そらまめの日記4
2005.4.8
海外出張から帰国。出かけるときは「開花宣言」だったのがもう満開で桜・桜・桜だ。
湿気の多い空気の向こうを赤い夕陽がゆっくり沈んでゆく。桜の花の色も湿気にとけ込んでいるようだ。
サンフランシスコへの到着日はレンタカーでワインの里「ナパ」へ行ってみる。奇麗に剪定されたぶどう畑
が続く。あいにく雨が降り出す。サンフランシスコでホテルにチェックイン。今回は日本からのお客様の同行だ。
夜はフィッシャーマンズ・ワーフのレストランでシーフードを食べながら白ワインを楽しむ。「ナパ」のものであるが
冷しぐあいも良く美味しかった。
翌日はレンタカーで南下。シリコンバレーで仕事を済ませる。
次の日、ラスベガスへ向う。焼け焦げたような不毛の砂漠が続くが山の上だけは雪が見える。
ラスベガスは空港にもスロットマシーンが置いてある。レンタカーを借りて走り続ける。ラスベガスは小さな街なので
すぐにネバダの砂漠の景色になる。砂漠といってもサハラ砂漠のような砂だけということはない。1時間程で
「レッド・ロック・キャニオン」に到着。360度見回しても100%自然の景色が続く。太古の昔の地殻変動が露出
して見えている。地層もはっきりしていて化石も良く発見されるらしい。赤い岩肌の奇岩が続く。
雨の少ない地域なので草花は生きながらにしてしてドライフラワー状態であるが、全精力を託された花は元気だ。
ラスベガスでは巨大ななホテルが道路沿いに並ぶ。ホテルにコンファランス会場が隣接していて、ここで大きな
展示会が開かれている。展示を見学するのが2つ目の仕事だ。アメリカでは新しいアイデアに対してこだわりなく感心し
評価する国民性なので、新しいアイデア製品が出て来やすいようだ。
各ホテルはテーマを持ちそれなりの演出をしている。 イタリアであればホテル前でゴンドラが浮びカップルが記念撮影
をしている。フラミンゴホテルは中庭にフラミンゴがいる。海賊のショーをやってるホテルもある。大砲の弾が当って大きな
炎が上がると大量の煙が道路に流れ出すが街中がディズニーランドみたいなものなので運転手も気にかけていないようだ。
噴水の演出もハデだ。、ミニ・エッフェル塔があり、3階建ての高さのコカコーラの瓶があったりする。日差しはハワイのようだ。
飲み物を片手にカップルが手をつないで、何か「サプライズ」をさがし歩く。お乞食さんも一人見たが、東南アジア系のオバさん
が反射的に財布を開いていたのが印象的だった。やはり文化の違いか。総てのホテルの1階は大きなカジノになっている。
話しのタネにスロットマシーンをやってみる。何回か絵柄がマッチしてカウンターが増えたときは嬉しかったが、もともと
宝くじも買わない性格なのでのめり込むことはない。街中に飲み物と食べ物とネオンと音楽、そして半ズボンのオジさん
たちがあふれていた。
ラスベガス空港を飛びたつと再び焼け焦げたような砂漠が続く。高い山には雪があり、その周辺に木々が生息している
のが見える。山脈の太平洋側にはいると海からの湿気が地表近くを漂っているのが見える。砂漠が終り人々の生息
する街が造られている。ほどなくロサンゼルス空港に到着する。
2005.4.3
3月31日に家を出ると、うぐいすの声が聞こえた。冬至の頃は真正面にあった朝日が今は左上に相当
高く昇っている。そのまま駅に向うと駅のホームの側で焼き鳥屋が放し飼いにしている鶏がけたたましく鳴く。
霞が関の官庁の庭に思いがけずふきのとうを発見。もちろん植え込んでいるものだ。ふきのとうの伸びきり、
本番の濃い緑のフキが伸びてきている。昨日青山の親戚の家を訪ねたら庭にふきのとうがあった。今年は
3回ぐらい食べたそうだ。今日から1週間はサンフランシスコ、ラスベガス方面へ出張。
2005.3.21
じゃがいもの植え付け。食用のイモから自然に芽が出たモノ、紫色のイモ、男爵など取り混ぜて4キロほど。
とんぼ玉を作る。何個かひび割れてしまう。出来あがったら炎の近くでゆっくりとさまして徐冷剤という断熱剤に
突っ込む。ガラス玉の中心部と表面が同じ温度で冷めてゆくのが理想的とのこと。まず買ってきたガラス棒
から細いガラス棒を作る。これも均一の太さに作るにはコツがいる。模様をつけるためには何色か作っておく。
本体の玉は離形剤を塗ったステンレス棒に巻きとってゆく。ある程度形がきまったら細いガラス棒で模様を
つける。形がいびつにできたものもあじがある。出来あがったとんぼ玉たち。
2005.3.17
昨夜は一杯飲んだあと何とか最終電車に間に合ったが、不覚にも眠ってしまい一駅乗り過ごした。
上りの電車も終ったと駅員。タクシーは後ろ姿で走り去る。タクシー乗り場には2人ほど立っている。
こういう小さな駅はタクシーはなかなか戻ってこないのだ。いつも車で通っているし一駅なので歩くことに
する。真夜中とあって人は歩いていない。キツネにダマされているような妙な気分だ。見慣れた建物が
見えてくるとホットする。闇の中から沈丁花の香りが漂ってくる。皆屋根の下で暗闇の中で眠っているのだ。
善良な人も悪人も、昼間豪華なレストランで食事をした人もカップラーメンをすすった人も、皆同じように
横になって眠っているかと思うと可笑しくなってくる。寝ている間は個性がない。起き出すと個性が出てくる。
30分ほどで我が家に到着。
2005.3.13
「水ぬるむ」季節がやってきた。土の中にも空気の中にもしっとりとした湿気が含まれている。湿気を
吸いとって土手の緑も色が濃くなってきた。知合いの家で野生のフキノトウをご馳走になる。土手の急な
坂で採れたので犬のオシッコの心配は無いとのこと。確かに急な坂で片足を上げてのオシッコは落ち着か
ないので平地を好むのであろう。灯油を買いにでかける。今シーズンで最後になるかもしれない。ちょっと前
まであれほど混んでいた灯油売場の駐車場が閑散としている。空いた駐車場のアスファルトを春らしい陽光が
照らし春の暖かさを加速しているようだ。場内を行き交う車は植木とか苗とかガーデニングの道具を積んで
走っているように見えてくる。我が家も来週はジャガイモの植付けをしよう。
2005.3.6
おとといの朝、起きると雪景色。今日は箱根方面へドライブの日だ。あわてて納戸からチェーンを捜し
出す。取付け方も忘れているのでウェブで調べ印刷してバッグに入れる。高速道路は50キロ制限の表示
はあるが走りやすい。羽田空港で親戚をピックアップして総勢7名。補助席を出す。東名の「御殿場」を降りる。
箱根につく頃は青空。木々が雪をかぶり青と緑と白の美しいコントラストだ。美術館に立寄る。平日で雪と
あって人は少ない。雪掃除の警備員がシャッターを押しましょうかと言ってくれる。お茶してもゆとりのある
時間を感じる。早めに宿に到着。食事と温泉を堪能。
翌日は大涌谷へ。雪と熱い温泉と蒸気が同居する面白い景色だ。亜硫酸ガスで植生が変わり、ガスに
強い低木しか残っていないのだそうだ。牛が食べると死んでしまうという潅木もあった。毒の環境で生き残る
モノは毒を持つというのも不思議な一致だ。穏やかな海で育ったフグは毒が少ないというのも同じことなの
だろうか。定番の黒玉子を食べる。東京のホテルに向う。環状C1の「霞が関」で降りるつもりが降りそこね、
一回りしようと思ったら木場の方へ行ってしまった。一旦出て再トライ。レインボーブリッジ経由で「霞が関」へ。
国会議事堂の裏を通り赤坂見附へ。良い観光コースとなった。大きなホテルとあって係員も多い。お茶をする
とケーキとコーヒーのセットが2000円するが、出てきたケーキは3人で食べても十分な大きさで美味しい。
先ほどの駐車場の警備員やベルボーイの給料分も含まれているのだからリーゾナブルなのだろう。
先ほど妻から電話があり3泊目の品川のホテルはドアの中で部屋も分れていて会議室もある「エグゼクティブ」
クラスだとはしゃいでいた。
2005.2.27
「とんぼ玉キット」を購入。バーナー、ビデオ、ガラス棒36色セット、カルライト、離型材、はさみ、コテ、
三脚セット、ヤスリ、ピンセット、ピンセット(圧平用)、ひっかき棒(直)、ひっかき棒(曲)、ガラス切り、
つぶし台、巻取り棒、ブラシが入ったものだ。4万円。家のビデオデッキが壊れているのでテキスト本も
購入。離型材を水で溶いて巻取り棒に塗る。バーナーの炎の加減とガラス棒の位置が悪いとなかなか
溶けない。紺色の玉を作り表面に白の細いガラスをくっ付けてゆく。玉を熱し続けると白の色が紺色の
玉に溶けこんでゆき、きれいだ。全てがリアルタイムで進む。出来た玉は徐冷材というものに突っ込んで
ゆっくり冷さないと歪ができヒビが入ったり割れてしまうのだ。私の一作目は眺めて喜んでいるうちに
急に冷えたせいかヒビが入ってきて割れてしまった。なかなか難しそうで面白そうだ。
久しぶりに洗車。風は冷たいが光りは暖かい。牧場の中をすりぬける。騎手がサラブレッドに乗り
道を横切る。係りのおじいさんは当然車を止める。柵の中でもレースの練習をしている。敷き藁が
清潔そうに積まれている。見なれない鳥がいるので調べるためにデジカメで撮る。土手のからし菜
を摘む。からし菜の漬物は我が家の大好物だ。
2005.2.25
今日はまた冬に逆戻りしたようだ。朝は芝生や屋根に雪が残っていた。人間は暖房したり
衣服で寒さを調節するが、モグラやネズミや鳥たちは年中同じ格好をしているので、寒さを
調節するのが大変そうだ。
ゆっくり動くモノ、まるまるしているモノは人に平和な感じを抱かせが、何故なのか考えてみた。
やはり大昔の獲物の奪い合いの時代の遺伝子が組みこまれているせいなのか。やせて腹を
空かせた動きの素早いヤツはあっという間に自分の獲物を奪い去って行くかもしれない。反対に
まるまるしているモノは満腹しているし、ゆっくりしか動けないので当面自分には危害がない
印象を受けるのだろう。パチンコ屋であれほど密集した人込みの中でも安心しておれるのは
皆がパチンコ台に向って夢中になっているからと思う。
2005.2.23
春一番が吹いたらしい。気温は23℃をこえた。この季節になるといつも夜の闇の中から
沈丁花のあやしい匂いが漂ってくる予感がする。街頭でチラシを配る人達も寒そうにしていない
のが良い。昼にビル群の上に浮ぶ飛行船を見た。久しぶりだ。ラグビーボールの形であるが
向きを変えるときは丸く見えたりして面白い。ゆっくりと動く姿は「まんぼう」が海の中で漂っている
ようで平和な光景だ。ゆっくり動くモノ、まるまるしているモノは人に平和な感じを抱かせるもの
らしい。
2005.2.13
畑に行ってみると霜柱で持ち上げられた土で表面はボソボソだ。じゃがいもの季節が近いので
土をひっくり返す。春の光で緑の濃くなってきた雑草もまき込む。隠れていた土が表面に現れて
深呼吸をしているようだ。急に体を露出させられたミミズが身をくねらす。えんどう豆がツルを
伸ばしてきた。敏感な感覚器がその先端にあるのだろうが、ちゃんと「テ」に掴まることができる
のが不思議だ。すぐに掴まれないときは、やはりストレスというものを感じるのだろうか。
紅菜苔は穂が伸び黄色い花を咲かせている。少しづつしか採れないので店でで買った「菜の花」
のおひたしに添える。紫キャベツは切ってみると断面の造形が美しい。人に差し上げると、ありがた
がられる。アウパラガスの周辺に堆肥を埋める。
田んぼに耕運機が入って土おこしを始めている。カワウが水辺の「休み処」で8匹ほど休んでいる。
首も休みの体勢に入っていて皆、西の空を見ているようだ。
2005.2.5
一昨日、風呂の脱衣場で転んだ。ドアを閉めようとして掴んだプラスチックの部分が割れて
勢い余って転んだのであって、断じてお年寄りに良くある「すべった」のではない。腰と肘と頭を打った
が大したことは無く、じっとしていると痛いところも無いが、首のスジが軽い「ムチウチ」状態だ。
昨晩、会社の帰りに駅のホームで電車を待っていたら突然「サムケ」が襲ってきた。何日か前の新聞で
人は体温が36度以下になると死ぬという記事があったので体を震わせる。皮膚の表面が寒いと
言うより骨の髄まで寒いというやつだ。通過電車の風で手首の隙間もいやに寒い。前の日に転んで
頭を打ったせいか??少しでも暖かい所に行きたくて立食いソバ屋の風下に立つ。 こういう「サムケ」は
1年に1回ぐらい経験していて、ほぼ確実にその夜は熱が出るのだ。帰宅するとすぐにストーブで
体を汗が出るほど暖め、妻が丁度にんにくオイルを作っていてその「カス」がいっぱいあったので食べる。
ビールの泡で喉の奥の雑菌を洗い流し、つまみに「にんにくのシソ漬け」を食べる。そのかいがあってか
いまのところ元気である。
梅が咲いていた。ここは日当たりが良いので周辺よりも咲くのが早い。上品な香りが
漂ってくる。犬の散歩の人達も嬉しそうだ。車にカメラを積んで出かけるとあきることが無い。
桜並木はまだ季節が早いようだ。ここの自然の水路に沿って並んでいる桜の木は、自然のままに
育ってきたせいか枝が入り組んでいてワイルドだ。これからの季節が楽しみだ。
2005.1.30
成田に以前から気になっているログハウスがあったので出かける。10年ほど前から丸太が
運び込まれ、だんだん家が出来てきて「自由時間」という看板がでるようになった。
門をくぐると中には木工品、カントリー・ドール、テディベア、など手作りの作品でいっぱいだった。
金井ニ一奈(ニーナ)さんという方がいろいろ説明をしてくれた。ログハウスは松材を使い
家族だけで作り上げたとのこと。規格外の長い松材は木場では手に入らないため特別注文で
取り寄せ海の塩水に長く浸けていたため貝殻がいっぱい付いたらしい。家族揃って手作り作品を
作っていてニ一奈さんはテディベアの作者として数々の賞をもらっているらしい。クマさん達を
抱かせてもらった。抱いたときの重さの加減が丁度良い。男でも心地良いのであるから子供を育てた
女の人はなおさらであろう。胸にうなだれた顔の赤ん坊ぐらいの重さを抱くのはおばあさんや若い娘も
好きに違いない。ウールやアルパカの毛で作られているらしく手触りも良いのだ。
レストランに寄りピッツア、スパゲッティを食べる。ここのコーヒーは旨い。側で豆をローストしたり
挽いたりしているのを見ているせいかも知れない。
家の便座が割れたので購入。金具の横幅はちゃんと測っていったのに水のタンクがぶつかり
使えない。直ぐに返品の電話をしたら快く応じてくれた。ありがたい。こういうこともあろうかと思って
ダンボールを開くとき丁寧に開けておいて良かった。
2005.1.22
灯油を買いに行っていつも不思議に思っていたことがあった。小数点2桁まで精度良く表示
できるメーターが、おじさんの最後の微妙なレバーの操作でいつもキッカリ下2桁が00で止まる。
多めだと儲かった気分になるし少なければ文句を言ってやろうと待構えていても、いつも00だ。
そういえば機械の横にボタンがあるらしく、それを押していたようだ。18リットルとかの区切りの
良い時のボタンで、それを押しておけば目を瞑っていても自動的に機械が止まるのであろうと
うすうす思っていた。しかしながらおじさんのメーターを見ながらの微調で止まっているようにも
思われていた。しかし今日初めて見てしまった。メーターを見ないのに自動的に止まったのを。
昨日は展示会で「ゆりかもめ」に乗った。目の下に東京湾が広がり、天気が良いので太陽も
ギラギラ。私は太陽が大好きなのでギラギラして目を細めるほどうれしい。でもこのような時に
すぐにカーテンを下ろしてしまう人種がいる。そういう人が現われたらどうするか、頭の中で
対応問答を想定していた。しばらくして目を上に向けるとカーテンが無い!。設計者はエライ!。
2005.1.17
サウジアラビアに駐在していた人から聞いた話しである。この国は国民、外国人にかかわらず
女の人は頭から足首まで被われる黒衣をまとうものらしい。めったに海水浴はしないが、たまに
海水浴をしている女の人は黒衣をまとったまま浮いているので、その姿は大きなイカが漂っている
様子である。イカの珍味「黒づくり」か。
洋服屋に黒衣しか売っていないかといえばそうではなく、色々な品揃えがあるらしい。家の中や
黒衣の下はハデな服を着ているらしい。高級生地の黒衣、大衆向け黒衣などがあるのだろうか。
奥さんを日本から呼んだときは、黒衣を買って隣国のドバイで待ち合わせ、着替えた後に再入国
したらしい。空港を女一人で入国しようなんてとんでもないらしく街を歩くときもご主人か「運転手」
がエスコートしていなくてはならない。女2人で歩いていると「宗教警察」がムチを持って見回りして
いるらしい。宗教警察はだいたいヒゲを伸ばしているらしい。
最近は状況が変わっているかも知れない。所変われば・・・である。
2005.1.13
関西方面に出張。春のような天気が名古屋をすぎたあたりから北西の空に鉛色の雲が垂れ下がって
くるようになってきた。さらに進むと関が原あたりは雪になった。春景色から冬景色そしてまた雪が
消え短い時間に季節の見本帳を見ているような感じであった。京都の先の丹波方面は再び雪景色
となった。タクシーの運転手によると以前は松茸が良く採れたが、最近は灯油が使われるようになって
山に焚き木採りに入らないため山が荒れて松茸が採れなくなってきたとのこと。田んぼも、若者が
減って年寄りが労働できないため荒れ果てているらしい。鹿が川で死んでいた。ちょっと前の大雨で
食べ物が無くなって里に下りてきたものか。
大阪の大学も訪問。朝、学生達がモクモクと歩いている。喫茶店でモーニングセットでも食べようと
捜したがなかなか無い。やっと1件。おばさんがサイホンでコーヒーを入れてくれた。学生街なのに
思ったより喫茶店が少ないですねと聞くと、以前はいっぱいあったが次々と店をたたんだらしい。
缶コーヒーが流行ってきて昔ながらの喫茶店でゆっくりコーヒーを飲む若者が減ったらしい。
2005.1.10
今年初めての畑。土もサックリだ。冬至を過ぎた太陽の光線で土が着実に温まってきているのが
わかる。冬の畑は野菜の葉がすっかり無くなっているので土の隅々まで光が届いている。台所ゴミを
醗酵させた肥料を埋める。ちんげん菜、人参、大根葉とミニ大根を収穫する。焼き魚にこのミニ大根の
大根おろしを付けて食べるのが楽しみだ。
親戚が集り新年会。友人宅に呼ばれ新年会。このところアルコールと食べ物の摂取過多状態だ。
馬刺し、生ダコ、スモークドサーモン、甘えび、生牡蠣は私の好物。カンパチ1本は解体して半身は
刺身、半身は一塩して焼く。新鮮だから旨い。解体の主は釣りが趣味で普段からやっているそうで
小骨のとり方が上手い。アラ煮が好きと持ち帰った。今頃食べていることだろう。郷土料理の「おじゅう」
をふるまってもらう。赤貝・サトイモ・にんじん・こんにゃく・ちくわ・高野豆腐・しいたけ・たけのこ・わらび。
ショウガの絞り汁で味を整える。マーボ豆腐は調味料一式とフライパン持参でふるまってもらう。
これからのことよりも、これまでのことに波乱万丈の仲間の集りだ。これからは健康で楽しく過ごそう
というところに話しは落ち着く。いろいろな状況を経験してきたからこそ周りの人の気持が良くわかる
というところだろう。
2005.1.2
雪の年の瀬になる予報であったし気温も1℃ぐらいであったので期待していたが上空の空気が
温かかったのかシャーベット状の雨で終ってしまった。ちょっと残念。
大型(中型?)液晶テレビにしたので画質が格段に良くなった。空が広く見えるのでBS放送も
室内アンテナでOK。今まで見えなかった歌手の肌の状態も見えすぎ状態でナツメロ番組では一段と
過ぎ去った年月の長さを感じることができる。ナツメロを聴き当時の映像が流れると、無我夢中で
生きていた当時が思い出され懐かしい。焼酎もすすむ。
元旦は地元の神社へ初詣。去年はお札を焼く場所に古い手紙を大量に持ち込んで燃やしたため
なかなか焼けずに苦労したが、暮れに電動シュレッダーを買ったので面白がって使っている。
今日は天気が良かったので車でいつものコースを「散策」する。野鳥たちも一段とのんびりしている
ようだ。白鳥のカップルがゆっくり泳いでいる。おおばんが近づいたり離れたりしながら泳いでいる。
地元の老夫婦が来ていて話しを聞くと、おおばんのことを地元では「くろっか」と呼んでいたらしい。
飛び方が機敏でなかなか鉄砲で撃ち落とせなかったとのことである。鴨は鉄砲や網でよく捕まえて
鍋や炊きこみ御飯にしたらしい。お決まりの「からし菜」を採って帰宅。
2004.12.27
お墓参りで横浜へ。湾岸道路を南下。横浜ベイブリッジを渡るとほどなく到着。平日とあって
墓参りの人影も少ない。帰りはランドマークタワーに駐車、ランチと買物。
たまには高いところから広々とした海のパノラマを見るのも良いものだ。
2004.12.25
暖かい年末である。南国育ちの妻に「かた雪」の上を歩く遊びをおしえる。 かた雪は積もった
雪の表面が昼間の間に解けて夜に凍るので、ふわふわ雪の表面が薄いガラスのように
なったものだ。子供達は注意深くバランスをとり、その上を歩く。バランスを崩すと割れる。
妻は霜柱は知っていたが「かた雪」は知らなかった。
キッチンから金柑の甘露煮の香りが漂ってくる。
我が髪を刈る妻の手や聖夜かな
2004.12.19
妻が2週間の里帰りから帰宅。九州山地で行なわれる夜神楽に兄弟、姉妹、親戚が集るのだ。
空港では、セキュリティテェックでブザーが鳴り、詳しく調べられたとのこと。妻は空港では必ずブザーが
鳴るとのことで、見るからにあやしい格好なのであろう。私の想像では金属を検知したからブザーが
鳴るのではなく、あやしい人には検査官が自分でボタンを押してブザーを鳴らし詳しく調べる口実に
しているのに違いない。
地元の菓子、焼酎、3年分ぐらいありそうな干し椎茸、庭で採れた金柑や庭で採れた柚子も到着。
金柑をかじり口の中も胃の中も清浄な香りに包まれている。
2004.12.5
未明の暴風雨。「暴風一過」の空に面白い雲が出ていた。気温は12月というのに25℃を超える
夏日だ。落ち葉が吹き溜まりに溜まっていたり壁にへばりついたりしている。どこかの家の網戸の網が
落ちている。住宅街ではクリスマス用の電飾を直している光景が見られる。昼頃にはさすがに少なかった
が釣り人達が夕方には現われていた。水辺では「おおばん」が7匹ほど付かず離れず、白鳥は3匹で
優雅に泳いでいる。ハクセキレイはアスファルトが好きなようだ。北海道は吹雪らしい。
2004.11.21
晴れ。気温あたたか。夏の雲のような積乱雲が見える。畑の大家さんからサツマイモを2畝
貰ったのでイモ掘り。雨の後で土が湿っていてクワに重かったが大きなイモがごろごろ。
ピーマンは大きくならないがまだまだ収穫できる。長ねぎの種から細い楊枝のような芽が出てきた。
畑の端では季節を間違えたじゃがいもが伸びている。掘ってみるとミニいもが付いているので
そのままにしている。タマネギの芽が菜箸ぐらいに伸びてきた。ちんげん菜が元気だ。
えんどう豆がツルを伸ばし始めた。春が楽しみだ。イモは早速蒸かして食べる。
ターサイを収穫し今晩のおかずに。昨日は市の絵画展を見て、その後友人宅で福島から上京してきた
お母さんと会う。ひとしきり野菜作りと田舎の近所つきあいの話しで盛りあがった。野菜もいっぱいもらった。
大根は太いのに芯までジューシー。まずはスプーンで繰りぬいて生で味わう。大根は「ふろふき」にして今晩の
食卓に上がった。ブロッコリーは天気の悪い時は枯れた葉っぱを上にかけ、天気の良い日は
葉っぱを取って太陽に当てるのだそうだ。立派なブロッコリーも貰った。ありがたい。
2004.10.24
畑のイモを掘る。友人から種芋をもらって植えた紫イモが大豊作である。引っ張り上げた
ツルにイモ達が連なっていた。土から追い出されたひきがえるが放心状態で固まっている。
アボカドが芽と根を伸ばして現われる。残飯の中にあった種から芽が出たのであろう。
ナス、トマト、モロヘイヤ、ニガウリは最後の収穫をしてから引き抜く。
秋の空をバックにした最期のニガウリの記念写真だ。
2004.10.17
いい天気が続いている。千葉の畑はピーナッツが掘り起こされ殻が露出している光景
がよく見られる。先週までの大雨で湿った殻も、この乾いた関東地方の空気で一気に乾いて
しまいそうだ。
スーパーで「ベビーキウィ」なるものを見つけたので食す。成熟しているが相当小さい。
表面の毛は無いが緑色の果肉はキウィそのものだ。種を植えておいたら1ヶ月ほどで芽が出るらしい
ので30粒ほど爪楊枝で取り出して湿らせている。
ノートパソコンを購入。テレビがうつり、そのままDVDに記録できるものだ。 ルーターの設定
がうまくいっていないようで今日のところは2台での通信ができていない。
2004.10.15
朝方の気温は12℃まで下がってきた。今日は久しぶりの快晴。冬服に衣替えした電車の
中の高校生達は、おしゃべりの声もおとなし目だ。
おとといは仙台方面に出張。昼食に割烹らしき店に入る。大きいサンマが入っているというので
すすめられるままにお願いする。1000円であったが、かくし包丁を入れ姿焼きだ。昼ちょっと前に
入ったので店の主人が暇と見えて傍に椅子を持って来ておしゃべり開始。サンマの話しから
クジラ、自家製ベーコンの作り方、景気が悪く75人入れる座敷も25名程しか入らない、新しく
できたサッカー場は立派だが交通の便が悪い、ワールドカップはロイヤルボックスで見た、知事が
中央に陳情に行かないので公共事業がとれない等々。外にでると曇り空から吹き下りてくる風が
重かった。仙台は街路樹が多く緑が多い。中心部をちょっとはずれると川が流れ城跡の杜がある。
スポーツや芸術の施設がある。人が生活していくのに必要なモノがバランス良く備わっている。
自然と文化の刺激。タクシーの運転手によると東北大学は有数の敷地を持っているがさらにゴルフ場
を買い取り敷地を広げたらしい。不景気で東京の会社の仙台支店が閉じられる話しが結構あるらしく、
市内のオフィスの空家率は10%ぐらいとのこと。「白松がモナカ」は最中と羊羹で何十年も頑張っている。
お菓子の嗜好も変わったが引き出物にはまだまだ需要があるらしい。新幹線から見える田んぼの
中に「白松がモナカ」の看板を良く見る。帰りに土産として買って帰ろうと思っていたが、近くの売場
のきれいな黄緑色の「ずんだ餅」が美味しそうで、これを買い帰途に着いた。
2004.10.11
台風が久しぶりの関東通過だ。暴風の範囲は狭いが風は強いという前評判どおり、通過したら
すぐに風がおさまった。秋田あたりまで去っても強い南風が吹き続ける「影響力の強い」台風とは
性格が違うようだ。翌朝は「台風一過」の晴天を期待したが「雲のお掃除力」も弱かったようだ。
妻と映画を観に行く。「VILLAGE」は平和な生活を求めて外界から完全に孤立した村をとりまく
話しだ。複雑な人間関係や男女の機微は妻のほうが素早く理解しているようだ。私はいつも
全体の筋書きを掴むのに時間がかかる。この映画全体を貫く、湿った、寒そうな、世間から隔絶
された、おどろおどろしい、ストイックなトーンは脱日常という意味では見た甲斐があったが、
映画館を出て「普通の世間」に戻って正直ほっとした。
2004.10.3
雨の1日だった。妻が友人から教わったきな粉団子とイカめしにトライ。
イカめしは包んで一度に食べるミニ丼だ。西洋でいえばサンドイッチ、中国でいえば餃子、
日本ではおにぎりといったところか。
2004.10.2
秋らしい日が続く。台風一過の青空と乾燥した空気だ。畑の野菜の支柱の先はやや弱った様子の
トンボたちの格好のとまり棒だ。収穫した野菜はほうろくの上で集合写真。モロヘイヤは柔かそうな
葉を選んで摘む。黄色い花が咲き実のサヤがどんどん伸び新芽も生まれたときからちょっと乾燥気味だ。
オクラは順調まだまだ採れそうだ。幼くて小さいほど柔かくて旨いが、大きくしてからたらふく食べようとして
2−3日行かないと大きくなりすぎて固くなってしまう。ナスは葉の陰で曲線美を磨きこんでいる。にがうりは
このところの雨で復活。水分を含んでみずみずしく大きく成長していた。ししとうはポロッと実が採れるので楽だ。
ナスやオクラは結構切り離しにくいしトゲや毛がチクチクするのだ。ピーマンは小さいうちに赤くなってしまうので
ししとうと間違えるのではと思うほどの大きさでも収穫。人参葉と紫イモは天ぷらにした。
人参葉は香りが良い。紫イモは甘味が少ないが天ぷらにするとちょうど良い。
つるむらさきは植えてはみたものの、あまりに色合いが奇麗で食べることができず、家に持ち帰り花瓶にいけている。
2004.9.20
もみ殻を焼く景色にさそわれて畦道を行く。草むらに隠れていたすずめ達が一斉に飛びたつ。
鷲のように風に乗れるような大きさでもないすずめ達は羽ばたけば上昇するが休むと直に下降
する。忙しそうで騒がしい。落穂をついばむサギは注意深い。カメラを構えると直に逃げてしまうので
あるが何とか「大写し」できた。
以前、「トンボが繋がって休んでいるのを見たことがない」と書いたが、今日は見れた。まず先頭の
トンボが細い草の先端に留まり、次に尻尾を下側に折り曲げる。そうすると後ろのトンボの足が時間差で
ちょうど草の胴の掴みやすい所に自然に近づくという図であった。主と従の絶妙なバランスであった。
コンバインが稲を刈り取ってゆく。サギ達が落穂のおこぼれちょうだいだ。
40匹ぐらいが、たむろしている。そのうちコンバインが立ち去ると中心が無くなって「茫然」としていた
ようであるが、近くの田んぼで別のコンバインが運転を始めると数羽づつ移動していった。
2004.9.16
朝起きると快晴。ちょうど稲刈りの終った田んぼに朝日が当たり黄色がきれいだ。
デジタル温度計に目をやると16℃。最低温度のボタンを押してみる。最低温度が気になる季節
になってきた。空気が乾いているので景色の細かいところまで見えてくる。通勤で歩いていると
唇が乾く。いよいよ秋の気配だ。
インターネットで気象情報が細かくわかるので重宝している。会社から帰る頃に雨が降っていても、
10分ごとに雨の区域が動いていくのがかなり細かくわかるので、ちょっと待てば雨に濡れなくて
すんだりする。
いつのまにか蝉の声がコオロギの声に変わっている。
2004.9.12
昨日は飲み会に誘われ出かける。空気も秋らしく乾燥していて外の飲み食いは気持ちが良い。
体育会系のメンバーで飲み食いも豪快だ。久しぶりに会うとその間に経験をしたいろいろな話しを
聞くのが楽しい。モンゴルの観光にいった人は寝るときのパオは3人で寝るのがやっとの小ささで
がっかりしたらしい。大家族が住むような大きなパオを期待していたらしい。観光用か。今度の冬は
スイスにスキーらしい。
夜になればリビングでオールデイズのレコードをかける。その音楽でダンスを踊る。私もジルバの
まねごとで踊った。普段は踊っていないのに楽しめた。あとで聞くと「習っていた」人とのこと。リードして
いたつもりがリードされていたらしい。
本日も引き続き天気が良い。デジカメをマスターするべくマニュアルを持って出かける。秋らしくトンボが
つながって飛んでいる。万葉の時代からの風物詩だ。そう言えばつながって飛んでいる姿は見るが、
留まっている姿は見たことがない。しばらく気をつけていたが見ることができなかった。1匹が留まろうと
思っても、もう1匹が留まりたくなければ成り立たないし、停まる木の先もそう都合良く並んでいないだろう。
交尾して水辺に卵を産みに行く間だの短い出来事であって、「一緒に休む」というのは人間の悠長な考え
かも知れない。
サギが群舞していたので1枚撮る。
2004.9.8
朝、駅に向かうと台風の後の疲れきったような風がヴォロヴォロブォーと顔をなでる。
何か浜辺にいるような気持ちになってきたのだが、それもそのはず磯の匂いがしていたの
であった。台風の強い南風が東京湾の海の匂いを運んできたようだ。そういえば以前、東京湾で
タンカーから油漏れしてニュースになったときはオイルの匂いがした。
台風の渦巻きによる風はもちろん、時速70キロで北に進むと、ちょうど時速70キロで走る車から
顔を出したときぐらいの風が足されることになるので、そうとう風が強くなるようだ。
台風は太陽の強い光を受けて有り余った熱帯のエネルギーを、寒帯の地域に捨て去るための
巨大な運搬船か。
2004.9.4
昨晩は黒糖焼酎、芋焼酎をたらふく飲み終電車にやっと間に合った。しっとりとした造りの店に
良く教育された店員、旨いものがあれば話もはずむ。黒糖焼酎はさとうきびから作られるがラム酒も
さとうきびだ。グアテマラに住んでいた人の話では、さとうきびの収穫時期には国中がさとうきびの
甘い香りに包まれるのだそうだ。さとうきびを積んだトラックが道を何十キロも連なり、道端には荷台から
落ちたさとうきびが壁をつくるとのこと。
寝入った頃に雷と豪雨。起きて窓閉め。
アボカドの根が伸びビンの下まで到達したので鉢に植え替えた。額の装丁で額屋へ。その後
ガーデンセンターを歩いていると「明るいゴムの木」が目についた。フィカス・アルティシマという名前らしい。
普通のゴムの木の葉っぱは光りを通さず重い感じだが、この「明るいゴムの木」は光が通過し明るい。購入。
2004.8.29
昨日は久しぶりに山猫軒まで行ってきた。曇り時々小雨であったが山の緑がしっとりと落ち着いて見え
沢から聞こえてくる音にも風情がある。木の枝に張られたクモの巣は水滴によって形がよくわかる。
山猫軒の座敷に展示されている銅の造形は赤川BONZE氏の作品だ。
無機物の金属に吹き込まれた生命を感じる。
囲炉裏端でビールを飲みながら天然酵母ピザを食べていると作者の赤川BONZU氏が現われる。
囲炉裏端で昔の子供の頃の遊びや雑誌の付録などでひとしきり話が盛りあがる。BONZE氏はスライドを
持って来ていて、雨戸を閉めた座敷では即席の幻燈映写会となった。各地の街角に点在する作品の構想
や苦労話などを聞く。琵琶湖の近くにある7メートルもの高さのガリバー像は足場を組んでの作業であったが、
金属で大柄なガリバーの表情を優しくする工夫したり、冬場は積雪もあるので帽子を前に傾け雪が滑り落ち
やすいようにしたとのことである。
BONZE氏は科学も医療も経済も機械も最後には「人間」が必要だという。
利益の追求、効率の追及、組織の温存に明け暮れがんじがらめで疲れきっている我々には
芸術作品、芸術生活に触れてリフレッシュできることがうれしい。
2004.8.22
つくだ煮のビンで育てていたアボカドの種にやっと根が出た。今回は結構時間がかかった。
前回は一本根だったような気がするが??
畑はオクラ、ナス、モロヘイヤ、にがうりが元気だ。しばらく放置しておいた畝を耕してみたが
結構土が固くて鍬でおこすと日干しレンガのようだ。このような固い畑を耕してホクホクの土に
するのも楽しみのひとつだ。隣りの畑はタイ人の若い奥さんがタイから持ち帰った種を植えて
野菜を育てている。私は雨が少ない時は近くの近くの用水から水を汲み野菜の根本に手で水を
チマチマと(効率的に)やっているのであるが、奥さんが来ているときはつい「豪快さ」を見せようと
バケツからバンバンやってしまうので、今日は水を汲む回数が増えてしまった。
カエル、コオロギ、トンボ、近所の高校の校庭から聞こえてくる声が元気だ。
2004.8.15
昨日は親戚の家の庭でミニパーティー。昼間は暑いが夕方4時半を過ぎると間違い
なく涼しくなるというので庭にテーブルをしつらえた。確かにその時間になると涼しい風
も流れはじめカナカナと淋しげな蝉の声までしてくるお膳立てだ。庭にはいろいろ昆虫が
やって来るらしい。「ナナフシ」は割り箸ほどの枝のような虫でヘビを見たときのように
ゾゾッときたらしい。生垣に水をまいていたら、たまたま脱皮したての真っ白い幼蝉に
水をかけてしまったらしい。一瞬2歩ほど後ずさりした蝉は次の瞬間しっかりと踏ん張り
水に濡れた顔を右手そして左手(前足か)でゆっくりぬぐい動き始めたとのこと。翌朝
見ると15センチほど登ったところで、しっかりと大人の色になっていたらしい。
カマキリはじっと潜んで自分より大きいアゲハチョウを狙っていたが満を持して伸ばした
前足で獲物を捕らえることが出来なかった。その後カマキリは体を斜めにしたまま前足
は伸ばしたまま、しばらく固まっていたらしい。人間も転んでも体裁が悪いので伸びたまま
というのは良くあるパターンだ。
暗くなってキャンドルを灯す。人も年をとってくるとある程度暗いほうが良いようだ。
程なくパラパラと雨の音。大きなパラソルの下で風も無いので問題なかった。
本日は友人の家へ立ち寄り福島の実家で作ったという、じゃがいも、かぼちゃ、
ナス、いんげん、トマトをもらう。ありがたい。このところ野菜が好きになってきた。
作った人の手間と時間を感じられる。
2004.8.8
北海道の杉本農産で収穫された「ビーツ」をもらった。自然の創り出した造形は
北海道の大地を感じさせてくれる。微妙な色合いと形をしばし眺める。下ごしらえで茹でてみるとゆで汁が真っ赤に染まる。
茹であがって皮をツルッと剥くと中は真っ赤であった。つまんで食べるとほうれん草の仲間ということを「なるほど」と思わせる
味と香りであった。ほうれん草は根もとの赤い部分に鉄分があって体に良いとされているが、まさしくその味だ。
レシピを見ながらボルシチを作る。
立秋が過ぎ、田んぼの稲は穂が出そろって雀の群が活気付いている。案山子もちらほら出始めた。
2004.8.1
台風10号のおかげでやっと雨が降った。これだけ日照りが続くと雨の匂いに敏感になる。
以前アフリカの野性の動物が雨がやってくる方角に大移動するという番組を見て、本当に
そんなことが出来るのかと不思議だったが、今は動物達の気持ちがわかる。入道雲や黒い雲、
白い雲が入り混じり速く移動してゆくダイナミックな台風の雲が好きだ。
せっかくの雨だが畑の夏野菜達は日照りが続いたので「店じまいモード」だ。自分たちが枯れ死んで
しまう前に種づくりを急ぐ。映画のコマ撮りのように急いで花を咲かせ、成熟し種をつける。手抜きは無いようだ。
昨日は牛久のかっぱ祭に出かける。鼓笛隊、ブラスバンドが行進する。よさこい踊りは勇壮だ。
キビキビした動作で行列が進む。オバサン達のグループは黒い衣装でサマになっている。色気のない
中学生達はピンク系の衣装で「色」をつけているが四肢のスジの伸びはさすがに若い。ハッカパイブ、
お面、金魚すくいなどは定番であるが、久しぶりに「型ヌキ」を見てなつかしかった。
昔の子供の顔と同じであった。
2004.7.25
「傷病兵」を見かけなくなってから久しい。昔はお祭りとか縁日があると4−5名のグループが
白衣を着て、ちょっと義足を覗かせ、兵隊の帽子を被り、ハーモニカで哀調のある軍歌を
吹いていた。年寄りたちが拝みながらお金を上げていた。その様な情景はもう過去のものに
なってしまった。この時期は、お盆があり、家族達が集まり、終戦記念日があり、夏祭りが
あり「日本人」を再認識する熱い季節だ。
今日は幾分涼しいが、腕時計と汗のせいで左手の甲が「あせも」らしく痒い。妻が良く効くという
軟膏をくれたが、自然治癒か薬の効果か確認したく半分の面積だけに塗ってみることにした。
ちょうど血管が甲の真中を通っているのでわかりやすい。血管の片側だけに塗っている。
2004.7.19
雨が少なくキュウリやナスは元気がない。ミニトマトは水分の貯え能力は高いようだ。
以前テレビで見たが、外国のカエルが乾季に備え体に水分を貯え、風船のように
真ん丸になっていたのを連想してしまう。隣りの畑にピーナツが植えられているが黄色い花
が咲いてきた。ピーナッツバターを連想させるこってりとした黄色だ。
今日は友人を誘い佐倉の美術館へ。初めてのカントリーロードをドライブするのが好きだ。
途中の田んぼや畑の農村風景や家々の植木や花を勝手に観賞する。今はサルスベリの花が
時期のようだ。
美術館の特別展は「白を描く」画家であった。確かに大きなキャンバスに漆喰のような白のみ。
若干目立たない模様のあるものもある。絵を「見る」のではなく「白」に自分の心象を投影する
のだそうだ。話のタネにはなるが、高いお金を出して買う気になるものではなかった。
出口が近づいてくると私の関心は「白い絵葉書はあり得ない」ということであった。通常は展示絵画の
絵葉書が売店で売っているものだ。さがしてみたが、やはり「白い絵葉書」だけは無かった。
敷地の奥のほうへ散策してみると縄文時代の種から復活したという「大賀ハス」が咲いていた。
2004.7.10
このところ35℃を越す暑さが続き、外出するとパン焼き窯に入ったようで
汗が噴き出す。何百万人もの人達の体表から汗が空気中に蒸散していると
思うと面白い。今日は畑に行ってミニトマトをほおばったが、薄皮1枚で水分を
中に閉じ込め、その中に自分の世界を作っている点では人間もトマトも同じようなものだ。
久しぶりの畑は日照り続きで土はカラカラ。伸び盛りの野菜達がかわいそうなので
用水路から水を汲んで与える。限られた水なので無駄にならないように根本付近のみ
で無駄水の無いように心がける。若い伸び盛りの野菜中心で、申し訳ないがトウの立ち
かけた先の短い野菜達は最後にしずくをかけただけであった。人間であれば食糧難の
ときは食べ物を奪い合うものだが、野菜どもは自分のポジションを動かずひたすら雨を
待っているのであるからケナゲである。 夕方は久しぶりの雨で根本付近以外の畑の土も
潤ったと思う。
ホームセンターでヨシズ張りを購入。カーテンがわりにぶら下げ、渦巻き蚊取り線香を
くゆらせて久しぶりの涼しい夜を過ごしている。
2004.6.19
じゃがいもの収穫。男爵の出来は悪かったが「きたあかり」は良くできた。友人も手伝いに来てくれる。
その後近くの牧場の木陰で昼食。自然の風が心地良い。トンボの写真を撮ろうとしても風に揺れたり
羽ばたいたりしてなかなか難しかったがきれいなトンボが撮れた。
夕飯は小さなじゃがいもを選んで「煮っころがし」に。キュウリに味噌を付ける。茄子のぬかづけは鮮やかな
茄子色がでていてベストな漬かり具合。ビールが旨い。
先週は横浜にて展示会、その後横浜のホテルでアジア地区のセールスセミナーなどがあり忙しかった。
日曜日のホテルのチェックインの途中、広場で大道芸をやっていてしばし見入る。話術もたくみで、
商品券でもビール券でもいただければ新潟にいる母親が喜ぶとか何とか言っていたが、最期には子供達が1000円札を
どんどんあげていた。こういう訓練をつんだ大道芸人が増えるには良いことだ。
顧客との打合せ、会食。中国、韓国、台湾、シンガポール、カナダの人たちとコミュニケーションを深める。
一段とアルコールの量が増えた週であった。
2004.5.30
気温は30℃。久しぶりに畑へ。ナスは今年一番が親指ぐらいの大きさに育ちミニトマトも黄色い花の側に
緑の実をつけている。えんどう豆は葉が枯れはじめたが代わりにいんげん豆が伸びてきた。タマネギは
地上にせり出した玉がふくらみ続けている。じゃがいもは土を払ってみると順調に成長している。
友人からもらった「紫芋」の種芋を見た農家のおばあちゃんが、珍しいからといって苗床で苗にしてくれた。
今日はその苗が出来てきたので植え付けた。オオヨシキリがギョギョシギョギョシとけたたましく鳴いている。
車検のため車やへ。皆挨拶の声が大きく、しっかりしている。最近はこういうことが嬉しい。
2004.5.17
5泊6日の九州の旅から帰宅。今回は一度やってみたかった長距離ドライブだ。朝5時に車で出かける。
車はお土産や着替え等を運んだりするためには、家の部屋をそのまま持ち出したようで便利である。
1日目は広島の原爆ドームの側のホテルで一泊。翌日は広島から関門橋を通り九州へ入る。この辺りの走行中は
時折50キロ規制の豪雨もあったが、かえって車の密閉度がありがたく感じられる。車もきれいになる。
小倉では親戚を尋ね久しぶりの再会だ。我々ぐらいの歳になると関心は、一度きりしかない人生をいかに楽しんで
過すかだ。旅行をするといろいろな人々の濃縮された生活に会える。
宮崎シーガイアで一泊。現地では一番背の高いホテルなので遠くからでも捜しやすい。 ここで飛行機で到着した
親戚と合流。
翌日は晴れ。途中立寄った西都原古墳では、めずらしいタバコの花にも出合うことができた。農家の人が
作業していて話しを聞いた時にもらったものだ。
西都原考古博物館ではめずらしい、日本に一つしかないという埴輪等が展示されていた。館内の説明の言葉の中では
「南九州には土偶が存在しない。気候が温暖で作物が良くできるので祈願の祭祀の必要が無かったから」が印象深い。
たまたまカナダから帰国していた友人と娘さんにも会うことができ昼食を一緒にとった。のどかな西都原の広がりに
ポピーのカラフルな花が広がり、再会の舞台としてはベストであった。
山の中の民宿で一泊。鹿肉の刺身、猪肉の料理、どんぐりのでんぷんで作った料理、山菜の煮付け等を堪能した。
テーブルは500年の樹齢の杉を輪切りにしたもので、その入り組んだ年輪を眺めながら焼酎を飲む。年輪の中心部は
1年の幅が広く、グングン成長していた様子がわかるが、500年目ぐらいになると1年でもほとんど太らないことがわかる。
杉林を眺めて木の上の形が尖っているものはこれから成長するが、丸まっている木は成長が終りかけているとのこと。
翌朝は車でさらに奥へ。車がやっと通れる崖下の道だ。若者が町に出ていったため過疎になり、1人で農作業をして
いる老人。廃屋となった椎茸乾燥小屋。伝統の神楽を維持するのも人が少なくなって大変らしい。
親戚2軒に立ち寄り、その後照葉樹林で有名な町「綾町」に向う。世界最大級と言われる「大吊り橋」を歩く。
小雨だったので妻がオレンジ色のヤッケを着て歩いていたら写真のアクセントになると思われたらしく、中年のおじさん
カメラマンたちに写真に入るように頼まれたらしい。
和風旅館で一泊。懐石料理とヒノキ風呂で殿様気分。抹茶でお迎え、日向夏のリキュール、バレーボール大の氷の器に
盛りつけられた刺身、地ビール、鮎の塩焼きのタデ酢等。このあたりでは夏にまだホタルが見れるらしい。
翌日は宮崎空港に立ち寄り、一路北上。天気が良ければ阿蘇に立寄りたかったがあきらめる。宮崎道、九州道、
山陽道から名神高速に入り京都東インターで降りる。思ったより時間がかかり暗くなってしまった。始めての道は
標識も良く見えず大変だ。8時に琵琶湖の側の宿に到着。
翌日は彦根インターから名神高速に入る。工事中である。どうも「名神高速リフレッシュ工事」らしい。延々と一車線規制
が続き、工事車が走りまわる。作業をしている人よりも旗を持った人や見張り番が多く思える。いままで渋滞が無かったが
そのツケが一気に出てしまったようだ。名古屋までとろとろ走りでおよそ3時間のロスタイムであった。 東名に入って
車は従来の速度で走り始めたが、前を走る車の後ろ姿にはその「うれしさ」がにじみ出ていた。
親戚や友人達と親交を深め、人の生活を考え、地元の人々の人情に触れることができた感動の旅であった。
千葉から宮崎そして千葉へ戻る全走行距離は3,400キロであった。
2004.5.5
この連休中にナス、ミニトマト、キュウリ、シシトウ、ピーマンの苗を植えた。ひと夏楽しめる割には投資する
額は小さいのだ。私が将来イナカに住むとすれば多分海辺ではなく山里と思う。風が出てきたので支柱をたて
ヒモでしばる。弱々しそうに風になびいていても結構しぶとい。このしぶとい苗も何年か前に横殴りに降った
ピンポン玉大の「ひょう」には全滅した。この時は車の屋根も軒並みへこみ、車の修理屋さんの「修理します看板」
も新しいものが目立った。
部屋のペンキを塗る。居間、寝室、玄関を塗ったので2日がかりとなった。塗るのはそれほどの手間では無いが、
余分な所に付いたり、しずくが垂れるのを新聞紙を移動しながら防ぐのが結構手間であった。
結露防止にもなりそうなので、一時は「珪藻土」も検討したが結構高い。七輪の中に住んでいるようなもので夏は
涼しく冬は暖かいのだそうだ。今回はあきらめる。
涼しい雨がちの連休であった。今日は雨も上がった。親戚と日本料理の外食。ガーデンセンターに立寄り
親戚のデザイナーの個展へ贈る胡蝶蘭を選ぶ。我が家用にラベンダーの鉢植えを買う。
2004.4.29
田んぼに水が入ったおかげで畑の側を流れる用水も水位が上がっている。春は光も水もたっぷりだ。
チシャ葉が元気だ。ちぎって食べてみるとクルミのような味だ。耕さないと土は固くなる。
固くなってしまった土にクワを入れ柔かくして積み上げる。土に深呼吸させる。いんげん豆の種をまく。
えんどう豆の花が次々に咲く。触手がさらに上を目指している。
密集した葉を掻き分けると絹サヤがもうぶら下っている。
2004.4.25
朝一番の友人からのメールによると福島は1センチの積雪らしい。小さな日本であるが季節の変わり方は違うようだ。
秋田は雪は降っておらず、今は山菜が盛りらしい。我が家の畑はじゃがいもの芽が10センチ程に伸び、アスパラガス
が伸びてきている。絹さやえんどうは花がいっぱいだが実はまだのようだ。チシャは元気な葉を伸ばしている。
近所の田んぼには三分の一程に水が入りシラサギ達が夢中でエサを探している。農耕用の車両が農道を賑やかにし、
一般車道でも土の塊を落しながらゆっくり進む。毎年の今頃の風物詩だ。
2004.4.18
バーベキューで木更津の友人宅へ。街の生活から切り離された一角にバーベキュー場がある。
オーナーの”野人”はピザ焼き釜、バンガロー、ハーブ畑を作ったりしている。絶好の天気。風薫るとは今日のような
日をいうのであろう。サザエ、帆立、魚の干物、肉、野菜。20年ぶりに点火したホワイトガソリンのコンロ、PEAK1が
快調に湯を沸かす。野人がハーブを掘り、たちまちハーブティーが出来あがる。けものみち探索。竹の子が豊作。
キツツキの掘った穴がある。深さは5センチ程だ。帰りは友人宅に立ち寄る。車庫が7台分ある。午前中は田んぼに
水を入れて田植えの準備とのこと。田植えの済んでいる田んぼも見かける。水を入れる前は全く鳴かなかった蛙が、
水を入れた途端に大合唱だ。自宅の裏山で採れたというタケノコを10本ほど貰う。これからの季節は硝子戸には
雨蛙がしがみ付き白い腹を振わせているのもしばしばだそうだ。日本酒、芋焼酎を振る舞われ快調に呑む。
2004.4.11
先週は咲いていなかった大桜を友人と見に行った。前回と同じルートで牧場を通過。
入口あたりは葉桜に変わっていたが、うぐいすや馬たちは相変わらずのんびりだ。
山道を抜けたので途中道に迷い農家のお嫁さんに道を尋ねたら、わざわざ白い「ほっかむり」
をはずして丁寧に教えてくれた。大桜の人出は先週より多く大桜は見事に咲いていた。
回りの畑では三つ葉を掘り起こしながら即売。生で茎を食べてみたが新鮮で「甘〜い」。
変り大根も愛嬌をふりまく。気温24℃。初夏のようで日焼けも気になる。
よもぎ大福、らっきょう、たくあん漬け等道端のテントで調達。
2004.4.3
晴れ、無風、気温22℃、湿度40%、春の気分を味わいにドライブ。
20分程の距離にある牧場は桜の名所だ。入口あたりは桜桜桜桜桜桜桜であるが
奥に進むと桜の種類が違うのか、まだ咲いておらず、さらに奥に進むと桜畑畑桜となる。
カメラで若い枝を1枚。よく練習をつんだ大人の鶯が鳴いている。
柵の中で馬たちがゆっくりしている。畑の中をゆるくうねって続く道。菜の花の黄色。
無人の小学校。景色にぴったしはまった小さなお社。さらに車を走らせると大きな沼が
現れる。うなぎ屋で昼食。時間はかかったがふっくらと美味しく待ったかいがあった。
しばらく行くと「大桜」の看板。臨時駐車場に車を停めてしばらく歩く。道の脇には
農産物を売るテントやトラックが。大桜はまだ咲いていなかった。
一週間後が見頃とのこと。
春100%の1日であった。
2004.4.1
通勤電車の窓から満開の桜が見える。1週間前までは地味な枝だけだったのに。
こんなにいっぱいの桜の木があったのかと思う。春は突然くるのが良い。春の季節特有の
青いかすみの景色の中に薄いピンクがしっとりととけ込む。
新入学、新社会人。桜に同期して世の中が動き出す。
仕事帰り駅に降り立つと、そよそよと流れる風がコートをぬいだ体に心地良い。やきとり屋
から流れてくる肉の匂いに長ネギの焼ける匂いが清浄感を添える。
春のひとときである。
2004.3.28
昨日は友人夫妻とランチ。木の香りのする雰囲気のあるオープン・キッチンだ。
板前の動き、アルコール、旨い食べ物、外は春の空気。住宅街を歩くのが楽しい。
今日はじゃがいもの植えつけ。ちょっと遅過ぎたかもしれない。「きたあかり」と「男爵」。
ブロッコリーとチシャ葉の苗も植える。えんどう豆の”手”を土手で調達。触手の巻き付き準備完了。
野菜が成長する時期は雑草の成長も早い。花の蜜を求めて蜂がブンブンうなっている。
風が無いのでホバリングが楽そうだ。
友人から鶏卵が届いた。雛が大きくなり産み始めたもので「初生卵」というらしい。
通常より一回り小さいチビ玉子であるが、味が濃いような気がする。鶏の走りまわる
庭を思い浮かべながら、ありがたく食す。
2004.3.25
仕事で関西方面へ。数日前に降った雪で遠くの山の頂は白く、春の光は空気で
薄青く散乱している。湿り気を復活した田んぼと土手には緑がぽやぽやと伸びている。
梅か桜か、新幹線の窓の景色は飽きない。新幹線からローカル線に乗り換える。
レトロな駅だ。切符は昔ながらの厚さが1mmほどの固いキップだ。往復切符を買うと
日付と行き先をハンコで押して作ってくれた。小さなホームには半分屋根がかぶっていて
柱も筋交いも100%の木造だ。屋根からはトイで雨水が導かれて用水として溜めてある。
黄色いディーゼルカーが入ってくる。車内にはバスのように料金表示器と運賃箱が
備え付けてある。電車の先頭から外を見ながら、信号ごとに指差し確認をしているおじさんが
いる。昔、駅員だったのかボケているのか。2輌の車両が春景色の中を走る。