そらまめの日記5
2007.9.2
このところ急に涼しくなり家の中での片付けにも意欲がわく。机まわりの整理整頓をした。ほったらかしに
していた写真をフォルダーに収め、使いそうもない本を捨てる。もう既に処分してしまったエレクトロニクス
製品の保証書があったりする。昔の手紙などはなかなか捨てることができない。磁気コアメモリーやベルリン
の壁の破片はもちろん保存。小さな手帳が出てきて1978年11月13日から1982年3月22日までの
日記が鉛筆で小さく書き込まれている。文字が薄くなっているのと自分の字が下手で見にくい。昔使っていた
電池式の50MHz携帯無線機が出てきた。ふたを開けてみると単2電池が9本。さっそく電池を買ってきて入
れてみたらザーッという音はするもののダイヤルを回しても局が聞こえてこない。無線機がイカレたのか電波
が弱いのか見当がつかない。今度はもう少し立派なアンテナを接続してみよう。
ところで最近、世の中が芸能レポーター的になってきているようだ。目立つ人のあら捜しをしてこき下ろす風
潮。騒ぎすぎだ。支持率が下がったとなると新聞に出る顔写真も人相の悪いものを選んで載せ、賭けゴルフをし
ていたといっては大騒ぎをし、国民年金保険料を納めていない時期があったといっては政治家を追い込み、賞味
期限切れの食品を売ったといっては社長が辞める。40キロの速度制限の道路を40キロで走る人はまず居ない。
清く正しいだけで面白くない人がはびこり、世の中の効率が悪くなり海外製品に負け、些細なことで有能な人が
抹殺される世の中にはなって欲しくないものだ。
2007.8.23
暑さもひと段落。帰りの電車にセミが飛び込んでくる。扉が閉まるとビビッ・ビビッと鳴きながら電車の
中を飛び回る。乗客の目は一斉にセミの動きを追いかける。女の人は立ち上がり車両を替わったりする。
なぜセミがこんなにも嫌がられるか考えてみた。まずは足の先のカギ爪のような構造。これにつかまれたら
痛い。次に予測できない行動方向。ペンギンよりは立派だが直線的に飛ぶのがやっとで方向を変える余裕は
ない。羽を制御する脳みそもほとんど無さそうだ。あの羽で頬をなでられると骨のちょっと露出したウチワ
で撫でられたようなものだ。乾燥しきった体は褐色で目も黒。目の位置が確認できないのも怖い。
声もビビッビビッと短いので気も短そうだ。
昔「究極の選択」という遊びがあった。6本の足に綿棒のようにコットンを巻きつけたりボクシングのグロ
ーブのようなものを被せて爪を隠しているけれどもロケットのように飛んでくるセミが良いのか、または爪は
そのままだが蝶のようにゆっくりと飛び回るセミがいるとすればどちらが良いのか、究極の選択である。かく
して電車の中のセミは飛び疲れたらしくつり革でひと休みしている。やっと地上に出ても皆に嫌がられ気の毒
ではある。夜も更け、セミに代わりコオロギが鳴き出した。
2007.8.19
妻と映画でも見ようかという話になったが夏休みとあって子供向けが多い。近くの天然温泉(スーパー銭湯)
へ。土日は700円だ。では1時間半後にということで分かれる。サウナもあったが熱くて5秒で外へ。
ジャグジーもあったがあまり人気はないようだ。外には鉄分の多そうな露天風呂。周りには植栽が施され、
今信州の高原の温泉に入っていて囲いの外には雄大な景色が広がっていると思い込めばそれなりの気分になって
くるものだ。いくら長引かせようとしても20分が限度。外にでる。ヘアーカットの部屋があり料金は1300円
とのこと。結構繁盛している。妻は今回は時間通りに出てきたがもっと長く入っていたいらしい。大きな
ガラス窓からぶり返した夏空が見える。涼しい中から暑そうな外を眺めるのも良いものだ。軽く食事をする。
食料買出し後、畑に立ち寄り水遣り。水路を何往復もする。久しく雨が降っていないので吸い込みが良かった。
2007.8.12
雨が降らない。ミニトマトは甘みが増し真っ赤に熟している。かぼちゃは臍の緒の「取水バルブ」が
くびれ始め、採り時だ。風が涼しくなる。夕暮れの太陽と雲の刻々と変わる変化が面白くシャッターを切る。
最近はトウモロコシ畑を見ても「ガソリン」が思い浮かぶようになってきた。世界ではトウモロコシ畑が
増え大豆畑が減っているそうだ。味噌、醤油、食用油への影響は必至だ。ガソリン用のトウモロコシは収穫量
を増やすための遺伝子組み換えが評価され、「種のビジネス」も伸びそうだ。同じ量のトウモロコシをガソリン
にして車で荷物を運んだ場合と、人に食べさせてリヤカーで荷物を運んだ場合で、どっちが効率が良いかも
興味のあるところだ。
ところで食べ物といえば「混ぜ物」が多い昨今、内容物の細かい表示を義務付ける風潮だが食べ物は末端
にゆくほど怪しげなものが入っていると思う。一子相伝とか門外不出といって内容物を明らかにしないのも
結構怪しいものが入っているに違いないが腹をこわすようなものが入っていない限り、あやふやな部分の
あったほうがお互い良いのであろう。
2007.7.29
とり残した畑の雑草刈りに家族で出かける。日差しが強いので水筒に氷と水を詰める。熱気でシャツが
汗びっしょり。キジの卵を移した草むらはさらに雑草が伸びている。卵を探してゆくと殻らしきものが
散乱していた。さては孵化して巣立ったかもしくはイタチのような動物に食べられたか。さらに探すと
卵2個が見つかった。親鳥に抱かれている様子もない。残念。あとは自然に朽ちてゆくだけと思う。
雑草刈りを続ける。喉が渇くが、一段落してきれいになった畑を見渡しながら飲みたいと思いしばし
我慢。遠くで雷の音。雲のわき方もダイナミックだ。きれいになった畑を見渡しながら0℃の水をぐび
ぐび飲む。畑のあとは車で遠回りして自然の様子を見ながら帰る。田んぼの稲は既に穂を付けて粉甘い
匂いが漂っている。幼い小雀達が群れる。若い稲穂の米はミルキーな離乳食になるのであろう。
夕方選挙に出かける。
2007.7.16
台風は南にそれた。昨日は昼過ぎに腹を空かしたのか早くも鳥たちが鳴きだした。嵐が来なくなった
のを本能で感じていたようだ。でもその後一時雨が激しくなった。
本日は朝から久しぶりの青空。窓を開け室内乾燥。畑の雑草が伸びていたので草刈りに。強風で
キュウリやミニトマトの支柱が倒れかかっていた。補強する。草を刈ってゆくとキジのものらしい
卵が2個産みつけられていた。とりあえず周辺の草を刈らずにそのままにした。それにしても現役の
畑に卵を産みつけられるとは・・・。インゲン、ナス、キュウリ、ミニトマト、モロヘイヤ、ししとう、
ピーマンを収穫。地面がふわふわした感じで目まいかなと思うがどうも地震だ。ゆっくりゆっくり
しばらく揺れる。こういうゆっくりな揺れのときは震源地は遠いので大きな地震に違いない。遠くから
「だいじょうぶー?」と安否を気遣いあう甲高い声が聞こえる。かぼちゃは直径20センチぐらいに
育ち健康的な肌を見せている。にがうりは黄色い花を付けている。小指ほどのベビーにがうりが出来て
いる。モロヘイヤは水分をたっぷり吸って柔らかそうだ。オクラはきれいな花を付けているが収穫は
来週頃か。
2007.6.10
天気予報どおりの雷雨は午後にはあがった。青空が見え始めたのでカメラを持って外出。雨の後は
腹をすかせて鳥たちも食事タイムに違いない。キジのカップル、アマサギ、チュウサギなどが田んぼに
いた。オオヨシキリは夏に向かい声がにぎやかだ。大写しにしたいところだが神経質な性格のようで
なかなかカメラの前には現れない。
まな板の真ん中がすり減り切りにくくなったので昨日カンナを買い求め削った。刃の出し方が微妙で
時間がかかり、まずは片側のみ平らにした。今日は若干の筋肉痛あり。
2007.5.27
先日、長野へ行ったとききれいな虹を見た。西に太陽が傾き上空には黒い雨雲と青空がコントラスト
強く広がっている。こういう時は虹が出やすいと思い電車の外に目をやると虹が低く出ていた。トンネル
を抜けてまた探すと虹。またトンネルを抜けると違う方角に虹が。遠くの低い山に夕日が当たり濃い緑、
薄い新緑が浮き出ている。そこに虹の色が斜めにかかり一段と複雑な色模様になっていた。久しぶりに
虹三昧の一日であった。
電車の中でセーラー服に赤いホッペに白いズック靴のグループが乗ってきた。バッグは床に置かずに
ずーっと手に持っている。胸ポケットの生徒手帳が懐かしかった。
動作ののろいパンダ、タヌキやナマケモノなどの動物の目の周りがたれ目模様になっているのがあれは何なの
だろう。目じりが下がっているということは動物たちの間でも危害を加えませんよ平和主義者ですよというサイン
になるのであろうか。襲われたときに逃げ道を探す視線を悟られないためのカムフラージュか。
畑では茄子、きゅうり、ミニトマト、唐辛子、かぼちゃ、ピーマン、ズッキーニー、ししとう、いんげん、
が順調に育っている。インカのめざめは地上部分が枯れ始めてきた。収穫はもうしばらく待ちたい。
アンデスレッドは試し掘りをしてみたら真っ赤なイモができていた。キタアカリの地上部分はまだまだ
旺盛である。
2007.5.3
天気晴れ。植木をベランダに出す。ちょっと遅いが10時に車始動。南房総の大山千枚田へ向かう。
正しくは千枚は無いが東京から一番近い「千枚田」らしい。新しいCD3枚をカセットにロードする。
千葉北より高速に入り木更津北で降りる。連休中とあって幹線道路は混雑すると思い内陸の県道らしき
道をひたすら南下。車内に方位計はあるもののT字交差点の手前では地図を開いて確認。こういう時は
カーナビが欲しくなる。一度細い道に迷い込み、よそ様の庭に車の鼻面を突っ込んで方向転換しようと
したら犬はほえるし家人が玄関先に出てきていぶかし気にこちらを見ていた。あとは概ね順調でひたすら
南下。新緑が美しい。アカデミックパークがあり薬品やDNAの研究所がかたまっていた。南房総まで
来ているのに今回は一度も海を見ていない。少し登りに入る。間もなく千枚田が左手に現れる。一枚の
田んぼの中で若者達が「泥バレーボール」をやっていた。
近くのレストハウス風のところで竹の子のご飯をいただく。ご飯が美味しいので、おばさんに「旨いね」
と言うと50キロまとめて炊いたからと誇らしげであった。そのうち泥まみれの若者達が戻ってきて
シャワーを浴びていた。「泥パック」のせいか皆赤みを帯びたきれいな肌をしていた。男女合わせて
40名ぐらいのグループで大学生の集いとのこと。「泥バレーボール」が終わったあとの田んぼは蛙の
声が一段と大きく聞こえる。声にハリがある。赤貝の貝殻をこすり合わせたような響きだ。山からは
鶯の声が聞こえる。妻は早速スケッチを始める。田んぼでは個人オーナーと思われる人たちが田植えを
している。それぞれの田んぼの脇に高さ20センチほどの孟宗竹が5〜6個置いてある。何かと思って
近くの人に尋ねると田んぼに水を入れる時のトイではないかと言う。それにしては節が貫通していない。
別の若者に尋ねると稲を植えつけて行くときにスペースを保つための道具ではないかと言う。これも怪しい。
地元のベテラン風の人に尋ねるとイベントの時に燃料を入れてあかりを灯すものらしい。夜、あぜ道に
並べて灯すと幻想的で美しいそうだ。千枚田を満喫してさらに登ると道が一段と細くなり行き止まり風の
所に小さな看板が見えた。「藤本自然王国」があった。先日テレビで加藤登紀子がギターを弾いているの
を見たが、この家で収録したようだった。家人が居なかったので中に入るのは遠慮した。帰りの館山道は
やはり渋滞があり7時半ごろ帰宅。
2007.4.15
畑の紅菜苔とターサイは伸びきって黄色い菜の花がきれいだが、夏野菜のために畝の手入れが
必要なので抜いた。えんどう豆は食べられるぐらいのサヤが数個できていた。来週あたりは
味噌汁の具にできそうだ。じゃがいもは芽が出揃って10センチぐらいになった。
田んぼはおおかた掘り返されて、しっとりとした黒土が表面に現れている。1枚だけ水を
入れている田んぼがあったので動画でパチリ。田んぼが掘り返され水が入る頃になって大型の
鳥が増えてきている。旨い生餌は独り占めしたいのか単独でいるのが好きなようだ。
2007.4.9
土曜日は絶好の花見日和であった。朝から太陽の光が大規模修繕の足場や覆いを通してベランダに
差し込んでくる。このところあまり陽の光に当たっていなかった鉢物を全部ベランダに出す。こういう
時に鉢を残すとかわいそうなので平等に光を当ててやる。カメラを持って出かける。先週はまだ三分咲き
ぐらいだったのだ。途中、ボケの花や桃の花と思われる花も咲いている。まだ春が浅い頃にはハデな色あい
を愛でたものであるが桜の時期になると色合いがハデだねなどと言いながら気持ちは淡い桜に向かって
いるのだから勝手なものだ。「今井の桜」は満開。鶯が鳴く。ここには人々の喧騒がない。少しばかり
の花びらが水面に浮かんでいる。その後再び小林牧場へ。馬がのんびりしているのであるが2頭は右側を
下にしてマグロのように横になっている。馬のこのような姿は初めてなので奇妙な感じだ。よく高速道路
に長靴や手袋が1個だけが落ちているのを見たような奇妙な感覚である。人間であれば食べ過ぎて胃の
出口を下にして横になるのは時々見かける。印旛沼の近くを通りかかると菜の花畑が見える。近づく。
菜の花の香りが良い。その後はピッツァとパスタを食べにいつもと違う店に。パスタの味はこちらの店が
良かったがピッツアはいつもの店の方が美味しいということになった。メヒカリのから揚げもイタリアン
風の味付けで出てきた。
日曜日は畑。紫キャベツの収穫。ジャガイモの芽が出てきた。えんどう豆が伸びて白い花が咲いている。
まだサヤはできていない。アスパラガスも出てきた。いよいよ夏野菜の季節も近づいてきた。
2007.3.31
うす曇の朝だ。天気予報で天気が崩れるとのことなので桜見のミニドライブへ。道端の黄色い
菜の花が目立つ。「今井の桜」へ向かう。途中の交通量は少なく、のんびりした畑が続く。桜は
二分咲きといったところか。「小林牧場」に向かう。入り口あたりは六部咲きぐらいで露天商が
出ている。シートを広げてのんびりしている人々もいる。最盛期には入口あたりの農家が俄か作りの
有料駐車場で臨時収入を稼ぐのであるが今年はまだのようだ。牧場を奥に抜けると桜は一分咲きぐらい
だ。厩舎では敷き藁の入れ替えをしている。外で馬達がのんびりしている。次は「吉高の大桜」だ。
最盛期には車の乗り入れ禁止になり、しばらくは畑の道をあるくことになるのだが、まだセーフ。
300歳の桜は開花はあと10日ほどかかりそうだ。途中、農作業の小屋でおばあさんが農産物を
販売していたので、らっきょう、漬物、菜の花などを買う。老犬が遠くを見つめてのんびり座っている。
得意の「耳後ろややアゴ寄り」のツボをかいてあげたが微動だにしない。普通は気持ちよくて押し付けて
くるものだが。外からの刺激には一喜一憂しないぞ、無駄なエネルギーは使わないぞという顔をしている。
おばあさんに歳を聞くと10歳は越えているらしい。人間でいえば60歳ぐらいか。
竹の子料理を食べさせてくれる青テントの簡易食堂が出来ていたので立ち寄り、竹の子ご飯と竹の子汁を
食べる。竹の子の天ぷらはこれからとのこと。その後はお決まりの美術用品店で小物を数点買い求め、
ピッツァとパスタとコーヒーで一休み。チーズとトマト味が美味しい。
夜は予報どおり春の嵐となっている。
2007.3.21
近所の大型電気店が本日開店とのこと。さっそく欲しかったデジタルカメラを買いに行く。
アドバルーンがあがっている。予想どおり通常より安い特別価格だ。これを下さいというと店員は
もう少し値引きできますと言う。やはり一回は値引き交渉をするのがマナーのようだ。カメラは
マニュアル・フォーカス、12倍光学ズーム、光学手ぶれ防止だ。さっそく家の中の花を撮る。
動画も試してみた。音声も入る。
じゃがいもを今年は5キロ植えた。キタアカリ2キロ、アンデスレッド1キロ、インカのめざめ
2キロだ。めずらしく妻が平日に植えていた。芽キャベツとブロッコリーは抜いた。抜いた後を耕
していると土の中からヒキガエルが現れた。冬眠していたらしい。
上下逆に水栽培してしまった「ど根性アボカド」は根の先端の成長点がしばらく空中に出ていた
らしく黒く変色してしまった。もうダメかと思っていたら根が枝分かれしてまだがんばっている。
九十九里、銚子方面に旅行。久しぶりに波の音を聞く。
2007.3.6
アメリカではミツバチが巣箱に戻らない現象が相次いでいるらしい。あの勤勉の代表みたいな
ミツバチが巣箱を放棄しているといえば話題としては面白いが実はどこかで大量に野垂れ死にして
いるのかも知れない。冬ともなれば栄養源の花が少ないので基本的には腹がすいているのだろう。
餓死するときに朦朧とした意識の中で巣箱に帰って仲間の中で息耐えたいと思うより、太陽の見える
自然の中の死を選んだのかも知れない。原因はまだ分かっていないらしい。蜂蜜も集まらないが
アーモンドやブルーベリーが受粉できなくて収穫量の激減が予想されているとのこと。
2007.2.25
暖冬などと騒いでいたが昨日今日は寒さが戻った。畑のバケツの水も凍りついていた。じゃがいも
の種芋はキタアカリとアンデスレッドを既に購入済みだ。あちこち声を掛けていたインカのめざめ
も手に入りそうだ。植え付けの畝が足りなくなりそうなのでリキを入れて耕す。隣の畑の92歳の
お婆さんが休憩で腰を下ろしこちらを見ている。耳はかなり遠くなっているが目は良さそうだ。
ベテランに見られているので「俄か百姓」は鍬を振るのに緊張した。水はけも気になったので
溝掘りもした。紫キャベツは青虫に打ち勝ち立派に巻いてきた。芽キャベツも順調に収穫。
ブロッコリーは花が咲きかけているがまだまだ食べることができる。人参は抜いてみると二又や
三叉だ。耕し方が足らないのか。ターサイは花が咲いてきた。紅菜苔は花芽がどんどん付いている。
人にあげても喜ばれる。大根は妻が早速干して漬物になった。外は光がいっぱいだが、大規模修繕で
足場と白い幕に囲まれた我が家は光が届きにくくなっている。
2007.2.3
昔は薬の箱が家の中で独特の存在感があった。箱を開けると現実離れした薬の匂いが漂い色とりどりの
紙の袋があった。頭痛薬や胃薬は良く飲んだが滅多に開けない得体の知れない袋もあった。オブラートも
あり苦い薬はこれに包んで飲んだ。昔の何とか帳というクラシックな方式ではなく最近はバーコードで顧客
の情報を管理しているらしい。薬のバーコードをスキャンすればたちどころにに倉庫や工場に不足分が伝わる
のであろう。
いつものショッピングセンターで買い物を済ませ、屋上に駐車している車の中に居ると、自動ドアから
中に入ろうとした人がドアが開かずに戸惑っている。大人であるが小柄な男の人なので体重が足りないのかな
と思って足元を見ると「体重方式」ではないようだ。ドアの上を見ると光の受信機みたいな箱があるので
光の反射を見ているようだ。その人は再度ドアに近づくがやっぱり開かない。今度は90度向こうの自動ドア
に近づいたがやはり開かない。別の人が最初のドアに近づくと普通に開いて入っ行った。何が起きているか
分からないといった表情の男は携帯電話を出している。そして車に乗って同じ屋上の30mほど離れた別の
入り口に向かった。私の視界から見えないところに入ったので私も車を移動させる。このような珍しい「現象」
は見届ける「義務」がある。別の入り口で再度トライしているがやっぱり開かない。不思議だ。さらに90度
向こうのドアは開いてやっと入れた。後でいろいろ考えたが、黒いダウンジャケットを着ていて小柄だったため
光の反射が少なかったのであろう。髪の毛も黒かった。屋上は太陽があたるので誤動作を防ぐために感度を低く
調整していた可能性がある。いろいろ勉強になった。
「ドア一枚開いて立ち去る車かな」
2007.1.28
春の陽気である。畑の土を起こすと土の匂いが立ち上がってくる。芽キャベツ、紅菜苔、ブロッコリーを
収穫。畑のお隣さんからビタミン大根を貰う。大根おろしに良いそうだ。陽気が良いので釣り人も出ている。
散歩の人々も嬉しそうな顔だ。田んぼの土も春の光で暖められ一年が始動しようとしている。耕運機も
ちらほら出ている。道路には耕運機の車からはがれた土が落ちている。お決まりの光景だ。水路を覗くと
野生のセリの群生があった。今年は食用菊を植えてみようということになりガーデンセンターまで買い物に。
季節はずれなのか苗も種も見当たらない。友人の実家に電話してもらったら食用菊はさし芽で増やすらしい。
3月ぐらいには入手できそうだ。じゃがいもの種芋はもう販売開始していた。
昨日は妻に誘われて映画を観に行った。シニア割引で一人千円だからか。観客は我々を入れて7名であった。
7名でもアイスクリーム売りのお兄さんはやってくる。通路を昇ってきて、降りて、水平に動き、また別の通路
を昇り降りする。行動パターンが決められているのか手抜きは無い。観客が7名なので期待の視線を感じる。
私の後ろの客が注文した。映画は中年の女の人の心の動きをテーマにしたものである。映画館を出ると妻は私
が内容を理解していないと見ているらしく解説してくれる。着ている服やアクセサリー、人と人の関係など驚く
ほどよく見ているのだ。この辺は男には真似の出来ない能力だ。
2007.1.19
ボーダーレスとかバウンダリーレスとか境界を作らないのが昨今のはやりらしい。古来より動物も
人間もエサを確保するために縄張りを作ってきたが、豊かになってエサが手に入りやすくなった現在は
縄張りは必要なさそうだ。より良い生活をするために会社という利益団体境界を作ったりする。ただ
時々は寄付したりしてイメージアップを図ったりもしている。くらげはほとんど水でできているというが
体の表面に境界の膜を作り、かろうじてくらげになっている。卵はカプセルを作りその中にとりあえず
自分が生きていく全てをパッキングしている。かいこも変態中の無防備な状況で鳥に食べられないように
さなぎに収まる。北京も外敵から街を守るために城壁で囲われていた。
新しいオフィスはビルの入り口の自動ドアのガラスがまわりのガラスと区別が付きにくく歩いてぶつかる
人を良く見る。ぶつかった跡にはおでこの油が残っている。通路の脇に池が作られているが、通路の石鯛の
ような縞々模様がご丁寧に池の中まで続いている。そこの透明な水が入っているのだからじゃぶじゃぶと
入ってしまう人もいるらしい。デザイン中心が昨今の流行らしい。
2007.1.16
展示会の下見で東京ビッグサイトへ。装飾屋さんが活躍している。目的がはっきりしている
ので作業する人達に無駄な動きはない。電気の配線をする人、パネルをぶら下げる人、椅子を
運ぶ人、植木を運ぶ人、コーヒーのワゴンの準備の人、それぞれ関連無く動いているのに着実に
展示ブースが出来上がってゆく。見ていると作業の指示系統はしっかり決まっている。我々が
リーダー格の人に要望を出すと、リーダーはそれを完全に把握し作業者に噛み砕いて伝える。
作業者はリーダーの指示のみに責任を持つという体制になっている。リーダーは先頭にたって
一番仕事をしている。若い女の子が作業着を着てキビキビ走り回っているのを見るのも嬉しい。
とにかく見ていて、もやもやしたグレーの部分の無い清涼感のある世界である。
2007.1.15
オフィスが霞ヶ関から大崎に引越しで本日初出勤。新築のビルだ。雨が降っても傘は要らない。
先週末に送り出した箱達が所定の場所の前に到着している。まずはパソコンの立ち上げ、そして
メールチェック。そしてプリンタへの接続確認。個人ロッカーへモノを納める。前のオフィスは
指紋認証であったが今度は手のひらの静脈認証になった。ブラインドを上げると20Fの窓には
真っ白な雪をかぶった富士山が真正面に現れた。皆歓声をあげる。前のビルでは引っ越したときは
富士山が見えていたのに、その後に建ったビルで見えなくなっていたのだ。遠くに目をやると横浜の
ランドマークタワーが見える。その後フロア探検。中心部にエレベータがありトイレやパントリー、
ますます狭くなった喫煙室がある。中に入ると中心部に近いところに会議室が並び、プリンター、
FAX、コピーのコーナーが東西南北ごとにある。オフィス部を歩くと東西南北を四角く回ってまた
元に戻ってくる。途中にリフレッシュコーナーがありお茶入れ器があったので一安心。ビルの中の
レストランは開店までにまだ数日かかりそうな気配である。昼食は外に出る。10分ほど通勤時間は
延びたがJRで地上のみとなったので携帯ラジオの利用可能率は100%となった。
2007.1.1
温かな元旦である。お屠蘇の酔いがさめた昼過ぎに地元の神社に初詣。その後ミニドライブ。
桜並木はまだ蕾が固い、長ネギは濃い緑色、菜っ葉類が温かさに体を弛めているようだ。水面には
オオバン、白鳥、カルガモがゆっくり泳ぐ。白鳥が足を縮めて飛んでいる。たんぽぽは春のように
咲いている。
帰ってからトランプで「神経衰弱」をするが年とともに脳の「衰弱」が進んだようで記憶できな
い。どうしても記憶するぞという気力もいまいち。当てずっぽうでゲームがなりたたないのでやめ
て麻雀を。こちらは母もノリノリで楽しんだ。中国人はこのような面白いゲームを良く考えてくれ
たものだ。これからまたひと勝負だ。
2006.12.29
畑に行く。カブを抜き、紅菜苔を抜き、ブリッコリーを抜き、風が冷たいので急いで車に戻る。
富士山が白くくっきり見える。数日前は雷まじりの大雨が降った。翌朝はまだ低気圧の温暖な空気が
残っていたようで温かだった。学生が冬休みに入ったせいか電車が空いていて座れた。いつもと違い
目線が低くなったので空がよく見えた。青空の部分と雲の部分があいまいさがなくくっきりと別れ、
橙色の朝陽が直接顔にあたった。
新幹線で上野から宇都宮までは1時間。近い。20分ほどタクシーに乗っているので運転手と話す。
宇都宮と工業団地の幹線道路に路面電車を通す計画があるとのこと。車の邪魔になるとのことで取り
外されてきた路面電車であるがヨーロッパの方では再評価されているらしい。近くに製鉄所があると
のこと。年末年始はいくつかの溶鉱炉は修理のために火をおとし、山谷あたりから専門の労務者が
やってくるらしい。運賃の安い東武電車で酒を飲みながらやってくるとのこと。タクシーを利用する
こともあるが値切るし、事故をおこすと基本的に働きたくない人たちなので補償が一生モノになって
しまうらしい。
ゴムの木の仲間のフィカス・アルテシーマを取り木していたら発根してきたので植え替える。
2006.12.20
飲み会で久しぶりに御茶ノ水に。坂の途中には驚くほど楽器店が並びギターがぶら下がっている。
相変わらず若者が多い。日本酒に凝っているという店に陣取る。絞りたてだの加熱してないだの
めずらしい酒を飲む。この店では瓶にガスを充填するのか真空にするのか定かではないが特別な処置
をして酒の鮮度を保っているらしい。栓を抜くとプシューと音がする。一人が写真を取り出す。
天皇陛下ご夫妻と一緒に写真に写っている。北海道の展示会のレセプションらしい。展示会に大きな
ブースで展示した人は小さなブースよりも前列に出ることができお話のチャンスが増えるらしい。
皆海外経験が豊富なので話が盛り上がる。私が昔住んでいた東十条から綱島に引っ越したときに
トラックで手伝ってくれた話が懐かしい。当時は洗濯機の脱水はまだ回転ロール式だったのだ。
2006.12.16
春のような陽気だ。春霞のような景色でこのまま桜の季節が来るようだ。大根がカーテンのように
吊り下げられている。シャッターを押したいところだがカメラは妻が帰省で持って帰っているのだ。
空港ではやはりセキュリティのゲートが「ビービー」と鳴ったとのこと。毎回のことなので私は
「怪しい風体なので係りの人が陰でボタンを押しているんだよ」と言っている。警棒みたいなやつ
で脇の下や上着の内ポケットなどを詳しく調べるものも担当者がボタンを押しながらやっていると
思う。怪しいので調べさせてくれというよりも機械がビービー言うからもう少し調べさせてくれ
という方が角が立たない。イナカは人が減ってきたので猿が我が物顔で庭に現れたり屋根に上ったり
しているようだ。鹿が窓ガラスから家の中を覗く。神楽の日は雨。お面様を背負った神官が山道を
下る。傘はささない。みのがさならば風景にとけこむかもしれない。雨が降っても昔ながらのやり方
を守る。伝統の儀式とは「いわゆる合理性」の対極だ。
2006.12.15
名古屋方面に出張する。ローカル線に乗っていて学校帰りの子供たちが乗ってきたりすると
「名古屋弁」を期待するのであるが実際は驚くほど標準語に近い。こてこての「名古屋弁」は
いまやお年寄りだけのものになってしまったようだ。話に聞くと東北の方も同じ事情のようである。
子供たちが朝起きてから寝るまでに家族や友達と話す時間とテレビやラジオから流れてくる標準語
の時間を比べると標準語のアクセントの方が多く耳から入ってきているのだろう。抑揚のある感情
のこもったイナカ言葉が、コンピュータで50音を接続したNHKのニュースを読むアナウンサー
のように単調な物言いになってしまった。最近のはやり歌も抑揚のない口の中で早口でつぶやくような
いかにも腹筋や肺活量の無い現代人の体力にマッチしたものになってきているようだ。オリンピック
の入場行進もいまや行進曲に足を合わせるということは皆無。東京オリンピックのときは行進曲にも
権威があった。そのうち行進曲(マーチ)は死語になってしまうのだろうか。ここでなぜか先日
飲み屋でつまみで出た「のれそれ」を思い出した。アナゴの稚魚で見かけは上品なくずきりのようだ。
ポン酢で食べるのであるが箸で摘まみあげるとアナゴの稚魚とあって5センチほどの長さだ。
臓物の気配は一切無い。じっくり見ると針の先のような小さな黒い目がある。
方言に戻るが最寄の駅に「かえるくん」という指定券や定期券を買う機械がある。対話をしながら
切符が発行されるのであるがオペレータは盛岡にいるのだそうだ。中年のおじさんの声は多少の
お国訛りがあり無機物の機械から流れてくるには最適だ。やわらかさでバランスがとれている。
「ふるさとのなまりなつかし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く(啄木)」という歌があったが
「かえるくん」は現代版の停車場のようだ。
2006.12.3
朝起きて何か両腕が思いと思ったら、どうやら昨日の工作のせいらしい。室内の大きな植木鉢を
移動できるように車輪付きの丸型台を作ったのだ。丸い木の厚板を4枚、車輪を12個、木ねじを
48個を購入。木ねじ締めには思ったより力が必要で手のひらが赤くなった。ハイビスカスは角長の
鉢に植えていたが台座にあわせて丸い鉢に植え替えた。予定通り便利になって大満足。
畑のえんどう豆の苗が伸びてきた。ちょっと早いが手を立てた。サンチュは相変わらず勢いが良い。
葉っぱをつまんで食べる。マヨネーズが欲しい。芽キャベツが親指の爪ぐらいの大きさになってきた。
紫キャベツは大きな葉を広げているが中心部は巻いてきた。普通のキャベツでは保護色で目立たない
青虫も紫キャベツでは見え過ぎだ。ターサイは直径12センチぐらいに葉を広げ太陽の光を待ち受けて
いる。紅菜苔は春でもないのに黄色い菜の花第一号が咲いた。紫と黄色の対比がきれいだ。たまねぎと
長ネギはマイペース。人参は天ぷらにすると旨そうな葉を茂らせている。カブは密集しすぎて浮き上が
ったり斜めになったりしているが良くできている。ぬか漬け、浅漬け、カブおろしにして食す。大根は
葉大根のつもりで植えたが大根ができている。
このところ陶器製の焼き芋器に凝っている。今日もサツマイモ、ジャガイモ、サトイモをたっぷり
買い込んだ。遠赤外線でおいしく焼ける。ヤニの焦げる匂いが部屋に漂う。お香替わりだ。
2006.11.19
金曜日の朝にパソコンに電源を入れたが全く立ち上がらない。WINDOWSの画面も出ずに「ディスク・エラー・・・」
と表示している。24時間365日のサポートセンターに電話をしてみるとメーカーの1年保証が過ぎている
ので別のところに電話してみてくれとのこと。ただし夜遅くはダメとのことである。急いで保証書を出して
みると販売店の5年保証に入っていたので一安心。しかしながらこういう状況では2週間ぐらいは修理に
かかりそうなので自分でトライしてみることにした。「システム復元CD」が購入時に付属していたので
これを使う。説明書にはこれを使うと今までのデータが全て消えてしまいますとある。でもやるしかない。
幸い外付けのディスクに1ヶ月ほど前にデータを吸い上げていたので最悪でも1ヶ月前には戻れる。
「システム復元CD」を入れて起動。画面の手順どおりに進めてゆくと何とかシステムが立ち上がった。
おまけに最新のデータをバックアップしてくれていた。ありがたい。一応使えるようになったがディスク
には若干のダメージが残っているようだ。今のところダメージの部分を自動的に回避して動作してくれて
いるようだ。全く購入時と同じ初期状態になってしまったので画面にはアイコンが1個も出ていない妙な
状態だ。まずは最初にインターネットの設定をして動くようになったのでウィルスバスターをダウンロード
する。これで一安心。メールも設定し受け取れるようになる。ただし今までのアドレス帳とメールは消えて
しまったのでバックアップされたアドレス帳を見つけインポートした。旧メールはまだインポート出来ていない。
あとはプリンタ、スキャナ、筆まめをインストールしなおし。ゼロからはじめた事によりマイ・パソコンに
一段と愛着がわいた。いろいろ調べてみるとディスクは一種の消耗品でこまめにバックアップしたほうが
良いとのことである。大事なデータが入っている場合は壊れなくても1年に1度はディスクを交換する
人もいるそうだ。とりあえず小まめにバックアップをとることとしよう。
2006.11.12
快晴の朝。北国は寒波で初雪のニュースだ。昨日の夢は車のジェットコースター版であった。私の夢には繰り
返し登場する街並みがある。昨日もその街並みの一つであった。街といっても未来的な高速道路のインター
チェンジらしき道路が空中に縦横に走っているのだ。そこを車でドライブしているとどんどん急な上り坂になってくる。
そのうちに垂直からオーバーハング気味になってくる。アクセルを弱めると落ちてしまうので、オーバーハングで頭を
下にしながらも遠心力で落ちないようにするためにアクセルを踏み続けて加速せざるを得ないという恐怖ものだ。
子供の頃、お祭りでサーカスがやって来た。そのとき大きな金網でできた球の中でオートバイに乗った人が加速して
球の中を走り回ったのであるが、その情景がダブったのかも知れない。
天気が良ければデジカメを持って車の散歩だ。寒くなってくると温室のような車の中から光のきれいな外の景色が
見れて良い。道路がせり上がり土手の高さまでくると利根川の景色が広がる。遠くに筑波山が見える。成田で用事を
済ませ帰る頃は今度は夕景色がきれいになる。車から降りてデジカメで撮る。遠くの景色が単純なせいかなかなか
ピントが合わない。風があり結構寒い。しばらく走るとまた良いアングルがありまたパチリ。夕焼けの写真は次々と良い
シーンが現れるのできりがない。自分の思い通りになるデジカメが欲しくなった。暮れてゆく自然の景色の中で
中島みゆきの歌が流れる。自然の中の人、人の中の自然だ。助手席の妻は時々居眠りから目覚め私の眠気を心配
する。
2006.10.28
畑はすっかり夏モードが終わった。残骸は抜き、耕し、菜っ葉類が青々と育っている。日差しが強くゴム長靴の
甲の部分があつい。青がえるが逃げる。土色の青がえるもいる。青と茶が混ざったのもいると思ったら土に汚れた
青がえるだった。紅菜苔の種が大雨で流れたらしく畝から流れ出て苗が育っている。夏も終わりとあり伸びきった
雑草が刈り取られている。かえって景色が広がったようだ。夏の間雑草に隠れていた釣り人たちの体が出現する。
隠れ家の壁が急に取り外されたようで何か体裁悪そうな様子だ。澄んだ空気に「キキッ・・・キキッ・・・」と甲高い
鳥の声が響く。車で行くとスズメの群れが飛び立つ。まだ体の小さな幼鳥も多い。ちょうど食べ盛りの時期に稲刈り
で子育ても楽だったろう。セキレイが道路にいる。前方に逃げるのでまた追いつく。また前方に逃げる。また追いつく。
しばらくしてやっと横の田んぼに逃げてくれた。
2006.10.23
カナダに出張した者が私にということでホームメイド・ワイン用の道具をハンドキャリーしてくれた。以前カナダの
ベンダーの人とワイン作りの話になり欲しかったのだ。日本で探したが見つからなかった。この道具はビンの中で
ワインが発酵したときにビンの中から外へ二酸化炭素が出て行くが外からビンの中に雑菌を含んだ空気は入って
行かないという空気を一方通行させる道具だ。中に水を入れてビンの口に挿すのだ。発酵するときに二酸化炭素が
発生してこれは空気より重いからビンの中でワインの面と空気の間に溜まり遮蔽してくれる。発酵が止まると空気が
入り込んできて雑菌が付きワインを酸っぱくしてしまう。瀬戸物で出来たものもあるようだ。試すのが楽しみだ。
2006.10.22
秋晴れ。空気がきれいなのでセイタカアワダチソウの先の細かい部分が良く見える。利根川の土手は
散歩する人自転車に乗る人がいる。河川敷ではラジコン飛行機を飛ばしている。空には翼の細いグライダー
が悠然と飛んでいる。土手は見通しが良いので気持ちが良い。
親戚を訪問。30年前にブルガリアの土産で差し上げた薔薇の香水があった。木の蓋を開けると薔薇の香り
がする。30年の間に不純物は揮発してしまったらしく香りのエッセンスが琥珀色に濃縮されている。たまたま
最近もらったというブルガリアの薔薇の香水があったので香り比べしてみたが「若い」。
酒、チーズ、塩辛、鮒ずしなど熟成すると旨くなるのであるが、熟成の共通法則が不思議だ。
2006.10.20
朝方ガラスに結露する季節になった。新しい靴が窮屈なのでシューキーパーを引っ張り出す。前々日の晩
に入れるときは「任せておけ!」といったたのもしい感じであったが朝起きてみると仕事をしていなかった。
「元々靴のサイズが大きいんだから突っ張れないよ」と言っているようだったので新聞紙を畳んで延長してやった。
しかし結果はイマイチ。気温も低いので伸びが悪いのだろう。
朝のホームは日当たりが悪くなってきた。2ヶ月前と違い今は日向が恋しい。昼は「ちゃんぽん」屋へ。今日
は本店のほうへ行った。まるまる太った牡蠣が5個も入っていた。一緒に行った同僚が「昔はこのうどん状の
麺になじめなかったが今はなじんだ」という。ちゃんぽん屋はおじさん族が多い。
乗り換えの北千住で階段を登るとラジオのイヤホンを引っ張り出す。野球の季節が終わったので毎日「昔の歌」
が聞けてうれしい。
家に帰ると妻が髪型を変えていた。良くなった。気がついて良かった。こういう時に気がつかないと定年後に
大変なことになると巷では言われている。居間に入ると何か変わったものが無いか一回り見回す。時々昼間描いた
絵などが置いてあるのだ。先ずはコメントの第一報。ビールを飲んでいるとまたまた1960−70年代の歌と映像。
1961年は記憶にある。近所の商店の居間でテレビを見せてもらっていた。コマーシャルで1961、ひっくり返して
も1961とやっていた。この情景がくっきりと記憶に残っている。次も懐メロ番組、その次も昔のフォーク。今日は
「懐かし4連ちゃん」。自分の半生が走馬灯のように早送りしたようで妙な気分だ。
2006.10.15
秋らしい日が続いている。雑草達も一年の集大成ということで小さな種を含んでいる。子孫造りにエネルギー
を吸い取られ乾いた空気の中でドライフラワーになって揺れている。オナモミが棘の先端を丸めて待ち構えて
いるが動物が通り過ぎる気配は無い。カヤツリグサが清潔に乾ききっている。刈り取り後の田んぼにひつじっぽ
が伸び小さな穂までつけている。遠くで黒煙があがり火事のようだ。15分ぐらい経って白煙に変わった頃に
やっとサイレンの音が遠くから聞こえてくる。友人が持ってきてくれたブルーチーズのチーズケーキでお茶する。
赤ワインに合う美味しさだ。夜はまたまたマーボ豆腐を作った。材料は豆腐、ひき肉、豆板醤、テンメン醤、醤油、
紹興酒、スープ、トウチ、花椒、にんにく、生姜、塩、胡椒、長ネギ、片栗粉だ。見た目が美味しそうに出来た時は
味も良いようだ。
2006.10.7
昨日の雨・風もあがり明るい朝だ。田んぼはまた春が来たように水がいっぱいだ。空気がきれいなので
久しぶりに富士山が見える。ベランダの植木も倒れずに元気だ。鳥の声が聞こえ人々が朝の散歩をして
いる。新聞受けにはビニールでパックされた新聞が届いていた。
昨日は朝から雨であったが会社から帰るときには風も吹いていた。回転ドアを出たがあまりの風雨の
強さにまた回転して中に入ったほどだ。でもおさまりそうもないので傘をさすが傘の形が保てない。ビル風
なのか風向きも一定しないのでまあ何とか顔は濡れなくて済んだが臍あたりまで濡れた。襟首も濡れた。
地下鉄の駅に向かう。いつも朝は無料の雑誌を配っている若者達が数人いる。まさかこういう時はいない
だろうと思っていたが居た。彼らのビニール合羽がむしろうらやましかったがこういうときに雑誌を受け取る
人はいない。一人は地上でがんばっていたが一人は階段を半分下りた半地下でケータイをかけていた。
雇い主に「もう限界です」とでも言っていたのだろうか。電車に乗ると濡れたズボンが冷えてきた。肌を
生地に触れないように空気の層を作って冷えないようにした。
2006.10.5
展示会で幕張メッセへ。エレクトロニクスの総合展のため民生品から産業用品まで範囲が広い。大型
テレビは各社大型の画面を競っていた。我が家は32型であるが100型を超えるものが展示してある。
並んである32型が小さく見えた。映画に近い大きさだ。選び抜かれた美女達が活躍していた。産業用は
比較的こじんまりした展示だ。家庭用のバーコードリーダーがありインターネットと組み合わせてCDや
ワインの情報収集や整理・管理に良さそうだ。電子部品は小型・精密化も進んでいる。ケータイに完全に
ミニプロジェクタを組み込んで動画を壁などに投影する技術も2年後ぐらいには本格化しそうだ。これが
できればケータイのテレビも投影して大きく見ることができる。来場者の中にはリュックを背負って大きな
カメラを持ったアキバ系も多い。各社のブースにはコスチュームを着たコンパニオンがたくさん居るが、
アキバ系の目はエレクトロニクス製品には目もくれずに可愛いコンパニオンに話しかけ写真を撮らせても
らう許可をとっている。女の子は慣れたものでニッコリ笑ってポーズをとる。ただし手にはカタログや
ノベルティのボールペンの箱等を離さないのだ。あくまで広告・宣伝の一部ということであろうがアキバ系
にはありがたくないことと思う。
2006.10.1
昨日はつくば駅にてカナダから来日中のあつこさんと待ち合わせ、ちぎり絵の展示が最終日の翠泉へ。
搬出。御芳名帳を見るとたくさんの方が来られていた。たいへんありがたいことである。牛久のかっぱさん
もいっしょに打ち上げ。
本日はうす曇。車で私の休日のフィールドを案内する。畑ではミニトマトをつまんでもらう。真っ赤に熟れ
ていて甘い。大根葉は今晩の塩もみに。今井の桜まで走る。秋なので葉も落ちつくし遠くから見るとポヤポヤ
と情けない光景ではあるが近づいてみると季節を間違えた桜の花がちらほら咲いていた。小林牧場を抜ける。
道端には彼岸花が咲いている。やはり日陰がよく似合う花だ。一本だけ白い彼岸花が咲いていた。車を降り
てパチリ。300歳の桜の木のある吉高へ。大桜は骨格の枝のみであった。掘っ立て小屋でおばあさんが赤しそ
をさばいていた。年寄りの犬がのんびり側に座っている。我々が通ると老犬は目と首だけで我々を追った。
おばあさんによると大根は早く植えすぎたようだとのこと。やはり塩もみして食べるらしい。元気をもらうために
300歳の桜の枝に触れた。イガの中に元気な実が納まった栗を拾う。柿は色づき、葉も緑と赤に色変わりして
いた。坂田が池に向かう。池は蓮が枯れて華やかさは無かったが鴨のグループがグワッグワァと元気であった。
一匹紛れ込んでいた白いアヒルが鴨達からちょっと離れたところでノッテリと静かに立っていた。仲間はずれに
なっているのかそれとも鴨達を仕切っているのか、しばし観察をする。動きはゆっくりだ。小雨であったので屋根
つきの休憩所で妻の定番のむき枝豆とほぐし鮭の入ったおにぎりを食べる。行きつけのコーヒーショップのケーキ
とコーヒーで元気回復。やはり糖分とカフェインは当座の元気の元のようだ。夕食はワインで乾杯。
ワインはラベルにサインの入った頂き物だ。赤はメルロー&ランブルスコ、白はシャルドネだ。
2006.9.23
秋だ。気温も20℃を下まわってきた。虫の声も幾分弱くなってきたようだ。温度が低いので筋肉が動き
にくいのだろう。窓から見える田んぼは稲刈りが終わりモミ焼きの煙が立ちのぼっている。今年の刈り取り
前の稲は葉が緑のが多かった。穂は熟して黄色いのに葉が緑というのもアンバランスな光景だ。品種が
変わったのか気候のせいなのか、それとも毎年そうだったのかも知れない。春先に挿し木にしたハイビ
スカスが伸びて花芽が膨らんできた。咲くのが楽しみだ。天井にペンキを塗っていたら雫が垂れて目に
入った。いつもは細めの目であるが天井を見るために見開いていたところへ的中した。結構しみる。
一瞬胃の検査のバリウムを思い浮かべた。このまま固まってしまったら全部白目のエクソシスト状態だ。
あわてて洗面所で洗い流す。そして鏡を見ると白いまつげになっている。何か街中でガングロとかいう
化粧をした女がいたがそれに近い。水で流してきれいになる。こういうときには「毒消し」が必要だ。
結膜炎のときに病院でもらった消毒目薬が残っていたのでとりあえず点けてみる。一件落着。
2006.9.14
2泊3日の長野方面への家族旅行から帰宅。初日、常磐道、外環、関越道経由、上信越道の東部湯ノ丸インター
で一般道へ。ちょっと前にTVで見たエッセイスト・画家の玉村豊男氏の農園の中にあるレストランに行って見よう
とのことになった。あいにくの雨であったが丘へ向かう道の両脇にはりんごの木が立ち並び、たわわに実をつけて
いた。11時30分に到着。予約をしていないのでダメモトと思っていたがOKであった。玉村氏はレジに立っていて
気さくに話をすることが出来た。ランチコースをオーダー、コースの最後はハーブティーでしめた。店内は緑色を
基調としていて小奇麗に着飾った女の人たちが多かった。お皿には玉村氏の野菜画が描かれている。また壁には
野菜や花の精密画が飾られていた。レストランをでると雨が上がっていた。周辺のハーブ、野菜、葡萄、花の農園
でひと時を過ごす。
宿は白樺湖から山のほうへしばらく上がったところだ。ゆったりした大きな造りでボーリング、ビリヤード、プール、
スカッシュ、ピンポン、ゴルフの施設もある。部屋へ行くまでエスカレーター2本、エレベータを1本使う。部屋は畳
の新しい匂いがするし食事はレストランでフルコース。ナプキンを腕に掛けたウェイターがやってくる。会社の提携
している保養所のため1泊2食で4200円と信じられない安さだ。宿泊費が安いのでワインやシャンパンはちょっと
上等なものを選んだ。風呂場にマッサージチェアが用意されている。無料なのでやってみる。背骨の両脇の玉が
ぐりぐりと上下したり左右に振動する。自分の背骨の曲がりを再認識する。ちょっと体を浮かせていないと背骨にヒビ
が入りそうだ。上限を首に合わすと腰の辺りまでしか下がらない。機械は身長を認識しないのだからしょうがない。
妻は下限を尾てい骨あたりに体を合わせたら頭蓋骨まで左右に振られてしまったらしい。
翌日も雨。娘が運転するという。しばらく運転していない様子だ。いきなり雨の下りカーブの連続だ。パジェロを
制御しきれるか。車内はしばらく静まり返った。しばらくして麓の平地に到達。会話は復活した。千曲川に沿って
長野市まで足をのばし池田満寿夫美術館と北野美術館を訪問。平日の雨とあり貸切状態である。作者と自分だけ
がその空間に居るようでゆっくりと絵を鑑賞することができた。帰りは少し遅くなったので菅平を経由するルート。
大型車は通行禁止でカーブする山道は結構登りが急だ。登りきったところは以外に人里風にひらけていた。道の
分岐が分からなくなり人を捜す。何やら作業をしている男の人を見つける。男の人は雨の当たらない庇の中に私を
導き入れ親切に教えてくれた。男の人はハーブのチャービルを大きな水槽で洗っていたのだ。
今日は青空がのぞく。雨できれいになった空気をぬって太陽の光が強い。りんごの木は街路樹にもなっている。
ワイナリーを訪問。車を走らせてフロントガラスを見ると外側にナメクジがへばり付いていた。ヌメヌメを残しながら
少しずつ移動しているが風が当たるのでだんだん体が乾燥してくるのがわかる。次のストップで道端の草むらに移
してやった。ヌメヌメはワッシャー液でもとれない。ガソリンスタンドのお兄さんが拭いてもすぐにはとれなかった。
結構しつこいのである。懐古園の近くの蕎麦屋で蕎麦を食べて一路帰宅。走行800キロであった。
2006.9.11
ちょうど稲刈りの季節だ。今年は台風も無く空気も乾いて稲刈り日和のようだ。農家の白い軽トラックがあぜ道に
とまっている。半分くらいの田んぼの刈り取りが終わったようだ。例年のごとくサギの集団が刈取機の後ろにたむろ
し様子を伺っている。あちらこちらでモミを焼いていて煙が漂ってくる。毎年桜の季節と今頃の稲刈りの季節には
一年がたつのがはやいなあと感慨深くなる。
畑の雑草とりも大方終わった。積み上げておいた草がよく干さっていて上に新しい草を積み上げると隠れていた
コオロギが四方八方に逃げ出す。空気が涼しくて気持ちがいい。葉だいこんの芽が出てきた。これからは菜っ葉
の季節だ。
土曜日は近くの市民会館でチャリティのアルゼンチン・タンゴの演奏会があって家族と出かけた。バンドネオンを
中心にピアノ、コントラバス、バイオリンの4人構成。ペアのダンサーの踊りが濃厚だ。歌手は朗々と歌う。歌はそも
そも男と女のことを歌ったものがほとんどであるが、解説者の説明を聞くとアルゼンチン・タンゴの歌は四六時中「濃い」。
普段は高倉健みたいな雰囲気でいてポロっと「告白」したほうが「効果」があるのか・・・。
ハワイアンのバンドと踊りもあり3時間を楽しんだ。
明日からは長野方面へ遊びに行く。
2006.9.7
今夜は満月。自分の腕時計に月の満ち欠けの表示があるのを思い出し見てみる。確かにまん丸であった。
今夜半には月食があるらしい。月の上の方がややかげって見えるのは気のせいだろうか。最近は「眼病」なので
自信がない。もうすっかり直っていると思うが目薬がたっぷり余っているので点け続けている。副作用がある場合
があると説明書にある。一滴でも充分とも書いてある。でも上を向いて目の中にたっぷりと液体がないと点けた
気がしない。しまいには余分な目薬が涙腺を伝わって喉の奥を通過して胃のほうに降りていっているようだ。
朝食べたヨーグルトの乳酸菌や今まで飼い続けた善玉菌なども殺菌されてしまっているかもしれない。
人間ドックで飲むバリウムも容赦ない。胃や腸のヒダヒダの奥でゆっくりと生活していた善玉菌たちも根こそぎ
土石流状態だ。バリウムでコーティングされた腸壁からは栄養も吸収されにくいと思う。数日間は高いお金を
払ってまで美味しいものを食べても栄養にならないので勿体ない。栄養を摂りたくなくて「さなだ虫」を腹の中に
飼っている人には嬉しいことかもしれない。さなだ虫などもコンクリート詰め状態で排泄されてしまうのか・・・。
ばかなことを考えているときりがないので目薬を点けて寝ることとしよう。
2006.9.2
目の充血は順調に回復している。昨日は検査では視力、眼圧を測る。次に網膜を観測するために瞳孔を
開かせるという目薬をつける。女医さんはつけると2時間ぐらいはパソコンが見にくくなりますよと言う。普通は
片目づつやるらしい。私は両目を一度にやってもらった。30分ほど待って光を当てながら両目を見てもらった。
病院を出ると世間がやけに明るい。薬のせいだけではなく急に秋らしくなったのだ。空気に湿気がないので
光が強い。金木犀が匂ってきそうな空気だ。小学生の頃にトラホームという言葉が飛び交っていた。木造校舎
の保健室に向かい行列をつくる。保健室の先生は白衣を着てモダンな眼鏡をかけて都会的な雰囲気の女の
人だった。先の丸まったガラス棒の先にクリーム色の軟膏を付け下瞼と眼球の間に入れてくれた。全校生徒が
結構頻繁にこの治療を受けていた。皆青っパナを垂らしていた時代だ。風邪のはやる時期になると洗面所に
赤いうがい薬の入ったバケツが並んだ。今と比べると相当衛生状態も悪かったと思う。そして今日みたいな
秋の気配を感じる頃になると校庭にまき切りの業者がやってきた。発動機と機械の間で8の字に掛けられた
ベルトの外れそうで外れない動きに見入っていた。
本日は友人宅を訪問。部屋を暗くして30年前の8ミリフィルムを見ながらビデオカメラで撮った。パソコンに
ファイルとしてしまい込みひと安心。親戚に見せたいとのこと。
昨夜は気温が久しぶりに19℃まで下がった。夜の虫の声が一段とさえて聞こえる。乾燥して羽の響きも良い
ようだ。
2006.8.29
左目が赤く充血し眼球を動かすとズキッとする。病院嫌いな私だが目とあれば心配で病院へ。虎ノ門病院は
前回の初診のときにカードを作るために協力金という名目で5000円ほど支払ったのだ。今回はこのカードを
出せるので「もとがとれる」などというせこい考えもあった。昼前なのに「本日の初診受付は終了しました」とある。
受付に何とかならないかとせまると「この病院は初めてですか。紹介状はありますか。」と相変わらず敷居が高い。
これが目に入らぬかと「カード」を提示する。2Fに上がって先生に直接相談して見てくださいとのこと。先生に
ちらっと見てもらうと「午前の部は終わったので午後1時半までに来てください」と券をもらう。やっと安心。
一旦会社に戻る。診察は女医さんが強い光を当てながら網膜の様子をくまなく見ている様子であった。瞼を広げ
ながら眼球の脇を押すので結構痛いし眼球が飛び出してしまうのではと思ってしまう。結膜炎っぽいですが目薬を
付けながら2−3日様子を見ましょうということになった。眼圧が高くなっているのではと質問するとそれは無いで
しょうと云われた。薬局で2種の目薬をもらう。結膜炎になる原因に思い当たるものはないが、3日前に畑で雑草を
刈ったときにイネ科のものがあったがそれのアレルギーかもしれない。帰って妻に目薬を見せると「どうしたの」と
不思議そうにしている。私の目が細くて瞼が被っているので充血しているのに気付かなかったらしい。
2006.8.25
ラジオの天気予報で秋の空気と夏の空気が入れ替わり始めていると言っている。そういえばちょっと空気が
涼しい。最近の携帯ラジオはワンタッチで選局が出来るので便利だが、やっと聞こえるような小さな放送を聞く
機会がなくなってしまった。昔はダイヤルを回しながら遠くの放送を聞いたものだ。夜になると海外のラジオが
電波が強くなったり弱くなったりしながら聞こえた。当時は知らない世界がいっぱいあると感じていた。電車の
中でデジタル式ではあるが周波数を少しずつ変えてみた。普段聞かない放送が聞こえてきた。近頃は電波が
周りに氾濫していて有り難味も薄らいでいるようだ。無線機を自作したり異国の放送を聞いたりして電波を丁寧に
扱っていた昔を思いタイムスリップする。電池が切れてもしばらくしてからスィッチをオンするとまたしばらく聞ける。
結構電池を「しぼりきる」まで使う性格だ。電池も使命を全うしてからゴミ箱に捨てられるので満足に違いない。
電車を降りるとコオロギの声が一段と澄んで聞こえる。
2006.8.19
家具店でスチール製のラックを購入。売り場面積が広いのがウリの家具店でいろいろなソファーの座り心地を
確かめながら進んでいったら結局ラックになっていた。グレーとワインレッドのツートンだ。長さが2mほどのダンボ
ールもあったが何とか車に納まった。帰ってから組み立てに入る。全体の骨組みまではとんとん拍子に進んだが
個別のスライド式のフタの細工が細かくて結構時間がかかった。妻がタオルで何度も何度も顔の汗を拭いてくれる。
珍しいことだ。妻いわく、汗が垂れると塩分でスチールが錆びるから。・・・。かくしてラックは妻の部屋に鎮座した。
2006.8.15
土曜日は雷雨との予報どおり地平線のほうに入道雲が発達していた。妻が欲しがっているノートPCのB5サイズ
を見に出かける。途中急に暗くなり土砂降りの雨。ワイパーを最速にしても拭ききれない。稲妻が前方に光る。
こういうシチュエーションは結構好きだ。そのうち雹らしき粒粒がボンネットの上で跳ねる。電気屋さんに着く。
いつものことながら感じの良い説明も的確な販売員がいるとすぐに買ってしまうのだ。B5サイズでDVDドライブ内臓
で2006年夏バージョンというシールが貼ってある。妻の誕生日まであと2ヶ月もあるというのに買ってしまった。
妻はあと10年はプレゼントは要らないと言っているが3日もたてば忘れてしまうはずだ。
お盆や終戦記念日ということでテレビで懐かしの歌をやっている。急に1970年代の歌をカラオケで歌いたくなり
友人に声をかけて翌日行った。3時間+延長1時間で4時間堪能した。いつもながらカラオケの画面に出てくる
女の湿度98%の仕草や振る舞いが「現実」を忘れさせてくれる。
お隣さんから立派なマツタケを8本ほどもらった。早速マツタケご飯に。汗がマツタケの匂いがするほど堪能した。
母の和紙ちぎり絵展が一ヶ月つくばの茶房で開催されることになり額装のため出かける。いろいろ頭に描いて行ったが
担当者のアドバイスで満足のいくものが出来た。その後しゃれた店にお茶だけのつもりで入ったがいつの間にか
妻はピザまで食べていた。
2006.7.30
腰は大分良くなってきたが洗面所でかがむと心配だし、うがいをしようとしても腰が伸びないので口が上向きに
ならない。久しぶりのよい天気。坂田が池へ蓮を見に出かける。駐車場は6台ほどと小さいので人があまり殺到
しなくて良い。3種類ぐらいの蝉が鳴き続けている。地形的なものかアジサイがまだ少し咲き残っている。睡蓮の
池には真っ白い花が凛として咲いている。真っ黒い蝶トンボが何匹もひらひらと飛んでいる様は幻想的だ。
少し進むと木陰に腰を下ろす場所があり風が通り抜ける。浮橋の周りは大きく成長した蓮の葉がゆったりと裏返っ
たりじっとしていない。ピンクの花がこれから咲く蕾、ふくらんだ青春期、花びらが落ちかけて中からおしべや種を
育てる台が露出しているもの、満遍なく揃っている。風が吹いて揺れる。他の花たちと何が違うのか良くわからない
が何か別格の気品を感じる。ヒシも例年通り育っていた。昼は近くのレストランの外のテーブルで。木洩れ日が
美しい。涼しい日陰のテーブルから遠くの日差しの強い芝生を見ていると気分が良い。自転車でツーリングをして
いるらしいおじさんがアイスクリームを舐めながら腰を下ろしている。農産物の直売場から出てきたおじさんが
泥付き長ネギを抱えている。長ネギを抱えてる姿は見ていて好きだ。女の人たちもちょっと小奇麗にしている。
犬連れも多い。見ていると連れられてきた白い大型犬はさすがに暑そうである。主人が木陰に腰を下ろす。犬は
立ったまま。さては「おすわり」と言われるまでは座らないしつけの良い犬なのか。または「ぎっくり腰」なのか。
ご主人は奥さんと話しこんでいて犬に関心がいっていない。そのうちご主人の手が犬の腰辺りなで「おすわり」と
云ったようだ。座った。一安心。ぎっくり腰でもなかったようだ。
関東も梅雨明けをしたらしい。
2006.7.26
サラリーマンの習性で腰は痛いが会社に向かう。座る予定でいつもより10分早く家を出る。しかも夏休みなので
座れるハズであったが何と座席は満杯。座れる可能性が出てくるとそこに人が集まってくる。物の値段と同じで
需要供給の関係で何事も平均化される方向性のようだ。途中から人が乗り込んでくると腰の辺りを肘で押されるの
ではないかとひやひやだ。こういうときに限って小銭や小物を床に落とす。これがマーフィーの法則か。会社に着く
と回りの人々がゆっくり休んで完治させたほうが良いのにとか言って見舞ってくれる。ぎっくり腰の経験者も少なくない。
腰をかばってその周りが痛くなりそこをかばってまたその周りが痛くなるというように、痛みは移ってゆくものらしい。
PCを開くとメールが何百件もたまっている。迷惑メールも多く、これを消去するために会社に来たようで少し腹立た
しい。最近はセキュリティの関係でPCは会社の外に持ち出せなくなったので家でメールチェックは出来なくなった。
帰りの電車で横のポールに両手でつかまり背骨を伸ばすようにしてみる。時折電車が揺れて腰がサバオリ状態に
なり痛い。面白いことに腰を伸ばし気味にしているとそれが心地よくなり直立が楽になる。前かがみをすると腰が
痛い。会社でずーっとデスクに向かっていたときは椅子の形に固定されるようで直立が出来なくなる。どうやら体は
楽な型にはまりたいものらしい。どうも性格的に痛いところまで体をひねり確認し、さらにその先までちょっと無理を
かけてみるという癖があるようだ。しかしながらぎっくり腰を調べてみると骨と骨の間の圧迫による炎症とある。
とあらば普段の骨のカーブにしておくのが一番ストレスがかからないのだ。ということで体の左右の限界の中間点、
上下の中間点に姿勢を保つようにしている。早く治りそうな気がする。
2006.7.25
ぎっくり腰は快方に向かっているようだ。起き上がる時の腰骨の髄らしきところの痛みが相当減ってきた。
ただ椅子にしばらく座っていると腰が重くなってきて立ち上がると腰が伸びない。寝ていて重力のことを考えていた。
水から最初に陸に上がった両生類は4つ足なので腰痛はなかっただろう。爬虫類でも早く走るエリマキトカゲなどは
2本足だ。哺乳類でもカンガルーは2本足だが袋に子供を入れているので腰痛はありそうだ。亀は4つ足で腰は
無いがそもそも重い甲羅を運んでいるのだから燃費は悪そうだ。でも長生きなのは無駄な動作は一切しないという
生活信条のせいか。カバは水の中が楽なのに陸上に上がるのは皮膚がふやけてしまうからか。
トイレが洋式で良かった。和式トイレはぎっくり腰にはきついだろう。昔マラソン大会に出たときゴールしたあと
疲労困憊して駆け込んだトイレが和式だった。用を足したあと立ち上がろうとしたが足を伸ばせなかったのだ。
完全に縮みきったり伸びきったりすると次の動作につながらないのだ。目の前に垂直に立っている給水管をたよって
やっと立ち上がった覚えがある。
横になっていると枕元のラジオがありがたい。朝は懐かしいラジオ体操だ。ラジオ体操の歌に始まり、第一体操と
第二体操。一瞬にしてハンコを押すカードを首から下げた少年時代にフラッシュバックする。次にエッセイストの
生き方、考え方。それから明治の文豪の小説を基に推論を楽しむ番組。楽しめた。
久しぶりに風呂に入りヒゲを剃る。
2006.7.23
昨日畑から帰ろうとクワを置いて腰を伸ばそうとすると伸びない!伸ばそうとすると痛い。さてはぎっくり腰?
そういえば来るときに発酵残飯の容器を二つ運んだがいつもの倍ぐらいパンパンに入っていてフタが閉まらない
ほどで重かった。道も雨の水分をたっぷり吸って重かった。若干前かがみのみっともない格好で帰宅。ソファー
に座っているときは痛くもなんとも無いが立ち上がろうとすると腰の角度にクセがついてしまっていて伸ばすのが
大変だ。調べてみるとぎっくり腰にマッサージと風呂は厳禁だそうだ。最初は本能的に上半身を捻ったりして柔軟
を試みていたが安静が第一のようで今は背もたれが直角に近い椅子に座っている。昨晩は寝ている間に大地震
が来ないことを祈りつつ寝た。寝るときはある程度は重力に従えばよいのでそれほど大変でもなかったが、起き上
がるときは脂汗ものであった。丸くなって起き上がろうか、仰向けか、うつ伏せか、腕で突っ張っている間に足を引
き寄せようかなどいろいろやってみた。いろいろな体勢を試みてみたが、これほど普段から腰の筋肉のお世話に
なっているとはとは思わなかった。将来は宇宙ステーションの無重力状態でぎっくり腰の療養が楽そうだ。無重力
は長期に寝込んでいる人の「床擦れ」の防止、足首を捻挫した象の治療などには有効そうだ。
2006.7.17
久しぶりにうなぎ屋でうな重を食べる。手賀沼へ降りてゆく坂道の途中に店はある。タレの濃さもちょうど良い。
前回は印旛沼の辺にあるうなぎ屋であった。大概のうなぎ屋は外観や店内が地味だ。無駄なところにお金を
かけずにおいしいものを安く提供することに徹していますという姿勢が良い。その後友人の貝アートの展示場へ。
写真と違い、実物は粉っぽい絵の具の質感が出ていてとても良かった。硬い殻を合わせる内側の作品どうしは
凹面という自然の造形で保護される。完全に保護されているタイムカプセル的な安心感がある。
車で走っていると目立つものが目に入ってきた。大きなひまわりだ。ハムスターの餌が1年分採れるぐらいに
種がびっしり詰まっている。周りにお仲間の花が見当たらない不思議な光景だ。シャッターを押す。
水槽の水草に白い花が咲いてかれこれ1ケ月ほどになる。花の茎を1本だけ伸ばしその上に水芭蕉に似た
白い花が咲いた。大分見かけは衰えてきたがまだまだ元気だ。1本だけというのも奇妙なのでインターネットで
調べてみた。アヌビアスナナという名前の水草らしい。「枯れない」ことが特徴の水草らしい。そういえばもう何年も
水槽の中に居るのだが新芽が出るものの枯れた葉っぱは見たことが無い。増える一方だ。花も枯れない性質を
受け継いでいるらしい。
2006.7.13
会社を出ると無風でむわっと異様に暑い。いよいよ日本の夏だ。暑さを洗う静かな雨が待ち遠しい。
会社で面白い話題になった。目は網膜に像が結ばれて見えるのだが、当然網膜の細胞より細かいもの
は見ることができないはずである。自分の腕を伸ばしたときの親指の爪の1/3の領域を50個の細胞で
見ているらしい。視力検査で輪の一部が切れていてどっちを向いているか当てる検査があるが、1.0の
視力の輪の切れ目は1個の細胞より小さいので理屈では見ることができないものらしい。でも実際は見えて
いる。人間の目はうまく出来ていて網膜はいつも細かく震えているのだそうだ。震えることによって1個の
細胞の中にスッポリと埋まってしまうような小さなものでも輪郭がはっきりしてきてみえるのだそうだ。
デジタルカメラでも例えば100万画素の細かさがあるが、網膜のように細かくずらしながら撮影し、実質で
400万画素の解像度をもたすものがある。
何億年もかけて進化してきた人体の不思議を近年のエレクトロニクスはまだ追いかけている段階だ。
2006.7.8
畑の雑草も最盛期だ。じゃがいもの後を耕しなおして畝をつくる。土の中に残っていたイモが飛び出す。
オクラの苗が育ってきたので間引きをする。モロヘイヤの苗が育ち葉っぱにギザギザが出てきた。キュウリは
育ち過ぎて昔懐かしい形になっていた。ナス、ピーマンも順調。真っ赤に色づいたミニトマトで喉を潤す。
瞼や顎から汗が滴り落ちる。近くにある自販機でドリンクを買う。増量でも120円だ。ありがたい。冷たい。
シャツで顔の汗をぬぐいとるとサッと涼しくなる。カボチャが通り道の方へつるを伸ばしてきているので戻して
やろうと持ち上げるともうすっかり雑草にしがみ付いている。荒治療で戻す。カボチャの花の黄色が葉陰で
きれいだ。ちょっと厚みのある湿気を感じる花に直射日光は似合わない。
自転車に乗った大きな麦わら帽子を被った女が近づいてくるのを見ていたら妻であった。差し入れの氷入りの
水をぐびぐび飲む。冷凍バナナがちょうど食べ頃になっていた。我が家では古くなったバナナは皮を剥いて
冷凍庫に入れておくのだ。麦わら帽子は大きすぎて家を出るときに玄関でつかえたとのこと。
夕食は畑の収穫物づくし。じゃがいもは中華なべにごろごろ入れフタをして火をつける。水も調味料も入れない。
10分ほどそのままにしておくと出来上がり。これほどシンプルな調理(?)はないが風味が閉じ込められていて
ほくほくして旨い。いんげんは固めに茹でポクポク食べる。キュウリは塩もみと、そのままを九州の麦味噌につけて
食す。ナスは焼きナスにしてショウガで。ビールのつまみとしてはアボカド。ホヤは酢も醤油も使わずそのまま食す。
素材の良さを味わうには凝った料理にしないほうが良いと妻は言うが、手抜きではないか。でも旨い。
2006.7.2
昨日は朝早くは陽が射していたがそのうち土砂降りに。7月1日は雨が降ってもじゃがいも掘りと決めていたが
さすがに迷う。「収穫祭」に参加してくれる予定の友人達からも問い合わせが入る。自称「気象予報士」の私は
パソコンで10分きざみの雲の行方を見る。あと30分で陽が射す。決行。予定通り青空が見えてきた。便利な世の中
になったものだ。畑は水溜りもなく良い状態であった。じゃがいもにクワを入れると大粒の白い肌のジャガイモが
転がり出てくる。最初の2クワぐらいで大体今年の出来具合がわかる。キタアカリは去年よりも収穫量が多い。
「インカのめざめ」は期待して2畝植えたが半分ぐらいは白い芋に変わってしまっていた。もっとも種芋が手に入らず
肥料箱の片隅で萎びて芽が出ていたものを植えたので、紫のインカのめざめと思って植えたものの半分は萎びて
色の濃くなった白い芋だったのかも知れない。「先祖がえり」ということは無いと思うが・・・。
なす、きゅうり、エシャロット、ピーマン、ししとう、いんげんも収穫。家で収穫したばかりの野菜をつまみにして飲む。
ビール、ワイン、日本酒がぐいぐい吸い込まれ、その後は定番のカラオケへ。同世代とあって選曲もなつかしさが
ぴったし。のりにのって夜遅くまで居座った。
2006.6.29
夜になっても暑い。帰り道、バシッという音でふり返ってみるとビルの壁で久しぶりに「電子式誘蛾燈」が稼動していた。
3秒おきぐらいに虫が飛び込んでいるようだ。先日買い物に行ったら「電子蠅たたき」のようなものが置いてあった。
電池式でアミの部分が金属のアミになっている。これまでのように叩き潰すのではなく電気ショックを与えるものらしい。
長いエスカレータに乗っていてふと手すりのベルトのところを見ると一匹のハエが四つ足(六足か?)を踏ん張って
とまっていて我々と一緒に移動していた。何か一生懸命なそして心細そうな様子をしばらく楽しめた。
2006.6.24
カナダ出張から帰国。20日の朝は順調にパスポートが受け取れ成田へ。夕方日本を飛び立ってカナダ
へ向かう便はすぐに夜がやってきてすぐに朝がやってくるのであるが今回は夜が真っ暗にならなかった。
ちょうど夏至でもあり高緯度では「白夜」状態になっていたものと思われる。飛行機が滑走路に着地すると
拍手するアラブ系の若者がいた。30年前のブルガリアの空港に着地したときには大勢の現地の乗客達が
拍手していたがそれ以来であった。夜はビールやワインを飲みながら蛙の足やハリバットのソテー等を食す。
蛙の太ももはスケート選手や競輪の選手のような大きさであった。ウェイトレスは魚の鮮度を表わすのに
「すしクォリティ」と言っていた。寿司も世界的になったものだ。連れのお客様が風邪気味だったので特注
でにんにくのから揚げを2玉つくってもらった。結局は自分で8割方平らげていた。
この地域にはメネナイツという宗教的に現代文化を嫌い質素な生活を営む人達がいる。黒い服を着て
黒い馬車に乗っている人達を時々見かける。ただレベルがあり例えば鍛冶屋は仕事場では電気を使うが
家に帰ると電気を使わないという人達も居るらしい。メネナイツは地域の中で結婚をするので血が濃くなって
良くないので最近はアメリカのメネナイツの地域へ行き来して「嫁さんさがしバスツアー」をやっているらしい。
2006.6.16
予報どおり朝から強い雨だ。傘にバラバラと雨粒が落ちてくる。空気は生温かく熱帯雨林を連想する。
工事現場のガードマンは傘は持っていないがビニール合羽の完全武装だ。ただ地面から30センチ程
の足は不完全武装である。ビルに入るとエレベータまでいつもは2枚敷いてある雨用カーペットが今日
は1枚多い。
先日パスポートの有効期限が残り一ヶ月となったので更新に行く。1階で700円を入れて写真を撮る。
パスポート用のボタンを押す。肩から上の大写しが必要なのにへそから上が全部表示されている。
体を前に倒してもそれほど変わるものではない。側に居た守衛のおじさんに聞くとそのままで良いと言う。
10年前の機械は自分で椅子の高さを調節したり体を前に倒したりして自分で枠の中に顔を納めたものだ。
そのまま良いと言われても納得がいかない。700円がちらつく。でもボタンを押した。固定された上半身の
表示が現れる。矢印キーをおじさんが器用に操作して1本のカーソルを頭の上にもってくる。もう1本の
カーソルを顎の下に移動する。そしてOKボタンを押すと正しいパスポートサイズの写真が4枚現れた。
まずは大きく撮っておいて顔のサイズを機械に教えてやれば正しいサイズの写真が現れるという理屈のようだ。
社用なので700円の領収書はどこで貰うのか気になっていたが、なんと日付入りの写真のように写真の
余白に白抜きで「領収書 700円 何年何月何日」の文字が入っていた。
3階の係りの女の人に残りの一ヶ月は繰り越されませんが「良いですね」と言われ思わずハイと言った。
「良いですか」と聞かれればほとんどの人がイヤと言い長い説明が必要になるのだろう。旧パスポートは
本日とりあげで新しいものは1週間後という。もっと短くできないかというと、出来るが書類に緊急度を述べて
会社の重役クラスのサインが必要という。面倒なので1週間後でも良いことにした。ICチップ入りの10年モノだ。
その後、1週間後に出発のカナダ出張が決まり、出発日の朝にパスポートを受け取りそのまま成田空港
まで向かうことになった。
2006.6.11
朝から雨。昼過ぎから買出しに。途中車の往来が多くて細い道から大きな道路になかなか出れない。
押し釦式の信号なので歩行者が居ないと青にならないのだ。通りかかった農家のおばあさんが見かねて
釦を押してくれて立ち去った。ありがたい。最近は他人のことに無関心の人が多いのだ。先日通勤電車
の中で網棚から空のビニール袋がひらひらと落ちてきて寝ている若者の手の上で止まった。どうするかと
見ていたら一瞬目を開いて手の上の事実関係を確認したあとまた目を閉じた。よく見ると袋は手の甲の
上のままだが落ちないように指と指で1センチほどはさんでいた。空いていると思ったショッピングセンタ
ーは逆に混んでいた。東南アジアの輸入雑貨店で天然石を5個購入。長い年月をかけてつくりあげられ
た模様が美しい。本屋をぶらつく。人間の探究心、創造力の集積場だ。中高年向けの書籍も増えてきた。
真空管ラジオ・アンプなどの本もありページを捲る。懐かしい部品の写真や配線図が現れるがなぜか
買う気がおこらない。どうも新しいインクの匂いが私の脳にストップをかけているらしい。
久しぶりに高村光太郎の本を開いてみる。詩に出てくるゆかりの地を訪ねたりしたものだ。
九十九里には智恵子の住まいの跡がある。『・・・人間商売さらりとやめて、もう天然の向こうへ行って
しまった知恵子のうしろ姿がぽつんと見える。二丁も離れた防風林の夕日の中で松の花粉をあびながら
私はいつまでも立ち尽くす。・・・』
知恵子の生家の福島、二本松も訪ねた。『・・・わたしもうぢき駄目になる 涙にぬれた手に山風が冷た
く触れる わたしは黙って妻の姿に見入る 意識の境から最後にふり返ってわたしに縋る・・・。』
戦後に住んだ岩手の山小屋も保存されていた。『・・・けなげな少女は昔のままの顔をして やっぱり
小さなシンデレラの靴をはいて 山口山のゐろりに来て笑った。 私は人生の奥に居る。 いつのまに
か女医になった少女の目が 烟るようなその奥の老いたる人を検診する。少女はいふ、町のお医者も
いいけれど人の世の不思議な理法がなほ知りたい、人の世の体温呼吸になほ触れたいと。狂瀾怒涛の
世情の中でいま美しい女医になった少女を見て 私が触れたいのはその真珠いろの体温呼吸だ。・・・』
十和田湖にも行ってみた。『・・・すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで 天然四元の平手打ち
をまともにうける 銅とスズとの合金で出来た 女の裸像が二人 影と形のように立ってゐる。 いさぎよい
非情の金属が青くさびて 地上に割れてくづれるまで この原始林の圧力に堪えて 立つなら幾千年でも
黙って立ってゐろ。・・・』。 (『』内は高村光太郎の詩より)
2006.6.4
夏がやってきた。朝の通勤の電車は冷房が入り扇風機で急降下する冷気が私の頭を直撃する。
人より髪の毛が多く天然パーマのおかげで直下型冷気を何とかしのいでいる。帰りは途中の駅で
5分ほど電車がドアを開けたまま待ち合わせをしていることがあるが虫が入ってくる。誘蛾灯といった
ところか。私も基本的に虫は嫌いなほうではないが中指と薬指の間にふいに五角形の緑色の虫が
飛び込んで来たときには思わず手を振ってしまった。
畑ではオオヨシキリのギョギョシギョギョシが盛んに聞こえる。カッコウも戻ってきた。早くもナスと
ピーマンに実がついていた。えんどう豆は大量に出来たが食べてみるとサヤが固い。植える品種を
間違えたようだ。豆を太らせることにした。
アマサギが田んぼでのんびり食事をしている。アマサギはたいがい5羽ほどでまとまっている。
いつも行くショッピングセンターの売り場に警備の若者がいるが、痩せ型で鋭い目で、いかにも
この職業にピッタシという様子だ。北京に行ったとき見かけた、箱の上で直立している警察はやはり
痩せ型でカミソリのような感じの若者であった。警察専属の民族がいるのかも知れない。まあ太って
いるよりは痩せているほうが警備員としては良さそうだ。
2006.5.25
最近のケータイは使うときにひねって伸ばし、使わないときにコンパクトになるものがあるようだ。
昔の万年筆で使うときにキャップのぶんだけ長くなるというのがあった。いつの世も発想は同じだ。
万年筆も注射器のようにインクを吸い取るものからスポイド方式で吸い込むもの、そしてカートリッジ
式と変化してきたが最近は使用しないようになってしまった。入学というとお祝いの品は万年筆とか
腕時計が多かったと思う。時計もゼンマイ式の時代は4石とか5石といっていた。数字が多いほうが
高級品であるとは思っていたが歯車の軸受けに硬い石(宝石)が使われている意味と知ったのは
随分後になってからだった。その後赤いLED表示、液晶表示になり、クオーツになって狂いは少なく
なった。昔は時計は精密機械なので空気のきれいな日本で言えば信州、外国ではスイスと言われて
いたがクオーツになってからはラジオやテレビのような電気製品と同じなので空気のきれいさは関係
なくなってしまった。革靴は底が減らないように金具が打ち付けてあって歩くたびにカチカチと固い
音が響きそれが何となく大人っぽくて嬉しかったものである。靴もソフトな靴底が主流となっている。
ワタナベのジュースの素を水に溶かして飲んでいた人々は、水を買って飲むようになった。
歌は骨太のメロディーから8ビートの力のない声を額あたりから出すような歌が多くなった。筋力の無い
無気力な現代人には必然的な「進化」なのかも知れない。行進曲に合わせて整然と足を合わせての
行進はダラダラ入場に変わってしまった。これも「進化」なのか。
2006.5.23
先日ねぎ坊主に群がるミツバチ達を見たのでちょっと調べてみた。冬になると花が少なくなるので
自然界では蓄えた蜜を食べながら過すのであるが、秋に人間様が遠心分離機で吸い取ってしまうの
で腹を空かすことになる。それを補うため砂糖水を与えるとのこと。花粉の代わりにはきな粉らしい。
注意書きには砂糖水は巣箱の中に置くようにとある。外に置くと他所の蜂がやってきて盗蜜にあうという。
当然喧嘩になり多くの蜂が傷ついてしまうとのこと。いかにも人間臭い出来事だ。花から花へ少しずつ
蜜を集めている間は平和だが「富の蓄積」があると楽して奪おうとするやからが現れ争いになる。
冬の間の急場をしのぐ砂糖水といっても夏場も与えている養蜂家もいるに違いない。近くに甘い砂糖水
があればついそちらの方へいってしまいたくなるのは人間も同じだ。蜂蜜の宣伝に「砂糖水は与えていま
せん」と但し書きがあるぐらいだから普通は使うのが当たり前の世界なのか。よく冗談で台湾のうなぎを
一瞬浜名湖の水につけて浜名湖産と言っていたが、砂糖水もミツバチの消化器官を通っただけで
蜂蜜だ。直接混ぜるよりはましかも知れない。家にあった蜂蜜を舐めてみた。やはり野の花や飛び交う
蜜蜂を思い浮かべながら味わいたいものだ。
2006.5.21
畑の堆肥づくりの盛り土の上にきのこが生えていた。鍬の木の柄にセメダインのチューブの口の回り
のような黄色の菌類が生えていた。しばらく雨が降り続いたのでミミズの皮膚もたっぷりと水分を吸収
していて元気だ。ネギぼうずに何匹ものミツバチが取り付き盛んに蜜を吸っている。菜の花やレンゲに
ミツバチは絵になるがネギぼうずの蜜は美味しいのだろうか。ネギぼうずをつまんで吸ってみる。ほの
かにネギの香りがした。この蜂が巣箱に帰るとネギ風味の蜂蜜になるのだろうか。弱った蜂向けのスタ
ミナ食かも 知れない。
きぬさやえんどうとエシャロットを収穫。雑草をクワで退治しているとペパーミントの良い香りが漂う。
ペパーミントはその印象とは違い結構丈夫だ。久しぶりの晴天だ。夏至も近いので影が短い。
太陽の強い紫外線で地表の雑菌がどんどん消毒されていくようだ。太陽が出なければ黄色い菌類や
きのこのはびこる世の中になっているのか。
ところで最近お仲間の間で「スグリ」が話題になっている。私が小さい頃によく食べた丸い実だが英語
では「グーズベリー」と言う。福島では日本語として「ぐずべり」と言っていたらしい。調べてみると北海道
でも「ぐずべり」らしい。明治になって日本に来た暑さが苦手な植物らしいので南国育ちの妻は知らない。
知り合いが絵画展に出展しているので見に行く。空気の存在を感じることのできる素晴らしい油絵で
あった。私なりの分類でいうともちろん「壁に掛けていつも見ていたい」のほうである。
2006.5.7
4日、5日と連続で「竹の子茶屋」へ。前日と同じメニューのほか竹の子のサシミも食べ胃腸の掃除は
完璧だ。6月中旬からは梅酒用の梅もぎ、一週間後は梅干用の梅もぎができるとのこと。
昨日は友人宅訪問。中華の材料と調味料を一式持参して作る。鍋は先方が電磁調理器なので借用。
鍋を振り回すことは出来ないが結構火力(?)は強い。
本日は雨。こういうときは鳥たちはどうしているのか、ぶらっといつものコースへ。田んぼの中の鳥たちは
少ないが水路には結構居る。さすがに水鳥だ。田んぼの鳥たちは今の時期は農薬の無いみみず等を食べ
ることが出来るがもう少したつと農薬のみみずで肝臓を悪くするのだろうか。鳥の渡りは弱い固体をフルイに
かけるので年々肝臓は丈夫になっているのかもしれない。川鵜が3匹いつもの金属パイプにとまっている。
ツバメたちが雨の中水面を飛び交っている。こんな雨の中で虫は居るのだろうか。遊んでいるのか、よほど
腹をすかしているのか。葦の群生の隙間を縫うように一匹の黒い小さなカイツブリが泳いでいる。ほどなく
潜ったがどこかへ行ってしまった。
2006.5.4
昨日は恒例の夏野菜の植え付け。キュウリ、ナス、ミニトマト、ピーマン、シシトウ。えんどう豆は白い花が
咲いている。じゃがいもは「インカのめざめ」の葉が伸びてきた。田んぼに水が入ったので畑の側を流れる
水路から水を汲み上げやすくなっている。バケツで水を汲んでそれぞれの苗の根本に同じ量の水を与える。
「武ちゃん」来訪。科学技術の限りない進展と人間の求める生活の関係などの話題で酒を飲む。
今日も良い天気。バードウォッチングに出かける。「武ちゃん」は日本野鳥の会の会員とあって鳥や自然界
に詳しい。鳥を見ても種類の違いだけではなく夏羽と冬羽の違い、繁殖期の変化なども熟知しているのだ。
オオヨシキリがギョギョシ・ギョギョシと鳴き既に真夏の様相だ。ヒバリが草原に降り立つ。春の今頃は虫が
いっぱい居るので子育てには良い季節らしい。秋ぐらいになると米などの穀物でも良いらしいが成長期の今頃
は虫のたんぱく質が必要らしい。渡り鳥が移動す理由は暑いのが好き寒いのが好き以上に子育ての時期に
餌の虫がいっぱいいる場所ということらしい。水の入った田んぼではムナグロが水中の虫をついばんでいる。
双眼鏡でみるとなかなか配色のデザインが良い。胸を張った姿には威厳さえ感じる。バードウォッチングには
車の中が警戒されなくて便利だ。外に出ると直ぐに警戒され飛んでいってしまう。すこし行くとチュウシャクシギ
がいる。長い嘴は単純な直線ではなく優雅なカーブだ。雀に似ているカワラヒワが飛び立つ。カルガモの夫婦
なのか2匹が付かず離れず田んぼの中を泳いでいる。コサギ、チュウサギ、ダイサギが繊細な様子で佇んで
いる。アオサギは青灰色の大型で飛び立つと優雅だ。頭の色が薄茶色のアマサギ達とも1年ぶりの対面だ。
野鳥が大きくきれいに撮れるデジカメが欲しくなった。手持ちのカメラは小さく写るしピントがいまいちなのだ。
「吉高の大桜」まで行ってみる。花見時期は人出が多く車で中まで入れないがシーズンオフのこの時期は
車で奥まで入っていける。大桜はすっかり葉桜になっている。家族連れがちらほら「田舎風景」を楽しみに来て
いる。一人で来ているというご婦人が老木に触り「気」を貰いたいと言うので背伸びして枝を持たせ写真を撮った。
野菜、、花、木々は排気ガスや喧騒のない奥座敷でストレスの無い春の光を謳歌しているようだ。
「茶屋」とマジックインクで書いた看板があるので行ってみる。青テントと木立を利用した空間で雨露は凌げる
構造だ。椅子の形はバラバラで倒産したスナックから持ってきたような椅子、役場の会議室にあったような椅子、
パイプ椅子、バロック風な椅子など見ていて飽きない。余分なところにお金をかけていないので食べ物は安い。
3月から5月の連休明けまでの季節限定で営業しているとのこと。竹の子ごはん、竹の子汁、竹の子てんぷら、
おでん等々。揚げたての竹の子の天ぷらにはヨモギの天ぷらも添えられている。調理場の人達も真面目に働い
ている。農家の人達もご先祖様たちの墓地に見守られながらゆっくりした時間が流れているようだ。堪能。
2006.4.30
天気が良いので近場をドライブ。ツバメが戻ってきた。水のまだ入っていない田んぼ、水が入った田んぼ、
苗の植わった田んぼと今の時期は変化がある。水路で釣りをしている人も増えている。白鳥は居座っている
のも何匹が居るがオオバンは日本の北国に帰ったようだ。夕飯の「炒め物」は自分の役目だ。今日はナス
の炒めということで、ナス、ピーマン、ひき肉、長ネギだ。にんにくのみじん切りは香りが良くなるとのことなの
で1時間ほど前に刻んでおく。そこに豆板醤、甜面醤、XO醤、トウチ、ナンプラーで味を付ける。焦げそうに
なったら紹興酒を入れる。今日の出来は良かった。窓を開けると水の入った田んぼで元気になったカエル達
の合唱が聞こえる。妻は「らっきょう」を漬け込んでいる。
2006.4.22
桜はすっかり葉桜になった。桃色の花が賑わっている。次はツツジだ。畑はえんどう豆が伸びてきた。
アスパラガスもぽろぽろ出てきた。冬野菜の名残りを引き抜き土を掘り返す。ミミズや親指ほどのサナギ
が出てきたりして気を遣う。
近くの田んぼの水張りが始まっていたので動画で撮る。ここに越してきた頃は田んぼの端に添ってコン
クリートブロックの水路がはしっていて田植え時期になると大量の水が勢いよく流れ田んぼ毎にこの水路
から水を引いていた。いつの間にかそれぞれの田んぼに給水栓が設けられコンクリートブロックは無くな
ってしまった。世の中の流れか。遠くから見ているとなかなか動かないトラクターがあるので側に近づいて
みると畦の整形をしていた。水張りの前になるとモグラの穴などから水が漏れないようにきれいに形を整え
ている光景をよく見る。トラクターの部品を変えると畦も直せるようだ。直径50センチぐらいの円板が斜め
に回っていた。あまり速くは移動できないようだ。運転席には若者が座っていた。
ここ2週間ほどは忙しかった。関西方面、名古屋方面に泊まりで出張。東京から大阪まで新幹線の窓
から居ながらにして沿線の桜を楽しんだ。水路に沿って、山の中腹に、学校に、会社の敷地に、この時期
だけ気付くのであるが思ったより桜の木が日本にはある。泊まりの夜は地元で夕食替わりに酒を飲みに
行く。美味しい珍味を食べて酒を飲む。食べている物の由来を店員の説明がしっかりしていると酒の旨さ
は倍になる。外国人にホタルイカの沖漬けやコノワタ、カニミソを食べさせてみる。最近は寿司が外国でも
流行っているせいか、このような食べ物も大丈夫そうだ。
2006.4.8
満開の桜を見に出かける。途中にわか雨が降ったりしたが概ね晴れの良い天気であった。桜を
動画で撮る。風に揺れる枝先に満足。ガーデンセンターに立ち寄り花の鉢を4種購入。家には観葉
植物が多いが色や形のかわいい花もまた良いものだ。
先週後半は東京ビックサイトでの展示会のセンサー展に出かけていた。世の中デジタル時代で何事
も高速なデジタル処理を行うのであるが私達の自然界はアナログなので必ずアナログからデジタルの
変換器としてのセンサーが必要なのだ。展示会は業界や他社の製品動向を見るのにも良いチャンス
だ。今回感心したのはガスメータの構造だ。透明なケースで中の構造が見れるようになっている。
水道メーターは管の途中で風車みたいなものが回りメーターが動くのであるが、ガスメータは「ふいご」
状の中にガスを導き入れゴム膜状の「部屋」が膨らむとその力でメータが動くのである。膨らんだ部屋
のガスは弁の動きで次の部屋に導かれる。構造は人間の心臓の心房、心室の4つの部屋に酷似し
ている。ゴム状の膜は昔は鹿の革が使われたらしい。一滴(?)のガスも抜け駆けは許さないぞとい
うことらしい。隣の建物では「SEA-JAPAN」という海に関わる展示会もやっていた。見慣れない装置が
たくさん展示されていた。海外の会社も多数展示していて外国人も多い。展示ブースにはバーコーナー
もありワイン等が並んでいる。一回のビジネスで動くお金が大きいのか各社お金をかけているようだ。
先週外国のベンダーと飲む機会があった。自分でワインを作っているらしく地下には何百本もボトル
を置いているらしい。めずらしいものではたんぽぽのワインもあるそうでこれには驚いた。休暇で
トロントからフロリダまでドライブすることもあって、交代で運転しホテルには泊まらずに一気に南下
するらしい。家族でのバケーションではワンタッチで開くテントが付いているトレーラーを引っぱって
ゆくらしい。先週ぐらいでメープルシロップの収穫は終わったらしい。春先で植物が水分を吸い上げ
始めるほんの2−3週間の収穫期間らしい。
2006.4.2
風やや強し。南風で運ばれてきた湿気のもくもく雲。上空は乱気流らしい。ねずみ色がだんだん濃く
なってくる。日食のときはこんな感じなのかと思う。満開の桜には曇り空がよく似合う。
昔ブルガリアに行ったときも4月だった。プラムの白い花が満開だった。プラムで作った地酒を飲んだ。
レクレーションで山に行き湧き出る清水を飲んだ。街の中では水は飲めないのでテーブルには瓶づめ
のドリンクを置いてあるのがおきまりであった。
ペットショップに立ち寄ると名古屋コーチンのひよこが売っていた。メスは一匹970円でオスはその
三分の一ほどだ。オスの価値は低い。ひよこに大人の羽が出来かかっているのもいる。更に体が
三倍ほどになってとさかもできかかっているのもいる。そうなると顔つきもイグアナの目のようになって
きていてとても「カワイイ」とはいえない。いかついオッサンが慈愛に満ちた顔でフェレットに話しかけて
いたりしている。若いカップルが亀の水槽でなにやら品定めをしている。ペットショップはたのしい。
2006.4.1
天気予報どおりの春の陽気だ。室内の観葉植物をベランダに出す。たっぷりと葉緑素を作ってほ
しい。昼前に友人と連れ立って近場の桜を見に出かける。水路に沿って2キロ続く桜並木は思った
とおり人出は少ない。最近は人出の少ない場所がうれしい。全く人影がないのも寂しいものだが、
理想的なばらけ具合で人々が静かに犬を連れたりして散歩している。桜は7分咲きぐらいで花びらは
まだ散っていない。これからピークを迎えるちょっと手前という状況が好きだ。
コーヒーと食事の店へ。閑静な住宅街の目立たない場所にある。テーブルが4つぐらいの小さな店
だが内装はおしゃれだ。コーヒーカップや食器はクラシックで一つ一つデザインが違う。帰りにからし菜
を摘む。さすがにもうトウが立ち始めているがまだまだ柔らかい茎や葉が隠れている。明日の夕食の
お楽しみだ。
2006.3.26
妻がひと冬しまい込んでいた自転車をいじりだした。空気が抜けているというので折りたたんで
車に積み自転車の修理屋さんへ。季節が良くなって自転車を引っ張りだした人が多いのか繁盛
していた。見てもらったら単に空気が抜けているのだろうとのことで空気を入れてもらい様子を見る
ことに。
クリーニング屋の駐車場からおばさん同士が立ち話をしているのが見える。いつでもバイバイできる
ようにと思うが、はじめからお互い体が斜めになっている。信号が気になっているようで青になって
一瞬バイバイしたそうだが、相手が信号を背にしていて気付かず話はまたまた佳境に。タイミングが
合わない。
畑のえんどう豆に手をたてる。ターサイ、長ネギを収穫する。
友人が来訪。一緒に昼メシを食べる。沖縄旅行に行ってきたとのことでいろいろ話しに花が咲く。
長ネギに塩をふりかけ焼く。旨い。
2006.3.24
銀行に行く用があったので長いこと財布の中であたためていた「分断された5千円札」を両替する
ことにした。専門の係りの人が出てきて、3片までの分断であればすぐに両替できるが4片以上に
分断されているものは日本銀行の鑑定が必要という。用紙の住所・氏名・電話・通帳の番号、理由
として「封筒に入れたまま、まちがえて破く」と記入。鑑定が問題なければ2週間以内に通帳に
振り込まれるとのこと。かくして私の5千円札は2週間の日本銀行への旅に出た。
帰ってから3片と4片の違いについて考えた。私なりの結論は3片であればどのような複雑なちぎれ方
でも無傷の1辺は必ず残るので偽造の可能性は少ないが、4片だと「アヤシイ」。
2006.3.21
じゃがいも日和。買い求めておいた「キタアカリ」を3キロ植える。本当は昨年評判の良かった
「インカのめざめ」にしたかったのだがどこも売り切れ。「キタアカリ」を植え付け終わった頃、道具箱
の中の袋の中に昨年の「インカのめざめ」を発見。くず芋で小さく萎びていたが30個ほど。出ている
芽は驚くほど元気だ。さっそく畝を増やす。露出させられたミミズは体をくねらせる。数日前の雨で
しっとりした土の表面がほんの少し乾いて白っぽくなっている。梅の花は満開。モクレンはつぼみが
割れてきた。沈丁花の香りがどこからか流れてくる。ニュースで桜の開花情報が流れる。
収穫物の長ネギ、紅菜苔、大根がさっそく夕食に並ぶ。
2006.3.14
土曜日に川村記念美術館に出かけた。途中道がわからなくなり遠回りしたが知らない
街の懐かしいポストを見たりできた。「佐藤忠良のスケッチブック」の企画展でスケッチ
をやっていて単色のスケッチの中の一部の彩色が際立っていた。人の目の仕組みも網膜の
周辺は詳しく見ていないのでぼかして情報を減らしてもそれほど画像の劣化に気がつかない
ものらしい。一部の彩色がかえって際立たせていた。美術館の周辺も広々していて落ち着く。
春の花に横になりながらシャッターを押す人も多い。美術館に入るとすぐに裸婦のブロンズ
像がある。説明によると左手は甲を前に向け受け入れの象徴、右手は平を前に向け拒否の
象徴らしい。確かに現実の世界では受け入れと拒否の微妙な割合が大事なのだ。どちらか
100%ということはありえない。ひとつの作品にいろいろなものを織り込みたいという
のは人間の本性か。シンプルなものにはすぐ飽きがくるということなのかも知れない。
盆栽もいろいろ盛り込んでいる。以前付き合いのあるカナダの会社が新製品に「ボンサイ」
という名前を付けたいがと相談されたことがある。確かに小型の製品にいろいろ機能がもり
込まれているので「ボンサイ」というアイデアもわかるが日本で印象が良くないと思い
お断りした。今週別の会社のプレゼンテーションを見たが、その中で外国の車の機能の操作
を小さなパネルにまとめたものがあった。そのパネルの隙間に何と松の盆栽の絵が描いて
あった。最初は意味が解らなかったがやはりコンパクトという意味の遊びと思う。
2006.3.5
昨日は久しぶりに畑へ行った。前の日が雨なのでぬかっていると思ったが、あまりに
天気が良かったので出かけた。キキッときこえる鳥の声と春の光の組み合わせが心地よい。
所々水が溜まっていたので排水のための溝を掘った。元の溝は崩れた土や草の繊維で埋ま
っている。掘り進むが肝心の川までは掘り進む気力が無い。ということは掘れば掘るほど
回りの水が流れ込んでくるのだ。町の中にある大雨のときのための貯水池みたいなものだ。
水は正直に高いところから低いところへ単純に流れるだけだが複雑な土の起伏なのでしばら
く楽しめた。ブロッコリーは青虫の餌場と化し葉っぱは虫食いだらけだが食べれるだけの
コブは出来ていた。紫キャベツは着々と玉が大きくなりえんどう豆は10センチほど。
長ネギ、エシャロット類は強い。大根は引き抜いてみると15センチほどであるが辛みが
あり、むしろ旨い。ターサイは寒さで成長が遅いがその分味が濃くて旨い。アスパラガスは
枯れ草の下で待機状態。次の農作業はジャガイモ植えだ。
田んぼ道は青のオオイヌノフグリと紫のホトケノザで華やかになってきた。
2006.2.25
人間ドックに行った。いつもより早起きして食事もしていないので頭がボーっとして
気合が入らない。電車の中で額を叩き続けているおじさんがいた。牛乳ビンの底のような
眼鏡をして指を開いてエイトビートで休まず叩き続けている。縮れ気味の髪の毛の生え際
が手の形になっている。長年の間に摩擦で髪が擦り切れたのか。全員薄いブルーの診察着に
着替える。普段から少し厚着気味の私には少し寒く感じられる。人は好みに応じて衣服で
寒さを調整しているのに、このようなときは一律にしなければならないので困る。女の人は
一律の診察着で美しい美しくないがあらわになる。心電図の部屋で電極を付けて仰向けになり
安静にして下さいといわれた時に再びパチパチおじさんを思い出した。あの額の指の形は
磨り減ったのではなく指の刺激で生えてきたのか。心電図が乱れないように笑いをこらえた。
結果は異常なしであるが栄養過多なので休肝日をもうけて下さいとのことであった。
休肝日は守れそうもないのでビールのあとのプラス・アルファは控えめにすることとしよう。
2006.2.19
先日妻のお供で「プチ・ファッションショー」に出かけた。着物をリフォームした服を
中年のご婦人方が次から次に着替えて出てくるのだ。ギャラリーとレストランを使っての
こじんまりした会場である。ご婦人方は近くに来た「モデル」の服の生地を触って感心し、
ひっくり返しては縫い目を見、コーディネイトを褒める。実質的なご婦人パワーがすごい。
ちらほら見かける男どもはもっぱら写真係りだ。ひと段落して歓談していると見に来ている
ご婦人も父親の形見の大島紬をリフォームしてジャケットにして着ていた。中年になると
一段と個性のある服や装飾品を好むものらしい。妻に聞いてみると「そのとおり」と言って
いた。ご婦人は歓談中にバッグの中から「ボンタン飴」を出して配っていた。ファッション
で「きめ込んだ」ご婦人が「ボンタン飴」を配るというのが男にはない女の不思議さだ。
カメラを持って「春さがし」をしてみたがまだ春浅しといった様子だ。ホトケノザは
きれいな紫色で咲いているが、オオイヌノフグリの花はまだつぼみ。たんぽぽはやっと一個
咲いていた。からし菜は寒さの中ではあるがロゼット状態の葉がアンテナを広げ春の光を
集めている。アンテナは春の光のエネルギーを中心部の若葉に送り込んで成長を助ける。
申し訳ないが柔らかな若菜を頂戴し食卓をにぎわす。
九州の山地では3月になると雑木林の木々が水を吸い上げる音が聞こえてくるという。
杉などの針葉樹より広葉樹のほうが水の吸い上げが強いようだ。また同じ広葉樹でも川辺に
ある木々は普段から水がたっぷりあるので音は小さいらしい。春の風物詩である。
2006.2.5
ここ数日寒さがぶり返している。空気も澄んでいて普段見えない景色の細かい部分まで
目に入ってくる。先週末友人と昼間から「蕎麦屋で酒」をやった。玉子焼きやアナゴの白焼、
天ぷら、おしんこなどをつまみながらの日本酒はイケる。そばがきも良かった。
蕎麦が美味かったので今週も家族と行ってみた。今回は酒は無しで車だ。冬型の天気とあって
車の気圧計は1030ヘクトパスカルあたりを示していた。
ヘクトパスカルといえばNHKの気象概況のアナウンサーが各地の天気、気温、気圧などを
伝えるときに毎回、何十回もヘクトパスカルを繰り返している。以下省略としないところが
NHKらしい。また大雨で土砂崩れの可能性があるとき必ず「過去数年間で最も土砂崩れの
可能性が・・・」と繰り返しているが去年崩れたところでもこれを言っているらしい。
グッピーのベイビーが生まれた。水草の陰から陰へ。尻尾の色が黄か赤か楽しみだ。
2006.1.21
朝起きると天気予報どおりの雪。モスクワでも寒波で零下30度。寒さ対策でサーカスの
象にウォッカを飲ませているらしい。演技のときに足がふらつかないのだろうか。ロシアや
カナダではアル中が多いと聞く。寒さで家の中にいることが多くなるとちょっと頭を「麻痺」
させておいたほうが良いのかもしれない。
我が家のベンジャミン。気がつくと小さな実?をつけていた。花の咲いた様子も無い。
調べてみると無花果(いちじく)の仲間らしい。良く見ると無花果の実に似ている。実際には
中に地味な花があるらしい。一ヶ月ほどで赤くなるとのこと。
2006.1.15
春だ。車の窓ガラスを開けて走っても気持ちが良い。土手でからし菜を採る。4時間後には
胃袋に入っていた。適度な辛みと青くささで酒がすすむ。熱帯魚の水槽にいるグッピーが
最後の一匹になってしまっていた。孤独死させるのもかわいそうなので1ペア購入。苔取りの
なまずの親戚も2匹増えて賑やかになった。一匹のときは情けなさそうに元気の無く泳いでい
たオスのグッピーだがメスが仲間に入ったら元気回復。ディスプレイ行動をしている。
2006.1.14
ミュージカル「キャッツ」を見に行く。猫たちが舞台の上で踊り歌いすべり回る。
街の片隅で、人間に飼い馴らされることを拒否して生きてゆく猫たち。
シンプルな猫模様の衣装を着て踊るダンサーたちの完璧なしなやかさは、筋(スジ)の
なかば固まりかけたおじさんのあこがれだ。静かに歌われる「メモリー」のメロディー
も良い。
キャッツシアターを出ると春の雨だ。夜には春雷も鳴る。ミュージカル「キャッツ」は
イギリス生まれだが猫族に対する感情、性質の捉え方は同じようだ。イギリスの病院では
赤ん坊の高熱を下げる時には水風呂に入れるそうだ。日本人が赤ん坊を病院に連れて行っ
たらお尻の「蒙古斑」を見て「幼児虐待」と思われ、通報されたことがあるそうだ。
2006.1.9
昨日は親戚が来訪して新年会。珍しいウィスキーや海産物を食べながら、借りたビデオ
デッキで昔のフィルムを見た。フィルムの「8ミリ」をふすまに映しながらビデオに変換
したものだ。声は出ない。映像の中の30年前の妻の初々しい振る舞いは、隣に居る現在の
妻とはとても同一人物とは思えない。皆若かった。30年を数時間の人生に「早送り」した
ようで見終わって気分が老けた。
アナログのビデオテープをデジタル化したいと思っていた。ビデオを再生しながら変換し
USB経由でパソコンに取り込んだ。ためしにテープ1本を変換しようと思って始めたが
3倍モードで録画されていたため5時間かかった。5時間分がDVDで5枚分になった。
これで一安心だ。テープはまだまだある。
2006.1.1
新しい年が始まった。暮れには掃除、メンテに活躍した。成田離婚ならぬ年末離婚という
ものがあるらしい。男が女のあまりの掃除嫌いに愛想をつかすのか、女が男の働きの悪さに
愛想をつかすのか定かではないが、我が家には関係が無いようだ。普段はテレビの旅番組で
しかお目にかかれないカニを食べ、暮れに成田の宗吾霊堂で拾ってきたギンナンを食す。
元旦は曇り空。今にも雪が降ってきそうな空模様である。水路の水は表面に氷が残り、オオバン
が氷を掻き分けるようにあせって泳いでいた。カワセミが棒の先に留まっていたので急いで
シャッターを切った。
2005.12.25
久しぶりの畑だ。雨が降らなくて土は乾燥しているがちょっとくわをいれると湿った土が
現れる。長ネギと紅菜苔は寒さのせいで弱っているがターサイ、紫キャベツ、ブロッコリー
は元気だ。今頃のターサイは寒さのため葉に厚みが出て旨みが増す。土を耕していたら冬眠中
のヒキガエルが現れた。頭の上の土を急に持っていかれて目を白黒といった様子だ。寒そうなの
でまた上から土を掛けてあげた。えんどう豆の芽が伸びてきた。早く出すぎても霜にやられそう
だし微妙なところだ。耕した土を目ざとく見つけてハクセキレイがやってきた。上手に尻尾で
バランスをとりながら虫をついばんでいる。
2005.12.22
高村光太郎の詩より
冬の言葉
冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が洗ひ出すのは万物の木地。
天はやつぱり高く遠く
樹木は思いきって潔らかだ。
虫は生殖を終へて平気で死に、
霜がおりれば草が枯れる。
この世の少しばかりの擬勢とおめかしとを
冬はいきなり蹂躪する。
冬は凩の喇叭を吹いて宣言する、
人間手製の価値をすてよと。
君等のいぢらしい誇りをすてよ、
君等が唯君等たる仕事に猛進せよと。
冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が求めるのは万物の木地。
冬は鉄碪を打つて又叫ぶ、
一生を棒にふって人生に関与せよと。
2005.12.21
通勤帰りに空を見上げるとオリオン座が頭上にあった。冬がやってきたのだ。明日は冬至。
朝起きても外がまだ暗いので気が滅入る。通勤途中の銀杏並木は葉を落とし複雑な枝の形態が
露出している。そういえば「ぎんなん」が全く落ちていない。匂いがするので「オス」の木だけ
を選んで植えたのだろうか。墓参りに行ったが雨が少ないためか例年の霜柱ができていなかった。
ザァーァーァーーと真っ直ぐ静かに降り続く春の雨の音が待ち遠しい。
2005.12.18
関東ロードレースの応援で成田へ。寒波とのことで天気はよいが風が少しある。宗吾霊堂の
傍の歩道を歩いていると異様な匂いが。落ち葉のなかに「ぎんなん」の実がいっぱい落ちていた。
実の部分は朽ちてゼリー状になっていて種が露出しているものも多い。ペットボトルにいっぱい
詰めて持ち帰る。
2005.12.13
霞ヶ関の銀杏も葉を半ば落とし毎朝歩道に積もっている。積もった落ち葉の上を歩いてみる。
まだ幾分水分を含んでいてやわらかい。落ち葉を清掃する人が大きな電気掃除機のようなもの
を操っている。良く見ると吸い込んでいるのではなく吹き払っている。とりあえず自分のところ
がきれいになればということか。毎朝お茶いれ器で緑茶をいれながら22Fの窓から富士山の
様子を見るのが日課だ。このところ晴天が続いているのに2ヶ月ほど富士山が見えないなあと
思っていたら今日真相が判明した。新築中のビルの陰になってしまっていたのだ。ビルの屋上に
はクレーンが4基ほどあった。角度を変えて別の窓から見たら富士山がきれいに見えた。ビルに
隠されたのも気付かず、毎朝「富士山はたまにしか見えないから価値があるのだ」と思い込んで
いた久々の「大ボケ」であった。
寒くなってくると電車の席とりの優先順位も変わってくる。夏の間は席の端のほうから埋まって
行くが近頃はまず真ん中あたりから埋まってゆく。ドアの傍は寒いのだ。冬になると電車の壁の
白が冷蔵庫の内側のように見えてくる。広告は「冷蔵庫」の面積を華やかに狭めてくれるので
ありがたい。鉄道の路線図を見ると新興住宅の駅に、野、丘、平、台の字が目立つ。やはり高台に
住みたい願望か。
あと10分で日付が変わる。我が家の外気デジタル温度計の表示に今季初めて「−」が表示
された。
2005.12.4
一週間ほど前に買った水栽培の球根に早くも根と芽が伸びてきた。冬は外の景色が殺風景になる
のでせめて家の中は植物などでにぎやかにしておきたいものだ。夏の間は太陽が照りつけるし動物、
植物も茂っている。そういう時は食べ物もソーメンなどシンプルなもので充分だ。
ショッピングセンターは早くも歳末ムードだ。しめ縄が飾られ、掃除道具のコーナーが広くなっ
ている。皆せかされるように食料を買っている。最近はうまそうな柿を買うのが楽しみだ。
春・夏・秋・冬と言うが冬が最後だとちょっと寒々しい。夏・秋・冬・春が良い。時代劇でも終
わるときは松林の街道でポカポカの陽を浴びながら富士山のもとで手を振って別れるのだ。
2005.11.27
今日は小春日和である。先週は早朝に出かける用事があり6時半ごろ車に乗った。フロントガラ
スは霜(氷?)が付いていてワッシャーでもとれず軍手を引っ張り出して削りとった。車の温度計
は0℃。カナダへ冬に出張していたとき毎朝レンタカーに備え付けの道具でフロントガラスの氷か
きをしたのが懐かしい。
走り出すと太陽の位置がいつもと違う。東と西が入れ替わっている。信号機に太陽が差し掛かり全
く見えない。対向車の出方をみてそろそろと走り出す。ラジオからはラジオ体操の音楽が流れてくる。
気分は爽快。
冬になると乗り換え駅が寒い。ホームで椅子に座りラジオをオンにする。オールデイズのあとに落
語を聴いていると、ちょうど「おち」のところで特急電車が通過。騒音で「おち」が聞こえない、そ
して風が寒い。通り過ぎたあとは拍手だけが鳴り響いていた。
そんな寒さの嫌いな私が満足する小春日和の一日であった。土手にはからし菜が顔を出していた。
しかしながらまだやっとという様子で太陽の光をいっぱい受けたいようで葉を広げていた。オオバン
も戻ってきた。水栽培のために球根を買った。畑はえんどう豆が小さな芽を出してきた。ターサイ、
紅菜苔は茎の紫の色が濃くなってきた。長ネギに土寄せ。エシャロットが細い茎を伸ばしてきた。
お隣さんのブロッコリーは大きくなっているが我が家のは小さくて青虫の餌場となっている。
2005.11.14
茶懐石の番組を見た。動作のひとつひとつが定型化されていて最初に出す一口のごはんはまだ芯の
ある途中段階のものを出すのだそうだ。「取り急ぎ」といったお約束ごとらしい。料理を運んでくる
人も無表情で、このような緊張感では自分であれば唾液が出てこないし笑いがこみ上げてくるのだ。
この性格のためオーケストラを聞きに行けば笑いがこみ上げてくるし歯医者では口を開けていられな
くなり「ちょっとお休みしますので思い切り笑ってください」と言われたこともある。懐石に戻るが
このように定型化すれば余計なところで「判断」しなくて良いため本来の楽しみに没頭できるので良
い。尾瀬で木道を歩くようなものか。藪こぎをしなくて良いぶん景色を楽しめる。
小さいころ真っ白な画用紙に何でも好きなものを描きなさいといわれて困ったことがあった。散歩
の犬も紐で引っ張られているからぐいぐいと体を斜めにしながら歩いているが、紐がなくなったら、
私はどっちに行ったら良いのでしょうかということになるのではと思う。日本式の宿でも「おもてな
し」というのはせっかくくつろいでもらっているのだから客に判断を聞かないということなのかもし
れない。
もともと草食動物の出なのか農耕民族だからか周りとの和が第一で個性の主張は二の次の民族らしい。
2005.11.12
朝方は雨が残っていたが西の空が明るくなってきていたので傘をささずに出かける。今日は日展を
見に行く日だ。北千住あたりから青空で日が照ってきた。入場券売り場でよそのおばさんから招待券
をもらう。日本画、洋画、結構なボリュームだ。大きなサイズが多い。油絵は白が出しやすいのか
雪景色も多い。寒いのは嫌いだが絵の中の雪景色の空気の清浄感は良くわかる。絵の中の女の人は
一人で存在しているだけで美しい。電車の中の集団女は幻滅だが。男は絵にならないが、しいて言え
ば年取って顔にしわが出て労働している姿だろう。書はさらっと通過。工芸、彫刻も一応通過。
プーシキン展もやっていたのでこれも見る。こちらは有名な絵のコレクションだ。マティスの「金魚」
の実寸大の複製が50万円していた。妻はポストカードで満足していた。外は快晴。お茶をする
テーブルに枯葉がさらさらと落ちてくる。よく見ると枯葉には米粒大の実がついていて鳩が突付いて
いた。
2005.11.5
晴れ。風なし。畑へ。さつまいもを掘る。今年は紫いもが一畝だけだ。収穫量が少ない
のでちょっと太った根っこでも「いも」として収穫。ししとう、ピーマン、なす、ミニトマト
は引き抜く。最後の収穫物を思いを込めて袋につめる。つるむらさきとモロヘイヤは来週に
引き抜くこととし柔らかそうな芽を摘む。モラヘイヤは秋も深まると若い芽も乾燥気味で
つい化粧の濃い中年のおばさんが思い浮かんでしまう。夏のあの水分をたっぷり含有した葉っぱ
は来年までのおあずけだ。ターサイ、紅菜苔の芽は元気に成長している。ブロッコリーと
紫キャベツは青虫の天国だ。獲ってつぶしてもしばらく経って行ってみると太陽の光に誘われて
登ってきている。どこからかモミ焼きの煙が漂ってくる。夕餉には今年最後の収穫物が並ぶ。
2005.10.23
久しぶりの快晴。朝方は気温が下がったが昼間は太陽の日差しがありがたい。このところ
の雨と冷気で外を歩くのも気が滅入っていた。アフリカ生まれの人類が毛皮を脱いでまでして
北方に進出し、再び寒さに衣類で外気と皮膚を遮断する。電車のホームでの人々の様子を見て
いるとポケットに手を突っ込み首をすくめている。やはり亜熱帯あたりが快適そうだ。
初雪の便りも聞かれるようになった。ニュースでリアルタイムで風向の表示がされる番組が
あるが、その矢印が風の流れていく方向を示しているのが気になる。矢印の向きが風下を
向いている。昔から北の風の時は矢印の方向は風上すなわち北と決まっていたはずだが??
夜、電車から降りて寒い時は何か人の出す音や匂いに敏感になっているようだ。焼き鳥やの
タレと油の焦げた匂いが漂ってくると瞬間的に40年ほど昔にタイムスリップする。当時
近所に焼き鳥屋さんがあって、そこのカウンターに座ってプロレスを見せて貰っていたのだ。
力道山が終わると「事件記者」が始まるのであるが子供の時間は終わりという無言の圧力で
テーマソングだけを聞いて帰ったのであった。
通勤時はイヤホンでラジオを聴いているのであるが、九州のリスナーから今日は電波の飛び方
が良いようで東京の放送が良く聞こえますとの投書があった。そういえばしばらく北京放送の存在
を忘れていた。最近のラジオはデジタル式の一発選局が多いが昔はダイヤルを回してゆくと強力な
電波で放送していた北京放送が飛び込んできたのだ。フェージングで音が強くなったり弱くなったり、
いかにも遠い異国の地から飛んでくる電波を感じていた。
2005.10.10
金木犀が匂ってくる。これにもみ焼きの煙の匂いが混ざり合う。秋のやって来た匂いだ。
ハイビジョンでアメリカの90歳のおばあさんのガーディニングを中心とした暮らしの番組
を見た。広大な土地に花を作り冬は童話作家として絵を描いて過ごす。冬が近づくと冬支度
をする。保存食品を作り蜜蝋でロウソクを1年分(1000本ほど)作る。家は30年ぐら
い前に建てたそうだが建てたときから古そうに建てたらしい。番組の構成として夏に始まり
冬を越して初夏で終わるのが良かった。冬で終わるとちょっと寂しい。息子や孫夫婦が近く
に居て力仕事を手伝いに来てくれるのも良い。私が感じたキーワードは「再生」と「創作」
だ。
風呂に入り最後に湯船につかると必ず頭の中で自然にいーち、にー、さんと数え始めてしまう。
子供の頃に銭湯で良く温まってから出るように肩まで浸かって数を数えさせられた「刷り込み」だ。
その頭の中で数える声が、昔の銭湯の中独特の反響する音になっているのがおかしい。
今夜はコオロギの声が雨のせいか寒さのせいか弱々しい。
2005.10.2
畑の脇に草と土を積み重ねておいた堆肥を畑の土に戻す。土の奥でたっぷりと微生物
で発酵していたので、いきなり太陽光にさらすと殺菌されてしまいそうなので土で覆う。
畑仕事の前半は力仕事で後半は収穫というパターンが好きだ。汗をひかせながらのんびり
収穫そして観察。この時期は収穫物は少なくてモロヘイヤとか成長の悪くなったシシトウ、
ナス等だ。赤とんぼが出てきた。モズのキイッキイッと甲高く鳴く声が秋の乾燥した景色に
合っている。湿気でもわっとした梅雨時はやはり紫陽花の丸みといったところであろうか。
ミニトマトも終わりに近く水分補給にならないので車で自販機に立ち寄りスポーツドリンク
を飲む。細胞膜から水分が即ゆきわたる感覚である。車を走らすと家族で大きなテントを
2張り広げている。小学生らしい女の子は蚊よけのネットの中で膝を折って机に向かい
一人で本を読んでいる。良い思い出になるだろう。田んぼの中で耕運機が稲刈りあとの
たんぼの土おこしをしている。鷺が群れておこぼれを頂戴している。ついこの間見た光景だ。
もう1年たったのかという思いである。
2005.9.25
台風が房総沖に去り夕方には青空が広がった。北風が乾燥していて涼しい。夏野菜の
後片付けをする。支柱に巻きついて乾燥したツルをバリバリはがしとる。自分の畑で成長
して乾燥しきって数ヶ月の一生を終わろうとしている様子には感慨深いものがある。
ミニトマトは成長が遅くなったためか甘くてトマトらしい香りが一段と強く感じる。花が
まだまだ咲いているのでしばらくは楽しめそうだ。耕して堆肥を埋めてブロッコリー、
紫キャベツ、サラダ菜の苗、たまねぎ、紫たまねぎ、カブ、大根葉、にんじんの種を植える。
パソコンが古くなってCDドライブも使えなくなっていたので新しいものを買いに行く。
米国ゲートウェイ社の711JPにした。Pentium4プロセッサ、1024MBメモリ、
250GBHDD、デュアルDVD/CDドライブ、外部機器との接続インタフェースも充実。
価格は¥99,800。コストパフォーマンスはとても良い。モニターは別売なので今まで
使っていた液晶モニターを接続する。WindousXPのみのプリインストールなので
各種ソフトをインストールし、バックアップしていたデータも戻して順調に動き始めた。
処理スピードの速さは感動モノだ。ほとんど待ち時間を感じない。
牛マークのパジャマ、牛マークのタオル、牛マークのカップに、牛マークのパソコンが仲間入り
した。
2005.9.19
17日の朝7時にドライブ旅行に出発。長野行きであるが山岳コースで景色を楽しみたく、
関越道から草津そして2000メートルを超える白根山を通過。硫化水素の火山の臭いを満喫。
下る途中に果物市場があったので知り合いにりんごを送付した。長野市を通過して鬼無里村へ。
世間から忘れ去られているような静かな山里だ。道端に人影は見えないがピンク、赤、白の
コスモスが可憐に咲いている。刈り取られた稲は組まれた棒にきれいに掛けられている。
山の道は車がすれ違えない狭さのため道のふくらんだ所ですれ違いを待つ。野生の猿が一匹、
林の中に逃げて行く。若い猿なのか後姿の尻がプリプリしている。間もなく北アルプスの山々
が見えてくる。白馬に一泊。
翌日も快晴。林の中の木々のにおいがうれしい。シャガールの美術館に立ち寄る。ゆったりと
した展示だ。湖を見ながら南下。安曇野のとんぼ玉美術館に立ち寄る。人類の初期の頃のガラス
細工から世界各地のユニークなとんぼ玉、日本の江戸時代のガラス細工まで色あいや形には感心
する。山々に囲まれたのどかな田園風景を走る。ガソリンを入れる。リッター135円だ。
スタンドのお姉さんが長野は日本で一番高い地域ですと言う。豊科インターから一路箱根へ向かう。
大月から河口湖をすり抜け御殿場へ。ここで渋滞があり東名高速の入り口への行列かと思っていた
らアウトレットへの行列であった。道路の左側に寄って行列に並んでいた「東名」の人には気の毒
なことである。途中で気がつき右車線に出て走り6時ごろ箱根の旅館に到着。縁側にお月見台が
セットされてあった。珍しいので記念撮影をした。食事は部屋出しなので落ち着く。部屋からも
中秋の名月が見えた。露天風呂からも見えた。明治12年創業の宿とのことで明治に出来たと
思われるひなびた浴室もあり話しのタネに入ってみる。5分であがって大風呂に移った。
3日目。仙石原のススキの群生はまだ若かった。美術館に立ち寄る。駐車場から歩いてくると
珍しいヤマボウシが。写真を撮っていると守衛さんが近づいてきて「食べられますよ」と言う。
手を伸ばして採って食べてみると甘くて桃のようだ。野生の実でこんなに甘いのは初めてだ。
世界の名画、日本の名画を見ることができた。
間違いなく東京方面は込むことが予想されるので昼過ぎには東京に向かった。順調であったが
海老名を越えたところで渋滞開始。ラジオで聞くとトンネル内で事故とのこと。しばらくの間
微速前進であった。トンネルを抜けるとつまった鼻が抜けたように快適な走りとなった。
トンネルを抜けた頃はラジオで渋滞18キロと言っていたが、事故車の片付けは終わっているのに
その後の渋滞情報ではは25キロ、30キロと延びていった。渋滞の列から離れる車より列に
追いつく車の数が多いということだろう。「C1」からレインボーブリッジをとおり東関道経由
で帰宅。美しい自然に出会い、美術館で文化的な雰囲気を味わい、美味しいものを食べ、温泉に入り、
いろいろな人達に出会った。走行850キロ。
2005.9.11
食料の買出しを済ませ屋上の駐車場に出ると遠くの空が怪しい雲行きだ。空が濃いねずみ色だ。
風がサーっと吹いてくる。来週はドライブに出るのでガソリンを満タンにするためにセルフスタンド
に入る。雨がパラパラ降り始めたが、まずはタイヤの空気圧を上げてやる。1万円札を吸い込ませて
ガソリンを入れ始めたが1.7リットル入ったところで落雷で停電。ガソリンはストップ、お金も戻って
こない。このような時エレクトロニクス製品は弱い。しばらくして係員を呼んだがガソリンを入れる
のはあきらめてくれとのこと。1万円を返してもらう。1.7リットルはサービスらしい。もう少し
給油してから停電してくれればなど考えがセコい。200円ほどの儲けか。
走り出すと雨が激しくなる。停電になっても信号機だけは切れない仕組みになっているんだよと
説明している最中に至近距離に稲妻が落ちた。とたんに傍の信号機が消灯した。???
酒屋でビールを仕入れ、クリーニングに立ちより、やはりガソリンを満タンにしておきたくなった。
行きつけではないスタンドに立ち寄る。1万円出して釣りが856円。先ほどの200円は消えうせた。
2005.9.4
午後から雨が降りそうなので10時から畑へ。雑草を抜く。今までは埋め込む様にしていたが
今日は根から引き抜く。鍬を上手く使って引っ掛けて根を引っ張り出す様にする。抜いた草を
集めながらくるくる回転させていると、うまい具合に土が下に落ちてくれる。時々雨がパラパラ
して気持ちが良い。近くの高校からクラブ活動の声が聞こえてくる。肩にセミがとまる。夏も
終わりで死に場所を捜しているのか。これも何かの縁と思いながらとまらせておく。しばらく
すると首に細いセミの爪の感触が・・・。這い上がってきたらしい。さすがにご退場願った。
稲刈りが始まっている。稲刈り機の後ろにサギが陣取り「おこぼれ」を待機している。もう1年
たった。
昨日は妻と友人宅を訪問。パエリヤ、蛸、ウニをつまみながらワインをご馳走になる。飾り物
や家具のひとつひとつ、キャンドルにもそれぞれストーリーがあり聞くのも楽しい。親戚の方や
ご先祖様のスケッチブックや作品を見せてもらう。何十年も昔の人々の息吹がよみがえる。
ウォッカベースのマティニーを作ってもらい、流れてくるジャズ・ボーカルを聴きながらなめる
ように飲む。
2005.8.28
北茨城の「茨城県天心記念五浦美術館」へ。桜土浦から常磐道へ入る。高速に入る前にどこか
で朝飯をと思うが10時前で閉まっているし、何故か対向車線側に店がいっぱいあるのだ。
やはり地方で遊んで東京へ向かう夕方に腹が空くのを待ち構えて店を造っているのか。結局、
高速に入ってからの食事となった。
美術館は一般道からの上り坂のアプローチが長く期待感がアップする。外観もしっとり和風な
造りである。中もゆったりした造りだ。絵の良さはもちろん周りの雰囲気も重要なのだ。
レストランでも店の雰囲気が悪く店員の教育も行き届いていない場合には唾液、胃液の分泌が悪く
なり味どころではなくなるものだ。
岬の先に建つこの美術館からは太平洋の景観もバツグンなのであるが、あいにく曇りのため海の
色は青ではなかった。青い海は次回の楽しみとしよう。帰途「野口雨情記念館」に立ち寄る。
五浦美術館と比べると規模はかなり小さいが、なつかしい童謡の世界の真っ只中に入れる。大人に
なってからもこのような素朴な歌が作れることに感心する。2階は昔の土地の資料館になっていて
炭鉱の道具、写真。なつかしいアセチレン燈もあった。小学校の教材の取っ手のついた分度器、
三角定規、ガリ版の鉄筆、農機具などが展示してあった。世の中、童謡や文部省唱歌の世界に立ち
帰らなくてはという思いで帰途についた。走行303キロ。
2005.8.23
地下鉄の最後の階段を昇るあたりからセミの鳴き声が聞こえ始める。雨や湿気の多い朝は
やはりセミの胴体が湿気っていて響きが悪い様だ。からっと晴れた朝は響きが軽い。
先週の休みは友人と食事、ドライブ。はす池にはしおからとんぼが。神様とんぼは久しぶりに
見た。昔は枯葉色だったと思うが今時風の色で尻尾はメタリックに光っていた。公園の木に
不気味な形の実が。看板の字が消えていて何の木かわからない。帰ってから図鑑で調べると「こぶし」
であった。春先にモクレンに似た白い花で有名であるが夏の姿は知らなかった。確かに実の形は
手を握った拳に似ている。
友人は車で「迷う」のが好きという。確かに世間から隔離されたようなタイムスリップしたような
農家の庭先を覗きながら行くのは楽しい。我家で定番の「マーボ豆腐」を振舞う。私のやり方は
予め調味料を混ぜて味を整えておくのではなく、中華鍋に次々に入れていくのである。最初の頃は
味にバラツキが出たが最近は安定してきた。花椒、トウチもふんだんに入れる。結構喜んでもらえた。
友人は自宅にワインのコレクションがあるとのこと。今度ご馳走になりに行く約束である。
ところで先日会議のあとの雑談で営業マンの「正しい姿」という話題になった。中年組みは
客先訪問時は、タクシーは客の門のちょっと手前で降りる、金張りのライターはやめて100円ライター
を持つ、時計はローレックスをしない、高級車では乗りつけないなどの発言であったが若い人達には
理解してもらえないようであった。外国の営業マンは逆で、あまりみすぼらしい姿をしていると信用
してもらえないそうである。ホテルに泊まる時はその町で一番良いホテルの一番安い部屋を選ぶらしい。
我が社と付き合いのあるアメリカの有名なS研究所の人達は日本に来ると必ず帝国ホテルに泊まっている。
2005.8.13
先日友人宅を訪ねたら1度も見ていない(30年前に1度見て忘れているのかも)8ミリ
のフィルムがあって映写機がないというのでフィルムを借りて帰った。本日捜したら我家の
映写機が出てきた。フィルムや編集器などワンセットでケースに入っていた。こんなときは
妻の整理整頓好きが嬉しい。早速電気を入れてみる。カラカラジージーと懐かしい音がして
フィルムが吸い込まれていったがランプが点かない。フタを取りハロゲン球の電極にテスター
を当てる。切れているようだ。早速ランプの型名をメモに書き写したが、まてよ、30年も
経っているのだから接触が悪いだけかも知れないと電極を磨いてみた。案の定ややカサブタ
っぽい汚れを取り去るとランプが点いた。一件落着。フィルムからは若かりし結婚式の情景
が出てきた。女の人の化粧のしかたも今時とは違い時代を感じさせる。声が出ないのも
古そうで良い。我家もフィルムが相当あったのでかなり昔に暗い部屋でふすまに映して、
それをVHSビデオカメラで撮って保存してある。最近はそれをDVDに変換して保存したい
と思っていた。友人のフィルムもそういうことになると思う。
2005.8.5
朝6時半、まだ太陽が昇る前の景色は空気がまだ冷たくて静かだ。犬の散歩のおじいさんが
いつもの腰の角度で歩いて行く。駅に向かう通路にはセミがひっくり返っていてこれからの
暑さを予感させる。最近できた駅のエスカレータは「単線」なので、立ち止まっていたいのに
後ろから来る人が気になる。電車は学生が夏休みのため空いていて冷気が気持ち良い。
街でも電車でも「心地よい人の密度」があるようだ。地下鉄の階段を昇る。出口には無料の
タウン情報誌を配る若者が元気な声を上げている。イチョウ並木からセミの合唱が聞こえる。
何種類かのセミがいる。同じセミでもトーンが微妙に違う。修行僧の声明のようにも聞こえる。
人間であれば「年寄り好み」もいるが、セミは若者好みに違いない。数日間鳴き続けていると
擦り減って「ハリ」が無くなり微妙にメスに感づかれてしまうのか。外は体温を超える38.4℃
のところもあるというニュースだ。昼飯は涼しいビル内のレストランで済ます。夕方になり
ビルを出て携帯電話で「かえるコール」をしようとすると何と電話に「結露」を感じた。
ビルの中が涼し過ぎたのか、外が異常に蒸し暑かったのか。夕飯時のビールも飲み始めは
冷たいが、ビンの底から5センチ頃になるともうぬるい。熱帯魚の水槽の温度シールは
とっくに30℃を超えている。ヒーターは入っているが冷やすすべが無い。グッピーは暑さには
強いようだ。
夜が更けて風が涼しくなってきた。田んぼの稲が穂を出したのか。少し甘いワラのにおいだ。
2005.7.30
畑の「十六ささげ」の「テ」が弱くて倒れ込んでいたので補強。雑草の勢いがすごい。
先週削ぎとった雑草だがかえって土を耕してやったようでかえって勢いづいているようだ。
また雑草とり。雨蛙が跳ねて逃げる。緑色に半分白い色の蛙も。土の上で育ったのか土色の
雨蛙も。バッタ類も逃げる。バッタは生まれたばかりかまだ体が小さい。腕には汗が蒸発した
あとの塩が白い。血液が濃くなりそうなのでトマトをもいでかじる。しかしながら体は「薄い水分」
を求めている。近くの自販機でスポーツ飲料を買ってくる。うまい。シャツで汗を拭き取ると空気が
涼しい。遠くの空は濃い灰色になっていて雨の予感だ。
シャワーを浴びて買い物に出かける。偶然に友人夫妻に会いコーヒータイム。
「ブタの蚊遣り」、スイカ等購入。夕餉に畑のモロヘイヤが並ぶ。モロヘイヤをタタクのは私の
仕事、トマト、キュウリも夏の定番だ。テレビから昭和の懐かしいメロディーが流れてくる。
ブタの蚊遣りから蚊取り線香のにおいが漂い、遠くから花火の音が聞こえてくる。
ビールがすすまないはずがない。
2005.7.24
涼しい過しやすい日が続いている。地震の影響で箱根に友人と泊まりで遊びに行っていた妻は
帰路の新宿で足止め、結局友人宅でもう1泊。我家は熱帯魚の水槽の水が少しこぼれたのと、ロシア
人形マトリョーシカが転げ落ちた。たんすの上の靴の空き箱が落ちた。
今日はその友人たちとランチ。ピッツァ、スパゲッティ、サラダ、コーヒー。
帰りにガラス棒を補充。クワの柄がぼろぼろになって折れたので補充。同じ規格の柄でも並べてみると
1mmほどのバラツキがあるので一番大きいものを選ぶ。
机の本棚を整理していて久しぶりに愛読書の詩集を開く。一瞬にして世界が切り替わる。数十年
読み続けている。何度も読んだ言葉でも毎回新鮮な感動だ。良い詩というものは詩吟や歌のように
メロディーの力を借りなくても言葉そのものにリズムが内在しているのであろう。近頃の歌は空虚な
言葉の羅列のためヒステリックな旋律がないと成り立たないのだと思う。
ニュースを見ていたら1995年のスペースシャトルの打ち上げのときに外部燃料タンクの
耐熱タイルに「キツツキ」が200個も穴をあけたので修理のため打ち上げが1ヶ月遅れたらしい。
私が昔カナダの湖の側のコテージに招待されて数泊したとき、朝になるとキツツキが鉄塔をつつき
カンカンとやかましかったのを思い出す。毎朝のことで、学習能力が無いのかもしくは金属音を
楽しんでいたのか定かではない。トイレは外のボットン便所であったが中に入っているとキツツキが
「ノック」するので困るらしい。大自然の話しである。
2005.7.18
風邪気味であったが「胡椒」が良かったのか元気である。昨日は近くの蓮の池まで
ドライブ。睡蓮の花はキリッとした美しさ、蓮は桃のような「かぐわしい」美しさであった。
汚い水からこれだけきれいな葉や花が現れるから仏教のシンボルとなったのか。カモ(らしき)
鳥も休んでいたが異様に斑点が多く顔も可愛くない。虐げられた挑戦的な雰囲気を発している。
何かとの混血なのか。カモ(らしき)鳥にはもちろん罪はないが顔が悪いのは損だ。
蓮の見学ついでにもう一つ蓮の名所に行ってみた。ここは数ヶ月前に訪れて蓮が「枯れ色」
だったのですっかり護岸工事の「毒素」が流れ込んで壊滅したと思っていた場所だ。
しかしここも見事に蓮の群生を広げていた。良かった。
きょうは良い天気。まずは早朝とんぼ玉作り。いまひとつ花の形に満足できない。
ゴムの木の種類のフィカス・アルティシマの脇から芽が伸びてきたので株分けするべくガーデンセンター
で買い物。赤玉土、ピートモス、パーライト、川砂、植木鉢。子株が伸びているといっても大手術が必要
かと思っていたが、そろそろ引き抜いてみたらなんと既に「独立」していた。子株は新しい鉢に納まったが
拍子抜けしたのでベンジャミンを川砂に挿し木してみた。
昼下がり再びとんぼ玉作り。バーナーの炎が揺れてしまうので暑いのであるが戸を閉める。とんぼ玉は
クーラーの中ではやりたくないこだわりがある。まあまあのできであった。
夕方涼しくなってから畑へ。雑草がスゴイ。クワで起こす。トマトが鈴なりで熟れている。のどの渇きを
潤す。キュウリは子供の頃に食べたきゅうりのように大きく水を含んでいる。カボチャは直径が15cm
ぐらいに成長している。薄暗くなった。見上げると夕焼け色にそまった入道雲だ。雷雨を期待しながら
収穫物を手にし家路についた。
2005.7.15
先週の日曜日に久しぶりに知り合いの喫茶店に立ち寄ってみた。たまたま20歳の
女の子のシンガーソングライターがコンサートをやるというので座り込む。聴衆は20名
ほど。無料。初めて会う人が目の前で初めて聞く歌詞を初めて聞くメロディーにのせて
歌うのであるから緊張する。お互いに緊張が伝わるようだ。若い時代特有の甘酸っぱい
歌詞で私も若返る。声は良い。全てがオリジナル曲であったが、オジさんとしては良く
知っている曲もおりまぜて欲しかった。やはり自分の頭の中でメロディーを繰り返せる
ことが「心地よさ」と思う。最後にはまだ2曲しか入っていないという自作CDを買い
求めた。1000円で良いと言うが2000円置いてきた。
このところの明け方の涼しさで風邪気味だ。喉が痛く気管支が「エラエラ」する。
こういうときは大概熱が出るので早めの処置が必要だ。早めの処置といっても私の場合は
にんにくやしょうがを食べることである。今日は昼時に外出したので餃子ライスを食べよ
うと中華屋を捜した。外出先が蒲田なのでたくさんあると思っていたが無くてやっと見つけた。
ところがである。餃子の写真の側に「ニンニク抜き」とある。まあニンニク抜きがあっても
ニンニク入りもあるに違いないと思って捜したがなかった。まあニラでも入っていればいい
と思って注文したがニラも無くひき肉のかたまりっぽかった。これでは「治療」にならない
のでラーメンに思いきり胡椒をかけた。幸い黒胡椒の粗ビキっぽかったので刺激は十分。
胡椒の沈殿している汁まで飲み干し体が芯から温まった。そのせいか今のところ体調は
ご安泰である。
2005.7.5
昨日は会社帰り、雨上がりに郵政関係のデモの行列を見た。全国から動員されたらしい
人々が数千人、プラカードを持って行列を作っている。国会議事堂には近づけないように
警察の車が待機している。拡声器で「郵政民営化はんた〜い!」と叫ぶと行列の人々も叫ぶ
(一部の人たちのみ)。大半の人たちはウェーブも起きずにただ寝不足気味に立っていた。
郵政公社の人たちも「叫びたい」お仲間なので郵政公社ビルも囲まれる対象ではないようだ。
こういう時に拡声器で叫ぶ人はなぜかいつも女の人だ。高いトーンで良くとおる、ちょっと
ヒステリックな叫び声が受け入れられるのであろう。現代版の卑弥呼か。
実際に過疎地区では郵便局が集落の中心だ。マチに出ている子供達から贈り物が届き、
農産物などが送り出される。郵便配達員は単に郵便を配達するだけではなく、一人暮しの
老人達の様子を見るのだ。
ネットで「超音波」について調べていたら応用例として「失禁警報システム」というのが
あった。人間ドックのときに超音波エコーで肝臓や腎臓の検査はしているが、このシステム
は、おしっこがたまって大きくなる膀胱サイズを計測するらしい。寝たきりの人たちが
おもらしをしないようにある程度の大きさになったらブザーなどを鳴らすらしい。
家に帰って、「いくら便利な世の中でも体の中のおしっこの量まで測られたくないよな」、
というと、妻が言うには現実は看護婦さんも個別対応できないので時間がくるとおしっこを
していなくても全員の紙オムツを替えてしまうものらしい。「失禁警報システム」が導入
されればかなり様子は変わるのであろう。紙オムツ納入業者には迷惑に違いない。
2005.6.26
海が見たくてドライブ。利根川沿いに下る。川沿いのため信号もなく快適。下るほどに
川幅が広くなる。見え隠れする川。河川敷は生え茂った草で土はまったく見えない。
晴れてはいるが空気中の水分で遠くは春霞のようだ。草に包まれて利根川が海に向かう。
右手には田んぼ、田んぼ。点在する農家に墓が隣接する。ご先祖様と共に暮らす生活だ。
犬吠埼は避けて鹿嶋から大洋村方面へ。蕎麦を食べる。海辺で久しぶりに磯の香りを
味わう。大洋村の寺には新しい墓石が立ち並んでいた。ここへ移住してきた「新住民」
たちのものか。海岸を北上し「ひたち」経由で帰宅。
畑は昼間は暑いため日が傾いてから出てくる人が多い。隣は東南アジア出身の若い
奥さんだ。やはりお国の料理の香辛料も植えている。ナスは白ナス。料理に白ナスのほうが
合うとのこと。いつも幼稚園ぐらいの女の子が側で遊んでいる。女の子は見つけた虫に
たちまち物語りを作り、しきりにお母さんに話しかけるが作業中のお母さんは半分ナマ返事。
こういう光景は昔よくあった。忙しい母親の側で、子供は自分で遊びを作り、それぞれ半分
視界に入れて夕方になってゆく。私は、何かワケありで親子二人で暮らしているのかななどと
勝手な想像を膨らます。そのときお母さんのケータイが鳴る。子供が出て「おとーさん、もうすぐ
帰るよ」と話している。
梅干用の梅を3キロ購入。
2005.6.19
昨日の雨も乾き、うす曇の絶好の「芋掘り日」。今年は紫のじゃがいも「インカのめざめ」
も収穫。土にまみれて目立たないが中身は黄色でパリッとしている。原産地のアンデスで
珍重されている小粒種を日本にあうように改良されたもので収穫量は少ないらしい。
男爵は白い肌が土の中から転がり出してくる様は新鮮だ。みみずも去年よりはずいぶん
太ったような気がする。収穫物を運ぶ車の中は紫たまねぎの臭いで毒素が消毒されたようだ。
友人宅にじゃがいものおすそ分け。キャベツ、自家製油揚げ、まんじゅう等をもらう。
「ホビーショップ」でガラス棒を2本補充。地球儀のコーナーが大幅に拡充していた。
近づいてみると「父の日・・・」とのディスプレー。普段は子供用の教材と思っていたが
確かに地球儀というモノは、小さい頃の欲しくても手に入らなかったおじさん達の
ノスタルジーのかたまりでもあるのだ。
娘が久しぶりに帰宅。父の日ということで「甚平」をもらう。さっそく着てみると少々
足元が寒かったが、がんばって着続けた。夕餉はワインをあけ、筍、ぜんまい、しいたけ
の煮物、ジャーマンポテト、なすの揚げ浸し、いなり寿司であった。材料の中でじゃがいも、
タマネギ、アスパラガス、きゅうり、青じそ、長ネギ、油揚げは自家調達することができた。
2005.6.12
久しぶりに中華街へ。雑然としていて活気があって住みやすそうだ。食材屋に入り
品定め。トウチは台湾製と中華人民共和国製があり、中華人民共和国製の量が3倍も
あるのでそちらを購入。湯葉は同行していた中国の人の故郷のマークが入っていると
喜んでいるので記念に購入。雲南省のプーアル茶、味付けザーサイも購入。中華食材店の
独特のあやしさが好きだ。醗酵という微生物の営みが食材をアジアっぽくしているようだ。
プーアル茶は緑茶を後醗酵させているらしいが、ほとんどカビのような味わいである。
正月の餅にカビがはえたものをカビを削って食べたときの味に近い。中国の味の奥深さで
あろうか。西洋の食事は味の「複雑度」の議論ををワインとチーズあたりにおまかせして
いるようだ。
稲の苗が伸びている。麦畑は「秋」をむかえている。薄茶の尼さんかぶりのアマサギが
戻ってきた。あやめ畑を見に。
夫婦割引で映画が安く見れた。登場人物が複雑に入り組んでいて私にとっては「あらすじ」
を理解するのが精一杯であるが妻は細部を良く見ていて人間関係や感情を良く理解している。
私が大雑把すぎるのか。女とは小さい頃からマンガでも「人間関係」の微妙さを学習している
ものなのだ。
2005.6.5
いつもの散歩コースで車を停めてのんびりしていたら四つ葉のクローバーを発見。
何かいいことがあるのか。宝くじで1億円が当たったら2千万円もらえることになっている。
しろつめ草とあかつめ草の違いは花の色と思っていた。良く見るとしろつめ草は花のぼんぼり
の下が長い茎だけだがあかつめ草が花の直下に葉っぱが1セット「えりまきトカゲ」のように
あって、そして茎が伸びているのだ。家に帰って図鑑で確認した。消防隊員が8人ほどで
消火訓練をしていた。田んぼの用水路にホースを突っ込み、的の板めがけて放水していた。
きびきびした動作が気持ち良い。しばらく見たあと立ち去った。
2005.6.4
6月1日には「かっこう」の鳴き声を初めて聞いた。毎年今ごろやってくる。サマージャンボ
宝くじの販売が最終日。私は宝くじというものは買うものではないと常日頃から思っているが
家の者がヘビが道路を横断していたのを見たというので、それならと「代理で」買った。
モロヘイヤとオクラとにがうりの種が芽を出し伸びている。キュウリのつるを絡ますために
張った網につるがやっと手が届き巻きつき始めた。えんどう豆は花が終わり。さやの中で
豆が太ってきている。豆ご飯にして食す。グリーンピースとは違う繊細な味だ。にんにくも
収穫できた。車の中が広がる匂いで消毒になったかもしれない。新たまねぎはフライにして
ウースターソースをかけて食す。たまねぎの組織の中に水分がたっぷり含まれていて若い。
2005.5.29
競馬の賞金の配分がどうなっているか知りたくて調べてみた。騎手5%、厩務員5%、
調教師10%、馬主80%らしい。1億円の賞金のレースであれば騎手は500万円もらうこと
になる。障害レースの場合は騎手は危険手当の意味で7%になり馬主は78%に下がる。
思ったより馬主がいっぱいもらっている。騎手と厩務員は同じ。調教師は騎手の2倍か。
投資額とかかわる時間からすると、まずは妥当な数字と思われる。
親戚が来訪。いっしょに野鳥の声を聞き、ネギ畑の匂いをかぎ、畑の野菜を収穫し、夕食には
それを食した。誕生日記念プレゼントのためのとんぼ玉を作る。できの悪いのもあったが、
「失敗というものはないと思うよ。ただ人により好みはあると思うけど」と受け取ってくれた。
たしかに多少いびつなほうが味があるようだ。翌日は友人が手作りのケーキを作って持ってきて
くれた。人が会いまた別れるときに必ずといってよいほど「モノ」の交換が行われる。人が人との
関係・絆を保つために必要なセレモニーだ。言葉の交換、手紙の交換、モノの交換。何かを交換して
こそ「関係」ができる。物理学の世界でも物体間の引力というものは互いに「何か」を交換するから
「引力」が発生すると聞いたことがある。何も交換しないと「引力」は発生しない。人は「引力」を
求めて日々言葉や文字を交換する。
畑のじゃがいもは葉が茂る。土の表面を掘ってみるときれいな肌のじゃがいもがもう収穫しても
良いほどの大きさに育っている。紫・じゃがいもは掘ってみてもまだ親指の爪ほどの大きさ。
モロヘイヤ、オクラ、にがうりが種から芽を出した。連休に植えたピーマンはまだ苗状態であるが
早くも実ができた。最盛期なのはえんどう豆だ。連日夕食にのぼる。たいていはシンプルに
塩、胡椒でソテーだが味噌汁も良い。豆から出るほのかな甘みと九州味噌の甘酸っぱさが良い。
えんどう豆の後を担うインゲン豆が15センチほどに伸びてきた。タマネギは成長して土の上に
せり出してきている。紫タマネギはサラダの彩りに使われるので小型がありがたがられるらしい。
2005.5.23
出張で浜松から「遠州鉄道」というローカル線に乗る。駅の雰囲気が違う。改札で「パス」は
電子式で自動になっているが切符は駅員が鋏を入れる。女子駅員が鋏を入れると懐かしい
M字型が現れた。鋏のカスが散らからないように円筒形のフィルムのケースが取り付けられて
いるのであるが、欲を言えばこういう小細工はやめてカスを撒き散らして欲しいところだ。
駅前でもらったポケットティッシューを開き引っ張りだそうとするが、すぐ破けてしまう。
たまたまかと思って何回か引っ張り出すが全部ダメ。もっとケチらず厚めに漉けよと言いたい。
電車は単線で駅の間隔が短く、ウィーンウィーンと加速が終わると一定速度の部分がなく
すぐに減速に入る。窓から見える線路の柵は使用済みの線路が短くカットされて再利用され
ている。このようになるべくお金をかけないようにしている様子は好ましい。ただし「安全第一を
主張する方々」から見れば攻撃の対象になりそうだ。安全第一で過剰設備になることなく適当な
ところで折り合いをつけて欲しいものだ。その隙間は「家庭のしつけ」でうめて欲しい。
2005.5.8
4日は地元の80歳の現役女流小説家、Fさんと昼食を共にする機会があった。話も容姿もとても
若々しく60歳ぐらいにしか見えない。お仲間の画家たちとスナックでカクテルなどを傾けたりしている
らしい。しかし年寄り同士話をすると皆自分のことばかり話して人の話は聞かなくなるものらしい。
車で「散歩」しても見えるモノに興味を示し、感動してもらえるので案内する私も張り切ってしまう。
イタリアンレストランではワインを飲む。最近刊行された戦争中の強制収容所の本にも深くかかわって
いてNHKでも放送された。いろいろな苦労話が面白かった。無計画のススメというか迷うことが大事と
いうことになった。習慣化した日常から新しいルートを見つけるには「迷ってみる」しかないようだ。
夜みる夢は新しい小説のヒントになるという。楽しい1日であった。
畑はいんげんやモロヘイヤの種を植えて7日目で芽が出てきた。にがうりとオクラとラディッシュの
種を植える。ちょうど良く畑を潤す雨になる。犬の散歩で、自分の傘を犬に差し出している人がいる。
雨が嫌なのかひもを引っ張って早く帰りたがっている様子の犬もいる。紅茶を飲むと(高級紅茶に限るが)
いつも小さい頃近所の農家の「かいこ棚」あたりで遊んでいた場面を思い出す。何故なのかずーっと
分からないでいたが、どうも共通点は葉っぱだ。お茶の醗酵した匂いが桑の葉の匂いを思い出させたらしい。
2005.5.3
朝はうす曇であったが友人宅に立ち寄り合流。筑波山の近くを通るころには青空が広がってきた。
益子に近づくと車が増えてきた。まちはずれの無料駐車場に車を停め15分ほど歩く。周りからは
カエルの合唱。声の太さからするとヒキガエルと思われる。陶器市とあって陶器の店だけではなく
道端にもテントが並ぶ。自然の中に小高い丘が続き、人が街を離れて住みたくなるような条件が
揃っている。天気が良く陶器を品定めする人々も楽しげだ。これから何年かを一緒に過ごす食器だ。
食器に対する思い入れは女の人のほうが男より10倍ぐらい強いのだろう。真剣な表情である。
親戚も出展していて何個か購入。お土産に湯呑のセットをもらう。陶器屋の張り紙に「骨壷あります」
とあった。益子焼きの骨壷か。わけあり陶器は安い。陶器以外にも山ウドやらっきょうその他の
農産物も並ぶ。お休み処にはそばやうどん、ビール、てんぷら、あゆの塩焼き、茹でたじゃがいも、
さつまいもスティックなどが並ぶ。「手焼きせんべい」の看板をだしてオジさんが刷毛で醤油を塗ったり
しているが元々完成しているせんべいに塗るポーズをしているようだ。行き交う人はじっくり見ていない
ので「今焼きあがった」と思っているらしい。近づいて網の下を覗くと1メートル下に何やらヒーター
らしきものはあったが、情けないほどに生ぬるい温度であった。1年ぶりに会う木更津の友人夫妻
とその友達とも合流。短い時間ではあったが話がはずんだ。ツツジ、ハナミズキ、、ドウダンツツジが
きれいだった。
2005.5.1
夏野菜を植える。苗はナス、キュウリ、トマト、ししとう、ピーマン。種ではいんげんとモロヘイヤ。
絹さやエンドウは初収穫。アスパラガスも伸びてきた。いんげん豆の種をまいているとキジの夫婦
が周りをうろつき豆と狙っているようだ。近所の田んぼには水が入り耕運機が苗を植えている。
農道に農家の白い軽トラックが目立つようにあってきた。つばめが帰ってきた。水辺に移動すると
オオヨシキリが枯れた葦につかまりギョギョシ、ギョギョシと鳴く。夏の声だ。今まで聞かれなかった
カエルの声も復活。水の力はすごい。
パソコンが起動しなくなり、やむなくリカバリーCDをつかう。起動するようにはなったが今までの
データは全て失われパソコンを買ったときの状態に戻ってしまった。一部はバックアップしていたが
復帰にかなり時間をとられた。なんとか通信はできるようになった。今まではとにかくやってみて
ダメだったらやり直すという方式で生きてきた。元来緻密に物事を進める性格ではない。しかしながら
今回のパソコンの立ち上げではそれが通用しない。いろいろやって結局うまくいかずマニュアルの
「手順」どおりに緻密にやるとうまくいくのである。世の中複雑になったので当然ではあるが・・・。