平成24年7月 『銀鏡神楽-日向山地の生活誌』 (弘文堂)
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ポポー (2014年10月12日)
親戚から「ポポー」をもらった。形は「あけび」に似ている。私はまだ食べたことがない。 夫がこの「ポポー」を見て、昔私の実家に家族と行った時に「見た」と言った。しかし私は 見た記憶がない。 詳しく話を聞いてみると、一家で銀鏡に帰省した時、私が幼い娘の世話をしている間に夫は 縁側でお弁当を食べている親戚のヒゲ爺さんと玄米の話で意気投合し、ヒゲ爺さんが「自分 の山に案内する」と言って、吊橋を渡って山に案内してくれたのだそうだ。行った所には、 生け捕りのイノシシがオリに入っていたそうだ。そのそばに背の高い木があって、あけびに 似た形の色は緑の実が生っていたそうだ。ヒゲ爺さんが指差して「ポポーだよ」と教えてく ださったと。 青いので、食べることはできなかったが、こうして三十数年後に夫は再び「ポポー」に会っ たというわけだ。 完熟するのを待って、本日いただいた。 味と匂いと食感を言うならトロピカル風味。 バナナ・アボカド・マンゴー・熟した柿の「いいところ」が詰まっているって感じかな。 種は冷蔵庫で越冬させることに。 ポポーの出現で、柿のことを思い出した。 義母は、ヒゲ爺さんから柿をむいてもらった。ヘタの周辺をナイフの先で、三角に抜き取り 、あとは楽しげにむいているヒゲ爺さんの様子に、自分でやってみたいと思ったようで、ナ イフを受け取ると2個目のヘタをじっと見ていた。「自分でやってみたい、けれど怖い」。 みんなの「あ、危ない、ああ、大丈夫」の声援を受けて、出来たのだった。 「ママ、銀鏡ではどうやるんだったかしら?」義母はなんどか私に聞いた。そしてすっかり 上手に皮をむくことができるようになった。 「ポポー」を、あの柿の皮むきの時のように大騒動して、みんなで食べてみたかった。
実家の畑の石 (2014年5月17日)
私が2012年に帰省した時のことだが、家の前の茶畑だったところが畑に変わろうとしていた。 畑の草抜きならおまかせと思いきや、石(大石、小石、砕石)を取り除く作業を兄がしてい た。総出で枯れた根っこや草を焼いた。そして母の耕運機デビューとなった日。 写真は、その時とそれから後の畑。 実は先日、テレビでイギリスの庭園を見ていたら、唐突に実家の畑の石のことを知りたくな った。番組は、日照り続きの硬い土地を時間をかけて庭園にしていった内容だった。 「畑のあの石は、一体なんだったのだろうか」、兄が答えてくれた。 「前の畑の石(大石、小石、砕石)は、米良地方の水田に一般的に認められるもので、沖積 平野や里山近郊(比較的平地の多い場所に限る)に水田を開く場合には、河川が運んできた 土が堆積しており、雑木・あし、よし等を刈り払い、平らにならして水を張るだけで水田と して利用できる。しかし、米良地方のような急峻な山間部の傾斜地に石垣を築き平らになら して田を作っても、そのままでは岩盤にわずかばかりの土が乗ったスカスカ状態の構造なの で、水を張っても水漏れを起こしてしまう。そのままでは稲作に不可欠な湛水状態(たんす い・水を張った状態)を維持できないので、水田にはならない。そこで、米良のような急峻 な山間地で水田を開く場合には、水漏れが起きないように「ばんつち」という(注:赤土・ 粘土質の土)を山から掘り出し、水田とするべき土地に入れて突き固めて防水層を作ってい る。これには想像を超える大量の赤土が必要である。そこで、掘り出し・運搬・搬入・地固 めに要する多大な労力と経費を節減するために、岩盤の上に大小の石ころを敷き搬入する赤 土の量を減らす必要があったものと思われる」。 「あの時出てきた大小の石ころの一つひとつには、先人の知恵と汗と歓喜とが籠っているよ うな気がしてくるよね。今は駐車場になっている場所は、かつては水田だったことを覚えて いることと思う。大まかに言ってお袋が植えた山獲りのツツジがある付近に、こつぜんと他 の中に小高いいしがきの土盛りがあって墓石と御幣が立っていたのを。あれは、起り塚(お こりつか)といって流行病が流行った時に上揚地区に本病が入り込まないようにするために 作ったものとのことです。これは、現在、先祖代々の墓の左側にひっそりと祀られ、毎年正 月に我が家で御幣を上げている」。 私も兄も昔幼馴染たちと遊んだ場所の情景が脳に刷り込まれていて、それが瞬時に思い出 されたことは確かである。 そう。覚えているよ。3歳になるかならない頃の末の妹が、五月の田の中で働く家族を呼ぶ 声が聞こえたとよ。 「まんま ぺーーっと。まんまぺーっと(お昼ご飯ですよ〜」。 注:「ばんつち」という(赤土・粘土質の土)は辞書にはない。基盤となる土のことか? 米良地方独自の言い方か不明。椎葉や諸塚などでは、どう呼んでいるのか調べてみた い気もするが・・・。(兄談)
森と杜 (2014年4月30日)
BS番組の録画をとり忘れたり、再放送を見落としたりすることがしばしばあるが、今回は 間に合った。プレミアムアーカイブス. アンコール「神々の杜(もり)とともに」の3日連 続放送の最終回「代々木の杜の物語・明治神宮」を見ることが出来た。 明治神宮の森は、明治の建築家や造園学者の智恵を結集して出来たものだそうだ。例えば、 杉並木にしようとすれば杉は大量の水を必要とするので、東京の雨水ではまかなえないと異 議を唱え、「林相の予想図」を立て、「森を過度に手入れしない考え方」で守り続けてきた こと、「一木一草持ち出し禁止」のこと等々がストレートに響いてきた。そして森は今、自 ら世代交代を繰り返す「天然林相」に達しつつあるとのことだ。番組の終わりに、神宮の森 の大きなクスの若葉が日の光を透過してそよいでいた。 明日から五月だ。「中今(なかいま)」という教えについて、反芻している私である。
毎年の春 (2014年4月20日)
上の一段目の写真は2013年3月21日の実家の庭先の春。二段目は、同年4月21日の春。 両親は毎年「桃源郷だ」と喜ぶ。村のみんなが山を眺めては同じ思いを口にする。 そして4月になれば春を惜しむ声に変わる。ゆっくりと山の色合いも変化して行く。 下の写真は、2013年5月1日の朝。 父が打つ拍手(かしわで)の音が聞こえてくるようだ。 5月の若葉に目を細めながら、母は弱った足を畑に向かわす。休み休みながら、休み 休みながらだ。自分の父親が植えたという杉の木の方角に腰を下ろして、首から手ぬ ぐいを外して汗を拭うことだろう。「畑が待っているから、せんといかんばい」。 毎年聞く言葉だ。 5月、母の日。6月、父の日。40年以上も離れて暮らす私だが、数年前からは特別な 「日」になってきている。日常の贈り物とかではなくて、この日は、両親が過去の時 間の中から”ホヨ”とした感じを掬い取ってもらえたらいいなあと、考える時間も贈 り物に込めたい。まだまだ時間を楽しもう。 下の写真は、銀鏡の山の樫の実粉(ドングリ粉)を使った、「樫の実豆腐」。 レシピは、昨日(4/19)TV「ぶらり途中下車の旅」で、ヒントを得た。 ドングリ料理研究家が”ドングリで作る豆腐を紹介していて、「簡単ですよ。粉に豆乳 を入れるだけです」。試食した元力士が「渋味のないさらっとした感じですね〜」と言 っていたことをふまえて、豆乳と粉の分量を重ために仕上げたくなった。豆乳でお豆腐 を作ることはよく知られているが、樫の実粉(でんぷん100%)プラス豆乳は、発展させ る素材が他にもあるのではないかと、面白くなってきた。
雨水の日は、銀鏡は雪 (2014年2月19日)
今日の銀上小学校・銀鏡中学校(通称「西都銀上学園」)は、どんな日かなあと気になる のである。銀鏡のこともわかるので、気になるのである。それで銀上学園のHPを訪問するの である。みんなも のぞいてみやればいいとになあと思いながら。 http://cms.miyazaki-c.ed.jp/4509/htdocs/index.php?page_id=0
高山彦九郎の日記に銀鏡の名が書かれてあります。 (2014年2月9日)
寛政4年(1792年)「京都の本願寺の建立にあたり、材木を取る所は銀鏡という所にて」 と(現代語訳)ある。 民族写真家の須藤功さんのお便りで、日記のことを知った。早速『銀鏡の神楽−日向山地 の生活誌ー』の69頁を開いて見た。正衛宮司の話として、米良山中の大杉が江戸や京に運ば れて寺院の建立などに使われたと書いてある。「これらのことは事実の確認はできないので ()に注を入れて記す」と書いてある。早くに、日記を読んでいたら、この但し書きは不要 だったことだろう。 そこで『銀鏡の神楽−日向山地の生活誌ー』の69頁、()書の部分(引用)−−− 上納した杉材は神木といえどもみな伐出した。最大のものは切り株の径7尺余(約2.3m)。 これらの杉材は銀鏡川を流しおろして夏を待ち、洪水になったとき一夜で海に流出させ、 そのあとは船で大阪へ曳航し、そこから陸路をそれぞれの寺社に運んだ。米良杉は京都 の三十三間堂、知恩院、また宮島の海中鳥居にも使われている。ーーーーー 「高山彦九郎記念館」
銀鏡神社例大祭 12月14日の「銀鏡神楽」の準備 (2014年1月30日)
2013年12月14日の「銀鏡神楽」準備の写真を入手しました。 銀鏡神楽は・・・ 星空を仰ぐ外神屋と呼ぶ舞台で、祝子(ほうり 祭員で舞手) によって奉納される。外神屋は銀鏡神社の本殿から少し離れた社務所の脇にあって、 内神屋(拝殿)とひとつづきになっている。 ーー以上、『銀鏡神楽 日向山地の生活誌』(弘文堂発行)より引用ーー 2013年銀鏡神楽の準備写真は、こちらで見ることができます。 クリック→「写真投稿」
銀鏡出身者の声が 朝日新聞の『声』に掲載! (2014年1月10日)
大阪版の朝日新聞を読まれた方たちの中には、ドングリ拾いを懐かしがったり、 手作りの加工食品を食された方たちは、銀鏡の「樫の実ギャー」をネットで検索 されたり、他にもさまざまな方たちの目に留まったことと思います。お正月の主 婦は、事前にどれだけ正月用意をしていても忙しいものです。新聞は、まとめて 読まれているのでは? 私自身がそうでした。 セツ子さんありがとうございます。 新聞から銀鏡のひなたの匂いがククーーンときました。
本年も ふるさと銀鏡を よろしく! (2014年1月3日)
今年は角度をちょっと変えて、銀鏡のこれからをレポートしていきます。 情報を寄越してくださる方大歓迎です。メールの題名に「投稿」とご記入ください。 写真(画像)は、サイズを拡大して見ていただきたいので「写真投稿」のコーナーでも 紹介します(ブラウザの関係で見れない場合があります)。 クリック!!「写真投稿」 下の写真は、昨年の5月掲載の宮崎日日新聞からです。 朝日の当たっている森林(照葉樹林)の広がりが白く見えています。 ↓〜↓の辺りは銀鏡神社です。 銀鏡の子供たちは平成となった今も高校には下宿か生徒寮からです。銀鏡に山村留学して いる生徒たちは、里親のみなさんが実際に自分の子供や孫を外に預けてきているので”親 心”はそれは深くそれは深いのです。留学生たちは銀鏡の伝統芸能、諸行事等々を我が身 に引き寄せて大事にしています。神楽舞いもします。 進路に対しての環境作りを学校・親御さんたちと連携をとって真剣にすすめています。 情報通信技術(ICT)を活用した「ICT教育」を導入しています。 平成24.4.1 一体型小中一貫教育校 銀上小・銀鏡中学校 初代校長 石山千枝子就任 平成25.6.1 通称を「西都銀上学園」とする 下記↓「西都銀上学園」のHPです。 http://cms.miyazaki-c.ed.jp/4509/htdocs/index.php?page_id=0