そらまめの日記9


   大晦日 2012年12月31日

 何もしなくても時計は進み大晦日の夜がやってくる。人間以外の動物たちにとっては いつものように太陽が沈み、また明日太陽が昇るだけのことだが人間は無為に日々が過ぎて ゆくのを認めたくないのだろうか。
 先日、昔録画したVHSテープやMD,オーディオカセットテープを処分した。VHSテープ はその当時感動してテレビ番組を録画したものでタイトルを見ると甘酸っぱいような気分だ。今や このテープを再生する装置も少なくなってきた。Gコードが出た頃は新聞の番組欄の数字を入れれば 録画予約できるというので大いに感心したものだ。録画は画質が悪くなるのが当然だったが今は全く 画質がキープされる世の中だ。MDやカセットテープはおおかたオリジナルのCDがあり、それを カーステレオのためにダビングしたものなので捨てやすい。
 世の中の進歩のはやさに一種の警戒感を持ちながら、一方でそのテクノロジーを享受している。
今年も多くの創作する人々に出会いパワーを感じた一年だった。

   イヴの夜 2012年12月24日

久しぶりに高村光太郎の詩集を開いた。
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クリスマスの夜

わたしはマントにくるまって
冬の夜の郊外の空気に身うちを洗ひ
今日生まれたといふ人の事を心に描いて
思はず胸を張ってみぶるひした
−−−彼の誕生を喜び感謝する者がここにも居る
彼こそは根源の力、万軍の後楯(うしろだて)
彼はきびしいが又やさしい
しののめの様な女性のほのかな心が匂ひ
およそ男らしい気凛(きりん)がそびえる
此世で一番大切なものを一番むきに求めた人
人間の弱さを知り抜いていた人
人間の強くなり得る道を知っていた人
彼は自分のからだでその道を示した
天の火、彼
 
−−−彼の言葉は痛いところに皆触れる
けれども人に寛濶な自由と天真とを得させる
おのれを損ねずに伸びさせる
彼は今でもそこらに居るが
いつでもまぶしい程初めてだ
 
−−−多くの誘惑にあひながら私も
おのれの性来を洗ってきた
今彼を思ふのは力である
飽くまで泥にまみれた道に立たう
今でも此世には十字架が待っている
それを避けるものは死ぬ
わたしも行こう
彼の誕生を喜び感謝するものがここにも居る
 
闇の夜路を出はづれると
ぱっと明るい灯がさしてもう停車場
急に陽気な町のざわめきが四方に起り
家へ帰ってねる事を考へている無邪気な人達の中へ
勢のいい電車がお伽話の国からいち早く割り込んで来た


                高村光太郎

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   秋葉原  2012年12月22日

 今週は東京で飲み会が2回あり出かけた。2回目は早めに家を出て久しぶりに途中の秋葉原に立ち寄った。 以前から昔懐かしいゲルマニウムダイオードとクリスタルイヤホンが欲しかった。すぐに装置を組み立てる 予定はないが部品として手元に置いておきたいのだ。様変わりしてケータイとかパソコンとかフィギュアの 店が増えた街並みだが、昔ながらの部品屋さんが密集した路地があった。頭がぶつかりそうで通路も両手を 広げたぐらいの幅だ。部品の隙間には店のオヤジさんが座っていて特にアイコンタクトするわけでもない。 売れなくても良いし売れればなお良いといった表情だ。ゲルマニウムダイオードはありますかと問うと、 「無いが裏の何軒目かの何とかという店にあるかも知れないよ」となかなか親切だ。数種あるので、ゲルマ ニウムラジオに使うにはどれが良いかと訊ねると、1N60が良いという。@42円とのことで5個購入した。 クリスタルイヤホンを訊ねるとやはりどこどこの店にあるかも知れないと紹介してくれた。行ってみると 懐かしい大きな形のイヤホンがあった。でもセラミックイヤホンだとのこと。クリスタルイヤホンは現在は ほとんど流通していないらしい。互換性がありそうなので購入。真空管の専門店がありしばらく眺める。 小さい頃ラジオを分解して取り出した真空管の型名もあったが数千円の値札が付いていた。しばらくぶらぶら して路地を入ってゆくと基板から取り外した中古部品を集めたような店があった。そこに天井からボール紙 がぶら下がっていて、そこに30個ほどの輪ゴムだけが残っていた。クリスタルイヤホンを書かれていたので 以前はイヤホンがあったのだろう。こういう店は中年のサラリーマン風に人がのぞいているのだ。仕事を 離れて秋葉原の路地を歩くのは楽しいが、足が疲れてきて座る場所を探す自分に歳を感じた。家で大きな イヤホンを見た難聴気味の「くろまめ」は補聴器を買ってきてくれたと思ったらしい。

   昔の目薬  2012年12月13日

 先日、車で親戚を送迎をした。朝7時半に成田方面へスタート。フロントガラスの下のほうに霜の模様が 残っている。ボタンを押して外気温を確認すると1℃だが真正面から照らす朝日があっという間に車内を温める。 信号が見えにくいが太陽は大好きだ。サンバイザーを下さなくても座高の高い自分はちょっと背骨を伸ばせば顔を 陰にすることができるので都合が良い。東京の青山へは高速を使う。先日なおしたカーナビが大活躍。途中の トンネルではさすがに天井が気になった。見ると先日のトンネル事故で映し出されていたコンクリートの板が 天井にはまっていた。外苑あたりの住宅や日本青年館はオリンピックの選手村をつくるために取り壊されるとの こと。イチョウの葉は散っていた。外苑から高速で富里へ向かう。途中暗くなったが渋滞もなく快適。 走行220キロ。
 先日ギャラリー「いるる」を訪問。いつものことながら手作りの作家さん達と話していると元気になってくる。 女子たちはファッション談義、お互いの着ている衣装なども相互鑑賞の対象のようだ。男子はアッシー君、ミツグ君。 コーヒーを飲みながら世間話など。昔の道具集めに凝っている人が昔の目薬の容器を見つけたとのこと。昔の 目薬の容器は親指ほどの縦長でガラス製で固くペコペコできなかった。目薬の出る口の反対側にゴム製のボッチが あり、そこを押して目薬を出した。何十年かぶりに形を思い出し懐かしかった。またこれは知らなかったが、火鉢 の火をおこす道具でセラミックでできた卵形ものがあったそうだ。この卵には穴がいっぱい空いていて、炭をこの 卵の上に重ねて火をつけると空気が流れやすく火がつきやすいのだそうだ。旅館や料亭などで昔使われていたとの こと。面白く感心した。

   湿式DVDレンズクリーナー  2012年12月5日

 グリーンセンターに立ち寄るとヒヨコの鳴き声と時おり甲高いコケコッコーの声が聞こえてくる。近づいて みるとケージの中にヒヨコと親鳥の中間ぐらいの大きさの茶色の鶏が売られていた。体は大きくなって小さな 鶏冠まで出掛かっているのにまだヒヨコの鳴き声だ。オジサンや男の子がケージの周りに居た。ヒヨコや自転車 には我々オジサン世代には小さい頃に簡単には買ってもらえなかった複雑な思い出があるのだ。
 愛車のカーナビを1500円でなおした。以前は2回に1回起動していたが最近は10回に1回ほどしか起動 しなくなっていた。「ディスクを確認して下さい」のメッセージが出る。慣れない道には久しぶりに道路地図を 開くが老眼が進み字が小さい。それにカーナビの詳細な地図に慣れたせいか地図が大雑把に見える。インターネット で調べるとDVDのクリーニングで改善したというレポートもある。読取り用のレーザーが弱っているとすると クリーニングでは改善しないと思われる。DVDの地図も古いのでこの際新しいカーナビにしようかとの考えも 少しある。カーナビの販売店に行ってみると地図だけだと安いもので3万円ぐらいから20万円以上までいろいろだ。 でもまず手始めにレンズをクリーニングしてみようと思う。湿式と乾式があるが湿式のほうが汚れ落としには 強力そうなのでそれにする。1500円。DVDディスクの所定の場所に添付のクリーニング液をたらし装置に入れ 20秒。その後地図のDVDをいれたら一発で起動した。何度か試したが完治したようだ。めでたしめでたし。 地図はちょっと古いがしばらくはこのまま使うことになりそうだ。

   乾燥した空気  2012年11月25日

 朝、外気温を確認すると3℃ほどに下がってきた。日中は暖かい光が差し込んで暖房がいらないので助かる。 畑の雑草もそれほど伸びない。冬に備えて数日前にえんどう豆の脇に防寒用のササを立てた。クワをふるうこと のない日はゆっくりと黄色くなったイチョウを見上げたりする。道路の境界に植えたニラも小さな芽を出してきた。 広葉樹の落ち葉の赤から黄へのグラデーションが1枚1枚違う。サトイモの防寒に土と落ち葉を一緒に被せた。
 サツマイモを発泡スチロールの箱に入れて保存していたら箱の内側に結露していた。すぐにベランダに出して 乾燥させた。室内に置いていたカボチャが2個痛んでいた。残りのカボチャをすぐにベランダに出し、特にオシリ の部分に太陽の光をたっぷり当てた。蒸したサツマイモを干しておくとすぐに干しイモになり美味だ。生の サツマイモを切って干しておくと白く乾燥する。白干しというらしいが、どのように利用するかはまだ詳しくは 調べていない。農産物の加工の大好きな「くろまめ」はダイコンの割り干しや丸干しを嬉々として漬け込んでいる。
「五風十雨」というが雨が降れば種の芽吹きの助けになり嬉しいし、晴れて乾燥した空気の日は野菜も伸びるし 乾燥保存が進み一段と嬉しい。

   豆むき  2012年11月18日

 一円玉が落ちていても、しゃがめば消費するエネルギーを得るために一円以上かかるから拾わないという 笑い話を面白がったりしたものだ。今は目の前の黒豆のサヤから手作業で小さな豆まで取り出そうとしている 自分がいる。枝ごとカラカラに乾燥させて「安寿と厨子王」のシーンのようにムシロの上で叩くと真っ黒な豆 が飛び出してくるのが理想だが、今年は割合若いうちに収穫したので手作業だ。乾燥したサヤは自ら身を捩り 黒い豆を飛び出させている。無農薬なのでサヤの中には結構ムシがいる。大体2個の豆が入っているがご丁寧に 二つの豆の真ん中に居ることが多く両方の豆を少しずつつまみ食いしている。中には豆の中に頭を突っ込んで尻 を振り回している虫もいる。虫食いになる前に急いで取り出したくなるのだ。長い間作業をしていると腰も指先も 痛くなってくるが、やはり自分の畑で育ったと思うと小さな未熟そうな豆でも無駄にしたくない。人間の行動 原理は目先の個別の損得勘定では無いようだ。若い豆は大きくて紫色っぽかったが数時間干すと黒くなりしっかり した丸い形になった。

   元栓  2012年11月9日

 先日、ガス台と洗面所をリニューアルした。ガス台は3口で掃除しやすいガラストップというものらしい。 2口のもので十分と伝えると皆さんそう言われる方が多いのですが2口のものは生産量が少ないので割高に なるとのこと。鍋を置いておく「場所」にもなりそうなので3口にする。洗面所はシンクが大きくなり高さを 高くしてもらった。
 工事後、簡単な説明があった。ガス台の元栓が扉を開けた奥まった所に移動していた。「これまで元栓は 閉めていましたか」とのことなので「寝る前と外出時には閉めている」と応えると「最近のガス台は元栓は 閉めなくて良いです」とのこと。それでも心配で取扱説明書を読むと使用後は元栓を閉めたほうが「より安全」 とある。それはそうだろう。電器製品でも寝る前には機器のスイッチとテーブルタップのスイッチの両方を 切ってダブルで安全を確認する性格なのでなかなか納得がいかない。ガス台に「立ち消え安全装置」があると のことなので調べてみると炎がなくなると温度を感知してガスの弁を閉じるとのこと。しかも電池切れのときは バネの力で閉じる方向になるという。寝る前には炎が無いので安全そうだ。ガス台の中が「ダブル」で安全に なっているかは確認できないが現在の技術の進歩を信じることにして、日々の元栓閉めはしないことにした。

追記:とはいってもその後外出するときに元栓を閉めた。外で地震を感じたときはやはり安心感があった。
   ベランダの鉢に水をやるつもりが新しい洗面台なのでうっかりしてジョロにお湯が溜まっていた。
   気付かずにやってしまったが根っこが煮えていなければ良いが。    

   墓参り  2012年11月1日

 涼しくなったし平日で車も混まないようなので墓参りに出かける。車のETCカードの読取装置が外れて いたので、まずは接着剤で固定する。久しぶりにETCカードを挿入すると「高速道路を走行可能です」と 声が返ってきたので一安心。カーナビは近頃は作動しないことが多くなり「ディスクを確認してください」との メッセージが表示される。ディスクを抜き服でこすって何度か入れなおしてやっと正常になった。高速道路の 入口に向かっているのに全く見当違いの案内が流れる。横浜の墓地までの道は頭に入っているのでかまわず進む。 信号待ちで確認したら「一般道優先」になっていた。「有料道路優先」に設定しなおして解決。東関道から湾岸線 と順調に南下する。
 墓石に刻まれている戒名とか施主が風化で見えずらいので水で濡らして再確認した。良い天気でランドマークタワー が間近に見えた。カーナビの目的地を設定しなおして保土ヶ谷公園の側の「ハングリータイガー」へ。ここでランチ を食べるのを恒例としている。ランチ後、保土ヶ谷公園へ。若い頃にこの公園の近くの公団に住んでいた。建物は 新しく建替えられていたが、娘の初参りに行った杉山神社は元のままであり懐かしかった。子供がカタカタを使って はじめて歩いたり、自転車を乗れるようになったり、ひょうたんプールで泳いだり、原辰徳の出る高校野球を 保土ヶ谷球場に見に行ったり、思い出の多い公園だ。当時は無かった球場近くのカフェでお茶する。帰りはカーナビ の調子も良く一路帰宅。走行220キロであった。
 昼の墓参りの影響で、夜になってこれまでのご先祖さまたちを記録した書類のファイルを開いてみた。そして なにかコピーを作っておかないと大変との思いになり何十枚もスキャナーで電子化した。一安心。

   電車で外出  2012年10月26日

 所用があり電車で出かける。途中のスーパーの特定の丸い柱の内側を通るという「クセ」は相変わらずだ。 なるべく最短距離を通りたいという習性から始まったのだが今では「MUST」になっている。時おりこの柱の 内側にスーパーの出店が出ているときがあるが、この時は大変だ。狭い余りスペースを無理して通り抜ける。
 最近はあまり人込みの中に居ることは少なくなった。雑菌に対する耐性が弱っているかも知れない。電車 の中は久しぶりの人込みだ。近くで咳をする人がいれば5秒間は息を止めることにしている。何かの資料で 空気中に出た菌は5秒ほどで死滅すると読んだことがある。別の資料では30分は生きていると見たことが あるので当てにならない。3秒目ぐらいでまた別の人が咳をすると延長になるが、苦しくて目を白黒させる ことになる。ドアに近づくことが出来るときはドアの隙間から入ってくる新鮮な空気を吸いたくなる。多少の 菌であれば予防注射をするのと同じような効果はあるのだろう。近頃の若者はペットボトルを持ち歩き頻繁に 水を飲んでいるようであるが、これも繁殖しかかった喉の菌を洗うのには効果がありそうだ。
 危険なものといえば子供の遊び道具や大人の冒険など、少しでも危険があると取り除いたり禁止したりして しまう風潮はいかがなものかと思う。自己責任ということで許容しておかないと、のっぺらぼうな最大公約数 的なコストのかかる世の中になってしまうのではないだろうか。とはいってもプラスチックの容器に食品を 入れて昔はホチキスで止めていたものだが危険ということで、プラスチックに凸と凹を作りホックのように 止めるように変わったのは、世の中はこのように変化してゆくのかと感心したものである。
 ターミナル駅などで行き交うたくさんの人を久しぶりに見た。気温が下がったせいかのんびり歩いている 人はいない。サラリーマンは客とのトラブルか社内の人間関係か、大概は沈み込んだような顔をしている。 高校生たちがたむろしている姿は数が増えるほどに低脳化している。若い女の屈託の無い笑いが一番だ。 久々にいろいろな人々を見て自分の頭の中が再スタートした。

   車のドアが開かない 2012年10月21日

 畑の様子を見に行く。ニンニク、カラシ菜、エンドウ、ジャガイモなどが新たに芽を出していた。 帰ろうとして車のドアを開けようとするが開かない。見るとシートベルトを挟み込んでいて1センチ ほどの半ドア状態だ。助手席から入りシートベルトを引っ張ってみたが金具の部分も巻き込んでいて ビクともしない。一旦家に帰りKURE-556のスプレーを持ち、いつもの景色の良い「休憩ポイント」へ。 KURE-556は錆びたネジやすべりが悪くなって音の出るサッシのレールに効果があったので、シートベルト も滑りやすくなって抜けるのではと思ったが全く効果なし。久しぶりに車の後部にある工具を開き ドライバーや六角レンチのようなものでこじ開けようとしたがベルトはビクとも動かない。ロードサービス を呼ぶことにした。天気が良いので気持ちが良い。釣り人の様子や白鳥の親子の様子を眺め退屈しない。 オペレータに近くに大きな目印になるような建物は有りませんかと聞かれるが「休憩ポイント」は 見晴らしが良い場所なので3キロ四方に建物は無い。幸い橋に名前が刻まれていたので伝える。40分 ほどでレッカー車がやってきた。運転していたオジサンがビクともしないドアをみてお手上げのような 顔になる。やはりレッカー車で運ばれて代車という大事になるのかなと思っていると、オジサンが ドアを外から強くドンドンと3回ほど押したらなおった。自分は外から押すとますます挟み込むと思い、 ドライバーを使って外にこじ開けようとしていたので逆転の発想であった。オジサンと二人で喜んだ。 あまりに簡単に終わったのでしばらく世間話。作業が30分以内なので「点検」ということで無料とのこと。 ドアの内側の見えないところに私のドライバーの跡で傷になっていたが後でさび止めでも塗っておこう。 今までもシートベルトを挟んだことはあったが今回は金具も巻き込み重症であった。気をつけよう。

   変わるもの変わらぬもの 2012年10月12日

 シャツの裾をズボンの内側に入れるか外側に出すか。これは良く言われている世代間の違いの 典型であるが私の友人は娘さんと外を歩くときにシャツを外に出してと必ず言われるとのこと。 お父さんの世代では外に出すのはダラシナイと言われて育ってきているのだ。ちょっと困る。
 ニュースや気象情報に出る風の向きを表す矢印の方向は「北の風」の場合に近頃は矢印の方向が 南を向いているが、昔からは北の方向に矢印が向いていた。気象庁が変えたのを自分が気付いていない だけなのか現在も矢印の方向が混在しているようにも思える。
 幼児のオモチャの電話機が「ケータイ」になっていた。以前のオモチャは床に置くタイプでダイヤルを 回せるものだった。そして受話器を取るとカールしたコードが伸びるのが面白かったものだが「ケータイ」 はシンプルだ。あまりにもシンプルなので必要の無いアンテナをちょっと付けてみたり工夫のあとが見られる。 スマートフォンになって押しボタンもないただの直方体になってしまえば面白みもなくなってしまう。 テレビの字幕に出る電話がかかってきたことを表すマークも「ケータイ」になっていた。
 世の中の変化がはや過ぎて「百科事典」は陳腐化してしまった。私が若い頃は百科事典の売り込みが結構あった。 家の中に百科事典をずらっと並べておくことがステータスシンボルのような時代もあった。輸入電子機器の 分厚い取扱説明書の英文を和訳しても完了する頃は次の製品に変わってしまっているので意味が無くなっていた。

 昨日は友人に誘われて松戸までシャンソンを聴きに行った。何人かの歌手たちがそれぞれの個性で歌う男と女の 愛の歌。歌としては昔から変わらない普遍的なテーマだ。愛と恋だけが歌うべきテーマであってその他の事柄は 事務的に進めるべきものなのかも知れない。愛と恋の歌は永遠のテーマで陳腐化しない。コンサートの後は 居酒屋で懇親会だ。色々な分野で活躍してきた人たちの話を聞くのは楽しい。互いにパワーを貰いあう。濃縮された 時間をビールと焼酎「一刻者」がさらに濃くする。ステージで歌った人たちも何人か顔を出す。再会を約束して 終電で帰宅した。

   宮崎への帰省 2012年9月28日

 宮崎まで新幹線で帰るというと不思議がられる。時間もかかる、料金も高い。でも地面に繋がって 移動したい。現役中は相当な数の海外出張をしたが飛行機の車輪が滑走路に着くと心の中で拍手した ものだ。「のぞみ」で小倉まで5時間ほど、日豊本線の特急に乗り換えて宮崎まで5時間ほど。 車窓からは彼岸花が並んで咲いているのが見える。畑の野菜の出来具合などを見ていると飽きない。 相撲の仕切りの時間も昔は長いと感じていたが歳をとったこのごろはちょうど良く感じる。
 宮崎駅でピックアップしてもらい親戚の家に到着。屋根の上に太陽電池のパネルが乗っていて キッチンや風呂は電化されている。発電量と消費量をグラフで見ることができ楽しみにしている ようだ。BOSEのスピーカーからは白神山地のキツツキ、雷鳴、雨など自然の音が流れている。 手作りの料理を食べながら乾杯。
 翌日は銀鏡に向かう。午後はイノシシ対策の網張りを手伝う。20キロもある鉄の棒で穴を開け 一定間隔で棒を差してゆく。石垣の側なので石にぶつからないところを捜しで深い穴を開ける。 鉄棒には妻の曽祖父の名前が刻まれている。束ねてある網の上下に紐を通して展開するのであるが 通し忘れがあったり絡まったりして、この辺に相当時間をとられた。網は下にずらして地面に 弛ましておく。こうしておくとイノシシは近付いても足が絡まるので嫌がるのだそうだ。
 翌日は神社で祖霊祭があり側で神楽が舞われている。集会所では「銀鏡神楽」出版記念祝賀会が とりおこなわれる。テーブルには大きな弁当が並んでいて期待する。挨拶、表彰の後に乾杯。 ビールと焼酎が配られる。弁当の中は手作りの豪華な料理だ。思わずビールを飲んだが向かいの席 には来賓の駐在所の警察官が座っていた。車の運転があるのでノンアルコールに切り替えた。
 二部の地元芸能と浜砂伴海のライブの前に会場作りのための休憩となった。われわれは道の駅の 柚子製品をまとめて買って発送した。
 地元芸能、伴海さんの歌声に感動。オヒネリも飛び交っていた。
 夜は家にお客様があり、昼間のビデオを見ながら牛飼い、消防団、剣道大会の話がはずんだ。
翌日はバーベキューの日だ。午前は初日に張ったイノシシ網の仕上げだ。突破されそうな場所を補強 して耕運機の出入り用の扉の仕組みを作る。午後は木陰で炭をおこしシートを敷く。宮崎牛や干物、 ピーマン、タマネギ、トウモロコシ、カボチャ、サツマイモなど。ムカゴは細い針金に通して焼くと 旨いとのことであるが針金が見つからない。クリーニングのハンガーのビニールを剥いてムカゴを とおした。夜は相撲の千秋楽を観戦。イノシシ狩りや猟銃の話を聞かせてもらった。
 翌日、銀鏡を後にして宮崎に向かう。夜は久しぶりに会う親戚も合流して宴会。武昭さんの 広沢虎造節や旅芸人風の踊りに大いに盛り上がった。
 翌日はフェニックス自然動物園へ。途中、近くの神社、2社を参拝する。お賽銭の100円玉を くろまめと二人でつまんで賽銭箱に入れる。二礼二拍一礼が普通であるが四礼八拍四礼との張り紙 があったのでそのとおりにした。動物園は日が強かったが日陰は涼しかった。亀に鯵の頭をあげていた。 頻度を聞くと1日3回あげると3回食べるが1週間に一度でも良いとのこと。要は腹が減ったら動かな いようにして調整しているようだ。チンパンジーが道具を使う実演がありますとのアナウンスで行って みる。飼育員が果物をあげたあとヨーグルトをあげる。ヨーグルトの容器は小さな穴が開いている だけだがチンパンジーは機用に木の枝を差し込んで舐めている。枝の先を潰して繊維を広げヨーグルト をより多く含ませるようにしているものもあり感心する。
 翌日は宮崎駅より特急に乗り小倉で「のぞみ」に乗り換え一路帰宅の旅であった。  

   虫の声 2012年9月13日

 稲刈り後のモミでも燃やしているのだろうか。このところ煙の匂いが風に乗って漂ってくる。 残暑の時期ではあるが澄んだ空気を通って到達した日の光はむしろ暑く感じる。時折降る雨で 畑の作物も一喜一憂だ。丹波の黒豆は薄紫の小さな花の後に毛深い豆のサヤを付けはじめた。 密集した細かい毛の役目は雨などの余分な水分をはじいたり小さな虫の口が届かないように守る ためなのか、夜霧を溜めて干からびないようにするためなのか、良く分からない。進化の過程で 獲得した特徴を人間の都合の良いように品種改良するのは生物にとっては迷惑なことだろう。 虫から自分を守るためのトゲや固い表皮、酸っぱさを、人間が食べやすいように柔らかく甘くして いるのではないだろうか。豆のひとつのサヤに収まっている豆の数も地上に落ちて芽を出して 生き延びてゆくためのフェイルセーフを考えて最小限の数になっているらしい。収穫量を多く するために豆の数も多くなるように品種改良しているに違いない。無農薬の家庭菜園主としては 虫に強い原種に近いものがありがたいが、農家の方々は農薬と肥料とセットになった品種改良された 多収穫のものが良いのだろう。
 例年、この時期になると夜、車を走らせながら虫の声を聞くのが楽しみだ。途切れなく続く虫の 声だがやはり公園の側や緑地の側は声がにぎやかだ。同じ種類らしくても声の高いものや低いものが いるようだ。羽をすり合せて音を出しているのだから体の大きい虫は低め、小さいと高めかなと思った がドップラー効果も考えられるなと思った。救急車のピーポーが近づいてくるときは高め、去っていく ときは低めに聞こえるアレだ。車が走っているのだから有り得そうだ。
 夜、網戸を開けているといろいろな虫が飛び込んでくる。そのときはガラス瓶が活躍する。壁に へばりついているところへガラス瓶をそっと被せる。次に薄い紙を壁とガラス瓶の間にそっと差し込む。 虫はちゃんと足を上げてくれる。ベランダに出て網戸を閉めてから紙の蓋を取る。大概の虫は この方法で平和的に自然に戻っていく。双方ハッピー。  

   雨が降った 2012年9月1日

 久しぶりの雨だ。朝から湿気をたっぷり含んだ黒い雲が南東の方角から流れてくる。普段は北西方面より 雲が流れてくるが、この数日は南東の方角だ。遠くの景色で雲の下は雨が降っているようだ。そのうち 外から水の匂いが漂ってきた。雨が降っている。皆で歓声をあげる。乾季のアフリカの動物たちが雨の降って いる方角を匂いで感じて移動すると聞くが、このような感覚だろうか。畑にはもっとたっぷり降って欲しい。
 おとといの未明、布団の中で初めて「地鳴り」を聞いた。地の底から響くゴーーーという音。瞬間的に こういうときは大きな地震がくると思った4秒ほど後に地震で揺れだした。布団の中で考えた。地震は秒速 数キロメートルで伝わるが音は秒速で数百メートルだ。音のほうがかなり遅い。地震の前に音が届くことが あるのだろうか。ニュースによると東北の方で強い地震があったらしい。
 今朝の未明は夢うつつの中「非常ベル」の鳴り続ける音で目が覚めた。防災の日だが、まさか真夜中に訓練 は無いだろう。起きて確認すると隣の棟のほうから聞こえてくる。しばらくして消防自動車のサイレンが近づい てくる。ちょっと遅れて応援の消防自動車や救急車がやってきた。煙も見えたが幸いボヤで済んだらしい。
 昨日は畑に水をやりに行った。サトイモの外側の葉が水不足で黄色くなって垂れていた。水をやると土が ぐんぐん水を吸い込む。アマガエルたちも雨を待ちかねているようだ。蚊も水分不足なのかまつわりつく。
 9月が始まった。コオロギの元気な声が聞こえる。

   秋の気配 2012年8月27日

朝の空気に秋を感じる。何か乾燥したようなキリッとした感覚だ。窓から見える田んぼの稲は黄色く 実り始め、朝の空気を伝わって甘粉っぽい香りが漂ってくる。
 夕方6時頃の空の明るさがひところより大分暗くなってきた。夏至の日からも2ヶ月ほど経った。 蝉の鳴き声の変化にも時の移ろいを感じる。日中は家の中で暑さをやり過ごしていたらしい、よちよち歩きの 幼児とおばあさんらしき人が玄関先の植木の傍で涼んでいる。積乱雲の夕焼けは相変わらず空の端のほうだ が天頂には秋らしい巻雲がやはり夕焼け色に染まっている。
ドライブの帰り道、ボタンを押して外気温を表示させてみる。夕方7時頃、街の中ではアスファルトの 照り返しもあるのか32.5℃であったが、大きな国道から田舎の国道に入った頃は31.5℃、さらに進み片道 一車線の緑の多い道路では30.5℃、家に着いたときには29℃になっていた。30分ほどで3.5℃も下がった。 都会は暑く田舎は涼しいことを改めて実感した。
 「五風十雨」という言葉があるらしい。5日ごとに風が吹き10日ごとに雨が降れば世の中が平穏無事 であることの例えらしい。雑草はそれでも枯れた色をしているのはほとんど見ない。カエル達の声も元気 が無さそうに感じる。ひと雨欲しい。そして畑の土の中に雨がたっぷりしみ込んでゆく光景を想像しながら 涼しい夜を過ごしたいものだ。

   猛暑 2012年8月23日

 猛暑と日照りが続いている。入道雲も遠く地平線あたりで湧いているので雨の期待ができない。 グリーンセンターに肥料を買いに行く。さすがに暑さで人が少ない。日ごろ暑さに強いのを自認している のだが体中の毛細血管が拡張して頭に血液が回らなくなるような感覚で早々に引きあげた。
 先日は2Fのレストランで食事をしていたら激しい雨になった。周辺の気温が一気に下がった。これで 家や畑の周辺が降っていなかったら笑い話と思いながら帰りの車を走らせると道路がだんだん乾いてゆく。 結局、帰り道の中ほどで景色は完全に乾いていた。残念!
 畑のキュウリは乾燥で元気がないがミニトマトはいっぱい収穫できる。タンクに水を汲んで撒くが 追いつかない。野菜の根元にちょろちょろとやるので蒸し煮になってしまうのではと心配になる。水を あげれない野菜が恨めしそうにこちらを見ているような気がする。ミニトマトは主にパスタのソースに なるが余ったものはミキサーで細かくして塩・コショウを少しふりかけてジュースにして飲んでいる。
 先日、以前良く通っていたスーパーに立ち寄った。近くに喫茶店があったので入った。コーヒーをたのむと、 懐かしい、小さな親指の爪ほどの大きさの銀色の器にミルクが入れられて出てきた。最近は既製品のコーヒー フレッシュ(?)を出す店が多いので珍しい。普段はブラックで飲むが、せっかくなので残り3割ほどの コーヒーに入れて飲んだ。しつこくない味で良かった。窓からはスーパーの裏口が見えていた。ここに越して きた30年ほど前には良くこの裏口を使ったものだったが今は出入りできないようになっていた。店の名前も 変わった。当時は車が無くて、大きなスイカを買って15分ぐらい歩いて持ち帰ったものだ。今はそのような パワーは無い。
 時が流れたらしい。

   排水ホースの修理 2012年7月29日

 雨が降らない。普段は畑に水を撒いていないが、さすがに種を蒔いた畝を中心に水を撒いた。 古株の野菜は地中に根を張っているので大丈夫そうだ。夕方になると北西の方向に入道雲がモクモク しているので期待するが、こちらにくるまでに力尽きてしまうようだ。天気予報で北関東は雷雨の 「恐れ」などと言っているが日照りで雨乞いをしているようなときでもやっぱり「恐れ」という表現 は変えないだろうか。
 暑さで我が家の天然水の消費が増えている。アイスクリームを食べても食べている最中は良いが 後味が甘ったるくて最後は冷たい水を飲んで口の中をスッキリさせることになる。バナナの皮をむいて 冷凍庫に入れておけば夏のおやつに良い。あまり甘ったるくないので水を飲まなくても大丈夫だ。 天然水といえば水源の地下水が減っているので冬の間に田んぼに水を入れて地下水を確保して飲料水 にも使用しているらしい。ついドジョウのうんことかカエルのおしっこなどどうなるのかと連想して しまう。土のろ過作用は予想以上のものがあるみたいだが、やはり高い山に降った雨が自然の中で ろ過された水と思いながら飲みたいものだ。
 窓からの眺めが田んぼで近くに建物が無い我が家は風通しが良く普段は滅多にエアコンを使わない。 この暑さで天気予報でも「適切にエアコンを使用するように」とのことであるので最近は使っている。 ベランダに引き出されている排水ホースが紫外線の永年の照射でボロボロになり穴が開き水が漏れて、 風が吹くと水が飛び散っていた。ホースを継ぎ足す応急処置で済まそうと思ったがホースのボロボロは 重症で結局室内のジョイント部までさかのぼった。インターネットで調べるとジョイント部の写真が 出てきてジョイント部は外れにくいことがあるので、そのときは暖めてみましょうとある。ドライヤー で暖めても外れる様子がない。KURE556を吹きかけてみたが効果なし。それでは売っているホースを 見てみるのがはやいと思いホームセンターへ。ありましたホースが。4mのホースを手にして係員に ジョイント部の外し方を尋ねると、「そこは外れません」とのこと。相手側のホースの太さに合わ せてカットして差し込むとのこと。なるほど。排水ホース+配管+電線をグルグル巻きにしていた幅広テープ もボロボロになっていた。それらしきテープも傍にあったので見ると、粘着無しと書いてある。テープは粘着 するものと思い込んでいるので粘着タイプはありますかと係員に聞くと「皆、粘着無しですよ」と言う。 どうやって固定するのか??。係員が「包帯みたいなものです。端を粘着性のある電工テープで固定します」 とのこと。なるほど。パテも併せて購入した。帰ると仮処置として室内に排水するようにしておいた ポリバケツに三分の二ほど水が溜まっていた。こんなにも空気中に水分があるのに驚く。早速、ジョイント 部をカット、差し込み、テープを巻き、パテで穴を塞ぎ作業完了。試運転で排水ホースの先から水が 出るのを確認。腸の手術をした人がガスが出たといって喜ぶ様子を想像した。

   夢うつつ 2012年7月14日

 夜中には一旦おさまっていた雨嵐は明け方には復活しているようだ。地元の花火がドンドーン と上がる。何か催し物が企画されているのか。この雨の中、間違いだろうと思っていたがその後 何度も上がった。
 布団の中で、もうろうとしたまま、今まで見ていた夢を反芻した。自分はオフィスに居てお客と 電話対応していた。今日は二人の男がランチ送別会をやってくれるというのだ。電話対応が長引き 5分ほど遅れて2−3分先にあるビルに到着。1Fのロビーに知り合いが二人、たまたま居た。 エレベータに乗り2Fへ到着。戸を開けると座敷の広間。いそいで知り合いを捜す。いた。すまん、 すまん、と言いながら席に着く。と周りの人たちが良かった良かったといいながら食事をしていな くて待っていた様子。周りをよく見ると知っている人たちだ。なんとサプライズの送別会だった。 私は立って「涙もろいので泣くと思います」などと言いながらもう目には感激の涙であった。
 布団の中で考えた。この夢のサプライズのシナリオを考えたのは自分の頭に違いない。その 自分が50人の送別会とは知らずに驚いて感激したという不思議。頭の中はどうなっているのだろう。 夢の内容はいつも奇想天外で本人の知らない別個のシナリオライターが居るようにいつも思っていた。
 このような夢は起き上がると圧倒的な現実の世界の中であっという間に消えてしまうことは過去 の経験上確実だ。私は忘れないように、あらすじを頭の中で5回ほど繰り返し、起き上がった。 普段はすぐにトイレに行くのであるが、それをやめてメモ用紙を引っ張り出しあらすじを書き出した。
 枕元にメモ用紙を置いておくと面白い小説が書けそうだ。風で家の中に取り込んでいるアサガオの ツルが伸びている。横向きの輪に絡ませているが学習して横向きに自ら巻き付くことは無いようだ。 上に上に伸びようとするのを人が巻き付ける。今朝はちょうど縦の支柱のところに到達して喜んで 縦巻きになっている。

   「いるる」にて 2012年7月7日

 「いるる」に出かける。珍しい装飾品、衣服、置物、生地などがアレンジされていて見るのが 楽しみだが、そこに集まる「モノを作る人たち」と会話できるのがもっと楽しい。装飾品のデザイン とサルサダンスを踊る母娘、ニューヨークでの展示会のあとポルトガル、スペイン、スイスなど 1ヶ月の旅行をしたとのこと。ロンドンではオリンピックのために宿やレンタカーがとりにくかった らしい。タイに住んでいてモンゴルでボランティアをやっておられる方。イベントのデザインや コーディネイトをやっている奥さんと、試作の手伝いをしているご主人。「風土記」の「天真さん」 とは以前笠間のアトリエを訪問させていただいた。家を一人で作り上げ、服をデザインしてタイで 縫製させている。車の後ろに商品運搬・陳列用の「自作の家」を乗っけている。しばらく皆で外に 出て車の機能の説明を受け感心した。「いるる」のご主人の「男の隠れ家」もだんだん工具が多く なってきた。
 話が面白くて、つい長居してしまう。皆さんのポジティブなエネルギーを感じてアドレナリンが 増加したような気持ちで帰ってくるのである。

   ビールのつまみ 2012年7月5日

 夏本番。畑にいると日差しが強く木陰にはいり涼しい風に一息つく。小指の爪ほどの大きさの アマガエルが飛び跳ねる。カボチャはグングン伸びラッキョウの上に覆いかぶさる。ラッキョウを 掘ってみるが玉が小さい。地上部が枯れ始めているのでこれ以上大きくなることは期待できないと 思う。ベランダのアサガオが順調にツルを伸ばしてきた。行灯仕立ての横の支柱に絡ませようと 巻きつけたが、どうもお気に召さないようで自ら解いてしまう。自分の首を傾げつつ良く見ると 巻き付け方が逆だった。正しく巻いてやるとやっと落ち着いたようだ。ポトスを植え替えた。 昔懐かしい「ヘゴ」を買い求めたが今は椰子の繊維を固めたようなものしかないようだ。調べると 「ヘゴ」はワイントン条約で保護の対象となっていて輸入できないようだ。
 暑い一日が終わり日が沈むと風が涼しくなる。蚊はいないが蚊取り線香をお香替わりに焚く。 くろまめの調理した畑の野菜が食卓に並ぶ。キュウリの側に九州の麦味噌が並ぶ。インゲンは茹でて 生姜醤油で食す。カブ、セロリと人参の甘酢漬けはピクルス風味で歯ざわりが良い。カレーはカレー 用の肉が無かったのでステーキ用の肉を細かくしてニンニクに漬けておいた。ジャガイモやタマネギ は畑の作物だ。頂き物のいつもより高級なビールを飲む。「至福」という言葉が頭に浮かぶ。 2本目のビールはいつものビールにしてみた。高級ビールを後にしたほうが良かった。  

   ベランダのグリーンたち 2012年6月12日

 入梅とのことで今日は雨。植物にとっては恵みの季節である。畑の野菜の生長も盛んだ。数日前に ベランダのプランターの土を入れ替えた。植木鉢の植物たちはそれなりに育っているがプランターの 植物が元気がない。枯れてくるものもある。昨年、野菜の苗を育てようと畑の土を入れたのが良くな かったようだ。土の粒子が細かすぎてプランターの底のほうで固くなっていた。水はけが悪くなると 通気性が悪くなり土の中に新しい空気が入らないと根が窒息し根ぐされを起こすとのことである。畑で 良い土がプランターでも良いとは言えないようだ。大量の古い土は畑に帰し、購入した新しい土を入れた。 さっそく「じょうろ」で水をやる。底から水が流れ出る。水はけが良くなった。保水性も良さそうだ。 水はけと保水性は両立しないと思っていたが目の前のプランターを見て両立することを実感した。ちょうど 羽毛布団のようなものだと思う。ビニールシートと違い通気性はあるが羽毛の間にたっぷりと空気を含んで いるようなものと思う。
 長い間暮らしていると植物の種類が増えてくる。あらためてベランダの住人たちをリストアップしてみた。 マンゴー(種から芽がでたもの)、ライチ(伊豆の旅行で朝食に出た)、サボテンたち(時々きれいな花が 咲く)、アジサイ(頂き物)、沈丁花(来年に向け充電中)、イチョウ(ギンナンから芽がでた)、 コーヒー(発芽待機中)、アスター(種をもらって発芽中)、ペチュニア(毎年咲きます)、カラー (葉が伸びてきた)、クンシラン(要植替え)、ミニバラ(頂き物)、カーネーション(頂き物)、 デージー(原種)、コスモス(昨年のこぼれ種から)、斑入りオオバコ(頂き物)、アリッサム(香りが良い)、 シバザクラ(今年は終わり)、ビオラ(元気がない)、クチナシ(咲き始めた、良い香り)、スイトピー (種が成熟してきた)、万願寺トウガラシ(頂き物)、ポトス(部屋の中のものを挿し穂)、 ワイルドストロベリー(リハビリ中)、ハーブ類はオレガノ、コモンセージ、バジル、ローマンカモミール、 ローズマリー、パセリ、スペアミント、タイムなど。
 ハーブの生長に追われて料理のレシピを調べている。「牛に引かれて善光寺参り」ならぬ「ハーブに追わ れてレシピしらべ」。ちょっと意味が違うかも。

   金星の太陽面通過 2012年6月6日

 珍しい金星の太陽面通過があるとのことだがあいにくの雨。外出予定ではあるが天気予報では午後には 曇りになりそうとのこと。レスキューシートはかさばるのでA4サイズほどに切り取りバッグに入れて出か ける。昼過ぎに遠くの空に青空が見え隠れしたが結局見ることはできなかった。残念。
 自然現象といえば動物の世界では「縄張り争い」はアフリカの動物、カエル、虫そして魚の世界まで普通 に行われている。縄張りに侵入したオスは追いかけられれば元の居場所に戻ればよいのであるが、死活問題 の場合もある。動物の番組で氷の下のアザラシの縄張り争いをやっていた。厚い氷に作られた数少ない空気穴。 強いアザラシがこの空気穴を独り占めしようと陣取る。水の中の弱いオスは空気を吸おうとして近づいても 追い払われてしまう。逃げればOKとはいかない厳しい縄張り争いだ。水の苦手な私は想像しただけで息苦しく なってしまう。
 外出から帰ると90歳の母が納戸からレスキューシートを引っ張り出していた。ベランダから金星を眺め ようとしたとのこと。

   金環日食の日 2012年5月21日

 朝6時過ぎに起床。空を見ると雲はかかっているが太陽の位置はわかる。早速、レスキューシート ごしに見ると何とかなりそうだ。カメラを三脚にセット。レンズをレスキューシートで覆いモニター 画面で太陽をとらえる。家族が起きてきてシートの端で太陽をのぞき歓声をあげる。7時41分に 金環になった。

 


   日食メガネ 2012年5月16日

 来週21日は金環日食だ。小さい頃に学校の校庭で色の濃い「下敷き」ごしに観察した記憶がある。 報道では目を悪くするということで推奨はしていないようだがクラシックにガラス板にローソクのスス をいぶしてやってみたくなった。ガラス板や下敷きを捜して店をぶらついてみたがやはり適当なものが 見当たらない。最近の子供たちは下敷きというものを使わないのだろうか。専用メガネが950円ほど で売られていたが通過する。家に戻りふと顕微鏡セットを思い出した。開いてみるとプレパラート用の 予備のガラス板があった。さっそくローソクでいぶし夕日で確認した。ススが薄くて見え過ぎの部分と 濃くて見えない部分まで段階があってかえって都合が良い。まあ観察には使えそうだ。そういえば 専用日食メガネにはアルミホイルのようなものが使われていた。キッチンのアルミホイルで試すと厚過ぎ て何も見えない。ここでちょっと前に購入した「レスキューシート」があることに気づいた。アルミっぽい が薄そうだ。さっそく試してみるとバッチリ。光が強いときには折って2枚にしたり加減ができる。大きい のでゆったり観察できる。採用。あとは当日晴れるのを祈るばかりだ。

  タケノコ 2012年5月1日

 毎年訪れている吉高の「峠の茶屋」に出かける。ここは我が家では通称「青テント」と呼んでいて筍 の季節だけに現れる仮設の店だ。桜の時期は車で入れないので毎年5月の連休に行くことにしている。 予定どおり交通整理の警備員がいない。畑の中の道を走る。世間から隔離されたような平和な光景だ。茶屋に 近づくが青いテントが見えてこない。様子が違う。骨組みの太い竹が積んであった。貼紙があり 「4月22日で閉店しました。店主」」とある。裏の竹林にご主人らしき姿が見え、こちらに近づいて きた。放射能の影響で役所の指導があり九州産の筍を使って店をやっていたが早めに閉店したとのこと。 帰ろうとすると「良かったら筍を持って帰ってください」とのこと。大きな筍を掘り出してくれたので、 ありがたく頂戴した。ご主人の須藤さんはEM菌の培養にも力を入れておられて培養している小屋も案内 してくれた。温度管理された小屋の中にはEM菌の入ったポリタンクが幾つか置かれていた。須藤さんは 野菜にこれを与えて苦味のない甘い野菜は子供たちにも人気だとのこと。虫も発生せず、苦味があっても良い 野菜はニガウリだけと笑っておられた。吉高の大桜にも与えていて効果がでているとのこと。
 大桜は花が終わって葉桜になっていた。小さなサクランボがぶら下がり、紫のダイコンの花が咲いている。 農作業のオジサンに声をかけ世間話をしていたら緑の大麦の穂を何本か切ってくれた。ありがたく頂戴する。 帰る途中の「オソロク倶楽部」でイタリアンのランチ。曇っていたがあたたかいので外のテラスで食べる。 周りの庭にはハーブや珍しい花があり鳥の鳴き声が聞こえてくる。
 帰りがけに花屋さんに寄って大麦の穂に添える花を購入。帰って早速、筍を茹でた。

  桜・満開 2012年4月12日

 天気良し。壁の温度計を見ると室内より外の気温のほうが高い。空気を入れ替えても寒くない。窓から 見える桜の木は満開のようだ。数日前に7分咲きだった「今井の桜」であるが今日は満開に違いない。 出かけることにした。途中、スーパーで弁当とお茶を仕入れる。菜の花の黄色がきれいだ。モクレンも 咲いている。道端の小さな畑でおばあさんが何かを植えている。小さな2mばかりの畝であるが棒に巻いた 紐を伸ばして直線上に植えている。桜はほぼ満開。ハラハラと花びらが水面に落ちる。水路の脇の狭い 草の上にシートを広げる。平坦ではなく狭いが花見気分になれる。提灯やイカ焼きの屋台もなく全く 自然そのものだ。空の上のほうから雲雀の鳴き声が聞こえる。
 35年ほど昔の今頃4月、ブルガリアに出張していた。ソフィアと隣村のボテフグラードを行き来して いたがプラムの白い花が満開だった。家々ではプラム酒を作っていてご馳走になった。香りの良い蒸留酒 でアルコール度は強い。温室栽培が普及していないので生野菜は貴重。ビン詰めの野菜がよく食卓にあが った。村に行くと馬が引く荷台に数人の農民風な兵隊が並んで足をぶらぶらさせていた。屯田兵みたいな ものらしい。ソフィア市内の道端には体重を計ってお金を貰う人がいて田舎から出て来たような人が体重 を計っていた。桜の季節になると満開の白い花のブルガリアを思い出す。
春と桜を満喫して一旦停止の交差点に差し掛かった。数年前にパトカーに捕まって罰金になった場所だ。 まさかまた居ないよな〜と思いながら脇道の奥を見たらパトカーが隠れていた。あぶなかった。停止して ゆっくり五つ数えてアクセルを踏んだ。  

  祝・卒寿 2012年4月8日

 昨日7日は私の母と私の姉のお姑さんの卒寿の宴だった。ダブル卒寿の記念に浜砂伴海さんの《歌Deli》 をお願いした。場所は「ももとせ」。前日、久しぶりに洗車、ワックスし見られても恥ずかしくないように 磨いた。夜には「ももとせ・デ・シャンソン」のビラを作成、印刷。くろまめはウェルカムボードを水彩画 で、また筆で習字紙の巻物を使って横断幕を作成した。
 当日、道路わきの桜は3分咲きといったところだろうか。春らしい陽気だ。駅で伴海さん、ピアニスト、 音響の3名をピックアップ。スピーカーは大物であったが普段積んでいたりんご箱とクワ、スコップなどを おろしていたのでスペースに問題なし。横断幕を貼り椅子を並べ進行の仕方を打ち合わせ着々と準備は進む。 西都の友人から送ってもらったスイトピーが会場(サロン)のテーブルに生けられていた。奥の窓際には前 日に山から切ってきたという大きなヤブツバキが生けられていた。ピアノは調律したばかり。音響の方は画 面のグラフを見ながら音質を調整する。部屋の大きさ、床の材質、壁の材質またマイクの性能によって変る 音質を最適にするとのこと。
 30名ほどの聴衆となった。シャンソンや日本の歌、こちらからのリクエストも織り交ぜてくれて生の演奏 を堪能した。途中花束贈呈タイム。

 

コンサート終了後は2階のダイニングで打ち上げ。手作りの料理にワイン、ウィスキー、ビールが並ぶ。 私は送迎役に徹することにしているのでノンアルコールビールを飲む。家庭菜園の先輩方から肥料の使い方 や鳥、害虫の退治法など貴重な話を聞くことができた。堆肥は酪農農家にトラックでもらいに行くらしく トラックの荷台のヘリに壁を立てて山盛りにして2000円支払うとのこと。

 

宴の最中にネギやキャベツをとりに行ってくれた。10分ほど前まで畑にあった無農薬、有機栽培の 生キャベツの味は素晴らしかった。自分の畑で採れた落花生を使った「ピーナツ八丁味噌」は適度な甘さと コクがあった。ワイン、ウィスキーを横目で見ながら、ひたすらノンアルコールビールを飲んだ。 アルコールは0%のはずであるが雰囲気に酔いやすい性格のせいか結構頭がぼーっとするものだ。

 

6時からは予約してあった近くの和食屋さんへ移動。私はピストンで送迎。伴海さん達にも最後まで お付き合いいただいて楽しいお酒の席になった。

  竹 2012年3月31日

 寒冷前線の通過で風が強い。「いるる」にて稲垣尚友氏の「竹」についてのトークがあるので出かける。 途中の道路には風で飛ばされたポリバケツがころがっている。部屋では車座になり幾つかの竹カゴを手に しながら竹にかかわる興味深い話がはじまる。竹カゴの底の部分にあたる「石ずり」の部分は傷み易いので 消耗品として取替え可能な構造になっており昔は村に訪ねてくる竹カゴの修理屋さんが交換してくれたもの らしい。竹による結界の作り方は身分によって違うこと。長州の茶筅隊、竹カゴの類とは違って「箕(み)」 は別格で東南アジア圏では特別なスピリチュアルな意味があるとのこと。江戸時代に江戸両国橋の架け替えに 九州の椎葉村の材木を切り出し江戸まで運んだとのこと。聴衆もシニアが多くいろいろ経験をしている方々な ので質問も楽しい。話が発展する。時間がきても立ち上がる人はいなかった。「投げ銭歓迎」とのことでカゴ のひとつに投げ銭が集まった。夕方から雨になり吹き荒れていた風もやんだ。
 

  オリオン座 2012年3月15日

 車から降りて夜空を見上げると頭上にオリオン座がいた。久しぶりの対面だ。堂々としたオリオン座 をしばらく見上げていた。昼間に風が強くて空気が洗われたのか星の数が多かった。買ってきた ミル貝をさばく。包丁を入れると半分ほどに縮んでしまうがコリコリして磯の香りが強い。ビール がすすむ。

  カラオケ 2012年3月13日

 久しぶりにカラオケに行く。受付ですぐに歌えるかと尋ねると3種類の装置の写真を出し、今はこの 装置の部屋しか空いていませんとのこと。通い慣れている人は違いがわかるのだろうけど久しぶりなので 違いを聞くがピンとした返事が返ってこない。装置の性能にはこだわりはないので、その部屋に決める。 部屋に入る。マイクはすぐにわかったが選曲の本らしきものが無い。見るとモニターの脇に鉄人28号 の操縦器らしきものがある。小さなモニターがあるのでこれで選曲するに違いない。電源スイッチを 捜すがどこにも見当たらない。10秒ほど考えたがペン状のものでタッチパネルを触ったら電源が入った。 表示はとても使いやすく、歌手別、曲名別で選曲でマイクや伴奏の音量も簡単に変えることができる。 便利になったものだ。選曲はフォークやニューミュージックになる。演歌も2曲ほど歌ってみたが こぶしがきいていないと指摘された。3時間半ほど歌い続ける。 今回特に良かったのはザ・ピーナッツのメドレーで流れる映像で若い頃の二人の衣装、若々しい表情だ。 今思えば50年ほど昔に、このようなモダンな曲と雰囲気の歌手が居たことが不思議なぐらいだ。堪能!

  時が流れる 2012年3月11日

 あの大地震から1年経った。20階のオフィスに居た私はデスクにしがみついていた。東京湾越しの 千葉方面に火柱が上がり皆で見ていた。オフィスで夜を過ごし翌朝10時ごろ電車が動き始めたので 帰途についた。上野駅は人の行列が駅の外まではみ出していた。びくともしない行列に上野公園で 時間をつぶすことにした。皆植木や花壇の縁石に腰掛けていた。たこ焼きで腹ごしらえして歩くことに した。タクシーなど乗り継ぎ家に到達したのは夕方6時ごろであった。妻はたまたま娘宅に行っていて 地震にあい、やはりタクシーで帰った。一人留守番をしていて地震にあった母は電話が通じないし余震 の不安からひたすら編み物をし続けたそうだ。幸い我が家はパソコンが転げ落ちたぐらいで大した 被害はなかった。その後は苦労してガソリンを買い求めたり、普段行かない豆腐屋で高い納豆を買ったり 計画停電のお知らせに注目したり、テレビの地震速報にビクビクしたり、しばらくはエレベータに乗らな いぞと決めていたがいつの間にか乗るようになっていた。振り返ると色々なことがあった1年だった。
 先日ほこりを被っていたカメラケースを引っ張り出した。中は昔使っていたペンタックスのフィルム カメラだ。ファインダーの右側に針が見えシャッタースピードと絞りのバランスをマニュアルで合わす ことができる。ダイヤルのシャッタースピードを変えてフィルムを巻くレバーを回しシャッターを押して シャッター音の違いを楽しんだ。タイマーもメカ式でわかりやすい。デジカメになってフィルムを写真屋 さんに出さなくて良くなったこととパソコンに取り込んで利用できるのは画期的だが、たまには昔の カメラをいじってみるのも良いものだ。昔といえばお祝いにはパイロット万年筆とかセイコーの腕時計 などが定番だったと思う。しばらくしてからであろうか、腕時計のバンドにアルミでできた1ヶ月の小さな カレンダーを付けていた。どうやって入手していたか記憶が定かではないがヤクルト販売のお姉さんから もらっていたような気がする。そのうちアナログ時計に自動巻きだの日付と曜日の「窓」が登場して いつのまにか無くなってしまった。昭和は遠くなりにけり。

  ギター 2012年3月4日

 久しぶりにギターの弦を張り替えた。高校生のときに小遣いを貯め大金7000円を支払って買って 以来かれこれ45年になる。調律用の笛で音あわせをしたが新品の弦は伸びるので明日以降に再調整す ることにする。24才の頃に会社の昼休みにフォークソングの同好会で「かぐや姫」の歌などを毎日の ようにギターを弾きながら歌っていた。その中でタンバリンをたたいていたのが現在の「くろまめ」だ。 ギターのソフトケースはぼろぼろになりいつの間にか捨てられていた。今はくろまめがTシャツを被せ てくれている。本日久しぶりにコードを押さえてみたら指のスジがつりそうになった。あ〜情けなや。


  喫茶店 2012年2月25日

 買出しがてら銀行のATMに立ち寄った。たまたま警備保障の人が現金を扱っていて「30分ほど 使えません。となりの他銀行のATMで手数料なしでお金をおろせますよ」という。お金をおろすこと はできたが記帳もしたい。小腹がすいていたのでATMの見える近くのファーストフードに入り終わる のを待つ。こういう店で飲むコーヒーが新鮮な風味で旨い。そういえば最近は「純喫茶」の看板を 見たことがない。広いフロアは薄暗くてタバコの匂いがして出てくるコーヒーは今思えば酸化していて 美味しくなかった。砂糖を入れないと飲めないような代物だったと思う。初めて喫茶店に入ったのは 高校生の時だった。校則で喫茶店の出入りは禁止されていた。何を飲んだか記憶は無いがコーヒーでは なくミルクセーキとかレモンスカッシュとかそのようなものであったと思う。音楽は当時はやっていた 「青い影」が流れていた。

  カーリング 2012年2月17日

   朝カーテンの向こうが明るいので、もしやと思ったらやっぱり雪景色だった。車で外出。フロント ガラスの雪は掻き落としたがボンネットの雪はそのままにした。走り出したら風で飛ばされて雪の 破片がフロントガラスに飛んでくる。雪景色の向こうの空は春を感じるような霞でもやっとしていて 何か世間が皆平和のように感じる。そのうち霞が晴れて青空になる。道路わきの家の屋根の雪が水に 変り勢い良く下る。砂漠の中の高い山に降った雪が少しずつ溶けて麓の村の畑を潤す。雪という自然 の水量調節機能にあらためて感心する。
 電動ひげそり器を掃除していたらアミの部分が破損してしまった。ヒゲを毎日剃らなくなったので、 ある程度伸びたヒゲは電動ひげそり器では剃りにくいのだ。今後は愛用のT型ひげそりオンリーでい くことにする。
 数日前テレビでカーリングの試合があったので興味深く見た。私も一度カーリングをしたことがある。 カナダに出張したのがちょうどクリスマスの時期だった。その会社の従業員たちとクリスマスパーティー をし、その後カーリング場に繰り出した。10レーンほどあったと思う。正式なシューズは履かずに 自分の靴の裏に片側にはつるつる滑るプラスチックを、もう片側には滑らないように加工してある プラスチックを貼り付けた。石はどんなものでも良いというものではなくイギリスのどこかの特産の 比重の大きい固い石とのことであった。ストーンの前を掃くホウキは昔は竹ぼうきのような形であったが 近年はT型になってきたそうだ。良い経験になった。

  夜は更けて 2012年2月14日

 暖炉(ストオブ)の火は消えて
 室の四すみよりいつとなく
 寒さは電流の如く忍び入る
 絹マントルの明るき光は瞬きもせず
 物の色より黄を奪へり
 乱雑なる画室の様のもの淋しさよ
 今もわが頭の中に微笑せる彼の人を思へば
 絵具と画布とは児戯に近し
 ー芸術は唯巧妙なる約束の因襲なるをー
 むしろシャヴンヌの絵を嗤(わら)って
 一杯の酒(リキウル)に泣かむとす
 寒さ烈(はげ)し
 冬の夜の午前二時

          画室の夜(高村光太郎)より
寒い夜更けは本の世界に入り込むのもよいものだ。

  結露 2012年2月7日

 マンションの階段、通路、エレベータホールが結露で水を撒いたように濡れている。天気予報では 寒気と暖気の境界がこのあたりらしいので湿気が結露したのだろう。この冬、外が乾燥注意報が出て いても我が家のアルミサッシはビショビショだ。よくもまあこれだけの水分が空気中にあるものだと 思う。エレベータといえば3月の大地震のあとはエレベータに乗るのも怖くて階段を使ったものだが さすがに最近は何も考えずにエレベータを使うようになった。風呂の湯船に浸かったときは未だに 地震の揺れか単なるお湯の揺れかわからなくてしばらく戸惑う。風呂だけは何の心配もなく入りたい ものである。
 南側のベランダの沈丁花の花芽が紫に膨らんできた。北側のベランダに置いていた沈丁花は緑の 色が弱いので南に移す。銀杏と土をビニール袋に詰めて置いてあるが、そろそろ開けてみるか。先日 畑で収穫したサトイモを大きな麻袋に入れてあるがこれをどこに置いておくか思案中。

  雨が降らない 2012年1月14日

 雨がひと月ほど降っていない。ポリタンクに水を詰め畑に行ってみる。えんどう豆が水を欲しそう だ。水をやり支柱を立てる。今年は網を張ってツルを絡ませるつもりだ。長ネギを抜いてみる。色々 な品種をもらってまぜこぜになっていたが下仁田ネギと思われる太くて短いネギが出てきた。赤ネギ と思っていた場所を掘ってみたら白いネギが現れた。もうすぐフキノトウが現れるだろうか。
 孫と娘の里帰りで生活のリズムが一転した。いたるところに赤ちゃんの肌着の洗濯物がぶら下がって いる。雨が降らないので乾きが良いのは助かる。先日、インターフォンがピンポーンと鳴った。出てみ ると水道の検針員が水の使用量が急に増えたため水漏れでないかとの確認であった。灯油ストーブは 空気が汚れると娘が嫌がるので灯油は減らない。電気代が相当増えていると思う。風呂場には見たこ とのないシャンプーだのリンス等が何本も並んでいる。  

  新しい年が始まる 2012年1月6日

 新しい年になったと思っていたら早くも6日だ。小寒ということで日本海側、北海道、東北からは 雪便りだ。そのうち南のほうからは菜の花、梅、桜の開花の便りが聞こえてくるのだから日本は良い 国だ。放射能の廃棄物の保管場所で各県が反対を叫びながら国に何とかしろと言っている。国は県の 集まりであり国独自の空き地を持っているわけではないので論理に矛盾がある。津波でも「想定外と 言わせない」という論法がまかり通っているが建物や堤防などを設計するときはある想定を基準に するのは当然で「想定が低すぎたかどうか」という議論はありえるが「想定外とは言わせない」という のは感情論的過ぎると思う。「評論家」達は人々の心の中にある自己矛盾にバッサリと切り込まずに 連日のように国が悪い企業が悪いと声高に叫ぶ無難さだ。政治家たちは「イヤガラセ」をすることに 全力を注ぐ。何事も無駄な議論だらけでベクトルの方向が弱い国は外の国からバカにされるだけだ。 年の初めに普段考えていることを書いてみた。
 師走に誕生した孫が暮れから我が家に来ている。3時間おきにミルクを要求する泣き声とお世話 に暮れから寝不足気味である。これまで我が家の大人が好んでいた室温より赤ちゃんの好む室温は何度 か低いので最初は寒い思いをしていたが最近は慣れてきた。本日赤ちゃん用の体重計が届いた。早速 計ってみた。1gの精度で読み取れるものだが70ccのミルクを飲んだあとはぴったし70g体重が 増えていた。