ケサエさんの山里便り3(銀鏡)

くろまめの母です。
昭和一桁生まれのばあちゃんです。
19歳で嫁に行き、4人の子を授かり、
4人の老親を見送りました。
畑仕事が、今や私の喜びです。
自然と共に生きることは、まこと体に
ええごたります。
明日は、ああして、こうしてと仕事の
段取りを考えながら床に就くのです。
こんな幸せなことはありません。







 小石を運びました  (2017年12月10日)  

我が家の駐車場から見た紅葉です。 川から小石を運びました。土の流出防止です。 里芋の親イモの土落とし。プラスチック製の漬物桶に 水を張り、X字形に張り合わせた板材を手で持ち 左右に捻ります。木の桶は経年劣化で穴が開き使用できなく なりました。 ニンニクの葉が黄色味を帯び、やや縮れ気味。心配です。

 里芋の冬準備  (2017年11月21日)  

里芋の越冬用土寄せをしました。今朝の気温0℃。一面に真っ白な 霜がおりていました。昼になると気温12.3℃で微風になりました。 ぽかぽかした陽気で体を動かすと汗ばむくらいです。 芋洗い後、乾燥中の里芋です。 息子は今夜は「神楽習い」です。

 芋掘り  (2017年11月11日)  

だいぶ秋が深まってきて家のまわりの木々が黄葉してきました。 「下の畑」の芋を収穫しました。ここの芋は息子の担当でしたが除草を 手抜きしたようで雑草が繁茂していて小芋、孫芋が少なく収量は一昨年 の三分の一程度でした。鬚根がびっしりと小芋の全表面から伸びており 包丁を使っての除去作業にいやになるくらい時間がかかりました。 周りの雑草と限られた養分を取り合うために根の数を増やしたものと 思います。「昔から畝の草をとって土かけをしないと芋はとれん。手を 抜くと、その分あとで手間がかかることになる」と息子に言い聞かせま した(笑)。 私の担当する「上の畑」は見たところ手入れが行き届いていて収量が期待 できそうです。収穫した里芋は、神前に供えたあと、毎年おすそ分けして 村人数人に本日届けることにしています。「上の畑」の芋は掘りとらずに 畝に残したまま土をかけて霜害防止。芋が足りなくなったら、その都度 掘り出して使い、残りの一部は来年の種芋に再利用します。

 朝霧  (2017年11月1日)  

*********************************************************** 銀上小学校 校歌 作詞 : 松山 文二  作曲 : 安藤 郁夫  1 朝霧は ほのぼの晴れて 山峡ゆけば 目もあざやかに    にじのごと立つ わが学舎  2 竜房山に 旭は照りて 今日も晴れゆく 山路を越えて    急ぐは楽し わが学舎  3 鉾杉の森の鎮守に 太鼓とどろき    しずもる村の ここぞ文化のもとはしら  4 頬紅く まなこつぶらに 山のごと 清く    また たくましく 友よいざ手に手をとりて ***********************************************************

 V字の谷の畑  (2017年10月31日)  

家の前の木々が紅葉してきました。 耕しました。 堆肥を運び込みました。 ショウガを掘り、あとをクワでならしていたら昆虫の出現を 待っているジョウビタキが電線にとまっていました。 ネギに土寄せをしました。 午後1時半なのに畑の一部はもう山影に。 夏場に瀕死の体だったアシタバが、なぜか元気に。今日の西米良 は4℃でした。

 紫蘇を燃やしました  (2017年10月25日)  

裏山からの眺望です。 雲なし風なしの晴天です。 抜き取った紫蘇の株の燃え残りを燃しました。

 台風一過その2  (2017年10月23日)  

ひ孫たちが会いに来てくれました。

 台風一過  (2017年10月23日)  

台風が過ぎて青空が見えました。 今日は娘から送ってもらったニンニクを植えます。 ホワイト6片、中国ニンニク、アメリカニンニクの3種です。

 山桜  (2017年10月15日)  

雨です。朝晩は寒くなってきました。家の前の山桜の葉が 黄色味を帯びてきました。

 十五夜  (2017年10月4日)  

ナスの株を抜き取り整地をしました。息子がニンニクの 作付け準備をしてくれました。堆肥は地元の牛を飼っている方 からトラックで運んでもらいました。堆肥を入れ苦土石灰を まぶして耕運。2週間後に植え付け予定です。 我が家のナス、ニガウリ、サトイモ、柿を供えました。 娘から送られてきたカライモもお供えしました。

 台風一過  (2017年9月18日)  

台風18号が去って台風一過の朝です。 大量の雨が降ってダム湖が満水になりました。 それにしても昨日の家の前の川の増水は恐ろしいほどでした。 川からワアォウワアォウと重低音を発して山の空気を震わせながら 流れていました。川の底で大きな石が流されているらしく ゴトゴトという音が聞こえてきました。

 蜜蝋作り  (2017年8月21日)  

息子が蜜蝋を作ると張り切っています。 まだ蜜が採れるので蟻が来ないように水を張った容器に入れて 一日寝かす。 蜂蜜は約200cc採れました。 蜜蝋は、ほぼ3個分の玉子焼きと同じ量採れました。 あとは溶かして竹筒に注ぎ入れて成型すれば出来上がり。 蜜蝋は巣箱の内壁や天井に塗って蜜蜂の誘引剤として使う予定です。

 焼き米  (2017年8月1日)  

子供たちが帰ってきて集まると昔の話になります。 自分が子供の頃、母親が作ってくれた「焼き米」を良く食べたもの です。これは米を籾殻の付いたまま釜でゆっくりと炒って殻を取り 除いたものです。保存食として長もちしますし茶碗に入れて熱湯を 注ぐとお餅みたいになって香ばしくてそれはそれは美味しいもので した。 使うお米は未熟米のほうが美味しかったです。当時棚田でお米を 作っていましたが上の方の2段ほどは水を温めて下のほうに送る ための田んぼでした。この田んぼは水が冷たいので他の田が黄色く 実るころにも青い稲でした。この未熟米で作る「焼き米」は絶品 でした。 塩を少し入れて食べたものでしたが、お茶の葉を挽いて抹茶状に なった粉を入れて食べるのは香りが良く最高でした。 「焼き米」は昔の話ですが、子供たちが帰ってくると私の畑で採れた 新鮮な野菜をいっぱい使って子供たちと一緒に料理を作ります。

 蜜蜂の顛末  (2017年7月17日)  

5月の末にこちらへ引越してきた蜜蜂の顛末です。 息子が云うには: ある暑い日に巣箱を冷そうと蜜蜂たちは羽をブンブンいわせて 「扇風行動」をしていました。ニホンミツバチはお尻を巣の入口 に向け風を送りますがセイヨウミツバチは頭を巣の入口に向けて 風を送る習性があります。体色が黄色っぽいのと体がニホンミツバチ よりも大きい。蜂球(分蜂(巣別れ)するときに女王蜂を取り囲んで 作る蜂の塊)は小枝に作る場合が多い(ニホンミツバチは木の幹に 作ることがほとんど)、などから蜂たちはセイヨウミツバチとほぼ断定。 最終判断のために蜜蜂に詳しい近くに住む人に見てもらいました。 やはりセイヨウミツバチのようです。 巣箱を開けて見ると蜂の子だけが居て蜜は全くありませんでした。 自分たちの食料と子供たちに与え蓄える余裕は無かったようです。 セイヨウミツバチは蜜が無くなるとニホンミツバチの巣を襲い 蜜を盗む習性があるようです。また3種の伝染病を媒介する可能性 も大きいので、やむなく全頭殺虫処分することにしました。

 ビワ茶とカキ茶  (2017年6月16日)  

宮崎は梅雨入りした日に降っただけで今のところ雨知らずな日々 です。ビワ茶トカキ茶を作ることにしました。

 蜜蜂の引越し  (2017年5月31日)  

先日息子の住まいのご近所さんのバラの枝にミツバチが大きな巣を かけているとの話があり、ダンボールに捕獲して息子が車で銀鏡まで 運んできました。 話を聞くと: 刺されないように白色のシャツ、網の帽子など完全に装備をして ご近所さん7名とで捕獲作戦が始まりおよそ30分で終了。 数千頭のミツバチの入ったダンボール2箱を車に積み込み午後6時に いざ銀鏡へ出発と車へ向かうとなんと窓の開いた車の内外をすごい数の ミツバチが凄い羽音を出しながら飛び回っていた。 見るとひとつのダンボール箱の隙間から蜂が這い出していて、もうひとつ の箱の隙間に蜂が入り込もうとして群がっている様子。箱の中にいる女王蜂 のフェロモンに誘引されているらしい。 さっそくナイフで縦2センチx横5センチ程度の入口を設けてやったら、 ミツバチがぞろぞろと順番を待つように入って行く様子。そのうち あれほど狂ったように乱舞していたミツバチは、すっかりいなくなり 女王蜂のいる箱に収まってしまった。 銀鏡へ出発。加速Gが箱内のミツバチ塊に影響を及ぼさないようにはやる心を 抑えて優しい運転に終始。夜遅くに銀鏡到着。 巣箱に引越したミツバチたちはしばらくは田舎の山の冷気にびっくりした のか大人しくしていましたが数日経つと慣れてきたらしく元気に飛び回って います。

草刈りと肥料作り  (2017年5月17日) 

朝から息子が畑の草刈りをしてくれました。 草が伸びないうちにカットしたので後の仕事が楽です。 肥料作りもしました。草も一網打尽です。

銀鏡の朝  (2017年4月30日) 

現在の銀鏡です。川の流れる音、ウグイスの声が 聴こえているよ♪

今日は茄子を定植しました  (2017年4月29日) 

茄子の植え穴を掘って5本定植しました。

畑の春  (2017年4月29日) 

おかげさまで86歳になりました。 体調も少しずつ良くなり畑を楽しんでおります。

裏山  (2017年1月23日) 

今日の裏山は北風がびゅうびゅう吹き山が唸っています。 息子が前の畑の堆肥の塊を鍬で叩いて細かくしてくれてますが〜。

堆肥  (2017年1月17日) 

どういうわけか、我が家のすぐ前の畑は、何を作っても、うまく育たない不思議な畑です。 そこで、今日は前々からやりたいと思っていた堆肥入れを息子がやりました。 繁殖牛農家の正一さんからもらった高品質の堆肥が夕刻には畑一面を覆いました。 一輪車62杯分。鋤き込み作業は来週を予定。 良い土ができるので嬉しいです。野菜を作ろうかと今から思案中です。

本日の蜜蜂  (2015年12月7日) 

本日は快晴。南南東の弱い風。気温16度。今日も11時頃から背戸の蜜蜂が活動を開始。 気温が下がり飛翔数はさすがに少なくなってきたが、向かいの山との間をあしげく往来 している。働きバチは15時頃には巣に戻る。巣箱は、再びひっそりとして佇む。

煮込み  (2015年11月6日) 

  「今夜はなんね?」娘が訊いてきました。 「煮込み ばい」と言うたら、えらい懐かしがっておりました。 米良の村記念(地域の祝い事)や祭等のハレの日や葬式のときの定番料理です。 食材は、鶏肉、大根、ニンジン、ゴボウ、里芋、乾燥椎茸、玉ねぎ、ネギ、ピーマン、 油揚げ、豆腐(厚揚げを使うと豆腐は不要に)。   今日は、こんにゃくと里芋はなし。里芋が入ると、なお美味しいです。 味付けは、酒、みりん(砂糖を追加することもある)、醤油、だし(イリコ、昆布等)。 昔は、キッコーマン醤油を使っていたのでうまかったですがねえ。 固いものから先に炊くこと。こんにゃくは味を染み込ませる必要があるので最初から 入れて炊くとええですがね。 祭の時には鶏肉を使います。豚肉等の四つ足は、祭以外の行事の時に使われます。昔は、 猪肉、うさぎ肉もよく使われていました。 12月の銀鏡神社大祭では、祭終了後に奉納された猪頭を使った「シシズゥシイ(猪粥)」 が参拝者にも提供されていることは、みなさんよう知ってくださっています。            

我が家の蜜蜂用巣箱  (2015年10月5日) 

一昨年から昨年にかけて家の背戸や屋敷回りに息子が8個の蜜蜂用巣箱を据(す) えました。 その中の一つに、この夏、ようやく蜜蜂が入りました。それも通常の分蜂時期 を外れた7月も半ばを過ぎてからでした。予期せぬ幸運に皆で喜びあいました。 今では、毎日、蜜運びに精をだしているミツバチの様子を台所等から眺めるのが 楽しみです。 土間の椅子に腰掛けて、その働きぶり見ながら、自家取りのらっきょう漬けや 大根葉の一夜漬けを茶請けに飲む一杯のお茶は格別です。嬉しくゆったりした 気分になります。 ところで蜜の採取ですが、今年は遅い時期に巣箱に入ったので集めた蜜も少ない だろうし、最近は米良の山でもニホンミツバチの数が目に見えて減ってきている と養蜂を得意とする村人から聞いているので、今期の蜜搾りは止めてミツバチの 冬越しの餌に廻すことにしました。ミツバチの数が増えて来年の分蜂数が多くな ることを願っています。 その代わりと言ってはなんですが、来春に巣別れするときには、また、我が家の 巣箱に入って欲しいもんじゃがね、と念じてもおります。 その前にアカバチ(キイロスズメバチ)対策が必要になりました。どこからともなく アカバチがやって来て巣の周りを飛び交い熟達の技でミツバチを捕まえては飛び去 ります。この空中攻撃にはミツバチは、なす術もなく絶命するほかありません。 そこで、アカバチを蝿叩きで叩き落として弱らせて、これを鼠とり紙に付けて、 仲間を助けにくるアカバチの習性を利用する捕殺作戦やスズメバチ類を果汁で誘き 寄せる誘引作戦を展開しています。 息子がいろいろと説明しながらやってくれていますが、これと言った効果は無く、 今のところ虫取網で捕まえては撲殺しています。少しはアカバチが来んようになり ました。養蜂に詳しい別の村人は、巣箱全体を7ミリ角の金網でスッポリと覆う方法 で完全にアカバチ来襲を防いでいるとのこと。我が家も、これからやってみること にします。 ともあれ、ミツバチの話題で毎日盛り上がっております。 「中秋の名月」には子供たちと一緒に過ごしました。

「一石二鳥!草を枯らして土を肥やす。」ソバの底力  (2014年9月21日) 

 銀鏡は朝夕ずいぶんと冷えてきました。 畑の春蒔きソバが1メートルばかり伸びました。 畑全体が緑と白い花に覆われてまこて見事な景色ばい。晴れた日にゃミツバチが、あっ ちこっち飛び回って、一所懸命、蜜を集めとるよ。 庭から見ると風に揺れるソバもなかなかええもんじゃ。まこて心が和むがなあ。じゃけ ど・・・ソバとミツバチには、少しばかり気の毒な日がやってきたっちゃがあ。 先日、息子があがってきてソバを刈り倒して「すき込み作業」の準備をしてくれてなあ。 天気は予報通りで「午前曇り。午後から雨、山沿いは雷も」。あいにくの天気じゃった けど作業は順調にいったようです。 こん日も、畑に行かんとどうも落ち着かんもんじゃから、午前中は、見ることができて よかったば〜い(笑)。 まずは、草刈り機で頭のほうから10〜15センチずつ何回にも分けてカットしてゆく から、いつもより何倍も時間がかかっとりました。我が家のミニ耕運機は馬力がねえか ら、細切れにせんと、茎やらが鋤に巻きちいて、すき込めんごとなるから、しかたねえ とです。 夕刻に作業終了。畑は、草刈り機の紐で叩かれたので土とソバの茎葉が混ざって一面が 「茶緑泥色」になっとりました。これを耕運機で耕すとソバの茎、葉、種実が土に混ざ り込み、ある種の成分が染み出てきて、これが雑草を枯らすとじゃげな。刈込みの最適 期はソバの花が終わって、穂全体に若いソバの実が付いた頃じゃげな(高鍋の甥っ子が 教えてくれました)。 我が家のソバも過去2回は最適期にすき込みを行ったので、畑の雑草は年々減ってきて、 土もふかふかと柔らかくなっているのを実感しております。まさに「有機肥料の効果」 と「無農薬雑草退治の効果」の一石二鳥じゃと思っております。 今年は、ソバの跡地にレンゲソウの種を蒔く都合があり、少し早目の刈込みとなったど も、それなりの効果は出るものと期待しとっとこですわ。 私は畑仕事があまりできなくなってきましたが、息子がまこていろいろ工夫してやって くれるのをみとると嬉しいですがなあ。 これからは、一番小さな畑を使って、ゆっくり、のんびりと野菜つくりをしようかと思っ ております。ほかの畑には、手がかからないソバ、レンゲ、菜の花を蒔いて、畑が山にな らんようにして行こうと考えとります。ちなみに、我が家の畑は、猪、鹿の被害からも免 れております。電柵、網柵の効果は絶大ですがなあ。猪が畑の石垣も掘り崩さんので大助 かりです。電柵をつけてまことよかったです。 息子が帰る時に「ハスイモ」を持たせました。これを1ミリの半分ほどの薄さに切りポン 酢を付けてたべると良い焼酎のツマミになるらしいです。近所におすそ分けして喜んでも らっていると、息子が言うとりました。来年も作ろうかと思っとります。

 初夏  (2014年5月10日)

 昨日はスイカの苗を植える準備を息子と一緒にしました。 油粕や肥料のことなど一緒に計画したりしました。それにしても私の作業のスピ ードは落ちました。息子は私の生きがいの畑を、ペースを合わせてやってくれます。 爺様も畑に出てきて肥料のウンチクを言うとりました。五分ほどばかしで退散しやり ました(笑)。 茶摘の写真は2012年です。 庭先の写真は2013年です。 変わり映えしないようでもあり、変わっているようでもあり笑)。  

 五月  (2014年5月6日)

 銀鏡は若葉、若葉の それはきれいなもんです。川はやさしく流れています。  連休は今日でおしまいですなあ。サラリーマンの人たちは有給休暇も入れれば 長い休暇になったと聞いています。家族の思い出の時間がいろいろできたことじ ゃろうとおもうとります。私も爺様は宮崎に出て行き、数日間子どもたちから大 事にしてもらいました。  先日は娘と孫が銀鏡に来てくれましてなあ。孫が『赤毛のアン』を小学校の低 学年の時から何度も読んでいるので暗誦していることは知っとりましたが、みん なで話をしているときに「今の話にピッタリだわ〜」って、ノートに書き出して、 見せてくれました。爺様と孫は言葉より先にハグハグしてなあ。まこて愉快なひ とときでした。  畑のほうは、この連休に、ニンニクを掘りあげて軒先に干しています。夏野菜 の植え付けはほぼ終えたっちゃけど、まだ他の苗を少々準備しているところです。  そういえば、四月は、「銀鏡のこと」が何度も地元のテレビ番組・ニュースに 取り上げられました。なかなかの反響があったそうです。録画したものを千葉の 娘にも送らんにゃあと思うているところです。

 二月  (2014年2月10日)

  昨日の銀鏡はよう晴れました。ぽかぽかでした。 私はオリンピックを見ていましたが、じっとしておられんなってなあ。 コタツを抜け出して作業着に着替えて、庭周辺の草むしりを三時間ばかしやりました。 冬の間の畑仕事と言えば、生ゴミのコンポスト2基へのごみ運びと畑のネギを プランターへ移植しただけでしたから久しぶりに作業着に着替えたらなんか気持ちが 良くて嬉しゅうなりました。  さむうなったりぬくうなったりするのは毎年のことですからなあ。    まあ、そんうち花が咲き、鳥は鳴き、畑もいそがしゅうなります。  庭に立って見える景色など、写真が撮れた時は便りをしたいと思うております。  

 芋堀に柿ちぎりにソバ刈り  (2013年10月27日)

銀鏡はすっかり秋になりました。朝晩はうんと冷えます。 9月の大運動会はそれはにぎやかだったそうです。 10月は小中学校の稲刈り体験学習があると聞いていましたが、もうそれも終わったそうです。 私んところは、昨日、「芋掘り」「柿ちぎり」「ソバ刈り」をしました。 こっちでは「芋」は「サツマイモ」のことを言います。 「里芋」のことはちゃんと「サトイモ」と言います。 立派な芋が採れてなあ〜。(写真がなくて残念じゃがなあ) 娘と孫が数個持ち帰り「天ぷらにしよう!」というておりました。 柿ちぎりは、高枝伐り鋏を使ってやりますが、私の奮闘ぶりが可笑しいと言うてなあ。 まこて笑うちゃが。「なにが可笑しいとねっ?」と言うと、指差して笑うとですがっ! 終わって、土手の坂を上がるとき、高枝伐り鋏を杖代わりにしてよじ登りました。 そんときは笑うどころかえらい叱られました。 「お転婆にも程があるわよ!」ちてなあ。 息子は朝からソバ畑を全面的にやってくれました。「ソバ刈り」と言うても、実際には 食用には実を採りません。実は来年の種にします。刈ったソバは漉き込みます。それは 難儀な作業です。陽が暮れるまでやってくれました。 柿の木があっちこっちにあるので、息子があっちの柿をちぎってくれました。 昔は年寄りたちが4人もおりましたから、子供たちにとっても爺さん婆さんたちとの思 い出がある柿の木です。じゃから柿を食べると、そういった思い出話が出ます。 「隠居じさん(明治5年生まれ)が80歳を過ぎて柿の木からおてらいた(落ちた)」 「ドンじさん(先日、40年祭)が台風の後に、火鋏を持って柿拾いに行きやった。熟 した柿が好きじゃった」 「隠居ばさんが柿を串に刺して、囲炉裏端で焼いてくれた。サトイモも串に刺さってた」 「オステばさんが柿を剥いてくれた」  神事から帰ってきやった爺様とみんなで語りました。泣き笑いのひとときでした。  爺様84歳。私は来年83歳。 子どもたちの笑う顔ばまだまだ見たいばい。   芋掘り     蕎麦畑がきれいになりました〜     アケビの焼酎漬けです  

 畑日和 そして懐かしい時間  (2013年9月13日)

     午前中、息子が耕してくれました。  爺様は調べものがあり、「ディ」(床の間と租霊棚のある奥座敷のこと)のほうに籠りっ きりでした。  私は、電柵に草が触れて漏電しないように蕎麦畑周りの除草をしました。    遠くに住む娘から宅急便が届きましてなあ。「敬老・・・」の文字がみえましたがあ(笑)。  写真も入っていました。ひ孫がまこて大きくなっとりましてなあ。驚いたばい!  手紙に「小さく切って食べるといいよ」と体のことを思うて書いてありました。爺様が自ら、 頂いた菓子を小さく切って食べようと言ってなあ、持ってきやったばい(笑)。  午後からは一緒に、大根、ネギ、玉葱、ニンニクの定植準備をします。     35年前、娘夫婦が孫を見せに来てくれました。 帰るときは、町までバスで見送りました。爺様と代わる代わる抱っこしてなあ。娘たちに渡し たくなくてなあ。爺様も私も娘夫婦も泣いてなあ。たまらんかったです。      34年前、孫に会いに上京しました。 こんときも孫の成長にひったまげました。いっぱい孫と遊びました。  わたしたちが年をとるのもしあわせなこってす。    

 9月になりました   (2013年9月4日)

 今日の米良は朝から青空でした。風も良い具合に吹き、涼しい一日でした。    8月は、延岡学園の横瀬投手のお父さんが銀鏡出身ということで村のみんなが応援 しとりました。決勝戦の日は、住民が集まってテレビ応援しらいたげな。  毎日暑い日が続いてえらいことでした。26日じゃったかいなあ、小一時間ほど真向 かいの「ヒゲさん」の山が霞むほどのどしゃ降りでした。小降りになり、川音とミン ミン蝉の大合唱がなんともいえんかったです。畑の作物が生気を取り戻して良かった です。気温26℃、肌寒く感じられるわが家でしたが、そんうちに薄日がさして来て蒸 し暑くなりました。息子が藤のツルの誘引と前の畑の草取りをしてくれました。それ からも芝刈りと目立った雑草の刈り取り作業などが続きました。    9月になり、連日各地の水害、竜巻といった大変なニュースが流れています。  どうか天気が落ち着くとええもんじゃと思うております。

 暑中お見舞い申し上げます   (2013年7月28日)

毎日暑いですねぇ。 私も爺様も元気にしております。 25日の健診結果は異常なしでした。 定期通院の前後は、まとまっての行動じゃもんですから銀鏡を出っときから慌しいです。 宮崎に着くと、娘が私を二箇所の病院に送迎してくれました。爺様は息子が送迎してくれ ました。 滞在中は、子供たちの手料理で会食しました。いたれりつくせり。上げ膳据え膳ありがた いこってす。爺様は散髪、私にはカットを娘たちがしてくれました。爺様はもう長い事、 娘が専属でやってくれています。部屋に居て、子供たちと話しながら(まあ〜おかしゅう てならんなるとよ)、笑うたんびに姿勢を戻されてなあ。それがまたおかしゅうなってた まらんと。自由な中で、まぁこてしあわせなこっちゃ。 ここにいるときは眠くなるのが早いです。うれしさもダレ(疲れ)も一緒になっちゃなぁ。 銀鏡に戻ってからのことは、息子がやってくれるので安心もあっちゃな。 米良の畑は電柵設置のおかげで安泰です。猪の侵入はありません。1万ボルト効果じゃな。 ここに来る前夜、サトイモ、キュウリ、ナス、トマト、シシトウ、ラッカセイに散水機で 水を与えてくれました。25日は夕立があり、いよいよ夏枯れは逃れること間違いなしばい。 それからも米良地方は夕立が予想されており、こちらも有難いこっちゃとおもうとります。 7月中に、もう畑四枚の残存雑草(ジシバリ)の根こそぎ除草作業と除草剤施用不可場所にあ る電柵線の直下に防草シートを敷く作業を済ませる予定でおります。 8月はソバの播種を終えたいとおもうとります。 間に上揚区の林道の草刈り(共同作業)があります。 宮崎銀鏡間を行き来する息子がこんげいうて 私の心配を軽くしてくれました。 「おふくろ、心配ないよ。漆黒の闇を走ると、星、月、満月の山波と雲の陰影、大小の動物 達との遭遇あり、銀鏡発米良街道夜間走行は贅沢沢三昧だよ。飽きないよ」。

 小雨の中を (2013年6月18日)

 ここ数日「電柵」の取り付けを息子がやってくれています。  天気を見ながらの作業なもんですからなあ。今朝6時から始めました。  午後からは雨が上がるごとあります。夕方の6時ごろまで続けてやるそうです。    足元は濡れているし、なにより時間がもったいないと言いましてなあ。息子も爺様もお昼 ごはんを「ドージ」(ドジ 土間のこと)で食べると言うてならんかったです。支度ばしと るところに千葉の娘から電話がかかってきていろいろ今日の「電柵取り付け」のことも話し ました。(ホームページに書くちゃろうと思います 笑)。  イノシシの被害については、「かわいそう〜かわいそう〜」ばっかし言うとりました。 「母ちゃんがせっかく作ったとにねえ。兄ちゃんが加勢してくれたとにねえ。イノシシもか わいそうだし」となんかわけのわからんこと言うとりました。  まこと、わたしたちが難儀して(それでも娘や孫たちと一緒に収穫すっときの楽しみで帳 消しになっとよ)植えた「サトイモ」「カライモ」「ジャガイモ」がですよ、三分の二もや られていました。村のみんなが言う通り、今年はイノシシがまこて多いです。  父の日の子供たちからの電話や手紙に爺様は元気倍増しとります。今日は娘と電話で話し ながら、そん娘に書いた手紙を持って話しとりましたがあ(笑)。明後日になれば娘のとこ ろに着く手紙です。 「父ちゃんの声、ようきこえるよー。ありがとうね。届いたら拝読させていただくことにし て〜、ほかんことも聞きてえばあい」ちて長いこと語っとりました。  畑は、そういうことでイモ類の他は、まあまあ順調に育っています。

 五月晴れ (2013年5月20日)

 5月12日は子どもたちが銀鏡に上がってきてくれました。  午前中は畑作業を一緒にしてくれてなあ。落花生の種をまきました。  部屋もりっぱに掃除してくれました。  お昼は、娘が用意してくれた手作りのご馳走をいただきました。  私は子供たちからのプレゼントをみんなにみてもらいました。  爺様は「そら、なんかい?」「ああ、ええねえ」と感心ばっかししていました。  まこて、子どもたちが普段から私のことをよーみてくれっとっちゃなあと  涙が出るごとありました。  孫が手作りのケーキをプレゼントしてくれました。  「感激しすぎー」孫がそういいながら私の肩をやさしくもんでくれました。  みんなで笑い転げるようなことがありましたが、今回は思い出にとっておきます。  今、畑には、エンドウ豆、里芋、ナス、しそ、トマト、しし唐辛子、ピーマン、ニガウリ、  小松菜、春菊、ネギ、ミョウガ、トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモが植わっとります。  ハーブも何種類もあって名前をなかなかおぼえられんもんじゃから名札を付けました。  指差して「○○です」と答えとっとですが(笑)。    困っていることは「イノシシ」とのいたちごっこです。  ほとんどの家が『電柵』にしちょりやります。  わたしんとこは金網を張り巡らして、くぐれんごつ工夫してきたっちゃけど、  イノシシは夜行性ですからなあ。なんどもなんどもやられました。  そのたんびに網を張り直してきました。  かわいそうじゃっちゃけど、まこてすまんことじゃけど   とうとう、わたしんとこも『電柵』を取り付けることにしました。   五月の銀鏡は石楠花がまこてきれいばーい。  

 小春日和 (2013年2月2日)

本日は、脚本家で歴史にも詳しい方の講演があるということで、爺様は、 自転車で小春日和の中を猛スピードで下って行きやりました。 「ユーモラスな翁姿を撮りたかったのに〜」 娘はデジカメを取りに行くのが間に合わなかったちゃげな。 廊下からその雄姿を眺めながらわたしたちは転げて笑いました。    家の前の川です。      千葉に居る娘にやっと銀鏡の山茶を送る事ができました。 普段は、山の駅「銀鏡」に置いてあっとですが 売り切れてしもうとってなあ。 あっちこっちに電話をしたら自家用にもっとりやる人がおりやりました。 まあこと 娘が喜んでくれました。  明日は節分じゃなあ。   

 村の祈念祭と西都市長選挙の日 (2013年1月27日)

 27日は祈年祭の宿へ8時に集合じゃったもんですから娘に送ってもらいました。  市長選挙の日でしたから銀鏡の公民館で投票をしました。    それからは村のみなさんと昔話などしてなあ。  まことしみじみとした時間じゃったばい。  3時すぎ頃に娘と孫が迎えに来てくれました。  土産に「ヘソ飯と炊きこみと膾」を娘に渡したら、記念に写真ば撮ろうってなってなあ。  こん日の祈年祭の宿の盛り付け通りにしてなあ。家の器に移してくれたっちゃが。  撮るのに皿が重なってしもうたふうじゃった。       そういえば、混ぜご飯のヘソ飯のことになると、長女が言うとですが。  「わったちが子供んときは・・・」ちて。  「庭で炊き出しをしているおばさんたちが子供たちみんなに声を掛けてくれたとよ」  「オコゲをくれやったとよ。混ぜご飯のお握りのときは、みんなでワーイワーイしたとよ」  あんころの子供たちが 今じゃ60〜70歳くらいですからなあ・・・。  まこと しみじみしたこってした。  

 新しい年 (2013年1月20日)

 本年もよろしくお願いします。  今日は天気も良くて なんかゆったりできる日でした。  私の誕生日が こげなええ天気で、街から孫と娘も来てくれました。 体の調子はまあまあですが気持ちは元気にしております。専門医の診断で腰部脊柱 管狭窄症ということで薬を飲んで、診察も定期的に受けています。煮炊きや洗物は 椅子に座ってやっています。爺様と私ふたりの食事ですから不便なんて言うたらと んでもないこってす。なれてきましたばい。 1月は神事から始まり、それからも次々と行事がありました。  畑は春を待っちょります。     育てていたツツジの苗木(1m大×8本)を 息子が土塁に穴を掘って移植してくれました。   24日は防火祈願祭です。 27日は上揚地区行事の「祈念祭」です。30数年前の祈念祭は、 芸達者な人が多かったので、踊りや歌や寸劇などそれは賑や かなものでした。だんだん人が少のうなってきましたから、 年に一度の宿を順番にしていくことが困難になってきました。 ちょうど一巡しましたので今回でこの行事はさいごになります。 昔は特に地区の子どもたちが喜んで食べてくれていたヘソ飯もさいごになるとです。 爺様が27日の祈念祭に使う薪を切っています。 さいごの祈年祭の宿になるお宅に持っていくと言うてなあ。 宿のお宅には三つのかまど(古墳のようにお椀を伏せたような土づくりの)があります。 生木なので直ぐには使えんとです。 陽の差す玄関前に「井」の字に組んで寝かしやったげな。  ハッスルぶりを娘が写真に撮っちょりますがあ。   

 イノシシよけの網の手入れ (2012年11月21日)

11月14日に狩猟が解禁されてなあ。 途端にイノシシは山奥に退散したばい。  しばらくは安泰じゃろう。   5月、9月と網張りをしました。 張り終わったときはまこと嬉しかったもんじゃー。 しばらくして もうイノシシの鼻で芋をやられました。 「おふくろさん こんどは高さを40センチ下げて網をたらそう」 「イノシシの蹄を網に絡めて忌避させるようにしてみる本来の仕様に改善しよう」 息子がそげいうとります。わたしもそれがええとおもいました。 たすかるばーい。 14日はTさんの参加チームが早速一頭を仕留めやってなあ。 感謝しつつ今朝猪鍋を食べました。 銀鏡の11月はもうすぐ銀鏡神社新嘗祭(にいいなめ)。臼太鼓踊りがありますばい。 朝晩 さむうなりました。 風邪ひかんごつ みんな気をつけんとなあ。

 雨止んで (2012年7月7日)

    今朝はこんな感じで緑が滴っています。  畑も花も元気が戻ってきています。    ヒメオウギズイセン? じゃったですかねぇ?      今日は予約していた町の病院へ 朝八時にうったちました。  アスファルトを歩くと下肢に痺れや痛みがでるもんですから整形外科専門医に診てもらいました。  診断は、脊柱管狭窄症(腰部脊柱管狭窄症)でした。  まこて早く診てもらって良かった!!  ほおっておくと手術しなきゃあならんかったげな。  薬で治療できると聞いて安心しました。    帰りに娘と孫と西都原でランチをしました。  「このはな館」がリニュアールしていて、ランチが素晴らしく美味しかったです。    

 大雨 (2012年7月3日)

 雨がまこち多いです。    九州北部の方たちが大変な思いをされていることを思うとります。  宮崎は今のところ大丈夫です。銀鏡も大丈夫です。    6月の雨でじゃがいもが水浸しになりました。トマトは全滅でした。

 5月のことでした。茶畑が畑に変わりました 

 5月になったら、前から計画していた畑作りをちゃんとしたいと思うとりました。  それまでお茶の木が枯れるのを待っていました。堅い木ですから枯れるのに時間が  かかりました。この畑は100坪くらいあります。そのうちのほんの一部を先に耕  して、大和芋とかそういった蔓性の芋を植えたり、お花を植えておきました。  4年ぶりに帰ってきた娘が「耕す前に写真に撮っておきたいわ〜」と言うもんです  から「じゃあね。ええよー」と答えたら、それはえらいことたくさん撮っとりまし  た。夜になってみんなで見ました。デジタルカメラを持ってこなかったことをまこ  て残念がっていました。  耕す前に、ケイタイで撮ったのが下の写真です。 前の山のシイの花がやちもねえ咲いとるのをまこてびっくりしとりました。  私もこれほど咲いとるのをみるのは何年ぶりかしらん。  こっちではシイの実のことをコウジと言います。コウジはイノシシの好物です。               息子が石を取りのぞき、娘は枯れた茶の木の根っこ、枝、石も拾ってくれました。         私は草を抜きながら石拾い。草は学名はわからないけれどとにかく繁殖がすごいってすが。         掻き集めた木の根っこや枝や草を爺さまが灯油をかけて燃やしてくれました。      耕運機の使い方を息子に教えてもらいました。  私も爺様も生まれて初めて耕運機を運転しました。しくみから教えてもらいました。         最初は爺様から。ゆっくり丁寧に運転しています。なかなか上手ばい。  私は勢いがありすぎると言われました。ブレーキのかけ方、回るタイミングを何度か教わりました。    な〜〜ん ちゃんと言われたとおりにすればできるっちゃなあ。  面白くてまだやりたがるもんじゃから爺様は笑い、息子は褒めてくれるし、娘はケイタイで撮るしで、  まこておもしろかったです。    娘はとうとう一度も機械にさわらんかったです。運転をおじがっていました(笑)。                ああ〜 おかげできれいになりました〜    娘と家の裏でフキを採りました。娘が好物なのはわかっとっちゃけど大鍋で煮付けたのにはひったま  げました。食べきるのに3日ほどかかりました。さっぱりとした味付けじゃったから飽きんかったです。     

 畑始動 (2012年3月24日)

昨日の雨が上がって まこち気持ちのええ朝です。 土がやわらかくなりました。 明日は、猪よけの網張りをします。