そらまめの日記12



  宮崎帰省  2015年12月19日

一年前の帰省は車で帰り往復3300キロの走行であったが、今回は一週間ほどの帰省 で新幹線で帰ることにした。指定券の時間に乗り遅れとる全ての行程が狂ってしまうので 目覚まし時計を引っ張り出したが普段使っていないので信頼度が悪い。緊張して目覚まし の時間より相当はやく目が覚め暗いうちに電車に乗った。 小倉で日豊本線に乗り換えだが電光掲示板を見ると人身事故で1時間50分の遅れと出て いる。単線を走る特急なのでダイヤの乱れには弱い。指定券を取っていた特急は運行が キャンセルとのことで、しばらく待っているとひとつ前の電車が入線してきた。ホームの 自由席乗り場は長い行列。指定席乗り場はそれほどでもなかったのでそこに並んで乗り込む。 ひとつ前の電車なので指定券を持った人が乗り込んでくるのではないかと気を揉みつつ、 大分からは自由席に乗り換え、結局はずーっと座ることが出来た。宮崎駅で下車。駅員に 指定券が使えなかった旨を伝えて払い戻しをしてもらった。若い駅員は経験が浅いのか 事務所の奥のほうで「払い戻し規定」の確認しているらしくて5−6分後に現れた。 結局特急券が半額になった。予定の時間を一時間ほど遅れてホテルにチェックインした。    翌朝はくろまめの友人と落ち合いお茶をした。人生を楽しんでいる様子だった。その後 レンタカーを借りて銀鏡に向かう。車は小型のマーチにしたが天井が思っていたよりも 高くて快調だった。途中、以前立ち寄ったことがある「民芸喫茶」に立ち寄る。淹れて くれたお茶をストーブの傍ですする。昔の工具や農機具などが置かれていて飽きない。 ヒョウタンの話になったら5−6個ほど探し出してくれて貰った。川と崖の間の山道を 走り出す。ケータイの電波は届かない。人家のあるところでは電波が入る。 ケータイが鳴り祭りの旗を持つ人が足りないのでよろしくとのこと。もちろんOKの返事。 銀鏡に入るとバスから降りる若い女子のグループがいていつになく華やかだ。くろまめの 実家に到着。大きな魚のクチジロの釣りで有名な枝本博人さんが勝手口にクチジロの刺身 を20人前ほど持って来てくれた。数日に分けてたっぷりといただいた。しばらくすると 笛や太鼓の音が聞こえてくる。ここの神社で幾つかの「神様」が合流する。座敷で焼酎と しきたりに則った食事で休憩しその後、銀鏡神社へ向かう。その様子を見学しようと若い 人たちが団体でやってきた。出発。私は旗を2本持って先頭を歩いた。 途中から若いボランティアが1本持ってくれた。カメラの人たちがひっきりなしにシャター を押す。私も彼も良い経験になったと思う。暗くなって夜7時から神事、その後8時から 夜を徹しての神楽が始まる。民俗学の研究者、カメラマン、お祭愛好家などが来ている。 京都造形芸術大学の梅原賢一郎教授と学生たちのグループも毎年来ているとのこと。 今年は温かで良かった。夜半から弱い雨がパラパラしたが予めブルーシートで天井が設営 されていたので大事にはならなかった。知り合いと会ったり疲れてくるとご祝儀を包み受付 に出す。折り詰め弁当の引換券をもらい座敷に上がる。車で来ているので焼酎は飲まなかった が弁当を食べると社交場と化し神楽を見るのは半分になってしまう。 私たちは明け方に一旦家に戻り仮眠した。       翌日はお昼頃からの「シシトギリ」、「神送り」。その後イノシシ肉の入った粥が振舞われる。 帰途につき再び旗を持つ。笛や太鼓の人たちの歩く速度を時々確認しながら自分の速度を決める。 来るときよりはカメラの数は少ないが沿道の人たちが手を合わせたりしている。往復で5キロ ほど歩いた。翌朝は腰が痛かった。 写真家の赤阪友昭さんと若い人たちのグループが神楽の話を聞きにきて座敷に上がった。 くろまめの父は祭の中心的な役割をしていて「生き神様」とも言われている。いろいろ質問も 出たようだ。 その後川原で「ししば祭り」があるというので出かける。イノシシの肉を神様に捧げこの一年間 に獲った鳥獣の供養の神事が行われる。その後回りの見学者たちにお神酒がふるまわれその後 イノシシの肉がふるまわれる。首の回りが特に美味とのこと。脂がのっていて弾力がある。私も 竹串に刺した肉を焚き火で焼くお手伝いをした。「ししば祭り」の珍しい光景に皆シャターを押す。 川原から道路に戻ると見学者のリクエストにより「銀鏡の本」に著者の即席のサイン会が始まった。       翌日は裏山に登ってみる。外気は下がって雪がチラホラしていた。ムジナの糞、シカの糞を 踏まないように歩く。野いちご、マンリョウ、ウラジロなど植物の種類が多い。斜面が急なの で注意していても滑ってしまう。所々に蜜蜂の巣箱がある。植えた若い苗木の芽はシカに食べ られているものが多い。道路の交通規制の時間帯の関係で予定より早く夕方宮崎に下った。 夕餉の後ホテル泊。    翌朝、ガソリンを満タンにしてレンタカーを返却、来た時の逆のコースで一路東京へ向かう。 今回もいろいろ新しい経験をすることができた。

  冬至近し  2015年12月4日

冬至が近づいてきた。本日は風が強かったので西の空は空気が澄んでいるようだ。 太陽の沈む位置が夏に比べるとだいぶ移動したようだ。 小惑星探査機「はやぶさ2」がスイングバイして旅立ったようだ。宇宙空間で正確に 探査機に位置を特定し制御して目的を達成し帰還させるという。科学の進歩には 驚くばかりだ。自分も若い頃は地域のマラソン大会やジョギング大会に出たりして いたが「スイングバイ」を試みていたのだ。疲れて足が重くなってくると前方に若い 女子を見つけ横に並ぼうと加速する。足が少しは軽くなるから不思議だ。横に並んで しばらく並走し追い越せば「スイングバイ」であるが大抵は力尽きてまた差をつけられ るので「スイングバイ失敗」となる。 ネットで宇宙の大きさの例えについて調べてみた。地球を直径1mmの仁丹の粒に例える と太陽は10m先にある直径10cmのソフトボールの大きさとのこと。太陽系の直径は 800mで、一番近い恒星までは2700kmとのことである。2700kmといえば 日本の北海道から沖縄ぐらいまでの距離だ。お隣さんの恒星までが仁丹の大きさと日本列島 で光の速さで4年ほどかかるというのであるから考えると寂しくなってしまう。38年ほど 前に打ち上げた惑星探査機の「ボイジャー1」がやっと800mのあたりの太陽系を抜け、 あとはひたすら真っ暗な宇宙空間を進んでゆく。地球は孤独なものと思うが科学技術の進歩 で今は海の砂ほどもあるたくさんの星たちの生き様を観測することが出来る。良かった。 宇宙からぐっと四畳半的になるが、またまたテレビの録画が出来なくなり出張修理に来て もらった。前回と同じような現象なのでまた基板の交換かなと思っていたが、結果的には 装置の故障は無くて主電源ボタンの長押しによるテレビのイニシャライズで簡単に解決した。 そんなこともあると思い前日に主電源をオン・オフしたが「長押し」はしていなかった。 修理担当が帰ったあとにマニュアルを注意深く読んでみたら確かに「長押し」の記述はあった。 他に何か質問はありませんかと言うので以前から気になっていた「連ドラ予約」が出来ない ことがある点を聞いた。「○○○○」というシンプルな番組表でのタイトルであれば問題なく 連ドラ予約が出来るが、「○○○○サトイモの産地」とか「○○○○最終回」のように毎週 タイトルが変わる番組は違う番組と認識して予約できないことがあるらしい。さっそく マニュアルを見て「追跡キーワード」を編集、余分なサブタイトルを削除し「○○○○」と いうシンプルなキーワードにした。テレビの中にもそれなりの複雑な世界があるようだ。

  兵馬俑展  2015年11月30日

 先日飲み会が東京であったのでこれを機会にギャラリーをハシゴすることにした。 まずはチケットを貰っていた汐留の「ゴーギャン展」。ゴーギャンとその時代の 画家たちの展示だ。くろまめは説明パネルの水彩、油彩、木炭など個々の絵に使わ れている画材を熱心に見ていた。 次に上野で下車。東京国立博物館の「始皇帝と大兵馬俑」展へ。イチョウが色付き 噴水の周りの広場ではテントが張られ何やら催し物が行われていた。戦国時代を統一 して度量衡の統一をしたとのことで青銅でできた重さや量の基準器が展示されていた。 記録のための竹簡が展示されていて、文字は竹を削ると簡単に改ざんされるとのこと で工夫が示されていた。文字を内側にしてスノコ状に巻き、紐でしばってその端を 粘土で固めそこに責任者の刻印していた。現代でも高級な酒は栓をワックスで留めて 刻印しているが同じアイデアだ。食器や剣などに刻まれている文字は現代の漢字に近 いものだ。くろまめは篆刻を「再開」したいと言っていた。第二展示室は銅製馬車や 兵馬俑など一部複製もあるが本物の迫力はすごい。これだけのものが盗掘されずに残っ ていたのはどのような情報管理があったのか。最後に記念撮影コーナーがあり記念撮影 をした。 くろまめと別れ、東○ハンズへ。いろいろな種類のガラス棒やツールがたっぷりと あることを期待していったが、そのコーナーは小さく期待はずれであった。それでも せっかく来たので何本かのガラス棒を買った。その後、飲み会の店に向かったが 手持ちのガラス棒が割れないように気を使った。深夜、ガラス棒も無事に帰宅。

  です・ます調  2015年11月12日

 ネットでニュースを読んでいて文体に違和感を感じることがある。新聞や ニュースは大体が「だ・である調」で自然だが某NH○のネットニュースは 「です・ます調」のようだ。特に国防に関連したニュースで、領海が脅かされ ている報道が「監視活動を続けています」とか「分析を進めています」では 迫力に欠ける。いろいろな国の報道官の発表でも毅然とした口調の国もあれば いつも「おとなしい」口調の国もある。これは対外的な印象はかなり違ってくる。 小学校の時のテストで高学年になった頃か「答えを書きましょう」から「答えを書け」 になって少し驚き少し大人になったような気がしたものだ。

  旧吉田家住宅歴史公園  2015年10月16日

 先日、柏の旧吉田邸でくろまめの野外スケッチがあり、まだ行ったことが 無かったので送迎がてら訪れた。江戸時代の終わりごろ醤油の醸造で財を成した らしい。60歳以上は入場料が100円だ。立派な門構え、主屋の屋根は分厚い カヤブキだ。囲炉裏からは煙が立ち昇っている。 ガイドの方も居て丁寧に説明してくれた。カヤブキ屋根は筑波流とのことで 稲ワラ、ススキ、茅、篠竹などでできており色違いの層になっていた。カヤブキ の厚さは財力を現しているとのこと。屋根半分の吹き替えの見積もりをとったら 七千万円だったらしい。座敷に上がる。居住部分は今は畳が敷いてあったが昔は 板の間で、特別なときに畳を出してきて敷いたとのこと。中ほどに武士の使いを 迎え入れる玄関と座敷があり釘隠しの金具がちょっと立派になっていた。その奥に 書院造の部屋があり床の間があり釘隠しは一段と立派になっていた。 中ほどに金庫部屋がありセキュリティのために戸の隙間をとおして話をしてお金の やりとりは床近くの手首がやっと通る穴をとおしてやり取りしたらしい。この帳場 は寒かったらしく後には日当たりの良い庭に面した場所に小部屋を増設したとのこと。 この小部屋には緑色のガラスが入っていてマジックミラーのようになっていたらしい。 女中部屋があって引き戸を開けると大きな音がした。醤油の職人がいっぱい働いて いたので夜這い防止に大きな音が出るように作られているとのこと。廊下の柱は四面 は柾目が出るような材を使っていて、隠れた贅沢らしい。 吉田家は江戸時代には大きな放牧場を幾つも持っていたとのこと。江戸に近いため に馬を牧畜していて良い馬は江戸に送り出来の悪い馬は農耕馬になったらしい。 土間の上にツバメの巣の跡が7個ほど見えた。今は住んでいる気配は無い。ガイド さんに聞くと昔は自由に出入りできる隙間があったが警備会社が警備を始めてからは ツバメが飛行するとアラームが鳴るのでツバメの出入口にガラスをはめてしまったとの ことであった。 いろいろタメになる話を聞くことができた。写生のお仲間たちの描いている絵を横から 観賞したり。秋晴れ無風の良い一日だった。

  冬支度  2015年10月9日

台風が珍しく関東の東側を北上した。空気の渦巻きの関係で珍しく北風の台風一過 となり一気に北の冷たい空気が流れ込んできた。夜には10℃を切り「冬支度」 という言葉が頭の中をめぐり始めた。それにしても気象庁の台風の進路の予想が 良くあたるようになった。科学の進歩で観測技術や精度が上がった結果と思う。 小さい頃から気象が好きで新聞の天気図を良く見ていた。台風や低気圧が発達した 時には密集した同心円の等圧線を見てワクワクしたものだった。あるときから気象庁 の等圧線を描く基準が変わり密集度がゆるくなってしまった。強い台風も間抜けな 感じになりがっかりしたものだった。 自然界も冬支度に入ったようだ。夏野菜の葉っぱは固くなり最後のお勤めの花を 咲かせている。イチョウの木は熟した実を落としている。恒例のギンナン拾いを する。実が完熟しているので簡単に種が外れる。お土産にすると喜ばれる。 本日も友人にギンナンを差し上げた。食べ方の話からオスの木、メスの木の話に なり、得意の種の形によるオスメスの区別の「ウンチク」を語った。メスの種は 全体の3〜4%しかないのでなかなか見つからなかった。ギンナンの実をつける ためにはオスの木を傍に植えなくてはならないのかね〜という話になった。 調べてみるとイチョウは風媒花なので数キロ以内にオスの木があるときは、ほぼ 確実に結実するとのこと。またまた「ウンチク」が増えました。

  スーパームーン撮影  2015年9月29日

一昨日は「中秋の名月」昨日は「スーパームーン」とのことで車で近場を走り回った。 来客もありお月見ということでキクイモの花を採りに行ったが去年より少なめだ。 先端に咲いている若い花を求めて少しずつ集める。咲いてるなと目を付けていた 場所に行ってみると清掃のオジサンが機械で刈り進んでいた。あと数メートルという ところで間に合って3本ほど入手した。清掃のオジサンは笑っていた。ススキも 入手して体裁よく飾った。 昨日は「スーパームーン」ということで弁当と飲み物を買い田んぼ方面の見晴らしの 良い場所に陣取った。日は西に傾いていたが日没までにはしばらくかかりそうだ。 一旦家に帰り出なおすのも億劫なのでそのまま居座った。秋らしいウロコ雲を残して 赤く空を染めて日が沈んでいった。鳥たちが寝ぐらに急ぐ。見ていると白鳥が3羽 水上を滑走して飛び立ち水平飛行に入ろうとしていた。とその時1羽が音を立てて 橋の欄干にぶつかり水面に落ちた。初めて見る光景にビックリした。4−5枚の羽が 千切れて白鳥の回りに浮いていた。幸い白鳥は大事なく泳いでいた。少しねずみ色 がかっていたので若鳥だったのかも知れない。暗くなりすぎていたのか飛翔技術が 未熟だったのか。そうこうしているうちにあたりが暗くなってきた。月は太陽が沈 んだ位置の真反対に出るはずなので目を凝らす。地平線近辺はモヤというか雲が かかっていたので少しずつ現れるというよりは全体がポコッと現れると想定していた がそのとおりであった。薄い月が現れたのでパチリ。手振れを防ぐために持参した ミニ三脚をボンネットの上に乗せて自動シャッターでパチリ。ここでまさかの「電池 の残量がありません」の表示。あわてて3枚目をパチリとしたあとはカメラの電源が 入らなくなってしまった。何たる不覚。でも3枚撮れただけでも良かったと「くろまめ」 と二人で納得しあった。弁当まで食べて待機して1枚も撮れなかったら一生の笑い話 だった。 ベランダのスープセロリはトウ立ちしたくて花芽を付けるがどんどん千切っていたら トウ立ちを忘れてリフレッシュし通常のサイクルに入ったようだ。観察のためにトウ立ち をそのままにして置いた株はそのうちに茎が固くなり枯れてしまった。 畑の力はすごい。ベランダでは生長の遅かったミントが畑では勢い良く伸びている。 ランナーを伸ばし回りへの陣取りを始めている。ランナーを畑のあちこちに挿したり ベランダに逆輸入したりして増えるのを楽しんでいる。 畑の周りでは鈴なりのギンナンが落ち始めている。カラスウリやジュズダマが色付き アケビがぶら下がっている。畑のサトイモを試し掘りをしてみた。まだ少し若いが ネッチリとして美味であった。

  ローハイド  2015年9月15日

畑で「くろまめ」が豆のサヤをむきながら西部劇の気分になったのか 昔見ていたテレビ番組の「ローハイド」の話題になった。 小さい頃、白黒テレビから流れていた「ローハイド」。主題歌の出だし。 を私は「ローエンローエンローエン」と覚えていたが「くろまめ」は 「ローレンローレンローレン」と言う。子供心に意味も解ろうとせずに 音だけで覚えていた。半世紀ぶりにクリアにしたくなりネットで調べて みた。便利なもので英語と日本語が対で出てきた。英語の勉強になったし 半世紀ぶりにモヤが晴れた。 当時は西部劇の番組が多かった。荒くれ男たちがうようよいる西部の街で 家族を守り、牛を守り、時々は馬車に乗って家族と街で買出しに。男も女も 現代と違い、いつも緊張状態にあり必然的に家族愛、夫婦愛がテーマだった。 マカロニ・ウェスタンという言葉も懐かしいが結構レコードも買ったりした のだった。 以下、ネットからのコピーです。 ********************************** Rollin', rollin', rollin' Rollin', rollin', rollin' Rollin', rollin', rollin' Rollin', rollin', rollin' Rawhide! Rollin', rollin', rollin' Though the streams are swollen Keep them dogies rollin' Rawhide! Rain and wind and weather Hell-bent for leather Wishin' my gal was by my side. All the things I'm missin', Good vittles, love, and kissin', Are waiting at the end of my ride Move 'em on, head 'em up Head 'em up, move 'em on Move 'em on, head 'em up Rawhide Cut 'em out, ride 'em in, Ride 'em in, cut 'em out, Cut 'em out, ride 'em in Rawhide! Keep movin', movin', movin' Though they're disapprovin' Keep them dogies movin' Rawhide! Don't try to understand 'em Just rope, throw, and brand 'em Soon we'll be living high and wide. My hearts calculatin' My true love will be waitin', Be waitin' at the end of my ride. Rawhide! Rawhide! ********************************** 進め進め進め 転がるように進め 進め進め進め 転がるように進め ローハイド! 転がるように進め 増水した小川を抜けろ 子牛でも休ませるな ローハイド! 雨が降っても風が吹いても 必死になって鞭を打て 彼女が側にいてくれたら良かったのに 何もかもおれは失っている 良い食料や愛やキスが おれの旅の終わりで待っている 追い立てろ(先頭に立て) 先頭に立て(追い立てろ) 追い立てろ(先頭に立て) ローハイド 切り離せ(割り込ませろ) 割り込ませろ(切り離せ) 切り離せ 割り込ませろ ローハイド! 動いて動いて動き続けろ 彼らは不満かもしれないが 子牛でも休ませるな ローハイド 彼らを理解しようとするな ただロープで縛って、投げて、焼き印を押せ もうすぐおれたちは良い暮らしが出来る おれの算定では おれの本当の愛が待っているだろう おれの旅の終わりでは ローハイド! ローハイド! ******************************************

  秋の音  2015年8月23日

 夏が過ぎ夜ともなると少し寒いぐらいまで気温が下がってきた。コオロギ など虫の声もにぎやかだ。昼間のセミの声は幾分元気が無くなってきたようだ。 4種類ほどのセミの鳴き声が混ざっている。近所のニワトリが四六時中鳴いている。 昨晩は花火を打ち上げる音が遠くから近くから聞こえてきた。我が家は見通しが 良いので遠くの花火でも地表に近い空に小さく丸く見ることが出来る。ズシーン と腹に響くような音が続いていて見えないなと思っていたら裏の側に大きな花火 が上がっていた。 ニュースで「無音盆踊り」というものがあることを知った。FMラジオを携帯し イヤホンで音楽を聴きながら踊るのだそうだ。音への苦情がなくなり夜遅くまで 踊れるのと子供の輪と大人の輪で別々の盆踊り歌を聞くようにすることができる というメリットがあるとのことだが端で見ている人には不気味な光景だ。 このような盆踊りが増えないことを望む。 畑から帰ってくると収穫物の処理は妻の「くろまめ」が相当時間をかけてやって いる。その中で私「そらまめ」の担当はモロヘイヤだ。妻の作業が一段落した後 に、ざっと洗ってザルに置いてあるモロヘイヤを軽く茹でてまな板と包丁でトン トンして粘りを出しボールに戻すまでが私の担当になっている。粗熱をとるため にボールをその場に置いておくと冷めたころにいつの間にか冷蔵庫に納まっている。 かなりの量をトントントントンして窓は開け放っているので、隣近所からはいつも 釘を打って日曜大工をしていると思われているかも知れない。先日は近所に大工 さんが入っていたらしく釘を叩いているらしいトントンと私のモロヘイヤのトントン のリズムがあまりに合い過ぎてマズイと思い、こちらのモロヘイヤを一時中断した。

  孫と遊ぶ  2015年8月13日

孫が遊びに来た。5日ほどの間に畑で野菜の収穫をしたりヘアカットをしたり 海水浴場に行ったり長いスベリ台を滑ったり花火をしたりした。 利根川沿いを下る。途中の町でバキュームカーが停まっていた。珍しいのは楕円形の タンクの回りがジュラルミンのつい立でカバーされていて一見クール宅急便の車のよ うになっている。その一枚が観音開きになっていてホースが出ていた。バキュームカー は時々見かけるがこのようにカムフラージュされているタイプは初めて見た。道の駅 でスイカを仕入れる。 川幅がだんだん広くなり利根川大橋を渡ると茨城県に入る。波崎近辺に着いたが古い カーナビなので波崎海水浴場の駐車場の位置がわからない。ガソリンスタンドで満タンに しながら道路を教えてもらった。サメ騒動のせいか人出はそれほど多くない。早速持参 したテントを設営する。冬用のテントなので周りの華やかなカラーのテントの中では目立 つ。テント張って荷物を納め手前にシートを敷いて拠点ができると落ち着く。前の日に 雨が降ったらしく砂から白い蒸気が立ち昇っていて幻想的だ。砂もそれほど熱くなく コンディションは良い。孫は波の中に足を入れ大はしゃぎ。途中で買ったスイカで スイカ割りもやった。孫は自分だけで割りたいためなかなか割れない。波が引くと白い 小さな貝(ナミノコ?)が現れる。それを拾って集める。 海水浴場の隣に防波堤がある。向こうに漁船のマストが見える。防波堤に上り沖の 方向に歩いてみた。しばらく歩くと立入禁止の柵があった。振り返ると遠くに風力発電 の大きな風車が回っていた。浜に戻ってまた波遊び。波遊びが気に入ってなかなか帰ろ うとしない孫を説得して海の家へ。シャワーを浴び食事をして帰途につく。 娘から我が家のゴハンの味がイマイチと指摘された。お米は我が家のほうが高いものを 買っている。やはり炊飯器の違いだろうか。妻は今の炊飯器は買ってから20年にもなる と言い新しい炊飯器を買う気満々だ。今日は電気屋さんに見に行った。ずらりと並んだ ピンキリの炊飯器の違いを説明員から聞く。我が家の炊飯器はどんなものか確認もせず に出てきたのでローコストのマイコンタイプと思い込んでIHの特徴などを感心しなが ら聞く。結局、可変圧力+IHの「おどり炊き」というものを購入。帰ってから現状の 炊飯器を確認すると20年まえのマイコンタイプではなく7年前のIH+超音波タイプ だった。こんな大ざっぱな性格のくろまめ、そらまめなのに本当に味の違いがわかるの だろうか。明日電気を入れます。

  猛暑日続く  2015年8月2日

このところ電車で東京へ出かける機会が増えてスイカがロックされなくなった。 先日渋谷で飲み会があり出かける。午後は時間があるので上野の国立科学博物館へ 立ち寄る。調べてみると1995年に家族で「人体の世界」展にきているので20年 ぶりだ。くろまめは夏目漱石の脳の特別展示が印象的だったらしい。常設展620円、 企画展1600円とある。久しぶりなので常設展に入る。地上三階地下三階の建物に 地球誕生から現代までの科学に関わる標本がビッシリと展示されている。大昔の生物、 人類の進歩、機械の発明、エレクトロニクスの進歩。夏休みとあってか子供とお母さん といった組み合わせが多いようだ。子供が科学に興味をもっている姿を見るのも嬉しい が、ちょっと興奮気味の子供たちをゆったりと見守るお母さんたちの姿も良い。 母系集団は生物学的にも安定しているようだ。お湿り程度の雨が降ったようだ。渋谷で 昔の仲間と普段食べないウニやカニなどの料理を食べおしゃべりをして終電で帰宅。 ユニクロにパジャマを買いに行く。ひと回りしてみたが見当たらない。店員に聞くと 最近の若者はパジャマというものは着ないらしい。部屋着のズボンにTシャツなどで 寝ているらしいとのこと。自分は夏でも長袖長ズボンのパジャマの愛好者なので時代 の変化を思った。パジャマの下っぽい生地のズボン?を購入。近頃はズボンという 言葉はあまり使われないようだが、パンツと呼ぶにもオジサン族には違和感がある。 猛暑とあり、くろまめもショートパンツ、七分パンツなど仕入れていた。 昨日は友人夫妻が来訪。最初は風を通していたがふと温度計を見ると35.7℃を示して いる。即エアコンに切り替えた。製粉業界にいらっしゃったのでソーメンの流通の裏話 パンの品質管理の裏話など面白い話であっという間に時間が過ぎた。夕方のビールの ツマミはお土産に頂いた「ぎばさ」にポン酢をかけた。磯の香りが「ホヤ」にも似て いて美味だった。 40年間薬指にあった結婚指輪がいよいよきつくなってきた。畑仕事で関節が太くなった のか連日の猛暑で指が膨張したのか。くろまめは結婚指輪はとっくの昔に外していたが、 前回、ファッションリングを外した。そのときは指の肉が盛り上がっていたので大ごと になり指を傷付けないように手間がかかった。今回は指を傷付けないように、まず透明な プラスチックのシートを小さくカットして指輪と指の間に挿入した。そして「喰い切り」 でパチリと挟むと2秒で終了した。肉の凹みは40年の歴史か簡単には元に戻らないようだ。 気温がやっと31℃まで下がってきた。ニュースで局地的雷雨の可能性を言っている。 アメダスを見ると雷雨が南下してきているようだ。畑にもそろそろ雨が欲しい。 ビールを飲みながら雨を待つことにしよう。

  オストリッチ症候群  2015年7月21日

迫り来る現実の恐怖を見ないようにダチョウが地面に顔を突っ込んでしまうが、 その間に追って来た敵に食べられてしまう、ということと思う。連日の各国の 軍事紛争、経済力と軍事力で拡張主義の国、宇宙の人工衛星まで破壊しようと する研究など。弱った鶏は突かれる。売られたケンカにどのように対応するか。 具体的な事例で対応を考えていく必要があると思う。 近頃は政治が政策を進めていくにあたり反対する事例が多いように思える。 文化人、評論家、芸術家などマスコミが、「慎重な審議が必要」、「丁寧な説明」、 「国民が納得できる説明が必要」などの言葉で締めくくってはいるが単に結論の 先延ばし、体裁の良い拒否と思う。損する人と得する人が同居している国内 問題は時間をかけても良いと思うが、対外防衛政策は待ったなしだ。 選挙にも行かない国民がそれほど政策への判断力を持っているとも思えないし、 大方の国民は本当は納得のいく丁寧な説明など聞きたくも無いのだと思う。 だからプラカードに書かれた「標語」レベルのものに影響を受け、簡単に内閣 の支持率が上下するのだと思う。 特に防衛にかんしてはトップに適当な裁量権を与えるべきであって、制限事項 の過度のオープン化は敵に手の内を見せすぎることになり国を亡ぼすことに なるのではないだろうか。

  久しぶりの青い空  2015年7月10日

晴れました!久しぶりです。東京では10年に一度ぐらいの記録的な日照時間 の少なさとのこと。窓を開けて風を通しベランダの鉢たちを移動してたっぷり と太陽の光を当てた。外に出ると地面にもたっぷりと紫外線が当たっていて はびこっていたであろう雑菌たちも消毒されたようだ。 ひまわり8号が運用を開始したとのこと。これまでよりもきめ細かい画像で 1秒間のコマ数も多くなめらかな雲の動きになった。センサーの感度が相当 アップしたようだ。最新の宇宙望遠鏡で宇宙の果ての近くの銀河まで観測で きるようになっている。センサーの技術進歩がなければ新しい発見もなく、 新しい発見がなければ新しい理論もできない。新しい事柄が無い世の中は退屈 な世の中になってしまうのだろう。 北欧のオーロラの番組で、オーロラを映すときに光量が足りないためにコマ数を 減らし感度を稼いでいると思われる。夜空のオーロラに明るさを合わすので地上 のログハウスや雪景色が明るくなり過ぎていた。分解写真のようになっていたが センサーの感度があがればなめらかな映像でオーロラを楽しむことができそうだ。 スーパーで天然水の売場がどんどん広がっている。値段も自販機に比べると 相当安いので我が家も愛用している。自分が子供の頃はそんなに水分をとって いなかったように思う。ストレスの多い世の中になって口の中が乾いているの かもしれない。今回の雨続きで少しは供給の補充になっただろうか。

  G-SHOCK 復活!  2015年7月1日

6月9日に久しぶりにご対面したG-SHOCK。 動いていてビックリしたものの表示が薄くなってきたので 電池を交換したら表示が出なくなってしまっていた。 本日、修理にとりかかる。 分解してゆくと中は電子部品の基板だ。 当初はパーツの接触不良と思い半田ごてで「ジュワァ〜」と 再接着しようと思っていたがパーツが小さすぎて断念。  「エレクトロニック・クリーナー」を吹きかけてみた。 再組み立てをしようとしていたら小さなバネ状のパーツが ポロリと落ちた。さあ大変。 どこに付いていたかわからない。 単なるメカではなく電気の通り道のようなので重要そうだ。 かすかな記憶をたよりにバネと格闘すること2時間あまり。 小さいパーツなので虫眼鏡で眺めたりピンセットを使ったり、 正しい完成形がわからないので半分は想像力だ。 何とかそれらしい形になり、組み立てて、ピンセットでリセット 端子に電圧を与えたら表示が出ました!  時刻も合わせ「くろまめ」の腕で復活しました。 愛用してくれるとのこと。

  夕暮に  2015年6月29日

 天気も良く風も穏やかな夕暮れ。食卓には畑の収穫物で作った食べ物が並ぶ。 ジャガイモとキュウリを使ったイモサラダ。ラッキョウ漬け。ピーマンとナスと ひき肉を定番のテンメンジャン、トウチ、ナンプラーで味付けしたもの。頂いた 日本酒をゆっくりと味わう。 それにしても近頃の世界情勢は緊迫している。ウクライナ、クリミア、中近東、アフリカ、 南シナ海。武力を全面に押し出したごり押しの現実に各国も及び腰だ。軍事バランスや 経済の相互依存で強い政策を打ち出せない。「民主国家」が人権や人道で内部崩壊して いる間に「社会主義」の人権を制限した国家が強大な軍事、経済の国家にのし上がる。 「羽翼すでに成り、動かし難し」か。 戦争の悲惨さを伝えるということで沖縄、広島、満州などの悲惨さが番組や記事になって いる。戦争は悲惨だ、戦争に反対。これは万人に共通する思いに間違いはない。ただ 悲惨さを訴えるのみでは世界情勢の変化にはついていけない。弱ったニワトリは仲間に も突かれるのだ。力のバランスが必要で力の足りない国は強い国に守ってもらうしかない のは自明の理だ。 学者、マスコミや評論家という「国防」に直接責任の無い人々が、憲法を守る、表現の 自由、人々の気持ちに反する、議論を尽くす、説明不足、などの言葉をこねくり回して 国論を二分するように誘導しようとしているのはいかがなものか。ガラス張り過ぎる 議論で政府への手械足枷を世界へ発信するのは国益からはほど遠いものだ。「評論」する のではなく、激変する世界情勢に対し国防の具体的な方法論を戦わせて欲しいものである。

  母を想う 2015年6月21日

 母が亡くなってから1年になった。思い出は薄れてゆくどころか思い出すことが 増えてきた。花が咲いた、好きだった食べ物、旅行先の映像、畑の野菜が出来たり、 写真を見たりすると思い出が尽きない。 先週は横浜のお寺で一周忌の法要を済ませ、お経とご先祖様との一体感で気持ちが落 ち着いた。一昨日は戦後一緒に引揚げてきた親類に来訪いただき引揚げてからの大変 な苦労話を聞くことができた。貴重な話なので了解を得てICレコーダーで4時間の間 録音させてもらった。 戦前はお嬢様育ちだったようだが一転して戦後は生活してゆくのが大変だったらしい。 不平不満は聞いたことがなく、人生の流れを自然として受けいれてゆく大らかな性格 だったと思う。56歳ごろから同居し、それからは畑、海外旅行、国内旅行、ソシアル ダンス、ちぎり絵など趣味三昧。自分が60歳を超えるような歳になってきて、母は 結構体力があったのだと思う。70歳を超えた頃にはNHKの英会話講座のテキストを 買ってきて勉強していた。孫と一緒に暮らし、曾孫の顔を見ることが出来たので幸せ だったのだと思う。 今日は、畑が好きだった母を偲んで早朝から畑に行った。野菜を収穫し好きだった アジサイを摘んだ。露出しているジャガイモに土を被せながら、芋の出来具合を見て 土を被せる仕草を繰り返していた母を思い出した。帰りにはコンビニで好きだった 「玉子サンド」を買った。父の日ということもあり、父の好物だった「あんぱん」も買 った。仏壇の頂き物の果物やお菓子の間に「玉子サンド」と「あんぱん」が並んでいる。

 受信確認  2015年6月16日

 先日新聞で食品の通販の広告があり申し込むことにした。色々な申し込み方法が あったがパソコンだと入力が面倒くさそうだったのでファックスにした。受付確認 がファックスもしくは電話であると思っていたが音沙汰がないので電話をしてみた。 パソコンに登録済みか訊ねるとファックスがいっぱい溜まっていてまだとのこと。 登録されたら連絡が来るのかと聞くと「そういうものはありません」との回答。 機械が故障していたり紙が風で飛ばされたりファックス番号を間違えたりの可能性 があるので受付確認の連絡は必要なのではと言っても「ファックス番号を間違えたら よそに行ってるかも知れませんね〜」とのんびりしている。この電話でも注文を受け 付け可能ですとのことなので口頭で申し込む。ファックスとダブらないようにしてくれ と言おうとすると先方から「ファックスとはダブらないようにしておきます」と。 この辺はしっかりしているようだ。 受信確認というと昔「通信」の仕組みをやっていたころACK(アック)/NAC(ナック) 方式というのがあることを知った。送信側からデータを送っても途中で線が切れていたり ノイズが入ったりしてしまうことがある。受信側で正しく受信しましたというACK信号 を送信側に返して、送信側はその信号を確認してから次のデータを送り出すという方式だ。 重要な情報やお金の金額にかかわるようなものはこの方式が良いが少しぐらい間違えても 問題ないような情報は「垂れ流し方式」もあった。 それにしても最近のパソコンを使った通販は便利になっている。申し込むとすぐにメール で内容確認や宅急便の番号などが届く。荷物がどこまで来ているかも追跡できる。便利な 世の中になったものだと思う。 通信ということで「のろし」のことをネットで調べてみた。江戸時代は大阪で決まった 米相場を「のろし」を使い2−3時間で江戸まで伝えたらしい。また戦国時代のは「のろし」 の部隊を襲って偽の「のろし」をあげて敵をかく乱させたりしたらしい。この時代、 間違った「のろし情報」が伝わったこともあると思うが「受信確認」はあったのだろうか。

 この頃  2015年6月11日

 ベランダの菊に黒いアブラムシがいっぱい付いていて、水攻撃のために水鉄砲を 買っていたが最近虫がいなくなって水鉄砲が所在無さげだ。一週間家を留守にした ときにやはり水不足だったようで葉っぱが乾燥気味だった。住みにくい枯れる寸前の 葉っぱに見切りをつけて去って行ったか、そういう季節なのかは不明だ。その後の 手入れで菊は元気を取り戻した。 最近の子供のオモチャはすごい。キッチンのオモチャは蛇口がひねる方式ではなく 現代風に上下するレバーになっている。いっぱい出るポジションではジャーーという 音がして水が少ないポジションだとポッチャーンポッチャーンと水琴窟のような音に なる。エレクトロニクスをオモチャに応用する技。感心する。 自称、大ざっぱな性格であるが財布に中のお札の向きは揃えるのが常である。財布を 開いたときに下から1万円札、5千円札、千円札の順番になり、それぞれ裏表も揃え ておく。スーパーのレジでお釣りをもらう時はほとんどの場合なぜかしら5千円札と 千円札の位置関係が逆になっているのだ。お札の上に乗った小銭はお札を丸めて 小銭入れにザーッと入れるが、そのあとお札を並べ替えるのに2秒ほどのロスタイムが 生じる。レジ係りに言うほどのことでもないので毎回同じことを繰り返している。 イワシが安いので時々買うが、「くろまめ」がハラワタを出してもらうようにお願い していた。安い魚なのでお願いするのにちょっと気が引けるのが男だ。その後の オバサンがイワシを買いヒラキにしてもらうようにお願いしていた。店の人は気持ち 良い返事でハイヨーッと言ってさばいていた。世の中そういうものなのか・・・。 でもタタキにして下さいといったら、さすがに断るのだろうか。 近頃の、以前からも、自分の料理は中華風一本だ。中華ナベ、ニンニク、テンメンジャン、 トウチ、ナンプラーの組み合わせで味付け。トウバンジャン、オイスターソース、山椒は オプションだ。材料は豚バラ肉が必須であとはその時にある野菜。豚バラは脂が多いと 「くろまめ」は嫌がっているが中華には合う。作り置きとか下ごしらえといった複雑な 手順の無いワンアクション料理だ。味は毎回ほぼ同じになる。

 宮崎への帰省  2015年6月1日

 5月25日から「くろまめ」の実家のある宮崎へ帰省し昨日帰宅した。半年前 には車で帰った。往復で3400キロほども走り、まだ少し余韻が残っているよう なので今回は新幹線で帰ることにした。 朝早く出たが通勤のサラリーマンたちがいっぱい。数年前までは片道一時間半も 満員電車で通勤していた時のパワーが信じられないほどだ。新幹線に乗るとホット するが窓が小さい。景色が見えにくいのに更にカーテンまで下ろしている人が多い。 久しぶりに新幹線に乗る自分としては外の景色を楽しみたいところだ。時おり見え 隠れする高速道路に半年前のドライブを思い出す。関門橋を通る時はとっぷりと 日が暮れてミゾレが降っていた。新幹線はトンネルであっという間だ。小倉から 日豊本線に入る。大分までは特急らしい走りだ。車窓からは黄色く実った麦畑が見える。 大分からは特急ではあるがガクンと速度が落ち線路の継ぎ目の音も大きくなる。 停車する駅も多く各駅停車並みだ。停車駅にはだいたい錆び付いた線路が脇に見え 栄養不足でヒョロヒョロと伸びた野草がそれでも可愛い花を付けている。 庭の生垣「マキ」の剪定をする。花粉の量がすごい。触ると黄色い花粉が煙幕のように 飛ぶ。アレルギーは無いのでマスクはしなかったが飛んでくるときには息を止めた。 公園にソテツがあり赤い実をいっぱい付けていた。夜はCDで石笛(いわぶえ)の 演奏を聴いた。穴の空いた自然石からこれだけ幽玄な音が出ることに驚いた。「白神山地 の四季」のCDからも流れの音、木の倒れる音、野鳥の声、雷の音など生きている音がした。 義母に依頼された宮崎牛の超高級部位の肉などを買って銀鏡に上がる。新品のバーベキュー セットに火を入れてエージングする。松明用の木片を使うと点火が楽だ。夜に上ってきた 人たちは鹿に体当たりされてボンネットが凹んだとか、数えたら20頭の鹿に出合った とか。鹿はファミリーで現れるらしい。道路わきの崖を鹿が走ると路上に尖った石が 落ちてパンクするらしい。鹿やイノシシの話題が多い。 翌日は親戚が集まってバーベキューだ。イノシシの肉や野菜が加わる。キツツキの ドラミングの音や野鳥の鳴き声が引っ切りなしに聞こえてくる。 半年前の帰省のときに集めた枯れ葉が良い堆肥になっていた。植えたイチョウの種から も芽が出ていた。草取りの作業。段々畑の石垣の草も取る。ぐるりと張ってある電柵の 下から伸びている雑草も退治して漏電を防ぐ。 渓流に下りて沢の音を聞く。トンボを見る。水の中には「ヤマメ」がいっぱい泳いでいる。 「石笛」になりそうな石を探すが、そんなに簡単に見つかるようなものでも無い。 蜜蜂の巣箱を幾つか設置しているがなかなか入らないらしい。蜜蜂に詳しい人に話を聞く。 昨年は越冬できない蜂が多かったとのこと。蜜を全く採らずに10年置いておくと繁殖して 大集団になるらしい。柚子の花に蜂が取り付くと柚子の子房を鉢の足で引っ掻くことになり 肌のキタナイ柚子になるとのこと。 霧島東神社を参拝する。親戚の家の近くにあるお蕎麦屋さんで昼食。霧島の湧き水で打った 蕎麦とのことで美味。天ぷらもからっとあがっていた。道の脇の水路には見た目も清らかな 水が走っていた。雨の中、神社への山道を登る。普通車でも乗車人数が多いと登れなくなる ほどの傾斜らしい。 帰る日。早朝の駅はローカル電車に乗り降りする中高生が多い。田舎への旅は、いろいろな 世代の人たちと出会う。人生を短時間で早送りで見てしまったような妙な気持ちになる。 日豊本線を走る特急がだんだん速くなり新幹線に繋がる。頭の中の回路が少しずつ都会の リズムに変わっていくのを感じる。東京駅から成田行きの直通の電車があり始めて乗った。 最後に座れて良かった。新聞を止めるのを忘れていて新聞が積み重なっていた。留守中に 大きな地震があったようだが被害は無かった。薄暗くなっていたがベランダの鉢たちに たっぷりと水を遣った。

 久しぶりの雨  2015年5月12日

 久しぶりの雨が降った。昼間からパラパラしてはいたが夜の9時近くになって 外から雨音が聞こえてきた。畑の土もたっぷりと水分を蓄えたと思う。昼間は風 が強かったので野菜が倒れていないか心配だ。心配事がゼロになるということは なかなか無いことだ。 以前からベランダで「タイム」が育たない。今年もプランターに苗を植えたが数日で 枯れてしまった。他のハーブは順調に育っているので不思議だ。途中から土が変わると いけないのかと思って今度は種を蒔いてみたが芽が出てこない。先日畑を見たら同時に 蒔いた種からタイムの芽が出ていた。やはりプランターの土の成分が合わなかったのか。 今度は畑から土ごと引越ししようと思っている。 ベランダの菊に黒いアブラムシ?が付くので先日アルミホイルを敷いて光攻撃を試みたが 効果は無かった。葉の裏にいっぱい付いていた。葉の表にも数匹いたが反射光を嫌って 表に出てきたとすれば少しは効果があったのだろうか。手で落とすのが手っ取り早そうで あるが100円ショップにあった水鉄砲での水攻撃も一考する価値がありそうだ。

 トウ立ち  2015年5月8日

 畑のえんどう豆は今が盛りとどんどんサヤを付けツルを空に向かって伸ばしている。 ネギ坊主はちぎり取られ、ベランダのスープセロリは花芽が付きそうになるとカット される。生長して固くなった野菜は嫌われる。春遅い頃の道端にアブラナ科の黄色い 花を咲かせてのんびりと佇んでいる植物たちがいるのは平和な光景だ。 公園などで見る子供たちは、ほぼ間違いなく走っていてお母さんが追いかけている。 「疲れを知らない子供のように〜」という歌詞が思い浮かぶ。朝ドラで若い女性が 柔軟に踊る映像が出てくる。踊りは太古の昔からあったようだが柔軟な筋を表現する 踊りは年寄りから見れば羨望、若い人からすれば一種の「若さの見せつけ」なのか。 自分も昔は体操は筋肉を付けるためと思っていて「柔軟体操」の存在する意味が分か らなかった。今は十分に理解できるようになった。鶏も牛も動き回って筋肉が付けば 嫌がられる。若いトウ立ち前が珍重されるのは家畜も野菜も同じようだ。

 ソフトの乗換え  2015年4月25日

 オンライン画像閲覧ソフトが動かなくなってから時間が経過した。このソフトの フォーラムを覗いても「暫定の対処法」とか「OSの入替え」というトピックスが飛び 交っているだけで肝心のメーカーがバグを直す気があるのかあるとすればいつ頃になる のかという情報が全く伝わってこない。やはり「誘引」と思われる。 ソフトを乗り換えることにした。とは言っても大量の画像が「人質」にとられているの でまずこれらを自分のPCに救出しなければならない。幸い暫定の対処法としてキーボード の「F12]キーを使って一時的に表示させることができることがわかった。最初は写真を 1枚ずつしかダウンロードできないと思い途方にくれていたがやっているうちにアルバム毎 のダウンロードが可能なことがわかった。まず全部の写真を吸い上げた。 次にこれから使う新しいシフトの選択だ。無料のソフトがいろいろあるが最近ニコンの カメラを買ったこともありニコンのオンライン画像閲覧ソフトにした。使いやすくできて いてダウンロードしておいた画像を新しいニコンのソフトにアップロードした。 最初は2GBのベーシック会員で進めていたがニコンのカメラを持っていれば特別会員に なって容量が10倍の20GBになるという。手順のままに手持ちのカメラをUSBケーブル でパソコンに接続。確かに持っているぞということを確認したらしい。すぐに特別会員になった。 便利な世の中になったものだ。 一応画像はアップできたものの説明文のところが「人質」のままで救出できなかったので 今のところちょっとシンプルだが少しずつ使いやすく改良していきたいと思う。

 誘引  2015年4月21日

 ホームページで使用している画像閲覧ソフトが最近表示されなくなった。海の向こう で新しいソフトウェアの体系に移行しているらしい。閲覧ソフトの会社で供給している OSでは問題なく見れるとのこと。どうも自社のOSにユーザーを「誘引」したいという 考えがチラホラ見える気がする。ソフトはアッパーコンパチにするのが原則だが戦略的に しろ技術者不足にしろ対応があまりに遅いと画像が人質にとられたようで魅力よりも嫌気 が勝ってやぶへびになってしまうと思う。 最初に普及しやすい低価格で供給し、十分に普及して変更ができなくなったころに「回収」 に回るというのはビジネスの世界ではよくあることだ。何年か前になるが「1円入札」と いうのがあった。ただ同然でも一旦大きなシステムを入れてしまえば2年目からは他社の 「侵入」を防げて大儲けというシナリオなのだろう。 平和のため、治安のためと言いながら他国に軍隊を送ったり、武器を供給したり、大量の 資金の力で「金色夜叉」みたいに各国をひれ伏させたり、核兵器で脅したり。皆必ず友好 のため平和のためと言いつつ、力の原理をごり押しする。経済援助をしてくれる国に遠慮 して批判を控えているうちにいつの間にか支配されてしまう。これも「誘引」なのか。 えんどう豆のツルを支柱に誘引したり、ミツバチをランの匂いで巣箱に誘引したり、 自然界の誘引は穏やかだ。

 真空管ラジオ−9  2015年4月13日

NHKも聴けるぐらいまで調整ができた。いよいよスピーカーを箱に納める。 真空管の姿を見ていたいのと、まだ改造があるので本体は外に出したままだ。 スピーカーの修理は始めてのことで、構造が理解でき良い経験になった。まさか コイルまで巻くことになるとは想像もしていなかった。今時のパーツ、部品は IC化されていて超小型で装置を小さく作りこむには便利だが、中身はブラック ボックス化されていて修理できなくなっている。部品は大量生産で価格は安くな ったので修理するよりは交換して捨てたほうがはやいようだ。昭和の頃の部品は 大きくて人間が介入できるスペースがまだあった。昭和のラジオ少年の頃の雑誌 で「初歩のラジオ」とか「ラジオの製作」というのがあって愛読していたが 回路図のなかにブラックボックス化したICが登場しはじめてから面白くなく なった。人間に例えるなら口からご飯を食べたら肛門から便がでますよ的な シンプルさでは面白くなく、やはり食道や胃腸、消化液、栄養の吸収の仕組み などまで知っておかないと、いざというときに対応ができないのだ。 まずは当初の目標であったオリジナルのマグネチックスピーカーで「ラジオ深夜便」 を聴くことができた。並四、再生検波、真空管はST管、マグネチックスピーカー、 戦前の音の復活です。 以下は動画です。

 真空管ラジオ−8  2015年4月11日

昨日スピーカーのコイルを解いたが捨てる予定にしていた電源トランスの中にある エナメル線を流用できないかと思った。手術で言うところの臓器移植で古い部品を使って 音が復活すれば気分的には良い。 さっそく分解してみた。鉄片が何枚もくっ付いていて、それを取り除くとエナメル線が 見えてきた。しかしながら太すぎたり細すぎたり、また古いので信頼性もイマイチと思い やめることにした。 近くのショップでポリウレタン銅線、外径:0.32mm、長さ:20m という適当なものがあったので 購入。いじっているうちにベーク板が破損。見栄えは悪いがボール紙で補強した。ウレタン線を 巻き始める。最初はきれいに巻いてゆこうと思っていたがだんだん雑になり均一性が無くなった。 20mで350回ほど巻くことができたが雑に巻いたためベーク板の縁を越えて盛り上がってしまった。 部品が大きすぎてはまらなくなったため100回ほど巻き戻して結果的に250回になった。 本来は細いエナメル線を3500回ほどまくのであるが250回と低インピーダンスになったために 出力トランスを通す。真空管に電気を入れるがスピーカーからはかすかに音が聞こえるだけ。 アーマチュアと呼ばれるU字磁石の間で振動する「舌」みたいな金属が片側に寄っていて 振動できないでいるようだ。裏側のハンダ付けで調整して真ん中にくるようにする。 まあ何とか聴けるレベルにはなった。今時のスピーカーとは違う薄っぺらい音で音楽には 向かないようだ。戦前の70年ぐらい前はこのような音をきいていたのだろうか。 調整すればもう少し音が大きくなりそうだ。 以下は動画です。

 真空管ラジオ−7  2015年4月10日

満開の桜と花筏を満喫した。「毎日が日曜日」なので天気の良いときに出かけられる。 昨日から冬がぶり返したような天気だがベランダの草花たちは新しい芽をどんどん伸ば している。 マグネチックスピーカーの修理でU字型磁石を広げるのに6ミリのボルトとナットが 便利というので数日前に丁度良い長さのネジを買い求めた。ネジの長さは、長すぎても 短すぎてもダメだ。磁石のスペースを鉛筆で紙に写し取りネジ売場で長さを現物合わせ した。 早速ネジを挟み込みレンチでナットを回して「ジャッキ・アップ」。 ネジの力はすごい。簡単にU字磁石が広がって部品を取り外すことができた。 断線しているエナメル線を取り除く。髪の毛より細い線がびっしりと巻かれている。 数千回は巻かれているらしいので、解くのだけでも相当な時間がかかった。 新たに細いエナメル線を数千回巻いたら途中で切れそうだ。ちょっと自信喪失。 ちょっと太いエナメル線を数百回巻く方式もネットで紹介されている。出力トランス が1個必要になるがこちらのほうが安全で楽そうだ。

 真空管ラジオ−6  2015年4月5日

 桜は満開に咲いているが小雨が降っている。2日は畑でサトイモを植え、そのあと 今井の桜を見に行った。ほぼ満開で春らしい花見日和りだった。 昨日は木下の骨董市に行ってみた。前回、真空管ラジオのジャンクを買った店のオジサンと 立ち話。修理で昔の古い部品が入手しにくい苦労話など。 古いスピーカーや部品があれば購入しようと思っていたが無かった。 2台の真空管ラジオは修理して放送が聴けるようになったが「新しいスピーカー」から 音が出ているのでイマイチだ。 関心は断線で壊れているマグネチックスピーカーの修理に移る。ラジオのボックスから 取り出す。金属っぽいフレームは紙で出来ていた。戦前の物資が不足している頃の工夫が 見て取れる。 コーン紙は安っぽい紙でできている。破けている部分もある。紙を貼って修理した部分もあり 歴史を感じさせてくれる。 ネットで調べてみると修理するには細いエナメル線を3000回以上も巻く必要があるとの ことで腰が引けている。真空管屋のオジサンは皆が寝静まる夜中に巻くのだそうだ。線を巻く 専用の工具もあるとのことだが手巻きでやってみたい。ハンドドリルの先端に取り付けて巻く 方法もありそうだ。

 サントリーレッド  2015年3月31日

 酒の売場を歩いていたら昔懐かしいサントリーレッドがあった。その昔、学生時代に 友人の下宿していた部屋に集まり酒盛りをしていたときに良く飲んでいた。焼酎よりも 安い。昔を懐かしんで味わおうとカゴに入れた。立ち去ろうとすると棚の一番下にある ホワイトが目に入った。これは社会人になった頃にお世話になったウィスキーだ。 一番下にありながら白い「品格のある」ラベルで清楚に佇んでいる。これもカゴに入れた。 最近は昔の真空管ラジオをいじっている。人を満足させるのは最高の音質や感度だけでは なく、むしろ音質の悪いノスタルジックなものも相当な満足感を与えるようだ。最高の ものを求めるとすぐには達成できない欲求不満もでてくるのではないかと思うが、昔に 逆戻りするのは容易で欲求不満も出てこない。人は耳や舌の感覚器官からの情報が脳に 到達するが脳の中での味付けは複雑なようだ。 昔と比べると相当世の中が豊かになってきたようだ。レッドをカゴに入れても、おにぎり を買っても、ツギのあたった服を着ていても経済に余裕があれば一種のファッションとなる。 本当にオニギリしか買えない生活であればちょっと後ろ向きになりそうだ。 さっそくレッドを飲んでみた。ツマミはやはり安い「柿ピー」だ。口に入るとその味でフワッ と数十年昔にタイムスリップした。想像していたより「飲める」味だ。「くろまめ」にも 舐めさせてみる。「ちょっとまったりしてクリア感が無い」との評価だ。確かにスコッチと 比べるとクリア感は無い。ホワイトの栓も開けた。レッドを飲んだ後だからか「かなり旨い」。 満足できる。「くろまめ」は「レッドは何か料理に使えるかしら」と言っている。それだけは やめて欲しい。

 真空管ラジオ−5  2015年3月29日

 しばらくの間「工房」にしまっておいた「もろぶた」を引っ張り出してきた。NHKの感度 が悪いのがどうも気になる。バリコンを掃除することにした。ツメを起こして表示パネルを外す。 ツマミを回すと糸で回転が伝わって指針が動く仕組みだ。糸の結び目は解いたが長さの余裕がない。 復帰できるのだろうか。バリコンの羽と羽の間の汚れを取り電極の周りの汚れもベンジンでふき 取った。糸をかけて元に戻す。案の定、糸が短くて結び目が作れない。軸への巻き付けを1回転 少なくして何とか結んだ。回転がスリップするかと思ったが軸が錆びていて引っ掛かりが良かった。 電源を入れて聞いて見ると全く感度向上にはなっていなかった。バリコンの汚れが原因では無い事が わかり、ひとつ進展した。 アンテナの影響が大きいことはわかっているので長い線を部屋に引っ張りまわしているのであるが NHKの感度がイマイチだ。やはり鉄筋コンクリートの鉄筋が電波の邪魔をしているようだ。 電気カーペットの中には導線が張りめぐらされていると思いコンセントに接続してみたが若干の 感度向上はあったがイマイチ。今度は水道の蛇口に接続してみるとバッチリ感度が上がった。 NHK第一、NHK第二、FENなどが強くなり、今まで強かった周波数の高いほうの民放が 弱々しくなった。予想どおりだがアンテナの影響は大きいことがわかった。 先日ネットを見ていたら秋葉原にある電子部品屋さんの支店が外出先の近くにあることがわかり 行ってみた。住所表示の変更があったのでカーナビには古い番地を入れてくださいと丁寧に お知らせがあったが自分のカーナビは古くて新しい番地も古い番地も特定できない。近くの 番地を入力しプリントアウトした地図が頼りだ。ところが目的地あたりは区画整理中のようで 目印の蕎麦屋も無くなっていた。何とかたどり着く。色々な部品が揃っていて幾つかは目的の パーツを買うことができたが昔の真空管ラジオに使うような「重厚長大」な部品は無かった。 パーツが揃ってくると整理整頓ということでパーツボックスを揃える。大きな部品もあれば 小さな部品もあるのでパーツボックスの仕切りの具合は重要だ。最近の部品は小さいものも 多く拡大鏡で印字を確認してシールに書き込み仕切りの中に貼っておく。パーツがボックスの 中に整然と納まっているのを見ると気分が良い。釣りの好きな人が「毛ばり」をいっぱい自作 して眺めてニンマリしている図を見ることがあるが近いものがあるかも知れない。

 ベランダの鉢たち  2015年3月24日

 春の彼岸を過ぎるとベランダの植物たちにも活気が出てきた。スープセロリは冬の間は 収穫するのが申し訳ないほどのゆっくりした生長だったが今ははちきれている。レモンバーム も新しい芽がどんどん伸びている。タイムとオレガノはまだ芽が出ていない。新しい苗の購入 が必要かもしれない。コーヒーとマンゴーは鍛える?つもりで外に出しておいたら枯れてきた。 鍛えられる本人たちも迷惑に違いない。枯れ葉の間から新しい芽が伸びてくるのを期待している が既に復活可能な限界点を越えているかもしれない。サンショがが若い葉を付け始めた。筍の 季節がやってきた。パセリもこんもり茂っている。 チューリップとストックは花芽が充実してきた。あと少しで咲きそうだ。ビワは背丈が短い割り には大きな30センチほどもある葉を付けているので仮分数的になっている。クンシランは 中心部から花芽を伸ばし先のオレンジ色が濃くなってきた。ミソハギ、ユウゲショウ、サザンクロス、 は新しい芽を伸ばし、ナデシコの花芽はピンクになってきた。 菊の新芽を見ると黒いアブラムシ?が付いていた。固い部分よりは軟らかい部分が好みのようで 新芽のあたりに集まっている。ネットで調べると木酢液や牛乳が効果があるらしいが手で取るのが 一番良いらしい。実際にやってみるとポロポロ落ちてきれいになった。 部屋の中の鉢たちは窓際に並んで、日差しが部屋に差し込んでくるのを待ちわびている。

 真空管ラジオ−4  2015年3月18日

 ここ数日は春の陽気だ。窓を開け放っても気持ちが良い。「工房」がありながらラジオ の工作は専らリビングでやっている。暖房費の節約にはなるが暖かくなってきたので、 そろそろ「工房」かなと思っている。宮崎の「くろまめ」の実家から貰ってきた「もろぶた」 が道具置き場になっていて使い勝手が良い。もろぶたから出して作業し、もろぶたに納めて きれいにしておくと「くろまめ」のストレスも無いようだ。 並四で放送の受信ができ一応の動作確認ができたので、もう1台の5球スーパーにとりかかる ことにした。シャーシをひっくり返すと思っていたより部品数が少なくスペースがたっぷりある。 コンデンサを簡単にチェックしてみると絶縁不良のものが1個あり交換する。真空管を抜き AC100Vを配線して各部の電圧を確認する。ヒーター電圧も高圧部も若干高めの数値だ。見ると ヒューズの位置が「低入力電源」のポジションのようだ。電源事情の悪い地域ではAC100Vが 85Vぐらいまでドロップすることがあり、それを改善するためにそういう端子が用意されている。 このままAC100Vに接続すると当然ラジオの内部の電圧は高めになってしまう。正しいヒューズの ポジションにして各部の電圧も正しくなった。 真空管を差し込むとスピーカーからブーンという音が出た。2台目のスピーカーは生きている ようだ。ひと安心。アンテナを接続してバリコンを回しても放送が聞こえてこない。調べて ゆくと音量調節用のボリュームがガタがきていて信号がショート状態になっていた。これでは 音が出るはずがない。ボリュームの使用はあきらめて外付けの抵抗で信号を流した。すると ブッブッブッブッというブロッキング発振らしき音。最初にコンデンサの絶縁不良で交換した ものが大きすぎる値だったのが原因だったらしい。より小さい値に交換して解決。 民放は良く聞こえるがNHKが聞こえない状態だ。 現状、2台とも放送が聞こえる状況にはなったがNHKの感度がもう少し欲しい。さらに部品を 調達して装置の品質アップを図りたい。アンテナやコイルの自作もターゲットだ。 作業終了。「もろぶた」にきれいに部品を納める。領域がきれいに仕切られているのはいい ことだ。「くろまめ」が床をコロコロして半田くずが粘着しているのを見て喜んでいる。

 真空管ラジオ−3  2015年3月15日

 便利な世の中になったものだ。パソコンから電子部品を注文すれば翌日には配達される。 当初は久しぶりに秋葉原でも歩いてみようかと思ったが便利さに流されてしまった。 部品はネットで購入したが、線材やネジ類は近くの店で調達した。ネジは4mmの太さ。 線材はカラフルな被覆だ。メッキ線や太めのエナメル線まで買って家に帰ると未使用の エナメル線がいっぱい出てきた。100Vに差すコードは古いヨレヨレの丸型ソケットと 丸型の袋打コードだったので捜して見ると似たようなコードが電気コタツ用として計り 売りされていた。が、とりあえず実用的な普通の平行ビニールコードにした。 まずは古い電源トランスを取り外す。引き出し線がよれよれしていて心もとない。印刷も 消滅していて、とても再利用する気になれない。ハンドドリルでシャーシに穴を空けて 新しいトランスを取り付ける。真空管のヒーターの配線をする。古い型の真空管なので 直列にしたり並列にしたりしてトランスの電圧に合わせる。ここまで来ると作業の半分は 終わったようなものだ。真空管を差し込むとヒーターが赤く光る。 次にプレートへ電圧を供給する部品を取り付ける。真空管同士を接続するマイカコンデンサー は元々付いていた部品をそのまま使うことにした。一般的にコンデンサーは劣化しているので 取り替えるのが原則だがマイカコンデンサーは原理的に劣化は少ない。導通を確認しても 大丈夫そうだ。 問題はスピーカーだ。ジャンクとして買ったセットのマグネチックスピーカーはコイルが断線 していて使えない。同時に購入した別のラジオのダイナミックスピーカーを使おうと思って 良く見ると初期の方式で電磁石で磁界を作るタイプだ。現代のダイナミックスピーカーは性能 の良い永久磁石が作れるようになったのでシンプルな構造になっている。結局つい最近まで 自宅でステレオに接続していたスピーカーボックスの再登場となった。真空管の出力は 高インピーダンスで昔のマグネチックスピーカーは高インピーダンスのため直結できたが 今時のスピーカーは低インピーダンスのため直結できず、出力トランスで整合をとる必要が ある。出力トランスの手持ちがない。今回余分に買った電源トランスは原理的に出力トランス と同じだ。逆向きに接続すればスピーカーから音が出そうだと思い接続してみる。 電源を入れる。スピーカーから、かすかにブーンというハム音が聞こえる。ここまでくれば 90%は動作していることになる。部屋の中に長めの導線を引き回しアンテナ端子に接続する。 メインバリコンと再生バリコンを回してゆくとピーッという中で民放を受信できた。周波数の 低いほうのNHKは感度が悪くキャッチできない。シャーシをひっくり返してプレート電圧を確認 する。「57」のプレート電圧が異常に低い。接続されている抵抗の値が高過ぎて電圧がドロップ しているようだ。低い抵抗値に替える。プレート電圧が上がり感度が良くなった。NHKも入るよう になった。 戦前、戦中、戦後に、どこかの家族の団欒にこのラジオがあって笑ったり感動したりしたのかと 思うと趣がある。そのうちにマグネチックスピーカーを入手もしくは修理して昔の音を復活させ たい。電子の振る舞いを真空管の中に感じながら「昔ながらの品質の悪い音」で「ラジオ深夜便」 など聞いて見たいものである。 動画が以下にあります。

 真空管ラジオ−2  2015年3月9日

 まずは回路の理解だ。シャーシをひっくり返す。途中でわからなくなると思い、予め カメラで現状を撮るが部品が重なり合って死角になり見えなくなる。久しぶりに半田ごて をあたため部品を外し回路図に部品の値を記入してゆく。70年以上も経過しているため 途中で修理したらしい跡が見える。部品が付け加えられたり、空中配線されていたり、 ヒューズがスキップされて無意味になっていたり。特に電源トランス周りは多くの配線が 出ているのに表示の印刷が消えていて訳がわからなくなってしまった。導通を調べても疑問 があり結局トランスは交換しなければいけないという思いに達した。トランスやスピーカー など銅線コイル部分に戦前の粗悪な品質の影響が出ているようだ。 古い型の真空管に対応するトランスは無いが、ひと工夫すれば何とかなりそうだ。 次のステップは必要な部品の調達だ。

 真空管ラジオ  2015年3月7日

 木下の骨董市に行ってみた。早朝は雨がパラパラしていたがしばらくして上がった。 昔懐かしいクラシックなラジオと真空管を並べている店があり、しばらく立ち話をする。 レストア済みのラジオは高価だし自分で修理してみたいので「ジャンク品」を2台購入 する。1台は「国策三号新型」との銘板が貼ってあり戦前のラジオと思われる。 大きいほうの1台はST管使用のスーパー方式でスピーカーもダイナミック方式のため 比較的新しいと思われ木のケースもしっかりしている。小さいほうの「国策三号新型」は 古い型のST管を使用している「並四」方式でマグネチックスピーカーだ。ほとんどの 日本人は終戦の「玉音放送」をこの感度が悪く音質の悪い「並四」ラジオで聞いたらしい。 レストアはまず部品の少ない「並四」からすることにする。店のオジサンは真空管だけは 動作チェック済みのものに交換している、コンデンサだけは交換したほうが良いと言って いた。回路図は付いて無いのでネットで調べ近いものをプリントアウトする。分解してゆく とさすがに70年ほど経過しているので電源ケーブルやスイッチ、ヒューズまた内部の配線 の被覆などが弱っている。木のケースも弱っている部分をボンドで補強した。 嬉しいことにネットで検索すると真空管ラジオのレストア奮闘記みたいのが結構あるのだ。 読んでいると昔のマグネチックスピーカーは性能は悪いが、レストアするからには昔の 悪い音質で聞きたいという人も多いらしい。しかしながら戦前の物資の不足から粗悪な品質の 素材を使っているので半分ぐらいは経年変化でコイルが断線しているとのこと。コイルを巻いて スピーカーまで修理してしまう人もいるらしい。他人事みたいに記事を読んでいたが、我が スピーカーはどうかなとチェックしてみると断線していた。ガックリ。 真空管以外の部品は全部新しくしたほうが手間がかからないようだが、使える部品はなるべく 使いたい。感度が悪く音質が悪いという昔のラジオに手間と隙をかけてレストアする理由は、 何十年も昔の部品の中を経由して出てくる音を聞くというノスタルジー気分そのものだ。 部品を新しくすればするほどノスタルジーの気分は薄れてゆく。スピーカーを修理する人の 気持ちがわかる。音が出るまで先は長そうだが、しばらくは楽しめそうだ。

 "goose bump moment"  2015年2月28日

 最近、Youtubeで音楽を聞いている。昭和の昔懐かしい歌や洋楽などメニュが いっぱいで飽きない。下段にいろいろな人のコメントがあり、これも面白い。 先日以下のコメントを見つけた。 「 The string part at 2:25 is a "goose bump moment" for me.」 はて"goose bump moment"とは何のことだろう。 gooseはガチョウ、bumpは突起なので多分「鳥肌」のことだろう。「曲の2分25秒目 は私にとって鳥肌の立つぐらい感動の瞬間だ」と言っていると思う。鳥肌はプツプツが いっぱいできるのが普通だから複数形の「goose bumps」が良さそうだ。よほどの特異体質 でなければ鳥肌を1個だけ作るのは難しそうだ。 gooseを調べてみるとガチョウの他に「びっくりさせるために人の尻の間を後ろから手で突く」 という意味もあるらしい。簡単に言うと「カンチョー」だ。「とんま」という意味もあるので こちらからきているものと思われるが、急に後ろからカンチョーされるとぞくっとして鳥肌が 立つからというのではなさそうだ。

 スコッチ  2015年2月26日

 テレビでスコッチを造る人の番組をやっていた。朝ドラのマッサンがブームでウィスキー が売れていて品薄とのこと。私の祖父は甲類の焼酎を飲んでいた。私は空のビンを持って 近くの商店に量り売りをしてもらっていた。祖父は「美意識」なのか透明な焼酎を飲んで いるのは格好が悪いと砂糖を焦がしてカラメルを作り褐色の焼酎を造っていた。若い頃の 外国航路の仕事をしていた時代を懐かしんでいたのだと思う。 小さい頃に近所のちょっと金回りの良さそうなオジサンが「角」を飲んでいたのを覚えて いる。私は若い頃は「レッド」を飲み、「ダルマ」や「リザーブ」のボトルキープを羨み、 コストパフォーマンスが良いと言われる「ホワイト」を飲んでいた。海外旅行に行くと 土産に洋酒を買ってくる時代があって、そのときに貰ったスコッチが美味しくてそれ以来 のスコッチファンだ。 「くろまめ」が珍しくスコッチを飲みながら番組を見ようと言ってボトルを引っ張り出して きた。12年モノだ。いつもはワインを一杯飲んだだけでも真っ赤になって具合が悪くなる ので心配したがピンピンしている。度数は高いがピュアなアルコールが体に合っているのか。 一旦しまったボトルを先ほどまた引っ張り出しグラスに入れて舐めている。 今度はチューリップ型のグラスが欲しくなったようでiPadで調べているようだ。

 エンリッチメント  2015年2月22日

 動物園で動物にエサをやるときに、簡単に手に入らないようにしてあげることを エンリッチメントと言うらしい。知らなかった。 好物の葉っぱをわざわざ食べない 葉っぱの中に混ぜ込み、探さないと食べれなくしたり、高いところにエサを吊るして 何度もジャンプしてやっと手に入るようにしたり。特にサルなどの知能がある動物は、 エサの獲得に苦労させてこそ充実感があり幸せなのだそうだ。動物たちは食べること 以外は読書したり新聞を見たりしないので、食べることで充足感を得たいという気持ち はわかるような気がするが、あまり頭脳の発達していない動物たちはストレスもたま らないのだろう。 人間も知能があるので難しい岸壁を経由して山に登ったり狩りに出かけたり探検したり 修行したり習い事をしたり。充足感を得るためには時間が必要なようだ。

 生物はスゴイ  2015年2月19日

新聞を開くと世の中の醜いニュースばかりでいやになってくる。なし崩しに武器を供給する大国。 武器を入手して恐怖で支配しようとする少数の暴力集団。なりふり構わぬ敵の敵は味方現象。 少数の人々が小さな権利や損害を主張して、大多数の安全や秩序をかえりみない発言。また それらを「人道主義」で煽る新聞やマスコミ。旗印を鮮明にしないでいつも安全圏にいる評論家。 昔は不便で情報が少なかったので周りとの利害関係や不満があっても階層や閉じられた集団の中 でのアキラメで平和が保たれていたと思うが、現代は安価に武器が入手できて一瞬にして情報が 世界を駆け巡り不平等感が増幅されているようだ。平和のためには「アキラメ」が必要のようだ。 新聞の記事でストレスがたまると自然現象や動物、植物の世界の記事をさがして「逃避」している。 今日の新聞には葉っぱが丈夫なのは違う固さの物質がサンドイッチになる三層構造をしているから との記事があった。確かに車のウィンドウもガラス単体では弱いがフィルムで挟むと強くなるという 身近な実例もある。心臓も異なる種類の筋肉が層になっていて丈夫だし車のタイヤも層構造で丈夫 になっている。自然を解析して人間の生活に便利なように応用してゆく。すばらしい智恵だ。 空を飛ぶ鳥は体を軽くするために骨が中空になるように進化したらしい。先日鳥に詳しい人に話し を聞いたが、飛ぶときに体が重いと大変なのでエサを食べると素早く消化してすぐにウンコを排出 するようになっているらしい。それでいつもエサを啄ばんでいる様子であるが、空を飛ばなくなった ニワトリまで四六時中餌を啄ばんで糞を出し続けているようだ。おかげで畑の肥料の鶏ふんが驚く ほど安くて助かっている。体内に長く糞を持たないという生物の特性が人間の生活に応用されている のだろうか。無理やり当てはめれば「在庫を持たない」という企業戦略か。 まだまだ生物界に学ぶことは多そうだ。

CLIP-ON TUNER  2015年2月12日

 CLIP-ON TUNERが届いた。。これまではギターの調弦はピッチパイプ(調子笛)を吹きながら 耳で聞いて締めたり緩めたりしていた。CLIP-ON TUNERはギターを挟むだけで振動を感じ締める べきか緩めるべきかを表示してくれる。以前からあったのかも知れないが、つい最近まで知ら なかった。アネロイド気圧計、畑の土のpH計に続いての計測器である。今読んでいる「男と女の 違い」的にいうと「男は狩猟本能があるため、何かを狩って自分の巣に持ち帰ることで満足感を 得られる」のか「男は狩猟本能があるため、いつも外界の状況に関心があり、計測をしたがる」 なのか。  かれこれ50年ぐらい前に買ったギターを捨てないで持ち続けていたが、また注力してみたいと 思っている。ギターは一度チューニングしても少しずつ弦が伸びるので定期的に合わせてやる必要 があり、しばらくは「計測」を楽しめそうだ。ギターを抱えても練習する時間よりもチューニング する時間が長いくらいのため上達は超スローだ。




 横丁と横町  2015年2月4日

 テレビで「神田川」の歌が流れていた。我々の世代には懐かしく甘酸っぱい思い出だ。 流れる字幕を見ていると「・・・二人で行った横町の風呂屋・・・」と流れている。 自分の頭の中のイメージでは「横丁」で「横町」ではない。横町と書くのは永田町とか 富士見町とかそのような大きな町であって、銭湯やおでんの屋台があるところが横丁だ。 間違いではないかと思いパソコンで検索してみた。「神田川」の歌詞をいくつか調べると 横町と書いてあるものもあったが圧倒的に横丁が多い。  用語を調べると横町のほうが公用語で、横丁は俗称。いずれも「表通りから横へ入った 町筋、またその通り」とある。本来の違いは横丁は木戸があり横丁は木戸がないらしい。 そういえば田の字は木戸に形が似ていて、木戸の田が無い丁があてはめられたと思うのは 考え過ぎだろうか。木戸がある銭湯であれば横町のほうが正しそうだ。今では横町も横丁 もほぼ同じ意味で使われているとのこと。歌の世界の裏通りは「横丁」であってほしい。

 タイ米の日  2015年1月31日

 久しぶりにタイ料理のレストランに行った。日本の味付けにはない香辛料に南国を 感じ満足した。米はタイ米で、その昔、日本が緊急で輸入して主婦たちがおいしいタイ米 の食べ方を発表したり、長い米粒を半分にカットしてジャポニカ米に似せる技術を 発表したりして世間がひと騒ぎしたことがあった。本日のタイ米は料理にマッチング して美味しかった。お茶は「パンダンリーフ」という植物を煮出したものらしく薄い 甘みが残り体に良さそうだ。タイでは生水は飲めないので、ちゃんと煮沸滅菌したもの だという意味もあるらしい。  帰りに「三岳」という屋久島産の芋焼酎を購入した。ラベルを見るとタイ米を使って 白麹を造っているとのこと。今日はタイ米に縁のある一日だった。

 閉店時間  2015年1月30日

 会社勤めしていた頃は海外出張の時にお客様を同伴することが多かった。夕方の定時 ごろになると現地の社員はだいたい帰ってしまうことが多いが日本からの社員は結構 遅くまで仕事をして、ホテルに帰ってからも1つの部屋に集まってミーティングをして FAXやメールなどで日本の本社へレポートしていた。 その後アルコール・タイム、食事に繰り出す。スタートが遅いので盛り上がってくる頃 には周りの他のお客様が居なくなっていることが多かった。時間が気になって店のマスター に閉店時間を尋ねると「あなた方が帰ってから30分後」という答え。何と気のきいた 答えと思いつつ、ありがたかった。幾つかの店で同じような答えをもらったが、そのような 表現が一般的なのだろうか。カナダの地方の町での思い出話である。

 リスクとコスト  2015年1月24日

新聞で室内の運動で20センチの高さの踏み台を上ったり下りたりすると良いとあったので 買い求めた。何日かは実行していたがそのうちに花の鉢の置き台になった。体を動かすと心が 動く。心を動かさないと体が動かないとのこと。鶏が先かタマゴが先か。歴史的に人は楽をする ために道具を作ってきた。身体を楽にするために椅子を作り、ソファを作り、省力化のための 機械を作ってきた。ブラックホールのような「自己収縮」に陥らないようにするのは大変だ。 「想定外だ」、「想定できた」との言葉が新聞で飛び交っている。何万年に一度の確率で起こる 現象に備えて膨大な予算をつぎ込むのは現実的ではない。「過失」があれば罰せられるべきと 思うが「想定できていたのに対策をしなかった」ことが全て「過失」と考えるのには無理がある。 全てはリスクとコストの兼ね合いなので、想定の確率が極めて小さく対策コストが膨大な場合には 何もしないのが正解という選択もありえる。現在のマンション、ビル、道路、乗り物、飛行機、 宇宙船などの全てが想定されるリスクを持っている。新聞は「人道的」な言葉を並び立てて 正義の味方を演じるのではなく「コスト」を考える現実的な論戦をはって欲しいものだ。

 孫娘帰る  2015年1月13日

 孫娘が我が家に2泊して帰った。3歳になったばかりだが前回の「柱のキズ」と比べても相当 身長が伸びた。テレビの「プリキュア」を見ながら跳び、両手を挙げ、身体を捻り、全身で踊る。 意味は解かっていないと思うが、歌詞らしきものを真似て歌っている。「ベイマックス」と騒い でいるのでパソコンの「Youtube」で予告編を見せると私の膝に座って真剣に見ている。DVDや 声の出る教材など今時の子どもの目と耳から入ってゆく情報量は相当なものだ。60年ほど昔の 私が3歳の頃と比べると脳のシナプスの絡まり具合は相当なものと思う。  新年早々に「くろまめ」と歩いてみたが体力の衰えを実感。何もしないで日々過ごしていると、 体の筋肉や腱が固くなっていくのがわかる。数年前までは休日にウォーキングをしているシニア たちを見ても、きれいな空気を吸いきれいな景色を見るのが趣味なんだろうぐらいにしか考えていな かったが今は「よっ!ご同輩!がんばっているね!」と思っている。筋力トレーニングではなく 「ストレッチ」という言葉が重みを増しているこの頃である。  「図書館の福袋」というものがあるらしい。人はどうしても同じ系統の本を選び、同じ系統の ネクタイを買い、同じ銘柄の食品を食べる傾向がある。今までどおりのやり方をしていれば生存 し続けるための危険度は少ないと思うが、内心は抜け出したい気持ちもあると思う。「図書館の 福袋」や「贈り物」、「サプライズ」などの外からの刺激は、袋小路に陥りがちな考えから抜け るのには必須のようだ。

 人間はすごい   2015年1月5日

 我々の銀河には2千億個の恒星があり、宇宙にはそのような銀河が数千億個もあるという。 宇宙の塵が集まり成長し光り始め収縮し爆発しまた塵となるらしい。途方も無いスケールの 宇宙の振る舞いもすごいが、小さな地球の上からここまで解明してきた人類もすごい。望遠鏡 を発明し打ち上げ、電磁波を発見し、宇宙からやってくるかすかな情報を解析し脳みその中で 形作る。仮定し観測し証明する。数十億年のスパンの星の一生ではあるが数千億個のサンプル があるのだから科学者にとっては有り難いことと思う。最近の観測では数千億個の恒星には地球 のような惑星もくっついている例が多いらしいので、地球以外に生命体の居るのは間違いなさそ うだ。ただ光の速さでも何十万年、何百万年もかかる距離なのでお互いに連絡のとり様がないよ うで、地球は孤独だ。  宇宙の仕組みには感心するが地球上の職人のモノ作りへのひたむきさには感動する。日本の 職人の作る精度の高い道具や製品。それらを作っている様子を海外の使っている人にビデオレター で紹介するという番組がある。お互いに知らなかった、作る人、使う人がお互いに「仕事」に感謝 しあうという感動モノだ。自分のしている仕事を評価し感謝してくれるほど嬉しいものはないと思う。  ところで最近の「歌」は「団体」が多くなった。型抜きをしたような同じ顔つき、格好をして 個性がない。このような団体が何組も出てくると舞台が落ちないか心配になる。手取りは人数分で 割るのかななど余計なことまで考えてしまう。歌のメロディーや歌詞も軽すぎて余韻がない。小学生 の頃に「詩」を作るように言われたのに「作文」になってしまい注意されたものだ。一人で成り立つ 歌手はすごいと感心する。何種類かの飴を並べて練って金太郎飴を作り、その金太郎飴を三本ぐらい さらにより合わせて舐めるのは好みではない。やはりシンプルにニッキの味を楽しみたい。