そらまめの日記3



2004.3.18  前線の通過で雨雲が低く流れて行く。ねずみ色の濃さ、雲の形の変化に見ていて飽きない。 教科書どおりに通過後は気温が下がってきた。朝はコート要らなかったのだが・・・。 沈丁花が香ってくる。建物の陰のどんよりと湿った空気を小さな街灯が照らす夜が似合う。  熱帯魚の水槽は巻貝が仕事をサボっているようでガラス面に苔が付いてきた。さらに10匹を 動員。水草の苔を食べてくれるというエビも葉っぱにしがみついている。水槽といえば昔、水族館 に行ったとき大きな高足蟹がゆっくりと歩き、その尖がった足先が底にへばりついていた平目を上から 押し付けた(刺したに近い)。そのとき平目がビクともせずに(できなかったのか)耐えていたのが 印象的であった。  ぶどうジュースを買ってきてイースト菌をいれワイン造りのまねごとをしている。泡が相当出るので 部屋のディスプレーになる。二酸化炭素の泡が出つづけている間は空気より重い二酸化炭素で 空気が遮断され雑菌が付かないが、発酵が止まると空気の雑菌が付いてしまうらしい。 ビンからガスは出ていくが、外から空気は入りこまないという一方通行の水を利用した栓があるらしい。  昨日、カナダ人と食事をしていて最近発見された惑星になれなかった星の話題になった。 会話の中で何度も「ソラー・システム」が出てきたが、屋根の上の「太陽温熱器」しか思い浮かばない 私は「太陽系」のことだと聞いて感心した。確かに太陽のシステムではある。外国語を勉強していて 面白いのは、日本語からは全く想像できないシンプルな表現をしていてピタッとはまっている時だ。
2004.3.11  強い風が南の空気を運んできたようだ。コート姿で電車に乗ると冷房がきいていた。 ゴミをあさるカラスの口からも白く吐く息が見えた寒さはいつのまにか去り、電車の窓からは 梅、モクレンが真っ盛りだ。桜もあと1−2週間で開花とのこと。夜になると風も止み沈丁花の 匂いが漂っている。中世の世界では冬の間の1月、2月などは暦はなく、農作業が始まる春に なって初めて暦の「月」が始まると聞いたことがある。時間があって季節があてはまるのではなく、 季節が動くから時間が始まる・・・。
2004.2.29  山芋を作っている農家の人から話しを聞いた。水はけの良い赤土を好むが、肥料も相当 好きらしい。植えつけは種の場合とイモを植え付ける場合が半々らしい。回りに品質の悪い 苗があると悪いイモが増えると言うから、その場合は悪い花粉をもらった種の場合かと思う。 山芋は子孫を増やすために、イモ、むかご、種の3種類を用意している、大層用心深い植物 らしい。  一般的に花の雌しべは雄しべよりも長く伸びて空に向い、他の花の優秀な花粉を待ちうけて いるが、運悪く受粉しなかった場合、雌しべは首をうなだれて下がっていき、自分の雄しべで 受粉するらしい。ただ野垂れ死にするよりは自家受粉でも子孫を残そうという、実に恐ろしいくらい 素晴らしい仕組みを持っているようだ。  先週は世界的な運送会社の副社長が来日するというので、招かれて「東京アメリカンクラブ」へ 出かけた。各国の大統領のレセプションも行われる場所らしい。私が地下鉄の駅から歩いて到着 すると外交官ナンバーの車が続々と到着。昼食とスピーチを聞いて2時間ほど滞在した。 海外のトップクラスの人達のスピーチの上手さにはいつものことながら感心する。
2004.2.22  低気圧が近づいているため風が強い。風は苦手だが先ほどから雨も降ってきた。なぜか雨が 混ざるとなんとなく気持ちが楽になる。理科少年だった頃を思い出しながら、パソコンでアメダス、 天気図、「風」ダス、「気温」ダス等を頻繁にアクセスしてみる。ガラス窓に雨が叩きつけられて 「ひょう」が降っているような音がする。妻が「ひょう」ダスは無いのかしらとつぶやいている。  妻は山育ちで小さい頃は自転車の車輪にヘビを巻きつけて走っていたらしい。結婚前に友人達と 山道をドライブしていて「アケビ」を見つけた。友人はするすると木に登ったが、私は木登りが下手で 恰好がつかなかったが、今でもそのときのことを笑うのである。大型の虫が部屋に入ってきた時は、 私は脅かして退散願うのであるが、退散しないときはいじるのが嫌なので、ガラス瓶と紙を使い 閉じこめるのである。妻の場合はもっと「直接的」である。妻の田舎に帰った時、山のヤブをこぐこと になった。ヘビも出るかもしれないというので長靴を履いたが、妻に言わせると長靴は大げさで、 ズック靴と棒1本らしい。私の気持ちとしてはヘビがいるとあれば胸まである「胴付き」を履きたい ぐらいであった。
2004.2.15  光の春がやってきた。畑に残飯堆肥を埋める。雨が少ないため土は乾いているが、耕すと土の匂いが良い。 天気が良いのでアボカドの木に直射日光をあててやるためベランダに出そうとしたら上部30センチがポッキリ。 やっと160センチぐらいまで伸びたのに・・・。さっそく添え木をして包帯をしたが、早くも葉っぱがしおれて情けない 姿になっている。人間の指も完全に切断されても押さえていたらくっ付いたという話しも聞くし、まだ若干の期待は している。
2004.2.14  午前中は春霞で遠くの景色が白くかすんでいたが、午後は春一番、土埃がまい、茶色の景色となった。 野菜の直売店で、大根、しょうが、大和いも、里芋、ハナ豆、ふきのとう、ほうれん草、京菜、にんにく、長ねぎ、ターサイ を購入。皆、驚くほど安い。  妻が「友人」にチョコを届ける。先方のご家族としばし歓談。趣味、無趣味の話しで盛りあがった。貝の話しも出た。 貝の縞は一種の年輪で何年生きてきたかがわかるらしい。木の年輪もそうであるが確かに夏と冬があれば成長速度が 変わるので年輪が出来るのも理解できる。貝の殻を顕微鏡的に見るとさらに細かく1日単位の縞も見えるらしい。 この1日の縞は季節と言うよりは潮の干満の影響と思われる。大きな1年周期の中の細かな一日周期の縞の数から 太古の昔の地球の自転速度が現在より速かったことが解るらしい。季節の無い南洋のラワン材に年輪は無いが、南洋の 貝にも年輪が無いのだろうか。  鯨の年齢は鯨のワックス状になっている耳クソの断面を見れば解るらしい。断面はバ−ムクーヘン状になっていて、 やはり縞が1年周期で出来るとのことである。
2004.2.13  久しぶりの雨だ。春らしい温かくてやわらかい。普段は傘もささないぐらいの雨だが、会社でもらったチョコ・クッキーの 袋が濡れるので即、傘を出す。帰宅すると妻がチョコを手作りしていた。どいう訳か私の貰った箱は 2番目に大きな箱だった。  昨日は人間ドック。全体的に値は良いということで一安心。少し食事の量を減らせということである。確かにアルコール と酒肴は完全に肉となっている感じがする。視力検査では右1.5左0.6。左は輪郭がダブッて見え、しかも輪の切れ目が それぞれあっちこっち向いている。でも一応答える。「わかりません」と回答したことは無い。当たったり、当たらなかったり するもので、担当の女の子も混乱、最後は「もう、まけときます」と。見えにくい時は、素直に「わかりません」と言ったほうが 良いものなのか。検査用の「甚平」のような服を着るがLサイズでもつんつるてん。カゼの病み上がりなのでガウンを着る。 眼圧検査の前回はカチッとバルブの音がすると即まぶたが閉じる反応をしてしまい、まぶたの上にエアが吹きつけられた ものだが、今回は反応が鈍ったためか一発で正しく眼球にエアがあたった。体の柔軟性を見る方法が変わった。以前は 立って体を前に倒し床に指が付くどうかで、体の固い私は嫌だったが、今回はボートを漕ぐように座って足を伸ばし目盛り のついた台車を前に押すやり方だ。何にでも「やさしい社会」になっているようだ。
2004.2.11  電車に飛び乗ったらドアにコートの後ろの裾を挟まれてしまった。3駅目でこちら側のドアが開くとわかって いるので安心ではあったが、途中で乗ってきた人達全員がドア側を向くのが「お約束」の駅でも一人ドアを 背中にしていたので居心地がが悪かった。もしここで車両火災になったとしたら、ちょっと体を下げて腕を抜き、 あとにはコートがセミの抜け殻みたいにドアに残ることになる。一応頭の中で予行演習をしてみる。  カゼをひいた後遺症で厚着をして通勤しているが、暖房のきいたビルの中を通過する時には、早足で歩いて いるせいもあるが、さすがに暑い。温かくなるとシベリアに帰る渡り鳥の気持ちが良くわかる。人間も鳥も 恒温動物なので、衣服で調節したり、住む場所で調節したりの宿命のようだ。ヘビやカエルみたいに冬の間 活動停止し寝ていれば食糧難も無くなるかも知れないが、一部の人間が活動しているとするとセキュリティー が心配だ。昆虫のマユ玉とかさなぎは大昔のシェルターの名残なのか・・・?  明日は人間ドックということで夜9時以降は一切の飲み食いが出来ない。お茶も飲めないので ちょっとイラツキ気味である。早く寝ることにしよう。  
2004.2.8  この1週間は微熱、鼻ミズ、頭痛、のど痛の典型的なカゼの症状であった。1日会社を休んで 寝ていた。いつものことであるが私の頭痛は左の後頭部から始まり、全体に広がり、そして左、後頭部 に去って行く。右側を下にして寝ていて頭痛が無くても、左側を下にするとまだ頭痛のあることがわかる。 このような時に痛い方向に体を倒して、痛みを確認しておきたいと思うのは私だけの特性なのだろうか。 このような「確認症」のわたしは「効能:カゼの諸症状の緩和」とあるカゼ薬は飲まない。実際には存在 するカゼの諸症状が薬で隠されていると思うと落ち着かないのである。以前、歯医者で歯茎の深いところ の歯石をクリーニングするときに、麻酔は止めてくれと言って驚かれたことがある。私のカゼの対処法は、 体をあたたかくし、しょうが、にんにくを食べ、お茶でうがいをすることに尽きる。  振り返ってみると、気温が低くて風があるとき、寒さに耐えきれずに骨の中心までブルッとくることがある が、そのような後はたいがい24時間以内に熱が出る。ブルッとさえこなければ結構長いこと寒さの中に 居ても大丈夫のようだ。最近はブルッときそうになると最大限の気合いと筋肉の収縮で、これをけちらして いたつもりであったのだが・・・。
2004.2.1  同じ年代の仲間と昔話をするのは楽しい。米穀通帳が身分証明書だった頃、布団袋はチッキだ。 近所の軒先には洗い張りの板が立てかけられ色鮮やかな反物、代書の庭先では大きな青焼き コピー用の台が太陽の方を向いていた。子供達は近所の金持ちの家にテレビを見せてもらいに行く。 テレビのある家も心地良く見せてくれた。子供達は行儀良く見るようにきつく言われていた。電話機の ある家は「呼び出し」だ。マジックアイが緑に光るラジオ。分解し組立て無線機を作る。時計の品質は 11石とか石の数で表わされていた。「下町の太陽」、「寒い朝」が街に流れていた頃は真面目に生きる 若者が美しかった。最近は身の回りの品物も人々の心もにブラックボックス化してしまったようだ。
2004.1.24  映画、ラスト・サムライを観る。前のほうの席に座ったため画面が激しくパンするとジェット コースターに乗ったようなめまいであったが、それだけ臨場感はあった。戦の場面で馬が かなりの数登場したが、大砲の爆発、矢が飛び交う中での激突。馬は台本が理解できないので 演技?は真にせまっている。どのように撮影をしているかは定かではないがご苦労さんといいたい。 サムライの時代の戦乱に明け暮れる世の中では自然淘汰で強い者たちの集団ができてゆく。 強いが、いつも死を意識せざるを得ないこのような状況では桜の散る姿にも感動するのである。 男がいつも死に直面し、その状況が避けられない状況では女も男も自分の感情を押し殺し 平常心を保つ。男が強く、男らしくなるほど、女は、より女らしくなる。死を意識してストイックな 状況にある男と女は美しい。映画では戦いがすんで男が帰って行くのは故郷の田舎であり、 そこにいる女である。  友人が袋田の滝にゆき凍った滝の写真を送ってきてくれた。便利な世の中になったものである。 新聞記者が伝書鳩の足のアルミ管に写真のフィルムをつめて飛ばし、特ダネに間に合わせた という話しもそんなに昔ではなかったと思う。
2004.1.18  朝起きると1℃。冬らしい寒さがやってきた。電車から見える畑が真っ白に霜が降りて いる事を期待していたが、乾燥が続いていたせいか霜は無かった。この程度の気温であれば 朝、家を出ると目の前に太陽がパッと現れ、気合いを入れているせいか、むしろ顔が暖かい。 夜にホームで電車を待っていると、寒い。人類の起源は南のアフリカだということを実感する。  近所のギャラリー喫茶に出かける。和紙ちぎり絵の作品を見ながらコーヒーを飲む。 時間をかけた緻密な技には感動する。ケーキ皿もコーヒーカップもご主人が選んだ焼き物の 逸品だ。若い頃は食べるカロリーに対してお金を払っていたものだが、この年になると、ゆっくり 流れる静かな時間、ケーキ皿のあしらいの気持ち、ご主人との会話のなどにお金を払って心地良い。  畑に行ってみる。土は乾いていて野菜たちも伸びにくい。陽光も強くなってきたような感じで そよ吹く風にも春のにおいを感じる。野鳥の鳴き声も張りきっているのがわかる。アスパラガスの 周りに残飯で出来た堆肥を埋める。野菜も一雨ごとに伸びてゆきそうだ。  
2004.1.13  1ヶ月前に購入した熱帯魚の水槽の石巻貝が「イイ仕事」をしている。ガラス面につく 苔をきれいに食べてくれる。形はサザエとかタニシと同じ仲間である。ゆっくりとガラス面を 移動しながら通った後はきれいになっている。「僕の前に道は無い、僕の後に道はできる」 などと書いたら高村光太郎に怒られそうだ。一応小さな口をもごもごさせているのがわかる。 10匹もいるのでコケ不足で食糧難かも知れない。
2004.1.12  友人宅で新年会。私は材料、調味料、フライパンを持参してマーボ豆腐を作る。 福島生まれの友人は「おじゅう」を作って食べさせてくれた。材料はさといも、にんじん、 ちくわ、高野豆腐、しいたけ、たけのこ、わらび、なると、赤貝、しょうがなど等、沢山の 材料が入っているので栄養満点だ。しょうがで身体も温まる。お祝いのときも不幸のときも 作るが、不幸の時は赤い人参は入れないとのことである。  新渡戸稲造(著)の「武士道」・「BUSHIDO」を購入。暮の飲み会で友人から勧められた。 対訳なので英語の勉強にもなりそうだ。
2004.1.4  大晦日にデジカメの電源が入らなくなり販売店に修理依頼。半年前にも 同じ現象で修理した。代替カメラをお願いしたら、最初は無いと言っていたが 結局新品を貸してくれた。店員の対応もていねいで参考になる。  初詣は近くの神社へ。1,000年ほどの歴史があるらしい。古いお札を焼くとき に、ついでに妻は秘密(?)のFAXの束を投げこんだ。表面はペラペラと燃えるが 酸素の行き渡らない内部は結構しつこく「生のまま」である。周りの人に読まれ そうなので近くにあった鉄のパイプで「攪拌」しながら30分ほども火の番をした。 体は燻製状態で1日煙の匂いを楽しめた。  年末年始は掃除をするのでいろいろ古い物が現れる。50年ぐらい前の記録 が書いてある父の手帳は破けていたので和紙と糊で補修してみた。母が私の 小学校の頃の日記と母の日に送った手紙を引っ張り出して娘と読んで喜んでいる。  鉛筆で静物のデッサンをしてみる。思ったより上手に描けたので早速額に入れて 部屋に飾った。妻の顔もトライしてみたが難しくギブアップ。今年は描いて見たい。  親戚を訪問。車なので酒は乾杯のみと決めていたが、珍しい「豆腐よう」等があり 引き続き飲んでしまった。
2003.12.28  暮の挨拶回りでタクシーに乗る機会も多く運転手と話しをするのも楽しみだ。 不景気で暮の人出も年々減る一方とのこと。確かに20年ぐらい前はクリスマスとも なるとサラリーマンは街に繰り出し、クラッカーを鳴らし、決まったように円錐形の 三角帽子をかぶり電車に乗って帰ったものだ。今はタクシーも客の奪い合いらしい。 それぞれの駅で指定タクシー会社が決まっていて、それ以外のタクシーは客待ちは できないが客を降ろすことができるらしい。その場合「速やかに」立ち去らなければ ならないのであるが、指定タクシーが居ないと見ると日誌をつけるそぶりをしながら、 様子を見て客を乗っけるらしい。  部屋の壁の飾り物の模様替えをした。場所を替えたり、新しい写真に替えたり。 妻はどこに隠し持っていたのか若い頃2人で写っている写真などを面白がって額に 入れたり外したりしている。顔形や体型の変化が一目でわかる。  太っている妻を見かねた友人が腰振り(ゆりっこ)機械をわざわざ運んで貸してくれた。 さっそく5キロ減を宣言して試しているが、どうなることやら。
2003.12.21  昨日の風も止み快晴。墓参りで横浜へ。湾岸道路を一路南下。 横浜ベイブリッジの左側には船がゆったり走り、右側にはランドマークタワーや 雪を頂いた富士山がくっきり。高速道路はノンストップで快適だ。 小高い丘の上にある墓所は今朝方は冷え込んだらしい。久しぶりに霜柱を踏んだ。 茶屋の主人の話では溶けきれない霜柱は朝が来ると成長を続け10センチほどにも なることがあるらしい。立派な無縁仏供養塔、芸妓連とあり、以前から気になっていて 茶屋の主人に聞いてみると、関東大震災で行き倒れになった無縁仏達を供養するために 横浜の芸妓達がお金を出し合って建てた供養塔とのこと。今でも時々お花が供えて あるらしい。昔、色々な人達が生活し、感動し、今は皆、何事もなかったかのように墓所の 下に眠っている。線香の香りに包まれながら、そういう人情味あふれる昔の話に思いをめぐらす のも良いものだ。
2003.12.14  会社帰りに空を見上げるとオリオン座が高くのぼっていた。久しぶりだ。 駅の柱の間を濃い霧が流れて行っているが上空は星空という不思議な 光景である。あたたかい気候だが星の世界は冬がやってきているようだ。  熱帯魚の水槽に苔がついてきたので、石巻貝を10匹購入。さっそく カラスにへばり付いて苔そうじをしてくれる。かたつむりみたいに移動したあとは ガラスもきれいだ。底の砂利の上でひっくり返ったままにしておくと起き上がれ なくて死んでしまうこともあるらしい。  またまたワイン購入。つまみは「生だこ」。太い足を薄切りにしても動いている。 吸盤も皿の上で元気だ。薄切りチーズをスモークしてみた。中華鍋にスモーク用 チップを入れ、中敷きにチーズを並べ蓋をして弱火にかけるだけ。  
2003.12.7  ほとんど毎日飲み会だ。展示会で疲れた足もアルコールを飲んでしばらくすると 雲の上にいるように軽くなる。これほど単純な体の自分がコワイ。チリ産の赤ワインを 初めて飲んでみたが美味い。カベルネ・ソーヴィニヨン種だ。早速、今日買ってみた。 店では5000円ぐらいしていたが酒屋ではかなり安かった。コストパフォーマンスが高い。  雨が多いせいか畑の菜っ葉が順調に伸びている。芽キャベツは芽が直径10ミリ程に 成長している。えんどう豆は6センチ。ブロッコリーは野球ボールほどに。ターサイ、 ほうれん草、人参、大根、ラディッシュ、紅菜苔、白菜が元気。タマネギ、紫タマネギ、 長ネギの芽も伸びてきた。  例年、年明けに採りにゆく「からし菜」であるが、昨日、土手を通りかかると若い芽 を出していた。さっそく収穫。一日浅漬け、しょうがのみじん切りと混ぜ、ご飯にかけて いただくと「日本人で良かった」である。
2003.11.30  湿度100%。雨のあたらないコンクリートの通路も汗をかいている。雨が続く。 すっかり冬の色合いの景色の中に銀杏の葉の黄色が目立つ。枯草もさらに凝縮した のかオレンジ色に変わっている。気温は16℃もあり生温かい空気だ。車のワイパーの 速度をこまめに変える。雀の群れが田んぼの脇の繁みから驚いて飛び立つ。 通りかかった神社の前で縁日の屋台がヒマそうにしている。久しぶりに行ったイタリアン レストランは店名とメニュが変わっていたが同じ皿を使っていた。夕方には雨もあがった。 青空も見え隠れする。明日の晴天を予感させるような夕焼けだ。薄暗くなると空気中の 湿気は川面、田んぼに白く沈殿してゆく。冬至までもうすぐだ。
2003.11.24  友人夫婦にさそわれて忘年会に出かけた。3組の夫婦と1名。久しぶりに会う人、 初めての人。料理、ビール、芋焼酎を目の前にして1年間の話を持ち寄る。居心地の よい場所にうまり、こまごましたことは女房殿にやってもらえる。自分の知らない分野の 話を聞くのが面白い。差し入れのカモ肉は近所の田んぼで獲れたものらしい。くず米で 餌付けしておいて太った頃に網で一網打尽らしい。酔いがまわってきた頃にカラオケに 繰り出す。有名な民謡歌手の弟子という人も居て、さすがに深みが違い聞きほれる。 皆同じ位の世代であり、選曲も互いに納得。画面に出てくる「湿気のある女」が ほろ酔いの脳に心地良い。女房殿達はそろって、そのような情感のある女は現実には いないと「断言」する。女とは何がなにやら解らない世界のようだ。
2003.11.16  にら、長ネギ、白菜、紅菜苔、ターサイ、ビタミン菜、人参、ブロッコリー、芽キャベツ、 大根、タマネギ、紫タマネギ、ほうれん草が元気に成長している。小松菜、ラディッシュ、 キヌサヤはこれからだ。冬の畑は背の高い野菜が無く見通しが良い。畑の脇に枯草や 夏野菜の残骸と土を交互に積み重ねた小山をつくっている。週末ごとに高さが低くなって いくのを見るのが楽しみだ。冬でも野菜が成長を続ける土地に住めるのがありがたい。  川や用水路の土手の雑草が夏の間伸びきっていたが、役所が刈ったらしい。これからは 草も成長しないので刈るのには良い時期なのであろう。だいぶ弱ってきた太陽の日差しが 久しぶりに露出した地面を照らす。  カナダは有数の木材の産地であるが、80%は冬の間に伐採されるのだそうだ。夏の間は 道がぬかるみトラックに木材を満載できないが、冬は道路がカチカチに凍結するので満載 できるらしい。
2003.11.11  先日行った美術館に何枚か裸婦の絵があった。日本画でも西洋画でも美しく きれいに、魅力的に描かれているのであるが、理解できないのはピカソの裸婦である。 茶色の岩の固まり、木の枝が雑然と組み合わさったような、人と言われれば何とか人 にも見えるといったものだ。このような「裸婦」にどんな価値があるのか解らない。 このような枝の固まり、三角定規の組み合わせたような女が側にいてもしょうがない。 このような裸婦を良いと思うのは、亀、アルマジロ、ハリネズミぐらいではないだろうか。
2003.11.9  友人夫妻と一緒に4人で箱根、湯河原方面へ1泊旅行。 「箱根ガラスの森」では中世のヴェネチアン・グラスと現代ヴェネチアン・グラス のコレクションを楽しむ。中世のベヴェネチアでは優れたガラス工芸の技術が流出しない ように職人を島に閉じ込めたらしい。また優れたガラス細工の技を考案した者には手厚く 褒美を与えたとのことである。カフェで昼食をとる。中庭ではバイオリン・アコーディオンの 生演奏。カフェの中ではイタリアからやって来たカンツォーネ歌手がテーブルの間を回る。 実に良い声で聞きほれる。  仙石原のススキは山裾まで続く。これほど広いススキの群生を見たのは初めてだ。 高台の公園から芦ノ湖と駒ケ岳を望む。風もなく絶好のコンディションだ。  夜は刺身の舟盛り。あとは寝るだけなのでゆっくり飲める。  朝市で買い物。その後「ポーラ美術館」へ。ガラスを基調とした新しい美術館だ。 ベル・エポックと称し1900年前後の絵画、ガラス工芸などを展示している。印象派の 画家たちがお互いに影響しあいながら、またその中から独自な手法を開眼してゆく。 100年ほど前のパリ万博のフィルムの中では、今ではもうこの世にいない人々達が 着飾り、活き活きと歩いている。当時の女性のファッションの変遷にも興味をもった。 腰のところでくびれた大きく広がるスカートの時代にはコルセットで腰をくびれさせたが、 洋服のデザインが変え、くびれを上のほうに移動したことによりコルセットから女性を 解放したらしい。ふーん、そんなものか。また色を白く、弱々しく見せるのが流行すると、 青い血管まで皮膚に描いていたらしい。香水入れの瓶、道具箱の装飾などを見ていると 恐ろしくなるほどである。印象派の画家の絵の側には、描いた本人も顔を赤らめてしまうのでは ないかというほどの文学的な賞賛、評論が書かれてある。評論も作品となっている。
2003.11.3  不在者投票というものに初めて行ってみた。まず「理由書」というものを記入する。 住所、生年月日、理由を書く。私の場合は11月9日に旅行で不在と記入。 その場でプリンターで打ち出したシールが現金書留のような二重封筒に貼られる。 投票用紙は市議会選も含め全部で4通。4通の二重封筒に入れ順次提出してゆく。 想像していたより慎重なものであった。  先日、表参道で飲む。六本木ヒルズのビルが見える。ちょうど30Fから40Fぐらいの 窓の緑の明りが棒グラフ的に延び縮みしている。よくオーディオ機器にある音質表示の 「ビル版」である。J-WAVE放送の放送がリアルタイムで表示されているらしい。 この「無駄さ加減」がうれしい。ちなみに各部屋には人が住んでいるとのこと。  名古屋の近郊の町に出張。駅前にやっと見つけた1件の「食堂」。40年ほどタイムスリップ。 会議室のようなテーブルに全部バラバラな椅子。忘れられたような大きな招き猫。半ぼけの おばあさんがテレビを見ている。一皿250円のおかず皿が10皿並ぶ。名古屋らしく甘味噌が 塗ってある。おばさんがやってきておかずを「お持ち帰り」する。私はカツ丼をオーダーする。 580円。その場で揚げているためか美味しかった。  タクシーで木曽川を越えお隣の岐阜県へ。運転手の話によると、昔は木曽川がよく決壊したが 必ず岐阜側の堤防が壊れたという。武士の時代に愛知側の勢力が強くて岐阜側の堤防を 弱く造らざるをえなかったとのこと。確かに岐阜側が決壊すれば愛知側は「ご安泰」ということか。  畑はターサイ、紅菜苔、ネギ、ほうれん草の芽が伸びてきた。芽キャベツ、ブロッコリーは 気温が高いせいか、葉っぱが開き気味。恵みの雨がシトシト降っている。  
2003.10.23  火星のことも話題にのぼらなくなってきた。 皆に忘れられたような夜空の星たちを一人密かに見上げて いるのも良いものだ。 高村光太郎の詩を引用しよう。 「火星が出てゐる」 火星が出てゐる。 要するにどうすればいいか、といふ問いは、 折角たどった思索の道を初にかへす。 要するにどうでもいいのか。 否、否、無限大に否。 待つがいい、さうして第一の力を以て、 そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。 予約された結果を思ふのは卑しい。 正しい原因に生きる事、 それのみが浄い。 お前の心を更にゆすぶり返す為には、 もう一度頭を高くあげて、 この寝静まった暗い駒込台の真上に光る あの大きな、まっかな星を見るがいい。 火星が出てゐる。 木枯が皀角子(さいかち)の実をからから鳴らす。 犬がさかって狂奔する。 落葉をふんで 藪をでれば 崖。 火星が出てゐる。 おれは知らない、 人間が何をせねばならないかを。 おれは知らない、 人間が何を得ようとすべきかを。 おれは思ふ、 人間が天然の一片であり得る事を。 おれは感ずる、 人間が無に等しい故に大である事を。 ああ、おれは身ぶるひする、 無に等しい事のたのもしさよ。 無をさえ滅した 必然の瀰漫よ。 火星が出てゐる。 天がうしろに廻転する。 無数の遠い世界が登って来る。 おれはもう昔の詩人のやうに、 天使のまたたきをその中に見ない。 おれはただ聞く、 深いエエテルの波のやうなものを。 さうしてただ、 世界が止め度なく美しい。 見知らぬものだらけな不気味な美が ひしひしとおれに迫る。 火星が出てゐる。
2003.10.19  益子へ出かける。学園都市の街路樹はまだ色付いていなかったが、木々の先端の方に 紅葉の気配が現れていた。石切り場を眺めながら筑波山の山すそをすり抜ける。 益子は人も少なく、ゆっくりと陶器屋をまわることができた。女の人が好みそうなきれいな 店が多くなってきたように思われる。陶器も厚い土器風の益子焼きだけではなく、バラエティー が多くなってきた。これだけ多くの窯が集まり陶磁器が作り出されているのに、世の中の家庭 では、それほどお皿や茶碗が壊れていないと思うが、そのバランスはどうなっているのだろう。  最近おいしい「酒盗」を見つけた。高知産だ。飲み屋でモッツアレラチーズの上に乗っかって 出てきた。さっそく捜し求めて手に入れた。イモ焼酎を飲みながらチビチビなめている。 太平洋を泳ぎまわっていたカツオは数ヶ月後に自分の内臓まで食卓の上で供されるとは 思っていなかったであろう。発酵物は旨い。
2003.10.12  昨日は駒場の日本民芸館へ。義父が神楽を舞うために九州から出てきたのだ。 民芸館では特設展として「九州の民俗仮面」をやっていて、芸能、民間信仰、神話・伝説 などが混交しながら伝承された200面あまりの面が陳列されていた。多くの人の手を経て 時間に風化した面たちが私にメッセージを送ってくるようだ。収集家のT氏は20数年かけて 収集したとのことで、将来九州に美術館を建てたいと熱っぽく語ってくれた。  それらの面たちの前で神楽を舞うのは、いかにもベストマッチである。早めに到着した私は 展示室の中に準備されていく神楽の舞台の様子を興味をもって見ていた。150名で満室だ。 本来は夜どうしでやる式33番だが、ここでは5番を2時間かけて演じた。義父も舞った。 米国の日本大使の家族も来ていたが、天地創造から人類発生に至るまでの説明である下ネタっぽい コミカルな掛け合いの演目のときは笑えないでいたようだ。  12月の寒くて息が白くなる夜に、焚き火で体を暖めながら、真夜中で眠くなってきた頃に、 星空のもとで頃合い良く演じられるコミカルな「天地創造・・・演目」は、自然との一体感がある のである。やはり壁に囲まれた展示室のなかでは不自然さが感じられた。  日本各地の民俗・芸能、自然を撮り歩き、映画を作っている方とも知り合いになれた。30年前に 九州山地に取材に訪れたとのことで義父ともその時以来の再会だったようである。  九州は仮面文化の十字路といわれている。現代に住む我々も仮面や神楽などの古いものを 通じての出合いがある。
2003.10.5  天気良し。さつまいもの収穫。友人も参加。今年は満足できる太さに成長していた。 にがうりは最後の収穫。小ぶりであるが緑は濃い。種用のにがうりはすっかり口を開いて真っ赤な 種を露出させている。茄子は花が次々と咲いているのでまだ期待できそうだ。  コスモスが花盛り。雑草達も小さな花をつけ乾燥した体を揺らせている。行ったことはないが、 モンゴル平原の秋はこのような光景なのだろう。
2003.9.28  友人から鶏卵が送られてきた。ありがたい。ダンボールの中の籾殻に包まれていっぱい入っている。 放し飼いでミミズを食べながらノビノビ育った鶏たちが生んだ有精卵だ。さっそく柄のついた一人前用 「どんぶり用なべ」を購入。少量づつ作ると玉子の仕上がりのタイミングが上手くとれて美味い。  畑に白菜、ブロッコリー、芽キャベツの苗を植える。大根、ビタミン菜、人参の種をまく。青じそ、インゲン豆 は抜く。青じその穂はあさ漬けの中に。今年最後のインゲン豆は煮物に。かぼちゃの季節は終わったが、 よく見ると雌花の蕾の下に小さな丸いかぼちゃのベビーが付いていたので、もう少し観察することにした。 枯草と土を交互に積み重ねておいたら見事にほくほくした土に変わっていた。調子付いてまた積み込む。  田んぼはあらかた稲刈りが終わったようだ。その切り株をトラクターですき込んでいるところへサギが15羽ほど 集まっていた。土の中から飛び出してくる虫を狙っているのだろう。コサギは足の指が黄色いのが特徴だが 夏の間は飛び立っても泥が付いていて判らなかったが、このところ足が小ぎれいになってきた。  湿度60%、爽やかな微風だ。
2003.9.19 15日、朝6時出発。午後1時半秋田着。 7時間半のドライブだ。 16日、天気快晴。北緯40度の乾燥した空気。秋田の男鹿半島一周、入道崎、角館、 乳頭温泉の秘湯「鶴の湯」泊。自家発電、テレビなし、囲炉裏あり。我々の部屋は電球で あったがランプだけの部屋もあるらしい。露天風呂にもランプが置いてある。 平日は人も車もまばらだ。トンボも人恋しいのか(弱っている?)しがみついて離れない。 17日は田沢湖から一路南下。栃木の湯西川温泉に夕方6時着。途中は崖と渓流に 挟まれた山道を進む。山奥であるが設備の整った宿が出現する。露天風呂があり、 すぐ側に渓流が流れる。対岸の広葉樹の木々がおおいかぶさってくる。 18日は足利の美術館、足利学校見学。帰宅。走行1,730キロ。
2003.9.14  秋晴れの良い天気だ。乾いた空気には半分刈り取られたまだら黄色の田んぼが良く似合う。 休みがとれたので乳頭温泉、角館、白神のブナ林などを目当てに秋田方面へ行くことにした。 久し振りに妻と私のシュラフ(寝袋)を引っ張り出してベランダで虫干しをする。二つ並んで干してある 光景もいいものだ。車の旅なので使わないと思うが、シュラフも積みこむことにした。
2003.9.12  北海道の農場より枝豆が届く。早速ビールのつまみとする。豆のさやにはうぶ毛がしっかりと 生えていて鮮度が良い。この点は人間も同じようだ。豆はポクポクと歯ごたえが良く、細胞のひとつひとつに、 たっぷりと新鮮なたんぱく質が詰っているようだ。知り合い達にも送ったので「こんなに美味しい枝豆は初めてだ」 という電話がかかって来る。北海道の農園の風景や農場の人々、また各地の知り合いの 枝豆を食べている姿を想像しながら飲むビールは格別に美味い。
2003.9.9  火星が月の側を通るというので大騒ぎ。双眼鏡で見ていたがデジカメを持ち出した。 普段使わないマニュアル露光やマニュアルでのフォーカス合わせなど駆使して撮った。 20枚ほど撮った中の一番すっきりしている月と火星だ。
2003.9.7  稲刈りが始まった。子供の頃、精米所で遊んでいた時に嗅いだ粉っぽい甘い匂いが漂ってくる。 農業用の小型トラックは間違い無く白色。この広い景色の中には白以外は合わないようだ。 道端の「ねこじゃらし」たちも黄色く実った頭を重たそうに垂らしている。 畑の野菜たちも水分の含有率が下がってきた様子。種づくりを急いでいるようだ。 大根の芽が出てきた。これからの秋、冬は葉モノ、根モノの季節だ。  適度な湿気を含んだ土を掘り返すのは楽しい。自然の雨風で平坦になってしまった畝を 盛り上げると畑がシャンとして活気が蘇る。 サツマイモの葉の上にアマガエルがいて、目を細め盛んに白い喉をヒクヒクさせている。 私はミニトマトで喉を潤しながらのご対面であった。 サツマイモを数本づつ掘り出しては蒸かして食べている。  妻が友人と向日葵を見に行った。18万本も咲いているらしい。ゴッホの絵に描かれている ような「やえひまわり」だったと喜んでいた。
2003.9.2 先週は米国カリフォルニアのサンノゼに出張。飛行機の中でアルコールのリストに焼酎とある のでお湯割りをたのんだ。銘柄は1種類のみという。しばらく奥のほうで考えていたようだが お湯と焼酎の比率を聞いてきた。レモンかライムもお付けできますがときたが、もちろんこれは 断る。芋焼酎を期待していたが麦であった。酒酔い運転になるので到着の数時間前からは アルコールをひかえる。  サンフランシスコ空港でレンタカーを借り、一路南へドライブ。周辺の低い山々には木が生えて おらず異様な光景だ。聞くと夏はほとんど雨が降らず冬にちょっと降るのみという。街の中に芝生 は多いがスプリンクラーで水をまかないと枯れてしまうのだそうだ。先進的なエレクトロニクス企業が 集まっていてシリコンバレーと呼ばれている。ここの生活費は高く、家賃も最低で月20万円は するとのこと。供稼ぎでないとお金は残らないそうだ。貧困層の人々は住めず、よって治安も 良いのだそうだ。  ホテルは食器、冷蔵庫、オーブンまで揃っていて自炊もできる。敷地の中に道が走っていて 独立した建物が両脇に建っている。スペイン瓦のメキシコ風の建物だ。受付カウンターを通らなく ても良く、ベッドも2つあり、1人分の料金で怪しまれずに2人は泊まれそうだ。 朝食はホテルでとる。ブドウは緑色と紫色が必ずあり、メロンは黄色と緑だ。黄桃のシロップ漬け。 スイカのカット。ヨーグルト。食パンの側にはトースター。ダニッシュ。シリアル。飲み物は牛乳、 コーヒー、ジュース類。かりかりベーコンにスクランブルエッグ。ちょっと使いすぎて酸化した油で炒めた ようなじゃがいも。毎日同じもので変化はないが何か妙に安心できる。  訪問した会社のミーティングルームのコーナーには大きなカラス鉢の水と氷と瓶や缶のジュースが 冷やしてある。やはり2色のブドウ、2色のメロン、ダニッシュそしてコーヒーポットが置いてあるのが お決まりだ。  夕食は和食、中華、イタリアン等。夕方大きなショッピングモールへ。靴を購入。足が大きく日本 ではなかなか良い靴がないので出張の時はチャンスだ。気に入ったデザインの靴で大きなサイズが 揃っているのが嬉しい。  最終日は車を降りて、歩いていける隣のホテルに出向いた。入口を入ると男が近づいて来て バッグを開けろという。カメラを見るとここでは写真を撮らないようにという。辺りを見回してみると びっくり。ロビーで300名ぐらいの人々が集まっていてギャンブル大会をやっていた。アジア系や 中南米系がほとんどだ。「食堂」はいづれもちょっと薄暗く怖そうなムードが漂っている。入ってみる。 昔のチャップリンの映画に出てきそうな、コンクリートの打ちっぱなしの壁に原色のネオンのガラス管が へばり付いている。ビールと言うと、瓶のままでコップは出てこない。いままでのレストランは上品な グラスが必ず付いていた。まあ瓶のまま飲むのも、こういう雰囲気のなかではカッコいいものだ。 現金の手持ちが少なく、少なめのチップで精算する。何か一言、言われるかなと思っていたが、 それはなかった。 最後はおきまりの空港の免税店でチョコレートと香水を購入。
2003.8.24  昨日は久しぶりに「山猫軒」へ。高麗川を渡る頃、奥武蔵の山々が見えてくる。 渓流の脇の細い道を上ると民家ギャラリー「山猫軒」だ。120年以上の歴史の民家の 畳の上には木の作品が数点あり、その押し殺したような表情に私の心はたちまち50年ぐらい 昔にタイムスリップする。縁側から外に出る。やっと夏らしくなって、にぎやかなセミの鳴き声に 渓流の水の音がまざり合い、天然酵母のピッツアとビールを飲む。私の絶好の舞台設定だ。 ときおりアブが飛んでくる。結構大きい。蝿たたきで人の尻まで追いかけて退治するのも余興である。    本日は成田のホテルで昼食。祭の屋台が並んでいたので歩いてみる。すくった金魚を 子供たちがビニール袋に入れて持ち歩いている。長く膨らませた風船も昔から子供に人気がある。 ワインとビールでいい気持ち。今年最高と思われる暑さが照り付ける。これだけ徹底的に暑いと むしろ気持ちがいい。焼き鳥を焼く人。赤ん坊も風呂上りのような顔をしている。セミの声に 今度はエレキバンドの音が混ざりこむ。 夜になると空気も相当涼しくなってきた。セミの声に混ざるのはコオロギの声だ。  
2003.8.17  8月とは思えない涼しさだ。1週間ほど雨が続いている。地上での命が1週間しかない というセミはどのように過ごしているのだろうか。雨の中では配偶者を見つけられずに 野垂れ死にかも知れない。先日、観察した湿地帯あたりのホタルも、はかない光を放って いたが、この雨続きではどこかに避難しているのだろう。成虫になってからは水だけ飲んで 過ごすらしいが、これだけの雨まみれには閉口しているだろう。  雨のあいまに畑の様子を見に行く。雨のあがるのを待ちかねたように、散歩する人、 犬の散歩、さっそく水路で釣り糸を垂らす人たち。閉所恐怖症は大げさかも知れないが、 やはり外につながっていないとストレスがたまってくる。車に乗っていても、温度が適温でも やはり、外気換気口からの空気を感じると落ち付く。  ニガウリの支柱が自分の重さと風で倒れこんでいたので修理。ツルがからみついて 手間取る。日照のすくないせいか緑色の薄いニガウリを5本収穫。  友人が訪ねてくる。福島産の冬瓜、カボチャ、素麺、せんべいなどを土産にもらう。 東北の旅の話を聞く。若い時の旅は新しいものを見つける旅だが、ある程度年をとってから の旅は「旧いものや人」に再び出合う旅だ。そのような旅の話しに共感する。  先週は世間は夏休みで電車が空いてるので座れた。電車の窓から景色が良く見える。 夏休みで家族が集まる時期に、先祖を偲ぶお盆があり、戦没者や昔を偲ぶ終戦記念日が 重なっているのは偶然なのであろうか。新聞の投書は戦争の体験が増え、テレビも戦争の ときのフィルムを流す。一生懸命に生きていた人々の笑い顔は屈託なく美しい。 アルコールを飲みながら「良き時代」のフィルムを見ながら、そこに当時の歌が流れたりすると、 私の感情は飽和領域に入り込む。
2003.8.3  稲の穂が伸びてきた。深夜のラジオが日の入りが早くなってきたと伝え ている。梅雨明けで、干した梅のにおいがベランダから漂ってくる。  畑のモロヘイヤを摘む。トロトロにしたものを素麺の「つけ汁」に 入れると旨い。夏らしい天気になったからか、ニガウリもイボイボの小さな 実をつけ始めた。オクラも今年はたっぷり食べれそうだ。  近くの花火大会の音がするので夕食を手早く済ませ車で出かける。 「仰ぎ見る」場所ではなく、ほどほどのサイズであったが、ゆっくりと 楽しめた。久しぶりに空を仰ぎ見ると星たちが居た。帰りに道を横切る 「ハクビシン」を見た。イタチかタヌキかとも思ったが、顔の模様は ハクビシンであった。やはり野生にしてはのんびりしている様子であった。
2003.7.27 久しぶりの青空だ。2畳のゴザを居間に敷いてみた。新しいイグサの 匂いをしばらく楽しめそうだ。何か昔、夏になって蚊帳を出した時の ような気分だ。  雨が続き畑の野菜も徒長ぎみだ。紫蘇の側の雑草を刈るときは紫蘇の 香りが。ルッコラはすっかり伸びきって花が咲いているがゴマのような 香りは健在だ。キジのカップルが居て、田んぼの畦でグェッー、グェッー と鳴く。  「ほたるを観る夕べ」の会に参加。長靴を履いて出かける。人家から それほど離れていない湿地帯でほたるが光っていた。成虫になってからは 水だけを飲んで1週間の寿命だそうだ。参加者のオバさんが昔は蚊帳の中に 入れたり長ネギの中に入れたりして遊んだものだと言っていた。 長ネギの中で緑に光るほたるは幻想的だったに違いない。
2003.7.21  移植したキュウリとナスは根がついたようで元気な葉っぱになった。 オクラも相当盛り返してきた。ニガウリも黄色い花が咲き始め準備万端。 モロヘイヤがどんどんとれる。今の季節のは柔かくて食べやすい。中華なべに 山盛りのモロヘイヤを入れアンチョビで味をつける。極めてシンプルな味付けで あるが若干の粘りもでて旨い。野菜は素材を味わうに限る。  田んぼの稲は伸びて、もう水面は見えない。葉先がそろってビロードのような 繊細なきみどりのうねりだ。  通勤の乗り換え駅では電車のあかりに向かって、開いたドアから虫が 飛び込んでくる。誘蛾灯という言葉は昔読んだ図鑑によく載っていた。 オバさんが蚊のような小さな虫にキャーキャー言って席を立っていたが 騒ぐのは蛾以上の大きな虫だけにして欲しい。  直毛の男の人の眉を見たらやはり直毛であった。麦の穂のように真っ直ぐな 眉であった。  こうもりがオシッコをするときは自分の顔にかかってしまうのでその時は 逆さぶら下りをやめるらしい。  ニュートンやアインシュタインの物理法則を知らなくても世の中は何事もなく 進んで行くものらしい。  知人宅の庭でバーベキューパーティー。時々雨であったが大きな屋根を設けて しのいだ。夕方から雨も上がり涼しかった。終わりよければ全てよしだ。 人が集まれば自然現象と違い物理法則や方程式は成り立たない。
2003.7.6 畑の一角が国有地にはみ出していたため移植大(小?)作戦。 キュウリは既にツルが巻き付きミニキュウリもいっぱい付いているので 注意を集中。ナスやネギは比較的樂であったがヒゲ根がプツプツと音をたてて 切れてゆくのがわかり痛々しい。後は無事に「活着」して元気になって欲しい。 アスパラガスは20年ぶりに掘り返した。根は太ウドン状で行き場がないようにトグロ を巻いていた。20年ぶりの太陽の光は刺激的だったであろう。 日焼け防止完全武装だが見た目には暑苦しい。 一段落して、空を仰ぎながらペットボトルのお茶を飲む。風が涼しくペットボトルを 「ブォーーー」と鳴らす。真赤なミニトマトをほおばる。緑色のミニトマト予備軍が後に続いている。
2003.6.29 6月も終わろうとしている。田んぼの稲は順調に伸びているようだ。 いい緑になってきた。道端のタチアオイの花たちは、今の季節を象徴するように 元気に空に向かっている。  昨日は劇団四季ミュージカル、「マンマ・ミーア!」を観た。アバの音楽を基に 歌、ダンス、衣装で人(特に女の人)の魅力、美しさを引き出し切っている。 まだ筋(スジ)の固まっていない若い女の踊りは「天の岩戸」の頃からの普遍的な 魅力だ。汐留シオサイトの高層ビルに囲まれてお茶を飲んでいると雨あがりの 涼しい風が気持ちよい。よちよち歩きの子供を連れた若夫婦も何組か時を過ごして いて、1970年代の自分たちを見た。
2003.6.25  じゃがいもを収穫。まだ小さいイモも数多く早すぎた感もあるが まあネズミに食われるのもしゃくだ。露出していたものは緑がかって味もエグくなるが 中のほうから白い肌の大きなイモがぽこっと飛び出してきたときは嬉しい。 今頃ネズミはエサが無くなって右往左往しているのであろう。  近所の麦畑は半分ほどが刈り取りされていた。 枯れた麦色の地域に立つと 頭がクラクラする。頭の中が混乱しているらしい。遠くから麦畑を眺めると、圧倒的な 緑の中の「特殊な麦畑の秋」であるが、近づくと圧倒的な秋の中の「特殊な田んぼの春」 になってしまう。人間は基本となる背景というものがしっかり確定していないと落ち着かない ものらしい。「目の錯覚」の本によく出てくる絵に2人に顔が向かい合っている図があって、 顔に挟まっている部分が壷の形に見える。壷と思えば顔が見えず、顔と思えば壷が見えない。 2種の存在を同時に認識できない事は、麦畑の「クラクラ」に関連があるのだろうか。
2003.6.15 タマネギとじゃがいもを一畝のみ収穫。梅雨も今日はお休みだ。 昼メシは茹でじゃがいも。夜もじゃがいも料理。ルッコラも採れすぎて 煮びたし。ビールのつまみは畑のキュウリに味噌をなする。 隣の畑でもじゃがいもを収穫していたが遠くからみてもでかい。山形の 親戚に送るとのこと。7月頃には山形でもじゃがいもができるので、そのときは 送ってくるとのこと。時間差相互補給方式といったところか。  近所を車で「散歩」していると青々とした田んぼの中に黄金色のいかにも 初夏にはふさわしくない色の一角があった。近づいてみると麦畑であった。 「麦秋」という言葉は知っていたが、初めてそれを見た。切り取られたその一帯だけ が秋であった。近づいて写真を撮るフリをしながら数本の麦を失敬した。
2003.6.12 何と、いつも定点観測していた枇杷の木の枝が伐採されていた。 確かに垂れ下がった葉っぱが私の頭に触れるほどだったが・・・。 新しく現れた枝には枇杷の実が鈴なりで黄色く色づいていた。 やはり上のほうが日当たりが良かったようだ。  数日前、久しぶりに家を1時間早く出勤した。気が付いたこと。 電車で女の人が少ない。(かつぎやさんはいた)。中・高年が多く階段の 降りかたが落ち着いている。(ころんだら大変)。地下鉄の広告の蛍光灯が 消されていた。(見る人も少ないとは思うが、結構細かい)。  夜、グルメの医者と一杯やった。世界各地でいろいろめずらしいものを食べて きたらしい。珍味も医学的な見方で面白い。馬刺しで新鮮な血管を食べた が小指ほどの半透明で裂きながら食べるとコリコリしているらしい。 血管は大事な部分なので縦筋と横筋が交互に3層になっていて、しかも 良質のたんぱく質でできているとのこと。馬は草原を走るためのエネルギー源として 筋肉内にグリコーゲンを貯えているので味が良いのだそうだ。牛はゆっくり草を 食んでいるのでグリコーゲンは少ないらしい。中国で食べたカブトガニは甲羅が ひとかかえもありしっぽを掴むと人間の背丈ほどもある。甲羅は二重構造になっていて 間にイクラ大の卵がびっしり詰っている。足は極端に小さく3人であっという間に食べ る量。甲羅が大きく手足が小さいので一度ひっくり返ると自力では元に戻れないらしい。 ノルウェーでは特別な日に動物の目の玉を食べるらしい。牛、羊、小さいものでは 蚊の目の玉。さすがに蚊の目玉は集めにくいので「こうもり」のお世話になる。 こうもりのうんこを集めて水にさらすと固くて未消化の目の玉が比重の違いで分離 出来るのだそうだ。 食い物の世界は奥が深い。
2003.6.7 畑の野菜の若い実がつき始めた。かぼちゃはピンポン玉の大きさ、 なすは今年最初の1本、キュウリはタバコの太さでイボイボが細かい。 オクラは成長が悪い。友人の話でもオクラの出来が悪いらしいので そういう気候だったのであろう。モロヘイヤ、にがうりは芽が出たばかり。 いんげん、トマトは間もなく実がつきそうだ。タマネギ、じゃがいもは 収穫待ち。さつまいもは元気に成長している。絹サヤえんどうは葉が 黄色くなってきた。最後のサヤはしばらく採らずに太らせて豆にして 食べるつもりだ。カッコウ、キジ、オオヨシキリの声が聞こえる。  通勤途中の枇杷も実がうずらの卵より大きいが鶏卵よりは小さいところまで 成長した。冬の白い花から半年が経った。一部の実は黄色くなってきた。  会社関係でトロントからの客あり。SARS騒ぎで会社の通達で中には入れる ことが出来ないので外部のオフィスで会うことに。こちらから4人出かけたので あるが皆マスクをし2メートルは離れるように心がけた。韓国ではキムチを食べて いるからSARSに強い(?)らしい。私は持参したニンニクをつぶして部屋の中に 匂いを立ちこめさせた。半分は冗談であるが半分はマジだ。毒消しになってほしい。 もう一人は奥さんが持たせたらしくアルコールの「霧吹き」を持ってきていた。カナダ人も 滅多にマスクをしないので、デジカメでマスク姿の集合記念写真を撮って帰った。 今度の社内報に載せたいらしい。世界中に配られる。 やれやれ。今後10日間は「普通の風邪」でもひいたら大変なことになる。 私や家族も隔離騒ぎ?料理のニンニクの量をいつもより増量した。
2003.6.1 時々自分で緑茶を素早く炒ってほうじ茶を作り飲んでいる。 飲む直前に炒るので味は良い(と信じている)し、香ばしい香りが 部屋に漂うのも良いものだ。スモークサーモン、コーヒー、たばこ、 麦こがし、いぶりがっこ等々。アメリカでは焦がした鮭の皮を巻き込んだ 寿司が流行っているらしい。人はこげた食べ物が好きらしい。 大人になってくると唾液の分泌が悪くなってくるので無意識に苦いもの を求めているのか。それとも人類が洞穴に住んでいた頃に、焼いたものは 殺菌されて腹をこわさないという安心感が摺りこまれているのか。  殺菌といえば赤チン、ヨーチンは無くなってしまった。最近はイソジンだ。 アメリカのNASAはスペースシャトルが地上に帰還したときに未知の細菌を 消毒するためにホースで水洗いするらしいが、その水の中にイソジンが 入っているらしい。