE」を囲って警備会社に警備してもらうのが世情らしい。 科学が発達して生活は便利になったが、悪いことをしようとする輩にとっても便利になったということだろう。 多くの約束事の中で安心して生活している大多数が、少数の悪者に脅かされるのであるから「囲う」 必要性が出てくる。昔で言えば教科書に出てきた「荘園」とそれを警護する武士の世界に逆戻りだ。 万里の長城、北京の城壁、四合院、衣服、人間の皮膚、細胞膜、卵、植木鉢、氷枕、冷蔵庫、自動車等、 囲われていない物は無い世の中だ。空疎な宇宙から囲いながら囲われた中に自分の世界を作っている。 ここであの不思議な昆虫の蛹(さなぎ)を調べてみた。あのイモムシの世界から蝶に変身する間にあの 動かないカプセル(さなぎ)の「囲い」中で何がおきているのか。
 太古の昔にまず発生したトンボなどの昆虫のご先祖様たちは今でも「さなぎ」の状態が無く、いきなり 幼生から成虫になるのだそうだ。変身する「さなぎ」の状態が無いということは幼生の頃から大人に必要な 形体、すなわち羽などの「モト」を持っていなくてはならない。これは幼生にとっては足かせで重荷らしい。 ということで昆虫は進化してゆき栄養をせっせと蓄える幼生期と生殖専用の成虫に「完全分業」したらしい。 例えばイモムシはキャベツの葉を食べやすい栄養蓄積タンクに専念し「さなぎ」の中でバトンタッチして 羽のある蝶に変身する。イモムシは「さなぎ」のカプセルの中で完全に自分の体をどろどろにさせて蝶の 体作りの栄養になるのだそうだ。あの固そうな動かない「さなぎ」の中で劇的なドラマが起きているのだ。 囲われた中で起きている色々な世界に驚くばかりである。

2008年10月4日
 秋らしい一日だ。空気がスッキリしてイネ科の雑草が穂を開く。1週間前までモンゴルの高原に居座って いたような乾燥した空気がやってきた。稲刈りの終わった田んぼでは飽食の様子のサギ達がくつろいでいる。
 面白い記事を見つけた。オットセイのオスはハーレムをつくって多数のメスを従え周りのオス達を追い払うのに 必至であるが、調べてみたところそのオスの子供達はたったの23.5%とのこと。

(クリック→格差社会:オットセイの生き残り戦略

2008年9月30日
 朝起きてくると妻が「水槽が熱いよ」と叫んでいる。一瞬にしてヒーターだとわかった。日曜日に 寒くなってきたので水槽のヒーターの電源を入れたのだ。サーモスタットの温度調整ツマミを回しても ランプが点灯しないので、てっきりヒーターが切れたと思い込みそのままにしておいたのであった。実際には 切れていなくて徐々に暖まっていったのに違いない。全滅。さぞかし熱かったに違いない。ゴメン! 25年ほど前に「金魚すくい」の金魚から始まり世代交代してきた熱帯魚だった。
 昨日は会社の同僚が若い頃海外へ長期出張で留守をするので飼っていた高級熱帯魚の「アロワナ」にタイマー 仕掛けの餌をセットして出かけたが、帰ってきてみたら電気代の引き落としがうまくいっていなくて電気が 止められて凍死していたらしい。こちらは凍死だ。
 帰ってから水槽の掃除をし25年ぶりの汚れをきれいにした。先日映画の「おくりびと」を見たばかりだ。 砂利はきれいに洗った。植木鉢用に再利用するつもりだ。
  合掌

2008年9月24日
 いつものように鳩の鳴き声が聞こえて来る。ポーポーポッポー、ポーポーポッポー。もしかしたら ポッポーポーポー、ポッポーポーポーと鳴いているのかも知れない。鳴き出しと鳴き終わりを意識 しているのだろうか。鳴き出しを意識して聞いたことは無いし、トラックが通って鳴きやんだとしても 1セットが終わるまでは鳴き続けるぞという強い気迫もないだろからわからない。その点、ツクツクホウシ はわかりやすい。ホーシーツクツク、ホーシーツクツクとだんだん速くなり途中から急にに声が裏返り 最後はジー・・・と終わる。セミなりに単調なリズムに耐え切れなくなってアクセントをつけているのか。 ツクツクホウシは1セットがわかり易い。
単調さと言えば気象通報のアナウンサーが「1013ヘクトパスカル、1002ヘクトパスカル」とヘクトパスカルを 言い続けているのも気の毒だ。昔はミリバールだったからまだ良かったが・・・。間に「天気晴れ」とかがはさまるので 何とか形が整うが、レスカ(古いか・・・)のように短かくしましょうという声はないのだろうか。

2008年9月6日
 田んぼは稲刈りが始り例年通りトラクターが道路を走る。「よそ者」の一般ドライバーは無意識に 「地元」のトラクターに道をゆずる。今年は良く照り良く降り台風がこなかったので豊作のようだ。
 友人の誕生祝って古民家でランチ。季節の栗、銀杏、里芋、松茸などいただいた。歳をとる とカロリーを摂る必要はないので季節を感じさせるものが少量あればいい。懐かしい調度品に囲まれて 店の対応が行き届いていれば大満足なのである。
 ところで雷を聞きながらのビールも良いが、テレビで「懐かしの歌」を聴きながらのビールも良いのだ。 歌詞に「東京」がよく出てくる。夜行列車で東京に向かうあの時代だ。月光仮面を喜びチャンバラごっこで遊ん でいた子供には東京は洗練され豊かな文化があふれかえっているように思えた。「公衆電話」や「受話器 を置く」などの歌詞は携帯電話の出現で死語になってしまうのか。昔は言葉の数が少なくても感情の伝達 ができたのだ。世間が同じような貧乏暮らしをしていた時代だから、少ない言葉で受け手が容易に感情移 入できたと思う。昔の歌を「詩」というなら現代の歌は「作文」だ。番組の中で昔の南極観測隊に送る手 紙の話があった。昔は通信料が高かったので電報でも極力短い文にしたのであるが南極観測隊も電信であ ったそうだ。若い妻から夫に宛てた手紙は3文字「あ・な・た・」だったそうである。送り手の色々な感 情が3文字に一旦変換され、また受け手で展開する。なんと饒舌な3文字なのか。ここでテレビの方を向 いていたはずの妻はティッシュの箱を私に向ける。何十年も一緒に暮らしていると私がうるっとくるツボ を心得ているのだ。
 今日のラジオの対談で私よりちょっと上の世代の人が良い時代を生きてきたと考え深げに言っていた。 モノが無い時代、あこがれ、苦労して手に入れたときの喜び、人にモノをあげたときの喜び、モノを媒介 とした感情の伝達、やはり「限りなく続く傾き」が必要なのか。
 地球温暖化で熱帯地方で水蒸気がいっぱい蒸発するので大型台風が続発するのではと言われているが、 暖まりきってしまうと台風はできにくいという説もあるようだ。空気が擾乱するには冷気も必要らしい。

2008年8月30日
 また雨が降っている。自称「気象予報士」(免許はない)はインターネットで雲の動きを見て楽しんで いる。赤の強い雨の区域の動きがリアルタイムでわかる。大きな大気の流れに乗って移動して行くように 見えるが雨域はそれほど移動しない。海の波も岸に押し寄せるように見えるが海岸が洪水になったとは聞い たことがない。大きくなったり消滅したり、山にぶつかるとやはり手前に強い雨雲ができるようだ。
 空気がたっぷりと湿気を含んでいるようで昼間の雲の観察も飽きない。次々に形が変わる。カメラを構える。 入道雲がダイナミックに発達する。こういう時はフィルムを気にしなくて良いデジカメがありがたい。 次々とポーズを替えるモデルを前にしたカメラマンの気分だ。
 夕方雨が激しくなってくると窓を開け放つ。ザーァという音を聞きながら飲むビールは旨い。遠くでとどろく 雷の音も自然との一体感を増し、ますますビールが旨くなる。時々は稲妻の光を目一杯感じようと電気を 消すこともあるが、つまみの位置など分からなくなるのであまり芳しくない。あまり近くの雷は困る。 停電して電子機器の日付などがリセットされてしまい仕事が増えるのだ。
 雨があがったようだ。避難していた虫たちが鳴き始めた。

2008年8月27日
 家を出ると久しぶりの青空だ。真夏よりは70%ぐらいの勢いになった太陽が額を照らす。先週の 土曜日の畑仕事の最中に腰のスジを痛めしばらく腰曲がりで歩いていたが何とか治る気配が出てきた。 最寄りの駅のエスカレーターは普段でも4日に1日ぐらいは運転が止まって歩いて登っていたのであるが よりによって腰が痛いのに2日連続で止まっていたのである。止まっているときの1段目、2段目は段差が 低いから気をつけなくてはと思いながら踏み出すのであるが過剰に踏み込み腰にひびいてしまうのである。 エスカレーターのあの独特の縦じまが「目くらまし」になるのか。

久しぶりに友人と会う。陶器作りを趣味とするその友人は人から書を頼まれるので書も習い始めたとのこと。 短期間でも上達したらしい。書の脇に印鑑を押す機会も増えたとのことで篆刻も始めたらしい。 九州に土地を買っているとのことで数年のうちに小さな陶器の店をつくりたいとのこと。人生の起承転結を 考えるとまだ「結」とは思いたくないところである。

ところで今朝ラジオから星条旗の話題が流れてきた。第二次世界大戦の降伏文書の調印がミズーリで行わ れたが、そのとき星の数が31個の星条旗が掲げてあったそうだ。日本代表があの国旗は随分古い物のよう ですがと質問したらしい。日本を占領した連合国軍最高司令官であったマッカーサーが日本上陸にあたって 本国から取り寄せたものとのこと。この星条旗は黒船四隻を率いて1853年浦賀沖に来航したペリーが掲げ ていたもので当時のアメリカの州の数が31だったのである。日本の降伏は第二の黒船というところか。

2008年8月19日
 秋の気配だ。コオロギがちぃっちぃっちぃっちぃっと鳴く。朝晩の冷気で関節のすべりが悪いのか セミは太陽が昇ってから元気になる。スズメは線路の石の上に落ちている枯れ草を啄ばんでは巣に 運んでいる。枯れ草は小さすぎても効率が悪く大きすぎると飛びにくいようで選ぶのに一生懸命だ。 数式や物理学の知識は無くてもしっかりとバランスの中心をくわえている。離乳食が必要な頃は田んぼ の稲も時期をあわせて黄金色だ。バッタが部屋に飛び込んでくる。ガラスの広口ビンで捕らえて逃がして やる。頭が小さい割りには危険には敏感に反応する。公衆トイレでアンモニアの臭いをなるべく嗅がない ように浅く息をしているとそのうち危険を感じた脳の指令だろうか大あくびをしてしまう。
自然の要求には従うしかないようだ。

2008年8月9日
 降るようなセミの声が聞きたくなって出かける。木洩れ日の林の中は期待どおりであった。連続的な みーーーーーーーーーーー。みーんみんみんみんみんみいーん・・・。かな かな かな   ・・・。
8月は生者と死者を一度に感じる季節だ。高校野球の熱戦、オリンピックは人類の可能性を謳い上げる。
夏休みで家族が集まりお盆で祖先を思い、終戦記念日で国のために亡くなった人々を思い、原爆で亡くなった 人々を思う。
人はお盆には普段のご無沙汰を詫び、きゅうりの馬で早く来て、なすの牛でゆっくりお帰りくださいと供養する。 人は「一歩外に出れば敵だらけ」で生きているからオリンピックのセレモニーの集団の美しさに感動する。 人は普段は周囲3メートルぐらいのことしか眼中にないので、たまには人類の成してきた偉大な発明や発見を思い 感動するのか。
感動を最大にするために、普段は持続させないのは人間の知恵なのだろうか。
私も夜のビールを美味しく飲むために夕方は水分を控えるのである。

2008年8月1日
 駅のホームから暮れてゆく西の空を眺める。昼間の熱気がやっとおさまり、雲の下側がピンクに染まり、 だんだん小さくなりながら、静かに西方浄土につながっているようだ。頭の中でカナカナカナとセミの声が聞こえる。 平和な夕暮れだ。昼間のモードが夜のモードに切り替わり人々は郊外の家に向かう。まだ8月になったばかりなのに 秋の気配は少し寂しい。
子供の頃の夏の傷病兵の吹くハーモニカの音が聞こえてくるようだ。「ここはお国の何百里離れて遠き満州の・・・」 。農家の人達が背負ってきたカゴを路上に置いて茹でトウキビを広げる。「スグリ」は熟れて紫色になっている。 茶碗一杯10円ぐらいだったと思う。祭りのときは広場に「見世物」がやってくる。ポスターには「ろくろっ首」 が描いてあり小遣いをはたいて入ってみるが遠くのほうで着物を着て半分振り返った女の人は体は揺らしているが、 首は伸びないうちに入れ替えとなってしまった。
夜は夜店の屋台が並ぶ。十徳ナイフ、毒消し薬、食べ物、風船、射的。カーバイト燈の赤い光に照らされた おっさん達の口上は皆怪しげだった。全国のお客様からの感謝の手紙というものがいつもうず高く積まれていた。 クジでヒモを引っ張るといつも小さいお菓子がくっ付いてきた。今思い返せば懐かしい屋台の光景は皆見上げる目線で 記憶されている。体が小さかったのだろう。
「思えば遠くへ来たもんだ〜」

2008年7月23日
 出張で名古屋から3つ目の駅に降り立つ。ウナギを焼く煙が駅まで流れてくる。店の前にはクリーム色の うなぎ桶が10個ほど並んでいる。ちょうど昼時なので寄ってみる。7個の桶は空っぽで3個には金魚が泳いで いた。ちょっとがっかりしたが古びた調理窓から流れてくる焼きの匂いは相当旨そうだ。入ってみる。実質的な 内装で無駄なところにお金をかけていない姿勢は良い。重箱の「まぶし」が運ばれてくる。お茶碗と薬味とスープ ものっている。後半はお茶漬け風にして食べると良いらしい。うなぎは適度に弾力があり美味しかった。 客先のアポにまだ時間があったので喫茶店に入る。コーヒーを注文するとバターピーナッツが付いてきた。名古屋らしい。
 ところで最近知ったことであるが「パッション」とういう英語は「情熱」という意味とおもっていたが、もう一つの 意味で「受難」という意味もあるらしい。全く違うような意味と思うが根っこは同じなのだろうか。また「パッション・フルーツ」 は南国の「情熱の果物」というネーミングとおもっていたが花はトケイソウで雌しべが十字架のような形をして いたり花びらがイバラの冠状とのことでキリストの「受難」のほうからきているらしい。
 今日は「射幸心」というギャンブルの話題があった。パチンコなどのゲームは法律により一分間で400円以上を 使わせてはいけないと決まっているとのこと。パチンコの玉は1個4円なので一分間で100発以上は打てない ようにゲーム機を作るほうは制限をかけているとのことである。

2008年7月12日
 晴れ。気温もぐんぐん上る。鉢達を日光にあてる。しばらくぶりに水槽の掃除をする。はびこっている 藻をこそげ落とす。新しい水の気配を熱帯魚も喜んでいるようだ。一生水の中に居るのだから敏感に違いない。 人は一生空気を吸っている。最近話題の二酸化炭素であるが、これは空気より重いので増えすぎると地表に住んで いる人類が「酸欠状態」になり大変だというのが最初の頃のCO2問題だったらしい。そのうちCO2が 増えることによる地球の「温暖化」ということになり一気に関心が高まったとのこと。次にエアコンの 掃除。我が家はエアコン嫌いであまり使用していないので汚れは少ない。一応試運転。冷気が流れてきて 一安心。水筒に氷水を入れて畑へ。鍬の取っ手がスカスカになったので楔を打ち込む。砥石で鍬と鎌を磨く。 雑草をとる。水分が足りなくて途中の自販機で冷たい日本茶を購入。
 夕方遠くの景色が雨っぽい。近くはまだ日が照っている。空を見上げるともくもくとした積乱雲だ。 雲の端が夕日で染まる。夏のこのダイナミックさが好きだ。案の定すこし風が出てきて雨が降り出した。 畑の土にもたっぷりと水分がしみ込んだことだろう。今夜は涼しく眠れそうだ。

2008年7月3日
 先日のこと、カーラジオから懐かしいトワ・エ・モアの「ある日突然」流れていた。 ♪♪ある日じっと 見つめ合うのよ 二人は互いの 瞳の奥を そこに何が あるか急に 知りたくて  お互いを見る♪ そこに突然「地震情報」が割り込んでくる。南の方で震度3らしい。懐かしモードが吹っ飛ぶ。
 数日前は電車の中でラジオを聞いていると、面白そうな話題が。ヨーロッパのほうのニシンの缶詰が 醗酵して世界で1番臭いそうだ。次が韓国のエイを壺で漬け込んだものでアンモニア臭で涙が止まらない ものらしい。日本のクサヤに比べて何倍臭いかということになり、いよいよ数値が出る頃にまた 「地震情報」が・・・。やはり震度3で北のほうらしい。
震度3で被害が出たという話は聞いたことがない。そのつど全国放送するべきものなのか・・・。 ちなみに地震恐怖症の私は夜中に地震の「初期微動」が始る数秒前には目覚めていて揺れだすのを ちゃんと認識しているのだ(と思っている)。

2008年6月24日
 東京の下町に所用があり出かける。道路の側の鉄工所の奥から鉄を削る匂いが漂ってくる。 夕暮れの駅に続く路地には赤提灯が並び早くも焼き鳥の匂いが漂ってくる。炭で焼かれた長ネギの匂い、 モツの良質な油の香り、ビールの醗酵臭がそれぞれ4:4:2ぐらいの絶妙な割合で混ざっているようだ。 家路が遠いのでそのまますり抜けて駅のホームへ。街のスピーカーから「ライオンは寝ている」の 音楽が流れてくる。何ともアンバランスではあるが面白い。
 「2:6:2の法則」というものがあるらしい。世の中の集団を見ると2割がリーダー役で、6割が リーダーに引っ張られて活動する人、2割はサボる人とのことである。ところが2割のサボる人達を除いて 新しい集団を作ると、やはり全体の2割の人たちがサボる役回りになるとのこと。
全く違う例かも知れないが、ある種の熱帯魚はメスばかりの集団になってしまうとそのうちの何匹かは オスに性転換するらしい。

2008年6月22日
 昨日は雨もあがり収穫日和。まずはキタアカリを掘る。白い皮のジャガイモが適度な湿り気の土から 顔を出す。まあまあの出来だ。アンデスレッドの葉っぱには紫色のスジが入っているのですぐに分かる。 掘り返すとさつまいも色のイモが飛び出した。インカのめざめはカビの生えた半分ミイラ状のイモを植えた せいか雑草にまぎれてしまっている。ほんの少し採れた。紫玉ねぎは立派だった。
キュウリ、ナス、ミニトマトは順調。モロヘイヤはまだ背丈が短いのにもう黄色い花をつけていた。オクラ、 ニガウリの芽が伸びてきた。
 ナスとキュウリと青シソの塩もみ。じゃがいもとキュウリ、紫玉ねぎを使ったイモサラダ。焼きジャガイモなどを 食す。ビールが一段とうまい。真っ暗闇の中で鼻をつまんで食事をしてもちっとも美味しくないそうだ。 形と色を楽しみ、匂いを感じ、おまけに野菜の育っていた畑の景色や風の流れまで感じながらひと時を過ごす のだから美味しくないはずがない。
 若い女が男と食事をするときには、自分と同じペースで食べ、同じ頃に食べ終わるか。また自分の想像以上に 大げさな身振りや大声を出さないかなどをチェックしているとのこと。安心して食事ができるかどうかが合格 か不合格かの分かれ目らしい。食事を調達する、そして環境を整え落ち着いた平和な状態で食べていただく。 これが昔からの男の役割のようである。

2008年6月11日
 電車のつり革の輪の向きが以前は窓側を向いていたが最近は電車の前後を向くように変わった。 最初は立っている乗客が前後を向くと想定していたらしい。電車の揺れや目の前に座った乗客がこちらを 向いているのだから足をちょっと広げて前後を向くと想定したのは無理も無い。でも実際は窓側を向いている。 長い通勤時間、人の背中を見続けるよりは外の景色のほうが良いに決まっている。電車の性能も上がって横揺れ も少なくなったのだろう。
 今日は電車で座っていると4mほど離れたところで立て続けにセキをする人がいた。菌が空中で死ぬのを期待 して、そのつど息を止めたりしていたが、天井のエアコンで空気が循環していた。菌の乱舞が見えたような気がした。
 先日、竹林を歩いていたら太い大きな竹の根元に筍の皮の残骸の残っているのを発見。初めて見る光景で カメラでパチリ。筍のシーズンから50日ほどしか経っていないのに15mほども伸びている。単純に割り算して みると1日で30センチも伸びている勘定だ。調べてみると植物の成長点は普通先っぽのほうの一箇所だけだが 竹の場合は一つ一つの節に成長点があり、それぞれが伸びるので全体的にはかなりの量になるとのこと。 そういえば筍を縦割りにしてみると押しつぶされたような節の塊が皮に包まっている。
 ちなみに我が家のマンゴーの苗は風で成長点が傷みしばらく伸び悩んでいたが下からの勢いで脇芽ができて 元気に成長開始。

2008年5月18日
 昨日はスーパーの魚売り場を物色していたらザルの上にツブ貝が並んでいた。足(?)を長く伸ばしているので ちょいと突いてみたらキュッと足を引っ込めた。鮮度が良さそうなので購入。さばき方を調べると金槌で 殻を叩き割るのが簡単とあるので叩いてみた。殻は飛び散るし身の中に残骸が残るし結構時間がかかった。 ツブ貝には身の中に唾液腺(通称アブラ)というものがあって食べると中毒するとある。身を半分に切ると 割とわかり易いので丁寧に取り去る。塩で揉んでぬめりと殻の残骸を取り除き完成。コリコリを通り越して シャリシャリの感触。新鮮であった。帆立貝は専用のヘラで開き、やはりヒモは塩もみだ。ドブロクを仕込んでから 2週間ほど経ったので飲んでみる。まずまずのアルコール度。炭酸ガスのシュワシュワ感が残っていた。 これで腹をこわしたらドブロクのせいか、ツブ貝の毒素のせいか判らなくなる。食べ物に関しては2つの チャレンジを一度にしないほうが良いようだ。今日になっても腹の調子は良い。ドブロクの瓶の底には 高級(?)酒粕が沈殿しているのでこれも使えそうだ。

2008年5月11日
 昨日は友人宅を訪問してVHSをDVDに変換するデッキを貸してもらいまずは1本をデジタル化した。 20年前の懐かしい映像を見ながら白ワインと料理をご馳走になった。
 30年前に撮った8ミリはフィルムを透かして見ると画像がが目で確認できる映画フィルムのようだった。 これらのテープを変換するべく部屋を暗くして白いふすまに映しそれをVHSカメラで撮った。 それをデジタル変換したものが今はDVDに収まっている。その後に撮ったVHSは音声入りだ。残っている VHSカセットの数が膨大なのでこれらも全てデジタル変換したく本日デッキを購入。VHSとHDDとDVDが 相互にコピーできるものにした。
さっそく昔のテープを入れてまずは内蔵のHDDにコピーを試みる。メニューのとおりに進める。 そのうちテープが高速で巻き戻される音がしてきたが途中で音もカウンターも止まりどうも 様子がおかしい。いやな予感。古いテープを高速で巻き戻ししたりするとテープは飛び出して絡まってしまうことが 以前あったのだ。案の定フタを開けてみるとテープが絡まっていた。やっとのことでカセットを取り出す。 「保証書」が頭に浮ぶ。2mほども飛び出してしまったテープをカセットの中に巻き取る。しわくちゃだが 揃えながら巻き取ってゆく。この貴重なテープがダメになってしまったら大変だ。うまく巻き取れたので それで終わりにしておけば良いのに更に最期の一押し力を加えてしまうのが私の悪い癖だ。テープの端が離れてしまった。 こうなるとカセットを開けるしかない。便利なものだ。パソコンで「VHS カセット 修理」などと入力 して検索すると分解写真が出てきて参考になった。ネジを5本はずし中を見る。テープの端は何とかはめ込んだ。 ロック機構のバネが外れた。適当にはめて組み立て再度デッキに挿入。巻き戻しをかけると何とまたまたテープが飛び出して しまった。カセットを再度開けて同じメーカーの他のカセットの中と並べて比べるとみると小さな部品が一つ紛失してい るようだ。中のリールを2個そっくりそのまま良品カセットのケースに移動して5本のネジを締めて完了。 再度試すと軽快な巻き戻し音で成功。ダビングも成功。久しぶりの大手術であった。おかげで20年前の 旅行、運動会、親戚、墓参り、お祭り、ハムスターなどの懐かしい時代が甦った。めでたしめでたし。 こういう映像を見ると親戚、家族のありがたみがよく分かり母の日の感謝もひとしおであった。

2008年5月1日
 線路の脇には伸びきった菜の花が続く。畑にはえんどう豆の花が咲き、そらまめの丈が追いついてきた。広葉樹 の新緑をバックにハナミズキの白い花が目立つ。そういえば北極圏の木々は針葉樹で葉っぱが細い。人類はアフリカで 発生し皮膚ガンにならないように色黒となったらしい。それが北欧に移動していったとき紫外線不足でくる病にならない ように皮膚の色が白く変化していったとのことである。絶妙なバランスだ。針葉樹も太陽の光が欲しいのに、あまり葉っぱを 広げると寒さでやられてしまうので細くなってバランスをとったと思われる。それでも光が必要で葉緑素を濃くしているのか。 どのような生物も生き残るために必至だ。
 浜松町駅の小便小僧は4月にランドセルと桜の枝の衣装にになってから1ヶ月間おしっこがピッタリと止まっていた。 5月になって新聞紙の兜をかぶり手には鯉のぼりを持つようになった。同時におしっこも復活した。看板で「水道点検中」 などと書いてあったが多分PTAか教育委員会より小学生の格好での立小便は教育上よくないとの申し入れがあったものと 思われる。遊園地で子供が怪我をすると全国の遊具を取り外してしまうと同じような昨今の風潮だ。

2008年4月22日
 電車の窓から見る芝桜が朝の光に冴えている。色の取り合わせなど植えた人の気持ちが出ていて嬉しい。 踏切りで電車の通り過ぎるのを待つ児童たち。交通事故にあったのか後ろ足が完全に車椅子で前足だけで 力強く歩くラブラドール。車椅子なのにご主人様の前を歩く。けなげだ。皆、世間の争いのニュースとは 無関係に、しがらみなく生きているようだ。
 昼間の世間は生産性、効率、利益を求めている。電車の外装にも広告、つり革の広告には慣れたが銀色の 横のパイプにまで広告があるのには驚いた。エスカレータの手すりにまで。警察官の帽子にまで広告があったら 様にならない。広告を見たくない権利はないものなのか。
 今日は会社の大きな新年度ミーティングがあった。司会は草野満代、ゲストスピーチは建築家の中村拓志。 中村氏はユニークな建築を手がけている若手の建築家だ。合理的な味気ない建物ではなく、人の心が求める建物 を心がけているという。書店はいまや欲しい本を買いに行くところではなく、何かを見つけたり過ごすところと 言う。昔であれば医学書、ガーデニング、料理、歴史など分野別に分かれていたが、今は例えば「イチゴ」のコーナー を作り、イチゴのガーデニング、栄養、料理、歴史などを並べて置くのが流行とのこと。コーヒーを飲みながら ブック・サーフィンか。
 中村氏への質問があり、「オフィスで快適に過ごすために簡単に出来ることを教えてください」であった。氏は そうですね〜、好きな色のものを机の上に置いたり、パソコンの壁紙にお気に入りの写真をのっけたり個性的に カスタマイズしたら良いのでは・・・ということであった。これには皆苦笑した。わが社はセキュリティ対策の ために壁紙に勝手な写真は禁止、帰るときには机の上のものは全て個人ロッカーにしまって帰ることになっている のである。

2008年4月19日
 雨が続いたので畑は明日にする。たんぼのいくつかが水が入っているようなのでカメラを持って出かける。 いつものコースを走る。1ヶ月ほど前から水路の水位があがり少し景色が違っている。野鳥を撮ろうとして 車から降りカメラを構えると逃げられてしまった。昨日は風が強かったらしい。若い桜の木が斜めに倒れていた。
 ショッピングセンターの一角で工事をしていたペットショップがオープンしていた。ワンちゃんコーナーに柴犬 がいなかったのでちょっとがっかり。ハムスターコーナーは充実。鳥コーナーではひよこが何種類か体を寄せ合って ぴよぴよしている。こげ茶のほうが丈夫そうだ。熱帯魚のコーナーでは家族のお父さんが熱帯魚を買って帰ろうと 提案しているようだが、中学生ぐらいの男の子がまずは水槽を買って帰り水をつくってからでないと魚が死んでしまう ので今日は魚はやめようと主張している。この頃の男の子は結構本を読んだりして知識はあるのだ。鳥のコーナー では若い女子店員が注射器のようなもので小鳥の雛に餌をあげている。すり餌を注射器で吸い込んでカゴの中に手を 入れるとまだ羽の生え揃っていなくて三分の一は肌色が露出しているような6羽ほどの雛が一斉に口を大きく開ける。 求められればあげたくなるのものだ。口の開け方が面白いので暫くみていた。そのうち成長のやや早いお兄さん風の 雛がカゴの上から外に出て陶器のすり餌の容器の縁にとまる。当然屈みこんで直接餌を食べると思っていたがどうも 違うようだ。餌は上から来るものと思っているらしくさかんに斜め上に首を傾げるのだ。構って貰えないのでまた カゴのなかに戻り皆と一緒に上を向いて大きくシンクロナイズして口を開いていた。
 熱帯魚のエサと苔そぎ落とし用のヘラを購入。

2008年4月12日
 新しくなった畑の掘り起こしていなかった部分に畝をつくる。雨が続いていたので土が重いが 水はけは以前より良いようだ。じゃがいもの芽が一部出てきた。  一週間前に満開だった桜がどうなっているか気になり今井の桜まで。花は5分残りで薄緑の 若葉が出てきている。花びらは水面に落ち静かに移動していた。なかなか美しい風情である。  二人連れの男性が何やら地面にカメラを向けている。妻が近づいて尋ねると近接撮影をするための 手作りレンズを試しているとのこと。覗かせてもらうと米粒ほどの姫踊子草の花が大写しになっていて 産毛まで見えていた。
  
妻が桜の花びらの散ったあとの赤い部分(桜しべ)が好きとつぶやくと「撮ってみましょう」ということになった。 被写界深度の関係か、メシベにピントを合わすとオシベがぼけてしまうらしい。
  
お尋ねするとEさんは望遠鏡やバードウォッチング用の双眼鏡の店をやっていて、趣味で星座の 写真を撮ったり野鳥の写真を撮ったりしておられるとのこと。写真も提供していただいた。


2008年4月6日
 土曜日は予想どおりの良い天気。友人も訪ねてきて花見に出かける。途中「居残り白鳥」が水辺に居たので 近づいてみる。逃げるかと思っていたが全然警戒していない。首を埋めて寝ていたりもぐって餌を採ったりして いる。土手は野焼きのあとに焼け残ったアシと新しい芽が並んでいる。妻はヨモギの新芽を摘んでいた。
 今井の桜は予想どおりの満開。定置点の橋の上から写真を撮る。妻が車から弁当を取り出そうとして路肩の 土に足をとられ捻挫。グキッと音がしたとのこと。何とか歩けるので少し離れたところにシートを広げ弁当を 食べる。橋の上から写真を撮る人が多い。シートの上で弁当を食べながら桜に感動している人々を見るのも また嬉しいものだ。
 昔ちょうど今の季節にブルガリアに居たがプラムの白い花が満開であった。人々は家ごとにプラムの実で強い酒を 作っていた。国中どこに行ってもこの酒を振舞われた。つまみは切ったキュウリにビネガーをかけたシンプルな ものが多かった。パーティーなどちょっとあらたまった会場ではロシア製のウォッカとトマトジュースの缶が 並んでいた。
 妻は採ったヨモギを茹でて冷凍にして次のヨモギ採りに張り切っていたが、捻挫のため暫くはお休みとなり そうだ。

2008年4月3日
 4月になってこの3日間おしっこが出ていない。と言っても浜松町駅のホームにある小便小僧の話だ。 毎日通勤時に見ることができる。ホームの端に居て毎月衣装替えをする。今月は新年度とあって小便小僧はランドセル を背負い黄色い帽子を被っている。東京なので半ズボンだ。クリスマスの時期はサンタクロース、防災月間は 消防士の衣装だ。初めて見た人の表情が面白い。1952年に建てられたらしいので結構歳はくっている。
 毎日元気良く放物線を描いていたのだが新年度になってからぴたっと止まっている。尿管結石なのか・・・。 放物線がないと全体のバランスがわるいものだ。

2008年3月29日
 東京の桜は満開だそうだ。昨日はオフィスの20Fのリフレッシュルームからコーヒーを飲みながら 「下界」を眺めた。桜並木や公園の桜がほっかりとピンク色だ。遠くに目をやると東京タワーやビル群が ちょっと黄砂が混じったような春霞に包まれている。ゴロゴロと空気が振動するので空に目をやると積乱雲の 底にいるようだ。雲の切れ目から青空の中に数千メートルまで立ち昇っている雲塊が見える。すべて世は事もなし。
 本日は近辺の桜を見に出かける。今井の桜から小林牧場経由で吉高の大桜へ。あと1週間で満開になりそうな木 が多いが2週間かかりそうな木も多い。時間差で咲いてくれるほうがありがたい。86歳の母はデジカメに初めて 挑戦し何枚か撮る。吉高の大桜は山桜で樹齢300年とご老体のせいかまだ蕾であった。仮設のテントの竹の子茶屋 は営業していた。よもぎ餅の入った善哉をいただき竹の子ご飯をテイクアウトする。作業小屋でおばあさんが 野菜や農産物を販売している。老犬がスフィンクスのように寄り添っている。妻はここに来ると毎回俳句を 作っている。
 帰りにヨーグルト用の食器を購入した。最近ヨーグルトを手作りしてせっせと食べている。 ヨーグルトといえば私が30年前にブルガリアに出張したときにもヨーグルト三昧だった。研究所の社員食堂 ではデザートにご飯をヨーグルトでお粥にして甘くして上からシナモンパウダーがかかったものが出た。 プレーンヨーグルトが出てきて食べて酸っぱそうな顔をすると食堂のおばさん達が笑っていた。研究員はランチ用に 家からボトル1本のヨーグルトを持ってきていた。夜に場末の食堂に行ってみると皆がヨーグルトを薄めたスープの 中に菜っ葉の入っているものを食べていた。英語の通じない食堂なので指差して同じものを注文した。客の学生とは 英語でコミュニケーションがとれたので、酒を飲みながら時を過ごしたのであった。

2008年3月25日
 朝カーテンを開けると濃い霧だ。こういう日は日中はからりと晴れて暑くなるのだ。 遠くが見えないので異次元の空間に閉じ込められたような不思議な気分だ。海外のホテルに宿泊 すると全体を明るくする照明が見当たらず、全てのスタンドのスイッチをひねり明るくする。 壁のシミを目立たなくしているのでは無いとは思うがビジネスの宿泊にムードは必要ないのである。
 通勤電車に乗り込むと沿線の春景色を見るのが楽しみだ。畑の耕し具合、野生の蕗の成長具合、 野生のサボテンは半分は枯れているが残りのサボテンからは新しい芽が成長している。菜っ葉は 日増しに緑が濃くなる。農家の中庭では白い餅か大根のようなものを広げて干してある。「中庭」と いうものに憧れがある。今日は霧の中でハクモクレンが幻想的であった。ハクモクレンの木が次々と現れては 消える。霧で近くしか見えないため余計に目立つようだ。
 脈絡も無く日本人で初めて宇宙に行った秋山さんを思い出した。当時は騒がれたがいつのまにか ジャーナリズムから抹殺され、日本人初の「宇宙飛行士」の毛利さんにとって代わられた。学校の年表には どちらの名前が出ているのだろうか。

2008年3月23日
 先週末は沈丁花の少し甘い香りが漂っていた。本日は晴れ。春さがしなどと言わなくても世間は春の真っ只中だ。 道路には農作業用のトラクターの車輪からこぼれ落ちた土の固まりが目立つ。一瞬動物が轢かれているのかと 視線をそらすが大概土の固まりだ。カナダではスカンクが轢かれていることが多く車を洗っても臭い匂いはなかなか とれないとのことである。一度その臭気を吹きかけられた犬は、その後はスカンクの特徴のある縞模様を見た だけで逃げ出すようになるというから相当強烈な匂いなのだろう。一度は嗅いでみたいものである。
 親戚の家を訪問するので道端の「苺の直売」に立ち寄る。車を降りると早くも苺の香りが漂ってくる。 手ごろな価格で新鮮な苺を販売していた。店の人の説明によると種のところの凹凸が深くしっかりしているのが 美味しい苺とのこと。ビニールハウスを覗くと若くて小さい白い粒から赤くて大きな粒までバランス良く育って いた。この「時間差収穫」が大事そうだ。若いカップルが大型バイクで停まったがビニールハウスでの苺刈りは 4月からと聞いて立ち去っていった。
 今井の桜は蕾がピンクになってきた。自転車競技のいでたちをした若者が一人桜の木を見ながらしばらく感傷 にふけっているようだ。近くで野草採りの実益に励む中年夫婦がいる。先週「一時停止違反」でつかまった 合流点では5秒の停止をする。
 小林牧場を通過する。奥のほうの桜は既に7分咲きといったところだった。さらに奥に進むと厩舎が馬の敷き藁を 虫干ししていた。道端の菜の花の黄色がきれいだ。
 親戚の家でフラット・コーテッド・リトリバーのタナちゃんと初面会。生後3ヶ月ほどなのに大きくなって いた。ネックレスや紐状のものがあると引っ張って遊ぶので大きなリング状のイヤリングなどは耳たぶが危険だ。 親戚、家族は同じ匂いがするのかすぐになついてくれた。
 お決まりのコースの吉高の大桜に立ち寄る。桜はまだだが竹の子料理のための青テントは半分完成していた。 レストランでピッツァとスパゲッティ2種を食べるのがお決まりだ。ここのコーヒーが美味いので先日ローストされた オリジナルブレンドの豆を買った。
 妻は昼間買った苺でジャムを作っている。最近続けている自家製ヨーグルトと一緒に食べるのだそうだ。 甘い匂いが部屋に漂っている。

2008年3月15日
 天気予報どおりの春の陽気。鉢植えの植物に満遍なく光を当て春をさがしに。前日の雨で畑の土は 適度に湿り気をおびている。釣り人はいつもより多いようだ。水鳥も釣り人もお互いに関心のないような 時間が流れている。ヨモギ摘みの人達が土手にへばりついていた。桜は蕾がぷっくりとふくれてきている。 桜の側のビニールハウスが春の陽気で御開帳となっていた。ネギであった。いつも見ている路地モノの 無骨さはなく都会的なネギが並んでいた。
 気分よく走り信号で停まっているとバックミラーに赤色灯を回しているパトカーが見える。お巡りさんが 降りてきて、その先の公園の中に入って停まってくださいという。パトカーに乗るようにとのこと。「連行」 されるのかと2秒ほど躊躇していると、どこにも行きませんからと言う。「一時停止」で停まりませんでしたね とのことである。確かに左も右も見通しが良くて車も来ていなかったのでスピードを上げたのが看過できなかったのか。 前に停まっている自分の車のバックミラー越しに妻と目が合うと妻は笑っていた。結局7,000円を銀行振込みする ことになった。「優良ドライバー」ということで今後一ヶ月以内に事故を起こさなければ点数は引かれないとのことである。 数日前に会社で、知り合いが軽微な違反をしたが警視庁のマスコット人形の「ピーポくん」を車に乗せていたら 免除してくれたとの話を聞いたばかりだ。しかも大きい人形ほど効果があるらしい。
 ランチを食べたあと駐車場の出口に向かうと前の車がゲートが開かないらしくドライバーが降りて何やら 側の電話で話している。そのうちゲートが開いて走っていった。自分の番で機械に駐車券を差し込もうとするが 吸い込んでくれない。前の車で「学習」しているのですぐに電話をかけ遠隔操作で開けてもらった。電話には 警備会社の名前があった。後ろを眺めていると同じ事を繰り返している。どういう仕組みになっているのか、 リモートで「開けっ放し」という設定はないのだろうか。
 いつもの画材屋さんで妻と母の絵の額選び。額と中のマットの色の選択で絵が3倍ほど良く見えるようになった。

2008年3月8日
 小さい頃は真空管ラジオの全盛期で電源スィッチを入れてもブーンという音がしたあと暫くしてから 音声が聞えてきた。木製のケースがプラスチックになりやや小型にはなってきたが、トランジスタラジオの 出現は驚きだった。大きな真空管が小さなトランジスタという素子に置き換わったので持ち歩ける大きさになり しかも電池式のため電源コードが必要無いのだ。広告には「4石ラジオ」とか「6石ラジオ」とか宣伝していた。 これは中で使用しているトランジスタの数を表していて数が多いほど高級なのだ。
 トランジスタとは小さな半導体の素子のことであるが、小さななトランジスタラジオにびっくりした人々は トランジスタ=小さいこと、と思ったらしく小柄でキュートな女の人をトランジスタ・ガールと言っていた。
 勘違いといえばちょっと前に火星の6万年ぶりの大接近という話題が巷をにぎわした。皆夜空を見上げて 子供に「よく見ておきなさい、次は6万年後まで見れないのよ」などと話していた。新聞も6万年に一度の天体ショー などとハレー彗星のような扱いだった。実は火星は地球の隣の星なのでいつでも見えているのだ。近づきの程度が 大きくなるので見えやすくなることは確かであるが・・・。

2008年3月4日
 地球46億年の歴史を1年のカレンダーに置き換えるのを資料で見た。1月1日を地球の誕生とすると 2月25日は最初の原始生命が現れたらしい。長い間バクテリアのようなアメーバのような生命が支配す る世界が続き11月23日にやっと魚類が出現。12月13日に恐竜、12月19日に鳥類が出現、12 月27日に哺乳類が繁栄、現在の人類は12月31日の午後11時37分、紅白歌合戦が終わる頃にやっ と現れたらしい。午後11時58分52秒に農耕牧畜が始り、11時59分56秒にルネッサンスだ。こ のような進化の最前線にいる我々は貴重な存在とあらためて考える。
 人が豊かになり余裕が出てくると人口爆発だ。食料の争奪、飲み水の争奪が起きる。地球は水の星で海 水はあふれるほどあるが利用できる真水は全体の水の0.03%程らしい。日本は島国で降った雨は全部 自国で利用できるが海外の大河は幾つかの国を横切っている。上流の国がダムを作って水の奪い合いも考 えられる。
 温暖化で熱帯魚が日本近海まで来ているという。例えば、北海の荒波の中で海の男が網を揚げると黄色 やピンクのカラフルな熱帯魚がかかっていては演歌にはならないのである。

2008年3月1日
 当ホームページでリンクしている「ありさん」はカワセミの撮影に成功したとのこと。私の近所でも 時おり見かけるが棒の先に孤高の佇まいで留まっていたりする。遠くに居るのでなかなかきれいに撮れ ないのだ。飛ぶのは素早い。その点素早くないのはハトである。おっとりして平和の使者風である。
 先日、免許の更新で免許センターまで出かけた。天気が良く暖かかったのでベンチでサンドウィッチ を食べているとハトが近づいてきた。顔の側面をこちらに向けてまんまるい目で見ている。顔の構造上 目が離れているので注視するときは顔の側面を向けるようだ。パンの切れ端を放ると私の背後から 飛び込んできたスズメに横取りされてしまった。今度はおとり作戦ということでパンの2切れを2メートル ほど離して同時に放った。しかしながらまたまた背後から現れたスズメとムクドリに取られてしまった。 のろまなハトである。見回すとハトは若者のベンチには寄り付かずオジさんのベンチの回りでうろうろ している。長年の経験で餌をくれるオジさん族の顔の特徴を認識しているようだ。
 車の免許で思い出したが、建築用のブルトーザなど重機を世界に販売している会社は日本のオフィスに 居ながらにして個々の機械が何処に居るのかメートル単位でわかるらしい。さらにはその機械の中の情報 例えばエンジンの温度とかオイルの量とかがわかるので日本に居ながらにして整備の必要なブルトーザ がわかるらしい。
 先日その会社の関連会社を訪問して話を聞いたのであるが日本から個々の機械のエンジンを停めることも 出来るのだそうだ。そんな必要があるのか質問すると、発展途上国では業者が銀行からお金を借りてブルトーザを 買っても借金を返済しないケースもあるとのこと。そのような時には銀行からエンジンを停めてくれとの依頼 がくるとのこと。エンジンがかからなければただの鉄の塊になってしまう。インターネット、無線、GPSを活用 しているとのこと。すごい世の中になったものだ。

2008.2.17  ちょっと風が冷たいが天気良し。茨城の江戸崎にガンの仲間の「ヒシクイ」が越冬していると のことなので出かけてみる。ヒシクイの越冬地は日本では数ヶ所しかなく関東では江戸崎の稲波 干拓地だけらしい。天然記念物に指定されているらしい。  利根川沿いに下り、まもなく橋を渡って茨城県へ。江戸崎の稲波干拓地は田んぼが広がってい た。「ヒシクイを驚かせないで下さい」の看板が立っていて田んぼの中の農道には入って行けな いようになっている。見渡してみるが野鳥の姿が見えないのでもう北国に帰ったかと思ったが、 ずっと先に車が停まっているので近寄ってみた。男達は三脚にバードウォッチング用の望遠鏡を つけていた。良かった、何か野鳥を見れそうだ。ヒシクイはいますかと尋ねると、『もう少し先 に行くといるよ』とのこと。その人たちは「猛禽類」の写真を撮るために朝6時から来ていると のこと。私のカメラを見て、そのカメラでは無理じゃないかなと言う。少し進むといた! 田ん ぼの中に群れている。土手の上から撮るといいよとすすめられたので土手に上る。水路側にもヒ シクイが群れていたらしい。一斉に飛び立った。惜しいことをした。  ヒシクイは人から一定の距離を保って遠くにいるのでカメラのズームを最大にした。11月に やってきて3月に北へ帰るらしい。帰りに名物の「江戸崎饅頭」を買う。
2008.2.11  春らしい天気だ。ベランダの植木に水をやる。室内の植木も日光浴だ。午後から部屋の小窓を 開けて家族でドライブ。「今井の桜」に行く途中の道の脇には畑が並び、その奥のちょっと小高 いところに農家があり、家の裏には更に小高い里山が広がる。竹林も見えるので春には筍も採れ るのだろう。理想的な配置だ。  「今井の桜」はまだ蕾は開いていないが前回来た時よりは水が温まっている様子だ。雑草の緑 も濃くなって、オオイヌノフグリやタンポポが顔を出していた。これから桜の写真の定点観測を したいと思い位置決めの印をしっかりと覚えた。  小林牧場を通過して「吉高の大桜」へ。この辺は世間の喧騒から隔絶された畑が広がり大好き な場所だ。大桜の根元には水仙の花が開いていた。梅も咲いていた。落葉した栗の乾燥した葉が サクサクと音を立てる。茶色のイガの中にはまだ食べられる栗の実が残っていた。  春には筍の料理を食べさせる青テントの場所はまだ静かだった。栄養たっぷりの土から伸びた 菜の花も撮った。    帰りはレストランでお決まりのメニュー。トマトとバジルとチーズのピザ、海鮮・トマト味の パスタと塩味系のパスタだ。ここのコーヒーは美味い。買い物をして帰宅。  光の春だ!!
2008.2.5  今朝はカーテンを開けると濃い霧だった。電車に乗ってくる人の前髪に霧のしずくが凝縮して いた。  昨日の朝は社用で久しぶりに6時前に家を出た。外はまだ夜だが東の地平線あたりがやっと明 るくなって来ていた。見ると東の空の低い位置のまだ夜の空に三日月の3分の1ほどの薄さの月 が、そして明るい2つの星が輝いていた。前の日の雪で空中のごみはきれいに洗い流され風もな く夜の間に空気の擾乱は完全に落ち着いている。完璧な月景色であった。
2008.2.3  朝カーテンを開けると雪景色だ。雪の写真を撮りに出かけようと思っていたら、電車が止ま っていて妻の句会に送ってゆくことになりタイミングが合う。車は急ブレーキさえかけなけれ ば安全だ。歩道を歩く人たちは靴が埋まるぐらいの雪で歩きにくそうだ。支えあったり手を貸 したり、また車のドライバー達も交差点で合図を送って譲り合ったり、この雪の中で人々が 急に優しさを取り戻したような光景であった。大きな自然の中で小さな自分を感じることが 人の幸せの原点のようだ。人は海に行き、山に行き、大きなものを崇拝し、偉い人の本を読む。 外に行けない人は宇宙を感じ、悠久の時間を感じ、自分を極小化する。  ぬれ雪のためカメラを気にしながら雪景色を撮る。妻には長靴に履き替えるように言われて いたのをすっかり忘れてスニーカーは濡れてしまった。車の後ろのドアを開けてタオルなどを 取り出したりしていたのだが20センチ脇にある長靴は全く意識にのぼらなかったのだ。 こうなることを予想して妻は何度も長靴のことを言ったとのこと。性格を読まれきっているようだ。
2008.2.2  数日前の朝、電車を待っていると寒さで耳の端が痛くなった。久しぶりのことである。 アフリカ象は暑さをしのぐために大きな耳をバオバオさせて放熱するらしいが、日本の冬では 熱が逃げすぎて「しもやけ」になりそうだ。 ところで、動物も人も目を閉じることはできるが耳を閉じることはできないそうだが、これは 眠っているときの自己防衛のためであろう。  気象庁の発表する「低温注意報」の基準は全国一律ではなく北のほうでは例えば−8℃以下 であるが南のほうでは−2℃以下といった具合である。ここでいつも気温がマイナスのときの 以上/以下、上回る/下回るの表現が分からないのだ。−10℃は−5℃を上回る寒さと言いた いが下回る寒さと言うのが正解なのか・・・。 今日は三味線と民謡の世界、宴[en]に行ってきた。鍛錬された迫力のありかつ繊細な 声だ。横笛も中世の世界に引き込まれるような音色で良かった。
2008.1.27  このところの寒さのせいか畑の作物は寒さにやられて元気がない。車のエンジンオイルは濃いと 寒くても凍らないが、畑の野菜も葉っぱの細胞が閉じ込めている液体の濃そうな種類は元気だ。 反対に太陽の光が透けて見えるような薄黄緑系は液体も薄そうで冷凍庫から出したようにしおれて いる。 車で進むと遠くに野焼きの煙が見える。たなびく煙は平和の象徴だ。カラシ菜のポイントに行って 見るが今年は株が少ない。土手にオオバンの集団が。オオバンが陸上で群れているのは珍しいので カメラを構えたが、さっと逃げられてしまった。水に入ったオオバン達は首を斜め後ろに向けてこ こまでは来れまいというような態度である。枯れた葦を焼いていて白鳥達はそれを遠巻きに見てい た。消防自動車が1台待機していておじいさん達は古い橋の上を社交場として野焼きを眺めていた。
2008.1.25  数日前は雪が降った。湿った雪で、結晶がくっ付きあって2センチほどの大きさになっていた。 小さい頃「電線着雪注意報」が出て電信柱の電線がまるまる太り、切れて停電になったりしたも のだ。雪の結晶の拡大写真を見ても腕をいっぱいに広げている。結びつきたい性格のようだ。  日本では名前をつける時、決められた範囲の漢字の中から選ぶが、読み方は全く自由に決める ことができる。一方中国では全ての漢字の中から選べるが読み方は本来の読み方のみという。 文化の違いが面白い。
2008.1.20  先週は気温が零度に近い朝が続いた。ホームで電車を待っていると頭上の電線に雀が居る。見ると 2羽のカップルが適当な間隔でとまっている。寒雀は集団で居ると思っていたがさすがに寝るときは 大勢ではわずらわしいのであろう。かといって1人では寂しいので2羽でいるということか。一方が クククッと横に移動してちょっかいを出している。寒いのでおしくらまんじゅうで温まっているとい うことでもないようだ。物理的に側に居ても「絆」は出来ないのでちょっかいを出し合って絆を感じ ているようだ。  電車は3分ほど走ると大きく左側にカーブし始める。ここが朝日を見るポイントになる。家並みが 途切れ、畑の向こうに陽が昇っている。薄霞の中を空を橙に染めながら、また空っ風の澄んだ空気の 中をギラギラと、毎日表情が違っていて飽きない。  小さな駅に停車する。2人の駅員が毎日交代でホームに居る。1人はとても誠実そうな人だ。発車 のベルが鳴っても階段を駆け下りてくる人を覗き込み待っている。電車が動き始めると帽子を取って 電車を見送る。そして集金箱を持ち上げて事務室に消えるのだ。  年が明けると電車の吊り広告も春モードに変わってくる。早くも花摘みや旅行のお誘いだ。躍動感 をかもしだすために電車は極端な遠近法で描かれ先頭車両が一段と大きい。飛行機は機首を上げる。 カラフルな花、温泉の湯気、お膳の鍋の写真が並ぶ。毎年同じようなパターンであるがこの真冬の季節 には必要だ。不景気なのか時おり広告の無い白い壁だけの時もあるが気分は温まらないのだ。
2008.1.1  おだやかに2008年が明けた。富士山がきれいなので車で出かける。初撮りはやはり富士山だ。 暫く走ると霜柱を発見。驚くほど長く4センチほどに成長している。頂上には小さな砂粒をのっけて いる。氷柱も上に何も無ければ伸びる張り合いがないのであろうか。白鳥たちが優雅に一方向に滑る ように泳いでいる。オオバンは思っていたより数が少ない。体が小さいので動きははやい。ユリカモ メは寒いのかまだ眠いのか首を羽に突っ込んでいる。川鵜は羽を大きく広げ太陽の熱を受けとめてい る。黒いので効率は良さそうだ。釣り人たちがちらほら見える。  帰って雑煮を食べる。地元の神社に初詣に出かける。穏やかな天気のせいか例年より人出が多い。 舞台では舞いが舞われていた。帰りに今朝方の霜柱を見に行ったら日陰の場所はまだ健在であった。  夕食にはスモークサーモンや蟹が並ぶ。毛ガニは蟹の仲間でも特に自己防御機構が強いようで至る 所に突起があるため痛くて苦労する。自然界の法則で種族保存のため美味しいほど自己防衛が必要な のかも知れない。美味しいものは苦労して手に入れろとの教訓のようだ。苦労して蟹の身が抜けたと きは味も倍増するというものだ。
2007.12.23  昨日は地元のレストランで行われた親子スィングジャズコンサートに出かけた。お母さんがコンガ、 お父さんはキーボード、高一の息子はビアノとトランペット。応援でバイオリンの友達も出演していた。 やはり「生」は良い。弦の振動、金属の振動、皮革の振動、喉の声帯の振動が直接鼓膜をふるわす。 いくら性能の良い音響スピーカーでも合成波形がコーン紙を震わすだけだ。妻のお仲間達ともお近づき になれた。車なので酒が飲めないのが残念。また近場でこのファミリーのコンサートがあったら出かけ たい。  冬至とのこと。柚子湯に入り、かぼちゃを食べる。太陽の沈む位置を確認するとだいぶ左に寄って来 ている。  『熱帯魚の水槽の掃除、飼い方』の本には1−2週間に一回は水を替えるようにとあるが我が家では 3ヶ月に一回のペースだ。それでもバランスがとれているのか元気に泳いでいる。モーターのケースの 隙間から息を吹きかけたら結構綿ぼこリが出るので分解してみた。綿ぼこリが穴に詰まって空気の流れ が悪くなっていたので取り除く。水草の苔が付いている葉は取り除く。ガラス面には巻貝のベイビーが しがみ付いている。これをこそぎ落とす。濾過器の砂を洗い、マットを替える。水を三分の二程入れ替 える。掃除後の深呼吸したようなきれいな水の中では魚たちの泳ぎっぷりも良いようだ。  
2007.12.16  冬の朝。人々は肩をすぼめて歩いているが元気なのは鳥と犬だ。鳥は「鳥目」だから朝の光がなおさら うれしいのだろうか。犬は夏も冬も同じ毛皮だ。体温調節の範囲の広さは驚くばかりだ。犬は微妙な臭い への感度も人間よりはるかに高いそうだが普通のうんこの臭いも嗅いでいるので、その臭いの許容範囲の 広さにも驚く。野良猫も人の世の仕組みとかしきたりには関係なく走り回っている。人は野生の動物や鳥や 植物を時々見に行きたくなるのだ。街の中の動物たちも人と人との良い緩衝体になっているようだ。 軍隊の司令官はリズムに合わせて行進させるがつり橋に差し掛かると各自の勝手で歩かせるそうだ。
2007.12.2  天気が良く無風。こういう日は土手の脇に止めてある車の数が多い。土手を越えてみると男どもが日差し の中でのんびり釣り糸を垂らしている。釣りをしている女の人は滅多に居ない。若いカップルで女がお付き 合いで川辺に「佇んでいる」光景は時々見る。土手には早くも「からし菜」が出ていた。コルク栓、りんごの 100%ジュースを購入。機織(はたおり)機のコーナーでテキストを立ち読みする。縦糸の仕組みがまだ良く 理解できない。近々初心者用の手織り機を購入する予定にしている。ぶどうのワインを瓶に詰めてコルクで栓 をする。新たにアップルジュースに酵母を仕込む。
2007.11.25  いつのまにか師走が近い。朝起きて寒暖計を見ると5℃近辺になってきた。カーテンを開くと真っ白な霧 がかかっていることが多い。この霧は短時間の間にドラマチックに変化するのである。20分も経つと上の 方から晴れてきて雲ひとつ無い青い空が広がり、遠くの白壁の建物が現れてくる。白壁には今日一番の朝日 が当たりオレンジ色に輝いて霧の上に浮かんでくる。  完全に青空が広がった頃に家を出る。乾燥した空気で唇が乾く。バッグの中のリップクリームが終わりに 近づいていて、回転させても中のクリームが飛び出してこない。細い小指の爪で何とかこそぎ取って塗る。 このように「少しずつ減っていくもの」が直に捨てられない性格だ。歯磨きチューブもチューブをしごくのは もちろん、出口の穴の後ろの空間に結構溜まっているのでこれを使い切るのが一苦労である。後ろから押すと 1センチほど飛び出すのであるが歯ブラシに付けようと力が緩んでしまうとまた引っ込んでしまう。通勤の友 の携帯ラジオも電池が少なくなり途中でオフになり電池マークが点灯しても、しばらくおいておくとまだまだ 復活するのである。一時間も休ませておいて電源を入れると1時間ぐらいは使える。これを繰り返すとだんだ ん時間が短くなり、電源を入れて3秒後に切れるぐらいになるとさすがに「絞り切った」ので電池交換となる。 よく狩猟の民が、殺した獲物は血の一滴まで全部無駄にすることなく食べることが獲物に対する礼儀と言って いるが、それと同じだと言いたい。しかしながら単にケチなだけかも知れない。  昨日は友人がワインを持って訪ねてきてくれた。日本酒も開けて楽しい時間をすごした。今日は親戚と イタリアンレストランでランチした。
2007.11.15  今日はボジョレーヌーボーの解禁日ということで、我が家も自家製のワインを飲んでみた。今回は知り合いに もらった「エアー・ロック」のおかげで味は良い。付け合せは里芋とイカの沖漬けを煮たもの。カニ味噌の風味 であるがワインなのでフォアグラの風味と言っておこう。普通の調味料をいくら組み合わせても出ない深い味わ いである。料理というものは材料の豊富さ、切りかた、熱の加え方、調味料の配合など無限の組み合わせがあり 何千年も食べ続けてもまだまだ本屋さんに行けば毎月のように新しい料理の本が並んでいるという不思議な世界 でもある。  寒くなってくると外の草花も枯れて、温かい家の中が恋しくなり気持ちも温かい料理に向かうのが自然の摂理の ようだ。現代では冬でも都市は活動を続けるが、農業中心の中世では作物を刈り取って次の春に作物が芽生えてく るまでの冬の間は暦が無かったらしい。半ば活動を停止し冬眠しているような間は日にちを数える必要も無いので あろう。  家の中に居れば会話も増える。最近思うのは人と人との繋がりの強さは「やりとり」の量ではないかということだ。 やりとりするものは言葉・会話であったり手紙であったり物であったりするが、こういうやりとりが全く無くなって しまうと人と人との結びつきの強さは日々に疎しということになってしまう。  女の人たちがたまに会うと、服やバッグやアクセサリを交換しあっているのを良く見かける。自分の愛用して いたものや手作りのものを交換するのであるから一種の繋がりを確認し強めあうセレモニーなのか。物理の世界でも 物質と物質が引き合う力は小さな粒子を交換しあうことによって生じるらしい。現代の人間関係においては言葉にし ても物にしても「交換」が減ってきているようだ。もっともケータイでの「メールの交換」は増えているようだが。
2007.11.1  続・九州の旅 26日 あつ子@カナダさんとショッピングセンターで待ち合わせて西都原へ。小さな子供達が遠足のようで大勢いたが 空の開けた西都原の中では小さな景色の一部となっている。コスモスの花がいっぱい咲いている。ピンク、赤、 白のバランスが良い。コスモスの向こうには九州山地の山々が連なっている。弁当を広げる場所を探していると 催し物用のテントがいくつか設置されていてその下には折りたたみ式のテーブルとパイプ椅子が積み重ねられて いる。係りの人が気になったが早速組み立てて弁当を広げた。 コスモスを背景に写真を撮っていると脇からカメラを構えているオジサンがいる。ご飯を食べていると先ほど撮 った写真をくれた。小型のプリンターを肩から下げている。今度は30mほど離れたオバサン3人組の写真を撮っ てやはり印刷しているようだ。 資料館へ。平日とあって貸し切り状態。ビデオで旧東米良村のコバ焼き(焼畑)の様子を見る。予め木の枝を切 り落とし乾燥させ火をつける。想像していたより大変な作業だ。銀鏡神楽のビデオも見る。数日前に訪問した「森 の空想ミュージアム」に再び訪問。その後山道を西米良村に向かう。しばらく行くと全面通行止めにあう。丁度規 制に入ったばかりで1時間の待ち時間だ。ちょっと戻り休み処で時間をつぶす。昔の農具や生活用品が壁に展示し てある。店の女主人は今でも古い農具を収集していて展示物が増えているのだそうだ。今夜の民宿に到着。近くの 温泉(「ゆた〜と」ゆったりの意)に行く。国が配った1億円を使い”村おこし”で温泉を掘り当てたのだそうだ。 余ったお金は今でも修学旅行の時などの補助金として活用しているとのこと。こんな山奥でも部屋にはLANケー ブルが設置されていてインターネットができる。田舎ほど世界に繋がるインターネットは必要だ。山の幸の料理と 酒でよい気分に。 民宿にはちょうど10名ほどの高校生たちがスポーツ合宿で泊まっていた。廊下で会うとウッス、ウッスと挨拶、 大声を出すでもなく好感度であった。  27日 昨晩は寝ていると鹿の鳴き声が聞えた。にぎり弁当を作ってもらって出発。菊池記念館へ。菊池の殿様は昔この地 を治めていたのである。その住まいの中には昔の写真や手紙が展示されていて妻のご両親は懐かしい顔があると言 って大騒ぎであった。「中武ファーム」の奥様がお土産に新米を持ってきてくださった。記念撮影。  銀鏡に向かう。柿ちぎり。川原で渓流の音を聞きながら弁当。昔使っていたという石臼の溝の模様を見せてもら った。下の石と上の石の間で細かくなった穀物の粉は直に外に出てしまわないように独特の模様に導かれて行った り来たりする仕組みだ。使っているうちに浅くなった溝は、昔は業者が回ってきてノミのようなもので目立てをし たとのことである。  町に出て喫茶「ダイアナ」でお茶をする。店構えからして昔は蕎麦屋だったとすぐに分かる建物である。妻の母 はドアの前に立ち振り返り「開いとらんばい。休みのごとあるが・・・」と残念そうな顔をしている。自動ドアで はなかったのだった。テーブルの上には蕎麦屋独特の割箸入れが残っている。あつ子@カナダさんの親戚達がたま たま野草展をやっていて会うことができた。その後、絵本の里へ。家に戻り鹿肉の刺身で一杯。  28日 帰る日。車を門から出すときハンドルを早く切り過ぎて左側に擦り傷が。結局博多で返却のときに2万円とられた。 新幹線で一路帰宅。走行1400キロ。
2007.10.25  休暇をとって宮崎まで来ている。便利な世の中になったものでホテルからインターネットに接続して 「日記」をアップしている。  20日 九州旅行の初日。午前8時50分発の「のぞみ」で一路九州に向かう。妻は昼食用に駅弁を買い込んで乗りこんだが 早くも30分後にはふたを開いていた。おかずの「つぶ貝」の中身が途中でちょん切れ状態になり残念がる。本州の 山々がだんだん低くなり、ついに丘のようになった頃九州に入る。妻の友人と再会。博多の町を案内してもらい、夕 食は木の香りのする日本料理店でご馳走になる。報道関係で海外経験も長く話題も豊富で楽しいひと時が過ごせた。  21日 レンタカーを借り一路南下。今回は途中からの合流で大人数になるので7人乗りミニバンにした。人吉より九州山地 に入る。普段インターネットでお付き合いのある中武ファームの方々や後半に宿泊予定の「民宿いっせい」の人と会 う。大自然のふところで生活している親切で素朴な人々に出会った。  22日 今回初めて使うカーナビを百済の里、高千穂に設定して出発。。山道には鹿の食害を防ぐためのネットが目立つ。峠 から展望する景色は山間に切り開かれた里だ。刈り入れが終わった黄色味があたたかい。帰りの山越えで気がつくと 現在地を表すマークがルートから外れていた。元のルートに戻ろうと引き返すが方向感覚が分からなくなり「迷い込 んでしまった」というという言葉が頭に浮かぶ。  鹿が車の前を横切り、ヘッドライトを消してみると漆黒の闇。それでも来たルートだと信じ込んでいた私は先に進む。 野うさぎが慌てて道路を横切る。がけ崩れで「道路全面交通止め」の看板が表れるが来たルートと信じきっているので 昼間のうちに工事をしたのだろうか、でも看板がちょっと脇にあるので片付け忘れに違いないなどと思いながら更に先 に進む。いよいよ道はラフになりブルトーザが道の脇に幾つか現れ、鹿が崖から蹴落としたと思われる石が道路にころ がっていてもカーナビのルートを信じ込んでいるので先に先に進む。決定的な光景が目の前に現れる。大型ブルトーザ が横になり完全に道路をふさいでいたのだ。ガーンとした。次に考えたのはこの狭い山道で方向転換できるのだろうか だ。バックのまま1時間も戻るのは不可能に近い。何回も切り返しやっと方向転換。対向車に小一時間全く会わなかった のも後で考えると不自然であったが九州の山の中なのであり得るかもと思っていたのである。ここで同乗者の意見で人家 のあった大通りまで1時間かかっても戻ろうということになった。行きに立ち寄った「百済の里」をカーナビの目的地に 設定しようとするが「焼肉屋」など見当違いの名前しか現れない。「圏外」とあきらめていた携帯電話だが入れてみると かろうじて通話できそうだ。携帯のバッテリーは切れる寸前で赤くなっている。急いで104にかけて電話番号を入手、 設定して何とか脱出。夜中に家に到着した。この間遭遇したのは鹿4匹、野うさぎ1匹、てん1匹、野ねずみ1匹であ った。  23日 朝捕りの鹿の肉をもらった。昨日、鹿を見たばかりだ。半分は冷凍に、半分は刺身状にして酢で洗い食した。万が一悪 い虫が居ても殺菌のためだそうだ。山里の昔の暮らしの話を聞くのは興味がある。昔はお茶の実から油を絞っていたそ うだ。栽培しているお茶は肥料もたっぷりで実は出来ないが山肌に生息している野生のお茶は子孫保存の法則のためか 花が咲きピンポン玉くらいの褐色の実が出来るのだそうだ。その実を集めて絞って出てきた香ばしい油を一升瓶につめ て何本も棚に並べるのだそうだ。塩は「かます」で買い付けて、立てておくと塩が空気中の湿気を吸い、したたり落ち た水は天然の「にがり」となる。これで自家製の豆腐を作り、しっかりと水分を抜いて固めの豆腐がでできあがる。 「あずきの香煎」の話になった。煎ったあずきを石臼で挽いて粉にし熱湯で練って食べると旨いとのこと。試してみよ うとのことになった。  古いお面を収集したり、木の皮から繊維を取り出し織物を手づくりしている「森の空想ミュージアム」を訪問。    24日 遅れて到着の母と娘を宮崎空港でピックアップ。夜は親戚一同で懐石料理屋で会食。家に戻り、皆でわいわいやりながら 「あずきの香煎」を作ってみた。石臼が無いのでコーヒーミルで粗挽き、すり鉢ですったがなかなか細かくならない。で も何とか粉になったので砂糖を少し入れ熱湯で練ってたべてみた。素朴な旨さであった。  25日 雨模様。親戚の家に立ち寄りお茶をする。今夜の宿、シーガイアのシェラトンホテルに到着。高層階を希望すると追加料 金で最上階の部屋が空いているとのこと。3部屋とる。景色抜群。夕食は静かな日本料理で連日の懐石料理となった。
2007.10.15  電車の中で若いカップルの女が男を見上げながら心の中を覗き込むようにしている光景をよく見る。 白目が一段と大きくなり魅力的だ。女が平均的に背が小さいのは自然選択的な結果なのか。仏像は大概 高い位置に居て人々を見下ろしている。目は大概細く自分の邪心をなるべく隠そうとしているようだ。 見下ろして拝む位置にある仏像は無いので、人々にとってありがたいものは上からくるものらしい。 ありがたい雨や果物は上からやってくるし、赤ん坊が乳を飲むときも大概仰向けに飲む。ありがたいものは 上から来るとインプリントされてしまうのかも知れない。ツバメも親がくわえて来た虫は重力の関係で下に ぶら下がるのであるから子ツバメも上を向いてエサを待つしかない。新聞記者とあり世界各地の経験談 など話題豊富でいも焼酎を飲みながら盛り上がった。
2007.10.7  カメラをもって出かける。白鳥が群れている。ねずみ色の混ざった幼鳥も親に付いて泳いでいる。顔つきも 幼さを出している。動物の赤ん坊も人間(動物ではあるが)の幼児も親から見て保護したくなる顔つきという のは同じらしい。  今の季節はイネ科というのか細い葉っぱに猫じゃらし風の種が付いている植物が多い。オナモミなど去年と 同じ場所に同じように生えている。水辺ではトンボが人知れず群れている。去年、金網のフェンスのツルに出来 ていた黄色い実が今年はどうかと行ってみると同じように出来ている。悠久の時間をかけて作り上げられてきた 仕組みはしぶとい。  遺伝子組み換えの食品とかトウモロコシを燃料にするとか最近はバイオ関連の話題が多い。遺伝子が変化して きたからこそ生物の進化はあったのだし、トウモロコシを馬に食べさせ馬車で荷物を運ぶのは昔からやってきた ことである。今の科学の介在する変化はあまりにも多くのことを一度にしてしまうのだ。変化と変化の間に生物が 介在すればゆっくりと自然界と調和しながら進んで行けるのだろう。