そらまめの日記8


  孫の誕生 2011年12月17日

 今週、初孫が生まれた。分娩室の前に居た妻が産声を聞いたらしく少し離れたところに居た私に向かって 笑顔で両手を突き上げた。間もなく分娩室で面会。内から外へ、一瞬にして体の機能を切り替える生命の仕組み の不思議。自分の遺伝子の入った孫が娘の胸の上にのせられている。記念撮影。間もなく新生児用ベッドに乗せ られ外に出てくる。これからはデジカメの写真の数が一段と増えそうだ。
その後の妻は孫娘の名前を時折少し鼻にかかった声で呼びかけながらベビー用の服を縫い続けている。母性 ホルモン全開の様子だ。以前はケータイに孫の写真を入れて披露している人を見て内心それほどしなくても と思っていたものだが忘年会に向けて写りの良い孫の写真をケータイに入れている自分がいた。
 昨日は忘年会で久しぶりに電車に乗った。車内広告も久しぶりだ。あらためて見てみるとカビ、ダニ、匂い、 薄毛、受験だのと人の不安心を煽り製品を売るといったものがほとんどだ。街はビルが新築され華やかな商品が 並ぶ。師走の人の流れも何か嬉しい。久しぶりに会う友人と近況の情報交換。ジンをオーダーする。冷凍庫から 出してきた氷の付いたボトル。小さなグラスに注がれる冷えたジンは少し粘度が増していてとろっとした感じで 旨かった。
 今日は友人に紹介されて「湖北台クリスマスコンサート」に出かけた。マンドリンとギターを中心とした演奏 とソプラノ歌手。クリスマスソングも幾つか歌ってアットホームで良いコンサートだった。

  寒さ対策 2011年12月10日

 いよいよ冬らしくなってきた。昼の間は過ごしやすいが深夜ともなると気温がぐっと下がる。サトイモを ベランダで干していたが夜間の気温が4℃ぐらいになると品質が悪くなるらしい。イモを保温しようと思い ホームセンターで麻袋(250円)と筵(むしろ)(2500円)を買った。テレビで部屋の保温用として アルミホイルが良いと言っていたので、Emergency Blanketというものを買った。緊急時に体温の流出を防ぐ 薄くて広いシートだ(298円)。イモは麻袋に入れ筵で包んでみたが心配で結局部屋の中に取り込んだ。 深夜、寝ていると珍しく床のほうから冷気を感じる。起きて外の気温を確認すると0℃であった。アルミシート を思い出し床に敷いてその上に布団を敷いた。効果はバッチリ。温かく寝ることができた。妻はベッドに寝て いるので平気のようであった。

  朝の風景 2011年12月5日

 所用で朝7時前に出かける。車のフロントガラスが凍っていた。久しぶりだ。ワッシャー液を出してワイパー を動かしてもなかなかとれない。エンジンをかけて空気をしばらく吹き付けていたらきれいになってきた。 走りはじめるときれいになったフロントガラスに再び小さな結晶模様が広がる。小さなゴミを核にしている ようだ。朝日が背後から照らす。信号の色が全て光って見える。青になったかどうかじっと見上げてもわから ない。危険だ。普段は安易に他者追随しない自分であるが今日だけは対向車が動き始めたのを見て自分も 動いた。おばあさんたちが割烹着を着て道路わきのゴミ置き場にゴミ袋を出している。どういうわけか今まで ゴミ出しをしているのは若い人達しか見ていなかったので新鮮であった。学校へ向かう小学生たちが大きな かたまり、小さなかたまりで歩道を歩いている。それぞれのランドセルに各家庭のドラマがあるのだろうな と思ってしまう。会社勤めらしき大人も寒そうに歩いている。いつでも若い女は背筋を伸ばしてシャキッと しているので気持ちが良い。ラジオをCDに切り替える。いつも外が暗くなってから聴いていると自分の心情に ピタッとはまる歌が、この朝の世間の皆様方の活動と青空の中ではしっくりこない。またラジオに切り替えた。 エアコンの吹き出し口よりやっと温かい空気が出てきた。

  はったい粉 2011年12月1日

 今日は寒い。太陽が出ないので外の景色を見ても寒い。寒波のニュースがテレビで流れるたびに外の気温が わかるデジタル温度計に目がゆく。現在は7℃だ。居間に紛れ込んだ一匹のハエが一緒に生活している。髪が 伸びたので妻にカットしてもらう。気分がのっていない様子のときにたのむとハサミの扱いがやや雑で髪が つっぱったりする。”技術料”を少し減額したいところではあるが家庭の平和のために通常料金を支払う。  先日食品売り場を歩いていたら「サッカリン」が売られていた。細いガラス管だ。懐かしい。昔、砂糖 より相当甘いということで各家庭で使われていたと思うが、体に良くないとのことで発売禁止になったと 思っていた。近くに「はったい粉」が売っていたので懐かしくてカゴに入れた。まだ食べていない。  畑のショウガは今度引っこ抜こうと思っている。畑の隣のおじいさんがショウガに詳しくていろいろ教えて もらった。ショウガは温度が大事で寒さにあたると品質が悪くなるし翌年芽が出なくなるのだそうだ。種芋に するには土を1mほど掘って埋めておくのが良いとのこと。最近耳にした面白い野菜ネタであるが、例えば えんどう豆はサヤの中に3粒ほどの豆が入っているがこれはえんどう豆が進化の過程で3粒ぐらいのセットが 自然界で土に落ちて繁殖するのに都合が良くできているので、人が種まきをするときにも3粒まとめるのが良 いとのこと。なるほどと思ったがゴマや菜の花、トウモロコシは種がいっぱいまとまっているがどのように 考えたら良いのだろうか。

  落花生 2011年11月5日

 畑の落花生の葉が黄ばんできたので収穫することにした。隣の畑では柱を組んで抜いた落花生を干している。 抜いてみるとそれなりに豆のサヤが現れる。株の周囲にモグラの走った跡がある。案の定、この株は 半分くらいがモグラに食われていた。モグラの乳の出が良くなり子育ての手助けをしたかも知れない。趣味 で畑をやっていると収穫量はあまり問題にならないのでむしろ楽しい。周辺の畑を見ると抜いた本体ごと 干しているが、我が家の場合は豆の量がそれほど多くないので予定を変更してサヤを分離した。なぜ本体ごと 干しているのか疑問なので調べてみるとなかなか回答にたどりつけなかったが、豆が乾燥し易いとの記述が あった。理由は書いていなかったが、豆と本体の間は「へその緒」のようなもので繋がっているので枯れた 本体が「放湿器」になって水分が逆流し乾燥が速くなるのではないかと勝手に想像した。それにしてもサヤは 乾燥しそうだが落花生は振るとカラカラと音がするので中の実は完全に分離独立しているようだ。実のほうは 間接的に乾燥するのだろうか。ソラマメやエンドウは豆にサヤとくっ付いていた跡があるが落花生には見当た らないようだ。どこから栄養や水分をもらっていたのかますます疑問がわいてくる。
 頂き物の酒とツマミを味わいながらテレビのナツメロ見るのがを無上の喜びである。あっというまに数十年 昔にタイムスリップする。いただけないのは歌のテンポをねっとりとずらす歌手がいることだ。自分の頭の中 では数十年前当時の爽やかなシンプルなメロディーが流れているのであるが、耳から入ってくる歌のテンポが 一致しないのである。ゆっくりと時間旅行ができなくなり残念。
 残念といえばもうひとつ、女子フィギュアスケートの衣装だ。最近気がついたのであるが選手の肌色の部分の 半分以上は衣装であったということだ。寒い氷の上なのでしょうがないとは思うが・・・。最近は眼を細めて 肌と衣装の境界線を見ないようにしている。  

  森繁建氏の文化講演会 2011年10月23日

 真栄寺にて森繁建氏の文化講演会があり出かける。30分時間を間違えて早めに到着。車の中から 見ているとお年寄りの出足が早い。中に入ると数少ないソファや椅子にお年寄りが座っていた。納得。 あとから来た人達は座布団だ。流れる音楽とお香のにおいが独特の雰囲気を作り出している。住職に 紹介されて森繁建氏が現れる。なごやかな雰囲気のなかお父様の森繁久彌のエピソードを中心に話が 進む。森繁久彌の葬儀の折に皇室から戴いた香典の返礼に皇居に記帳に出かけたときの話、NHKで 満州の話をしないでくれといわれ当時のNHK会長の自宅へ電話をして掛け合った話、ハンディキャップ を持った人々の支援に力を入れていたといエピソード、建氏が学生時代に安い日本酒で酔っ払って帰宅 したら高級日本酒を飲ませてくれたそうだ。人生はピンとキリを知っておくことが大事で普通のものは 黙っていてもやって来るとの教えをもらったとのこと。最近の若者は自由、自由と叫んでいるが8割の 基本を守っている人が2割の自由を求められるのであって100%の自由はありえないなど。またお母様 が旅行が好きで世界中くまなくまわったとのことで日本人女性で初めて南極に行き和服姿でペンギンと ツーショットを撮った話など興味深かった。講演が終わり一旦ドアの向こうに隠れたが忘れ物と言って また現れた。抱えていた紫の包みを広げると森繁久彌氏の国民栄誉賞の楯であった。話が盛り上がらな かった時のために持ってきたが話が盛り上がったので出すのを忘れたとのこと。珍しいので皆帰り際に 近づいて眺めた。ご住職のお話も宮崎の言葉の柔らかさもあるのか引き込まれるものがあった。

  モグラ塚 2011年10月19日

 モグラが土を掘りあげているところをリアルタイムではじめて見た。畑の所々にモグラの通過した跡や 土が盛り上がったモグラ塚はよく見るが、今までモグラの生きている様子を感じることは無かった。先日 畑から帰ろうとしていたら土がパッパッパッと噴きあがっていた。土が積もり始めた。そのうちモグラの 体が現れるのではないかと見ていたが現れなかった。カメラは車の中に戻していたので撮りそこなった。 はじめてと言えば先日カマキリがトンボを捕らえる現場も見た。小さなコンクリートの橋の脇にトンボが いて20センチ離れたところにカマキリが居た。カマキリは時折からだを前後にゆっくり動かしながら ゆっくりと近づく。そのうちトンボが気がつき飛び去るだろうと思っていたが催眠術をかけられたように じっとしていて一瞬、カマキリのカマに捕まってしまった。カマキリのゆっくりした前後運動がトンボに 危険、安心、危険、安心を繰りかえらせ催眠状態に陥るのかもしれない。

  からすの赤ちゃん 2011年10月12日

 朝、布団の中で目覚めると何故か♪からすの赤ちゃんなぜなくの〜こけこっこのおばさんに〜♪の フレーズが頭の中で繰り返す。♪あかいお帽子(ぼうし) ほしいよ〜♪まで思い出す。これはカラス の赤ちゃんがトサカを見て赤い帽子と思い欲しがっているに違いない。次にもうひとつ何か欲しがって いたと思うが出てこない。昼過ぎにパソコンで調べてみると♪あかいお靴(くつ)も ほしいよとかあかあ なくのね〜♪とある。はて鶏の足は赤かったかなと思う。思い浮かぶのはウロコ状の黄色い足ばかりだ。 童謡の世界なので外を散歩していたこけこっこのおばさんは赤い靴(3本指?)をはいていたのかも しれない。泣かれたおばさんは靴をカラスのあかちゃんにあげて裸足で帰ったのだろうか。トサカは あげられなくて困惑したことだろう。不可能なものをいつまでも欲しがるのは本人にもストレスが たまるのみだ。♪はるよこい はやくこいあるきはじめた みいちゃんがあかいはなおのじょじょはいて おんもへでたいと まっている〜♪こちらの場合は応援したくなる。

  変化するもの 2011年9月26日

 台風の風でベランダのエコカーテンのニガウリの葉は萎びてしまった。実のほうは細い命綱でしっかりと しがみついている。さすがは台風の多い沖縄で生き残ってきた強さだ。そろそろ太陽のぬくもりが恋しい 季節になってきたので網から外した。新しいパソコンにセキュリティソフトがインストールできないでいたが サポートセンターとのメールのやりとりで解決した。友人と話していて昔の「布団袋」や「チッキ」、 身分証明書代わりの「米穀通帳」が話題になったが、このような話が通じる人も居なくなってしまうのだろう。 MSXパソコンがあっというまに姿を消した。テレホンカードは各社オリジナルのデザインで作りお客様に 配ったりしたものだ。番組の録画のときのGコードは画期的で新聞の番組表にある数値をリモコンで「転送」 していたのだが、これも過去のものになった。ポケベル、MDもあった。
 飯を食う、髪を切る、爪を切る、睡眠、この辺はあまり変化していないな。

  パソコンこわれる 2011年9月19日

 数日前にパソコンがダウンした。朝起きていつものようにパソコンのスイッチを入れたがファンの回る音が しないし画面にも何も現れない。フタを開けて中の電圧を調べると値が出ていない。ハードディスクが壊れた のであれば買ってきて修理できると思ったが大元の電源が壊れているようでお手上げだ。外との通信ができなく なったのでいろいろ調べることも出来ない。こういうときにはくろまめのノートパソコンの存在が便利であり がたい。いろいろ調べることができた。一応365日24時間のメーカーのサポートセンターへ電話してみる。 パソコンが立ち上がらずモニターに何も表示されていないのであれば電話でのサポートは無理との回答。それも そうだ。送り返してもらえば有償修理しますが6年使ったのであれば元はとれたと思いますとのこと。最近は パソコンの価格が下がってきているので早速販売店へ向かう。
デスクトップの展示が少なくノート型とモニター単体の展示がやけに多いなと思っていて店員に聞くとモニター 単体と思っていたのはモニターの後ろが若干厚くなっていてパソコン本体がその中に納まっているのだとのこと。 一体化しているのは自分の性質に合わない。単体として独立していて余分なソフトウェアの無いものをさがす。 展示してあったデスクトップ型の一番ローコストものに決めて早速持ち帰る。インターネット、メールの設定 はすんなり終わり外部との通信が可能となる。ひと安心。次に1ヶ月前にバックアップした外部ディスクの 情報を戻す。これでほとんどの情報は回復できたが直近1ヶ月のデジカメ画像と日記は消えてしまった。 ホームページの全情報はプロバイダからダウンロードすることができたので最新の情報を回復できた。残っている 案件はセキュリティのソフトだ。今まで使用していたウィルスバスターはエラーが出てダウンロードできない。 この数日ウィルスバスターの会社と解決法のやりとりをしているが未解決である。心配なので付属してきた セキュリティソフトをとりあえず使用している。新しいパソコンに変わって良くなったこと。コンパクトに なったので電話機を置くスペースが増えた。ファンの音が静かになった。処理速度が速くなった。DVDドライブ が軽快に読み書きできるようになった。これまではトレイが出てこなくてゼムクリップの先を細い穴に差し込んで 使っていたのだ。修理代ぐらいで本体が買えた。
災害とパソコンのダウンは忘れたころにやってくる。
 本日は親戚のハトコの作陶展に出かけてきた。幾つかの陶器を購入してさっそく夕食時に使った。食卓の 雰囲気が盛り上がった。

  鳴き声のリレー 2011年9月14日

 夜の国道を車で走る。エアコンをオンにしていたが外のほうが涼しくなってきたようなので窓を開ける。 途端に秋の虫の鳴き声が飛び込んできた。走っても走っても途切れることが無い。さすがに交差点とか 中古車の展示場とかは虫の声が小さくなるが少しでも茂みがあれば途切れることが無い。猛暑とか雨が少ない とか言っているがこの元気さには驚く。時々至近距離なのだろうか大きな鳴き声がすると軽いドップラー効果 さえ感じる。車が大きくカーブして田舎道(でも国道)に入ると生垣や茂みが多いためか一段と鳴き声は大きく なる。1時間ほど虫の声のリレーを聞きながら帰宅した。我が家も虫の声に包まれていた。蚊取り線香に点火 する。しばらく前から蚊は見なくなったが惰性というか安心のため蚊取り線香を焚いている。夏も終わりに近い。

  入道雲の日 2011年9月11日

 午前中から遠くでゴロゴロと雷の音がしている。外を見ると南の空が暗い。パソコンで雨のレーダー画像を見る。 南の方角から強雨域の真赤な塊が迫ってきている。到達予定時間に強い雨が降りだした。景色が白くなる。ベランダ のプランター、しばらく洗車していない車、畑の野菜たちも一安心だ。リアルタイムに雨の情報を見ることができる 科学の進歩と定期的に恵の雨をもたらしてくれる自然の摂理にあらためて感心する。
 美味しいランチを食べようと外出。目指すレストランは昼時とあって30分ぐらいの待ち時間。それではと農協の 産直売り場で買い物をしてランチタイムを外したつもりで戻ると1時間以上の待ち時間となっていた。何とかの法則 でこんなこともありえるかなとは思っていたが・・・。畑の野菜があるので農協の産直へはそれほど通わなくなったが、 米、レンコン、ニンニク、ショウガ、長ネギそれと果物はカゴに入る。長ネギは5本で130円ほどで安い。私が畑で 丁寧に土寄せしながら育てている長ネギであれば3000円ほどの値は付けたいところである。
 レストランで1時間以上は待ちたくないので行きつけのレストランへ変更。途中、キクイモが咲いていたので昨年 群生していた今井の桜まで行ってみる。ちらほら咲いてはいたが花の数が少ない。昨年イモをせっせと掘り出したせい ではないと思うが・・・。田んぼは稲刈りが進み上空には入道雲が立ち昇っている。こちらのレストランはすぐに席に つけた。少々お値段は高いが作りたての食事はいつも満足できる。デザートに白玉ぜんざいをたのんだらなかなか出て こなかった。白玉団子から作っていたと思われる。メニューの数が多いのにちゃんと調理されて出てくるキッチンは どのようになっているのだろうか。
 夜になって霧が出てきた。無風。網戸が微風を跳ね返しているようだ。

 『ホワイト』 2011年8月28日

 夕食時ビールの後に飲んでいた「黒霧」が無くなったので酒のコーナーをぶらつく。手ごろな「ジョニ赤」 をカゴに入れる。懐かしい「サントリー・ホワイト」も手ごろな価格だったのでカゴに入れる。昔は相当お世話に なった酒だ。未成年の頃にはサントリー・レッド」にお世話になった。当時は「角」には手が出せず仲間と集まっては レッドを痛飲した。「スナック」に行くと高い位置に他人の入れた「スペシャルリザーブ」や「だるま」が並んでいた。 洋風の店に行くと当時流行っていた「ジンライム」をよく飲んだ。「ジントニック」を飲んでいる人を見ると感心し、 「コークハイ」を飲んでいる人をみると素人だなと思ったりしたものだ。ジンをストレートで何杯ものみ前後不覚に なったこともあった。「サントリー・ホワイト」は通好みの酒とのことで飲むようになった。 瓶のラベルに「SINCE 1923」とあり、この表示が心をくすぐる。酒の味は殆どが思いいれによって決まると思う。 南極の氷で割ったり、スコッチを古いピートの地層を通ってきた水で割ったりするという話を聞いただけで単純な 私は酒のピッチが上がるのである。我が家の冷蔵庫から氷の落ちる音が聞こえてきた。  

 妻の入院 2011年8月13日

 妻が手術のために入院した。肝臓あたりのCT画像を撮っていたら、たまたま画像の端の背骨と肺の間に 「影」が映った。専門の病院への紹介状を書いてもらったので診てもらうと確かに何かあるらしい。外からの 画像では判断に限界があるとのことで組織を採ることに。まずは胸腔鏡下手術ということになる。8月9日に 入 院。ケータイメールで院内の理容室で髪をカットしたとか展望風呂に入ったとの状況が送られてくる。 11日は手術の日だ。全身麻酔の説明書を読むと 希ではあるがとの断り書きで怖いことが書いてある。午後 2時に手術室の手前でお別れ。連絡用に貸与されたPHSを首にぶら下げる。外を見ると入道雲 が。雷の ノイズで精密機器が誤動作しないように、手術中に地震がこないように念じる。朝、昼まともな食事はして いなかったが一種の断食祈願と思い食べないことに。周りには同じように手術の終了を待っている家族たちが居る。 結果を聞いたらしくあちこちに報告の電話をしている。待合室のテレビで高校野球をやっていたが一旦消された テレビにスイッチを入れようとする家族は居なかった。3時間半の手術の予定であったが2時間半でPHSが鳴った。 担当医の説明によると組織は脂肪が毛細血管で覆われた様子で、採ったサンプルの術中迅速病理診断の結果による と良性で悪いものではないとのこと。正式な判断には1ヶ月ほどかかるとのことであるが、まずは一安心。 本日13日、妻はベッドでハガキに絵を描いたりしていて退院予定は15日。今夜患者さんたちと一緒に花火を 観たそうだ。

右巻き?左巻き? 2011年8月7日

 「子供電話相談室」でゴーヤのツルの巻く向きは途中から逆向きになりますと回答していた。さっそく 見てみると途中で一旦巻きが止まって逆方向に巻き始めている。面白い。植物にはそれなりに深い理由があり 進化してきていると思うので理由を考えてみた。1)ツルは周りに取り付くのが仕事であるから右回りに巻い ていて引っかかりが無ければ、これは大変と左巻きになって引っかかりを捜す。2)単調に巻くのが嫌なだけ。 3)間違えて巻きついたと思ったときに半分の労力で自ら解くことができる。4)強い風が吹いたとき伸縮度が 倍になり助かる。
 巻き付きが終わっているツルを見るとこれも途中から逆向きになっていた。完全に取り付いてからも逆方向 に巻きたい理由があるのだろうか。
  
 

 八月に入る 2011年8月3日

 工事屋さんが1週間入り、廊下と脱衣場の張替えが終わった。天井と壁と床が新しくなり、そこに居る限りでは 30年前に越してきたときのフレッシュな気分にタイムスリップする。今はすっかり田舎暮らしで畑を耕し、 どんどん採れる野菜が毎日の食卓にあがる。たまに街に出てデパートの1階をすり抜けると香水売り場から もれ流れてくる香りに脳髄が刺激される。余震がまだ続いている。この頃は揺れ方で震源までの距離や震源の 深さが当たるようになってきた。このような余震が続いているときの各地の鍾乳洞事情はどうなっているのだろう。 あの洞窟の中で天井からぶら下がった鍾乳石の下で地震に遭うのはいやだ。カーラジオで聞く「子供電話相談室」 を聞くのが楽しみのひとつになっている。いろいろな子供がいるが、受け答えがはきはきしていて礼儀正しいのは 気持ちが良い。妻は感心しながら一緒に勉強しているようだ。

 アナログ放送 2011年7月24日

 本日、7月24日でテレビのアナログ放送が終了とのこと。長い間お世話になったアナログ波の終了の瞬間を 見届けたいと思い外出の折に携帯ラジオを持って出かけた。この携帯ラジオはテレビのアナログ放送が聴けるもの で通勤時には活用したものだ。所用で出かけたが昼前にラーメン屋に入って正午5分前にそそくさと駐車場の車に 戻った。携帯ラジオの電源を入れ正午前後20秒ほどをカメラの動画モードで撮影する予定であったが電源を入れた 2秒後にピーと鳴って電池切れとなってしまった。残念。
 振り返ればテレビを共に生活してきた。子供の頃はラジオの時代で茶の間にある真空管ラジオから浪曲や落語 が良く流れていた。家族皆で耳を傾けていた。テレビが出始めると警察署の敷地に街頭テレビができ人だかりと なった。子供は夕方になると近所の金持ちの商店の座敷に上げてもらい、とんま天狗、鉄人28号、琴姫七変化 などを見ていた。終わると丁寧にお礼を言って帰った。学校では授業でテレビを使うこともあった。テレビの ある部屋に集まりテレビに掛けてあるりっぱなカバーをうやうやしくはずした。テレビの両脇には板が45度に 開くようになっていてスピーカーの音が反射してやってきた。プロレスは近所の飲み屋のカウンターで焼き鳥の 匂いをかぎながら見させてもらった。プロレスが終わって「事件記者」が始まると子供の時間は終わりだ。
そのうち我が家にもテレビがやってきた。選局はダイヤル式であったが放送しているチャンネルが少なかったので ほとんどが「砂あらし」のチャンネルであった。ダイヤルの内側には微調整のツマミがあり電波状態が悪い中でも 最適なポジションを探していつも回していた。そのうち押しボタン式でチャンネルを合わせるテレビが出てきた。 テレビは真空管式なので電源を入れてから画像が出てくるまでにしばらく時間がかかった。テレビが映らなく なっても接触不良が原因であることが多く、真空管を抜き差しすれば直ることが多く、近所から有り難がられた。 テレビが普及してラジオがトランジスタ方式になると世間では真空管ラジオが不要になりこれをもらって組み立て 直し無線の送信機、受信機を作って遊んだ。送信機で電波を出すと近所のテレビの画面に縞が入り苦情がきた。 皆が寝静まった夜中に電波を出したりした。
 いつの間にかレコード盤もCDに変わりゴミを取る必要は無くなったが音のでる仕組みがブラックボックスに なってしまった。
 アナログ放送の終了とのことで、ひと時代が終わったとの寂しさもあるが、自然界の現象は全てアナログ、それを 感知する人の五感も全てアナログなのであるから途中の伝達方式が若干変化しただけとも言えそうだ。

 洗車 2011年6月30日

 猛暑の中ではあるが久しぶりに洗車をすることにした。車で10分ぐらい走った牧場の側に無料で水を使える 洗車場がある。平日とあって誰もいなく自分だけ。ウグイスの声を聞きながらのんびりと汚れを落とす。拭きとって タイヤをごしごし。水気が飛んだころなのでワックスを塗り始めたら雨がパラパラし始めた。急いでワックスを 拭き取る。結局、車の半分だけワックスをかけたことになった。中途半端で気分がモヤモヤ。完全にワックスを かけて青空を見上げながら飲む予定だった自販機のお茶を車の中で飲むはめになってしまった。その後場所を 変えてタイヤに空気を入れガソリンを満タンにして気持ちが半分おさまった。
 中途半端といえば40年ほど前の秋葉原のことを思い出す。秋葉原をぶらぶらして駅前にくると道路の脇で 無料で靴を磨きますという男がいた。ちょうど靴が汚れていたのでお願いすることにした。立ったまま右足を 出し磨いてもらう。ところが右足を磨き続けなかなか左足に移らないのだ。そのうち傍らに置いてある靴クリーム のセールスを始める。このときはじめて男の魂胆がわかったのだ。私も頭もまだシンプルだったのだ。結局 靴クリームは買わずに、右足はピカピカ、左足は汚れているといったみっともない姿で電車に乗って帰ったのであった。

 昼食会 2011年6月13日

 数日前にベランダのニガウリにネットを張ったが、伸び遅れているうちに隣のプランターのキュウリのほうがツル の勢いが良く一番槍をとられてしまった。今年の反省は苗の移植のときに丁寧に扱わなかったため根が傷んだらしく 生長の勢いにバラツキが出ている。のんびり見守ることとしよう。畑のカボチャの1本が元気がなくなっていた。 見ると地表直下のところで茎が切られていた。これはあの噂に聞いていたネキリムシの仕業に違いない。切り口を 見ると新たに根っこの素が何本か出ている。元気だ。期待を込めてまた植えておいた。
 昨日はくろまめの友人の那須省一さんとYさんの4人での昼食会に出かけた。那須さんは5ヶ月のアフリカ旅行から 帰国し来週頃から5ヶ月ほどのアメリカ旅行にでかけるとのこと。汐留のシオサイトの47Fの眺めの良い店で、 ゆっくりと食事をすることができた。アフリカでの得意の英語を駆使しての体験談は非常に興味深く、アルコールも 入り、気が付くとあっというまに3時間が過ぎていた。これからのアメリカ紀行も楽しみである。

 文化講演会 2011年5月22日

 妻の知り合いから文化講演会(「回想 わが敬慕の師ー志賀直哉ー」、講師 三ツ木照夫氏)のお誘いがあり、 妻と出かけた。数年前に妻は我孫子に住んでいた白樺派の人たちの話を聞く塾に行っていて、その時のメンバーからのお 誘いである。理系の私は今までエレクトロニクス関連のセミナーやビジネス系のセミナーには出席したことがあったが、 文学系は始めてのことだ。小説もまともに読んだことは無いのだ。講師が2時間もの間、何を話すのか興味津津で あった。三ツ木氏は冒頭に文学論というよりは志賀直哉との生活の中でのエピソードで進めたいと話された。 講演が始まってしばらくして司会の方が「椅子を使いますか」と訊ねていたが三ツ木氏は「長年教師をやっています ので立つことには慣れてます」とのことで2時間の間立ちっぱなし、時間が経つほど元気になっておられたように 見受けられた。エレクトロニクスや科学は色々な自然現象の中から未知の法則を見つけ出し、その法則を利用して 新たに応用を進めることだし、ビジネスのセミナーも人間関係の中でいかにポジティブな考えを続けていくか など目的は明確である。しかしながら文学の世界は私の中では未知数のものである。本日の講演では志賀直哉と彼を 取り巻く高名な方々とのエピソードであり興味深く聞いた。それぞれの分野で成功した高名な方々は生活の中の些細な 出来事でも丁寧に扱い増幅し枝葉を付けて面白い話に作り上げてゆく能力があると思う。その高名な方々が訪問したり 書簡を交換したりするのは個性と個性のぶつかり合いであるので面白い話が発生しないわけは無いと思う。本日は 志賀直哉を取り巻く人々のエピソードを面白く聞くことができた。
「文化」とは「人間関係」で、だからこそ研究する方にとってはテーマがエンドレスなのかなというのが本日の感想である。

 目黒川 2011年5月21日

 昨日は飲み会で懐かしい目黒川界隈に出かけた。中目黒で電車を降りた。まだ少し時間があったので 本屋に立ち寄る。旅の本、受験の本、小説、サイエンスもの、経済の本、これまでの多くの人々が頭から 出力した膨大な数の活字が本棚に詰まっていることに改めて感心した。立ち読みをするには図解の多い サイエンスものが良い。「相手の心を読む法」などの本には違和感を感じてしまうようになった。いつも のように本は買わずに外に出た。目黒川に沿って少し歩く。以前はこの近くにオフィスがあったので桜の季節、 また桜の無い季節にもぶらついた場所だ。目黒川は都内を流れる小さな川で川底を見るとコンクリートの ため風情はないが視線をやや下から上に向けると桜の木の緑が覆いかぶさりしっとりとした情緒さえ感じる。 川の道の脇には洒落た洋風・和風の食事どころが点在する。夕方まだ早い時間なのに人々はもう夜のモード に入っている。
今日はジンギスカンの専門店だ。炭火で焼きながら鮮度の良い羊の肉をビールで流し込む。ワインも良し。 飲み語らう。出口にファブリーズが置いてあったが、この乳くささは割りと好きなのでファブリーズは 使わなかった。中高生が朝、電車に乗ってきたときに感じる乳くささを思いつつ帰宅。

 鴨肉パーティー 2011年5月17日

 昨日はSさんの幹事で、友人宅での「鴨肉パーティー」に招かれ妻と出かけた。我が家からは宮崎の 田舎料理である山菜の煮物(干し筍・干しぜんまい・干し椎茸)とタコとセロリーのサラダ、日本酒を持参した。 到着するとキッチンでは既にブルーチーズ、アンチョビ、ローストガーリック等をフランスパンや セロリースティックに乗せるおつまみを作っている最中であった。さらにテーブルには牛肉、筍、 ゴボウの炒め煮、イカとめんたいこのサラダ、鶏のバルサミコソース焼き、アサリのワイン蒸しが 並ぶ。テーブルには既に並びきれないほどの料理だ。Sさんの鴨肉のローストが運ばれたきた。元競輪選手のNさんは ワインを持参した。ワインを光りにかざしてワインのオリを気にしている。昭和一桁生まれのRさんはよく銀座の すし屋に出没しているそうであるがマーラーや映画について熱っぽく語る。料理あり酒あり話題の豊富な 仲間がいて自分のことを良く分かっている妻が側にいる。これほど酒を飲むのに良いシチュエーションがある だろうか。酒が進む。夕暮れともなれば庭のジャスミンの花をあしらったキャンドルが出てくる。鉄の燭台は ここのご主人のMさんの手製である。Nさんは持参したそば粉を一気に50回ほどかき回して蕎麦がきをつくってくれる。 Yさんの作ったダシの味が絶妙だ。Nさんの、スポーツ選手は奥さんの応援だけではなく家族全員のサポートがな ければ成り立たないとの話があり、いろいろ厳しいスポーツの世界を伺わせて頭に残った。作詞家の話になって あの短い歌詞のなかに一つの世界を作り出す才能に皆で感心した。演歌のメロディーはパターン化しやすいが 歌詞の世界の言葉遣いには感心する。ほんの数分の間に人を泣かすことができるのは歌と家族からの手紙ぐらい かも知れない。またちょっとギターを爪弾きたくなった。
 すっかり良い気分になって駅に向かう。単線の駅の入れ違いで入ってきた電車でNさんと別れる。温かい空気 なので見上げると朧月であった。

 梅酒を飲む 2011年5月8日

 気温がぐんぐんのぼり26℃だ。大方の田んぼは水が入り小さな緑の苗が並んでいる。ガーデンセンター は例年より人が多いように思える。震災で人々の考え方も変わったのか、遠出の観光旅行というよりも ガーデニングを楽しむ人が増えたのかも知れない。カートを見ていると野菜中心の人、きれいな花中心の人、 植木中心の人、大量の肥料を買っている人など様々だ。若いカップル、老年カップル、穏やかな平和な 光景だ。多少の好みの違いは、この初夏の空のしたではすぐに合意に達するようだ。
 このところ広い畑を借りたので畑三昧が続いている。今日も苗や種を購入して畑に向かう。車が 畑のすぐ側まで入れるので嬉しい。木陰で車の5枚のドアを開けっ放しにする。畑でほてった体も 車の側に来ると風が涼しい。昨年の暮れに直売のりんご屋さんから貰ったりんご箱を2個積んでいて 畑作業用の道具が入っている。畑の三分の二ぐらいは植え付けたがこれから野菜が成長してくると支柱 を立てたり虫の退治をしたり雑草を取ったり忙しくなりそうだ。虫の退治には農薬は使えないので別の 方法を考える必要がある。本によるとアブラムシにはこれを好物とするナナホシテントウ虫を捕まえてきて 畑に放す人もいるそうだ。アブラムシを食べる「益虫」は顔を拡大すると怖い顔をしていて、「害虫」 と呼ばれる虫は菜食主義で優しい顔をしているとのことである。
 先日3年半前に仕込んだ果実酒が出てきた。それぞれ特徴のある味だがやはり洋ナシやリンゴの ほうが柑橘系より美味しい。今年は梅酒を仕込んでみようと思う。ここで妻に梅酒の話を投げかけ ると納戸より親戚からもらった3年ものの梅酒を抱えてきた。一杯飲んでいるが別格に美味い。
ここで高村光太郎の詩を思い出した。

梅酒

死んだ智恵子が造っておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱んで光りをつつみ、
いま琥珀の杯に凝って玉のようだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがってくださいと、
おのれの死後に遺していった人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
わたしはしづかに味はう。
狂瀾怒涛の世界の叫びも
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻きにする。
夜風も絶えた。

    智恵子抄・高村光太郎より


 五月の雨 2011年5月1日

 午後9時半、五月初めての雨が静かに降っている。数日来の強い風がおさまり静かな雨が降り始める。 私はこのシチュエーションが大好きだ。田んぼに水が入り始めたのと、この雨で蛙の合唱も聞こえる。 この強風に耐えた畑の苗たちも静かにこの雨を喜んでいるに違いない。
 恒例の吉高の青テントに筍を食べに行く。桜の時期が終わったので交通規制が解け目的地まで 車で入ることができる。ご飯、味噌汁、天ぷらを食べる。去年と同じ不揃いの椅子が並んでいる。 去年と違うのは周辺にある墓石が地震の影響で倒れていることだ。接続方法が簡易化しているのか古い 墓石は倒れていないが新しい墓石に倒れやすい傾向があるようだ。
 耕耘機とビニールハウスのフレーム売り場あたりでぶらぶらする。耕耘機は種類が多く、機能がアップ するほど当たり前だが価格も少しずつアップする。絶妙な価格付けに感心する。

 東京で飲む 2011年4月21日

 丸の内の店で待ち合わせる。バーニャカウダやジェノヴェーゼをパンに絡ませて食べるとワインに合う。 日本の料理の味付けの元であるダシや味噌、醤油ではどう組み合わせても出てこない、いかにも西洋風の味だ。 アンチョビは自家製のものがあるしバジルも育てる予定なのでトライしてみようと思う。
 2次会は六本木のメキシコ料理の店で別のメンバーと合流。テキーラを40種類ぐらいも置いてある店で、 若いテキーラから熟成して琥珀色のテキーラまで飲み比べる。熟成が進むとトゲトゲしさがなくなって 風味が増してくる。側でハープとギターでラテンっぽい音楽を演奏している。テキーラの原料の竜舌蘭は 高地の乾燥地帯に生えているものと低地に生えているものでは風味に違いがあるとのことである。 メンバーの中にグランドキャニオンのコロラド川、450キロを30日かけてボートで下ったという ひとがいて話が面白かった。峡谷のため太陽は午前11時ごろに見え出し午後2時ぐらいには隠れて しまうので4時ごろには岸にあがってキャンプをするとのこと。雨が降ると切り立った岩肌に突然 滝がいっぱい現れ壮観とのことである。パソコンに入っている動画を見せてもらった。

 退職祝い 2011年4月16日

 昨日の強い風がおさまり今日は良い天気。親戚が退職祝いをしてくれるというので柏の懐石料理の 店へ出かける。強風に耐えた桜の花びらが春の陽気には逆らえず散り始めている。離れの座敷でまずは 金箔入りの日本酒で乾杯。車なのでその後はノンアルコールのビールにした。地震の話題のときに 地震がきた。座敷の襖が縦ゆれの振動に激しく音をたてたが、親戚が集まっていたのと他所の建物 ということで恐怖心は半分ほどであった。地震のときの恐怖心の半分は家族・親戚への心配心の ようだ。被災地の方々を思いつつも、このような祝いの席を設けてくれて楽しい時間を過ごせたこと に感謝。
 昨日は親戚と房総「風土記の丘」で花見。山桜の白い花が交じる人が殆どいない穴場だ。昔の古墳 の中で春ののんびりした時間を過ごす。自然の営みの変化と車とガソリンに感謝。
 この度の震災で人々の考え方も軌道修正したようだ。鈍行列車の旅のように、考え方がスローダウン すれば今まで見えなかったものたちが見えてくる。親子の情、親戚の絆、被災者たちへのボラティアの心、 ボランティアの心への感謝の気持ち。善意の人たちが大勢いるのだという相互確認の喜び。
 我が家のベランダではミニトマトの芽が伸び、えんどう豆のサヤがぶら下がり、オクラとニガウリ の種が芽ぶきを待ち、マンゴーは白い花芽が伸びてきた。

 毎日が日曜日 2011年4月3日

 3月末で25年間勤務した会社を定年退職した。これからしばらくは毎日が日曜日である。震災 の影響で送別会は一度は辞退したが復活してやってくれた。いくつかの個別の送別会は4月にやってくれる とのこと。
 25年前に入社したころと比べるとオフィスの環境も様変わりした。当時は出勤するとテレックスに 3枚重ねのコピー紙に通信文が打ち出され機械の脇には穴の空いたテープが丸まっていた。通信費が 安くなかった当時は電報の略語のように英文も短縮形が使われていた。テレックスは時代とともに FAXに変わり今では電子メールだ。書類を作るのも「書院」などのワープロを女子社員に打っても らっていたが今では一人一人がパソコンを持つようになった。外出したときの連絡法としてのポケベルは 便利だった。最初は電話番号のみの表示であったがそのうち簡単なカタカナも表示できるようになり、より 便利になった。その後すぐにケータイの時代がやってきた。厚みはどんどん薄くなりカメラも付いた。 海外とのテレビ会議のときは地球の反対側のため時間の設定が朝と夜になった。
 海外のベンダーにお客様を同行し観光もさせてもらった。空港でレンタカーを借り、休日はカナダの 原生林の中でボートに乗りフィッシングをしたりした。ナイアガラの滝はお客様を案内して何度も訪れた。 農家を訪ねメープルシロップを大きな容器で入手した。ドイツレストランでビールを飲み豚の尻尾を食べた。
 最終日にケータイの内容を消去して返却し、パソコンの内容を完全消去するのに30分かかった。 家に帰ってもしばらくは家のパソコンから会社の電子メールを受信・送信できたので挨拶を交わした。 31日の夜中0時を5分ほど過ぎたらメールが遮断された。そのときはさすがに一抹の寂しさを 感じたが10分ほども経つといろいろなしがらみから開放された喜びに変わってきた。4月末までは 給与の閲覧だけは家のパソコンからできるとのことである。
 4月からは貧乏暮らしを楽しむぞと周辺に宣言をしていたのであるが、今回の震災によりガソリン、 灯油、節電、食品の不足などで貧乏暮らしの気分が外からやって来てしまった。

 節電 2011年3月26日

 先週の通勤では駅は照明が節電されているので薄暗い。飲み物の自販機も照明が消えている。 電車の吊り広告は無くなり見通しが良い。空調を止めていますとの車内放送があるが人々の体温で 温まった空気が丁度良い加減だ。家に配達される新聞が広告が殆ど入っていないので薄くて抜きや すい。風呂でお湯につかっていても地震なのか体の揺れているだけなのか区別がつかない。バケツ にためている非常用の水の水面が動いていないのを見て安心する。心静かに食事をし、風呂に入り、 睡眠をとることができるということのありがたさを再認識する。
 本日は晴だが風が強い。じゃがいもを植える。今年はインカのめざめ、アンデスレッド、 キタアカリだ。ベランダで育てていた長ネギの苗を畑に移植する。ブロッコリーとターサイは抜く。 このような状況であるから桜前線のニュースも無いが今井の桜の様子を見に行く。緑の芽が膨らん でいた。  

地震の後 2011年3月18日

 余震が続いている。ゆったりと出来ないのとテレビから流れてくる被災者たちの悲惨な状況に 脱力感を感じ新しいことに手がつかない。店の棚に納豆や豆腐が並んでいないので無性に食べたく なる。道路わきで家庭菜園をやっている人を見かけるといつもより格調高く感じる。普段何も考え ずに当然のように車に乗り、暖かい部屋で温かい食事を食べていたことが世の中の歯車が順調に かみ合い回転していた結果なのだと改めて感じる。いろいろな物資を大きな工場で大量生産して、 絶妙な需要、供給のバランスで無駄なく毛細血管のように我々の生活に分配されていたのだと そのシステムに改めて感心する。
 被災者達の物資の足りないという悲痛な叫びが映し出される。道路が寸断されているというが 何故ヘリコプターで支援物資を次々と投下しないのか。必要な物資は聞くまでも無くわかっている はずだ。高齢者や乳児、病院の患者に暖かさと食料を届けて欲しい。
 原発の放水を見ていてももどかしい。作業者への放射線の影響を考えて近づけないのであれば リモートコントロールのロボットを使えないのか。今の世の中、小型カメラを無線操縦の小型飛行機 に積んで真上からモニターするのはそれほど難しいことではないはずだ。無人の放水車を無線で 先に進め、放水のスイッチを無線で制御し、放水の角度を無線で制御するのは可能なはずだ。 無線の小型ヘリコプターにホースの先をくくり付け建物の真上でホバリングさせ水を送れば100% 無駄なく命中すると思うが・・・。
 物資の不足、エネルギーの不足、電力の不足、互いに助け合う心、日本中がギアチェンジした ようだ。  

地震の日 2011年3月12日

 大地震であった。私は20階のオフィスにいた。だんだん揺れが大きくなり机を抱え込む。 左右にゆらゆらというよりも、大きいのの字の加速を感じる。机がずれる。揺れがおさまって外を みると遠くに火災の煙が幾つか見える。東京湾の向こうにはガスタンクの火炎が見える。火炎は 時おり爆発して大きく立ち上がる。エレベータも停止。電車も止まる。夕方になると近場の人は 歩いて帰る。6時間歩いて帰り着いた人もいた。防災センターの館内放送があり8時以降も残り、 暖房を希望する人は申請書を提出してくださいとのこと。この非常時に申請書とはいかにも マニュアルどおりなので皆で失笑する。間もなく全館暖房を続けますとの放送があった。 家族が無事か電話を試みるが混雑していてなかなか接続されない。リダイヤルで何度も何度もトライして やっとつながり無事が確認でき一安心。ラジオから5分おきぐらいに地震速報が流れ余震がくる。

 朝日が昇ってきた。一晩中インターネットと携帯ラジオで地震の情報を収集する。成田線は動いて いないが山手線が動き始めたので家に向かう。上野でホームに降りるとそこに行列が出来ている。 その行列は階段を登り常磐線のホームのほうに延びている。別の行列も出来ている。何の行列か 訊ねると「常磐線」という。こんな行列に並ぶ気はしない。駅の出口に向かうと大勢の人たちが改札 制限されて群がっている。京成の乗り場に向かうとこれも行列。上野公園で様子を見ることにする。 天気が良くちらほら桜も咲き始めている。皆が美味しそうなたこ焼きを食べている。私も食べる。 時間をつぶしても行列はむしろ長くなる一方。鶯谷まで歩く。そこから西日暮里へ。千代田線に 乗り換えて北千住へ。常磐線に乗り換えようとするが乗り換え通路はシャッターが下りていて、 いつ空くのかも明確ではない。地上に出る。北千住も行列、行列。タクシー乗り場、バス乗り場 の行列がごちゃ混ぜになっていて秩序が無い。タクシー乗り場ではなく通りに出てタクシーを拾う。 自宅まで1万6千円ほどか。少し走った頃、娘より電話が入り自宅に寄れば旦那さんが送ってくれる とのこと。行き先の変更を運転手に告げる。娘夫妻の家で軽食を食べ一休み。いよいよ車で家に 向かおうと2階建ての駐車場に。なんと張り紙があり地震のせいで使用不可とのこと。結局 つくばエクスプレスで流山おおたかの森で下車。タクシーを拾いやっと6時半ぐらいに帰り着く。 長い一日であった。

 妻は今朝早く、やはりタクシーで1万円をかけて帰ってきたそうだが、運転手さんがあまりにも感じが 良いので知り合いのパン屋さんに立ち寄りパンを持たしたとのこと。  

光りの春 2011年2月27日

 昨日は友人とランチ。レストランの軒下にアバラ肉の塊が干してあった。おいしいハムになる のであろうか。近々メニュに登場するとのことで楽しみだ。その後「今井の桜」の様子を見に行った。 まだ蕾は固かった。この場所があとひと月もすればあの薄もも色の花が満開の景色になるのである からドラマチックな変化だ。
 本日は春の陽気だ。ベランダのえんどう豆の蔓が伸びて隣どうしで絡み合っているので竹を挿して やることにする。さっそく採取に出かける。水辺には葦が伸びて枯れたものは沢山あるがこれは ちょっと弱い。しばらく走ると竹の群生があった。竹といっても小指の太さぐらいのもので笹と 言うのかもしれない。パンダが見向きもしないのは間違いない。ガーデンセンターに向かう。 景色は春。体が中から活性化して春のホルモンが分泌されるのがわかる。腐葉土、ルッコラ、 ペパーミントとスペアミントの苗を買う。今年はベランダの植物も充実させたい。

サプライズ 2011年2月6日

 金曜日に飲み会に参加。途中サプライズがあり私の誕生日祝いのケーキが現れた。花火が消えないうちに パチリ。帰りには赤い包装紙で包まれたワインなどいただき感激。ちょっと早い誕生祝となった。
今日はゆっくりガーデンセンターを歩く。多肉植物からサボテンへ。ベランダに長年オーソドックスな形の サボテンがあるので変わった形でコンパクトなものに目がいったが買わず。観葉植物もコンパクトで面白い ものがあってカゴに入れたが奥に進んだら大きく成長した姿があって、かわいくないのでこれも却下。草花は カラフルで値段もそれほどでないが開花時期が3−4月頃までとあったので、ケチな根性でこれもヤメ。 結局、花を3種と土を購入。ジャガイモの種芋はいろいろな品種が並んでいた。昨年の異常気象で今年の種芋 は高いのだそうだ。3月に入ってから購入することにする。
  
 

男と女 2011年1月30日

 真夜中になって外の気温は氷点下に下がってきた。スズメたち野生の鳥や動物たちはそれぞれの 巣の中で寒さをしのぎながら眠りについていることだろう。この週末は畑に行かなかった。ベランダ のプランターには寒さ避けの不織布を掛けゴムひもで留めた。中ではえんどう豆が早くもツルを 伸ばし始めている。
 昨日の昼は髪をカットした。くろまめに「技術料」4000円を支払う。その後昼風呂に入る。 くろまめが手賀沼温泉、満天の湯に行きたいというので送り届ける。2時間後に迎えに来ることに して近辺でカメラの被写体をさがす。スズメが群れて飛び上がったり横にずれたり、寒さに丸くな りながら。しばらく観察。温泉の駐車場へ戻り待機する。老年、中年、若い夫婦連れが次々とやっ てくる。女の人はたいがい3mほど前を歩き入り口に近づくほど顔がほころんでくるようだ。風呂 と食料品の買い物は女の人が主導権を握っているようだ。食料品売り場ではぐれた男はコメントを もらう女の人が側にいないと首を回してさがしている。風呂から出てくるスッピンで無防備な女た ち、そして年数を重ねた男と女の「力関係」を車の中から「観察」しているとスズメよりも楽しい。
 テレビで北海道の開拓農民で豆をつくっている農家の番組があった。いろいろな豆の種類があって 面白い。豆は模様も色も実に様々なバリエーションがありしかも生命の源とそれの栄養素まで一体 となっているのだから美しい。男達は広大な畑で生活のための豆を大規模生産しているが、一方 女の人たちは珍しい豆を近所同士で手土産として交換する。この豆は自家用として畑の片隅に 植えられる。美味しければ翌年また種まき、また近所に配るのである。ダーウィンの法則のように 美味しくない豆は淘汰され、おいしい豆が生き残る。短い夏にタイミングを合わせて育てる農家の 人の豆の成育に対する愛情と、逆らいきれない自然の気候に対する半分のあきらめ感。良い番組で あった。

タイムスリップ 2011年1月10日

 快晴。風が幾分冷たいが陽光にさそわれ外出。利根川にかかる橋を渡り、つくばに向かう。そろそろ 蕎麦が食べたくなっていたので予め調べておいた手打ち蕎麦屋の電話番号をカーナビに登録する。 カーナビが「目的地付近です。案内を終了します」と言っても周辺にそれらしき店が見当たらない。 おかしい。住所で登録しようとするが「金田」が出てこない。古いカーナビなので住所変更があった かも知れない。店に2度電話してやっと到着。聞くと店が引っ越したとのこと。金田は「コンダ」と 読むらしく見つからなかったはずである。店の奥に通されると2面がガラス窓の角で広々とした田んぼ の景色が良い。十割蕎麦とそばがきを堪能。
 その後、「須田帆布」に寄る。肌触り感、色も気に入ったバッグを購入。長い間使っていると 持ち主の身体に馴染んでくるとのこと。修理も対応してくれるらしい。木材のチップを利用した ペレット・ストーブが燃えていた。
「石焼いも」の提灯が見えたので立ち寄る。見せてもらうと大きな釜にサツマイモが並んでいた。 懐かしい芋のヤニの匂いと木の焦げる匂いが入り混じっている。一瞬で小学生の頃にタイムスリップ する。リヤカーを引いてやってくる焼き芋屋さんから5円から10円の小遣いで芋を買った。新聞紙 で作られた袋に入れてもらう。包丁が入り黄色い実の部分が一段と露出した芋は小さい割には大きく 見えたものだった。小屋の外には薪がきれいに割られ壁状に積んであった。これもタイムスリップだ。 小学生の頃、冬が近づくと校庭で業者がやって来て発動機付きの機械で薪を切る。発動機と丸型の ノコギリの間はベルトで連結されている。よく外れないものだなと校舎の2階の窓から眺めていた。 その後は全校の生徒は手渡しでどんどん運び込み教室の壁に積み重ねるのである。冬の前の風物詩 であった。

新年  2011年1月2日

 穏やかな年明けだ。日本海側では大雪とのことであるが関東は穏やかな晴天でうれしい。 ドライブコースの川鵜は暦が無いので暮れも新年も無く羽根を休めている。人は暦があるので 暮れには過剰に食料を買い求め、食料を交換し、お金を分配し、消息を確かめ合う。冷蔵庫に 入りきれない食料は一番気温の低い部屋を占領する。暮れに人間ドックを受け「メタボ」と言われ 正月は食べすぎに注意するようにと言われたが自然の成り行きに任せている。食べ物がいっぱい 食卓に並びお酒がたっぷりあるということはカロリー過多になっているのは間違いない。
 大晦日に歌番組を見ていると若者向けのアレンジらしくオジサンには合わない。大勢のグループ で舌足らずの声を出しローラースケートで走りまわるステージに感動は無い。昭和30年台の ポップスや演歌の世界が流れると酒が進む。
 本日は朝から酒を飲んでいないので近所の神社に初詣に出かける。断捨離という言葉がはやって いるらしい。私も昔のハガキ、手紙を見直して本日神社の「焼く場所」で焼却した。懐かしい内容 や人との繋がりの歴史なのでそう簡単に捨てられない手紙も多い。引越しなどの時に思い出の品物 を捨てられないのは男が多いそうだ。途中に小学校をすり抜けるので懐かしい「理科室」を覗く。 二宮金次郎の像、百葉箱やパンジーのプランターが並んでいたりして懐かしい。
 初詣のあとはぶらっとドライブ。水鳥たちを眺め、土手のからし菜の成長を確認し、店に寄って 食卓の上に置く150センチほどの長さの木の板を購入した。板は自然っぽさを生かしたものにした。
 今年は「素朴」で「感動」の多い生活を心がけたい。