里津子の窓8

人生で大切なものは”孤独の引き出し”です。家族や友人も知らない一生自分しか開けない
引き出し。それぞれが、整理したり何か彩を加えたり要らないものを捨てたりする。ある人
はその中に絵や歌や詩やゲームやメールや様々なものをしまっておくのは言うまでもありま
せん。何も置かないすっきりした空間で安らぐ人もいるでしょう。そこはとても大きなパワ
ースポット。自分の心の中の引き出しです。

******** 「里津子の窓1」の下段に「写真ギャラリー」を移設しました。********






 山羊風爺顔のそら(空)君 (2014年12月29日)

21日に新しい子犬、ミニュチュアプードルシルバー色がやって来た。近所の ペットショップ数軒を比較した結果そろそろ5か月に突入する売れ残りの子 に決めた。アイコンタクトとまったり感と超甘えん坊が気に入った。幕張の店 では80万もする子犬を見た。わが子はその十分の一位だ。里親になろうか 動物病院委託の犬を引き取ろうかと登録はしてみたが荷が重すぎて止めた。 後の事はムスメが遺産として引き継いでくれるそうなので安心している。 彼女が少ないボーナスを使いプレゼントしてくれたのが何より嬉しい。 この1週間は知恵比べ。サーカス犬になる犬種。こちらを試す行動有りで遊び やお座りはすいすいマスターした。絨毯の上で粗相したためその点は訓練中。 首がグルグル回り膝の上では獲れたての魚状態。この方に運動不足解消を お願いするつもりだ。犬に頼る情けない自分であるが可愛さに負けて懐に入れ 寒風の中を社会見学散歩している。先のりんご嬢が写真の中から睨むかなと 危惧したがその様子もなくなんとなくイノチの再来も感じる。首を白鳥の様に 回して腕の下に突っ込みパタッと寝入る様子は不思議。夜泣きで家人が怒り ケージの移動が望まれている現状だ。人間の子供だって夜泣きする子は多い。 タダ普通の団塊の世代の男性はそういう家の仕事にあまり記憶がないはずだ。 家人は赤ん坊の時にデべソになる位泣いたので御払いもしたと聞いている。 店のケージの中に2か月も居たので社会勉強が出来ていると思う。抱っこしては 又戻されると言う日々の経験はつらかっただろう。試しに抱っこした時は離れず 困ったものだ。人も犬も社会経験は後々の糧だ。口の周りを米風にバリカン カットされて居たので爺さん顔だったが1週間で生え揃いそこそこ若顔になった。 りんご嬢は太めだったので服が全く合わず1枚購入した薄手では寒かろうと思い ワタシのレッグウオーマーを着用したらぴったりで可笑しい。男の子なので上に 巻上げないと汚すことも分かった。来月は狂犬病予防注射。次は去勢手術と 考えている。ペットショップからブリーダーに返されていたら繁殖犬として生きる 運命だったに違いない。どちらが幸せか不明だが我が家で楽しく暮らしてほしい。 嫌っていたケージの中に主のタオルを入れてあげたら自由に出入りして眠る 事が出来るようになった。幼犬時代はあっという間なので躾も楽しみの内だ。 主は1月12日から銀座アーチストスペースで新春アーチスト展が有り月末締切 の公募展トライもある。肝嚢胞のCT検査が来月末になった。主治医がエコーに しますかCTにしますか胃カメラにしますかと尋ねたのでジョークかとも思ったが 最近は検査方法を患者に選ばせるのだろうかと考えなおした。選択するのも 患者の仕事になる時代かもしれないが遠路はるばる通院する身としてはせめて 少しは親近感のある時間が欲しい。出来るだけ手短にご迷惑でない様にと思い 患者はそれなりに考えて行くものだ。帰りに血液検査をして行ってくださいとの 事で4本。午後のチの出は元気が良い。朝は血管を押さないと出ない。 カロナールを常用しているのでひどい風邪には罹らない。高熱も出なくなった。 胃の辺りはそれなりに出ていて痩せてどうなる物でもないハズなので続編あり。 肝嚢胞経験の渾身の投稿が少しでも誰かの目や心に触れたのだろうかと考える。 くろまめさん達の旅がご無事に終わり安堵しています。雪が降らなくて良かった。 古くからの生活品を大切にされる姿に感動。どんどん捨てているワタシです。 旅のお話が沢山アップされます様に。宮崎の霊山の空気を届けてください。

 ドラキュラの応援旗 (2014年12月7日)

意外な事にトツゼン応援が現れた 道の途中 峠の胸突き八丁 登るだけで後は緩む足を慰め 駆け下りるかまた駆け上るかだけ 道はもう1本しか残されていないから 其処に苦しみがあるのか楽しいのか解らない ここを歩くしかないでしょう ただ脇目も振らずと言うわけでもないけれど 右手には同年齢のコツコツ歩きの婦人達 左手にはドラゴンだってヨタヨタしている 其処に現れたのがドラキュラの応援旗 この旗には注意しなさい 怖いんですよ だって顔を見てごらんなさい 恐ろしいでしょう 必死で注意喚起するヒトは確かに居る でもこの旗を見たとたんにエライヒョウロンカでも 絵描き泣かせのガローオーナーでも タイカノガカでも結構普通に見えてくるから面白い 皆割合とヤサシイココロネのヒトなんだね いったいどこで先入観を仕入れたり線引きしたのか たかだか人生の合間に絵を描いているだけ だから今更なんだって応援団に見えるし 誰だって天使にさえ見える不思議さ こういうのをコワイモノシラズという 歴史に残る絵 残らない絵 消えるだけの絵 エーッ それでも人生の一部なんです 婦人たちは結構イノチガケで勉強中 おじさんや若い子だってそれは真剣顔 それだけは本当に確かな事です ちょっと違う道を選んで歩いて来た人達 それでちょっとだけシアワセな人々とワタシです

 上出来な実りの収穫 (2014年12月2日)

若い頃からさぞかし厳しい思考力を持ち実践してきたのに違いない人だ。 素朴で遊び心がいっぱいの作品がそれを物語っている。利潤の追求は してこなかったのかも知れないと思った。その人が評論家なんてキューケツキ みたいなもんだよっと言った言葉がガツンと響いてきた。ちょっと前の昔会った 事のある評論家を自分の絵の前に引っ張って行って講評をお願いしていた ワタシなのだ。何にも知らないモノですからと返答した。プロの世界を歩く のには難しいヤリトリがある。遅く芽を出す気楽さというものは確かに在る。 札幌の時計台の下のギャラリーでいつも個展をしていたのよ。絵が売れたり してね。楽しかったわあの頃は。ずーっと話し続けて止まらないT夫人。うふふ 大家の先生に言ったのよ。あなたはワタシに人物画と抽象画を教えなさい。 彼女は豪快に笑い何かというとダメヨダメダメと冗談で調子を取るので困るのだ。 ええーっあんな大先生にそんな事を言ったのと仲間が仰天している。有名な ヨーコ女史みたいなヘアスタイルの夫人は丁度ご夫婦別々の場所で個展と グループ展中なのでお互いに行ったり来たりしている。若いころにワープ したみたいに初対面同士のランチやお茶で盛り上がり楽しい。南国ボケして いて海外で沢山経験したので初対面の人慣れしまったワタシだ。 雨で冬並みの寒さの銀座の路地を夫人と相合傘でヨロケナガラ次の画廊を 探して歩く。えーっ場所がわからないわ。足が疲れた。一人が店に入り場所を 聞いている。ビルの中の小さな画廊は埋もれていてなかなか見つからない。 普段こんなに歩いたことないわ。いつもネコちゃんたちと日向ぼっこしてるの。 ちょっとT夫人。はみ出た脇腹にあまりしがみつくのは止めて欲しいのだけれど。 これは贅肉だけでは無いのですよと言い訳したいワタシだ。先に歩く夫人が あったわと呼んでいて一安心。同年輩のライバル意識も確かに在るはずだが それ以上にお互いをいたわり合い励まし合う気持ちが優先するような気がする。 ビルの上の超豪華な画廊に立ち寄った時は社会の格差をハッキリと観た。 パーティーの終わりにはダメヨダメダメ夫人も消えていて東京駅から茨城まで 高速バスで帰る友人と有楽町駅を目指した。誰も並んでいない年末ジャンボ 売り場でバラ券を10枚だけ購入。友人はお母様に10枚。くじは当たった事が 無いが購入しないとチャンスもない。就寝前にリセットされてしまうノーミソを 心配してちびノートに今日の反省と成果を記入した。人生初の銀座年4回の グループ展を達成した今年に乾杯。いつももっと元気な色をもっと太い線を。 伸び伸びと描く楽しさを教えてくださるタシロ先生に感謝。絵画の修行はまだまだ 続ききっと終わりがないと思う。雨でも雪でも大風でも気分はリッチな銀座だ。 人生をより有意義にするために絵画制作を頑張りましょうと挨拶していたK先生 の言葉は熟年夫人達にとって大当たり。行動することに意義がある大年齢だ。

 母系社会のイヌたちの事 (2014年11月28日)

今更ながらですが犬のオスとメスの飼い方の違いなどを調べてみました。 オス犬は甘えん坊でトレーニングなどのお勉強が好きでメス犬は独立心旺盛 でマイペースという違いがケンサクされました。TVなどでオオカミなどの母子 の様子を放映していたのも思いだしました。我が家の亡きメス犬りんごは オイデと呼びかけると逃げると言うゲーム状態で具合が悪くなるまでは室内 で抱っこなどは喜ばない子でした。小さい時は掃除機に突進するし靴下を くわえさせると離さなくてメリーゴーランドの様に回転させると大喜びでした。 長椅子引っかきストレス発散作戦や威嚇するネコに攻撃姿勢に加え大型犬を 全く恐れないちび犬でしたし雷にさえ吠え続けたジャカルタ生活でした。 当然の事として1歳半の時に去勢手術をしたのですが母犬とその本能は既に 出来上がっていたはずです。手術後は腰が抜けてしまい1週間ほどは長椅子 の下から出てこず主は床で添い寝したりしてお世話しました。3週間動物病院 に預けられたときは血尿が出て下痢が止まりませんでした。獣医さんが好きでも 嬉し悲しという不思議な通院だったものです。亡くなる前の通院では脳みそが どうかしていたのか太い注射を怖がらなくて哀れでしたがその後復活した時に は主の脇の下に頭を突っ込んで恐々と注射器をふり仰いでいました。家人は 注射が怖いのでついに一度も犬を抑えたりのお世話が出来ずドアを閉めて 病室の外に出てしまいました。獣医さんと顔を見合わせて苦笑いしたものです。 オス犬も男子も育てなかったですがヒトの世界でもお勉強を熱心にするとか 母親のいう事を良く聞くと言う姿が想像されます。メス犬や女子は束縛嫌いで 批判的にさえなるから難しいと思います。もちろん数えきれない位色んなパターン がありますが。とにかくメス犬は強い。それでうちの犬は亡くなる直前まで主の 心配に余念がありませんでした。年齢は追いつき追い越し貫録も付き家庭の もめ事も丸く収め本当に頭が上がりません。今でもりんご様と呼びたいくらいです。 リタイアした家人にヒトの感情の細やかさを思い出させてくれたのも彼女でした。 2匹目のイヌは飼いたし。されど年齢や病寿命のリスクを考えると自信なしです。 家人の亡き母上キミちゃんは70歳を超えるととすぐにボケが出ました。それで リタイアした家人がワタシより先にボケてしまったらという心配もあります。でも 犬の為に元気でいたいと言う気持ちは良い薬みたいなものかもしれません。 肝嚢胞治療などが成功して犬の寿命と共に歩けると言う自信が欲しいなあ。 ささやかな望みと言えるし贅沢な事ともいえるし。それぞれのヒトの好みの問題 とも言えますがとにかく犬パワーは強いのでその後利益にアヤカリタイ。 そしてまた一匹の犬の命位は助けてみたいものです。ヒトはどんな状況でも望み や楽しみは次から次へと思い付かないといけませんが今年は犬で修めます。

 子犬のお腹の温かさ (2014年11月24日)

欲しそうに見ていたらペットショップの店員さんがチャンスとばかりに近寄った。 抱いてみませんか。可愛いですよ。いつも断ることにしているが2回ばかり 気が緩んで抱っこしてしまった。1回目の子は途中でブルブル震えだしたので 直ぐに返して相性が悪いのだろうと判断。2回目の昨日は掌を広げて子犬の お腹の下に入れて抱っこしたら落ち着いてその上顎や鼻先をペロペロ舐めて くれた。子犬のお腹の温かさと小さな心音が掌に伝わり何とも言えない気分。 アイコンタクト出来てお互いにまったりと安心できる関係は相性の良さと言える。 昨日会った子犬は珍しい甘いチョコレート色の毛と目の周りに白い輪がある ポヨヨン顔のオスのポメだった。最近は2か月くらいで売りに出されているのに 4ヵ月というのでゲージの中では兄貴分ですでに足がのびて毛の少ない身体という アンバランス成長期に来ているのが解る。目ジカラがないと嫌な家人は即却下。 鼻の頭をペロッとされているのでなかなか去りがたい気分を見ぬいて店員は 1晩お貸しできますと言いだす。ううむ5か月に突入する前に何とかして売りたい のだな。亡き犬も1晩貸し出されたお蔭で返せなくなった。オマケに彼女は指を ぱくっとくわえて母犬のおっぱいと間違えていたものだ。根っからの食いしん坊。 海岸や里山等近所歩き長時間に付きあいお話や愚痴も良く聞いてくれるワンコ という存在は人間を助けてくれるがそのお世話がとても大変な事がある。犬の 里親も考えたりするが中型犬が多い。トライアル1か月が可能だがそれで返す 事も出来なさそうな自分なので躊躇する。年齢的に後見人が必要でもある。 長生きするものとして考えるのだ。娘は後押ししてくれる。後見人が居ないと 主と同年齢の犬しか預かれない。子犬もせめて3か月は母犬に育てられてその 愛情を受けたり躾けをしてもらったりしないといけないはずだ。2か月の子犬の 覚束ない小ささが心に痛い。犬の写真に向かってくどくどと言い訳しながら許可 を申請中なのだ。 犬の事を考えているときはカンノウホ―がどうのこうのという事は忘れている。 それにしても月数が進むたびに値段が下がる商品としての子犬たちの運命が とても気にかかる。最近は2匹までオーケーという集合住宅が増えている。 そして街中では災害地で保護された犬への募金を呼びかける声に立ち止まる。 老人と犬。バギーと腕に子供そして犬。出社前のお散歩。イヌキャリーに老犬2匹。 留守犬の世話をする犬ヘルパーという仕事があることもごく最近知った。近所で 出会った高齢のおばあちゃんと高齢のクロシバにはまだまだ元気でいて欲しい。 思いがけず犬と共に歩む人生の楽しさなどを経験してまだまだ興味は尽きない。

 ショウガの効能はいかに (2014年11月19日)

カロナールを長期服用しているからか少し喉が痛いとか少し風邪気味とか 少し熱(平熱が36度位)が出るとか普通は取るに足らない症状が続き気になる。 これは無視してよい事なのか神経質すぎる事なのかイヤ黄色信号なのか。 免疫力が低下しているのか自律神経が悪いのか年齢によるのか不明だ。 肝嚢胞が張り気味だったり胃やお腹がへこまなかったりすると運動不足で太った に違いないと思っていると翌朝には普通に戻ったりする。こんな心配事を誰に 聞くことも出来ないので検索頼り。しかしこの問題に対しての返答が自分の 投稿だったりするとおーいと呼ぶと答えるヤマビコ状態なので心細い限りだ。 こんなくだらないことを通院時に医師にお話しする事なんかできないはずだ。 近所の野菜安売り店から山ほど野菜を購入する。規格外商品なので見た目は 良くないが種類が豊富で新鮮なところがお気に入りだ。青レモンやクネクネ 唐辛子や四つ切(丸を切るのは大変)カボチャや水族館の魚たちもその束に 群がっていた小松菜。小さなトーフ屋が作る湯葉などと添加物味がしない漬物 や小ぶりの蜜柑。冷蔵庫の野菜ケースはパンパンになる。そしてひねショウガ を沢山買ったので洗って薄切りにして快晴天干し2日程したら見事なドライに。 インドネシアの山之上レストランで飲んだコーヒー現地風を試してしてみた。 コーヒー+ミルク+シナモンパウダー+ショーガドライ+サトウ少々+赤ワイン 等アルコール少々=エナック(おいしい!)。薬のような味というヒトも居ると思う。 現地では入っている物がなんだか解らなかったが寒い山之上でアツアツは とても美味しかった。幼少時信州の山の家でアジア風邪に罹った時に父が 高熱を取るために粉カラシを練りガーゼに塗って胸の上に貼り付けてくれたが 富山の薬売りの箱とこの出来事はとても記憶に残っている。又ネギを焼いて ガーゼに包み首に巻いてくれた。民間療法というものだがジャカルタでもこの手 の治療方法をたくさん見聞きしたものだ。今回のショーガの事は偶然の発見で ケンサクするとショーガのチカラは沢山ヒットした。薄々は知っていたがさすがだ。 当分ドライショーガの効能を試してみたい。ちゃらんぽらんな性格なのでいつ まで続くか解らないが朝コーヒーに入れたら眠気はすっとんでいる。無農薬の レモンや柚子と皮をむいたオレンジを輪切りにして塩と砂糖少々で冷蔵庫に 入れておくと家人がデザートに良いと蟻のように群がっている。全部冷蔵庫の 中で忘れられていたものを何とかした結果なので本当の所は告げられない。 くろまめさんの銀杏収集で想い出したが信州の里では冬の間土の中に埋めて 春先に掘り起こすと真っ白な銀杏になっていた。土中にはモグラや鼠やら色々 いるから横取りされる可能性もある。今年の信州ではかつてない場所までクマが 降りて来ていてその対策に頭を痛めている人々の様子を見た。食べ物の争奪 戦が色んな思いがけない場所で起きているに違いない。

 ドリアンの気難しさ (2014年11月15日)

アオイ科の木でマレー語のドリ(トゲ)を持つものという意味だそうだ。特に ビタミンB1が多い。30種類ほどあるとケンサクされる。確かにマレーシア では小ぶりなドリアンが多いと思った。1〜1.5キロになり5年で収穫できる。 1本の木から100〜200個も採れる。可食部は甘い香りと玉ねぎの腐敗臭と 都市ガスの様なにおいを放つ。エステル、アルコール、アルデヒドに属する 26種類の揮発成分有り。そして8種類の硫黄化合物も在る。これらの成分が 混じり合いすごいニオイを放つ。食べられるのは種のまわりのクリーム状部分 のみなので大きさの割には可食部分が少ないフルーツだ。大きな種は土地に より焼いたりゆでたりして食べられるそうだ。飛行機内は持ち込み禁止になって いる。ドリアンと酒はあの世につながると言い伝えがあるそうだがモスリムは 基本的にお酒を飲まないので心配いらないのだろうか。TVで象がこのフルーツ に目が無い様子を見た記憶がある。ヒトの味覚を酔わすフルーツでもある。 10年以上前に赤道直下の国インドネシアを訪れた時に花やフルーツに興味 深々だった。どの果物も年がら年中生っているわけでは無くて季節がある。 特にドリアンやマンゴーの季節にはそわそわしている現地人たちだった。家族 で分け合って食べるらしく値段も張るらしいが楽しみな様子だった。その特徴的 な表面のとげとげや大きさに魅せられて一度絵に描いてみたいとは思った。 しかしカルフールなどに売られているラップ掛けされたクリーム状果実(房)の ニオイを嗅いだだけで様々な夢が消し飛んだ。一度だけ新鮮そうなのを選んで 買って帰り食してみた。意外と美味しいじゃないかと思ったが結果が蕁麻疹で 夢は完全に砕け散った。南国フルーツはウルシ科が多いけれどアオイ科の ドリアンだった。ドリアンの残りはお手伝いが喜んで持ち帰った。 最近急にこのドリアンの事を想い出して改めてケンサクしたところなんと気難しく 複雑なフルーツだったのかとびっくりしてしまった。果物の大きさから言ったら 住まいの玄関に在ったナンカの実と良い勝負だがこの方は熟したときにガス臭 がする位で扱いやすい。味もパイナップルとメロンを合わせたような美味しさだ。 しかし多食できず(お腹をこわす)チップスなど菓子等に加工されていたものだ。 ヒトもクダモノもただ者ではない方が多い世の中だがドリアンの事は甘く見ていた。 ガスは危険なのであのような臭いが付けらているらしいがクダモノも食べられ 無い様に身を守っているのだろうか。現地の台所ガス臭は日本より強者だった。 島が多く色んな人が住んでいてガスが行きわたっているわけではない国なのだ。 ドリアンは何とかして想い出しながら絵に登場させて勝負してみたいものだ。

 思わぬ発見と期待 (2014年11月11日)

昨年は果肉の少ないオリーブの実が鈴なりの大豊作でいまだに黒砂糖漬け や塩漬けのままガラス瓶の中に納まり冷蔵庫で眠っています。実のなる木は 隔年豊作だと思うのですが今年はごく少なくて数個のみでありました。それでも 実がとても大きく丸まると太り赤紫色から深い紫色に熟すまで細い枝の先で ボトンボトンと風に揺れていました。晩秋になり落ちてしまう前にと考えて収穫 して亡犬の写真の前に転がしてホラ収穫だよと伝えました。ブルーベリーと 違いこの実を食することは出来ない犬なのです。 更にこのまま実をしぼませてしまうのももったいないと思い又味はどうなのかと 興味津々で一粒を食してみました。果肉は充実していてオリーブ特有のほろ苦さ がありまあまあ美味しい部類の味でした。という事は実が沢山生ったら摘果して 太らせ熟すまで待てば岩塩パラパラ程度で素晴らしい果実として食することが 出来そうです。先日スーパーセイジョウで採りたてのグリーンオリーブ(日本産) 塩漬けと言うのが売られているのを見ました。グリーン時代太目の実もこうなる のかと感慨深かったものです。太らせた緑か太らせた紫か迷うところです。 店先で売られている値段は決してお安いものでは無いので価値があります。 我が家のオリーブの木はパッとしない花屋の売れ残りであり根元から20センチ 位残して切られており後から生えた枝が成形されていたものです。テラコッタの 鉢に植え替えたらその幹が太くなり毎年枝を切り整えて立派な鉢木になって います。幹が太めなので実が期待できるのでしょう。根の勢いで鉢が割れたら どうしようかと思う時はありますがこれ以上の鉢替えは無理なのです。友人の 家の庭に立派に繁って大木になっているオリーブには実が生らないと言う悩み がありこれも何か解決策はありそうですが大きいと又別の問題が出るのです。 バス内から見えるオリーブの木は丸刈り状態になっていて実も収穫なしの様子。 ココロがほっこりと暖かくなり後一粒残ったオリーブの実を家人にあげようか 悩みましたが興味がありそうなので食べてもらいました。ところがオリーブ特有の クセや味わいが理解できなくておまけに喘息の発作の引き金になりそうな結果 になりもったいない上げるんじゃなかったと後悔しきりです。考えてみるとこの ほろ苦さが好きになったのもごく最近の自分ではあります。来年のオリーブの実 の収穫がとても楽しみになりました。実が無くなりオリーブの葉はさみしそうです。

 銀座の画廊巡りパートII (2014年11月8日)

銀座4丁目交差点を渡り新橋方面へ歩くと日動画廊が在り極上値段国内外の 有名作家の絵が何処かの蔵から出て来てものすごく立派な額縁に収まっている。 日頃自分の絵は額縁がなくテープで縁替わりしている事などをつい考えてしまう。 絵に合った額縁を作って欲しい。河原や山で木の枝を拾い加工したり燻したり したら出来るんじゃないかと家人に詰め寄っている所だ。自分で作れそうだが。 こういう展示の時は入って左角のコーナーが特にいいのよと営業マンと顔なじみ の友人が教えてくれた。値段は見ない方が良いと言うより明記されていない。 沢山稼いだり余分なお金がザクザクある人々のお楽しみの絵なのだ。営業マン はいつものようにカベ側に張り付き普通の客には目もくれない。 次は道の反対角の2Fにあるみゆき画廊。水彩と鉛筆でクレーの様な絵を描いて 居る人は又の名前をオスカルさん。若いころはアマゾンやパプアニューギニアに 出向いて絵を描いたと話してくれた。この画廊も人気があり2年前に予約しないと 個展出来ないらしい。ヨシイ画廊は必ず寄る。道の反対側のビルにも在りそこには 勉強の為に観る画集の世界の絵が飾られていて感動する。額縁もなく床に立て かけて置かれた絵は厚塗り時代のものであるが印象的なシンプル構成。反対側の 店にはクラーベ(光の画家)作品が展示してありオーナーの収集品らしい。店の隅 の椅子に座った老人がしきりと絵を描く時の長いやり取りや極意を力強く話して いるが声が小さく聞き取りにくい。傍に近付いて耳を傾けると80歳代のオーナー だった。クラーベのモノクロの絵に貼られたレースの繊細な白の美しさや決め手の 青と赤の一筆はものすごく長く考えた果ての事など。その色が無いとどうにも完成 しない難しさは理解できる。梅原龍三郎にもらったと言う上着を着ていて古い画集 の一ページの様に記憶にインプットされた。しかし何とかしてその場を離れる努力 をしないと永遠に続く話みたいで友人とじわじわ出口付近に寄って行ったものだ。 色んな画廊を10軒くらい巡る時もある。携帯の歩数が1万3千歩になったりする。 習字の朱や黒大筆を振り上げ床に置かれた和紙にばしっと振り下ろした絵も観た。 遠い地方から来て個展している若い美人女性だった。羨ましさは隠せない友人と 私だ。次はニコルボッテ風の絵でアルミ箔も使うらしい女性の絵。最近和紙を板に 張ったり油絵に使ったりする作品が多い。自分も試してみたいと思っている。最後に お目当て友人のグループ展だ。彼女の絵はブルーや緑や白やレモンイエローの 軽い抽象でホッとする作品だ。自分の絵は去年一昨年弱かったなと想い出す。 先生にもっと強い色もっとしっかりした線をと叱咤激励されて超越して来たので 今ではものすごく強くなっている。病のある時は絵に出やすい内面性だ。先生は その人の個性を上手に引き出し辛抱強く励ましてくださるので有難い。 疲労すると途端に肝嚢胞辺りが脹れてくるし少し痛みも出てくるので困った時の カロナール頼りになってしまう。この薬を飲まないとどう変化するのか恐いので つい頼る癖が続いている。長期使用で歯が黄色くなった。しかしこの程度の事だ。 肝臓は2,3日だらだら暮らすと元に戻りやすい。食欲は常に落ちない。 12月1日から6日まで今年最後のクループ展がギャラリー暁で有る。今度のは 銀座6丁目交流展とあるので6丁目の街起こしなのだろうか。強くなった最新の絵 を飾ってもらう。銀座は最近ビルの改装や建て替えが目立ち月日の流れの中で 否応なしに変化を迫られていると感じる。銀座に限った事では無くあちこちで 着々と変わっていく街々だ。今年の自分の挑戦はバグース(すごい)と自画自賛。 治療によるQOLの向上というものがいかに大切であるかという朗かな証拠だ。 これから12月にかけて個展やグループ展が実に多く観切れないのが残念だが とりあえずは来年の4,5月の公募展を目指してエイエイオーと雄叫び中だ。 自分にしか探せない絵画の道を歩くのはワンコとの散歩に似て楽しい。

 晩秋の中央フリーウエイ (2014年11月5日)

諏訪湖が近くなる辺りから紅と黄色とその斑色がグッと増えて来た。再運転歴 2年目の家人の運転もぐっと上達していて安心して景色チェック等が出来る。 それでもオッアレは何かと問うと話しかけないでと却下。チラッと観る余裕は無い。 常に腕をツッパリ状態なのでワタシの肩も凝りそうだ。得意では無いのにエライ。 高速道グレーの前方から八ヶ岳オロシの強風がドンと降りてくる。日本列島に 台風が近付いている。雨予報だったので覚悟して出たのにほぼ快晴だ。 その日ワタシが鬼もみじ色と命名したド紅のモミジ(楓か?)が両側にズラーッと 並んで秋を演出している。又ザーッと山おろしが吹いて来たので家人は車が 揺れると言い不安気だ。前方の道で枯葉が渦巻きハラハラと舞い上がり小さな 竜巻が絶え間なく路上に現れる。街路樹がざわざわと揺れる音が聞こえそうだ。  下り車線は車間隔が理想的に空いていて家人のココロも満足気だった。 スカイブルーの下にこじんまりと寄り添って聳える八ヶ岳のなだらかな優しい 裾野にプルシャンブルー色の雲の影が落ちている。その配色の見事な事。 出来すぎの絵だ。人が描いたのは良く見るが自分で確かめたのは初めてだ。 車で帰省するのはここ2,3十年の間2回目だ。そしてサイドミラーに映るのは 富士山。頭上の積雪がアクセントだ。翌日の帰路にはこれでもかという位大きく すっきりとはっきりとそびえたつ富士山の姿の連続を観た。下方に白い帯状の 雲が流れていて薄いグレーとブルーグレー色にまとめられた正調日本画風の 富士山の絵姿だった。道が下降すると車窓全面大写しなので観光バスの人達は 大喜びだろうなと思う。今さっきパーキングエリアで出会った欧州夫人グループ のドヨメキが聞こえてきそうだ。これはショコラットね。これはフィッシュ(ワカサギの 佃煮)?などと眺めていた方達だった。シンゲンモチがお勧めなんですが。 いまだに英語よりインドネシア語の方がサッと口から出てくる困った状態だ。 フィッシュじゃなくてイカンでスウイートじゃなくてマニスでイイトじゃなくてマカン。 調布と国立間では車両火災が有りドクターヘリが飛んで来てマチェット(渋滞)。 1時間以上の遅れが出たがワタシは爆睡家人はイライラ。墓参りに見舞いが2件 に甥や姪の家巡りと浅間温泉1泊。翌日信大に通院する姉を送り届けると言う ハードスケジュールをこなして帰宅すると駐車場からオレンジ色の夕焼けの中の 富士山が見えた。家の中からも見える事を想い出した。帰国後のドタバタで四季 の様に身近な存在を忘れていた事に気が付いた。次は福島や群馬や栃木に アシを伸ばしてみようかと家人が言ったのでその気になっている。

 星(新)のタクシードライバーの事など (2014年10月29日)

10年以上前の事ですがインドネシアから近いシンガポールには数回訪れて いました。健診や滞在国から1度外に出ないといけないイミグレ関係や買い物 でした。熟年になり初めての海外滞在なので何でも家人やムスメの後に従い 必死で覚えたりはぐれない様に行動していた健気な時代です。 ホテルは奮発して米系大手など港が見えサーキットになる道も見下ろせたり する所に泊まったりもしました。健診の時は病院からごく近い街中のホテルを 選び迷わないで一人で行ける工夫をしました。国土の狭い国ですがコンパクト に便利よく建物や公園やデパート群が配置されていて解り易いです。物価は 日本と同じく高いので住居費も同じで小奇麗な生活と引き換えの出費は会社持 ちでも覚悟です。昨今星をお手本に開発している国は多そうです。住んでいた国も 随分そんな感じが見えました。管理され消毒され防災シェルターも完備されて いるらしい街です。住居費を抑える滞在者は地下鉄で少し離れた場所を選ぶ と聞きました。わんにゃんと共に暮らせる場所も探さないと見つからないという 噂です。健診の後に出る割引券を握り日本食レストランでとんかつ等食する時 笑顔が出ました。漬物や海苔など沢山買い込みインドネシアに戻るので家人に ブーイングされました。どら焼き等和菓子のおいしい和店もあり見逃せません。 1度新しいリゾート島に泊まった時慣れない日本人と見られたのかいい加減な 1Fの駐車場に近い場所に案内されましたので家人にクレームを付けてと言い ました。同じく1Fでしたがクジャクも庭に来るマシな部屋に交換してくれましたが すぐにクレームをつけない家人に腹を立てたものです。クジャクは人懐こくて 可愛かったですがその鳴き声の大きさとフンの汚れが気に入りませんでした。 まるで楽園の島の様に計画して造られた場所ですが若いヒト好みか。何処に行く にもヒト人でランド内の乗り物も満員で大変な事でした。 街中の移動はほぼタクシーでした。地下鉄も1度乗りましたが人々の歩く速さ やエスカレーターのスピードが日本並みでその当時は怯えていたものです。 ツービートで歩く訓練は今でこそ出来ますがインドネシアでは敷地外を歩かない 生活だったからです。ただインドネシアと違いゴールドやシルバーなどの上位 ランクのタクシーでないと危険という国では無いのが有難かったものです。 デパートの地下から家路を目指すためにタクシーを待つ人の列は長くて辟易。 タクシードライバーは高級そうな車からポンコツまで。若いヒトからジイサンまで サマザマ。当たりハズレがありますが順番なので文句は言えません。 有る時に空港まで乗ったタクシーのドライバーは記憶に残っています。ドライバー の趣味により動くお部屋状態やら飾り付過多やらごくサッパリやら小汚いやら サマザマな車内です。勝手に音楽かけっぱなしのノリノリ運転手だっています。 その運転手は熟年であり昔船乗りで日本の港にも立ち寄ったという事を英語で 話し続けて演歌も歌いっぱなしでした。歌の合間にはオシャベリ。後でムスメと チップが欲しかったのかねと話しましたが正に頭痛ものでした。 街路樹が大きく枝を伸ばし街中のライトアップが垢抜けていてトロピカルフルーツ ランチを楽しむ英米系のおしゃれな夫人たちが長い午後を過ごす街中の喫茶店 の絵図。大通リを歩く人たちは若い人が多く皆楽しそうな笑顔。安心感があり ました。英時代を彷彿とさせるラッフルズホテル。美味しいと評判の中華レストラン や日本のデパートや華系の大きなスーパーやお気に入りの店のバーゲン等を なつかしく想い出します。地下のスーパーではインド系の人がレジに立ち上級 家庭では出稼ぎメードたちが働く国です。そんな若者好みの街並みが日本にも 作られて不思議なミックス味の観光地として売り出される日が来るのでしょうか。

 多発性巨大肝嚢胞のプチまとめ (2014年10月26日)

20年以上前の検診時に小さなモノが沢山在りますが良くある事ですと放置。 当時は主婦仕事子育て絵画等超忙しく普通に暮らしていたが疲れやすかった。 2003年から7年半位インドネシアに滞在中に週一柔軟体操程度のヨガを6年位 続けた。胃の辺りのツカエと張りやひねりや屈伸で青あざが出来たり痛かったり した。肝臓の中に血豆みたいのがあるのよと仲間に説明していた記憶がある。 現地の日本人向けクリニックの血液検査でピロリ菌が見つかり抗生物質を飲み 除去したが最終的な結果は日本で呼気検査が必要だと言われた。 高熱が出たり血尿が2週間くらいあったり歯茎の脹れ(海外では実費支払なので 歯の治療を応急処置でガマンしていた)や目の炎症や白便や嘔吐等があったが ひどい下痢が1か月位続いた時にも食欲は落ちなかったので我ながらエライ。 ここではシネナイという強い信念があったから持ったのかも知れない。 このレポートが少しでも同病者の役に立ったらうれしいと思い続けている。 シンガポールの日本人向けクリニックで健診した時にエコー検査で肝嚢胞の 一つがグレーに映っているので大至急日本で見てもらいなさいと院長直々に ジャカルタまで電話下さった。一時帰国してT病院で健診してオプションでペット 検査もしてもらった結果嚢胞の中身は血液なので大きいけれど様子見という 事になった。これは2008年の事である。その後K国の美容院でヘアカラー した時に頭皮のピリピリ感がヒドクその後から白斑症が出た。今では頭皮全体 と首後や足の脛や背中に出ているが広がる勢いは衰えている。シウンコウを 時々塗るくらいで飲み薬や通院はしていない。若いヒトにはつらい悩みだ。 T病院の健診時大腸ポリープが問題とあり又シンガポールでオプション検査して もらった所大至急治療しなさいという事で紹介状を持ち一時帰国してK病院にて 除去手術。確か3.5センチとか言っていた。5日間くらいの入院中大地震に 出会った。内視鏡治療中の地震だったらどうなっていたのかと感慨深い。 予想通りポリープの頭の辺にキャンサーがあった様子。全部治療できたと伺い その後は小さなポリープも除去した。その時ピロリ菌の最終検査もお願いして 完治しているという事だった。主治医の勧めに従い家人を残して半年早く帰国。 2011年6月肝嚢胞が痛み始めて背中をまっすぐにしないと圧迫感が強くなる。 2回ほど転倒(大荷物を持ったり不注意で)した為か破裂したらしいがこれは 申告したがカルテに記入されているのかは不明だ。2012年1月K病院にて 肝嚢胞穿刺治療。2週間近く入院。この時の血小板数値は9台だったと記憶。 その後歯の治療時に予めコーディネーターに病気治療の事などを説明したが 3か月ほどかけてのブリッジも含めた治療時に肝嚢胞にキンが入ったらしく 発熱や痛みがあり通院してクラビットを5日位飲み治療した。クラビットがとても 良く聞く体質なので有難い。その後歯の治療時に説明して危険そうなと時には クラビット500を一錠頂いた事も有る。肝嚢胞の痛み発生にクラビット1錠で (知らなかったので)対処した事も2回位有る。後にそれも治療ですと教わった。 2012年10月頃肝嚢胞の張りが強く寝返りできないと言う相談に対してカロナール とパリエットが処方された。現在は朝晩1錠ずつと朝1回のパリエット服用になるが 自分で調整している。胃カメラは帰国後2回位している。通院は初期には2か月 おき位だったが今は3か月に1回くらい。血液検査も初期は2か月に1回位だった が現在は半年に1回で良いらしい。エコーやCTも今後は必要時のみとなっている。 血小板数値が11から12辺りをチョロチョロしているので心配だ。時々は血液検査 をこちらからお願いしてみようと考えている。友人がお願いすると出来ると教えて くれたのだ。厚生年金関係や保険関係で治療に変化が出て来ているのだろうか。 基本的に体調がすぐれないと2,3日横になる時間を多くすると割合復活する。 肝嚢胞は食欲に影響しない。治療は医師から言いますという事で自分からお願い する予定は無い。現在の主治医は病気ですと認めて下さったので気持ちが軽く なった。この頃又少し嚢胞が張り始めていて成長したのかなと感じる。治療して QOLが向上した。ずぼらな考えで健診していた割には生き延びていて運が強い のも知れない。カロナール服用で高熱は出なくなっているがもし38度以上出れば クラビットを飲んで救急車でK病院の救急外来に来てくださいと言われている。 それ故財布の中にはクラビットを入れて歩きいざという時には病院のカードを 見せて説明しないといけない。病院は遠い。もう長い間クラビットは寝たままだ。

 月日はくり返し転がる (2014年10月21日)

検索では多発性肝のう胞症に対する治療ガイドライン作成と資料バンクの 構築研究班が今年の初め頃は研究中というメッセージだったような気が しますが進歩しているのでしょうか。それにしても今は26年末なのでもう 構築されているのでしょうか。ネットに同じ悩みを持つ人の問いかけが多くて 相憐れみます。ヤハリ研究するには件数が少ないと言う現状なのでしょうか。 ハードな治療方法を選びたくないリスクを避けたいしかしより良い治療方法 は無いのだろうかといろいろ検索してしまう日常です。少々投げやり気味 になりつつもあります。なるようにしかならない現実は確かに在りますから。 もともと気にしないで暮らしなさいと言う分のわからない病気ではあります。 自分の現在を投稿マラソンの昨年と比較してみていますが昨年の今日に 同じような症状が出ていてびっくりしました。秋はヒトの行動が忙しく幅広く 誰でも疲れたり不調なのは当たり前の事ですので同じ悩みを持つ人との 共感として記しています。この頃軽い風邪症状が繰り返していて熱は37度 位で上がり止まり(カロナールを飲むので)ますが時には少し悪い方向に 行きそうで薬を朝昼晩と試してみました。効果は日頃より良いと感じました。 しかし依存や習慣化を警戒して翌日には夜だけとかにします。それでも この薬が無いとどういう方向に展開していくのだろうかと思うと心配です。 巷には様々な感染症が現れていてマスクうがい手洗い予防しかありません。 肝臓は特に横になり休むと回復が速やかなので良くゴロゴロしています。 それで腰が痛くなりますのでいつも立ち姿膝のばし(伸びませんが) 前屈伸をして床に手を付き10位数えると治るので今日も試してみたのです が左の肝嚢胞が張り悪くすると入れ子状態になりそうで止めました。 秋の味覚芋栗南瓜を多食したからなのでしょうか。次の通院予約は12月末 ですのでそれまではイジでもガンバルゾと思っています。最近は犬散歩が 出来なくて外出時に1万歩以上のまとめ歩きが多いのですが毎日歩くと いう事は大切だと思います。犬との15年近くの散歩は貴重でした。 家人の買い物がすごく上手になり亡義母の名前キミちゃんで呼びたい時が あります。スーパーでの袋入れも小袋ゲットも素早いのです。時々は魚肉 トレーを横向きに突っ込んでいてブーイングですが。ほとんどメモ通りに買え ているのでウン十年と連れ添う内にはこういう事も有るのだと感慨深いです。 ワタシはスーパーなどにあまり行かなくなり何が何処にあるかわからずウロウロ して時間がかかり急がされるのには閉口します。ぶらぶらとお散歩買い物は 主婦のストレス発散だという事は理解できない様子です。この調子で喫煙習慣 を止めることが出来れば褒めてあげたいと思います。以前主治医に家人に 強く注意してくださいとお願いしましたが言う事効かないでしょう?と断られました。 病院には禁煙外来まで出来ているので後は本人の意志ひとつです。 早くしないと月日はどんどん転がって麓にたどり着いてしまいます。 スモアハビス=全て無くなる という結果に早く気が付いて欲しいものです。

 銀座の画廊はエナック(面白い) (2014年10月16日)

大型台風大接近日の外出は小雨でもカサがさせずに歩くので又風邪気味に なりカロナールに頼る。熱は揚がり止まるがこの頃風邪ひき症状が繰り返し スッキリと治る事が無いのが気になる。この程度の事なのだが自分にとっては 大事なのだ。加えて夕食時に米粒がヒュッと器官に飛び込んでしまいナミダ とセキコミのハプニング。日頃この問題で苦労している友人の様子が目に浮かぶ。 器官から肺に入ってしまい肺炎を起こすケースは老年の典型的なパターンだ。 まことに厄介な年齢に突入していく。検索で身の安全を計ろう。 銀座のグループ展はギャラリーアーチストスペースと暁の2か所に展示されている。 自分の絵は先の方に展示されていたがこの画廊は初めて訪れた。この界隈では マツザカがリニューアル中でその後ろ当たりの路地にあるジミな飲食店が丸見え 状態になっている。老朽化が目立ち表通りの華やかなビルや建て替えられた ピカピカビルと比べるとちょっと悲しい。この画廊にたどり着くまでは路地から路地 を選び最短距離を試してみたので昔懐かしいトリギンなどに出会い思わず釜飯 ランチとなった。画廊は表通リから3本目辺りなのだが不景気時代の名残が如実 に感じられる古さで家族を連れて行ったので少しがっかりしたのは確かだ。 3階までガタゴトEVで上がる。しかし後に2回位ずつ往復してみてそこは意外と 充実した内容の展示だと気が付いた。画廊は見てくれではなくその場所が画家の 作品で輝いているか情熱はどうなのかという点が重要だ。キズクのが遅く恥じる。 絵は自画像だと言われる。絵に作者の日常や人生などを想像してみると解り易い。 韓の招待作家はお国の漢字を絵にしていたり若いころからテーマにしていた麦を サマザマに表現したりしていて展示場では拙い日本語で説明してくださった。風に 揺れる若い穂の麦畑やオレンジ色の中での群生やたった1本の穂などだ。 立体の作家はとても楽しんでその作品を制作していると語り芸術家だなーと思う。 有る老婦人はもう嫌だと会う度に愚痴るが講評を聞く様子は真剣そのものだ。 嫌なら辞めればいいじゃないと思うがその姿に真意を見て考えを変えた。 表通りの観光客はいろんな国の人が居て皆元気に笑顔で闊歩して高価な店を 覗きこんだり写真を撮ったりしていて微笑ましい。いつの間にかイッパイ増えて いる有名ブランド店に入ることは無かろうと横目で見ているがその色や形やセンス は観るだけでも十分満たされる。安売り薬局チェーン店にも観光客の人だかりだ。 安心して楽しめる日本というキャッチフレーズが生まれそうだが自分も時間に余裕 が出来てきて初めて闊歩出来る銀座ではある。画廊梯子も頻繁に出来る。 日本の絵画人口は熟年世代に多く集中しているような気がする。沢山ある公募展 やコンクール出品に燃えている持続する志の人たちの存在を目の当たりにすると 其々の人生に在った絵画の時間が想像されて愛しい仲間意識を覚える。 今はCGなどを駆使してとんでもない表現が可能な世界だが電気が無ければ出来 ない。負け犬の遠吠えなのだろうか。今日も絵に向かいこの白色は何処に置く べきかなどと難しいことを考えて満悦している。まだまだアスナロだ。

 イヌや絵画やドラゴンのチカラ (2014年10月11日)

老犬が旅立ってからそろそろ3か月になる。生前のしぐさや日々の想い出が 現れると家人の鬼の目にさえナミダだ。いまだに犬のニオイが残る(これは 嫌いな人には申し訳ない)我が家なので近所のスーパーに隣接されている ペットショップなどを覗いてしまう。老犬が使っていた物はほとんど捨てられず に残っている。犬が長生きで15年も生きる事を考えると自分だけでは面倒を 見切れないので遺産としてムスメに引き継がないといけないのかも知れない。 犬の世話やヌクモリや無垢な眼差しやイヌ語ヒト語の勉強や年齢別のイタズラ が好きになってしまったという事なのだ。 ノー天気でおバカさんな所も多く吠えやすいポメラニアンだ。似ていると言われ ると複雑な気持ちになるがペットショップでは真っ先にポメの居る所に行く。 相手もピンと来るのか今では2歳で売られる子犬(15年前は3歳から)でも 覚束ない足元と眼差しながらシカッと見開いて突進してくる。他のケースの 子犬はそういう事は無い。やはり母犬と勘違いしているとしか思えない。 店の人が裏の方で眉をしかめながらはしゃぎすぎると疲れる子犬の事を心配 している様子でそのうち連れ去ってしまった。長い間張り付いて犬と目で お話ししていたので家人が何回も引きはがしに来た。値段が素晴らしくセール で10万くらい割引きしていてもまだ高い。来月か再来月辺りまで売れ残れば 等と良からぬことを考えた。ワイルドすぎる模様が顔全体を覆っている白ポメ なので好む人は少ないのでは無いかと期待している。成り行きに任せよう。 13日から銀座のギャラリー暁で今年2度目のグループ展に参加する。 2014ARTWAVE 日韓交流展だ。出品お誘いの手紙が6月に来て1度目。 2度目のお誘いになるがとにかく絵は観てもらってナンボの物だと思うので グループのシッポにくっついて出品に意義があると思っている。お気に入りの 絵を出してみた。広島など遠方から来る人たちと知り合いになった。会の主旨 は後で解ったが韓で活躍されている画家や書家の方が招待されている。 難しい事は解らないが芸術やヒトのココロに境はないのが理想的だ。 毎日制作するほど熱心ではなくてノー天気にサボっているが最近ではこの 遊びココロこそ大切なのだと気が付いた。絵が固かったり煮詰まってばかり ではヒトのココロに届かないのだろう。発表できるチャンスと場に感謝。 ブルードラゴンもたまには地上の遊園地に舞い降りて遊んでみると良い。 一直線に目的地ばかり目指しているとお疲れ色のドラゴンになりますよ。 多分まだ無事に旅を続けているブルードラゴンが笑顔であります様に。 エールを忘れたわけでは無いのだがブルードラゴンはもう大人だから。 多分色んなチカラを持っていて人々を救う偉大なドラゴンになるはずだ。 ドラゴンのチカラに助けてもらえる日が来るのだろうかと期待している。

 先ずは5年をターゲットに (2014年10月8日)

ベランダの鉢にチャービルらしき細いネギ状の物が溢れんばかりに伸びています。 ちょっと食べて確かめてみようかと思いますが止めておきます。巷では毒キノコ 問題も有る様子です。しかしあまりに生き生きとしている姿はいかにももったいない。 月桂樹の根元にはいつの間にかタンポポらしき一株も有り春の花が楽しみです。 20鉢くらいには増えた鉢類を台風を避けて部屋の中に移動したりしました。 冬に咲きすぎてその後は一つしか花が咲かなかった薔薇ですが今又花をつけて いてカビ病からの生き残りです。四季成り大イチゴという名前はあるものの今は 三枚の葉だけになったイチゴさんも同じくカビ病に勝った生存者です。 カロナールに頼る生活で免疫力が落ちたのか風邪を引いても中途半端に治り 又かかると言う症状に悩んでいたのですが1日カロナールを止めてみたら風邪 の症状がはっきり出たので安心して市販の風邪薬を飲んでいます。年がら年中 カロナールで感染症予防をしていると目だった病気は寄ってこないような気が します。蕁麻疹や水泡等初期に現れたものは今では見られません。肝嚢胞の辺り は食後には張りますが次第に収まり顕著な変化は有りません。中身の大きさは 変化していないと思います。胃や腸の辺りを撫でさすると早く落ち着くのは 不思議です。消化液やガスなどが一時的に増えるためなのでしょうか。 何も知らない頃は治療にも積極的でしたが今は治療方針に従うしかありません。 こうしてくださいと言う勇気やしっかりした情報が無いからです。様々な治療方法 は人により全体症状などにより判断されて実行されると思います。他の人の事は 参考にはなっても自分に当てはまるという事は無いのでしょう。病院で診察時に 何処まで相談したり不安を伝えたりできましょうか。先生方は時間に追われ 大病院では予約時間を1時間過ぎても5分以内の問診です。先生方も人間です から限界というものが在り患者もそうワガママは言えないのです。とことんお話し を親身に聞いてくださる先生は何処にいらっしゃるのか知りません。 私の肝嚢胞は他の臓器には悪さをしませんと言われていますので一先ずは 安心しています。そのうちに先生方がより良い治療方法を見つけてくださるかも 知れません。食欲が落ちないのが特徴のこの病気です。歩く速度も人並みに 早くなり疲れれば休み落ち着いた環境に居る今格別の不満は有りません。 生き方も病も他の人と比較はできませんし語らないと何もわからないわけです。 たまたま難病みたいなものに掛かりモルモット的に自分を伝える事になりました。 これもご先祖様のお導きと多少なりと人の役に立つものと信じているからです。 とりあえずは5年先をターゲットにして挑戦的な日々を送ってみようと思います。 巨大化した肝嚢胞と暮らす注意点等明確に患者に伝わる事はとても大切だと 思います。その辺の事をアイマイではなくきちんと整理して欲しいものです。 患者数が少ないからと言って現状のままで良いと考えられては困ります。 とにかく訳が分からず悩んでいて人に理解されない患者たちが居るのです。 肝嚢胞患者としての経験と実際を渾身を込めてお伝えしていることを拾い 上げ理解して解決して頂きたいのです。どうかよろしくお願いします。

 ジュンデラ(窓)から見える景色 (2014年10月4日)

キャンバスやスケッチブックを携えて黒いリュックサック(アレ今は何て言う のだろう)を背負いスニーカーも黒を履いて出来るだけ背筋を伸ばして大股 に歩く努力もして階段は落ちないように斜めに斜めに駆け上り2時間もかかる アトリエを目指す。道中に何が起こるか解らないので飲料飴簡単な着替えや 折り畳み傘とビニール袋等々と暇つぶしの本などを詰め込むとそこそこ重い。 風が吹くと野分け状態になるので折り畳み帽子だってちゃんと突っ込む。 そしてカロナールとイザというときのクラビットは財布の中にある。マスクは 必需品になってしまい無いとパニくるが日本では買える場所が沢山ある。 安心安全な公共乗り物を駆使できるわが国は重ね重ね有難いと思う。 相変わらず社内の電光掲示板には列車の遅延問題が掲示され人が立ち 入ったとか人身事故だとかが実に多い。ジャカルタでも全国統一試験(中高) に落ちて上の学校に進めなかったり落第になると言うだけで命を絶つと言う 記事を目にしたものだ。どこの国にもいろんな問題が噴出している。横須賀線 は一番前と一番後ろが空いているのでラッキー。サラリーマンやOGで満員に なる手前の駅からほぼ100%座れる。この間の平日に初めて若い男性に席を 譲られて嬉しかったが次の駅で降りる日だったので断った。彼は自分の母親 を思いだしたに違いない。髪の毛を黒や濃茶に染めていないのでどうも老けて 見えるらしい。しかし今では何も気にならなくなり有ればよい髪の毛だ。 今日のレクチャーときたら脳みそがグチャグチャ。エッ心理的な三角形意志の 直線と時間の流れを表す構成と戦略に光と影の演出と座標軸がどう回転する マチエールの工夫や個性的な色彩のバランスですって。課題が盛り沢山の とか大皿料理みたいでどれが好きなのかどれから食べればいいのか悩ましい。 それでも年齢を重ねた方が理解が早く自分に合った調味や材料がパッとわかる もの。経験と年齢のハートを思い切りふくらませて熱く激しく語り伝える。ソウこれが 自分ですよって。若いヒトには出来ない技とマジックというものが有る。絵の具 だって昔は本気でその鉛やカドミウムの毒性で自己主張していたけれど今では ちゃんと管理指導されていてそれほどは危ないものでは無いらしい。しかし蓋が 開かないからと言って犬歯で回して開けたのは無謀だった。 ウジウジしていたり長い間仕舞ったまま覗かなかったり目の端で追うだけだったり ソレどころではない日常の連続だったりしても諦めないワタシだけの世界がある。 ココロの引き出しの中は溢れるほどの宝物でイッパイ。始まりはこれからですと 言うアナウンスが聞こえる。南国の記憶の映像は光が泡立ち溢れ空も忙しく 姿を変えヤシの葉だってこれでもかというくらいサマザマに語りかけてきた。 色んな種類のヤシの葉と語ったがこの方たちを描くのは意外と難しいものだ。 窓(ジュンデラ)から見上げる私に向かってサアどんな絵が描けますかといつも 冷かしたり覆いかぶさったりして年がら年中緑のチカラを鼓舞していたものだ。 外の危険な気配やニオイを忘れてヒンヤリした石の床に座り長い影や短い影や ふんわりしたカーテンやキレイにマトメて結われたカーテンをムササビ状態に 座り石の冷たさを楽しむ犬に習い安全地帯から描いたスケッチ。南国の木々は ワイルドに窓まで腕を伸ばし剪定しないとあっという間に巻き付き繁り色んな生き物 達が家の窓まで入り込む危険性に満ちていた。昆虫や小動物が電線を走り黒い 鳥の家族がいつもプルメリアの大木の同じ枝にとまって鳴き交わした。木々を 絞め殺す覚悟の勢いでツルを伸ばす植物のキョウフ。クリーム色や白やピンクや 真紅の花々と青い朝顔など。ちょっと前の世界へ大分忘れてきた過去を想い 出し赤道直下の光と影と雨と風の日々の中へ今日もワープする。

 金木犀色の冷気の朝に (2014年9月27日)

トトトッと新聞配達の人の軽く控えめなバイクの音が聞こえたりスッと首に たどり着いた空気の冷たさで目が覚めた。早朝の街の気配には秋の重み があり遠い場所から新しい空気が届けられたと気が付く。公園の草花の演出 はここに萩の一しだれあちらにコスモスの白とピンク遠くの茂みには夏の名残 の疲れた緑と控えめなヒぺリカムの黄色などや丹精込められたデコレーション 風寄せ植え鉢等が見られるのだろう。旅立った老犬と二人でヨロヨロ散歩を していた去年の秋の景色を想い出している。パラパラと脳裏でアルバムの頁 がめくられて閉じた。この辺りにはまだ金木犀の香りは無い。 夏の疲れが出た。先日珍しく電車内でマスクをしなかった時にあちこちで クシャンクシャンゴホゴホという音を聞いたが嫌な予感が的中した。経験から 3つくらい悪い条件が重なると風邪を引くと思う。日頃からカロナールを飲んで 感染症予防しているので出来れば風邪も引きたくない。喉と後頭部の痛みは 以前花粉症でしょうと言われた時と似ている。又セイタカアワダチソウの悪戯 だろうかと訝った。しかしこのまま症状をエスカレートさせることは出来ないので 市販の漢方系風邪薬を飲んでひたすら寝ていた。こういう時には医師から処方 されているカロナールは効かない。水分を多く取りビタミンCやらアイスクリーム と食欲は落ちない。37度手前で上がり止まり一安心。熱を上げて自己免疫力 で戦える普通のヒトが羨ましい。高熱と肝嚢胞辺りの強い痛みを経験している ので高熱攻撃にはコリゴリなのだ。熱を上げてみるなんて出来ない相談だ。 ジャカルタ滞在時代は常に高熱やら腹コワシやら蕁麻疹やら色んな症状と戦い 暮していた。知り合いはラフティングをした時に川の跳ね返り水を浴びただけで アメーバ赤痢になっていた。使用人はチフスを風邪程度に考えている節があり その種類は不明だが長期滞在で不安も鈍化していた。脇の下のリンパが卵状 に膨れ上がり気が付くと帰国してからきれいさっぱりなくなっている。先日TVで リンパが黴菌と戦う様子を見て深く納得したものだ。デングの蚊も日本とは違い 種類が特定されていてきれいな水に卵を産み朝10時ごろ上下に曲線を描いて 飛ぶ等の情報と住居周辺の定期的な黒煙薬散布やら側溝の石灰撒き等があり 蚊取り線香や蚊よけの草食べ物等住民の警戒心は歴史が深い。少し郊外に 出掛けるときは長袖長ズボンは当たり前だ。モスリムが日に何度も水浴びする のも汗に寄ってくる蚊の用心という点もあるに違いない。家の中に住むチチャック は頼りになる蚊退治のお助けヤモリである。羽根蟻柱だってムシャムシャだ。 黒煙薬散布時には洗濯物を家の中に移動して窓をピッタリ閉めても隙間から 煙が忍び入って嫌だった。犬もさぞかし迷惑だったに違いない。消毒の後は シーンとした空気と薬臭があり野良猫も鳥も何処かに避難している様子だった。 夜中に浄化槽の蓋を上げて消毒消臭剤を入れるのも見たが時々蓋がずれた ままだとひどいニオイとギンバエがでるので事務所に抗議した事も有る。 もちろん街中の高層アパートなどに住むとこういう事は無縁だと思う。これは 余り良くない方の記憶のアルバムの中にしまい込まれている。 日本の電車に乗っているとしみじみときれいだなあ安心だなあと幸せな気分に なるのはやはり比較する対象があるからだろう。現地で公共乗り物に乗った事は 皆無だ。又乗ってみたいとは思わず恐る恐る眺めて居たのみだ。今では事情が 変わっているのだろうか。いやそれほどは変化していないと思う。経験が良かった のか悪かったのかと考えても仕方がない。変化は進歩と思いたい。出掛けないと 金木犀の花の香りを楽しむことは出来ないが家の中は身に染みて安心で落ち着く。

 彼岸供養&時代感覚 (2014年9月21日)

ペット供養の場所に1時間も早く到着してしまい小雨もパラつくので休憩所 に入りました。しょいかーご(農協)に寄りビリジャンオレンジやカドミウム イエローなどの気合の入った百日草や子ネコのシッポの形をした紫色の 花の束を購入して少しばかりお線香も手提げ袋の中に入っています。隣に 座って同じく時間待ちしていた女性とお話ししました。ノラの猫ばかり8匹も 飼っていて体が不自由な子ばかりだそうです。2年前に親猫と子ネコを同時に 亡くしてしまい決心して遺骨を埋葬する日なのだそうです。子ネコの方は白血病 と知らずに去勢してがん細胞が増えてしまい早く亡くなることになったと悔いて いる様子でした。動物もヒトと同じような病で悩まないといけない昨今です。 猫たちの為にラジオ体操なども欠かさず健康維持していると言うお話に敬服。 家に戻った時にワッと8匹ものニャアニャアが飛んできて餌をねだる姿は想像 するだけでも大変そうです。ネコの衛生管理や餌の世話も手抜きは出来ません。 彼女は穏やかで太目ではなく幸せそうに見えました。お仕事もされている様子。 多分稼いだ分を猫の医療費などにも費やしているに違いありません。 それにしても8匹の猫の名前や性格を覚えて脳みそを整理しているのはスゴイ。 家人がそろそろお坊さんが来るよとメールを寄越したのでさよならしました。 霊園の向こう側の空き地だった所にコケコッコ―という声が聞こえたので鶏舎 が出来たことに気が付きました。高速道路下の山林はポツネンとしたさみしい 場所でしたが鳥の鳴き声で一気ににぎやかになりました。小さく区分けされた 個人のオハカやロッカーや合同の場所等値段別に選択された墓地です。 造花のお供えと沢山の小さな卒塔婆があったりお彼岸のお参りの為にロッカー の扉が開かれていたりしてわが犬が他の子たちと眠る合同の場所に行きました。 家人がにぎやかに眠れるところで良かったねと言いました。経験のないヒトには オママゴトじみた事に見えるのでしょうか。経験したヒトにとっては生活に寄り添い エネルギーを与えてくれ同じ想い出を持つ同士なのです。葬るココロや慈しむ 精神が廃れがちな現代ですが小さな同志との経験は宝物だと学習しました。 狭い場所に多勢の人と焼香の煙が充満していたので家人の喘息の引き金に なるかと心配でしたが杞憂であり暇があれば喫煙所を目指していました。 又高速道路を走りPCランを最新型に変えてもらおうとデポに行った所月額が 倍額になると言う試算を見てタブレット型等必要ないと却下しました。PCは 知識のない者にとっては高度すぎるオモチャです。知らないままに使用している という事を再認識しました。電話のお勧めに従ってノコノコ出向いたのは無駄 でした。算盤からパソコン時代の橋を渡れなくて肩たたきされている人がいた のはつい30年程前の事です。T会社の人がPCはその内にゲームだけの時代 が来ると言って居たものです。画面展開が遅くてレトロでしたが仕事ばかりの 安心パソコンだった頃が懐かしいです。それでも使いこなす為に夜のPC学校 等に通っていたものです。会社毎に自社システムが有りそれだけだと単純です。 今時の若い仕事人が完璧に使いこなせるのが不思議です。PC展開が早くなり すぎて機械に使われているという事に気が付いているのでしょうか。今では 機会の一部になってしまっているのかも知れません。子供の頃から。鶴亀。

 ムシとの攻防など (2014年9月17日)

KUMOは嫌いだ。若かりし頃の西荻の住まいに現れたアシダカはジャカルタ の家の中で常連だった。今住まいの玄関の真ん前に良くアミを広げる方が居て 困る。ムスメがギャーギャー言いながら帰宅すると家人がスプレー攻撃する。 今日早朝に見上げると又廊下の天井にまあ可愛い部類の大きさの方がそっと 下をうかがっている姿を見てしまった。購入したばかりの昆虫撃退スプレーを 遠慮がちに天上の辺りに吹き付けた。少ししてドアを僅かに開けて覗くとなんと アミ張り作業に取り掛かっているではないか。又スプレーしてから様子を見ると イトをドバーッと吐出して天上からずるずる落ちているではないか。しまったと 思いホウキでポーンとベランダの柵の外に飛ばした。これ以上の攻撃は無理だ。 これで地獄に落ちた時にKUMOの糸を垂らして助けてもらうことは出来まい。 しかし今のワタシには金ぴか守護霊犬が居る。彼女に良くお願いして許して もらえるように期待したい。 15年近く犬散歩のお蔭で多少の運動が持続できたが旅立たれてしまい1人 で歩き回るのに抵抗がある。運動して内臓関係を鍛えないといけないのは 理解している。前の主治医が体重を減らしなさいと良く言っていたがそれとなく 的を得た言葉なのだなと最近は思う。カロナールを飲まないようにしていると右 わき腹や背中方面まで張ってくるのが困る。穿刺治療前の頃には家の中の イスや電車で座る時も思い切り背中をまっすぐにしていないと圧迫された。 運動不足になると体重でさらに圧迫が強くなり運動嫌いになる悪循環がある。 この薬はワタシには眠気作用が強い。人により違うと思うが家人が喘息の発作 の気配があった時にしゅぱしゅぱ(吸入器)がなくなってしまいこの薬を一粒 飲ませた所利きすぎて翌朝も運転に影響しそうな感じだった。説明書きには 眠気の事は書かれているのだろうか。朝晩1粒ずつでは1日ボーっとしてしまう。 家人は水泳自転車ゴルフ散歩と非常に運動に力を入れているが喫煙の一文字 ですべてが水の泡になるに違いない。喫煙外来に行って欲しいのだが手ごわい 熟年親父なのである。時々は強力スプレーで攻撃したくなる喫煙だ。真にヒトは 何か逃げ道がないと生きていけない弱い動物なのだろうかと思案する。 昨年は今頃までハチやチョウがベランダを訪れていた事とくらべると急速に 秋が来ている。ブーゲンビリアの葉はしおれがちである。ジャカルタの庭のこの 木は雨季には刈り込まれていた記憶がある。せっかく繁っているのにどんどん 剪定するのを恨めしげに見ていたが乾季には爆発的に開花していた。日本 では冬越えは家の中だろう。コオロギも鳴きはじめている。ジャカルタの住まい の夜の庭でコオロギの鳴き声がピタリと止み枯葉を踏む小さな足音がすると おびえた。侵入者なのか小動物なのか息をとめて何かの気配を推測した。 常に色んな気配や物事に気が付いてしまう性格は神経質とばかりは言えない と思う。むしろ動物的カンという素晴らしい能力なのでは無いかと自認している。 それにしても玄関の前でアミハリ作業するのはもうやめて欲しいものだ。

 通院は普通が良い (2014年9月13日)

3ヵ月振りの通院なので張り切ってバス、電車、バスと乗継ぎ2時間近くかかり 血液検査結果が出る1時間前にピタリと到着しました。いつになくお天気が良く 風もなく初秋らしい陽射しの普通の日でした。最近の日本は8年近く滞在して いたインドネシアと同じような豪雨や洪水が見られデング熱も騒がれるように なりあちこちの老朽化や自然災害を見るにつけ何処も同じなのだと思います。 自分の経験と照らし合わせても変化が多すぎるのはストレスに違いありません。 でも日本には安心できる病院と医師が沢山居るのが心強いです。 病院は30年以上前に産婦人科の医師が書いていた本に引き寄せられて 決意で出向き一人娘を授かった所です。その当時産婦人科の検査病棟だか のみが新しく他の棟は古かったと記憶しています。それが今残り半年をめどに 全面的に新しく生まれ変わるという事です。時の流れと自分の年齢を覚えます。 予約時間までだいぶ時間があり軽く食事をしようと思い地下に降りていきました。 混みあう時間なのでコンビニサンドウイッチを求め吹き抜け広場のテーブルに ついてビルの底から上の方を眺めました。エスカレーターは緊急時に階段として 役に立つのだろうな、医師が歩く距離は長くなるのだろうかなどと思いめぐらして いました。何しろ地震の最中入院していた経験がありますので。今は置かれた だけの1台のピアノが奏でられて人々の心を潤すのだろうかと想いを馳せました。 主治医は今の所変化がないので又3か月後に問診しましょう血液検査は半年 に一度で良いとの事でした。カロナールは自分で調節して飲む事になりました。 年1回CT検査するのかと考えていましたが被爆などの心配もあり問題が起きた 時に検査するのが望ましい様子です。大腸ポリープ除去後の検査も問題が出た 場合にしましょうと言う見解です。その辺のお話がはっきりしていて理解しやすい と思いました。患者は検査が好きなわけではありませんが方針が変わると ハテナマークが生まれてしまいます。市の検診などを取り入れていけば良いと 考えました。いつも11辺りをうろちょろしている血小板数値が13になっていて 喜んで医師に聞くと取り立てての事では無い様子でした。 肝嚢胞は消えませんので観察しながら転ばないように多大なストレスは回避し 回復もすばやくしてサプリや健康食品に頼らず日々を普通に送ると言う事です。 病院と主治医を深く信頼して通院したいと言う決意を新たにしています。 家人に先日TVで放映していたシラサト海岸のアジフライでも食べに行きましょうか と声をかけました。海辺の数少ないヒナビタれすとらんですが鯵料理が美味しそう でしたので探しながらの九十九里行。しかし家人は昨日泌尿器科でもらった薬 が効いていて車の運転が覚束ない様子ですので残念ながら次回になりそうです。

 駅でのハプニングとスーパームーン (2014年9月10日)

東京駅の地下深くからロングエスカレーターで登る時に手すりに掴まらないと いけないとその日の朝は強く認識した。そして帰路の夜9時過ぎに降りる時にも 手すりに指をかけていた。10段ほど進んだ時に急ブレーキ。思わずギュッと 強く手すりにしがみついて下を見るとなだれ落ちそうな勾配の中で人々が 手すりに寄りかかっていた。とっさの事で人差し指の第二カンセツを擦りむいた。 急いで上を目指し横のエスカレーターで下に降りて隣りを見上げてみるとパニック。 背広姿の男性が横向きに倒れていて駅員が救出に駆け昇っている最中だった。 出がけに老犬の遺骨ロケットを身に付けていた日だった。最近はここぞと言う日 のみ一緒に出掛けているが立派な守護霊になっている彼女に感謝した。 丁度その時間に家人が法要の日の為に愛犬の写真を写真立てに入れて居たと 後に聞いた。最近の習慣で家人が買い求めてきた白とオレンジの百合の花や 白い小菊ピンクのカーネンションなどが写真の周りをにぎやかにしている。 これはサラリーマン時代にはついぞ見なかった行動だ。犬は手ごわい熟年親父 をまろやか風に仕上げてくれたのだ。犬チカラでないと出来ない事だった。 美味しいものを食べる時は小皿に分けてあげたりゴメンネと謝る。老犬は写真 の中である時は羨ましげにある日はまあいいよと静かに笑っている。 銀座の老舗店で御月見団子を購入したら小さな薄の穂をオマケにつけてくれた。 スーパームーンは翌日の朝4時に雲間を動く輪郭や端っこの輝きや淡い期待だけ を見せてまた敷き詰められた雲の後ろにぴったりと隠れ光も漏れてこなかった。 昨年の満月は確か犬と二人で見上げた記憶がある。千の風になり自由に空を 駆け巡る今団子より花の香り。転ばないようにケガをしないように私たちの世話を 焼くのに忙しいのだろう。芸術の秋なので絵画展などに出歩く回数がどっと 増えた。遺骨ロケットは胸の血管を興奮させるので困るが時々は一緒が良い。

 青芝を食べていた犬 (2014年9月2日)

カロナールは朝晩あるいは夜だけとパリエットは1錠を2年近く飲み続けて 肝嚢胞の感染症予防をして来ました。もちろん2,3日止めてみたりしたこと も有ります。しかしこの所夏バテからか不明なのですが胃もたれ胃のつかえ が1か月位あり食欲系としては釈然としないのでカロナールを飲むのを止めて 様子を見ています。このまま食欲が減退するのはキョーフです。 ワタシの場合は穿刺治療後に嚢胞のどれかに感染症が出てしまいましたので その後はまずその予防が一番に考えられていると理解しています。普通の人 はこの薬を鎮痛解熱剤として使用するのでしょう。幸いなことに感染症はもう 長期間に渡り出ていません。多少の痛みや張り感は常にあります。 歯茎の炎症やボーコー炎や喉の炎症等とにかく黴菌は油断するとどこから でも入るものらしいです。免疫力体力で普通は心配なしで平気な事なのです。 幸せな事に食欲旺盛太目ですのでこの点だけでも復活力維持で対処している に違いありません。また日々無理な行動は避けて体調一番にしています。 わが老犬が生前によく青芝(どこの場所のアレという指定あり)を食べていた事を 想い出しました。まるで猫の様にムシャムシャと食べていました。いや羊の様に と言った方が当たっています。ジャカルタでは柔らかい芝ではなくて少し固めの 木の根元の一か所がお気に入りでした。そしてケーケー吐いていました。 気持ちが悪いだけではなく多分変なものを食べてしまったこともあるのでしょう。 犬の教えに従い以前は整腸に使用していたアオジルを飲んでみました。 美味しい水と言うので溶きました。ポリープ特大を除去していただく前は生水系 は飲めませんでした。又牛乳も小さいころの習慣に従い噛んで飲みました。 最近ではめったにお腹を壊しません。先月ひどくお腹を壊したのは賞味期限 切れを教えてくれなかった家人購入食品を食べたからだと判明。だましだまし 上手に暮らしていきたいものです。日本も熱帯化して難しい病気が流行りそうです。 海外では国が発表していないところも有るので自分で注意するしかありません。 蚊にはあまり刺されませんでしたがやはり不味かったのかなと想い返します。 ジャカルタでは色んな所でチューブ入り塗り薬等売っていました。日本土産に スプレー式など貰うと嬉しかったものです。ちゃんと食べて免疫力で勝負です。

 ジャカルタのバス (2014年8月31日)

先日もじゃかるた新聞を見ていたら今年に入り9件目の車輛火災という記事が あり目が吸い寄せられました。ジャカルタ市内には普通のバスが走っていたり エアコン付で走る高級バス風なのもあり庶民はアンコット(バン乗合)が主流。 ブロックM(Aから始まる)発コタ行きなどは懐かしい地名ですが実際にバスを 利用した経験は皆無です。始発駅は日本食スーパーがあり夜になると歓楽街に なり日本のおじ様たちが集いました。夕方近くに家族で歩いていたら○○さーん と呼ばれた家人が赤面していたのを思いだします。仕切っている人が居る場所 で日本と同様決して安心とは言えなさそうでした。又衛生面もハテナマーク。 コタは海沿いのダウンタウンで数回しか行きませんでしたが有名ブランドにウリ 三つのイミテーションが多く売られていて若い奥様には人気がある様子でした。 値切って買うという事を先輩から教えられていた時代でしたが今では中韓の客 が多いらしく値切る日本人はイヤがられえていると友人がぼやいていました。 安くておいしい飲茶や生地問屋巡り(種類が豊富で廉価)は懐かしいです。 そういう探検が好きな友人達と他国での冒険はとても楽しい経験だったのです。 それでバスなのですが高級バスは専用レーンというものが在ります。1本の道 を半分に分けたレーンですのでますます渋滞がひどくなりガラガラレーンを 眺めながら渋滞に巻き込まれているのも釈然としませんでした。ある運転手は 境を乗り越えバスレーンを突っ走りましたがちゃんとポリスの姿を確認しての 行動だったと思います。バスステーションは珍しく立派でしたが首を長くしている バス待ち顔の若者などをよく見ました。エアコン付きバスの製造元を眺めてみる と独や日本が確認できました。お高いので有名な独メーカーのバスです。色んな 国から輸入され投資されて活発に動いている街ですが運転手やお手伝いたちは 今でも乗り合いバスを乗り繋いで遠方迄出掛けたりしていると思います。 細い道から路地の奥まで毛細血管の様に人々を拾い走る修身労働型バンです。 中は二つ向き合う長椅子に改造されていて老若男女が蒸しぶろ状態でガマン。 横を向いたままの女学生の様子や身動き出来ない姿には胸が痛みました。 なぜならば申し訳ない事に家庭車運転手付きのわが身でしたから。 帰国してからようやく公共乗り物に慣れて一安心ですが都心にあまり出かけない 友人は今でも乗りこなすのは大変だと話すのでタダの杞憂だったと判明しました。 日本の新しい車輛を眺めているとお古の方はアジアのどこかの国に輸出されて 再利用修身使用となっているのだろうなと想像しました。日本名も消されないまま 街中で見かけると感慨深かったものです。古い形と色に見覚えのある電車などは ぴたりと何々線と当てることが出来る人がいたはずです。出会ったジャカルタの 庶民は断トツ日本製品びいきでしたが他国製品に押されている現状でもあります。 ジャカルタでは日本製品が一番と言われその国で家族共々働く人々が自信と誇り を持ち続けられますように。ジャパンバグース(日本素晴らしい)と笑う人々の ココロがいつまでも本当であって欲しいものです。

 水族館と深層海藻トリノアシ (2014年8月23日)

犬が居た時はかろうじて早朝散歩という運動らしき事があったが又朝寝の 怠け者に変身してしまい反省。4,5時に散歩する人には確かに出会ったが 犬が居ればこそ楽しい定点観察、草木花の変化、その日のお天気等発見 が出来た。運動嫌い故に体型問題に悩む。家人たちはマイペースなので ワタシの心配はしてくれない。それでというわけでは無いが曇り空で熱中症 の心配が要らないからと葛西の水族館へマグロを見に出かけた。以前訪れた のは20年以上前になるだろうか。若葉マークを外して自信も出てきた家人の 車で行けるので楽だ。昔は徒歩20分電車で30分くらいはかかった。土地勘 のある場所はなんて素晴らしいのだろうかと思う。経験しないと解らない事だ。 まだ夏休みなので普通に混んでいた。公園の植栽はネズミーランドと同じく 大木が繁りうっそうとしていて夜は恐そうだ。お馴染みの大観覧車がポツネン と立ち尽くし足元の広い雑草広場とジミな売店を見下ろしている。曇り空が 濃くなり一段と低い空を飛ぶ飛行機が多い。この観覧者は1度だけトライした 事がある。同じく高所恐怖症の家人が乗るかと言うが即断った。水族館で シルバー割引なのを率直に喜ぶ家人を見て複雑感がある。子供たちや バギー親子の横から遠慮がちにしっかりと水槽を覗いて歩いた。家人が タイは居るかと探すので海釣りを想い出したのだなと思う。こんな深海魚の 所にタイは居ない。ミノカサゴの一種らしいのを見ていたらジャカルタの島 プロースリブの浜辺の桟橋から見下ろしたら泳いでいたこの種類の一家の 事を想い出した。島では枯葉の様に頼りなく漂う不思議な魚たちだった。 家人は何を考えていたのか小石を投げてこの一家を右往左往させブーイング されたのだ。大中小と仲良く並んで浅瀬の海を泳いでいた彼らはバラバラに 散りそれでも又ようやく体勢を整えていた。家人は悩み多き時代だったのに 違いない。水族館では深層海藻の一種で多分有柄ウミユリ類トリノアシと書か れた不思議な生き物に出会った。姿は貝か岩にしがみつくジミな姿の海藻の 一枝にみえる。しかし動き餌も食べるらしい。この方はサッと目に入りひどく 印象的だったのでいずれもっと時間をかけて観察してみたい。トリノアシという 名前は誰が付けたのだろうか。 マグロさんたちは中小の水槽、中大の水槽に分けられて銀色の顎を光らせて 俊敏に泳ぎ回っていた。この魚の後の事などが気になり検索すると解剖、 観察の後は植物の肥料になるとある。どうりで公園の木々の立派な成長だ。 水槽の裏舞台を見せてくれるツアーと言うのがあるので今度参加してみたい。 パイプで海の水を入れたり温度管理したり衛生状態を整えたりしている様子 はなかなか興味深そうだ。ブルードラゴンの応援を一段落して今度は深層海藻 トリノアシに集中してみようかと思う。実に不思議な生き物だ。タダ水槽の下に 横たわっていただけの姿なのだがそれでも十分に記憶に残った。

 痛みの記憶、暖簾の裾風 (2014年8月20日)

旅立った老犬はその1か月くらい前から夕方になると北側の窓を見上げていた。 廊下の先の小さな窓景色はメタセコイアの林だ。今は空の色と濃緑の梢が風に 揺れていることが多い。彼女がどんな景色を見ていたのだろうかと思い廊下に 犬の姿勢で伏せて北の窓を見上げてみた。そこにあるのは空だけだった。 夕方には暗くなり小さな廊下の電気が星の様に灯っていたのだろうか。 眼力も聴力も弱り静かに長々と命の黄昏を眺めていたのだと思うと哀れだ。 それとも犬の天使が現れてオイデと誘っていたのか。北の空は寡黙で語らない。 ストレスが落ち着いたからかこの所肝嚢胞の痛みや入れ子はあまり出ていない。 入れ子みたいなのは何回か経験しているのでさすがに極力そうならないように 気を付けている。しかしお腹の張り感は有りこれはカロナールを飲んで落ち着く のか胃腸の働きと時間経過で直るのか解らない。脳が痛みの記憶を再現して 居るのだろうか。若い頃から30年以上は腸の不調がありどういうわけかいつも 同じ左の下腹辺りが強く痛んだ。大腸ポリープ特大を内視鏡で除去した時も痛み 思わずイタイですと叫んでしまったがもともと腸には痛みが無いらしいのだ。 ストレスを強く感じると不安だけではなく体のどこかに痛みが発生したりする。 最終治療でポリープが無くなりお腹を壊すことも少なくなり痛みは消えた。 痛みは体の信号だから見逃してはいけないが気にしすぎてもいけない警告だ。 老犬は加齢と共にあちこち悪くなり最後まで踏ん張っていたがイタイと言う事 は出来なかった。それどころか体調が悪い主を常に気使っていたくらいだ。 長い旅を家族と経験してさぞかしストレスが多かったと思う。今主が眺める 北の窓は木々が日差しを受け千切れ雲が流れる1枚の絵だ。まだまだ希望は 続くはずだ。いつの日かブルードラゴンが飛ぶ姿だって見ることが出来るだろう。 絵の仲間のシッポにくっついて2回目3回目の銀座グループ展に作品を展示 してもらえることになりとてもうれしい。ギャラリーひまわりは9月8〜14日まで。 ギャラリー暁は10月13〜18日までだ。最近の自分の絵は変化が多く自分で 付いていけないのでひまわりの方は来年の国展本展用エスキースで暁の方 は5年、10年前のお気に入り作品にした。ジャカルタでは基本を描くことが熱心 でなかったので初心に返り物を描く力を取り戻さねばと思う。愛犬の絵はまだまだ とても描く気にならない。主の部屋の入口にぶら下がっているグレーとベージュ の2枚の無地のバティックの裾に垂れている糸がいつも風に揺れている。 顔を半分出してその糸で遊んでいたオチャメな犬の姿がまだ見えてしまうから。

 清潔(クリーン・ブルシ)という事 (2014年8月16日)

2003年ジャカルタの長期滞在は物珍しさと怖いもの知らずでスタートしました。 日本各地から会社や工場関係の家族が沢山仕事に行っていたので東京では 考えられない位初対面でも交流が出来た貴重な体験の日々の連続でした。 街の中には韓、中、ベトナム、マレー、フランス、イタリア、日本等の店が多く じゃかるた新聞に新情報が載るとそれっと集合して見たり食したりしていました。 会社の婦人会や習い事関係や住まいの関係等実に交流が盛んでした。 渡航前に学んだことは数字を覚えるくらいの事や現地人といかに仲良く暮すか という本を読んだりマンガ指差し会話本を購入したことくらいでしょうか。熟年で 初めての海外滞在なので警戒心をどう働かしてよいのか判らなかったものです。 渡航前にA型肝炎の予防注射と破傷風の予防注射(2回ずつ行う)を済ませました。 家人の知り合いは庭の土いじりをしただけで破傷風になりましたのでこれは特に 注意しないといけません。今日の様に検索で色々と学んでいたら拒否反応が多く 楽しむ生活を送ることは出来なかったに違いありません。当時は検索どころか 語学習得やら使用人問題で忙しくて何の予知能力も警告キャッチもなしでした。 ある日土産物店の1階の友人お勧めのレストランを覗いたとき対面式の厨房 を眺めていてら長い薄茶色の布で食器類を吹いているのを見て超びっくりでした。 この国は雑巾も布巾も一緒なのかと。後々確かにそういう考え方使い方をするヒト は居ましたがこの時は漂白剤を使うことが少ない文化が在ると言う事も学んだ のです。うちのお手伝いさんには布巾を煮沸してもらいましたが時々手に入れて 使うキッチン漂白剤の強いニオイは彼女の方が辟易していたはずです。道端の 屋台の皿洗い(バケツひとつ)や布の使用方法は見ない方が良いと解りました。 免疫力の問題ですので現地の人々は平気なのでしょう。ほとんどの人が水は 購入して飲む国です。石の床も毎日洗剤でモップ掛けしてそのあと水拭きして 貰いました。一回だと犬が床を舐めた時に危険だからです。犬用に使い捨て 手袋やゴム手袋をたくさん用意していましたが彼女たちも勇気がありました。 お金もかかり川や下水を汚す元の薬品は昔は使われていないらしいし日本 のフジヤマで見られる白ペーパー川のような問題は発生しないと思います。 何でも水で流しきれいにする習慣の人々だからです。当時お手洗いにも水桶 というパターンが市街地で見られ日本人は出がけにポケットに小銭とペーパー を確認して出掛けたものです。帰国してからは引き出しの中に沢山の洗剤や 消毒剤等が途切れることなく詰め込まれています。品切れや種類に悩んだ経験 から備品対策に励みすぎる姿は家人たちの笑いと呆れを誘っている様子です。 しかしさらにスプレー式消毒剤も購入しようかと考えています。店にはこれでもか というほど色んな商品が並び手招きしていますし日々増えるばかりの商品です。 日本ではいつでも買えるマスクも常に2箱くらいは常備している始末です。 ちょっとくらいの間日本を離れて居ただけですがこの所の私たちの国の商品 の多さや安さには疑問も感じます。安く作っている国の事やその生活やその国の 庶民の変わらない生活などの事を思います。1回でも長期滞在したので身に染みて 思い馳せるのです。だからと言って洗剤やらを購入しない訳ではないのです。 この辺の事がとても悩ましくティダアパアパ(気にしない)にはなれ無い身の上です。 今も気にしすぎです神経質ですと言われるのですがストレスは前に比べて大格段 に減っているはずです。危険察知やら警告音には敏感。会得したものは大切。 以前は無頓着だった自分の健康問題とオーバーラップする事情でも有るのです。

 海辺で暮らす犬たち (2014年8月13日)

バリ島はヒンズー教徒が多いのでジャカルタの街中に比べて犬の姿を良く 見ます。犬天国だと思いました。色んな神々の像にお供えする花々や食べ物 のお蔭で野良犬達でも生きていける環境にあるのでしょう。残念ながら犬の 病気情報からすると危険地帯であり近寄ったり撫でたりは出来ません。 犬たちは可愛いと言うより野性的個性的な感じです。自分が犬を飼ってみて 初めて内や外の色んな犬たちに興味を持ち観察もしたという事です。 キンタマーニ山という活火山には火山湖もあり土地に因んだキンタマーニ犬 も居る様子です。足が長く柴犬に似た感じの犬だと思います。日本の農村様 段々田んぼと竹林とバナナの木とサギ鳥と言うのは代表的絵画にもあります。 海辺で暮らす犬たちの記憶として鮮やかなのは15年位前の事ですので今とは 事情が違うと思います。早朝の海辺を歩いていたら村人が漁の小網を広げて いてイワシの様な小魚がぱらぱら入っていました。野犬が数頭近寄って行き 投げられた小魚をキャッチしました。まるで猫のようなその姿がひどく印象的で 今でもよく覚えているのです。初めて訪れた南国の海辺の消えない1枚です。 その辺の海辺は急深が多い様子でどんな魚が取れるのかはわかりませんが 浜辺では焼き魚料理が目玉でした。鰹などの大きな魚はアチェ方面などで 獲れるそうで小さなのはツナ缶などになって日本に入ってくるとの事です。 沢山養殖されているエビもカップ麺等に使われていてこれはインドネシアのエビ だねと思いながら食べています。住んでいた頃には白くて透き通ったバナナ エビと呼ばれるのを時々日本食スーパーで買い求め料理に使っていました。 南国でも故障やら計画やら停電がありますので生ものを買うときにはぐっと 目を近寄せて観察していました。イカなども極タマに買いました。 観光コースの中の有名な寺院には汚れた白毛の大型犬が居ました。やはり お供え物があるので生きていけるのだと思いました。最近の検索では野犬狩り 等も行われたとありますので野犬を見かける事は少ないのかも知れません。 マイペースで日向ぼっこしたり夕立を避けたり遠慮がちに食べ物を貰う犬たち は何故か堂々としていた記憶があります。 お盆なので旅立った老犬が本当に戻ってきたかのような出来事がありました。 分骨とロケットを居間や主の胸の上に置いていたからか3,4日前の早朝や 夕刻に元気よく爪を立てて走りまわる音がうるさくて目が覚めました。台風も ありベランダの物音や室内の物がぶつかる音かと調べました。ロケットはもう ひと月あまりぶら下げていましたが胸の骨の辺りが痛み何か病気なのかと 検索したりしたのです。けじめをつけてすべて仏壇に集めて改めて手を合わせ ました。霊になったのだから戻る場所はここだよと教えたのです。その後は 音も聞こえなくなり一安心。いくら自分の犬でもちょっと怖くてビビりました。 これからはここぞと言うときにお助け霊として働いて欲しいものです。家人には ホラゴランと叱られてしまいました。住む世界はちゃんと分けないといけません。

 夢で会えた黄金犬、熱中症 (2014年8月10日)

旅立った犬が黄金犬になって夢に現れた。夢は願望やら不思議なものを見る 世界だ。その時々の人の状況に合わせてチャンネルが合う。向こうの角から 現れてダーッと突進してくる姿は歓喜に満ちていた。手前にはワタシが居る。 老犬は金ぴかの守護霊になったのだろうか。気分が一気に明るくなった。 しかし金ぴかという姿には驚いてしまった。金ぴか物は好きというわけでは無いが 帰国して入院した時にあまりに暗い玄関(転倒もした)に金銀のブタやリスの置物 (大型貯金箱風)を3個くらい置いたのは確かだ。犬はいつもそこで寝ていたのだ。 余り磨くこともないので一つは錆が出始めている。光物は磨かないといけない。 我が家の犬は年を取ると余計にヒトじみてきた。自分の事を犬と思っていないと 感じられたものだ。ジャカルタ生活でワガママ度が加速してしまい家族の集まる所 には必ず参加していた。食事時の躾けの悪さは全部主の至らなさになったので 吠えて叱られないように主は幅広の布を肩から斜めにかけて犬を入れ食事した。 犬には老犬用缶を小さなスプーン(犬用)でチョビチョビ与えた。主は暑い汁物など 飲む事が出来なかったがそれで平和な食卓絵図になった。犬は2,3歳児の知能 があるそうだがまさしくそういう風で地位的には娘の上に位置していた。年齢的に は家族で一番上に迄なっていたはずだ。私たちは時々りんご先生と呼んでいた。 この3年間くらいは体調が悪いヒトが具合の悪い動物を世話するのは真に大変 だとため息をついていた。最後の1年くらいは家族全員で対処して凌げた。 ワタシの肝嚢胞問題は横ばいである。ストレスが落ち着いたせいかと思う。 白斑症は特に後頭部首から前方面への進出が多くなりちょっと慌てている。 免疫力が上がると何とかなるものなのか少し様子見だが病院に行くべきか。 髪の毛を上げて少し陽に当てる時間を作った方が良いのだろうかと考える。 これはジャカルタの皮膚科の女医が言っていた事だが今ステロイドの塗り薬は 持っていないのでただ陽に当てるのも良くないはずだとは思う。 先日初期に続き中程度の熱中症を経験してしまった。頭痛吐き気下痢の症状 があり保冷剤をタオルにくるんで首や後頭部を冷やして麦茶をたくさん飲み塩を 舐めて横になっていたがこれを一人で出来ないと救急車に乗らないといけない らしい。熟年は風が有り少し涼しく感じられるとつい電気の節約を考えて失敗する ような気がする。ジャカルタではしょっちゅう計画停電があり節約参加が日常的 だったが日本ではあまりない。電気の問題を考えるとまずエアコン辺りに目が向く がエアコンがない時代にどうやって過ごしていたのか良く思い出してみたいものだ。 気温が昔より上昇しているし暑い日の夕方に雨が降ったことなどと比較して暮らし にくくなっているので体力のない人は無理できないと思う。盥に足を入れて窓を 全部開け簾を垂らしかき氷を食べるさざえさんの世界が思い浮かんだ。

 小さな暖かさに気付く日 (2014年8月4日)

老犬の入魂式という法事がありました。無宗派の集いとは言えお坊さんが読経 して下さいました。ご焼香もあり写真の中で心細そうに微笑んでいる犬でしたが 家族と離れて別の世界に旅立つ決心がついたと思います。私たちも犬に対して 最後の命令を言えたと思います。安らかに眠りなさい守護霊になってねと。 色んなご家族の方々が訪れていて犬や猫やウサギやインコたちとお別れします。 そしてその後は不思議と肩の荷が下りて熟睡できたような気がしました。動物は 特に無垢な生き物ですので魂に触れて救われる人や家族は実に多いのです。 過去にはバチアタリなことにリスには脱走されインコは放した事が有りますし ウサギは浜辺の埋め立て地に眠ってもらったこともあるのです。当時は今の様に ペット葬儀はあまり聞かなくて市に頼むとゴミと一緒に焼却されたはずです。 インコはオス故の求愛行動で食べた餌をゲーゲー吐き続けるので難儀して居まし たが外を見ると脱走組か自然繁殖なのかインコの群れが飛んでいたのです。 確か都心のそんなニュースが新聞に出ていたと思いますが住んでいたのは海辺 でしたので気楽に考えて放しましたが娘の非難やらココロの痛みは有りました。 リスはすばしこくて捕まえることが出来ませんでしたが夜なべしている時に尻尾 を振ってくれたものです。夜用に風呂敷を被せると巣の中に全部押し込んだり 本棚近くに檻を置くと本の背表紙を齧りまくってくれましたが憎めませんでした。 ジャカルタのオーク樫の木の枝には台湾リスが沢山住んでいましたがうちのは シマリスでした。どの動物も可愛いですが手間暇がとてもとてもかかるものです。 又噛まれたりすると病気の心配もありますが今は検索で何でも即判明出来ます。 ここ3年ほどは老犬も主も体調不良で助け合ったのか病みあったのか疑問です。 エネルギーがプラスになったりマイナスに働いたりしていたと思います。お坊さん のお言葉として名前を呼んだり匂いのあるものを供えてあげるとより身近に 感じることが出来るという事です。家の犬は水をたくさん飲みさつま揚げやちくわ が大好きでした。うっかりしていてさつま揚げ3枚平らげたことが有る程です。 ジャカルタ時代日本スーパーで買い込んできた荷物を玄関に入れて立ち話して 居た時の事でした。それ以来というもの犬の癖に大好物ですっとんで来ました。 夏場ですのでとても無理な話ですがどうしても日持ちのする食べ物などを供えて しまうのです。暑さで花はすぐ枯れますがベランダのゼラニウムは年がら年中 咲いていますので役に立ちます。写真の中の小さな魂の暖かさを忘れません。

 お正月とサマーバケーションとバリ島 (2014年8月2日)

インドネシアには24年現在1万5千人くらいの日本人が住んでいるそうです。 レバラン(お正月)休みには家族で日本に一時帰国したり国内外に旅行するのが 一般的ですが市中の空気が心持澄み悪夢のような渋滞もほとんどなくなりますので 好んで移動しない人達もいます。お屋敷の人々は使用人が居なくなるので避暑地 や別荘に行くのでしょう。何とか派遣協会と言うのが在り割高メードを派遣して もらえる様子です。街の中のいろんな所に張り紙がしてありもちろんピンキリで アヤシイ人を雇ってしまうとタイヘンです。自分で掃除などはしないと思いました。 欧米人はソレッとばかりに家族全員居なくなります。向かいのオーストラリア人の家 には使用人が親類みたいな人を沢山連れて泊まっているのを見ましたが許可が 有ったのかなあと訝りました。主の留守中に人を呼び宴会をすると言う話はよく聞い て居たものです。日本人のお正月休みは少ないですが欧米人はクリスマスと言う のがありマタマタ長期休暇です。どう考えても使用人はこっちが良いはずです。 英語を学び料理も覚え同じ場所で勤めるお手伝いはちょっと垢抜けていました。 私たちは犬の留守番をしてくれるお手伝いが居る時などは旅行もしました。住んで 居た集合住宅地には英人教師が沢山いましたが夏休み1か月の間はメード& 運転手天国だった筈です。犬ネコの世話に朝晩来たりするくらいなのです。その間 遊んでいないでよその家でアルバイトしたりする人も多そうでした。毎年田舎に帰れ るわけではありません。バイクに人を乗せて運ぶアルバイトだってあります。 バリ島はジャカルタから飛行機で1時間少々でしたので何回も行きました。珍しさ に目を奪われているうちは華ですが観光地ズレした光景や衛生状態や危険を求 めてやってくる様々な人が集まりますのでそういう点をチェックするようになるとハティ ハティ(注意せよ)サインが点滅します。浜辺焼き魚を堪能してレシートをチェックした 娘が2倍に請求されているのを発見してブーイング。観光案内の人が付きその人の 紹介の店でした。世界中自分で注意しないといけない現状ではあります。 世界的にチェーンを展開している語学学校の主任は時々抜き打ち的に授業に出て 多分先生の授業進行具合をチェックしていると思いましたがこちらが聞かないの にバリ島のビーチボーイの事を話しだしました。ボランティアでバリを訪れ彼らに 定職を与えようとマッサージ指導所等作っているとの事。ナンパ専門の彼らの事 を考えて居る人もいるのだと感心しました。彼は長年日本の支店に居たのを聞 いたのはずーっと後の事で拙い英会話で苦労しました。授業の前に竹の絵が描か れた湯呑茶碗を持ち込んでいたので(コーヒーを入れて)不思議には思いました。 CNNの速い会話の場面を見せられて理解したり思いだして繰り返すのは難儀で した。大して身に付きませんでしたが日本の半額で授業が受けられたのです。 鮮烈に記憶しているのは黒板を消して出て行ってしまい又聞かれると言う場面の 会話位です。どうも英会話堪能はティダビサ(出来ない)でしょうか。 バリ島もスコールが多く土産物屋を冷かして歩いている時に雨が来ると嫌でも一軒 の店に足止めされてしまいます。当時は道路工事も多く下水泥が盛り上げられた道 を恐る恐る歩いたり夕方からオープンのイタ飯レストランは人気がありましたが蚊が 多くて怯えていました。ホテルにより浜辺が前に有ったりゴルフ場が開けていたり ダイビングしか出来なかったり色々な様子です。下水の処理が前より良くなって いると助かるのですがなんでものんびりな国ですので今でもあんまり変わらない のでは。ハイビスカス、ブーゲンビリア、プルメリアの花々は笑顔笑顔。南国の 島はエナック(素晴らしい)ですが正露丸や蚊よけ塗り薬は持っていきましょう。 知り合いは子供に焼きおにぎりしか食べさせず生フルーツも却下でした。それでも ビーチパラソルの下で青海原を眺めているだけで巷の煩悩は消えてなくなります。

 レバラン(モスリムのお正月)のクッキー (2014年7月29日)

その日は毎年少しずつ早くなっているのでその内にカレンダーを一周するのかと 不思議でこれは日本のお正月とお盆をたしたようなお休みです。今年は28・9日に 1435年断食明けとインドネシアカレンダーに記入されています。毎年リーダー の人が発表する日です。払っている給与月額の1か月分くらいのレバランボーナス を家庭車の運転手やお手伝いさんに出しました。毎月の給料も拙い現地語で ・遅刻するときは連絡しなさい・お掃除は急がないで丁寧に・等々して欲しくない事= サヤティダマウという言葉から初めて羅列しました。彼らにすれば変な文章でしかも 毎月サインせよという主はうっとうしかったと思います。読んでいる振りだけが殆ど だと思いましたが毎月前の文章を書きうつしている主でした。もちろんボーナスも 運転手用お手伝い用と早めに文章も書きこみ袋に入れて用意していたものです。 レバランの1か月くらい前には購入しておかないと値段が上がりますので気を付けて いてカルフールなどで数個日本名ナビコなどのクッキー大缶箱入りを買いました。 10万〜20万ルピア(1000〜2000円)位のものでしたがその箱を車に積み込ん でもらう時に少しばかり嬉しそうな運転手の顔が見えました。住込みや通いや仕事 量や貢献度など様々な尺度で家庭やお屋敷により変化のあるボーナスです。 このボーナスに付けた大缶はそのあと昔の日本のように様々な役目を果たして いるのを家々の軒下や屋台などで見かけました。あっあのクッキーだとか欧州系 等色々な空き缶は誰かから誰へどこの家から誰になどという想像が働きなかなか 面白かったです。ボーナスやお菓子はレバランの2週間くらい前には渡していた ような記憶があるのですが定かではありません。 友人はお屋敷で親戚の男の子二人に住込みで働いて貰っていましたが沢山の 前借(親に送金・結婚結納金等)を差っ引いて支払わないといけないので頭が痛い とぼやいていました。もちろん病気の時やモロモロの面倒も見ます。後々退職して 田舎に引っ込んだりする時は退職金というものも支払うのでしょう。自分が元気な 内に色々な算段をしておかないといけない彼女の頭痛は治りそうもありません。 これを見聞きしていたのでたとえお金持ちで外車数台お手伝い運転手数人等を 使用人としていたとしたも真に大変な事だなりたくない身分だと思ったものです。 彼女は猫も犬も繋いで部屋の中に置いていましたので動物虐待みたいだよと 抗議もしてみましたが確かに彼女の大切な家族だったに違いありません。 クトウパット(チマキ)はウコンで黄色に染められお正月の間家族などで食すると 聞いていました。ココナツミルクと塩で味付けした米をヤシの葉で包んであります。 ルンダン(牛肉のココナツカレー煮)は現地の脂身のない固い牛肉を料理したもの です。友人はプアサ(断食中は早朝と夕方のみ食事を取る)の時に牛の心臓の 干し物などや餅等食べている様子でした。牛の心臓は缶に入っていて食べてみる かと言われましたが試しませんでした。モスリムは宗派により厳格だったりちょっと 緩めだったりするものだという事も知りました。厳格な派は断食中に唾液を飲んで もいけないと言う事も聞きました。病気の人女性子供等は色々除外されることも 有る様子でした。語学の先生は点滴をしてやってきたのでびっくりしたものです。 レバラン(お正月)には親族でプレゼントを交換する習慣がありクッキーの詰め合せ や果物盛り合わせなどは街の中にあふれていました。友人は前もって枕カバーや タオル(これらは実に豊富で質も良い安い)等買い込んでいましたので付いて行き 日本に持ち帰るために貯めこみました。お手伝いたちは割増料金で休まずに働い たり隔年で家族と里帰りしたり1,2週間休んだりと様々でした。その間主が床掃除 等お手伝いの仕事に汗水たらし日頃のバチアタリ的生活を思い知らされました。 お手伝いは帰省したまま帰らなかったり友人を差し出したりという事も有るのです。 ジョクジャカルタのお土産に黒米や小豆等頂いてうれしかったものです。その頃 元気だった犬はいつも台所の床に張り付いてお手伝いを見上げていたので何か おすそ分けに与っていたはずです。犬と仲が良かったお手伝いは最後に犬の 写真を下さいと言いました。旅行時に娘さんが母親と泊まり込んだ時などは多分 遠目に可愛がってくれたと思います。当時はサッカーも出来るおりこう犬でした。 子供の誘拐などを恐れている人達ですので自分の娘にはあまり会わせず写真も 取らせてくれないと言う状況でした。気持ちはとても良く理解出来ました。とにかく 様々な外国人が住んでいる国なのです。将来の日本でも心配になる問題でしょう。

 再生する精神力と希望 (2014年7月26日)

時が渦巻きその中心が開いた瞬間 幾多の子犬の希望に満ちた眼差しが輝き 我先に外に出ようと焦り駆けようと足掻く 空の彼方なのか目前の事なのか皆目不明だが 其の一点は命が湧きだし溢れる強いエネルギーがある 鳴き交わす声が聞こえそうだが音はない ただその映像を呆然と見つめるだけなのだ ワタシの犬はいるのだろうかと考えた ヒシと見つめてみるがあまりに湧き出す多さ 生命力の強さ瞳の輝きに圧倒されるばかりだ 息もつけない速さに追い付けず負けそうになる アッこの子かなと思ったら子犬は飛び出して横に走り去った 生命の淵から飛び出せたのは1,2頭くらいだった 後には何もなかったようなタダの空間がある サッと幕引きされて閉ざされてしまった異空間だ これは夢の中の事なのでウチの犬が再生したのかどうか この世に走りだし地を駆け周りヒトの愛情に守られるのか あるいは非情な巷の中で淘汰されてしまうのかもわからない 胸元のカプセルで小さなホネのシッポやカンセツやハだけの 頼りない姿だがそのパワーは何とも心強くさらにカゾクや ワタシの精神を助ける心意気なのでそのチカラは半端ではない 姿は無くても短い手を差し出し華奢な後ろ足で いかにも俊敏そうに走りまわる姿の記憶は希望だ 今はワタシ達だけの犬とは呼べないけれど 確かに誰かを助けるために再生したと信じたい ホラ行きなさいホラ戻りなさいとココロでつぶやき なんて立派な犬だったんでしょうと称賛して その明るさと強い精神力が永遠であるように祈る 何回でも再生して拙いヒトの歩みに寄り添ってほしい

 老犬闘病末期の介護日誌 (2014年7月21日)

6月20日・体調悪化。21日夕方19時まで開いている病院を探す。皮下点滴 (2本)。6月22・血液レントゲン検査等で半日入院。夕方自宅で大量排尿あり。 6月23・ヨーグルトを指先で舐めさせる。水は小皿で。背中をさすりゲップを促す。 早朝尻尾が動き目を開けた。トイレ場で尻尾を持ち上げ介助して排尿させた。 ビニールガサゴソ音や目の前で美味しいものを食べる刺激。皮下点滴2本。 カロリー缶をぬるま湯で溶きシリンジで少々与える。夕方排尿を促したら大量の 濃い臭い尿が出た。夜高級鮪刺身1キレをチンしてすりこ木でつぶし水少々+ ソバツユ少々を小皿で食べさせる。6月24・24時立ち上がり水をたくさん飲み 凄く臭い尿中量と毒のようなスゴイガスを出す。廊下まで歩いて出てそこで寝た。 朝カバンの上に乗せて散歩。日常を想い出させたい。後足が全く立たない。 カロリー缶シリンジで少々。マグロミンチ+水少々食べた。トイレ場から台所まで 歩いて来てびっくり。昼に鮪ミンチ少々食べる。介助して排尿させた。夕方皮下 点滴2本。そのあと水飲み器から飲み排尿。夜も自分でトイレ場所に行き排尿。 6月25・朝排尿。カバンの上散歩。ササミをレンジで調理していたらトイレ場から 台所迄歩いてきてびっくり。ササミほぐし少々、牛乳少々、水飲み器から水を飲み 排尿。ササミ1本分くらい間を空けて食べさせたが半分くらい吐く。昼排尿あり。 午後も排尿2回。夕方皮下点滴2本。餌水取る。部屋の中を歩き回る。6月26・ 朝歩いて廊下からトイレ場まで来た。散歩時5歩くらい歩いた。カロリー缶を シリンジで。ササミほぐしも食べる。室内を普通に歩ける。昼にふやかしたSD 老犬用餌やささみ少々食べた。歩き回ることが多い。午後水をたくさん飲み2回 吐く。夕方はエサ少々にする。少し歩く。6月27・エサ少々。少し歩く。皮下点滴 2本。タール状の便出る。何日ぶりだろう。あちこちにこれを垂れ流すのでオムツ 着用。水を普通に飲み排尿あり。下痢が多い。サークルで囲んだりオムツをマメ に替えた。ササミミンチを吐く。部屋のあちこちに掃除セットや清浄品を置く。 6月28・昨夜大量に吐いた。続けて何回か吐く。下痢便。パンパース着用。 サークル内で立ち尽くす。朝オムツ内排便排尿あり。カロリー缶シリンジで少々。 麦茶ぬるいのを飲む。昼落ち着いたのでオムツ外す。出るものが無いのだ。 皮下点滴2本。心音だいぶ良くなったとのこと。食欲と消化器官のバランスが悪い とのこと。注射は1日おきくらいにして様子見をすることになった。6月29・朝排尿 多い。カロリー缶シリンジで小皿半分。水も飲む。ベランダに出て寝た。ゆで卵の 黄身少々鶏ささみすり身など与える。オムツを外して少しずつ餌を与えて様子を みる。7月1・夜中に吐く。昼間は食欲だいぶ出てよく動く。7月2・朝散歩。少し 歩く。外で排尿少量数回。皮下点滴1本。腎臓用炭サプリ試し用もらう。食欲少々 水飲む。7月5・夕方皮下点滴1本。炭腎サプリ肝サプリ出る。食欲水飲み少々。 7月6・夕方吐く。少し食事量を増やしたからだろうか。緩い便あり。炭腎肝サプリ 吐く。7月7〜11・食欲少々水は飲む生活。カバンの上朝散歩は励行。便は 3日に1度位炭色少々。排尿普通。食欲あり欲しいものを見て吠える。7月12・ 皮下点滴1本。アンモニア臭らしき口臭が目立つ。7月13・2回吐く。主の夕食を 見て欲しがって吠える。7月14・朝炭サプリや水を大量に吐く。匂いのない排尿 も大量。炭色下痢少々。食欲なく水も飲まない。部屋中歩き回る。夕方過ぎには 座れなくなり横に倒れる。サークルを移動して中に入れておく。緊急事態になる。 シリンジに水を入れて2回ほど少量飲ませた。7月15・3時永眠。 ナキガラを抱っこしていたらガスが抜ける瞬間があり体がスッと軽くなった。 お腹や頭は長い間温かい。特に頭上は脳みそが発熱して働いていた名残りか 最後まで暖かかった。介護日誌をまとめてみて初めて老犬がどのくらいもの凄く 頑張っていたのか深く理解できた。主も犬の介護は初めてだったが出来るだけの 努力はした。わが老犬嬢には沢山の事を教わり悲しみに暮れてばかりいられない。 家族は彼女の為に交代で用事を足したが家人がリタイアしていたので出来た事だ。 介護に目を配りお世話するのは主のエネルギーが沢山要るし体調も悪くなった。 ヒトも動物も悩ましい時代に突入しているので介護問題は頭痛の宿題になると思う。 動物病院のドクターにお礼の電話をしたらよく頑張りましたと犬を褒めて下さった。

 ワガママと勇気と冒険の日々 (2014年7月18日)

犬のりんごがジャカルタで生活していた頃2人掛けの椅子皮を2回も破壊した。 日本から船に積んで持って行った安いとはいえ黒皮の物は数年でボロボロに なった。物価の安い国なので人工皮革で1万円も出すと修理してくれるがそれも 狙われた。いつの物かわからない中身の詰め物を消毒はするらしいが上に立派 な布地を貼ると新品に見える所がマジックの国だ。古いニオイは消えない。 オーナーは新旧取り混ぜステキなインテリアに仕上げて入居者を呼び込む所が 多い。犬はストレス発散で自宅持込みの椅子を引っかきまくった。フットレストから 椅子に飛び乗る姿は短足犬とは思えないほどすばしこかった。昼間は完全に 彼女専用の椅子だったが備え付けだと弁償しないといけなかった。確か犬用 デポジットを入れていたはずだ。犬地獄ネコ天国の国なのだ。 そんな椅子でも帰国時にはお手伝いにチョーダイと言われてほかの要らない物 モロモロと一緒にあげてきた。モスリムでもきれいにしてお祈りしてから使うのか。 ハタマタ路上で売られたのか。とにかく古電気製品のネジの果てまで売れる国だ。 そしてりんごは帰国して購入した椅子も破壊しそうになった。外出時に忘れ物を 取りに戻ると椅子の上に飛び乗り得意満面で引っかき作業に入ろうとしていた。 その頃は11歳になっていたのでもう椅子には飛び乗れないだろうとタカをくくって いたのだ。床にクッション敷き詰め作戦で成功したが結構なワガママ娘だった。 旅立ちの前日の朝はベランダで風を浴びて寝ていた。抱っこされるのが嫌いだった のに抵抗しなくなった。廊下の向こうの玄関から始終頭を持ち上げたままニコニコ した感じで眺めていたので主はここにいるよ〜と手を振った。午後からは傍に来て 顔を見上げ手をペロペロ舐めてくれた。主も時々横にごろんと寝てみて耳をくすぐり ふうーっと息を吹きかけて大好きだよと言うと照れくさそうにくすぐったそうにした。 実に丁寧に各部屋やふろ場まで眺めて回っていたのはタマシイになってから戻る 時の準備をシッカリしていたような気がする。引っ越しばかりしていたから。 そんな状況時に病院に連れて行っていれば少しでも長生き出来たのかと後悔する。 しかしりんごは檻の中で注射をされたりするのは嫌だったと確信している。2年間 で2キロ痩せたが太目だったので丁度良くなったと思っていたし海外でもワクチンと 狂犬病予防注射ばかりに重点的で定期検査は期待できない国事情だった。 老衰とか尿毒症辺りが検索される。定期検診をおろそかにしていた所も主と似て いる。ネコ天国の変な落し物なんかも口にしてしまったかも知れないと家人と話した。 水だって売られていたのはきれいに見えるけれど過程は全く知らない。スカブミ という採水場所は通ったことが有る。知らないで暮らさないと住めないと言う点は 何処の国でも同じだろう。それでもまあまあ勇気が試される冒険と行動の日々。 楽しかったよね。りんごは今写真の中からあっ又おやつを食べて〜と睨んでいる。

 老犬嬢の旅立ち (2014年7月16日)

この3年間に1,2回と予行演習が在り3回目の今回はとうとう本当に旅立って しまった。7月15日の3時。前日はほんの少ししか水を飲まず鶏雑炊にも飽きて うどん煮込みを僅かに食べた。それでもヒトが食事していたり料理を作る時には 欲しそうに寄ってきて見上げたりしていた。ヨーグルトも牛乳も吐く素になるので あげられなくなった。ヨーグルトは大好きで大きなパックの空き箱をピカピカになる くらい舐めていたものだ。背中がはっきりわかるほど弓型に曲がりながらも 変わらない欲で可哀想なので指先て舐めさせた。最後まで食欲系だったがこれは ヒトにもとても大切な事だ。最後は好きな物や食べたい物を食べて旅立とう。 夕方から特に様子がおかしくなり各部屋を巡り眺め家人の顔をシゲシゲ見つめた。 友人のワンコが旅立つ時に同じ行動をした事を聞いていたので家人と覚悟した。 歩き始めて止まらなくなった。ちょっと座っていてもいつの間にか他に移動する。 まるで余力を使い切ろうとしているのか内臓全体が苦しくて落ち着けないのか。 時々前足を介助して無理やり座らせてみた。仕方がないので介護の為に急遽 購入したサークルに入れて座らせたら今度は立ち上がれなくなりムササビ状態。 水を全く飲まない。又目を離したときに立ち上がりそのまま居たらしくキャンと鳴いて 横倒れになってしまった。前回の症状が進み肝硬変状態なのか腎臓がどうかした のか脳みそがどうかなってしまったのか不明だが延命治療はもうしないと決めて いたので家で様子を見るしかなかった。皮下点滴が効果無くなったのが警告だ。 記憶知識では体が旅立つ準備をしているのに追加療法するのは逆効果だと有った。 それからは家人と代わる代わる撫でたりさすったりシリンジで水を飲ませたりした。 残業で帰宅が遅かったムスメの足音が聞こえるとピコっと耳をそばだてた。そして 2時間くらいは又皆で代わる代わる撫でたりさすったりを繰り返した。それぞれが ちょっと仮眠をしに散った。主が横の犬の異変に気が付いたのは1時間後だ。 爆睡系なのに気が付いてよかった。口を開けて呼吸が浅くユックリになっていた。 その後舌が出てしまい最後でもナカナカ納得出来ずに心臓辺りをマッサージした。 喘息の睡眠薬治療時に危篤になった時と比べ物にならない位顔も普通で毛並みも ふっくらしたままだ。体重もあまり落ちず今にもいびき音が聞こえそう。戦友は立派 な旅立ちをしてくれた。家人たちが休みを取ることが出来る日で梅雨なのに晴天だ。 無宗派ペット霊園というものが在り丁寧な葬儀を済ませタンポポの地に眠るべく 諸手続き中だ。迎えの車が来るまでの4,5時間は保冷剤を抱かせた犬の寝床 ごと抱っこして又撫でたりさすったり歌を歌って居た。これも代わりばんこだった。 時間ごとに犬の全体が変化していく様子を見ながら段々受け入れ本格的に諦めた。 斎場では完璧に仕上がった骨のカタチに超びっくりした。いまどきの技術は蜥蜴でも ハムスターでもなんでも上手に仕事してしまう様子だった。そういう場所を作るだけ も近隣の反対が在り大変だと言う社員の話だった。成る程そういう感じで車の送迎 がないとたどり着けない場所ではあった。考え方の違いはどこにでも存在するのが 人の世の常だ。又住まいの横にそういう場所を作るとしたらどうだろうかとも思った。 昔の動物は畑の横や山林や自然に返る事が出来る場所に眠る事が出来た。 ジャカルタ生活を戦い抜き帰国後ドサクサを共有した沢山の想い出が在り有難い。 願わくば私の肝嚢胞も彼女のと一緒に持ち去って欲しかったがこれは無理な話だ。 りんご14.7歳。お疲れさま。今朝も食べ物の匂いにスッ飛んでくる気配がする。

 ハチの夫婦は手ごわい (2014年7月14日)

ハチが選んだ出入り口にガムテープを貼りつけ去年の残りの木酢も振りかけたが 良く考えてみるとこれは効果が無いはずだ。これを好むクワガタ昆虫などが居る。 天気予報は午後から雨。ハチはさかんに木のイスの周りをブンブン飛び回る。 洗濯物を取り込みながら時々観察しているとどうもガムテープの辺りがモコモコ 動いている。まさか。そのうちに中の方からギザギザと切るような様子が見えた。 後の流れでこの中に取り残されたのはオスのハチだという事が判明する。 今はまだ攻撃性の見られないハチは小柄な黒い胴体と透き通った短い羽根の先が 白くスモークしている種類。オスに比べて一回り小さいメスだ。小さくてもハチは 油断がならない。閉じ込められたオスの前でしがみついているメスは時々その羽を 扇風機のように震わせて空気を送っている様子だ。眺めているとなんとなく小胸が 痛んだ。そして1時間くらい気を付けて見ているとメスがだらーっと力尽きてぶら 下がっているではないか。あれーっ今さっき追加した絵画用シッカロールが効いた のかと心配。しかし間もなく中から黒い頭が覗き始めるとメスはまるで引っ張り 出す感じの行動を取っている。中と外の協力体勢が見て取れる。 ハチに劣る行動を取ってしまったわが身を恥じた。去年は卵を閉じ込めた。 ますます頑張り身を乗り出すオスに向かって精一杯羽根を震わせて空気を送る メスの姿。するりとオスが空中を目指すとメスも一緒に消えていった。安くて薄い ガムテープを買ったことを後悔しながら3枚重ねにしてサッと貼りつけた。 ハチのオスだけが直に舞い戻ってきて穴の辺りを探している。どうやらタバコの 葉や木くずを始末して環境造りに励んでいた所を安い薄いガムテープに覆われて しまったのだろう。良いガムテープは繊維が多く丈夫だからそう簡単には食いちぎれ 無かったに違いない。丈夫で良いガムテープを購入すると言う選択肢はある。 木のイスを日の当たる方向に向ければ良いのだと急に気が付いた。何のことは 無い。ローズマリーの鉢なんか置いて涼しい日陰つくりの手助けをしていたのだ。 フツーのヒトはもっと早く気が付くのだろう。ハチ夫婦を悩ませてしまった。 食欲は無いし暑いのにあまり水を飲まない老犬嬢にハチの話をしてみた。 居間の25度のエアコンや玄関の保冷袋入り洗面器の間をヨタヨタと移動している 犬にとっては問題外の話だ。これからの猛暑を乗り越えられるかどうかなのだ。 皮下点滴後に体調が沈むので困る。体重は徐々に減るのでシリンジ栄養頼りだ。 これがまた犬歯を食いしばって嫌がるので主も負けじと奮闘するしかない作業だ。 今日は稲庭うどん極やわらか煮+ササミほぐし+そばつゆ少々のお昼を少しだけ 美味しそうに食べてくれた。砂糖もなめさせた。蜂蜜もいいかもしれない。 それにしてもハチの夫婦愛には感動した。多摩地区でも素晴らしく気鋭を感じる ハチに出会った事がある。今時のニンゲンはもっと自然界のフツーの生き方や 在り方を学んだほうが良い。曲がりくねったり裏表だったり競争ばかりだったりの ヒトのココロは複雑すぎる。本当のところがちっとも解らなくて想像すら限界だ。 スマホを止めてたまには動物園とか水族館等へ出向いて無垢の瞳を見て欲しい。

 ハチの夫婦がやって来た (2014年7月12日)

台風一過の朝陽の中にハチ夫婦の姿が見えた。お目当てはもちろん我虫食いの 木造りの動物型イスだ。ジャカルタから持ち帰ったいかにも木製品という素朴な感じ とデザインである。聞いてびっくりする程安い(確か1500円位)。定期的に開かれる いろんな島の特産物見本市では必ずブースを持っている人気者だった。虫が出たり しないのか確かめるとティダアパアパ(大丈夫)と答えた。多分タールで虫食い部分 を処理していると思った。帰国後は多少の心配から外の住人になってもらった。 もっとバカデカイ木のイスを何とかして購入持ち帰ろうと奮起していた友人も居た。 家に置けなければ小学校にでも寄付すると言って居たが成功しなかったらしい。 現地のお金持ちの人たちは古い時代の家具をキレイにしてもらい居間に置いたり するのが好きそうだった。こんな古い気味の悪い物をと思う箪笥などに熱中して 居る友人は商品の価値を見ぬいていたと思う。扉には華人の山水画もどきの画が 描かれていたりして近隣国との交流やらの時代の流れが伺われた。 昨年はもっと遅い時期に一匹でやって来たのに今年は早い。ガムテープ作戦の場所 はそのままになっているので使えないとにらんだのか小石を突っ込んで置いた小さな 穴の方に目をつけた。慌てて身近のファブリーズを散布してみたが香りの点で逆効果 に違いない。相当振りかけても全くメゲズニやってくるので別の作戦を思いついた。 家人が大好物のタバコが携帯吸殻入れに残っているはずだ。一本持ってきてもらって 焦げたところを擦り付け燃え残った部分をつめておいた所どうやら成功した様子だ。 加えて検索するとハーブ系の強いニオイが嫌いらしいとあったのでローズマリー鉢 を移動しておいた。やっぱりタバコの葉はヒトにもハチにもドクだと納得した。 シッカリ消えていることを確認しないとたき火状態になるのでハティハティ(注意)。 こういうハーブの香りはヒトのボケ防止にも役立つと書かれていた事を想い出したので 家人に葉を嗅がせた所喘息再発の危険があり即中止した。台風の季節は家人も犬も 喘息が起こりやすい。1週間ぶりの皮下点滴に出かけたが老犬は主の脇の下に鼻 を突っ込んでこわごわ注射器をふり仰いでいた。普通の犬らしい反応を見て嬉し かった。酷暑も来るらしいけれど食欲で頑張ろうね戦友。ハチの夫婦には早めに 他の場所を探してもらいたいものだ。眩しい光の中で蝉しぐれが始まった。

 巣箱内目線だけど少し幸せ (2014年7月8日)

四角い狭い部屋だが見晴らしだけは良いワタシのアトリエだ。白いブラインドで 射光を調節して明るめや暗めにささやかな快適空間を演出する。特に絵を描く 時にはその調節に忙しい。床は一面のグレーシート(防水)を敷いてある。 更に犬のバクダンや小池除けとして新聞を敷き詰めた。絵の下方部分を嘔吐や オシッコなどで汚されるので今では見苦しいほど新聞で覆っている。ほとんど歩く のもやっとの状態だ。以前はブルーシート着用だったが防水性がなくその下に 水分が漏れて木の床が腐る危険がありグレーのを探して来たのだ。犬の胃酸は 強者で床や石を破壊する。木は変色するし大理石などは解ける。海外では借家 故あまり気にせず清掃を心がけていたが今は結構気になるのだ。 そんな部屋なのに何かというと入り込み占拠する家人だ。タバコを吸いに入るとか 本を読みに入るとか。ムスメが語学試験の為に入り込むのは許す。犬だって 勝手に出入りしてトイレ代わりにするがそれは大目に見たい。おしっこ専用場所 があるのになぜにこの部屋が好きなのか不明だ。ワタシの人生で二部屋も使用 しているのは初めてなのだ。日本の家屋部屋事情は厳しい。海外で思い切り広い アトリエなんか持ってしまったのでこの狭い巣箱的空間に慣れるのも苦労した。 それで家人たちが自分の部屋でなくこの部屋で過ごすのに絶対拒否は出来ない。 老犬嬢は滑り止めコルクの上をヨタリヨタリと腰を揺らしながら痩せた後足も 心細げに歩く。オシッコシート大6枚に寄ろうか水飲み器で水を飲もうかと考えて 足を止め又ちょっと歩きアトリエで用を足そうか考える。何もしない時は玄関まで 歩き石の床にドサリと横倒れして寝るだけだが最近では気兼ねしてあちこちを汚さ 無くなり場所が決まってきているのがエライ。出来る限り鞄の上に乗る早朝散歩 はしているが以前ほど熱心には出来ない。老犬が呼びに来なくてこちらから声を かけないといけなくなってしまったからだ。それでも散歩は好きな様子だ。 犬に薬を飲ませるのが難儀になった。最初はすりこ木でつぶしてピルポケットで くるみ与えることが出来たが炭サプリや肝サプリの錠剤を吐いてしまうようになり 知恵比べだ。餌に混ぜると餌をたべなくなる。早朝にチーズで錠剤を包んで与え たらゴクリと呑み込んだのでこの作戦に決めた。鶏ささみをほぐしたり好きなごはん も混ぜたりして何とか食べさせる。老犬用餌もお湯をかけてふやかして混ぜる。 高カロリー缶はぬるま湯で溶いてシリンジに吸い上げ歯の横から強制注入する。 皮下点滴は2,3日おきに様子を見ながら通っている。犬にはストレスだからだ。 体重は余り減らないところが主によく似ている。先日主が珍しくスカートを穿いて ベルトを着用してみたらウエストがなくて使用できなかった。脂肪の問題なのか 肝嚢胞の問題なのか悩ましい。危機を脱してストレスが減少したせいか主の カロナール飲用も日に1回に減った。台風前の山風海風の中で気分は小康状態。

 七夕間近の星への願い (2014年7月2日)

この所カロナールを朝晩服用で少し脹れている程度の肝嚢胞ですが薬を飲ま ないと膨らんだまま張る痛みも出るので今更ながらこの薬は鎮痛剤だと再認識 します。1,2週間も2錠ずつ飲み胃薬を飲んで居ても舌の先に痛い腫物が 出来て薬の休日は必要だと感じます。メンチョウは出来なくなりましたし蕁麻疹 問題も余りありません。この薬を長い期間飲んでいますのでその心配は有ります。 薬事法改定情報をみるとこの薬に対する警告が増えているからです。しかし 何種類もの薬を飲まないといけないわが姉の事を考えるとこの程度の事は ワガママなのだろうかとも考えますが病気別の病人の比較はできないはずです。 のうほう倶楽部と言うブログをよく見ています。腎肝に関する情報が多く多勢の方 が悩んでいる様子がよく解ります。腎の問題は家人の姉が透析中の風邪がもとで 1週間位の間に脳死状態になり召されましたのでよく覚えています。かれこれ20年 以上前の事ですので今とは医療事情が違います。後々自分が肝嚢胞で悩むことに なるとは思いもしませんでしたが経験しないと解らない事です。 肝嚢胞が治療を必要とする程大きくなる人は全国的に見てもそう多くはない様子 です。難病情報センター肝病疾患分野多発性肝嚢胞症(平成24年度)というページ を開いてみますと患者が少なすぎて統計的な結果を出せないのだろうかという 印象です。研究班有りとありますので研究はして頂いている様子です。 自分の場合は熟年齢でもあり推移を見ていく事に不満はないと言うわけでは無い のですが若い方が肝移植状態まで様子見をしているだけと言うのはハテナマーク。 カロナール治療になった時点で治療方針が決まったはずですと言うあるドクターの 言葉もハテナマークです。通院先のドクターの方々は個性豊かで熱血漢が多く チーム医療なので直接診察しないドクターもなんとなく感じの良い印象があり続いて いるのですがセカンドオピニオンは取ってみたいと常に感じます。しかし患者に 取っては気楽なオピニオンとは言えません。それは患者でないと解らない気持ちです。 通院期間が長い病院に信頼してお任せしたいと言う考えは当たり前の事です。 問題解決の悩みを持ちたまたま友人のブログに投稿マラソンできるチャンスも有り どなたかに願いが届くように書き続けています。以前にお会いしたドクターには この病気の研究をして下さいとお願いしました。解りましたと返事を下さいましたが まだ覚えていらっしゃるのでしょうか。すでにリセットされてしまったのでしょうか。 東西南北の方向を向いてお願いしていると言う程の熱心さではありませんが。 わが老犬嬢はまたまた危機を脱している様子ですが悪い所が改善されるとは思い ませんので少しでも長生きしてくれれば良しとしたいです。静脈点滴はしないで 1日おきの皮下点滴や飲み薬などになりました。長生き犬の特徴として反抗心、 独立心、食欲、行動力があるようですがわが老犬には反抗心、ワガママ心、 習慣心と多少のグルメ食欲などが戻りつつあります。 七夕前に一人の肝嚢胞患者から星に届きますようにとココロを投げてみます。 どの星でも良いですからキャッチしてください。忘れている星は思い出してください。 今日は晴天で吉日。七夕の空は大抵曇りか雨です。良い事がありますように。

 ベランダ角風中 (2014年6月29日)

ひたすら食欲で闘病中です。14.6歳まだまだ頑張るぞ!  

 アドレナリン燃焼中 (2014年6月26日)

食欲を引き出そうとして家人がスーパーのタイムセールで購入して来たオウシュウ鶏 を小皿に入れて水を足しレンジでチンしていたら歩けないはずの老犬がヨロヨロと 引き寄せられて5Mも歩いて来たのでびっくりした。このササミは鶏臭くなくジューシー でおいしいがほんの少し味見しただけの主である。日頃から鶏は大好物の彼女だ。 しかしつい与えすぎてしまい吐かれると残念もったいないと後悔する。シリンジで 高カロリー缶餌を水溶きしてあげたりヨーグルトを舐めさせたり抱っこしてオシッコ 場で排尿させたりと看護師さん並みの働き者に変身した主だ。今朝は早朝散歩時に 5歩も歩き帰宅して又ササミを期待したらしく10Mも歩いた。この辺の食欲で生き 延びる姿勢は主とそっくりである。どうも病院で皮下点滴の前に浣腸して頂いたのが 効果的だったような気がする。犬は意外とプライドが高く余り粗相しないのがエライ。 金土と2日続けて静脈点滴をしてみようかと考慮中だ。一時しのぎでも良いと思う。 動物病院の先生は主が通うヒトの大病院とは患者数が比較できないが丁寧で 解りやすくレントゲンの映像説明をして下さる。肝臓の中が7葉に分かれている事や 左右そんなに大きさが変わらない事や心臓がほぼ真ん中に位置することなどを 認識して家人と共に感動した。ネコやイヌの映像は小さくて上半身全部写るので 腸や腎臓までよくみえる。ヒトの大病院でビクビクしながら質問したりメモを持って 行っても全部聞けなかったり対照部分以外の質問を省かれたり先生のご機嫌を 気にしないといけないのとは大違いだとしみじみ思う。血液検査くらいだったら近所の 家庭医に行くべきなのだろうかと悩む。病がある人はその辺の事はどうしているのか。 友人は通院をオミットしないで続けることに意義があると言う。いざという時の扱いが 違うのだろうか。だからいくら遠方でも我慢して通い続けるのが最良なのだろうか。 主は怠け者生活から急に忙しい毎日になり肝嚢胞から来ていると思えるお腹の張り やシクシク感があるので朝晩カロナール服用が多い。今はこの薬に頼るしかない。 確かに炎症を起こす気配のある喉や歯茎や膀胱炎気味等は翌日には消える。 早朝散歩時に時々公園の出口辺りで見かける立ちション老人の横でワザと老犬を 道に降ろしてみた。この老人は看板をシゲシゲと眺めるふりをして行動を起こさ なかったが日頃ストーカー気味の行為もあり警戒中だ。武道のたしなみはないが その精神で眼力に気合を入れて睨むとソソクサと消え去った。帰宅後家人に ああいう老人にだけはならないようにキツク言い渡した。アドレナリンが駆け巡る。

 続・高齢犬嬢のブルーな日々 (2014年6月24日)

急に犬が闘病生活に入ってしまい覚悟はしていたが結構忙しい毎日になり主は 自分の肝嚢胞を撫でてごまかしながら奮闘中だ。昨日の朝はオシッコシートの 上でシッポを握って持ち上げ後ろ足を何とか立たせ胸に手を添え前足を踏ん 張らせた。シーシーと声をかけながらしばらく待ってあげると中量の薬臭い 茶色っぽいオシッコをしてくれた。この色と排出が非常に大切なのだ。腎臓で濾過 でなくなると色ナシのものになるらしい。回数が多くて透明なのはヒトも用心なのだ。 ここ1年ほど特に犬は水がぶ飲みで色の薄いオシッコ量が激増していたが主は 電気水飲み器の水は美味しいのかな。家人は消費の多いオシッコシート代の心配。 主はジャカルタ時代に車に長時間乗る毎日で公衆トイレが使えないので買い物 を済ませた場所で気分に関係なく駆け込む習慣が出来てしまいこれは帰国後も なかなか治らないのが悩みだ。何処に行ってもまずトイレとその場所をインプット。 夕方家人が時間切れで値引きされた高級マグロ刺身を買ってきてくれた。最近 急に愛犬度が増しているのだ。一切れをチンしてミンチ状にしてから豆腐少々+ そばつゆ極少々+水少々を混ぜて小皿に入れて与えたところ他の物はフンと 首を横にしたのにペロッと食べてくれた。鶏ささみも試してみようと思う。2日程 僅かに舐める程度の食欲で水もようやく飲む状態なので家族で大喜びした。 なんだかワガママ老犬嬢になる予感もするがこれは極一時的なものに違いない。 水を飲ませたり食べさせたりした後背中を優しく撫でてゲップさせると吐かない。 犬は主の横で寝ているのでこちらが爆睡していない限り様子は良くわかる。 今朝は5時ごろいつもの習慣を想い出したのかシッポがピクリと動きその後で 目を開けた。立ち上がりたそうにしている。元気なときは毎朝リビングから爪音 を響かせてやってきてワン散歩の時間だよと言って居た。昨夜12時ごろに 水がある方向に立ち上がろうとしていたので介助して飲ませたらオシッコをして くれて有毒ガスの様なニオイを部屋中に充満させてくれた。外から入ってきた 匂いなのかと訝った。このガスの源も体に悪いのだろう。ただ事でないニオイだ。 毎日通って皮下点滴をして頂いているが首のあたりに小さなコブ状の注射液の 固まりが出来て長時間かけて体内に吸収されていく。それが効いている間は元気 を少し取り戻しているがそれも段々風船の空気のようにしぼんでいく。これは 少し体調を改善させるためのもので栄養剤が入っているわけでは無いらしい。 今朝はいつもの習慣通りに眠い目をして足に全く力がない犬を肩掛け鞄の上に 乗せて散歩に出てみた。お気に入りの場所で下してみてもフニャと座り込んで しまった。クローバーの繁みでも座らせてみた。早朝散歩に余念のない老齢男女 が横目で見ながら通過していった。ところがである。帰宅してベッドサイドに降ろして キッチンで用事をしていると家人の声が響いた。アッこんな所まで歩いて来たよ。 病院で購入した高カロリー缶を少し出してお湯で溶き注射器に吸い込み歯の隙間 から流し込んだ。マグロミンチも少しだけ与えた。吐かれると困るのでびくびくと。 今日も明日も皮下注射だ。主はますますしっかりと食欲に磨きをかけて頑張る。 今は体力使い果たし水の小皿を目の前に置いてもそのまま突っ伏してしまい そうで危ない。有毒ガスが脳の方に回るのだろうかと心配になる。外は雷だ。

 戦友老犬嬢の大ピンチ (2014年6月22日)

このピンチは過去最大だ。3日ほど前まではビニールのガサゴソ音がするだけ でどこに居てもすっとんで来るので主は美味しいものはこっそり台所で隠れて 食べていた。食いしん坊さんが今はベッドサイドの大判6枚のオシッコシートの 上や抱きかかえられてリビングの定位置で寝姿。難しい時間を過ごしている。 後ろ足はもつれてよく立ち上がれないが長時間溜まっていたオシッコをしたい 時にやっとのことで立ち上がり廊下の途中で失敗したのだがいつもの犬トイレ まで行く気持ちだったのだと思うと称賛。犬ってすごいねと家族で感動した。 吐き方がひどくなり食べられなくなりさすがにズボラな主も異変に気が付いて 閉院間際の近所のD動物病院に駆けこんだ。その日は皮下注射をして頂いた。 翌日半日入院検査。検査用の検便や尿は当日の朝困ったなあと悩む主を 察してくれたのもエライ。検査はレントゲン、エコー、血液検査など人と同じような 事をする。彼女は黄疸も出ていて肝硬変で腎臓透析直前、心音も弱い、肝嚢胞、 胆嚢肥大(多分)、白血球も多いが血小板は主と違い高い数値だ。主と同じ様な エコー映像をながめて感慨深かった。主と犬は似るのだろうか。GPTが測定不能 なほど高くて10倍希釈でようやく数値が出たとのことである。ああ、後のわが身 かとしみじみ考えて眺めていた。犬に教えてもらっているようなものだ。 14.5歳は高齢なので老衰だと考えたい。それでも皮下注射に通わないと食欲 ゼロでかろうじて水を飲むだけなのだ。もう反抗心はごく僅かで夜はベッドサイド から主を見上げてじっと顔を見ている。2人でずーっとただ見つめ合う。 盛大に吐くことが多いがあちこちに始末用具を用意して準備万端にしている。 汚物処理などがとても上手になった家人は昔より格段に進歩していると思う。 子犬時代のように迷子の子犬の歌を歌いながら背中をなでてあげるとマドロム。 今朝は小雨の中いつもの早朝散歩をしたが肩掛け鞄の上から降ろしてみても 後ろ足が立たないのであわててカバンに上げた。傘を傾けて白いアジサイや ヒぺリカムの黄色い花々や巣立ちの時期で親より大きな小雀がうるさく鳴く様子 などを二人で楽しんだ。カバンの上から忙しく目だけを動かしている老犬嬢だった。

 行き倒れた子ネコより (2014年6月19日)

もしもわたしを見つけたら 生い茂る青草をその手でむしり取り そうやってわたしの背中を覆ってください トカゲでもカエルでも子ネコでも そうして欲しいものなのです 6月の菖蒲の白や紫の花池を目の前にして とうとう足が動かなくなり目も見えなくなり 水滴を振るい落とす小さな風や キラキラ光るお日様も姿を現したのに なんて無念な なんて悲しい 後にも戻れない前にも進めない どおーっと突っ伏して大地と一体化するしかないのです 目をそらせないでください ただ すべすべした夏草をたくさん集めてきて わたしの周りに日陰を作ってください それ以外にあなたに何ができますか ぼーぜんとして立ち尽くすばかりのあなたに 目をそらして歩き去ろうとするあなたに 他にどんな方法がありますか 7月の台風はわたしを埋没させ 8月の太陽はわたしを消し去り 9月の秋風はわたしを仲間に入れ それですべて一件落着 何も見えず何も残らない新しい月の始まりです たった一つの小さな命ですもの あなたの目にとまっただけでも幸せです ほんの少しの間はわたしを忘れないでください こうしてお伝えするだけでも息が切れました

 "オーマイガ"一日雇いの運転手 (2014年6月17日)

ジャカルタ時代の家庭車専用運転手の想い出にオマケが在った。運転手 問題でとても苦労したが何処に行くにも自家用車に乗るしかないと言う街 なのである。バスや電車やタクシーも在り今地下鉄やモノレールも作っている がそれは現地の人が利用するのに最適だ。次の人の当てがない時のお助け として一日だけでも雇えるドライバーズクラブ等各社が電話帳に載っていた ので度々利用した。しかしこれはこれで又とてもチャレンジ的な事なのだった。 この会社のコーディネーターの人とは声見知りになっていたので性格が良くて 道を知っていて日本人家庭での経験があり過去に大きな問題が無く40歳 以上で会社雇を探していない人という要望を知っている限りの現地語を駆使 して伝えた。これらの条件で一つでもヒットしたらメッケモノなのだ。いきなり マダームで始まり英語ばかり使う人や外国人毎に行く場所などが違うので 道も其々で教えないといけない場合もある。次回は自分に直接電話してと 自分の携帯番号と名前を書いた紙を渡す人も居た。 ある日運転手依頼の電話をした時に(働きたい人は会社で早めに待機して いるらしい)お宅の前の住所で働いていたことが有る運転手が居るよと言うので 訝りながらも外出の予定があるのでお願いした。住まいの裏の方の事務所で セキュリティーチェックを受けて事務所から運転手が行きますよと連絡が 有った。ドアホンが鳴り玄関で対面したらオーマイガ。なんと以前辞める時に 首に手を当てて脅しジャカルタでは気をつけろよと言ったサクルだった。 ニョニャ―(奥さん)とニコニコして階段を登って来た。断りたいのをぐっと 堪えてアパカバール(元気ですか)と答え悪いけど一日だけなんだよ。 車中で運転手は音楽をガンガン鳴らし携帯の着信音を最大にしていた。 ゴメンネもう少し音量を落としてくれる。サクルは何故前の住所のお手伝いを 辞めさせたのかと尋ねた。いろいろ異性問題もあってねえと言うとその事は アソコでは有名だったと自分の事を棚に上げて話す。そして自分の愛人らしい お手伝いを使ってくれと言いだした。勤め先とうまくいかなくて働く場所が無く 知り合いの家に居候しているとの事。新しいお手伝いが来ているからゴメンネ とごまかしながらソソクサと用事を済ませて早めに帰宅してチップを弾んで 帰した。もう絶対に来ないでねとココロで叫んだ。運転手やお手伝い仲間達は 携帯時代になり更に濃い情報交換をしている様子で気が抜けない事だった。 辞めてもらった使用人の名前は事務所に伝えて絶対入れないでくださいと お願いしないと恨みを買って留守中に家に入りゴッソリ持ち去る事件もある。 携帯を持たない時代、ビルの入り口などでカーコール(呼び出し)をかける 面倒の方がシアワセだったに違いない。友人の中にはカーコールのみという 人がいた。紙に書いた約束事を毎日見せる強者もいた。もちろん1度も嫌な 経験をする事無く何も気が付かないまま帰国した人も居る。自分で何とか してみようと言う恐いもの知らずなココロと現地人を信じてみたいと言う願望 が成した行動である。信頼できるのかイヤ信頼したいと言う気持ちはしかし 何処の国にでも何処にでも在る。日本では決して経験できない事が多かった が今ではただの笑い話。最近では平和ボケしてしまい油断しているはずだ。 ハティハティ(注意)。きっとまだまだ修行が待っているに違いないのだから。

 梅雨の朝のスダチと毛虫 (2014年6月11日)

雑に育てて丈夫なスダチの鉢の横にある木のテーブルの上に コロンコロンとまるで土の塊のような物が数個落ちていました。 まだ蕾も花も見ない葉ばかりのスダチです。さらに眺めてみると マルマルと太った青虫が一匹これもコロンと転がっています。 ハハーン大雨で振り落とされたんだね。しかしなんと良いチャンス。 こんな発見がなければ葉が食べつくされてサナギになるまで 気が付かなかったに違いありません。葉が丸坊主の枝が在ります。 素手でそっとつかんで柵の向こうにポーンと放り投げました。 そういえば秋にちょんちょんと接触している蝶を見かけましたっけ。 柑橘系の植物は気が抜けないのですがタマ地区ほどは苦労しない 海地区です。自然が豊かな環境のベランダには訪れるものが多いのです。 オリーブの花の満開の後には極々少ない小さな実。期待している程は 実が無いブルーベリー。実のなるものは1年置きの豊作なのでしょう。 そういえば去年満開だった近所の白藤の花を今年は全く見ませんでした。 梅雨時の楽しみは植物たちの成長が早いことです。今日も雨予報です。 花モモの実はふくらみ木瓜の実はびっくりするくらい大きくなり黄色い花の ヒぺリカムはうるさいくらいに咲き溢れています。さあ成長日和ですよ。

 生き延びたバラの花 (2014年6月8日)

茎が折れた場所は補強したので成長して花が咲きました。     *  *  * 写真は「里津子の写真ライブラリ」を ご覧下さい。

 ザアザア降りと通院とつぶやき (2014年6月7日)

列島の南から押し寄せてきた雨雲がスコールのように強い雨を降らせた。 3か月ぶりの通院なのでいつもと違うルートで病院を目指して大失敗。 雨の中駅員の教えた場所は間違いで引き返して交番で尋ね又橋を渡り バス停に到着したが午後は2時間に1本しかバスが来ない。あらかじめ 調べておかないのが悪いのか。ズボンの裾はびしょ濡れだ。ランチどころ ではなくてタクシーキャッチ。運転手はノンビリといやあ〜予報通りに降り ましたね〜病院までの道はまっすぐだから大丈夫ですよと話す。この頃 天気予報当たりますねなどと答えたが交通ルート選びは本当に苦手だ。 病院のPCアクセスに大きな地図ばかりでなくバスの時間の事なども明記 されていると助かる。飯田橋は色んな方向に道が展開する解りにくさだ。 お天気の関係で待合室は空いていて30分前に自分の番号がボードに出た。 この日は少しばかり嫌な予感が的中した。肝嚢胞だけの通院と言うのは 普通あまり無いらしい。治療方法がほとんど無いからだ。何か大きな変化が あるときに治療しましょうと言う見解らしい。故にこの病院を目指しても他の 病院と大差は無いはずだ。ワタシは大腸の治療もして頂いているのでその後 が続いている訳でラッキーかも知れない。積極的な治療を望むならT病院だ。 しかし積極的な治療が成功しているかという事は不明だ。情報がないから。 もう何回も説明しましたよねという枕詞で始まった先生の話だが何故わき腹 が張ったり微熱が出たりするのかは不明とのことで要するにワタシにとっては カロナールが治療になるとの事だ。雨がプレゼントしてくれた時間のお蔭で 普段よりはお話が出来た。映像を見ながら時間をかけて話してくださるのは そうある事ではない。普段あまりに早い映像展開で黒嚢胞の大きさくらいしか 記憶に残らない。ゆっくり見ると白い良い部分もあるのだと納得できた。どうも 先生は何故こう患者は物わかりが悪いのかと感じていると思った。胃の 入れ子状態のような痛みは解剖学的にはありえませんとの事で原因不明。 正直に状態を説明している患者の身としてはネバーギブアップ精神のみ。 カロナールで様子見しているわけだがこれが他の人にも効くかということ は解らない。肝機能が低下したり高熱が出たり血小板数値が一桁になった りしたら治療になる。血液検査は半年に1回になったし次回の予約は3か月 先になった。心配し過ぎですとよく言われるがちゃんとした説明がないから 患者としては色んな事を考えてしまうのだ。しかし難しい状況になればなるほど ファイトが湧いてくる自分である。先の先生はこんな性格をよく読んでいた。 それにしても病院のお若い先生も押し寄せる病人と新しい病気に立ち向かう のはさぞかし大変だと思う。解らないことは不明ですとハッキリおっしゃるのは とても良いと感じた。ひょっとして肝嚢胞患者が増えているのだろうかと心配 になった。ついでに通院の日が悪天候なのもとても多いと急に気が付いた。 これは天の警告なのか厳しい頑張れエールなのかわからないのが悩ましい。 ベランダの鉢のたった1本の薔薇の茎を折ってしまったがセロテープで補強 したら生き延びた。冬に室内で咲きすぎて春に元気のない薔薇だ。蕾もさらに ふくらんで小さなピンク色のバラの花が在る。この生命力こそヒトにも必要だ。

 小さくて大きな銀座のグループ展 (2014年6月4日)

前日遅くに広島から夜行バスで来てその夜には最終新幹線で帰るAさん は私と同じ熟年。奈良から代休を取ってやって来た20代にしか見えない Bさんや香川から1泊でやって来た仏系の絵を描くCさん。君津の方から電車 を乗り換え額縁付の重い絵を携えてきたDさん。この方たちの他にも初対面 なのに顔見知りになった人が大勢出来たグループ展の初日であった。 どういう関係でこの会に推薦されたのかしらとそれぞれがハテナマーク顔だ。 大きな絵画展の世話役の方や非営利団体の代表の方々が運営している事を 初めて知った。銀座にしては1週間2枚飾っていただいて安いのでラッキー。 10時ごろから箱出しや移動。午後からは当番夕方のオープニングパーティー と雑用分担したり初対面同士でランチに行ったりコーヒー飲みに行ったり ほとんど1日立ちっぱなしで膝が笑うが高齢者も多いので文句は言えない。 少ない男性は釘打ちや力仕事を買って出てくださり拍手。絵は置いた場所に 飾られてワタシはひっそり隅に放置してしまったのでアア―ッと後悔した。 飾られた絵画達はそれぞれ個性が際立つ。疲れた人がふらりとこの画廊に 入ってしまったら目の焦点が合わないでススッと通過して出口に向かうかも 知れない。いつも絵画展で抜け目なく先生を捕まえて講評をお願いするが 今回の絵はジャカルタでマイペースで描いた絵なので特に批評が欲しい のだ。処理の甘い部分や色の詰めはすぐに指摘された。苦手なサインや 場所も。やっぱり〜。偶然インドネシアを知っているサシタ先生はワタシが いた世界をよく理解してくださり又ホメても下さりうれしかった。この頃描く 絵がどんどん変化している。帰国してから受けている新しい指導は独学 10年のワタシには目からウロコの日々でもあり自分で自分に追い付けない。 面白半分に絵に始めて値段を記入してみたり芽の出ない高齢先輩夫人に あなたこの世界は厳しく競争も大変なんだからオヤメナサイみたいなことを 言われたり。出会った朝と違い夕方になるとそれぞれが生活臭を取り戻し 疲労を貯めこみ厳しい現実を乗り越えて制作している姿がはっきりと判る 人同士になりたった1日の擦れ違いだったのに別れがたい友情を感じた。 東京駅で新幹線で帰る人を送り子供の面倒を親に頼んで来た人と座れる 電車を待ちながら疾風怒濤の1日を想う。夏日で日本列島が茹った日。 銀座のギャラリー暁は新橋寄りで有楽町からは遠いのだがビルの日陰を 選んで直角の道を歩いていくと新旧に入れ替わろうとしているビル建築や 観光客をウヲッチする楽しみもある。色んな絵を観たい人にはお勧めだが 疲れた人やヒッソリした絵だけがお好みの人には向かないかも知れない。 ART WAVE展案内葉書にはびっしりと名前が印刷されていて知った名前を 探し出すのにメガネや根気も必要だ。ほとんど知らない名前ばかりだった のに今では10数人は確認出来る。出会いも進歩だ。関係者の方々に感謝。

 ジャカルタの庶民と銀行口座のことなど (2014年5月31日)

10年以上前の経験を書くのはさすがに古いと思うが見聞きした事の 一つに銀行口座がある。ジャカルタの街中にはピンキリの銀行が溢れ ていた。簡単な申請で銀行が開けるのかと思うくらい沢山ある。日本の 都市銀行や地方銀行の支店も数行在った。マネーチェンジャーも実に 多くあり渡来人との歴史が見えた。その頃の庶民は古い時代の日本人 のように箪笥貯金をしている風に見えた。コガネモチはお金を握って 為替レイトのサーフィンをしていた。現金こそが信頼できると言う感じだ。 嫁いでいた友人は大手銀行に預けてあるお金を効率よく増やすために 顔見知りのマネージャーなどとランチして情報をゲット。ちょっとした手数料 で融通が利き物でも人でも動く文化の国なのだ。この文化は何処の国に でもあるしちょっとやそっとで消えるはずがないと思う。 在る若い運転手と銀行口座の話をした時に微妙な言い淀みを感じた。 銀行口座や通帳の生活が定着していないなと思った。ジャワニーズは 宵越しのお金を持たないと言う江戸っ子気質のようなものを持っていると 聞いた。明日は明日の風が吹くという事だ。足りなくなると身内や親類や 勤め先に融通を頼みダメなら携帯電話(これは売り買いできる国)やバイク を売り飛ばす。さらには嫁がお手伝いとして稼ぐ。バイクローンは金貸しの おばちゃんなどが代行している感じがした。若い運転手が辞めた後に我が 家にそういう人から電話がかかってきたことが有る。日本の銀行がバイク ローンに乗り出すという噂を聞いて貸す方も借りる方も勇気が出てきたな と思った。 本日のじゃかるた新聞を検索してみて10年経ち大気汚染がさらに凄く なっているのを知りバイクローンが成功していると感じた。自作のマスクや リュックサックや服などでおめかししてバイクを駆使している若者たちの姿 が目に見えるようだ。マスクはたくさん出回っているのだろうか。あまり布で 作って着用しても何の効果もないのは理解されているのだろうか。其々が 個性的なオシャレをお金をかけないで楽しむ国民性がある。援助物資らしい 古着などは道端で売られていて日本の学校の運動着等も吊るされていた。 もちろん日本名の車や電車等お古でも動く限り活用されていて有難い。 大手スーパーの地下街の換気は万全なのだろうか。勇気のありすぎる 友人達と探索した街にはさらに日本人が増えているらしい。何処の国でも 老朽化や様々な問題に悩まされている現状だ。ネットの世界ではワタシも 口座を持たない通帳が使えない古い時代の人だ。広大なネットの海を眺め るのみ。航海して乗りこなす人たちが羨ましい。知恵がない人はつつましく 暮しているのが一番だとシミジミと思う。勇気だけでは危険で深淵すぎる。

 肝嚢胞と足ツボマッサージ (2014年5月25日)

2,3年前を振り返ってみると良く解るのだが梅雨前の今頃は肝嚢胞 から来る発熱が出やすく処方されたカロナールを朝晩飲まないと右腹 が張ってくる。普通の人でも疲れが出やすい春先だ。肝臓系は食欲が 落ちないのが特徴だ。当然ながらカロナールという軽い風邪薬の様な ものでも副作用はある。連続的とは言えないがもう2年半近く服用して 居るので頼る反面怪しむ事もある。しかし昔から弱くて炎症が治らな かった右耳が治っているらしいと言うことに気が付いた。乳児の頃母乳が 入り中耳炎になってから炎症が起きやすかった。逆に内臓のどこかの 部分に隠れた炎症を作ってしまうような事がないかがとても心配だ。 多発性巨大肝嚢胞は左右に大小沢山あるが感染症発生時以外は どちらか片方に集中して脹れやすい。確率的には右側で背中方面まで 脹れる。それで37度以上に上昇しないように気を付けているのだ。 薬を飲むと脹れは納まるがもし飲まないとどんどん脹れて熱も上昇する のかこの点はもう確かめてみたくない。感染症が出ていない人は胃辺や お腹が大きくなるばかりらしいがこれも又とても大変な事である。急に 嚢胞が大きくなったりすることは有りませんと検索されても実際は違う 事もあるのだ。治療してもしなくても困ることが出るので悩ましい。 これはある程度大きく成長した嚢胞を持つ人だけに該当することだが。 自己足ツボマッサージが忙しくてほとんど眠れないという夜がある。 足のカカトの右で左を左で右側のツボを探して痛む所をゴリゴリと揉み ほぐす。時々擦りすぎて皮がむけてしまうので今ではまるでお灸の後の ように両方の足の甲に点々と模様が出来てしまった。左足の親指から下 のカーブしている所は胃のツボらしくいつも筋張り痛むが熱心な揉み ほぐしで治る。足指の付け根は脳や目につながると記憶しているので 欠かさないがこれは意外と良いと思う。眠れない朝遠慮がちにワンと吠えて 起こしに来る犬を見てあーっ疲れたとしみじみ思う。これも肝臓系の特徴 らしい。実に怠け者的だがこんな日はこの頃犬散歩を嫌がらない家人頼り。 近所の公園の入り口に足ツボの石が大小並べられ説明書きも在る。 元気な老年男女が靴下になり踏んでいる。ワタシも試したが結構痛くて 1度で止めた。ジョギングロードは健康維持に励む人たちでいつもイッパイ。 心配し過ぎですというドクターも居たけれど自分の事は自分にしか解らず 無視するわけにもいかないのだ。もう長い間クラビット(抗生物質)の出番が 無いのが有難い。何とかしてこのパッとしない状況を変化させたいものだ。 世の中には難しい事柄が実に多いけど負けないココロで頑張ろうねチャコ ちゃん。大阪のタコ焼きという強い味方でガンバ。達子様もお神酒でガンバ。 くろまめさんは豆ごはんでガンバ。そらまめさんは畑仕事でガンバ。 さっ今夜はナデシコサッカーに大声援を贈らないといけない。

 犬の気持ちになってみる日 (2014年5月21日)

風の無い5月のベランダで鉢植え植物たちの枯葉をむしり芽を出さない 山椒をいとも簡単に引っこ抜きブルーベリーの小さいスズラン型白花が 薄茶色に萎れてゴミになったものを掃きよせ月桂樹の根元の種付き雑草 を抜いてひっくり返し肥料にした。スダチの根元の雑草群はそのままに しておく。かび病脱出中のミニ薔薇の中から2株をサンショの木の空き鉢 に移動した。そしてイチゴ用に購入したカビスプレーを吹きかけた時に たった1本の蕾が折れてしまったのを発見。あわててセロテープで茎を 巻き補強した。折れてすぐの茎は必ず元通りになると思う。手抜きでずぼら な世話をしているのでベランダの植物にはたくましくなってもらうしかない。 カビ病は最初イチゴに付いてきたが今ではミニ薔薇だけが迷惑している。 絶望的に水遣りが多すぎる。山椒などは荒れ地状況にしないと育たない。 この季節はいつも肝嚢胞辺りが脹れやすく発熱傾向があるので現状維持に 努めている。ダラダラ生活で薄曇りの空を見上げて本ばかり読んでいる。 絵に関しては考えたり棚の小品を整理したリしないといけない事が沢山在る がどうもいまいち考えと行動が一致しないのでクールな訪れを待っている。 ベランダの木のイスに座り老犬の爪を荒目のヤスリで手入れした。黒い爪 の部分は伸びすぎて血管が成長しているので爪切りが苦手ゆえヤスリに 頼る。もはやペットショップでのお手入れは不可能だし犬の嫌がる事は 避けているので体もあまり洗わずウエットタイプの清浄布で間に合わせて いる。犬の指をしっかり押さえて爪を削ると老犬とは思えない声でウウッー と唸りはっきり嫌だと主張する。ちょっとかわいくない反抗態度だ。海外では ペットショップに預けて暇つぶししていた時にイヤダ触るなワンワンううっー と逆らってポカンと殴られて背中にコブを作ったりタバコを押しつけられたり 電気棒で赤くなるくらいショックを与えられたりしていたのだ。この赤い跡は 後ろ足の内側など見えにくい場所に在った。今更ながらだが可哀想だった。 力関係ではニンゲンとイヌだが行われたことは動物とドウブツとしてしか 思えない。もちろんやさしいトリマーがほとんどのはずだが犬の気持ちに なってみるとさぞかしつらい事も多い年月だったのだ。歯槽膿漏の吐く息が 匂うしベッド横の6枚のオシッコシートは3枚くらいに減らせないのかと家人が クレームをつけるけれどこの頃ではワタシの心配をしてくれる彼女を粗末 には出来ない。廊下を歩いてくると爪の音がしてカチカチと小さく響く。 犬用に敷いたコルク板の犬道を歩いて家じゅう好きな所を点検して歩く。 この部屋ヨシこっちもヨシこのゴミ箱は漁ってみる価値があるかなと。 雨の日の散歩は肩掛け鞄の上から一歩も降りず傾けた傘の下でシッポ だけが濡れた。5時ごろには途切れることが多いのに降り続き雨季の 予感がする。気温が10度も上下するこの時期は犬もヒトも試練の季節だ。 夢に現れた白い子犬は何処に居て何をしているのだろうか。心配する事 など何もないはずだ。子犬は1年で成犬になるのだから。

 怪奇な建物の想い出 (2014年5月16日)

古い時代のムラカミさんの本を読んでいたらギリシャのアヤシイ建物 と異体験の事が出ていたのでジャカルタ時代の想い出が甦った。 郊外で引っ越し先を物色していた頃は車で色んな場所を通過する度に ふーむこの建物は犬が住めるのだろうかと眺めた。モスリムの国では 犬が住めるアパート(マンションとは呼ばない)が僅かなのだ。会社払い 家人の裁量内であり家人たちの会社にアクセスが良ければ我儘が通る のも単にお手伝い料理のみで暮らしていけないと言う事情があればこそ。 そんな事にかまけて気を紛らわせて過ごし体調を後回しにしていた付け は現在支払っている。2階に上がり梯子を外された状況だった。 不動産屋は現地の電話帳やネットなどでいろいろ検索された。日本名の 会社もありケアも良い。もちろん友人などの情報も大切で一緒に物色して くれる人も居た。不動産屋の規模はピンキリで一人で現地の不動産会社と 提携してコーディネーターをしている日本人も居た。日本の不動産屋とは システムが違う。日本語が出来る人、英語堪能華系人、低姿勢現地人など が予約すると当時休日でも夜でも案内してくれた。だからと言って全部が 良心的とは言えない。会社に帰るので一緒に車に乗せていって欲しいと 言う人も居たしチップが必要でお昼代や飲料水代を喜捨する場合もあった。 そうやって捜し歩いた一つに幾つかの棟がすべて濃いグリーンで統一された 郊外の物件があった。オーナーの華系人は街のあちこちに100位は賃貸 物件をもっていると話していた。だから建築ラッシュで売れても住む人が いない部屋も多くあるはずだ。バブルがハジケル下準備期間なのだろうか。 年輩の女性オーナーは厚化粧でつけ睫毛バッチリだが少しずれていて 妙に記憶に残るおかしさだった。夜だったのに愛想よく現れた。 その建物の吹き抜けホールをぐるりと丸く取り囲む立て方は華系好みだ。 8Fのエレベーターを降りると反対側の部屋までブリッジが渡されていた。 高所恐怖症のワタシはそれを見てすぐに没だと思う。家具も替えます冷蔵庫 も新品にします床は木に変えても良いですと至れり尽くせりなのでピンと来た。 家人たちは良い話に乗り気でワタシは我儘だと叱られた。賃貸料も大分 値引きする覚悟がありそうだった。その後日本人のコーディネーターに聞く とヤハリねえアソコはメイドがブリッジからダイビングしたんですよという 話しだった。どうりで1Fを入った途端に湿った淀んだ空気感があり嫌だなあ と思ったわけだ。時には察知力が働いたりするのだ。 使用人がプールに飛び込んだ屋敷にはユーレイが出ると運転手が言った。 あちこちに人が住まなくなった大きなお屋敷が点在していてぞっとするもの が在った。運転手はそこに付けこんでワザと怖い話で盛り上げている風で あったがそんな家でも大々的に修理して欧米人等が住んだりするのだ。 赤道付近の太陽が好きな寒い国の人たちは長期的に住むしゴーストの事 など気にしないのだろうか。最近日本にも大勢の外国人が来るようになり 赤道辺りの経験国に沢山学ばないといけないことが有りそうだと思う。 この間の早朝にスミマセンとワタシの枕元で謝った声に聞き覚えがある のだが謝らなくてはならない事はして欲しくない。ワタシが察知できる 事はごくわずかなのでカラカウのは止めてもらいたい。本当にモウだ。

 オリーブの実の加工結果 (2014年5月13日)

ベランダ栽培のオリーブ樹に実が生る様になり一昨年と昨年には収穫 した片手いっぱいと両手いっぱいの実を知恵を絞り加工してみました。 片手いっぱいは塩漬け一年後に更に塩出し1か月してから又オリーブ油 に入れて半年目になります。両手いっぱいの昨年の実は黒砂糖に漬け込み ました。本当はメープルシロップが良いと検索されましたが値段の関係で 黒砂糖になったのです。両方とも冷蔵庫の中のガラス瓶に入っているのを 想い出しました。何故かというと今年もオリーブの樹に小さな蕾が沢山 在りさらなる収穫が期待できそうだからです。先祖返りして酸っぱい小さな 実しか生らなくなったイチゴ苗同様実の生るものは嬉し悲しなのです。 ついに両方とも味見をしてみることにしました。黒砂糖漬けの方はまだ 早すぎるのか糖分が少なすぎるのかハッキリと少し渋い不味いです。 塩漬けの方も種を抜いていないのでほとんど種の上にわずかな果肉が 張り付いている状態。又オリーブ油に漬けたせいか味はまあまあです。 スパゲッティーのソースに使えそうですが最初に種は抜かないとだめです。 かまぼこ板でゴロゴロして種を抜いてみましょうか。今年はこの方法に決定。 2種類2個も味見してしまったので胃もたれや腹コワシが心配です。 加工結果は実験的で勇気が要ります。オリーブの樹に鈴なりの実が収穫 されないまま冬を迎えている家の景色は今ではとても納得できました。 実のオイルを絞るという事に関しては実の量と技の点が異次元的です。 黄色い粉状のオリーブの花は強風が多い角部屋に越して来て問題解決。 母親の時代にはいろんな物を加工してストックしていましたが実に頭が 下がる行動です。僅かながら引き継いだ知識は娘に継いで貰えるかどうか。 色んな時代の人が失敗したり成功したりして蓄える方法にたどり着くのに 長い時間や辛抱や喜びなどの甘辛模様が刻まれていく食のタピストリーです。

 ひとりの青年 (2014年5月10日)

白い長袖のランニングシャツの上に黒いXネックのセーターを 重ね着して深いインクブルーのジーンズをはいた青年が 車両のイスの前に立ちました 旅のカバンはラグビーボール型なので立てに抱いて座り横にして 歩けば機能的デザインでその立ち姿には隙が感じられません 青年の小指にはトゲのあるクラシック色のピンキーリングが一つ、 護身用なのでしょうか、白いマスクをキッチリと顔に張り付けて 目線は真横を向いたまま微動だにしません どこから来てどこまでの旅なのでしょうか、神杉の社から藤の花の社 まで脇目も振らず定規で引いたような直線の上を旅して雑念を払い 再生する精神力を身に付ける為に足跡を刻んだのでしょうか 車内の電光掲示板に人身事故の影響でダイヤが乱れますと言う 文字が流れました、昨日も一昨日も表示されては消える悲しい 日々の5月6月7月は特にあなたのことが心配です いくつ目かの駅で青年は降りていきました 昔と変わらない看板が目立つ低いビル群や40階もあるタワーマンション や休日の河川敷きに集う子供連れの家族の無音のサザメキが 向かいの窓を流れていく穏やかな日差しの日です 選択、挫折、希望、目標と目まぐるしい景色の中で生きる若者たちが 全力でカンを研ぎ澄ませ戦う日々は生き物の定めです 立ち止まったら生存競争に淘汰されてしまうかも知れません 食べて寝て働き夢を貪ると言う繰り返しは、 しかし有難いではないですか 生かされていて期待されて羨ましがられて妬まれて見下されても 確実に目の前の時間を掴みとり強引に自分の手元に引き寄せる 力は若さなのです、全部あなた一人のものなのです あの青年はどこを目指して帰って行ったのでしょうか そして私の居ない将来の時間にどんな姿で生き修行の成果を 存分に行使するのでしょうか、とても楽しみです たった一瞬の人と交差する時間、人生という旅の最中で清々しい 絵を想像して描いてみたのです、この絵はどこに飾りましょうか

 現状維持、ちょっとだけ進歩 (2014年5月7日)

貴女の絵はまだまだだねと言うので内心気分が悪い。精一杯頑張った んだよ。今はここまでしか描けないんだから。どうもこの友人は去年も 同じことを言ってくれたがよく考えると厳しい有難い存在なのだろう。 会場で捕まえた名前知らずの先生曰くふーむこの黄金分割的斜め線 の入れ方は難しいかな。途中で曲げるとか太さを替えるとか色をくふう してみなさい。窓の外と内側の景色がわかれて見えないように(平面処理) 線等を入れているのだがこれが解らない人も多い。このテーブルの辺りに 具体的な形としての本とか皿とか置物などを描きこんでもいいわね。 色は強ければ良いと言うものでもないので今の感じでいいんじゃない。 そうです。明るい光や風と木々いう南国島の景色を描いているんですよ。 携帯の中にもう一つの絵が入っているので急いでこっちの方はどうでしょう かと言うとあっ見せなくてもいいんだよと忙しそうな先生。しかしこちらも 必死なので見せるとふーむこっちの方がいいなと言われた。なんでも鑑査 の先生方の半数以上の手が挙がらないと入選しないそうだ。先生方は 20M以上離れたひな壇状から鑑査しておられるのでその辺も想像する。 お伺いして急いで先生の作品も確かめ帰宅してから去年の画集も観て おいた。ある先生はアッいいねこれでいいんだよこれからもこの調子でと おっしゃるので笑顔。先生方の携帯には着信がいっぱいらしく目を赤く 染めて忙しく走り去った。来年も講評をお願いしたいものだ。 やさしい女流先生は友人の知り合いでエレベーターに乗り込むのを止めて わざわざ奥のわが絵の所まで戻ってくださった。あなたの絵は誰それ(有名) の描き方や色に似ているから覚えていますよと言い具体的にいろいろ教えて 下さったので感謝の言葉も出ないくらい感動。その画家は以前から大好き だがなるべく似ないように努力している。色や形の感覚が似ている作家は 結構居るものだ。鑑査時端から順番(到着順?)に運びこまれる絵だが出て くるときに一瞬で当落が決まるものらしい。目の肥えた先生方の目前を 通過していくあっという間の運命の沢山の絵達なのだ。 色々勉強しすぎて脳みそがパンク状態だ。歩きすぎて肝嚢胞周辺も脹れて 来た。いつものパターンでカロナールを飲んでも熱が36.7度には上昇する。 ひたすら寝て過ごしていると老犬が怪しんで吠えて起こしに来た。それでも 起きないので手をベロベロなめる。最近犬の歯槽膿漏がひどいので嬉し 悲しの心境なのだ。本気で長い間なめてくれるのでやっぱり有難い。 小さい時から顔は舐めてはいけません(化粧品の関係で)と教えたので 舐めない。彼女は最近元気力が増してきている。散歩時の歩き方も普通に 力強くなり今朝は路地植えのカリフォルニアライラックの満開のブルーの花 の香りも楽しんだ。引っ越しで枯れてしまったバラやこの花は外の植え込み で十分だ。鉢類も自分も増やすことより現状維持が大切なのだと思う。 在るがままにと言うのは大事だがそれでもちょっとだけ進歩したり関係が 良くなったり体調が改善したり変化するのも良いなあ。かつてのブルー ドラゴンはこの頃では白い子犬に代わって現れているけれどこれからの 成長が楽しみだ。それにしてもドラゴンから子犬という早業には感心する。 目元が悲しげな子犬と言うのは今一パワー不足なので明るい笑い目が良い。 この世界も難しすぎるので理解不足が幸いしているのだ。鶴亀鶴亀。

 絵画展はバグース(素晴らしい) (2014年5月2日)

ジャカルタから帰国後10年振りくらいに又公募展に絵を出すようになり 日本独特らしい芸術文化に触れています。スタートラインがゆるやかに まあるく引かれている感じのこの国では老若男女が自由に描き発表する 場を選んだり出来るのが何とも幸せだと思います。 昔々夜の予備校に通った時に出会った男性は昼間トラックの運転手を していると言い真っ黒に日に焼けていました。ひょろひょろしたスミタニ君 は志なかばでまだ10代の終わりに他界してしまいました。日焼け君は デッサンがものすごく上手で芸術家の卵先生から称賛されていましたが 今ではどんな絵を描いているのでしょうか。スミタニ君は建築家になりたい と話していました。この予備校の卵先生から後には学長になると言う人も 出たのです。ワタシはそれからウン十年も過ぎてようやく希望の公募展 に入選なのです。持続する志は大切ですが随分時間がかかります。 初日に会場ではまず自分の絵を探します。自分の絵に出会えない年も あるのです。絵が飾られた場所に一喜一憂という事もあるようです。 ワタシは新米なのでその辺を歩いていたり他の人に絵の講評を頼まれて いる名前知らずの先生を見つけて自分の絵の下に引っ張って行ったり しました。先生方は嫌な顔をしないで実に丁寧に親切に講評してくださる ので感動しました。この調子で良いと言うお二人の先生の言葉を胸に来年 も頑張るぞと決意。抽象や半抽象や具象などは割合と部屋ごとにまとめ られているという事に気が付きました。飾り付けの配慮や苦心は大変だ と思ます。絵の場所が悪いとぷんぷん怒っている友人も確かにいました。 ランチも忘れて歩き回りそのまま夜のパーティーへ行く元気が出なくて 正解でした。この頃というかこの時期にはすぐに脹れてくる感じの肝嚢胞 なのです。ハロルド・フライの巡礼の旅みたいに足を右左どんどん出して 行けばとんでもない距離を歩けるはずですがたとえどんなに強い存在の 所やヒトに向かって行きたくても今の調子では無理なのです。しかし 自分の絵画人生を想う時意外とその巡礼の旅のようなものをして来たに 違いないと感じます。当事者だけにしか見えない感じられないことですが。 やんわりとか淡々とか激しくとかサマザマに絡み合ったモノ混じりで構成 された絵画が語りかける話を聞いてみましょう。一人の人間がカベから ぶら下がりどんなことを伝えたいのでしょうか。その点が製作者にとっては 重要です。中途半端だと聞いてもらえないからです。だからと言ってそれは なかなか難しい作業です。中庸が由とされる世間と決別しないといけない 世界だと思います。特に主婦のポジションからは清水の舞台モノです。 会場を後にする時は刺激が多すぎてヨレヨレしていた脳みそですが後 には割合としっかりしてきて確かに何か学んだと言う記憶があるのです。 友人は私より一回りは先輩ですがその貪欲な知識欲と行動力にはいつも 脱帽です。素敵な情熱と希望を共感できることに感謝。

 絵画展の鑑査結果 (2014年4月27日)

挑戦の結果2度目の入選でした。通知が届くまでの時間は老犬と一緒に 若かりし日の海沿い干潟散歩でした。家人は企業戦士でしたので地域の 記憶というものがほとんど無いという事が解りました。そういう自分も案外 定点観察しかしていなかったとに気が付いたりするのです。若い頃は忙しく 時間が過ぎていきますのでよほど真剣に記憶に留めておかないと想いだす 事も不可能なのです。潮風の中でも木々は太く大きく育ち枝は密集して 見事な日陰を作っています。暗い繁みまで明るくしてしまうツツジの花の力。 若かりし頃生後3か月の犬と歩き、一人で歩き、幼子と歩き、友と歩き、 無言の家人と歩き、野鳥の群れ姿を目で追い、ほとんど広がらない葦の 茂みの中の小鳥の巣を覗き、雪の空を乱れ飛ぶカモメの群れを仰ぎ見、 写真を撮り、スケッチをしていた日々がそこに在りました。 仕方がないよねもし選外でも。でも1年間頑張ったのだから絶対選んで欲しい よね。それにしてもあの色と構図で良かったのかな。去年より進歩したのか。 などと気弱に考えたり妙に自信を確認したりしながら帰宅すると厚めの封筒の 速達が届いて居ました。一気に笑顔になり鼻歌まで出るのは愚かでしょうか。 これが厚いか薄いかという事で開けなくても結果が解るので重要な点なのです。 ジャワ島の窓辺、という絵の方が入っていました。この絵は色もカタチ作りも とても悩み最後の日にも筆を入れていたのです。クプクプ(蝶)の花樹を見上げ る窓辺の景色なのですが半抽象という世界ですのでほとんど判明できません。 光や風や明るい楽しさを表現しました。もう一つのロンボク島の花、は虫食い の葉の上に落ちた白プルメリア一輪とカメレオン、野良猫などの景色で割合 早くに構図も色も決まりむしろその後修正するのが難しかった絵です。 今後も滞在した島国のスケッチや写真を選り分けてアイディアを練り作品に 仕上げていく予定です。幸い海辺で寝転がったりコテージに閉じこもったりして 描いたスケッチは結構あるのです。窓の外は危険が多かったので家の中の 窓辺周辺の絵がほとんどなのですが南国経験に感謝。 国展は5月1日から12日(7日休館)まで六本木新国立美術館で開催されます。 名古屋県立や大阪市立美術館にも回る絵があります。老若男女の汗と涙と笑い の結晶ともいえる作品が語りかける深いのや浅い物語を眺めてみてください。

 ジャカルタのお菓子の事など (2014年4月25日)

ジャカルタの街角やスーパーで見かけた色取りどりのお菓子たち。極わずかの 種類を試してみただけだが日本の京菓子の様な薄緑や薄桃色の和菓子に似た 餅菓子は懐かしい。緑色はパンダンヤシというハーブの一種の葉を水の中で ジャブジャブ洗いしごき色を出すそうだ。ハーブ系の植物が意外と多い国だ。 布の草木染は有名だがお菓子に使う草木も沢山あるに違いない。 ハーブと言えば蚊よけの植物と言うのもあり2,3鉢購入して玄関に置いて みたが日本の渦巻き蚊取り線香の効果には負けるようだった。 オンデオンデは中華風揚げゴマ団子だ。黒砂糖とココナツなどが餡になり 外皮はキャッサバ(サッパリ過ぎるサツマイモ)ともち米の粉でできている。 白ごまをまぶしてパーム油で揚げるのが現地風だ。この黒砂糖と言うのは多分 砂糖ヤシから作られ濃い茶色で筒型短長のことだと思う。色んな場所で売られて いた。ココナツの実も色んな種類があるが実の中には白い果肉がありこれが 食材になるのだろう。さらに中にあるヤシの水は青蜜柑や黒砂糖で味付けしたり そのまま飲んだりする。実の上を鉈で割るのにコツが要る様子だったがお手い は裏のお手伝い部屋でその仕事をして居たので見たことがない。1度道端のヤシ の実売りのおじさんから買ってみようと思っていたがついにチャンスは無くて いつもお手伝いに頼んでパサール(市場)で購入してもらった。お手伝いは 何とかヤシの実でないといけない(小型の)のだと言って居た。 小豆を炊いてもらって1日目はぜんざいで2日目はこのゴマ団子を作ってもらう のが楽しみだった。もちろんパームヤシ油ではなく日本の油を使用してもらった。 お菓子に使う粉も色々ありトウモロコシ粉とか米粉とかうるち粉などお手伝いに 教えてもらったり辞書を引かないと判明できなかった。紙に書いてもらったが もちろんササッと書ける人ばかりではない。かろうじて給料の受け取りのサイン を書ける程度の人は多い。街の中に代書屋と言う人も存在するらしい。 ピサン(バナナ)ケーキはバナナ天国なのでエナック(美味しい)。近所の大きな ショッピングモールの通路に某ホテル(蘭時代の影響濃い)のケーキが売られて 居たので時々3個位は購入(バウンドケーキ型)して友人やお手伝いなどに あげていた。この店のバナナケーキはあまり甘くないので気に入っていた。 1本400円くらいだったと思うが10年過ぎるとそこそこ値上がりしているはずだ。 サツマイモを蒸してから日陰につるしておくとアルコール分が出てくるのか そういったお菓子みたいなのもあった。軽く焼いて食べたりもするようだ。 これは特に山の方の道端の土産物売り場に沢山ぶら下がっていた。 どのくらいの期間干すのかは問題だと思う。日本で試す気力は無いのだ。 小さなコロッケとミニ緑唐辛子、パンダンの葉にくるまれたもち米炊き込みご飯 鳥そぼろ餡入り、スアマの様な餅菓子、鈴カステラみたいなの等が並んだガラス ケースの前に並ぶ昼時の現地人たちの笑顔。ワタシも時々購入してお手伝いと 分けて食べた。しかし中流以上の人たちは日本のお菓子やケーキに目が なかったのは確かだ。どこそこのお店のあの日本のお菓子という話しが出た。 あるスーパーマーケットではお釣りのごく少ない時にキャンディー1,2個渡して くれた。ティダアパアパ(気にしない)お国柄ではある。近隣国から色んな着色料 がなだれ込み知らないうちにお手軽食材となっていると思うが出来る限りは 自国のハーブ文化を守って欲しい。滞在中に輸入された問題のある商品の事が 地元新聞等に大きく報道されていたがその後はどうなったのだろうか。 お手伝いが庭先からパンダンの葉を摘んで来てお菓子や米に色や香りを移す のが一番だ。一家に一本パンダンの木、唐辛子、バナナやパパイアもあれば 素晴らしい南国生活。

 グゥアバとジャンブーアイルの実 (2014年4月19日)

インドネシアで出会った果物の中でも極々庶民派だ。民家の狭い庭にも 樹が植えられていたし道端のワルン(屋台)の上にはいつも在った。 日本の下町のように狭い庭では樹に吊るした蘭の花鉢や井戸はセットで 見られ車窓ウヲッチするとどの家でもキチンと手入れされていて気持ち良い。 都心への往復時民家の間の狭い抜け道を通過する時には窓に張り付いた。 運転手が可愛い蘭の花は木の下の方の葉の茂みで見えないように吊るして 置くんだよ。ワニタ(娘)を隠すようにねと妙に納得できる説明をしてくれた。 初心者の頃日本に比べてばか安の立派な蘭の鉢を高額で(後に知る)購入 して喜んでいたものだ。売り手も運転手も鴨だと喜んでいただろう。 グゥアバは日本でも売れらているがあちらのは昔信州の山の中に在った野生の ナシのような硬い実で半分に割ると白かったり濃いピンク色だったりで種ばかり なのでほとんどジュースの材料になる。林檎のごく小さい版イチジク型のジャンブー アイルは赤白ピンク色とにぎやかに在り数か月でコロコロ実が生るので子供たち がよじ登っておやつにしている様子を良く見かけた。アイル=水なので庶民に 取ってはまさしく水の様な果物だ。お手伝いが居るうちの子供の元には青りんご や青蜜柑などと一緒のミックスジュースとなって届いていたはずだ。まだ品種 改良されていない自然な果物や野菜が主流の国なのである。 あるアパートメントに住んだ時裏庭に沢山果物の樹が植えられていた。外人用 に作られた住まいは様々に工夫されていて会社払いだったりするので高額でも 安心して住めた。こういう建物はこれから日本でも増えてくるのだろうと思う。 白くて可愛い花や実を持ち帰りテーブルの上に置いておくだけで満足だった。 ある早朝に門番がこっそり物乞いの男性を庭に入れて樹に登らせ実を取らせて 居るのを目撃した。高い塀で囲まれてセキュリイティーが巡回している住まいでは ルール違反なのだが見ない振りをした。物乞いの人にとっては命のアイルだ。 果物のなる木は沢山見かけたがどれも所有が解るらしく実の大きさに合わせて 袋掛けがされてい居た。今の住まいの周辺では庭先に蜜柑や梅の木が覗いて いるが庭のない家も多い。ジャカルタでも庭のない家は多いが南国らしい樹の実 に溢れている景色は結構リッチなものだったのだと改めて想い出している。 提供公園の藤棚にポチポチ緑の葉が出たと思ったら今日はいきなり短い花房 まで出現していて驚いた。亀戸天神ではもう藤の花祭りに備えているらしい。 自然の木々や花達から春のエネルギーを貰い清々しく強く生きたいと思う。

 時代の進歩と難病問題 (2014年4月15日)

PC検索で様々な情報を学ぶことが多くなり遅まきながら熱心に難病の様な 自分の病気の状態を客観的に眺めてみたりしています。 子供の頃信州の山里の湖の畔に在った養魚試験場の管理人の事を想い 出しました。この人は大酒のみと評判の友人の父親である晩其処の建物 の外で倒れて亡くなったのです。肝臓に水が沢山たまる病気だったと大人 が話していたのを記憶していますが後年にアルコールに弱い自分がまさか 同じ病気になるとは思いませんでした。とても勇敢だったけれど自分も長生き 出来なかったらしいナガマサ君のお父さんでした。 情報によりと難病の研究と言うのは割合と近年に活発になり今盛んに行わ れているのだそうです。ちょっと前は原因不明という事だった病に特定の 名前が付いたという事でしょう。周りにも難病指定されている病を持っている 友人は割合と居ます。現場の方たちがその研究開発スピードに追い付いていく のはさぞかし大変だと思います。ワタシも若い頃は国内外通信手段としての 穴あきテープテレックス時代から画面が小さくてなかなか起動しないリンゴPC へ。そろばん時代でPC苦手なヒト達への過酷なリストラ。グローバル化一色の 新世界へと急ぐ日本の現場をちょっぴり体験しました。変化と進歩が急速に なってしまい今では傍から眺めるのみです。医学の世界の事は推測だけしか 出来ません。自分がこんな病気にならなければ深く考える事もしなかったはず。 多発性巨大肝嚢胞を1回穿刺治療しましたがその時使われたミノサイクリンが 自分にはほとんど効かずむしろ刺激して大きくなってしまったらしいという事です。 もちろん多数のヒトには効くようです。巷で細胞問題が論議されていますので 薬の成分は知りませんが普通は死滅するはずの細胞がむしろ活発化すると言う 点に引っかかりました。肝臓のように再生能力が強い臓器内での現象ですので きっと何か在るのかもしれないと思いました。しかしこの問題は難しくて大きすぎ ますのでこれ以上は理解不能なのです。ストップ巨大化。胃の辺りが以前に比べ てちょっと不気味ですが気にし過ぎなのかな。さらなる研究に期待したいです。 イヌの世界にもヒトと同様の病気がある様子で検索画面に混じりこんでくるので すが今更ながらわが老犬は丈夫なのだと思います。主と同様ストップ食欲。 もちろん寿命というものが在りますがその日までは早朝からお散歩など苦手な 運動をさせてもらい有難いことです。犬の健康に感謝。

 春風に温むココロ (2014年4月9日)

裏道の八重桜並木が満開になった。老大木を見上げるとローズピンク色の 小ぶりな八重の花々がまるで毛細血管のように行き渡る枝を覆い湧き立つ 雲のようなエネルギーを漂わせている。その中に小さな胸を膨らませて 埋もれている小鳥が居た。幸せそうな小鳥の目線を想像して花の香りや 遠く霞む景色や道を行き交うヒトやイヌを眺めてみる。 この2か月くらいは巨大肝嚢胞の入れ子問題、ズキズキ問題が発生して いないのがうれしい。暇な身分なので無理をせず2日動き回ると2日は ダラダラして暮らすと割合と普通なのだ。車の助手席でシートベルトを締めて 後席の荷物を取ろうとすると入れ子が発生するので極力気をつけている。 時々喉が痛くなったりくしゃみが出たり右腹が張ってくるとホレッとばかりに カロナールと胃薬を飲む。今は日に1回位が習慣化している。白斑症の問題 は変化なしでなまくらなのでシウンコウもほとんど塗らなくなった。蕁麻疹が あまり出なくなったと言う事にも気が付いた。常夏の国から帰国して3年目に なり顔の色も日本に同化してきていて化粧品で凌ぎやすいのが有難い。胃腸の 状態が良いという事が大切だと思う。滞在中は目や歯茎の炎症が常に発生して いたことを考えるとこれが普通の生活なのだ。家庭車の運転手が目を擦るん じゃないと子供に言うみたいに叱ったのを想い出す。プラス思考に拍車。 モースで記念品のミニ向日葵の種を貰ったのを想い出して空いている鉢に 種を埋めておいた所あっという間に芽が出てきて驚いた。雪でほとんど凍死状態 だったアロエが中心部分から生き延びてきていてこれにも感動。オリーブの鉢の 上にタブレット型専用肥料を置いてジョーロで水を撒いておく。今年の収穫は 更に期待できそうだがその実の活用が頭痛の種になりそうだ。冷蔵庫の中では 塩漬けや黒蜜漬けのオリーブの実が眠ったままなのだ。網戸に虫コナーズを 取り付けて暖かい季節に向かう準備にココロが温み不思議そうに見上げる 老犬に笑いかける。

 続(3)ジャカルタのお手伝い (2014年4月7日)

お手伝いたちとの騒動も今回で終了なのでようやく肩の荷が下りたと言うか 想い出の荷が降りたと言う気持ちなのです。日本では恐れ多くて働いて貰えない お手伝いと身分不相応な広い家と庭や運転手付の国の経験は貴重でした。 ポニーさんは奥さんの言いつけで子供を見ているだけの時代から手洗いの洗濯 時代へ単身赴任で仕事が少ない人の仕事等を経て料理なども覚えていった 普通のお手伝いさんだと思いました。後々には化粧品や栄養剤や薬などを 一寸失敬する程度の事がありましたがあまり嫌な記憶はないのです。 事務所の紹介で赤いほっぺの彼女が最初に我が家に来た時には産休と子育て 2,3年後に初めて働いた様子でカンが鈍っていましたので掃除洗濯中心でお昼 には帰宅させていました。旦那さんは運転手ではなく子育て中は2人で屋台をやり ナシゴレン(焼き飯)やピサンゴレン(揚げバナナ)などを売っていた様子です。 お手伝いたちは噂話も自分話も大好きなのでほどほどにしないとタイヘンなのです が地元の情報は主に彼女たちから貰いました。彼女は山のふもとの方に小さな家 を持っていて小さな部屋二つを独身者に賃貸していました。寝るだけの広さで シャワーは井戸水なのでしょう。田舎上京者のごく普通の生活です。ご飯は彼女の 屋台でというわけです。牛も1頭買って人に預けているという事でした。一人きりの 男の子を大切に育てていて自慢そうでした。家を見に来て寄ってとすぐにいう人たち でした。単純に考えてよいものかさらに援助の気持ちを湧き立たせようと言うのか。 ノー天気な所も多いワタシが一見正直そうな若い運転手の話を信じて1泊で奥さん と赤ん坊を迎えに行くので車を貸してくださいと言う話に乗りそうになり彼女に 叱られました。ニョニャ(奥様)車売り飛ばされるよ。欧米人宅の運転手が主を迎えに 行くときにお手伝いたちをいっぱい載せてアルバイトしている話なんかも教えてくれ たのです。我が家に来た時に一番にした事は前のお手伝いの汚したお手伝い部屋 のトイレの掃除でした。清潔を一番に考える人なのでした。妹はホカホカ弁当作り で弟は警察官(これはウマミの多い仕事)旦那さんは空いた部屋のリノベーション 雇いと生活は一応上手くいっていた様子です。ポニーちゃんは上から下までお下がり でも垢抜けて見えませんでしたが真っ赤なジルバブ(モスリムスカーフ)をかぶり 旦那さんのバイクに相乗りして休むこともなく良く働いてくれました。 我が家の旅行時などに泊まり込みが出来ない不便さから短期間住込みのお手伝い をチョバ(試す)ことが有りちょっと辞めてもらいその後又来てもらったりしました。 住込みの人は使いこなせませんでした。ポニーちゃんは気が強いので事務所や 家修理庭掃除などの男の人たちをビシバシ使っていました。その後正調お手伝いと 言える犬や泊りも大丈夫なヤティさんが近所の模範的お手伝いの紹介で来ましたが 昼間家に電話してきてもうすぐ私がそこに戻るんだよと言い一悶着起こしました。 大人しそうな人でも怒ると物を壊して辞めさせてもいいですと凄むことは有ります。 目の前で電話して新しい人が来たからゴメンネとポニーちゃんに言うと私は店を 開いたからもう働かなくていいのとの事。嘘だと解るので可愛そうでしたが我が家にも 事情があるので仕方ありませんでした。その後3年くらいは平和でヤティさんは今でも 知り合い宅で働いている様子です。人により感想は違うので現状を深く尋ねたり 出来ません。ただ丈夫で上手く働いていてくれればよいがと案じるのみです。 自分がお手伝いだったら四角い部屋を丸く掃除するし棚なんか毎日きれいにしないと 思います。もちろん日本ではなんでも自分でやらないといけませんが幸いリタイアした 家人という強力な助っ人が出来ました。毎日やかましくチェックしているのでそのうち 逃げられるかも知れません。ハティハティ(注意)です。お手伝いや運転手との生活は とても大変でしたが自分を成長させたりしてくれる大切な存在でした。お蔭で帰国しても 何とか詐欺とか変な事に引っかからないだけの知恵は有るはずです。

 続(2)ジャカルタのお手伝い (2014年4月5日)

彼女達の生活を面白半分に書いている訳ではありません。お手伝い文化に触れた 初めての経験であり生易しくない生き様を垣間見た記憶が廃れないという事です。 義母はリヤカーでささやかな野菜を売り歩き夫は個人の家庭雇い(保険がない) の運転手、中学生くらいの一人娘は流行の英語なども習い大切に育てている というアニーさんが我が家にやって来ました。後ほどには異性関係華々しく問題 有りという事も判明しますが初印象は真面目そう賢そう料理も上手そう。斜め向かい 辺りの前主一家の信頼も厚かった様子で給料も高めに出しました。前の主が帰国する 時にもらったと言うサマーニットの洋服を着て現れ今までのお手伝いとは違い垢抜け て見えました。後に私のお下がりを上から下まで着用してカバンまでお下がりで 整えるとその辺の家の奥さんに見えました。それはそれで又ちょっと悲哀でしたが。 給料は旦那さんに取り上げられて乗り継ぎオンボロミニバスでの往復生活です。 経歴書を見ると近隣国の大使館勤務の家で働いていたり日本人の家での経験も 多そうでした。このお手伝いの古い友人というケーシーTそっくりの顔と体格の 運転手も雇い滞在1回目の引っ越しをしました。運転手の家は目と鼻の先にあり 以前書きましたが夫が喘息で入院してその行き帰りの時電車通過待ちの間に プリペイドカードを買いに走って行った人です。車の中で逆切れして喚き散らされ 夫の入院と運転手問題(お手伝いにも説明してもらい解決)で全力生活の頃でした。 考えてみると毎日が運転手とお手伝い問題の明け暮れだったのかも知れません。 お手伝いと運転手は切っても切り離せないのでつい一緒の想い出として出てきます。 お手伝いはすでにスレテいて電話を勝手に使用して(値段がいつもと違い明細書を 取り寄せて調べた)異性関係活動していてタマタマ電話を取って気が付いたりしました。 前の住まいでも活発だっと知りましたがこういう人は実に多くて不思議でもないのだと 後々には悟りました。生活が厳しすぎるのか運転手にもこういう人は非常に多そう でした。清く正しい日本の熟年夫人の目線というほどの事は在りませんが気が付いて しまうと悩みの種ではありました。雇い主がほとんど気が付いていないケースは多い と思いました。ほとんど留守にしている人の家の使用人にとっては天国なのです。 逃れられない苦しい生活を続けていくための日々のエネルギーになるのでしょうか。 彼女は家の賃貸料を1年前払いすると割安だから貸してください、義母がリヤカー 仕事の時車とぶつかったので入院代貸してください(これは低所得者最低支払と いう制度があるらしい)などと臆せず要求してきました。私も娘と病院支払い明細を 見せなさいと言ったりして調べたりはしました。この問題はどんどんエスカレートして 運転手と連動するのでうかうかしていられないのです。日本と比べたら極安い給料 ですが自国の文化のチカラを廃れさせるわけにはいかないのです。親はそうでも 子供の教育に非常に力を入れ(2人位が多い)ケーシーT運転手の子供も銀行に 勤めていました。女の子は民族舞踊を都心のデパートで披露したりもしていました。 この子は上手な英語で電話してきました。ケーシーTには又退職金多く支払う事に。 このお手伝いに辞めてもらったのは1,2年後だったと思いますがその後はさらに 果敢に色んなつてを頼り何人も面接しました。レモンパイでもなんでも作れると言う おばあさんお手伝いは糖尿病で通院しているからそのお金も払ってと言いました。 お手伝いを雇わずに一人でやればよいのですが日本と違い家が広く事務所との やり取りなど諸問題留守番犬の生活を考えると無理でした。それで赤いほっぺの しっかり者ポニーちゃんの出番です。この人には珍しく2度働いてもらいました。

 続・ジャカルタのお手伝い (2014年4月1日)

お手伝いたちとの出会いはかれこれ10年前の事ですので現在の状況は全く 不明です。次に働いてもらったジャミラさんは20歳そこそこの美人で新婚さん でした。事務所の紹介であり親類一家も長い間同じタウンハウス敷地内の家 に住み込み主がほとんど留守の家で親子3人と主の大型犬1匹の散歩の様子 など見かけていましたので安心して来ていただきました。時々こういう奇特な 人を見かけましたが使用人と犬の為に家を借りているようなものなのです。 多分小学校を出て田舎から親類を頼って上京して子守(一般的なベビーシッター とは違います)からスタートしたらしく日本人が多く住むタウンハウス内で掃除や 洗濯などを覚えたと思いますが我が家にとっては犬が平気な人と言うのが 重要なのです。モスリムはほとんど犬がダメですが仕事とわきまえて我慢して くれる人や宗教が違う人も居ました。たまに夕食の下ごしらえなどもお願いしました。 野菜を洗って置いてもらったり皮をむいてもらったりして頂くだけでも有難いものです。 そのころはワタシも新米滞在者で街の探索や語学勉強や友人つくりに忙しく 暮していてどこに行くにも家庭車で道不案内コミュニケーション不足の日々でした。 解凍をお願いしたところヘンケルの包丁が刃こぼれしていました。どうやら エイヤッと切ってしまったようでした。解凍方法を教えてこの件は諦めました。 数か月経った頃不注意で娘が引き出しに仕舞っておいたドル札が紛失して家族 でモメました。お手伝いは欧米人の家に行っていた事もあると言って居ましたので ドル紙幣の顔は知っていました。宗教的な考え方では発見や拾い物は神様からの 贈り物というような理解がある様子で要するにこちらが悪いという事です。 彼女は近所の親類の家に大きなペットボトルにアクア(水)を入れて運んでいました。 これも偶然見たのですが飲水は買う国なのです。これは見逃していました。 これほどの生活の格差は悲しいものです。出来ることは何でもしてあげたいという 気持ちは有りましたが躾けをしないといけない立場もありその後も色々と悩みました。 老運転手は辞めてから隣の家に勤めだしびっくりしましたが我が家には新しく 近所の友人が使っていた人が来ました。この人は家が裕福らしく店では病院に 酸素ボンベ(日本とは違う)などを納入していて奥さんがお菓子などつくり商って いて使用人も居るけれどおこずかい稼ぎに働いていると言って居ました。友人も 犬を飼っていましたので安心しました。帰宅してから店で夜中まで働くと言い我が家 に来ると即コンクリートの駐車場で平気で大の地になり寝ていました。車の中で 寝ていて呼んでも起きない時もあり何か変な薬でも飲んでいるのかと怪しみました。 運転手の事はどうでもよいのですが、この人はお手伝いにラブレターを書いて渡し 彼女が大悩みする問題が発生したのです。おまけにワタシの友人奥さんにも言いより この件は切々とつたない言葉で諭しました。大切な友人なんだから困ると言う程度。 見た目はチャーミングな運転手ではありました。最初の頃不覚にも長距離移動の 車中でイツワマユミの友よを合唱していたワタシです。この歌はあちらでは有名です。 会話が乏しい車中の時間というものは想像以上に緊張と恐れがあるものでした。 辞めてもらった時首に手を当ててハティハティヤディジャカルタ(注意しろよ)と言われ ビビりました。やっぱり書いておかないとクヤシイ事なのです。 ある日ジャミラさんは今日の夕方旦那さん(10歳くらい年上無職で家でブラブラ していた)と田舎に戻りいつ帰ってくるかわからないので給料下さいと言いました。 前貸しがあり給料が少ないのでつい足してあげました。円で考えると申し訳ない位 安い賃金です。当時料理が出来ないと5千円とか6千円くらいでした。ラーメンや 砂糖やパームヤシ油や石鹸バスタオルなど差し入れていました。しかし辞めてからも 平気で電話してきてまた戻ってもいいですかという人たちではありました。 ジャミラさんが辞めた後で気が付いたのですが犬のひげが焦げていて数日椅子 の下もぐり混んで出てきませんでした。ワタシが2回働いてもらった人は一人だけ ですがこの人はすでに強者でした。決して脚色しているわけでは無い体験なのです。

 ジャカルタのお手伝いたち (2014年3月30日)

ヤンティー、ジャミラ、アニー、ポニー、ハル、スシ、ヤティーさん達は短くて 1か月トライヤルのみで長くて3,4年位と様々でした。彼女たちの名前は あちらでは良く聞く名前なので顔を見ないと判明できません。日本では経験 出来ないお手伝いとの生活はいまだに鮮明な記憶なのです。運転手とお手伝い に恵まれれば天国と言われる国の生活ですがワタシは運転手ほどではありません がそこそこ苦労しました。友人達も悩んだり使用しなかったり又全くそういう事とは 無縁だったりと色々でした。ジャカルタの想い出が極少なくなりましたがこの記憶 は芋ずる式に出てきますので恥を晒して書いておこうと思います。 ヤンティーさんは小柄でロングヘア可愛い感じでした。年下セキュリティーと再婚して 友人を差し出して産休を取り遠方の家からバスやだんな様のバイク相乗りで働きに 来ていました。先に行っていて後に娘が合流、2年ほどしてワタシが行きましたので 家人が一人暮らしのときは何でも任され家の洗濯物も持ち込み堂々と庭で干して いた様子です。一度訪れた時早朝散歩時にだんな様のバイクから大きな荷物を 下ろす様子を見かけて不審に思いましたが後程判明しました。仕事一筋で余裕が 無かったり異国生活に慣れない人にとって使用人問題は苦手です。単身赴任で 現地の色々な女性と問題を起こしたり家庭を壊したりするケースは多々あります。 やさしさなどの点においてはとても勝ち目がありませんのでハティハティ(注意)です。 もちろん嵌ってしまった男性も一族郎党の世話をしないといけないらしいですが。 近隣の国に英語を駆使して家族を置いて働きに出る女性も居ました。様々な労働 問題などは日本の新聞でも報道されていますので私たちの国で働く人が出てくるのか どうかは難しいと思います。近隣諸国での出稼ぎは自国よりは稼げるとは言えすごく 高額ではありません。ピザや保障休暇衣食住賃金問題を速やかに処理できないと 働いてもらえません。結構女性の社会進出が多い国でしたがメードとベビーシッター 運転手など雇えると長期で働いている様子でした。運転手とお手伝い文化が在る国 ならではの事です。しかしまだまだそういう環境の人はごく一部です。日本から勉強 がてら働きに行ってレストランのマネージャーを目指していた若い女性は店の社長に パスポートを取り上げられて仕事も不満だと家人に訴えていました。家人が仕事の 相談に乗ったりしていましたがその後首尾よく米国に行けたのかどうかは不明です。 OLを辞めて新しい道を選んだ人ですが現地のままならない人間関係は難問です。 あちらでの最大の問題は門番(セキュリティー)とお手伝いや運転手がタッグマッチ で悪いことをするケースが多いという事です。命をなくすことだってあります。生活の 格差から来るのでしょうか。年々給料も上がるとは言え先進国との差は短まりません。 ジャカルタで生活をスタートした頃ヤンティーさんは老運転手のアントと住まいが近く 仲良しという事もありタッグマッチで反抗してきました。もちろん日本の熟年夫人 としての厳しい目線に対してです。対抗策は200個以上は在った海外引っ越し 荷物の空箱落とし作戦です。2階の吹き抜けから1階の石床めがけてバンバン 落としました。男尊女卑の国ですのでものすごい性格だと思われて功を奏しました。 お手伝いと一悶着しながら退職金大目で辞めてもらった後に彼女はプンチャックの 麓に小さな家を買い雑貨を売りながら子育てして又お手伝いで稼いでいたと思います。 きんぴらごぼー、塩じゃけ、ソーメンなどを出されて大感激していた頃は日本食 スーパーの存在を知りませんでしたが後に店では調理販売品を沢山見ました。 彼女の想い出で一番びっくりしたのは2階のクローゼットの中に入っているのを偶然 見てしまったことです。家人はポケットの中に貴重品を入れたまま忘れている人です ので何か収穫を期待していたのでしょうか。小柄な人でしたので出来たことでしょう。 最初はそこで居眠りしていたのかと考えましたがそれより優先することは有るのです。 可愛い笑顔のヤンティーちゃんでしたが今では凄腕のお手伝いに違いありません。 滞在の先行き雲行きが怪しくなりまだまだ試練が沢山待っていました。

 夢の意味とプラス思考 (2014年3月25日)

老犬との早朝散歩時に見かけたカラスと白い小花雑草の印象的な光景です。 黒い大きな体の2羽が厳つい足を浮かし動かしながら早春のビタミンを 楽しんでいました。カラスも色んなものを食べるのでしょうがこれは初めてです。 近寄るといつもの悲しい習慣であっという間に電線に飛び去ってしまいました。 先日の疲れる夢ですが、EVで急上昇の意味は思っていたのと違いどうやら 運気急上昇とイコールらしく泥状の崖を小枝握りしめて登るのも上昇志向で 精一杯努力の姿の様です。どの夢にも必ずニコニコ顔で助けてくださる女性 が現れるのは不思議です。山形パン(イングリッシュブレッドみたいなの)は 時代の流れの中でパンと言うのは新しい食べ物故新しい発見や事なのでしょうか。 届けた相手が喜んで居たのも心強いです。上に登り無事に下に帰れたので 良かったです。右左に分かれていたドアの選択もラッキーでした。 いかにも悪そうな疲れる夢でしたがどうも夢と言うのは反対の意味があるらしい です。多少悪くても自分なりの解釈を加えてプラス思考するのが一番です。 ドクターズヘリと言うのは精神的な救済を意味していると思いました。ココロも 緊急救助の対象になるはず。ヘルプというサインを発してキャッチしてくれる ヒトに出会わないといけません。しかしいつもキャッチしてしてもらえるわけでは 無いので運不運は在ります。多勢がキャッチする訓練も重ねてほしいものです が自分で必要と感じたヒトや経験者は素早い行動が可能なのです。 カミサマノカルテIIを家人と観ました。偶然時間つぶしに観たのですが我が故郷 の清々しい景色と子供の頃寝転がって見上げた星空の事をはっきりと想い 出しました。インドネシアのバリ島で夕方から開演するケチャダンスのチャッチャッ ギャギャギャというやかましい踊りとその上空の暗闇にシンと広がるビンタン(星)の 光景も脳裏から飛び出しました。星空の方ばかりを眺めて居た変なオバサンです。 都会の星空は曇るばかりですがたまにはどこかで見上げてみたいものです。 サラの大音響のバックミュージックをココロの中で再現すると効果抜群。

 高速EV、山形食パン、再会などの夢 (2014年3月23日)

TV放映の影響か運動不足による老廃物処理不良によるのか解らないが 疲れる夢スイッチがオンになった。何かの検査を必要としているらしいが 何処かすごい僻地に居るワタシ。多分緊急を要するらしいのに病院まで の距離が遠い。しかもやっとの事で到着したのにその病院は見上げる 塔の様な蜃気楼的な高さだ。高速EVに乗り一気に上まで上がるつくりだ。 しかし乗る方法がわからずやってきたニコニコ親切なオバサン達の様子を 見たり聞いたりして学習する。一緒に乗り込みビューンという風音を聞く。 しかし上に到着してもさらに道が続きほとんど垂直状態に見える滑る泥崖 の小さな抜けそうな木を手で握りしめながらやっとのことで登る。他の人々も 登っているがワタシほど苦労していない様子だ。どういうわけかワタシはリュック の中に山形食パンを入れている。それもむき出しのまま。他にも何か入って 居るらしい。この崖を二つようやく登りきると上には全く普通の都市があった。 ビルの中の昔の職場に行くと皆ニコニコと迎えてくれた。部長席には中学生 時代に嫌っていた割には裏で相当な助けをしてくれたA先生にそっくりの人が 座っていてドクターヘリを要請したのは私だよと言った。ワタシはドクターヘリ に乗った記憶は無い。普段考えてみることもない。転勤でE国という動静不安 な国に行くのだと言う。海外は大変ですが面白い面もありますと話した。 年齢的には80歳を超えているはずだがお別れに現れてくれたのだろうか。 お若い時のままに見えた。卒業時に誰でも書いてくれてあちこち回っていたサイン 帳に古希と書いて下さったことを覚えている。古希までは生きないといけない。 席に座っていたある女性に山形食パンあげた。とても喜んでくれた。又EVに乗った のか別ルートかとにかく地上に降りていた。そして病院で検査があることを思い 出した。濃いブルーのオペ着の人たちがカンファレンスしている部屋が隣にある 小部屋に居た。この部屋に来る時も二手に分かれたドアへの通路で迷って いたが貴女の部屋はあっちと教えられた。脈絡がないのが夢だから仕方がない。 ココロの中の不安と内臓的な疲労と特に右の肝嚢胞が脹れていて寝苦しいのが 原因で願望というカタチで夢になったと思う。泥の崖で小さな木を握り登るのは 高所恐怖症と相成りスリル満点すぎた。内容をよく覚えていたので明け方の夢だ。 昨夜のTV放映はウトウトしていてほんの少ししか見なかった。超常現象を科学的に 検証する番組で興味深かったが眠気に勝てなかった。高速エレベーターの夢は 以前にも見ている。家人が犬の散歩に行ってこようかと声をかけてくれたので いつもより1時間も寝坊していることに気が付いた。体力消耗の夢であった。 カロナールと胃薬は日に1回は飲んでいる。何か踏み留まっているのは確かだ。 ミニ薔薇を大きな鉢に植え替えて元気にしてあげようと思う。今日は北風が吹いて 居るけれどブルーベリーの蕾はどんどん膨らみ痩せたイチジクの樹の先端には 力強い芽がある。裏道の桜の枝先が日毎に薄桃色を増してしている春だ。

 肝ノウホウのつぶやき続編 (2014年3月16日)

20年以上前からの共存者肝ノウホウが自分にとって大きな存在になって しまい推移などを在りのままに投稿してきて数年経ちました。検索して 見てもあまり情報がなくて心細い限りなのです。原因不明で治療方法も 限られているという事なのです。もちろん危険な状態になると治療すると 有りますが治療後の経過などはさらに又追跡不可能なのです。 食欲モリモリで元気にしか見えないので共感できる相手も皆無です。 肝臓が倒れるまで働くのもこの食欲に所以するのかと良く理解できます。 どこのウマノホネか解らないオバサンがギャーギャー騒いでいると言う 程度の事に見られるのも困りますので多少は恥をさらけ出して在りのまま に書いています。幸いなことに7年半滞在したジャカルタ生活の刺激的な 記憶が残っていましたので投稿マラソンが可能でした。人生何がお助けに なってくれるのか判りません。文章力もなく思いつくままですが決して楽な 作業では無く短文でも(前夜にメモしても)2,3時間は推敲が必要ですが くろまめさんご夫婦の手助けが最大の支えには違いありません。 動き出した列車は加速も付き急ブレーキも利かなくなる時もありますので 旅先からもアップしていただいた事もある程です。こまったオバサンです。 この投稿はココロの声と言えます。最近では医療関係者の方も覗いて くださっている様子ですのでとても心強くきっと同じ悩みの方々がより良い 生活や様々な向上を得ることが出来ると信じています。この声は必ず どなたかのココロに届いていると思います。こんな面倒な病気だからと 言って無視しないでもらいたいのです。 これは病気ですか。いいえ違います。こんなに大きくなり痛みもあるんです。 いいえ気にしないで生活すればいいんですよ。でも・・・。心配は良くない。 そうですこれは病気と言えます。そうなんですね病気と言えるんですね。 長い時間が流れて自分と向き合い今はさらにその状況に負けない強さを 手に入れました。いろんな考えのドクターが居ることも知りました。そして 統一見解というものがしっかりと出来て欲しいし必要だと思いました。 患者にはごまかしでは無くきちんとその時々の状況に合わせての説明が 安心なのです。自分は治療者では無いのでどんな風にするのかは解りません。 確かに在った事やなかった事などの判断とそれが通じる会話と言うのは大切 で不可欠です。なんといっても患者は猛獣でもなんでもなく普通のヒトです。 難しい問題に立ち向かい解決してください。信じています。 今日はとうとう直球を投げてしまいました。

 ブルードラゴンを探しています (2014年3月15日)

誰かブルードラゴンを見かけませんでしたか いつかの夕暮れ時東の空を駆けて行ったきり まだ一度もその姿を見つけられません 強い眼光と硬い鎧と鑢のような爪を携えて 今では他に類を見ない強さなのに まだ道に迷っているのでしょうか それともいまだに脆い背中と傷つきやすい脚と やさしい手のまま爪さえ砥がないで 湖のほとりでうなだれているのでしょうか 探してみても見つからないのです また 冷たく暗く厳しい都会の棲家で人工の光の中で 清い志や危うい希望や日々の落胆に立ち向かったり 立ち尽くしたりする勇気がほんとうにあるのでしょうか 西日がどんどん強くなり桜の花びらのカスミが 押し寄せる季節はもうすぐそこなのです きっと今日の様な美しい落日に現れるのでしょう グレーの雲の上一直線のオレンジ色を蹴飛ばして もう本物のブルードラゴンと呼べるのでしょうか ささやかな願望を持ち続けたのは 2年前に傷ついたブルードラゴンに出会ったから 強くなくてもしっかり立ち上がりココロをしなやかに 何よりパワーアップした姿に出会いたいから 希望や楽しみや憧れとまでも言えるのでしょう 又何処かを目指して飛んで行ってしまったとしても エールは必ず送り続けますよ 出会いは偶然でミステリアスで続編付なのです

 オルゴール音楽は素敵だ (2014年3月11日)

又振り返ってみると3年前の今日の午後治療予定で入院していた時間がまだ 近くに留まって居る。あの時病院の先生方も1階から13階まで階段で登り降り したりしていたはずだ。多分余り睡眠もとらず患者の世話や雑事に追われていた はずだ。その後も試練は人々に平等に訪れているがヒトは強くなったのか否か。 今自律神経疲れにはオルゴール音楽がぴったりだ。3年前の退院後3か月位 して海外から帰国、大腸ポリープに続いて肝嚢胞が痛みだした頃新宿の電気ショップ の売り場でオルゴール音楽のCDを購入した。ヒーリング音楽やバリのガムランなど ココロを癒すCDにハマっていた。以前は絵画制作時に気分で色んな音楽を楽しんで 居たが今はほとんどワンパターンのオルゴール音楽だ。特に夜寝る時に小さな音 で流し聞きすると睡眠効果抜群なのだ。9時に寝て4,5時に起床できる。 まあもちろんこれだけで熟睡できるものでもないが結構なチカラを持っている。 家庭料理は大型フライパンにオリーブ油+にんにくや野菜アレコレ魚肉アレコレ蒸す のが多く、大鍋に具だくさんのけんちん汁の出番も多い。食材に飢えていた海外生活 のことはほとんど忘れてしまいひたすら手抜きのずぼら生活だが家人たちはこれも 体調の悪さから来ると諦めている様子なのだ。ワンパターンのオルゴール音楽と 共鳴している。時々はすごく反省してまともな料理に挑戦してみたりする。 3年もたつと若い人は成長して熟年は老いる。仕事から解放された家人は落ち込む。 何か自信を持ち立ち直らないといけないのだ。沢山得た刺激や経験を整理して 自分の玉手箱を完成させたい。ヒトはそれぞれ素敵な玉手箱を持たないといけない。 早朝の洗濯物がベランダで凍っていてびっくりした。これは今年初めてかも知れない。 老犬と対面後ろ歩き散歩がとても上手になった。スケーターのように斜め後ろを 振り返り確認して道の状態を頭に入れてから後ろ向きに歩くのだ。結構ウワサの 老犬とワタシかもしれない。20,30分はヨロヨロ歩ける。時々つまずくと老犬が 心配してくれるのがうれしい。いつもの曲がり角の雪柳の枝にポチポチと緑の芽が 出始めた。サクラの蕾はまだ固くてすかすかした木々の枝の間を寒風が走る日だ。 大きな石のカケラで公園の看板を剥がし続ける悪い癖のヒトが居るが散歩時に その石らしき物やレンガのカケラをを見つけるとすかさず植え込みの中に蹴飛ばす。 幼少時坂道でよく転んだワタシの為に生前の父が石を蹴飛ばしてくれていた。 こういう点は結構しっかりした熟年オバサンになって来たかもしれない。とにかく 空は晴れて青いのでそこにココロのオルゴール音楽を響かせてみたい。

 ハチのお母さんの事他アレコレ (2014年3月8日)

先日ツルツルした石造りの建物の1F外の壁隅っこにわずかばかりの泥の塊 を見つけました。片手に握った柔らかい泥をバシッと投げつけたような感じです が見事に角に納まっていてそれはいつかのハチのお母さんの仕事に見えました。 なぜならばそこは我が家の真下に位置するからです。晩秋に足繁く訪れて 攻防戦の末にむなしく諦めて去ったハチに違いないと思いました。南国から 船に乗せて持ち帰った動物型の虫食いの木の椅子はとてもお気に入りの様子 でしたので今年も必ずやってくるに違いないでしょう。強風時には横倒しにして 小さな鉢類を守るお助けイスです。横倒しにするとガムテープでふさいだハチの 入り口が丸見えですのでココロがチクリと痛みます。 異常気象の年にはハチの行動や蟻の慌てる様子に気に留めないといけないと 感じました。声なき者が切々と訴える時には耳を傾け聞き取る努力が必要です。 感じたり見た人にしか記憶に残らないという事はヒトの日常にも沢山在り空しく 悲しい事です。必ず何処か誰かのココロにに残り知識として継承されることを 信じて書き記す行動もあります。ハチのハハゴコロには敵いませんが。 パワーダウンのこんな時期にはホウレンソウや小松菜のグリーン、伊予柑や デコポンやキンレンカの黄色、ストックや金魚草の甘い香りから力を貰いましょう。 そういえばこの金魚草の花はジャカルタでも花屋のバケツの中に良く見かけました。 常夏の国でも花の変化はありましたが街角の常連はもちろんランや百合の花でした。 ランの花は良く見かける白と紫系が大量に安く買えると言う程度の事も多いのです。 本屋でなば取り先生の分厚い本をみかけましたがその厚さに少々ビビり気力が 復活したら読もうとしっかり確認したことです。結構良い場所で目だっていました。 イギリス、アメリカ、アフリカ、アジアと随分足跡を残されたのだなと感動しました。 ジャカルタではあれほど本に飢えていたのにいざ大量の図書を目前にすると 怖じ気を覚えるのは不思議です。沢山有りすぎるのも難しいものだと思いました。 帰国後はごく必要なものとか軽い薄い本しか購入しないのですがこれは自分の パワー不足を如実に物語っていると思います。近所には大型図書店が多いのです。

 インクブルー色の糸玉とマフラー (2014年3月1日)

編み物は下手だ。母は生前に他人の紋付まで縫ってあげるほど器用だった。 ワタシは似ていなくて中学生時代家庭科の運針の時間にこれが下手な見本です と先生に取り上げられみんなに見せられてしまった。クヤシイのでせめてテスト を頑張ったものだ。ブラウスなどは放課後ミシン上手な友人が縫ってくれた。 浴衣はほとんど母が縫い何とか提出したが先生は片目をつぶってくれたに 違いない。それは後に即寝間着になっていた。この先生は後々産休に入る時に 家に赤ちゃんを見にいらっしゃいと言ってくださったがココロがほどけなかった。 文化祭には不器用ながら芸術的な刺繍作品を代表で飾ってくださった。これは 薄いピンク地に濃い紫と濃いピンクと黒色の太糸でフジの花を刺繍したものだった。 しかしだからと言って縫うこと自体が嫌いではない。ムスメが小さいころには欧風 シャスティンさんの立体裁断という本を購入してキルティング布でフロントファスナー フード付ガウンをミシンで縫った。幼稚園に入るときはスモッグに刺繍したりお手製 バッグを持たせないといけないが手縫いバッグウサギのアップリケ&刺繍と言うのを 夜なべして作った。後に店に行けば既製品が沢山あるという事もわかったがこの 芸術作品は結構彼女の記憶にも残っているらしい。続けて3年がかりの編み物時代 に突入した。昔マチコ巻という長いマフラーが流行し勤め先の上司の女性にウールの を貰いしまってあったのを想い出し1年目はほどいて湯のしして毛糸玉にし2年目 に同色のモヘア細糸をより合わせて3年目に3歳の子供用小さなセーターとミニ スカートを編み上げた。深いワインレッドの大人カラーだった。 このマフラーを貰ったいきさつもついでに想い出した。スカートと同色のマフラーが 流行っていたがなくしてしまいションボリしていたので戴いたものなのだ。その後も 小さな子供用の編み物は早く仕上がるので新聞紙で型紙を作り目数はその型紙に 合わせて芸術作品的なものを作った。薄いピンク色のイニシャル入りセーターを 編んだのは雪がちらつく夜で朝方まで編んでムスメの枕元に置いた所朝見つけた 彼女は歌って踊って喜んでくれた。しかしこの仕事も年齢がますにつれて不出来を 見抜かれてしまいマフラー位しか許可が出なくなった。家人のカーディガンを編んだ 時は縄模様が多すぎてアコーディオンのようになりほどいて編み直すのに3か月も 掛かって冬が終わっていた。そして今は4,5年前から編んでいるサマーヤーンの インクブルー色のマフラーだ。 ジャカルタの庶民のデパートでやっと見つけて買い求めたトルコ製の細く固い綿糸で 赤青白色くらいしかそろって居なかった中の青だ。一玉が結構高かったので諦め 切れずに編んでいるが一度ほどき直して又細い編み針で編んでいるので(裏編み) 全く編み進まず目も飛んだり外れたりしている。編んでいる時間が好きなのだ。 何も考えていない。くよくよと色んなことを考える自分がそこには居ない。インクブルー の目は自分のココロ模様ともいえる。とんだ穴を寄せて直し増えた目を二目一度で 減らす。難しい編み方は出来ないので何とかの一つ覚えなのだ。今年の夏には 仕上がるだろうか。同色のセーターを探してみたい。 持病の通院がありエコー検査の結果今はまだ治療せず又カロナールと胃薬コンビで 6月まで様子見になった。今回は主治医がいろいろと質問に答えてくださり心配事や 疑問がだいぶ解けた。2年前の治療後嚢胞が一時的により大きくなりその後成長が 止まっているらしい。風邪薬の様なカロナールを飲む不安に対しては感染予防が 最優先とのことで納得した。出来るだけ回数は減らすように自分で調整している。 痛みと高熱時は救急車で来てくださいと言われるがすぐ5分のところにある消防署 とは言え救急車要請は気が引けるのだ。何とかそんな事態を避けたい。治療による 結果などはケースバイケースなので自分にしか当てはまらないと思う。そのうちに 消防署の人と立ち話でもできればよいがそんな暇な人を見かけた事は一度もない。 3か月くらいの間は心配事を忘れて過ごしてみたいものだ。

 通院と雑想と期待の春 (2014年2月26日)

度々の通院時には移動中、病院内、見慣れた交差点やバス停などの観察が 習慣になりました。これはジャカルタ生活で日頃励行していたことが続いている という事なのですが海外生活を経験していないと多分あまり考えずただ目的地 を結ぶ交通に乗っているだけだったと思います。ボケ防止にはなるはずです。 昨日は肝嚢胞のエコーでした。前回走りに走ってセーフでしたので余裕をもって 出掛けたのですが到着が早すぎて又待合室風景をながめることになりました。 出来る限り自力本願の我が家と違い夫婦仲良く助け合う光景、目を合わせようと しない人、本をひたすら読み続ける人、うちの人ここから出てきませんでしたかと 心配して尋ねる女性、時間がかかりようやく出てきたご主人と再会できて喜んで いる姿、などです。治療入院している人が歯科に来ていて以前歯の治療時に 感染があったことを思い出し同じ病院だったらカルテで理解が早かったのかも 知れないと考えましたがすでに時間が流れてしまいました。介護タクシーの人が 付き添っている患者さんも居ました。家人は若葉マークを脱脚したばかりですので この仕事は無理だろうなと思い眺めました。簡単には出来ない仕事です。 村上さんのラジオの時間という本を携えていましたが集中して読み進まずどの 部屋の番号に呼ばれるかの方に注意が行ってしまいます。同世代なので妙に本の 中のクウキカンに共感してしまうのですが田舎出の文学少女とシティーボーイでは 永久に接点皆無の1970年代新宿でした。特別個性的な空気が流れていた時代。 エコー室に居られた先生は多分研修医の方でしょうか。優しくて丁寧にお話をされ 説明してくださいました。それでもエコー中は肝臓が動いてしまうので話してはダメ ですとのこと。治療まで進むのが珍しい巨大肝嚢胞の推移をこの病院ではいろんな 先生がエコー室に現れて診てくださるのが有難いです。昨日は猛獣使いの様な ハードタイプの先生も現れて診てくださいました。お会いしたことのない先生方の ネームプレートを必死に見て記憶努力のワタシです。先生方が多くて最初の頃は 主治医の顔も良くわかりませんでした。日頃診察時にもメモ持参などして疑問点 を解明努力なのですがなかなか思う通りには行かないものなのです。 最近右側のお腹や背中中心に張ったり少し痛んだりがあるのでお伝えしました。 すでに左の方は単発性ので満杯状態なので右の方が心配の種なのです。 この優しい研修医の先生も診察室を担当される頃には半猛獣使いになってしまう のだろうかと思いましたが土地柄付き人を数人従えた猛者なども訪れるのを見ます ので先生が猛獣使いに似てくるのも仕方がないのでしょう。仕事道具を担いだ昔の 大工の棟梁のような人が大声で怒鳴っているのもみました。いろんなドラマがあり 特殊な空間で特殊な空気が流れている大病院なのです。ワタシに関しては ピーターパンの様な先生が飛んできてササッと治療完了などが夢なのです。 先生方が何か難しいことを話していましたが理解不能という事で脳みその片隅に 追いやりました。特に衝動買いなどするともっと忘れてしまうのが特技なのです。 春が近いデパートでは誘惑が多くジャカルタ価格がとてもなつかしく想われました。

 読み進まなかった本 (2014年2月21日)

ジャカルタ滞在時代には文庫本をたくさん購入して読んだ。輸入物倍額なので 日本の単行本は余り手が出なかった。都心のビルの中にある紀伊国屋には 定期的に通っても品薄、輸入遅れで新刊本が飾られていると涎が出そうだった。 家人は会社まで乗る車の中でいつも本を読んだ。ハイウエイを使っても片道最低 1時間。しょっちゅうある渋滞時には往復4,5時間もかかる。車の中で読むと 酔う自分と比較すると想像できないがとにかくその為にも本は必要品だった。 そんな本の中の一つにJ・アービングのサーカスの息子上下がある。舞台は印度。 購入後も枕元に積まれて思い出す度にページを開いていたが遅々として読み 進まなかった。南国で生活中もその後も4,5年の間読み終わらなかった。 訳者が翻訳してもしても残りのページがいっこうに減らず増えていくように感じた と書いているがまさに読み手としても咀嚼に時間がかかり様々な事が想い浮かび 簡単に呑み込めない内容であった。現実表現も実に厳しいものだ。 一つの例として住んでいた外国人向け集合住宅地のグルリと囲みめぐらされた 高い塀をよじ登って眺めた経験がある。ごく普通の庶民が暮すバナナ畑が広がり その間を細々と流れる川があり小さな橋脚の上に掘っ建て小屋もどきのものが 在りポツリポツリとヒトが訪れその2階に座り瞑想するがごとき。そしてのんびりと 立ち去る。よじ登った塀の上で家人と話し合った。この件はムスメには内緒にして おこうと。川の魚や貝は庶民の食卓にも上るはずだ。しかし50年前の日本の景色 に似た物が在るはずだ。この川は日頃大人しいが年に数回氾濫して洪水災害を 起こしている。すぐ上の辺りからパイプで水を引きプールの浄水槽につながっても いた。すでにそのプールで泳いでいたのですべて見なかったことにした。街中の そこここで数えきれないほど在る異国の生活絵図なのだ。このことは当然本の 内容とオーバーラップしてしまった。遅々として進まなかった原因の一つだ。 物語の終わり近くに主人公のドクターが60歳近くになりカナダに戻りあるホスピス でボランティアをするという場面がある。洗濯や掃除や電話番しかやらせてもらえない。 たまに注射位は頼まれる。電話番をしている時にあんたなんかじゃなくてちゃんと した人を出しなさいと怒鳴られる。苦悩しながらもちゃんとしたボランティアですと 答える。助けたり助けられたりする人との係わりという暮しの場面として解りやすく ココロに残る。大勢の人の命を守ると言う職業の人にあまり過大な期待を寄せる のも可哀想だが凡人はつい理想としての存在を期待してしまう。余り手の届かない 彼方の世界の住人になって欲しくないと願う。普通に会話できる存在を希望する。 これは現在の自分の境遇と照らし合わせて思う切実なことだ。 雪の後のベランダでは白い小さな花のスノードロップと薄紫花弁の芯に真っ黄色 めしべのサフランが健気に咲いている。先祖返りして小さな花しか咲かなくなった 四季なり大イチゴを見るたびに吹き出しそうになる。寄せ植え大鉢の中の生存競争 に勝ちクリスマスローズが白い花をつけた。と言ってもよくよく覗き込んで一つ発見。 陽射しが戻るだけで人は元気になりココロを建て直し希望の芽を膨らませる。 新鮮な空気を吸い込んでさあ大きく舵を切って進んでみよう。

 ルクランから来た鍋のこと (2014年2月16日)

ジャカルタに住んでいた頃米系Rマーケットが30分くらい車を走らせた距離に 在り都心への行き帰りに度々立ち寄りました。店内には輸入割高商品が山と 積まれていてそこで購入するのは欧米系人が多いと感じました。彼らは週に 一度くらいまとめ買いをするらしくお手伝いなどを連れたりお手伝いだけで 肉や野菜やフルーツをどっさりとカートに入れて押し歩いている姿を見ると すごいなあと思いました。一般的にお手伝いだけで大量に商品を購入する姿 はあまり見かけない国なのです。日本人のように色んなメニューを考えないので 楽だとメード同士が話しているのを聞いたことが有ります。大量買いと言うのも 一般庶民は市場や道端の屋台を利用するのが多いお国柄ですので珍しいのです。 しかし日本食スーパーでは脇目も振らずにまとめ買い衝動買いしていました。 今頃は多分まだ洪水の影響も在り多くの日本人が買いだめに走っているはずです。 じゃかるた新聞などを検索されるとインドネシアの状況がとても良くわかります。 その米系店に入りまず一番奥まで行き最後にはレジに戻るコースが習慣でした。 日本スーパーで手に入りにくいものなどを重点的に眺めました。カートン入りの水や ポカリ(これは良く売れています)などのさらに奥には外国人目当ての土産品など を売るスペースや料理講座の部屋も見えました。グレープシードオイルやオリーブ 油、ベルギーやスイスのチョコ、紅茶、コーヒーなどは日本よりは安くて魅力的でした。 日本から来た調味料、麺類、菓子類、茶などもありました。最近ではいろんな大手 スーパーに並んでいることが多い日本食です。しかしよく見ると中華系パロディ品 が混じりこんでいて初級者は手に取ってしまうかもしれません。ハティハティ(注意) です。家人指定のエビアンは韓系スーパーが一番安くてカートンで購入していました が品切れ(輸入のタイミング)時期もあり悩みの種でした。このスーパーにはお気に入り の緑色の小豆や蜂蜜入りボディソープなども売られていて安価で貴重な場所でした。 牛乳やヨーグルトは豪州、欧系チーズはどれも割高すぎましたが地元在住の友人の おすすめハーブ入りや唐辛子入りの塊をおつまみ用に購入しました。諸外国の指導 からかパン類の焼き立てはとてもおいしく分厚い豪州ステーキ肉も豊富にありました。 地元料理の実演販売や生魚類、しぼりたて100%ジュース(果物を放り込んでいた が洗浄はハテナマーク)、リッチな果物の数々から2,3品ゲットしてレジへ。 うっかりしなくても財布は軽くなりました。そして支払いの度にくれるクーポンを貯めて 鍋を一つ割引購入したのです。フッ素加工と言うのか鍋の中が黒くて焦げにくく大きく 耐熱ガラスのフタもついていました。長い間ルクルゼ鍋に憧れていて日本よりは安い ので何とか購入しようと手に取ってみましたがそのあまりの重さに腰が引けたのです。 購入した鍋はとても出番が多くてほとんどこの鍋一つで出来るくらいに万能。先日 ひっくり返して裏に書いてあるマークを見るとルクランと書いてありました。検索して 見ると仏のルクランという地はルクルゼの本拠地です。うちの鍋は単にルクラン産 という事だけでした。それでも負けない仕事ぶりで大助かりです。お手伝い文化が 進んでいる国の台所用品はピンからキリまで品数豊富で輸入物が多い国でした。 このスーパーは1Fのみの店でしたが天井付近の回廊の様な所には銃を手に掲げた 警備兵のような人が靴音を鳴らして下を見下ろしていて時々目線に入ってくるのが とても嫌でした。フィリッピンでもスーパーに入る時にパスポートを見せたり荷物を 預けたりしましたが両方とも今ではどうなのでしょうか。どちらも店や人々を守って いるのかも知れませんが10年以上前の記憶で在って欲しいものです。大雪の前に 歩いて10分のスーパーで買いだめが出来る幸せに感謝。偶然気になった鍋の 故郷は残りがごく少なくなった滞在国の記憶を手繰り寄せてくれました。

 雪、また雪、またまた雪 (2014年2月14日)

暖かいと言われている房総に20pも雪が積もり大世帯マンションの周囲は 雪かきの必要性が最優先の朝だ。老犬の散歩も家人代行が多くなり体力が 無いので知恵を絞り何とかもっと家人を働かせようと考える。家の中でも ポケットに手を突っ込みゆっくり歩きでワタシの仕事の出来栄えをチェックする 管理職病が抜けないので良いチャンスと思い雪かき仕事をしてもらう。 昔と違い若い人たちがなかなか出てこない、管理人さんたちだけでは道が 広がらない、ちょっと目立つところに出てササッと仕事をしてみたらどうか、 と渋るのを何とか動かそうとする。まず出てみることが大事だよ、スコップと 長靴を買っておいてよかったね、と努力するうちにようやく裏の人気がさらに 少ない駐車場を目指した。 案の定立体駐車の最上階は車と車の間に吹き溜まりが出来て膝上までの積雪。 ほんのちょっとのつもりが2,3時間も働く事になったらしい。窓から働き具合を 眺めると本気で頑張って雪をすくい積み上げ何人かの人と協力して働いている。 ベランダの雪を下に落とさないでくださいと言う館内放送が流れてきた。ベランダの 雪を塵取りですくい集めて溝の氷もかきだして積み上げた。上から眺めると家族 総出やらで結構な人数の若い人たちが一生懸命道の雪を取り除いているので なんだかうれしくなった。翌朝開かなくなると困るのでドアの前の雪も掃除する。 汗だくになり腰も痛めて家に帰ってきた家人は頑張ったぞ、大変だったんだぞ、 と興奮していろいろ話してくれた。お役にたててハツラツとしていて笑顔だ。 子供の頃信州の里では大雪の朝まず村の大きな道までそれぞれの家の人が道 をつけた。カンジキで踏み固めるのは母親の仕事だったと思う。村の人が顔を 合わせて安否をきずかう会話をしていたはずだ。渋っていた家人はほんの少し 勇気を出してカケガイのないものを手に入れた様だ。その日の雪は夜にはだいぶ 融けて植木鉢の上にどっさり積もっていたのは受け皿から溢れる水になった。 優しくなった風がゆらゆらとオリーブの葉をゆらせてそろそろと注意深く発進して 行く車を見下ろしていると夕方の陽射しがガラス窓に反射して眩しかった。 そして又雪が降り老犬との朝散歩はワタシの靴で麦踏状態にした道をとぼとぼ歩く という苦行になった。老犬には少々荷が重すぎるのではないかと思うがめげずに 頑張る。熟年でも老犬でも負けないと言う気持ちが大切なのだ。 しかし又又雪がやってくると言う。せっかく育っていたアロエも凍傷になりホトンド 全滅状態だがビニール袋をかぶせてほかの弱い植物たちにはブルーシートを かけた。ベランダの角にビニール板をくくりつけて風を遮る。少し手順が上手くなった。 冬太りで気力だけが頼みの自分である。天気予報図の通りに外が白く霞み始めた。 こんな日は大きなマグカップに濃い紅茶と粉ミルクと生姜糖でチャイを作り気分を 立てなおそう。室温20度設定にしている我が家は温かいエリアから外れると指先が しもやけになりそう。犬は暑さも苦手なのでうっかりすると玄関の石の上で寝ていて 抱っこして移動するが最近は犬知恵で誰かが移動してくれるのを待っているのが ミエミエだ。犬もワタシも弱者の知恵にますます磨きがかかる。

 大雪の朝・老犬と (2014年2月9日)

記録的な大雪なのに老犬は雪を恐れない 見渡す限りの白の世界なので人々は外に出たがらない朝 ふたりして慎重に初めの足跡を刻む ひっそりと セーターの上にキルティング服 その上に10年着古した レインコートを重ねているがナイロン製のフードを 又しっかりと押さえながら話す 励ましの言葉をかける 年を重ねるほどに会話力が増してきている犬だ それでも犬は外で暑さより寒さの方が凌げるらしい ユニクのダークグリーンの肩掛け鞄の上でお決まりのポーズ 足裏の肉球が固く荒れていて前足だけで歩いているようなものだ ガラスの骨と言われる後ろ足はやせ細り頼りない悲しさだ 肉球を揉んだり足の指をマッサージしたり脛も撫でてみる 昔のように唸り声をあげて嫌だとはもう言わなくなった 一番乗りかも知れないね ほらそんなに寒く感じないね 風が強いね ビル風も吹くんだよ 引き返そうか いつもの場所で犬をカバンから降ろして歩かせる 何故か必ず行こうとリードを引っ張る小さな脇道 今朝もダメだよと諭す 朝はゆっくり歩いていられないから お気に入りの藪の後ろの芝生にも真新しい雪が積もり テラコッタ敷きの公園で二人の足跡を標していく いつもは後ろ向き対面歩きでヨロヨロ歩くのに 今日はしっかりと踏みしめ足を休めない 勇敢だね 中学生の女子が二人 あらーっと声を上げて笑い  後を振り向きながら真っ赤なほっぺで私たちを見ていた 散歩コース半分だけでおしまい 又肩掛け鞄の上に乗せた 小さな手足が冷たそうに心細く震えている 風がぴゅーっと真正面から吹き付けて目を閉じそうになる フードを引き下げてぎゅっと腕で抱き寄せる 手が凍えてしまい犬のお腹の下に入れて温めた 雪柳の小枝の茂みの辺りで真新しい雪の上に降ろす 犬は小さな足跡をつけて細い枝の下を器用にくぐり抜けた 人差し指で枝の雪をすくいあげてなめさせてみる 雪の味はどうですか 覚えているかな 東風北風南降り横降りと荒れ狂う窓の外景色 西の方の様子まで見に行く元気も出ない 小さいころは屋根まで届く雪にも怯えなかったのに 吹き寄せなだれ込み舞い上がりガラス窓に閉じ込め 人々や乗り物や空と地面の間をスモーク色に 塗りつぶしていく雪のチカラ ゆるゆると休むことなく

 夏みかん・ゆず・梅の実 (2014年2月7日)

横浜のアトリエで先生を囲んで3時の休憩タイム。メンバーがそれぞれ 駄菓子やチョコや和菓子などありあわせのものを持ち寄る。室内の暖房や 制作の集中でお茶をがぶ飲みするワタシだ。手の空いた人や気が付いた人 が自然にお茶を用意するのでルールなど何もない。それぞれが全く違う絵 を描くのと同様に多分個性も際立って違うはずだがうまく収まっていてとても 居心地が良い。よもやま話や絵の話などしているうちに少し時間が流れて また絵に向かう時には違った局面が見えるのが不思議だ。 横浜や千葉の辺りでは道や庭先に夏みかんのオレンジ色が輝いている。 そのお日様色が見えるとなんとなくココロが豊かになる。リンゴばかりの里で 育ったせいかみかんの景色はいまだに眩しい。今ベランダで収穫できるのは ブルーベリーとイチジク(昨年初めて1個)オリーブのみだ。今年はスダチに 期待している。近所の花屋で蜜柑の鉢植えを見ると衝動に駆られるがぐっと 我慢している。晩秋には道端の花梨並木の実が沢山生っていたのがすべて 収穫されている景色を見て家人につい尋ねてしまった。誰が収穫したのかね〜。 花梨はそのままでは食せない。花梨酒とか砂糖漬けにしないと渋いばかりだ。 絵友達の一人が夏みかんを3月頃まで枝に生らしておくと言う話をした。 甘さが増すが隔年でないと木が痩せるらしい。お正月に娘が柚子ジャムを 作った。N協で小さなのをたくさん購入してグラニュー糖を少なめにしていた。 絵の先生は時々絵筆を休めて庭先の梅の木の剪定をしたり実を収穫して 奥さんに梅ジャムを作ってもらう話をしてくださった。自分の家の庭の夏みかん でママレードを作ってみたいが以前横浜の知り合いの家で庭先からもいだ ばかりの夏みかんを勧められてその酸っぱさに辟易したこともついでに想い 出していた。膝の前から段々横に寄せてカバンに入れてお土産にしたものだ。 実の生る木にはとても救われる。理屈抜きに好きか嫌いか美味しいか不味いか という分かり易さだ。植物は自分が天然オバサンだいう事を思い出させてくれる。 先日生姜をたくさん買い込んですりおろして(レモン汁も足した)黒糖粉タイプ と言うのを混ぜ込みビンにストックした。自然食品の店で売っているものと同じ に仕上がり満悦。熱湯で飲むと冷え性対策にぴったりだ。最近珍しいヒットだ。 せめて国産生姜という点にこだわりたい。サッ次は大きく育っているアロエの 出番かも知れない。

 遠回りしてたどり着いた所 (2014年2月1日)

11月末に胃カメラをしていましたので結果を聞きがてらいつもの通院でした。 胃は胃の保護薬を毎日のように飲んでいるせいか画像もきれいで問題なし だそうです。荒れているのかと思いましたので一安心。この前の検査時には 鎮静剤が効きすぎて終了時に名前を呼ばれてハッとして起き上がったのを 覚えているのみで後は別室で帰宅前まで爆睡していました。血液検査の 血小板数値がまた少し落ちていてクレアチニンが少し上がっていたのが気に なりますが何も指摘されません。このパターンは良くないように思うのですが。 1年ぶりに2月末にエコーをするそうです。病院では先生により自分でエコーを したり技術者や有資格者に任せるという違いがある様子です。先生はスケジュール がいっぱい詰まっているらしいのですが自分も患者である以上権利はあるはずです。 勇気を出して一歩踏み込んで治療の事について聞いてみました。積極的に治療 するにはリスクがあり慎重に考えている様子でした。治療は先生の方から言われる そうです。自分にとっては未知の病ですのでもう少し理解していただけないものかと もどかしさは感じました。海外時代6年もヨガを続けてしまい2008年には嚢胞の 一つがグレーに撮影されて注意喚起され一時帰国してT病院でペットをしたところ 中身は血液だという事を教えて頂きましたがその後も転倒破裂内出血などが 在ったことを考えると最近の胃との入れ子問題が心配になるのです。イタイため 同じような姿勢は極力避けるのでそう度々おこることではありません。この問題は お話しできませんでした。またカロナールと胃薬で様子見です。 電車やバスなどの公共乗り物に全く頼れなかったジャカルタ生活の後遺症で いまだにJRや地下鉄の効率的な使用方法が会得できていなくて病院まで大目に 時間を見て出発したのに2・5時間もかかってしまいました。各駅から快速に乗り換え 無いといけないのに考え事をしていて大回り方面に向かっているではありませんか。 接続と時間を懸命に考えながら地下鉄に乗り換えバス停に走りバス停から受付 まで走り何とかセーフでしたが面目ないことでした。最短では1・5時間強でたどり 付く場所です。帰国3年目となると言い訳はできませんのでしっかりしたいです。 携帯やPCを最大限に駆使する若者たちにとっては容易い都市生活なのでしょう。 採血室には研修医の方がずらーっと並んでいてギョッとしました。ようやく採血 なんか平気という境地になったので前の男性がベテランの方をお願いしているのを 真似てモチロンお願いしました。もう3年近くになるので覚えて頂いていてラッキー。 そのベテランの男性と走りに走った後で血の出が良いですなどと笑いながら話しを したのでストレスがなくて感謝。順番待ちの部屋では美人ドクターが検査の説明書 の確認をとても丁寧にしているのを見て感動しました。患者の横にしゃがみこんで 話し立ち上がりしなにヨロッとされているのを見てドクターも大変な仕事だなと 眺めていました。海外の病院にはコーディネーターが居て外国人に付き添い 説明しているのを見ました。ボランティアかパートタイマーかわかりませんが日本の 病院でも様々な柔軟性をプラスして助けるヒトと助けられるヒトがより良い環境に 居る日が来るのを期待します。自分の今後は春に向けて新しく展開していくでしょう。 ちょっと体調を悪くしていた老犬と早朝散歩している時彼女がいつもの癖で雪柳の 細い枝が茂っている下をわざと潜り抜けるのをみて微笑ましく思い安堵しました。 家の中でも糸付きののれんの下から伺い見るのが好きなのです。新宿の路上には セラピー犬が訓練士と募金活動をしていました。改良前の大型プードルの頭を 撫でると伏せの姿勢をしてくれました。大きくて賢いまなざしは澄んでいました。

 見応えのある夢 (2014年1月27日)

このところ数年間は特に1,2月に不思議な夢を見るような気がします。 友人の老犬の具合が悪いことやインコなどを題材に絵を描く友人の事や 自分の体調不良があることを差っ引いてみても十分に印象的な夢でした ので書いてみることにしました。 深山の中にある湖のほとりを小型の鳥が飛び交っていました。尾が長い鳥 も見えます。緑濃い葉の茂みが覆いかぶさり暗い色をした湖の水を覆い隠して いました。行く手もふさがれるほどの枝の張り様で空や陽射しは無いのです。 そういえば色彩的にはモノクロなので安心と言えるかもしれません。 ワタシは犬と歩いています。犬はすごく若返りだーっと柴犬のように駆け出し 姿が見えなくなることもあります。高齢犬になる前もこれほど我がポメが走る 事はありませんでした。どうも違う犬種のような気がしますが犬と二人で楽しく 歩いているのです。久し振りにスキップでも出そうなくらいです。 犬は一段と勇躍して藪の中に突っ込んでいきました。獲物を狙う姿です。 枝が密集していて葉もぎっしり詰まっている場所です。少しの間姿が消えた ままでした。何をしていたのか息を切らして飛び出してきた犬の両脛には 花粉が固まってぶら下がっていて丁度ハチの足に花粉玉がぶら下がった時 のような感じなのですがその場所には花の姿はありません。この様子は とても不思議の中でも最大の不思議です。花粉と思ったのは泥汚れとか何か なのかもしれません。 犬はどこか別の世界か場所にワープして駆け戻ってきたように思いました。 花粉が毛にこびりついて取り除くのに一苦労しました。犬は野性的で人に 従うようには見えませんでしたが不思議と従順なのです。そして湖の細い道が 途切れるかに見える場所には石作りの門みたいなものだけがありました。 しかし隙間を見つけて足をかけてよじ登り向こう側に行かないといけないのです。 片手に犬をしっかり抱き湖に張り出した石の門の土台を何とか超えるのは難儀 でした。手が滑り犬の重みもあり向こうの景色が全く見えないのも不安でした。 楽しい夢なのか苦しいのか良くわからないのですがやっと潜り抜けて外の様な 場所に出れたのです。なんとも理解に苦しみますが今年は夢辞典に頼るのは 止めようと思います。夢に見たことが1年後くらいに正夢になる事は在ります。 クワバラクワバラ、鶴亀鶴亀。

 喫茶店のカメ (2014年1月24日)

路地の奥の小さな喫茶店の隅でカメを見た ケースの中の底に少し水があり大きいカメが居た 手足を底に浸けて首を伸ばし上の方をシカと見つめている キレイに掃除されていて甲羅まで磨かれているのがわかる 直ぐ近くの小さなケースの中のカメもカメ用の巣の中から 首だけ出し口を開けてなじみ客の手の動きを追いかけている 大きいカメは後ろ脚を片方だけすいーっと伸ばしているのだ その形はいかにも伸びのびとしていてまるで海の中を泳ぐ気分にみえる 水かきまで広げてすいーっの様子をしみじみ眺めていた 気持ちよさそうだ 狭くて不自由だろうに でも可愛がられているんだな ここで平和な暮らしを楽しんでいるのかな うどんを食べすぎた金魚 よりはましかもしれない ちゃんと健康管理されている感じ それでも両足を思い切り伸ばして泳ぎたいものだろうに カメは首を上げたままもう小一時間も微動だにしない 目線が合うこともないが妙にほどけたリラックス感が漂ってくる 路地の奥の地味な喫茶店なのに又熟年グループが一塊入ってきた 寒いわねと言いながら全員冷たくて甘いお菓子をオーダーする 主は一通り注文品が出そろうと一人のなじみ客のテーブルに やってきて何か込み入った話に夢中の様子だ  カメの足のすいーっと伸びた姿と狭いケースと暖かい店内の記憶が 非日常的な絵として時々現れてワタシと不思議な会話を楽しむ 電車の中でも温かいリビングの陽ざしの中でも寒いアトリエの中でも 横向きのカメと 動いて海に帰れないカメと 幸せそうなカメと 言葉のない永遠の会話が続く カメに出会った日から 

 煙突風景や画廊廻りなど (2014年1月19日)

総武線快速に乗り込んだ。混雑の土曜日なので久し振りに吊革につかまり 立ち尽くす。窓外の景色は冬色一色で雪予報もある。色彩はグレーとセピア のバリエーションが多いこの頃だ。空の端下がきっぱりとメスで切り分けられた 様に横縞模様だ。上の方は濃いグレー。下の方は少し明るいセピア。そして その手前には明るいグレーとモノクロのビル群が広がる。いつもは席に座り 背中で見過ごし観察することもない普通の街景色だ。 空の端の工場や施設の煙たちが様々な形を描き冷たく圧縮されたまま広がら ずに外に吐き出された形のまま固まっている。通常はすぐに空に溶けて消えて しまう運命なのだろうが今日は気温が特に低いのかいつまで見ていても形が 鮮明でまるでシュールな絵の様だ。 縦長の煙突の上にモクモクと黒く横広の上にはポッカリとまあるく白くある。 少したなびいたりおしゃれにワイングラス型をしていたりジョウゴのように上に のびたりしている。水蒸気か化学処理された結果の煙なのだろう。炎を揚げる ベイエリアのそれらと違い街の端の海沿いの煙突群は雲の形だけが目立つ。 炎を吐出す工場群とカラフルなオレンジや黄色や白黒との縞模様の太い煙突 なども驚くほど絵画的で強烈な記憶になっている。ベイブリッジ周辺で車窓から 見下ろしたり横を走った時の事だ。最近こういう絵は割合とよく見かける。 欲に負けて廻り迷い走り巡った画廊はB1や2F3Fが多く膝泣かせなのだ。 友人たちと工事現場の人や宅配の男性などに尋ねたりしたが仕事中なのに 実に親切に教えてくださるので恐縮。ランチも楽しみなので探し回りようやく B1のイタリアンにたどり着いた。ポネンティーノは夏のローマの夕暮れ時に 吹く西風の事らしい。銀座は平日と土曜も少し空いている位の店が多く他は 割高目になるので真剣に探すのだ。膝が笑い頭もボーっとするほど疲れたが 自分より年輩の友人達に愚痴は言えない。沢山見た絵の中に特に記憶に残る のが無いのがいまいち残念だが勉強したり論議したりの楽しい半日に感謝。

 老犬は重ね着で主はミノ虫 (2014年1月13日)

予防的にカロナール+胃薬のパターンが多い年明けですが外出時にはマスク 着用で風邪も引かずに暮らしています。予防的に飲むのは止めようと思い ながらも実際には難しいのです。発熱して戦える体というのはごく普通の事ですが 有難いものなのだと実感。今はそういうことが不可能なのです。お腹が張ったり するのは何故かと検索したりしているうちに胃や腸や胆嚢等様々な消化臓器 が関連しての結果なのだと解りました。随分理解が遅いことでした。最近特に 張りが少なくなってきているのは胃や腸の働きが向上しているからだと思います がもちろん自分流解釈なので間違っているかもしれません。この頃体重や体温を 測る事は少ないです。睡眠も連日家人が恐れるほど眠れるのはハテナマーク。 多発性巨大肝嚢胞の治療を申し出る勇気が必要なのですがいつにしたら良い のか思案中です。主治医から言われるのかもしれません。何も知らない時は 勇気が在ったなと感慨深いです。とにかく自分の事は自分にしか解りません。 先日老犬が低体温によるこん睡状態に突入しかけると言う事態がありました。 暖房器具の温度が低すぎたのか帰宅して呼びかけても反応がなく駆け寄って 呼んでも反応がなくて瞼を持ち上げたところ張り付いている状態。名前を呼び 体をさすると片方の目がゆるゆると開き一安心したのです。又予行演習でした。 犬は危機を脱すると非常時用不味い味クッキー2枚や餌をぺろりと平らげました。 老犬用の餌に朝お湯をかけておくと夜中辺りまでに完食している日常です。 お日様が陰り室内が急に寒くなることを予測してエアコンも20度位には調整して 外出しないといけないと反省しました。夏物の上にセーター重ね着の老犬です。 持病のハクハン症の方はこのところ薬の塗布をサボっていますがハクハンのある 向う脛の中ほどに毛根が見えてきているし広がり止まっている様子なので安堵して 居る所です。白すぎる頭皮や首の後ろ部分は進行がありますが無視しています。 人によりさまざまな症状でしょうが自分の場合は余り深刻に考えないように暮して 居る所です。あれこれ病院通いを増やすとそれだけで毎日が終わってしまいます。 初夢というわけではありませんが面白い夢を見ました。ベッドの横で若い人数人が お笑い話みたいなのをしてくれてあまりにおかしいので自分の笑い声で目が覚め ました。お笑いのTVはあまり見ませんし夢の前に誘引になることもありません。 余りに唐突な事なので脳みそがどうかしているのかと心配です。お助け部隊の 仕業なのでしょうか。それとも肝臓から来るのでしょうか。ご先祖様が色々な形で 助けてくれているのだと信じたいです。 ショッピングセンターの鏡に映った自分の姿がミノ虫状態でありアジアのおばさん よろしくいろんなものや色を重ね着する人になっているのに驚きました。おまけに 肩こり対策に張るタイプホカホカを着用していますので横向きに鏡に映った姿は ドッキリものです。家人は何故に注意してくれないのだろうかと悲しくなりました。 確かに使い出のあったルピアの国と比較するとすべてが高すぎて購買意欲が無く なるので友人たちと比べても見劣りがひどい現実です。一点豪華主義にしましょうか。 モノトーンですっきりとまとめる日本人の中ではどうも歩が悪いので気をつけたいです。

 冬の夕暮れの窓景色 (2014年1月7日)

薄いグレーとセピア色の空間にたった一つの 落下傘が吸い込まれていくのが見えた 小さなヘリコプターの音がパタパタと響いて来て 空の端から姿を見せたと思うとポイッと投げた 白みを帯びた松枯れ色と常緑の深い色合いのコントラスト 葉を落としたメタセコイアの幹はまっすぐに黒く力強く立つ 遠くも近くもますます灰色が足されて日没の絵に 仕上げられていく景色だ 松の根元で黒く縁どられた芝生の一角はまだ光が 溜まりまるで池のように明るいお日様の彩を放つ 赤みを帯びた薄茶の桜並木の下を大きいのや 小さいのやら元気にリードを引っ張った犬たちが闊歩する 切り取られた青い長四角の建物の屋根が斜めに 走りアクセントをつける午後の窓景色 今日のヘリコプターは遠くから近くに楕円を描いてやって来る またたった一人だと思い立ち上がって眺めるとあと四人いた いつもの運搬機もやってきて1.2.3.4.5ときちんと 正しい間隔で投げ出し落下傘はゆるゆると地上に吸い込まれた 冬日の訓練は辺り一面に氷の空気が張り詰めていて 落日の明るい茜雲は非情に輝くばかりだ

 タコ焼きと草団子と寅さんの正月 (2014年1月3日)

新年おめでとうございます。2年間程は伝えたい事や書きたい事が沢山あり 早朝から全力投球で文章推敲して来ましたがその思いは伝わり書きたい事も 書かせて頂いたと納得しています。今年は自分の仕事(絵を描くこと)に集中 しないといけない年だと考えています。年末年始もアトリエに入りたらこ指が 痛くなり腰も痛くなりましたがココロは晴れやかです。希望することに熱中 出来る生活が訪れていることに感謝するのみです。 自分を愛するように絵画を愛して表現すると言う当たり前で難しい問題に 挑戦していく終わりのない世界です。自分に対しての批判ばかりでは絵画の 内容も厳しくなるばかりです。何とか自分らしい表現にたどり着きたい思いで いっぱいです。自分を好きになるのってなかなか大変です。14歳の老犬嬢は こんなワタシをくすくす笑いながら眺めているのに違いありません。もうすぐ 14歳と思っていたら先日間違えて誕生日に15歳なんて書いてしまいました。 持病の巨大肝嚢胞や白斑症の推移はレポートさせて頂きます。何しろ情報が ごく少なくてびっくりの状況ですので。現在は左の大きな肝嚢胞が時々胃(多分)と 入れ子になり(屈むとか身をよじる時)イタイと声が出てしまいます。治療しないと ダメなのかなと考えております。オーバーでもなんでもなく在りのままなのです から仕方がありません。自分の様な状態のヒトはごく少ないのでしょうか。 この問題はさらに書かないと誰にも届かず光も射して来ないので人生の宿題なの だと考えている所ですが投稿させていただける場所があり本当にラッキーです。 今年もくろまめさん御一家にいつも自然の恵みが満ちて笑顔や食欲にあふれた 毎日が訪れますようにお祈りしています。我が家族は昨日柴又の土手に登り 高く揚がった凧と渡し船と土手を転がり下りて遊ぶ子供たちを眺めてまいりました。 タコ焼きと寅さんの草餅やみたらし団子を楽しむ庶民の笑顔笑顔のスケッチを 思い描いてください。景色と団子はどうしても切り離せないのです。