そらまめの日記21




    「房総のむら」でコマの体験  2024年11月17日

今日は午前中は近くで開催されているフリーマーケットへ。出店者は車で 店を出せるので搬入搬出は楽そうだ。皆売れても売れなくても楽しそうだ。 その後またまた「房総のむら」へ。シニアは入場無料。ぶらぶら散策して 足腰を鍛えるには良い場所だ。持参した弁当を食べてから今まで行っていな かった奥まったところにある「下総の農家」あたりへ。 「上総の農家」と同じように周辺に畑があり春夏にも楽しめそうだ。 縁側には昔の遊びの道具が並んでいてコマ回しにチャレンジしてみた。 3回目ぐらいにうまく回すことができたがコマは「土俵」の外だった。 「くろまめ」も60年ぶりぐらいらしい。 ボランティアの方と話をした。築後40年ぐらい経過した「かやぶき屋根」は メンテナンスが必要だが費用が高騰していて手つかずのままらしい。萱は 山で採れるものが固くて上質で水辺で採れるものは柔らかくて折れやすいとの こと。そもそも萱の採れる場所も減っているし「かやぶき職人」も少ない現状 らしい。 コマ回しは小学校の授業でもやるらしいが、授業が近づくと先生たちが何名かで やってきてコマ回しの練習をして帰っていくそうだ。 敷地の中で綿の花から機織りまでやっている工房があって少し話ができた。 外では綿の花が栽培されていて我が家の畑でもつくったことがあるので懐かし かった。

    赤ちゃんからシニアまで  2024年11月16日

道の駅まで弁当を持って出かけた。外の風にあたったり世間の情景をみたり 足腰の運動はシニアにとっては必須事項だ。 広い芝生にシートを広げてくつろいでいるファミリーはだいたい子育て世代だ。 シニアはしゃがむのが苦手なのでベンチを探している。我々もベンチをみつけ 腰をおろした。 弁当をひととおり食べると目の前の人間観察が面白い。子供たちが走り回る。 こんなにも走るのが楽しいものか。「♪疲れを知らない子供のように〜」だ。 既に走ることはすっかりありえなくなったシニアだ。シニアのカップルが手を つないで歩いている。ラブラブなのか倒れないように支えあっているのか、 考えてみればどちらもラブラブには違いない。 小学生の女の子が縄跳びを始めた。家族や周りの人々も意識していているようで 恥ずかし気ではある。そのうちお父さんが出てきて「指導」らしい雰囲気になり 女の子は芝生に「体育座り」をして真剣な様子だった。学校での体育の授業での 様子はこのようなものなのだろう。 小学生の男の子とお母さんがドッジボールでキャッチボールを始めた。お母さんは 自分の若かりし頃を思い出しているように楽しんでいる。お母さんはお父さんと 交替。お父さんは「トレーニングモード」になっていて低いボール、高いボールを スピードを付けて投げていた。やはり息子を鍛えたいとの男親の本能なのか。 フリスビーを追いかけて器用にキャッチする。クラシックな乳母車を押して芝生を 横切るカップル。段差で乳母車が倒れた。遠くだったので詳しく見えなかったが 大事なかったようだ。 いろいろな世代の人たちがのんびり過ごしている。子供たちがふざけあっている様子に まだ歩けない弟らしき赤ちゃんがベンチにつかまり立ちしながら近づくが端まできて ハイハイになってしまう。 シニアたちは自分たちの子育て時代を思い出しているのかもしれない。 薄曇りのなかでの人間観察を終了して農産物直売場へ。新鮮な野菜が並ぶ。色々な 農家さんが出品しているがうまい具合に価格のバランスがとれているようだ。 お米を購入。「お米の虫のいる季節ですので大量の買いだめはしないでください」 との張り紙があった。

    「房総のむら」で鉄の体験 2024年11月12日

「くろまめ」の提案で「房総のむら」の中でウォーキングをしようとのことで 出かける。駐車場に着くと平日なのに大型観光バスが8台ほど停まっている。 遠くから観光にきていてまずまずの賑わいだなと思いながら入場。シニアは 入場無料だ。 バスの正体は小学生の体験学習のようだ。皆首から感想文のためと思われる ノートの様なものを下げて楽しそうに走り回っている。まさが「タブレット」 ではないだろうと思い近づいてみるとノートなので安心した。 鍛冶屋の体験の店先に黒色のサンプルが並んでいるので近づいてみると 魚の形のペーパーナイフなどが並んでいた。500円で体験できるとのこと なのでやってみることにした。 鉄の棒を熱して叩いて作る。自分に合った金槌を選ぶ。 コークスに空気を送りながら赤くなるまで熱する。 金槌で叩いたりカットしたり、まんべんなく薄く加工していくための フラットな叩き方にコツが要る。いつの間にか小学生たちが20人ほど 集まってきて作業をのぞき込んでいた。店の人が「鍛冶屋」というもの を説明しはじめ何か自分の作業が役にたてたようで嬉しかった。 大まかな形ができるとグラインダーで刃を付けて目に穴を空けてオイルの中で 冷やす。 おがくずをまぶしてオイルを拭きとる。 「上総の農家」の前の畑の中を歩く。いろいろな野菜ができていて植えた時期や 品種が丁寧に表示されていて参考になる。 珍しい「なた豆」もできていた。サヤが大きい。 帰宅して制作したペーパーナイフをパチリ。

    マッチ 2024年11月2日

高村光太郎の智恵子抄の一節に「・・・両手を伸して吹入るオゾンに身うちを洗ひ、 やつぱり二十代の声をあげて十本一本のマツチをわらひ、杉の枯葉に火をつけて 囲炉裏の鍋でうまい茶粥を煮るでせう。・・・」がある。 智恵子の二十代といえば明治から大正にかけての頃、マッチの品質も悪くて十本 すっても一本しか点かないような時代だったのだろう。 マッチを最近見ることが無くなった。小さい頃のマッチは特用箱に入っていて そのうち「検便」に使われた小さな箱が出てきた。検便の日の朝は学校に行くと マッチ箱が教室の壁際に並べられていた。そして更に薄い箱になり店の宣伝や 飲み屋の電話番号などが印刷されていてコミュニケーションツールとしては 結構活躍していた。その後に現れたテレフォンカードみたいなものだった。 その頃まではマッチの軸はまだ木だったと思うがその後に出てきたマッチは ボール紙に切れ目が入った軸で、やはり飲み屋の広告が印刷されていた。 そのうち100円ライターの「チルチルミチル」やチャッカマンなどが登場して マッチが完全にどこかへ行ってしまった。 昔、ブルガリアに出張するときに誰かからお土産として「チルチルミチル」と 「パンスト」が喜ばれるとアドバイスをもらい大量に持って行った。で空港で この量はお土産とは認められないとのことで税金を徴収された。 かれこれ半世紀ほども前の話である。

    雨の一日 2024年10月29日

今日は一日雨だ。リビングのテーブルにワトコオイルを塗った。畑の種たちも 雨で元気にしているに違いない。ニンニクやエンドウが発芽しているだろうか。 ベランダのプランターに蒔いたビオラの種は発芽したがネモフィラは全く発芽 の様子がない。水をあげすぎて小さな種が土に中に流れてしまったのかそれとも 発芽温度が低いので寒くなるのを待っているのか。種袋に残っていたネモフィラ の種を水を含ませて冷蔵庫に入れてみた。 家の中でタッパーはいっぱい使われているが朱色でまわりのタッパーとは少し 違うものがある。「TUPPERWARE」の文字が刻まれている。長年ブルーチーズ入れ として使っていて晩酌時に登場する。「くろまめ」に聞くと30歳の頃に友人から もらったものらしい。かれこれ40年以上使われているが全く劣化は無く長寿命だ。 タッパーという柔軟で密閉度の高い便利な容器を思うとやはり昔の「おかず入れ」 を思ってしまう。メインの弁当箱に必ず小さなアルマイトの「おかず入れ」が 付属していて汁が漏れないようにゴムのパッキンが付いていた。このゴムが伸びて はまらなくなったり結構トラブルの元になったりしていた。 容器といえば汽車に乗ったときに買うお茶の容器。その昔は陶器製だったが、そのうち プラスチックの容器になった。中身が見えるようになったが今思えば独特なビニールっぽい 匂いがしていた。 便利になったものでは接着剤の「のり」もあげたい。昔はなかなかくっつかず一旦 くっつくとなかなか剥がれないものだったが今どきの「のり」はソフトに接着でき、また 剥がすときにもしっとりと剥がれる。そして何回も使える。考えると両立しないような 性質が成り立っているからすごい。 夏が過ぎ部屋のカーテンが厚くなった。車のサンシェードをやめた。シャワーからバスタブ になりバスクリンが復活した。

    十月に入る 2024年10月1日

もう10月。今年もあと2か月というのか、あと3か月というのか、ラジオで 面白おかしく話していた。なるほどちょっと考えてしまう。 急に長袖のシャツを着たり開け放していた窓を閉めて小窓にしたりと季節が 変わっているのを感じる。 畑では今年は蚊が少ないように感じた。35℃を超えると葉の陰で退避したり するらしい。雨が少なければボウフラもわかないだろう。トマトもナスも今年は 元気が無かった。季節が変わり刈り倒した雑草が茶色に枯れてきた。若い緑色の 残党も涼しくなって生長するのを観念した様子。「くろまめ」は枯れ草を熊手で 集めて山にするのを楽しみにしている。熊手は楽し気に使っているが最近買った 三角クワは保護袋に入れたまま手つかずになっている。三方に刃が付いているので 怖いのだそうだ。 近所のパパイアの畑。こじんまりした畑の一画にある簡易トイレがが斜め30度 ほど傾いていて車で通るごとに気になっていた。「ピサの斜塔」のようで地震が くると倒れそうだ。パパイヤが大きくなり先日「直販してます」の看板がでていたが それと同時に簡易トイレが撤去されていた。自分であれば斜めになりながらも何とか 用を足せるが、お客様には提供できないとのことであろう。 新札が発行されて直ぐは珍しいもの見たさに両替機に行ってまで新札を手にいれた。 その後も財布の中に新札しか無くて支払いをするときには何か損をしたような気持ち になったものだった。今は旧札のほうが少数派になってしまった。 晩酌はビールの基本コースのあとに戸棚の奥に隠れていたスコッチやラムなどに 氷を入れて飲んでいたが涼しくなってきたので芋焼酎を買い求めた。お湯で適当に 割りながら飲めるので便利だ。けっこう薄めても芋の風味が弱くならないのが魅力だ。 芋の風味が口の中に広がるとふと現役時代の仕事帰りの飲み屋街の雑踏が思い浮かぶ。 けっこう芋焼酎に入り浸っていた時代もあった。 昭和は遠くなりにけり・・・。

    「アブサン」 2024年9月21日

自分では普段は全く料理はしないが最近天ぷらを揚げたりしている。揚げ物は 滅多にしないが揚げる役をかってでた。材料の下準備は「くろまめ」が全部やって 脇に置いてある。イカは油がはねると警戒していたがそのとおりになった。 コンスタントに揚げ続けるには結構技術が要る。天ぷらをつまみながらの晩酌が 楽しみになっている。 おかずがいっぱいあるとビールを空けたあとに余韻がのこる。先日はスコッチ を引っ張り出して楽しんだ。昨日はホワイトラムやダークラムなど棚の奥の アルコールのリバイバルがマイブームになっている。 強い酒といえばブルガリア出張を思い出す。歓迎のパーティではロシア製の ウォッカが並んでいた。ソフィアの場末の「大衆食堂」に繰り出すと若者の グループがいて仲良くなり酒を注がれた。飲んだ時の反応を興味深げにのぞき 込んでいた。アルコール度が強く水を入れたら白く濁っていたので「アブサン」 だったに違いない。 「くろまめ」曰く「歌は思い出の水先案内人だ」だが酒も思い出の水先案内人だ。 今日も夕暮れがやってきた。

    「ゆでガエル」 2024年9月9日

空気が入れ替わったのか秋を感じるようになってきた。空気のもやっとした 感がなくなり青空に立ち上る雲の輪郭がくっきりしてきた。 畑の雑草をかき分けて野菜の種を蒔いた。雨が嬉しい。天気予報では 大雨の「恐れ」とかの表現が常套句ではあるが、干ばつが続いた後には 「恐れ」とは言わないのだろう。まあ天気予報やニュースは基本的に注意喚起 なので台風が過ぎ去っても「良かった」とは言わずに「まだまだ油断はできません」 的な表現を続け、トーンは下ってもいつまでも警告を続けている。ちょっと 現実感からかけ離れていると感じることも多い。 夕方になると晩酌タイムだ。「くろまめ」がおつまみを用意してテーブルに並べる。 それを合図に仏様と神様に手を合わせ、納戸からビールを出して冷蔵庫で冷えている、 ビールと交換する。そしてテーブルにつくのがルーチンになっている。最近は無糖の 缶チューハイも冷蔵庫に用意してあることもあり気分でどちらかにしている。 昨日は「くろまめ」が棚の奥から懐かしいウィスキーグラスを引っ張り出してきた。 水もあり氷もある、ということで何年かぶりに棚の奥からスコッチを引っ張り出した。 緑色の三角のボトルに残っていた琥珀色を飲む。うまい!久しぶりによみがえった。 簡単だ、手軽だと飲むアルコールも少しづつ「茹でガエル」状態に陥っていたようだ。 ほろ酔い気分でYouTubeの竜巻やら宇宙望遠鏡の映像や昭和のヒット曲など見るのは 至福の時間だ。「くろまめ」曰く「歌は思い出の水先案内人だ」と。確かに懐かしい 歌をきっかけに懐かしい思い出が湧き上がってくる。シニアはこれから先の未来より これまでの思い出のほうが長いのだ。

    9月に入る 2024年9月1日

ひところの猛暑は収まったが台風の余波で日本中連日のゲリラ豪雨だ。 我が家のエリアでも台風から遠く離れているがザーッと降ったかと思うと すぐに上がり青空が広がったりする天気が続いている。雨が上がると戸を 開けて風を通したり降ってくると急いで戸を閉めたりの日が続いている。 家の中を歩き回るのも良い足腰の運動になる。歳をとると歩くチャンスが あれば無駄にはできない。 台風の進路や衰え具合は気象庁の予報とほぼ一致していて予報精度の高さには 感心する。迷走気味の台風は再度海に出ればエネルギーをチャージして復活 するのではとの考えもあったようだが高齢化して歩みがスローになって寿命が 近い老人台風には再復活のパワーは無いようだ。 老人といえば「老人問題」という見出しが飛び交っているが「問題」という言葉 にはネガティブな響きがありふさわしくないのではという考えも聞かれる。 昔、海外出張のときのミーティングの時にホワイトボードに日本でいう「問題」 を何でもかんでも「problem」と書いていたら、それは「issue」ではないかとの 指摘があった。problemは解決すべき深刻な問題で、issueは必ずしも困ったこと ではなく話し合ったり論じたりする問題ということを知った。なるほど議論する ことが好きな国民性には必要な「issue」と思った。 ベランダに干し物とか支えになるネジが4本埋め込まれていて今回の大規模修繕で それまで備えていた金具を一旦外した。今回復活させようと先日ネジを買いに行ったが 合わないネジを買ってきてしまった。インチネジとミリネジがあるので現物のネジを 持参してネジ山を重ね合わせてまでして確認したのにネジ山の数が少なかったためか 一致したと思い込んでしまった。反省。本日再チャレンジ。

    記憶するメモリー 2024年8月7日

映像でピアノやキーボードを楽しそうに演奏する様子を見ていて電子ピアノが 欲しいなと思い調べてみた。最近はYoutubeでも、この仕組みについて詳しく解説 しているものがあり助かる。はじめは技術が進歩したとはいえ電子的に音を 作り出すシンセサイザーの延長ぐらいに思っていたが「浦島太郎」になっていた。 今はグランドピアノの生の音色をサンプリングしてメモリーに記憶しておき それを再生するので音色は「本物」にかなり近づいているとのこと。もちろん 昔のオルガンと違いキーボードを叩く強さに応じて音の強さも変わる。 メモリー素子の小型化、低価格化とデジタル技術の進歩で想像していた以上の 進化だ。 映像で車が衝突する瞬間とか火山が爆発する瞬間や隕石が落ちてくる様子など ひと昔前であればとても捕らえることのできない状況を見る機会が多くなったが やはりカーナビのメモリーが世界中の車に搭載されているからすごい。 Youtubeを見れば世界中で毎日膨大な数量の動画が新たに生成され記憶されている。 近所にもデータセンターの建物がどんどん新築されている。長いこと工事中の 一画があったが電力供給や通信ケーブルのために地下にトンネルを掘っていたらしい。 データセンターの中の膨大な記憶装置や計算装置は相当の熱を発生するので建物 の外の排気設備がすごい。海中や水中にデータセンターを作り海水で冷やすという ことも実際に行われているらしい。 クラウドサービスでデータセンターに情報を一極集中させることは確かに効率的 であると思うが「有事」のときに貴重な情報を制圧されやすいのは原発を制圧される より危険と思われる。記憶装置の一極集中か分散か。昭和はとおくなりにけり。

    酷暑 2024年8月2日

連日暑い。ニュースはオリンピックと各地の熱波の様子だ。知り合いとの メールのやり取りも熱中症にならないようにとのお互いの気遣いが多い。 不要不急の外出は避けるようにとのことだが何故か畑の草刈りがしたくなる。 草刈を続けているとランニングハイのようなボーっとしたような状態になるが 危険な兆候なので日陰で十分に休む。水をたっぷりと飲む。蚊が寄ってくると ゆっくりできないがこの暑さで蚊も不要不急の外出はしていないようで快適だ。 ショッピングセンターの駐車場も車は少なめ。小腹がすいたときに買って食べる 太巻きセット。太巻きが5個といなり寿司が4個入っている。交互に食べたいと 思いまず最初は太巻きだ。飲み込んで次をと見ると4個ずつ残っているので あれどっちだっけと一瞬迷う。これも暑さのせいにしたいが老化で記憶力が低下 しているものと思われる。なにも交互に食べなくても良いのだがこのこだわりも 老化の兆しか。 晩酌は箱買いでビールと決めていたがこの暑さでよりスッキリしたものを飲みたく なり缶チューハイやレモンサワーも試してみることにした。値段もビールよりは 安い。バリエーションが豊富だ。ケチな根性で同じ値段ならアルコール度数の高い ものを選んでしまう。以前から低カロリーとか低脂肪とかカロリーハーフとかに 「反感」を感じていたのでアルコール度数が高いと嬉しいのだ。 買ってきた「ブロックアイス」を入れると一段とスッキリと飲める。ここで何年も 使用していなかった冷蔵庫の製氷機能を思い出し復活させた。邪道だがワインに氷 を入れて冷やしても結構いける。冷たくすれば何でも美味しく感じるようだ。 これまでランニングシャツというものを着ないで半袖どまりだったが、この暑さで ランニングシャツを買い求めた。快適だ。調子に乗って余っていたTシャツを ハサミで切ってノースリーブにした。これも快適だ。「くろまめ」は早速切り取られた 袖でその辺を拭いて捨てていた。掃除が大好きな「くろまめ」だ。

    盛夏 2024年7月27日

明け方、バシッという音で目が覚めた。頭の上の壁にぶら下げているギターの 弦が切れていた。ギターの胴で共鳴しさらに壁のボードに共鳴するので結構 大きな音になる。普段起きないことが起こると今の時期は何でも暑さのせいに したくなる。 振り子時計の振り子も止まっていた。電池式で振り子が止まっても時計は正確に 時間を刻む。でも動くべきものが止まっているというのは目に入るとどうも落ち 着かないものだ。電池が減ってきたのはメカの故障かも気になるところではある。 電池を交換してみた。古い電池の電圧を測ってみたら1.3Vだった。やはり電池が 減っていたのが原因だったようでその後は振り子は順調に動いている。 目薬をさすとクール仕様で冷たい感じですっきりとするはずだがこの暑さで すっかり生ぬるくなっている。クール感は無いが目のゴミの洗浄の役割は変わって いないと思う。 外の道路でミミズが干物になっているのを良く見かけるようになった。道を横切ろう として粘液が暑さで乾燥して身動きが取れなくなってしまったに違いない。 南極観測船が寒さで流氷に閉じ込められて身動きが取れなくなる話を聞いたことが あるが、暑すぎて身動きがとれなくなるミミズ、気の毒なことだ。 このところ夕方になるとゲリラ豪雨がやってくることが多くなった。雨を期待して 毎日、雨雲レーダーを見たり北西方向の入道雲や雷の音を待ち望んでいる。

    「走馬灯」のように 2024年7月15日

ここ数日は暑さもひと段落。「秘密の箱」の断捨離をすることに。「秘密の箱」 といっても秘密は何もなく昔からのモノの蓄積箱だ。これまでも何度か整理して いるので捨てるものはないと思うが歳とともにそぎ落とすモノが出てくるものだ。 ひと足先に断捨離を進めている「くろまめ」から断捨離するべきとの無言の圧力 を感じるので「秘密の箱」以外のまわりのケースまで作業を進める。 まずは封筒から書類を出して日付が「平成」であれば中身を精査することなく 破くことにした。そんなに古い請求書や領収書や契約書が必要なはずがない。 保証書やマニュアルなどもとっくに廃棄した装置のものまでとってあったのには あきれてしまう。郵送で届いた健康保険証を外したセミの抜け殻のような用紙も あったのには笑ってしまった。基本的に「とっておく」性格なので溜まっている。 ため込んでいた年賀状も廃棄した。年賀状は破りやすいので良いが書類のなかには 破けないように丈夫に作られている「紙」もありハサミのお世話になる。 日記は小学生から付けていて今でもパソコンに入力している。ノートや、ある時期 は手帳に細かい字で綴られている。日記はあまり読み返したいものではないが パソコンに入力した「日記のダイジェスト版」がプリントされたものがあった。 20代の頃の新鮮な日々が蘇った。日記は捨てられない。 「米穀通帳」もあった。これは記念に持っておこう。そういえば「電話債券」という ものもあったな。昔、我が家は電話を入れるのが早くて近所の家あてに掛かってくる 電話を取り次いでいた。電話機の傍らに家ごとの「モールス符号」のような記号の 貼り紙があり「ビービッビー」などブザーを鳴らして呼びに行く手間を省いていた。 「電話債券」という言葉もその頃に知ったが、いつのまにかどこかへ行ってしまった。 昔の写真や家族でしたゲームの道具も何種類かあったが捨てられない。VHSテープも タイトルを見るととても捨てることはできないが再生装置もない。先送りにした。 かなり大量の紙類を捨てることになったが、「くろまめ」の静かな圧力はまだまだ 続きそうだ。

    真夏モードに入る 2024年7月8日

連日の猛暑が続いている。ニュースでは毎日各地のうだる様子を伝えている。 近所のタチアオイの花がついに先端まで咲いた。先端の花が咲くと梅雨明けの 指標と言われているが、この暑さを好んでか勝手に咲き進んだようだ。 勝手に生長するのは畑の雑草もだ。もはや制御不能に。「くろまめ」は雑草を かき分けて人参にたどり着こうと奮闘している。「自然農法」と手入れの悪さ を自己弁護しながら雑草の間に見え隠れする畑を楽しんでいる。 カーラジオの選曲が勝手に切り替わった。暑さのせいでカーラジオの電子回路が 熱をもち誤動作した可能性あり。井上陽水の歌で♪テレビは寒さで画期的な色になり・・・ というのがあるが暑すぎても寒すぎても電子回路は誤動作するようだ。 車の中で待機していてオーブン状態でかなりこたえた。迷わずサンシェードを購入。 下着もこれまでは半袖だったがランニングシャツを購入。涼しい。 冷凍庫の中にアイスシャーベットが待機するようになった。晩酌もビール一点張り だったがレモンサワーとの選択制というか混合制になった。 工房で天然石を削るときは粉じんが出るのでいろいろ工夫をしているが南風のときは 開け放った外に向かってどんどん粉じんが吸い出されるので助かっている。

    永平寺へ 2024年6月25日

昨日は福井の永平寺までの旅だった。オジの分骨を永平寺に納骨する計画 が延び延びになっていたが実行した。最初は車で行って何泊かして周辺の 観光も考えたが福井までの北陸新幹線も開業して便利になったので利用する ことにした。 いつも指定券を買うときに使う「みどりの窓口」が無くなって特急券の 券売機を利用するとのことで出かけてみる。歳とともに、人を相手に会話 しながら物事を進めたいとの希望があるが世の中のデジタル化はどんどん 進む。実際に自動券売機を使ってみるとこれは便利。時刻表など無くても どんどん選択できる。ひと昔前は係員が発券機械に棒のようなものを 差し込みながら金属の板をパタパタめくったりしていた。なつかしい。 早い時間の「かがやき」のためかすんなりと予約できた。 福井駅からは永平寺ゆきの直行バスが出ているのでこれを利用。レンタカー も考えたが日帰りなのでバスにした。運転手が降りてきてハンディタイプの ツールで運賃を徴収してゆく。現金でもカードでも何にでも対応できていた。 その昔はチケットにポコポコ穴を開けていたものだがデジタル化は進む。 運転席の後ろに座った。窓から道路を見下ろすとセンターラインをはみ出して いるように見えて気が気ではない。バスの座席が高い位置なので、はみ出して 見えるだけとは思いつつ対向車が来ると気が気ではない。30分ほど走って 永平寺に到着。バス停から永平寺の正門までは300メートルほどの参道が あり土産物店などが並んでいる。 正門を過ぎると大きな木や苔むした石などでしっとりとした雰囲気だ。前日に 雨が降ったからか傍らの川の流れの音も風情がある。 受付を済ませる。午後1時からの法要に間に合った。時間があったので建物の 中をぶらぶら。法要は想像していたよりはるかに厳かな非日常の時間だった。 黒衣の7人の修行僧と赤系の衣装の僧が読経と焼香など30分だった。 巨大な木魚や鐘もあり太ももの太さもありそうな棒で叩いていた。あまりの 非日常の世界に一緒に参列していた赤ちゃんが泣きだしてお父さんがだっこ して廊下に出ていた。「くろまめ」と並んで焼香したが終わっても「くろまめ」 がまだ焼香台から離れない。後で聞くと、粘膜の病気で眼の感覚が無くなって いたが焼香の煙で感覚が復活したように感じて数秒間姿勢をキープしていたとの こと。 予定していたよりひとつ早い法要に間に合ったので境内を散策。木の太さがすごい。 歴史を感じる。 福井駅でバスを下車。座席が高い位置にあるのでステップが急だ。これではお年寄り が大変そうだ。と思いつつ自分も立派なお年寄りなので転んだら大変。手すりを さがしていた。福井駅では予定より一本早い新幹線に替えることができた。トイレに 入るとどこでも良く見かける「標語」が便器の上に貼ってあったが、面白いのでパチリ。

    6月に入る 2024年6月3日

昨日今日と大気が不安定との予報で雷雨模様だ。昨日は帰宅したが雨が激しく 駐車場の車中でしばらく待機した。ひと足先に車から降りた「くろまめ」に ケータイで「待機中」と知らせると「しばらく強い雨が続く」とあり、ずぶぬれ を覚悟で外に出た。最近の天気予報はかなり信頼度が増したように思える。 季節が移り街中の花はタチアオイやアジサイが主役になってきた。我が家のベランダ のイタリアンパセリはトウ立ちを始めた。冬の花のビオラも最盛期を過ぎた様子だ。 植物は皆太陽や温かさが好きなものと思っていたがそうでない種類もあるようだ。 先月は「手作りアート市」に出店。初日は暑い日で帰宅したら首の後ろが日焼けで ヒリヒリだった。お客様との会話ができる良いチャンスで結果昨年の倍の売上げと なった。お客様が指輪を手にとりながらウンウンと頷くことを繰り返しているので これは脈がありそうだなと思って見ているとそのまま去って行った。どうもバックから 流れているバンドのリズムに合わせて首を振っているだけのようだった。 ニンニクを収穫した。500個完了。今年は満足できる大きさに育っていた。腰を 時々伸ばしながらの抜く作業。その後はトマトのお世話をしゃがんでしたので 最後は立ち上がるのも大変だった。その後数日は腰をかばって歩くことになった。 キヌサヤは完熟したので豆として収穫。スティックブロッコリーは種を蒔いたあと 密集して生長したので移植してバラケさせた。ケールの種も蒔いた。ジャガイモ、 人参、サトイモ、モロヘイヤ、菜っ葉類など、今年は雨が多いせいか生長が良い。 ベランダで乾燥させているニンニク。乾燥が進むと薄い皮が自然に剥がれてくる。 これを拾って捨てるのをこの頃の暇つぶしにしている。料理のアク取りのような 心境であろうか。日ごとに乾燥してゆく様子を確認することもできる。乾燥して ヒラヒラしていてまだ首の皮一枚で本体と繋がっているものも良くないと思いつつ 剥がしてしまう。日焼けの皮膚をむくような心境だろうか。しばらく楽しめそうだ。

    5月の林と田んぼ 2024年5月11日

ふと石窯パン屋のことを思い出して何年かぶりに行ってみようかと念のため ネットで調べたら引っ越して新装開店していた。月日の経つのははやい。 好物のスモークサーモンのサンドとシナモンロール、その他いくつかを買い 求めた。 帰りに公園に立ち寄った。この公園も何年かぶりだ。少し風のある日だった のでザザザァ〜と木々の木の葉のこすれあう音が心地よい。 ファミリーやグループが所々でバーベキューをやっていて上質の肉の香りが 漂ってくる。ハンモックを吊るしているファミリーもいた。 犬の散歩。よく見るとワンちゃんが2匹とも靴を履いている。「くろまめ」 が「あら、お靴可愛い!」と声をかけるとワンちゃんも首を上に向けて 得意げな表情。最近のペット事情には詳しくないが靴を履くのが普通になって いるのだろうか。、 「くろまめ」は前もってスマートウォッチの歩数のカウント数を確認して 林の中を進む。 所々にベンチが置かれているが木製のベンチは日陰が多いせいかコケ状で 緑っぽくなっている。樹脂製のベンチはきれいだ。普段ならば木製を選ぶ ところではあるが今回は樹脂製のベンチにした。 つきあたりは竹林の向こうに水辺の水面が見え隠れしていた。おそらく公園 ができた当時は視界が開けていて水辺がきれいに見えていたに違いない。 タケノコを採らずに放置していたため竹林になってしまったと思われる。 帰りは田んぼ方面に車を向けた。ほとんどの田んぼが田植えを終えていた。 水路では所々で釣り人が竿をのばしていた。

    スマートウォッチの実証実験 2024年4月29日

暑さ寒さも彼岸まで、などと口ずさんでいるうちに連日夏がきたような陽気。 近所の田んぼにも水が入りいよいよ夏本番といった感じだ。 「くろまめ」が最近スマートウォッチを買ってLINEやメールなどの通知機能を 喜んでいる。確かにスマホを常時携帯しないでも腕にブルブルと通知が来て 内容も読めるのだから便利だ。 でもどれぐらいの距離をbluetoothの電波が届くのか、畑の端まで届くのかを 実験してみることにした。 まずはスマホを車の助手席に置いて「くるまめ」は40メートルぐらいはあるだろうか 畑の端でLINEのテスト送信を待った。ブルブルの通知は来ない手信号。 少しづつ近づいて車から15メートルぐらいで通知を着信できた。思ったより 電波が飛んでいない。 ケータイが助手席にあるのでスマートウォッチとの間に座席の背もたれや荷物のための 金属ラックなどがあり電波にとって条件は悪いに違いない。そこで車の一番後ろに 置いてみた。 すると距離が改善されて30メートルぐらいは到達した。OKサインが。やはり途中に 障害物があるかないかはかなりの影響がありそうだ。家でもベランダに出てガラス戸を 閉めたら届かなくなった。 実証実験が終わり畑の作業に。くろまめは「カルビーポテト」のお世話。食用に購入した 「カルビーポテト」から芽が出てきたので畑に植えたもの。大きなジャガイモができる ことを期待している。芽かきして挿し木したものも元気だ。 イチジクから新芽が伸びているが枝をカットして挿し木にしてみた。 土に埋めて水やり。 「そらまめ」の主な仕事は草刈りと土寄せだ。夏になってきたので野菜の生長もはやいが 雑草の生長もはやい。 ニンニクの芽が伸び始めた。まだ少し早いとは思ったがどれぐらい大きくなっているか 見たくてためし掘りをしてみた。まだ小さかった。でも一人前にニンニクの香りを まき散らして帰りの車の中はニンニクの匂いが。匂いを嗅ぐだけでも元気になったような 気がするが幻想だろうか。 帰宅してからスマートウォッチの通知の到達距離をネットで調べてみたら周囲の環境にも よるがだいたい10メートルとの仕様だった。実験結果とほぼ一致していた。

    ファンシーケース 2024年3月9日

三寒四温という言葉があるが今日は天気が良く日光はたっぷりだが風が冷たい 日だった。車の中は温室効果であたたかく気持ちが良い。先日のエンジンが かからずバッテリー交換したこともありエンジン停止中のカーラジオは控えて いる。これがなかなかのプチ・ストレスでエンジンをかけてまで聴く気には ならないものだ。昔のカーラジオはシンプルな回路構成だったと思うからそれほど 消費電力も大きくなかったと思われるが最近のはカーナビの液晶表示など機能が 多くなったのでバッテリーへの負担も大きいのだと思われる。「くろまめ」は 家にあるbluetoothスピーカーを持ち込んでスマホの音楽を聴けばいいんじゃない、 と言うがそこまでのものではない。待機時間は「高村光太郎」の詩集の文庫本を 読むことが多くなった。この本は何十年も手元に置いてある本で、何度読んでも 脳内がリセットされる。 我が家の電話機に付いているFAXの印字リボンが終了した。めったに来ないFAXだが 昔利用した果物の通販から時々受信する。新しい印字リボンを購入するために 電話機のモデル名をスマホでパチリ。写真もメモ代わりに利用する時代になった。 表示に「印字リボンを交換してください」とのメッセージが出続けていて落ち着かない。 終了したリボンを取り出してみる。すると「巻き戻し」ができそうだ。10回転ぐらい 巻き戻してみた。カーボン紙からは以前印刷した文字や図形が抜けていてネガみたい になっている。巻き戻したカートリッジをセットしてフタをしめるとエラーメッセージ が消えた。試に印字してみると「抜け」があるので品質はイマイチだが使える。 今回は節約して新しい印字リボンは買わないことにした。今はネットで詳細な画像や 図面や音声までを送れるようになったので固定電話やFAXは過去のものになりつつある ようだ。 「過去のものになりつつ」で「ファンシーケース」が思い浮かんだ。若い頃に部屋を かりて一人暮らしを始めると皆が「ファンシーケース」を買った。この頃は聞かない が四畳半にファンシーケースと電気ポッドがあれば何とか生活できた。洗濯は近くの 友人の家に行き使わせてもらった。脱水機は手回し式だった。 昭和は遠くなりにけり・・・。

    移動する生き物 2024年2月22日

手の甲のヤケドのあとが「過剰修復」と思えるほどにカサブタができた。天然の カットバンのようで、蚕の繭玉のようにカバーされたこの下で新しい皮膚が形成 されていると思われる。 生き物のふるまいには不思議なことが多い。カエルが集団でひと跳びひと跳び移動 して何か月もかけて山を登り頂上に向かうという。それだけでも不思議なのに頂上 に到達すると今度は下って次の山を目指すらしい。 サケも命がけで川を遡上し子孫を残す。登り切れない段差を何度も何度もトライして ボロボロになり卵を産む。産んだらそれっきりで扶養義務も無ければ老後の面倒を みてもらうこともない。その行動の原動力は何なのだろう。 海の寒流を好きな魚の群れが暖流が北上してきたのでとれなくなったとの報道がある が地球規模で暖流が近づいているということをどうやって知るのだろうか。リーダー が居て指示を出しているとも思えないし高感度の温度センサーを持っているとも思え ない。何匹かのグループに分かれ四方八方に偵察に行き、こっち方面は例年より2℃ ほど水温が高いですと戻って報告しているとも思えない。それとも水温お構いなしに 四方八方に移動して、たまたま暖流に入ってしまって玉砕しただけであって意識的に 水温を選んで行動しているというのは「擬人化」なのか。 渡り鳥も季節がくれば移動する。普段水辺で泳いでいる鳥をみれば羽の色も同じで 顔つきも同じだ。特にリーダーの旗を掲げているものでもない。その鳥たちが 時期がくると飛び立った一羽に追従して一斉に飛び立ち長い渡りの旅に出るという。 その他大勢の中の一羽がたまたま飛び立ち大勢が追従して間違えた方向に旅立つという ことはないのだろうか。それとも確信を持ったリーダーの飛び立つ姿や羽音の違いを 皆が感じているのだろうか。 移動しているのが当たり前で、留まっているのが普通じゃないらしい生物の不思議が いっぱいだ。

    バッテリー交換 2024年2月14日

数日前の手の甲のヤケドは乾燥が進み触っても大丈夫になってきた。カットバンを 貼らないようにしたので治ってゆく様子がリアルタイムで観察できる。最初は赤身 の上に張った膜がだんだん厚くなって白い皮膚で覆われるものだと思っていたが 実際には、例えば池の淵の土がせり出してくるように、皮膚がせり出してきて傷口 が狭まってくるのがわかる。iPS細胞の増殖の実験を見ているようだ。 一昨日は灯油ストーブの上にアルミホイルで巻いたサツマイモをのせておいた。 ほどなく甘みの増したネッチリ芋を食べることができたがネッチリ芋が上あごに へばり付き3秒ほど取れなかった。粘膜がやられたと思いまたしばらく水ぶくれ になってしまうと思っていたが不思議なことに異常なしで過ぎ去った。 本日は「くろまめ」の病院通いのアッシー君で駐車場で待機。音楽を聴いたりして いたが帰りにエンジンがかからなくなった。すぐにロードサービスの依頼をして30分 ほどで到着した。最悪現場で復帰しない場合はレッカー車で修理工場に運び、人は乗れ ませんのでタクシーなどで移動してもらいますとの説明。そうなったらやっかいだなと 思っていたが、結果、バッテリーの電圧が下がっていたとのことで外部バッテリーで 起動してもらう。ロードサービスは保険契約範囲なので無料。その後エンジンを止めない ようにしながら薬局に寄り薬をもらう。薬局は事前にスマホで処方箋を送っていたので 短時間の停車だった。その後この車を買った店へ直行。バッテリーを交換してもらった。 ここも事前に連絡を入れておいたのでスムースだった。ロードサービスや車の店の人が 言うにはエンジンを止めたままオーディオを聴くとバッテリーが上がることがあるとのこと。 気温が下がるとバッテリーの性能がおちるというのは聞いたことがあるが今日はむしろ 暖かい日だったのでバッテリーにとってはむしろ心地よい日だったのではないかと思うが。 「温室効果ガス」対策で(笑)ガソリン代を節約し6千6百円のバッテリー代を払う はめになってしまった。

    因幡の白兎 2024年2月9日

作業中に使い終わって高温になっているバーナーの先っぽに手の甲が触れた。当初は それほどでも無かったが翌日ぐらいから皮膚が火傷状態に。袖口が触り刺激するので カバーしようと思ったが、薬箱にたまたまバンドエイドが無くガーゼを当ててテープ で止めた。このテープがすぐに剥がれてしまい、めんどうなのでむき出しにして乾燥 させる作戦に切り替えた。 着替えの時や作業するときに結構な回数で刺激される。皮膚の表皮の下の赤身まで 見えている。「因幡の白兎」状態とはこのようなものだろうか。ガマの穂綿に包まれたい ところだが依然として乾燥作戦は進行する。外出のついでにバンドエイドを買うことに したがそれまではとりあえずオキシドールを塗って菌対策しながら乾燥。途中、車から 降りても患部を太陽の方向に直角に向けて「日光消毒」。途中でトイレに入っても出口に 設置されている消毒用のアルコールを吹きかけて「アルコール消毒」。ちょっとしみるが 痛くて死ぬことは無い。菌対策が重要だ。 買い物帰りの夕方にカットバンの通常サイズと大型サイズを購入。露出ではなく包まれる 安心感を感じている。

    デジタルそしてアナログ 2024年2月6日

テレビで簡単にYouTubeを見ることができるのではまっている。昭和30年代40年代ごろ の動画。文化住宅にちゃぶ台。ダイヤル式のテレビ、手回し脱水の洗濯機。国電で通勤 のサラリーマン、街には四角い車が走り道端には靴磨き。人々がまじめに一生懸命に生活 している姿に自分の幼い頃の情景が重なり懐かしい。夕食時にみるとアルコールがすすむ。 これまでは無線の世界も真空管だのAMだのFMだのSSBなどの昭和のノスタルジーの世界に 浸っていた自分であったが最近は違ってきた。ソフトウェア無線(SDR)というものが世間で はやっているというのだ。無線の電波がアンテナから入ってくるとすぐにデジタル変換 してしまいあとは全てデジタル処理をするのだという。電波はアナログなのでデジタルへの 変換器だけはパソコンの外付けになるが、USBで取り込んだそのあと全てはパソコンのソフトウェア で処理をする。広い範囲の周波数が受信できパソコンの画面には周波数スペクトラムがリアルタイム で表示されている。昔はこれらの機能を実現するために真空管やトランジスタ、抵抗、コンデンサー、 トランスなどで「回路」を組む必要があったが今はパソコンの中の処理で実現できるという。 低コストで高性能だ。アルゴリズムの変化にも対応しやすい。 YouTubeではいろいろな人がこれらのSDR受信機の原理を説明している。「大まか主義」の自分と しては細かい部分は理解しなくても大まかな原理は理解しておきたいところだ。微分方程式、 三角関数、直交座標変調、虚数、複素数、フーリエ変換などの数学を駆使して音声を復調して いるらしい。これらの数式を駆使してソフトウェアで計算し解を求めて、だから音声が復調 されますと聞いても、いまいち納得いかないシニア世代だ。目に見える「波形」での理解が 必要だ。 別のYouTubeチャンネルでは理解しがたい数学の理論を図形やアニメーションを使って視覚的 に理解できるようなものもある。これまでのモヤモヤがなるほどと思えるものもあり有難い。 自然界はアナログ、そして最終的にこれを利用する人間の眼や耳もアナログ。デジタルの テクノロジーが進化しても最後は人間のためにアナログに戻す必要があるところが面白い。

    AM放送がなくなる 2024年1月17日

先日購入したポータブルラジオのダイヤルを回していくとFMの高い周波数の あたりに強い電波が入っており放送がクリアに聞こえてくる。これまでAMで 放送されていた民放が数年以内に廃止されるということでFMに引っ越ししている。 FM放送の電波は現在、スカイツリーから出ている。はるか彼方ではあるが スカイツリーが目視できる我が家はFM電波受信には理想的なロケーションだ。 アマチュア無線の装置を自作していた頃はAM変調が主流でお世話になった。SSBや FM変調は回路が複雑になるため専ら既製品の装置のお世話になった。AMは中波や 短波の比較的長い波長だったため海外など遠くまで届くので面白かった。電離層の 状況で思いがけない遠くの電波を受信できたりした。AM変調はその性質上ノイズが 多いが思い出いっぱいの電波だったが、ノイズが多いことで最近では雷が近づいて きた時の雷検知器に使えると言われている始末・・・。 先日の能登半島地震のときにアマチュア無線家が、こういう時には無駄な交信を 控えて本当に必要な救助要請などの緊急無線が発信されていないか聴くことに 徹するべきだ、と発言していた。正しい発言と思う。混信すると大事な電波が かき消されてしまうのだ。 これまではラジオのパネル面にはAMとFMのふたつの周波数が表示されていてバンド切換え スイッチがあったものだがFMだけになってしまうのかな。というかデジタル化されて いて周波数のパネル表示というものがそもそも無くなっているのかも。 昭和は遠くなりにけり・・・。

    真空管とデジタル 2024年1月14日

冬至からしばらく経過したが夕日の沈む位置がスカイツリーの右側に移動してきて 日が伸びたようだ。昨日は天気予報どおり午後になると鉛色の雲が広がってきて 夕方にはみぞれのような雪が降りだした。雷も鳴った。 最近YouTubeの「おすすめ」に真空管、アンプ、無線機、アンテナなどの記事が増えてきた。 この分野は好みなので見てみるといろいろ勉強になる。アンプでは真空管アンプとデジタル アンプの音の比較というものが多い。大金をかけて高価なアンプやスピーカーシステムを 揃えているのは私と同じ世代のシニアが多い。計測器を使って歪みなどを客観的に検証する 姿勢は納得する。でも最終的には真空管とデジタルはどちらが優れているという結論には ならずに音楽のジャンルによってそれぞれの特徴が楽しめますといった論調に落ち着く。 真空管アンプはその見た目から温かみのある生き物的でファンも多いのだろうと。 スピーカーを高音用、低音用などと分けてボックスに設置している例は多いが厳密に言うと 設置場所によってはリスナーの耳に届くには若干の時間差が生じる。マニアはこの時間差を 電子回路を使って差を無くし耳に届くときに一致するようにするのだそうだ。時間の遅れ まで補正するとは知らなかった。 画面の向こうで高価なアンプに高価なスピーカーを切り替えて接続して違いが判りますか などと言っているが直接耳で聞いてもなかなかわからない微妙な違いがマイクで拾って 電波にのって我が家のテレビ付属の粗末なスピーカーから聞こえてくる音で違いがわかる ものなのだろうか。でも言われてみれば気のせいか真空管アンプのほうが微妙にまろやかに 聞こえるようだ。 粗末なスピーカーもあるが長年使用してきた耳の中の鼓膜や耳小骨もすり減ってきている のではないだろうか。

    ラジオを買う 2024年1月6日

今年は年明けから災害が相次いだ。関東でもケータイから緊急地震警報が流れ、 「くろまめ」がいち早く「石川県!」と叫んだので緊張が少し緩んだが、しばらく してゆさゆさと揺れ始めた。これは震源地では大きいに違いない。ニュースを見ると 町の中の様子は取材できないらしくひたすら津波の観測情報が流れていた。2日は 飛行機事故だ。地震にしても飛行機事故にしてもスマホの動画が近頃は大活躍だ。 リアルタイムで建物が崩れる様子や飛行機の中の様子が動画で撮られている。その昔は 「事件記者」が災害地にやっとたどり着きスクープ写真を撮ると電話ボックスに 駆け込み電話のモデムを使って東京の本社に画像を送ったと聞いたことがある。 世の中が変わった。 年賀状をやめますとお知らせしたがやはり何枚か受け取った。懐かしい人たち、 ありがたいことだ。寒中見舞いのデザインをしてハガキに印刷をした。宛名の 印刷ソフトのアップデートは有料なのでそのままで使っているが、さすがに 「意地悪モード」になっていて宛名印刷間隔は10分間とのことだ。1枚印刷して 10分待ってまた一枚。はたから見ると笑ってしまうような状況だが時間はたっぷり ある。全く使えなくなってしまうと忘れられてしまうし簡単に無料で印刷できると 商売にならないし、同じようにパチンコも釘の調整で全く玉が出なくなるとお客が 来なくなるし出し過ぎると儲からない、なかなか匙加減が難しいところだ。 飛行機事故のYouTubeで管制塔の無線通信などの項目をみていたら「おすすめ」に アマチュア無線や真空管の項目が増えてきて好きな分野なので誘われてしまった。 昔の真空管ラジオなどの動画を見ているとクラシックなラジオが欲しくなったが、 まてよ、あまり凝らずに気軽に音楽やらトークを聴くのがよいのではないかと思う。 ということでラジオのみ、CDもテープも無しでモノラルにターゲットを絞る。 スピーカーは大き目で選曲はアナログの針だが内部はデジタルチューニングで動いて いるというラジオを購入した。チューニングされるとLEDランプが点灯する。昔の ラジオのマジックアイのようだ。外見はアナログだが内部はデジタルチューニングなど 落語家の羽織の内側は凝っているというのに似ていて面白い。5500円だった。

    2024年始動 2024年1月1日

新しい年が始まった。今朝は結露もやさしく年末からあたたかい日が続いている。 大晦日に近所に野鳥を見に出かけたがハクチョウやオオバンが群れていて食べ物が 豊富なのか争うこともなく平和な情景だった。世界の各地で争いが起きているが 食べ物にも困らずに豊かな生活をおくれているなら主義主張の違いに命を懸ける ものだろうか。やはり肥沃な土地、あたたかい土地、開けた海などの奪い合いなの だろう。 普段の生活はルーティンというか連鎖反応でできている部分も多い。ムカデがたくさんの 脚を器用に動かして移動するが一本一本の足の動きは「意識」していないと思う。 連鎖反応の最初のスタートアップと言えば、身近なところでは車のセルモーターだろう。 一旦走り出すとメカニズムが連鎖反応を起こすのであるが、最初の起動はバッテリーで 動くセルモーターだ。似たような最初の「起動」を思えば小さい頃によく見かけた光景 であるが、トラックの「鼻」の部分の穴に金属の棒を差し込んで勢いよく回転させて エンジンをかけていた。井戸の手押しポンプも「呼び水」を入れていた。 ジェットエンジンも走り出すとエンジンに空気が流れ込み圧縮などの動作が起こるが、 停止状態では空気の流れが起きなく、やはり「セルモーター」的な仕組みで起動するらしい。 昔、初期のコンピュータを手掛けていたときも、コンピュータに仕事の手順を外部から ダウンロードする際に、パネル面のスイッチを操作して、ダウンロードするためのシンプル な手順を教え込んだ。 バンジージャンプで背中をちょっと押してやるのは、ちょっと違うかも知れない。 最近YouTubeで見ているもののひとつが電子回路や素子の解説だ。以前はエレクトロニクスの 装置の渦の中にいてうろ覚えの動作原理だったりしたが、渦の外にいる身としては、Youtubeの 中の解説はありがたいし面白い。最新の素子や技術を高級な計測器を使い、アニメーションで 直感的に理解できる。書物よりわかりやすい。 車で走っていて知らなかった道路と道路があるとき「合体」して関係性がわかったとき の喜びみたいなものだろうか。今年も楽しいことがいっぱいありそうだ。