あつ子@カナダ8

日本を離れた歳月が、生まれ育った日本での歳月を超えた時、カナダに生きる自分を、
生きてきた自分と一緒に見つめて見るいい機会に恵まれたと思っています。
人の人生は、決して単調でない事などを含めながら、日頃の自分を異国の地で色んな方面から
分析をしてみたいと思っています。これからも、ささやかでも感じる心を持ちながら、
自分の言葉で自分らしさでこれからも綴っていきたいと思います。



    秋が過ぎ行く日々        (2010年10月29日)   玄関先の日本の紅葉が真っかっかに色づいた。リビングルームのカーテンを開けて内からも見えるように している。秋の夕日に・・・と鼻歌も出てくる。そういえば、最近、歌を歌っていないなあ・・と気づく。 やはり歌は歌わないと声も出なくなっていくそうな・・・なんてどなたが言ったのか知らないけれど、本当 にそんな気がするのだ。
 さて、ここで10月23日土曜日の楽しいお話をしようと思う。この日、俳優の榎木孝明氏と西郷隆盛の ひ孫である西郷隆文氏とディナーをご一緒した。映画「半次郎」のトークと上映会が日系文化会館で行われ たのだ。榎木氏は、「あつ姫」や「天と地と」など多くの大河ドラマで活躍されている。
 このような時、ボランティア活動をしている関係で日本からの様々な有名人の方々とご一緒できることは 良い機会に恵まれると言ってよい。特に、お二人は鹿児島出身であるし、それに私としては隣の宮崎(飫肥) でも「半次郎」の撮影がなされた事を聞くと俄然張り切ってしまいます。西郷氏から「焼酎ですか。黒霧島、 赤霧島ですね・・・。中山さんはのん兵衛なんですね。」と言われると益々話が盛り上がってしまう。 「はい!もう焼酎が大好きです。今、家には霧島の大箱をいただいて楽しんでいます・・・。」この霧島が 我家に来るまで本当に偶然・・・なのかな、と思ってしまう。娘のフィアンセの両親がダウンタウンにサラ ダのお店を持っている。そこで日本人の若い方が働いていて、帰国したその彼女からお土産にいただいた物 がこの霧島焼酎だったわけだ。そして私が大好きだと聞いて届けてくれたものなのだ。しかし、それも焼酎 霧島とわねえ・・・とちょっと驚いた。
 さて、西郷氏は西郷隆盛の面影がどこかにあるように感じた。薩摩焼で有名な方であるがそのギャラリー などを検索してみると素晴らしい作品が並ぶ。今度、帰国したら隣ですもの、ギャラリーを尋ねて見ようか と思っている。
 榎木孝明氏と西郷隆文氏のことはe-nikkaで見ることができる。ぜひ、下記へご訪問ください。
http://www.e-nikka.ca/


    秋を楽しむ        (2010年10月13日)  10月・・・もう10月・・・楽しまなくては・・・紅葉が今年はきれいだし・・・ 行かなくっちゃ・・・北へ・・・というわけで秋を慌てて楽しんでいる私です。 ちょっと庭に出て残りのほおずきの様子を見ると何とこんなほおずきが隠れていました。 自然にできたなんて素敵、というわけで写真に撮りました。

 

 そしてやっぱり秋は食欲の秋。娘の韓国人の友人の両親が大きなスーパーマーケットを 持っています。何でもありのマーケットですので、時々「今、友人のマーケットにいるよ。 何かほしいものある。」と電話が掛かってきます。「お豆腐と和菓子と柿とキムチとあれ とあれと・・・」というように時々だけれど助かっています。そうだ!柿酢を頼まなくっ ちゃ、というわけで韓国で有名なお酢も注文。これは食後に水で薄めて飲んでいます。酸 っぱ〜いけれどお肌に良いとか。帰宅した娘が『もらったよ!お土産。』と言って箱がで ーんと。何とその中にはサツマイモがぎっしり。「ワッ、秋の味覚。」さっそく、サツマ イモご飯を作ってみました。懐かしい味でした。そして、週末にカントリーロードを走り 紅葉狩り。山のない景色は一本道が遥かかなたまでずっと、ずっと続きます。カナダはや っぱり広大。途中下車して、道端のお店でりんご、パイ、ジャガイモ、蜂蜜を買いました。 もうすぐハローうイン。パンプキンもたくさん並んでいました。

 

そうしている内に秋も終わりを告げます。我家の街路樹は真っ黄っ黄。落ち葉拾いが大変 です・・・と言いながらも私はやったことがないのです。(うふふ)


  我家の茗荷       (2010年9月22日)   今夜は十五夜です。月見て一杯・・・と思いきや・・・。 三日前に38度の熱を出して喉も痛い。 そこで焼酎でうがいを何度か試みました。染みる痛みの感じから効果があったのか、二日間で喉もす っかり良くなりました。
 後日、20個の茗荷と生姜と紫蘇の実で「茗荷の佃煮」を作りました。


我家は白砂糖は使用しないのでメープルシロップを入れました。 三日寝かせて完成なのですが、待ちきれない私は早速味見。 程よい味の佃煮になって大成功です。
ご飯のお供に、お酒のお供に・・・・と思って、今日はお月さまを 見ながら茗荷の佃煮と一杯、と思いきや焼酎をうがいに使用してしまい空っぽ。


たくさんできた茗荷の佃煮、結構おいしくできたので茗荷の好きな友人にお裾分けしようかな。


  秋風に吹かれながら       (2010年9月4日)   くろまめさんのスローフードを拝見して気分ものりのり・・・。
 今朝は、涼しい爽やかな風が部屋いっぱいに入り込んで気持ちの良い朝です。そろそろトロントは秋です。 我が家の茗荷もほおずきも大人気。今年もいっぱいの収穫です。喜んで下さる方には、セッセセッセと収穫 してどんどん運んで行っています。「茗荷、おいしいね。最高だよ」と言われるとがぜん腕まくりにも力が 入ります。大きな大きな茗荷がたーんと採れましたから。年毎に、我が家の小さな菜園は実る野菜で窮屈そ う。
 あっ!そうだ、友人達から茗荷の苗をほしいって頼まれていたっけ。はて、いつ頃、移植するのがいいの かなあ・・・。この頃、「はいよ!」と勇ましく答えるのは良いのだけれど忘れることも多い。だから、私 のPCの周りはメモ用紙でいっぱい。書いては消し書いては消し・・・。終わったメモ用紙も丁寧にチェック してからゴミ箱へポィ!

 去り行く夏の中で、今年の大きな行事も終わってホッとしています。トロント新移住者協会主催の大イベ ントBBQパーティーも盛況のうちに終わりました。「オープニングセレモニーの挨拶お願いします〜」って 言われた途端、「そんなお役目もあるんだ・・・」と、こんな日の挨拶は短く、幸せは長く・・・うん? これは結婚式の言葉だっけ。でも短い文を作っていつものようにブツブツ言いながら練習しました。マイク を持ったらお手の物、かな?かな? お天気も最高で青空の美しさもさることながら、ボランティアスタッ フのモクモクと働く姿はほんとに頼もしい。美しい。笑顔いっぱいで。スタッフが着ているT-シャツも青空 にちなんできれいな青色で揃えました。その青の姿は会場の中で踊っているように見えました。みんな、走 り回っていましたから。このような時の底力は我らにあり・・・でした。
 そして静かな朝の中でひとり・・・秋風に吹かれながら去り行く夏を惜しんでいます。

  「さるく」       (2010年8月6日)  那須省一氏の「アフリカをさるく」を楽しみしている。まずは「さるく」という方言に心を引かれるが記事も 興味深い。方言とはなかなか楽しいものだ。トロントに移住して、日本の各地から来た人達から方言を聞くのも おもしろい。その方言は時として会話の中に出現して話題にもなったりする。以前どこかに書いたような気がす るが、東京出身の友人と電話で会話中、そろそろ友人の家に行く準備ができたので「今から来るね。」と言って しまいお叱りを受けた。「ちょっと、そんな時の日本語は、今から行くね、でしょ。」宮崎の方言だと説明した ら大笑いされてしまった。この方言の話しがでると、英語の直訳だということでなかなかおしゃれだと言われる こともある。一時は「どげんかせんといかん」と顔を合わせると言われた。時々「あれぇ・・・どんげかせんと ・・・どげんかせんと・・・」どっちだったかなあ、と迷う。

 宮崎を案内する時に方言の紹介をしていた。『宮崎には、「のさん」という山に「よだき」という木がたくさ んある所でございます。』『いっぺこっぺさるいたのでひんだれたでしょ。』などなど・・・。 先月、ラスベガスをさるいてきた。それこそ、40度を越す湿気のない眠らない街をいっぺこっぺさるいたので ひんだれてしまった。しかし、夜景はみごと。遠くから見るのではなく近くで見るのだから目がクラクラ、そし て見上げた眩しい光景に維持費が大変だろうなあ、とムードのないことを考え、何となく元気のないフェニック スやワシントンヤパームの姿に、宮崎空港から道路沿いに続く活き活きしたワシントンヤパーム、県木のフェニ ックスの景色を思いながらさるいた。
さて、今日も「太陽のメロディー」を聴いて終わりにしよう。

  心和やかにするドラマ       (2010年6月30日)  久々に友人からDVDを借りて日本のドラマを観た。それは友人お薦めのドラマ「佐賀のがばいばあちゃん」。 お笑い芸人島田洋七氏の少年時代の物語だった。昭和30年代、事情で佐賀県の母方の祖母に引き取られ 二人で生活する中でのおばあちゃんの知恵や教訓がおもしろい。
小学生で転校して、クラス仲間に貧乏だといじめられるが祖母は言うのだ。「安心せい。うちは昨日今日、 貧乏になったわけではない。先祖代々貧乏や。ばあちゃんで八代目、お前継ぐかい?」と慰められる。そし て祖母の話は続く。「貧乏には暗か貧乏と明るか貧乏がある。うちは明るか貧乏や・・・。」と高々に笑う 姿は何ともたくましい。
中学生になって英語の試験が迫ったある夜、それに備えて勉強をしながら悩む孫に言うのである。『答案用 紙にこう書いとけ。「私は日本人です」』。これには笑った。なるほど、スマートな回答である。そして、 なおも悩む歴史の試験には、「過去にはこだわりません、と書きんしゃい。」奇想天外な、そのおばあちゃ んのクルクル回転する応えに納得する自分がいて二重におかしかった。 そして、ある晩勉強をしている孫に言う。「あんまり勉強するな。癖になるど。・・・」と電気を消してし まう。これにも笑った。
貧しい生活の中でのおばあちゃんの知恵にもなかなか感心させられる。水道代を取り立てに来た人に「わし らは、最近この2、3ヶ月水道の水は飲んだことなかばい。」とそばの孫に念を押す。するとやり込められ た取り立ての人が笑いながら帰っていくのだ。
スポーツをやりたいという孫におばあちゃんは言う。「剣道はお金が掛かるからやめときんしゃい。走りん しゃい。走る地べたはタダ。道具もいらん。」そして、素直に走る。毎日走りその爽快さに走る。すると、 ある日、祖母が「靴が減る。はだしで走りんしゃい・・・。」そして、「今日も一生懸命走ったばい。」と いう孫に「そんなに一生懸命走らんでよか。腹が減る・・・。」「腹が減った。」という孫に「それは気の せいや。」と応える祖母。妙に納得する少年。貧乏の中に生きる素直な言葉が清清しい。

 スイカの皮の漬物、百円札など懐かしい場面も出てくるが、さりげないおばあちゃんのしぐさや言葉が昔 を生きた元気の良いその時代を思い起こしてくれる。貧乏でも幸せに生きたその姿が私達に何かを教えてく れる。
「頭の良い人も悪い人も貧乏人も金持ちも50年経てばみんな50歳になる。心配するな。」
「母ちゃん、母ちゃん、母ちゃん、小さい字でもその存在は大きい。」・・・いずれも佐賀のがばいばあち ゃんの言葉である。


  宮崎の危機      (2010年6月11日) 4月20日、この日宮崎県の危機が発生した。今も衰えを見せず広まるばかりだ、とTVジャパンの ニュースが伝えている。観るのが辛くなる。今朝も、拡大していく、というニュースを見ながら恐 ろしくもそのすさまじさに、被害にあっている人達のことを思うと涙がこぼれてならない。
 宮崎のその痛みを、我々トロント宮崎県人会も共有しなければと義援金を募集し、募金箱を設置 した。友人、知人達からの募金協力や言葉が心に温かく染み込んでくる。
一刻も早く故郷がその危機から救われてほしいと願いながら、毎日、宮崎を思っている。
 募金募集の記事は、日加新聞にも載せていただいた。

http://www.e-nikka.ca/

 終わって・・・    (2010年6月4日)  「・・・ではまず・・・?」あれ〜台詞が頭から消えていた。「うっそう・・・」すると相方さんが 「日本調からです。」と一件落着。ホッ)
ある知人が「たまにはどじった姿が見たいわ・・・」と以前から言われていたが終わった後日「見せて いただいたわ・・・。」と大笑いだった。3時間のショーだったがいつものようにスムーズに流れてぶ っつけ本番のインタビューも無事終えた。
 MCに歌に、と忙しい時間だったが一世、二世の方々の戦前、戦中、戦後の歌を揃えたショーはとても 喜んでいただいた。30年前に開催した日系一世、二世の方々のためのショーから、2006年の開催 を数えるとこれが三度目だったが時は流れたとつくづく思う。もうこのようなショーも最後かもしれな い、と思いながら会館を後にした。
その時の様子が下記に載っています。お時間のある時に覘いていただくと嬉しく思います。
http://www.e-nikka.ca/

 私の「なつかしのメロディー」 (2010年4月24日)  5月に開催する「なつかしのメロディー」のポスターが完成しました。ポスター制作担当の方が 「トロントのさぶちゃん(北島三郎)とのツーショットが良いでしょ。」と言われきょとんとして いた私でしたが・・・。日系文化会館にドッカーンとパネルで置かれているのを見て「うわっ! い・い・いったいどこからこんな写真を!」と驚いてしまいました。「誰に流し目を・・・」。 友人たちからからかわれぱなっしです。このポスターがあちこちに貼られるわけですから照れくさ くてたまりません。・・・と言いながらここに登場させるなんて・・・笑)でもこの一枚も私の 思い出の写真です。写真って本当に一瞬の表情を捉えますからね。
 なつかしのメロディーも順調に準備が進んでいます。台本片手に毎日奮闘中の私です。発声練習 も欠かせません。でも。やっぱり宮崎のイントネーションが出るのですね。素朴で良いですって言 われてそのまま宮崎を出そうって思っています。


 『二人の運命は二度変わる』 (2010年4月23日)  友人、那須省一さんが翻訳した本の紹介をe-nikka.caに載せて頂きました。『二人の運命は二度変わる』 ・・・題名からして読みたくなるような本です。今、その本は海を越えてトロントに向っています。今頃、 どの辺りかなあと姉からの贈り物を毎日待っています。
 今月は、日系文化会館で作家浅田次郎氏と阿刀田高氏のトーク・イベントがありますので早速チケット を購入しました。読書をする余裕を持ちたいと、日頃思いながら本に触れる機会をつくるようにしている のですが、ベットサイドの本棚には、帰国していく友人や日本から送られてきた本が山のように並んでい ます。人生・・・まだ読む時間はあるかな、と思いながらゆっくりのんびり構えていますが、老いても 読書を楽しむ時間を持ちたいと思いながら、しかし、多いなあ・・・読み終えるかなあ、というのが正直 な気持ちです。笑)でも、楽しみを用意しておくのもいいかなあ、と思っています。
 これから、ぽかぽか、春の陽を背に受けながらキッチンで読書のひとときを持つのもいいなあ、と思っ ています。トロントもすっかり春ですもの・・・。
 e-nikka.caをお時間がありましたらご覧下さい。
『二人の運命は二度変わる』は、暮らしインフォの欄で紹介されています。
http://www.e-nikka.ca/Contents/index.php/

 「なつかしのメロディー」開催 (2010年3月26日)  しみじみと懐かしんでいただき、そして感謝し、学び、その中に笑いがある。1980年、我々 新移住者が中心になって日系一世二世の方々の懐かしい歌を集めて開催した「なつかしの歌声」 から30年になる。それが高評を呼び、「再度の公演を」と望まれながら、一世の方々がお元気な 内にと2006年に「なつかしのメロディー」を開催した。
   戦前、戦中、戦後に分けて、その当時、日本で流行った歌を集め、会場が一世二世の方々で埋まって いた30年前のそのステージの事は一生心に残るショーとなった。3時間と言う長丁場が、笑いの渦の 中で流れていく様子が二本のカセットテープに保存されている。時々思い出したようにドライブをしな がら聴く事もあるが、今、そのテープはCDに入れ替える為に友人の手元にある。
 そのステージは、私がカナダに来て戦前、戦中、戦後と苦労された日系一世二世の方々の事を詳しく 知る切っ掛けになった貴重な時間でもあった。インタビューのコーナーで、ステージにお迎えして、 その当時の事を話していただいた一世の方々との悲しい別れも、流れた30年の中に静かに眠っている。
 そして、二回目を開催してから4年後の今、私達は三度(みたび)、一世二世の方々にカナダで流行 った歌を懐かしんでいただこうと実行委員会を立ち上げた。今回はカナダ移民の歴史とその当時カナダ で流行った日本の歌を集めると同時に英語の懐かしい歌も4曲取り入れた。
 日本調の三人奴の芸者のお座敷ソングから始まり日系三世の方々による英語の歌「テネシーワルツ」 などの曲でショーを締めくくると言う3時間の歌謡ショーになる。37曲と言う歌が、帰加二世の ディレクターを中心に選び抜かれたが、それらを一人一人のキーに合わせて編集するという事は至難の 技である。その後、練習用のCDを作りそれぞれに渡してリハーサルに備える。舞台はプロジェクターを 使用するがその歌に合わせてPCから写真を作成してバックに映し出す。会場のバック上にある音響室は、 音響、照明、スポットライト、プロジェクターのコントロールする人と共にQシート持ったステージディ レクターが舞台袖の進行係4名に息つく暇もなく指示が来る。歌手、踊り、裏スタッフ総勢70人近く のボランティアが動くのである。緊張の中でのスタートは「よし、行きますよ!」という掛け声から みんなの息がそこでがっちりとまとまりステージも時間を忘れる程にスムーズに流れて行く。これは 今まで開催した数多くの貴重な経験(体験)からくる自信でもあると思っている。
 戦前、戦中、戦後と過酷な社会的背景の中で、日系カナダ人としてその基礎を築いてこられた一世 二世の方々に感謝しながら、私達はその思いをこのステージで伝える事ができたら、と毎日その準備 に追われている。

日時 5月29日(土) 6時半開演
チケット 15ドル(指定席)

収益金の一部は日系一世二世の方々の力によって建てられた日系文化会館に寄付される。
 故郷の愛に包まれて(最終編) (2010年3月16日)  若いって羨ましい。子供達は宮崎の昼夜を楽しんでそれぞれの日にトロントへと発って行った。
私は、それぞれを送り出しホッとした10日間を過ごした。そして、私も宮崎の夜を楽しまなくっちゃ、 と市街地にホテルを予約して一番街、若草通り、橘通りを歩いた。日曜日だったが何となく夜の人口が 少ない。20代の頃の宮崎の夜はもっと賑やかだったように思う。
そして、いよいよトロントへと帰る日がやって来た。父の写真に「じゃ、行ってきます。」と別れを告 げ玄関先の道路でいつまでも見送っている母を残して宮崎空港へと向った。空港では、授業時間を30 分ほど抜けて見送りに来て頂いたビタミンiさんとルンルンちゃんに会うことができた。ありがとう・・ ・お二人さん!
羽田ではくろまめさんが出迎えてくれた。いつもの事ながら「懐かしい〜」の一言で賑やかな対面式に 次男は笑っていたと思う。成田までのバスの中で堰を切ったように私達はいろんな話をした。尽きる事 の無い話、時間・・・やっぱり私達は20年後にポカポカ縁側でお茶を飲みながら過ぎし日の事を話す 事になるだろうなあ、と思った。

成田発―トロント着はこの冬の寒い季節なのに満席だった。そして、時差の疲れを持って帰って来た上 に、さらに帰ってからの時差がプラスされて10日間ほどは眠たい時にただ眠り続ける「眠り姫?」の ようだった。

 故郷の愛に包まれて No4 (2010年3月12日)   翌朝もその日の計画の時間に追われていた。どうしても、掘切峠の景観を子供達に見せたかった。 というより、私自身が行きたかったのだ。くねくねとした山桜の多い山道を登っていく。車の中で、 「ここ辺りから刈干切歌を紹介しながら案内したのよ。そうすると、パッと眼前が開けて眼下に青い 空と青い海が広がる。その醍醐味を案内するのが大好きだったわ。」小さな声でその民謡を口ずさんだ。 「もうすぐだよ・・・」そして「皆様、太平洋でございます。まっすぐにアメリカまで続いている太平洋 でございます。」。その単純な案内に子供達は笑っていた。この海を越えて、遥か彼方で私のもう一つの 人生が待っていようとは・・・そんな想像もできなかった懐かしい20代の青春の一部がここにあった。
 車を降りてフェニックスの並木の下で、鬼の洗濯岩などを説明しながら、いつもバスで通り過ぎていた 思い出の場所の景観を楽しんだ。その後、子供達は義妹の運転で祖父の墓参りを兼ねて親戚巡りへと出発した。 満杯の車に乗れない私は義母と家に帰りこたつでゆっくり体を休めた。時差の疲れが取れないまま毎日が過ぎ ていく。
 夕方になって二人分の夕食の準備をして焼酎でもいただきながら、と思っていた矢先に集団がどやどやと 到着した。「えっ、なんでこんなに早く。」と言ってしまったが、昼をミスした子供達の両手には、山のよう に買い込んだ食べ物が。そしてテーブルに所狭しと並び、あっと言う間にそれらは消えていった。ハングリー になる事は良い事だわ、とその食べっぷりに驚いてしまった。その後、子供達は甥や姪達と夜の闇の中に消え ていった。若いって素晴らしい!!
 故郷の愛に包まれて No3 (2010年3月7日) 「子どもの国は子ども達にささげた夢の国おとぎの国でございます。」と案内していた言葉が思い出された。 その子どもの国に隣接しているホテルは、太平洋を眼前にして、そこには青島がぽっかりと浮かんでいる。
部屋からその光景を眺めながら限りなく観光客が訪れていたその時代を思った。道路沿いに植えてある夾竹桃 の並木もそのままで、そこを過ぎると「青島ういろう」の店もそのまま並んでいて胸が弾むほどに嬉しかった。 「ういろう」の味もそのままだった。
 ホテルの前から続く太平洋沿いの遊歩道を歩いた。子どもの国の方向へと歩く。すると、京都という文字の 入ったスポーツウエアの女子達が10人ほど走ってくるのが見えた。すれ違いざまに「こんにちは」と挨拶さ れて爽やかな風に吹かれたようだった。
 朝、窓のカーテンを開けると長男と次男が砂浜で波と遊んだりしながら青島の方向に走って行く姿が見えた。 我子達も確かに宮崎の思い出を刻んでいる。
 故郷の愛に包まれて No2 (2010年3月5日)  それぞれに発つ日は違ったが、一家総出で初めて帰国して宮崎に集合した。義母の米寿、母の卆寿の お祝いを、ということであったが、実家に11人が泊まるというまさに民宿並みの賑やかさであった。 そして、すっかり賄いさんになった私だったが、そのお布団の量だけでも呆気にとられた。
 母は、カナダの孫達に久々に会って目を細めている。子供達も祖母(おばあちゃん)という感触に嬉し そうだった。次男が幼稚園の頃、「マミー、明日おばあちゃんの所に行こうよ。」と言ったのを思い出す。 ナーサリースクールで子供達同士で「明日はおばあちゃんの所に行くんだ・・・」と言っているのを聞い てそのような思いになったのだろう。私は何と応えたのだろう。きっと、「おばあちゃんの家は飛行機に 乗らないと行けないんだよ。だからいつか行こうね。」
 そのような事を思い出しながら歳月の流れを感じた。長男の「二人の祖母が元気な内にみんなで帰ろう。」 という案から実現した今度の帰国だったが、短い滞在が終わろうとする中で、子供達にも「また祖母に会え るだろうか。」という思いがあるはずだった。(つづく)
 故郷の愛に包まれて No1 (2010年3月4日)   トロント―成田―羽田―宮崎・・・朝6時に起きて準備してピアソン空港に向かい厳しい税関を通過して 機上に。一気に乗り継いで宮崎に着いたのが夜の8時半、家で落ち着いたのが2時間後の10時半。
 そして、日本の朝を迎えて、時差でフラフラの状態で毎日がスタートしたのでした。日本は朝からなぜか せわしい。その波にやっとこさ乗りながら、というか無理やりに乗せられた、というか昼なのに夜を要求し ている体もそのバタバタの時間に消されるように動いている。晴れた・・・お布団を干しましょう。晴れた! お洗濯も早めに。掃除機掛けもさっさとすませましょ・・・そしてそれらを終えての毎日の一杯のコーヒー のおいしい事。そしてコタツの懐かしい暖かみの中で眼がうつろになっていく。側で母がオリンピックの解 説をしているが後はオボロ〜。
日本は春だなあ、と裏庭の老木に咲く梅の花を毎日のんびりと眺めた。蕾がまだたくさんついて一輪一輪開 いていく。「梅の花、一輪咲いてまた一輪」・・・そして、花びらがどんどん散っていく。すると、知らぬ間 に、昨年梅酢と梅酒にした、という梅がドーンとテーブルに置いてある。庭の梅だと言って10個ほどの大き な梅が小皿に盛ってあるのだ。梅好きの私は、母が笑っているのを横目にぜーんぶパクパク食べた。梅酒が効 いてちょっとポッとなって程好い加減でうたた寝をしてしまった。あ〜あ・・・コタツの心地良さよ・・・。 母は、相変わらずオリンピックに首っ丈になって声援を送っている。私は、朝の主婦業を終えて日本の時間に 包まれて酔いしれている。
母の側でうたた寝をした幸せを今、トロントに帰ってきて思い出している。(つづく)