里津子の窓4

人生で大切なものは”孤独の引き出し”です。家族や友人も知らない一生自分しか開けない
引き出し。それぞれが、整理したり何か彩を加えたり要らないものを捨てたりする。ある人
はその中に絵や歌や詩やゲームやメールや様々なものをしまっておくのは言うまでもありま
せん。何も置かないすっきりした空間で安らぐ人もいるでしょう。そこはとても大きなパワ
ースポット。自分の心の中の引き出しです。

******** 「里津子の窓1」の下段に「写真ギャラリー」を移設しました。********






 ハナのアマノガワ (2013年3月26日)

雨が止んできたので帰宅コースを変更してカーナビに昭和記念公園をインプット した。1時間のドライブだと若葉マークをはる貼らないでもめる。聖蹟桜ヶ丘方面 に向かう車道のセンターラインは大きく育った桜の樹と満開の花のオンパレード。 街中や建物を背景にした桜の花ははっきり言ってショボイ。背景が丘だったり 緑の木々だと途端に存在が目立ち色もきれいに見える。多摩周辺は丘と沢で成り立つ 地形なので沢地にある川に沿って桜並木が多い。又このあたりには計画的に植えられて 2,30年たつ辛夷の街路樹が目立ち、辛夷は山岳地帯というイメージを塗り替えられた。 青島だーの都知事時代にこの辺にどんどん公団が建ち人気の街並みだったという話を 近所散歩している極年配の婦人に伺ったことが在る。抽選するほどだったそうだ。 多摩方面は現在再開発や建て直しの必要性に迫られている地域も多いというニュースをみた。 思いつきでたどり着いた公園のある立川は冬に逆戻りしていた。人影もまばらだ。 入り口周辺の桜の樹は大きい割にはパッとしない花なのでどんどん奥を目指した。 去年終わりかけの花を見た川沿いにハナのアマノガワが在った。橋の上から見下ろすと 丈の低い黄色いレンギョウを足元に桃色や白のサクラが満開。アーッ桜だ、満開だね、 すごいね、と大はしゃぎする私の横で珍しく家人も携帯写真に挑戦している。桜は上から 見下ろすのが良いかもしれない。叉は夜にライトアップされた花樹もよい。山深い場所の桜は 花力が強い。子供の頃オハカにあるぼってりとた紅に近いピンクの八重桜におびえたものだ。 絨毯のように広がる黄水仙の花、薄いピンクや赤に白が特徴のボケの花、桃色の八重咲つばき、 寒さに震えながら大喜びの私に家人が言う。あんたの直観はあたるねー。君とか貴女ではない。 この辺にただ事ではない私たちの長い歴史が如実に表れている。しかしこんな立派な錦絵を 見せてもらった昭和記念公園に感謝。雨風が強いと見ないうちに過ぎてしまう桜の春だ。 帰りがけに極近所のながいけ公園辺りで見た街路樹はまだ若木ながら見事に咲き誇った桃の花色の カワズ桜らしき長蛇の列だった。ここにいつもタバコを吸いにやってくる家人はすでに知っていた。

 塩漬けミイラ状オリーブの実 (2013年3月25日)

冷蔵庫の中で5か月前に塩漬けアク抜き処理をほどこしたオリーブの実を見つけた。 アクが抜けたのかどうかはわからない。塩が解けてその中でミイラ状態にチジンでいる。 なんだか昨夜TVで観たアイスマンに似ていなくもない。いやあれをみて実のことを 思い出したのかもしれない。さてどうしたものか考えた。塩漬けしたものは薄い塩水 でだんだん戻すものなのだろう。とりあえず水を換えながら実が膨らんでくるのを 待つしかない。なぜこんなものに執着するのか。我が家のベランダで実った片手に 収まるくらいの収穫物だからだ。少し齧ってみたが食べ物とは思えない。 ミニトマトをレンジで長めにチンするとドライトマトになるのでそれとニンニク、 赤唐辛子、オリーブ油+塩解けオリーブの実をスパゲッティに使う方法がある。 実は細かく切った方が良いかもしれない。アンチョビも入れたら実の存在はないか。 自宅の収穫物は粗末にできないのでいろいろと知恵が湧く。この所雑食リス餌状態の料理 メニューなので何とか昔のようにお皿やテーブル演出にまで気を使えるようになりたい。 余裕や日々を楽しむという気持ちがすっかり薄れてしまい結構つまらないことになっている ということに気が付いた。昔のようにというわけにはいかないので少し進化させてみたい。

 砂糖、シュガー、グラ (2013年3月24日)

砂糖の記事を新聞で読みながら思い出した。ジャカルタのスーパーに並んでいた 色の濃淡や程度の違う様々であふれるほど売られていたグラ(砂糖)。お手伝いに 差し入れれるために月2回くらい仏系スーパーでインスタントミー(ラーメン)や 砂糖、石鹸、蚊取り線香、紅茶などを購入した時には段ボール箱にランク別に入れられた 砂糖の山をみた。目の粗いもの、色の悪いもの、少しましなもの、料理別に使い分けたり もするのだろうがお手伝いのみや主と二人連れで買い出しの現地人は沢山購入していた。 お手伝いにも色んな人がいて賢く健康に気を配る人は消費量が少なくインスタントラーメン もゆでこぼしてから食していた。紅茶にドバーッと砂糖を入れる人がほとんどの国で健康に 悪そうだが万年金欠の運転手などは朝これだけだと言っていた。それにパンが付けば普通 の食事なのだろう。インスタントラーメンの種類はとても多くて庶民も大好きそうだったが (安いのは日本円で当時10円くらい)私は敬遠。金額がそこそこなのはお土産として携え られて日本に来たりまた今では日本でも売られているかもしれない。運転手にはコーヒーなど 差し入れていたが労働の割にはお手伝いに比べて断然給料が良いのであまり気を使わなかった。 そのコーヒーというのはスリーインワン(コーヒー、ミルク、砂糖いり)にしてくれと言われていた。 雇用者はその他いろんな場面でチップやら割増やら特別やらボーナスやら支払うことは多いのだ。 あまり甘い顔をするとずるずるといろいろ要求されて慣れない雇用関係で大変なことになる。 サトウキビもカットされて売られていたので一度食べてみた。原材料は主にこれからなのだろう。 色んな島それぞれで特産品があるのでどこかの島で大量に生産されていたのか、はたまた 安いアフリカあたりからの輸入が多かったのか定かではない。日本食スーパーで売られている まっしろな精白糖はあるお手伝いにとってはとても魅力的だったようだ。蟻のように好まれ目減りする ので気が抜けなかったことも在った。輸入品故貴重だったが今だったら背負うほどあげても良いと思う。 私は普段から砂糖を料理に使うことは少ないがヒトにとっては大事なものの一つなので新聞記事で 取り上げられている様子だと自由化の流れの中では大国でも自国保護、聖域ということなのだそうだ。 どこの国でも砂糖や塩の管理には苦慮しているらしい。私の砂糖問題は記憶の世界に消えた。

 示唆やありがたいヒント (2013年3月23日)

最近あまり明け方の夢を見ないような気がするが数日前のごく短いのは覚えている。 黒い携帯の窓枠だけが拡大されていてその中に白い大きな字で言葉があった。 だましていました、ごめんなさい。ただそれだけだがピンと来るものはある。 宮沢ケンジの世界のように動物的カンでわかるのだ。なかなか良いと思う。 肝臓の調子が悪いと脳への血流が悪くなるらしいのでこのところパッとしない。 張れたような感じで痛む右わきや主に右の腹全体を手でマッサージというか 撫でているだけでだいぶ楽になることを発見した。健康な人の肝は手刀で マッサージできるらしいがそんな恐ろしいことはできない。高齢者の手や足を ただ撫でてあげるだけで気持ちが休まるんだなと納得。右の人差し指が腱鞘炎気味 なのでPC検索したら肘のあたりとつながりがあるとある。さっそく骨をたどり サロンパスをつなげて貼ってみたら割合と効果がある。たらこ指がますます太る。 星占いは、寛大なココロを持ちプラス思考で行動する事を示唆しているので実行。 季節は明るいけれど自分の芽は無理せず少しずつ毎日光の方向へ伸ばしていきたい。 ヒトは年齢に関係なく結構成長する部分を沢山持っているに違いない。

 春のちらし寿司&辛夷の花 (2013年3月22日)

辛夷の花は足が速い。女性の口紅のように少しだけ白が覗くつぼみ時代 が素敵。雪柳とレンギョウは日持ちの良さと集団の強さや明るさが満点。 「里津子の写真ライブラリ」をご覧ください。

 桜帯、雪柳、レンギョウのたまご色 (2013年3月21日)

枯れ木色の街道に薄いピンクの桜帯が現れた。たった1日と一晩の間に真っ白な辛夷の花は 風に吹き飛ばされ花芯の薄紫絞りをひるがえして深いグレーのテラコッタ道路におしゃれな スカーフ模様をつくっている。雪柳の白い点々がワッと賑やかにこぼれている垣根が続き 卵の黄身色のレンギョウも混じり春のチラシズシ状態だ。ほら嗅いでごらんと老犬の 鼻を寄せたが最早この春の香りはワカラナイのかと自分の鼻を近付けてみると淡い。 最近の花の香りは薄いような気がするのは私だけなのか。信州の辛夷の花の強い匂いは忘れない。 川沿いでは柳の浅黄色の花が強い風にどっと吹き飛ばされていて小さな毛虫状に丸まっている。 さらに沢山吹き寄せられている小山を眺めて信州の雪解け泥の地面からこんな風に毛虫が湧き出ていた 映像が記憶から飛び出した。自然が豊かな証拠だが毛虫の毛が嫌いなので記憶の悪い方のページにある。 農薬などの影響で今ではあちこちまんべんなく小さな生き物等が住みにくい現実もあるにちがいない。 昨日とくらべて5,6度気温が低く強風なので桜帯もあっという間に散り食欲を誘う若葉グリーンに 変化してしまうのだろう。若葉景色とフレンチドレッシングはすごくマッチすると10代から思っている。 今年こそヨモギを摘んでゆで、電子レンジでチンした餅に混ぜて草餅を作りたい。これは長年ずーっと やりたかったことだ。花より団子だ。きれいなヨモギが生えている場所を何とか探したい。 ジャカルタ時代に届いたくろまめさんのオオイヌノフグリ?がどーんと描かれた巻き手紙を想い出した。

 続・お弁当周辺 (2013年3月20日)

ジャカルタ滞在8年くらいの間4,5年は家人2人のお弁当作りをした。海外で学齢期 の子供を持つ人は特に小学生だと中間食だのお昼だの塾に行かせるとさらに持たせたのか 解からないがとにかく大変らしい。スクールバスは色んな住まいを回り子供を拾うので 学校から遠い住まいの子供は乗車時間も長い。わが娘も乗合バン(会社雇で2,3人拾う) とか少し慣れてきたころには専用車がもらえたが会社までは1時間以上見知らぬ道を走る。 最初と終わりに私はこっそりその道をたどり一人往復してみてため息が出た。日本の企業は 沢山進出していて少ない日本人と多い現地人という構成で運営している。現地人に合わせた キャンティーン(食堂)がそれぞれありおいしいところからまずいところまでそれぞれらしい。 家人たちは焼き飯と現地風スープや揚げ物の多い食堂ランチが嫌でお弁当を要求してきたのだ。 はっきり言ってお弁当作りを卒業したと思っていたのでがっくりした。街のちいさな日本スーパー では毎週金曜日に日本からの輸入食料が入荷するが数年前から現地保健省の通達で品物が 極端に減り、代わりに中韓食品が増えていた。欧米系のスーパーやら現地のやらいろいろと 回り知恵を絞りお弁当のおかずメニューを考えた。果物野菜の豊富さから始まる店の通路を 歩いていくと何回も溶けたり凍ったりした日本から来た魚の干物やいつ凍らせたかわからない 冷凍品などを眺めた。輸入物がある日は頑張って早めに入店したがなんでも日本の2倍の値段に めげず目指すものは残り少ない。豪州からの輸入品は次の選択肢として貴重だが値段は高い。 多分税関チェックを素早く通過するために同じ品を輸入している感じだった。牛乳、ジュース、 ヨーグルト、カステラ、ちくわ、揚げ、納豆・・陳列棚に順番に並ぶ品々がすっと浮かぶ。 肉類、チーズ、バターときて冷凍讃岐うどん、蕎麦、こんにゃく、つくだ煮。大した物は無い。 ごく若い年代の人に比べれば熟年夫人の買い物かごの中身はそれでもリッチだったに違いない。 ただ家には日本人家庭を回りキャリアのあるお手伝いという強力なヒトがいる。前の晩に2品くらい お弁当のおかずを頼むのは簡単なのだ。切り干し大根の煮つけ、ヒジキの煮つけ、こんにゃくの オカカ炒め、なます、きちんと細く切られたキンピラごぼう、日本製漬物器で作るお漬物。みりんや 酒、しょうゆ、ダシの素を使えば魔法の日本食ができるのを彼女たちは知っていた。そして常夏の国故 デザートの果物は迷うほどある。さすがに家人のブーイングでメーンのおかずは手作りした。明日は お弁当いらないよと言われるとバンザイ。たまにはマック買ってきてもらえば・・とすすめることもした。 お手伝いはそれぞれの国に合わせたキャリア料理で老年まで働く。シンガポールやマレーシアに行く人は 英語も上手。給料がすごく高くなるので鼻高々。雇用問題も沢山発生していて報道されていたので日本に 出稼ぎに来るようになる日があるのか疑問だ。しかしごくわずかの人は連れて帰ったとも伝え聞いている。 国際問題は難しい。異国人を家族同様に慈しむのは決心が要る。お弁当作りは娘が一足先に帰国した 時から断固拒否して家人には車で会社の近所にある日本レストランまで出向いてもらった。

 懐かしいお弁当 (2013年3月19日)

TVでホカ弁のCMを見て想い出した。ジャカルタでもいつからかはわからないが 弁当を売り出していて現地人もよく知っていた。とはいえいくら物価が日本に 比べて極安い国でも庶民には高くて働いていたお手伝いは子供のお誕生日にこの弁当 を買って家族で食べるんだとはしゃいだ。安い給料で働いていただいていたので折に触れ チップやら気を遣った。彼女の家庭では臨時収入があった時には特別メニューの出番だ。 現地の弁当は家人の会社のイベント等でもふるまわれたらしい。どれも揚げ物(天ぷら) が多く(彼らは大好き)一緒に食べないといけない家人は閉口していた。あるお手伝いの妹は ほか弁つくりの店に勤務していた様子でちょっと自慢げに話してくれた。先日のり弁が 食べたくなり家人に買って来てもらったところ昔食べたのり弁メニューと味でうれしい。 お弁当は家人が海釣りに出かける日の前夜から腕まくりして作った。早朝4時ごろ出発した。 たまには運転手に胡瓜の海苔巻とゆで卵などあげた(宗教上選ぶ)。すきっ腹で長距離運転は恐い。 厚焼き玉子や空揚げウインナー漬物くらいのものだが一緒に船で食べる人たちとも交換できる ように大きなタッパーにいれ、あちらでは家庭用に年がら年中日本産麦茶を作っていたので それも沢山用意。船は主の娘の名前を付けた自家用所持者に乗せていただいていたようだ。 赤魚らしきものやタイらしき魚やイカなどなどは帰宅したらすぐに処理しないといけないので とても面倒だ。なるべく繁華街の日本料理店に即持ち込んで料理をおまかせで宴会してもらった。 近所に住む庶民にとっては海魚は特別貴重らしく朝早く天秤担ぎで売り歩いているヒトがいたが 熱帯故ハエがぶんぶん状態で品薄。日本の塩じゃけのように塩辛い魚はどこにでも沢山売っていた。 市場も大小沢山有り海産物野菜花等の仕入れに行き交う小売業者で大混雑の道はなかなか動かない。 日本でも安いお弁当にはいろんな国の素材が使われていると思う。ジャカルタの小さな日本食スーパー に並んでいたのは単身赴任者の人気ものだった。お弁当作りは面倒だが食べる人の健康や喜ぶ姿を 思いながら作るのが良かった、とは言え今作らなくて良い生活は幸せだ。

 オリーブの木の鉢替え (2013年3月18日)

体長1m以上に育ったオリーブの鉢植えを一回り大きなテラコッタ鉢に植え替えた。 根がきつく張りつめ押しても引いても引き抜こうとしても鉢と一体化していて動かない。 園芸店の人が土が乾いてから横倒しして抜けば大丈夫ですと教えてくれたが家のは手ごわい。 根元にはチャービルとピンクの大きな花が咲くカタバミや異種株の小さな苗も植えてある。 家人には以前からしつこく手伝いを言ってあったので嫌とは言えずベランダに出て来た。 新聞紙を沢山敷いて土汚れに備える。家人は鉢を抱え込んで座り込み鉄棒を根の周りに刺した。 汗だくで頑張っても根はびくともしないので今まで力仕事をしてこなかった家人の方がネを あげ始めた。なだめながら諦めないように協力する。道具が足りないと言い手放しそうになる家人。 鉢の下に空いている水抜きの穴にも棒を差し込んでみる。私は諦めない。二人で引き抜いてみようと 木を思い切り引っ張るとあら不思議すぽっと抜けたのだ。プラスティックの鉢の中で見事すぎる根を 張り成長していたオリーブの木は植え替えても決して満足な大きさではないが、テラコッタ鉢は 呼吸ができるらしいので我慢してもらう。 枯れたとしか思えなかったライラックや山椒の木にポチリと芽が出てきた。四季生り大イチゴ は季節到来とばかりに元気に勢いがついてきた。四季咲きの薔薇の葉は素敵なクラシックグリーン。 自然と人間は共存しているんだなと今年も感慨深い。春のエネルギーを思い切り深呼吸。 枯れ木色の丘に数本の辛夷の花が煙った白。背景の空はわずかな水色と湿度の多い淡いグレーだ。

 干しシイタケ様 (2013年3月17日)

宮崎のシイタケは特良品です。でも立派な干しシイタケはお高いんです。そんな干しシイタケ が沢山手に入るのはうらやましい。昔信州の山の家で父がホダギを並べてシイタケつくりに 挑戦していましたがキノコはあまり収穫できなかったように記憶しています。小さなキノコが だんだん大きくなる様子は薄暗い裏小屋の中の光景として想い出せます。キノコは秋に栗の木の 根元にわっと生える茶色、大なめこの光沢なし風のクリタケが一番美味しかったかもしれません。 癖がなくておいしいキノコです。上京してから出会ったヒトが雨とシイタケと女は嫌いだと 言っていたのも思いだします。今頃は良い干し爺さんになっているでしょう。 住んでいたインドネシアにもシイタケは沢山売られていました。もともと山の方で栽培されて いたのかどこかの国の指導(これはすごく多い)で作るようになったのかは不明です。 日本に輸出する話をこぼれ聞き、あちらではシイタケの軸を切り落とす習慣があり切り落とさない 日本人向けにしないといけないのだとか。その後日本に輸入されたのか。良質の煮干し、昆布、 干しシイタケのダシ汁は我が家風です。インドネシア人もキノコをよく食べている様子でした。 周辺国の影響からかマッシュルームの大振りで品質の良いものや、いろんなきのこ類を沢山 見かけましたので買い物に来ている現地のお手伝いのマネをして試しに買ってみたりしました。 周辺国から来ているものは香りが違い姿かたちは同じでも味にも敏感な日本人向きにはどうか と思いましたが、若い奥様たちは気にしない様子で輸出入が自由化される日本の未来が伺われます。 切り干し大根や乾燥ひじきは海外では貴重品でしたが帰国すると山のように売られていて消費意欲 が減退してしまいキッチンの引き出しの中で眠っている始末。日本食スーパーパパヤの陳列ケース の商品の並べ順が今でも記憶にあります。そことあと2件しか専門店がなかったのです。韓国や中国 の進出もすごいので今ではまた違った競争が展開されている様子です。運転手は海外の投資は歓迎 だと言っていました。それはそれあれはあれとキチンと考えを整理している人達です。日本人は大勢 働きに来るのに我々はなぜ日本で働けないんだという質問には上手に答えられませんでした。

 悩みはキチンと整理したい (2013年3月16日)

昨年に続き大腸ポリープ2個目を除去しましたが良性で一安心しました。 友人たちの中には恐い恥ずかしいと内視鏡検査をしない人も居ますがボオーッ とする注射を大目にして頂きやってみるとどうでしょうかとお伝えしたいです。 これからも2か月間隔くらいで血液検査、必要に応じてCTなどになる予定。 見た目は元気そうなのに長期予報が出せないので知り合いの方たちに失礼しています。 肝のう胞は大きくなることはあっても小さくなるケースは僅からしいので強い痛みや 高熱が出たらクラビットを飲んで救急外来に行くつもりです。減量してベストサイズ になってどうするのさという楽しみがないのが一番いけないのか、今は適度に体を休めて 絵画制作などに集中していますのでその辺は努力あるのみでしょう。治療で成功する人、 何回もする人、成功しない人、それは治療者の方針や患者の選択それぞれにより違う様子。 解からない事は時間をかけて知恵を絞り聞き出す、調べる、情報を収集するのは大切です。 その辺のことに関しては決してあきらめずしつこく深刻過ぎずプラス思考で行動したいです。 自身にも良くわからないことを投稿するのは躊躇しますが情報の一つにはなると信じて。 何かというとミステリー本に逃避するのですが最近読み終えた本は妙に現代の人間性や社会が 新しい感覚で理解できました。ザ・シティ&ザ・シティ。隣り合った人間、物、国、など との境界やクロス、考え方の違い、人間を超えた支配者の存在。見えるのに見えないふりをする とかじっと見ない、触れるほど近くでも無視する、ルールの中での2国間の暮らし。ルールを 破ると処分される恐さ。頭の中がこんがらがるようなクロスハッチングの本です。ただ一つ 不満なのは冒頭で犯人が判明してしまったこと。考えようによってはどんな現実場面にでも 存在する異次元感覚のようなものなのかなと拙い頭脳で悩んでいます。読み終えてからも脳みそ がうにゃうにゃしていて困りますが若い人は多分ゲーム感覚で理解できるのでしょう。

 フシギとキケン (2013年3月14日)

とても不思議なことが有る。あるヒトのことなのだが見る場所によって 印象がすごく違うのだ。なぜなのかわからない。ヒトは見たいものを集中 してみるということも在るがもう長い間なぜかと疑問に思っている。 ある場所では子供っぽくて感情がむき出し。ある場所では大人っぽくて クール。又ある場所ではまるでホカのヒトのようだ。背景を取り去りその ヒトの本質を考えてみるがどれが本当のスガタなのかどうしてもわからない。 共通するココロは純ということなのだろうか。あるいは私が勝手にそう思って いるだけなのだろうか。相手の術にはまっているだけなのだろうか。 いつも同じスガタで不器用な自分を振り返るとそのヒトは魔法使いにみえる。 ジンシンを操るテクニックを学んだのだろうか。傍からうかがい知ることは ゼンシンゼンレイで生きているということだ。大王イカなのかタコなのか はたまたブルードラゴンなのか電脳忍者なのかはわからない。 突風に吹き飛ばされ交通手段を妨害されそれでも高層ビルの谷間を歩き回り 友人の美術作品を観た私もまんざらチカラがないわけでもない。そんな日に 病院まで行き多くのお年寄りたちと同様ヨタヨタ風と闘いながら無事に帰宅 出来たのは運が良かったと思いながら本心はヒヤリの日だった。

 高齢犬と予防注射 (2013年3月13日)

13歳の老犬にワクチンと狂犬病予防接種の案内ハガキが届いた。住んでいた南国では 自主的に予防注射をしつこいくらいにしていた。きちんとした書類がないと帰国できない からだ。例年の習慣でまずワクチン、そして狂犬病予防注射と気楽に考えていたら予防注射 というのは高齢犬にとって結構命がけだということが判明した。ひどい吐き下しをしてしまい 主もうろたえてPC検索したところ様々なことが発生するし、ヒトもそのお世話をするときに 手袋をはめたりして防御しないといけないらしい。ヒトの手に外傷があると・・という記述に 後悔したがとっさの時にはあわててしまう。病院で診察してもらと猶予書類をもらえる。 抱っこがほとんどの散歩を二日続けると犬知恵に負けてしまう。老犬の知恵は侮れない。 いつものコースを変えて習慣にしないようにと私も考えた。あちこちで満開の梅の花は まだ香りが薄い。散る間際になると花のにおいでいっぱいになる。階段を下りていくと 幼稚園の庭に大きな梅の木があり見とれたが気持ちを引き締めた。この前階段から落ちそう になったことを想い出したのだ。6キロの犬を横掛け鞄に乗せての行動は結構大変。 犬を初めて自分で飼いその一生に付き合っているが彼女にはいろんなことを教わる。 この間は危篤状態(薬の残りを与えた)に陥りいざという時の予行演習をさせてくれた。 以前は朝晩だった散歩が朝だけになったがこの習慣は主と犬にとってとても貴重だ。 今が大切なんだね。今日は食欲はいまいちながら爆睡と大いびきがちゃんと聞こえている。

 梅の花の香り&笹竹の緑 (2013年3月12日)

ながいけ公園の枯れ色雑木林の手前で車を停めて風のない木々を仰ぎ見た。 わが老犬がトリミングとワクチン注射の日なので送迎の時間つぶしに 近所をドライブ。昨日おとといと違い空気が普通に澄んでいる。それでも 家人も私もマスクは必須だ。マスクの上下を家人に指摘されて初めて今まで さかさまに使用していたことを確認した。金属は鼻の隙間を作るための物 とは長年知らなかった。どうりで息ぐるしいといつも思っていたのだ。 又足元ばかり見て歩く人の後ろで小鳥などの話をしながら何とか上を見たり周りを 観察するようにとうるさい私だ。細い道を上り、曲り、下りながらそろそろ 出会えるはずの梅の花を探した。20分くらい歩くと沢状の空き地に白梅が見えた。 木の下までの道を迷いながらこころを弾ませる。大きな梅の木に会えた。 空き地からさらに丘の方を眺めると上には紅白の梅の花が数本賑やかに咲いている。 やっぱり春だ。少し急な道をゆっくり歩きながら、ほらほらとマスクを外して木の 下の方に咲いている梅の花の香りに夢中の私は家人にもすすめる。しぶしぶまね をしているので、ほらねいい香りだね。あーっこの香りが一番だね。うれしいね。 13年前に旅立った母が同じように季節の変化に感動していたことを想い出した。 何かをついばんでいる小鳥は真下から見上げても逃げないほど魅力的な餌に夢中だ。 今年は去年より辛夷の蕾の数が多く見られ鳥のおやつにならないで済んだのだなと思う。 公園の出口あたりに少し見える風がみずみずしい緑色の笹竹をさわさわと葉音高く かき鳴らし細い竹の幹をまあるく揺らして遊んでいた。空はまだ冬色の濃い青だ。

 トラウマと同居中 (2013年3月11日)

人それぞれいろいろな体験を積み重ねて必死で生きているが私も特にここ10年 位の間には身近に見た災害や光景のためにトラウマが離れない。こうして拙い 文章にして投稿させていただいているおかげで自助作用が働きプラス思考に転換 出来ている。20代には勤務先のごく近くでヘビー工業の本社ビルが破壊され、 40代には某団体の事件があった霞が関ビルに午後行っていた。インドネシア滞在中には カンガルーの国の大使館事件がものすごく近くで発生、アメリカ系ホテル、バリ島 の事件と続きその後土嚢ダム決壊があった。2年前に地震被害が襲った時には入院中 で1人TV映像を見てアチェの映像と同じだ・・と心は静かだった。それでもヒトには トラウマというものがある。今日本のTVで繰り返されている映像は少ししか観れない。 あなたよりもっと大変な人は大勢いると言われても自分の体と心は一つだけなのだ。 他と比較はできない。どんなことにでもヒトそれぞれの感覚は違う。大まかなところで くくらないと社会に適応できないけれどヒトは語らず行動せず考え持っている部分を お互いに察知し合うことがすごく大切なのだということに改めて気が付く。観察したり 推察したりすることは私にとっての防御策なのだろう。語らず秘めたままだと光が入らない。 昨日黄砂と思った天候は煙霧というものだと報道されている。焼畑でインドネシアから 隣のマレーシアまで煙が流れていき問題になっているのもこれなのだそうだ。宇宙衛星からも 観測できる位の煙霧らしい。オーストラリアの自然火災の後も観たことが在るが黒々と焼け 続く大地の様子は記憶に新しい。自然は復活する。ヒトもそれほど弱くないはずだ。

 水、運転手&黄砂 (2013年3月10日)

家人がバスルームを使用している時にキッチンで思いきり蛇口をひねっても心配いらない 現在の生活に今だに感激する。南国で郊外のガレージ付き平屋に住んだ時には社用や 家庭用の車の運転手が朝晩車を洗い出すとキッチンやバスルームの水量がぐっと減った。 シャワー中の夫が急変した熱水にぎゃーっと大声をあげて(やけどするくらい)、 マナに水を使うなと言え、水を使う時は前もって言えと言ってあるのに・・・と怒鳴った。 マナさんは夫滞在10年の間ほとんど社用運転手としてカムリを駆使してくれた。 私の洪水に負けないキジャンと乗り心地が違うセダンは車に弱い私にとっては乗り心地が 悪く1年に数回しか乗らなかった。たまに乗る時にいつも家人に怒鳴られている運転手に必ず 多めのチップを渡すように心がけていた。恨みを買うと危ない事件が多い国なのだ。セダンから の目線はゴミの山や見たくない子供の物乞いや辻褄の合わない発見などが見えすぎて嫌いだった。 友人は観察家の私と違い車の中では即爆睡していた。この運転手はまあ夫に負けず頑固者で あまり言うことを聞かずむしろイライラ家人に対して口答えする勇者だった。 6年目くらいにひょんなことから奥さんが二人いる事が判明して超びっくりした。失礼ながら あの人がねえという方なのだ。本宅より1時間は遠方にある別宅に行く日は朝持参の大きな荷物で わかった。本宅の奥さんが集合住宅の門の外で子供を連れて立っていて何事か伝えている様子も垣間見た。 世間話が大好きなお手伝いがなんでも教えてくれた。彼はお祈りが半端でなく熱心で週一回くらいは プチ断食もしていた。ガレージなどのコンクリートの上に敷物(自分専用で方向がある)を敷いて トランス状態でお祈りをしていた。お祈りは人それぞれ老若男女違う様子であったがいざいう時 にはすっとまとまる心の人々の様子だった。男尊の感が強い国なのでお手伝いは水の出が悪く ちょろちょろで皿洗いしていても我慢が多くそんな時には私が頑張って強く言いに行った。 日本のジシンに出会ってから明日で2年目。窓の外が黄砂で景色全体が煙っていてまた別の心配が 出てきている。マスクなしでは目も口もざらつくのではないかというほどの悪い天候であるが この辺は特に多いのだろうか。中型の中古車を駆使して走る若葉マークから少し脱却した家人は まだイライラ病が完治したわけではないが南国生活に比べたら良い方向に向かっている。 有難い日本の水のことを思い出して良かった。この頃水を買って飲む回数が減った。

 探したいもの (2013年3月9日)

ベランダの黒い鋳物テーブルの上に黄色い粉が渦を作っていた昨日はどうやら花粉やら黄砂 やらが沢山漂っていたらしい。春霞と昔から言っていたのは黄砂も関係しているのだろうか。 家人はとうとう根をあげて近所の内科医に薬をもらいに行った。睡眠薬入りの薬で熟睡出来て いつもよりはさわやかな朝を迎えた様子だが薬の効き目が強くて又寝てしまった。 わんこも私も最近オリーブオイルを活用することで生活力が向上している。犬のカサカサの 鼻にちょっと。カサカサの踵にちょっと。ぱさぱさの毛にちょっと。ちょっと苦みのある バージンオイルと塩とトーストパンは相性が良い。 この頃の食べ物は手元到着までの道が不明なものが多いのでアレルギーなどを起こす人がいる と感じる。でもそんなことをものともせずどんどん強く進化する人たちも確かに存在する。 住んでいた南国で欧米人が裸足で近所の道をよちよち歩きさせているのを見た。 ショッピングモールの洗面台で赤ちゃんのお尻を洗う現地人にも出会ったので私もある意味 では免疫力が付いたのかも知れない。しかしその光景はなかなか記憶から追い出せない。 確かに世の中には色々なことが在る。自分の感覚と折り合いをつけて生きないといけない。 朝一番はミントの葉のにおい。レモンやグレープフルーツの切り口が似合う。深い海のブルーとグリーン。 梅の花の香り。メントールキャンディーの強さ。コーヒー。まだまだ探せばある。探してみよう。 感覚を自由自在に上手にコントロールできるのは生きていく上でとても強い魔法みたいなものだ。

 またラッシュに負けた (2013年3月8日)

昨夜横浜線のラッシュに負けてしまった。数十分に1本の直行電車に運よく乗り込み 座れたのに混雑と身動きできない苦しさ暑さであくびが100回くらい出て目も涙で ぐしょぐしょ。マスクをしていたのでごまかせたがこれはやはり海外生活で電車に全く 乗るチャンスがなかったタタリとしか思えない。胃の調子も悪いが年のせいもあるのかと 回りを見るともっと高齢の方が悠然と本を読んでいる。小さいこから車には酔う。 海外でも毎日車生活は当初地獄だった。うめぼしキャンディーやらガムやらに助けて もらいだんだん強くなった。家人は持病の喘息が初患の花粉症に逆戻りしていて変だ。 電車の中でもくしゃみ組が多くて風邪とは様子が違う。しかしあくびばかりする人が 隣に座るのも迷惑なのだろうなと近隣の方に心で詫びた。 幼少の頃信州の山の中の暮らしは杉林に囲まれていた。その黄色い花粉はまだ雪が残る 地面にどおーっと煙って落ちて記憶に鮮やか。二酸化炭素と合体すると悪さをするようだが 昨年目と後頭部が痛くなって病院で指摘されて初めててい花粉症と気が付いた程度で免れている。 その時は横浜の海沿いを歩いたので沢山咲いていたブタクサの花が原因に違いないと思った。 乗り換え駅の改札近くにある花屋では紫系の花の姿が多くみられた。品種改良で様々な色が 増えている分野だが水色や紫は日本人好みなのかもしれない。絵画制作で黄色と青のコントラスト に苦労しているので普段心を惹かれるムラサキがおとなしすぎる色に見えた。今ベランダでは すっかり枯れたと思っていたネパール方面産の苔のように地味な鉢に黄色い小花があふれている。 この鉢は最初2個あったが片方は水やりが多すぎて枯れた。鉢物の水やりが今後の研究課題だ。 小川の岸のアジサイの枝は枯れ木状態。同様の我が家の鉢木もアジサイもハッとする姿に変身する 日が訪れる本格的な春までの観察が楽しみだ。

 救う人、救われる人 (2013年3月6日)

先週大腸ポリープ、2年目にして2番目のを除去をしました。大きくなったと感じました。 今回はボオーッとする注射を少し多めにお願いしたからか前回よりはボオーッとして 終了しました。正直、又肝のう胞の方に細菌が流れていったらどうしようとドキドキ していたのですがわき腹が張るときにはカロナールを飲んで様子見をしていた所 今日まで異常は見られません。肝のう胞の穿刺治療をしてから1年以上たちましたが この頃は以前より痛みが落ち着いているような気もします。大きさは治療前とあまり変わり がないと聞いていますので何とかこのままでいて欲しいものです。治療することによる リスクを考えて現状維持を考えています。相当疲れを感じるときでも長めの昼寝で見事に 復活するのですが今では家人もただの怠けものとは考えていない様子で気持ちが救われます。 ただ歯の定期検診を中止していますので今後どうしたものかと迷います。経験から 血小板の数値がさらに悪い時には歯茎が1か月くらいただれたりしたのでそんな時には要注意。 ピアスは残念ながらもってのほかで以前蕁麻疹がひどく出た貝類もできるだけ避けています。 まあ知らないだけで色んな理由があるのでしょうが自分の経験です。主治医も1,2年後 には戻られると伺っていますのでその間は何とか変化なしで過ごせたら良いのですが。 色んな病気で苦しんでいる人々が医学の進歩で笑顔を取り戻すことが出来ますように。 病院の先生方がご自分の体調をいたわりながらさらに多くの人を救って下さると信じています。

 育ちすぎたオウム (2013年3月4日)

八王子の空はグレーの雲一色に覆われていてひんやりとした冬日です。 小さな川沿いに草花を植えている人がこの春に向けてビオラに替えました。 紫、黄、白などの小さな花も沢山集まると賑やかで思わず目を留めます。 この1年ばかりは架空のごとき対象に語りかける投稿が多くて理解できる 人は極々わずかなのではないかと思います。今朝がた見た夢は腕に抱える ほど大きく育ったオウム。賢しげに見上げるオウムはフテブテシク餌を食べる 量もすごくていつの間にこんなに大きく育ったのかといぶかりました。 と言っても我が家にオウムはいません。飼ったことも在りません。 夢占いでオウムを調べたところ、架空の話の増長、オウムは人を馬鹿にした態度 の存在、とありなぜかすごく納得しました。架空のごとき対象に無い知恵を使い 切々と訴えた結果があったと信じています。オウムが大きくなりすぎてとても 手におえませのでこの鳥は空に放してしまうつもりです。架空のごときものとの 接触はある意味ジブンを鍛えてくれ、又少し楽しくもありましたがとてもエネルギー が必要で疲れました。そんな世界は苦手なのです。目に見えるものや現実が一番。 空にはうっすらと今日の光が射してきましたがお天気は曇りのち雨です。

 永遠のディスタンス (2013年3月3日)

何が正しくて何が正しくないのかという事なのではない 霜に覆われたガラスの真ん中がほんの少し空いていて そこから覗く景色や移ろいを爪先立って見ようとしている努力 足元が宙に浮いてしまったり、沈んだり、又浮上してしまったり、 横滑りしたり、停止したままだったりする度にまるで違うものを 見ているようなただの錯覚の事なのだ 目の前に見えるものや記憶している事や推測することや 消してしまったものや決してみえないもので目いっぱい膨らんだ ガラス窓から見えるそれらはモノトーン、 悲しい色だ 責任や義務や改革を盾に勇ましく時を更新していく者たちがふと振り返り そのマナザシを捉えたとしてもその思考はこちらからは決して見えない ただの気まぐれにすぎないからだ  それでも覗き見るものにはわずかな希望が生まれる 窓の向こうの世界は計り知れない 何かは暖かく、何かは冷たいという指先の感覚の方がまだ確かだ その指先を少し長く置いたらこの霜は溶け去り外界が広がるのだろうか そして彼らが日々更新しながら確かに正しい道を歩いていく姿を見送れたら 多分すべての霜は溶け去り新しい色彩があふれるに違いない 何が悪くて何が許せないというほどの事ではない それでも距離は永遠だ

 ナマクラになった (2013年3月2日)

帰国してから日々の料理にあまり時間を割かなくなった。比較すると素材が良く 安全なのでそれだけで満足なのだ。家人に、最近我が家の食事はさっぱりしている ねえと言われる始末だ。ダイエット第一の私は揚げ物などごくごくたまにしかしない。 私のはどちらかというと今はやりのタタタのダイエット料理に近い。悪くはない。 日本で暮らしていたころは違う。忙しくても色んな料理に興味を持ち挑戦していた。 海外でお手伝いを使う生活をしたところに原因があるかもしれない。色んな日本人家庭 で働き積極的に学んだ彼女たちは結構もどき料理が上手だ。自分だったら口出しを されるのが嫌だと思い彼女たちが台所で働いているときはお任せしていた。時間内で 効率的に働くために彼女たち独特の時間配分、仕事手順があるのを知っていた。 お昼で仕事が終わると帰りたいという人、土日は休みたい、学校に行くので、などなど 色々な人がいる。てっとり早くお金を稼ぐ職場としてはお手伝いがダントツの国なのだ。 帰国するときに我が家の写真を見せてくれと言い、出稼ぎに来る意志があるらしいのには 驚いた。日本の家にメード部屋は無いのよ、狭いのよ、と伝えると働いている娘の方に 関心が行く。あちらでは女性の社会進出が盛んでお手伝いを雇い2,3人出産して働き続ける。 夫はこの料理はだれが作ったのかと聞き、お手伝い作だと伝えると途端に嫌な顔をしたものだ。 あちこちの海外を回りその国ではお手伝いを使わなかった友人が作ってくれたひじき入り 稲荷ずし、スモークサーモンの押しずし(上にレモンの薄切りのせ)の味がとても強く印象 に残っている。くろまめさんのスローフードを見ていると母の時代がふつふつと甦る。 同じ皿を使い回し工夫のない料理を並べているのが恥ずかしくなる。何とかして料理の方向にも 関心の芽を伸ばしていきたい春だ。色んな事が同時にできなくなりもどかしさばかりが空回り することが多いが諦めないで何とかしたい。そういえばアイロンがけという仕事も大嫌いになって しまった。手アイロンが良いと思う。お手伝いたちは魔法使いのように上手にアイロンがけをしていた。 時々熱くしすぎて別の模様を作りながらではあるが。日本ではアイロンのいらないものにまず目が向く。

 アジア人のオバサン (2013年2月27日)

PCでインドネシアを訪問した人が現地人にルーツを感じるという記事を見て 自分の経験を想い出した。10年前にあちらの国に着いて初めて税関をパスする際に パスポートを開いてチェックしている若いお兄さん職員に言われたのが始まりだ。 あなたはインドネシア人でしょう?違います。いいやインドネシア人でしょう、と ニコニコして重ねるのでムキになった。語学学校の若い女性教師にも特徴(髪の毛 や耳やあごのラインらしい)が似ているといわれた。運転手にも言われたのでそれでは どの地域の人に似ているのか尋ねるとバンドンあたりということ。美人で有名な所では 無い。娘はチュウゴクの人に見られて、赤や青のゴルフシャツを着た夫はカンコクの人 に間違いないと思われた。彼らは必要に迫られて外国の人をとても良く観察していると感じた。 私は日本でも八重洲地下街でタイ人女性にすごく親しげに声をかけられた。あちらでも デパートで韓国人女性に近所の友達と間違えられた。いずれも女性が声をかけてきた。 現地人の特徴濃い洋服を着るとあちらの街中にススッと溶け込み警戒心が薄れて気楽に 話をしたり歩き回れたのは有難かった。髪の毛の色も同じなので本当に違和感がない。 こんな経験をする日本人は実は多いのかもしれない。 昨日蕎麦屋で店員の人がやけに詳しくそばの説明をしてくれて、スープで食べるのとかける のがあるのよと言ったのには驚いた。まだまだというかこれからも異国人状態なのだろうか。 アジア人ということでもいいような気がする。かれこれ20年くらい前から職場でグローバル化 が唱えられ始めて以来日本はこの方向目指して現在も進んでいる様子だ。それが良いのか悪い のか解からないが日本の独自性を守る部分も絶対必要な気がする。結果的に海外がぐっと近寄り ひたひたと広がり社会に様々な影響を及ぼしたのだろう。ルーツなども改めて考え直したりする。 ほほえみとあいまいさをで装いながらアジア人のオバサンとして生活するのも楽しいかもしれない。

 全力で舵取り航海 (2013年2月24日)

この街に住み地震や8年近く住んだ海外からの帰国や入退院など実にあわただしい 2年近くを過ごしました。自分の投稿を読み返してみるとても感慨深くまるで他人 が書いたもののような不思議さです。近所の紅梅に出会うと、あっ又咲いたんだね と声をかけたくなるくらい懐かしく思います。今朝出会った鴨夫婦は相変わらず目だけ であいさつ。川辺に積まれた石の間にすっと消えた小さな茶色の鳥が少ししてから 顔だけ出してくれました。水かさが増えない冬だから大丈夫なのでしょうか。 ヒトも自然界の生き物も場所を選べず生まれてきますが、出会ったものやヒトの印象 はできるだけ忘れないように注意して暮らしていかないといけないと学習しました。 それこそが長じて老人力に変化していくのでしょう。まだ若い気持ちを維持したいと 念じていますのでココロの目は研ぎ澄ませなくては。観察力は必須です。 この春本番にはリハウスして昔住んでいた地域に戻ります。慣れない土地で元気の でない夫の姿は何とかしないといけません。何しろ直観だけで生きているようなヒト ですので家族全力で知恵を絞り方向転換。又新しい発見やらを投稿できるはずです。 老犬は自分の生まれ故郷のにおいを覚えているのでしょうか。

 ヒトも植物も苦労する時代 (2013年2月23日)

バッタ君が枯らしたブルーベリーを抜いた後の鉢土を手入れをしていたら カブトムシの幼虫のよりは小さな虫が丸まって数匹寝ていました。 昨夏クワガタのような虫が来ていた記憶もありますのでその子供なのか も知れませんが、いくら冬眠中でピクリとも動かないとはいえずーっと お住まいになられてもまた困ったことが起きるかもしれないと思い処分 しました。多分里山などの腐葉土を利用して商品化され売られている土は 色んな問題が出ることに気が付きました。 小鉢を購入して3倍くらいの鉢に植え替える際に購入した腐葉土をよく使います。 受け皿や鉢底にカビ菌だか苔だかわからないものが繁殖してきて難儀しました。 この冬にそれらがどんどん繁殖力を増してきたのでさすがにびっくりして 受け皿や鉢底を洗い、それでも残った者には台所のアルコールスプレーを噴射 しました。アルコールスプレーは強者で残った菌も固く白くなり多分死滅した 筈です。こういう経験は初めてなので困惑してしまいました。受け皿にたまった 水を放置したせいなのか新手の苔なのか、夏には黄色い大きなきのこも生えました。 枯れそうになったオレンジ色のゼラニウムの根元にもカビが付着していたので 処置したところ細々と復活中です。イチゴの苗についてきたカビ菌が原因なのか 不明ですが植物の世界も強くなったカビやらウイルスやらが繁殖しているのでしょうか。 何とかスプレーがとにかく多くなりお店に行くと栄養剤やらそれらのスプレーが沢山 売られていますが植物の力との背比べなのでしょう。ヒトも植物も難しい問題を抱えて いる時代なのかもしれません。ヒトとして雑菌が多い南国で暮らした力を駆使して暮らす ことを改めて思い出しました。意外な免疫力を付けて帰国したかもしれません。

 フキノトウのように (2013年2月22日)

自病について2年近くPC検索してみたり、又実際に穿刺治療経験もしてみて 納得したことがあります。多発性肝のう胞(大小合わせて二桁)が痛み 出して初めてその大変さに気が付きあたふたしてきました。医者の見解は 様々らしいです。治療することによりほかの病気(感染症)を持ってしまう ので治療せず推移を観察しましょう、症状(痛み、破裂、内出血など)が 出たら治療しましょう、あるいは大きくなったら積極的に治療しましょう (これは都内有名T病院など)等々あるようです。他の臓器に関係していく とこれは又別問題です。何といっても原因不明という病なので注意。 結構普通の検診で見つかることが多いらしく医者は特別な病気とは見ていない と感じます。日々身体全体を使い全力で生きていく人間にとって特に気にする事 がない程度のことをわざわざ喚起させてその行動をセーブさせてしまうのも 良くないという考えなのでしょうか。確かに自身も症状が出るまでは何も気に せず、疲れるな〜くらいのことで生活していました。そのころは特別情報を 探すことも皆無でした。しかし最近の経験からすると知識を得ることは大切である と感じます。自分自身の見解を持たないと不安が増長したりしてしまうから。 又後から考えると無茶な行動をしてしまうことも在り得るからです。 後年、天寿を全うする時にそれが肝臓辺りが原因というくらいのことで良い のでしょうか。治療後は様々な原因から来る感染症に気を付けて暮らさないと いけません。その辺の自己管理と医師からの情報は大切です。納得できる様に 説明してくださる医師に出会いたいものです。今のところはほかの臓器に影響 を及ぼしていないので同じ症状の人にしか参考にはならないでしょう。 今年に入り比較的落ち着いてきている状態ですがクラビットは財布の中に、 カロナールは適時使用しながら自己管理しています。夜の睡眠はとても大切だと 思いますのでレスタミンコーワも使用しますがなるべく飲まないで眠れるように 努力しています。季節を吹き抜けていく透明な風のように清々しい気持ちで日々を 送りたいものです。春のフキノトウのようにぼちっとした灯をともす心がけで 自病のことが何かの参考になれば幸いだと思いながら投稿しています。

 ココロの垣根 (2013年2月21日)

人のココロの垣根は 高い、深い、広い、 そして、時々低く見える それは、近寄ると見えなくなり 壁になり、河になる はてしないサバクにさえなる 並行して歩く、覗きながら歩く、 観察して歩く、気にしないで歩く、 低く見えるときにマタゴウとする 近くをそのまま歩いていけば いつかは隣同士で肩を並べて歩いてけるのか 一つの方向に向かって、明るい日差しの中で あっ隣にいたんだねという感じで 垣根は自分以外の周りに見えたり消えたり さながらイリュージョンのように 人生を複雑にしてココロを試す 隣にあるのはただのコトバ 信頼というたった一つの玉石みたいなもの ただし、それに気が付けばだけれど 空虚なココロには多分何も見えない 垣根は光、垣根は水、垣根は空気 垣根はコドクを鍛える それは限りなくジブンジシン 遠く離れて、見知らぬところにいることに気付く 長い旅路ではナガイ垣根、いつまでも続く垣根 決して終わらない垣根になる 人のココロの垣根はどこから来たのだろうか ある人には在り、あるヒトには無い ある所では見えなくて、あるところではみえる まるでモナリザのほほえみのような謎だ

 植物、雨水からの和み (2013年2月19日)

我が家のベランダでひっそりと冬を過ごそうとしたバッタ君にブルーベリーを一鉢だめにされた ので残っている木のためにラビットアイ系の異種を購入してきました。お店の人に聞くと花の時期 が同じ異種をそばに置いてやると交配して実がなるとのこと。この花の時期が同じでないといけない という事に深く納得。今まで理解しているようでしていない自分の頭の中身を感じてしまいました。 時間があり自由もある今ですが生来の癖で買い物はメモしてお店でウロウロしないように短時間で 効果的に・・その挙句肩にアザができる位重いものをかけて手ごたえのある袋もぶら下げて帰る羽目に。 昨年の台風で枇杷の鉢が根腐れてしていて手で簡単に抜けてしまいました。一鉢空いて しまったので駅近くのあまりぱっとしない植木をおいてある花屋さんを思い出したのです。 何か柑橘系の物を狙って行きました。なんと都合よく手頃に育ったスダチがあるではありませんか。 この店で購入した薔薇やオリーブは適度な大きさまでお世話していただいたおかげでベランダで なんの苦労もなく成長しています。大きさの割には安いし実のなる木は大好きなのでこれも 抱っこして持ち帰りました。このお店はたぶん過保護ではないお世話で植物をたくましく育てて いるのだと思いました。根元には雑草が沢山生えています。水をあげすぎてしまう自分の性格や 柑橘系の葉を好む毛虫のこともチラッと頭を掠めましたし留守の水やりの心配も湧きましたが 誘惑には勝てませんでした。夕方夫にベランダの鉢が増えたか謎掛けしてみましたが解答なしです。 スダチの幹は緑色で芽も膨らんでいます。山椒やライラックはまるで枯れたような感じなので ちょっと心配。昨夜は小雪が降るかもしれないという天気予報にまた寒冷紗の出番。 雨が上がり冷え込んではいますが植物たちは大丈夫で一安心です。昨日は雨水。 帰国してから2回目のお雛様を飾りました。変わらない二人の顔に和まされます。 春のマジックが冬枯れ色の細い枝や鉢たちを今年も緑によみがえらせてくれますように。

 アナログとデジタル (2013年2月17日)

南国に滞在していたころ手紙を書くのが好きだった。エアメールを10枚くらい 携えて家庭車に乗り込み運転手に今日は郵便があるから忘れていたら教えてね とあらかじめ伝えた。郊外に住んでいた時は朝早く家を出発してできる限り沢山 街の中を走り回り用事を済ませるので帰りは3時近くなる。運転手も私も忘れて いたり道を選んで(渋滞がひどいのでいつも同じ道を走るとは限らない)手紙の 角が汚れてしまい大変大変と焦ったものだ。街に行くのは週に2,3回だった。 郵便局、移動郵便局(バンの中で家族が仕事しているときもあった、権利を買うらしい)、 で切手を購入して貼るが少し水を含んだスポンジを使わないといけないときそのあまりの 汚さにおびえた。信用できない郵便局もあり、若い女性が一人で受け付けていたごく小さな そこは切手は貼ってあげますというので任せると日本に届かないことが多いと人に聞き 注意深くなった。必ず日本に到着するというモールの中の郵便局では食事時は人を待たせたまま のんびりと働いていた女性に目顔で自分で貼ってと言われ少しましなスポンジで切手を湿らせ貼った。 そこは欧米人も多く利用していて信用を勝ち取っている感じだった。それでも心配で速達扱いにした。 移動郵便局は指定の場所、時間、曜日に現れて住民が列を作って並び郵便や送金やもろもろ 頼んでいた。きちんと並ばないと割り込まれるので必死で並んだ。街中の郵便局は庶民が大勢 使用するので色々と不安で馴染まなかったが国際宅急便などを利用するときには勇気を出した。 日本から友人が送ってくれた絵画関係の雑誌は町はずれの地域の本局みたいなところの裏の 倉庫の奥深く眠っていて局員と探し当てた時には感動。時代遅れを感じる建物のそこここにPC も置いてあり新しいものに関心が深く器用な国民性を見た。街の掘っ立て小屋のようなところにも 修理したPCをおいて教える人も居た。郵便物の中身が魅力的なものではないので助かったのだ。 帰国してからはほとんど手紙を書かなくなった。しかしこうして投稿を続けさせて頂いているお蔭で 日本語力も少し戻り自己トレーニングできている。日本の郵便局もポスト(あちらではポストを見かけ なかった記憶があるが本当はあったのか)はきちんと役割を果たしていて当然のこととはいえ素晴らしい。 アナログな人種は目で確認したり追跡したりが確実で信頼できる。現代社会のようにデジタルにすべて 隠れてしまう世界は素晴らしいようでいて本当は絵空事の時空をさまよっているだけではないのか。 心や頭脳が繋がっているようでいてある時きれいさっぱりと拭われてしまうのは現代の人にとっては 快いことなのだろうか。マヤ歴を通過してますます人の心が住み分けられてしまい時代遅れを感じる。 デジタルの住人は孤独な惑星に住んでいる星の王子様のようだと思う。地球という星の上に足を付けて 生きてみてほしい。投稿力が劣るとガクンと観察力が落ちていく自分もはかないがアナログパワーを 磨かないと負け犬の遠吠えになりかねない。弱者はそれなりの力と目線で存在できる。

 雪と風が冷たい一日 (2013年2月13日)

3,4cmの雪が積もり朝7時過ぎ早めに家を出て思いの外順調に病院に着いた。 天候で患者が少ないせいか採血の順番も早く来たが予約時間までが長い。 隣にキャリアウーマンが座った。前と後ろの席を二つキープして忙しく立ち働き 始めた。リップクリーム下地クリーム化粧、髪の毛をまとめるまで見なくても 手順が忙しくうるさくて良くわかる。面白がっていたのが悪い。それから鞄の中整理 に入りがさごそビニール袋を引っ張り出してきちんとたたむ鞄の中の整理をする、 ああ暑いわと言いぐびぐびジュースを飲む、はた迷惑だ・・横を向いて眺めても 全然平気。他の人が同じように見ていても全然無視。エアポートの椅子と間違えて いるのと違うだろうか。次はお仕事だ。上着をはおるとパンツスーツ姿のビジネススタイル。 クリアホルダーにぎっしり入っている書類をビシッとチェック。ほとんど会社のデスク状態。 ペーパーをビシッバシッと繰る音が周りに響く。お仕事に熱中熱中。こちらは限界。 ううむ、できる女性だわと思ったがとうとう私は遠方の席に退避した。遅すぎた。 自分で読もうと思った本も読めないでひたすらイライラ順番待ち。多分仕事を休めず 朝の仕事を持ってきて消化していると思うが場所がら人気の少ないところに移動すべき なのは彼女だ。飛行機の中でもそっくり同じことをしている女性が隣に座った。その人は 超スピードでうるさく仕事を終えると寝てくれたので助かった。 主治医に体重が減ると痛みもなくなりますと言われたが、痛みはそういうこととは違うと思う。 先生ものう胞をもてばわかるんですがね〜と思わず言ってしまった。男性ののう胞は少ない らしい。一つ残っている大腸ポリープを取ることになった。腕は良いと思う。なぜかというと 白魚の指なのだ。私の明太子指と比べるとその器用の度合いが初診の時から理解できた。 春から又ほかの先生に慣れないといけないと思うと気持ちが疲れそう。疲れている暇はないのだが。 帰るころには突風が強くなりバス停で小柄なお年寄が吹き飛ばされそうによろめいた。 出発間際のバスが走り寄る私を見てドアを開いてくれた。ラッキー。雪の姿はすでに見えない。

 25才くらいのひと (2013年2月8日)

昨日いつもの制作場所でのこと。一部屋を色んな先生が交代で使用する教室に終了時間 近くに夜の部で学ぶ人が入ってきた。最初は見学の人と勘違いして気楽に声をかけたが 終了しない教室に入ってくる人は珍しい。テーブルに座り黙々とサンリのマスコット 人形、悪魔ちゃんを観ながらノートに一生懸命デッサンしている。夜のクラスでは 水彩や油絵の小品を描いているとのこと。100号とか130号の大作を見て感動している。 終了した友人を交えて会話した。いろんなキャラクター名を言うがほとんどいまどきの グッズはわからないので?マークばかりだ。ゲームのことも話すが不明。 希望は大切ですか、と彼女が言ったので私たちは大事よそれがないと生きていけないわよ とつい力強く返す。私は中学生に同い年の友人くらいに見られて話しかけられるんです というのでよく見るとそう見えなくもない。漫画家志望なのだそうだ。 確かに前途は決して楽ではない世界だ。私も小学生時代良く漫画を描いていたのを 想い出した。先生は漫画では食べていけないんだよと言っていたっけ。滞在していた 南の国では日本の漫画教室が繁盛していた。技術力が高い日本なのでファンが多いらしい。 日本への漫画教室体験ツアーを企画したら結構いろんな国から若者が沢山来るに違いない。 今でも楽ではない世界だと思うが立派に漫画の世界で生活している人も多いことだろう。 友人と熱く絵の世界を語りながら帰る道や乗換までの車内は若者時代と同じで楽しい。 確かに希望に支えられて生きているという幸せ感があった。帰宅ラッシュには年を感じた。

 パワーのない日はそれなりに (2013年2月7日)

雪が雨に変わり比較的緩やかな気温になっている。最近なるべく薬に頼らず レスタミンコーワ1,2錠(3錠飲むと翌朝も眠くて困る)と胃薬位を中心に 暮らしている。カロナールのストックが少なくなったせいでもある。 常に右腹辺りに弱い痛みや張り感がある。困ったことに投稿マラソン意欲 が低下した。今朝気が付いたことはベランダのゼラニウムが一鉢寒さで枯れそう になっていることだ。違う種類を5,6鉢購入したうちの一つだ。小さなビニール 袋をかぶせてみた。ヨーロッパの寒い国の窓辺にも咲いている写真を観た記憶が あるが花の色がダークオレンジできれいな新しい品種は弱点もあるらしい。 抗生物質の出番が今のところないので助かっている。やはり強いストレスや忙しさ が続くとそのあとに痛みや張りがとても強くなるということが分かった。なぜかは不明。 同じ病の人は自分をよく観察して理解してくださる医師に出会われることをおすすめ したい。勉強熱心な方は自分でエコーを診るし他の専門医も引っ張ってきて相談する。 目指す分野があるのでそれが中心になるらしいが全般的を目指されている方が心強い。 ゼラニウムの花ではないが人それぞれ弱点がある。自分で色んなことを理解して一歩前進、 マイペースでたくましく生きたいものだ。パワーのない時はそれなりに過ごそう。

 強がりや楽観 (2013年2月5日)

コレクションズをほぼ読み終えた。現代アメリカの家族の様子や心理がとても上手 に描かれていて特に老夫婦の現実描写に感涙。人間の赤裸々描写にはちょっと卒倒。 偶然手に取った本だったがさすが賞作家だ。レ・ミゼラブルも観れたし久しぶりに 日本で手に入るささやかな幸せを感じる。色んな世界にワープしてしまい本来の 追求世界がちょっとおろそかになっていて焦ったりしている。 過去10年くらいパッとしない占い(おみくじなど)が続いていたが今年あたりから ようやく陽の光が差し始めていて心強い。病気でもよいことでも人の2倍ずつでやって 来るらしくその分覚悟を決めないと負けそう。根が楽観的という1点で救われている。 絶対大器晩成だ。気が強いのは母親譲りに違いない。 最近住む場所に少し慣れてきたせいか、先の地震などで発生した地面のひび割れの方向 などがとても気になり観察している。発生時に専門家などが調べて貼り付けて小さなテープ がまだ残っていたりする。幼少時信州の山の家に当時有名だったT大学のT教授と弟子が やってきて人工地震の実験をしたりして離れに宿泊した。後に写真を送ってくださり 残っている。そんなわけで割合と興味だけは持つのだ。家族にいろいろと訴えるが 私だけが未知の世界に住んでいるらしい。触覚や知覚を駆使して身を守りたい。 とにもかくにも守って下さるご先祖様に感謝。安心して大いびきの老犬にも感謝。

 陽気なゼラニウムとバリのカモ (2013年1月30日)

ゼラニウムはお日様と仲良し。竹の根っこのカモ君はノー天気。 イチゴの鉢に白いスノードロップが咲いた。あまりにひっそりとした花で 写真写りが良くない。今日は老犬の足先で伸びてしまった毛や足の裏の毛を 刈り込んだ。後ろ足の脛や足を触るとウウッーとうなるので生意気。 足裏の毛は床で滑る原因になる。主はお煎餅の食べすぎか調子が出ない。 お店で思いきりくしゃみをされたがそのせいなのだろうか。 「里津子の写真ライブラリ」をご覧ください。

 TSUBUYAKI (2013年1月29日)

心の潤いが少ない世の中になってきた。小さいころから人と没交渉で電脳世界 をさまよう人が多くなったせいだろうか。生きた人間と仮想人間は全く違うのに。 私にできることはエールを送ったり心配したり日常の些細な発見や感動を贈り 届けたりすることくらい。気持ちが通じる相手は最初の出会いでわかる。 傷つたり悩んだり一生懸命だったりしていて眼差しがきれいだ。隠し持った打算や 欲や競争などの気持ちは透けて見える。これはたいてい少し長く生きてきた人に できる技だ。悲しいかな人生経験が少ないとほとんどわからないし出来ない。 マイナスの要素が多いけれど将来性がある人が魅力的だ。これは自分の人生経験 から来るのだろうか。失敗したり自信のない人は将来があるといえる。恐れたり 強い自信だけで生きていけるほど簡単な道もない。人の魂は小さい頃とそれほど 変化しないと思う。どれだけ深く幅広くなるかくらいのものではないだろうか。 人とのコミュニケーションは古い方法、直接話すというのもなかなか味わい深い いうことに気付いて欲しいものだがすでに時代が進み変化している状況か。 行動には結果が伴うことを考えれば何もしない方が傷つくこともない事は確かだ。 深大寺の蕎麦屋で隣に座った若者二人は学生のように見える医修生だった。 一人の若者が、ここに親を連れてきたいな・・・とつぶやいた。 貴重な日曜の午後を無駄にしなくて良かったね、と語り合う姿は素朴でこころ温まる ものがあり夫と目顔でうなずき合いながら待ち時間を埋めてくれる暖かい蕎麦にさらに心が 弾んだ。現実に傷ついて揺れている若い魂が自己治癒力で甦り強く道を切り開けますように。 澄んだ眼差しと志が持続しますようにと祈る。私のエールや心の贈り物は尽きない。 今朝は薄氷が気になる道だがヒールの音を響かせて娘が飛び出して行った。 現代では女性の方がしっかりと大地を踏みつけ蹴散らしているのかもしれない。

 梢の上で遊ぶ光たち (2013年1月28日)

若葉マークの夫の腕がだいぶ上達したので○十年振りに深大寺に出かけた。 立派な体格の冬樹がバンザイ型に並んでいてひたすら畏敬の目で見上げる。 こずえの先端が繊細で美しく薄青い空は大好きな空間だ。上ばかり見上げて 歩く私の隣には下向きの夫が居て思わず上を見てと呼びかける。考え事をして 歩くのは職業病が抜けない姿。足元には何も落ちていないよ前や上を向いて と忠告してしまう。 こずえのあちこちの先端が白く霞みまるで花が咲いているように見えた。 陽射しのせいだよと夫がいう。さらに見つめていると白いガクのようなものが 枝に群れている。ユリの樹かもしれない。こんなに大きなユリの樹は見たことが ないので定かではない。薄い白い雲が流れ寄ってこずえに乗っているようでもある。 巨大松ぼっくりの種5枚、スマトラ松の実によく似た実(楓か)2個をゲット。 この巨大松ぼっくりが落下する季節を狙って必ず訪れねばならないと決意した。 蕎麦屋が軒を連ねていてどの店にしようか迷うがネット検索でお勧めのところに決めた。 外で順番を30分位待った。若い人が好みそうな太麺で量も選べる。つゆの味は甘くなく 我が家好み。信州のそばくさいソバから見るとうどんに近い味で麺はいまいち。次回は どこそこにしてみようと欲が出た。草餅と焼団子をお土産に。これで散歩で消費した エネルギーがゼロになる。こういう誘惑に勝てない自分が恨めしい。 植物園は素通りしようかと思ったが観て正解。南国の花は懐かしく、巨大ベゴニアや 珍しい蘭の花(ジンジャーの香り)など管理が行き届き素晴らしい。冬薔薇はどうかなと 遠回りしてみると先日の雪にやられてわずかな花や蕾が枯れていた。今朝はまた1p位雪が 積もった。誰も歩いていない雪の上の犬の足跡を携帯で撮ってみたが光源が少なすぎてただの 黒い穴に写っていた。程よい量なので陽差しが強まるとすぐに溶けてしまいそうだ。

 オレンジ色の月との対話 (2013年1月27日)

朝6時西北の丘にオレンジ色の街路灯みたいな大きな月がぽっかり浮かんでいたのです。 それから10分くらいの間にキッチンでコーヒー、様々な雑用に走り犬の散歩したく におわれながらも観察しました。見るたびに位置が下になり丘の縁にかかる頃には 落ちていくのが速すぎて動き回ることもできずに観ていました。星が宇宙に浮かんで いる状態が良くわかる体験でした。当然とはいえ日頃静止しているようなものを観て 居るので昇るものや落ちるものの速さにはなかなか気が付きません。野猿街道あたりの 小さな山にポチッと最後のオレンジ色の点を残して消えました。不思議なパワー。 昨夜は珍しくカロナールやレスタミンコーワのお世話にならず眠ることができました。 夜具はこまめに干したいものですが洗濯物が多くなると電気布団乾燥機の出番です。 お日様のにおいのする布団は人を優しく包み少々の体調不良も全快になると思います。 マンションは手すりに干せないので結構布団を広げるのが難儀。でもお日様に勝るものなし。 考えてみると2011年の6月に初めて肝のう胞がというより成長したのう胞のせいで周りの臓器が 痛みだしました。最初は血管?状にピシピシといった小さな痛みが走ったりあちこちシクシク という感じの痛みが出ました。生まれて初めての経験でしたので何事かと驚いたことです。 今の病院の看護師さんが、それはご心配ですねと言ってくださり予定外の外来に行きました。 肝のう胞は放っておけばよいという言葉が頭にあり放っておいたのですが内臓の痛みには 気が付かないといけません。それから7か月後に転倒破裂らしきことや内出血、がんの疑い などで穿刺治療を受けたのです。痛みが出たころからネット検索で随分自己流勉強をしましたが 情報は少なくいつも同じ窓を見るという感じです。やはり長く生きてくると先生の言うことを 鵜呑みにするよりは色んな情報を得たい気持ちが強いのですがPCはその点便利。心配しすぎと 言われていますが自分のことは自分にしかわかりません。穿刺治療後は様々な感染症対策が必要。 現在は痛んだり張ったり外出時にはカロナール1,2錠と胃薬。程度が軽い時は夜レスタミン コーワ2錠。これでしのいでいます。やはり大きなストレスが続いたり連日遠出で問題が起きる という感じがします。痛みを感じるのは腹膜辺りらしいですが。経験から大きな転倒(前に倒れる) を2回くらいしてしまうと破裂すると思いました。針で刺さないとつぶれないと言われていますが 強い刺激を与え続けるのは考えものです。今は家族理解もあり疲れたら寝る疲れたら寝るの習慣に なり肝臓はおお安心しているはずです。 マルイ大きなものを観ると肝のう胞を連想する風情のなさですが今朝の体験は日頃の悩みがだいぶ 落下していったような不思議で強烈な出会いでした。ベランダから見える小山の頂上に小さな お寺らしき建物がありいつもご対面しているのだという事も落葉状態と落日の位置のマッチングで 判明しました。気が付くのが遅いようです。

 ユトリロのグリーンとピンクと白のアマンド (2013年1月26日)

昨日銀座のギャルリーためながでユトリロ展を観た。作品の全体が暗くて あれ、ユトリロはこんな色だったかなと思った。オレンジや白、ブルーの 特徴的な美しさが出ているのも数枚あった。代表的ユトリロの絵画のみが インプットされているのだろう。夫が店の営業マンに幾ら位するのでしょか と尋ねた。2千万ということで2人で顔を見合わせた。そのあとに寄った 日動画廊でまた小さな作品を観たが記憶にあるユトリロ色でほっとした。 グリーン、グレーの世界は日本人が好きな詩情いろ。好む収集家が多いのだろう。 ベテラン営業マンは厳しいまなざしで客の品定めをしている様子だった。 友人のグループ展も観た。10年以上前からお互いに絵の道を追求している、 というほど熱心に生活最優先ではないがだんだん自分の世界が見えてきていて 続けてきてよかったね、という感じだ。春の展覧会を目指している勉強会の発表。 夕暮れ近くには濃いグレーの分厚い雲がのっそりとビル群の頂上に集合して来て寒気団が 到着した模様。昔懐かしさにひかれてピンクと白幕のアマンドに入り夫はグラスワイン 私はオレンジペコとケーキ。外景色が見える場所からは明るいグレーの建物にフランス風アクセント が目立つ。黒やダークオレンジの線、白い旗、だんだん街全体のビルや店の改装が進みアジア色 に変わってきている銀座だ。店の椅子は時代を感じさせ設備投資が難しいらしく腰を下ろすと クッションが感じられなくて夫とまた顔を見合わせたがワインや紅茶はおいしかった。

 金の耳輪と首飾り (2013年1月24日)

給料以外のチップやアルバイト料(留守時子供連れで宿泊してもらい犬の餌やりを頼む、 オシモの世話はゴム手袋など用意した。意外と融通がきく人も多いのだがダメな人も居る) を手にした時に彼女は金の耳輪や首飾りを購入した。そして即両方とも身に着けて翌日の 仕事にやって来た。とにかくお手伝いや運転手が多いジャカルタ生活。10年前の お手伝いの給料は通いで日本円1万円以下、運転手も2万円以下だった。雇用を発生させ 賃金を支払い多少の貢献はするわけだが昨今はお手伝いを使わない若い人も多い。 運転手も何とかドライバーズクラブから派遣してもらったり(車もレンタル)する。 やはり労働問題などを避けるのだろう。ボーナスやら昇給やら会社並みに考えねばならない。 主がほとんど居ないで使用人1家が3,4人(子供2人連れ)と猫犬が住む家をよく見た。 欧米人はそういう人が割合と多い。高齢者も雇っていて休み休み働いている姿を見た。 防犯的にはその方が良い点もあるのかも知れない。日本では自分がお手伝いみたいなものなので 滞在地で使用するのは本当に骨が折れた。わが夫が2年ほど先に行っていた時のお手伝いは 出産休みを願い出て(友人を連れてきた)その後も働いていておむつや家庭の洗濯物を我が家で 済ませていた。私が到着して初めて発見。当初はしつけに燃えていたので即却下して半年後 くらいには他の人に来てもらった。・・・今日は使用人問題を書くつもりがないのについ熱が 入ってしまうのはまだ記憶に新しいせいだ。 ジャカルタの洪水の様子を見ていて思った事、それは多分給料は旦那様に申告して余分な お金が入ると財産としての金製品を購入して身に着けているというお手伝いの生活。 赤みがかった重そうな金の耳輪や首飾りは着古した汗臭い労働着とミスマッチでおかしかった。 語学の先生曰くほかのお手伝いに対するアピールもあるけれど自分の家も防犯洪水問題で 決して安全ではなく、考えた末の行動らしい。金は財産。いざという時にはどこででも換金できる。 他家の色んなタイプのお手伝いを見たが我が家で働いてもらった人たちのことは良く思い出す。 洪水に負けないで金製品をしっかりと身に着けて普通で1時間はかかる働き先に気合を入れて 出かけているのだろう。頑張れ、ジャカルタのお手伝い達。

 友や本との時間 (2013年1月23日)

ジョナサン著コレクションズを読み始めた。アメリカ中高年夫婦の日常を描いて いて全米図書など受賞している初めての作家。最初の行から翻訳が自然なので感動。 いつもの癖でそういう本はスピードがすごく落ちる。集中できないときは読まない。 おおーっと、素晴らしいフレーズとの出会いにため息。身近に感じる本の中の世界。 文章を良く味わいながら進みたいのだ。逆に余り乗らない本は読み飛ばすので途中で 元に戻らないと脈絡が分からなくなる。もっと難しいのは当分枕元で眠る。 海外ミステリーやSFには目がなくて大型図書店では1番に突進する。夫は恐い描写 を平気で読む私に少しおびえているが面白いよと言い渡すとたまには読んでいる。 今は図書館やぶっくおふをあまり好まないので本は文庫本を購入することが多い。 狭い書棚はすでに絵画関係が占めていて隙間がないのだ。電子本には手が出ない派。 夫は図書館が好きでリュックを背負いまめに出かけている様子。 コレクションズの冒頭描写に、樫の木の落葉や団栗が屋根に落ちる様子があるがそれは 記憶と重なり目に浮かぶ。日本とは暮らしのスケールが違う国とは言え一気に親近感を 引き寄せる。部屋の隅や道端に転がっている宝石のような存在に気が付けるように 気持ちを研ぎ澄ませたいなと改めて思う。 昨日は友と語り笑いカモミールアップルの香りなどを楽しむ時間はあっという間に過ぎた。 魚魚産のコシヒカリと極上太目うるめイワシと菜の花のお浸しに赤だしという食事メニュー のような極上贅沢さ。モノレールから見下ろした動物園あたりの雑木林には雪があり丘に密集 する小さな住宅群は西日を受けて日本風に仲良く寄り添って見えた。モノレールの中は大学生 がほとんどで試験メモなど真剣に覗き込んでいる姿が携帯一辺倒と違い清々しく頼もしい。 今朝はアオサギの子供を見た。少し成長していて1羽で薄氷と枯れ葦の絵の中に収まっていた。

 リンゴ&大粒四季成りイチゴ (2013年1月22日)

餌を柔らかふわふわ10歳以上というタイプに変えたら食べすぎました。 キッチンでガサガサ音がするとパッと目を開けてすっとんで来ます。 小さいころから親子のように似ているといわれますが・・複雑な気持ち。 玉ねぎニンニクチョコが危険。時々拾い食いしたり主の怠慢で危ない目に。 イチゴは本当に四季成りらしくこの寒いのに花の真ん中の実になる部分が だんだん成長しています。私にエネルギーを与えてくれるものたちです。 「里津子の写真ライブラリ」をご覧ください。

 老犬とわたし (2013年1月21日)

13歳を過ぎた老犬はこの頃電気水飲み器(ミニ噴水)の水を飲み終えると グエーガアーと言いながらよろよろボオーと歩いて来て顔を見上げながら 立ち止まっている。首回りの毛が多くライオン状態なので前が水にぬれて滴って いる。いつもそうなのだ。ティシュで拭いてと訴えているのだ。木の床は 足が滑るので部分的にコルク板を敷いているがその上に点々と水跡がついている。 先日は1か所コルク板が滑るので訝って持ち上げてみると水が溜まっていた。 同じ場所で飲み込んだ空気と一緒に水を吐いていたらしい。犬はワンパターン。 首回りの毛を残すカットは小さいころからのお気に入りスタイルなのでそのままに している。外出先で、まあライオンみたいとかタヌキみたいといわれる。 TVで20歳の白いトイプードルが操り人形のように手足を動かして生活する姿を見た。 犬のえさも年齢別に色々売られているし人のケアも昔とは違うので長生きする。 彼女を気使うと私のことも心配してくれる。いざという時には後追いもせずピシッと お留守番をする。早朝5時半散歩は正直よろよろだ。血圧が低めなので朝は苦手で 夢遊病者状態。しかし2回だった散歩を1回に減らしたので犬も必死だ。玄関を 出ると外という環境ではないと結構面倒なのだがこれは贅沢病に違いない。 このあたりの日陰の雪はガンと居座っていて早朝には氷の風。6時にいつも坂から降りて くる父と子に出会った。公務員かなという感じのキチンとして優しそうな父親が小学低学年の 制服姿ランドセルの娘の手をしっかり握っていた。今朝は楽しそうな笑い声がスキップして いたけれど時々は俯き遅れがちに歩く子供の姿も見る。土曜日には父親の背にリュックがあった。 昨日の晩は小さいがすごく甘いミカンを犬と分けて頂いた。彼女はリンゴやミカンが大好きだ。

 美食への誘い (2013年1月20日)

主婦の狭い視野で見た南国への日本食産業進出光景でした。家政婦は見た、程度のものです。 2003年ごろのジャカルタはラーメン屋、寿司屋、焼き肉店、餃子店、豆腐料理店などが 日本から行きゆっくりとしかし着実に定着し始めていました。もちろん夫たちが夜な夜な 集合していた繁華街にはもっと別の店もあったでしょうが知るところではありません。 そして今日ではすでに進出ラッシュ状態になっている模様です。現地の材料を使うと だんだん現地風の味に変化していくところや美食家中華系の味になるところが残念です。 店は歴史的な影響からか古くから沢山のチェーン店が展開していた風車が目印のお菓子屋さん など並ぶ通りに異色を加えていました。そこのお菓子は現地風に甘くて私にはいまいちでした がアンパン風なお菓子やカステラもありたまに購入してお手伝いと分けて食べたりしました。 又あちらでは誕生日に自分から人にお菓子などを配るのでそういう時には重宝したものです。 家から車で1,2時間かけても新しいベトナム料理店や若い日本人女性が仕切るイタリアン などへ主婦仲間と突撃していました。ゴルフやほかのスポーツがいまいちの熟年グループは ランチ、お茶とだべるのが最高の楽しみだったのです。いやこれしかなかったと言えます。 若い日本人女性が作る日本風洋菓子は目からうろこが落ちてしまいました。現地の人も たちまちファンになったようです。しかしその後数年で下り坂になったと思います。 なぜか、私が見たところお酒に対する取り締まりが厳しくなりお菓子に洋酒を使わなく なった気がするころから味がいまいちになったような。その後もMSハンバーグ、ドーナツ、 コンビニ、ムジー、セイブデパート、と増えて今度はマルイ亀うどん屋、イセタンまで進出する と耳にしています。MSハンバーグの現地風激辛唐辛子味ソースは結構おいしかった記憶が。 現地の一般庶民には高すぎる値段です。又あちらの庶民は新しいお店に飛びつくこともありません。 従来通りにぱさーるで材料を仕入れたりして自家製や道端の屋台で済ませる人が一般的だと思います。 masakoというアジノモトは有名で庶民にも浸透していてお手伝いもうっかりしていると使うので 嫌いな私は常に注意していました。なんでもおいしくなる魔法の粉です。一時豚由来が入っていると 大騒ぎでした。今はマレーシアでマヨネーズの羽のある人形マークが問題になっているようです。 大型ショッピングモールや外国からの出店、マッサージにスパ、とシンガポールに似てきていますので 以前はそこの病院やお店に出かけていたお金持ち層も自国で間に合うようになったのでしょうか。 スイスのバンクを利用して有名国の避暑地に別荘を持つ人々は日本にも目を向け始めている様子です。 日本の山で自転車を楽しむ姿がTVで映されていました。お祈りの場所や時間は絶対必要だという 理解が前提ですが観光国日本としては有難いお客様なのでしょう。

 ランプータンは庶民の味 (2013年1月19日)

ジャカルタのじゃかるた新聞を検索していて大洪水の映像を見た。息を飲んだ。 国のリーダーまでズボンをまくり庭を歩いているではないか。10年以上前にも 有名ホテルの地下が没する水難があり停滞していた。住んでいた時にであった 数々の記憶が甦った。日本の梅雨のような雨の降り方が数日続くと山の方から 流れる水が普段は穏やかな川を一気に凶暴にさせる。スコールのように降る雨は 瞬時水たまりを作るが道路わきの下水溝に吸収されるのも早い。水門を開けた時に 海抜の低い方向に溢れていく。従来より高位置の道が作られるまでは空港への往復も 非常に困難な時があり迂回迂回でへとへとになって帰りついた夫の姿を覚えている。 夫のイライラと叱責におびえながら運転手も生きた心地がしなかったに違いない。 洪水に備えて住居からどういう経路で食糧買い出しに行くか常に頭に入れていた。 運転手やお手伝いも自分の家の災難や道路事情で出勤できないとひたすら籠城する。 プールの水も雨であふれ、白やピンクの花の木も雨の影を映すばかりの終日は肌寒い。 多分上着類のたくわえが少ない庶民は風邪を引きやすくなる。赤唐辛子ニンニクの出番だ。 集合住宅の門の前にはたいていどぶ川(生活排水すべて流れる)がありそれらが氾濫 する日は憂鬱。以前夫が単身赴任していたフィリッピンを訪れた時に超大型台風に見舞われて 牛が泳ぐ道を空港までやっとたどり着いたことがあるがどちらの国民もあわてず騒がず 淡々と対処している姿が在った。濡れたものは外にすべて持ち出して干し足りないものは 融通し合って暮らしている様子で子供は水の中で泳いでいた。だがこれはもちろん庶民の生活。 都心のアパートは日本以上にリッチでこんな庶民の生活を見ることも少ないという状況もある。 海外で色んな国に転勤していく友人を見た。中近東や中南米、中高生などを日本に残して 行く人も居て熟年で初めてという私と違い行動があか抜けていた。ジャカルタには欧米から 移ってくる家族が多く一つの流れがある様子だった。今は以前にもまして増えている日本人 の海外生活の無事を祈る。雨の多い年には普段道から鈴なりに見える長ひげの果物が実らない。 赤や緑のランブータンが豊作で庭先の枝を折りそのまま自宅前で売るというお手軽な姿が なんとも南国的な庶民の姿が今年も見られますように。

 蘭と紅茶の風景 (2013年1月18日)

電車の棚横に蘭展のポスターを見かけ南国の花々を想い出しました。この花が そんなに好きというわけではありませんが到着した空港で迎えてくれるのが蘭。 今では栽培方法が現代化されて昔のように有難いものでもないかもしれません。 それでも日本で趣味として栽培するクンシ蘭さえ根分けだの鉢替えだの大変です。 蘭の花があふれている国はある面ではとてもリッチに見えたものです。 統治時代の影響濃い立派なホテルの一つは日本の有名政治家も宿泊していました。 極たまに訪れるとその見事な庭の植栽やプール、犬ご法度の国なのにシェパードと門番。 犬は舌を長く出してひたすら我慢のお仕事をしていました、何しろ平均気温30度。 天井が高い石造りでガムラン音楽や優雅に腰の低い民族衣装の従業員の姿や花の香り、 欧米人も多く集まるそこは少し気取った雰囲気の空間です。 アフタヌーンティーを頂きに友人たちや一人で訪れました。一人の時にはイギリス人 PTAなどの賑やかさを避けて隅っこのテーブルでこっそりと本を広げました。 お菓子類やミニサンドはさほどおいしくなく帰るときには運転手やお手伝いにあげるため 全部箱に入れてもらいました。どこのレストランでもこういうことは簡単に頼めるのです。 ホテルのティールームの壁に現地の様子を描いたシュールな絵が架かっていました。 ハードな面が強調された人の顔やものの描き方を見て私もこんな風に描くかもしれない、 と思ったものです。ダークイエローとグレイ、クレージーな表情の人と乗り物。ホテルの収集作品。 そこの表通リには年がら年中蘭の花や南国故余り変化のない鉢物の店が軒を連ねていました。 胡蝶蘭2本くらいの小さな鉢植えは日本円で400円。家の中で3日に1回くらい氷を乗せて 上手に育てると花が終わっても軒下で次の花の準備ができました。あまり出かけないので 暇な運転手にアルバイト料を支払い植木の手入れや水撒きをお願いしていました。 残してきた鉢花などは売られたのか(なんでも道端で売れるお国柄)花を咲かせているのか などと、ポスターを眺めながら南国の思い出に引き寄せられたひとときです。

 高速道路を歩く犬 (2013年1月17日)

南国で動物病院のお世話になった。犬がご法度の国でも宗教の違いからなのか 出身地からか犬のドクターはあちこちに居た。予防注射だけでも往診してくれた。 犬連れの諸外国人が住める住宅地に集まって住んだので最初の頃は人に色々と尋ねた。 町はずれや細い路地の奥の病院を探し当てたり、うえーっという顔をして窓を開けて 嫌がる運転手をなだめながらの慣れない頃。心の中では、犬がいると解かっていて 働きに来たでしょと嫌なら辞めなさい強気であった。運転手は陸の鰐と言われている と日本で購入した本に書かれていたので覚悟して気持ちを強くしていたのだ。 ドクターは現地語か英語で話す。片言日本語の人もたまに居た。狂犬病とか血とか 最低限の知識を持って臨んだ。現地語の会話が漫画になっているのも駆使。 サブリナという小柄な若い女性ドクターのことを覚えている。ヨーロッパ系ハーフか、 碧眼で美人。犬は太ると呼吸系に悪いと言いながらちらっと私の体型にも目を 移したのでドキッとしたものだ。女優のような名前だなと思い今も覚えている。 待合室では現地人によく声をかけられた。見かけが現地人ぽいので気安かった のかもしれない。会社にいる日本人のこととか、日本を訪れたことがあるとか、犬には どんな餌を食べさせているかとか、大型犬を連れた使用人などが多い待合室で犬を膝の上に 乗せながらお話しした。情けないわが犬は恐くて床に降りることができず主も衛生面を考えて。 ある日その病院の入り口近くにメッセージと写真が貼られていた。英語で書かれていて 予防注射済みです,飼ってくれる人を探していますとある。高速道路で保護したらしい。 いくら日本と違い道脇の端をバナナ畑から出てきた人が歩いていたり、渋滞になると わっと物売り(みず、揚げ菓子、袋がしなど)が押し寄せるお国柄とは言え、犬の姿は ブチハイエナ模様で年もわからないし可愛くない。こういう犬がよろよろと高速道路を 歩いているときにそばによりドアを開けて保護するという行為に感動した。 帰国に当たり持ち帰れない人が遠方まで出向き高速道路で捨てるという話を耳にした。 保護したのは多分動物愛護精神で有名な国の人の行動だと思う。引き取り手のことは不明だ。

 雪景色と喘息 (2013年1月16日)

ニュースでC国の大気汚染のすざましさを眺めていて8年近く住んでいた国の 汚染のことを思い出しました。10年ほど前その国はM国に続きワースト2位でした。 やはりバイクに屋根を付けたような乗り物の多さ(燃料が粗悪で煙もすごい)や 雲霞のごときバイクの数、車の数、汚染防止の入り口状態、それとゴミを戸外で 燃やす習慣(集積所や処理場はある)、地方の焼畑(これは狭い海峡を越えて 隣国まで届きいまだに揉め事になっている)などが原因に挙げられると思います。 道端にペットボトル入りのガソリンが売られているお国柄でお手軽か危険か不明。 これは地元の人がバイク用に購入していたと思います。懐事情に合った購入方法です。 我夫は日本から喘息を伴っていきましたので吸入器は常に身に着けていました。 シュパシュパというのが合言葉で、携帯・ハンカチ・シュパシュパ・・・と朝の 持ち物点検の際にも必ず登場しました。1度は入院騒ぎもありましたが昨年帰国して もろもろのストレスから解放されたのか今は喘息も去りつつある様子。いつでも中華系の 内科医ジョジョ先生の電話番号を想い出せるようにしていたと思います。日本語が話せる この先生は穏やかな性格でお会いするだけで安心感が湧いてきました。わが老犬もあちらで 隣家の工事騒音のひどさで発症したり(人間と同じように咳き込む)、帰国後も危機一髪 問題になったりしましたが今では落ち着き主と同じく老齢問題だけになりました。 車の中から通りを眺めているとハンカチを口に当てたり自作のマスク(防止になって いるとは思えない)をしている姿も多くみられました。ポリスさんは黒い烏口のような マスクを必ず使用していた記憶があります。ああ〜喘息が増えるんだろうな、と 危なげ見ていましたがどうすることもできません。逃げ場のない状況で進むしかないと いう生活も大変なものです。笑顔がだんだん少なくなりませんようにと祈るばかりです。 ひと夏風を入れていたのにあまり汚れが見えないレースのカーテンを洗いながら、窓を閉めて いても隙間から黒いほこりが(ローム層の土の影響もある)忍び寄る生活に想いを馳せました。 今朝は氷の風と雪道ですがお日様がきれいさっぱりと解決してくれるはずです。

 サルジュ(雪) (2013年1月15日)

サルジュ(雪)が10センチも積り南国にいた時に運転手と交わした会話を想い出した。 雹は何回か大きなのが降ったという報道を見聞きしたがさすがにサルジュはなかった。 火山のある高い山の方には少し降ったのか、定かではない。お金持ちの人たちはすぐ下に 位置するオーストラリアへスキーに行くらしい。街中のデパートには冬用品が揃っていた。 ムシムサルジュ(冬)がこの国にきたら大変だね〜みんな凍えちゃうね。日本人は今日のこと、 明日、来週、今月、今年といつもいろんなことを考えて用意したりするけれど、南国の庶民たち は割合と今日が良ければよしという考えだものね。そういうと運転手も、日本にはツナミも ジシンも大きな風(台風)もあるから大変だよねと気の毒がった。ティダマウ(御免こうむる) と肩をすくめていた。今ではお互い自然災害が多いのが共通という国友達になってしまっている。 南国から日本に来ている人たちは慣れるまで大変だろうなと思う。今朝は溶けた部分が 凍っていてわが老犬は恐る恐る足を運び主も転ばないように早々と引き返した。 家人は出勤にゴルフシューズを履いて靴を手持ちするらしい。ここは都心より平均して気温が 低く雪も大目だ。雪が来る前に雪かき用品や車のチェーンを買った方が良いという私の意見が 通じなかったので夫は焦っている。当分店でも品薄になるに違いない。 雪は人を酔わせたり危険な場所にも誘うけれど心を引き締めたり清めたり様々なことを喚起 させてくれる有難さもある。そして南国の運転手は日本のサクラの春をよく知っていた。 鍛えられた蕾が強く生き残り沢山エネルギーを貯めて満開になる映像はきっと南国にも届くはずだ。

 大王イカとイソギンチャク (2013年1月14日)

TVで深海の大王イカを観た。足先に集中して体全体を筒状にして下方からそっと目標に 触る様子は印象的だった。先生が私の肝のう胞を初めて触診した時のことを思い出した。 5年前の人は大きくて珍しいけれど様子見ですねと言い2年前の人はまだ指が入りますから 大丈夫です緊急事態まで放っておきましょうという事になり、現在の先生は治療に 向けてエコーの後の診察でそっと触診されたのだ。それで良く覚えている。 今なら未知のものは何でも恐いものなのだということが良くわかる。現在肝のう胞は 以前より硬さがないような気がする。痛みも比較的落ち着いている。大きさはたぶん あまり変わらないはずだが平面CTと立体エコーの全体像が良く想像できない。外出時には カロナールと胃腸薬というのが習慣になった。それでものう胞は時々主張してくるので用心。 治療するとリスクは生まれるが又それに対処する知恵も出てきて一歩前進だと私は思う。 2年ほど前、すでにその3年前にほかの病院のペット検査で発見されていた3.5pの巨大ポリープ を今の先生に内視鏡で治療してもらった。ポリープの先端がイソギンチャクのように割れて広がり シンガポールの病院でもらった写真は青く画像処理されていたので余計に海洋生物に見えた。 大腸の中でポリープも腸内水流から栄養を吸収するために適応するのだろうかなどと考えた。 大量の水を飲んだので治療前にイソギンチャクの薄ピンクいろの先端部分が排出されていぶかった。 治療後に先生が下さった写真のポリープはタコ坊主頭で赤黒くいかにも悪者そうだったのを覚えている。 餃子のようにクリップで止められた傷痕の写真も見た。そのクリップは1か月後くらいに海外にいた時 チクチクという感じで取れたような記憶がある。事実なのかどうかは定かでないが。 院内でも記録的な大きさのポリープでありそれまでの苦しい腸生活が納得できた。 肝のう胞は放っておくしかありませんと言われるのがほとんどだと思うので私は体験を伝えたい。 投稿を文学的に誇張するつもりは毛頭ない。幸いにも今のところは他の臓器に影響していないと 説明されているので安堵している。そして今の先生は前向きに対処して下さるのでとてもありがたい。 大王イカと肝のう胞はともにイカ墨状のものを内包していて印象的。大腸ポリープとイソギンチャクも 人間の体は海の中につながっていると連想させる。病院の先生はこんなくだらない想像はなさらない だろうと思う。肝のう胞の大きさや他の臓器との関係にも個人差があるのでそれぞれ症状対処も違うはずだ。

 勇気を、電脳ブルードラゴン (2013年1月13日)

米系大量販売店で水仙の花束を購入した。みずみずしい切り口。黄色い小さなカップの周りに 6枚の白いフリルのような花びらが取り囲むタイプ。勢い良くのびた緑の葉と沢山の蕾の群れに 大満足。最近鼻力が弱くなったわが老犬が床に置いた花束の香りをクンクン嗅いだ。 1枚の写真のように春先の信州の山裾に咲く水仙と残雪、黒土の景色が浮かんだ。 この販売店の花に添えられていた名前知らずの大きな葉3本は新鮮なので白い根が生えてしまい 新芽も伸びているのでとうとう処分することができない。彼らは今大きなガラスの器に住み替わり 住人となった。バッタ君のように時々訪れる小さな生き物と違い思いがけずに身近な存在となる 生命力の強さの不思議。が以後葉が添えられている花を見かけると躊躇する。 それに引き替え思考には白い根も生えないし香りもない。いくら身近に感じても決して存在として 見えない。気が向けば近寄り遠のくだけのゲームのような気楽さなのか。水仙の花のような強い メッセージと素直な存在は一つの強い勇気だ。リスクを嫌いまだ遠い空の端から地上を眺めている だけの電脳ブルードラゴンにこの花の香りが届くのだろうか。私のエールは届いているのだろうか。 買い物をしすぎて夫は不機嫌。私は張り切って袋を持ち上げる。 擦り切れたオルゴール音楽と水仙の花束の優しい香り。 東の窓辺の陽射しが弱くなっていく午後。手を伸ばせばお気に入りの本たち。 静寂が漂ってきてとりとめのない考えはとどまることなく今日の暗闇に溶けていく。

 おかれた場所の花 (2013年1月12日)

近所の病院に検診に行ってきた夫がぷんぷんしている。看護士さんに老人扱いされた とのこと。微妙なお年頃である。若い人と同じ扱いを受けても違う感想かもしれない。 そんなものですよ、という私も去年入院前に心電図をとった時に着用していたヒート テックの靴下を脱いでくださいと言われたがササッと脱ぐことができず大汗をかいて 以後決してはかないように気を付けている。技師さんのあーあ、これだから老人は 困るわというまなざしを感じた。夫は高倉ケンの世界のひとだ。 年齢に従い皆それぞれ少しずつ枯れて優しげ気な表情や精神に変化していくのだろうか。 経験したことのない世界はひたひたと忍び寄ってきて初めて気が付く。若いころは老人の 歩幅に合わせて歩くことができずイライラしたことがあるが今はわが老犬とよろよろ歩き がとても上手。病院に行くときもできるだけにこにこしているがよく考えると病人が 気を使って笑うのも変かもしれない。 夜、すべて手抜きで早めの入浴の後布団にもぐりこんで本を読んだり制作中の絵画の研究を したりしているととても幸せだ。そんな時に夫が、おーいこの豆腐はなぜ賞味期限が切れて いるのかと現れた。どうも今朝処分した方が新しいのだったらしい。以前はこういう間違いは しなかった。豆腐もさすがに1週間を過ぎると食あたりをするので気を付けている。帰国して から遠近両用メガネを作り又視力を測定したらなんと目が良くなって居てびっくりした。 緑内障ボーダーラインを超えないでいる。毎日ブルーベリージュースまたはアセロラジュース を飲んでいるせいだろうか。ほとんどこの2種類限定。帰国して遠距離の景色を見ることが できるようになったのも大いに役立っていると思う。 おかれた場所で咲きなさいという言葉が好きだ。しかしおかれた場所の土壌の影響か、しおれつつ ある花の目から見える世界をすんなりと受け入れられない。こんな花にもいくばくかの魂が残っている。 自分で葉を広げて雨や霧を受けることもできる。花の五感をフル活動してさらに色んなものをキャッチ。

 怪しい行動、漁師目線 (2013年1月11日)

雑誌のクロワを立ち読みしていたら自律神経失調症状の説明書きがあった。 最近の瞼の端のピコピコ感や時々心臓がトットッと早くなるのはまさしくそれだ。 そうか、自律神経が乱れているのかと理解して安堵した。今朝老犬と散歩しながら その症状によいらしい手足運動や後ろ向き歩き(これをするときは犬と対面するので わが老犬ははらはらして一生懸命歩くのでおかしい)などにしてみた。まだ薄暗い道 ではやり放題。何しろ彼女の歩みはとても遅くよろよろしているので何でもできる。 僅かに残っていた冬薔薇をデジカメしていたらバッテリーが切れそうになり何とか3枚 撮るがこの行動もすでにちらほら灯がともる住まいから見下ろすと相当怪しいのだろうな。 やはり花を探しに少し遠出するしかなさそうだ。写真には詳しくないが光源の少ない状態 で撮ると意外と表情が違う。早朝の時間だから面白いという事もあるに違いない。 なんだかいつまでたっても老いないわが脳みそにあきれてしまうが仕方がない。いや、 老いないというよりはほかの領域にきているのだろうか。又立ち読みして安堵したい。 いつもの場所に立派な体格の鴨夫婦がいた。薄氷にはめ込まれた状態で目だけを動かして こちらを見た。2,3日前には4羽でいたが子供はすでに親と同じ大きさだった。 漁師目線で見たら脂がのった美味しい鴨なのだ。鴨は子供のころ父が猟をして持ち帰ったのを 見たことがある。味は覚えていない。雉が炬燵の横で失禁していたのも覚えている。 鴨夫婦はこんな私を去年からちゃんと見抜いているに違いない。鴨のまなざしは厳しい。 昔の暮らしには問答無用で記憶するしかない世界があった。

 夢の解釈と迷宮 (2013年1月10日)

昨日の夢は楽しく明るく、久しぶりに良い夢を見たとよろこんでさっそく夢辞典 をグーグってみたがどうも浅はかな解釈をしていた。 見知らない場所や人は近い将来の良い出会い、暗い場所やそこにいる人は落ち着ける 場所や自分を深く理解てくれるらしい。暗所というのは無意識の貯蔵庫とか隠れ場所 を意味していて言葉の表向きとは意味が違う。留守番というのは自分が中心人物になる 事らしいが3人だと分散する。 今回は一本道を丘に向かったので幸いだが一本道の先がお花畑だと天国。丘というのは もう少しで手が届く緩やかなエネルギーの存在。洞窟(建物)の入り口を入ったが 銀行=力を持っている人への恐れ、と解釈するらしい。裏庭では花の木を見たのでよかった がこの裏庭というのはある状況からおとなしく引き下がらないと有害だという警告らしい。 笑うという行為は大きな悲しみや不安を表し絶望感につつまれている、身に迫る危険も意味 するとあるではないか。全くノー天気な自分である。黄色い折り畳み自転車のひとは危険な 行動をとっているらしい。洞窟に入って出られたのでチャレンジの成功らしい。 特に花の木というのは良いとある。黄昏は迷いの空間らしいので又悩み多き現実に戻ったわけだ。 なんだか不整脈が起こりそうな夢ではないか。とんでもないチャレンジをしてしまったのか。 陰陽の世界は詳しくないのでご免こうむりたい。人と人との間に真実や誠意が伝わる現実が 望ましい。夢の解釈も時々してみると自分を顧みたりして結構面白い。それでも時々のこと なのでとても救われる。夢が教えてくれないととても表すことのできない世界。鶴亀鶴亀。

 花々と遊ぶ夢 (2013年1月9日)

月曜日に1時間半乗った電車の超混雑疲労はいまだに体調に影響している。血液検査の LDHの数値がいつもの3倍になっていたので心配になりグーグルと激しい運動で 数値が上がるとありとても納得。病院では特別指摘されない数値は目に入らないが 家でしっかり調べる習慣ができた。ちゃんと数字を追うと結構ふーんと思うこともある。 血小板の数値が10を割らないように自分でも検査結果を注視したい。 今朝方とても面白い夢を見た。アルバイト(若いころの私なのか)で台湾の銀行に 1日だけということである駅で他の2人と待ち合わせる。お互いに初対面。2人は結構 ユニークな感じ。明るい性格でなんだか楽しい。地方都市のメーンロードのはずれに あるらしい場所を目指してそれぞれの方法で歩いていく。一人は黄色い折り畳み自転車 に乗りこぎにくそうである。やはり人気のない方向に向かうようだ。町はずれの山の ふもとのようなところに建物の入り口があった。そこの銀行(?)はとても小さい。 数人しかいない。なんでも昼ごろからパーティーがあり皆出払うので留守番をして欲しい とのこと。四角い木のテーブルに囲まれた部屋で説明されたがどうも銀行という雰囲気はない。 お茶とお菓子も出してくれたような気がする。ここが台湾の銀行なのかといぶかる自分がいる。 部屋の中が暗くて人の観察もよくできなかった。主に落ち着いた年配の男性が話していた。 皆出払ってしまいすることがないので3人で裏庭に出ると一面の花の木。家は全然ない。 家を建てる前の成形された草のないひな壇状の空き地が広がっていた。そして 南国で見たようなクリーム色やピンク色の花花花。私たちはその花をもぎ取り思い思いに 地面に並べたり(絵を描くように)振りまいたり、とにかくとても楽しい。笑いながら はしゃいでいるうちにとっぷり日が暮れた。辺りは真っ暗。人が戻りとても感謝されて 又必要なときはお願いするというようなことを言っていた。帰り道はとても難儀して しまったような記憶が・・・定かでない。目が覚めると5時だったので又メモって30分 うとうとした。6時ごろに明るくなる冬の朝は犬の散歩時間が少しずつ遅れている。 最近読んだ年1回発行されるミステリーの影響か、はたまた・・。昨日までは超お疲れだった のに今朝は体も心もとても軽いのが不思議だ。何はともあれいつものようにご先祖様に感謝。

 ラッシュラッシュ&ダウン (2013年1月8日)

病院に行くときはいつも気合を入れているが昨日の超満員電車には参った。 車両点検とのアナウンスがあったがレディス両を選んだ甲斐もなく手足万歳 状態で鞄も手元に引き寄せられず、顔の下に小柄な女性の頭が来ていて触るなと ガンガン振るので40分遅れの車内は地獄だった。若いころはこれほどひどく感じ なかったが年明けの病院も超混んでいて待ち時間が長く、ダブルパンチで帰宅した 時はぐったり。七草粥セット(インスタント)は夫が一人で食した模様。 疲れても食欲はあるので雑食リスのようにその辺のものを食べてしまう私だ。 日曜日に国医の主治医から変更があると携帯に留守電が入っていてこれにもびっくり した。折り返しの電話をということで何回かしたがつながらず交換を通すので変な ストーカーオバサンと間違えられているのかと悲しい。声は割合と若い私だ。 肝のう胞のことを丁寧に説明してくださりうれしかった。通常の外来では患者が 押し寄せるのであまり時間をかけられないらしい。これはどこの病院も同じだ。 とりあえず今年も様子見をしていくことになり又要体重減。お正月700g太った。 ヘアカットもすっきりとお若い主治医は春からの仕事に心身ともスイッチオン。 うっかり部屋の暖房をつけないで出かけて早朝犬散歩から戻ると窓は白いスモークで 温度差が歴然。先日こけながら撮った冬の薔薇はすべて刈り取られていて他の薔薇を 探さないと。新しい年は明けたとたんにどんどん変化していくので去年の成果にプラス できるように思い出しながら歩みたい。絵を描くのも数日筆をおくと、あれっアイディア が見えていたはずなのに・・としばし考えないと出てこないのは情けない。 今朝の占いははっきり意思表示する事、とあるのでその辺を意識して暮す。

 ベランダの植物たちと竹のカモ (2013年1月6日)

度々の凍るような寒さに備えてベランダの植物を寒冷紗で覆う夜がある。 近所のセンターでミニ温室が売り出されるのを心待ちしていたがついに販売されず、 布のところどころを洗濯バサミで止めて風に吹き飛ばされるのを警戒する。 花が絶えないゼラニウムやハーブ類には気を使う。しかしこのゼラニウムちゃんは 結構寒暖の差に耐える強さがあるようだ。 エアコンの室外機の上に置いてある四季成り大イチゴさんの外葉は茶色に枯れたが 中側の葉はグリーンで力強い。中心の葉の下に去年から小さな白い花が隠れている のを知っている。たった一つ薄い白い花びらがはりついているのが見える。 その周りに埋めておいた春の花の球根の芽も確かに伸びている。 紫シクラメンのミニ花を枯らしてしまった。これは初めての経験だ。青い陶器の鉢に 植え替えてからその器が細かくひび割れのように粉をふいたのでいぶかった。 長期間園芸店で寝ていた陶器は乾燥しすぎて植物の水分も吸収してしまったのか、 定かではない。まだ粉をふいているが以前ほどひどくはない。来年に期待している。 バリ島の山の奥までタクシーで行ったときに購入した竹の根っこから作られた民芸品、 カモくん3匹は寒さに関係なくノー天気なポーズで鳴き交わしている。日本では貴重な この竹の根っこカモくんもバリの山奥の露店では当時100円か200円で売られていた。 私の絵の中に登場する日を待ってくれているのかもしれない。稲田とカモとバナナの木、 キンタマー二山(活火山)、割合と砂浜が少ない急深地形青い海の島を想い出した。

 CT検査で温まる (2013年1月5日)

CT検査の造影剤で温まる経験をしてしまいました。実はもう何回も経験している検査です が造影剤を注射すると最初のころは喉周辺の熱さのみで最近は熱さが広範囲に広がる少し怖い 気持ちへと変化していたのです。昨日は寒風厳しく朝から手足の先が温まらないままお昼の検査に突入。 造影剤が注入されると血流に乗って手足の先まで実によく温まりました。検査時にふと見上げた機械の 数字がちょうど高めの血圧数字に見えて思わず技師さんに、血圧計ですか?と尋ねてしまい大笑い。 優しい女性の技師さんが説明してくれました。血圧計ではないことが判明。機械メーカーとか 機械のかたちの違いとかいろいろと観察すると面白いものはあるのです。 原宿から神宮へ。実に十数年ぶりの訪れです。御苑の木々に感じた月日の流れはここでは 感じませんでした。木々の種類が違うのか以前見た時とそう変わらない大きさでした。大勢の人 がいて特に若者が多いなという感じ。パワースポットブームなのでしょうか。時代の流れで 母国愛が目覚めているのかなという会話も聞こえました。せき止められながらどっと押し寄せる人 の間でお願いする(隣の若者が神社はお礼するものだと友人に説明していたが)ことを復唱してみたり。 夫にはぐれないようにしながら先日TVでゲットした神社情報を想い出してぬかりなく進みました。 警察官の上手な誘導で意外と早くお参りできました。そして神社仏閣と言えばおみくじ。 私は糸巻の糸目を見失わない様にというなんだか難しく厳しい歌です。 糸巻の糸目を探し見失わないようにつなげていくのは目力が弱った年齢にはさらに大変です。 糸目というべきものを見つけて手先に持っているのか、その糸は強いのか長いのかなどと 心配性の私はいろいろ考えました。まあいずれは楽観的な方向に変わるはずの自分です。 客の少ない廊下を迷って何回も行き来している患者さんがとうとう怒っていましたが病院慣れ してきた私は教えてあげたいほどになり、去年の自分を想い出して苦笑。進歩は確かにあります。 ほっぺたまでポカポカしてきて、さっ次はおいしいランチだ、と気持ちが素早く切り替わっていました。

 冬の薔薇++ (2013年1月4日)

冬の薔薇に少しこだわり近所散歩で探してみましたがやはり一大決心で 撮った時のようなものには出会えません。というより私があちこち動いて いないだけなのですが。物事のタイミングと実行ということは大事な気 がします。少し飽きるまで続けてみようかなと考えています。 絵画目線で映していますので他の人にはどう見えるのか不明です。 それにしても暗いとデジカメのシャッターは頑張って押していないと おりません。でも頑張ると撮れるものだと解かりました。 今朝は洗濯物が凍っている寒さ。薔薇はどうしているのでしょうか。 「里津子の写真ライブラリ」をご覧ください。

 冬の薔薇パートIII (2013年1月2日)

新しい年の始まりです。ドジな熟年ですが今年も精一杯頑張りますので よろしくお願いします。カシの実ギャーつくりのくろまめさんと同じで 私も冬の薔薇を追求してみました。犬のペースで朝散歩していますので 暗すぎて薔薇の蕾が実だったことが今朝触ってみて解かりました。暮れに こけた時は近所の人が怪しんで出てきました。幸いサロンパスで完治。 何とか1枚のデッサンに仕上げてみました。PC画面には鉛筆書きの繊細 さは全く出てこないこともわかりコンテで思い切り強くしました。 今年に期待する私の気迫が表現できたでしょうか。 「里津子の写真ライブラリ」をご覧ください。