温故”不”知新3

       昔懐かしいものを懐かしむノミです



 磁気コアメモリー (2018年6月17日)

昔の記憶装置、磁気コアメモリー。小さな小さなドーナツ状フェライトコアに銅線が 縦・横・斜めに走っている。1個のコアでひとつの1/0情報が記憶できた。コンピュータ 関連の会社にいたころ隣のグループの扱っている装置に使われていた。身長の高さぐらい の制御ラックのてっぺんにこの記憶装置が納められていた。やはり記憶装置なので人間の 頭脳にあたるてっぺんに配置したのだろうと思っていた。その後40年ほど前にゴミに なる運命だったものの切れ端を記念に切り取った。その後、半導体メモリーが主流とな り何十億倍もの記憶容量がキャラメルほどの大きさで実現できるようになった。 メモリーの形も激変したがこの時代は他のものも大変化を遂げた。真空管ラジオから トランジスタラジオに。ラジカセとかダブルラジカセも流行した。白黒テレビの時代から カラーテレビへ。フィルム式の8ミリは磁気テープ式の8ミリになり半導体メモリーの 8ミリとなった。録音テープはオープンリールからカセットテープへ。カラオケも8トラ のカセットテープだった。カメラはフィルム式からデジカメへ。写真屋さんに出向いて 仕上がり日を確認する必要も無くなった。友人に配る分も焼き増しすることも無くなった。 パソコンも安くなった。モニターはブラウン管から液晶パネルに。レコード盤からCDへ。 電話は手回し式からダイヤルへ。ケータイは肩掛け式から小型になってアンテナ式に。 ポケベルもあった。いつの間にかアンテナが無くなっていた。タッチパネルのスマホに なって便利になった。 B面といっても理解できない若者も増えてきたようだ。隔世の感がある。真空管ラジオの 時代からいろいろな変化を体験できた。いい時代を生きてきたと思う。

 ミートミンサー (2018年5月25日)

昭和50年代に買ったミートミンサー。しばらくしまい込まれていたが、 また使ってみたい気分になった。 若いころに家族で味噌作りで大豆をつぶしたりソーセージを作ったりした。

 ダイヤル式電話機 (2018年1月12日)

頼まれて親戚の家の電話機の契約を解除した。電話会社が、袋を送るので電話機の 返却して欲しい、とのことだった。古い電話機なので持っていても面白いと思い、 買い取ることもできるのか確認すると、750円とのこと。買い取ることにした。 裏に1966年と書いてあり相当古い。戦前の真空管ラジオの上に乗っけてみた。 電話機を初めて見たのは小学校にあがる前だ。木で出来た四角い箱が壁に付いていた。 大きな目の玉のような金属製のベルが印象的だった。いつも見上げている得体の知れ ないモノだったが今思えば電話機だったのだ。小学校の頃は黒電話になっていた。 右側に付いている手回しレバーで交換手を呼んで、接続してもらうために相手の 電話番号を声で伝えた。我が家は近所では電話をつけるのがはやかった。呼び出し 電話のときは呼びに行くのが大変なので、それぞれの家に固有のモールス信号の ようなトン・ツーを割り当てて呼び鈴で呼び出していた。市外通話の時は交換手 から折り返し料金の通知が掛かってきた。 それから数十年の時間が経過したある日、顧客訪問の外出で駅で休んでいたら、 肩からショルダーバッグのような箱をぶら下げて、くるくる巻いたコードの受話器 を持って話している珍しい光景を見た。今思えばあれが始めて見た携帯電話という ものだったのだろう。その後ポケベルというものが出始めた。外にいても連絡がとれ る便利ものだったのですぐに社員に配られた。始めは数字だけの表示だったが、すぐ に文字が出る工夫がされた。このような製品は進歩が速い。 そのうちケータイが社員に配られた。今は無くなったアンテナだがその頃は二段式 のアンテナを伸ばして使っていた。このころになると電話ボックスや駅構内の公衆電話 が急速に減ってきた。あれほど「流行」したテレホンカードも出番が無くなってし まった。最盛期には会社の広告を入れたりして客に配ったりして重宝したものだった。 その後メールも使えるようになった。この頃にはタッチパネル方式の「スマホ」が 登場していたが、使うことなく定年を迎えた。めまぐるしい技術の進歩だ。 今は定年後に買ったスマホ、iPhoneを使っているが便利で重宝している。子供の 電話のオモチャは四角形の味気ないモノになってしまったが、テレビの字幕に 出る電話が掛かってきたマークは、まだダイヤル式電話機の形をしていてホッと している。