あつ子@カナダ11

日本を離れた歳月が、生まれ育った日本での歳月を超えた時、カナダに生きる自分を、
生きてきた自分と一緒に見つめて見るいい機会に恵まれたと思っています。
人の人生は、決して単調でない事などを含めながら、日頃の自分を異国の地で色んな方面から
分析をしてみたいと思っています。これからも、ささやかでも感じる心を持ちながら、
自分の言葉で自分らしさでこれからも綴っていきたいと思います。



 出会い       (2014年10月10日)   

 9月のある日女性から電話が掛かってきた。私は一度「宮崎の都城から来たのですが・・・」 という危ない電話にすっかりその気にさせられたことがあったが、このように時々見知らぬ方 から電話が来るとつい構えてしまう。 でも、今回はトロント新移住者協会の会報を読んでお電話をした、ということで安心して対応し た。夏の号に宮崎の白熊アイスと冷汁のことを投稿した。それを読んで電話をくださったようだ。 早速、近くの駅で会う事にした。そしてコーヒーショップの前で待っています・・・という携帯 電話で駅の前のスターバックスを目印にした。東洋系の多いこの近辺だがすぐに彼女だとわかっ た。日本人女性は遠くから見ても何となくその雰囲気でわかる。お声を掛けて駅の地下のレスト ランでランチをすることにした。名刺をいただき長崎の大学の教授で、宮崎県出身の学生も多く 冷汁も食べた事もあるということで私の投稿が目に止まったという。嬉しい出会いだった。 教授は、日系人のことなど何冊も本を出版されていると言う事で今回は新移住者のことをまとめ たいと、いうことだった。 トロントに移住してからの様々なことを久々に振り返る良い機会に恵まれた。そして、その会話 は果てしなくエンドレスに続いた。 秋の日の素敵な出会いだった。

 感動と出会い       (2014年10月5日)   

千日回峰行・塩沼亮潤大阿闍梨を日系文化会館にお迎えして、千日回峰行の修行経験とその 極限下の状況で悟ったことなどのお話をしていただいた。毎日48キロの比叡山や吉野・大峯 山の山道を1000日間歩き続けた後、9日間の断食、断水、不眠、不臥で死の極限の破天荒 な修行をやり遂げた行者は、1300年間でたった2人という。その超人的修行の講演は目を 見張らんばかりの驚きの連続だった。 私達は本や会話、音楽そして今回の講演など多くのことから様々なことに気づき、人生において 小さな山そして大きな山をも乗り越える事ができるのではないだろうか。その一つひとつの言葉 が私達の人生を支えていると言っても良いと思う。 塩沼亮潤大阿闍梨は、初めての国外での講演だとお話されながら、日系人の歴史の事を見聞きさ れたことに感動されたご様子だった。人は共有する事で心が繋がっていくのではないかと思った。

 ライブラリーシッター      (2014年9月2日)   

 日系文化会館にライブラリーが開設された。週一回そのライブラリーのライブラリーシッター をすることになった。今は、文庫本などの貸し出し用に整理作業で忙しいがとても楽しい。多く の人達から寄付された本が山積みである。そしてこんなにも多くの本と出会うと読みたい本が限 りなくある。  ある日、「ライブラリーシッターのお薦めの一冊」の感想文を簡単に書いてほしいと一冊の本が 手渡された。森沢明夫著「虹の岬の喫茶店」である。実在するその喫茶店の事にも興味を持った。 「コーヒーと音楽そして壁にかかる虹の絵」・・・様々な心に傷を持つ人達がふとしたことから この喫茶店に立ち寄る。そして、コーヒーとその人達の心を読むかのように流れてくる音楽と壁 にかかる虹の絵。私はその訪れる人達の為に流れる音楽を検索して流しながら読み続け読み終えた。 その時である。目の前に大きな大きな虹が円を描くように架かったのだ。それは見事な虹だった。  そして8月の終わり、第38回モントリオール世界映画祭のコンペ部門に吉永小百合主演の 「ふしぎな岬の物語」が出品され、先日、9月1日に審査員特別グランプリを受賞したのだ。 この映画こそが「虹の岬の喫茶店」が原作である。感想文の最後に「本を読み終えた時、目の前 にその本から抜け出たように大きな大きな虹が架かった。偶然や必然はこうして起こるように本は 人生をおもしろくしてくれる。」と書き綴った。

 去り行く夏そして秋へ      (2014年8月27日)   

 6月、7月、8月・・・カレンダーが真っ黒になった。「一週間が終わった、また一週間が 終わる・・・」その言葉を繰り返しながら日々が終わっていく。 日系文化会館、宮崎県人会のピクニックがあった。夏祭りがあった。老人ホームへの慰問が あった。子供ミュージカルがあった。沖縄の演舞エイサーが開催された。日本映画が九日間 上映された。ライブラリーが新設されてライブラリーシッターをする事になった。新移住者の ルームのオープンも任されている。あわせてその活動のミーテイングもプラスされるのである。 このようにボランテイア活動も幅広くなったのに加えて一週間に一度は仕事。一週間の1日は 友人宅でトランプゲーム(日系人が考え出したゲーム)をしたりしながらランチと笑いの交じ った語らう時間を持っている。7月の終わりには日系人の方々とオタワに二泊三日で旅をした。 8月には友人が持っているトロントの北にあるタイムシェアーに二泊三日で招待された。  忙しいはずである。しかし、この忙しさが自分を活気づかせていると思っている。80代の 日系二世の方から「人生そんなに長くはないですよ。楽しみなさいね。」と言われて「そうな のだ。短いのだ。」と急かされるような気分になる。でも日系の方々は本当にお元気なのだ。 目一杯エンジョイされていると感心する。  10月、52年目を迎える恒例の一世の日がやってくる。毎年70歳以上の方々を対象に開催 されている。昨年は400人以上の一世、二世、三世そして新移住者が集った。トロントに移住 した頃たくさんの日系人の方々とお会いした。戦前、戦中、戦後と苦労された日系人の方とお会 いして、日本では見えていなかった歴史があったことを知った。その歴史は様々な歴史の舞台の 中で語り継がれる事になる。そして、私が移住してから時は流れ、その歴史に私達新移住者の歴史 がプラスされることもそう遠くはないと思う。  去り行く忙しい夏の終わりを迎えながらその忙しさは秋へと繋がっていく。

 懐かしむ事     (2014年2月14日)   

20歳の頃だったろうと思う。今、私達が口ずさんでいる歌がいつか懐かしい歌となり 様々な番組で放映され流れるのだろうなあ・・・と思ったものだ。ついこの前のように感じる。 1960年代後半から1970年代の歌はまさに懐かしい歌として残っている。多感な年頃から 大人への道のりに残っている歌である。 その頃に活躍した歌い手達がその頃を懐かしみながら今でも活躍しているのは嬉しいものだ。 やっぱり、同じ時代に生きた心がそこにあって今も歌に滲み出てくる。  最近では、南こうせつが作った歌「からたちの小径」にそれを強く感じる。 懐かしむ事は場所も同じだ。私にとって日本であり宮崎であり西都であり・・・というように 異国にいるからこそ見える、感じる懐かしむ面が多くある。今は消えていった場所でも、年齢を 重ねていくと夢にまで出てくるようになる。  母が、今までは「遠いから帰ってこんでいいが・・・」と言っていたが「帰ってくれるね・・・」 と言った。そろそろ介護が必要になった母である。二ヶ月、母と昔の話をしようと思うが、言わなく とも母は昔の話をするだろう。子供の事も5人もいれば、いったいどの子のことだったのか思い出せ ないかもしれない。賑やかな祭りの日に隣の部屋でスヤスヤ眠っているベイビーを忘れて出かけた話 もそのベイビーは本当に私だったのか話題にしようと思っている。楽しい話も苦労話もたんと聞こう。  そして母にも懐かしい歌があるはずである。郷土に残る歌もその年齢が培ってきた哀愁がある。 聞くことができるだろうか。 「からたちの小径」

 新年のご挨拶     (2014年1月1日)   

皆様: 明けましておめでとうございます 毎年、実家に春を告げる梅の花を添えて、この1年が健やかな年でありますよう お祈りしております。 今年もよろしくお願い致します。                       あつ子@カナダ (*** 梅の花の詳細は「写真投稿」のコーナーへ ***)