里津子の窓3

人生で大切なものは”孤独の引き出し”です。家族や友人も知らない一生自分しか開けない
引き出し。それぞれが、整理したり何か彩を加えたり要らないものを捨てたりする。ある人
はその中に絵や歌や詩やゲームやメールや様々なものをしまっておくのは言うまでもありま
せん。何も置かないすっきりした空間で安らぐ人もいるでしょう。そこはとても大きなパワ
ースポット。自分の心の中の引き出しです。

******** 「里津子の窓1」の下段に「写真ギャラリー」を移設しました。********






 冬の薔薇パートII (2012年12月31日)

早朝5時半は雨が上がったばかりでした。薔薇をふんわり乗せていた地面の 枯葉はぺちゃんこ。薔薇の蕾がうまく描けなくてもう一度観察をと思い デジカメ持参なのに残念。菊の花を撮っていたときは抱っこした犬の重さで こけました。あー今年最後の努力賞。くろまめさんそらまめさんの沢山の努力 も伝わりましたよ。   

 冬の薔薇 (2012年12月30日)

ご近所レポートも冬景色になりいまいちですのでお気に入りの心の マイシャッターをデッサンしてみました。勉強不足ですがだんだん 上手になりたいものです。  

 私のたからもの (2012年12月28日)

高尾山でおみくじを引いた。私の運勢は人と人とが力を合わせれば良し、 悪いと知りつつ力を合わせても良くないとあった。このことは肝に銘じないと いけない。今年は困難を乗り越えて今までの自分とは違う挑戦を始めた。 くろまめさん、そらまめさんは私の新しい窓を開くお手伝いをして下さった。 深く感謝している。 思いがけなく大きく開いた窓から見たもの聞いたもの感じたものは刺激的でさらに 新しい発見をと欲が出た。無知を承知でそれら真実を語ることは自分を強くした。 陽差しや風、雨嵐、星や月の輝き達が語ることをしっかり受け止めて心の糧に したいと思う。鳥や魚やザリガニの話をよく聞いて彼らからの小さなエネルギー のプレゼントを受け取ろう。木々や野の花たちは変化が激しく目が離せない。 忘れないうちに過去を想い出すのも時々は楽しい。私の世界にあるものはとても 少なく貧しいものだがそれ以上望めるものでもない。 心が荒れ疲れた人のささやかな窓、憩になるのだろうか、そう在って欲しいと思う。 新しい年にはわが老犬との小さな冒険の数々が待っているはずだ。 有難う友よ。新しい窓は私の宝物。

 映画、音楽の日 (2012年12月27日)

昨日レ・ミゼラブルを観た。ウイークデイにはいろいろ特典があり熟年カップルには さらにプラスがありうれしいような悲しいような落ち着かないような複雑感がある。 ここの映画館は去年よりさらに経営状態が厳しい感じであちこち節約改善が見られた。 改善と言えば海外でもトーヨー社の改善プログラムが沢山取り入れられている会社が多 かった。この会社の改善は厳しいことで有名だが取り入れると劇的に変化するらしい。 夫もこの改善にずいぶんエネルギーを費やしていた。TVでこの言葉を聞くと今でも反応する。 ハンカチ片手に映画を観たのはずいぶん久しぶりだったのでやはりよほど感激していた のだろう。俳優は口パクで歌手はべつにいると噂で聞いたがそれもよかったような気がする。 珍しく配役までしっかり眺めてから外に出た。そしてさっそくマスクと帽子で涙目を隠した。 ショッピング街の小さな広場でとても上手できれいな歌声を聴いた。大学生のユニットなのか 片腕の不自由な若者ボーカルが高音でよく伸びるわかりやすい歌詞を歌っていた。年に300曲 も作曲するといっている。寒風に手をこすり合わせながら私はノリノリ。夫は気もソゾロ。 レケミスト・・だったか、この地域はファンモンやユーミンが有名だがこの方たちもメジャーに なるかもしれないと感じた。 セピア色からオレンジが濃くなる夕焼け空には雲一つなく窓から遠くに見える街道の自動車 ランプがちらちらと燃えながら消えていく。丘の向こうの山並みは濃い青でくっきりと横に 描かれていてとても上等な夕暮れだった。

 泥水の中に立つ笑顔の人 (2012年12月26日)

昨日の投稿、腹巻のT件は今年1月のことだったのに頭が混乱している状態を自ら 暴露してしまった。まあでも全力投球して恥をかいてこそ真実も伝わるはず。 海外滞在時に夫の会社で働くITセクション現地人に頼んでPCソフトをインストール してもらったからかいまだにmsn画面は現地語で表示される。街中の様子や洪水ニュース 他がアップデートされていて興味深いのでそのままにしている。現地語もなんとなくわかる。 あちらでたくさん見かけた美人ハーフ女性なども嫣然と横たわっていたりする。少し太めの グラマーな体型が好まれる国なので滞在中はすっかり気が緩んだ。ウエストに肉の輪が回って いる若い女性をたくさん見かけた。甘いものに目がない国民性は確かにある。 映像の中に夜の都心デパートの灯の下で物乞いする小さな女の子の姿を見てハッとした。 その場所は深く思い出せば特定できる所だ。一定の十字路などに出没する親方に支配された 物乞い集団だ。貧しい人の子供や売られてきた子供もいるらしい。赤ん坊も軒下からさらわれたり 誘拐されると地元新聞の記事が転載された日本人向け新聞の情報を見た。雇い主の子供を抱えて手を 差し出す女性もいると噂で聞いた。お金をあげた方が罰せられるようになっているがあげる人はいる。 お手伝いの話では幼稚園や学校の送迎などには特に気を付けているらしく知人親類家族総出で助け 合っている様子だった。家族計画の考えが浸透して子供は2人くらい持ち教育に力を入れる庶民が 多くなったようだ。危険はどこの国でも同じだ。 美は傷、という現地人の本(日本語訳)の中にその国の歴史の苦難がえがかれていて初めて学ぶ 事が多く印象的だった。私たちの国が関与していた時代のことも書かれていた。 映像から連想して中近東辺りに出稼ぎに行く集団のことも思い出した。我が家で働いていた20代 前半の若者の父親は友人と数年中近東に出稼ぎに行きまとまったお金を手にして中古バスを購入、 農民とその農産物を運んだりする何とかトランスポートという会社を作りその若い息子も高校を 出てからそこで働いていたという。恐かったのはバンを運転するのは初めてで、バイク感覚で カーブなどギリギリに回ることと都心の道を全く知らないことだった。真っ赤なバスが恥ずかしかった と言い道端の屋台(権利を買う)でナシゴレン(焼き飯)を売っていた女の子と一緒になったが街中に 住んでいる(父親は田舎でバスの仕事)母親に強く反対されていた。我が家で働くうちに男の赤ちゃん が生まれて娘と名前を一緒に考えたりしたものだ。運転手の中には大学出もたまにいるが高卒もごく少ない。 なんでも結婚費用ねん出のために女性は屋台の権利を売ったそうだ。この権利を買うのはなかなか大変らしい。 彼の母親の気持ちもよくわかった。母親は本をよく読むしっかりした女性の印象だ。1年もしないうちに 嫁が出ていき彼は赤ん坊が大好きで何とか取り返そうと頑張っていた。母親が自分の着るものも洗濯して くれないとぼやいたり、生活態度が目に見えて悪くなりこんこんと説教(わかる現地語で)したが結局 ボーナスをたくさん出してやめてもらった。辞めさせてから悪い友人とバイク相乗りで我車の後をつけたり して困った若者くんだった。バイクや携帯を売り払い又無一文からの出直しをしたのだろう。 赤ちゃんの名前はマリオ。母親に似て小柄だと思うが今ではいっぱしの悪がきに成長していることだろう。 運転手くんもあごひげなど生やして眼光鋭いあちらの国の一人前の大人になって家族を大切にしているはずだ。 山の方で大雨が降ると下の町は恒例の洪水がある。映像の中で腰まで泥水につかり裸の子供を抱いて笑顔で 立っている父親の姿に敬服。

 腹巻のひと (2012年12月25日)

去年の9月頃病院で胃カメラ検査をした時のことだ。検査室まで案内してくださった 看護師さんが、あっ腹巻の人じゃないですか?と言ったので驚いた。去年の3月 あの地震のすぐあとに大腸ポリープ特大を治療していただいたがその時私は治療室 に3回も看護師さんを探しに行かせてしまった。地震直後の混乱した忙しさの中で 看護師さんは熱心に探して下さった。ありませんでしたね〜と言われ娘からプレゼント されたなんの変哲もないピンクの腹巻を恨めしく思った。退院してから又すぐに 海外に戻ってしまったのでその腹巻が実は洗濯物に紛れ込んで一足先に自宅に戻って いたことに気が付いたが病院には連絡しないままだった。それから6か月後の事だった。 病院の看護師さんは未解決問題として申し送りをされていたに違いない。私が又その病院 に戻ったので気が付いたのだろう。ジャカルタからきて入院して腹巻がないと騒いだのは この私だったのだ。病院の看護師さんの細やかさに超びっくり。今年の1月も入院して しまった。2回目ともなると少し慣れてしまうが入院に対して患者は心配が多い。 しかし今後も病院には度々お世話にならなければならないので人を信じるということの大切さを 改めて強くした1件である。又この病院で今年1月肝のう胞の治療をしたときはのう胞の 破裂や内出血やがんの疑いまであったが消化器内科全員でバックアップしますという主治医の 言葉に救われた。確かに治療件数の多い病院に比べると多少の不安はあるがその時はのう胞の 痛みとかで(地震ショックと海外引っ越しもあった)何もやる気がなくて絵どころではなかった。 治療後もそれが改善されなければ後は心療内科しかないという感じであった。あまりのショック で頭が真っ白になり帰りのバスの行き先を間違えて泣きっ面に蜂。 治療後にQOLが上がりその後は日増しに良くなっている。のう胞はなくならないので問題は 継続している。自分の病状をより知るためにセカンドオピニオンを取ることを考えている。 難病みたいなこの病は自分でもよく理解して早めに行動することがとても大切だと思う。 放っておいてお腹がどんどん大きくなっても痛みがあっても生活できるが行き着く先という 事は考えないといけない。治療を経験している内科医は少ないのだ。 クリスマスは宗教に関係なく人に対する優しさや諸外国の人々にまで目が向き何事かを喚起 させてくれる不思議な時間だ。わが老犬もめったに口にできない肉の一切れにありついたが ダイエット中心で盛り上がらない我が家の食卓ではあった。腹巻のことを想い出したのは サンタさんからのプレゼントだったに違いない。

 ワイエスの世界、どんぐりくん (2012年12月24日)

陽がサッと射してきたので中学校前を通過した時いつもは気が付かない小ぶり の桜の木に花がちらっほらっとあるのに気が付いた。道より上にあるグランドの 手前に寒桜というのか、あまりぱっとしないがとにかく桜の花だ。寒い季節の桜は あまり好きではない。あーっよく我慢して咲いているね、とかもうちょっと 花数が欲しいね、とかどうも中途半端だが桜には桜の事情があるのだろう。 あまりに風が冷たくてその上にある公園まで行くのがためらわれた。わが老犬 の顔にも容赦なく風が吹き付けて鞄の上でこんな寒い道を歩くものかという強い 意志を発散させている。しかしこの方のお蔭でこんな朝散歩をいやいやながら している。すっかり色が褪せた薄紫、薄ピンクの菊のひと群れ。団地のどなたかが 丹精込めてお世話しているのだろう、わずかな花に心がなごむ。枯れた葉の色も深い。 いつもの小川は部分的に大振りの岩で護岸されているので透明な水に映る周りの木々や草 の姿はさながらワイエスの世界。水底に横たわる明るいグレーと白の空、どんぐりの木や 岸辺の枯れ葦は程よく少なく映り手前の暗い色面をより引き立たせる。枯れたアジサイや 花のないツワブキやわずかなシダが岩の隙間にありこれぞ冬景色。ちょっとできすぎの絵だ。 ザリガニくんはどこにいるのかとたもとの橋の上から覗き込んだが何も見えない。丸い底石に 赤茶の苔が付いていて石の周りにどんぐりの実がきれいに数珠つなぎに輪を描いている。 水を吸って膨らんでいるようにみえる。もしかしたら食糧難の冬はこのどんぐりくんが ザリガニのえさになるのだろうか。干潟のカニがなんでも食べているのを見たことがある。 霜柱を踏みながらいつもカモくんやアオサギさんが好んで居たちょっと川幅の広いところまで 近寄ってみたがどなたも留守。いつもちょんちょんあちこち出没するセキレイ家族もいない。 三連休で辺りはしーんとしていて人の気配も薄く強まる陽差しと風が主役の朝だ。

 柳の葉、メタセコイア、辛夷の蕾 (2012年12月23日)

ちょっぴりお気に入りになったオレンジ色の手袋をしてたすき掛け鞄の上に 犬を乗せると素手の時の感触と違いするする滑るので困った。わが老犬も しっかり乗らないと降ろされるのではないかと思いあちこち体制を直すのが おかしい(おもしろい)。犬の体の感触をキャッチするにはやはり素手が一番。 冬ものを買い揃えたが普段着はユ二クばかり。よく見ると若者は別として熟年は 割合と着用していない感じがするので夫が友人と会う時には忠告する。 アジアの賃金の安い国では値上げのデモが多いと聞く。そのうち日本でも安い物が 溢れなくなるはずだ。安いものがいくら沢山手に入っても満足感がない気がする。 川沿いの柳は細い木だけが枝垂れていた。散り敷いた優しい小魚のような葉は先に 落ちたのはすでに薄い土色でその上にだんだん降り積もった葉の色の薄茶や薄黄色や 薄緑のバリエーションが美しい。ほかの葉と違い川の中や土手、垣根の上に舞い降り ている葉も目にうるさくなくすぐに地上に同化していく様子だ。北海道の方では確か 柳の葉が川に落ちてシシャモになったという民話があったような気がする。川の中に 吹き寄せられて沈んでいる淡い黄色の葉を見ると魚に変身する姿が想像できる。 羽色の若いキジバトが一羽、黄色い葉にせき止められている水でのどを潤していた。 メタセコイアの木もすっかり葉を落として点々と小さな実をつけているのが見えた。 枝先がすっと外に伸びていないで皆少しずつ内側にカールしているのは不思議。 八王子ではこの秋メタセコイアの木を沢山見た。黄葉して初めてその存在が解かったが 円錐状の大きな木に目を向けるとほとんどメタセコイア。有難味が減少してしまった。 辛夷の木は外に向かって威勢よく枝が伸びていていぶし銀色の蕾が春の花の白さや 強い香りまで物語っている。自然はいつも様々なことを語ってくるので目が離せない。

 オレンジのゼラニウムと青いガラス瓶 (2012年12月22日)

氷雨が彫刻刀で刻まれたような繊細な陰影の木々に覆われた小山を背に微かに 横に動いていくのが見える。マヤ歴を通過してどこかの空間では新しい世界が 流れ込むか流れ出しているのだろうか。 早朝には低く暗い雲の下を大きな体をさらけ出し轟音を響かせながら飛行機が 通過して行った。あの向こうの空のあたりでホバーリングしながら方向を変えて 海方面への道を選ぶのだろう。グッドラック。雲の上に上がってしまえばもう 心配はないはずだ。強くなる雨脚を避けて急いで家にUターン。 どうなるかと不安だった体調が又元に戻り薬がよく効いたようで落ち着いた。 ベランダに咲くオレンジ色のゼラニウムの花を1本切り取り濃いブルーの小さな ガラス瓶に挿した。途端にポッと黄色いあかりが灯りグレーの色彩が強い今日の 朝のランプになった。

 チーズ、トマトの香り、笑顔 (2012年12月21日)

ユニクで購入した990円のオレンジ色のキルティング手袋をして寒い横浜へ行った。 ダークレッドのセーターとブルージーンズ。靴だって赤。グリーンがかったグレイに マッチする。年齢的には子羊の皮とかせめて毛糸なのだろうが一応芸術家なので こだわらず色面白さで身に着ける。先輩はロシア人の着用するようなふさふさ毛皮帽子。 渋い色彩の個性的な洋服にキルティングあったかパンツ。アラビア模様の素敵なマフラー。 しかし帰るころにはバシッと白絵具が目立つ黒パンツになっていた。ジェッソくんが 貼りついてしまったのに全然気にしないところが素敵。私もあんな帽子が欲しい。 強い風が吹くとお気に入り色に染めた髪の毛が白斑症で地肌真っ白を遠慮なく野分状態に するから。この頃この白斑くんがおでこからだんだん降りてきていてこの調子で顔の 中心向かって白が攻めてくるとどういうことになるんだろうか。なかなか面白いではないか。 夕方フレンチのお店で忘年会をした。久しぶりにこういう店で楽しい時間を過ごすような 気がする。ジャカルタ時代は仲間の気持ちがそろえば相当遠い店でもレッツゴー。車&運転手 付きの超贅沢をしていた。許された贅沢を使い切ってしまい今後はおいしいものになるべく 近寄らないようにしないといけない生活だ。7キロ痩せるには何年必要か。8年で太った重さだ。 年齢を重ねてそれぞれ絵の道を精進してきた仲間は今も必死で希望に燃えていて若々しい。 さながらレストランの凸凹白壁に描かれた自由な曲線の絵やフランス語のように伸びて伸びて すっと細くなったり、まあるく広がっていったり、とんとんとんと階段を下りて行ったり、紆余曲折の 人生模様も見え隠れして奥行や思考が深い。チーズの焦げるにおいやトマトスープの酸っぱい甘さ、 若い人たちが入れ代わり立ち代わりテーブルに集うさざめき。穏やかで話をよく話を聞いてくださる 先生は指導がとても適切でここにきてようやくめぐりあえたなあ〜と感慨深い。若いころは理屈は理解 できても表現できなかったり仕事や家事子育てが優先して自由が利かなかったり、しかし諦めないこと でここへの道を探し当てた気がする。カロナールくんはよく効いてくれてなかなか優れものだ。 これから希望に燃えて険しい道遠い道を目指す希望の光の若い人にますます明るい力と笑顔が集まる ようにと東の明け星にお祈りした。

 通院、末広亭、夕暮れの向こう (2012年12月20日)

昨日は同じく通院する夫の1時間後に家を出た。北風ぴゅうぴゅう&気温低い という冬らしい朝のスタートとまた電車ダイヤの乱れ。薬は飲まないでおいた。 予約外診察は結局ほとんど終わりの列に就く。お若い主治医は春から北の方に 修行の旅に出られるとのことでエールを送るしかない。自分の今後の治療について 再考するチャンスなのだろう。来月の4日にCT、7日にエコーということになった。 又クラビットとカロナールを処方してもらいクラビットは熱が38度以上の時のみ 服用と注意書きあり。ぱらぱら服用するといざという時に効能が失せるらしい。 しかし今のところ私にはよく効いていてズキンはなくなりいつもののう胞の痛みと 新しく発生した左後ろ方面の鈍い痛みが気になるくらいに戻った。痛み発生時に すぐ医者に診てもらえないので実際のところは自分が知るのみだ。ここが痛いんです、 といっても共感はないので・・とにかく訴えていくしかないのだろうか。この病いも 治療した後の方が感染症が発生しやすいらしい。きわどいところでセーフの私だが 運を信じてプラス思考したい。そうそう、肋間神経痛の痛みとのう胞の痛みの違いが 今後の研究テーマにもなった。 夕方帰宅すると玄関で犬がバーッと2か所で吐いてくれた。隣の工事音が大きいので 又ぜんそく発作が出ると困るなあと思いTVをつけて出かけたが案の定相当なストレスと 戦っていた模様。わが娘(私自身も)が2,3歳のころ自家中毒で大変だったことを思い 出した。法事で連れて行った旅先で具合が悪くなり手の甲の血管に点滴針をさしたなあと。 今ではとんでもなく神経が太く強くなったいる二人だ。どうもわんこは修行が足りない。 帰国前から楽しみにしていた新宿の末広亭に寄ってみた。熟年でほぼ満員という昼下がり。 落語家のネタもその辺を突っ込んできてますます大笑い。昼過ぎから夜9時まで入れ替えなし で2800円は安い感じだが全然笑えず早く終わらないかな〜とよそ見してしまう人もいて 長時間のお付き合いは無理かもとも思った。我が家は2時間で帰宅ラッシュを避けて電車に 乗り込んだがまたまたダイヤの乱れ。落ち着いた趣もあった新宿の夕暮れを10年目振りに 歩いてみたがなんとなくアジアの街並みに変化していた。覗いてみたユニクロのレジ背面の 電光板にテリマカシというインドネシア語がありびっくり。どうやらインドネシアにも進出 したらしい。暑い国でも冬物など売るが(寒い国に帰る人やそこに旅する富裕層ターゲット) 先に進出したムムの店舗内は閑古鳥が鳴いていた。どんなものを売るのかな〜。道端で年柄年中 安いものを売っている国だからお金持ちや少し増えてきた中間層が買うのかな〜。お金持ちは高級 ブティックにお手伝いを連れて外車で繰り込む。日本では高級すぎる店でもあちらでは店員がにこにこ しているので気安く入れた。帰国してからは高級店は避けて通る。なんだか異国人状態で落ち着かない 年の暮れではあるが違う国に住みこれからなじんでいくようなちょっぴりのわくわく感もある。

 孤独、クール,恐い、自分の絵 (2012年12月18日)

今月2日明け方頃のことだった。時々見るようになった現象で腹水が溜まった 様なお腹(薄い黄色の膜が張り付いたような)が翌朝には普通の脂肪付きに戻る、 その前の夜にもこんな現象が出ていた。苦しいよ〜といつものようにのう胞の痛みも なんのそのごろごろを繰り返した(このごろごろ訓練のお蔭で病院での検査は上手に できるような気がする)過去例でも最悪に入る苦しさの中でいきなりジリリッと枕もとで 電子音が鳴った。目覚ましはかけなくても起きれるし枕元周辺に携帯もない、ハッとして我に返り 苦しみの世界から脱出した。どなたかのお助けに違いない。13年前に母が旅立って2週間位後 にも明け方に電話がチリンと鳴って悲しみから目が覚めたことを想い出した。特に霊感が強いわけ ではないが時折訪れるお助けに感謝している。今朝は痛みが広がり背中の方も少し痛むのでまた クラビット500を飲んでおいた。以前6錠もらったが後2錠になってしまった。そのうちの1錠は 財布のポケットにいつも入れてある。死ぬほど痛いとか高熱でないと病気といえないのか疑問だ。 現代はグーグル等で様々な検索をして情報を得て自分で自分を救うことができるので 昔よりは良いかもしれない。問題発生時に何も知らない物や相手や組織を頭から信頼する事 は不安だ。人それぞれの利益で展開している情報社会なのである人にとってはうるさい 接触ということになってしまうと思う。組織をより成長させたい、または自分自身もそこで 多大な利益を得たいと思う人は余計に組織を守る行動に出るはずだ。その辺のことが今年は 頭から離れずにいたが今言葉にしてみると妙に納得する。自分でグーグルことがとても多くなった ので実感することなのだ。マイケルのジャスティスを読みながら1日中寝ていたらちょっぴり賢く なったような気がする。フランクの物質のすべては光、は難しすぎて読み進まず途中放棄になった。 少し前のTVで優秀な人材が最大級の努力で希望するポジションに就いた時出会う理解不能な 状況に対して悪いのは自分ではなく回りの環境や人だと考えるという現代病ともいえる精神状態 が報道されていた。家庭環境や成長過程での人間関係は最良といえる人に特に多いらしい。 このケースの解決策は現実との段階的な妥協以外にないそうである。プアーな状況の中で手持ちの 少ない能力を駆使して手さぐりで上昇していく人(ギリギリの努力はしないのでゆるい楽しみや 幸せ感はある)は失敗を恐れない。突出した人材というのは脆いが尊敬すべき存在なので好きだ。 その他大勢の未来を救ってもらわないといけないので身近にそういう人がいたら助けてあげたい、 エールを送ってあげたいと思う。そういう人を守る人は多いはずなので私は気持ちを贈るだけだ。 自分が弱い立場になり余計に強い存在や精神の持ち主にに対しての期待が大きくなる。 それにしても熱が出た夜、自分が制作した少し大きめの絵の恐いこと。部屋いっぱいに襲い掛かる 感じがした。自分の絵画が恐いと思ったことは初めてだ。絵としてのアピール度は高いと思うが もう少しやわらかい色やかたちを入れないといけないことに気が付いた。孤独、クール、恐い、 人を拒絶しているのかもしれない。いったいいつからこうなったのか、絵は心の鏡だから見たくない ものも見る。新しい年にはジャカルタ時代の明るい光と影の力におすがりして変化したい。

 ヘルプ、アオサギ女神様 (2012年12月17日)

先週水曜辺りから肝臓左葉周辺にズキンという痛みが突然生まれた。これは依然右葉に と左葉3か所くらいに感染症が出た時と同じ痛みだ。外出前にカロナール200と胃薬 を飲み、うっかりアリナミンAを3錠景気付けに飲んでしまった。この薬は1錠でも気分が 悪くなるのをすっかり忘れていた。ムカムカとお腹の具合が悪くなることは説明書きにある。 ビタミン剤は直に体外に出るので数時間のちには落ち着いておにぎり2個を食した。 肋間神経痛かと思いサロンパスも数枚貼ってみたりした。 最近私にしてはハードな高尾山登山も(今回はおすすめ隠れ道コース3)して気分は前向き に頑張っていた。ズキン発生の翌日も夫の若向けマフラーを買いに立川まで出かけた。若葉 マークの夫にとって初めての機械駐車(丸の上に乗せるだけだが)にもトライ。しかしその夜 37度以上の熱(平熱が36度くらいなので熱が出たという認識)とズキンの合唱でとうとう 秘薬のクラビット500(依然数個病院でもらい緊急時のみ飲用)を飲んだ。空腹だと気分が 悪くなるのでバナナ少々と水沢山。しかし明け方にひどい吐き下しをした。外出時はマスク着用 していたのに、はて流行のウイルスかと危ぶみグーグルと痛みの場所から脾臓に問題が発生して いるのかとも考えられる。脾臓くんのことは何も知らないので先生に聞いてみるしかない。 翌日は珍しく食欲もなくて水分補給のみで臥せってしまった。しかし夕方には食欲も戻り家人が 料理したカレーの煮つけなどをパクパクいただいた。本格的病人状態だと家人達が忙しくたち働き その姿を見ていると時々こんなのもいいなあと思う。夕べもカロナール200と胃薬を飲んで 早めに寝てしまった。今は以前からの肝のう胞の痛みと左葉の広がった痛みがある。とうとう左右 の寝返りが不自由になってしまった。寝返りがとても激しい人なので上を向いているだけはつらい。 やはり医者に行かねばならないのか。病院も年末年始があるしお若い主治医の休暇の邪魔をしては いけない。クラビット500をどんどん飲むわけにもいかないしカロナール200も2回分しかない。 1か月ばかり痛み止めやレスタミンコーワでごまかしてきたので胃の状態も悪いような気がする。 食欲は普通で有難い。このお蔭で今日がある。私の食欲様に感謝。 アオサギに数回出会ったことを思い出した。この鳥がアジアでは崇拝されていることも考えあわせて 何とかよい方向へ私を連れて行って欲しい、アオサギ女神様どうかよろしく。

 チェルシーファンのおじさんと悩める若者 (2012年12月16日)

横浜のアトリエから帰る夕方の電車内にその夜サッカードームで開かれる試合を見に行く チェルシーファンのイギリス人おじさん2人が乗り込んできた。白と青と黒だったか、 太い狸の尻尾のような長いマフラーにチェルシーのロゴマーク。きりっとした目元と ふくよかな体と黒のジャケット。シンプルな皮の黒いスポーツシューズはピカピカ。 2人でポケットに手を突っ込んだまま短い目的地までの時間を若者ののように楽しげ にお話に夢中だ。 外ではマスクを欠かさない私は眠っていない限り(まだ電車の停車駅に詳しくないので 1時間余りの乗車中はっとして目を覚まし違う駅に飛び降りそうになったりする)自然に 車内観察してしまう。 少しして又違う場所に移動していた彼らを見ると1人の日本人若者(耳銀ピアスにロンドン風 黒のフロックコート型上着、黒細ズボン)と楽しげにお話し中。降りる駅を指さして教える 若者。6年くらいイギリスにいたという言葉も漏れ聞こえた。ほんとかい!とおじさんたちが ノリノリでどうやら彼も競技場目指している様子。電車の中で久しぶりにそんな楽しい様子 を目にした。細いバッタクンのような若者と狸型おじさん2人。彼らがいた場所には確かに 暖かいふれあいの残像が在った。 朝は隣に座った若者がぶつぶつぶつぶつと独り言が激しくて、ああ真面目な悩める若者 だな・・と思った。帰りの電車では立ったまま独り言を続ける若者が隣にいて、最初口述録音 か携帯と思っていたらどうも違う様子。とても危ない話を延々と続けている。思わず見上げて しまったら黙り込んだ。とても奇妙なのは周りの乗客の姿。若者はみな自分の携帯を覗いたり 指でなぞったりの姿勢。ぶつぶつクンと対面している人もまるで目の前の人が見えないという 感じに完全無視。週に1回くらい乗る電車だがしょっちゅう人身事故で時間が乱れる。 マスクを取ったらせめて口角をあげてスマイルオバサンになりたいものだと考えた。 PCが壊れて(なんと1年の保証期間2週間前)ハードディスクを取り換えたがソフトが新しく なりこれもまた悩みの種。古き良きものに執着してしまうオビエルオバサンでもある。 夫に思いきり若いマフラーを無理やり買わせた。これで夫も少しは若ノリになるかもしれない。

 ゲーム(電脳ブルードラゴン 対 オバサンネズミ) (2012年12月14日)

結局の所オバサンネズミが住むのは狭い檻の中だ。年がら年中キイキイ文句を言いながら あちこち走り回り、支配しようとする電脳ブルードラゴンをうるさがらせる。 夜が明けると太ったオバサンネズミも場所を移動しながらブルードラゴンのご機嫌を伺う。 そして少しだけ思考する。これがまたとっても楽しみなんだよね。 フンっと言葉を投げつけてブルードラゴンはますます青ざめ軽蔑のまなざしでネズミを 睨む。今朝は高度なミーティングがあり忙しいのだ。どんどん進化するのに時間が足りない。 ブルードラゴンに自由な時間はないのだ。走って回り走って戻る毎日だ。朝昼晩や季節の変化 さえない。毎日用意ドンの繰り返しだ。あるのはチクタク言う時計の音だけ。 チーズやクルミにパンを齧り、ほら又アーモンドを齧っている。ネズミはいくら走り回っても 痩せやしない。おっと昨日は0.05キロも太ったではないか。まだまだ煮干しやクッキー もちゃんと隠してある。それに時々マジックを使い色んな世界にワープして遊んでいる。 夕闇の向こうからブルードラゴンが檻を覗く。キイキイ言いながら駆け下り駆け上る太った ネズミオバサンはうるさいったらない。そして生意気にもその小さな指で光のカーテンを揺すり 何か問いかけたそうにする。まるで知りたいことがあるという風にでもね。 パッとフリーズさせたり真っ白なまぶしい光を投げつけたりしてオバサンネズミをやっつける。 いきなり暗闇の魔法をかけたりもする。突然の電脳世界の終了で途方に暮れてうずくまる姿を 見て少しほほえむ。どうしてオバサンネズミが目障りなのか訳が分からない。 たぶんブルードラゴンにも説明できる理由なんかないはずだ。 ディサピアード。サイレントワールド。ダークサイトに閉じ込められた光。 そんな悪あがきにも飽き飽きしてしまえばとうとう本当のゲームセット。おやおや オバサンネズミは疲れて眠りこみピクリとも動かない。いつ果てるとも知れない眠りの世界に入った。 ハードなエクササイズを有難う、ブルードラゴン。オバサンネズミにできることは無様なありのままの 姿をさらすことだけ。そこに在るというエネルギーのみだ。かたちがあっても無くてもすべてのものは 光のエネルギーだというではないか。ブルードラゴン、あなたもただのエネルギー。オバサンネズミは 優しい小さなはかない光なんだよ。 いずれはどこかに帰っていくエネルギーのそれぞれのかたち。バチッと火花を飛ばしてあちこちの暗闇 で発熱しては消えているエネルギーはまるで永遠の存在のようにみえるけれど。

 崇拝されているアオサギ (2012年11月25日)

又サギに会った。今度はちょっと子供で体調が小ぶり。夏羽と言うのか羽のあたり両側に 黒い模様が際立っていた。ネット検索すると難易度1と言う鳥で日本には最近沢山見られ そのふん害で木々が枯れるとか汚れるとか問題になっているらしい。シロサギばかりが やり玉に挙がっていると思っていたので意外だ。この鳥は成長すると全長175cmにも なるとある。ゴアーッと鳴いて飛来するらしく先日は鳴き声付きではなかったものの、 大きな影に襲われると思ったのも無理はない。小魚ザリガニ小動物まで食するとある。 アオサギ。鳥はグレーなのにアオサギだ。ずいぶん昔からいるらしくいろんな場面に登場して いると書かれている。山下達郎のヘロンと言うのはこの鳥を指すらしい。ぜひ購入して聴いて みたい気持ちになった。音楽は大好きでいつもCDを欠かさないが最近はストレスが多いので オルゴール音楽(ビートルズも入っている)一本やり。オルゴール音楽をかけて眠ると割合と スムーズに眠れる。ジャカルタの広いアトリエでお手伝いが早く帰った時や夫が外出した週末 などには窓全部にレースのカーテンを引いてビートルズの音楽をガンガンかけて絵筆を握り むちゃくちゃダンスを楽しんだ、のはわが老犬のみが知っている。運転手が休みだとどこにも 出掛けられないというのも結構つらいものだった。 そういう性格は山の中の家で暮らした幼少時のものでいつも歌って踊っていたらしい(自作自演)。 ごく最近になりいよいよストレス過多時代に突入するまではずーっと隠れていたものだ。家人も 知らない。わが老齢の姉も社交ダンス、カラオケ、プールと忙しくしているところを見ると家系だ。 ストレスが高じると現れるDNAなのか。ピンチの時にはあっという間に明るい世界にワープできる。 ごまかしているだけで問題の解決にはなっていない点が問題だ。この性格は二人の兄にはない。 我が家でも私一人だけが楽しめる世界でつまらないが娘は幼少時そうだったのでいずれ表れるだろう。 アオサギは当分の間観察のターゲットだ。いつも鴨がいる場所にいるが仲良しなのだろうか。 サギは1,2羽が良い。この方はアジアでは崇拝されているらしい。

 マグリットの鳥かヒッチコックの鳥か (2012年11月24日)

散歩コースの最後、公園の出口でサアッーと空から覆いかかる黒影に襲われた。 ハッとして犬をギュッと抱き寄せた。タカかと川の繁みの間から恐る恐る覗きこんだら この前2回ほど見かけた大柄グレーのサギが緊張した横向きスタイルで立っていた。 頭のてっぺんだけが縦長シロでその周りを濃い黒がとりまいている。どこかの国の 帽子に見える。後はウスイグレー一色でおしゃれ。以前住んでいた海近くの干潟にも サギはいろいろいた。ずんぐりむっくりのゴイサギもいた。シロサギはどこにでもいる。 今朝は鳥の観察よりも空からの大きな影の方が強い印象だ。生き物としての本能や 恐怖心を体感してしまった。大地に住むか弱い生命と言うものも瞬時に理解できた。 大きな影が空からどんどん落ちてきたり襲ってきたらどんなに怖いだろうか。 昔から隕石が後から後から降ってくる夢をよく見るがそれはどこに逃げても落ちてくる と言う超恐怖。何でも大挙してやってくるものはコワイ。カラスも3,4羽に取り囲まれ てビビったことが有る。バッタ君も一匹だけだったので感慨深かったが砂漠でもどこかの 国の農場でもこの方たちが大群で通過した後は何も残らないという事を急に思い出してわが お人好しぶりに腹を立てた。 昨夜は急に雨が沢山降って近所の紅葉もどっと進み最早プラタナスは落葉の上に立つ わずかな葉を付けた景色に急変した。華やかさのない落葉樹もそれなりの色に染まり その他大勢としてグレーのサギのような色のお天気の中で寄り添って秋を演出している。 去年ベランダから嵐の空に向かって上昇していく大きな鳥の姿を眺めた。 長い距離を渡る蝶や鳥たちはこうした上昇気流を利用するとナショジオチャンネルで 映していた。季節がいつか忘れたがクマタカだかもそうやってインドネシアから飛んで 行くというのをあちらにいるときに聞いた。プンチャックの茶畑のどこかから飛びたつ のかやってくるのだかを見ましょうと日本人向け新聞に載っていた。大きく弧を描きながら ゆっくりゆっくり上昇していく数羽の鳥の黒い影が消えてなくなるまで随分長い間見つめていた。 それにしても小川に生息するのはザリガニ位だ。魚影を見たことはない。子供たちが大勢で いつもザリガニとりをしているところを見るので沢山いるのだろう。大柄サギはザリガニや 上流の池の小魚くらいでお腹を満たしているのであんなにスリムなのだろうか。

 湖や山々に降る雪 (2012年11月23日)

ふる里の信州湖水地方は近くて遠い。私が勝手に湖水地方と命名しているだけだけれど。 糸魚川静岡地溝帯上にあり右の山は高くて左は低い。うしろの富山側にはアルプスが在り手前の山前に 大中小と3つの湖がある。中学生の頃その湖の淡水海綿とか水位の変化による植物の変移などの研究をする 生物クラブに居たので(代々全国的なコンクールで上位賞を頂いていた)ちょっとだけ詳しいかもしれない。 代々の方が調べたことを発表する段階のタナボタ時代に遭遇してしまい良いとこ取りだったので申し訳ない。 そんなわけで貝や魚や湖水周辺の植物には自然と目が向いていた。しかし、将来は鳥類学者になりたい などと言うホンのつぶやきをひろわれて報道されたりしていた割にはどうにもならずその後の道は多くの 人と同じように山超え谷越えだ。デモ生物や考古学や天体などには今でも目が無くて大好きだ。 本気でお便りを下さった木曾の鳥類学者の方には今からでも心からお詫びしたい。 人間的な成長がとても遅くて今頃になって世の中のことが少しわかるようになった。 来月こそと考えているうちにふる里の情報では紅葉が終わり高速道路もいつ雪がやってくるかわからない らしい。カーナビ頼りのわが夫が心配。肝のう胞も痛むし風邪もすっきり治らない。田舎で具合が悪く なったりして当番医しかいなかったら嫌だなと考えたりしているうちに話がだんだん来年という事に なってしまった。去年2月海外から一時帰国した折に電車で日帰り墓参りをしたがたまたま新宿で 信号故障が在り八王子まで移動して乗り込もうとしたところ電車が通過して弱り目に祟り目めで思わず 泣きそうになった。片道4時間。昼に移動して夕方帰宅。自分の田舎に帰る電車に冷たくされたのは初めてだ。 信州の山の稜線は落葉すると彫刻の世界になる。ところどころ見える針葉樹はアクセントだ。 きりっと晴れたプルシャンブルーの空と落葉樹が重なり合う沢の線はくっきりと厳しく邪心を払う。 子供の頃には高い高いとおもっていた山々が大人の目から見ると意外と低い。10代の終わりにふる里を 離れたので記憶の中やその後たびたびの訪問での印象はとぎれとぎれだ。観光地なのでいつ行っても 人が溢れていて落ち着かない。両ひざ人工関節、膠原病でも自分の車を運転して明るく考えて暮らしている 11歳年上の姉が今年は雪が早いかもしれないから車で来るのは止めなさいというので、近くて遠いふる里 に思いを馳せている。屏風のようなアルプスの山々から冷たい風が吹き降ろす頃だ。

 バッタ君が教えてくれた (2012年11月21日)

ベランダのバッタに情をかけたばかりに危うくブルーベリーを台無しにする所だった。 3,4cmの薄茶色バッタは随分前から見かけた。おおバッタ君いるね、と親しげに 話しかけて会うのが楽しみだった。しかし最近二鉢あるブルーベリーのかたほう、 バッタがいる方が立ち枯れ状態になった。ネットで見ると枝の剪定は3月ごろが良いと 在ったので枯葉が自然に落ちて来春の芽が育つまで待った方が良いのかなと考えていた。 しかしバッタも冬眠しているわけではなく多分かじりついて樹液を食していたのだろう。 もう一つの鉢は葉が緑色で健康的だ。仕方がないので枯葉の枝を剪定してみた。 ベランダのヘリにポツンとバッタ君がいた。夕方4時の暮れなずむ景色を呆然と眺めていた。 まさかの枯葉除去枝剪定作戦だ。この年の暮れにいきなり降ってわいた災厄だと目玉が訴える。 ずーっとそのままで動かないけれど暇に任せて観察した。そのうちに1mm位ずつ少しずつ 足の関節などを動かし始めた。山の陰に隠れた日差しは遠く、だんだん寒さと暗闇が忍び寄る。 しばし考えた後,バッタ君は方向転換し始めた。やはり飛び立つほどの元気はないようだ。 お隣の方へ超スローモーションで動いて消えて行った。保護色が有効な植物を見つけないと いけないのだろう。ごめんねーバッタ君。しかしびっくりしたものだ。これは天の啓示なのか、 うっかり情をかけたら大変なこともあるのだ。もう戻ってこないでねバッタ君、ちゃんと 越冬できる場所を見つけてね。楽しみが一つ消えてしまった。 そして今日は通院の日。待ち時間は長かったが状況は変わらなくて治療もなく年明けまで様子見と なった。何よりも1年以上たちお若い主治医が大成長したような気がするのがうれしかった。 体重を7キロ減らしなさいと難しい宿題。この年で一度伸びた皮膚を痩せさせるとしわしわに なりますと口答えしそうになり言葉を飲み込んだ。ハイと消え入りそうな情けない声の私だ。 ブラブラして肝臓を休めているので数値が横ばいなのかも知れない。わけのわからない病人と 言えるので病院の先生も大変なのかもしれないが緊急時には最優先で駆けつけてほしいものだ。 何はともあれきわどい所で色んな難を避けているではないか。年を重ねるとカンが冴える。 いろんなご先祖様に感謝。今日の夕食はバナナ2本だけ。いややはり1本で充分なのか。 年配夫人は太目の方がかわいいよ・・と心の中で呟いてみる、ねっくろまめさん。

 金色の玄関に・・・ (2012年11月20日)

手元に残った数少ない本の一つに、タチアナトルスタヤの金色の玄関に、がある。 昔から本が好きでよく読み、山の中の生活をしていた幼少時代は風呂焚きをしながら 薪の灯りで本を読み、図書館からごっそり借りてきた本を読んだ。海外引っ越しの際に ほとんど人にあげたりブックオフに持ち込み又海外で購入したものも漫画喫茶に1冊10円 くらいで売り払い、その結果ほんのわずかな本しか残っていない。その中でどうしても処分 出来なかったのがこの本である。95年夏に購入していて内容は少ししか覚えていない。 ロシアの作家は昔から割合と好きだ。この本はとても相性が良く私の原風景に共鳴したようだ。 人様にこれこれと言えるほどの難しい本を読むわけではないが心や環境や人の観察などの分野で 本の世界は実はひそかに私を成長させてくれたと思う。今は緑内障ボーダーラインで読み進まない。 昨日ドライブをした。疲れるので隣駅周辺という事になり引っ越して間がないので新しい出会い が在った。多摩地区は2,30年前に計画的にデザインされ造られた都市なので公団や街路樹や公園が おしゃれである。海外に居た時ネットで調べて購入した住まいなので実際の環境がわからないまま 住みはじめて今頃ようやく近所探索なのだ。道はわかりやすくきちんとしていてカーナビも助けてくれる。 メタセコイアの街路樹が並んでいる道が在った。この木が好きな私は感激。最初から大きな木を 植えたのか見事なツリー型が黄金色の衣をまとって続くのでいつも散歩道で2,3本しか見ていない 目には豪華で素晴らしい。黄葉するとじきにカラマツのように落葉して今度は木の下が黄金色に なりとても印象的だ。以前住んでいた幕張近くの公園にも数本あり観察していたものだ。 そして、楓の街路樹が現れた。赤ワイン色が射し黄色に薄茶のバリエーションの葉はプラタナス より華やかで明るい。少し欲が出てきて聖蹟桜ヶ丘方面の銀杏並木を見に行った。ここは夏から 目をつけていたところだ。銀杏は上から下までレモンイエローだ。後2,3日で散ってしまいそうで きわどくセーフ。なんて運の良い日だろう。 黄金色やワインレッドやレモンイエローと木々の明るい茶色を眺めていてふと思い出したのが 冒頭の本である。なぜか数年に一度は思い出す不思議な本だ。記憶の中の何かが私に強く 語りかけてきて何事かを喚起しているような気がする。

 うさぎさんと鳥さんの記憶 (2012年11月19日)

TVでうさぎと鳥の映像を見ていたらジャカルタ時代に彼等とはよく出会っていたことを 想い出した。モスリムは豚や犬はご法度だがそれ以外は大丈夫なので愛玩用食用として 街中の狭い通りにもいた。10年位前には鳥の風邪が流行り鳥かごを軒先につるして 楽しむ人々の楽しみを奪った。鳴く鳥鳴かない鳥、大きいのから小さいのまで竹かごや 鋳物製等々歴史を感じる入れ物の中で暮らす方は多かったので鳥の風邪が鳴りをひそめた 感じの頃には郊外のあちこちで(お達しはあったはず)また鳥かごを見かけたものだ。 南国風広い家と庭、ブーゲンビリアやハイビスカスにプール、軒先につるされた鳥かごは お決まり風景だがもちろん庶民の小さな住まいにも似合う。 運転手の一人は山の方に行ってとっ捕まえてくるんだと笑っていた。多分すごく小さくて 朱い唐辛子みたいな鳥だ。鳴き声もこの間近所で見かけたヤマガラみたいな金属音で可愛い。 バイクの後ろに積まれた鳥かごも、竹かごの中に入れられたニワトリもトラックに山と 積まれたニワトリ(怖い〜)も思い浮かぶ。ニワトリ集積場を通過するときは目を瞑った。 息も止めていたかもしれない。しかし鶏肉はおいしいので罰当たりな行動ではある。 ニワトリの消費量はとても多い国だ。市場で鳥をさばいてもらう日はお手伝いもうれしそうだった。 アウトレットが集中してあるバンドン(山の避暑地)に向かう途中の坂道付近にはうさぎさん が沢山売られていた。白くて大きい。もちろん子うさぎも混じっている。私はあまり見ないように 心がけていたが家族に尋ねると、おいしいのかね〜と言う返事。しかし何をかくそう私は幼少の 頃に山育ちだったので冬の野兎(ワナで捕まえる)を食べたことが有る。味はニワトリに近かった と記憶している。猟を趣味にしていた父は家の裏でいろんな動物をさばいていたはずだ。好き嫌い が多く野菜中心の母の影響で私も嫌なものは見ない食べない子供だったような気がする。 犬も敷地内から脱走でもしたら誘拐されてすぐに売りとばされるという事情が在った。売られる場所 はたいがい予想がつく(地元の人には)らしく1度近所の犬が脱走した時には車でそういう場所など 友とあちこち探し回ったことがある。愛玩用にされたらよいがそれ以外になると困る。その犬はバイクで 追いかけて探されて怖かったのか1時間も離れた郊外の方まで逃げていたがやさしい人に保護されていた。 老犬で中型のうえ可愛いというイヌでは無いのによく助かった。事務所の人がお礼しますという 張り紙を張って歩いたと思う。うさぎさんを見て又記憶が生き返った。うさぎは2回、脱走したリスや ハムスター、インコ、文鳥は我が家の家族だったことがある。日本の道はきれいで記憶に残る ものが少ない。しかしさらなる別の発見に努めようという意欲が出てきた。

 マルー先生のこと、パートII (2012年11月18日)

家族が集う休日のごはん時。お行儀が悪く特に私に対してのみ食べ物をねだる わが老犬に手を焼いて、8年近く一緒に住んでいた国の言葉で話してみたらどうか と言う話になった。足元で動かない彼女に、どうぞ通り抜けてあちらに行ってください と言う意味のインドネシア語でシラカントゥルースと言い腰をかがめて手を左から右へ すっと動かす。あら不思議。犬は動いたではないか。 週1回くらい家庭を訪れて語学を教えていたマルー先生は結婚するまではクリスチャン だったので割合と犬に対しての扱いが穏やかで有難かった。犬のいる日本人家庭もずいぶん 回っていたように思う。モスリムにとって犬はご法度なのだ。マンディ(水浴)をよくする国 であるが何しろ暑いので外を歩きまわる人は汗の匂いが強くなる。わが老犬は汗の足や脛が 大好きで(塩分が好きなのか)先生の足も隙あらばと狙い待ち構えていた。 小柄で細い先生はリラックスしてくると籐の長椅子に横座りしたりしていたので来宅して 直ぐの時はわが老犬にとって一番のチャンスだった。どうも先生のことが足抜きで好きらしくて 困るのでリードを付けて授業を受けることが多かった。ある日先生が大丈夫リードを離して 好きにさせてみなさいというのでお言葉に甘えてみた。わが老犬は割合とおとなしく目を うるうるさせて彼女の周りを歩きさほど迷惑をかけない。しかし足やらをなめようとすると 先生はすかさずおまじないの言葉を言った。すると犬は前を通過して横の方に動いた。 この言葉はお手伝いも良く言っていたと記憶している。わが老犬にとっては耳だこになるくらい だったのかもしれない。わけがわからないなりに犬も必死に理解していたのだろう。 もし犬がなめたら(唾液がいけない)7回もお祈りをしないといけないと言っていた。 経済が激しく動いているインドネシアはこの頃TVにその名前を見ることも多くなりあちらに 滞在する日本人もますます増えていると聞く。1回日本円換算で500円と言う超ボランティア 値段で1時間半、先生の気持ち次第では2時間。今はもう少し値上げしているのだろうか。 インドネシア大学の英文科を出ていて英語も日本語も堪能、息子が通う私立高校の理事もしていた。 勉強するたびに不明な単語がどんどん増えてしまい結局知っている単語の羅列で早いテンポの 会話をしていた。きちんとした単語はとても長くて覚えられない。娘のお古のコピー辞書を 駆使していた。もちろん紀伊国屋に行けばピンキリの辞書が購入できたが。その辞書は今 お手伝いに行っている。日本の小学生用ひらがな漢字練習帳などと一緒に使ってもらっている。 国内の地方へ旅した話の中であちらに旅立った人を家の二階とかにミイラ状態にしておくというのがあり 強烈な想い出。特にパプアニューギニアはよほどの達人でないと難しそうな上級クラスに感じたが もちろん一般人向けツアーもあるようだった。興味のある人には尽きない魅力のある不思議な国 ではある。マルー先生もクーラーなし日本製中古ミニバンを乗り継ぎ乗り継ぎ都心から郊外へ 郊外から郊外へと走り回っているのだろうか。今手元の写真を見ると実際にお会いした時よりは 強い眼光としっかりした意志が際立ったつややかな南国肌色の女性が見返している。簡単に 私の絵に登場していただく優しさではなく人物描写のモデルにと考えていた気分がくだけた。 先生は私のことをシックスセンスがあるねと言っていたので少しだけ交差する精神が在ったかも しれない。彼女の眼光の鋭さが語っていることが理解できる。

 秋色の庭のタンポポの綿毛 (2012年11月17日)

スケッチブックを広げて線を入れる パステルか水彩か、はたまた鉛筆のみか それは後で考えよう まずは一本の黒 ここは郊外の家にある広い庭だろうか 秋深く残り少ない花や実が ひっそりと木々に寄り添い香っている 庭の境に大きな枝を伸ばすプラタナスの大木 黄金色が重なり合いその枝の隙間から ブルーがかったウスイグレーの空が覗く 日差しはないが明るく気温は低い 手前にわずかな緑を残す芝生 つつじの生垣が先端だけ朱いマントを羽織る こぼれる黄色い小菊、真っ赤なピラカンサの実 ウスイグレーの花冠を乗せたアジサイ 様々な大きさのバラ、バラ、バラのツルとわずかな葉 あちらにピンク、こちらの赤、チアガールのボンボンだ おそ咲きのバラが集う 笑う 語りかけてくる 右奥には黄色オレンジ茶色マダラのカキの葉 いくつか残ったダークレッドの丸い実がアクセント ここには強い個性、カドミュウムイエローのツワブキの花 そして手前の暗いグレーの石畳に一つ 真っ白な綿毛をつけたタンポポ 彼女が主役かな  それにしてもどんな絵に仕上がるのだろう スケッチブックの上でまだ形を無さ成さない私の景色 命を吹き込み色彩を投げ入れて整理する 描いて消してまた描いて永遠の世界を創る 始まりはたった一本の線に違いない

 感慨深い窓辺 (2012年11月16日)

昨日は電車で家から1時間半くらいかかるアトリエで絵の大作を描く日だった。 平日昼間の電車内は割合と空いていて大抵座れる。電車を3つ乗り換える。 一つ目の電車内で高齢老人の隣に座った。心なしか他の席より彼の両隣が空いている。 そうこうするうちに前の人の目線をたどると隣りに在ったので私もつられて見た。 彼は全身フケだらけでしかもぼりぼりかきむしるので舞い上がっている。幸い外出時は マスクを欠かさないので静観した。お風呂に入らない主義なのか病気なのか隣を確かめる 勇気がない。ふーむそういうことだったのか。日差しの中では際立った。 久しぶりにモスランチした。急いで居るので窓際に座った。ふと見ると全員高齢老人 が外を見たりしている。私も若めのばあさんと言えるが見事に集まってしまった。 男性の中に一人と言う状況で隣で食事が終わった人がしげしげと私を見つめる。こういう 窓際は何か暗黙の意味があるのだろうか。ふと不安になった。白髪隠しで明るい茶髪の私は 派で目に見えるに違いない。超スピードで食事しながら窓の外を見ていた。 信号の向こうに上半身裸の高齢男性が走ってきた。上着をびろんと両横に垂らしている。 げんきもりもりで窓側に並んだ私たちをにこにこ見ながらゆっくりと走り去った。 エネルギーのある高齢者も多いのだろう。ある国では少しお金が在れば若い女性が寄ってくる 状況にあり高齢者といえども若い方に目が行く。親子ほどよりもっと歳の差のあるカップルを あちこちで見かけた。ゴルフ場にも飲み屋街にも若い女性が群れを成している。ある国は ある意味では天国なのか。この国でもある国でも同じにあることなのか・・。 夫に対して今日はごみの日、明日は買い物の日とカーナビのようにうるさくしていると早く老け てしまうのかもしれないなと少々反省した。古い友人たちとの集いに着ていく洋服を選ぶ姿は 愛でないといけないと思った。暑い国の暮らしから帰り冬物がそろっていない夫は焦りながら 買い集めている。自分で納得しないと着ないので全部お任せである。 子供の頃何かの映像で米国人の老夫婦が手をつないで旅する姿を見たが今まさに自分たちが その時に立っている。感慨深い。わが老犬にも真っ赤な腹巻状セーターをプレゼントした。 トタンにお嬢様犬に昇格したのには驚いた。

 信じられない出来事 (2012年11月15日)

このところのグータラ生活で体重が減らない。主治医に体重を聞かれると 1キロ減りましたがまた増えました・・などとウソをついていて閻魔様に舌を 抜かれそう。しかし今朝は何となく減ったような気がしたので珍しく体重計を 引っ張り出した。0.5キロ増えていた。脳みそは自分をだますと思うのはこんな 時だ。以前から痩せたかも、やつれたかもと思い体重を測るとそれどころか。 主治医は根はやさしいと思う。えーっ変ですねと怪しむが追及はしない。 友人達にこの話をするとオオウケ。付添として病室に同行したいとねだられる ので困惑する。夫さえまだ2回しか経験していないのに。親戚としてなら大丈夫 などと言う友人達はいつも大笑いさせてくれるので免疫力が上がる有難い存在なのだ。 最近偶然隣人にも私と同じ病が肝臓と肺に在り肺の方は腫瘍なので大学病院で オペの予定と聞きびっくりした。彼女のは難病指定されているらしい。私より 20歳は若い。幼子が2人いる。肝臓ののう胞は小さいのが沢山あるらしいので 10年後は私のようになると思う。気にせず放っておくと成長する。急成長もする。 定期観察してくれる医者を見つけなさい、簡単に思わず自分しかわからないのだから 注意するようにとまくし立ててしまった。ご主人の理解が深いらしいので安心。 治療薬のない病気なので放っておかれるがこんなに医療が進んだ時代なのに何とか 積極的な方法を見つけてほしいと思う。もっと優先する難病が多すぎるのだろうか。 ネット検索してもあまりにデータが少なくてこの頃検索するパワーも落ちてしまった。 それどころか自分の書いたことが引っ張られているのには超超びっくりで信じられない。 良く吠えるコーギーと主に又出会った。主がきつくコーギーを叱るのでウーッと不満げ に唸る犬とすれ違いこれにも驚いた。最近私が積極的に道を避けたりしているせいなのか。 状況は着々と変化している、場合もある。何となくやったね・・と言う感じだ。

 ぴょんぴょん歩くトイプードル (2012年11月14日)

散歩の時間がずれて新しい犬友達に出会った。赤茶のトイプードル。2歳。 ぴょんぴょん軽く跳ねて小さなつま先のきちんとそろった爪がかわいい。 登り坂が割合と好きなわが老犬も負けじ、と言うより私が引っ張ったのかいつもより 歩く。さすがに坂の上に差し掛かるとゼエーゼエー言うので老犬だとばれる。 可愛い冬服ね、どこで買ったのと尋ねるとネットなのよその辺のお店にはろくなのが ないから。わが老犬も毛を短く刈りすぎて寒いので夏服(もう10年は使った)を2枚 重ねで着ている。もうすぐ誕生日。13歳だから新しい冬服をプレゼントしたい。 どう見ても私より年配の主だがスリムで早足だ。イヌと主は体型性格が似てしまう。 前の犬は15歳でパタッと旅立ったとか。最後は立つのも大変だったらしい。 犬のおむつやら介護用品がたくさん並べられているペットショップが頭に浮かんだ。 そういえば病名でグーグル時も犬の病気情報が混じりこんでいて紛らわしい。 CTやら使い高度な治療もするらしい。高齢犬なのに全身麻酔で歯石を取りません かといわれPC画面で実例を見せられた時はビビったものだ。犬は酸素マスクをしていた。 犬のおかげで長期にわたる散歩を継続している。しかし10年以上生きる方なので その点を考えて飼わないといけない。この老犬に小さなお友達が来たらもっと 元気で長生きするかもしれないという甘いささやきが時折聞こえる。デモ家族 には聞こえないので無視するしかない。ぴょんぴょん歩く子とよぼよぼを連れた人は 割合多いが見るからにお世話が大変そうだ。道の向こうに良く吠えるコーギーと主が きりっと前を向いて颯爽と歩いていた。トイプードル親子とは信号で分かれた。

 切実、エトセトラ (2012年11月13日)

雨に濡れた桂の紅葉の香りが強くなるにつれこの木のことを想い出している。 信州にも確かにこの木はあったと思う。水を浴びると黒くなり落ち葉の匂いの中 でも際立っていたはずだ。枝先までくっきりと黒いシルエットがりりしい。 忘れてしまっていた。記憶から遠く離れていたものに又出会うと懐かしく存在の 確かさや強さに勇気付けられる。知っていた出会っていたという事は宝物だ。 ここの所3か月くらいの間に風水的に言えば(詳しくない)東から西に大きな龍 のようなものが駆け抜けていきその爪の先が危うく頭上をかすめて行ったのではないか というようなある意味緊張感のある経験をしてしまった。それは焦った決断と関係 がある。又自分が知らない所で動いている大きな運命の流れも関係していると思う。 両隣と我が家に関係することだが世間的には珍しくもないことかもしれない。 左に騒動があり右に大病移転があり我が家は焦った決断をしようとした。しかし これを危機感と感じているのは家族でも私一人だ。犬はどうだろう、感じたのか。 好物の鳥皮を食べて大満足大いびきで眠っているので聞けない。デモほぼ直観だけで 生き抜いているような私には見過ごせない出来事だった。 幼いころ陽が落ちた山の中の家を目指す時はほとんど直感と祈りのみだったような 気がする。その境地になれば自分の心の中が見えて欲もなくなる。 長い人生経験で簡単にはそんな感覚を取り戻せないが今ほんの少しそれを取り戻したい。 この感覚こそ私の最大のパワーなのかもしれない。最近パワー不足なので切実。 今日は故郷の山に在り忘れた事のない青々としたモミの樹になる。凛とした枝葉を広げよう。

 トモダチのパワー (2012年11月12日)

8年近く住んだ海外から帰国して初めて我が家に来客があった。住みなれない国で 信頼できるものは友人達だけだったかもしれない。同年輩の気楽さもあり逢った途端に 笑顔と楽しい会話。お互いの背景には住んでいた住まいや路地やその前にある大通りや泥の川 などと一緒にヤシの大木、行き交う物売り道脇に並んだバイクなどがくっきりと貼りついていて プチタイムスリップ。まだあちらに住んでいて時折一時帰国している友人の一人には濃い ジャカルタの空気がとりまいていて懐かしい。 コーヒーとシフォンケーキ、近所の大ぶりの稲城梨、プチブーケなどがテーブルに並んだ。 美味しいお菓子を見ると心が騒ぐ。検査票の血糖値や脂肪肝のことを思い出してしまうからだ。 あっでも今だけは特別、と心に言い聞かせる。 日本で新しい土地に住んでいるがまだ友人は出来ない。早朝散歩と用事のある時しか外に出ない 生活では接点がないのだ。その点海外では友達になるのが早かった。お互いに友達を必要としていた からかもしれない。スーパーで声をかけてくれた人とも友人になった。同国と言うだけで信頼感が 生まれるのが不思議だ。国内ではそれだけでは友達になれそうもない。 アッどんぐりの中に虫がいるよ〜と友人が叫んだ。テーブルの上にはこの間散歩時に拾ってきた どんぐりやクリの実や枯葉が置いてある。あららっ大変とあわてて陽の当たる外に持ち出した。 うっかりしていた。外で拾った実は干さないとこういうことになる。夕方どんぐりからはい出し 丸々とした幼虫はベランダからさらに外へ。運命はわからない。朝ブルーベリーの枯葉を摘んで いた時にはまだ茶色のバッタが住んでいたのでこの方はそっとしておいた。 去年は目に入らなかった隣駅の有名なクリスマスイルミネーションの準備などにも気がついて 少し余裕が出てきた。何しろ転んでのう胞を潰したり電車やバスに乗るのさえ苦労していたのだ。 当たり前のことが日常にある幸せと言うことに気が付く。行動半径が狭くなっても思考の世界は 無限だ。これは年齢や環境に関係なく枝を伸ばすことが出来そうでうれしい。 小雨にぬれて香りが一段と強くなった桂の紅葉。窓からもはっきり分かる秋色の朝は気分がいい。 散歩から戻ってひと寝入りしているわが老犬のいびきも一段と高くなっている。

 ともだち (2012年11月9日)

白粥のような空に浮かぶ 月の衣は柔らかい真綿 遠い遠いはるかむこうの彼方 今朝は影が寄り添う 次の街路灯の下まで のびてのびてすうーっと伸びて ふっと消える のびてひろがり砂のように溶ける 左横にしっぽを覗かせて 後ろ足をぶらぶらさせながら 付いてくる 右横の小川を渡って向こう岸まで しっかりした橋のような黒い色 また街路灯に向かって歩く 散り敷いた枯れ葉の山を登り 高い木々の連なる所まで来ると はなれた 灯りがさあーっと消えて まあるくちいさくさらに小さくなり ハイヒールの音がコツコツ響くと いつもの景色が近寄ってくる 忘れていたともだちに 出会った

 月と星からのパワー (2012年11月8日)

朝5時の空はまだ星と月の世界だ。切り取られたように大きな星々や半月より 少し小さめの月は空を支配していて迫力満点。右を見上げても左を見上げても 大きな星がクロス型に見えてパワーを感じる。大きな星々と月すべてに祈る。 どうか消化器内科の先生が私を助けてくださいますように。お元気でお勉強も 沢山して、おにぎりも沢山食べて・・と祈る。必ずこの願いは届くだろう。 クローバーの公園や川沿いはまだ暗いので木々のシルエットや少し灯りが見え始めた 高層建物くらいしか目に入らない。風もなくそれほど寒さを感じないので青々とした ヤナギの葉の影が落ちてくる水辺は季節の厳しさがない。恵まれた朝だ。 あまり早い時間の散歩は色彩が少なくてつまらないなと思う。公園出口辺りではすでに 空全体が明るくなり始めていて誘導灯の光が際立つ。見上げるとあんなに大きく見えて いた星はすっかり痩せて数も少なくなり月だけが何とか頑張っている。さらにひこべい坂 に差し掛かるころには月の姿のみになった。蛍光色グリーンのとんがり帽子と濃いグレーの 鋲リュックと言ういでたちの女の子がすたすた下りて来た。学生かな登山かなと見送る。 この頃このパターンのスタイルによく出会う。流行らしい。帽子くらいはかぶれるだろうか。 天然のパワーをたくさんいただいた朝は自分の幸せだけではなく遠い所に住みこのパワーの おすそ分けを待っている人たちに少し分けてあげねばと思う。遠くにいる身内や私に助けて 欲しいと感じている人達に。どうしたらそれができるか考えなければいけない。 くろまめさんのように。まだ元気が足りないが私にできることを探したいと思う。

 深い霧とグミやツワブキの花 (2012年11月7日)

昨日寒気団の渦が日本列島に近付いている天気予報を見てドキドキしていたが 窓の外一面の霧と雨と言う不思議な現象が見られた。これは雪になる、いや外気温 が上がっているから霧が出たと夫婦で喧しい会話。10年ぶりにユックリと日本の 気象を観察する夫は窓に張り付き状態。景色が見えないほど濃い霧は珍しい。 今朝は春先のような暖かさと清々しさ。紅葉が少し深くなった。秋遅くに首回りと しっぽを残して短いカットをした犬は寒そうなので夏の服を二枚重ねしてみた。 このところ一段と元気になり家族の順位もナンバー2を取り戻した。 良く吠えるコーギーがやって来たので道を譲りコースを変えた。幼稚園の狭い畑の里いもの 畝はきれいに耕されてその横の畝には何かの植物の芽が出そろっている。サツマイモは まだ青々とした葉を繁らせて畑の中。そのうち園児たちが焼き芋パーティーに歓声をあげる 姿が見えるようだ。園建物横ごく狭いスペースの畑の様子に作り手の苦労を感じる。 川の向こう岸に意外なものを見つけた。グミのちいさな白い花だ。木は大きく立派だ。 反対の道端の暗い繁みの根元にはツワブキの花。まだほんの少ししか咲いていないが 気合の入った黄色だ。 小柄の黒いダックスを連れたお散歩友達ともいえる優しいお兄さんがやさしい声で おはようございますと言いながら追い越して行った。おだやかな朝。

 笑う門に福が来た (2012年11月6日)

改装された東京駅丸の内周辺を10数年ぶりにゆっくり訪れて見て迷子になった。 若いころもその後も勝手知ったる場所だったのにと少々ショックだった。目印の高いビルは あちらにも此方にも在って見当がつかない。ビル同士が近くなりすぎておまけに新旧の特徴 が消えてしまい余計にわからない。見事に歳月を感じた。 ジャカルタ時代に知り合った友人たちとランチをと思いビルの中のレストランを目指すも どこも満員。OGなどばかりでなく熟年夫人が多くいる。平日の銀座で多いのも熟年カップル。 やはり時代を感じてしまう。自分も同じなのについ忘れている。いつものように長時間ダべリング 出来る場所を探すも困難で結局喫茶店の外テーブルに陣取った。屋根付きホールなのであまり 寒くない。正直食事などはどうでもよくておしゃべりが中心だ。 ちょっとしたことで盛り上がり顎が外れるほど大笑い。こんなに笑うのは久しぶりだ。 きっと免疫力がアップしたに違いない。何を話したと想い出すほどの内容ではないがお互いを 思いやる気持ちが沢山ありうれしい。出会いと再会に感謝。 日動画廊で好きなニコールボッテの画集もゲットした。今年個展があったことを知らないで 残念。黒いハイビスカス、溢れるグレー。大胆で情緒感のある繊細な絵を描く画家だ。 画廊では営業マンが、不景気で絵が売れない・・・でも不景気の方が良い絵が出てくる・・ とひそひそ話しているのを聞いてしまった。そうなんだ。

 夢、パートII (2012年11月5日)

夢は見たいと思ってみるものではないと思うが時々見ると現在の自分の気持ちを 客観的に知ることができてとても納得する。 飛行場は目的(目標)に早く到達したいという焦りらしい。見知らぬ人は新しい出会い や人間関係の複雑化。バイクに乗るのは欲求不満らしいが今回見たのはサイドカー だからまだ大丈夫か?グレーの色彩はあまり良いものではないらしいがグレーには バリエーションがありほかの色を助けるから私は大好きな色の一つなのだ。明るい光の ところにたどり着けて良かった。飛行場から戻ってしまったので今回は失敗だったという事だ。 過去には蓋つきの川の下を流される夢やカラーの夢を見てしまったことが有るがこれは どうも最悪の状況だったらしい。深く追及すると怖いので及び腰ながら一つくらいは 夢判断をグーグる。 様々な情報に取り囲まれて生きている現代だが気に入った情報をスパイスのように少し 味わうのは面白い。さらに知るためには深い知識やより高度な知能が必要になるから 無理だ。 少し暗めのグレー一色に塗られた空はよりひんやりしていて黄色が強まった木々の アクセントがより濃いグレーの建物群をおしゃれに見せている。この頃よく咳き込み 物を詰まらせる犬がグエーゼエーと騒がしい音を立ててやってきたので、大丈夫大丈夫、 ハイ息スッテ〜ハイテ〜と元気をつけてあげると不思議とだんだん穏やかに落ち着く。 迷子の子犬さんや名前にちなんだ私は真っ赤なリンゴです・・などの歌を歌ってあげる のは3か月の子犬でやってきたときからの習慣だ。人も犬もこんな時は大して変わらない。 犬も時々夢を見るのかベッドの下で寝言やら手足運動やらで忙しいときがある。

 夢と希望 (2012年11月4日)

昨夜フィギャースケートを見てから寝ようとしているとまたササンドが落下した。 この前に懲りてひもでくくりつけてあるので棚からぶら下がった状態である。 狭いスペースに無理やり乗せてあるので当然と言えば言える出来事だ。 前回のように夢スイッチがオンになった。 夫の知り合いだという二人の男性が尋ねてきてこれから飛行場に行くので来てくださいと 言う。見知らぬ人についていくほどぼーっとしてはいないがどういうわけか気が付くと バイクのサイドカーに乗っていた。予定に全くない行動なので理性は変だ変だと サインを出してくる。無機的なビル群を通過していく。汚れた灰色のぱっとしない建物。 やはり人気はあまり感じられない。飛行場までの距離があるらしく走る割にはまだまだ と言われる。家族に連絡しないといけないと思うが手段が解らない。 大体着の身着のままで飛行機に乗る人はいない。手荷物もない。 出発便の時間を聞くとまだすごく時間がある。一度家に帰り何か支度をしたりしたいと 伝えるとUターンしてあっという間に住まい近くまで戻った。こんなにスムーズに行くのなら 最初から手順を踏んでほしいと思う。住まい周辺、階段、玄関と光射す明るさが在りだんだん 普通の世界に戻ったのかと言う境地。体調がすごく悪いというわけではない。精神的に疲れて いたが根が楽観的なので1、2日でほとんど立ち直った。また夢判断で調べてみないと不明だ。 近所にメタセコイアの大木(20年以上は経っている)が3本ほどあり川岸を彩っている。 まだほんのり黄色だがよく観察すると1本には実がついていない。2本目の木には少しだけ。 上部の枝の先や木の先端付近(太陽により近い場所)に少し。3本目は中位置から上の陽の当たる 場所に沢山。小ぶりな黒い点点点があるが多分よく見る人にしかわからないだろう。植物の選択 の果てに進化したのだろうか。南国の実のなる木も良く似た選択をしていた。日本の木をそんな 感じで観察したことはあまりなかったがこれからは興味深く見上げてみたい。メタセコイアは 恐竜と共存していた木だからちょっと特別な気持ちで眺める。 ニュージーランドにはこの大木の林があるらしい。コースはきつそうだが1度歩いてみたい。 インドネシアから近い位置にある国だったのでチャンスあらばと狙っていたがどうも日本からの 直行便が早く安いらしいという話を聞いてあきらめたものだ。夫の戦略だったかもしれない。

 ボケ防止的な経験 (2012年11月3日)

先日TVで地方被災地の市場でインタビューを受けるインドネシアの若者数人を見た。 職業訓練か留学か勤務か、こういう市場を見ると国に帰りたくなる、と言っていた。 あちらに住んでいた頃市場や屋台や物売りなどの縁日風景を1年中見ていたので納得した。 金曜日は礼拝の日なのでさらに沿道や小さな公園にも服やメガネや鞄や靴などなど 新品かリサイクルかわからないものが溢れる。年端もいかない子供などもギターを かき鳴らす親にくっついて大体いつも同じ場所にいた。そんな日は物をねだる人びとも 普段より多く集まっていた。夫はあまり熱心に見ていたせいか運転手に夜来たらいいですよ 言われていたがその勇気はなかったようだ。 近隣の国から極安商品が沢山なだれ込んで来ていて人々はカラフルすぎたり何かいけないもの が入っていたりするのを承知の上で懐具合と相談しながら購入している風だった。そういうもの の中でもピカッツと光るのが日本製品だったが(新旧にかかわらず)今ではどうなのだろう。 穏やかさが感じられる国である。最近では諸外国からの投資も積極的に受け入れているので 郊外にピカピカのモデルタウンがワンセットそろって忽然と誕生するのを見てびっくりしたものだ。 しかし映画のセットのように切れ目からいきなりごく普通の田舎通りが始まる。 中流以上の人々が都心から移ってきている様子だった。欧米人用の学校やマンションも見えた。 日本のドーナツやの看板やコンビニ(現地化したもの)もあった。 柔軟性と拒絶するという意志の強さのバランスを取り目標を持って行動する国の様子を感じたものだ。 過去の例に鑑みて諸外国も及び腰ながら積極的に投資するという不思議な状況も見えた。潔癖性の 強い国民はさまざまな共同戦線で知恵を絞る諸外国にどうやって立ち向かうのだろう。 私ごときおばさんが心配するまでもなく若い人たちはすでに進化しているに違いない。 いろいろと学んだ割には今も常夏と四季の狭間で揺れていて平衡感覚が戻らない。 経験した事と現状のより良きミックスジュースみたいなものを作りたい。良い記憶を残し悪いものを 消して違う次元にジャンプしたいと願うが脳みそ能力が限界だ。思う様に行かないがとにかく前に進む 事が大切で進めるうちは歩いていく事くらいしか思いつかない。人は立ち止まったら途端に危機が訪れる 弱い動物に違いないと感じる。ぼーっとしていた10年前よりは進化した。 わが老犬も歳の割には警戒心が旺盛である。ボケ防止には役立つ経験をしたに違いない。

 自家製バジルいりペペロンチーノ (2012年11月2日)

ベランダのバジルが大きくなりすぎてとうとうシソに似た白い花が満開になった。 ツル性ミントは2代目だが鉢からあふれている。レモンバームも生命力が強いので そのうちにまた可愛いピンク色の花が咲くはずだ。大きくなりすぎて中の方が枯れて しまったローズマリーは外側の方がちゃんと成長していて一安心だ。これは水色の花 が咲くと説明書きしてあったがまだお目にかかっていない。石灰を少し入れてみたが まだ肥料が足りないのか。ハーブは荒地に生きるはずだ。 先日さすがに料理に使わないと・・とバジルをペペロンチーノに大量に投げ入れてみた。 本格的。我が家はあまりハーブ系の料理を好まないのでたまにビーフシチューにローズマリー を入れるくらいで見るだけが多いのだ。それでもハーブ系の鉢は増える。ハーブという 名前のひびきに引き寄せられる気がする。 TVで北海道のハナサカおばあちゃんを見た。広大な土地を60代から20年も花のために 開拓して今では観光ブームとか。日本版ターシャさんか。植物の種をあちこちからもぎ取り ぱあーっと空中にまき散らす様は感動的だった。私もやってみたい。幼いころ境界線のない 山裾の家で自由に野原を駆け回っていたので野生の血が騒いだと言える。種や花が好きで ポケットの中をぱんぱんにしていたものだ。しかし体が丈夫でないと花畑も維持できない。 夫に向かってあそこで働くのはどうかねと言ってみたがあまり乗り気ではない。 わが母もあちらに行く前は漬物類を沢山用意してくれたものだ。くろまめさんのお母様が ますますお元気で素敵な笑顔でいてほしい。私は娘にどんなことを残してあげられるのか。 娘は特に母の背を見て育つらしいので緊張する。最近はメガネをかけないとお掃除もきちんと 出来なくて唖然とする。そういえば母もある年齢からお掃除が下手になっていた。 ハーブを見ていると不思議に心が休まり葉をちぎって香りを楽しむと心が晴れる。

 威嚇的な犬 (2012年11月1日)

散歩中会うと必ず吠えかかる太目のコーギーがやってきた。今朝はやぶの中に鼻を 突っ込んでいるのでやれやれと思い急いで横をすり抜けようとしたら見つかった。 主はコラコラと言いながらやさしくたしなめるだけだが声の大きい吠え方はご近所 迷惑だ。私ならもっときつく叱るのに・・と思い歩いていると早々と1周してきた かれらにまた出会った。今度はプードルを連れた2人の犬友だちがやって来て様子見 しながら接近していたがお互いに吠えない。なぜだろうと考えるとわが犬は抱っこ 状態で目線が高い、太目のコーギーのカンに触るので吠えて攻撃して来るのだと納得。 この飼い主はもう1年以上前から見ているが姿勢を変えることなくコーギーは威嚇 てきだ。私もついコーギーの機嫌を取り仲良くしようとしたりしたが敵は手ごわい。 主も手ごわい。人の好いおばさんは止めた。散歩時間を早めれば出会わない。 犬と主はワンパターン行動。毎日時間がピタッと合うカップルが多い。 頭の中や目線に留まる情緒的なものが皆無な朝だが公園出口のメタセコイアと桂のコンビ 下の流れにストップモーションしているグレーの子サギをみてちょっと感激。 横を追い越していく犬連れ夫人にこの鳥のことを話しかけたがうなずかれただけで 歩き去った。取り立てて珍しいことでは無いという風だった。 一寸エネルギー切れの気持ちだ。こういう日はグレーや黒やダークレッドを多く使い 暗い絵の中に埋没した方が良いのかもしれない。家に帰れば20%引きに惹かれて夫が 沢山買ってきたドーナツが待っている。コーヒーとドーナツの誘惑と戦ってみよう。

 月日が流れていた港 (2012年10月31日)

20年ぶりに横浜の港や公園周辺を散策した。エコポイントの使用期限に迫られて 船上(ロイヤルウイング号)ランチクルーズを選んだのでリタイア夫と2人だ。 みなとみらい線は出来たばかりなのかピカピカのタイル壁画が目新しい。 どこかで見たような・・・と話していたら何となくシンガポールに似ているという ことが解った。あちらは国土がより狭いので景色が日本よりきちんと目線に納まる。 港は整備が完了していて20年前の素朴な佇まいは消えていた。津波が来るとここまで 浸水しますという看板をじっと見つめているとひたひたと恐ろしさが押し寄せてくる。 れんが通りは見違えるように再生されて倉庫のなかはお店が沢山入り若い人が好む雰囲気だ。 住んでいた外国と違い落ち着いて散策できるのはいいねと二人で感慨深く話した。 関内のアトリエに制作に出かけているが途中下車しないので辺りの様子は知らないままだった。 クジラの背、と命名された大桟橋は板張りで起伏が覆いその名のとうりに作られていて面白い。 湾の数か所の建物の上の方でFの信号ライトが光っていた。FREE(船を受け入れられる) という意味なのだろうか。最近は夜間の湾内プラント工場やガントリークレーンの様子などを クルーズする若者が多いと聞くがもう10年前からのブームだ。削り取られた山や廃墟の工場、 そういったものに私も何となく惹かれる。以前絵画制作用にすり鉢状態になった岩山の写真集 を購入したことがある。ハードな精神世界だ。 半額セールで元は防弾チョッキという布の再生帽子を見つけた。鞄なども売られていた。 軍の放出品をリサイクルしているらしく正価は安くない。一寸大きく固い感じだけれど色とデザイン で立ち去りがたく頭の上に載ってしまった。黒系のムラサキにグレーの模様入り帯がアクセントだ。 ベージュ、濃いグリーン、そして黒っぽい紫と言えばアーミーカラー。渋さ一辺倒だ。 船上で撮ってもらった写真は自分ではないような笑顔で夫と2人、修正したのかね〜と訝った。

 めずらしい体験 (2012年10月30日)

ジャカルタではハローウインを経験した。滞在する諸外国人やクリスチャンが多く 特に欧豪米人など多い住宅地域では盛んだったが敷地外の住人を意識して時間を決めて とても地味気味に行われた。前もって事務所から参加するかどうかの問い合わせがあり しないときはその時間電気を消してカーテンを閉め玄関の駐車場も暗くしておかないと いけなかった。参加するときは沢山の飴、チョコ、袋がしを用意する必要があったので 日本製やシンガポールで購入した割高品をかき集めた。今お菓子を危ぶむ親が多いという 報道を見て妙に納得している。適当に用意する人もいると思う。 我が家は小さい子が居ないので2回だけ参加してあとはその時間外出したりカーテン 作戦にした。コースが決められていて小さい子は親と一緒に大きい子はグループで来る。 運転手は親類やら身内が沢山そこで働いていたので自分の子供をちゃっかり参加させた。 あらかじめ事務所配布のバッグを持たないといけないが彼らは何回も使い汚れたバッグを ちゃんと持参していた。いがぐり頭の男の子が二人恥ずかしそうに、ありがとうと言って お菓子を持って行った。困ったのは参加しないときでも夜9時近くなのに大きい子がドア をノックしたりすることだった。あれはちょっと恐怖。海外での事故も思い出す。 バレーのチュチュ姿とか魔法使いとかさまざまな衣装の可愛い子供の姿も懐かしい。 雨が降りだしたりしても傘も差さずに元気に家を回る子供たち(日本人も)は楽しそうだった。 日本ではあまり考えないことも多かったが海外では郷に従えであれこれ体験した。 老人ホーム慰問団バス、災害用衣類の寄付、あちらの御祝い事用募金、いろいろあった。 近所の土嚢ダムが決壊した時は米を寄付、お手伝いの里ジョクジャカルタが地震の時には 古着をという具合だ。老人ホーム慰問は欧米人が定期的に行っていたがついに参加しなかった。 語学の先生はダム決壊の時すぐに炊き出しに行ったそうだ。かれらは互助感覚が非常に優れて いる。それは古い時代の日本に似ている。 昨日散歩道で出会った可愛い小鳥の群れはどうもヤマガラではないかと思う。 あまりにすばしこく飛び交うので記憶にとどめるのも大変だった。 鳥の世界は自由でいいなあとおもう。

 妖精の種 (2012年10月29日)

お寺の鐘の音がゴオーンと揺れて 朝6時をつげる 10月の終わりの雨上がり ふんわり立っている柳の木の下 オレンジ色のランプがやさしい 春のように暖かい朝 溢れる水が小さな川岸に寄せ 新しい日の始まりが満ちている メタセコイアや桂の木は ただ静かに立ったまま 日差しが降り注ぐのを待つ 猫じゃらしは枯れ 月見草は茶色の鞘をつけ ほんの少しの黄色い花が灯る この種をいただこう 私のベランダに 今度の初夏の日差しの朝 きっと新しい蕾にあえるだろう 夜から朝へ灯り陽を届ける花 暗闇からの希望 まだ閉じたままの固い種の妖精

 黄色い枯葉と小鳥の朝 (2012年10月28日)

久しぶりに中学校裏の散歩コースを歩いた。ようやくあちこちの雑草やツルが きれいに刈り取られていてホッとする。全部花が付かなかったと思っていたコスモス には2株のみピンクと赤の花が見えた。サツマイモは全部掘り起こされていてツルの 部分が山をなしている。青いシートの中には枯れた葉が堆肥になっているのか それとも収穫した芋を追熟させているのか。何も見えない。 桂の一本一本はちょっとさみしくても何本も並ぶと黄色い葉と甘い枯葉の匂いが立ち 込めていて秋らしい。この木の名前をこの間花の公園で知ることができてよかった。 後頭部に響く高い小さな鳴き声の鳥が群れをなしていて惹きつけられる。名前はわからない。 目の周りのシロと頭と背中の黒、お腹のグレー。胸と頭のあたりに少し濃いピンクが射している。 桂の木が好きらしく土手の芝生と木の枝を素早く飛び交っている。少し歩くとまだ子供らしい スズメが数羽いて道端の餌に夢中だ。スズメは南の国にもいたが少し模様の強さが違っていた。 南の国の方が黒い線が濃かったように記憶している。顔立ちもはっきりしていた。 窓から見えるお寺の山の木々もほんの少しだけ黄色だ。

 雑で強く笑顔がよい人たち (2012年10月27日)

喫茶店などを出ようとするときふとジャカルタ時代のように手を振ってサインするしぐ で店員を呼びそうになりはっとする。あちらではミンタボン(支払いをしたい)と言う 意味でそういう行動をする。お釣りも持ってきてくれる。ただテーブル席に数人で座ると 自分たちで計算して(日本のようにレジで1人ずつではなく)渡すので大変だ。 暗算の強い人がササッと計算するとか携帯でとか、金額が多くなると消費税もプラス して各々の金額を出すのも疲れる。大雑把でお金を渡すとお釣りの配分が大変だ。 今では個人でレジでオッケーと言う店も出てきているがザッとそんな感じなのだ。 あちらの方は今回は誰のおごり次回は誰とかが多いと聞いた。簡単だ。 TVで悩める若者の番組を見ていて思った。やはりそういう点ジャカルタの子たち (庶民)は強いわと。逆にお金持ちの子は使用人と数台の外車や運転手私立校と言う 風でその上海外留学もプラスされると即上流社会が待っているが弱い子も多そう。 二ートで結婚もして暮らしていく事が出来る財力のある人が多い格差社会だ。 日本の50年代の母親のような人に育てられている学生などは実に質素で家族を助ける。 我が家のお手伝いやその仲間の様子を見て感じたことだが。もっと庶民の子たちは 巷から這い上がっていく(水道や井戸の水がシャワー)住むところも1間とか友人と一緒とか。 着るものも極安品が道端で年がら年中売られている。鞄、リュック、マスク(たまにみる)、 ヘルメットも手作り風、上から下まで工夫だらけで道を走っていく若者や格安バスに鈴なりの 若者たちを沢山見た。とにかく都会でいかに暮らしていくか(どんな仕事でもして)食事は屋台。 必要性と希望と楽しみがうかがわれるのは日本の70年代に似ている。雑多なたくましさが見えたが てっとり早く運転手やお屋敷、一般家庭の使用人として働ける国なのでその点が日本とは大きく違う。 熱を出して寝ている小学生の妹のために早く家に帰り世話をする大学生の男の子のいるお手伝い の家の様子は話を聞いているだけで心温まり、将来母親を助ける強い社会人になるに違いないと 思った。 ミンタボンで呼ばれた店員もみんな笑顔で感じが良かった。やはりいろんな外人にもまれている 国では裏表の顔はあるだろうがサービス精神が日常にしみこんでいるのか。自分一人では無い 社会に対しての術をよく知っているような気がした。もちろん8年弱くらいの滞在で何が解る と言うものでもないがそんな感想を持った。 時間が経つと海外生活の良い面もだんだん思い出されてくる。チャンスがあれば若い人も海外で 経験して比較する対象を持ってみるのも良いかもしれない。

 スパイシーな市場のこと (2012年10月26日)

タナアバンはジャカルタ庶民の市場で都心にある。かれこれ10年近く前に 探検隊とでもいうべき若い友人達に誘われて訪れた所だ。ご主人が報道関係 という事からか奥様も好奇心旺盛でまだ右も左もわからない私は誘われると 一つ返事で参加した。週に2回くらいはあちこち探検して歩いた楽しい時期だ。 しかし後になってそこはとても危険な地域で初心者向きでは無いことが解った。 都心には一流ホテルや政治家の家、日米の大使館などがありその割合と近くに 市場がある。近代建物と低所得者の家が混在している都市なのだ。そしてその隙間 には地方から出てきて住処のない人が無理やり住み着いている。面白いと言えば 言えるが安全の面では保障されない。時々報道されている屋根上鈴なり電車の両側 にも住んでいる人たちがいたが都市改革で事情が変わっているのだろうか。 入り口でいきなり見たものはマムシのような蛇で血を売るらしい。そこでは現地の漢方 やチュウカのものなどと衣料品や布類が山のように売られていた。手作りのお菓子などの 問屋が沢山並ぶ。安いが安全なものかどうかは不明。カラフルだ。家庭車にそれぞれ乗り込み 市場の中のものがあふれた細い路地を進むが曲がり角ごとにチップを多めに渡さないと先に 進めない。曲がり角は直ぐ現れる。男性用ズボン1着日本円で当時何十円と言う世界で運転手 やお手伝いはそこによく買いに行くと話していた。物はよくない。彼らはアイロンをよく かけるのですぐテカテカに光っていた。もちろん語学の先生もシルクの布地など調達に行く と言っていたので自分で買わなくても使用人に行かせるのだろう。市場の中ではとうとう 一度も車を降りることなく、すごかったね〜と感嘆したのみ。 安く仕入れる先としてアフリカもありアフリカ系の人も歩いていた。ジャカルタではさまざまな 国から輸入されているものを沢山見たが最近日本の米系大量販売店でお目にかかったアフリカ産 の箱ワインはなつかしいものの一つだ。オーストラリアが近いのでワインはそこからのものが 多いが気候の関係などでアフリカ産他もどんどん増えているらしい。船ごとに出来の違うワインが 到着するので当たり外れはある。酒類ばかり売るデユーティフリーが街のあちこちにあり外国人 はそこで購入できた。後は日本からの輸入品で高額の酒類が多少日本スーパーに売られていた。 もちろんそれらもあちらの断食月やお正月には姿を消す。夫のために酒類探索も重要だった。 どうしても見つからないときは韓系スーパーでジンロなど発見して喜んで購入した。 世界的チェーンの語学学校の個人レッスンで出会ったカナダ人の先生はそんな市場やカンプン (下街)のことを探索して本を書いていると言っていたがどんな本を書いていたのだろうか。 どうも語学系では道が開けない私なのだが月謝が日本の半額と聞いてやる気になったのだ。 気温や落ち葉の様子を観察している穏やかな今はそれらのことがスパイスのように想い出される。

 なつかしい植物の想い出 (2012年10月25日)

久しぶりにジャカルタ時代に日本の航空会社から出版されていた月刊雑誌南極星を開いてみた。 あちらでの情報は日本人向けのジャカルタ新聞と運送会社からの雑誌さらさもあった。後は日本の 値段の2倍はする輸入本が紀伊国屋で売られていたり古書店に持ち込まれたりしたものしかない。 8年近く住んだところだが最初の頃は見るもの聞くもの刺激的で特に植物などに興味を持った。 クプクプの木は最初に住んだ敷地内には沢山あった。ピンク色の蝶々が飛んでいるような花。 葉っぱはハートの形で夜は閉じるらしいマメ科の植物だと思う。知り合いになった近所の奥さんが、 この木は私が来た6年前頃事務所の人が土手を作って枝を刺しただけなんだ、と教えてくれた。 さすが南国だ。当時2階建てのテラスハウスに住んでいたが2階の窓からさらに見上げるほど 大きな木に育っていた。そういえば後に住んだところでも契約者のオーダーで住まい周辺に生垣を 作って欲しいと言われて事務所の人が切り取ってきた竹を沢山地面に直接さしていたがあっという間に 立派な丈の生垣に変身していた。隣との境にもっと木を植えて欲しいと言うと成長の速そうな木の枝を 切ってきてぶすぶすさして行ったものだ。数か月後には枯れるものもあったが生き残りは枝を張り 木らしく成長していた。クプクプの木はバッサリ剪定されても若い枝がグングン伸びて花が咲いた。 お手伝いに立派な竹垣ができたねと言うと、私は竹垣は嫌い、蛇が出るからと顔をしかめた。 それでも彼女たちがその竹の子などを早朝うれしそうに採っている姿も見た。竹は生垣用から 日本のように大きく育つものや割烹料理店のガラス越しの景色用で風になびく細々としたものまで 沢山の種類があった。あちらでは男性のタチションが実に多いので私は決して採取しなかった。 クプクプの木は街路でも時々見かけたがそうたくさん生えているという感じではなかった。 ある所にはごっそりは生えていたのだろうか。窓越しのこの花と葉に魅せられて水彩画を描いてきた。 そこの敷地周辺には計画的に植えられたマンゴ―の大木も多く沢山の白い花が咲いて、その割には少ない 実がなり緑色のままだんだん大きく成長する姿を見た。ただ味の点で格差がありおいしくないものは 皮を向いて細く切り、トウガラシにんにく赤小玉ねぎを擦り合わせた調味料(サンバル)で食するらしい。 食べられる果物の若いのとか味の良くないのはこのサンバルを使うことが多いようだ。生活の知恵だろうか。 友人の運転手はいつもサンバルを持ち歩き停車したところにあるマンゴーを採って食べると笑わせてくれた。 私も溶岩らしき石でできたサンバル用すり鉢セットを持ち帰ったがまだ出番が無い。だんだんなつかしい 気持ちに移行しているジャカルタ時代なのでそのうち使ってみたくなるのだろう。 植物の思い出は尽きない。

 雨上がりの金木犀 (2012年10月24日)

天気予報では今朝相当な厳しい寒さになるという事で散歩に出かける前から用心 していたがちょっと拍子抜けしてしまった。昨夜の強雨で気温が上がっていた。 プラタナスの紅葉はまだだが少し甘い香りが道に漂い雨上がりとお天気にプラス されて気持ちが良い。 少し静かにしていた肝のう胞がおととい辺りからまた主張し始めた。夜カロナールを 1錠と胃薬(薬局でカロナールは胃を痛めると聞いたので)を飲んで様子を見ている。 カロナールを飲むとデリケートな部分にかゆみが出る。食欲と体力は違うので以前から こんな時には総合ビタミン剤やビタミンCを飲むようにしている。かゆみが高じると 白斑症の部分もかきむしるくらいかゆくなりそんな後では白い部分が増えてしまう。 かゆいところは夜中に無意識にかきむしると血が出るくらい傷になるので特に注意する。 レスタミンコーワを飲んでよいのかわからない。薬の併用は難しい。こんなことは気にする ほどのことではないのだろうか。それとも注意すべきことなのか。免疫力が下がると良く 起きる現象である。よくわからない病を持っている人は自分の体が発する警告に注意だ。 満開だった金木犀の黄色い花がほとんど落下してしまい木の下に黄色い天の川や丸い太陽 のかたちを作っていて印象的だ。昔住んでいた荻窪で見た立派な木の下の大きな黄色を 想い出した。アリマの御殿様の御屋敷などありその庭を垣根越しに見ながら幼子を抱いて 散歩していた。この香りと隣駅だった井の頭公園で売られていた焼き芋の匂いは同時に 記憶によみがえる。善福寺川の金魚草とその白い花が咲く様子や幼子だった娘が転んでいた 川岸の狭い道が懐かしい。色と香りは脳の記憶をノックするのかもしれない。

 ベランダの植物群 (2012年10月23日)

生い茂った葉と沢山咲いた花の割には実があまりつかなかったブルーベリーだ。 長く伸びた枝の選定は12月から2月が良いとネットに有ったので今は我慢して 枯葉摘みに精を出す。やはり鉢が小さすぎるのだろう。この木の肥料にも泣かされた。 固形状態の肥料はほとんどが鶏糞らしく水遣りをした途端の悪臭とイヌの異常反応で直に 土を入れ替えた。たぶんの隣の家に匂いが届いてしまっただろうと反省。元の鉢の3倍 の大きさの鉢に植え替えなさいという園芸店の店員のアドヴァイスにしばし考える。 土の量とハチの大きさ・・今度の春にはオリーブを植え替えないといけないが現在30cm。 店員の言うとおりにすると大変だ。でも実の付きは格段に良くなり両手いっぱい以上に なるかもしれない。 この夏は常時28度でエアコンのお世話になった犬と人間だが側溝に出たわずかな水のせいで ピンク色のカビが繁殖して困った。よく浴室で1晩のうちに繁殖しているのと同じだと思う。 こっそり夜中に浴室用の洗剤をスプレーして掃除したところ正解。汚れるのはなかなか手の 届かない隣との境なのだ。マンション生活は小さなことを気にしないといけないので疲れる。 わが老犬は浴室の床のお湯をよくなめるのでカビスプレーの洗剤はあまり使えない。これだと 1回で浴室はピカピカになるが人間にも悪影響がある。以前具合が悪くなった。 今はマメ科の植物のツルが良く伸びて、この間から先端を伸びないようにカットしたせいか 青い花が咲きだした。ツルに栄養が行き過ぎるとあちこち巻きついて困る。ウコンの仲間の クルクマには濃いピンクの花がついている。これは南国のホテルの庭によく植えられていた。 安売りされていた金木犀(銀ではなく白い)?にも花が咲いた。オレンジ色のゼラニウムは 明るい性格の女の人と言う感じで年がら年中ベランダで笑っている。ヒイラギは去年の倍の 大きさに成長しているが花はない。先日公園で大木に白い花が満開のヒイラギを仰ぎ見た。 ブルーベリーの枯葉をもう少し摘み取ろうとしたら茶色の小さなバッタが葉の後ろに隠れていた。 保護色なのかこういう種類なのか、葉の摘み取り作業をを終了した。今日は割合と風が強くて 雨予報だ。来月になったらベランダ用ミニ温室(ビニール製)が売り出されるので今から 冬支度のことなど考えて気持ちだけはいそがしい。もう私が世話を焼ける限界の鉢植え達だ。

 犬バカ日記 (2012年10月22日)

休日の昭和記念公園は犬連れ客でいっぱいだ。入り口で犬に関する誓約書を書いている。 わが老犬は外出が大好きだがほとんど歩かないのでお留守番だ。しかし立派な犬用カートに 載せてもらい暑い日差しもなんのその家族の一員としてうれしそうなわんこを見ると我が家も カートを購入して連れてこようかという気持ちになった。 子供が居なそうな夫婦は大型犬2匹とか、中には4,5匹連れている人もいる。 日常のほとんどを犬の世話に使っているのだろう。このところ近所のペットショップで 売れ残っているパピヨン(とうとう7か月になりケージを移動安売りに入った)に執着 している私はつい同じ犬種に目が向いてしまう。理性では2匹は無理だとわかっている。 この犬種はわがポメラニアンと違い無駄吠えしないしなかなか賢いという事を調査済み。 今のわんこは初めて飼い指導書を頼りに育てた。小さいころはお留守番させて仕事に 行ったりしていたのでしつけも厳しくしていたが、海外生活でわがままにしてしまった。 夫に子犬を自分の好きなように厳しくしつけをして飼ってみればと勧めるが乗り気ではない。 喘息持ち(犬も)で癇癪持ちの夫は犬の毛などを嫌いあまり可愛がらなかったが今ではだいぶ 愛着を持つようになった。ペットショップの主は猫の毛はだめだけれど犬の毛はぜんそく持ち でも大丈夫と言い今の犬を一晩貸してくれた。我が家の場合は大丈夫だったと言える。 犬がトリミング帰りのきれいで良いにおいの時は特に好きそうだ。私から見れば犬の方がズーッと臭くない。 夫のために柿渋石鹸を購入して浴室においてみた。オオッ、使っているよ・・とこっそり確かめている。 ワンコは人間の体調などにも敏感である。我慢強い。13歳に近い今ではいびきの音やゲエーッと 飲みすぎた水と空気を吐く音、寝言、遅くこっそり帰宅した娘にほえる声、それらが聞こえないと ふっと不安感に襲われる。ひっそりと旅立ってしまったのではないかという気持ちで思わず確かめてしまう。 ジャカルタ生活では宗教上の理由で犬がご法度だったのでいつも注意して暮らしていたが、 今では犬もまた日本の生活に馴染んで一時のボケ状態から脱出している。帰国してまだ1年を 過ぎていない夫は一時ボケ状態で時々心配になる。本人も不安を隠せない。来年には立ち直って もらえるのか私もケイカイシンが働いてしまう。人間も年齢に関係なく自分の知らないうちに 状態がおかしくなるのが怖い。パーキングは平置きだったが夫はランプを消し忘れたかキーは 大丈夫かと気もそぞろの様子。確かに沢山駐車中の車の中にはランプが点滅している車があり ナンバーを呼び出されていた。 草原を駆けまわる猛犬でなくても良いから穏やかに歩き回れるくらいの気迫のある犬のような、 という事を夫に期待してしまう。やはり犬に教わることは多い。 公園はコスモス満開。それは白やピンクの塊で長くは留まらないハカナイ雲の流れのように見えた。 あまりに捉えどころが無いので地面の娘の影を入れてシャッター。大成功。面白い構図になった。

 花の公園で逢った桂の木 (2012年10月21日)

先日若葉マークの夫の運転で京王フラワーアンジェに出かけた。去年からいつも 通過駅でチラッと見える案内に惹かれていたので渋る夫を急かした。花の公園らしい。 初めてコインパークを使うのでドキドキする夫。私は運転しないので何もわからない。 看板の説明書きを一生懸命読んだり駐車した車の中から下りて来た人に尋ねた。 尋ねられた方もあまりに簡単なことを聞かれてキツネにつままれた顏である。しかし 私たちにとっては深刻な問題だ。2人目の女性にも確かめて一安心。まだどこに行くのも 景色より以前の初心者状態である。知らないことは聞くしかない。若葉マークを外そうとする 夫と出発前に必ずモメル。遠方にはまず一人で行き練習してもらいたい私だ。 小さな花の公園ではフィンランド祭りをやっていた。ムーミンの世界だ。しかしその規模の あまりの小ささにちょっと落胆。しかし入り口周辺で花の植え替えをしているシルバー人材風 の方々のなんと穏やかな会話と物腰。経営が優先する大規模公園と雰囲気が違う。 このオレンジの花はなかなか出番がないんだよね・・・と小さな花鉢を移動しながらシルバー夫人 に話しかける様子が和やかだ。道を選ぶほどもない小さな公園らしい。仕事で忙しくてなかなか 公園などに来れない娘のためにミーの刺繍付のプチハンカチを購入。ウスイピンク一色しかない。 マグノリアの木(こういうタイトルの映画があったような、カナダ原産?)この木には初めて出会った。 手前にはサフランのように見える少し大きい薄紫ピンクの花たちが地面から直接生えていて面白い。 ハーブ系と思われる大きな繁みに咲く紫のトラの尾みたいなのや(とても良い香りがする)懐かしい 濃い紫のブーゲンビリアや濃いピンクのアオイ系の花。色とりどりの小鉢花もにぎやかだ。 小花類が優しい女性のような雰囲気を演出している。花の好きな若い男女が言葉なくしても歩ける 感じだ。煙草を吸えるバーベキューコーナーへ突進する夫と私の心の距離は見えないほど遠いので そのあとプチ迷子になった夫の様子をベンチから一寸イジワルク眺めた。 写真が趣味の友人の真似をしてデジカメで花のアップを逆光気味に収めた。ハイビスカスみたいな 花とアオイらしい花のドアップは上出来だ。大写しの赤い花の中に影が躍り(魔法使い風)面白い。 もう一つの方も迫力ある濃いオレンジの花の回りに少しだけほかの白い小花など写りこんでいるが これは上が少し切れてしまった。思い切り背伸びして花の前でシャッターを切ったからだ。 小川と木の橋が設定されている出口辺りには木々が並ぶ。下から見上げると葉の色がウスイグレーやシロ、 ウスイミズイロに見える不思議な樹がありシャッター。その隣の木の葉には見覚えがあった。時々散歩 する近所の中学校裏のポプラのような木だ。桂の木だということが判明した。何となく納得して 葉っぱを1枚とって匂いを確かめるとやはりポプラのような香りはせず多分紅葉も薄いだろう。 その近所の多摩川河川には週末のイベントの準備か大型トラックが入り込んでいた。カーナビに 帰宅指示をインプットして気を付けて運転するように夫にも忠告してうたた寝する。 途中で程よく成長した山椒の木を購入した。良い香りがして実が沢山なるとタグに説明書きのある 朝倉山椒。小さいころ信州の山の家で見た山椒の木とその若葉に群がる毛虫のこともちょっと思い出した。 母はコメの虫除けに山椒の葉を入れていたが考えるとムジュン。食卓にはほとんど登場しなかった。 好き嫌いのとても多い母だった。今から思えばニラは花を愛でるのみ。にんにく類も出番なし。 虚弱体質の子供が多い時代だったではないか、知識は大切だ。でも誰でも初めて歩く道。 わからないことだらけだ。 山椒の実をすりつぶして魚に塗って焼いたりすると塩の代わりになり健康的らしい。胃腸にも良いらしい。 実のなる木などに目のない私は今から葉が茂ったら毛虫退治(必ずチョウが卵を産むはずだ)をしなくちゃ と考えるのに忙しい。

 病は知ることが大切だ (2012年10月20日)

持病の肝のう胞に関して今まで他の人のブログを参考にしてきたので少し自分の経験も振り返ってみたい。 この友人のブログに投稿することのみが唯一のコミュニケーションだが同病者の役に立つだろうか。 20年以上前に検診で小さなのう胞多数が見つかった。放置して大丈夫という事で 全く注意していなかった。そういう人は多いと聞いた。 10年くらい前の検診で結構大きなのが出てきていた、というより成長していた。 放置して大丈夫という事で同じく気にせず生活していた。今から思えば疲れやすく なっていた。のう胞というものを何も知らずまた知る努力もしていなかった。 その後インドネシアに滞在8年近くの間(4年前)シンガポールの検診で大きなのう胞 とその中で一つグレーのがあるという事でその病院の院長から直々にジャカルタの家に 電話があった。非常に心配なので日本ですぐ検査しなさいという事であった。 のう胞は確実に成長していた。ストレスがとても多かったせいなのだろうか。 のう胞で有名なT病院でMRIを撮った。特に心配ないとのことで様子見になったが この時大腸にある大きなポリープが映っていてそちらの方が問題とのことだった。 日本での滞在が2週間くらいしかできず(あちらで老犬を飼っていたので)諸般の事情で 検査結果を医師から直接聞けずに戻った。後から書類とDVDが送られてきたが運悪く DVD再生機が故障していて見れず、大腸の状態を無視してしまった。しかしさすがに お腹の調子の悪さが続くのでシンガポール(日本へは8時間、シンガポールへは1時間) の病院で大腸の内視鏡検査をお願いしたところすぐに治療しないといけないと言われた。 その病院では大きなポリープ切除の手術は出来ないらしかった。また飛行機で移動する ので気圧の関係で傷口も開いたるするらしい。少しだけガンかもしれませんと言われた。 多分肝のう胞と大腸ポリープのダブル攻撃で体調は不良だったが食欲は落ちなかった。 昨年、あの地震の時に不妊治療で娘を授かった国立病院へ入院して大腸ポリープ手術を した。どういうわけかこの病院に大きな信頼を置いている私である。肝炎や感染症のセンターも 併設されていて南国生活でもしかしたら変な蚊に刺されていたりしていても、いざという時は すぐに助けていただけるに違いないと確信している。チーム医療なので医師の技が期待できる。 昨年の暮れ近く、石畳にダイビング(玄関)するという不注意があり肝臓をかばったつもりだったが どうもその前にも道の溝にはまり(荷物を4,5個持っていた)転倒したのと重なり、のう胞が つぶれたようだ。玄関で突然ピンポン(オートロックなのでびっくりした)が鳴り灯りをつけずに 犬の脱走防止柵を乗り越えようとして失敗、目がお岩状態で腕やらあちこち打撲した。目は氷で 冷やし続けたので翌日は腫れもだいぶ引いていたが内出血が下の方に溜り(初めての経験)とても 変だと思った。その後病院でエコー検査などして今年の1月穿刺治療の運びとなった。 内出血と破裂イコール治療という言葉はいろんな検索結果として出てくる。私はショック状態もなく 内出血も吸収された模様だ。ただ多くの人の治療と同様に結果はハカバカシクナイがガンの疑いは晴れた。 血症板の数値が少しずつ下がってきていてまた去年の暮と同じくらいになってきた。穿刺治療をすると 数値が上がるのでそんな方法しかないのかもしれない。しかし治療自体感染症誘発の危険があるらしく 医師もたぶんタイミングを見ているのだろう。のう胞は二けたもあり左右にあるので外科の手術は出来ない らしい。これ以上悪くならないように自分でも気を付けて行くしかない。1〜1.5か月間隔で血液検査 をしていただいている。また気になるときには医師が直接エコー検査をしてくださるので安心だ。 血症板の減少が続くと肝硬変に突入する。肝硬変は治らないのだ。これは肝機能には関係なく起こる。 反省としては病院や医師任せにしないことだと思う。自分で治療に参加していくまた情報を得ていくという 事は難病のようなものを抱えている人にとっては大切だ。病院でも実際の治療数はごく少ないとのことだ。 間違った情報を信じてさらにストレスを増やすと良くない。前向きにこの病気を理解して治療してくださる 医師に出会う事。移植手術などに進んでしまう前に自分の状態をよく観察して適切な病院に行くしかない。 肝心要、無言の臓器、今の私は疲れたらいくらでも休めるがそういうことが不可能な人は早めに察してほしい。 多分人にやさしく自分のことを二の次に考え、母性愛の強い人(わが夫ものう胞はあるらしいが)が多いと 思う。世間の間違った考えなどには絶対振り回されてはいけないと思う。強くならないといけない。

 落ち葉と黒いアスファルト (2012年10月19日)

昨夜の強い雨で季節がはっきり変わった。最早肌寒い。プラタナスの並木が目線に しっかり並びブレない。外に出た瞬間眠気が吹っ飛んだからだ。それなのに自分の足先に 目を落とすとAAA社のウオーキングサンダルだ。当然素足。不思議なことにこれに慣れて しまい朝散歩は靴下なし。やはり熟年夫人としては変わって見えるのかな・・と心配 しつつ面倒なので当分続くのだろう。もしかしたら健康的かもしれない。 計画都市の成果ですっかり大きく成長した生垣の金木犀の木々が黄色い香気を充満させて 立ち並ぶ道は足取りも軽くなる。小さな数個の花を頂き犬の鼻に寄せてみるも食欲系では無い ので興味ないらしい。小さいころは桜でもアカシアでもこの花でもぱくっとしていたが匂い 感知がすっかり老化している。昨日の数か月ぶりのトリミングで今朝の彼女は若返っている。 川沿いの雨に濡れた黒いアスファルトに散り敷くユズリハ(これは標識で判明)の乱舞。 表はうすミズイロで裏はウスイグレーというおしゃれさで着物の柄のように見える。葉元から すっと伸びた茎がちょっと長くて道の上でアクセントになっている。ジャカルタでも朝散歩時 石畳に落ちるプルメリアに引き寄せられて随分デジカメに収めた。シロ、ピンク、赤、黄と にぎやかで草色の敷石とマッチしていた。数点の小品を作成したが又これから取り組んでみたい。 公園の出口の角を曲がるといきなりグレーの体型の大きなサギに出会った。頭と背中に黒い 羽がおしゃれだ。小型のシロサギと違い貫禄がある。昔千葉の干潟の横に住んでいたころは こういった鳥を日常的に見ていたので懐かしい。ぱっと飛び立って近くの街路樹のてっぺん の細い枝に立った。しっかりとあたりのカンサツをしてケイカイシン怠りない。なんだか この頃の自分に似ている様子であった。リラックス・・と言っていたヨガの先生の言葉を 想い出さないといけないな。スッテ、ハイテ、手も足もブラブラして脱力。笑顔も大切だ。 プラタナスの落ち葉は全部アスファルトに張り付いていてこれもなかなか絵画的だった。

 オートバイ天国の苦い想い出 (2012年10月18日)

自宅周辺でオートバイを目にするのは割合と少ない。時折バリバリと元気の良い お兄さんが突っ走って行くのにも威勢がいいなあなどと感心してしまう。 ジャカルタ滞在中毎日の移動は車(家庭車)のみだったのでその車の中からウンカの ごとく湧き出す車道のオートバイの流れを見ていた。我が家の運転手(夫の社用も)たちは 自宅からオートバイで来る人が多かった。しかし家庭の事情で乗り合いバス(ワゴン) をいくつか乗り継いでやっとこさ我が家にたどり着く人もいた。生活に困窮すると携帯 電話を売りとばしたり、家族の医療費をねん出するためにバイクを売り払うのは日常。 財産として無理をしてでもローンで購入するという知恵がある様子だ。銀行にお金を預ける 人はその当時まだ少なかったのでは無いか・・。若い人は違うと思うが。ローンは低所得者 にとって大変だ。奥さんがお手伝いの仕事をしてようやく何とかなる家計に見えた。 交通費を出すのは嫌で自宅周辺でしか働かないという運転手も何人か出会った。 親類や友人、または雇主からの前借などで年がら年中金策に悩む人をよく見かけた。 出稼ぎから都会生活に移動する(家族をもつ)人が多いのだろう。夫人が複数の人もお金の 悩みは尽きなさそうだった。慎重だった日本の銀行もバイク購入のローンに乗り出すという 情報をTVで目にしたが今では地元銀行(ピンからキリまですごい数がある)と競争しているのか。 滞在友達の運転手で車の内側にお金を隠していて車検の時大慌てしていたという話を聞いて苦笑。 彼は雇い主の奥さんからもらうチップを貯めて隠していた様子だ。まじめな8人の子の父親だ。 最初の頃働いてくれた運転手は50代。教育費等に苦労していたはずだが自分でも夜アラビア語 の勉強に通う努力家であった。超おんぼろのバイク(帰るときにもエンジンがかからず黒煙を 上げて長い間ふかしている)で結構遠い所から通っていた。我が家に新しいバイクを買えと 要求してきてまだ事情が分からない頃のことで困惑した。諸般の事情で契約切れで終了してもらったが 翌月から隣の家に通いだしたのにはびっくりした。隣に住む若い日本人も運転手の扱いに苦慮している 人なので給料値上げとかバイクを買えとかうるさいことを忠告した。滞在後数年たつ頃にはそういう 問題にも通じてきたが日本で経験のない雇用関係はとても難しい。大金を貸す人や生活を助ける人も 中にはいる。今だったら比較的理解のある雇用主になれるかななどと考えてみるがもう体験したくない。 ヘルメット着用、ランプを付けて片側通行(夜?)、などごく当たり前のこともスイスイ無視して 車道はオートバイの濁流天国だ。一家5人で乗る、バイクタクシー、洪水でもわき道使用、自由なバイク。 今ジャカルタは車が増えて裏道まですごい渋滞だと聞く。新しい道があまりできず車やバイクや人 が増えるのだから当然だ。日本製が主流だったが今では混戦しているらしい。器用な国民で難しい運転 でも事故はあまり見かけなかった。事故に遭っても医療費が大変なので極力注意して運転するのだろう。 一家の主が事故に遭うと家族が路頭に迷うのはどこの国でも同じだ。 新しいバイクを大切そうに磨いていた運転手の顔が想い出される。日本車が大好きだと言っていた。

 のう胞、オリーブの実、イチゴ (2012年10月17日)

今まで総合ビタミン剤とかちょっとした栄養剤、胃腸薬くらいしか使用してこなかった せいかたまに病院で処方される薬はとても良く利くような気がする。今回肝のう胞の痛み 緩和のために処方されたカロナールは夜寝るときに飲むと朝まで熟睡できる。飲まないと 2,3時間おきに目が覚めてしまうが、醒めっぱなしというわけでもないのだ。 薬で痛みを緩和しても根本的な問題解決ではないはずだが安定した睡眠は大切に違いない。 しかし何事もカンサツシンとケイカイシンの私はネットで薬のことを検索してみた。 肝臓障害や血小板によくないとある。私程度の症状では(妊婦も大丈夫らしいので)影響ない のだろうか。それでも飲むのは週に2,3回にすることにした。薬というものは必ず副作用が おまけについてくる。その点を理解しないといけないのだろう。急に腕に青あざが出現したので やはり血症板関係なのかなと無い知恵を働かしてしまう。もともと心配性だが当たるときもある。 肝のう胞は痛まない状態が少し続いたりするがこのところの観察ではそういう無風状態の後に 大きな波が来るような気がする。とても油断がならないモノである。肝臓に住み着いたエイリアン みたいだと思う時があるくらいだ。何しろ無言の臓器が声を上げ周りも同調する。 わが老犬は死線をさまよいまた秋太りに突入した。朝散歩の鞄の上に足を広げて乗っているのを 上から見下ろすと頭や目をあちこちに動かし鳥の声や嫌いな車のブレーキ音、自転車の錆音を キャッチしている。ベランダで見張中の彼女がカラスの声に反応して吠えるのが解った。 鳥の鳴き声に割合と反応する。嫌いな猫にはほとんど会わないので(日本の猫はすぐに隠れる) そのうちに猫に出会っても仲良くできるのか。今朝は定位置で家の中をカンサツしている。 ベランダのオリーブの実を収穫して大量の塩と混ぜてビニールのストックバッグに入れ冷蔵庫へ。 半年後に食することができるらしい。実の数は15個ほど。片手の中に納まった。 スペインの高級オリーブオイルのように青くさいが油っぽくなくヘルシーという自家製は不可能だ。 大きな実が四季生りというイチゴに期待して園芸店からおまけについてきたかび病対策(苺スプレー) に真剣に取り組んでいる。長いひげ状のツルが2本どんどん伸びていて本体の成長繁殖が元気だが かび病は空気感染だと園芸店の人に教えられて困惑した。

 彫刻家からのメッセージ (2012年10月16日)

美術館の展示最終日にジャカルタ時代の友人3人が集まった。久しぶりの笑顔で 気持ちが一気にタイムスリップしてしまう。と言ってもついこの間の過去のことだが。 見知らぬ国で出会い日本人同士という気安さで信頼関係が生まれたので不思議と 様々な日常を飛び越えて次々と再会の場にジャンプしていく。 美術館の1階に移動するエレベーターで一人の老彫刻家に出会った。身振り手振りで 下の方向を示す。彼は耳が不自由だった。私たちも笑顔の彼の様子に心がほぐれて うんうんとうなずいたりしながらついに彼の作品が展示されているところまで移動した。 紙にボールペンで描いたりして何とか意志疎通を図る様子に気持ちが集中した。 上下のジーンズと鼻下の短くカットされた白ひげが似合う。新しいジュートで編んだ風の 縄で皮の渋い味の四角い鞄を肩賭けにしている。おしゃれ。芸術家だ。胸に入館パスを 付けているので委員の人だ。mr.kajiwara,来年まで覚えておかないといけない。 パワー・・・、作品の題名だ。トラックの後部の鉄板や錆びたチェーン、その他の部品で 作ったんだよとメモを書いたりしながら説明してくれた。ボールペンのデッサンが、うまい。 作品自体は大きくない。しかし錆びてよじれた鉄板の両脇に同じく錆びたチェーンがぶら下がり それをカットされた木の手が握りしめる構図は緊張感と動きが有り面白い。溶接しながら仕上げた のだろう。作品と作り手の写真と簡単な説明が添えられていると彫刻ももっと面白いのに、と 思った。もちろん自分で解釈する自由な世界だが。この会は平面絵画と彫刻のみ展示される。 指を二本開き下に向ける。また会おうね・・という手話だ。 ロビーで彼が私達より年上の女性と多分閉会の時間待ちをしていた。mrs.ogawa、この会では 有名な人だ。同じ県だと言っていたっけ。また話したそうに顔を向けていたがキリがないので さよならの会釈をした。女性は疲れたのかぐったりと椅子に座り眠りこけていた。 素敵な熟年、疲れた熟年、頑張る熟年、私たちが輝く年代だ。 偶然の出会いや様々なハプニングに恵まれた半日でパターン化していた日常にカツを入れられた。 銀座では2階がオープンになった赤い観光バスを見た。次回はあれに乗りたいと騒ぐわれら熟年夫人。 日本を離れていたせいかおのぼりさん状態だ。お互いにおいしいレストランより日本再発見だ。 勝鬨橋周辺には超高層ビルが立ち並び、銀座の様子もすっかり変わってしまった。 彫刻家との出会いですっかり心がリッチになった。

 テキスタイル、織りなす記憶 (2012年10月14日)

くろまめさんのテキスタイルに寄せる心情をたびたび拝見していつもジャカルタで 私が見たトラディショナルなテキスタイルを思い出す。 専門家では無いので比較分析はできないが印象としては日本の作品はバリ島で見たもの に近いような気がする。日本人向けに開発された色や柄を見ていたのかもしれないが。 土産物として売る藍色に白やうす水色の絞りのポイントの布地はいつみても日本と同じだ という感慨。あっさりしていてなんにでも合う飽きの来ない柄だ。 刺し子をして長年使う日本は比較して元糸が強いのか。あちらで教えてもらった古い時代の 値の張る作品ほど糸が細く丁寧に扱わないと破ける危険が多かった。年代や柄や色が大切で そっと箪笥の引き出しにしまわれて虫に食われても我慢していた。巷では刺し子をしてまで 使う感覚では無いような気がした。収集家は田舎を回り干してある本物の(プリントではない) テキスタイルを買い集めて市場などに持ち込むと聞いた。今ではプリント物が多く本物はさらに 価値が高くなっているはずだ。田舎のおばさんが腰巻同様に使っていた布(あちらでは巻きつけるから) が新しくスカートやらに生まれ変わって高額で町の店で売られるというわけだ。訳知りのひとから その話を聞いてえーっと、改めて古い布を購入してその店で作った渋いスカートを眺めたものだ。 そのスカートをはいてみんなが着るT−シャツと合わせるとお手伝いルックで、少し慣れたころ 強く反省してもう少し奥様風(大したものではないが)に改良した。 アスリー、本物よ・・・と囁く街中の高級テキスタイル店の売り子のちょっと自慢そうな顔が浮かぶ。 インドネシア各島のテキスタイルはそれぞれが違い個性を主張している。妥協しない色と柄だ。 日本の作品もたぶんそうなのだろうがまだよくカンサツしていない。日本にいたときの方が生活全般に 余裕がなかったのかもしれない。暇が沢山あったのとルピアが日本の八十分の一という安さで (昔は百分の一)懐も暖かかったせいなのだろう。見本市に各島から持ち込まれ販売されるテキスタイル には吸い寄せられた。読み解ける物語のある柄、自然を描いた柄、細かい手作業の柄、西陣織のような柄、 織り地に草木色のみの渋い柄、沖縄の紅型のような華やかな柄、幾何学模様の柄、白地を生かした柄、 次々と脳裏に浮かぶ。若い作家が新しいデザインの柄や洋服を盛んに作っている。 インドネシアでは最近国を挙げてそういう布の世界を盛り立てているので(マレーシアと後先を争っている) 街中でも着用する人が多くなり、夫も1,2枚値段の張るシルクのバティック服を購入して金曜日には 着用して出社していた。金曜はイスラムにとっては特別の日だからだ。 しかし持ち帰ったテキスタイルをテーブル、壁、床と使用してみると日本の狭い家の中がますます狭く なりポイントとしてのみ使うのが良さそうだ。どれも存在を強く主張しているのでバランスを取るのが 大変だ。スカーフや洋服に至っては日本人として見られないので着用して外出するときは覚悟がいる。 また、先日高島屋で購入したブラウスは家に持ち帰ると同じ柄のインドネシア産が有りがっくりした。 日本の街中にも東南アジア柄が沢山あふれていて同じものを購入しないようにと気が抜けない。 感動が薄れないうちに絵画に取り入れて残していかないと忘れてしまったらタイへンだ。 宝物の箱をせっかく覗いたのに。くろまめさんがもしインドネシアに行ったらどんなに驚く事か。 デモ、よくよく思い出すと私は20代の初めにすでにバティックに会っていた。ご縁が在ったのだ。

 絵画のむこう側 (2012年10月13日)

ある画家はよく噛み付く犬を描いた 雑種で性格が凶暴だそうだ 噛まれたんだよね、何回も チル、耳の特徴が愛らしい 首をかしげてこちら側を見ている またある画家はピエロ 白やベージュや茶色の中に埋もれる 去年の赤、おととしの黒、その前の茶 心の変化が色の層に重なる 年満ちた画家は海辺を描く 波紋が交差する水の底や歓声を上げる 人びとの時間が揺れては戻る ゆるぎない安定した空間 穏やかな性格が隅々まで支配する 空の中で扁平のひとや動物が飛ぶ 青一色の中に光る星ひとつというのもある ひもでくくられて箱の中 狭い部屋の中で身動きが取れない 苦しい家族の心情を突きつける 逃れられない現実 語りかけてくるものは 深く、浅く、はかなく、美麗 理解不能でもある 生まれたての色彩を もどかしい心の内側で 無意識や痛みの中で掴み取り 誰に届けるのか 今日か、明日か、来年か、 すべての色が歌い出して 絵画のむこう側を手繰り寄せたら 画家は安堵の溜息をつく

 難しいことを考えた散歩 (2012年10月12日)

紅葉はあまり進んでいないのに道を歩くと枯葉の甘い香りで辺りがいっぱいだ。 適度な気温と適度なお天気の人気の少ない道はふわーっと気分が軽くなる。 そのうちに霜が降りる気温が続くと一気に紅葉が進んでいくのだろう。 ケイカイシンとカンサツシンを常に保っていた海外での生活とは雲泥の差だとかみしめる。 そういう気持ちが全くない生活というのも最早無理かもしれない。身についてしまった。 わが老犬でさえ人見知りするようになった。いろいろと経験してしまったからだ。 先日のように国の医療機関に技術のみでなくサービスも期待するのはいけないんだな、と 考えながら歩いた。サービスを期待するのなら私立機関の選択をしないと両方はだめな時代 になったのに気が付かない自分がいけないのだ。自分が頻繁に病院通いするようになって 初めて巷で論議されていたことの意味をか気が付いた。これからはますますその選択が顕著 になっていくのだろう。それにしても状態のひどく悪い患者の後ろを看護師や医者などが大勢 行きかう状況は思い出しても釈然としない。同じ患者が介護している様子をどう見ていたのだろう。 退職した看護師などにパートやボランティアをお願いして待合室やトイレなどの患者の状況を 把握してほしいものだが無理なのか。国立でももっと明るくボランティアが多い所もあるのになどと 唐突もなく考えながらの散歩でいつの間にかほとんどのコースを終了してしまった。 散歩時には難しいことを考えてはいけないものだ。 コースの終わりの坂道にはプラタナスの葉が結構落ちていたが色は良くない。それでも何とか 少し収穫して先日拾った栗やどんぐりと一緒にデッサンしてみたい。よく見ると濃い茶色に 変色した中に少し見える黄色やオレンジ、グレーは紅葉一色と違いとても渋くて趣がある。 まるで陶芸の世界だ。私もこういう渋さに気がつく年齢になったんだなあと感嘆。 子供のように乾いた枯葉を選んで踏んで歩いていると道の向こう側でもパリンと音がした。 わが老犬はきわどい世界から引き返してから元気印になった。 彼女の軽い足取で笑顔に戻る。

 通院エトセトラ (2012年10月11日)

昨日は通院だった。例によって気合を入れて満員の通勤電車レディス車両に乗り込んだ。 昨年の今頃と違い余裕で電車を使える。8年近いジャカルタ生活で電車、バスを使った 事は1度もなくて帰国してから後にバスや電車に乗る感覚で混乱したものだ。 これは経験者しかわからないことかもしれないが相当大変なことだ。2年に1度は会社 が費用を出すので1,2週間帰国できた。もちろん3か月に1度帰っていた人もいる。 血液検査も終わり持ち込んだ本を読みながらの待合室。患者の数はいつもより少ない感じ だが先生も少なくてボードの数字の動きもハカバカシクない。そうこうするうちに隣の シートにうなり声をあげながら横たわる小柄な熟年夫人が来た。横向きで痛い痛いと 言っているので気が気ではない。私も肝臓が痛いときは上を向いて寝ていると痛みが 少ないとアドヴァイスしながら少しお話を続けた。1時間以上は待った。 何回も入院しなさいと言われているが仕事をしているのでなかなか入院できないそうで 今日こそはいらないとダメかとも。待合席の先頭まで助けながら移動した。 診察後割合とすたすた歩いて出てきた彼女を見てホッとした。心なしか顔も明るい。 今日は入院しないそうだが又救急外来のお世話になるのだろう。 過労気味で頑張っているお若い主治医は私の前に診て、いったいどんなマジックを彼女に 使ったのだろうか。患者は主治医の顔を見ただけで大分症状も軽減したりする。 とてもカッコイイ職業だ。午後から友人達と銀座の個展に出向いたが偶然2人とも身内 が医者だ。医者も30才代が無ければ4,50代が無いとのことで厳しい職業と言える。 過労を乗り越える食事とか医者専用の点滴はないのだろうか・・などと無い知恵で 考えてみる。とにかく遠方からも押し寄せる患者のために丈夫でいて欲しいものだ。 肝のう胞の治療はまだしないそうでうれしい。時々張って痛むという対策に痛み止め (カロナール200)をもらったので夜寝るときに前にもらった胃腸薬と一緒に飲んでみた。 結果寝返りオッケーである。これは割合と効果的かもしれないので以後痛みが強い時のみ試したい。 クラビット500は熱が38度以上の時のみ服用するらしい。抗生物質の飲用は注意しないと。 採血時の腕の絆創膏は前回怖い思いをしたので家に帰りつくまでとうとう張ったままだったが、 夜取り除くとアルコール綿のところが赤く四角く残っていたのみでかぶれていなかった。 なんだかいろいろと運の良い日ではないか。単純な私はそんなことで喜ぶ。 この頃友人や知り合いで難病指定されている病気やそれに近い病気に罹っている人が多い。 昔原因不明と言われていたものが特定されただけなのか、時代病なのか自分も含めて大変なことだ。 韓中観光バスがいない銀座で個展を2,3か所回り数人の先生方と絵画談義もできて有意義だった。 体調が落ち着いているうちに頑張らないと、と考えながら肌寒い夜道を急いで歩いて帰った。 主治医の笑顔は今日のように、空にまたたく星みたいに、いつも明るく在って欲しいと願いながら。

 寒い季節がやってくる! (2012年10月9日)

朝起きて割合と早めの仕事としてコーヒーを作る。挽いてあるコーヒーを カリタに移動させて熱湯を注ぐだけだが部屋いっぱいに香るコーヒーは心を 豊かにする。たまにベランダで新聞を読みながら飲むが今のところは犬の散歩 が最優先だ。散歩後のベランダで空気の冷涼感が好きな犬はなかなか部屋の中に戻らない。 クローバーの公園にはクローバーが生えていない季節だが薄茶色の枯葉が多くなった。 連休で子供たちが大勢遊んでいたと見えて形が崩れた枯葉が多く、落ちたての枯葉をパリン と足で踏み割る楽しみが少ない。プラタナスの葉が沢山落ちて犬も歩くと音を立てる 去年の枯葉の季節がよみがえった。吹き寄せられた枯葉の山が大好きだ。 美術館の絵画研究会時、銅板作品で落ちて踏まれた葉を表現していた女性のことを思い出した。 繊細な葉脈の拡大落ち葉の背景の表現やその落ち葉の中に童画風に可愛い目を入れたり 背景に小動物を遊ばせたりしていたが、講評は二手に分かれていた。葉だけで良い。 いやその遊び心が良い。厳しいプロコースか、ゆとりのある遊びコースか。 同年輩の穏やかそうな彼女の戸惑った様子が私の絵画姿勢と重なり思わずうなずいていた。 中学生のころから人間よりむしろ地球の緑や身辺の木々の方に気が向いていた。 社会性が無いのかもしれない。割合と人が苦手な面もある。でも年を重ねたせいか最近は 人も面白いなと感じる。信州人は理屈っぽいと言われても仕方がないかもしれない自分の 感覚や表現だ。無い物ねだりしても仕方がないので今日も明日もいろいろと考えるしかない。 開き直ってさらに強くなろうと気持ちを新たにする。寒い季節は大好きだ。

 小雨の美術館 (2012年10月8日)

小雨が降る休日に美術館へ向かうのは心が弾む。随分長い間何回も通っている。 幼稚園の時から美術館食堂のカツサンドにつられて行った娘は美術人生への扉が 開いたとは言えないけれど時々絵画の話題が出るのはうれしい。夫も嫌いでは無い はずだが厳しいサラリーマン生活で余裕をなくしたのかいまいち反応が薄いのが残念だ。 友人夫婦は活動的で写真をたくさん撮ったり明日の芸術面の糧にすべく鑑賞怠りない。 無駄をそぎ落とした彫刻も好きだ。時々違う次元に連れて行ってくれる。作り手の存在を 伝えてくれるのは裏側に張られた出品票だ。丸い字だったりシャープだったり角張っていたり、 それぞれ記入されているのを見ていると作品の鑑賞の参考になる。公募展によっては賞候補に なっている印がついていたりもする。 公開研究会で、絵のタイトルに因む古代船について、なぜこだわるのか変だと言われたがまさか 夢のお告げで・・・とも言えず困った。もっと抽象的に展開した方が良いのかもしれない。 最近可能性に挑戦するためにいろんな構図、いろんな色を使っているのでここいら辺で方向性を 決めていかないといけない。そういうことを考えたり行動するのはとてもわくわくして楽しい。 制作活動で苦労しながら生計を立てる人と比べると申し訳ない位に贅沢な世界だ。 絵の世界は自分の可能性を切り開き自助作用があるのでとてもありがたい存在だ。 旗日なので朝散歩の後シーンとした家族の状態を見て老犬が廊下でどうしたものか・・考えて いる様子に出くわして苦笑してしまった。犬にも1週間の生活がインプットされているようだ。 今朝の散歩は5時だったので頭の上を見上げると月や星が集まっていてとてもパワーを感じた。 あまりに人っ子一人いないので家の周り1周という超ショートカットで終了。中学生のスポーツマン という感じの子が肩に大きなカバンを3つも振り分けて背負いバサバサと暗がりのひこべい坂を 走り降りて来たのでひどく驚いた。いろいろな目的のために休日を厭わない若い人にエールを送りたい。

 海藻料理、白いトルコキキョウ (2012年10月7日)

くろまめさんのかしの実ギャーは本当におかしかった(面白い〜信州方言)。 写真のトレイに並んだ数々を眺めていて想い出した料理がある。信州の湖水地方も 道をたどれば糸魚川方面の日本海にも近く九州と同じような海藻料理がある。 特に神社の秋祭りの頃に忙しく立ち働いていた母の後ろ姿。きれいに刈り取られた みずみずしい薄の束を庭先のゴザの上に敷きその上に薄紫系の乾燥海藻(枝長ひじき状) を並べる。夜露で晒すのだ。おばあさんから教わったに違いない。 ネットで調べてみると宮崎ではウマガリモチというらしい。九州辺りでは一般的に オキュートと呼ぶともある。信州の我が家ではイゴと言っていた。 どの位晒したのか記憶にないがその後で茹でるときれいな薄茶色に変色していた。 ゴミなどを取り除き寒天状に融けたものをパットに入れて冷やし固めた。 このあたりの状況はかしの実ギャーと似ている。きれいに四角く切り酢味噌や 生姜醤油でいただく。子供の舌にはおいしいものではなかった。大人になってから なかなか味わい深いものであり健康的にも良さそうだと気が付いた。 特に今回のくろまめさんの写真を見て購入意欲が湧いてきたが近所の店にあるのだろうか。 信州でも栃の実を栃モチにするのは耳にしたがやはりあく抜きが大変で根気のある 人のみが口にできたと思う。わが母は好奇心が旺盛でいろんな料理や種、植物を人から 聞いたりもらったり植えたりしていたが栃モチには挑戦しなかった。 くろまめさんのお父さんほどではないが母も動物と話せた。記憶にあるボス猫の寅は ”ブリ”と呼ばれていた。昔はブリを一本買いして正月用としたがその貴重品をねらった 猫らしく命名された。ブリ1本で威嚇された猫は以後魚には近寄らず漬物を好む変な 性格になった。板のない炬燵の上に寝た後は丸い穴ができるほど大柄な猫だった。 しかし村はずれに住みなんでも食べる人の胃袋に入ってしまった。なんと其の人の家の ひよこを狙ったらしく因果応報。母は胃袋の羽を証拠に見せられたそうな。 良く母と話していた猫だったが大変な時代に生まれてしまった。 涼しくなったせいかいろんなことを想い出す。米系大量販売店で真っ白なトルコキキョウの 花束を購入した。多くて安くてすごく長持ちするのでうれしい。これは母の好きな花でよく 病室に飾ったので普段はほとんど購入しないで13年過ぎたがめずらしく買ってみた。 入院しても病室に花を置くのは好まない私だ。白い八重咲トルコキキョウと黄色い小花の蘭。 久しぶりに花の絵を描きたくなった。

 待ち遠しいメタセコイアの黄葉 (2012年10月6日)

風のない坂道を上がって行くと向かいの道を降りてくる蛍光色グリーンの三角帽子をかぶり オレンジ色で流行りの鋲をアレンジしたリュックサックを背負った小柄なの女の人を見た。 おおきなリュックがポンポン揺れて今日の楽しい行楽を物語っている。この辺りは学園都市 なので右を向いても左を向いても電車の中も学生が多くて中には面白いファッションも居る。 去年ハワイのT−シャツを着てジーンズで椅子にすわっていた私もちょっと目立った様子だった。 多分国籍不明の熟年夫人に見られたのだろう。今となってはそれが面白い。 ショートカット散歩道の階段の上で袴付きのどんぐりを数個見たが今日は土曜日、親子連れ が通るかなと思い伸ばした手を引っ込めた。計画都市も2,30年近くなると公園や 道端の木々も相当大きく成長して見栄えがする。ちょうど良いころ合いに転居したのはラッキー。 ワビスケの木も公団の生垣として十分な大きさに茂っている。もうすぐ白いお茶花が咲く。 階段を下りていくと小さなカキの実をぎっしりつけた木の向こうに園庭が見えた。 万国旗が飾られ運動会があるらしい。園庭の端っこには多くはないが里いもの葉や サツマイモの畝もある。サツマイモはどこでも育つものだ。娘の幼稚園時代にも公園の 隅っこが耕されて大きなサツマイモを収穫。焼いたり蒸したりして歓声があがった。 ジャカルタでも日本の種イモが定着していて味の良いものが日本スーパーで売られていた。 器用なお手伝いが大学いもや茶巾絞り(誰かが教えたらしい)を作ってくれたものだ。 モロヘイヤやシソの葉、ツル紫、細ねぎ、インゲン、辛い小さな大根、時々みょうがもあった。 店に入ると一番目の付く場所に陣取っていた際立って季節感のある野菜たちだった。 多分灰をまぶして渋抜きされたと思う白い粉つきのカキの実も売られている時がありびっくりした。 少し秋色が進んでいる。メタセコイアは緑の勢いがなくなりよれっとした葉になっている。 先端近くには小さな実の蔭が見えている。そのうち見事な黄色に変わり人の心も染まる。 この紅葉が下に全部落ちるとわくわくするくらい風情がある。カラマツ林の姿とよく似て いて、紅葉、落ち葉の変化が潔く冬樹はまるで彫刻刀で彫られたようにくっきりと立つ。 冬樹の間から透けて見える青い空は信州での記憶だ。ナナカマドの赤い実や山ブドウのムラサキ、 やはり1度は出かけないといけない気分になってきた。なんといっても背景には屏風の山脈だ。 今朝の犬の寝場所は石の玄関から居間の板の間のカーテンの横という定位置に移動している。 彼女の寝場所でその日の気温が大体わかる。散歩の後はひたすら爆睡だ。

 金木犀の朝のシロ (2012年10月5日)

老人はただ雨の中を歩きたかった 強風が木々をしならせ うなり続ける夜は恐ろしい コンクリートの窓の柵を 激しい音を立てて雨粒がたたく 街路灯の仄かな光が頼りだ 階段を下り、てすりにしがみつき 道を目指す 誰が歩けないものか こうしてちゃんと足が出る いったい何時ころなのか 人っ子一人猫の子一匹いない 長いひこべい坂を登ろうかくだろうか しばし考た、長いこと考えた 老人はパンパースを投げ捨て にこやかに雨のなかに入った 大手を振って歩き続けた その後のことはわからない 雨に打たれ、水を吸い 醜く膨れたパンパースは 道の果てに打ち捨てられて 人ビトの目にサラされた パンパースの残骸 パンパース破裂 パンパースの末路 いったい誰のパンパースか 粉々に砕け散り ビニールの部分だけがかろうじて在る 金木犀の香りの朝に まぶしい光の朝に 散り敷く白いイロ 初々しい夜明けの道でたびたび見かける 一人の人間の希望のカケラだ パンパースに始まりパンパースで終わる むなしい人間の力の限界をみた

 美術館&絵画までの道のり (2012年10月4日)

我が家から六本木美術館までは結構遠い。最近は猫背で電車のシートに座ると 肝のう胞が圧迫されて痛いので背中をまっすぐにしてきちんと座る。これは 昨年の治療前と同じ状態だ。疲れると張ってきて痛む。無言の臓器と言われる 肝臓がモノを言うのは怖い。何かを訴えているのをムシできないが猫背は治る。 秋なのでちょっとおしゃれしたくてもウエストがないので着る物を考えてしまう。 絵画は難しい。家で描いていてオオこれだ、と思っていたのが外れて悩みぬいて 描きイマイチと思うのが入選する。今回の絵もとても苦しんで描いて、もうやめよう と何回考えたかわからない。とにかく自分の世界にこだわり驀進するしかない。 絵画の好き嫌いは一目で決まる。 同行してくれた先輩は十数年前夜のデッサン会で一緒に勉強した人だ。その会は日本画 の有名画家が創設した。いろんな会のリーダー挌の方も大勢勉強に来ていてデッサン会 でも制作展を大々的にやる。そのころ仕事帰りに週1回参加していたことを考えると私の 元気な時代だった。翌日の行動を考えていろいろセーブしながら生活する今は少し残念。 家に帰りつくと相当な雨が止んだ後で道には大きな水たまりがある。沢山荷物を持っていても 道の端の溝にはまったりして転ぶこともなくなった。昨年は2回も転んでしまいいくら日本 の道に慣れていないとは言えは情けない。しかしそれに気が付く人のいない薄闇は有難かった。 若い頃あわててエレベーターに駆け込み自分の長いコートを踏んで転んだまま乗り込んだことは 確かに有る。 秋らしい出会いと言えばデパ地下の栗大福もち。デパ地下は私にとっては今だに宝の宝庫だ。 知らんふりして素通りできない。それでもひところに比べるとものすごく吟味して購入する。 渋茶と栗大福もち・・・エナック(おいしい、グー)。

 涼しくて静かな朝 (2012年10月2日)

爆睡の特技があり入院中も隣部屋の騒動や夜半の廊下の往来の激しさにも あまり影響されずに比較的眠れたが、昨夜は2時間おきに目が覚めて眠れない。 仕方がないので夜中にホットミルクを飲んでみたがいつもと違いあまり効果が無い。 やはり急激な気温の変化に体がついて行かないとしか考えられない。世の中の人は 皆苦労しているのかしていないのか不明だが自分にとっては深刻だ。 季節感のない国で8年近く暮らし昨年は病の悩みで季節を感じる暇がなかったが、 今年は少し安心していろいろ考えているせいで人並みになったのだろうか。 田舎での雑事を役割分担してくれる11歳年上の姉の存在がありがたい。 そういう役割の方は私のように自分事にかまけている暇すらないはずだ。 家や文化を継承していく役割の人、社会のためになる重要な仕事に就く人、 そういう人たちの健康を心から願う。私自身は疲労をため込んで自分で健康の 責任を負う羽目になるのは極力避けたい。 かしの実ギャーを作る婦人たちの根気のすごさに脱帽した。わが夫は最近分担している 家事をそろそろ嫌がり始めていて今更色々言うのも骨が折れる。そのうち投げ出して 自分の好きな世界に突入するのか。無意識の段階まで精進するには年齢が進みすぎている。 私の安堵もそう長くは続かないのかと心配になる。病気ではありません、という主治医の 姿もちらほらしてなまけ病では無いよねと自分の心に問うてみた。難病指定されてはいない が原因不明と言われる病はとらえどころがなくのらりくらりと姿を変える。 発信していかないと理解してくれる人も少ない。 ベランダの鉢の中で去年から球根に葉が伸びる程度で花を見ないさみしいのがあったが、 今朝見るとなんとクリーム色の彼岸花が咲いている。葉は全くない。多分洋名がついていた はずだが忘れた。夫が、おおっユリの花か・・というので途端に風情が砕け散った。 軍用ヘリコプターの音(空の道がある)や車の音が際立って聞こえる不思議な朝だ。

 台風と織り成す記憶 (2012年10月1日)

台風一過の朝は中世の絵画のようにくっきりすっきりしている。 薄いブルーとピンクとベージュの空。白や茶色の建物、小さな丘の沢に溜っている 濃紺の影が際立ちここ多摩丘陵の計画都市はきりっとして見えて公園の遊具まで デザインがこぎれいに見える。家を出る6時前には西の真向いに丸い月が輝いていた。 ひこべい坂の上の方に差し掛かると様子が変わった。風の通り道だった様で プラタナスの大きな枝がもぎちぎられたりプラスティクのゴミが目立つ。 石段を降りて小川に出るとここでも川に突き刺さったボードやらがあり大風の 後始末は大変だ。我が家でも鉢類を寄せたり物干し竿を下ろしたり、10年目の 帰国で台風を久しぶりに体験する夫が忙しく立ち働き夜遅くまでベランダの椅子で 風の向きを見張っていた。一人であたふたしていた去年の台風を思い出した。 体調の悪さも忘れて立ち働いていたっけ。いろんな地域の被害の程度が気にかかる。 収穫前のわずかに生ったオリーブの実が落下するかと心配したが台風は南から北へ 我が家の前を横に通過して山梨のやまの方角へ抜けて行った。 信州の湖水地方で育った幼少時代、台風通過の朝は栗の実の収穫に心が躍ったものだ。 親から伝授された秘密の場所に行くと栗の実が沢山落ちていてイガの山に辟易しながら 目を輝かせた。くろまめさんの銀鏡のレポートに出てくるお料理名の”かしの実ギャー” が頭から離れない。ギャーというくらい美味しいのだろうか。 落下した朴葉のきれいなのは採集しておいて揚げ物や焼き魚の下に敷いたりしていたものだ。 かぼちゃの若葉もそんな風に利用していた記憶がある。母の知恵なのだろうか。 ジャカルタでもバナナの葉を同じように使っているのを見た。人の生活はどこの国でも共通点 があるのだろう。ただし自然が豊かな地域に限ったことだ。街中の暮らしと比較は出来ない。 今は石油製品などがどこの国でも人の役に立つが土に還らない不便さがある。 今朝拾った実は大きな袴つきのどんぐり一つだ。