そらまめの日記22




    河川敷公園で遊ぶ  2025年1月27日

朝のルーチンとして電子ピアノに向かうようになった。Youtubeの初心者用番組 を見ると流れるようなコードの移動に感動しゾクゾクするのであるが自分でトライ してみると「先が長い」。Youtubeの画面を一時停止してスクリーンコピーをして カット、連結して楽譜を作り上げた。左手のコードに注力すると右手のメロディー がおろそかになり、右手に注力すると左手がおろそかになる。まあ先は長いが 少しづつ進歩している(と思いたい)。 日が昇って室内の観葉植物や多肉植物に日光が当たり始めると小窓を開けて風通し をよくしてからウォーキングにでかける。最近、近場の河川敷に公園があることを 知り入り浸っている。 車のカーラジオが壊れかかっていて寒さの残る朝は選曲が不安定、タッチパネルも 言うことを聞かない。FMもAMもだめなので残るミュージックとしてCDを聞くことになる。 CDも以前ディスクの取り出しのときに引っかかってしまい無理やり押し込んだのが 今入っている中島みゆきの「EAST ASIA」だ。ディスクの交換はトラブりそうなので この車に乗っている限りは「EAST ASIA」を聴くことになるが一番のお気に入りだった ので良かった。朝いちばんはCDしか聴けないが気温が上がってくるとFMやAMも安定して 聴けるようになりその日一日はご安泰となる。 河川敷は一級河川なので広々している。たっぷりと予算をかけているようできれいに 管理されている。運動のグラウンドなど広々していて歩いていても気持ちが良いが 今日は「森」のエリアを歩いてみた。まだ新緑の時期ではないが昨年の名残りの 枯れ枝やツルなどが無造作に積み重なっていて風情がある。 野ばらの実が熟し枯れている。集めると「ティー」になるのだろうか。 枯れた草には枯れた花や種が付いているのでおもしろい。 「くろまめ」は使えるツルがないかと物色中。 河川敷の帰りはコーヒー屋さんでゆっくりとお茶タイム。温室でコーヒーを育てている とのことで見学した。

    電子ピアノで遊ぶ  2025年1月10日

毎年、年が改まると「楽器のマスター」という言葉が頭に思い浮かんでいた。 身の回りにはギター、ウクレレ、フルートなどがあるがほぼお飾り状態。 映像でピアノやキーボードを楽しそうに弾きこなしているのを見て、いいな〜 と思っていた。調べてみると電子ピアノが年々進化を続けていてひと昔前とは 全然別物らしい。音色は昔の電子音的ではなくてグランドピアノの生の音を サンプリングしているらしい。鍵盤のタッチも軽々しくなく本物に近い「重厚感」 を出しているとのこと。Youtubeでいろいろ性能比較やコスパ検討しているのを 参考にした。鍵盤の数はフルの88鍵にしコスパが良いとの評判の機種にした。 楽器店にも行ってみたが結局通販で購入した。 届いてみるとやはり大きい。電源を差し込むとすぐに音が出る。ボリュームを 小さくするとご近所迷惑にならないのも安心だ。 中期高齢者の手習いなので指の関節は太くなって筋が硬くなりつつあるし左右の 手で違う指運びをするなど脳の老化が進んでいるのにできるのだろうか。教則本 を一から進めていくなどシニアには時間も耐力もないので一つの曲を弾けるよう な目標にした。当面はジョンレノンの「love」が良いかなと思い鍵盤に向かっている。 Youtubeで初心者向けのチャンネルも多数あり参考になる。理論や理屈は勉強できるが やはりいじくりまわし続けないと音符から鍵盤への対応が時間がかかってしまう というのが実感だ。 Youtubeの「あなたへのおすすめ」にはこれまで良く見ていたシニアの生活や移住、 古民家リフォームなどが多かったが最近は量子、微分積分、複素数、光、宇宙など でうろ覚えの知識の再確認をしていたのでその分野が増えてきた。最近はそれに 「ピアノ」が増えたので古民家リフォームのチャンネルは表に出てこなくなった。 時々リフレッシュしてシニアライフなどを復活させている。 しばらくは「電子ピアノ」で遊べそうだ。

    久しぶりの雨  2025年1月3日

朝から珍しく雲が広がっているなと思っていたら雨になった。嬉しい! 何週間も雨が降っていなかった。畑の伸び盛りの苗たちには時々水やり をしていたが、そろそろニンニクにも水をあげないとまずいと思っていた ところだった。しばらくして雨があがり部屋の中にも日が差し込み始めた。 「ハッピー葉っぱ」はお皿に水を入れて浸しておいたら葉のふちから芽と根 がいっぱい出てきた。先を考えてお皿から土に引っ越しさせた。 暮れにテレビで見た中井貴一の対談。ちょっと「悪」を演じてみてくれと 言われ演じた。続いて「正義」を演じてみてくれと言われたがどうすれば よいかアイデアが出てこなかったとのこと。「悪」がいてそれを懲らしめて いる様子が「正義」であって、「正義」を演じるには「悪」が必要なのでは ということだった。 青森の「ねぶた」はだいたいが悪いヤツを足で踏んづけて刀を振りかざす 正義の味方という構図が多いが、祭りが終わって2体を切り離し別々に展示 したら何が何やらわからなくなった、という笑い話を思い出した。