ケサエさんの山里便り1(銀鏡)

くろまめの母です。
昭和一桁生まれのばあちゃんです。
19歳で嫁に行き、4人の子を授かり、
4人の老親を見送りました。
畑仕事が、今や私の喜びです。
自然と共に生きることは、まこと体に
ええごたります。
明日は、ああして、こうしてと仕事の
段取りを考えながら床に就くのです。
こんな幸せなことはありません。






 追伸: ご報告ばします (2009年12月10日)

私が「くまんばち」に刺されてからは大変ご心配をいただき ありがとうございました。あれから元気にしております。 先日かかりつけのお医者さんに「この傷跡は?どうされたの ですか?」と訊かれました。 くまんばちに刺されたときのことをお話しましたら刺されたとき の状況などお訊ねになりました。刺されたとき痛みがあったこと。 消毒をして虫さされの薬を塗ったこと。お風呂に入ったこと。 普通に食事をとったこと。熱も吐き気もなかったこと。アレルギー 体質ではないと思っていることも、小さい頃に刺されたことがある こともお話しました。 「歳が明けたら血液検査をしますので食事を抜いて来てください」 と言われました。 戦時中の冬、小学3年生の登校時にうんと先を歩いていた腕白大将が 蜂の巣に向けて石を投げたところを私たち仲良し3人組みは手をつな ぎ歌を歌いながら通過しました。そして蜂の襲撃を頭に受けました。 職員室が大騒ぎになり先生方は一斉に引き出しを開けて隅々を突いたり 箱をひっくり返したりしてなにやら探しているのです。アマメ(ゴキブリ) が出てきたら必至になって金槌で潰すのです。私たちは痛さよりも恐ろし さで震えていました。 潰れたソレを頭にのせて膏薬を貼って裁縫室の畳の部屋に半日寝かされ ました。水枕をして寝ている私達でしたがサッチャンだけは下痢したり 吐いたり熱が出たりして可哀想でなりませんでした。テルチャンと私は 蜂が飛んできたときにしゃがんでじっとしていました。サッチャンは走 ったので蜂に追いかけられ三箇所も刺されていました。 腕白大将はまさかそんなふうになるとは想像もできなかったことでしょう。 校長先生にゲンコツを仰山もろうて両手に満杯の水バケツを持たされて シュンとしていました。戦時中の先生方は特に校長先生ですがそれは厳 しい方でした。私は腕白大将を覗いて見れるくらいなんともなかったのです。 今回刺されたときの服装はナイロン製のウェアでした。繊維の密な防寒着 ですが日に透かしてみましたら細い繊維が2本突き出ていて布団針程の穴が 開いていました。

 薪割り (2009年11月28日)

11月28日はとても良い天気でした。 私が町から帰ってくると爺様が薪割りをしとりやったが。 手を休めて「おう、帰って来たかい」と 孫も一緒でしたから それはうれしい顔でした。 薪割りをするおじいちゃんを孫が熱心に見ていました。 「腰痛くないの? 大丈夫?」って心配してくれました。 「剣道をしとったから こげんくらいはなんともないとよ。 ダイジョウブイ! アハハハハ」 「オッ、ウッ ウントコラショ」 「うふふふふ ウキャキャキャキャ」  まあ〜 この二人は 長いこと笑うばっかりでしたが。 山は色濃くなってきたところと色褪せてきたところがはっきりします。 今年は金柑がよう生りました。 ソラマメが私の体に良いからと 娘が種を送ってくれました。 爺様と一緒に何時間もかけて撒いた菜種の苗床です。 何万本の花が咲いたときのことを思いながら移植のこと を考えとるとこですが。 菜種はこれから越冬です。 イノシシの足跡が大きゅうなってきました。

 ひと雨ごとに寒くなる季節になりました (2009年11月20日)

今日は、畑はお休みです。 先日、裏の畑でクマ蜂に刺されました。 右肩甲骨の下あたりを竹槍で突かれたような痛さでした。 後に娘たちに話したら大騒ぎでしたが、わたしゃ、そのまま仕事もしたし、 お風呂にも入り、夕食も美味しかったですがな〜(笑) ミツバチを飼っている近所の方が、 「近頃ミツバチが減ったが、なんでじゃろかい?」と言ってたのを思い出して 報告したらば、その夜、早速退治に来てくださってな〜。有難いもんじゃったです。 その姿は、頭のてっぺんから足の先まで完全装備の素晴らしいもんでしたばい! なんでも総経費8万円もしたそうですから魂げましたとよ。 頭には「八つ墓村」に出てきたような懐中電灯を取り付け、右手にガスバーナーを持ち、 石垣の巣を蒸し焼きにされました。 7時頃から九時過ぎまでかかって退治した巣は、畳、一畳半もありました。 翌日は、どこから集まって来たのか見たことも無いような猫たちが、 ハチの死骸を囲み、一匹が食べ終わると別の一匹が出て来て、片足で ハチを押さえながら替わり番こに食べていまた。 私が傍に居ても気にもとめずでした。 きっと、夜のうちに集会を開いていたのでしょうな〜。 猫は、そういう習性があるのだそうですがな〜。 この村じゃ、猫もハチも人間も大して変わらんです。 クマ蜂の美味しさは格別じゃ!と言って喜んで持ち帰らる 人間さまもいらっしゃいましたからな〜。 わたしゃ、来年も巣をかけるじゃろうから、そっちの心配ばしとります。

  山では神楽の稽古がはじまりました (2009年11月10日)

定期受診の日 いつもの時間に受け付けをしたとに患者数が凄いもんでした。 終わったのは、昼近かったですが〜街から上って来てくれた娘は 車中待機していました。 「のさんこっちゃったね〜」と言うと 「半分は寝てたから。それより来る途中、一面のひまわり畑が あって撮りたかったけど後続車が多くて諦めるしかなかったんで 今から行ってもいい?」と言います。 行ってみると背の低いひまわりが満開でした。 先日、爺さまと菜種を蒔いたばかりでしたから、嬉しいやら猪が 食べてしまわないかと 心配やらしました。昨夜も庭のあっちこっちに足跡がありましたからな〜。 霜除けのテントを張りました。里芋の畝には萱をまとわせました。 村は、神楽のけいこが始まりました。 点在する赤い幟には「いきいき集落」と刷られており、 「限界集落」との余りの響きの差に娘は『ちょっと〜余計寂しくなるし〜』と 苦笑してましたが〜まこて! そして、何十年振りかで会った村人(今では、どこから見ても立派なお爺さん)に 『ありゃ〜っ○○婆さんの若い時に瓜二つじゃがこら!』と声をかけられた娘は、 『誰?あ〜っ!○○さん?!』と慌てふためきまして、 後から『亡くなっていたとばかり思ってたから震えたわ〜』と爆笑しておりました。 村にはもう年寄りばかりしかいませんからな〜。 私も久しぶりに会う若いもんには突然声掛けたりせんごと気をつけんにゃボクじゃ。。。

  秋晴れ (2009年10月20日)

若いもんが帰ってきました。 居る間は天気も良くてありがたいこってした。 朝も早く起きて朝食もえらい食べやったが(笑)。 大根の抜き菜の漬物が好きな子じゃったが「ああ〜この味この味」と喜んでくれました。 庭に出て、爺様から猪の足跡をみせてもらってたまげていました。 こん子達が居た頃は庭に猪が出てくるようなことはめったになかったもんですから。 黒く影になっているところが足跡ですが。 朝日がたっぷり当たってリンドウが開きました。そろそろ畑にゆこかいね〜 畑の入り口の網戸とトタン板を開けるのは要領がいっちゃが。 その間に電柱に這っている蔦の紅葉ば撮っとらいたですが。 まあ〜まこて感動すっ子じゃなあ(笑) 「ああ〜カンカン(空き缶)に近づかんで!」って私が言うと  「大丈夫よ=柿の木の枝にぶつからないようにしよっとね」って言うってすが。 そうじゃあねえってすが。 カンカンの付近には私が挿し木をしとっとです。 爺様が踏みやってなあ。まことしんきなもんじゃったですが。 てっしょもねえこと(想像もつかないこと)ば、しらっからおよばんと! エビイモとカボチャはもう食べたね。 柿はしばらく置いとくと甘みが出るからね。 また来ないね〜 菜種の種を一升ぶんがた頼んでおいたら帰った後に届いたばい。 菜の花畑になるとよ。 柿の実を天地へ返す八十路かな    なんか天地の神様に感謝したくなっちゃが。

  10月4日 (2009年10月4日)

今日は、月に一度のハイキング日和となりました。 週末ということもあり、沢山の家族連れで野原が狭く感じました。 ソフトクリームを片手に歩く人たちを見て、いい歳をした娘たちは 「食べたくなった!」と言って、私の分まで買って来ました。 若いもんのごと、かぶりついたら鼻柱の辺りがキーンとして3口ほど でやめました。暑い時でも、あったかい飲み物の方がええごたります。 爺さまは、仕事が入っていて帰りは遅くなるので、先に山へ帰りました。 直ぐに畑へ出て、里芋を掘り、葉野菜を抜いて、子らに持たせる準備 に取り掛かりました。 傍の電線では、烏が夕餉の餌を求めて人間どもが去るのを待ち構えていました。 去年タラと銘打って売られていた苗を植えたところが、二メートル以上 に大きくなりました。タラではなく、ウドだったのです。 娘は巨大化した姿に「これぞ正しくウドの大木だ!」と見上げていました。 初めて花まで咲かせてくれて、あんまり美しいもんじゃから趣味でも無いのに、 歌が口から付いてでました。 自分でも可笑しかったので忘れんうちにと思って、広告の裏に書き留め たりしました。 秋雨に 濡れて真白き うどの花 雨降りて 白きうどの花 いききと 今日、娘たちにメモを見つけられて褒められたり笑われたりされましたばい。 自然の美しさは、理屈抜きで人をも向上させるとよ!と言っておきましたばい。 夕方帰って来た爺さまに話したら、自作を披露して来やって、まだまだ若いわい!と 憎らしいやら嬉しいやらでしたば〜い。 もうすぐ、東京の若いもんもござるげな!畑を案内しようと思うとりますちゃが。

  山の蜂の話 (2009年9月17日)

村では「敬老の日」の前日にお祝いの集まりがありました。 私と爺さんは自転車で行きました。 村には信号がありませんからノンストップで行きました。 帰りは坂道のところで自転車を押しましたが、 爺さんは普段もそうですが こん日も降りないでよう頑張りました。 みんな元気でしたがあ。お弁当も豪華で美味しかったです。 いろいろ昔の話なども出ました。 蜂の話もそうじゃったですが。 最近は蜂の”逃亡”のニュースが聞かれますがこの山里でも 蜂を飼っている人がいます。 洋蜂は巣箱を作ってあげないと働きませんが、山蜂(日本蜂)は、 手間がいりません。木のウロ(穴)の内側を松明でいぶしてやれば 蟻も近づかず持ちも良くなります。 巣の中に勝手に六角形の巣を作ります。 巣箱は大概 土で作った坂の上に置きます。 時々大きなガマ蛙が巣箱の外に陣取り  近づいてくる蜂を舌を伸ばしてペロッと食べます。 すると、仲間の蜂が蛙に攻撃をしかけます。 すると、蛙は急いで逃げるために体を丸め坂道をコロコロと 転がり落ちるのです。 しばらくすると又、坂を這い登って蜂を食べに来ます。 そしてまたコロコロと坂道を落ちることを繰り返すのです。 なんとも頭のええ蛙じゃと思いませんか。 こうして出来た蜂蜜は100%天然ですからまことおいしいちゃが。 美味しいといえばまだあっとよ(笑) 鹿がヒノキの皮を咥えて引っ張るとピロ〜っと4、5mほど 上まで皮がはがれます。 5月は特に樹液も豊富なので汁が溢れ出てきます。それを鹿が舐めます。 ヒノキの香りもすっちゃろなあとおもうちょっちゃが。 山は人と動物と植物が一緒になって暮らしておりますから面白いです。

  レンゲの花の種を初めて採りました (2009年8月20日)

先週バスに乗ってじいさんと町に出かけました。 帰りは娘が車で送ってくれました。 孫も一緒でしたから車の中はまこて楽しいもんでした。 この写真はニンニクとレンゲの種です。 娘はニンニクの隣のネットの中身を指して「これはなあに?」と聞きます。 私は78歳になって初めてレンゲの種を採りました。  限界集落という聞こえの良くない言葉ですが  実際に田んぼをする人もいなくなりましたからなあ。 それで昔のようにレンゲはみれんごとなりました。 町ではレンゲの種を売っているそうじゃが  せっかくここで咲いたレンゲじゃから また昔のように咲かしてみたいとよ。 ニンニクは無臭ニンニク といっても少しはにおいます。 普通のニンニクに比べて大きいです。 三年前に佐土原の人から種でもらいました。 娘はこのニンニクとじゃがいもを持ち帰りました。 「ジャガイモはもう2回目だわ」というもんじゃから 私はおかしゅうてなあ。 我が家用、娘用と畝を作った甲斐がありました(笑)。 この種は名前を知らない花から採りました。 咲いたらしっかり調べてみらんと・・・。 今日は台風の影響で雨が降っています。 じいさんは 村のTさんのお父さんの70年忌祭で出かけました。 Tさんは82歳ですが。 じいさんは80歳ですが。

  ノウゼンカズラの季節 (2009年7月3日)

今年は、このこの地域じゃ、 どなたさんに訊いても胡瓜も茄子も固めで質が落ちるようです。 それでも娘たちは喜んで持ち帰りましたが。 次回は、ゴーヤを収穫できると思います。 爺さまが生まれる前からあるらしい樹齢80年以上の柚子の木に ノウゼンカズラが這って覆いつくしそうになりました。 木を傷める心配から切り取りましたがまだ、上の方には残っています。 可愛そうなので、別の場所の大木に這わせる事にしました。 一面の白い花は、「終戦花」と呼ばれています。 なんでも終戦後に見かけるようになったからだそうです。 兵隊さんたちが衣類に付けたりして運ばれてきたのかもしれませんな〜。 お日様の光が差すとこんな風に花を開きます。 家の前の茶畑の跡地は、今や終戦花と、ジキタリスで お花畑になって来ました。 娘たちは、午睡をして夕方帰って行きました。 爺さまと二人になって、今日の事を語りながらお茶を いただきました。 明日の天気はどうじゃろかい?

  収穫が楽しみじゃが〜! (2009年5月22日)

爺さまと二人で、畑の周りに鹿・猪除けのネットを張りました。 蔓苗を這わせる竹も裏山からひこじってきました。 その際、ついでに爺さま「榊を畑に移植しといたど」 と満足そうな顔をしとられました。 が、どこにかと思えば里芋の畝に一本だけ乱入でしたが! 又仕事が増えました。 榊が可愛そうなので、もう暫くはこのままにしておこうと思います。 茶製造をされていた方が高齢になられ、再び畑が戻って来ました。 今は一面、引っこ抜いた枯れ木状態ですから生気がなく何だか寂びしい印象です。 ところどころ飛んで来たジキタリスの種が背高のっぽの姿をのぞかせています。 そこで、周囲を菜の花やコスモスで隠すことを思いつきました。 あと一年もすれば枯れ木は腐って肥料になってくれますから良いばっかりです。 子どもたちが山羊を飼おうとか蜂蜜を作ろうとも話しています。 若い者は言うだけですから、まだまだ長生きせんにゃと思えてきます。 町に出た時は、柵用のポールやネット肥料など買うものが山ほどあり 思いついたら即メモしています。 忘れん坊になりましたからなあ〜。てにゃわんですが〜まこて!

  若葉の季節 (2009年5月8日)

毎月、必ず一度は町まで出かけますが、帰りの荷物が 半端じゃありませんでした。畑の肥料等が60キロ以上・ 食材も20キロはあったでしょうから、娘たちがいなければ 買い出しはできません。 帰途、恒例となった野原での昼食をとりました。近くのスーパーで、 各自好みの弁当を選びます。 今回はどれにしようかな・・・ 体のことも考えながら惣菜の組み合わせをします。 春は、桜や菜の花を眺めながら、シロツメクサの絨毯の上で 夏は大きな木陰で 秋はコスモスを眺めながら 冬は暖房の効いた敷地内のレストランでと一年中立ち寄ります。 今回はこいのぼりが沢山泳いでいました。 月に一度のハイキングが楽しみでなりません。 里は、若葉の季節の真っ只中です。 向かいの山のメタセコイアもご覧の通りですが〜。 里芋の芽が出ています。孫は、今から掘るのを楽しみにしています。

  2009年4月7日 (2009年4月7日)

今日は、まことに良い天気でした。 町で、懐かしい方を招いて歓談することができました。 この歳になると、会える時に会っておかなきゃとお互い思うものです。 あちらも又、同じことを考えておられたとのことでした。 山へ帰る車の中で爺さんは、いつもの如く賑やかでした。 補聴器をつけるようになってからも話す声の大きさは変わらん もんですから(笑) 山はこれから桃源郷です。 障子を開ければ向かいの山が額縁の絵になります。 庭に出れば三方の山が目に飛び込んできます。 先月、村の山本日出男さんが短歌の部門で文芸賞を受賞されました。 まことにおめでたいことじゃとみんなで喜ぶことでした。 ここに生まれて暮らす私たちも、離れて暮らす子供達もおんなじ思いです。 追伸: 4月4日のことでしたが娘からタンポポは咲いたね〜と聞かれました。 こちらはまだ蕾が固くて。水仙やムスカリが綺麗です。

  2009年2月16日 (2009年2月16日)

今年もあっという間に二月が来ました。 昨日は暖かくてこたつは使いませんでした。 今日は夕方にかけて気温がうんと下がりましたからすぐにこたつにしました。 月曜日の今日はマッサージ師さんが来てくださいました。 毎週月曜日にお願いしています。後期高齢者には市から3分の1の 補助が出ますのでありがたいです。 畑に馬鈴薯を5畝植え付けました。「北あかり」と「メークイン」の2種類です。 2畝は娘たち用です。一緒に収穫できる時は楽しいです。新しい料理の仕方など聞きます。 今は白菜が美味しいです。干したりんごの皮を入れると香りと甘みが増します。 なるべく塩分控えめにして漬けています。生姜醤油でいただきます。この白菜も 苗床で種から育てました。今はチンゲンサイとホウレンソウの苗が育っています。 猪も育っています。狩りの上手な人が減ったこともありますが、畑に猪の足跡が 残っているのをよく見ます。 ヨーグルトを作ることが楽しくなってきました。玄米ご飯も体にいいそうです から時々炊きます。 今夜 娘から電話が来てそのことを話したら「硬くないと?」と心配して言う もんじゃから「餅米を入れとるから粘りが出て食べ易いとよ。5合炊くとよ」と 言うたら「それは一体何日分なの〜!!」とひったまげていましたがぁ(笑)。 山はまだこれから先霜が降ります。

  2008年12月8日 (2008年12月8日)

祭りも近くなって村里には、笛や太鼓の音が谷筋を通って聞こえてきます。 畑の野菜をゆっくり間引くことも忘れていたけれど今日は可愛い孫が来て くれたので一緒に写真を撮ったりしました。 畑でとれた里芋と菜っ葉の味噌汁を「美味しいわ〜!」と言って食べてくれる ので笑顔を見てるだけで嬉しいです。 川向かいのメタセコイアが異国の色に染まっています。  川を越えて飛来した2つの種が今では、どちらも1mを越えました。 鹿除けの囲いをしなても異国の樹だからでしょうか食べたりしませんでした。 冬場は花の数が少ないので殺風景ですが、先日爺さんと二人で畑に 咲いていた花の苗を石垣の方に移植したので春が楽しみじゃね〜と話しています。 こうして、孫がこんな山奥にでも楽しみにして来てくれることが嬉しく てなりません。次回のお泊まりは、祭り本番ですから孫と二人ベッドで いろんな話をしながらお留守番です。ありがたやありがたやですが〜。 日曜日の朝は氷点下2,5度くらいありました。お神楽舞いの練習は小春日和でした。 みんなが熱心に練習しています。午後3時頃の写真です。

  2008年11月14日 (2008年11月14日)

朝夕冷えてきました。 6時起床8度くらいでした。昼は20度前後ありました。 芙蓉の種を家の周りに撒きました。今年もピンクの花を咲か せてくれました。種が飛んでどんどん増えてきています。 来年も楽しみです。 猪が鼻で土を掘り返した跡がありました。ミミズを食べようと したちゃろう。 他所の家では刈り取った稲を干していたら食べられたそうじゃが。 明日から猪の猟が解禁になりました。もぞなあごとあっとよなあ。 昨日は町にバスで行きました。 帰りのバスに乗り込むとほっとします。

  2008年10月28日 (2008年10月28日)

毎日、杉に囲まれて暮らしていますが、写真の杉には特別の思いがあります。 私の父親が植えたと聞いています。 洗濯物を干したり布団を干したり、そんな時眺めてしまいます。 忙しゅうてならん時は、ちょっと落ち着かせてくれます。

  2008年9月4日 (2008年9月4日)

みんな元気にしちょるごつあるね。 こっちも元気にしとるばい。 畑が楽しいがねえ〜。 あんたたちはカボチャは作らんかったとね。 わたしのは ホラ! こんど絵に描いてくんないね。 このあと胡瓜が沢山生ってねえ。 みんなにあげてものこるほどあっとよ。 ウドが大きくなってきたばい。 天ぷらやごまみそ和えがおいしいがね。 芙蓉の花が沢山咲いたよ〜。 ご先祖様も楽しまれとらるばい。