そらまめの日記10


    大晦日  2013年12月31日

 くろまめの年賀状を出しがてら、いつもの散歩コースへ車を走らせる。地元の郵便局は 窓口にシャッターが降りていてATMのみが使えるようになっていた。外のポストに投函する。 外は風がなくあたたかだ。結構な数の釣り人がのんびり竿を伸ばしている。オオバンが増え てきた。暖かいのでオオイヌノフグリが咲いていないかと車を走らせる。例年群生している 田んぼの畦にはまだ咲いていない。田んぼの畦は他の強そうな植物との競争が無いようで ご安泰と思われる。南にやや傾斜して日当たりの良い場所をさがしてみるとブルーの花が咲い ていた。傍にはホトケノザもあったが花はまだ蕾だった。おだやかな天気で工事現場も正月休み にはいっているため、遠くから犬の鳴き声とカラスの鳴き声が聞こえてくるのみだった。

 年末は母の入院、退院で生活スタイルが変わった。介護用ベッドや訪問診療、訪問看護の手配。 リビングと隣の部屋の壁を取り外し壁紙を貼り替えてきれいにした。陽の光が相乗効果で差し込む ようになって良かった。食欲は回復した。家の中で介助しながら歩行訓練をしている。医療や介護 に携わるいろいろな人にお会いしたが丁寧でプロフェッショナルな対応に感動している。

 最近は懐かしのメロディーの番組が嬉しい。昔は、「花の東京」、「憧れの東京」、「銀座」、 東京からふるさとを思う、帰ってこいよなど、ほどよい「憧れの傾斜」があったように思う。 「傾斜」は追いつかれて平らになる。「ほどよい憧れの傾斜」を保つのは必要と思うが難しい。 私は人に感動の涙を短時間で流させるのは詞とメロディの合体した「歌」だと思っている。詞の 行間に人生や愛情を織り込み、それを増幅するようにメロディーの抑揚が感情を刺激する。あまり 内容に具体性のないほうが自分の感情移入がしやすいのだろう。歌ではないがNHKの「小さな旅」、 これも感動する。母と娘、夫婦の組み合わせが特に良い。父と息子、若い娘の友人同士という組み合 わせの旅はいまいちなのではないだろうか。働きづめで生活してゆくのに精一杯だった母や配偶者に 旅を贈るのである。BGMの中で手紙を読み上げる。独特の抑揚は数行読むだけで歌よりもはやく脳 の中枢を刺激する。

 来年も家族、親戚が健康で、美味しいものを食べて面白おかしく過ごして生きたい、そして 友人たちと楽しい時間を過ごしたいと願うばかりだ。たいした目標はない。

    我が家のホームページ  2013年12月19日

 我が家のホームページを作るようになってかれこれ13年ほどになる。当初は娘がホーム ページを作っていて、パソコンの操作法を「くろまめ」に伝授していた。くろまめは時間単位 で教授料を払っていた。娘のホームページは大学を卒業する頃には自然消滅した。

 私(そらまめ)は、『はじめて作るホームページ HTML編』という本を買って作ること にした。購入したデジカメで景色や友人の工芸作品などを撮ってアップした。その頃は車であち こち出かけるのが趣味だったので旅行記のようなネタも結構あった。これらの写真や文章を HTMLで記述すると、想定したとおりのホームページの構成になるのが面白かった。思った とおりの画面構成にならずに崩れてしまうことも度々であったがこれもまた間違い探しの 楽しみがあった。人間の感情や自然現象においては想定できないことが起こるのが常であるが ソフトウェアの世界は記述したとおりの結果が現れるので、期待どおりの画像が現れなくても ”必ず”どこかに間違い(バグ)が隠れているのである。ゆっくり”間違い探し”をしても 必ず隠れているバグにたどり着くという安心感がある。バグを直して期待どおりの画面になった ときには結構な満足感が得られる。人間界だと間違い探しをしている間に相手が発言を取り消し たり、原因をもみ消したり、逃げ回ったり、安心して追求できないのである。

 電話の回線は当初ダイヤルアップで接続していたのでホームページをいじっている時には電話 が掛からなくて不便であったが、技術の進歩で両方同時に使えるようになった。コンピュータ技術 の進歩でディスクの記憶容量が飛躍的に増え、しかも安価になったので、無料で多くの画像を 利用できるようになったのはありがたい。

   時間が経過するとともに物事は複雑になってゆくものらしい。カウンターが11111とか 22222とか区切りの良い時に記念に画像を保存しておいた。昔のホームページの画像を 見るとだんだん複雑になってきているのがわかる。友人たちが参加してくれて相互鑑賞の場や 消息確認の場になってくれるのが嬉しい。

 畑の様子、景色や料理をデジカメで撮り、くろまめと光の方向や色の出方を検討する。夫婦間 のコミュニケーションツールである。

    冬至近し  2013年12月17日

 毎日快晴で部屋の中に居ると日中は温室のように温かい。暖房の費用がかからなくて気持ちが 良い。夕日の沈む頃には急に室温が下がる。毎日夕日の沈むのを眺めていると太陽の沈む位置が 移ってゆくのが実感できる。いよいよ冬至が近付いてきたので沈む位置がかなり左にシフトして いる。夕刻になると夕日を反射しながら飛行機が3機、4機と小さく遠ざかってゆくのが見える。 風の強い日は遠くの丹沢や富士山の近くに乱気流があるらしく夕焼け雲が複雑に乱れている。 スカイツリーの見え方は空気中の水分の乾燥度の目安になる。

 くろまめの髪が最近伸びてきたなと思っていたら今日は短い三つ編みが2本下がっていた。 ジャガイモを食べている姿を見るとアンデスの山岳地帯をスカートをはいて走り回っている インディオの女の姿にそっくりだ。丸い帽子を被っていなくても紫外線に焼けた顔の色が さらにアンデスの女を連想させる。本人も自覚し面白がっている。「アルプスの少女ハイジ」 ならぬ「アンデスの少女?くろまめ」か。

 夕日を眺めるときはラジオを聞いていることが多い。歳とともにNHKの話のテンポが自分に 合ってきた。都会に住むようになってからは電波が安定しているが、地方にいた若い頃は フェージングで音が歪み大きな周期で音量が変わるラジオに耳を付けるようにして都会の放送 を聞いたりしていた。電離層の存在を意識したきっかけにもなった。ステレオ放送がまだ実験 段階でラジオを2台離して置いて片方をNHK第一放送に、他方をNHK第二放送に合わせ、 左から右に通過してゆく車の音に驚いたものだ。まわりに自然はたっぷりあったが、ラジオの 中の真空管や電子部品のエレクトロンの振る舞いの面白さに自分の脳はかなり刺激され、その後 組み立て直し音を出したり電波を出したりした。

    壁紙の張替え  2013年12月12日

 リビングと隣の部屋の壁を取り除く工事を行ったあとがむき出しであったが、今日は 壁紙の張替え工事だ。現状の壁紙を剥ぎ取り、磨き、その後機械を持ち込んで新しい壁紙 に接着糊を付けて午前の作業は終了した。固定ローラーのような機械に押しボタンから 長さを設定すると自動的に壁紙に糊がつけられ、さらに薄いナイロンのようなものが添えら れて出てくる。まるで大きな「サロンパス」のようだ。それが設定した長さで止まるので 職人さんがカッターで切り取り束ねておく。午後からは貼りつけてゆく。つなぎ目はほとんど わからない。昼休みの間に適度な水分を含んだのか多少のシワは時間とともに消えた。電気の コンセントやインターフォンやガスの取り出し口を一旦はずしてやるのが大変そうだ。 最後は床に近い部分に「ハカマ」のような帯を貼って終了。私が独自にコンクリートに直接 ペンキを塗っていた部分については接着剤が剥がれ易いとのことで今回の工事からは除外さ れた。きれいになった壁紙からみるとヨゴレが目立つ。またペンキの上塗りをしよう。

 部屋の中の工事となると家具の移動、壁飾りの移動、ほこり防止の袋かけなど必須であるが くろまめとの間でやり方の違いが出てくる。結局はくろまめの主導でことが進んでゆく。 掃除があるごとにくろまめの地位が少しずつ上がってゆく。

    母の入院  2013年12月8日

 10月末の母の入院。病院が近いので朝、昼、夜の三食の食事時には訪問して傍に居る。 朝は目覚ましでラジオのタイマーを6時半に設定し何十年かぶりにラジオ体操の歌を聞く。 実際には6時半どころか数時間まえに目が覚めてしまう。頭の中の想像はさえぎるものが無く どこまでも発展する。いっそ起き上がって現実の世界のほうが楽だ。少しでも良くなっていく ものを思うのは嬉しい、衰えてゆくものを思うのは哀しい。病院では心拍や心電図のモニター があり体が動くと波形が乱れ警報音が鳴る。問題の無い警報音が鳴ることも多いようだが ピンポンピンポンと鳴るとドキッとする。今まであまり意識しなかったが口から食料が入り 尻から滞りなく排泄されることの重要さをあらためて認識した。リハビリの要員は若い人が 多く、やはり男の患者には女、女の患者には男のリハビリ要員が自然に見受けられた。 食事が出来ない老人たちに食事をさせる看護師さんたちは幼児に離乳食を与えると同じように 「母性」というものを感じた。

退院後の部屋を作るために業者にリビングと隣の部屋の壁を取り除く作業をしてもらった。 壁が取り除かれるとふたつの部屋にあたたかい午後の光が相乗効果でふりそそいだ。 ゴミが撒き散らかされないように工夫された工具を持ち込みプロの技で、見積もりの金額 がとても安く感じられた。その後掃除をして介護用ベッドを搬入設置してもらった。

 色々な介護にたずさわる人たちに多数お会いしたが皆親切でプロの知識があり好感が持てた。 国の政策が関与するので小さな物件でも立派な契約書が必要とのことで、何十箇所も住所、氏名、 印鑑をついた。


    台風27号  2013年10月25日

 ケータイから聞きなれないピロンピロンという音が聞こえた。何事かと思い開いてみると この地域に避難所を開設したというエリアメールだ。自主避難所というが今のところ雨も風 もなく静かだ。数年前の大地震の後は余震警報のたびにブオッブオッというけたたましい音 が鳴って恐ろしかった。やはり緊急度に応じて音も変えているようだ。くろまめのケータイは 鳴らなかった。マニュアルを引っ張り出して読んでいたがエリアメールの通知がオフになって いたようだ。どうせ鳴っても難聴気味で聞こえないかもと言いながらオンにしていた。

 例のごとく台風27号の動きをパソコンのレーダー情報で追いかけてみる。偏西風に乗って 急に進行方向を変えたのは予報どおりだ。雲の渦巻きが崩れかかっても中心気圧を低く保って いるのはやはり海水温が高いせいと思われる。28号と近付いてきたので雲の渦どおしが打ち 消しあって互いに弱まるのではと推理しているが学術的な根拠は無い。回っているベーゴマが ぶつかると止まってしまったりするなどの視覚的、感覚的な推理に過ぎない。

 小さい頃から人工衛星がなぜ地上に落ちてこないのか考えていた。もちろん色々な学術的な 数式はあるのだろうけど「全国子供電話相談室」的に考えたいと思っていた。そのとき閃いた のが馬の背中に竿を結びつけて人参をぶら下げるという、いくら走っても人参にありつけない という例の話だ。これと同じように人工衛星は落ちて行くのであるが、地球は丸いので落ちる 先の地面が同じように下がってゆく。人工衛星は落ち続けるが人工衛星から見た地面も下がり 続ける。気がつくと地球を一周していたという感じではないだろうか。人工衛星と地面が一緒 に落ち込み続ける結果、地球を一周している。これも全く漫画的な発想だが子供たちへの回答 になるのだろうか。

 窓を開けてみたら静かな雨が降り出していた。


    板橋宿を歩く  2013年10月12日

 昨日の強い風もおさまり良い天気。午後から気温が下がるとの予報であるが暑いぐらいだ。 我孫子駅で「あびこガイドクラブ」の皆様と合流。板橋へ向かう。まずは「志村の一里塚」。 一里塚については前回の東我孫子の散策のときにも立ち寄ったが、やはり榎(えのき)の 立派な木が茂っていた。榎の漢字は「夏に茂る葉が木陰をつくる」という意味があるとのこと。 昔の旅人に木陰は嬉しかっただろう。

 現地では街中を歩くので4班に分かれ「いたばし観光ボランティア」の方々にガイドを していただいた。「縁切榎」は封建時代に自ら離縁することが許されなかった女性が 榎の樹皮を茶や酒に混ぜて飲ますと願いが叶うと信じられていたとのこと。現代でも別れたい 旨の書き込みのある真新しい絵馬がいっぱいぶら下がっていた。皮を剥かれないように保護さ れた木の、さらに上のほうの皮が剥かれた跡が新しかった。近くには板橋区の名称の元になった 橋の「板橋」があった。度々の洪水の対策のため流れを変えて建て直したという「板橋」は車社会 の到来で平らなコンクリートの橋になっていた。

 旧中山道は現代の道路としては狭いと思うが当時は立派な道路だったと思う。ゆるくカーブ する道の両脇に仲宿商店街がある。色々な店が並んでいて歩いていても楽しい。自転車と人が多い。 昔は宿場があったが高級宿街と安宿街に分かれていて、馬喰たちはもっぱら安宿に泊まり博打を したり喧嘩をしたりしていたが役人たちは強く取り締まらなかったとのこと。強く取り締まると 馬関連の人たちが逃げ出し、宿場町を通過するお偉方のために馬を揃えなくてはならないときに、 それができなくなるからとのこと。いつの世も同じような構図があるものだ。当時、街道を行く 馬たちは蹄鉄ではなく「わらじ」を履いていたらしい。わらじがぼろぼろになるのが丁度10キロ を歩いたぐらいで、その間隔で宿場があったとのこと。使えなくなったわらじを集める商売もあり 畑の肥料になったとのことである。

 幾つかのお寺や神社を回った。いずれにも歴史的な人物の足跡や逸話が残っている。空襲で焼けた というイチョウの大木が元気だった。裏に回るとまだ痛々しく焼け焦げた跡があった。昔は大きな 境内で大きな縁日があったところも縮小されているとのこと。都市化で消えてゆく歴史の最後の砦 がお寺や神社なのだろう。


    ホタテを食べる  2013年9月30日

 生きた貝が食べたくなって鮮魚店に行った。ホヤがあればベストだが三陸の津波の 影響でここ数年は見当たらない。先日、銀座のガード下でホヤのお品書きがあったので 注文したら見慣れない色も黒ずんだアカホヤだった。鮮魚店でもたまにアカホヤを見た ことがあるが、やはり食べなれたイボイボのあるマボヤでないと買う気がしない。

 殻付きのホタテが並んでいる。片側の殻を取り外し貝柱が露出しているものもあるが、 サラシモノのようで気の毒だ。やはりこじ開けるところからスタートしたいので両面殻付き を購入する。調理するときに水をかけると油断して5ミリほど開いていたものがピッチリと 閉まった。ヘラは入れにくくなったが元気な証拠なので少し嬉しい。蝶つがいの脇が少し 開いているのでそこからヘラを滑り込ませ、一気に貝殻と貝柱を分離する。私はこの作業を するときにいつも「アンフェア」という言葉が思い浮かぶ。貝殻をこじ開けられないように 鍛え抜いて大きくしてきた貝柱。それと真っ向勝負をしないで貝殻の付け根を攻めて外す。 これは力相撲をしようとして立ち上がったらハタキコミにあったようなものだろう。

 貝柱とヒモとワタに分離する。ワタは捨てるがヒモは美味だ。前回はヒモの折りたたまれた 間の「ヨゴレ」が気になり塩で揉み洗いすぎたため旨みが逃げてしまった。今回はホドホドに 洗った。磯の香りはヒモのほうが多くビールのツマミには良い。貝柱もコリコリ感を堪能した。


    19℃になった  2013年9月26日

 台風一過とはいえないコースで台風が去った。北の空気を引き連れてきたらしく、只今 気温19℃。数週間前には日本中35℃を越える暑さで、「そのうち急に涼しくなって、 この暑さが懐かしくなるよ」などと笑いながら冗談を言っていたのだが、まさしくそのよ うな感覚だ。これまでは家の小窓を開けて風通しモードであったが今日は小窓を閉めて 暖気温存モードだ。

 畑は種からの発芽のオンパレードで動物園の動物の出産シーズンのようだ。ターサイ、 紅菜苔、からし菜、ホウレンソウ、人参、紫タマネギ、シュンギク、小松菜、小カブ、 下仁田ネギ、ダイコンなど。ラッキョウは順調に葉を伸ばしている。ニンニクも小さな 芽を出していた。安納いもを試し掘りしてみたら小さな白い皮の芋が出てきた。ナスは 枝をカットしたのでまだまだ花が続いている。ダイコンの抜き菜、小松菜などが食卓に のぼる。車のウィンドウを開けっ放しにしていたので蚊が入り込み、走行した風の流れで 出て行ってもらおうとしたが、なかなか出て行かない。久しぶりの動物性タンパク質に ありつこうとして必死なのか。

 アウトレットで家具を買い無料で配達してくれるとのことだが、すぐに持って帰りたい ので待って分解してもらった。車の後ろから入れて天井の下を滑らせ運転席の上まで使い 何とか納まった。ちょっと首をすくめながら持ち帰った。新しい家具を組み立てたり配置 を変えると、しばらくは新鮮な空気が家の中に流れる。「くろまめ」も機嫌が良い。

 海炎窯の展示会があり出かける。何種類か購入してさっそく使ってみた。これまでと同じ 蕎麦を茹でて食べているのに雰囲気ががぜんアップする。配置を考えたりして「くろまめ」 はまたまた機嫌が良い。海炎窯の器は「くろまめのスローフード」の中でこれまでも登場 している。

 自分の日記の1997年のところがすっぽりと抜けていた。昔、JRの「フルムーンの旅」 をしたときの記録や写真も見当たらないので「写真箱」を引っ張り出してしらみつぶしに探した。 結局3回目の「捜索」で写真が見つかり1997年であることもわかった。3回も膨大な量の 写真をみたのでこれまでの半生を早送りでみたことになり何か頭がボーッとしてしまった。 自分の若いときの写真は痩せていて神経質そうな表情であまり見たくはないものだ。家族は 色々な状況、場面を一緒に過ごしくぐり抜けてきた「同志」という感覚になってきた。 時々は「くろまめ」の若い頃の写真を見て「リフレッシュ」しよう。


    木製ラックを作る  2013年9月15日

 未明から断続的に強い雨。台風の影響と思われる。これほどまでに降ると蒔いたばかりの 畑の種が流されるのではないかと心配になるが基本的に真っ直ぐに降る雨は大好きだ。

 昨日は「あびこガイドクラブ」の皆様と散策した。一里塚の歴史、地名のいわれ、神社の 造りなど説明を受けながら路地を歩く。ガイドは交代で、それぞれ得意分野があるらしい。 路地を歩くと家々の庭の花が気になり畑があると野菜の生長具合が気になる。植物に詳しい かたが周りの草木の説明をしてくれる。街中のウォーキングのつもりで半ズボンで参加したが 林の中を歩いたときは生足が飢えた蚊の集中攻撃にあった。クラブの皆さんは慣れていて長ズボン であった。くろまめは道端の「洋種山ゴボウ」の実を採取した。私の指も紫色に染まった。 家に帰って染色の実験をしていたが「たんぱく質」が染色されやすいということでシルクは紫色 に染まったが木綿は染まりにくいようであった。爪や皮膚は「たんぱく質」なんだなあとあらた めて認識した。

 本日は木製のラックのパーツを買い求めた。高さが180センチ、幅が130センチの5段だ。 店の人が「これだけのネジをしめたら腱鞘炎になるかもしれないので電動ドライバーをお勧めします」 とのことであった。帰りがけに一応電動ドライバーを試してみたが使いにくいようなのでやめた。 在職中に知合いだったFさんとバッタリ出合った。エレクトロニクスの業界だったがグループホーム を始めるとのこと。当時それぞれ付き合いのあった海外のメーカーのロゴ入りのポロシャツを着ていた ので指を差し合って笑った。海外のポロシャツはサイズが大きいので重宝している。

明日は台風が来るとの予報であるが今は風も無く蒸し暑い。開け放った窓からはコオロギの声が 聞こえてくる。ラックの組み立てに汗はかいたがキリを使い腱鞘炎にもならずにきれいに仕上がった。


    8月のおわり  2013年8月31日

 「これまでに経験したことのない暑さ」もひと段落したようで朝夕は涼しい。窓から 見える田んぼは黄色く色づき若い稲の甘い香りが漂ってくる。数週間前の暑さの時には、 世界の暑い地方での午後の昼寝の習慣が理解できた。ベランダにヨシズを立てかけた。 日陰で光の足りなくなった鉢植えの植物が徒長気味だ。競争の激しい自然のなかでは 光が当たらなくなると死活問題で少しでも背の高さを高くしようとしているのだろう。 光の当たらない側の茎がより徒長して、結果バイメタルのように茎が日光のくる方向に 傾いてゆくようだ。自然の仕組みに感心する。気象庁の「これまでに経験したことのな いような大雨」という表現も、こうも立て続けに大雨が続くと経験しつくして死語になって しまったようだ。

 日本の新型ロケットが、0.07秒の信号の遅れで打ち上げ延期とのこと。0.07秒は普段の 生活のなかではとても短い時間だが、エレクトロニクスの世界ではものすごく長い時間だ。 電線や光ケーブルの中を信号が伝わってゆくときは、0.07秒でおよそ2万キロメートル進む。 地球の裏側まで到達する時間だ。伝送経路の途中に挟まった電子部品の劣化による遅れか、 ロケット内部のコンピュータと地上管制部のコンピュータの信号の受け渡しのズレがあるの だろう。

 「想定外」という言葉を最近よく耳にする。大きな天災や事故、今回のロケットの打ち上げ 失敗などのときに記者が当事者側に「想定外ということですね」などと詰め寄っている。 当事者側も「想定外です」というと更に追求されると思っているらしくゴモゴモごまかしている。 私はこの状況にいつも違和感を感じている。「想定外でした」と言ってしまえば良いのにと思う。 実際、想定外だったからトラブルが発生したのは事実であり、もしくは想定していても予算の関係で 実行できなかったのかも知れない。新しいチャレンジには想定できないことがあり、それを克服し ながら世の中が進歩してゆくものだと思う。 津波が堤防を越えたとき、崖が崩れたとき、被害者が「想定外という発言はけしからん」と言って いるが「悪者さがし」であって建設的ではない。施設をつくるときには事故の発生する確率、予算 をもとにした「想定値」は必ずあるわけで、その土俵で議論して欲しいものだ。


    夏の終わりか  2013年8月23日

 日照りがしばらく続いていたが20日には夜になって大雨になった。雷もなり久しぶりの 雨に大喜び。雷が近くに落ちたと思ったら、めずらしく停電した。1分後には復帰した。 以前はいろいろな電気製品の設定が停電でリセットされてしまい再設定が大変だったが近頃は 手間が掛からなくなった。パソコンは正しく復帰するし書きかけのメールも9割かたは保存さ れていた。ここ数日は雨がふり畑には嬉しい。気温も少しずつ下がってきた。

 今夜は自分の腕をサラサラにさせる心地よい微風が流れている。実際1週間ほど前までは 湿気を帯びた温かい風が自分の腕で「結露」している感じであった。少し涼しくなると秋野菜 のことを考えるようになる。ガーデンセンターにてブロッコリーの苗、ダイコン、カブ、 ホウレンソウ、紫タマネギの種を購入する。店に来ていた農家の人と知合いになり、サトイモ の保存法などおしえてもらう。水遣りは夕方にやれば夜中12時間の間に根のほうに水分が 浸み込んでゆくが、朝、昼に遣ると乾燥してしまい根まで到達しにくいとのこと。2000坪 の畑をやっておられるとのことでナスやキュウリのこともいろいろ教えてもらった。

 ランチは「オソロク倶楽部」でピッツァとパスタ。ピッツァはモツァレラが旨いマルゲリータ、 冷製パスタや夏野菜のパスタ。アンチョビとガーリックの絶妙な味のバランスが嬉しい。レストラン の建屋の周りにはハーブや花が咲いている。食後は隣接する「森のアトリエ」へ。障がい者アート が展示されている。「くろまめ」は丹念に見て、しばらくすると大きな袋をぶら下げて出てきた。 なかには購入した線画や陶器の作品が入っていた。次の作品のインスピレーションが湧いたらしい。


    高村光太郎展  2013年8月14日

 またまた早起きして家族皆で畑へ。数日前よりも早かったのでさすがにサラリーマンの 通勤姿はなかった。インゲン、シュンギク、キュウリはお終いにして掘りあげる。カボチャは 1個をまずは収穫。ホースで水を蒔く。家の中はにトマト、ナス、インゲンがあふれている。 そろそろ秋の野菜を意識し始める。空いた畝に石灰、堆肥や鶏糞をいれる。雑草を取った あとに畝をたてると畑にアクセントが付き気持ちが良い。

 昨日は千葉市の美術館へ「高村光太郎展」を見に出かけた。美術館の駐車場は車の車高が 基準を超えているということで使えず、周辺の有料駐車場をさがし駐車。今まで光太郎の 本の中で眺めていたブロンズ彫刻や木彫が並ぶ。ほどなく待ち合わせていた友人夫妻と合流 した。木彫の文鳥は2羽が絶妙な距離と角度で並んでいるが、光太郎が展示方法として距離や 角度を指定しているのだろうか。晩年に十和田湖の「乙女の像」のあとに製作にとりかかり 未完のままベッドの側に放置されていた粘土の「倉田雲平像」を残された実弟の豊周氏が ブロンズ像にしたものが展示されていた。光太郎の大きな手で押された粘土の親指跡がいっぱ いあり、しばし見入った。智恵子の紙絵を展示している部屋は作品の変質を防ぐために少し 照明を落としていた。自分の油絵をあきらめた智恵子が精神を病んで療養所にいたときに光太郎 が持ってきた見舞いの果物や菓子の包み紙を利用しマニュキア用の鋏で切って重ねたりしたもの だが、いろの組み合わせ造形の面白さなど、シンプルな作品の中にすばらしい才能を感じた。 智恵子の紙絵に触発された妻の「くろまめ」は今「工房」にこもっている。

 ランチは美術館内のレストランで。車なのでノンアルコールのビールになった。透明な水や オレンジ色のジュースよりは雰囲気はでる。近況など報告しあい楽しいひと時となった。

    フィトンチッドの香る朝  2013年8月12日

 久しぶりに早起きして畑で水を撒くことに。車に向かう途中、空気の香りがいつもと違う。 深い森の中にいるような、これを「フィトンチッド」と呼ぶのだろう。夜のうちに吐き出さ れた木のエキスがまだ太陽にかき乱されない空気に満ちているという感じだ。アメリカやカナダ に出張するとホテルも会社も大概は森の中にあって松の香りに包まれていた。社員ひとり分 の専有面積も広くパーティションで仕切られていて、日本のオフィスとの環境の違いに驚い たものだ。

 畑は車で2分ほどのところだが途中にはジョギングをしている人、犬を散歩させている人、 バス停でバスを待つサラリーマンなど、それぞれの一日が始まっている。

 畑の周辺にはまだ人影がない。ホースで井戸水を徹底的に撒いた。畑の中にできた水溜りに ハクセキレイが寄ってきて水を飲む。しばらく雨が降っていないので喉が渇いているようだ。 蝉も寄ってきて私のシャツの腹の部分にしがみつく。これは水を求めているというよりは単に 背の高い止まり木をさがしていたものと思われる。長いホースを引きずり回すが野菜を倒さない ように気をつける。時々ホースが折れて圧力が高まり、つなぎ目から水が飛び出して被ってしま うがむしろ気持ちが良い。

 ニュースで「局地的大雨警報」が相次いでいるが我が畑に到達する前に積乱雲が消滅している ようだ。四国ではこれまでの高温記録を塗り替えたらしい。

    ペットボトルの水  2013年8月2日

 この暑さで我が家でもペットボトルの水の減り方が速い。ショッピングセンターでもカートの 中に1ダース単位の2リットルボトルが見受けられる。山の近くのきれいな湧き水を詰めている と思うがそんなに地下に水が流れていると思うと不思議だ。小さい頃住んでいた田舎では道端に 井戸の水が流れ続けているのは普通の景色だった。東京から赴任してきた先生が蛇口のないことに 驚いていた。そのような田舎の井戸の水も地下水が少なくなって蛇口が付いたと後年になって聞いた。

 現在もペットボトルの水の売れゆきが伸びるに従って地下水が減り、対策として休んでいる田んぼ に水をはり、浸み込んでゆく水で地下水が増えたらしい。きれいな雨でも田んぼの水でも土壌でろ過 されて地下の水脈までたどりつくのは同じであるが、どうも田んぼのなかで泳ぎ回るドジョウや カエルの卵やシラサギの糞などが頭の中でチラチラする。土壌のろ過能力を信じるしかない。

 富士山が世界遺産になり登山者が増えているらしい。登録前からトイレの設備が追いつかずに 垂れ流し状態と聞いていたが今後のことを考えると恐ろしい。山の中を流れている川が黄色くなって いるという話も聞いた。富士山に降った雨が何万年もかけてろ過されて麓に湧き出るという広告も あるが20−30年で湧き出るという説もあるようだ。「富士山のきれいな水」のイメージはどうなって しまうのだろう。何らかの方法で登山者の数を制限して自然のろ過作用が持続可能な状況にしておか ないと取り返しのつかないことになりそうだ。

    ありがたい雨  2013年7月31日

 畑に行ってみると雑草がすごい。数日来のたっぷりの雨で勢いづいたようだ。あまりのすごさ に雑草を抜かない「自然農法」ですとでも言わないと恥ずかしいほどだ。雨のおかげでサツマイモ の分家たちが復活した。前回見たときには葉っぱが枯れきって無残な姿であった。資料によると サツマイモのツルを挿すときは葉っぱがよれよれ状態のほうが根付きが良いので店でツルを買うとき は敢えて売れ残ったようなものを買いなさいとあった。今回は畑の本家のイモから切り取ったツルを 気持ち30分ほどおいてから分家させたので葉っぱが新鮮すぎて気になっていた。やっぱり扶養者たち が元気すぎると全体の死活問題になる。いずれにしても雨が降って良かった。

今月は暑かった。閉所恐怖症のため車のエアコンは普通は「外気」にしているがたまらず「内部循環」 にした。「内部循環」のほうが湿気が取れるので冷え具合が良いようだ。全国的に暑かったので 親戚との電話での話題も「暑さに気をつけて」となる。突然の激しい雨が多くなった。BS放送の電波が 弱くなり画面が乱れることもしばしば。空の上のほうで雨や氷で電波が散乱してしまうようだ。 「今までに経験したことがない大雨」という言葉が気象庁から出ていた。このような大雨が増えると 「経験」してしまって来年あたりからは使えなくなってしまうのかななどと余計な心配をしている。

    久しぶりの雨  2013年7月27日

 先日、図書館から借りてきた本に次のような記述があった。 「『働く』の反対語は『休む』ではなく『遊ぶ』だ。定年後は『働く』がないので『遊ぶ』しかない。 そして最高の遊び相手は自分であって他人ではない・・・」。60歳を迎える人のためのキーワード をとりあえず「遊ぶ・楽しむ・交わる・尽くす・悟る」とするが、これらを統括するもっとも重要な キーワードは「学ぶ」=「勉強する」とある。これには同感だ。

 久しぶりにまとまった雨になった。天気予報ではよく「・・・雨になる恐れ・・・」などと言うが これだけ日照りが続くと「恐れ」という表現は現実的ではない。待ちに待った雨だ。キュウリやトマト、 サツマイモ、ナス、サトイモなどの土がたっぷりと雨を含んでいくのが見えるようだ。

昼頃から積乱雲が出ていて期待いっぱいであったが夕方からの黒雲は南の方向からであった。 第一弾から第三弾までは南の方角から雷を伴ってやってきた。2時間ほど雨が上がったが第四弾は 北西方向からやってきた。どっちの方角からでも定期的に雨を降らす自然のサイクル。ありがたいことだ。

    クリーンセンターに行く  2013年7月16日

 昨日は少し涼しいので、かねてよりやってみたかった「開かずの部屋」の掃除をすること にした。よく見ると椅子の数が多い。社長風の椅子やらいろいろ。全部捨てることに。 昔、娘のために大枚をはたいて買ったヤマハのエレクトーンも捨てることに。先日ライティングデスク を分解したときに結構達成感があったのでエレクトーンも分解することにした。ネジの数が多い。 床に近い部分はやはり湿気が多いのかネジがさび付いて回らないのが多い。クレ556が活躍する。 操作パネルを外し、鍵盤を外し、電子部品の基板を外す。側板を外す。左右対称なので右側のネジ を外す手順が左側のお手本となるので楽だ。スピーカーが現れる。30センチの低音用を含む3個セット だ。40年ほど昔、オーディオ全盛の頃にスピーカーが欲しくて秋葉原をぶらいた頃のことを思い出す。 スピーカーだけは捨てずに残すことにする。最後にエレクトーンの型名とシリアル番号が書かれたシール を剥がして保存することにした。この辺は男特有の未練心かも知れない。

 ゴミの分類が不可能のようながらくたが溜まる。金属、プラスチック、木材、線材。クリーンセンター に運ぼうと台車で一階まで降りると、たまたまマンションのごみ収集車が来ていた。だめもとで収集が 可能か確認するとOKとのことなので大半はクリーンセンターに運ばずに済んだ。分別の自信のないもの を車に積み込み、初めてのクリーンセンターへ。

 順路の案内板に従って車を進める。受付で車を停めると、車ごと重量が測れるようになっていて 人も含めた総重量が表示される。その後車を進めると、木材、金属、ガラス、プラスチックなどが 仕切りで分かれていて対応する場所に捨てる。その後、最初の受付に戻り再度総重量を計る。差が 捨てたゴミの量になる。今回は30キログラムで471円であった。

 今朝も割り方涼しい。「開かずの部屋」に昔取り付けた「窓にはめるタイプのエアコン」があり 20年ぐらい電気を入れた記憶が無い。こういう場合は溜まったゴミが誤動作の原因になると思い 掃除をしようとネジを外すがどうしても開かない。開けない方が良いという「お告げ」かも知れない と勝手に解釈し外側だけ掃除、恐る恐る電気を入れる。何と表示が正常に点灯し冷たい風が流れてきた。

    食い合わせ  2013年6月25日

 ショッピングセンターの薬やさんの前をあるいていたら懐かしい「肝油」が売られていた。 肝油とくれば小学生の頃の夏休みに入る前に「夏休みの友」が配られるが、そのときに 肝油も配られた。肝油は有料だったような気がする。肝油の説明書を開くと必ずX脚O脚や 猫背の女の人の図が載っていた。この図は何年経っても同じ図柄だった。今の時代のように 年々目まぐるしくデザインや広告が変わるような時代ではなかった。

 学習帳にはだいたい「食い合わせ」の図表が載っていて腹を壊さないように注意書があった。 これは信じられていて家に帰ってもこれとこれは食い合わせだから食べないようにしようなど 話題にもなっていた。衛生状態が良くなったのか「食い合わせ」の表はいつの間にか無くなって いた。学習帳はパラパラとめくると割と簡単なもので「いつでもできる」と自分に言い聞かせて 夏休みの終わる数日前までは開くことはなかった。

 小さい頃の夏の匂いといえば蚊取り線香であるが、緑色の重たい「蚊帳」を引っ張り出したときには かび臭いような何か懐かしい匂いがしたものだ。蚊が入らないように裾をパタパタしながら急いで入り、 中から外を見たときには自分の部屋が出来たようでわくわくしたものだ。
 匂いといえば薬箱を開けたときの独特な漢方薬の匂いがした。「熊の胆」とか「ノーシン」とか緑色 の軟膏の「たこの吸出し」も入っていた。最近の薬は錠剤やカプセルで匂いが無くなった。

ネットで見つけた「食い合わせ」の図と「昔の薬」の図です。



    4Kテレビ  2013年6月22日

 久しぶりの晴れ間にベランダが賑わう。昨日収穫したニンニクを乾燥させるために広げる。 布団も干す。室内の草花も光に当てたくて外に出す。しばらくすると北西の空が濃いネズミ色 になっている。早速いつものようにパソコンの雨情報を動画で確認する。真っ赤な強雨域が 真っ直ぐに我が町に近付いてきている。外に出ると雷が鳴り風が吹き始め薄暗くなり カラス達が騒いでいる。黒い雲の先端付近を見上げると大気の擾乱が見える。「くろまめ」は 風邪気味で近くの病院へ行っている。布団、ニンニクなど急いで取り込む。2分ぐらいして 大粒の雨が降り出した。急いで帰ってきた「くろまめ」に少々鼻高々であった。

 近頃「4Kテレビ」という用語を時々見かける。現在のテレビより解像度が4倍良いという。 現状では超大型テレビになると走査線のスジが見えてくるがそれが解消されるという。我が家 は32インチテレビであるがデジタル化で画質も良くなりゴーストも無い画像に大満足している。 解像度が4倍になるということは貴重な電波を4倍使うということで現実味は薄いのではないだ ろうか。
 現在のデジタルテレビ放送は電波を節約するために放送局側で画像を「圧縮」し、テレビの内部で 「復元」している。パラパラ漫画に近い技術で、速く動く部分は毎回送るがあまり動かない背景など は毎回送らないことで電波を節約する。ただ復元処理の計算に2秒ほどかかるので、視聴者はいつも 2秒遅れの画像を見ていることになる。この遅れは普段は気にならないがラジオの時報が鳴ったとき にはテレビとずれるので最近はテレビに正確な時計が出なくなった。4Kレテビになればこの遅れが さらに長くなるのは間違いないだろう。

近頃は若い者が「スマホ」で通信しながらゲームらしきものをやっているようだがこれも電波の無駄遣い。 いくら使っても固定料金というのも節約を考えない要因と思う。
 昔、アマチュア無線をやっていた頃は割り当てられた狭い電波の帯域に多くの通信が殺到したので 混信しないように、電波の無駄遣いをしないように音質を下げて節約したものだ。画像で例えると 総天然色で送りたいところだが、白黒グレースケール画像で、もっと節約して白黒2値画像で何かが わかれば良いというレベル。電波の無駄遣いにひとこと言いたいのはこの頃の「トラウマ」かもしれない。

    剛毛天然パーマ  2013年6月13日

 雨。外出先で車に戻ろうと駐車場に着く。傘を閉じながらドアを開けようとした時、左側頭部に 鋭い痛みが。良く見ると傘の死角になっていた新聞紙の半分ほどの看板の角にぶつけたらしい。 角は厚さが4mmほどの鉄を直角にカットした跡がむき出しになっていた。今時むき出しは珍しい。 昔テレビで見たプロレスで外人レスラーが使った「凶器」の「栓抜き」は角が丸まっていたのだ。 しかしながらぶつけた瞬間に自分の剛毛天然パーマの髪の毛が6本ほどクッションになってくれた 感触もあり、ちょっと安心していた。車に乗り込み髪の毛の上から触ってみると指に血が付いた。 ティッシュで押さえるとティッシュにも血が。しばらく走ってから耳の周りを指でなぞってみたが 血が流れてきていないのでひと安心。家に戻って「くろまめ」にオキシドールを塗ってもらう。

 家に到着すると我が家の駐車場に他人の車が停まっている。はやく傷口を消毒したいので自分の車 をピッタシとくっつけて家に戻る。窓からチラチラ様子を見ていたが現れないので紙にケータイ番号 を書いてワイパーに挟みに行く。すると中年の女の人と駐車場を管理している家の嫁さんが近付いてきた。 平身低頭で病院へ急ぎの用事があり停車してしまったとのこと。「月極め駐車場」の看板が倒れてから そのままになっているので時々間違われるのだ。その旨を管理者の嫁さんに伝えると「全てこちらの 責任です。建て直します」とのこと。私が車を入れて戻ろうとすると女の人はさらに寄ってきて「お礼を ・・・」などと言いながら財布に手をかけている。もちろん「その必要はない」と丁寧にお断りして 家に戻る。

今日は駐車場が鬼門であった。

    ツルが伸びる  2013年6月11日

 やっと梅雨らしい空模様になった。梅雨前線でも台風の影響でも畑に降ってくれる雨は良い雨だ。 畑はツル盛りだ。こぼれ種から伸びたニガウリのツルがネットに絡まり始めた。四角豆のツルは支柱 からはみ出したので水平な棒を足して横に這わせた。カボチャはしばらく地力を蓄えていたようだが 満を持して毛深いツルを伸ばし始めている。
 ベランダのジャスミンはツルがかなり伸びるということなので市販のあんどん支柱に絡ませているが、 上へ伸びる本性があるのでなかなか横方向に這ってくれない。何度も横方向に戻してやっとあきらめて くれたように思える。本来の姿ではないように矯正しているのが申し訳ない思いだ。ガーベラは 買ってきたときの花は全部終わってしまったが日光に良く当てるようにしていたら葉っぱの元気が良い。 中心部を見ると花芽が幾つか出来ている。日光のちからはすごい。

 いつものドライブコースで見かけた白鳥の親子であるが今日は道の脇でくつろいでいた。子供たち は安心しきってうつらうつら。親は季節が夏になり暑いのか毛をむしっていた。

 夕方、「くろまめ」が宅急便を出すというので運転して集配所まででかけることに。私は人に会う 事も無いだろうと「入れるべき歯」を入れずに出かけた。こんなときに限って人に会うものだという 「何とかの法則」があるがまさしくその通りとなった。1年ほど前に隣の畑をやっていていろいろ 指導してもらてお世話になりその後会えていなかったIさんが犬を連れて散歩していた。懐かしさの あまり私は車を降りて挨拶していたのだった。

このところケータイやパソコンのキーボードの打ち間違いが増えてきた。再打ち込みでも同じキーを 押し間違えている。昔会社でキー操作の速い男がいて自慢げだったが半分ぐらいが打ち間違えで 「バックスペース」を押していたので「速く打つ意味ねーよ」と笑っていたものだ。ゆっくり打っても 間違えるこの現象は何だろう。指の筋が固くなったのか脳の反応が遅くなったのか。老化とは思いたく ないが。

    雑草  2013年5月26日

 今日は自治会のゴミ清掃の日。薄曇でコンディションは良い。ゴミは主に落ち葉と伸びた草だ。 木の基の落ち葉が溜まっている下には犬の糞とか小動物が隠れていそうで軍手をしていてもあまり 気持ちの良いものではない。昔、木の陰に隠れていた蜂に刺されてかなり痛かったのだ。幸いハプ ニングは無かった。気がついたのは雑草の種類が多いということだ。畑でも雑草取りに明け暮れて いるが種類は大体決まっている。畑以外の場所では環境が厳しいと見えて背丈も低いし花も小さく 地味ではあるが、面白いほどの種類がある。やはり畑という所は特殊な世界で雑草でも勝ち組、負け組み がはっきりする環境らしい。
 えんどう豆の受粉の仕組みについて知りたくなり調べてみた。サヤの中に四つほどの豆が入っているが メシベの先に付着した別々の花粉が、それぞれの豆に対応して種を作るので「構造的には」四つの豆が 別々な遺伝形態を持つことができるようだ。ただ豆の花の構造の特徴でオシベやメシベが袋状の花びらで 囲われているので自家受粉し、他の花からの交雑を防いでいるようだ。国を守るために「鎖国」をしている のに似ている。よって何世代にもわたって同じ豆が作られる。スナップエンドウとキヌサヤを隣同士で 作っても「ハーフ」は出来ないということらしい。交雑して多様性を持ち激変する環境を生き残ってゆく 知恵もあるが、環境が安定してきた場合には自家受粉して変化しないほうが有利ということか。 「出島」を作っておいて環境が変わった場合には「開国」も必要だ。
 植物の生き残るための「知恵」には興味があるし、いつも感心する。

    車のリコール  2013年5月23日

 車のリコール情報がきていた。エアバッグのガスの調節に不具合があるので小さな基板を替えたい とのこと。通常の走行には関係がない箇所なので、しばらくは郵便物を放っておいたが整理がつかない ので連絡して出かけた。1時間ほどで終了したようだが、コンピュータのソフトのアップデートされて いない部分があったので書き換えたいとのこと。もちろんお願いした。他に何かありますかとのこと なのでスモールランプの片側が時々点灯しないこととエンジンが温まっているときに再起動すると エンストをおこすことがある旨を伝える。コンピュータの書き換え、ランプの交換、エンジンのエア の混合比の再調整がさらに1時間ほどで完了した。
 走ってみると明らかにパワーがアップしている。アクセルを踏むと加速が気持ちよい。カーラジオ をオンしてみると選局されない。コンピュータのソフトを書き換えたので選局情報がリセットされて しまったようだ。この現象は数ヶ月前に経験しているので少しも慌てずに設定を試みる。しかしながら 半ば忘れていてマニュアルのお世話になった。音声が洞窟の中に居るように響く「ホールモード」に なっていたが、これも経験していたのですぐに元に戻すことができた。
 帰りにスーパーに立ち寄り食料を買ったが今回は2つのビニール袋にバランス良く詰めた。1週間 ほど前に食料を買いビニール袋を2つほど貰ったが、1つに納まりそうなので無理して詰め込んだ。 重さで取っ手の部分が伸びて細くなり手が痛い。何も1つにするメリットは無いがビニールは丈夫なので 切れる事は無いだろうと思った。しかしながらエレベータの中の上昇時の加速度で慣性の力が加わった ようで切れてしまった。玉子5個が割れる。三角コーンアイスのお尻が割れる。夕食に急遽卵料理が 加わった。アイスを舐めているとお尻から溶けたチョコレートが漏れてきた。無用なチャレンジはやめよう。

    美術館に妻と出かける  2013年5月10日

 先日、「国展」を見に国立新美術館へ行ってきた。普段は車で行動しているが都心方面へは電車 を利用する。いつものように車内を観察する。吊り広告は短時間で世の中の様子を知るのに役立つ。 網棚に置かれている荷物がほとんど無い。皆、膝の上に荷物を置いている。テロとか爆弾の心配を しなくてよいので助かる。
 美術館の広くゆったりした空間が好きだ。展示されている作品はどれもが作者が長い時間をかけて 取り組んだ精神の発露であるから空間には独特の雰囲気が漂っている。普段は使われていない脳の一部 が刺激される。油絵の具のオイルの香りも脳への刺激を増幅する。彫刻、工芸、絵画、写真など楽しむ。 作品はやはり大きいほうが空間へのインパクトが大きくなるようだ。
 椅子の数が多いので助かる。人を見るのも楽しい。若いカップルは女の人が半歩下がって歩いている。 こういう「高尚」な雰囲気では自然にそうなるのだろうか。最近は街中では、特に女の人の得意分野の 買い物では女の人が先を歩いているのをよく見かける。
 出展者のご主人とお茶でもという話になったが、結局ビールを飲みながら、しばし世間話に花が咲いた。

 今日はなぜか朝から「バイタリス」と「MG5]という単語が頭の中に巣食っている。何がトリガーと なったのか思い出せないが多分カーラジオから流れてきたのかも知れない。ポマードとチックしか無かった 時代に新鮮な姿と匂いで登場した。友人たちもバイタリス派とMG5派に分かれていた。床屋さんでも 鏡の前に2種類置かれていて最期の仕上げのときにどちらにしますかと聞かれたものだ。最近は床屋さんにも 行かないし、そういう整髪料も使わないので整髪料事情がさっぱりわからなくなった。
 夜になって久しぶりの雨だ。畑をやっていると雨もまた嬉しい。窓を開けるとカエルの声が元気だ。

    指を切る  2013年4月27日

 サントリー・レッドを買って飲んでみた。熟成度は「若い」が思っていたより「飲める」。 酒を意識した頃は、赤玉ポートワイン、ハチハニーワイン、トリス、ホワイト、角などがあった。 その後オールド(ダルマ)やリザーブなど出てきたがスナックの天井近くのボトルキープの棚に 鎮座していた。海外旅行の土産には普段は飲めない海外の酒を持ち帰ったりもらったりしたものだが、 今は酒のコーナーに手頃な価格で並んでいる。うれしいような嬉しくないような・・・。
 「くろまめ」に髪の毛をカットしてもらう。くろまめがハサミの入れ方に新境地を開いたらしく 自己陶酔状態。どんどんカットするので「通常状態」のボサボサから久しぶりに頭の輪郭線があらわに なった。夏向きだ。「技術料」4000円を支払うと、いつもは2000円で良いなどと控えめなのに 今回は素直に受け取った。
 久しぶりに包丁で指を切った。タマネギを刻んでいたら刃がすべって左手の人差し指にぶつかった。 爪のあたりの骨までいったような感覚。とっさに傷口を2回吸って「ばい菌」を吸い出す。頭の中に 指を切り落とした人が直ぐに押し付けていたらくっ付いたという話が思い浮かび、傷口を押し付けた。 普通であれば相当の血が流れたものと思うが、強く押し付けているので血液が傷口近くに寄ってこれない のが見える。家人はカットバンを貼るように騒いでいるが、しばらく押し続けていたいので断る。しばらく そのままでいたが、まてよ、「ばい菌」を殺すのは白血球と聞いている。血液が傷口に寄ってこない のであれば白血球もこないのではと思いちょっと力を緩める。すると血液が傷口周辺に集まってくるのが 透けて見えた。力を加減してこの状態をキープする。しばらくしてから押していた指を離してみると、 ほんの少しの血液が傷口から表面に滲み出してくるのみだ。大丈夫そうなので、この時点でカットバンを 巻いてもらった。    

   図書館へ行く 2013年4月12日

 久しぶりに徒歩2分ほどのところにある図書館へ行ってみた。こんなに近い距離だが、いつもは車で通過 するので見える景色が新鮮だ。最近出来た有料駐車場の看板を見ると一時間100円、24時間最大300円 とある。世間よりはちょっと安めだ。空き地には看板があり「市が購入しました。公園になります」とのこと。 いろいろ情報が入ってくる。
 図書館に入ると定年族らしいオジサン達が多かった。月刊誌のコーナーで人気のありそうな雑誌の前には 「最近、ヨダレ等で破損が目立つので注意・・・」との張り紙が。オジサンが居眠りをしてヨダレをたらしたのか。 「著作権法によりコピーは1論文、1記事の半分まで」という張り紙もある。先日、妻がコンビニ「セブン・・・」で 讀賣新聞を買おうとしたら置いていないとのことで出先の図書館に立寄った。讀賣新聞があったので一部をコピー しようとしたら無愛想な女事務員が「当日の新聞はコピーできません」と言う。オジサン事務員が「書き写したら」 とアドバイスしてくれたが目的が違う。外に出ると目の前に「セブン・・・」の別店舗があった。こういう店は 品揃えが全国統一されているので無いと思ったが試しに入ってみるとあったとのこと。品揃えの統一性は無いようだ。 勉強になった。
 図書館ではこれといって詳細に調べる案件も無いので面白そうな情報のツマミ食いをする。リフォーム、宇宙の果て、 DNA,メンデルの法則、電子工作、電子工学の数学、西洋でのマナー、哲学、形而上学、真理とは、幸福とは、 田舎暮らしの本、等々。世の中の、あらゆる分野にわたる現象を詳細に観察、調査、研究して応用し文献にまとめ て本棚に並んでいる。人間の歴史はすごい。
 無料だからまた来よう。

   桜散らし 2013年4月7日

 数日前に爆弾低気圧が来ると天気予報で聞いた。その時点で南方の気配を見ると低気圧の種も見えない くらいだ。気象庁の予報の確度も相当あがったようでその通りの大風となった。
 昨日は知り合いと「うなぎ屋」で会食した。ニュースでは不要不急の外出はしないで下さいと言っているが 風さえ無ければ雨は好きなほうだ。うなぎ屋で張り紙を見ると「しらすは絶滅危惧種に指定されました」とか 「うなぎ高騰のおり臨時価格のままでは耐えられません」などと書かれている。久しぶりの再会で話しに花が 咲いた。
 強風の予報も昨日は静かな夜だったので外れたのかなと思っていたら、今日は朝から風が強くなった。晴れて いるが南西の風だ。今年は数ヶ所で桜を満喫したがこの風で散ってしまったと思われる。午後になって一段と 強くなり気圧の変化で耳の鼓膜に圧力を感じる。こういうときに雨が降ると大概風がおさまるのだ。雨を期待 する。いつものようにパソコンで雨雲の動きを確認すると北西方向から強い雨域が近付いている。窓から空を 見ると北西方向に黒い雲が広がっている。黒い雲が頭上に来た頃に風がピタッと止んだ。期待はしていたが これほど律儀に応えてくれるとは思わなかった。間もなく真っ直ぐに雨が降り出した。小さな氷の粒も混ざって いた。
 黒い雲が南東方向に移動していくと晴れた西の空からだいだい色の夕日が差し込んできた。いつもの穏やかな 夕暮れだ。ベランダに出る。鉢を所定の位置に戻す。倒れかけて根っこが飛び出したものは土をかける。ハーブ は比較的強いが葉の周辺が黒ずんでいる。サニーレタスやチシャは構造が見るからに風に弱そうだが、やはり ダメージを受けていた。風で鉢の表土が乾燥している。お疲れさんと心で呟きながら水をあげた。

   「いるるの春展」 2013年3月24日

 ピンクの花、白い花、黄色の花たちが一気に咲いて賑やかな春になった。こういう花も年中咲いていたら これほどの感動はしないのだろう。
 昨日は「いるるの春展」に出かけた。初日とあり、作家さんたちも来ていて、いつものように歓談する。 「大地の詩」をテーマにオブジェや陶器を作っている朝倉さん、革・布で製作しているYUSAさん、 ジャワ更紗作家の梶原さんなど。みんなで本見志津子さん(「Seeds House」主宰)のケーキをいただいた。YUSAさん のキッシュ、梶原さんの豆腐を使った団子などみなさんの手土産をご馳走になった。皆さん、海外経験も長く 話が面白い。南米の国では当時、首に掛けているネックレスがひったくりにあうほど治安が悪かったらしい。 金のネックレスだと柔らかいので切れやすいが安物の金属は固くて切れないので文句を言って逃げていったらしい。 役人にもワイロをつかませないと物事が進まなかったらしく、日本では考えられない。庭のアンズを食べに 動物がやってくるが、タヌキは丸ごと食べてしまうがハクビシンは手が器用なのか皮と種は残して立ち去るらしい。 ジャワ更紗のご夫妻は今でも毎年インドネシアの村に生地の買い付けに行きジャカルタで縫製して輸入しているとのこと。もちろんご自分でも複雑なパターンをデザインしている。 畑もやっておられるとのことで蒟蒻、なた豆の栽培、自然食談義に花が咲く。いつものことながら皆さんの パワーを感じた一日だった。
 夜は友人を誘ってビストロで食事。コースをオーダーした。肉も柔らかく美味であったが、ハマグリと アスパラガスとキノコの料理はソースが美味であった。ソースはパンに吸わせ残らず平らげた。シラー種の 赤ワインは普段飲んでいるものより高価なもので、育ちの良いような、のびのびしたフレーバーであった。

    「いるる 春展」



3月23日(土)〜31日(日) 我孫子市東我孫子

   一方通行 2013年3月20日

 昨日は春らしいのどかな一日だった。母が91歳になりランチは外食にした。暖かいので外のテラス で食事をした。母は今日はアルバムの整理ということでいっぱい引っ張り出してきたが昔の写真を見て 懐かしがっただけでまたそのまま元に戻したようだ。
 今日はまた風が強い。先日の強風でたまったストレスを昨日の無風状態で弛緩させていたベランダの植物たち がまた風にさらされている。いつも同じ方向から吹く強い風に植物の形もクセがついている。見かけが悪いので 直そうとしたこともあったが、人間からみた見栄えだけの問題で、植物たちはこのクセのついた状態が新しい 安定状態のようだ。
 小学校時代の保健室の女のN先生と結婚したO先生がご健在という風の便りを聞いた。突然の訪問であったらし いがピシッとしたたたずまいであったとか。50年ぶりの消息である。卒業後初めて赴任してきたと思うが初々しい 都会的な雰囲気の先生だった。毎日のように行列をつくってガラス棒の先に付けた「トラホーム」の薬を付けて もらっていたので思いで深いが、先生がこちらを思い出すことは無いだろう。思い出す人が幸せなのか、思い出さ れる人が幸せなのか。
 近頃はシニアが増えたせいか昔の芸能界のフィルムを見る機会が多くなってきた。私はスターよりむしろ 後ろで踊っているバックダンサーのほうが好きなのだ。若々しく踊っているがその後の人生や現在はどのように しているのかななどと考えてしまう。余計なお世話だ。

   春がきた 2013年3月18日

 冬の間、室内に退避させていた「ノアの箱舟」の植物たちも一部外に出した。あまりぬくぬくとした 室内に居ては「野生復帰」できないのではなどと考えてしまう。アロエの鉢の雑草を取り除いたら親の 形と相似形の芽が土から顔を出していた。完全に葉を落としていたサンショの緑の芽が膨らんできた。 ぐんぐん伸び始めたスープセロリを早速ランチに使った。
 ひと月ほど前に車の冷却水を補充したが3日後ぐらいにリザーバの水位を見るとMAXより1センチほど 下がっていたので、さては水漏れで修理か?と思ったがエンジンが温まると水位が1センチほど上がること がわかりひと安心。早まって修理に出さなくて良かった。エンジンが温まっているときの再起動で調子が 悪い件はバッテリーを交換してもなおっていなかった。別に原因がありそうだがアクセルペダルを押し気味 にエンジンをかけると問題ないので、このまま様子を見ることに。
 酒のつまみで好きなのは「ホヤ」だ。産地は三陸あたりなので地震の影響と思うが最近店先で見なくなった。 あの磯の香りの強い、だいだい色の、柔らかい筋肉質を食べながらチビリとやりたい。「ミル貝」の磯の香り も良い。以前、魚屋で大きな管を貝の外に出していた貝ごと買ってきて包丁を入れたらミルミル小さくなり 三分の一ほどになったときは味は良かったが損した気持ちになった。昔、出張で琵琶湖の近くで一泊した。 夜、居酒屋で「鮒ずし」を食べた。発酵食品で胃腸に良いと聞き、たらふく食べたら翌朝腹をこわした。 鮒ずしのせいか飲みすぎたせいかはわからないが、それ以降「なれずし」を食べるときはほどほどの量を 食べることにしている。

   風の強い日 2013年3月13日

 南風が強い。車のガラスやボンネットは黄色い粉に覆われている。今年初めて車のエアコンをクーラー にした。停車していても風で車が揺さぶられる。歩いていて運動場の側を通りかかると強い風で黄色い 砂塵をまともに受けてしまった。本能で目は素早くつむったが襟首に手を入れてみるとザラザラしていた。 道端に大きなミカンの仲間がいっぱい落ちていた。草花や雑草は釣竿のような構造をしていて風には 強そうだ。根元は太く先端に行くに従って細い。全部太くても根元に負担がかかるし、全部細くても 根元が弱くなる。人工衛星を打ち上げる3段ロケットも同じと思うが、目的に最適な無駄のない構造と 感心する。
 パソコンで雲の動きと風向、風速、気温をチェックする。寒冷前線が近づいていて、南側は南の強い 風が吹いているが前線の通過した北側は北西の風になり風は弱い。昔から天気図、気象は好きで百葉箱 での観測は進んでやっていた。パソコンでは時間経過での変化も見ることが出来るので便利だ。雨の青色 中でも前線の直下は雨が強く赤い色になっている。その赤が線状になっていて我が町に近付いてきている。 今まで南側がゴーゴーうるさかったが突然北側に置いてあるゴミがガタガタいい始めた。寒冷前線が通過 したのだ。しばらくして風は静かになった。気温も下がった。気象の理論どおりに我が町を寒冷前線が移動 していった。

   カナダでの酒 2013年3月9日

 カナダで珍しいカクテルといえば「シーザー」だろう。見た目はブラッディマリーであるがトマトジュース のかわりに「クラマトジュース」を使う。クラマトはカナダ独特のものらしい。トマトジュースにハマグリの エキスが入っているとのこと。スーパーの陳列棚に並んでいる。出張でたびたび行った街はドイツからの移民が 作った街で地元のビールも良く飲んだ。珍しい料理では「豚の尻尾」があった。20センチぐらいの長さの豚の 尻尾がその形のまま煮込んである。太いほうには包丁で切れ目がいれてあり骨が見えている。豚が良く動かす 部分のため筋肉質であるが良く煮込んであるので繊維が柔らかくなっていて美味しい。
 レストランに夜遅く行くと閉店時間が気になるものだ。店の主人に閉店時間を尋ねると「貴方がたが帰ってから 30分後」などと粋な回答をしてくれる。もっとも「怪しいバー」ではビールを飲んでいるとウェイトレスが 「Drink or Leave !」と言いながら回っている。追加ビールをオーダーしないのなら帰ってくれというまことに ダイレクトな物言いなのだ。
 大雪の中、道に迷ってガソリン警告ランプが点滅する車でやっとのことホテルに夜遅くに到着したら、 帰りかけていたレストランのスタッフが厨房に戻り料理を作ってくれたのはありがたかった。食べている間に スタッフは帰宅してしまったがレジのところに料金を置いた。
 海外出張でのいろいろ楽しい思い出がよみがえってくるが、近頃は脳が老化してきているので時々反芻しないと 思い出せなくなってしまうのだろうか。TVのクイズ番組は「再放送」でも見たことを忘れかけていて「新鮮な気持ち」 で楽しむことができるのだ。

   ブルガリアでの酒 2013年2月25日

 海外出張といえば酒と食事が楽しみのひとつだった。30年以上も昔、ブルガリアに行ったときは 春で、田舎に行くとプラムの白い花が咲きのんびりとした風情であった。各家庭ではこのプラムを使って 「ラキア」という蒸留酒を造っていて飲ませてくれた。香り高い強い酒でキュウリの輪切りをツマミにした。 ながいこと「アラキア」と思い込んでいたが「ロシア」を「オロシア」とも言うのと似たようなものだろう。
 ソフィアではメーデーとのことでビルからレーニンなどの政治家の大きな赤い垂れ幕が下がっていた。 研究所の食堂では、デザートに米のミルク煮にシナモンパウダーをかけたものがよく出た。水道水の水質が 悪く飲料には向かないのでどこのレストランでも必ずレモン水のような瓶が用意されていた。
 フォーマルな懇親会ではソ連製のウォッカの瓶が並びチェイサーとしてトマトジュースの缶が並んでいた。 お金は割りと「余っていて」夜な夜なレストランでワインを飲みながら民族音楽のライブを聴いていた。 ソフィアの街は中世がそのままのような建物と石畳だ。夜になってダウンタウンの大衆食堂に行くと皿の中に 薄めたヨーグルト緑の多分モロヘイヤらしきものが入ったスープを皆が食べていた。学生たちが居て酒を勧め てくれた。水を入れると白濁した。強い酒を一気に飲むと学生たちが喜んでいた。今思うとアブサンでは なかったかと思う。
 プラム酒を入れるお土産の木製水筒は今も部屋の棚に置いてある。

   オイルの交換 2013年2月22日

 車のボンネットを開けて先日交換した発電機をしげしげ眺めていると傍らにあるプラスチックの容器の 液体がMINのレベルまで減っている。すっかり「ワッシャー液」と思い込み店で購入。流し込もうとす ると容器のフタには「冷却水」と書かれていた。エエッ!「冷却水」がこんなに減っているのも問題だ。 とりあえず「ワッシャー液」のタンクに購入した液体を注ぎこむ。「冷却水」はとりあえず水道水でも 入れておこうかと思ったが、このところ寒い日が続いているので凍結の恐れもある。気のせいか水温計 の表示が上向いているようだ。出かけるついでにいつも利用しているセルフのガソリンスタンドに立ち寄る。 従業員を呼んで見てもらう。「冷却水」は500円ほどで補充できるとのことなのでお願いする。1人が緑色 の液体を注ぎいれている間に1人はバッテリーを計測している。バッテリーも30%ほどしか充電されておらず 弱っているとのこと。バッテリーの交換費用を確認すると2万3千円ほどとのこと。ブレーキオイルのリザーバー タンクも減っていた。作業は並行してできると言う。キビキビと作業して誠実そうに説明してくれる若者の 感じが良い。これを機会に全部見てもらうことにした。小一時間ほどでエンジンオイル、バッテリー、 ブレーキオイル、オートマフルード、冷却水を整備してもらい、トータルで3万5千円を支払った。
 作業後確認でリザーバータンクの液面はいずれもMAXあたりまで入っていた。液面は1年ぐらいでは それほど変化しないとのこと。どこかで漏れている可能性もあるのでしばらくは液面の変化に注意してくれ とのこと。
 オイル関係を全部交換したので、いつもより快調なドライブ感覚であった。  

   粒の大きさ 2013年2月17日

 ロシアでは直径15メートルの隕石で被害がでているとのこと。速度が速くなると原爆の何十個分 もの破壊力を持つというから恐ろしいものだ。
 PM2.5という用語がニュースで飛び交っている。直径が2.5um(マイクロメートル)以下の超微粒子の ことを言うらしい。2.5umといえば大腸菌など細菌の大きさであり、デジカメのCCDセンサーの画素1粒 の大きさぐらいである。
 最近、ナノ化粧品という言葉も飛び交っている。nm(ナノメートル)はum(マイクロメートル)の1/1000 であるからナノ化粧品に含まれる成分は超超微粒子と言える。ウィルスはこのあたりの大きさであり、 光の波長の領域でもある。化粧品の中の粒子が波長より小さくなると光は反射せずにすり抜けるので 白く「テカル」ことが無くなるらしい。光を反射する雪が白く見えるのに似ている。ナノメートルサイズの 超超微粒子は顔の皮膚の細胞の隙間をすり抜けて体内に入り込みやすいほど小さなサイズなので何か問題が 起こりそうだ。太古の昔に人間の防御機能としての皮膚が設計されたときに、これほどまでに小さいサイズの 超超微粒子が科学の力で生み出されるとは思えなかったのだろう。
 車の修理が完了した。ジェネレータ(発電機)の交換で4万8千円の出費であった。代車の間、ガソリンを 満タンにするのはもったいないと10リットルとか20リットルとか小まめに給油していたら、走行中に 給油警告ランプが点灯し始め、セルフのスタンドを捜したが見当たらず、高いスタンドに立ち寄るハメに なってしまった。

   彼氏と彼女 2013年2月11日

 昔の白黒時代のテレビのバラエティ番組が放送されバックダンサーの綺麗なお姉さんたちが踊って いる。クラシックバレーに近い体の動きは白黒のためにかえって魅力的だ。こういう番組をリアルタイム で見ていた小学生、中学生の頃は、まだ色気づいていなかったためか歌やお笑いには関心があったが、 お姉さんたちの踊りはあまり意識していなかった。
 フォークダンスのトロイカやオクラホマミキサーが校舎の拡声器から流れると校庭で輪になって 照れ隠ししていた時代である。英語の授業で先生から、Heを彼氏、Sheを彼女と説明があったときは 教室内に笑いとどよめきがおこった。彼氏とか彼女という言葉は当時の子供たちには使い慣れていない 言葉だった。後に日付けのことをDate(デート)との説明があったときも同様な反応をしたものだった。 ダッコチャンが夜店の柱に抱きつき、ワタナベのジュースの素を飲み、グリコのおまけを喜び、力道山に 歓声をあげていた時代である。
 日差しが伸びて午後には部屋の奥の足元にまで暖かい太陽の光が届く。ベランダのプランター ではスープセロリやオレガノが生長を続けていて時々利用している。昨年ギンナンから発芽したイチョウ の先端の芽が緑になってきた。頂いた斑入りのオオバコも少しづつ生長している。
 修理に出している車はジェネレータ(発電機)が壊れていたらしい。部品を交換するとの連絡があった。 5万円弱の費用がかかるとのこと。

   レーッカー移動 2013年2月5日

 買い物後に車のエンジンをかけるとエンジンあたりから異音。バッテリー警告ランプが点灯しっぱなし。 そろそろと動かしてみると進む。回転している何かがぶつかっているような連続音。近くの修理工場まで 移動させて見てもらう。飛び込みなのでさっと見てもらうが進展はなし。家の駐車場まで戻る。 ロードサービスへ電話。30分後ぐらいに来たレッカー業者は3ヶ月ほど前にお世話になって世間話をした オッサンだった。25キロほど離れた車の販売店へ到着。代車は「軽」しかないとのことであったが 頭がぶつかって運転できないというと「普通車」を手配してくれた。先日の雪で事故案件が増えて代車が 不足しているらしい。
 代車は新車っぽく加速は軽快だ。カーラジオからは普段聞かないような音楽が流れているが車を止めて切り 替えるまでもない。優先度は低い。安全第一だ。エアコンの設定がされていないようで寒くなってきた。安全 第一と思いこれもそのままにしていたが健康のことも考えて横目でチラチラ操作盤のほうを見る。押しボタン が20個ほどもあり判断不能。走行に重大な影響を与えるようなスイッチはこういう操作盤には無いはずだ。 一番押しやすそうな大きいボタンを押すとエアコンの設定が画面に現れ温風が出てきた。めでたしめでたし。
 夜の暗闇の中で初めての車を運転していると昔よく行ったカナダの出張を思い出した。14時間ほどの フライトが終わると空港でレンタカーを借りた。お客様に同行のときはミニバンだ。「ナイアガラの滝」へは 何度も行った。さらに2時間ほど眠い目をこすりながら夜のハイウェイを運転。夜と慣れない車で思い出す 光景だ。
 冬の出張のときは前の車から飛んでくるシャーベット状の雪がフロントガラスにへばり付く。砂利も混ざったり して始末が悪い。道の脇には一定間隔で三角屋根の建物が見える。聞くと雪を溶かすための塩の倉庫とのこと。 クリスマスパーティでプレゼントの交換、従業員のカーリング大会へ出場など。
夜に慣れない車を走らせて久しぶりに現役時代の出張が思い出された。明日は雪になりそうだ。  

   明日は立春 2013年2月3日

 ここ数日は気温が上がって春のような陽気だ。久しぶりに結露が無く、家中のガラス窓を拭き取る 私の仕事がひとつ減った。ベランダのスズラン、スイセン、その他の植木鉢の芽が着実に伸びている。 妻と母が眼鏡を新調した。私もこれまではテレビを見る距離ではクラクラするので外していた老眼鏡 であるが、したままでOKになってきたので度が進んだようだ。
 郵便物の中に私あての小さな厚みのある封筒があった。差出人の名前は無いが悪いものではないようだ。 ハートマークのシールが貼ってあったのでニンマリ期待しながら4mmぐらいの厚さの内容物を取り出 そうと紙を破く。なにか電子部品みたいなものが見えたのでドキッとしたが同封の手紙を読んだ。車を 買ったディーラーからの誕生祝いの手紙であった。破いた紙を元に戻したら「PUSH」の記号があり押す とハッピーバースディーのオルゴールが流れた。ああ勘違い。
 テレビ60周年ということで「ダッコチャン」などの懐かしい映像が流れている。白黒放送だったもの もカラーと思い込んで記憶していたようだ。昔は近くに大きな建物があると電波の反射による「ゴースト」 が現れてきたない映像であったが最近はデジタル処理の技術が進んで「ゴースト」は無くなった。チャンネル の切り替えはダイヤル式で、そのつど微調整用のダイヤルを回してきれいな画像になるように合わせた。 回しすぎて次のチャンネルの映像が現れて驚いたりした。押しボタン方式になったときは画期的と思ったが、 それからのデジタル技術の進歩には驚くばかりだ。
 今日は節分。デジタル技術は進んでもこういう風習は続いてゆくものだ。暖かくなったので戸を開けっ放し にしても、それほど寒くはない。妻は形ばかり豆をまき、意識は既に豆ご飯のほうに移っている。

   大きな月 2013年1月29日

 昨晩は空の低いところに大きな月が出ていた。少し黄色っぽくてウサギも確かに大きく見えた。 車がカーブするごとに見え隠れする月をしばらく楽しむ。このように大きく見える月は目の錯覚で あるとは思いつつもカメラに撮りたくてレストランの駐車場に停車。カメラのファインダーを通して みる月は、やっぱり普通の大きさの小さな月、しかも周りの暗い空を補うように月は白くとんで、 手振れ、寒いなどで、目で見た時の大きな月の感動は全く無しであった。レストランの窓から 来店を期待して覗かれているような気がして早々に立ち去った。
 人の眼の網膜の視細胞は視野の中心部は密で周辺部はまばらにできているらしい。見たい部分は 詳しく見るが、自分にとってあまり重要ではない周辺部は粗く見て脳の処理の負担を軽くしている と思われる。
 耳の聞こえ方も「カクテルパーティー効果」というものがあるらしい。騒がしいパーティー会場 でも自分に関係する内容は聞き取れるというものだ。眼の選択性にも通じるところがありそうだ。
 歳とって脳の処理能力が低下してくると眼や耳に限らず、話し方や動作がゆっくりになったりして 脳の処理能力の低下に体が合わせているようだ。少なくなった脳の力をより有効に活用するために 主観的なモノの見方をしていくというのは老化を迎えた人間の知恵なのかも知れない。

   春景色 2013年1月16日

 数日前に利根川の橋を渡ったときに春の霞で遠くの景色が薄紫にかすみ春を感じた。2日前には 初雪が降った。食料と燃料が家の中にたっぷりとあり通勤の必要がないときの雪景色は良いものだ。
 今朝は凍りついた雪の上を車が動いているらしくパリパリという音が聞こえてきた。外を見ると車道は 乾いていて大丈夫そうなので車で外出する。エンジンをかけてワイパーを動かすとフロントガラスの 下半分に積もった雪で動かない。ボタンを押して外気温を確認すると0.5℃であった。寒い。しばらく 走ったところで突然ワイパーが重い雪を一気に跳ね飛ばしたので驚いた。ワイパーのスイッチを切るの を忘れていたらしい。
 しばらく走ると渋滞になっていた。道路の日陰になっているところにまだ氷が残っていて皆ソロソロと 走っているのだ。「くろまめ」が「氷の山の部分に乗り上げないで」と叫ぶ。こういうとき私が好んで氷の 山の部分に乗り上げたりするのを知っているのだ。電車の中で足を広げて座っているのを見ると他の席が空い ているのに足を広げている隣に座るということに通じるものがありそうだ。もちろん危険はできるだけ回避 したい年齢なので「くろまめ」の指示に従う。
 ここで普段は滅多に使わない4輪駆動モードがあることに気がつきスイッチをオンした。多少ハンドルは 重くなるが道路への「へばりつき感」は高くなる。
 道端では所々にある雪だるまが溶けかかっている。停車のブレーキで車の上に積もっていた雪が滑り落ちて くる。家の前の雪を車道に放り出して処理したらしい雪が残っていて緊張する。
 冬至の日からひと月ほど経った。夕日の沈む位置が移動しているのがわかるようになってきた。

   新年6日 2013年1月6日

 新年明けてはや6日目だ。ベランダの干し柿はムクドリに狙われ「くろまめ」が悔しがる。イヤガラセ で周りに糸をぶら下げていたがすぐに攻略された。ムクドリが寄ってきたので観察していると糸をかいくぐり ぶら下がっている干し柿のヘタの上に飛び乗り突き始めた。内側に干していた柿には被害がなさそうだが 大事をとって「くろまめ」は知人には送らずに家族で食した。渋柿はネッチリと甘く上級の干し柿に変身し ていた。
 「くろまめ」がケータイを買い換えた。ケータイのキャリアの出先で3万8千円ぐらいの価格のものが 量販店で2万6千円ぐらいの値札が付いていた。さらに「0円」の値札が見えたが「表示パネル」同時契約の 但し書き付だ。この契約は1万円ほどの解約手数料で翌日にもキャンセルでき「表示パネル」は通信はできない がオフラインで使い続けることが可能とのこと。結局このキャンペーンを採用し1万円ほどでケータイを入手した。
 私ははパソコンのデータのバックアップ用に500GBの外付けハードディスクを購入。価格は8千円ぐらいで 安い。昔の業務用ハードディスクが10MBぐらいでも大きな装置で標準ラックに収まっていたが その5万倍ぐらいの容量のディスクが手のひらに乗っていることを思うと隔世の感がある。このディスクで バックアップをした後に年賀状のソフトを使おうとすると動かない。昨年末までは動いて年賀状を印刷して いたので新しい年になって有効期限が切れたかなと思い(昔コンピュータの2000年問題というのがあった) しばらくいじっていたが結局ハードディスクに付属してきて新たにインストールしたソフトをアンインストール したら正常に戻った。アンインストールしてもパソコンの持つ基本機能で使えるので問題ない。シンプルな 機能で使うのが自分の志向でもある。
 娘夫妻が孫を連れて来訪。孫は私の顔を見ると(と思う)泣き出した。前の日に部屋に飾ってある「椰子の実の魔除け」 を見て怖がるかもといって外そうかと言っていたのだが、この魔除けには平気で私のヒゲ面にビックリしたようだ。 ヒゲの形は控えめのつもりだが・・・。すぐに慣れて機嫌が良くなったので一安心。人見知りというのだろうか、人の 顔の区別がつくようになったことを喜ぶべきなのだろう。最初は慣れない部屋の様子にキョロキョロしていたが慣れて くるとだんだん行動が大胆になってきた。
 明日は七草がゆだ。冷蔵庫には七草セットのパックが鎮座している。