そらまめの日記7



 冬  2010年12月12日
冬の言葉

冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が洗ひ出すのは万物の木地。

天はやつぱり高く遠く
樹木は思ひきつて清らかだ。

虫は生殖を終へて平気で死に、
霜がおりれば草が枯れる。

この世の少しばかりの擬勢とおめかしとを
冬はいきなり蹂躪する。

冬は凩の喇叭を吹いて宣言する、
人間手製の価値をすてよと。

君等のいぢらしい誇をすてよ、
君等が唯君等たる仕事に猛進せよと。

冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が求めるのは万物の木地。

冬は鉄碪を打つて又叫ぶ。
一生を棒にふつて人生に関与せよと。

         「高村光太郎」詩集より

久しぶりに「とんぼ玉」の道具箱を開いてセッテングを始めたが「徐冷材」を 入れていた缶が見つからない。さがすと妻の「篆刻」の材料入れになっていた。 行きつけの「趣味の店」で徐冷材を購入。帰りにグリーンセンターに立ち寄り ガーデンレタス、ベビーリーフ、チシャを購入。ベランダのプランターに植える。 妻は「筑波福来(つくばふくれ)みかん」の皮と種をベランダで干していた。 この福来みかんは形は小さいが皮の香りが良いので七味唐辛子の材料になるのだそうだ。 皮は風に飛ばされてどこかに行ってしまったが種が残っていたので喜んでいた。

 りんご箱  2010年11月28日
 昨日は畑の白菜第一号を収穫。さっそく干して白菜漬けに。紫タマネギは移植。小松菜とターサイは間引き。 間引きした菜っ葉はもちろん食べる。茎ブロッコリーはちょうど収穫時だ。
夕方、飲み会があり東京へ出かける。ホヤ、毛蟹、アワビなど満喫。
 本日は、柏の中村順二美術館の「笠見初美・間地紀以子2人展」に出かける。笠見さんと歓談。
その後いつもの買出しに。農産物直売所にも立ち寄る。直売所の外では”青森リンゴ直売”をしていた。 昔懐かしい木のリンゴ箱が積んであった。見ると「自由にお持ち帰り下さい。無料」とある。2個もらい車に 積み込む。無料は申し訳ないのでリンゴを5個購入。先の店でリンゴを既に買っていたので、しばらくはリン ゴ三昧になりそうだ。

 墓参り  2010年11月23日
 小雨が残っていたが墓参りに出かける。成田に立ち寄り一路青山の親戚の家へ。高速道路は順調。神宮外苑の 銀杏並木が黄色くきれいだ。青山から横浜までは一般道で1時間ほど。いつもとは違ったコースのためカーナビ 頼りだ。墓が見え隠れするので近くまで来ているのは間違いないのだがなかなか到着できない。カーナビは近く まで来ているものだからナビゲーションを止めてしまっている。小山にへばりついたような住宅街の細い道を 登ると「この先通り抜け出来ません」の看板が。でも両脇の家の車庫には車があるので期待をもって登るが やはり袋小路となっていた。バックが大変。やっと下ってまた袋小路に。何とか見慣れた道路に出てやっと到着。 雨はすっかり上がり青空にランドマークタワーが伸び上がっていた。
 遅い昼食はハングリータイガー保土ヶ谷店でとる。30年以上昔、このあたりに住んでいた。当時横浜の地下 街ジョイナスにハングリータイガーがあって肉の炭火焼のいい匂いが漂っていた。若い二人には高級品だったた め、めったに行くことはなかった。その保土ヶ谷店が住まいの近くにできて看板を部屋から眺めてはいたが入っ たことは無かった。今回はカーナビに案内してもらい入ってみた。炭火焼きのステーキを堪能。当時はまだこの 世に現れていなかったと思われる若い店員もかいがいしく働いていた。
 帰りは横浜から高速に乗りノンストップで成田に到着。自宅へ帰る途中の月は雲に見え隠れして、いつもより 大きく見えた。

 四駆モード  2010年11月13日
 天気予報のとおり黄砂っぽい景色だ。風はないが中国大陸から飛んできたという微粒子が浮遊している。 無理やりやってくるものには拒否反応だが自然現象であればむしろ歓迎だ。畑で葉ダイコンの間引きをする。 ダイコン葉の塩もみは我が家の大好物だ。今、米が安くなっているそうだが、米とダイコン葉(生姜も)が あれば満足である。
 先日、天気がよかったので筑波山まで行ってきた。途中野菜中心の自然食レストランで昼食。カーナビどおり に細い山道を登って行くと対向車が。すれ違えないので道のふくらみまでバックしようとしたら左後輪が溝に すっぽり脱輪、出られなくなってしまった。他の車が細い道に溜まり始め結局降りてきてくれた人たちに持ち 上げてもらって脱出。対向車とすれすれにすれ違って登る。気が付くと四駆モードにもせずミラーもたたんで いなかった。冷静でなかった自分にがっかり。その後は四駆モードで道端の落ち葉にも滑らず登ることができた。 帰りは気分直しに山麓のミカン園に立ち寄った。甘酸っぱくて美味しかった。一本の木にぶら下がっているミカン の全部が富士山型なのでご主人に新種ですかと尋ねると単に気候の変動で順調に成長しなかっただけとのこと。 麓の景色を眺めながら頂いたお茶を飲む。美味しかった。農園の方は水が良いからと言っておられた。

 能の鑑賞  2010年11月3日
 秋晴れ。畑へ。ナスは小さいのにアケビのように実が割れてきた。モロヘイヤは台風の風で斜めになっている。 若い芽も成長の勢いが無く葉に黒い斑点が現れてきた。ナスもモロヘイヤも最後の収穫をして抜く。
 国立能楽堂まで出かける。妻の友人の紹介で狂言と「善知鳥(うとう)」を鑑賞する。古い言葉のうえお面を つけているので素人の私には言葉が良くわからない。言葉がわからないながらも雰囲気は味わえた。極端に表情 を抑えた顔で何時間も舞台の上に居る人もいる。舞台の裾にずっと控えていた人は主役が立ち上がるとススッと 近づき裾のシワを伸ばして戻った。主役が杖をほおるとまたススッと近づき持ち帰った。持ち帰った小道具は控 えに居た別の人間が15分ぐらい経った後に持ってにじり口?より退場した。分業になっている。効率第一で 車掌も運転手も一緒にやれというワンマンバスの発想とは大違いだ。装飾も壁に描かれた松と竹だけとシンプルだ。 そこに笛と鼓が演者の声をバックアップする。外国のマジックショーとかミュージカルでは演者が両手を広げ 拍手のタイミングを作ってくれるが能の場合には淡々と進んでいく。でも最後に演者達が花道?をすり足で引き 上げ笛や鼓の人が座っている椅子をたたんで、にじり口?より退場を始めたときには、さすがに拍手のタイミング と思った。観客の方々の3分の1ぐらいも拍手をしたので私も拍手をした。後で調べると演者達が全て退場した 後、シンプルな舞台が残り、静寂の中で今まで目の前で行われていたことが夢か幻かと思うぐらいの余韻を楽し むこともあるようなので拍手はしないほうが良い場合もあるらしい。
 楽しい一日であった。

 感動  2010年10月16日
 畑日和だ。予定通りオクラを抜く。抜いてからあらためて見てみるとまだ花が付いていて若い実もいっぱいだ。 もったいない気もするが一度決めたので実行。次の芽吹きの楽しみもある。植物の変化はアナログ的なので、 いつも抜くときは躊躇する。ブロッコリーは青虫に穴を開けられている。退治しても温かさに浮かれてまた這い 上がってくるのでまた退治する。ターサイと小松菜の種を蒔く。最近畑の広さを聞かれることが多いので測って みた。15mx5mあった。23坪といったところか。趣味の畑には丁度良いぐらいの広さだ。
 昨日は親戚と東京方面へ。帰りに西白井の「茜」でランチ。ランチのラストオーダーが午後2時だが道が込んで いて3分前に滑り込んだ。落ち着いて食事が出来るし調度品も古いものが多く懐かしい。2階ではガラス細工の ミニギャラリーをやっていた。その複雑で優雅な作品が物静かな佇まいの作家さんから出てくることに感動。 その後親戚の家へお邪魔した。庭にはいろいろな植物が植えられていた。陶器の火鉢に睡蓮を入れメダカを泳がす のが次の予定とのこと。部屋にはご自分で描いた水彩画や先生の絵、珍しい壷などが並んでいた。謡曲を聞かせ てもらった。太い響く声で感動した。聞くと観世流とのこと。
 作品を作り出している人達に出会うといつもエネルギーをもらう。

 畑日和  2010年10月11日
 雨があがったので畑へ。想像していたより土は乾いていた。白菜は中心部の葉が巻き始めている。ブロッコリー も順調な成長。葉ダイコンは間引きして今晩の塩もみに。小カブは双葉が生えそろう。タマネギはひょろひょろと 細い芽が伸びてきた。ナスとニガウリはまだまだ最盛期に近い収穫だ。目の角度を変えて見ないと結構見逃す。 モロヘイヤは一時よりはみずみずしさが無いがまだまだしばらく楽しめそうだ。オクラは背丈が伸びて花も咲いて いるが実がきれいでなくなった。来週あたり引き抜く予定だ。ニラは地上部をカットして収穫。また伸びてくる。 少し離れた道端に野生のニラが畑より元気に育っている。なかなか出てこなかったミョウガが本日顔を出していた。 4個収穫。ミョウガは青ジソにテリトリーを侵略されていて、そのせいで収穫数が少ない可能性があるのではと 思っている。日陰を作るためにそのままにしておいた。青ジソは穂に種が出来ている。扱くと良いにおいだ。 疲れたときに鼻の下にすりこむと元気になる。
 手賀沼のハスの群生の様子を見に行く。二分の一は枯葉色、四分の一は黄色に変色、四分の一はまだ緑であった。 水はたっぷりあるのに季節が来れば枯れてゆく。ベランダのシロバナタンポポは盛夏は影も形も無くなっていたが 涼しくなってきたら緑の葉をぐんぐん伸ばしている。

 落花生  2010年10月10日
 降り続いていた雨も昼ごろには空が明るくなった。花火が上がった。運動会の開始を知らせる花火であろう。 久しぶりに木彫の本と彫刻刀を引っ張りだす。30年ほど前の年賀状の版画の木とゴムが出てくる。懐かし い版画達をスキャナーで吸い上げる。彫刻刀は錆びていたが研石で研いで先ずは試し彫りをしてみる。あり合 わせの木で妻の薦めで落花生を彫ってみた。
 最近は通勤で座席に座れることも多くなった。不景気で就労人口が減ったのか、学校が休みなのか。私の座高 が高いせいもあると思うが目の前で広げられる新聞が邪魔だ。目の前になるべく人が来ないように通勤バッグを 両足に挟むように立てておくのであるが、これは逆効果のようだ。乗り込んで来た人は何も無いところに立つより は何か拠り所を求める習性のようでわざわざ私のバッグを挟んで立つのである。その人が通勤バッグを網棚に上げ る前に何を取り出すかが問題である。悪い順からいくと、大きな新聞、小さな新聞、何も出さない、単行本である。 何も出さないのは一見ベストのようではあるが、そのうちつり革に体重をゆだね首を傾けて眠りだすと、口元から よだれが垂れてくるかも知れないのだ。よって単行本をベストとしたい。大きな新聞でも丁寧に折り畳みながら 見ている人は一応回りに気を遣っている姿勢が見えるので評価できる。「傍若”有”人」といったところか。
 雨が上がったので映画を見に行く。帰りに木彫りの見本にするために落花生を購入。少しでよかったが大きな 袋しかなかったのでそれにした。私があらかた彫った落花生を今妻が引き続き形を整えている。よほど落花生の 形が好きなようだ。

台風一過 2010年9月25日
 台風一過の青空となった。街でジョギングする人の顔も嬉しそうだ。畑のコスモスが風で 半分倒れていた。起こそうとすると土に触れている部分に早くも根が張っていてビリビリと音をたてる。 起こしてやろうとしていることが喜ばれているのか嫌がられているのかこの音を聞くとわからなくなる。 モロヘイヤは夏の終わりごろは乾燥して種を付け始めていたがこのところの雨続きですっかり若返り 柔らかい葉を茂らせて第二の青春を謳歌している。種作りはすっかり忘れているようだ。ベランダのプランター に葉ダイコンの種を蒔いておいたら2センチぐらいに芽が伸びてきた。太陽に向かって皆一緒に茎を反らして いる。矯正しようとプランターを180度回転させておくと1時間も経たないうちに号令をかけたようにまた 太陽に向かって反っている。
農道の突き当たりを右に曲がると普段車が通らないらしく両脇から草が洗車機のモップみたいにせり出して いて車のサイドをこする。道路から上に伸びた草が車の底を引っ掻く。ゆっくりと進むとバッタヤトンボが 慌てて飛び立つ。ボンネットに飛び乗ったトノサマバッタと目が合う。カメラのシャッターを押す。

秋の気配 2010年9月12日
 1ヶ月の日照りの後、台風くずれの雨が一気に降った。地面が冷えて秋らしくなった。「このまま秋が 来て欲しくない。もう一日あの暑い日になってから秋になって欲しい」などと早くもあの暑さを懐かしむ 声が歩いているカップルから聞こえてくる。
 畑のミニトマトは急に水分が過剰になったためか日照りに順応してきた皮にひび割れが出来ている。 ひびが珍重されるのはメロンだけだ。雨が降っても季節がくれば勢いが弱ってくるものだ。ミニトマト、 キュウリ、インゲンを抜く。ベランダで挿し芽をしておいたバジルが元気に伸びている。
 買い物の後まだ日が高いので車で田舎道の探検をしてみる。田舎はまだ土地があるので脱サラをした 「芸術家」や「クラフト作家」達が店を出していることが多いのだ。道路わきに「OPEN」の看板を見つけ車 を停める。手作りで建てたというログハウスの中にはアンティークな品物が並び、木工品、ペイント作品が 並んでいた。新品の素材ではなく捨てられていた金属缶やイスや流木を再生するのが嬉しいという。 こういう作家さんたちの行動力、感性、実行力にはいつも感心しながら話を聞いている。
 テレビで2時間のフォークソングの特集を見終わったところだ。フォークソングを弾き語りしたくて ギターを買い40年過ぎた。「君の行く道は〜果てしなく遠い〜」、「夜空の星に祈りを捧ぐ〜」、 自転車旅行したり山に登ったり。「あなたはもう忘れたかしら〜赤い手ぬぐいマフラーにして〜」、私ぐら いの世代のおじさん達がこの歌を聞いて涙を流すという気持ちがよくわかる。私もそうだ。頭の中の妻は 35年前の姿にタイムスリップする。大あくびする声も少しは受け入れることのできる今日である。

ひつじっぽ 2010年9月6日
 いつもの散歩道で稲刈りが始まったと思ったら、あっという間に終わってしまった。今年は日照りで 収穫が早くなったのか、スズメの集団があまり見られなかった。子育てとのタイミングに合わず離乳食が (雀に乳は無いが)不足しているに違いない。早くも緑のひつじっぽが伸びている。
 日本列島にデンと居座った太平洋高気圧を台風という渦巻きが引っ掻き回してくれそうだ。昨年の日記を 見たら10月25日に石油ストーブの試運転とあった。あとひと月ちょっとでそのような涼しさになるのだ ろうか。あの暑かった夏が懐かしいと思える時期がくるのだろうか。
網戸を閉めると内側にバッタがいる。天井にはカマキリもいる。蚊が入ってこなければ良しとする。妻は 布袋を縫い刺繍をしている。新しい形や色合いを考え出し喜んでいる。このエネルギーをもう少し私の ワイシャツのボタン付けにも注いで欲しいものだ。

水が欲しい 2010年8月28日
 雨が欲しい。関東北部では雷雲が発生していて移動しているように見えるがなかなか南下してこない。 畑の作物達は思っていたよりも元気だった。ミニトマトは次から次と真赤に熟し水筒代わりだ。この 乾燥した土からよくもまあこれだけの水分を吸い上げたものだと感心する。オーストラリアには乾季に 備えて身体に水分を溜め込み丸まるとなっているカエルがいるそうだ。日照りのときにトマトの水分を 逆流させて本体を養っているようには見えない。さすがに今日は川の水を汲んで水分補給してやった。 バケツでどさっとかけるのでむらが出来てしまう。水の少なめにかかったところは可哀想なので補給し てやる。そうするとさっき十分そうなところが足りなそうでまたかける。きりが無い。キュウリ、ナス、 ミニトマト、ニガウリ、インゲン、オクラ、ミニトマトを収穫し、暑いので早々に退散。
 自動販売機で水を購入。前回150円入れたら30円戻ってきて品物は出なかったので120円の 損をした。よせばいいのに今回はどうかと思い150円を入れたら、やはり30円戻り品物は出なかった。 面倒なので泣き寝入りすることにした。隣にある販売機で水を入手。
 舗装されていない道を走ったら乾燥しきった土ぼこりをまともに被ってしまった。洗車に。半分木陰に なっている場所に停めたがさすがに暑い。いつもはワックス完了後にゆっくりとジュースを飲むのであるが 今日は洗車途中でまず1本。ワックス後に1本飲んだ。ここの自動販売機は正常動作であった。

暑い一日 2010年8月17日
 暑い一日が終わろうとしている。温度計はまだ30℃近辺をふらふらしている。日本は温帯から 熱帯に変わってしまったようだ。そのうち建築会社は熱帯でよく見る高床式で風通しの良いの住宅を 作り、売り出すのではないだろうか。冷たい海水を好むサンマが不漁で日本近海では熱帯魚が泳いで いるとのこと。ビジネスの世界では「ゆでがえるになるな」という言葉が良く使われる。カエルを水に 入れてゆっくりとあたためてゆくと温度の変化に気付かずにいつまでもお湯の中に居るということだ。 急に温度が変わると慌てて飛び出すように環境の変化に敏感になりなさいという例えである。今年の 暑さには「ゆでがえる」にも成りきれていないようだ。
通勤時に駅の改札を通るが、あのあたりが特に熱気がある。広い屋根が暖められて「つぼ焼きイモ」 状態、人が改札に集中して暑苦しい、風が通らない。何故か窓が無いのである。ミニティッシュを 配っている人がいるが、この暑さで手を伸ばすのも億劫なのか貰う人はかなり少なくなっている。
 週末は娘夫妻のところへ訪問。お盆休みで高速は渋滞していると思い一般道をカーナビの指示どおり に進む。言問橋からは建築中のスカイツリーが大きく見えた。渋滞も無く日本橋、東京タワー、五反田 をすり抜けた。近辺でスーパーを見つけ、立ち寄るが立体駐車場は車高が高いので入らないと断られる。 区役所の駐車場が臨時で使えるとのことなので良かった。手作りの料理を頂き、ピアノの演奏を聴いて、 ノンアルコール・ビールをたっぷり飲む。帰りは予想通りトイレタイムが必要となりマクドナルドに滑り 込みセーフ。

ありがたい水 2010年8月1日
 畑のキュウリは日照りのせいか成長が遅くなった。途中から急に細くなっているのは日照りが 始まって水分が供給されなくなったからであろうか。ミニトマトとナスは元気だ。モロヘイヤも 元気だ。元気な葉っぱを大量に収穫。ネバネバ度も良い。インゲンは花が咲いて綿棒ほどの豆が 出来ていた。ニガウリは下のほうに隠れていた実は黄色くなって種採取用になっているが上のほうは まだまだこれからという緑の実がついている。オクラは花の色がきれいだ。アマガエルが葉の上で 休んでいる。広い葉っぱは水分の蒸散作用のせいか思ったよりひんやりしている。ミョウガは青ジソ に占拠されている。ベランダのプランターのミョウガはやっと1本出てきた。
 車でいつものコースを進む。この暑さである、田んぼの脇の用水が噴出していると嬉しい。田んぼ の稲に穂が出てきた。粉甘い匂いが流れてくる。干草の匂いとか稲の匂いは直感的に人を幸せな気分 にさせてくれるものだ。用水に沿ってゆっくりと車を進めるとカイツブリが泳いでいる。体は小さいが ピリッとした顔つきだ。水草もあり住みよい環境と思う。近くには幼鳥もいた。顔が白と黒のまだら縞 模様だ。イノシシのうり坊にしても鹿の子の斑点にしても子供の模様は同じような傾向だ。しばらく行くと カルガモのファミリーが岸に上がっていた。近づくとそろそろと水に入り向こう岸に上っていった。 至近距離で固まって泳ぐのにぶつかる様子も無い。たいしたものだ。まあ人間も朝のラッシュで人の流れ が交差してもぶつかる人は殆どいないのにはいつも感心しているところだ。速度や距離や角度とかいった数式 の計算は無くてもぶつからないのだからたいしたものだ。
 スイカとモモと水を買って帰宅。夜中の12時を過ぎてやっと風が涼しくなってきた。

会津への旅 2010年7月25日
土曜日の朝7時半に友人にピックアップしてもらい一路北上。外は猛暑であるが車内はエアコンで快適だ。 常磐道、磐越道と走ると間もなく猪苗代湖が見えてくる。お昼は友人の知り合いの蕎麦屋で100% 蕎麦粉の蕎麦を頂く。歯ざわりと香りが良い。頂上が爆発で二つに裂けたという磐梯山がどこからでも 見える。入道雲が良く似合う。友人の実家に立ち寄る。太い大黒柱と梁が黒光りして残っている。 布引高原の風車を見学する。100mの高さの風車が33基あるとのこと。遠くに猪苗代湖が見える。 途中道を間違えカーナビにない山道をしばらく走ったが東山温泉の東鳳に到着。露天風呂は棚田のように 三段に張り出しており町を見下ろす夕景が美しい。夕食は個室で。馬刺しで地酒を楽しむ。
 朝食後は飯盛山へ。白虎隊の自刃の地だ。上りは長いエスカレータがある。お年寄りのボランティア の方のお話に聞き入ってしまう。焼香をして下る。さざえ堂がある。内部は螺旋回廊になっているとのこと。 裏磐梯の五色沼へ。猪苗代湖の水面が光りそこにボートが一艘。浜田光夫と吉永小百合の青春映画のひとコマ のような情景だ。今日は磐梯山は霞んでいる。湖畔は海水浴ならぬ湖水浴で賑わいがある。「オランダ釣り禁止」 の看板がある。誰も意味が解らない。電気ショックで釣る方法ではないかなどと想像したが、調べてみるとそうではない 釣り方の一種らしい。五色沼の今日はそれほど暑くなくありがたかった。友人の実家に立ち寄り、一路南下。 久しぶりの雨粒だ。雷も鳴る。夕方7時半に我が家に到着。上がってもらい0.00%のビールで乾杯。

ほたる 2010年7月11日
 昨日は予想と違い朝から良い天気。笠間の旅へ出発。途中で友人をピックアップ。 カーナビを設定する。「人ナビ」による度々のコース変更にもかかわらずカーナビは健気に 新しいルートをフォローする。新しい車のETCゲート通過も無事クリア。
 お昼過ぎに笠間の天真さん宅に到着。母屋にお一人で次々に増築されたという。作業工房には 機械がいっぱい。ピザ焼き釜や陶器作りのための大きな炉の部屋もある。アヒルがいる。 鳥骨鶏がいる。畑がある。果樹が植わっている。苔むした庭に張り出したテーブルで昼食。 蝉時雨の中いろいろな野鳥の声が聞こえる。食べる語る飲む。夕食は私もキッチンに立ち一品を 作る。庭の草木はライティングされているがテーブルの明かりはキャンドルである。アヒルの 卵の料理も出る。暗くなってから皆でホタルを見に出かける。灯火の無い真っ暗な道を5分ほど下る。 目が慣れてくるとうっすらと近くの人の様子はわかるようになった。道端の稲の中にふわふわと 蛍が光る。小さな崖の木立の中にも群れて光っている。何十年ぶりかの蛍だ。自分の手の甲や 腕にとまった蛍が光を点滅させる。何とも幻想的な時間であった。家に戻り2階の東南アジア風 のベッドで就寝。
 本日は朝から豪勢な食事。友人のご主人が丁寧に美味しいコーヒーを淹れてくださる。アヒルの 様子を見に行くと大きな卵が二つ転がっていた。池の水の中に産んであることもあるそうでラマーズ法か。 帰りにイタリアンで昼食し、やはり笠間の友人の知り合いのランディさんの作陶小屋とギャラリーに 立ち寄る。やはり手作りの工房とのこと。釜から出したばかりの作品が並ぶ。まだ高台やスペーサー?の 処理がされていない値札も付いていない作品の中に日本酒に良さそうなぐい飲みがあったので購入した。 磨き用の石で仕上げの処理をしてもらう。作者との会話や顔を思い出しながら作品で酒を飲むので あるから味が3倍ぐらいにアップするのは間違いない。その後筑波山の景色の良いスポットからしばし下界 を眺め帰宅。作家さん達のパワーと自然の中の生活の良さを感じた二日間であった。

リアルタイムレーダー 2010年7月4日
 気温がとっくに30℃を超えている。夏らしい天気に窓を開け放ち空気を通す。こういう時は パソコンでリアルタイムレーダーの雲の動きを見るのが楽しみだ。日本全国の雨の降っている様子 が10分おきの動きで見ることができる。思ったとおり長野、群馬、箱根あたりに小さな雲のかた まりだが強い雨が降っている粒粒がうようよいる。この湧き起こる雷雲パターンが好きだ。消滅したり 発達しながら東へ移動してくるとワクワクする。山沿いでは午前中は大気が落ち着いているようだが 午後になると暖められた上昇気流でこのような積乱雲ができるのであろう。昔、山に登ったときはるか 眼下の谷川より山肌に沿い雲が勢い良く昇っていた。
 空を見上げる。夏の雲だ。雲の切れ目から漏れた光が遠くの景色の空気中の水分を際立たせる。 地上では農作物がすくすくと育っている。

追記:
その後アッシー君として妻を迎えに車で出かけた。一天にわかにかき曇り大粒の雨が。そのうち ヘッドランプを点灯し道路脇の水にはまりながら走ることになった。カーナビも一時車の位置が 道路から外れてしまったりした。衛星から飛んでくるGPS電波が上空の濃い雨粒で誤動作した ものと思う。勝手知ったる国道なので何の実害もなかったが、以前九州の山奥でカーナビに誤って 導かれてとんでもない目にあったことを思い出した。

薩摩琵琶 2010年6月27日
 じゃがいもを試し掘りしてみた。インカのめざめは種芋の量のほうが多いのではと思われるほどの できの悪さであった。小さい芋でも丁寧に集め採った。植えたのが遅すぎたかも知れない。キタアカリ とアンデスレッドは一株ずつ掘ってみたが大きな芋がゴロゴロ出てきた。インゲンの芽が出てきた。 キュウリ、ナスなど収穫。トマトは来週あたりが食べごろのようだ。オクラの苗を移植。丁寧に掘り水 もたっぷり与えたのであるが、風での水分の蒸散ほど根からの水分供給が不足のようで一時的にだらん としている。ひげ根の水分吸収能力はすごい。土手の雑草を道の脇に干している作業のおじさんに乾燥 したあとはどうするのかと訊ねると牛の餌にするという。農薬はついていないかと訊ねると、農薬のつ いている干草は牛が嫌がって食べないとのこと。
 友人が『丹沢史お話と影絵夢幻語り』のDVDを送ってくれた。ブナの巫女の衣装をした語りも良か ったが薩摩琵琶の音色も勇猛で素晴らしかった。フレットを高くして音の微妙な上下が出来る構造のよ うで演奏者の技倆が生かされる。武士の戦記・合戦物の表現に向いているとのこと。風通しの良い広い 畳の上で杯で酒を飲みながら、この薩摩琵琶の音色と語りを聞いてみたいものだ。場所は夜の闇にせり 出した広い濡れ縁であればなお良い。

酒とシャンソン 2010年6月22日
 夕方会社を出ると昼間の暑さがまだ少し残っているが夜の冷気もまだら状に入り混じって いるのを感じる。人々がこの空気の中オフタイムを過ごすため家路をいそぐ。
  土曜日は友人たちと車に乗り合い「おおたかの森」方面のお寺に出かける。「竹語り」。語り部は 竹大工・民俗研究家の稲垣尚友氏だ。22歳のときそれまでの生き様に疑問を感じ本当の人間の暮らし を求めようとするあがきの中、土方・行商などをして日銭を稼ぎながら全国を放浪したそうだ。籠屋と してはその芸術性が高い芸術性を評価される一方、自らを「平成賎民」と称し中世の渡り職人のように 各地を遍歴し日用品の製作を行っているとのこと。徹底して視線を地べたに置き文筆活動も行っている。
 竹細工を通しての人々との係わり合い、全国を放浪しての日銭稼ぎなどいろいろなエピソード。尾瀬 でのカルピスもどき売り、新潟での畳洗い、天候が悪く島に連絡船が来なくなったときの焼酎が少なく なった閉塞感の中での男たちの喧嘩。連絡船の人達と交流・会話をしたあとの心理の変化など興味のあ る話が続いた。聞き手には大学生らしい若者のグループも来ていた。近くの高架を「つくばエクスプレス」 が走り抜ける中いかにも人間っぽい集いであった。

 日曜日は浜砂伴海さんの「カシワ・デ・シャンソン」に出かける。ビールとスコッチで私の脳の毛細血管 は膨らみ感度は既に最高潮。そこにムードのあるシャンソンが流れる。カメラのファインダーを覗く。 フラッシュを使うと周りが見えすぎるし使わないと暗いのでタイミングが少しずれる。最高の瞬間を撮りた く思わずシャッターを押し続けた。休憩時間には妻は回りの知り合いとの会話で盛り上がっていた。 岸洋子を尊敬しておられるという。パリや銀座で活躍しているとのことでおしゃべりも軽妙で聴衆を リラックスさせてくれる。
至福の時間であった。

蛙の合唱 2010年6月17日
 夏の暑さの一日だった。一日が終わり窓を開けて風をとおす。久しぶりに蛙の合唱だ。 ガャガャガャガャと遠くの蛙たち。ときおり近場の蛙がグゥェェログゥェェロとなく。
 今朝は電車のドアが閉まろうとしているのに乗り込もうとしている女学生。特に急ぐ様子もない (もっと慌てろよ)。ドアが閉まりかけるが無表情(もっと驚けよ)。車掌さんがドアを開けて くれて乗り込めたがまだ無表情(ほっとして喜べよ)。腹がへって貧血気味なのだろうか。 午後の電車では、降りようとすると前の席の男が立ったあとにケータイが残っている。電車の 中を10mほど忘れ物ですよと追いかけて渡すが、体は前を向いたまま首を15度ぐらい後ろに向けて どぉもと無表情だ(もっと驚いて感謝しろよ)。
 蛙の合唱が続く。脳をリセットする。良い一日の終わりだ。

亥とは 2010年6月13日
昨日はギャラリー「いるる」を訪問。篆刻の話題から「亥」の意味の話となった。 象形文字からすると草木の生命力が種の中に閉じ込められた状態らしい。極まるという 意味合いから時間でも真夜中、季節でも真冬、骸骨は人の肉が削げ落ちて極まった状態から できたものか。いろいろな「作家さん」が集まるので話が面白く、いつもパワーをもらって 帰ってくる。私の車の隣にジャガーが停まったので記念撮影。曲線が美しく昆虫の体を想像 させるものがあり、直線はナンバープレートだけであった。
 本日は新しい車を引き取りに出かける。日産の4WDだ。新旧の車を並べて記念撮影をした。 車の重量が軽くなったので加速・減速にメリハリがつくようになった。燃費改善も期待だ。
 畑に寄る。きゅうりは初採り。ナスも初採り。モロヘイヤは隣の畑で苗が出来すぎていると いうので頂いて移植。明日から雨が降りそうではあるが、用水路の水を汲んで撒いた。  アンデスレッドは一列は花を摘んで一列は花を残してみた。芋の出来に違いがでるのだろうか。

多少楼台煙雨中 2010年5月25日
 南方からの湿った空気が流れ込み東京の上空で寒気と出会い結露したようだ。
視界が悪くなり遠くのビルディングが霧の上に頭を出す。
細かいものが見えなくなると大きな構造が現れてくる。
昔、漢文の時間に習った”多少楼台煙雨中”という一節を思い出した。
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江南春(こうなんのはる)

 杜牧(晩唐)
 千里鴬啼緑映紅(せんりうぐいすないて みどりくれないにえいず)
 水村山郭酒旗風(すいそんさんかく しゅきのかぜ)
 南朝四百八十寺(なんちょう しひゃくはっしんじ)
 多少楼台煙雨中(たしょうのろうだい えんうのうち)
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タイミング 2010年5月13日
 「指示待ち族」が多くなっているが、舞台の上の催しで当然拍手をするべき場面でも様子見が多い ようだ。全員が拍手をするか全員が拍手をしないかの白黒どちらかだ。もっとパラパラの10%の拍手 があったり70%のアナログ的な拍手があったほうが演技者からみてもよいのではないかと思う。 マジックショーのマジシャンが手を広げたり歌舞伎役者がここぞという時に見栄を切ったりするのは 拍手のタイミン作りに必要のようだ。
 最近友人からのメールに「人生の長さは神様が決めておられるけど、人生の幅は自分が決める」という フレーズがあった。長さx幅の面積をいかに大きくするか。自分の生き方しだいだ。 

陸軍部隊のトイレ 2010年5月9日
 週末に畑のじゃがいもの芽かきをした。成長の良い2本の芽を残してあとは引き抜くと大きなイモが 出来るのだそうだ。引き抜いた芽にはすでに小さなイモがぶら下がっていた。アンデスレッドの大豆ほどの イモは早くも真っ赤になっていた。気候が良くなってくると近くの畑の人との会話もはずむ。いつも エネルギッシュで戦後の闇市を生き抜いてきたような男の人、歳を訪ねると70歳は超えたとのこと。 根気が続かなくなったと言いながら電動自転車の良さをひとしきり説明してくれた。
 先日、佐倉城址公園にシートを広げて弁当を食べていたら歴史愛好会のおじさんグループ7人ほどが 差し掛かり話を聞くことができた。明治になってすぐに佐倉城址に陸軍の駐屯が始まったとのこと。 ちょっと離れた所にトイレの遺構があった。ここの陸軍部隊は全ての物資は購入して消費するのみであった が唯一の売っていたものがトイレから出る「肥え」だったとのこと。肥えは地元の農作物の肥料になった らしい。

野菜の苗 2010年5月3日
 昨日は夏野菜の苗を買いにガーディニング・センターへ。冬の頃よりは皆顔がほころんでいるようだ。 カートには肥料やレンガや野菜の苗、植木など見ているだけでも楽しい。堆肥の大きな袋を5個も運んで いる人を見ると大きな庭なのかななどと想像してしまう。ミニトマト、ナス、きゅうり、モロヘイヤなど それぞれ違う品種を組み合わせてみる。きゅうりはイボイボのある昔ながらのものと今時風のイボの少ない ものなど。天候の急変があってもどれかが生き残りそうだし、いろいろ変化のあるほうが面白い。
 コンビニでサンドウィッチと飲み物を買い畑へ。家から持ってきた元気のない鉢植えの花たちを畑の脇に 植える。太陽の下で元気になってくれよという気持ちと半分は姥捨て山だ。紫タマネギを移植する。ネギの 部分はまだラッキョウほどの大きさであるが紫色になっている。じゃがいもは芽が出揃った。えんどう豆は 紫花がいっぱい咲いている。サヤはまだのようだ。しばらく穂先を食べ続けていた野菜は花が咲いてきたので 最後の収穫をして抜いた。この穂先を食べるのは次から次へと収穫が出来て儲かった気分になれて良い。 茹でてポン酢でシンプルに食すと鮮度が良くてポクポクし野菜の旨みを感じる。キジが鳴く。
 本日は木材を買いに出かける。くろまめがベニヤに描いた絵のための額を自作しようという話になった。 なるべくシンプルなほうが良い。角の始末のために波釘も購入した。木材売り場を歩いていると木の良い 香りがして頭の中がシンプルになるように感じる。人が安らぎを感じるのは太陽に良く干された干し藁の 匂いと聞いたことがある。布団を干した夜はやはり太陽の匂いを感じてハッピーな気分になるが、木の匂い も相当脳の奥深くを刺激しているようだ。
文房具コーナーを歩いていたら昔懐かしい拡大器、ペンタグラフがあったので購入。私が小さい頃に家に 木製のものがあり遊んだ記憶がある。

竹の子三昧 2010年5月1日
 5月の始まりらしい良い天気になった。吉高の「青テント」に出かけ竹の子三昧した。桜のシーズンは 奥まで車で入れないのであるが今は大丈夫。昼までまだ少し時間があるためか客は我が家だけ。スタッフ のおばさん達も天ぷらの油も客待ちげであった。食事のあと近くの畑を散策。世間から隔離されたような この一画はいつ来てものんびりできる。
 畑を抜けてちょっと坂を下ると、陶芸アトリエ「道」がある。きれいに手入れされた庭に木のテーブル が置かれている。奥の座敷に陶器が並べられている。お皿と箸置きを購入。外に出るとハーブティーを ご馳走してくれた。マロウというハーブとのことで庭に生えていた。抽出したときはブルーであるが レモンを垂らすとピンクに変わり、そのうち透明になる。リトマス試験紙のような飲み物である。庭に 囲いがあり木をくべて灰が出来ている。聞くと釉薬を作るための材料らしい。
 田んぼには水が入り田植えが始まっている。伸びきって昼寝しているような菜の花が道端に目立つ。

「人とホスピタリティ」 2010年4月25日
 寒い日がぶり返したりしているが春の光は確実に強くなっている。畑のじゃがいもの芽は10センチ ほどに伸びてきた。えんどう豆の紫の花も咲いた。部屋の植木は天気の良いときはベランダで日光浴を させる。今日はパセリ、バジル、イタリアンパセリ、チャイブ、ディル、コモンタイムの苗を買って プランターに植えた。
 先日は会社のコンベンションでゲストのスピーチを聞いた。ホテル関係の講演者の「人とホスピタリティ」 のテーマでの講演だ。ホテルのお客様に「満足」を与えることで勝負しようとすると満足の基準はエスカレート してゆき費用がかかり、すぐに破綻してしまうだろう。お客様へ「感動」してもらうことに徹すればお金は かからず、しかも感動は何回しても飽きることはない。お客様からのクレームは先方から突然来て受け身に なるから怖いのであって、普段からお客様に改善する点があれば教えてくださいなどと自らはたらきかけて いれば怖くない。「楽」という字は楽(らく)をするという意味と、楽しむという意味があるが、仕事は 楽しむに尽きる。等々であった。
 確かに仕事でも生活でも考え方ひとつ、ポジティブに考えていれば疲れないし楽しいというのは正しい と思う。

国立歴史博物館 2010年4月18日
 晴れ。久しぶりに佐倉方面へドライブ。途中小林牧場の側を通ったのでハンドルを切ったが桜はシベと 若葉に変わっていた。吉高の大桜への道路を左に見るがここの大桜は老木で咲くのが遅いのだ。連休頃には 恒例の臨時青テント食堂で竹の子三昧を予定している。さらに進むと昔は毎年参加していた佐倉マラソンの コースをたどる。春浅い時期のため積雪もあったりした。走らずに応援に行ったこともあった。自動車学校 の脇の上り坂を上りきったあたりの「ベストポイント」に陣取ったものだ。駆け上がってきた疲労困憊の ランナーが棄権するか続行するかの決断のポイントなのだ。
 思ったより早く国立歴史博物館の到着。坂を上る。第一駐車場は満杯らしく第二駐車場に案内される。 これまで何度か来ている。天気が良いのでまずは外に居ることにして展示を見るのは後回しに。木には 名札が付いているので木の名前を覚えるのには都合が良い。桜もいろいろな種類が植わっている。池には スイレンの葉が広がっている。広くてゆったりとしていて気持ちが良い。無料が一番だ。
展示を見ることに。@420円。「現代」の展示室が新設されたのでそこを重点的に見る。満州事変から 太平洋戦争、戦争中の庶民の暮らし。赤紙、千人針。われわれの小さい頃のなつかしいダッコチャン。 少年画報の表紙には110円と書いてあった。当時1日10円の小遣いだったから結構高いものだったのだ。 しばらくして少年サンデー、少年マガジンが出てきたときは付録は無いが多少買いやすい価格だった記憶がある。 金鳥のホウロウ看板、京都の大正時代のカマド、東京の文化住宅の家の様子など。
 帰り道「うどん」の看板を見て食べることに。直後にお姉さんが看板を抱えて店に入ってしまった。すいませ〜んと 聞くと調理場がお湯をまだ流していないから大丈夫とのこと。見本を見ると太さはうどんだが色は蕎麦。聞くと 小麦の全粒粉とのこと。美味であった。

桜・満開 2010年4月11日
 予想どおりこの土日は「今井の桜」は満開だった。例年であれば満開の時は寒かったり風が強かったり 土ぼこりが舞ったりするものであるが今年は正真正銘の絶好の花見日和であった。土曜日はいつもの場所 に車を停めて定点撮影。桜の木の下に家から持ってきたシロバナタンポポの種を植えた。黄色のタンポポ が生えている場所が環境が良さそうだが黄色タンポポがヨソモノをいじめそうなのでちょっと離れた隣に 植えた。シートを広げて弁当を食べている人たちもいたが、面白かったのは桜の木の下で白い軽トラの 荷台で8人ほどが弁当を食べていた。今時は祭りの山車までがトラックの上で練り歩く時代であるから それほど珍しいものではないのかもしれない。
 本日は高台からのアングルで写真を撮ろうとして走り回っていたらいつもと違う場所に出た。ここから の景色は菜の花が適度に咲いていて黄色がきれいだ。土手沿いを少し歩くことにする。1本だけ一分咲き ぐらいの木があったので病気かななどと話していると通りかかったおばさんが「シダレ」とつぶやく様に 通り過ぎた。ソメイヨシノは株分けや挿し木で増やして種ではないため全部の木が同じDNAを持っている らしい。同じ遺伝子のため同じ条件になれば一斉に咲くのだそうだ。暦と季節は一致しないが5月頃に 東北・北海道で桜が満開と聞くとああ温かくなったんだなと実感できる。
 いよいよ田んぼには耕運機が入り道路には黒い土が落ちている。

赤い鳥居 2010年3月21日
 風が強かった。ニュースによると朝方には風速30メートルぐらいあったようだ。明るくなってくる 頃には大きく深呼吸するように時々風が弱まるようになり、そしてその間隔がだんだんのびて、やっと 静かな眠りとなった。起きてベランダを確認すると小さな植木鉢が横倒しになり土が飛び散っていた。 捜してみると離れたところに芽の伸びた球根が横たわっていた。急いで元の状態に戻してやった。
 車で走るとプラスチックのチリトリや木の枝が道端にあるが、菜の花など一見弱そうな植物が元気だ。 先がだんだん細くなっていく釣竿のような構造は風をやり過ごすにはいいようだ。
 天気は良くなってきたが今度は黄砂で遠くがかすんでいる。昔、家族で北京を旅行したときも空港に 着いた時からこのような景色だった。黄砂で煙る市内でも人々は元気に生活していた。
春らしい景色なので今井の桜を見に行く。蕾がぷっくらふくらんで開花も間もなくのようだ。
 ドライブしているときにいつも気になっていた道端にある赤くて小さな鳥居を"Google"で調べてみる ことにした。地元に昔から伝わっている民俗信仰に関わるものに違いないと思い、キーワードとして 土着、民俗、信仰、結界などと入力してみたが、どうもそれらしい答えが出てこない。不思議だ。 そのうち「ごみよけトリー」という言葉が出てきた。何と「不法投棄防止グッズ」ということで販売され ているものらしい。そういえば人通りの少ないゴミの捨て易そうなところにあった。神聖な鳥居があれば ゴミを捨てないという人の習性を上手く利用していて結構効果が出ているとのこと。本物の鳥居と区別 するために水平になっている2本の柱は下側を長くしているらしい。長年不思議に思い民俗信仰に関わって いるものと思い込んでいたがゴミの不法投棄防止グッズと知って長年の疑問が解消した。

 

房総半島を南下 2010年3月14日
 南房総の小旅行より帰宅。13日の朝はまずはガソリン満タン、タイヤの空気を補充。親戚の家へ立ち寄り、 そして高速のインターへ。天気は良いが時々車が風であおられるという中を一路房総半島を南下。 途中、風であおられた鳩が車の前に飛んできた。こういう場合はぶつかりそうでもスルッとすり抜けるのが常 であるが何とフロントガラスの左側に激突したのだ。100キロ近いスピードなので羽から散らばった粉みた いなものが残った。鳩はどこかへ行ってしまったが多分御昇天と思われる。合掌。フロントガラスが壊れなくて 良かった。南房総に近づくと山もなくなり、家の高さも低くなり空が広くなってくる。大きな「道の駅」で腹ご しらえとトイレを済ます。農産物、海産物の店が出ているが、この日は乾物、味噌系の日もちのするもを購入。 千倉の海の側でお茶をする。ホテル着。野島崎灯台が遠くに見え夜は回転する光を眺める。
 14日は朝食後、千倉に戻り海産物を購入。キンメダイが並んでいるが朝とあってまだ値札が付いていない 状況だ。一回りしてから購入。アイスボックスに入れる。今日の海は波も穏やか。砂浜や磯が続く海岸通りを走る。 道の脇には菜の花が続く。花摘み用の畑にはキンセンカやストックが咲いている。亜熱帯植物園に立ち寄る。珍しい 植物がいっぱいありのんびり楽しむ。オウムを腕に乗せて記念撮影。レストランは貸切りで利用できず、車を 先に進め、漁港にある海鮮レストランで遅い昼食となった。日曜日の夕方であったが高速は渋滞も少なく一路 帰宅。

MARCH 2010年3月1日
 初夏のような気候になったりみぞれの降る寒さになったり。霧で東京タワーが全く見えなくなったり。 濃いネズミ色の雲が勢い良く流れたり。春とはこういう季節なのだろう。MARCHは3月であるが中世 の雪国で生まれたに違いない。雪に閉ざされた野山に春の胎動がMARCH(行進)を始める。都会に 住んでいれば年中賑やかなものだ。ホームの小便小僧はオリンピックの衣装から防災の衣装に変わった。 電車の吊り広告も春の旅ものが多いが「おどかし」も結構多い。花粉、ダニ、雑菌、匂い、栄養不足、 運動不足等々。脅かして不安にさせそれを解消するという製品を買わせる。考えてみればモノを買って もらうということは不安を煽ることのようだ。不安を煽らなければ何事もなく過ぎていくものが多い。
 ガリバン、計算尺、ポケベルなど現れては消えていったモノが多いが携帯ラジオは長年私の通勤の友だ。 選局はワンタッチで便利でありがたいのであるが、ダイヤルを回しながら大きな局の間に隠れた小さな地方 の放送や外国から電離層を反射しながらやってくるフェージングのかかった放送は聞かなくなってしまった。
 便利になった生活の中で消えてゆくものが多い。増えてゆくのは不安を煽るコマーシャルだ。

高速バス 2010年2月23日
 夜になっても春らしい気温になってきた。先日御殿場方面に出張してきた。新宿より特急で 乗り換えなしだ。春先に郊外に向かう電車が好きだ。桃の花が目立つ。湿気で膨らんできた土が 土止めを押している。子供連れの若いお母さんが電車に向かって手を振っている。私が手を振って 応える。途中からJR線に乗り入れると今までのゆったり静かな走りが田舎の電車の揺れに変わった。 駅のホームの柱の根元には先日の雪が少し残っている。
 帰りは訪問先の会社の人が高速バスが近くを通っていると教えてくれたので利用することにした。初めての 高速バスである。高速道路のフェンスに沿って歩くが入り口を見逃してしまったようだ。戻りながら 気をつけても入り口を示す標識が全くない。壁に地味なドアがへばり付いていた。看板が全く無いのも 妙なものである。運転手の脇の機械に2千円を入れると乗車券と領収書が出てきた。席が5つほど空いて いたが座ろうとすると3席ほどに予約席の看板が置いてある。これらの席は最後まで客が乗り込んでこな かった。倍の料金を払っても隣に座って欲しくない、ゆったりしたい人の仕業であろうか。快適に走行して いたバスであるが東京に入ると案の定の渋滞、一気に低速バスになってしまった。終点の新宿までは時間が かかりそうなので池尻大橋で降りて電車に乗ることにした。
 オフィスに戻る。トイレに寄る。出るときに掃除のオバサンから「どうもありがとうございました」と 声を掛けられる。普段良く使われる言葉ではあるがトイレから出るときに言われると苦笑してしまう。 「お疲れ様」も何か変だし、無言でいるのも何か良くないと思ってのことであろうが、何を言っても合わない と思われるのがトイレだ。

カラオケ 2010年2月13日
 久しぶりの友人達と中華のランチとカラオケということで出かける。アルコールが入るので車で ピックアップしてもらう。成田空港に近いホテルでの中華は豪勢で胃が120%状態に。大安という ことでもあり結婚式もいくつかあり人の出入りは多かった。曇り空の寒い日は大勢の人を見ると気分 が温まる。
 カラオケに移動。私とそれほど差のない年上と年下のメンバーなので歌の相互鑑賞が楽しい。Hさんの いきつけの店だ。Hさんの歌はセミプロで手帳を覗くと十八番の歌がいっぱい書かれていてそれぞれの右端 には+3とか−2とか書かれている。唄い始める前にピッチを最適に設定するためだ。結局8人で5時間 唄い続けた。120%あった胃袋の中身は完全に消化して5%ぐらいになった。
 帰りも車で送ってもらった。外は雪になった。

あぜ焼き 2010年1月31日
 季節は進み富士山の左側に沈んでいた夕日が今は右側に沈むようになってきた。田んぼのあぜあたり から幾筋も煙が立っている。あぜ焼きらしい。風がないためかあちこちから同時多発だ。
「満天の湯」へ妻を送り届けることに。私は3時間も居れないので近辺でバードウォッチングで 時間を過ごすことにする。野鳥のガイドブック、双眼鏡、デジカメ、たい焼きを持つ。
 野鳥たちは互いに威嚇することもなく、潜ってエサを探している。自分と違う種類の鳥が一羽で 葦の陰にいると、一列で通り過ぎるときに次々にちょっと首を捻り、そして過ぎてゆく。関心はある 様子だ。白鳥の雛はゆったりと泳いでいる。親鳥が二羽並んで飛び立つための滑走モードに入っている。 首を大きく前に伸ばしているがなかなか飛び上がれない。空を飛ぶ生き物としては限界の大きさらしい。
 時間が来たので妻のお迎えに。駐車場は満車。繁盛しているようだ。これから入る女の人、入浴後 出てきた眉毛の薄いスッピンの女の人、皆満足げな顔をしている。
 「いちご」の旗ざおが目立つようになってきた。

胃カメラ 2010年1月15日
 昨日は人間ドックの再検査ということで胃カメラを飲んだ。何しろ食道に食べ物以外のモノを 入れるのは初めてだ。まずは肩に胃の動きを弱らせる注射だ。技術が進歩して注射針が細くなった せいかこれは痛くなかった。次に胃の中を泡で洗うという液体を少々飲む。奥では何やら全自動洗濯機 のようなものが2台動いている。前の人の使った胃カメラを洗浄しているのだろう。次に喉の痛みを 麻痺させるために液体で3回うがいをする。診察台に横になる。マウスピースをくわえる。この姿を 想像すると滑稽で笑いが込み上げてきそうになるので別のことを考えるようにする。女医さんが 喉を通過するときはちょっと大変かも知れませんが入ってしまえば楽ですよと言う。モニターに なにやら食道のヒダらしき映像が見えるので痛みもなく中に入ったのだと思っていたらまだ喉のあたり であった。さすがに食道を通過するときはウッという感じであったが女医さんよりはちょっと歳をとった 女の人が声を掛けながら背中をさすってくれているのがとても良かった。地震の揺れと同じで揺れが どこまで強くなるかがわからないから不安なのであって最初から震度4などとわかっていれば覚悟は つけられるものだ。食道を異物が通過しているがこの先どのようになっていくのかが皆目見当がつかな い。このような時に人生経験のありそうな女の人に大丈夫ですよと言われながら背中をさすって貰うの は不安を和らげるのに相当効果的であった。中に入ってしまうとさほど痛くはない。きれいですねと言い ながら女医さんが十二指腸あたりまで見ている。横になった私の目の前のモニターにはポリープ状の画像 があり自分のものと思い込んでいたら他人の画像であった。私のモニターは斜め上にあった。何事もなく 終了。その後2時間ぐらいは喉の麻酔が効いていた。

ベテルギウス 2010年1月10日
 オリオン座のベテルギウスが超新星爆発しそうだとのこと。これまでは表面の模様が見えるのは 近くにある惑星のみと思っていたが600光年も離れた恒星の表面の様子までわかるようになった とは驚きだ。科学の進歩には感心するばかりだ。600光年とあれば今見ている様子は戦国時代頃 の武将達が活躍していた頃に発した光がやっと届いたことになる。江戸時代頃に既に超新星爆発し ていて爆発の様子が300光年ほどの道半ばをこちらに向かって進んでいる可能性もある。不思議 な世界である。
 派遣村で配った金で酒を飲んだとのニュースだ。現実、日雇いの人集めは月曜日には集まりにくい のだそうだ。それは週末に競輪や競馬で小銭を手に入れると数日間は働かないで酒を飲んでいても 良いかららしい。手配師は月曜日の人集めのために普段より多めの日給を準備するのだそうだ。 派遣村担当の若い役人も現実の力に押されっぱなしらしい。やはり緊急時、災害時には民主主義的 な手続きより部族社会的な対応が適当なように思われる。
 車の修理が完了したとのことで引き取りに出かける。正月とあって成田山の近くの国道は渋滞し ていた。ISCサーボモータが寿命でアイドリング時のエアの制御が出来ていなかったとのこと。 部品交換してもらいエンジン音や回転数が安定した。記念に交換した部品をもらって帰った。軸の 部分がカーボンでかなり汚れていた。15年間ご苦労さん。

やりとり 2010年1月3日
 新しい年が始まった。雪国は冬将軍とのニュースであったが関東平野は晴れの穏やかな休みで あった。普段は買い求めないめずらしい食材や酒が並ぶ。おいしい酒を飲みながら久しぶりの友人 からの手紙に思いを巡らす。極楽である。ネクタイも妻が選ぶと同じ系統のデザインになりがち であるが人からのプレゼントで珍しい柄を入手できるように食べ物も珍しいものはやはり外部から やってくるようだ。物のやりとり、手紙のやりとり、お年玉のやりとり、電話のやりとりで絆を 確認しあう季節だ。宅配便、銀行、メール、郵便局、「やりとり」の窓口は忙しい。
 この時期は人の生活のリセットの時期でもあるので、スポーツ、芸術、芸能などが濃く入り込ん でくる。駅伝を見ていた家の者が襷を繋げられないルールを見て同情している。「タスキがつなげ られない」、「シード権がとれない」などのルールは単純さが続くのに耐えられない人にとっては 必要でよくできたルールのようだ。
友人からの賀状に「元気で生きています。今はこれで十分です。イッパイ飲みましょう!」とある。