くろまめのをりをり16(2018年1月から)


       シンプルな暮らしが不自然に感じられなくなりました。
       白髪も馴染んできました。
       面白いことは後からもついて来るので毎日が飽きません。

 


  「煤焼け」 (2018年11月28日)

ドライブの途中で解体作業をしている藁葺き家を見た。この光景、素通り通するには もったいない! 近くに行ってしばらく見ていた。 藁がボコボコ崩れ落ちて行く。作業している人たちは煤や埃にまみれて宇宙遊泳して いるかのような動きをしている。上がりかまちが見える。障子、戸板、ガラス戸が 次々と運び出され、解体の埃を被らないくらいの離れた場所に積まれていく。 大家族で暮らしていたようすが伺える。囲炉裏の暮らしを想像しながら、藁屋の ご家族は昭和の時間をどれくらい過ごしたのだろうか。 私も囲炉裏のある暮らしの中で育った。煤焼けの障子や戸板は記憶に美しく張り付いて いる。戸板は、毎朝祖母がぬか袋で磨いていたので鏡のように光っていた。もっと言えば、 ウルシを塗ったように美しかった。幼い頃は、「美しい」という概念がなかったので愛で ることは皆無だったが(笑)。 曽祖父母の隠居部屋の障子は特に煤に焼けていて、表現し難き色をなしていた。飴色だと ネッチリ感があるし、夕焼け色だと生活感から抜け出すし、オレンジ系の電球の明かりが 今の人にはピンとくるかな?障子を隔てているものは無く、笑い声や話し声が子守唄の 役目をしてくれていたような。私たち子どもは、心地良い眠りにつくのだった。 テレビ見たりしたりしてみんなが笑っていると障子を開けて、「福の神さんが来てますわ」 と隠居爺さんがかならず言う言葉だったなぁ。 煤に焼けた障子は、ネコが出入りする口が無くて障子を破って、ここらでどうぞ〜の感じだ った。隠居部屋は真っ白な障子に変わることはあったのかしら? この点は、記憶があまりに も薄れている。たとえ新年に真っ白な障子を開けていたとしても私には煤に焼けた障子でな いと嬉しくないのである。 昭和40年頃からだったか、囲炉裏は掘り炬燵に変わった。練炭をおこす母の姿と共に浮かん でくる。 解体作業を見ていて、この藁家に住んでいた人たちも、この先、生温かい思い出になって行く のかもなぁ、と。 煤焼けの障子の破れ昭和の記 くろまめ

  銀鏡神楽 (2018年9月15日)

まもなく第二部の開演です。 大阪の国立文楽劇場にて。 毎年12月14の夜〜15日の朝にかけて徹夜で舞通します。 式33番の「神送り」は、本殿祭終了後に行われます。

  「田園の快楽 玉村豊男展」 (2018年9月3日)

あら、玉村豊男さんだあー 親しみを込めて名前を声に出した私。先に記事を読んでいた夫が「懐かしいねー」と。 初めて玉村豊男さんと会話をした時のことが懐かしく思い出された。家族と行った信州 の旅で予約なし訪れた私たち4人に玉村さんが席を作ってくださった。食事はフルコース のランチ。テーブルも器も美しいムードのある素晴らしいものだっった。外は雨。 雨粒の流れる窓辺でお品書きを見たり、葡萄畑を眺めたりと優雅な心持ちで食べた日。 そして食後は地下のギャラリーで玉村氏の絵画や手書きの大皿、中皿、小皿、豆皿などを ゆっくり鑑賞し、記念に豆皿を買った。高かったので豆皿に留めたのだった。 ご夫妻はとてもおしゃれで気さくなお人柄に思えた。 上写真はガーデンにて2006年9月撮影 byそらまめ そんな思い出を語るきっかけになったのが月刊ミニコミ誌の「定年時代」。お写真を観ると、 2006年9月の時からそれほどお変わりないことに驚く。10年ひと昔とはいうが、この方のお変 わりようを写真からは見れないのだ。 5日からの氏のライフスタイル展に行ってみようと思っている。 9月5日(水)〜10日(月)、松屋銀座(地下鉄銀座駅直結)8階イベントスクエアで。 詳しくは: 「玉村豊男ホームページ」 昔の旅を思い出すには記録が趣味の「そらまめ」の日記が役に立つ。過去日記の一部を 抜粋してみた。 ****************************************************************************** 2006年9月15日   2泊3日の長野方面への家族旅行から帰宅。初日、常磐道、外環、関越道経由、上信越道の東部湯ノ丸インター で一般道へ。ちょっと前にTVで見たエッセイスト・画家の玉村豊男氏の農園の中にあるレストランに行って見よう とのことになった。あいにくの雨であったが丘へ向かう道の両脇にはりんごの木が立ち並び、たわわに実をつけて いた。11時30分に到着。予約をしていないのでダメモトと思っていたがOKであった。玉村氏はレジに立っていて 気さくに話をすることが出来た。ランチコースをオーダー、コースの最後はハーブティーでしめた。店内は緑色を 基調としていて小奇麗に着飾った女の人たちが多かった。お皿には玉村氏の野菜画が描かれている。また壁には 野菜や花の精密画が飾られていた。レストランをでると雨が上がっていた。周辺のハーブ、野菜、葡萄、花の農園 でひと時を過ごす。  宿は白樺湖から山のほうへしばらく上がったところだ。ゆったりした大きな造りでボーリング、ビリヤード、プール、 スカッシュ、ピンポン、ゴルフの施設もある。部屋へ行くまでエスカレーター2本、エレベータを1本使う。部屋は畳 の新しい匂いがするし食事はレストランでフルコース。ナプキンを腕に掛けたウェイターがやってくる。会社の提携 している保養所のため1泊2食で4200円と信じられない安さだ。宿泊費が安いのでワインやシャンパンはちょっと 上等なものを選んだ。風呂場にマッサージチェアが用意されている。無料なのでやってみる。背骨の両脇の玉が ぐりぐりと上下したり左右に振動する。自分の背骨の曲がりを再認識する。ちょっと体を浮かせていないと背骨にヒビ が入りそうだ。上限を首に合わすと腰の辺りまでしか下がらない。機械は身長を認識しないのだからしょうがない。 妻は下限を尾てい骨あたりに体を合わせたら頭蓋骨まで左右に振られてしまったらしい。  翌日も雨。千曲川に沿って長野市まで足をのばし池田満寿夫美術館と北野美術館を訪問。平日の雨とあり貸切 状態のためゆっくりと絵を鑑賞することができた。帰りは少し遅くなったので菅平を経由するルート。大型車は通行 禁止でカーブする山道は結構登りが急だ。登りきったところは以外に人里風にひらけていた。道の分岐が分から なくなり人を捜す。何やら作業をしている男の人を見つける。男の人は雨の当たらない庇の中に私を導き親切 に教えてくれた。男の人はハーブのチャービルを大きな水槽で洗っていたのだ。  今日は青空がのぞく。雨できれいになった空気をぬって太陽の光が強い。りんごの木は街路樹にもなっている。 ワイナリーを訪問。車を走らせてフロントガラスを見ると外側にナメクジがへばり付いていた。ヌメヌメを残しながら 少しずつ移動しているが風が当たるのでだんだん体が乾燥してくるのがわかる。次のストップで道端の草むらに移 してやった。ヌメヌメはワッシャー液でもとれない。ガソリンスタンドのお兄さんが拭いてもすぐにはとれなかった。 結構しつこいのである。懐古園の近くの蕎麦屋で蕎麦を食べて一路帰宅。走行800キロであった。 *********************************************************************************************************

  平成さいごの夏 (2018年8月31日)

盆トンボの飛び交う実家の草地でヤギと対面した孫娘が恐る恐るヤギの後ろに近づいて行く。 ヤギたちは警戒して逃げる。兄が後ろからだと逃げるよと教えたが、正面からゆっくり近づ けるようになったのは翌日の餌やりの時だった。慣れると早い。ヤギ小屋のお掃除を手伝った り柿の葉を手から食べさせてあげたりしていた。 庭のブルーベリーの実を収穫する時は、大きな鍋2つ用意した。はとこと大人(男性)だけで摘んだ。 鍋の中が埋まってくると、はとこと一緒に持ち上げて大人たちに見せていた。そうめんの具の盛り 付けをすすんでやったり、苦手な錦糸卵と小ネギをはとこよりもちょっとだけ多く入れてオーバー な食べ方をしたりしていた。はとこ同士、実に健気で可愛かった。 川は台風の影響で川幅が広がり濁流となっていた。大きな石が流されて行くときの音量まで想像する ことができた。孫は山の渓流を初めて見たのであるが、元の姿を知らず仕舞いになってしまうのが 私には残念に思えた。そらまめじいじは、孫の手をとり、川の水に手をつけてなにやら話していた。 そして小石を拾った。 ひいお爺ちゃんとひいお婆ちゃんのお家がどんな所にあって、どんな時間を過ごして居るのか、日記 に書いていたようだ。一緒に食べてお話しして夜が来て朝が来てまた夜が来て朝が来て、いろいろな 新しい体験ができた夏休み。 今回の帰省の目的のひとつであった、ひいお爺ちゃんに七歳の御祈願をしてもらえたこと。 ひいお爺ちゃんとひいお婆ちゃんがとても喜んでくれたこと。このことは孫が成長していく 中で何かしらの勇気と誇りを持てる何かを得られたことだろう。 八月、夏、写真のコマ数にすると膨大な数になっている。昭和時代には考えられないカメラの 技術革新に今更ながら驚いている。写真をじっくり選別してネットでフォトアルバムを発注した。 A4サイズのハードカバーが出来上がってくる。両親に届けよう。

  川で泳ぐ (2018年8月11日)

今年の夏の朝の写真(実家の庭より)です。 夏雲や白旗あがる銀鏡川 時は昭和。水泳禁止の場合は赤旗があがりました。 私たち征矢抜(そやぬき)の「子ども会」は「水神淵」と言う名の深い川で泳いでいました。 ですから飛び込みが上手になっていきました。潜りも日々スキルアップしていたのでした。 私は小学校入学前に泳げるようになり(父が洗濯のすすぎ洗いのようにして上下、左右、揺らし たり押したり引いたりして、沈んだりして)、やがて自信が付いたら、それは怖い思いをしました。 溺れたのです! よく覚えています。隣家のフクオくんが助けてくれました。監視していた大人より早く。引き上げ られたーって感じでした。その日は鼻の奥までが痛く悔しかったなぁ。大きな石に腹這いになって お腹と背中を温めながら、みんなの顔を見ていました。中には紫色になっている唇も見えましたが、 誰も事故に遭うことはなかったようです。 みんなおそろしく健康で明るく、お勉強にもえている子はいたのかしら(^^)。 そして体幹を鍛えるという言葉は平成に入ってから聞くようになりましたが、銀鏡の大人たちの体幹 の良さには惚れ惚れします。昔からそうなのです。川で泳ぐこととの関係性は定かではありませんが。 銀鏡神楽を舞う人たちの姿を見ていただいたら、縄文の時代からの脈々と受け継がれているDNAを感じ ずにはいられないのです。 俳句ですが句会報に次のように書かれてありました。 「おそらく祭など神事のための白旗でしょう。句形にあかるく、基本通りの作り方で揺らぎがありません」。 選者は神事の白旗と解釈したようでしたが、私は遊泳許可の白旗の意味でした。 現在、子どもたちは学校のプールで泳いでいるようです。 さあ! 明日から宮崎へ。 旅しながら実家へ近づいて行きます。

 クラウドファンディング、達成しました (2018年8月7日)

映画「銀鏡 SHIROMI」のクラウドファンディングが6月29日に達成しました。 下記をクリック! 赤阪友昭氏の謝辞など。 『映画「銀鏡 SHIROMI」 星と大地をつなぐ神楽の里の物語』

 映画「銀鏡 SHIROMI」を応援します (2018年5月22日)

五月のふるさと銀鏡(Shiromi)は、もえています。 映画「銀鏡 SHIROMI」製作と上映に向けて5月10日よりクラウドファンディングが スタートしました。 なぜ、銀鏡なのか。その答えはこちらです。 プロジェクトの趣旨と映画の予告編を御覧いただき、応援していただけましたらと 願っています。 下記をクリック! 『映画「銀鏡 SHIROMI」 星と大地をつなぐ神楽の里の物語』

 「うん うーーーーん」 (2018年4月19日)

おおかたの人が、「美味しい! 旨い!」と感じた時、瞬間に「うん うーーん」 とうなる。私もそうだ。 これまでうなった回数は?何を食べてうなったのか?考えるだけでも楽しいのである。 私の場合、味覚が未開発の乳幼児期は昭和30年初期。おそらく曽祖父母や祖父母が手渡す 「ビスケット」がメインだったのかもなあ? 果物は地場で採れるものだったり、特別な バナナ、カステラなどは、曽祖父母 祖父母が口の中で「カミカミ」してから、のどに詰ま らせないように優しく分け与えてくれていたと思われる。 乳歯から永久歯に歯が生え変わる頃には、もうこういった「カミカミして与える」ことは なかったはずだが、カミカミの口中の悪い菌が悪さをしなかったかどうかはわからない笑笑 小学3年生の時に村にバスが開通した。 村の商店にこれまで見たことのない菓子類が置かれるようになり、その頃の中学生たちが 「買い食い」をすることを覚えてしまった。 今、しみじみ思うのである。 昭和40年代ともなると文化的な暮らしが村の女たちを明るくし、婦人会が元気に活動する ようになった。料理のレシピもテレビ、新聞、婦人雑誌、県や市の婦人会の交流などで、 新しい料理が食卓に上がるようになった。 「ワークショップ」や「ワーキングホリデイ」と言う言葉が、あの時代に定着していたら、 村は沢山の人を呼んだかもしれない。資源の豊かさには負けない地形と土壌と、暮らす人間 が居るのだから。 さて、私の最近の「うん、 うーーーん」うなったのは、イタリアンレストランでのお茶の ダージリンとエキストラバージンオリーブオイルの味。頂き物の赤ワイン。客に出したおも てなし用の特ビール。笑笑 私は下戸だが、この時の赤ワインとビールには悪酔いしなかったのである。 近いうちにイタリアンレストランに行こうと思っている。ダージリンとオリーブオイルを 味わいたい。シェフと語れたらもっといい日になりそうな。

 「消しゴム」 (2018年3月8日)

呆れた話しである。 新一年生向けの学習教材で、消したり書いたり消しゴムの使い方を 教えているって話しだ。更に鉛筆は6Bを使うって話しだ。つまり、 筆圧が極力弱い子供が増えているって話しだ。 要因は、タッチするだけで書いたり消したりできる電子パネルが家庭に すっかり浸透してるいるということらしい。 孫は3歳から毎日絵日記を書いているが、最初は面白がり、次第に毎日が 苦痛になり、親からの励ましがあって今も続いている。筆圧もしっかり してきたようだ。文章もまとまってきたようだ。「嫌なことを頑張ってやる」 ことを身体で覚えて欲しいと親の思いだ。この先、いっぱい出てくる苦手な ことを。 しかし、今時の幼児たち。電子機器に慣れ親しみ過ぎていたら、長い人生、 消しゴムで消したい経験をすることもあるだろう。上書き保存ばかりではなく 地に足をつけて四季折々の美しい風景を立ち止まって眺めて欲しいなぁ。 テレビを見ていて無邪気な子供たちの笑顔を見るたびに思ってしまうのである。

 自家製野菜の冷凍は調理でもある (2018年1月31日)

我が家ではほとんどの食材を冷凍保存している。根菜類、葉のもの、 キノコ類、果実、生もの加熱したもの、半干しの魚などなどを冷凍庫 に仕分けして入れる作業はなかなか楽しいのである。冷凍することで 旨味成分が濃くなるので調味料についてはそれほど凝らなくても食材 の組み合わせで味に相乗効果が生まれることがある。それはそれで嬉 しい発見でもある。 先日、ごま油を使ったいりこ出汁(お味噌酒みりん)を作ってみた。 生臭みが無くパスタにもよく合った。ハンバーグに大葉をたくさん 混ぜ込んだら思わず「私 天才!」って (笑笑笑笑 今月は冷凍干し芋とリンゴとタイム酒でお八つを作っては「私 天才!」を連発。 このコーナーでもその都度アップして自画自賛してきたなぁ。 金時豆がとっても美味しく煮えたので、またまた作った。 今年は焼き芋にしたものと蒸したものを冷凍してみようと思っている。 手料理サイトの「クックパッド」をときどき見ているが育児中のママたち のアイディアには感心させられる。家族の食事作りを楽しく工夫して、 インスタ映えする写真を撮って、イイネーをたくさんもらって、幸せに なれればこんなステキなことはないと思うのである。母親のイキイキは 家族のイキイキ。子供達よく食べて遊んでよく寝るという図式が浮かん でくるのである。

 ユズとリンゴ (2018年1月10日)

今年はおせち料理はシンプルにして正月らしいムードを大事に迎える ことができました。 過ぎてきた時間の思い出を巡るだけでも新しい年がありがたく感じら れてなりません。孫娘の成長に驚き感心しての数日間でした。 それから二人になり自分たち時間を取り戻しつつ、ふと孫娘のかわいい 声を聞きたくなったりとしています。かわいい声。たまらんばい(笑笑)。 御節用に売られていた柚子無農薬で大ぶり1個360円でした。これは2個 全て使い切りました。七日過ぎたあたりから小ぶりの熊本産の柚子が3個 で340円で売られていました。4袋を買い、味噌漬けにしてみました。 過去のスローフードで紹介した作り方よりも簡単です。 おせち用の柚子は、皮から使うので農薬の心配の無い柚子です。私が買った 熊本産も柚正月仕様でしたので水洗いしました。丸ごと蒸してから使うのも 良いでしょう。今回は種を出しませんでした。種のペクチンが出るかも。 その場合は、奈良漬けみたいにヌルヌル床になるかも。長時間着けないので あればいい感じに仕上がるはず。 ヘタをくり抜き、中の酢を押し出します。写真の小瓶は 12個分の酢です。 酢を少し抜いたのは、水っぽくならないためです。 柚子を半分に切り、切り口から全体に味噌を塗り、ホーローの容器に ぬか床を作るようにして柚子を並べます。 空気に触れないようにラップをかけて、蓋をし、北側の寒い部屋に 置いています。 リンゴもたくさん残っています。タイム酒で煮ました。バナナも間に 入れて煮ました。パンの上に載せていただきます。

 今年もよろしくお願いいたします (2018年1月1日)

割烹着の袖ととのへて年あらた    くろまめ 今年から「くろまめのスローフード」と「くろまめの種物語」は 「くろまめのをりをり」に統合します。 引き続きご愛読くださいませ。                         2018年1月1日   くろまめ