里津子の窓7

人生で大切なものは”孤独の引き出し”です。家族や友人も知らない一生自分しか開けない
引き出し。それぞれが、整理したり何か彩を加えたり要らないものを捨てたりする。ある人
はその中に絵や歌や詩やゲームやメールや様々なものをしまっておくのは言うまでもありま
せん。何も置かないすっきりした空間で安らぐ人もいるでしょう。そこはとても大きなパワ
ースポット。自分の心の中の引き出しです。

******** 「里津子の窓1」の下段に「写真ギャラリー」を移設しました。********





 フローレス島の薔薇の花 (2013年12月28日)

フローレスとはボルトガル語で花の意味だそうです。コモドオオトカゲや フローレス大ネズミなども居て2003年にはヒトの新種ではないかと言われる 体調1mほどのホモ・フローレシエンスの骨が発見されたと検索されます。 国の中でも火山が多い島だと思います。8つの民族が住み東部の住民は パプアだそうです。パプアニューギニアは謎に満ちていて灌漑深い場所です。 ンガタ、ナゲ、ケオ、エンデ、リオ、バルエと6つの言語があるそうです。 共通語を話す人は必要でしょう。蘭領時代の影響も強そうです。 何故フローレス島かというと残り少なくなってきたインドネシア滞在時の想い出 の中にフローレス島のバティックやイカット(織物)の薔薇の花模様の存在が あるからです。布や織物は都心で時々開かれる見本市で見かけましたが古い 時代の本物(今ではお手軽機械織りや人工染が多い)程値段が張りテーブル センター位の小さなものでも最低1万円はしましたので財布の紐は緩みません。 あちらに住んでいた友人がフローレスは薔薇の花の柄が多いのよと教えて くれたのが強い印象で後々想い出されるのです。今手元にあるのはお店の 人がおまけにくれた細長い(現地の人は何に使うのだろうか)布で明らかに 薔薇の花らしいものが在ります。暑い国でもバラの花にはあまり適していない のか街中などでもほとんど気が付かず花屋のガラス戸の内側に住んでいる 高級蘭や菊の花などの輸入物という印象が強いのですが本当の所は不明です。 もちろん投資目的で収集する現地人や海外の人も多いのです。見本市には日本 から買い付けに行く人も居ると感じました。収集したものは古物商が高く買って くれると言い友人はカギ付きの箪笥に丁寧に仕舞い込んでいました。一度虫干し 状態に部屋中広げたそれらを見せてもらいましたが見事な柄の乱舞でした。 昔日本が係わった時代には西陣織の影響も在ったり海外の絵本や物語や 色んなものが入り込んでいる柄もありました。赤ずきんちゃんや籠に入ったオウム やアルファベットなどが記憶にあります。深く勉強はしませんでしたがいろんな 島の色んな特徴に満ちた布や織物は飽きることが無く織物の事など研究して いる日本の教授や収集者の展示会などを見る機会もありました。 全体的に花や蝶の模様は多いのですがフローレス島は特に多いのではないか と思えるほどですがこれは情報量の少ない自分の感想なのです。パプアニューギニア 辺りは上級者コースだと思いますがマンタや不思議な自然に出会ってみたい人には 宝箱なのでしょう。布や織物の宝箱を少しだけでも覗けたワタシはとても幸せです。 窓辺の陽だまりの中でくろまめさん、そらまめさん、とらまめさんが仲良く笑う姿は 周りの人も幸せにしてくれます。ありがとう。来年もよろしくね。

 バンドンのアウトレット (2013年12月27日)

ジャカルタ市内から高速道路に乗り1時間半くらい山を目指して走ると高原の 避暑地バンドンにたどり着く。滞在中に1度は訪れるアウトレットで有名な場所だ。 最近特に立派になった日本のアウトレットとは大違いでルコと言い家屋敷の1階や 2階などに店があるという作りだ。昼間見ると普通の大型の家が沢山並んでいる 感じだ。多分色んな税金対策などのある国なのだろう。夜になるとクリスマスの 飾り付けの様な電飾がにぎやかで店の特徴も良くわかる。地元の人もバイクや車 がないとたどり着けない場所なのであるがお手伝いなども良く知ってる様子だった。 もう10年近く前になる記憶なので正確性には欠けるはずだが今でも余り 変わらないような気がする。 ひたすらどんどん山の方を目指す道なのでお目当てのルコを見逃してしまうと Uターンが出来なくてさらに遠回りしないといけないので焦った。あらかじめ手に 入れた地図がおおざっぱすぎて泣いたりした。地図を読めるドライバー自体少ない。 道を尋ねると実におおざっぱに自信に満ちて違う場所を教える人も多かった。 目的地や美味しいと評判のレストランにたどり着けずにグルグル迷子になった。 それで人だかりがする店に適当に入ったりすることになる。家人のお目当ては ゴルフウエアやジーンズやチノパンだ。サイズ直しはふもとの方のミシン一台一人 の店で当時200円、ルピアで2万くらいで簡単に直せた。出来上がりの不出来は もちろん在るが。ワタシたちも普段着などメーカー品崩れと言った物を探した。 日本のアウトレットではウチはB級品はおいていませんと睨まれたがあちらでは チェックが必要だったので帰国しても急に信頼を置くわけにはいかなかった。 山の方は里と違い雷雨も半端でない激しさだ。何故にこういう場所も観光の対象 になるかというとジャカルタ市内には意外と観光地が少なく海辺や茶畑や都心の デパートと並んで目玉の一つだからだ。もちろん計画して島やその他の場所にも 行けるが初心者向けとは言えない。日本のスーパーには日本人もいる観光会社 が有り選択肢は確かに色々ある。温泉やらコーヒー農園やら活火山や岬のホテル やコモドトカゲが居る島や有名なバリ島など数えきれない。 アウトレットよりさらに山の上の方を車で登っていくと山の上レストランに到着する。 市街が眼下に見渡せたと記憶している。食べ物の選択に気をつけてばかりいられ ないのでステーキとか野菜を注文した。高原はサラダ野菜の栽培に適しているので おすすめらしい。夜空の磨き上げた黒い鏡の上にはダイヤの粒が散乱していて 空気も理想的に澄んでいた。 一度帰路を間違えてしまい経験のないドライバーが見知らぬ道をグルグル回った。 彼は目が悪い年齢なのにメガネをかけていなかったので高速道路ではセンターライン の白い点々を追いかけた。後の車のパッシングやクラクションが激しくて家人は 軽く肩をたたきながら大丈夫かいと最大限の忠告。家人は海外の車の中ではめったに 居眠りせずひたすらドライバーのチェックをしたのは偉いと思う。ドライバーは食事代 やチップや遠距離手当など様々な稼ぎで懐が潤うので比較的うれしそうだった。 バンドンは涼しいのでイチゴ栽培もされていてイチゴのジャムなどがお土産に売られて いた。街中では輸入品のイチゴジャムは溢れていたが地元産は少なく酸味も強いが 他にあまりお土産品が見当たらず目を輝かせたものだ。あのイチゴジャムは確かに 酸っぱかった。地元産ヨーグルトに負けない位ごく自然な改良されていない味だった。

 落下傘とメタセコイアの樹 (2013年12月23日)

セピア色のメタセコイアが景色の真ん中に並び そのほんの少し上の空の辺り そろそろだ 午後のぴんと張った空気の戸外は少し黄昏れ始めるが 陽射しが透明になりしんと静まり返った日で風もない 小型の運搬機がいつもの方角から正確な速度で現れる 目線からは横長の楕円を描いてぐるっと回って元の方角に戻る 1,2,3,4、・・・5,6 リズムよく並び降りるときと 少しずれたりアレッと一呼吸遅れたりする ヒトの訓練の行動なので機械的ではなく少しハラハラする 何故か毎回落下傘ほら頑張れと応援してしまう 透き通った水色の空気の中にポンポンポンと開く小さな傘のカタチ かろうじてヒトの姿が見えるが木々の間にあっという間に消える 高所恐怖症の目線からは程よい高さの窓外の景色だ 職業としての訓練をたまたま目撃してからというものは 今日も来るかなと期待してみるがなかなかタイミングは合わない スケッチブックの上に投影すると鉛筆書きのメタセコイアの樹と点描に近い 枝葉やクッキリハッキリしたこげ茶色の落下傘やヒトのカタチになる それはただの美しい風景の中のある日のドラマだ わずかに葉を残しぼんやりしたうす黄色や茶色の樹影の上空から 濃い色彩の地上の隙間に鮮やかな記憶のシルエットを残す 水道塔のほんの少し手前でぱっと飛び降りる息をのむ決意の瞬間を見る

 比較できるシアワセ (2013年12月16日)

3年前の2月に滞在先のインドネシアから一時帰国して特大大腸ポリープ を治療した時の3週間くらい前からお腹や手足にひどい蕁麻疹が出た。 一番最後には足の裏だけに蕁麻疹が出た。過去に経験のない足裏の 蕁麻疹は記憶に残る。確かジャカルタのショッピングモールに在ったイタ飯 レストランでボンゴレスパゲッティーを食べた後からの事だと想う。魚介類を ホルマリンで洗うなどの噂を聞いていたのでそれ以前にも日本食レストランで ハマグリの汁物のハマグリに漂白剤めいた味を感じたこともあり一応注意 すべき対象にはしていたのだが美味しいと言う評判に負けて訪れてしまった。 常夏の国の海産物処理は難儀だと思う。肝臓系が弱い人はくれぐれも注意が 必要だ。現在は苦手なものは避けているのであまり問題は出ていない。 しかし滞在中にハクハン症も出たことを考え合わせると胃腸肝臓と3つ揃って 調子が悪かったことはとても重要な気がする。プラス環境ストレスなどがあり 当時は客観視できなかった自分の姿が今ではとても良く見えてしまう。 今ハクハン症の状態は頭皮や首の後ろなどの真っ白は放置しているが足の脛 辺りの広がりは少しずつ増える感じで以前の場所の中ほどに赤い毛根が見える のは改善の兆しなのかもしれないと思う。シウンコウを塗るのをサボり気味だが 内臓の調子が落ち着いているのが幸いしているような気がする。肝嚢胞による のか解らないが以前は脹れ気味だったお腹周辺も従来の脂肪付き状態が多い。 昨年の今頃は発熱やら体調不全でアタフタしていたことを思い返すと今年の 方が断然シアワセだ。カロナール+胃薬を操るのが上手になった。 昨日近所のバラ園で陶器市があり好きな器に出会えるかもしれないと思い勇んで 出掛けた。デジカメも携えて前回撮り損ねた巨大オリーブの老木も写そうとしたが 又電池切れ。どうもオリーブの木に撮影を拒否されているような気分だった。 美濃焼のにぎやかな色彩の手書きに魅かれて数枚購入した。さらに何かと目を 輝かせるワタシの横で袖を引っ張る家人が居たので我慢。公園の入り口周辺で グゥアバの親類の大木に出会った。実はパイナップルの味がすると説明書きが してあったので来年に花や実を見るのがとても楽しみだ。冬の薔薇はすでに霜 で変色したのや寒さに負けないで花弁を広げるのやら様々で面白い。

 冬の強風に負けない (2013年12月14日)

巨大な低気圧が押し寄せてきて強い海風が止まない。ベランダのゼラニウム やローズマリーやヒイラギなど背の低い鉢類をコロニー状態に集めた。 まとめると割合と風で倒れることもない。海のイワシも固まって泳ぐと大きな サカナを避けられる。それでも家人が留守なのでいつもはお任せの心配で一日が いそがしい。高層階の子供がベランダから補虫網を覗かせて舞い上がる欅の葉 をとらえようとしているのが見えた。エアコンの室外機の羽根が空回りして風の 強さがさらに続いていることを伝える。動物型の椅子を横倒しにして大きな鉢類 を守り鋳物の丸テーブルや木のテーブルもひっくり返すのはこの頃の習慣だ。 日よけパラソルの出番は全くなくなったが多摩で悩んだ鉢のカビ問題はゼロだ。 氷河期の名残と言われるアルプス山脈のふもとで育った割には寒さが苦手だ。 アリスの本を読んでいたらカナダの氷河浸食の地に入植したスコットランドや イギリスやドイツの移民の苦労が良くわかり検索してみて地層の褶曲や興味 深い大地の色彩もココロに刻まれた。土地の河砂を売却して生活費の足しに する件は深く納得するものが在った。林檎の樹の事が出てきて懐かしい。 いつものパターンで疲労を凌いでいると老犬は同じように元気がなくなるのが 困る。途端に消化不良になる。目の不自由な柴犬を連れた80代の先輩に 出会い気合を入れられた。人でも犬でも温かいお布団で大事にされてばかり 居ると弱るのよ。ムラサキイロの手編み帽子をかぶりスリムな彼女とイヌは 颯爽と歩き去った。私たちは防寒対策万全のヨロヨロ歩きで目立っている。 先日もユニクのダウンやヒートテックで着ぶくれしてさらに帽子やマスクとスニーカー 姿のワタシを観て待ち合わせの友人が別人かと思いなかなか声をかけられ なかったと笑っていた。彼女もおしゃれでスリムな活動人先輩なのだ。 先住の実付を良くするために植えた細枝状のオリーブにいつの間にか実が なっていて驚いた。まさかこんな木に実が生るとは。すでに黒蜜漬けのビンの 中は収穫した黒オリーブで隙間がない。寒風の中で並んだ実が揺れている。 オリーブの実を食するのに半年も待つのは溜め息だがなんと言っても自家製だ。

 横浜散歩&発熱 (2013年12月10日)

若葉マークを脱却した家人の車で横浜方面まで行き中華街や元町を4,5キロ も歩いただろうか。駐車場料金がとても高いのでびっくりしてしまった。 何事も勉強なので次回は研究して駅から遠い安い所も探せるはずだ。 長時間歩き回ったので嫌な予感がしたがやはり月曜辺りから熱が出始めた。 昨日はカロナールを飲んだ後も上がり37.5度以上になったが昨年と違い 肝嚢胞周辺の痛みはない。カロナールを日に2回飲むと胸の始まりの辺りが どくどくして蕁麻疹も出るのが困る。38.5度に上がったらクラビットを飲んで 病院の救急外来に行かないといけないので片道2時間に気持ちが焦った。 喉の痛みや節々の痛みはごくわずかだが風邪を引いたのかどうか不明だ。 食欲は落ちないので有難い。肝嚢胞の問題がなければ気に留めるほどの 事ではないはずだが自分にとってはハテナマークなので気に留めるのだ。 横浜のアトリエで大きなキャンバス地を家人に外してもらった。50本くらいは 在る釘をアイスピックで1本ずつ外すのはとても難儀であった。友人がアイスピック を使うと効果的だよと教えてくれたが正解だった。いつも業者任せの仕事なのだが こういうことを自分でやるプロの人の世界が忍ばれた。先日F130の2枚のうち 1枚が完成してやったーと思った。完成時は無我夢中で心臓が躍ったものだ。 年齢に関係なくこういう達成感や興奮は良いものだと思う。出来不出来は二の次だ。 最近介護の勉強を始めた家人は段々普通の世界の事が良く理解できるように なり介護エプロンを身に着けると不思議なほどチャーミングで驚いた。 丸メガネをかけて白い割烹着をいつも付けていた生前の義母にそっくりで 思わずキミちゃんと呼びたくなってしまった。時々は呼んでみようと思う。

 夢の成長と冬の薔薇 (2013年12月8日)

朝方に面白い夢を見ました。子馬だと思うのですが寒い季節なのに水を浴びた らしくブルブル震えながら近寄ってきました。野生の馬の感じでしたが恐い感じ はしなくてワタシは必至で馬の体を擦って温めてあげました。周りに暖を取れる 物が何もなくてそうやって温めるしか方法がないのです。子馬は大人しく一緒に 立ち止まっていましたがそのうちにいつの間にか居なくなってしまいました。 以前にも夢の中で丸太か石塔の様なものがドーンと寝ている真横に落ちてきた のですがその時は超びっくりして怒鳴っていた記憶もあります。 そういう時はワタシがココロの中でフレーフレーと応援しているブルードラゴンの 事を想い出します。何か困難なことに出会っているのかなとか悲しい思いを しているのかなとか想像してみます。良いドラゴンか悪いドラゴンかも解りません し勝手に夢想していることに解答は無いのです。自分で夢に材料を放り込んで 引き延ばしたりしている飴菓子細工のような事なのでしょうか。困ったことに生活 の中に難題が多くなると逆に明るい方向へエスケープしてしまう性格なのですが これも程度問題かなと反省もしている所です。結構楽しいのが困りものです。 幼少の頃作文が大好きでしたが母が近所のおばさんに話していることを耳にして とても傷ついたことが有ります。この子はウソなことを書く時があるという何気 無い大人の会話です。子供でも本音を書いて大人に伝えたいと言う気持ちは 確かにあるものです。そういうデリケートなココロは特別な宝物なのです。又 ヒトの内心というものが透けて見えてしまうのも結構良し悪しの人生です。これは ごく普通の人間の能力ですが偏った見方や考え方にならず良かったと思います。 お互いに無意識の中で発している本音というものは出来れば交差したい線です。 交差した線の中での優先順位と言うのは絵の制作でも考える事なのです。 室内で季節外れのミニ薔薇がどんどん新しい蕾を持ち成長しています。このまま 冬を越すと春には力尽きてしまうのかと心配になりますがすでに在る状況をカット することはできません。何事も様子を見てそれからゆっくり考えてみましょうか。 明日から15歳に突入する老犬嬢は陽だまりの窓辺で大いびきの爆睡中です。

 ヒぺリカムの花 (2013年12月3日)

公園の植栽の中にヒぺリカムがある。近寄らないとそのひと群れの藪が あの紅い大きなジュズ玉のような実をつけていたとは思えない位に地味に ひっそりとしている。一つの偶然がなければきっと春が来るまで思い出す 事もなかったに違いない。 水仙の花がちぎられて置かれていると思った。いたずらっ子達の仕業だと。 所が近寄って良く観察してみたらちゃんと枝から生えている花だ。 4,5個くらいの花が適当な間隔で散らばっていて本当に水仙の花みたいだ。 今頃に咲いてはいけない花なのだろう。花の季節には振り返らないはずだ。 ヒぺリカムの花も実もにぎやかすぎてほとんど特別には感じられないから。 今朝もぐっと近寄りさらに花に触り調べたりした。ごく普通のどこにでも在る 薄黄色のフリルとたまご色カップの水仙の花にそっくりだ。昨日いくつか在った 花が一つしかなくさらにミステリーじみて見える。これはいたずらっ子の仕業か。 こんな素敵な演出をする初冬の知恵にびっくりしてしまった。グレー一色の ブッシュがあっという間に素敵なオブジェに早変わりしていた。ヨロヨロ老犬 散歩の朝がこの発見で一気に新鮮な楽しい時間になった。 樫の木の仲間が白い小さな鞘に種を稲穂のように沢山蓄えていてまるで花が 咲いているように見える。葉は緑のまま冬を越して春に落葉するのだろうか。 もう輝きを失った銀杏の葉の黄色位しか目に映らないけれど空は遠く薄青い。

 乾季と雨季の国 (2013年12月2日)

今では日本でも道の洪水ニュースが聞かれるようになり熱帯地方とよく似た 光景をTVで見る。情報によるとジャカルタは今年5年に一度の洪水が起こる とされている。依然として進まない河川の工事なのだろうか。もともとは スコールが10分か20分降るのが特徴だったと思うが最近は様子が違う。 空がうす黄色で細々とした雨が1日か2日も続くと山の方から流れてくる川が あっという間に水量を増していつも決まったような場所が洪水になる。 ゴミが水門を邪魔してさらに難儀なことになるらしいが清掃活動にも余念がない。 近所の細い川が氾濫して道に30センチ以上溜まりだすと正門からの出入り が不自由になり裏門から出て違う道を走らないと買い出しにも行けないので 日頃から情報を集めておくのだ。住まいが道から下の方に広がる地形だと ボートまで出るような洪水もある。家人が一人で先に住んでいた住まいが丁度 そこで留守の間に1Fのその部屋は水浸しになったという事だ。事務所の 対応は割合良くてホテルに避難したり補償などの問題にも積極的に対処して いたはずだ。長期的に住む外国人は気に入った場所からあまり移動しない。 お手伝いや運転手の家も田舎から上京して住むだけの状態が多いらしく常に 浸水などの被害にさらされている様子だった。膝まで水が入ったよと笑いながら 話してくれたが近所の人や親類などと助け合い晴れたら全部持ち出して乾かす という生活は深くは聞く勇気がなかった。地元の人たちがチフスという病気を 普通の風邪と同等に話しているのも怖かった。着るものが濡れても乾かす事 が出来ないと汗臭く湿った衣類で過ごさないといけない。最初の頃この匂いが とても嫌だったが後に理解して済まなく思った。厚手の服の持ち合わせが少し しかなかったはずだ。もちろん安い衣類が山ほど道端で売られているがどんどん 購入すると言う風には見えなかった。アイロンがとても勤勉に人々の衣類を 乾かしていた。テカテカに光っているのも多かった。昔の日本の在る時代の ように貯蓄して電化製品やバイクなどを買う計画があると見た。中古車なども ターゲットに入っている。日本名が付いたままのバスや車両が働いていた。 外国人が使用する家庭車はバンが圧倒的で名前はキジャン(鹿)が多くて 何故かと考えたものだが色々考えてみると鹿辺りが妥当な国かなとも思った。 早くて強いと言えばスマトラトラとかニシキヘビとかゴリラやタイガーやドラゴンが 思い浮かぶけれど車の名前としてはハテナマーク。そういえばクダ(馬)も在った。 それに比べてバイクの名前は忘れたがユニークなのや恰好良いものが見られた。 雨季はユーウツで出歩く場所も少なくショッピングモールに朝一番に乗り付けて ガランとした店を覗いたりしたが面白いのは最初の頃だけだった。暇な塾年 おばさんだから出来たことだ。友人たちと代わりばんこに自宅に招待してお茶と ランチという贅沢さもあった。運転手も昼から夕方まで暇だと昼食付きでご機嫌に 運転手仲間と仲良く時間をつぶしている様子だった。友人達との話題はもっぱら 使用人の深刻な悩みであり話すことにより何とか生活が続けられた。異国での 乾季と雨季は行動と束縛の繰り返しでありオオゲサだが解放と忍耐とも言えた。 プルメリアの花房も少なくなりプールの水面を雨粒が叩く。濡れた緑の葉が艶々 と光り排気ガスで汚れた市街の空気は確かに洗浄されている雨季だった。 まだ滞在を続けている友人もこの景色を眺めジャワコーヒーの香りの中で想い を漂わせていることだろう。

 不思議な関係 (2013年12月1日)

もしも沼の中で生きる植物であったら 風が吹けば流れ寄る浮き草にもなれるし 深く根を張り同じ場所で決して動かず キチンと新芽を伸ばし花を付け種や子孫を増やし ドンドン陣地を広げるシッカリしたものにもなれる ホシ全体というほどの大きなキボでなくても 新しい水や汚れた空気や予想外の災難はある 他の生き物の存在はどうなのだろうか 水面に映る鳥の影やそれ以外のものの姿は それは想像できないいほどタクサンあるはずだ 泥の中に安住したまま動けない植物だとしたら 出来る限り再生を繰り返し又土に戻るしかない そこにあるのは諦めだろうか満足だろうか 泥水を湧き立たせて俊敏に泳ぎ回るカモノハシ くらいにはなりたいと植物は考えるかもしれない トゲのある毛や攻撃力や様々な進化したチカラを 手に入れていて泥の中の豊富な食料も彼らのものだから でも努力しても植物から動物にはなれない 相手を想像してみるだけで無い物ねだりの夢だ それでももしもお互いに通じるものが在るとしたら それは相手が必要だということなのだろう ホシ全体というほどのキボで考えたら 偶然という出会いはないのだから 植物があり動物が居るあなたが存在して私が在る 不思議な関係は避けて通れないはずだ それでアンシンして沼の植物になれる これでお互いに不都合無く好きなカタチで生きられる

 クナパ=なぜ=why (2013年11月30日)

インドネシア語の単語は沢山学ばなかったし覚えているのもだんだん少なく なってきている。一つの単語で色んな意味を表すので初級者は意味が伝わら なかったりして厄介だった。クナパは日常的に使われる。どうしてか何故か なんだか理解できなかったと聞き返す場合などにだ。 ある運転手は我が家で働いて間もないのにどこそこへ行ってくださいと伝えると クナパと返事があるので正直な所ムカついた。何故人の行く場所に自分の疑問 を返すのかと思ったのだ。クナパが非常に多かった。多分全部意味が違って いたはずだ。言う通りに行くのが運転手でしょとココロの中でボヤいていた。 運転手はほとんどの友人が雇っていたが会話を全くしないとかすぐ寝るとか 語学研修するとかそれぞれだった。家人より長い時間車中生活を共にするので 気の合わない運転手や道を知らないとかすぐ居なくなりそうという空気感を常に 感じたり読んだりするストレスは多かったのだ。最初は紙に書いて持ち歩いた。 このクナパを優しく問い返す人は感じが良い。お手伝いや事務所の人や店の 女性がまあるく笑いながら言うとこちらも素直になる。このクナパに対してカルナ がある。なぜならばという説明の言葉だ。日本と同じで外来語が多い単語に その国の歴史を感じた。友人の中には大学語学コースを出たり語学研修4,5年 とか大学生相手に日本語ボランティアとか色々居た。辞書を見ると正式な単語 ほど長くて難しいので覚える気持ちが失せた。スナンブルトゥムドゥンガンアンダ という言葉は最初に出会った人同士があなたにお会いできてうれしいですと 気持ちを伝える言葉だが一番最初に習ったときは脳みそがウニャウニャして 言語を拒否していた。滞在がイヤで1234くらいしか覚えられずに行ったのだ。 難しい会話は英語に直して学ぶ人も居る。ワタシには呪文のように聞こえた。 現在の生活の中で家人以外の人に対してクナパという意味の言葉を伝える事は ほとんど無い。日本では推察したりクウキカンを読んだり踏み込まなかったりする 会話が多いからだ。どうしてなの?なぜならばねという会話は大切かも知れない。 インドネシアの優しい会話力を持つ人たちをまねてまあるく優しく話してみようか。 どこに行くのとか何してるのとか何食べたのとか。とにかく簡単にいろんな事を 尋ねる人たちだ。好奇心が多くすぐ首を突っ込むのかもしれない。ショッピングモール の若い女性とよもやま話をしたりスーパーのおばちゃんにおすすめ品を尋ねたり 運転手の子供の教育問題を話したりお手伝いの里のジョクジャカルタの事を聞い たりした何気ない日常があったことに思いを馳せている。会話はプルルー(必要)。

 カンノウホウのつぶやき パートII (2013年11月27日)

何故か最近あまり熱や痛みが出ないと油断していたのです。所が先日 浴室掃除に熱中して目線のごく下の方を屈んでカビチェックしていたら左の 方のカンノウホウ(大きいのがある)が多分胃と入れ子状態になり体が直ぐに 元どうりにならない(ちょうど足のこむら返りのような)痛みでした。 右にも大きなのがあるのですが(右腹が張る状態になる)今は静かです。 これは数年前ジャカルタ滞在時にヨガを6年間していた時の苦い思い出と 重なります。この時代は何も知らないで結構無理をして屈伸などしていたので 左は入れ子状態でアザが出来右は痛くてよじれないと言うことでした。 何故青あざが出来るのかとても不思議でした。ヨガの時間はもともと固い体を 懸命に動かさないとサボっているとしか見られず先生もチェックしますから 結構つらいものが在りましたが唯一の運動でしたので頑張ったのです。 お手伝いはすぐにソファに横になるので訝っていました。あー何か病気が 有るんだねという感じでしたのでいつもというワケには行かず出来るだけ早く 帰ってもらって横になる様にしていたものです。 今更自分のカンノウホウに謝れないのですがやはり知識を持つと言うことは 大切だとしみじみ思います。無理な運動が重なり破裂しやすくなると言うとも 有るはずです。後に転倒して破裂したからです。カンノウホウはいくら大きく なっても肝臓が機能すると言う検索も見ますがケースバイケースでしょうか。 この問題をフォーカスすることによりいろんな周りの状況も見えてくると言う 訓練がありますが問題がなければ観察力や興味や集中力はもっとダウンして ボーっとした生活に違いありません。何が幸いするかしないか不思議です。 桜並木の紅葉が先日の嵐でだいぶ落ちて道には枯葉の山が出来ています。 この葉の山に踏み込むのが大好きな老犬は短い脚でパリパリと音を立てています。 今度の寒冷前線と季節外れの嵐が来ればあっという間に冬景色でしょうか。

 花の朝 (2013年11月23日)

冬の始まりの朝花の童たちを見つけた 薄い桃色や白や霞んでいるようだが 濃い桃色の蕾やまだ小さな可憐な花々 どこか懐かしい 春の林檎の花に似ている まだちじこまったままの緑の葉より冬に向かって いくぞという決意のような潔い枝が勝っている ちょっとピンぼけ気味だけれど懐かしいような ホッとするような花は冬の入り口の殺風景の中で 希望やきっぱりした季節へ向かう決心を誘う カラりと晴れて湿度が低く風もない朝なので 陽射しが正確な速さで立ち上がりビルの壁面を登り 眠っている休日のヒトたちが知らないうちに移動する 木瓜の花に出会った後は老犬を抱く左手が軽くなり 右肩がまあるく動きココロがちょっぴり絞り染めピンク色 銀杏並木のごく上の三角形を切り取り陽射しが 今日一番の黄金色にクローズアップして見せてくれた 道路沿いの濃いプルシャンブルーの景色はまだ シンと静まり返っていて動く気配がない 年老いた夫婦がひそひそと話しながらオレンジ色の葉を 繁らせ散り敷いている桜並木を歩いていく 辺り一面に温かい陽射しが満ちてきた

 道の想い出 パートII (2013年11月22日)

道で交通整理をしたりスーパーなどで車の誘導をしたりする人にチップが 必要なことが多いジャカルタ生活であった。額は田舎から都心にかけて 変化する。ルピアで1,00から3,000くらいか(円だとゼロ二つ取る) 今ではもっと値上がりしているかも知れない。本道や脇道や抜け道を通過 する時大体いつも同じ場所に一人とか数人の人が立っていた。渋滞の 信号前をUターンする時にはお互いにニコニコ気合を入れて素早く回っていた。 時には女の人も交じって居て家族で稼いでいるのかとも思ったものだ。 日本と違い信号が間遠で余計に走りもどって来ないと目的地に着かない。 又スリーインワンと言い一台の車に3人以上乗らないといけない時間帯が ありその人数を満たすためのアルバイトの人が子連れや男女年齢を問わず 道端に並ぶのは圧巻だった。もちろん危ない人も並んでいるので毎日 必要な人は決まったアルバイトを雇っている様子だった。ほんのわずかな 距離でも2万ルピアは払って居た覚えがある。渋滞緩和策という事だ。 特に思い出すのは日本食スーパーで車の誘導をしていたトゥルース(まっすぐ) おじさんだ。狭い駐車場に上手に車を並べられるように大きな声でまっすぐまっすぐ と叫んでいた。相当な年齢までその仕事をしている様子でベテランの運転手は 阿吽で対応していたが新米の人は軽くあしらわれていた感じがした。運転手に よりチップの金額が違っていた。太っ腹なところを見せたいベテランだと見た。 煩雑な地域にはプレマン(チンピラ)が居て色ん仕事を仕切っている様子だった。 日本のコウバンが導入され(その名もコウバン)見かけたが日本のような仕事量 をコナシテいるのかは不明だ。 出掛ける時に車内のチップ箱を確かめたがタバコ代もその箱から使っている 人が居て頭痛の種だった。この程度の事と許しているとどんどんエスカレートして しまうので油断大敵なのだ。日本食スーパーの情報交換ボードにこのヒトは絶対 に雇わない方が良いですと書いて写真と名前を載せている人はさぞかし苦労が 多かったに違いない。それ以外の人の情報は引っ張りだこで雇われる人の思う がままであるので上級者はそこのデータを当てにしないのだ。ワタシも知らない 頃はすぐ辞めてしまう人に引っかかっていた。道と運転手の話題は尽きない。

 道にマツワル想い出 (2013年11月21日)

ジャカルタの田舎道の同じ場所で繰り返される穴ぼこ騒動の事です。道は オオヤケやら企業の篤志やら寄付やら個人やらによって修理される所も 有る様子でした。他の道も高速でもある所ではキレイでちょっと行くとガタガタ とかとても表情豊かなのです。人々はその穴ぼこに砂利を入れたりして いましたが交通量が多いのですぐに元どうりになってしまいます。運転手は 穴ぼこを避けて通るのが上手です。渋滞や洪水が発生するとどこからともなく 交通整理を買って出る人が現れて便利でしたがとても性格が危なさそうな人 が手を振り整理していると恐いものが在りました。慣れたことと見えてそういう ヒトの事は適当に見ている感じでしたし本格的に上手で渋滞緩和役も居ました。 道を歩くことがほとんどなく車のみで目的地を往復する生活では道そのもの も車窓ウオッチングの対象になりました。庶民も暑い国ゆえ短距離しか歩か ないのです。危険や衛生面の問題が解決して欲しいものです。欧人が通勤 先の学校まで結構遠い距離を自転車で行くので勇気があるなと思いました。 都心までの往復で運転手が選ぶ道はいつも同じではありません。彼らもカーラジオ で交通状態を聞いたり友達からその日のデモや渋滞や封鎖などをゲットしています。 抜け道を知らない人は悲惨でしたが知っている人も困ることが有りました。 帰路オーバータイム1時間を期待してわざわざ細い抜け道を選ぶ運転手が居て こちらのカンが冴えないと気が付くまで時間がかかり知恵や勇気も必要でした。 夜など見知らぬ抜け道を選ばれると恐怖です。あてずっぽうで行く運転手にも 何人か出会いました。高速道路に乗ってしまい迷うと結局又入ったところまで 戻らないといけないと言うこともあり考えてみると無謀な日常でもありました。 運転手はノー天気に片手運転で奥さんやそれ以外の人と携帯電話したりするし 居眠りもするのでこちらも契約書に明記したことを思い出させようと後で注意します。 運転中に興奮されると命の危険があるからです。家人はそういう時にとてもイラ 付くのでしょっちゅう危険にさらされていたはずです。彼らはプライドが高いので 特に奥さんの運転手だと軽視する傾向があり(男尊女卑感がある)面接の時にも なんだニョニャ(奥さん)の運転かという気持ちが顔に現れたりしていました。 多分今でも陸のワニという存在ではあると思います。ハティハティ(注意)です。 貯水池にはゴミが溢れていて様々な計画がスムーズにいかない様子の市街地 ですが大川に排出される土管の下水で洗濯をしていた土手や線路の住人が 10年前の記憶で終わっていることを願います。運転手の背中はそういう様子を 熱心に眺めているとちょっと気おくれしている風で肩身が狭い感じがしました。 帰国してからは不思議と出歩くことに躊躇が有り徐々に調整している所です。

 カンノウホウのつぶやき (2013年11月19日)

肩がやたらと凝るのだ。大した用事もない生活なのにどうしてなのだろう。 ホカロンを肩に貼ると血行が良くなり改善する。案外調子が良いと思って いると突然胸のオトガイの辺りがどくどくして苦しくなるのは逆流性胃炎の せいなのだろうか。わき腹が張りお腹の辺りも膨らんでしまうのは いつもの悪いパターンだ。肩コリとカンゾウは関係があるらしい。 確かにストレスも多い。でもヒトナミ程度の事のはずだ。カンゾウはストレス に弱いらしい。困ったときのカロナールの出番だ。どうしてこの薬を飲むと 落ち着き翌朝にはお腹も引っ込むのか。でもこの薬はなるべく出番を 少なくしている。何がどうしてこうなるのだろうか。検索しても難しすぎて 匙を投げてしまう。長い間クラビットの出番はないので有難い。 この頃以前のようにカンノウホウが固い感じで存在を主張することは無い。 これは良いことだけのはずだ。まさかカンゾウが余り働かなくなったなんて 事はないだろう。この悩ましい疑問に解答がほしいものだ。 秋と言えば芋栗南瓜だから炭水化物摂取が多くなってしまう。カンゾウ は炭水化物過多にも弱いらしい。喉に詰まらせるのに老犬はガサゴソ音 がするとすっとんでくる。ふたりとも食欲系の悩みだけは無いのだ。 贅沢な悩みなのだろうか。それでもつぶやかないと誰にも伝わらない。 良くわけのわからない行動とも言えるが良い方向への道だと信じたい。 カンノウホウ患者の悩みが枯葉に埋もれてしまわないように頑張りたい。

 風の子供 (2013年11月18日)

森の入り口で小さな風の子供に出会った ケヤキやカツラやサクラの赤橙茶色の葉がクルクル回る 良く見ないと解らないほどの渦巻きが枯葉を舞い上げる ハッとするほどでもなくサッと近寄ることもなく 同じ場所で同じ高さででここにいるよと足踏みしているだけ テニスコートでは明るく笑う人たちが動き回り 午後2時を過ぎてそろそろ帰り支度のバーベキュー家族 老人はひとりで熱心に歩き続けお供の犬も疲れ知らず 20年の間にローズマリーの茂みはうず高く成長して うす水色や濃い青色の小花をポチポチと灯しながら 秋の陰りが黒く滲む公園の隅を魅力的に演出する 会わない間に木立は太り枝は豊かに腕を伸ばし 思わず見上げて立ちどまる目に白い幹が眩しい 風の子供はここで生まれたんだね 海に近いのでヒトは樹が育つのか枯れてしまうのかと 随分ハラハラしたり添え木をしたり肥料も絶やさなかった どうしてもこの海辺の埋め立て地に森を作りたかった 花の樹には花が咲き落葉樹の枯葉はヒトや犬や猫の上に降り注ぎ 月日は厳しく優しく正しく流れ年老いた犬も想い出に包まれる日 風の子供はもう跡形もなく消えてしまったけれど 鮮やかな記憶の数々がハラハラと舞い上がり舞い落ち 午後の陽光の中で輝いた

 台所事情などのこと (2013年11月17日)

ジャカルタで最後に住んだ所は都心から離れていて田舎でした。そしてその頃 には使用人問題もだいぶ慣れてきて余裕も感じられましたので米系スーパーなど で主や使用人向けに中韓欧米などの料理講習をしていましたので料金を払い お手伝いに勉強させようかと考えたのです。日本人から習った日本食だけでなく 色んなオーブン料理も出来ると後々給料に影響してきますので生活が潤うはずです。 オーブンを自分で使用することはありませんでした。友人たちの中にはどんどん 使用している人も居ましたが。ガスコンロの下に納まっている姿形は立派ですが オーブン室の板一枚横には錆びた鉄製のガスボンベが置かれていたからです。 もちろん都心の新しいビルなどにはオール電化のキッチンが有る現状です。 台所の煙突は天上から先は不明で外までパイプが出ているとは思えず換気扇の 音ばかりが元気でした。古い1軒家だから付けたし改築してカタチを保っていた のだと思いますが家賃は安くありません。このガスボンベはガスがなくなりそうに なると相当なニオイをだして知らせます。鉄のボンベはすごく重くて転がすか台車 でないと運べません。中身が確かに入っているのか少ないのかは使用してみない と解りません。非常時用のストックボンベやら水タンクがあると安心できました。 ガスやら石油やらが豊富な国でも巷に品薄な時があるからです。 お手伝いにオーブン料理を習わせようと思いましたがカロリーの高いものを沢山 作られても困るので結局止めました。うすうす計画を感じていたお手伝いは不満 そうでしたので自宅用のお菓子などを作ってもいいよと許可しました。いろんな 祝い事や集まり事が多い国ですので留守中に作った時には味見させてもらいました。 日本では経験のない使用人たちとの暮らしはまことに疲れましたが確かに勉強は させてもらったと思います。ストックボンベなどは安くないので帰国時にあげて 喜ばれました。捨てるものはほとんどなくリサイクルしていただいたのです。 欧米家の名残か冷蔵庫の真ん中に鍵穴がついているのも見ました。もちろん そんな古いのは入居前に取り換えてもらいましたが。ドアというドアにはカギが 付いていましたが面倒なので貴重品をスーツケースに入れてそこのクローゼット だけ鍵をかけました。確かに盗難やらが多くあります。油断する方が悪い。 手に入ったものは神様からのお恵みと考えるところもあるようです。全く信じて 暮らした人が痛い目を見ているのも見聞きしました。色々伝え聞いた若い駐在者 は今では使用人を置かず都心のアパートで暮らす人も多い様子です。それでも オーブン料理を勉強させてあげればよかったなと今頃になって悔やんでいます。

 マンゴスチンとスターフルーツ (2013年11月16日)

インドネシアでは沢山の常夏フルーツに出会いましたがこの二つは特に印象 に残っています。エナック(おいしい)可愛いカタチです。マンゴスチンは果物 の女王とも言われているそうでマンギスとも呼ぶようです。マンゴスチンは実が なるまで10年もかかるのですが外皮がこげ茶で固くてその中の薄茶色マット は柔らかくその中に白い果肉が種を抱いて可愛らしく収まっているのです。 改めて検索してみると茶色い小さな柿型の果物と言えます。味は甘酸っぱく て美味しいので結構病み付きになりますが季節があり年中出回ることは 有りません。露店やスーパーで見かけるとああマンゴスチンの季節だなと気が 付くのです。行先でこの実が生っている様子やその木を見た記憶はありません。 そういえばボゴール植物園でマンゴスチンの樹と説明されたのがあったかも 知れません。外皮器は漆加工されて土産物屋に並び手元に一つ在ります。 実を横に切リふたを外して白い実をササッと食べないと酸化してすぐに茶色く なってしまいます。この実は外から中の様子が見えないので地元スーパーなどで 購入したものによく騙されました。ネットにまとめて入ったりしていたのが全部 変色しているとがっかり。お手伝いに任せるのが一番と言えましたが買い物は ほとんど自分でしました。日本スーパーは地元に比べて値段が高いのでカード で支払っていたのです。露店のものを運転手に購入してもらうとどんな果物でも 大当たりでした。薬用効果が期待できるらしいですがオトギリソウ科という記述 にはちょっとびっくりです。お手伝いは実を横に切り蓋をかぶせた状態にして 冷蔵庫に入れておいてくれました。種は大きく柿の種を膨らませた感じです。 スターフルーツはカタバミ科だそうです。皮は薄くてむけませんので洗ってカット すると五芒星のカタチです。種はごく小さいのかなかったのか記憶にないのです。 この果物の木は近所でたくさん見かけました。低い木にも小さいのが成っていました。 花は薄紫ピンク(アケビみたいな)のごく小さいもので実が沢山なり摘果して袋掛け すると露店で売れる大きさになるようでした。袋掛けしている様子はあちこちで 良く見かけました。自宅の果物でも家の前で売ることが出来るお国柄ですので 果樹はヒトを助けます。味はナシ系の薄味で美味しいとは言えず地元では ジュースの材料にすることが多いようです。酸化してすぐに変色しましたがスライス した星形は南国らしくて愛でられます。カタバミの葉と同じシュウ酸塩が有るので 大量に食べない方が良いらしいですがもっぱら愛でることが多く正解でした。

 赤い大きな石の指輪 (2013年11月15日)

ジャカルタのおしゃれブティック街を娘とウインドーショッピングした時の事です。 日本の遊園地等で見られるパステルカラーでおとぎの国風建物がとてもよく みられる国です。蘭統治時代の影響もあるのかなと思い眺めました。 そしてセットであるのはエステやマッサージなど美容関係のお店です。ピンキリ で日本名のチェーン店などもあります。投げ売り70%引きの横断幕を見て 店の利益はどうなっているのかハテナマークが浮かびましたが少し住んで 見ると年がら年中割引セールをしているのだと知りました。ショッピングモール やデパートは順繰りにやっているのではないかと思うくらいです。乾期と雨季 しかないので衣料品も輸入物には寒さ対策の特徴が感じられ確かに欧系の 衣類には目が輝きました。M&Dの店は日本に進出していないので今でも その店先の様子などが脳裏に甦りますが帰国してからはほとんどその方面 の興味がなくなりつつあるのです。サイズもいろいろあり有難い店でした。 お気に入りの店が入っている建物の装飾店で赤い大きな石の指輪を試した 娘がうっかり石の床に落としてしまいました。円で1万くらいですのでルピアでは 100万くらいでした。店員は大慌てで店主の元にすっとんで行き私が悪いのでは ありませんと訴えていました。場合によっては給料から引かれてしまうお国柄です。 結局買えと強く言われ購入しました。今ではそういう問題はどういうことになって いるのかわかりませんが保険等でカバーされるようになっていて欲しいものです。 自分でそういう面もカバーできる保険に入ると言うことも大事です。到る所石の床 の国ではガラスや陶器なども恐ろしいほど派手に割れて飛び散り危険でした。 急に想い出したその赤い大きな石の指輪は日本では使えるのかという話になり 探し出してみました。よく見ると石の下の部分が確かに欠けています。しかし 全体的には面白いデザインですので日本では珍しいかもしれません。石が豊富 な国なので赤い石も本物風の石の冷たさです。模造品はこんなにつめたくないので 直ぐ判断できます。石は割リ削り磨いて商品になるのですから順番が少し狂った と思い使ってあげた方が生き返るかもしれないねと話し合い6,7年ぶりの復活が 見られそうです。クリスマスイルミネーションの明かりとマッチするかもしれない 豊かな明るい記憶を持っている石に違いないのです。流行のカラーが映える暮れ ですがたらこ指の自分にはもはやどんな石の指輪も似合わないのが一抹の さみしさです。宝物の国から持ち帰った装飾品あれこれの出番はあまりありません。

 グウンティン=gunting=鋏 (2013年11月13日)

10年くらい前は200個位の引っ越し荷物でも5万円くらいで見積もれたので 2年に1度位しか帰国できないストレス発散というわけでもないが8年近くの間に 4回は引っ越した。日本の支店などあり地元業者はもっと安い。家人たちの会社 にそこそこ近く犬が飼え日本食スーパーに車で1時間くらいで通え洪水が少なく 日本人も数人は居る所を探すのは意外と骨が折れた。事務所は2年目の契約 時にリノベーションやら壊れたものの修理やその他に応じるので1年で引っ越す とあまりサービスが期待できない。それでもより良き場所を求めて捜し歩いた のは家賃が会社払いであり日本と比較して良い条件だからである。 日本人向け不動産屋などもありその方面は活発化する一方のジャカルタだ。 新しい物件がどんどん建ち外国人向けのおしゃれなビルも多い。営業マンは 日本語が出来たり英語はもちろんで熱心だ。時々車で通過したとき目についた 物件でも事務所と交渉して空いた部屋を見学したりした。家人たちは自分の仕事 で余裕が無いのでこの分野はもっぱら自分頼りだった。決めて入居するまでの 事務所との交渉も骨が折れた。家人はあらかじめ早朝にその場所を基点に して実際に会社まで行ってみた。脇道から高速道まで出て高速で1時間以上 かかる場所ばかりなのでその点は重要なのだ。この問題は日本の会社の総務 がらみで決めている家族は全く関わりない。一重に自分の勝手なのである。 時々面白がって付きあってくれる友人たちはとても有難い存在だった。 引っ越し時に頼りになるのはお手伝いだ。運転手は遠いからついていけないと 断る人もいた。交通費が嵩むから嫌なのだ。しかし彼女たちはこんな時腕が鳴る。 日本から持って行ったがらくたや要らない衣類が山ほど出ることを知っているからだ。 なんでも持ち帰り売れるものは売り村の人や親類やらでリサイクルしてくれる。 次の日に上から下までカバンまでワタシたちのお古で現れたりするとギョッとして 声が出なかったりした。こだわらないお手伝いが多かったのだ。バグース=いいね と褒めるしかなかった。しかしあげたくないものなどを日本から持って行った 裁縫鋏で細切れにしようと思い鋏を乗せておいたところ見当たらなくなってしまった。 少し経って意外な場所から現れた。彼女たちも先輩友人などいろんな人から知恵 を授かりとても強者に変身していくので5,6年は経たないと歯が立たないと感じた。 老犬の毛を今日は顎の下明日は耳の後ろとマジックのようにストレスを与えない 様に鋏で切る。上から横から立体的に見たりして数日後にはまあまあみられる姿 になる。カットバサミもいろいろ購入したがとっさに間に合わないので紙切り鋏で 間に合わせたりしている。ジャカルタの石やタイルの床だったら掃除が楽なのに と木の床を眺める。裁縫鋏とポ二ーちゃんの赤いほっぺを想い出した。一人息子 も小学校を終える頃か超強者の日本人向けお手伝いとして勇躍して居る事だろう。 息子には知らない人からどこから来たのと聞かれたらあんたはどこから来たのと 聞き返すようにびしっと躾けていた。父親のバイクによじ登り路地を走っているに 違いない。ジャカルタではそうやってバイクの乗り方を覚える庶民の子供たちだ。

 悩みは同じだね (2013年11月12日)

老犬の爪がのびてしまった。前回のトリミングカットからすでに3か月も たっているので羊の角のように曲がりそうになりさすがに歩きにくく見えて 可哀想だ。爪切りの道具は3,4種類も購入したがどうも苦手でとうとう 1度も自分でカットしなかった。動物病院やペットショップで爪カットもして もらった。犬の爪は神経や血管と一緒に伸びるので伸びすぎると特に 厄介なのだ。血が出た時はタバコの灰が良いと聞いているがタイミング 良く家人の煙草の灰が身近にあるとは限らず最近はソソクサと捨てている 様子なのでなおさら手に入らない。もしかしたら線香灰でもよいのかも知れない。 近所の動物病院のトリマーは度々辞めたりしていて予約が2か月も前から 必要なのでもっと近所のスーパーのペットショップの事を思い出した。 とりあえず電話をして爪切りだけ頼んでもしうまくいけばトリミングもお願い してみようと考えたのだ。8歳以上はお断りという店が多い。もうすぐ14歳 だが見た目は若い。新しい店に行くことを素早くキャッチしたイヌはすでに ブルブル震えている。嫌だと激しくなるぜーぜーゲホゲホにも力を入れる。 5分くらいの爪切りの後恐る恐る店員に聞いてみたらだめですとのことだ。 喉の病気もあるみたいだし(さらに力を入れてぜーぜーしたらしい)高齢は 何があるかわからないからと言う。いつものところに行ってくださいと拒否。 犬自身が店でも自宅でもシャンプーが嫌いなので本当に手を焼く。 主も美容院で白斑症の説明を一生懸命してもちょっと怯えられる。仕方がない のでカットのみにしてもらうことが多い。家人にも毛染めを手伝ってもらうがその 余りの不器用さにいらいらして(後ろの方だけ)文句を言うのでだんだん手を 貸してくれなくなった。思いがけず老犬と主は同じような悩みを持っているが デモこの程度の悩みだ。帰宅時には車窓ウオッチングに力を入れてすでに 嫌なことなど忘れて元気印になっている犬を見てノー天気なところも似ていると 感じた。雪の日用のキルティング服を奮発してあげた。誕生日は12月だ。

 ヤギが居た生活 (2013年11月10日)

ヤギが1日2,3キロもの雑草を食べるので道端や公園の草刈り係として 役立てようと計画されている様子をTVで見てジャカルタのヤギ軍団の事を 想い出した。少し街中から外れると到る所で見かけた。黒いのや白いのや まだら模様のやらがゴミだろうが雑草だろうがお構いなしにムシャムシャ 食べていた。その草は美味しそうには見えなかったしホコリや排気ガスに にまみれていた。ヤギはそんなことには無頓着に食欲旺盛。 あちらではヤギはサテカンビン(ヤギ肉の串焼き)として人気の食糧だ。 やたらと元気が出る料理らしい。お手伝いは私は血圧が上がるからあまり 食べないというようなことを言っていた。運転手はウシシという笑みを浮かべ 嬉しそうに話していたので大好きだったと思う。私はヤギのミルクというものを 幼少のころ飲んでその青臭いニオイがいまだに脳裏に在るのでヤギ系は苦手 なのだ。チーズもヤギミルク由来はすぐわかる。郊外の草地で育つヤギは別と して街中のヤギ肉などは問題が在ろうと思いながら車窓から眺めていたものだ。 犠牲祭の頃になると溢れるほどの数の立派なのや痩せたのや様々なヤギが 道端に見られた。その年の景気により白い牛は多かったり少なかったりして 交差道の下の広いスペースなどに集められていた。この方たちに餌はみられな かったような気がする。角突き合い喧嘩する立派なオスヤギや諦め顔ヤギ目で うなだれるのや餌となる草がすでに皆無の足元などを見やった。ヤギでも進化 して賢くなるのも居るのだろうかなどとも考えた。エネルギーのやり取りは生き物 の定めだから仕方がない。値段が付けられて売買されていくヤギ軍団だった。 小さな子供たちは売られていくまでは遊び相手として楽しげに追い駆け回した。 比べてみて日本のヤギは少しばかり幸せそうに見えた。草も青々としていて豊富 だし人々も食料として見つめることは余リないだろうがヤギに聞いてみないと 解らない。ウサギやシカも草刈り係として駆り出される日が来るのだろうか。

 前向き高気圧の冬へ (2013年11月9日)

通院間隔が又延びて3か月後になりました。状態が変わらないので様子見 だけということなのですが緊急時まで来なくてよいですと言う言葉よりは 有難いと受け止めています。多分肝嚢胞の問題だけでなく胃はピロリ菌 除去後のリスク、、大腸はポリープ除去後の新物発生注意、などが並列 しているために通院が必要なのではないかと思います。肝嚢胞だけだと したら多分通院は無いのが一般的なように思われます。ここ2年ほど続け てきた血液検査はもう必要ないと言われてなんだか習慣化していたので そうなんだという気持ちです。変化がないのは良い事だと信じたいです。 20年くらい前に子宮に存在した5センチ×2個の筋腫は役割がなくなると 消滅してしまいましたが肝臓の腫物は消える気配がありません。 治療方法も限られていて困ったときの(発熱)カロナール+胃薬と緊急時の クラビットを頼りに前向き高気圧の冬へ向かいたいと思います。最近は 寝返りも苦になりませんし右横腹の張り感も少なく嚢胞がつっかえるような 存在感もほとんどありません。痛んだりするのは何故なのかはわかりません がどうも内臓がこすれるような状態らしいです。肝臓自体に痛みは無いらしい ので腹膜や周りの臓器の痛みということなのでしょう。良く頑張っているよね 自分の肝臓。自分にしかわからないことだけれど同じ悩みを持っている人 にも前向きに明るく生活しましょうと伝えたい思いで書いています。 帰宅時の新宿デパートのショーケースの中に面白いものを発見ました。 入荷遅れというメモと空っぽのスペースです。今巷でニュースになっている 商品問題が頭を過りました。叩かれる前に処分する見つかったら謝るという 気楽な考え方が何故巷に充満してしまったのでしょうか。近所の小さな子供 を簡単に叱れなくなった(昔はお互いの子供を叱っていた)ということが身近 にあり見て見ぬふりや知らんふりということが長じていく結果に違いないと 感じます。色んな気持ちを投稿させていただける友人のブログに感謝。

 陽だまりでうとうと・・・ (2013年11月6日)

ママがガラス戸の内側から見ているから安心だよ。 PCする手を止めて微笑む。寒くないかなと心配している。 「里津子の写真ライブラリ」をご覧ください。

 カエル、チチャック、トッケーたち (2013年11月5日)

油絵に登場させてみようと思いジャカルタに住んだ時に出会った彼らの事を 検索してみた。バリ島のカエルは工芸品になって売られていたし擬人化、 神聖視もされているのか奥が深い。ペコちゃん風の蛙の置物などがネコの 大小と並べられて確かに沢山店に並んでいた。全体に丸い感じで可愛い がカエルと言うのは意外と絵にしにくいものだと改めて感じた。 チチャックは日本ではヤモリというのだろうか。あちらでは家で共存していた。 エアコンの機械の中に住んでいて繁殖期にはギャギャッと鋭く鳴きうるさい。 その後孵化すると壁伝いに小さい可愛い姿が歩く。衛生状態を気にして 3か月おきにクリーニングを依頼していたが気休めだったに違いない。 ごく小さなのを見つけた犬が遊んでいるうちに食べてしまったかも知れない。 大きなのをドアに挟んでしまい千切れてしまったりしたこともある。ドジなので 大きくなると素早さに欠けて目が合ったりする。キッチンで見かけたのは ボテボテ太りタイル色に白っぽくおこぼえれにあり付いているとしか思えない。 人懐こそうになってもイヤイヤこれくらいでペット視はできないぞと心を戒めた。 この方の重要なお仕事は蚊を食べてくれることだ。蚊柱退治もしてくれた。 トッケーは夕暮れの犬散歩時に大きな古い木の辺りでトッケーと叫ぶのを聞いた。 姿は見たことがない。バリ島のコテージに宿泊したときは小屋の梁からやはり 思い切り大きな声で鳴かれたがこれは場所柄情緒感満点だった。 検索した姿はびっくりするくらい爬虫類で目もカメレオンの真ん丸可愛い系では なく蛇の冷たい目だ。この方は意外と絵になる。シュールな感じの存在感がある。 しかしカメレオンの方がやはり親近感が持てるなどと思い悩んだ楽しい時間。

 画廊巡りはビルの裏側谷間道 (2013年11月4日)

海外滞在中に2回ほど銀座旧Wホテル(ビジネスタイプ)に宿泊した事が 有ります。画廊巡りが出来る最高のロケーションなのでうれしさでホテルの 狭さや不便などの悩みはすっとんでしまいました。1WKも滞在すると洗濯 物が干せないバスルームは難儀するのです。住まいを売却してしまうと 一時帰国時などには田舎の親族を頼ることも出来ず2年に1度くらいの帰国 も落ち着いた状況とは言えませんでしたが銀座という繁華街のど真ん中なので 朝食のみ付いている(結構おいしい)ホテルでも大満足。家人は友人達と梯子 酒ヨロヨロでしたが介抱する身はノーアルコールで大不満足でした。 先日は小雨の中先輩夫人と画廊巡りしました。先輩は勝手知ったるビルの 谷間裏道をすいすい歩いて狭いビルの画廊などを探し当てます。良く1人で 来るのだそうです。一回り以上年上で大病もされたのに元気でカンが冴えて いる方です。こういう表裏通りなどの沢山の画廊を観光スポットにしてみたら 面白いのにと思い付きました。絵は見る人次第で説明が要らないはずです。 ワイズ、デプス、カラーという鑑賞だけで楽しめます。日本に沢山ある絵画展 の特定ファンが現れるかもしれません。公募展や絵画人口が多いのはある 意味で特殊な国なのではないかと思うくらいあちらでもこちらでも絵が溢れて います。まず美大などを卒業しないとスタートラインに立てない国もあるのです。 長年たゆまず努力すると道が開ける日本は意外とその辺先進国かも知れません。 知り合いの個展も観ました。ワコーの隣の細道にあり地味な雰囲気で花籠 など置いてなくてさっぱりとした入口付近に好感が持てました。素直で気張らず 油絵らしい作品に出会いました。なんとなく自分もいつかと欲が出たものです。 このご時世に見知らぬ人がふらりと立ち寄り小さな絵を買い求めるなんて夢が 在る光景です。知り合いの絵も意外に売れていて自分の事のようにうれしく これで家族で温泉旅行に行けるねとはしゃいでしまいました。何から何まで1人 で終始しての個展の様子を見て深く学ぶものが在ったのです。 家中は蒸し暑く外はひんやりの秋雨の中を行き交う人々が意外に多く表通りは 歩きにくいほどでした。しかし裏通りは土日休日のひっそり感に包まれています。 小さなビルの中の階段を登るとあっと一目ぼれの絵画に出会えるか知れません。 ワタシは二十年くらい前に赤坂見附の喫茶店で出会った裸婦のデッサンが いまだに脳裏に在ります。孤独を噛みしめながら壁に飾られているのでしょうか。

 白斑症のその後 (2013年11月2日)

薄めないシウンコウを白斑のところに塗布するようになって(毎日ではない) 数か月が経ちました。成分に含まれている油はのびにくくてあまり好きでは ありませんが赤い色が衣服に付着しても洗濯で落ちるのが有難いです。 塗る場所が多くて首後の真っ白状態のところは省きがちです。両脛おもてや オデコ、顔わきには丁寧に塗布する様に心がけています。この脛表は 観察がしやすく、白い部分に毛根や薄茶のシミ状のものが出て来ていて 改善されているように思います。白斑のところには白い毛しか生えませんが 改善すると黒い毛も出てきます。とにかくかゆい時にはすぐにレスタミンコーワ の塗り薬を塗らないと経験上良いことは無いので注意です。毛が多い少ない はホルモンと関係しているはずですが肝臓の状態とシンクロしているのか どうかはハテナマークなのです。 8月ごろ顎の下の首のあたりがかゆくて少し掻き始めえたら皮がぽろぽろ 取れてなんとなく白っぽくなってしまいました。家人に白いよねと尋ねると そう見えると言うので慌てて薬を塗る様にしました。その後は早めに改善され てやれやれです。早い対処が有効です。数年前の発症時に気が付けば 良かったのにと後悔しています。辛抱強く塗布を続けるべきでした。放って 置くとどんどん白くなってしまいます。日焼け後の皮膚の状態とは違います。 持病のような肝臓の状態に重きを置いていますので通院場所を増やすのは 避けて居ます(本当は行くべきか)。塗り薬で凌いでいる所です。年齢的に あまり真剣に捉えていないのですが若い人や表れている部分により深刻度は 大きいはずです。この冬の突風対策に毛糸の小さな帽子をカバンに忍ばせる ことにしました。お店でアッシュ系のおしゃれな髪の色ですねと褒められたらしく て複雑な気持ちです。今時はこの色彩も街中で余り目につかないと思います。 髪染はもっぱら昆布染に頼っていますが人により合う合わないがあるはずです。

 海辺のランドは15年振り (2013年11月1日)

ネズミーランドはハロウィンだった。調べないで出かけた我が家はびっくり。 白雪姫マントドレススタイルに本物の林檎を片手に持った娘さんは階段を 下りるのにスカートが大変そうだ。赤に白丸のテントウ虫ルックのグループ は白い靴下赤い靴で横並びに闊歩する。青マント妖怪女、赤マント何か、 ダックの黄色い大きな足がいきなり目線下に入る。ぷーさんのぶかぶか 着ぐるみの人はよたよた歩いている。女の子同士のグループが多いけれど 多分ロッカーとかで着替えてくるのだろう。あるいは家からそのまま来たのか。 増殖する色たち、風船のように押し寄せるコスプレ、私たちはすっかり呑み込まれ てしまったがなんとなく楽しい。家人は目が真ん丸とか点とか開きっぱなしとかで 固まっている。そんなことでアトラクションは二の次。このランドは修学旅行先に 良く選ばれるようだがとても良いと思う。なぜなら1時間順番待ちは当たり前 なのでひたすら我慢力だからだ。胃の調子が悪いワタシはグルグル物には負ける し高所閉所スピードに弱いので楽しめてはいないとしみじみ思う。マスク着用でも 平気な点は助かる。ジャカルタでは街中マスクがとても目立って困ったものだ。 それにしても操業30年ともなると木々が立派に育っていて驚いた。ジャングルは ジャングルらしく、岩山のサボテンも目立ち、河沿いの珍しい木の実は鈴なりだ。 何よりあちこちに植えられているオリーブの木々を見上げると完熟の実が収穫時 なのだ。我が家の両手に納まるくらいの紫の実と比べると収穫するのかどうか 知らないが贅沢な眺めだ。オナガドリや丸まる太った鴨さん雀さんは楽園に住む 幸せなのだろうか、いや幸せに違いない。人の食べ物に集まる鴨さんは太めだ。 遠い所からもやって来ていただろうハロウィン仮そう組の若い人たちは可愛い 感じでなかなか良いと思った。昔は商業ベースに乗せられていると批判目線だった が今ではエネルギーの発散やそれとなく若さを満喫という感じで微笑ましくみえる。 生前の母はメリーゴーランドが好きで何回も乗っていたことを想い出した。

 ジャカルタの猿回し (2013年10月28日)

都心に向かう時などに車内から良く見かけた。明るいグレーの小さな猿 は色んな衣装を着せられたり三輪車もあったりで猿を使う男性が付いて 居た。日本の猿とは違う感じだったが地元の晴れ舞台などに立つ事も あったに違いない。中部ジャワや西ジャワ中心にオランダ統治時代から 存在するらしい。芸がすごいと言うことではなく猿が可哀想だからという 理由でお金を渡す人が多いようだ。生真面目そうな猿の悲哀感と必死な 眼差しとしゃがみこんで車道の木の陰で主と出番を辛抱強く待つ姿は 印象的だった。色んな人が芸やら商品やらで道端を埋める雑多な混雑の 街なのでむしろ見たくない人々に対する施しの光景よりはましだと思った。 最近の情報では猿は動物園へ使う人にはお金を支払い取り締まるという事 らしい。しかし猿で代々稼ぐ人は金額の保証が少なすぎて生活が成りゆかず 一悶着ありそうだ。動物園やテーマパークなどで商売できればよいのにと 思った。感染症やらの問題もありそうだが猿使いとその猿の関係は温かい ものも在りそうに見えたものだ。ワタシは滞在中動物園には行っていない。 その辺の安心感を心配していろいろと街の様子を整備しているのだろうか。 仕事を求めていろんな島からドンドン都に押し寄せる状況は昔の日本に 似ていて都で一稼ぎして生活を安定したい教育にも力を入れて奥さん子供 の笑顔が見たいと言う切望はどこの国の人も同じだと見ていた。 猿も人も笑顔で暮らせる環境をぜひ作って欲しい。オオトカゲやらシーラカンス やら盛り沢山の宝物を抱えている千を超える島々は不思議玉手箱なのだから。 それにしてももう少しいろんな島を見てみたかったがお腹の調子が常に悪く 病を抱えていた状態なのでとても無理な望みであり又動かなくて正解だった。

 陶器雑想 (2013年10月27日)

ジャカルタ滞在時に現地日本人向け新聞に陶器セールの案内が載ると すっとんで見に行きました。愛知県だかのメーカーのナルーが工場と 都心のビルの店舗を持ち割合と古くなったデザインの商品をセールして いる風でした。使いでのある円を換算して懐をほんの少し暖かくして 出掛けました。シンプルで軽くおしゃれなデザインはセットもので購入して も高くは無くて(もちろん新商品は高い)大助かりでした。都心で売られている 高価なブランド商品が必ずしも本物ではない国なのですが日本のメーカー ということで信頼しました。ブランド物のバッグなど購入して日本の税関で 偽物ですと言われて泣く人が居ると言うもっぱらの噂でしたが今ではどうか 不明です。高級デパートお買い物時でもスリリングな体験が付き物なのです。 大した陶器は持っていませんが引っ越しの度に整理してきたのでお気に入り の皿などがいつの間にか行方不明です。先日笠間までドライブしたときには 窯の見学が楽しみでしたが運転とカーナビの方に気を取られてたった1軒 しか店を覗けなくて残念でした。陶芸作家の作品は見てみないと解らない ので今度は益子なども見学してみたいものです。日本で勉強してインドネシア で弟子を増やしてる先生が居る状況ですので良く似た感じの陶器に出会いました。 土産物屋で売っているものも日本を彷彿とさせるのが多かったです。土と竹と 稲の文化は共通していますので顔立ちも食べ物も器も似ている部分は多いです。 あちらの庶民は器にあまり凝ると言う習慣ではないと感じましたがあげると 喜んでもらってくれましたのであるいは日本の食器に興味が出ているのかも。 白い食器にバリのジェンガラや色んな雑器類を混ぜるとミックス味が不思議です。 高名な作家の香炉作品からヒントを得てさっそく8号の油絵を描きました。 紫ピンク青の配色が美しくワタシはその色をユリと蘭に取り入れ自画自賛。 今年のテーマ光と影をようやく追求する意欲が出始めてやれやれなのです。 芝生に落下した黄色い5輪のプルメリアの花も20号で仕上げました。これは 一瞬の風の動きも取り入れたいと思い無い知恵を絞って完成間近です。 文章を書く焦点と絵画制作のそれは共通していて有難い訓練です。感謝。

 ビロードレッドとひまわりオレンジ色の薔薇 (2013年10月25日)

近所に大きなバラ園が2か所在り台風前に行かないとという強い思いで 出掛けました。バラ園Bのほうがバラの株が大きく密集している感じが しました。古い時代にドイツなどから来た種が多く名前もドイツ名が沢山。 同じようなことを考える熟年カップルでにぎわっているのが最近の情景と いえます。薔薇をベランダで育てるのはなかなか大変です。虫や肥料の 世話をちゃんとしないとデリケートな薔薇は星の王子様と対話する程まで 育ってくれません。今回は購入しないと決めていたのに気が付くと寄せ 植えミニバラ3種というものを手に提げていました。 前回のバラ園見学で学習していたので今回はマスク着用、バラの香りを 嗅ぐのはごくわずか。代わりに家人が珍しくミツバチ状態で苦笑でした。 デジカメを取り出し勇んでシャッターを押すと電池が切れていてがっかり。 薔薇の売店では面白いものに出会いました。値段が1本で百万円以上する 岩のような太いごつごつの幹をしたオリーブの樹です。上の方にオリーブの 冠のような細い枝が生命の証しのようにささやかに生えていて感動的です。 これぞオリーブのご先祖様の樹、地中海の断崖の上などで風雨酷暑と戦った 樹だと感じました。幹は樹とは思えないほどの姿でパワーがありました。 なんだかとても有難い出会いをしてミニバラ寄せ植えとダブルのギフトです。 黒蜥蜴と似合いそうなビロードレッドの赤い薔薇。清楚な白。秋とは思えない 程にぎやかな花々。家人はオレンジ色の薔薇は薔薇らしくないから嫌いだと 言いバラは赤に限ると主張しますがワタシはひまわりオレンジ色の薔薇が 大好きです。熟年の古い友人たちとここでゆっくりティータイムをしたいなと 思いました。

 信じる事の覚悟と難しさ (2013年10月23日)

J.アービングの小説を読んでいて人々の親切というささやかなギフトの交換 の事など想い出した。熟年で初めて滞在したので周りを観察する時間が 沢山在った国で見聞きし主に世界を旅する英人にスポットを当てて考えてみた。 小説の中では印度を訪れた英人夫婦が(70年代か)自分の子供の遊び相手と して浮浪児を拾い1か月間文化的な教育を施し旅をして最終的には拾った場所 に戻し彼は又浮浪児になるということだ。その子は英語力が上達していてそれが なにがしかその後の人生の糧になっていくらしい。その踏み込んだ勇気と行動が すごいと思う。それは少し見聞きした英人の姿とオーバーラップする。 一時働いてくれた若いリアルヤングといった風の運転手はドクターになりた かったんだでも弟が2人いて高校を出てからタクシードライバーになって稼いで 親を助けたんだと語り勤めた英人家庭の事など話してくれた。若い夫婦は小さな 娘をお手伝いと彼に託して公園に遊びに行かせたそうだ。ワタシだったら絶対 そういうことはしない。誘拐事件が日常茶飯事な国で住むのにふさわしくない 行動だ。その運転手は道端を歩く英人を見かけると懐かしそうにああまた働き たいという雰囲気だった。淡いブルーとピンクのチエック柄などがお決まりの彼ら のまねをしてブルージーンズにそのシャツで決めていた。あか抜けて見えた。 この運転手は会社雇が決まり辞めるとSMSのみが来た。初期の不信の一歩。 藁にもすがる思いの運転手探しと彼らを信じる信じないと言う生活の始まりだった。 学校費用を援助したりお金を貸したりする外国人は居るようだった。ワタシに 出来ることはお金を貸すこととチップを大目とか出来るだけ公正な契約書を家人の 会社総務と相談しながら作る事や世間並より少し多めの昇給、しかし物事の良し悪 しが伝わることはなかなか難しかった。なぜか、ワタシに信じ切る気持ちがなかった からだと思う。生活全体が及び腰であったのだ。それでも彼らに小さなギフトを 送る瞬間はあったと信じている。だからこうして今でも彼らの笑顔を忘れない。 彼らからもらった様々な形のギフトはココロの中にちゃんとある。 わが老犬からは散歩日に4回という運動不足解消のプレゼントをもらった。 雨風を警戒しているのにどうしても用事が済まないので昨日はとうとう4回も散歩 に出る羽目になりこれは彼女の戦略かと訝った位だ。1日1回限度の散歩も度々 出掛けると意外な外の様子などが目に入る。このプレゼントは有難かった。 しかしよぼよぼ歩いていた今までの彼女の散歩力はいったい何だったのだろうか。

 高熱前線ぐっと近寄る (2013年10月21日)

多発性巨大肝嚢胞の穿刺治療後嚢胞内感染らしきものが2年間に2,3回 は出ている。しかし最初の頃は驚いて対処が悪かったがこの頃は割合と 冷静に経過を見たりできるようになった。ズキンという痛みがどこに発生して どんなものなのかは理解できない。以前はクラビットを慌てて1回だけ飲んだり していたがこの抗生物質は少なくとも3,5日は飲み続けないと効果がないもの と知った。この1年クラビットの出番はなくカロナール+胃薬で張り感や発熱に 対処している。もちろんカロナール問題も出現してはいるのだが学習中だ。 今回はいきなりぐっと近寄ってきた高熱前線にびっくりしてしまった。検索して 見ると胃腸炎などの後に出る高熱のような気がする。激しい下痢とその後の 高熱は自分の持病みたいなものを自覚するまでは取るに足らないに日常茶飯 的な出来事だったが今では非常事態だ。風邪の症状はごく少ないが頭痛と 多少の吐き気があるので葛根湯+胃薬で凌ごうとしたが熱が出始め6,7時間 後にはカロナール+胃薬パターンにした。37度1分(この温度が多いのは ハテナマーク)から37度6分、そして37度8分に進むのは早くてびっくりした。 頭の中では38度を超えたらクラビットを飲んで雨の中救急外来まで行かないと いけない大変だと警戒ブザーが鳴っていた。もちろん電車とタクシーで行く。 感染症が発生すると二桁ある嚢胞のどこに出ているのかわからないので病院 でも緊急な様子なのだ。私のズキンという鋭い痛みを共有できる人が居ない のでとても説明が難しい。自分だって初めて経験することなのだから困る。 冷蔵庫のアセロラジュースを1リットルくらい飲んで様子見して翌日には甘辛 せんべいなど食べられるようになったので一安心。2日間ほどのハラハラ状態 だったが今では36度7分くらいの熱になりこのまま様子見をしてみようと思う。 少しだけ痛みがあったがそれは本当のところ肋間神経痛らしいと思う。 この問題も学習中だが骨の辺りだということのみで良くわからない。 老犬は今回も我儘を言わず静かにベットの近くで主を見守ってくれて偉い。 それに比べて家人たちはどんどん外出してしまいますます頼りになるのは自分 だけという気持ちを強くした。しかしこの気持ちは結構重要なものと認識している。 いざという時の危機管理と状況認識は海外で得た貴重なものかもしれない。 肝心なことは自分にしか解らないし自分で行動したり緊急事態を察知するしかない。 家人が所望通りジャムパン(なぜか急にこれが食べたくなった)を買ってきてくれた。

 低気圧と夢 (2013年10月19日)

度重なる低気圧の襲来と夢を見たのとが関係あるのかどうかは不明です。 体調が特に悪かったわけでもなく夢は謎がけのような不思議なものでした。 一部屋に閉じ込められた状態の様子で若い男女が数人何か説明しています。 学校の教室か病室か事務所かわかりません。四角い部屋と壁の白さと無機質 なイメージが印象的。何か返事を急がされていて顔写真を出しなさいと言います。 何か変だなと思うココロがあり急がないワタシ。本当にどこにあるのか解らず あっそう言えばあそこにと想い出した途端に夢の中で眠ってしまいました。 気が付くと四角いガランとした部屋の中でうたた寝状態。部屋の中の人や物が 空っぽです。入口の壁に見えたプレート(この部屋の名前)もありません。 何か問いかけて声を上げると隣の部屋から聞き取れないほど低い男の人の ような声が聞こえます。誰も居なくなったよみたいなことを言っている様子です。 廊下に出て隣の部屋を(少し空いていて中が伺えた)覗くと暗い部屋の中に 大勢の人が立っている様子。ほとんど影だけのようです。ええっとびっくりして ハテどうしたものかと考えますが記憶がパタッとなくなっていて何も浮かびません。 どう行動してよいのかもわかりません。体は丈夫そうなところが不思議です。 誰かがワタシをだまそうとしているのかハタマタ助けようとしているのかと考えて います。最近遠い過去まで遡れるはっきりしたご先祖様を持つ人達との出会いが 多くそれも不思議なご縁なので助けられていると信じたいです。夢は不安や希望 や戸惑いや絶望などの絵を描きます。自分の本当のココロを映しているはずです。 どうもワタシにピタッと読み取る力がないと言えますがなんとなく有難い事です。 人々のご先祖様というのも遡れば一つだけのはずですので気が付くか付かない か気にするかしないかだけの問題でしょう。 ハチはこの間までシラカシの幹の樹液が吸える瘤に止まっているのを見ました。 今では昆虫の姿は皆無です。ベランダでしなやかに枝をたわませて青い実ととも に雨風をやり過ごしているオリーブの木の姿は一筋の光の様な明るい存在です。 地中海の石灰岩の崖などでも厳しい気候と戦ってきたはずのこの木の祖先が 宿って光っていてあなたもワタシのように生きなさいと諭されている気がします。

 強すぎる香りと風に思う (2013年10月18日)

近所のイーオで犬のオシッコシートを購入した。見比べていつもと違う香り付 と言うのにしてみた。パンパー社のデオドラント大判は通常使用品でも1日 4枚並べて使うので5,60枚入りがあっという間になくなる。1,2年前までは 1枚を器用に使用してくれたが老齢で失敗が多くなり止む無く枚数を多くした。 1か所ずつ全部使ってくれると文句を言いたくなってしまう。しかし長寿に比べ たらこのくらいの消費は可愛いものだ。香り付のものを使用してみると香りが 強すぎてワタシは頭痛で眠れなくなり犬は吐くで1回限りで捨ててしまった。 ハウスシック症という症状を思い出した。香りを抜いて何とか使用してみようと 試みたが簡単にはいかなそうだ。バラの香りを嗅ぎ過ぎて多分農薬などで 具合が悪くなったに違いない最近の経験の事もついでに甦った。 スーパーでは割合と食品棚に近い所にあり他の人は平気なのかなと逆に 気になった。もちろん開封した時の香りが問題だが再度店で通過してみると その強すぎる香りはすぐに判った。これはヒトの幼児向けになって欲しくないが 今の若い人たちはどうなのだろう。かくいうワタシも最近洗濯時に香り剤を 追加したりする。海外では日本より強い香りの洗剤などが多くそれは水の 悪さや多雨で生乾きの嫌な臭いが多い国だと許せる。この経験は思い出すだけ でも頭痛がするので少数の人の悩みというものが理解できる。ハテナマークに 追加される問題だ。 わが老犬はすでに何回も危ない経験をしているのでワタシの与える食べ物を 決してすぐに口にしない。学習能力が高く主より賢いかもしれない。 今朝の早朝雲はグレーの太いからだの下の部分だけが強いオレンジという ドラゴンのように見えた。お天気の変化が激しくあっという間に全部グレーの 寒空になってしまった。強すぎる風の通過でやっと定植した竹林の竹が全部 横に傾いていて哀れだ。海に近い土地の植物もヒトも試練が続く。 嗅覚は大切なセンサーだ。生き物としてなるべく失うことが無い様にと願う。

 油絵具を探したこと (2013年10月17日)

10年以上前に滞在した頃の事ですが慣れないので絵画の材料探しの場所 が極限られていて苦労しました。家人が予め探しておいてくれた所はパーサヤ というデパートでした。年代により増築を重ねたリある時は日本名が付いたり していた店です。その頃トイレにはペーパーが無く試着室の天井は抜けていて ふり仰いだら人が覗いていて超びっくりしたこともありました。建物の上の階に 絵の具売り場がありそこを目指して帰りもきちんと運転手を呼べる場所に 戻れるように緊張したものです。極々初級滞在時代でした。その後オシャレに 改築されていますがEVは相変わらず古く歴史がしのばれました。さらに進化 しているのかは不明です。VIPが来て貸切になったり火事が出たりと話題豊富 なデパートで現地の若者などで夜もにぎやかに繁盛していました。 あちらでの住まいは他の点はともかくアトリエになる広いスペースが確保出来 たので夢の様でした。日本の住まいでは肩身の狭い制作でしたので。 病やらストレスやら盛りだくさんのお土産がついてしまいましたがこの経験が 無ければワタシの絵画の時間は進まず足踏み状態だったと確信しています。 あちらの絵画世界を少し覗いた程度なのですが一般的に庶民は余リ家に飾る ということは少なくコーランを中心にした作品が人気だと思いました。しかし 道端には額縁屋やらが多いのです。多分海外からの人用に増えたのかと見て いました。蘭、英、他多くの国からの滞在者が昔から在り安く作れると評判。 ワタシも作りました。新しいキャンバスも沢山買い安い枠を全部取り付けて帰り ました。しかし反りが出たりペンキの塗りが薄くてはがれやすく泣いています。 いくら船便でも日本の狭い家に大きな作品をたくさん持ち帰れませんので 処分しましたがすべて売れました。木枠、イーゼル、キャンバス地。額縁屋は 売れた分から支払いましたのでお手伝いにチップを払い処理をお願いして帰り ました。日本ではお金を払い処分してもらいますのであちらのリサイクルの貴重 さを懐かしく思い出します。チューブのふたから油がにじみ出た古い商品。 路地の奥に小さな店を出している画材屋など見つけると運転手に覚えておくよう に伝えたものです。W.ニュートン絵の具が日本の半額で買えたのはラッキーでした。 大きなホテルには目を引き付ける作品が飾られていて美術館のように魅力的に 見えました。美大のグループ展やフォーシーズンホテルの展示の絵は特に記憶に 残っています。在るところには沢山在ったに違いありません。 芸術の秋がやって来て日本では絵が輝いています。持ち帰った無地キャンバス が意外に多くちゃんと絵を描いて欲しいと要求していることに気が付きました。 ロール巻のキャンバス地は黄変していて月日の流れが滲み出しています。

 インドネシアの林檎と柿 (2013年10月12日)

滞在時には林檎の木や花を見ていません。日本人向け小スーパー3か所 位の店内には時々あったように記憶しています。現地の市場やカキリマ (屋台)でよく見かけました。ジュースの材料になることが多いと感じました。 NZ、豪州、欧米、日本、近隣諸国と輸入国は沢山あり値段も輸入高価格 と言うのが一般的に良く見られました。そういえば随分いろんな国から の輸入品が多い店先でした。日本ではもっと絞られた国からしか輸入されて いないのでシーズンオフにはパタッと果物が少なくなるのが極自然です。 検索してみると現地で林檎が栽培されているのはBatu市のみだそうです。 オランダ統治時代からの野菜生産地で平均気温22〜25度、最低気温が 13〜15度とあります。そんな低温地帯がありそこから林檎が来ているとは 知りませんでした。現地では考えることが山ほどありそこまで気が回らなかった という事です。そこでの林檎は周年生産ということで果樹園では開花,幼果、 収穫、落葉、と様々な姿が同時に見られるそうです。こういう南国特有の樹 の様子は住まいの近くにあったオーク樫の樹で実際に見ました。 収穫と開花が同時という状況はいかにも南国らしいです。1樹で2回収穫 (4,5ヵ月で収穫)、そして冬眠期を過ごし農薬などで強制萌芽させ開花という 予想が記されています。選定されていない枝樹や10年くらいしか持たない寿命 や小さな堅そうな林檎の実の姿に信州の里山のそれが重なります。林檎など は防虫用農薬を散布する時期があり幼い頃どくろマークの三角旗におびえた ものです。その農園はその時期真っ白に霧が降りた景色でした。そして栽培 収穫にはとても手間がかかるものだと子供心にも理解出来ました。 その南国高地には渋柿の木もあり生産されているとのことで日本人向けスーパー でいく度か見かけた灰まぶし状態の柿の実を想い出しました。千から千五百M の高地でひっそりと栽培されて都心まで下りてきていた現地の林檎や柿の事が 今頃になって懐かしいです。当時から頭の隅でハテナマークがちらついていた事 は確かですのでなんとなく問題解決という感があります。カナダの女性が書いた本、 りんごの木の下で、もぜひ読んで見たいと考えています。林檎と林檎の記憶が 手元に届いた秋です。わが老犬嬢のリンゴは林檎を食べ過ぎて叱られていますが 主は現地の林檎を食べたことが在るのかどうかは余り記憶に無いのが残念。

 ガサゴソ、ポトリ、リンリンリン (2013年10月9日)

外出疲れで早々と寝ていたら夜半に家人たちがやけにうるさいので目が覚め てしまいました。キッチンの方でしきりに話す声が聞こえ、眠いのにやはり 目が覚めてしまった老犬嬢もいつになくシッカリとワンと吠えて抗議。 犬を叱りに来た家人に問うと昨日遅くに信州の里から届いた林檎と栗の箱 から虫が7,8匹も出た様子。そういえば姉に電話した時に丁度義理の兄が 栗を拾ってきたから入れたと言って居たことを思い出しました。 新鮮な栗の実からはい出した虫さんたち。栗の虫位可愛いものですがこの 手のモノが大嫌いで珍しく声を荒げたらしいのです。処分を命令された家人は 夜中なのに(24時間ゴミ捨て出来る住まいなので)捨てに行かされた模様です。 真っ赤なリンゴは丸々と大きく林檎園だらけの里周辺のどこの産かひとしきり 考えてみました。正直ワタシは東北のほうが味は上だといつも思います。 もともとの樹が違うのでしょうか。想い出の中の山裾の石灰工場にも林檎の 樹が3本くらいあり(紅玉と国光)ましたが固い、小さい、酸っぱい実でした。 そしてこの栗の実はどこの産かなと考えました。中ぐらいの大きさですので 山栗ではありません。人が住まなくなった村の大きな栗の木の下など浮かびます。 眠くなるようにホットミルクを飲みながら珍しく夜半の音に耳を澄ませました。 グウーンと低く強い音を出して通過する飛行機、けたたましい救急車、車が 1台通るとヒューンと空気を切り裂く音、リンリンリンと秋虫たちの合唱。 夜はどうしても眠らないといけないと言う強い意志で暮らしていますのでこんな 夜半の音に耳を澄ませるのはすごく久し振りの事です。信州の里山ではこぼれ 落ちた栗の実のポトリ、コツンという着地音が誰にも聞かれず響いていることでしょう。

 薬に頼る生活 パートII (2013年10月6日)

1か月くらい前から首の下胸の始まりの辺りにいきなりドクドクドクと言う動悸が 時々起るようになった。不整脈から来るのかと思い手首の脈を測ってみても 脈が飛んだり跳ねたりしているわけでもない。自律神経の乱れから来るのか と考えていた。年齢から、季節の変わり目から、環境の変化から、などと 数え上げてみると原因の心当たりは多い。そして鎮痛解熱剤長期使用という 新しい経験も思い出した。この経験は初めてなのでハテナマークなのだ。 検索するとこの薬の長期使用による影響で交感神経が緊張して細菌を処理する 顆粒球増多になって組織破壊の病気(ガン、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、大腸炎など) になりやすいとある。交感神経は感覚運動の動物性道程を促進するらしい。 薬をやめてから今の所この動悸が出なくなった。家人には動悸がすると伝えて 手で良く撫でていたので納得がはやい。のんびりしすぎると副交感神経が優位に なりリンパ球増多でアレルギーの病気になるらしい。この方の仕事は吸収、排出 という植物性道程なんだそうだ。なんとわかりやすい表現なんだろう。 動物性と植物性はヒトの進化(大して知っているわけではないが)の過程なども 想像出来て今更ながらだが面白い。検索様、感謝。 薬を中止したら日中の眠気がほとんどなくなり、2か月ほど低迷していた制作意欲 も戻ってきた。絵画制作は感覚が普通程度にならないといろいろな発見行動に 進まないのだ。ぼんやりして困った目力も出てきた。痛みが顕著時、熱がある程度 出た時には薬に頼らざるを得ないが予防的に飲むのは止めようと思う。 ついこの間まではあと少しでストックがなくなる、どうしようと考えていたのだ。 薬局に行けば簡単に購入できると思うが薬は病院で通院まで我慢したい。 今回程度の問題をドクターに相談したところで仕方がないのだろうか。 金木犀の香りがふわりと鼻先を横切り霧雨の傘の下で秋の始まりを感じる。 この木が垣根になっていたタマ地区の坂道やドングリや栗の実も思い出した。 毛の成長がはかばかしくない老犬嬢に腹巻状セーターを着せてあげた。 冷たい場所が好きで長い時間寝ているがお腹を壊し気味なのだ。

 薬に頼る生活に思うこと (2013年10月4日)

この2か月ほど朝晩カロナール1錠ラペプラゾール1錠ビタミンC2錠を服用 してみて感じたことだ。多発性巨大肝嚢胞でわき腹が張り少し痛むという 症状に対して自己流にビタミンCも追加してみた。1年間ほど痛みと張り、 感染症予防的にカロナールを飲用(これは申告に対して医師から処方され たものだ)後風邪の症状が出て熱も37.1度になった。鎮痛解熱の薬を飲んで いるのになぜ熱が出るのか解せなくてカロナールを飲むのをやめて葛根湯 を飲んでみた。2日ほどで風邪の症状が治まり当分カロナールを飲むのを 止めてみることにした。なんとなく目力も戻り人心地(大袈裟)が出てきた。 37.6度で感染症が出てクラビットを飲んだこともあるのでブレーキなのだ。 特に電車の中ではマスク着用を欠かさない。こういう用心は必須だ。 カロナールの長期服用(自分の場合は1日2錠)に対して肝臓機能障害、 血小板数値注意、間質性肺炎発生報告などが検索されるのでちょっと心配。 腕にいきなりあざが出来たりする。そして1日中眠気に襲われるのもつらい。 肝嚢胞の張り感は我慢できないほどのものではないが確かに効果はある。 一日に5,6種類の薬を一生飲み続けないといけない姉には申し訳ない 我儘かも知れない。心配性なのかな。いや自分の事は自分にしか解らない。 と言うわけで薬に頼らない方が心配もないわけだ。しかし根本のところが 全く解決されないので歯がゆい。同病の人の悩みが忍ばれる。 肝臓は黄疸や高熱が出るまではギリギリ頑張るものらしい。自分の肝臓が どのくらい働いているのかわからないので(先生は優しいのではっきりと 言わない)考えないで暮らしていいものか悩む。人間に悩みはつきものだ。 穿刺治療などは自分からお願いしないといけないのだろうかと思い検索する とやはりいろんな考えの医師が居るらしいと判明。吊り橋を渡ったら又吊り橋 と言う悪夢のような状況を解決したい。又勇気を出さないといけないのだろう。 しかし激しい運動と言える行動の後わき腹が張る時とむしろすっきりする時 があるのは何故なのだろうか。医師で共感できる人に出会ってみたいものだ。 正に迷い多き悩み多き秋の空でおまけに今日は北風が吹いている。 老犬嬢はこんな北風が大好きでベランダから部屋の中に入りたがらないので 主は窓が閉められず風邪ひきの予防も出来ない朝だ。