そらまめの日記19



      3分間の人生ドラマ 2022年12月31日

いよいよ師走も大詰め。人の作ったカレンダーではないかと思い、太陽はいつものように 沈んで明日また昇るとおもいながらもやはり一抹の区切りムードになってくる。 懐かしい歌い手が往年のヒット曲を歌う。皆、シワが増えて声の伸びも無くなった。 時の移ろいを感じ楽しむ。3分間の世界に歌に自分の生きてきた時代をダブらせて何とも 言えない気分だ。鯨ベーコンを酒で流し込み涙腺がほぼ飽和状態に。

      宅配便の追跡? 2022年12月13日

数日前に宅配便の営業所へ宮崎向けダンボールを3個持ち込んだ。配達先は同じなので 係りのお姉さんは「送料が少し安くなります」とまとめて出す伝票を持ってきた。普段使い 慣れていないし、荷物が迷子になったときはいつもの個別の伝票がわかりやすいと思い 3枚同じ内容で記入した。いそいで書いたので宮崎が宮城に見えなくもないが郵便番号 はしっかりしていた。お姉さんがハンドスキャナーで伝票を読み込むとき若干時間が かかったようなので汚い字で機械が迷っているのかなと若干の不安が。「明後日の配達に なります」とのことで帰宅。 配達日当日に伝票番号で追跡してみる。通常であれば宮崎の営業所を通過して配達中とか 出るなずなのに1個は千葉県の集荷センターを通過したらしいが残りの2個は持ち込んだ 営業所で受けつけたままだ。何かおかしい。字が汚いのでどこかへいってしまったかなど いろいろ心配になってくる。電話で問い合わせようと営業所の電話番号をさがすが全部 代表電話番号になっていて個別の営業所の番号は出てこない。代表番号に電話すると 予想通りコンピュータが無駄な質問をしてくる。それでも最後にはオペレータにつながると 思いボタンを押し続けると「ただいま電話が混んでいますので後ほどおかけください」と 切れてしまった。 それでもしつこく宮崎の営業所をネットでさがすとつながりそうな電話番号が出てきた。 かけてみるとつながり追跡番号を伝えると「今日配達の予定になっていますが交通事情が 混んでいて半日ほど遅れるかも、最後のトラックが出ましたので今日は着かないと思います」 とのことであった。宮崎弁のなまりが聞き心地良くて少しイライラがおさまった。 荷物はまだ千葉なのか間違えて宮城方面なのか3個が別々のところにいっているのではないか 心配はますますふくらんでくる。 夕方宮崎から連絡が入り荷物3個が届いたとのこと。えっ!荷物は予定通り運ばれていた ようだ。追跡番号で確認すると確かに配達完了となっている。途中の営業所での伝票スキャン が省略されてしまったようだ。以前はちゃんと途中経過がでていたが発送と到着だけの ちょっとお粗末な追跡機能になっていた。

      お約束 2022年11月13日

久しぶりに雨が降った。畑のタマネギの苗の水やりが心配だったがひと安心。 タマネギは水のやり過ぎも良くないというが自然の雨だと人為的ではないという だけで何か安心するものだ。 日頃から俳句というものが不思議だった。あんなに短い言葉でびっくりするほどの 感動を生み出す。作者と鑑賞者の間の単なる言葉そのもののやり取りでは感動が 生まれるには情報が少なすぎる。やはり作者のシンプルな言葉の陰にある深い経験 と感動の情景が少ない言葉で鑑賞者に伝わって鑑賞者がそれを膨らませて再構築して いる結果に違いない。作者と鑑賞者が同じ経験や感動をもっていないと再構築できない ということになる。そのためにはやはり年季のはいったシニアが俳句に適しているのだろう。 「青春」、「別れ」、「花の都東京」、「望郷」、「北へ帰る」、「酒場」、「横丁」など の言葉を聞くとふわっと演歌の世界が広がってくる。 エレクトロニクスの世界でも送信者が「1」という信号をモナリザの絵と定義しておいて 受信者が「1」を受け取ったらモナリザの絵と思いそれを印刷すれば、あたかも少ない 情報で多くの仕事をしたように見える。俳句もそれに近いのではないだろうか。 最近の若者の歌が言葉の数が多く作文を早口言葉で伝えているようだと常々おもっていたが 俳句みたいに「経験のお約束事」が少ないのでいっぱい言葉を使って伝える必要があるの だろうなと思っている。

      キャラバンシューズ 2022年11月6日

先日リサイクルショップに不用品を持ち込んだあと久しぶりにキャンプや山の道具店 に入ってみた。特に今欲しいものは無いが半分は珍しい品物見たさで半分は懐かしさだ。 山歩きの靴は様変わりしていた。懐かしいキャラバンシューズは見当たらなかった。 50年ぐらい前は山歩きの靴は初心者はキャラバンシューズでブルーのナイロン生地の靴だった。 少し慣れてくると革の登山靴になったりした。革の登山靴もひとつの展示のみ。主流は町中でも 履けそうなジョギングシューズのような靴だった。ニッカボッカも無く現代風の生地のズボン になっていた。繊維関係の技術革新は防水、断熱を薄い生地で実現できたのだから様変わりする のも当たり前だ。当時は「ゴアテックス」という生地が出始め水滴はとおさないが蒸気はとおす ぐらいの小さな穴が空いているので雨具に便利といううたい文句だった。「山と渓谷」などの 月刊誌が出るのを楽しみにしていた。 その後しばらくジョギング大会やマラソン大会に参加していたときはリュックにテントを入れて 会場の芝生にテントを張ったりして利用していた。テントの中で着替えて出入口のジッパーを 閉めておけば走りに出ても安心できたものだった。「ランナーズ」という雑誌にお世話になった。 ジョギングをやめてからは孫たちと海に行くときも浜辺にテントを張った。夏の海で冬山でも使える テントを張ると周りの景色から浮いていたので夏のファミリー用のテントを買った。 我が家でも断捨離の声が飛び交うなかでも革の登山靴、ニッカボッカ、シュラフ、リュック、テント などはまだ箱の中に鎮座している。「くろまめ」はニッカボッカを畑の野良着にしてみようかと 言っている。 住まいが大規模修繕で建物の周りに足場が組まれ網で囲われているが数年前の工事の時の網と 比べると性能がアップしたようで外の景色が明るい。ネットが細くて丈夫な繊維に変わったようだ。 工事前まではどこかの空き家のベランダに住み着いたと思われる鳩の鳴き声が聞こえてきていたが ネットで囲われて居場所がなくなりどこかへ行ってしまったようだ。突然ネットで囲われて外にいる 親鳩とベランダの子鳩が生き別れになったりはしていないだろうか。

      仕事と熱量 2022年10月25日

秋の花といえばコスモスが好きだ。改めて花を見に出かけることはないが車の窓 から所々に群生しているコスモスを見かける。群生はしているが花の構造がシンプルで 花と花との間隔がスッキリしている。青空をバックに主張し過ぎない葉っぱの緑色と 花の色。よく花が「咲き誇る」という表現をするがコスモスには「誇る」という表現 が合わないと思う。 買い物でいつも通る道のビジネスパークの一角にGoogleのデータセンターが新築されている。 地盤がしっかりしているというのが選ばれた理由のひとつらしい。周りのビル群とは 見た目がちょっと違っている。排気口と思われる太いパイプがずらっと並んでいる。多分 中は巨大なコンピュータだらけで相当な熱が発生するのでその排気口と思われる。 人の評価でも仕事ができる人を熱意があるとか熱量のある人などと表現するがコンピュータ の世界でも熱を発生しないと仕事ができないらしい。自分の持っているスマホでもちょっと 複雑な作業をさせると熱くなるので、熱を出さないでできる仕事は無いようだ。 近頃はテレビで良い番組は無いときはリモコンの「Youtube」のボタンを押している。 検索機能でいろいろなものが出てくるので懐かしの歌の他に「高村光太郎&智恵子」、「棟方志功」、 「落語」、「朗読」など二人で楽しんでいる。二人の趣味趣向が似ているのでこういうときは 都合が良い。昔の動画が多いので画質はイマイチだが時間旅行するのには都合が良い。 まだまだ楽しめそうだ。

      スムースな動き 2022年10月15日

カーラジオで奥さんからみた男の気の利かない行動についての話題で盛り上がっていた。 この類の話は面白いので耳をそばだてた。「風呂から上がった赤ちゃんをご主人にわたし 体を拭くのとお尻に天花粉をはたくのをお願いした。奥さんが上がって赤ちゃんを見ると 裸のまま布団の上に転がっていた」とのこと。ご主人は頼まれたことをちゃんとやった つもりでいるが何で肌着を着せることに気づかないのか、という話題であった。 男は言われたことは効率よくてきぱきと実行するが気をきかせて作業を作り出すことを しない、というのが世の中の認識のようだ。そういう自分もサラリーマン時代の名残りで 自分の領域ではないことには口出ししないというのが他人を尊重することだという意識はある。 アッシー君をやって駐車場で車の中から外の人の動きを観察することもあるが、先日50代と 30代ぐらいの母と娘と思われる二人が大きなカートに食料を積んで車に戻ってきた。それを 車の中に運び込んでいたが行動はテキパキと会話はしないでも効率良く短時間で蟻のように 運び込んだ。ここに男が加わると行動に不連続さが出るのだろうと思った。 別の日にまた観察していると若いお母さんが車から降りて後ろのドアを開けチャイルドシート から赤ちゃんの両脇を抱きかかえ自分の小脇に抱え歩いて行った。てきぱきと無駄な動きは 一切無かった。赤ちゃんも完全に安心して母親の肩に手を回していた。 病院のロビーで人々を観察することも多い。若い夫婦がやっと歩き始めたぐらいの女の子と ロビーにいた。お母さんが窓口で手続きの用事をしていてお父さんが子供をあやしている 様子。いくらあやしてもお母さんのほうが良いらしく泣き叫んでいたら受付の事務のシニア のおばさんが「赤ちゃんを傍に呼んでも良いですよ」と。子供はよちよち歩きでお母さんの 傍らへ。さすがは子育てをしてすべてを知り尽くした「オバサン」はすごいと思った。 今日は我が家の建物の大規模修繕のためベランダの網戸を外してクリーニングして屋内に しまい込んだ。やはり何か作業をすると「くろまめ」との間で手順や方法で食い違いが 生じる。外で見る男と女の違いは「美しい映像」に感じるが実際自分のこととなると 違いはやや「バトル」気味となる。結局は「くろまめ」のやりかたに落ち着いた。やれやれ。

      次のステップ 2022年10月2日

8月末にスマホの契約先から連絡がきて、そろそろ「ギガ」が契約コースを超えそうです、 とのこと。超えないように外出先での使用に若干の注意を払っていたが数日後に 「次のステップに自動的に移行しました」と。金額の違いはそれほど多額ではないが 損をした気分であった。 先月9月末にも「そろそろ超えそうです」のメッセージが。「くろまめ」の病院通いの アッシーくんでロビーで待機していた。この病院は院内にWIFIが飛んでいて「ギガ」を 気にしなくて良いのだ。スマホの写真が7千枚以上溜まっていて時間のあるときは少しずつ 削除していくのをヒマツブシにしている。旅先での写真はいろいろな人々が写っているので 簡単には消せない。畑の写真は芽が出た花が咲いたとそのときは感動してパチパチ撮るので あるが毎年のことなので同じようなシーンがいっぱいだ。畑は相当削除した。 千枚ぐらい削除して6千枚ちょっとになった。 遅くから診察が始まったので外は薄暗くなりロビーの人影もまばらになってきた。 ふと見るとスマホのWIFIマークが4Gマークになっているではないか。あれっ「ギガ」が あぶない!時間がおそくなったので病院がWIFI設備の電源を落としたのだろう。 外出時のネット使用に気を付けて9月末は「超えました」のメッセージはこなかった。 帰りの車でエアコンを全自動モードにしていたら「室内循環」にしていたのにしばらくしたら 「外気モード」になっていた。全自動なので車内の空気が乾燥したと思い勝手に外気モードに 切り替えてくれたのか単なる故障なのか? 先日はカーラジオを聴いていたら10秒ぐらいごとにチャンネルが次から次へと切り替わる。 これも聴いている人の興味なさそうな気配を感じてスキャンしてくれているのか単なる誤動作 なのか。 病院の自動精算機は小銭入れのふたが勝手にすぐに閉じてしまう。閉じた後に金額が足りないと また開くが入れている途中でまたふたが閉まり始める。小銭を使わせないようにするイヤガラセ なのかせわしない精算機だ。人をせかす精算機も珍しい。 なにもかも機械化され自動化された正常動作なのか故障なのかわからないものが増えてきた。

      自然の法則 2022年9月17日

大きな台風がやってきている。前回の台風の進路は途中で鋭角に曲がっていて、いくら なんでも鋭角すぎるのではないかと思っていたらほぼそのとおりの進路となった。 最近の予報の精度はかなり上がってきているようだ。 宇宙でもはるか彼方の小惑星の岩石を採取して地球に戻ってきたりしているのだから 物理の法則を発見してしまえば自然のふるまいというものは複雑な計算を組み合わせれば 計算どおりの案外シンプルなものなのかも知れない。 iPhoneの充電をしていても80%で頭打ちになり100%にならないときが時々あった。 ケータイのバッテリーは100%までフル充電しないほうが寿命が延びるというのは 聞いていたが外出時には100%にしたいものだ。調べてみるとiPhoneの機能に、持ち主 の充電のパターンを学習して例えば小まめに充電する人は80%止まりにして充電頻度 が少ない人は100%までフル充電するという機能があるらしい。そんなことは自分で考える から気の利かせすぎで大きなお世話といいたいところだ。この機能はオンオフできる というのだからブラックボックスが嫌いな自分には合わないが親切な機能なのだろう。 壊れた古いパソコンをしばらく放っておいたが、まずはカバーを外してHDDに電気ドリル でブスブスと穴をあけた。個人情報を消去するソフトもあるらしいが物理的に穴をあける のが一番安全だ。リサイクル法でクリーンセンターでは引き取ってもらえないので前回は 電気屋さんに持ち込んで5千円ほど支払った。今回は市のHPで業者と提携して無料で回収 するとの情報があったので予約して翌日に宅配業者が回収にきて万事うまく進んだ。 英国のエリザベス女王が亡くなり肖像が使われていた貨幣が一新されるそうだ。在位70年 とのことで、これまでも貨幣がマイナーチェンジされるごとに横顔のシルエットがだんだん 年寄り顔になってきたらしい。老化が進むのは自然の法則でいたしかたないことだが最近は 目の前を歩く人の歩き方が気になるようになった。颯爽と歩く若い人、同じ年ごろの人を 見ると足が弱ってきているなとか、見ていて退屈しない。 先日はテレビで人生訓っぽく「深くしゃがめばしゃがむほど次に高くジャンプできる」など と言っていたが、頭の中で描いたのは深くしゃがみ過ぎて立ち上がれなくなった自分だった。(笑)

      相づち 2022年8月30日

気候がやっと涼しくなった。今年もエアコンは孫が遊びに来たときだけつけたがあとは ほんの数回いれただけ。ほとんど自然の風の調整でやりすごした。やはり我々の世代は エアコンの使用はよほどの時となる。開け放った窓からカエルの合唱が聞こえてくるのは 悪くない。 涼しくなってくると晩酌のツマミも微妙に変わってくる。さっぱりしたものから今は青かび系 のチーズを小型ナイフで削りながら味わうのが好きになってきた。 テレビの番組で「相づち」についてやっていた。「相づちは人生を豊かにする」とのことだ。 確かに話しかけて相手が無表情だとそれこそお話にならない。適度な反応は会話を引き出し 発展させる。 新橋の駅前広場で通りがかりの人の「聞き役」に徹する人がいるらしいが下手に説教するよりも 有難がられているようだ。 水鳥のオスの求愛も首を回したり水面をツツーと走ったりするがメスがシンクロして同じ動作 をしてくれないとやるせない。 私は以前から世の中で絶え間なく現れては消えてゆく無数の演歌やフォークソング、ニューミュージック などの「歌」がどんな存在価値があるのかぴったしの答えが見つからないでいた。 望郷、花の都へのあこがれ、失恋、恋愛などが心にあるときに歌に「相づち」を求めていたのではないだ ろうか。説教をきくのではなく自分で適度に調整でき感情移入できる相づち度。歌はなくならない。 人間関係も「何か」のやり取りをしてはじめて関係性の引力になると思っている。「何か」は品物 であったりお金であったり言葉であったり手紙であったりすると思うが、何のやりとりも無くなれば 人間関係の「引力」は無くなってしまうのだろう。やり取りも一種の「相づち」だろうか。

      8月に入る 2022年8月5日

世の中の動きが激しくなっている。世界情勢もそうだが国内も気象も激しい。猛暑、豪雨。 雨上がりの朝はまだ空気も落ち着いていて暑くなくフィトンチッドの香りが漂ってくるような 鳥たちの声がきこえてきてまことに平和な感じがする。昼間も悪くない。大気擾乱の気配で 遠雷が鳴り黒い雲が低く速く流れると昔の山登りの尾根を思い出す。 夜の暑さはちょっとこたえるが世間で騒いでいるほどは嫌ではないと思う。高齢者にはMUSTだと 言われているエアコンも滅多に入れない。網戸も目が細かいと結構な障壁となるので風が全く ないときは完全に開け放つときもある。先日はビビビビ〜と音の先をたどるとセミが入っていた。 殺虫スプレーを手にしたがこれだけ体が大きくて地上に出て7日ほどしか生きないと思うと 生きて返してやらなくてはと思った。大きなビンを逆さにして被せ隙間に紙を差し込んで捕獲する。 もう寿命が近いのか脚の動きが緩慢で硬直している。ベランダに出て放してやった。 世界情勢や国内情勢が激しく変化して昔のホームドラマよりもニュースという雰囲気になってきた。 評論家の方々も忙しそうだ。一般人であればテレビの前で「さあどうなんでしょうね〜」とか 曖昧なことを言ってもしょうがないような複雑な出来事が多いが、コメンテーターともなれば なにかしらキッパリと言う必要があるが物事はどちらかを言い切れないものが多い。 「そろそろ〇〇について検討しはじめる時期がきている」、「まずは知ることが大事」など 否定はできないが「言語明瞭意味不明」なコメントが飛び交っている。評論家も大変だ。 昨日は時計を2個修理した。1個は長年使っていた「Gショック」で「くろまめ」が引き続き好んで 使っていた時計だが裏の小さな留めネジが1個無くなっていた。さがしていたがホームセンターの 工具売場でみつけ一件落着。もう一つは文字盤の大きなクォーツ腕時計。裏ブタを開けるのに特殊な 工具が必要だが工房でかき集めて作り開けることができた。電池の型名を控えて念のため大写しで 全体の写真を撮った。電池を交換。これまでは電池を交換したら必ず動き始めたが今回は動かない。 電池を入れなおしてみてもダメ。時計自体の知識は無いので万事休すかと思われたが電池の傍に 不自然な小さな細い針が立っている。最初は何かわからなかったが電気的には無意味な針で、撮って おいた写真をみたら針は無いので電池の下に押し込んでバネとして使うものだろうと想像。そのとおり にしてみたら動きだした。一件落着。 先日の「セミ事件」の翌日、網戸の外にとまって腹をこちらに向けているセミがいた。 さては助けられたお礼にやって来たのかと勝手にメイクドラマしている。

      インプリント? 2022年7月9日

鳥の仲間ではヒナが生まれたときに最初に目にしたモノを親と認識し、ついて歩くという習性 があるらしい。最初に目にしたのが人間だと人間の後を追うらしい。鏡がないので自分の姿と 比べることができないので自然の成り行きなのかもしれない。 インプリントではないけれども自分には前例に固執するという妙な習性がある。例えば駐車場の いつものゲートで前に車が詰まっていて、すぐ隣のゲートが空いていてもそちらには行かずに 前の車が通過するのをひたすら待つ。前の車が駐車券がなかなか届かなかったり小銭の準備で 時間がかかっても、後ろで待っているのだから変な奴と思われているのだろう。 大きな病院の入り口で消毒用のアルコールが4セットぐらい置かれていても、前で人が消毒 していても「自分のアルコール」の列に並んでしまう。 前例に倣うという例では現役時代に海外出張にはよく出かけたが会社で用意してくれた傷害保険 の他に成田空港で自分で追加の生命保険に入ることはルーティンになっていた。国内出張でも 生命保険をかけたが一度忘れたことがあったが無事であった。 自宅の工房でも使った工具は所定の場所に戻すのであるが、消耗品的なものでも所定の場所に 戻し次回にまた使うのでなかなか新しいものに交換するタイミングがやってこない。工具売場 に行くごとにスペアを買う習性があるため箱の中には替え刃などが溜まっているのに切れなく なった刃をいつまでも使っているので作業効率は悪くなってしまう。 前例に倣うのもほどほどにしなければ、これは「インプリント」ではなくて単なる「こだわり男」 と言われてもしょうがない。「対極」にある「くろまめ」からはそのように言われている。

     「iPhone 8 Plus」の復活  2022年6月29日

「くろまめ」の使っているiPhoneの動作が遅く画面も小さく見づらくなってきたので 大きな画面ということでiPad-miniなどが脳裏にちらついたが、まてよ引き出しの中で 眠っているiPhone 8 Plusの修理はできないか、と思い立つ。このiPhone 8 Plusは使用中に 突然「圏外」になる現象が出てその後画面が暗くなった。メンテ契約に入っていなかったため 修理はApple社に直接送ってくださいと言われお金がかかりそうなのでSIMカードを古いiPhoneに 移して今日までかれこれ2年近くも眠っていたものだ。 ネットで修理屋さんを調べるといつも行くショッピングセンターの近くにあることがわかった。 さっそく持ち込む。店の人は開口一番、2年も放置してあると車と同じでバッテリーがダメージ を受けているはずと言いながら電源を接続した。生きているみたいですね〜、と。画面も現れ 通信の確認もできて、結論としては「正常動作」とのことであった。「圏外」表示のトラブルは けっこう頻繁に起きる現象でリコール対象の機種も多いとのこと。雑談タイムに入り中古のiPhone は海外で人気があり外国人が1万円ほどで仕入れたiPhoneを10個ほどポケットに忍ばせて帰国 して2−3万円ほどで売りさばけるようだ。新品だと税金がかかるので中古は人気が高いらしい。 持ち込んだiPhone 8 Plusの動作確認ができたので「料金は?」と聞くと要らないとのこと。 でも動作確認をしてもらい雑談までしたので幾らかでも支払いたいというと、2千円ということ なので支払いをした。デジタル機器は何でも対応してくれそうでこれからもお世話になることが ありそうだ。 車に戻り旧iPhoneから抜いたSIMカードをiPhone 8 Plusに差し込み「基本動作」を確認することが できた。あとは家に帰ってから。 ほとんどの情報は旧iPhoneに残っていたのでLINEのトークの履歴の移行の作業に入る。順調に進んで いたがいよいよデータを移動するときに、OSやLINEアプリを最新のものにアップデートしてください と出る。2年間近くも引き出しの中で「浦島太郎」になっていたせいかダウンロードやインストールの 時間が長い。LINEアプリを最新のものにしたつもりがまだエラーが出る。一旦LINEアプリを完全に削除 してから新規にアップしてやっとするっといった。 それにしても2年ぶりに動作開始したiPhone 8 Plusの画面で6桁のパスコードを聞かれたときは 「まずい!」と思ったが「くろまめ」が言うとおり現状使っているパスコードを入力したら同じだった。 2年前も今もパスコードを考える思考回路は同じだと「くろまめ」に見抜かれたと思うと笑えた。

     鹿島の海  2022年6月18日

新しい車になっても近くの買い物に使うぐらいだったが鹿島神宮と近くの海へ行って みたくなり遠出?をした。利根川に沿って下る。土手沿いの道が多いので信号は無く 快適だ。途中前を走るトラックの4桁のナンバーが自分のナンバーと全く同じだった。 1万分の1の確率だ。ちょうど東京都のコロナ新規感染者と同じ確率か。 鹿島神宮は初めてだったが境内はしっとりと落ち着いた雰囲気だった。茅の輪くぐり もすることができた。そのあとは近くの海岸へ。人はほとんどいなくて「この場所では はまぐりはとれません!」との看板がいくつか立っていた。シーグラスを見つけたいな と思って立ち寄ったが砂浜海岸でシーグラスの見つかる気配はほとんど無かった。 そのかわり大きなハマグリの貝殻がいっぱい落ちていた。せっかく来たのでカキやハマグリ の貝殻や流木を拾った。 新しい車にもだいぶ慣れてきたが先日ケータイで電話を発信しようとしたら相手の声が ケータイではないところから声が聞こえてくる。しらべてみるとケータイの音楽を カーラジオで聴くために設定したbluetoothが勝手にケータイのハンズフリー機能に なったみたいだ。ハンズフリーで使うことはないのでbluetoothはオフにした。 畑の草刈りに出かけたが作業の途中で草刈りホーが金属疲労で壊れてしまった。普段、 こまめに草刈りをしないので伸びきった草を力を込めて倒すので金属疲労が加速した らしい。畑は作物のある畝は雑草をきれいに抜くがそれ以外の通路は雑草の根は残す ようにしている。刈り倒した草は発酵させて再び土に漉き込んでいる。こぼれ種から 伸びてきた野菜を見ては喜んでいる。「くろまめ」は種やイモをぽいぽい放り投げて 「自然がえり」を楽しんでいるようだ。土を耕すとミミズがいっぱい出てくるように なったので土の質は良くなっているようだ。草刈りホーは金属疲労で壊れたが手袋越し の指の付け根も皮膚がずれてマメができている。畑帰りに食料を買いに店に立ち寄る ことも多いがコロナ用のアルコールがマメの消毒にも役にたっている。マメ以外にも 真鍮のハンドメイドの作業で指先には慢性的に切り傷があるがこの傷の消毒にもなり ありがたい。

     ハンドメイド出店  2022年6月5日

前回のアップから1か月ほど過ぎた。ことしも市主催のハンドメイド展に出展した。 2日間とも上天気。日向は日射しが強かったがテントや木の陰は涼しかった。 傍らで何組もの生バンドが演奏したり歌ったり。我々世代の懐かしい青春の音楽が 流れ、気分は当時にタイムスリップした。 新しい車になって、いろいろな機能をひととおり動作確認しなければいけないところだが なかなかチャンスがなくて最近やっとカーナビの動作確認をした。とりあえず車が走り音楽 が聞こえれば良かったのでカーナビ機能は後回しになっていた。目的地を入力するといつも とは違うルートを案内されたり、それはそれで面白いものではある。ドライブレコーダーも 前後のカメラで記録はされているとは思っていても実際には画像では確認していなかった。 運転席からは見えにくいフロントガラスに設置されていて小さな画面やスイッチは扱いにくい のではあるが事故の時に壊れて記録されていませんでした、では話にならないので駐車場で 助手席に移動してマニュアルを見ながら画像を確認した。前後のカメラとも正常に動作していた。 夜走ることもなかったのでヘッドライトの機能も見ていなかった。夕暮れに「AUTO」にして 前を走る車に映るランプをみて確認した。 関東地方では雹が降ったりして大気の状態が不安定だった。空が急に暗くなり遠くで雷が鳴りだす と実は内心わくわくしてくる。雹のときも家のなかで作業中だったので雹は見てはいないが建物に 当たる音が雨とはあきらかに違う個体が降ってきている音だった。今回は車の屋根がへこむこと もなく無事だった。 となり町で月に1回開催されている骨董市。コロナだったので先日久しぶりに行ってみた。各所に アルコールが置かれていた。懐かしい店のオジサンとも再開。昔の道具たちに先人たちの知恵と工夫 がしみ込んでいた。感心するばかりだ。 雨と晴れが交互にやってきて畑の野菜たちの生長は順調だ。丸オクラの生長はイマイチ、ズッキーニ の苗は消滅してしまった。タマネギは茎が倒れてきたので収穫した。今年は粒が揃っていなくて 小玉もあり昨年よりは収穫減と思われる。世間でもタマネギは生長不順らしいが。 雑草を踏んずけると隠れている、こぼれ種から伸びたパクチーやシソやミントの香りが立ち上り 良い気分になる。

    新しいパソコン 2022年5月7日

先日は車を買い替えたが今度はパソコンを買い替えた。これまでのPCはデスクトップであったが 立ち上がり時にブートエラーを繰り返すようになった。立ち上がってしまえば安定して動作 するのでまだまだ使えると思ったが、完全に壊れてからだと新しいPCに引っ越すときの「お手本」 がなくなるので早めに購入した。 今度はノートPCにした。箱を開けてみると説明書は全く無い。本格的なマニュアルはこれまでも ネットからダウンロードしていたが小さなスタートアップの小冊子は同梱されていたものだ。 スタートアップガイドも無いが電源を入れれば何とか先に進むものだ。 内部のハードディスクは半導体メモリーに置き換わっているので可動部分はなく静かだ。静かと いうより無音だ。可動部分が無いので長持ちしそうだ。 PCはノートなのでコンパクトにまとまっている。画面はタッチパネル方式、タッチパッドも可能で もちろんキーボードもあり外付けのマウスも使える。しばらくは使い慣れたマウスを使うことに なりそうだ。 デスクトップから比べると新しい機能も増えて使いやすくなり価格も安く問題なし。これまで のパソコンの歴史のなかで蓄積されてきた多数のブックマークはこれを機会に断捨離した。 画面の上に付いている付属のカメラは勝手に部屋を覗かれていたとのニュースもあったので 念入りに設定で無効にした。そのうちガムテープでも貼っておこうかと思っている。

    新しい車 2022年4月23日

新しい車といっても新車ではない。12年乗っていた車が車検のタイミングでもあり 乗り換えることにした。カーナビはかなり以前から使えなくなり、液晶パネルで メニューが見れなくなったのでオーディオもかなり制限され最近は「ベイエフエム」オンリー だった。ところが最近は音声がとぎれとぎれ。音楽が突然切れたり復活したりするのは 結構ストレスになるものだ。娘から念押しされている前後ドライブレコーダーと妻からの 自動スライドドア、そして畑の肥料や収穫物が積めるスペースという条件を頭に入れて なじみの中古自動車販売店に出かけた。展示してあった車に即決。 元車のガソリンの残量が少なくなっていたが返す車なので節約して給油しないようにして いたら黄色い警告ランプが点灯して心細い思いをしたので10リットルだけ給油。 昨日新しい車を引き取ってきた。スマートキーということでポケットにキーを入れたまま 施錠や解錠ができるらしい。いままではキーの施錠ボタンを押してそのあとにドアーのレバー をガチャガチャと2回やって施錠を確認していたのだが、今度はスマート過ぎてガチャガチャ すると解錠してしまう。確かに車から見ると確認のためにガチャガチャしているのか開けたくて ガチャガチャしているのか区別がつかないのもしょうがない。ガチャガチャして施錠を確認 できないのが小さなストレスになっている。 カーナビも最初は少ないボタンで操作法が良くわからずオーディオ機能が無いのではないか と販売店にクレームの電話をいれようかと思っていた。いじっているうちにメニューの奥の ほうからいろいろな機能が飛び出してきた。今では当たり前なのだろうがAM/FMのラジオ放送、 テレビの放送、CDやDVD、USBやSDカードの再生機能など。しばらく楽しめそうだ。

   電卓以前  2022年4月1日

昔の出始めた頃の電卓の話をしていて、ふと思った。電卓の前はどのように計算して いたのだろうか。そのころに自分の記憶を戻してもどうしても思い出せない。 昔から世の中にソロバンはあったがソロバンを練習したこともないし使った記憶も ない。ということは紙に鉛筆で書いて掛け算、割り算をやっていたのだろう。 もっと記憶を遡ると大きな店のレジのところに大きな計算機のようなものがあり 右側にある手回し式レバーを何度も回している光景を見たことがある。 調べてみるとそれは「手動式計算機」というもので電気を使わない精密な歯車の 固まりの計算機らしい。もちろん使ったことは無いが昔の人がどのように操作して いたのか興味があり調べてみた。例えば1320x5の場合は1320という数値 をレバーを押し下げて設定表示させる。次に右側の回転レバーを5回まわすと答えが 表示窓に現れる。1320x298の場合はレバーを298回まわせば答えが出るが 時間がかかるし腕が疲れるので機会に「桁移動」という仕組みを作った。1の位で 8回まわし、10の位に移動させ9回まわす、次に100の位にずらし2回まわす。 298回まわさなくても19回まわせば同じ答えを得られる。なるほどと思ったが さらにシンプルな方法があり100の位で3回まわし1の位に戻して回転レバーを 「逆方向」に2回まわすとたった3回のレバー操作で300−2で298回まわした ことになるらしい。オペレータにより、より短時間に計算結果が出せるのでハウツー本 まで出ていたというので調べてみて面白い知識となった。 手動式計算機から電気を使ったメカの計算機になり、メカの無い真空管の計算機になり、 トランジスタ、ICと小型になり手のひらにのる現在の電卓になったのだから先人たち の工夫には感心するばかりである。 電卓の以前に自分がどのように計算していたかいまだに思い出せないが紙と鉛筆だった のだろう。計算尺というものもあったが近似値を求めるツールであり計算機の代わりには ならなかった。 昭和はとおくなりにけり・・・。

   「大雨の恐れ」  2022年3月15日

明け方久しぶりの雨音を聞いた。晴れの日が続いていたので畑の水遣りの行こうか と思っていたが予定変更。お湿り程度かと思っていたら小さな水たまりがあったので ひと安心。天気予報では「大雨の恐れがあります」などと言っているが、恐れる どころか大歓迎だ。 日本の戦国時代の雪国の大名たちは冬になると農閑期を利用して兵隊を集め敵の領地 に向け兵を進めたらしい。しかしながら春になると田んぼの整備や田植えなどの農作業 が気になり戦意喪失、大名も大事な年貢なので兵を引き上げたとのこと。 ロシアの兵隊たちも臨時招集されたものも多そうだ。雪が溶けて道がぐちゃぐちゃに なる前にはやく引き上げて小麦やトウモロコシを作って欲しいものだ。 半世紀以上も前と比べると日本の生活もかなり便利になったと思う。まず長距離電話。 10円玉をいっぱい用意して公衆電話に並ばなくて良くなった。距離は関係なく世界で も「無料」で通話ができる。ありがたいことだ。 テレビの画質はゴーストがなくなり美しい。録画しても画質がおちない。室内アンテナ の位置を変えてみたりGコードで録画の予約をしたりVHSテープを巻き戻したりしなくて 良くなった。 カフェという店ができてお茶を飲みながらその場でゆっくりと時間を過ごせるようになった。 何十年も昔は「食堂」というものはあったが丼物で食事が終わると引き続きその場で時間 を過ごすような雰囲気は一切なくそそくさと店を出たものだった。喫茶店はあったが 薄暗くて、タバコの煙、煮詰まったコーヒーで雰囲気は良くなかった。 「大雨の恐れ」で海外の天気予報はどのように表現しているか調べてみたら雨で恐れという 表現は無いようだ。砂漠の国などや北極圏などの天気予報の表現はまだ調べていないが 違いがあるのだろうか。

   光の春  2022年2月23日

冬至の頃に夕陽の沈む場所は富士山のずっと左の建物の角だ。夏至の頃は富士山の ずっと右側の竹林の中に沈んでいく。ちょっと前に富士山の山頂に沈む夕陽の写真 を撮ろうと思っていたら、いつの間にかとっくに富士山を通り過ぎていた。 季節の移り変わりというか時の過ぎていくはやさが驚くほどはやくなってきた。 「光の春」という言葉をきいたことがあるが今の時期をあらわすのにピッタリの言葉 だ。日が伸びて街路樹たちに葉っぱは無いが内部にエネルギーがチャージされてきて いるのが見えるようだ。光の春という言葉は知っていたが他にも何とかの春という 言葉がありそうだ。調べてみると「光の春」の後は「音の春」らしい。といっても 都会に暮らしていればピンとこないが雪解けの音や鳥の声などらしい。「音の春」の 後は「気温の春」と続く。これは都会でも、特に畑をやっている人たちには重要だ。 愛車のカーナビが壊れて付属するオーディオも「ベイエフエム」しか聴けなくなって しまってから久しいが、その「ベイエフエム」も寒さのせいか、ぷっつりと音が出なく なってしまった。液晶表示のメニューはとっくに壊れてしまっているので周辺のボタン を押しまくったが回復せず。諦めていたら数日前に大音響とともに復活。音量の+ボタン が最大あたりまでいっていたらしい。それでも相変わらず「ベイエフエム」だけ。 我が家の「音の春」???でした。

   サツマイモのスイーツ  2022年2月5日

昔から歳をとるとあんこ系の食べ物が好きになると言われているがまさしくそのとおり になってきた。アンパンやドラヤキをよく買い求めるが、今回は「くろまめ」の作った サツマイモとリンゴのスイーツにはまっている。サツマイモの昔懐かしいやにっぽい 香りとリンゴの甘酸っぱさのミックス。いくつかのバージョンがあるが今回はさらに バナナと柑橘系の皮も入り香りも良くなった。 スルメにマヨネーズを付けて酒のつまみにしたりビーフジャーキーをかじったりしたの が遠い昔になってしまった。歯が弱ってくると自然と嗜好品も変わってくるものだ。 今日は食品売り場のレジの脇に積んであった「柿の種」の何パーセント増量の文字に つられてカゴに入れてしまった。

   倍々ゲーム  2022年1月24日

コロナ感染者が再び増加している。感染力が以前より強くなったらしく1週間前の 倍のペースで増えている。海外ではピークアウトしているというが感染後に免疫を もつ人が増えてくれば人が密になっていても防波堤の役割をしてくれるのだろうか。 倍々ゲームといえば厚さが0.1mmの新聞紙を41回折りたたむと月まで到達するそうだ からすごいものだ。41回ぐらい家の中でもたためそうなイメージだが。念のため電卓で 計算してみたら確かに月まで届きそうだ。 昔は「ネズミ算式に」とか言ったりしたが、郵便局の定額貯金が8年間で2倍になる という時代もあったのが懐かしい。今は利息がゼロに等しいばかりか硬貨を扱ったり 通帳を作ると手数料まで取られる時代になってしまった。 昭和はとおくなりにけり・・・。

   たそがれタイム  2022年1月16日

関東の冬は晴れが多い。夕方になると西の空に沈んでゆく太陽を静かに眺めている 時間が多くなってきた。大きなガラス窓の左上から右下に移動していく。冬至の頃 からはだいぶ右側に移動してきた太陽、これからは富士山をこえて夏至の頃は右手の 竹やぶに沈むようになる。 パソコンの動画で昔若かりし頃に聴いた音楽と映像であっという間にそのころの自分 にタイムスリップすることができる。検索すると1950年代から1960年代のポップスが 現れる。それぞれのメロディがユニークでがっつりと脳の中心部に響く。心が当時に リセットされる。 このように毎日た夕陽を眺めていると、毎日朝陽を見ている人よりも自分の「たそがれ」 も早まるのではないかと心配になってくるほどだ。感傷にふけっていると「くろまめ」が さっさとカーテンを引き始めるので現実に戻る毎日である。

   不協和音と4WD  2022年1月8日

いつも年始にあたり「楽器のマスター」を宣言するのだが近頃はそのパワーも だんだん小さくなってきた。ギターは今や壁に吊るしてディスプレイの一部に なっている。安普請の壁のため隣で「くろまめ」が壁を叩くとギターの胴が反響 してビートルズの「ハードデイズナイト」の出だしの不協和音のような音が流れる。 最近感心したのはプリンターの精度だ。プリンターのインクの交換をケチっていた せいでついに年賀状の宛名印刷のときに途中でかすれてしまった。インクを交換して ダメモトと思いかすれたハガキを再プリントしてみた。以前使っていたプリンターは 位置合わせ精度があまり良くなかったため今回もずれて使い物にならないと思っていた が何と完全に重なってきれいな字になった。63円を無駄にしないで済んだ。 本日道路の雪が消えたみたいなので買い物に出かけた。道路のほとんどは乾燥していたが 日陰の雪はしぶとい。アイスバーンになっていた。もちろん微速前進でハンドルを切らない ことを心がけたが久しぶりにタイヤが道路に吸い付いていない感覚があった。アイスバーンを を抜けて走りながら、あっ、この車は四駆モードもあったなと思い出した。車を買った 当時は4WDだの2WDだのと切り替えながら面白がったものだがここ数年すっかりとその 存在を忘れていた。久しぶりに思い出しスイッチを押してインジケーターの一応の確認 をしてみた。

   2022年開始  2022年1月4日

年が明けて車で走っていると景色がすっきりしている感じがする。新しい 年になって気分的なものと思っていたら街路樹の枝がカットされていた。 空が広くなり今まで見えていなかった家々の屋根が見えていたようだ。 関東平野の年末年始は例年どおり雪もなく天気が良い。気温は明け方は氷点下4℃ ぐらいまで下がるり、車のワッシャー液が凍り付いているようでしばらくは出ない。 昼過ぎになると部屋の中まで陽の光が差し込み背中が暖かくて気持ちが良い。 畑の野菜も年中収穫できるのでありがたい。 例年であれば地元の神社への初詣も近くまで車で行くのであるが今年は自宅から 歩いた。その昔は除夜の鐘をきき終わると夜中に星を見ながら初詣に出かけたもの であるがだんだん簡略化してきた。古いお札を「お焚き上げ」するために持参したが 近くの小さな祠にまずは納めるようになっていた。やはり目の前で焼けるのを見たい ところだ。以前はお札以外にも日記的なものまで目の前で焼くことができた。厚みの ある「日記」は思ったより焼け方が遅く人目を気にしながらしばらく鉄の棒でかき回し ていた。孫がおみくじをひいたら「大吉」ということで新年早々縁起が良い。破魔矢を 買って持ち帰った。 今年も畑や手作りアクセサリーの年になりそうだ。野菜の多様性やアクセサリーの 多様性は大歓迎だが、世間でファッションのように叫ばれている「多様性」はいかが なものであろうか。多様性が叫ばれるのは平和な世の中であることの象徴みたいなもの と思うが、元々からある文化や自然や社会が多様性であったものを規格の統一や標準化 して効率を上げ社会が豊かになってきた歴史だと思う。何事も「テゲテゲ」にしておか ないと国力が落ち、いつのまにか他国の餌食になってしまっていたということになりそうだ。